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「あれこれ目移りせず ただ一つの夢に生きてください。 私は常にあなたと共にありましょう。」二兎追うもの一兎も得ず。。。虻蜂取らず。。。「あれも欲しい♪」「これも欲しい♪」「もっと欲しい♪」「あれもしたい♪」「これもしたい♪」「もっとしたい♪」「無くても困らないけど欲しい♪」「しなくても困らないけどしたい♪」これでは、本当は何が欲しいのか。。。本当は何がしたいのか。。。本当は何を必要としているのかさえ、分からないと思うのです。欲張りになってしまうと(欲に翻弄されてしまうと)、「自分はどうしたいのか。。。」「自分が本当にしたいことは何か。。。」が分からなくなってしまうと思うのです。裏を返させて頂くと、「自分はどうしたいのか。。。」「自分が本当にしたいことは何か。。。」が分からなくなるほどにあれもこれもと欲張るからこそ、「自分は〇〇をしたかったんだ!」「自分が本当にしたいことは〇〇だ!」というものに対する純粋な思い入れや気持ち、そして、それを手中に収める為の努力や集中力、探究心などが、他の欲によって分散されてしまうのだと思うのです。その結果、全ては中途半端に終わり、何も成し遂げることができないのだと思うのです。そもそも、その時々の私たちにとって、本当の「望み」「夢」「希望」「想い」などは、沢山あるものではなく、突き詰めていけば、「1つ」になると思うのです。その1つの「望み」「夢」「希望」「想い」が叶うことによって、派生的に生じるような「小さな望み、夢、希望、想い」は多々あると思うのです。それにもかかわらず、欲張りになって(欲に翻弄されて)、あれもこれもと望みを沢山抱いてしまう時は、その幾つも幾つもある「小さな望み」を、さも「真の望み」であると自ら思い込んだり、勘違いして、ただただ多くを求め、多くを望んでいるに過ぎないと思うのです。そのような思い込みや勘違いを生み出すような欲に翻弄されてしまうことのないように、自分が思い描いている幾つも幾つもある「小さな望み、夢、希望、想い」の頂点にある「真の望み、夢、希望、想い」をしっかりと見極めさせて頂きたいものですね。「真の望み、夢、希望、想い」を本当に実現したい時は、それを実現する為に必要なもの以外は手放したり、人様が遊んでいる時も努力をさせて頂くなど、何かを犠牲にする覚悟が必要だと思うのです。裏を変えさせて頂くと、何かを犠牲にしてでもやりたい、と思えるものこそ、自分の「真の望み、夢、希望、想い」に近いのだと思うのです。「自分は〇〇をしたかったんだ!」「自分が本当にしたいことは〇〇だ!」と魂が喜び、心躍るような「真の望み、夢、希望、想い」に巡り合えたときは、その一点に向かって、脇目もふらずに集中し、地道な努力をコツコツと継続させて頂きたいものですね 。「真の望み、夢、希望、想い」が、自分にとって本物であればあるほど、その地道な努力は、苦しいものではなく、楽しいものなのだと思うのです。私たちの心のあり方をご覧になられている天のお立場からすれば、それが順調であろうとなかろうと、自分を信じ、自分の「真の望み、夢、希望、想い」に向かって、愚直なまでに一点集中し、決して諦めず、不器用ながらも地道な努力を継続するその誠実で真面目な心のあり方、生き方を応援したくなられるのだと思うのです。だからこそ、いつも私たちの傍にいて下さるのだと思うのです。源光「あれもこれもと欲張るとすべて中途半端に終わってしまいます。 本当にやりたい夢や思いに一点集中するべきです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201501260000/「望みを持ちましょう。 でも叶う望みは一つだけですよ。 叶った望みから派生する望みは、 あなたの努力の果実です。 あれもこれもでは一つも叶いません。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406250000/ 「今、夢中になっているものがありますか? どうぞ何処までも探求して下さいね。 それが貴方が真に求めているものなのですから。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201310290000/「夢を現実にしたいのなら、 あなたはその夢と恋に落ちるのが先決です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201507310000/「あなたが何かを、どうしても成し遂げたいのであれば、 錐のように、ある一点に向かって集中すればよいのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401140000/「一念は天に通じます。 物事をなしとげようとする強い信念があれば、 その心は天に通じ、必ず成就するのです。 一念ですよ。。。 二念も三念も同時に通じる訳はなく、 まして邪念など通じる訳もないのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201504220000/「運の悪い人は、障害があると簡単に諦めるのが得意。 運の良い人は、諦めるべきものは、サッサと諦め、 諦めてはならないものは、不退転の決意で徹底的に粘るのが得意。 そんなことを、まだやっているのか!? 道を極めた人は、若い時から、この様に評価され続けた人です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312280001/「信じる道を真っ直ぐに。。 困難にぶち当たった時は、迂回してもいいのです。 ただ、逃げ道に逃げ込むことだけは避けて下さい。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403080000/「その道の先駆者と普通の人を分けるのは、 何かに打ち込んだ量の差に他なりません。 あなたは今も、懸命に真っ直ぐに清らかに、 何かに邁進していますか?」 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311170000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311180000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.05.21
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「思い残すことなく人を愛してください。 愛に優る美しいものは世界に存在しないのです。」「愛」は、愛に始まり、愛に終わるのではなく、 いつ何時も満ち溢れているのだと思うのです。「愛」によって、この世という修業の場を与えて頂き、「愛」によって、この世に生まれる機会を与えて頂き、「愛」の下にこの世に生まれ、日々「無償の愛」によって、日々をお見守り頂いている私たち。。。私たちがそれを感じようと感じまいと、「愛」を常に与えて頂いている私たち。。。その「愛」によって愛されている私たち。。。自分に降り注がれている「愛」は、独り占めしようとする必要はないと思うのです。独り占めしようと思っても、独り占めできるような降り注がれ方ではなく、 常に「愛」の中で生かさせて頂いている。。。 常に「愛」で満たされている。。。ほどに降り注がれているが故に、どんなにか自分に注がれている「愛」を、人様や社会の為に活かさせて頂いても、「愛」は決して減ることはなく、常に満たされていると思うのです。むしろ、自分に注がれている「愛」を人様や社会の為に活かさないと、ただ「愛」を溢れさせてしまうだけで、宝の持ち腐れになってしまい、勿体ないことをしているだけだと思うのです。天から降り注がれている「愛」は、天から直接的に自分に降り注がれている「愛」もあれば、どなた様かに降り注がれた「愛」が、様々な人々の「愛」を経由し、様々な「愛」の経験を積んだ、様々な「愛」の形となって、自分に巡ってくることもあると思うのです。自分の「愛」を他者に与えているようで、実は、他者から与えて頂いている「愛」もあれば。。。他者から「愛」を与えて頂いているようで、実は、自分が他者に与えている「愛」もあり。。。自分が一方的に「愛」を差し出しているつもりでも、差し出すことが出来る「愛」があるということは、どこかから「愛」を与えて頂いているからこそ、差し出すことが出来る、ということでもあると思うのです。日頃、そのようなことを意識していなくても、そこここに愛の繋がりがあると思うのです。否、全てが愛の繋がりの結果なのだと思うのです。その愛の繋がりは、昨日今日に始まったものではなく、人知の及ばない遥か彼方から届いている夜空の輝きであるお星様の光のように、古くから「愛の光」として受け継がれている「愛」に、新たな一日を迎えると共に、お天道様によって降り注がれる「愛」が新しい息吹を吹き込んで、「愛」の繋がりを育んで下さっているのだと思うのです。それ故に尽きることがないのだと思うのです。尽きることがない「愛」だからこそ、自分に降り注がれている「愛」や、その「愛」から育まれた自らの「愛」は、人様や他の為にどんどん活かさせて頂けば良いと思うのです。それを「愛する」というのだと思うのです。人様を愛する。。。動植物さんを愛する。。。自然を愛する。。。全てを愛する。。。愛を形にする。。。「愛」は尽きることがないが故に、どんなにか多くの存在を「愛する」ことをしても、失うものは何もないと思うのです。だからこそ、何も心配せずに、私たちに降り注がれている「愛」を、他を「愛する」ことに活かさせて頂けば良いと思うのです。お互いがお互いに愛を与え、お互いがお互いによって愛を与えられるという「与え合う」その様を「愛し合う」というのだと思うのです。各々の「愛」を、各々を「愛する」ことに活かす「愛し合う」というその美しい心のあり方や美しい育みは、私たちに「愛」を与え続けて下さっている天が、地上で修業をさせて頂いている私たちに教えて下さっている愛の心そのものなのだと思うのです。愛をもって生かさせて頂く。。。何ごとをさせて頂くにも愛(心)を込めさせて頂く。。。何ものも愛させて頂く。。。という愛の心で生かさせて頂くことは、私たちの本質である魂が喜ぶ生き方であるだけでなく、天がお喜び下さる生き方でもあると思うのです。そして、それは、「愛の心」で生かさせて頂くことの美しさを、自ら「無償の愛」を降り注ぎ続けることを通じて教え続けて下さっている天に対する恩返しにもなるのだと思うのです。~~~~時に、 「愛を与えてやっている。。。」 「愛し続けてやっている。。。」 「愛してやっているのに。。。」などのような思いを抱いたり、言動をされる方がいるものですが、 「与えてやっている。。。」 「与え続けてやっている。。。」と思い込み、勘違いしているその「愛」は、もともとは天から授かった「無償の愛」であり、そのお陰様で、「愛」を知ることができ、「愛する」こと、「愛し合う」ことを経験させて頂いているものだと思うのです。ということは、「愛」は、恩着せがましくするようなものでも、出し惜しみするようなものでも、見返りを求めるようなものでもないと思うのです。裏を変えさせて頂くと、恩着せがましくしたり、出し惜しみをしたり、見返りを求めてしまうのは、その方ご自身が、まだ 「愛」を知らない。。。 「愛する」ことを知らない。。。 「愛し合う」ことを知らない。。。だけでなく、天から降り注がれている「無償の愛」によって、 「愛されている」ことを知らない。。。ということだと思うのです。天は、私たちに「無償の愛」を与え続けて下さりますが、私たちに恩着せがましくすることもなければ、出し惜しみをするどころか、与え続けて下さっている。。。見返りを求めるどころか、私たちの幸せの為に与え続けて下さっている。。。天が教えて下さる「愛」の姿だと思うのです。本当の愛とは、 相手の全てを受け入れること。。。 何らの見返りも求めずに、与えること。与え続けること。。。 give & take ではなく、give & give で与え尽くすこと。。。をいうのだと思うのです。「愛」はただただ与え尽くすもの故に、相手の方がそれを受け入れて下さろうと、受け入れて下さるまいとそれは相手の方の自由。。。それ故に、愛の心をもって人様に接した時に、それが相手に伝わらなくても悲しむことはないと思うのです。自分が与えた愛を理解して欲しいという、「見返り」を求めている give & take の「愛」ではない姿勢故に、悲しむのだと思うのです。十人十色。。。千差万別。。。「愛」は、伝わる方には伝わり、伝わらない方には伝わらないもの。。。それはそれで良いと思うのです。天は、地上の私たちがそれを知ろうと知るまいと、それを感じようと感じまいと、ただただ「無償の愛」を降り注いで下さっています。私たちも天と同じようにさせて頂けば良いのだと思うのです。ただただ愛の心で生かさせて頂く。。。ただただ愛(心)を込めさせて頂く。。。ただただ愛する。。。そういう心のあり方で、「愛」を実践させて頂くからこそ、天から降り注がれている愛を感じ、愛に満ち、愛に包まれて、生かさせて頂くことができるのだと思うのです。そして、天に帰還させて頂くときは、その心のあり方に相応しい「愛」に包まれた美しい場所に帰還させて頂くことになるのだと思うのです。源光「人が天から魂をさずかっているのは、 触れ合う人々を愛するためである。 全世界の人々を愛するためである。 憎しみ合うためではない。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201108020000/「心には、その中に愛が入っていなければ、 中身が入ってない財布と同じで虚しく哀しい存在です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201402260000/「永遠の夫婦とは愛する事を教えてくれた大好きなあなたを、 永遠に愛して生きるものです。 これを究極の愛といい、永遠の幸せが約束された夫婦なのです。」ラクシュミーさん http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/20140・・・「夫婦、親子の礼儀は忘れがちですが、 幸せな家庭は心愛(しんあい)の礼儀が保たれているものです。 互いを思いやることを忘れてはなりません。(一部抜粋)」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312030005/「愛とは、相手に変わることを要求することではなく、 ありのままを受け入れることで成就するのです。。。 男性は簡単に「愛している」と言います。。。 しかし「結婚して欲しい」と言わない限り、 本当に貴女を愛しているとは言えないのです。。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201503060000/ 「一生を終えて後に残るのは、 あなたが集めたものではなくて、 あなたが与えたものなのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201505190000/「神の前に蓄積されたもの。。。 それが福を招くわけです。 生き様です。物ではありません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201507110000/ 「触れ合う人に笑顔でプレゼントをしてください。 大切なのは、高価なものを与えたか。。 どれだけ多くを与えたかではなく、 どれだけ愛をこめたかです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405010000/「他人のための行いにこそ価値があります。 無償の愛。。それが人生の重要な秘訣のひとつです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406020001/「人は心の美しさと、いかに生前、人様のお役に立てたか?で、 こちらの住む場所が決まるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210160000/「与える手は、どの手も美しいのです。 与えることは、自らを輝かせます。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201207050000/「愛は幸運の財布です。 与えれば与えるほど中身が増えていく 笑顔と喜びと幸運そして財運の財布です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201510180000/「最も美しい行為は、愛の名の下に行われます。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201205190000/ 「愛することによって失うものは何もないのです。 もっと家族を、そして人を、動物を、植物を、 自然を愛さなければなりません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201404150000/「虚しいとは、誰も愛せないという苦しみ。。 地獄とは、自分を愛せないという苦しみです。。 とにかく愛することから始めるのです。。 それは動物でもいいのです。。 心の底から愛することです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407180000/ 【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.05.20
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「感謝の心が人を育て 感謝の心が自分を磨くのです。」感謝の心は、感謝に始まって、感謝に終わるようなものではなく、いつ何時も持ち続けさせて頂くもの、だと思うのです。感謝は、表面的にするものでもなければ、自己満足でするようなものでもなく、自分の為にさせて頂くことだと思うのです。「感謝しています」「ありがとうございます」という言葉は、容易に口にすることができますが、心が籠っていなければ、その言葉の意味をなさないと思うのです。感謝するとはどういうことかを自分で自分の心に問い続け、日々、反復させて頂くことにより、本当の意味での感謝の心が育まれ、その育まれた感謝の心によって、日頃の言動や心のあり方が変わり、自分の魂(心)が磨かれ、魂の修正や成長をさせて頂くことができるのだと思うのです。全ては「与えて頂いている」ものだと思うのです。私たちが、今こうして存在しているのもそうだと思うのです。 魂の修正や成長をさせて頂きながら幸せに生きる為、 という目的をもって生まれてきている私たちですが、 「この世」という修行の場も「与えて頂いているもの」。。。 この世で修業をさせて頂く為に必要な「肉体」や「生」も 「与えて頂いているもの」。。。 修行の場である地上の全てのものも「与えて頂いているもの」。。。 様々な境遇も環境も出逢いも「与えて頂いているもの」。。。 呼吸をさせて頂く為に必要な空気も「与えて頂いているもの」。。。 食糧や衣服や住居、その他全てのものは、 姿かたちこそ変われど、 もともと地球さんにあったもの(地球さんに与えられたもの)を加工したり、 科学の技術や化学による反応で、元の形を変えて 使わせて頂いているだけの「与えて頂いているもの」。。。 科学や化学などを生み出す元になった直感や知恵、智慧なども 「与えて頂いたもの」。。。何もかもが「与えて頂いているもの」。。。全ては授かりもの、なのだと思うのです。今を生きている私たちの「命」さえも。。。「与えて頂いているもの」の中にいる私たちは、「生きている」という感覚で過ごしがちですが、「与えて頂いているもの」の全てが無くなれば、生きたくても生きようがないと思うのです。 「この世」がなければ修行ができず、魂の修正や成長はできません。 「肉体」や「生」がなければ、この世に存在することができません。 空気がなければ、生きることができません。 食糧や衣服や住居がなければ、生きることができません。 思考や想像、科学、知恵、智慧がなければ、生きることができません。全てを「与えて頂いている」からこそ、生きることができる私たちなのだと思うのです。ということは、私たちは自らの力で「生きている」ように見えて、実は、「与えて頂いているもの」の全てのお陰様で、【生かさせて頂いている】のだともうのです。「与えて頂いている」ことが「当たり前」になってしまい、感謝の心や謙虚な心を忘れることのないように気を付けたいものですね。日常生活の中でも、日々「当たり前」のようなことが多々あると思うのですが、それは決して「当たり前」なことではなく、奇跡の連続のようなものだと思うのです。 日々、当たり前のように朝をお迎えさせて頂くことができること、 日々、当たり前のように目を覚ますことができること、 日々、当たり前のように空気があること、 日々、当たり前のように元気に過ごさせて頂けること、 日々、当たり前のように食べるものがあること、 日々、当たり前のように着るものがあること、 日々、当たり前のように雨風を凌ぐお家があること、 日々、当たり前のように一緒にいる家族や友人がいること、 日々、当たり前のように学ぶ機会や遊ぶ機会があることなどなど。。。 「当たり前」が当たり前でなくなった時に、気が付いても遅いと思うのです。私たちが「当たり前」と感じるほどまでに全てを「与え続けて頂いている」というその奇跡の連続に、「ありがとうございます」という感謝の心を持たせて頂くことが大切だと思うのです。その「与え続けて頂いている」環境の中で「生かさせて頂いている」ことの有難み。。。「生かさせて頂いている」からこそ感じることができる幸せ。。。に囲まれて生かさせて頂いていることを忘れてはいけないと思うのです。「与え続けて頂いている」。。。「生かさせて頂いている」。。。今の自分、今の私たちがあるのは奇跡のようなものなのだと思うのです。そのように考えさせて頂くと、全てに対して、心から感謝せずにいられなくなると思うのです。源光「自分は生きているのではなく、 「生かされている」という事実に気づきましょう。 本当の幸せは、あなたの心の中にあるのです。 幸せを追いかける人はいつまでも幸せになれず、 今、呼吸をしている幸せに気づく人が、 本当に幸せになれるのです。 まずは、生かされていることに感謝しましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401020002/「不安、不自由、不足や不満の種は尽きませんが、 恵まれていることは忘れていませんか? 心が不安や不満でいっぱいになったら、 不平不満、不安,不自由から心を放して、 恵まれていることに感謝しましょう。 そうすれば、あなたを悩ませている問題は、 霧がはれるように少しずつ消えていきます。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312210001/「幸運の時も不運の時も、すべての現象に感謝しましょう。 感謝は最大の徳であるだけでなく、全ての徳の源なのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406240001/「日々、太陽に感謝して生きていきましょう。 そうすれば森羅万象全てに感謝出来る素晴らしい人格が構成され、 あらゆることが好転していきます。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201203110000/「感謝は人の義務であるが、何人もそれを期待する権利はない。 汝、その事を世に伝えよ。 」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201201130000/「病気をしなければ健康の有難さは分からず、 失敗しなければ、自分のいたらなさは分からず、 痛い目に合わなければ人さまの痛みを感じる事ができません。 人は試練を通して成長していきます。 天は、偉大なる魂に、大いなる試練を与えます。 感謝しなければなりません。そして天命を果たしてください。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201203080000/「運の悪い人は、実はいないのです。 気づきをありがとう!!感謝します!! こういう人は、全部、驚くほど幸せになっていきます。 これが天の法ですから。。」 (ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209130000/「汝は、毎日欠かさず、◯◯さんのおかげで幸せです。 有難うございます。と唱えよ。 決して◯◯をして欲しいと注文をしてはいけない。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201109180000/「あなたが撒かないものを得ることはできません。 あなたが木を植えれば木が成長し、 感謝の言葉を口にすれば、 幸運を得ることができるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201306140000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.05.19
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「相手を目ではなく心で観てください。 こんなに美しい人がこの世にいたのだろうか? こう思える人こそあなたに相応しい人なのです。」=自分の好みのタイプの人==自分が愛する人==魂が求める人==天界で約束してきた人=と思い込むことは容易でも、実際のところは、この方程式が成り立つことは容易ではないと思うのです。多かれ少なかれ、相手の容姿や身に着けているもの、 地位、名誉、肩書き、財産などに心奪われてしまうことが多々あるものですが、私たちの心は、それらとお付き合いをするわけではないと思うのです。また、それらがお付き合いをする相手、でもないと思うのです。相手の容姿や身に着けているもの、地位、名誉、肩書き、財産などをお付き合いをする相手の条件にするということは、 相手の心や心のあり方、人間性はどうでも良い。。。 相手の持っているものが好き、欲しい。。。 そういう相手とお付き合いをすることで自己満足を得る。。。 そういう相手とお付き合いをしていることを自己顕示したい。。。など、 自分の欲や邪念を満たす為に相手を利用している。。。それ故に、 相手に対する愛もなければ、思い遣る心もない。。。ということだと思うのです。心ある人間がお付き合いをさせて頂くのは、やはり同じように心ある人間だと思うのです。私たちの心(魂)が相手に惹かれるのは、心ある人間同士故に、相手の心や人間性だと思うのです。それは、誠実さ。。。真面目さ。。。優しい心。。。温かい心。。。美しい心。。。逞しい心。。。勇敢な心。。。母性。。。人格。。。品性。。。人としてあるべき正しい心。。。など色々あると思うのです。お互いがお互いの心や人間性に惹かれ合うと、色々と感じたり、思うことが出てくると思うのです。「こんなに誠実で真面目な人、今迄に出逢ったことなかったなぁ~♪」「こんなに澄んだ綺麗な目をしている人、初めてだなぁ~♪」「こんなに純粋で真っ直ぐな人が世の中にいたんだぁ~♪」「この人といつも一緒にいたいなぁ~♪」「この人といる時は、ありのままの自分でいることができるなぁ~♪」「この人と一緒にいると、ほっとして、心が癒されて落ち着くなぁ~♪」「この人と生活を共にして、一緒に生きていきたいなぁ~♪」「この人と一緒にいる時のこの安心感♪ 幸福感♪は何だろう♪」「この人が大変な時は支えてあげたい。。。。助けてあげたい。。。」「この人の為に〇〇をしてあげたいなぁ~♪」「この人と家庭を築いて幸せに過ごしていきたいなぁ~♪」などのように、下心や邪念なく、純粋に、自然に惹かれる相手こそ、自分の魂(心)が喜んでいる相手なのだと思うのです。自分の魂(心)が喜ぶんでいるような相手こそ、自分に相応しい相手なのだと思うのです。 (自分が相手を「自分に相応しい相手」と思っていても、 相手も同じように自分を思ってるとは、限らないと思うのです。 自分が相手の心、心のあり方、人間性を観て、 自分に相応しいと感じることができたように、 相手も自分を同じように観ていると思うのです。 だからこそ、相手に相応しい自分であることができるよう、 自分の心、心のあり方、人間性を 磨かせて頂くことも大切なのだと思うのです。)そういう相手との間に恋愛感情が生まれると、お互いが明るく、元気で、楽しく、笑顔で過ごさせて頂けるように、辛く苦しい時も愛し合い、助け合い、支え合い、協力し合い、理解し合いながら生きていきたい。。。相手を幸せにしたい。。。一緒に暮らしたい。。。相手と一緒に幸せになりたい。。。などのような、お互いがお互いを思い遣る心が育まれ、心と心を結び付けるのだと思うのです。お互いが相手を想い、思い遣ることができる。。。心と心が繋がることができる相手と一緒にいると、各々の心が喜びや幸せを感じるだけでなく、それが二人の喜びや幸せにもなっていくのだと思うのです。だからこそ、相手の容姿や身に着けているものなどの目に見えるものや、地位、名誉、肩書き、財産などのように、相手の心や人間性とは関係のないものに心を奪われたり、翻弄されたり、振り回されたりすることなく、相手の心、心のあり方、人間性など、心ある人間としての本質に重きを置いて、 心と心が繋がることができる相手。。。 自然体でいることができる相手。。。 一緒にいて心が安らぐ、心が落ち着く相手。。。かどうかを見極めさせて頂くことが大切だと思うのです。源光「見た目が、美しいから美しいのではないのです。 心が美しいから美しいのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201208180000/「外見や見せ掛けのことに気をとられてはいけません。 一番大切なこと。。。本質を見失わないようにしましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201507270000/「目はその人の心を映し出す鏡のようなものです。 目を見ればその人の心のさまが読み取れるもの。。。 心が清く正しい人は、瞳も澄んでいるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201501250000/ 「外見、物腰、言葉使い、経歴、肩書きなどに頼らず、 その人の瞳を観て 正義の人であるかどうかを観てください。 瞳だけは、決して嘘がつけないものなのです。 自分自身の良心を秤にすれば、 欲得を隠した偽善は、必ず見抜けるのです。」(ラクシュミーさん)「心は瞳に宿っていますよ。相手の目をしっかりと観てくださいね。 その方が、真実を語っているかどうかが分かりますから。。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201301170000/「一人では、いくら努力しても、どうしても掴めなかった幸せを 彼(彼女)が持ってきた!! これが運命の出逢いですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407110001/「人はエネルギーを蓄える場所が必要です。 毎日安心して戻れる場所があると 明日を生きることができるのです。 安心して戻れる場所。。あなたは持っていますか? 人には、悩みを共有して、 一緒に悩み、戦ってくれる人が必要なのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312250000/「恋愛も品物も手に入れられないとなると、 どうしても欲しくなってしまう人がいます。 その人は、本当にあなたの伴侶に相応しい人でしょうか? 品物も本当に必要なものでしょうか? 冷静に、よく見極めましょう。 品物ならば失敗も笑って済まされますが、、 約束の人と違う人との結婚。。 これは辛いですよ。。 最近地上でよく見受けられる現象です。 約束の人は会った瞬間に互いに わかるように仕組まれているのですが、 なぜか邪念が邪魔をするようです。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312040000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312040001/「何事も始まりが美しすぎると、 結末が良くないのも無理からぬことです。 恋も結婚も仕事のパートナーとの出逢いも。。 泥臭い出逢いが本物の出逢いです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201404160000/「価値観を共有しながらも、 いつまでたっても新鮮な驚きのある人。。 これが約束の彼(彼女)なのです。 あなたはもう運命の人と出逢いましたか? 愛し合い、許し合い、助け合う夫婦。。 笑顔溢れる仲良し親子。。 永遠の家族。。 これが地上の幸せの極致なのです。」 (ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312270001/「偶然を装った必然で出逢い、 愛を育み、互いを見つめ合い、 結婚後は、ともに同じ方向を見つめることができるなら、 一人では決して到達できなかった美しい世界に到達できるのです。 人生を大いに楽しんで、 約束の子供と出逢い、家族で幸せを謳歌してください。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407040000/「相手の美貌や愛欲、職業 収入によって結ばれた結婚は、簡単に破綻しますが、 心と心で結ばれた結婚は、年を重ねるごとに幸せになっていきます。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407250000/「偶然を装った必然で出逢い、 愛を育み、互いを見つめ合い、 結婚後は、ともに同じ方向を見つめることができるなら、 一人では決して到達できなかった美しい世界に到達できるのです。 人生を大いに楽しんで、 約束の子供と出逢い、家族で幸せを謳歌してください。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407040000/「大きな期待をして何かを始めた人は、大きな挫折を経験します。 大きな期待をせずに何かを始めた人は、大きな喜びを手にします。 相手に過剰な期待をして恋愛を始めた人は、大きな挫折を味わいます。 相手に過剰な期待をせずに恋愛を始めた人は、誠の幸せを手にします。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403050002/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.05.18
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「登りたい山を決めるのはあなたです。 私ではありません。」山を登らせて頂く時、どのような山を登ろうと、その山の麓のどこから登ろうと、自由だと思うのです。日当たりの良い明るいところから登るもよし。。。日当たりの悪い暗いところから登るもよし。。。足場が良く、登り易い、安全なルートを登るもよし。。。足場が悪く、登り難い、危険なルートを登るもよし。。。好天に恵まれた日を選んで登るもよし。。。悪天に見舞われた日を選んで登るもよし。。。人様のアドバイスを参考にして登るもよし。。。人様のアドバイスを無視して登る良し。。。先人が築いて下さった道を登るもよし。。。自ら茨の道を開拓して登るもよし。。。どのような選択、判断、決意、言動をしようと、人それぞれの自由だと思うのですが、自ら選択、判断、決意、言動した以上は、その責は自分にあるということを忘れてはならないと思うのです。例え、どなた様かのアドバイス通りにしても、どなた様かの事例を真似したとしても、 「アドバイス通りにする。」 「真似をする」ことを選択、判断したのは自分自身であり、 「アドバイス通りにしよう!」 「真似をしよう!」と決意したのも自分自身故に、アドバイス通りに、はたまた、真似をして、自分の思い通りにならなかったとしても、その責は、やはり自分にあると思うのです。それにもかかわらず、その責をアドバイスをして下さった方や、真似の元になった事例の方や、他の人や他の何かのせいにしたり、押し付けるのは、ただの我儘でしかないと思うのです。そういう自分勝手な利己的な心のあり方では、山登りそのものは上手くいっていたとしても、自分の責をとらない、又は、自分の責を他のせいにした時点で、魂レベルの山は、滑り落ちてしまうと思うのです。反対に、 「アドバイス通りにさせて頂いたからこそ、 真似をさせて頂いたからこそ、 お陰様で、この程度で済んで助かりました。 本当に有り難うございます。」という、謙虚な心のあり方で過ごさせて頂いていると、山登りそのものは上手くいかなかったとしても、魂の修正や成長は上手くいっているが故に、魂レベルの山は着実に昇らせて頂いているのだと思うのです。~~~~天は、永久不変の真理である天法の写しである「何が正しいかその全てを知っている良心」を通じて、魂の修正や成長をさせて頂いている私たちに、いつも人としてあるべき正しい心の道を指し示して下さっていると思うのです。良心に従って生かさせて頂けば、天が指し示して下さる正しき道を通じて、山を登らせて頂くことができると思うのです。それは、一見遠回りのように見えたり、でこぼこ道だったりするものですが、実は山の頂までの最短距離なのだと思うのです。反対に、欲や邪念に翻弄されて、良心に背いて生きると、天が指し示して下さる山の頂へ続く正しき道は見えなくなり、私たち人間が生み出す欲 や邪念を喜ぶ魔に誘われ、心の自由を奪われ、心を支配される山道を歩まされることに。。。それは、一見、欲や邪念を満たしてくれる楽な道。。。のように感じるものですが、その実態は、山の頂を目指すという目的をも忘れさせ、自分を貶める「落な道」なのだと思うのです。天は、私たちがどのような選択、判断、決断をしようと、良心という心の羅針盤を授けて下さるに留まり、良心に従おうと背こうと、その道を歩もうと歩むまいと、それは修行をさせて頂いている私たちの自由として、私たちの心のあり方に決して干渉することはないと思うのです。そもそも人生とは、魂の修正や成長をさせて頂く為に与えて頂いている修行の機会。。。その修行の機会をどのように生かさせて頂けば良いのかを天に仰ぎ、天に頼り、天の言う通りに生きていては、もはや自分の人生ではなくなり、自分の人生が拓けることもなく、修行にもならないと思うのです。また、困った時の神頼みのように、天に仰ぎ、天に頼った時の私たちは、とても自分勝手なことが多いと思うのです。天に仰ぎ、天に頼ったことで、自分の思い通りに、はたまた、自分の望み通りに、ものごとが上手く運べば、天に対する感謝の心を忘れて、ただ喜ぶだけ。。。果ては、傲慢な態度に。。。天に仰ぎ、天に頼ったにもかかわらず、自分の思い通りに、はたまた、自分の望み通りにものごとが上手く運ばなければ、不平不満、愚痴、怒り、被害妄想を生み出し、上手く運ばなかった理由を天のせいにする。。。その不完全さ故に修行が必要な私たちの心の傾向を天は見越されていらっしゃられるのだと思うのです。それ故、天は、私たちの魂の修行の妨げにならないように、私たちに良心を授けるだけに留め、何ら干渉することはせず、自分の心のあり方 、ものごとの見方により自ら下した様々な選択、判断、決意、言動の責任の全ては、私たち自身にあるように、お取り計らい下さっているのだと思うのです。天は、自分勝手な自由ばかりを求めて、責任は取らない利己的な心の私たちに、 「責任を自ら背負う覚悟をもって、 自ら選択、判断、決意、行動してこそ修行になる。」ということを、何も干渉しないというスタンスを通じて、教えて下さっているのだと思うのです。ことあるごとに岐路に立たせて頂いている私たち。。。その都度、天が授けて下さった 「何が正しいかその全てを知っている良心」に素直に従って、自ら「正しい」と選択、判断、決意した道を堂々と歩ませて頂き、自らの言動に責任を持って生かさせて頂きたいものですね。そういう姿勢こそ、 自分の人生を自分で歩んでいる。。。 自分の人生を自分で切り拓いている。。。 自分らしく、ありのままの自分で生きている。。。 運命によって導いて頂いている。。。魂が喜ぶ生き方なのだと思うのです。良心に従って、魂が喜ぶ生き方をさせて頂くからこそ、魂の修正や成長の修行になるのだと思うのです。源光「神が考えて人が行うのではありません。 人が考えて、人が行なうのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201207240000/「人からの忠告に基づいて自分の人生を設計すると、 あなたの人生はいびつになるのです。 自分の人生は自分で設計すればよいのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406230000/「信じる道を真っ直ぐに。。 困難にぶち当たった時は、迂回してもいいのです。 ただ、逃げ道に逃げ込むことだけは避けて下さい。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403080000/「前進しているつもりかも知れませんが、 他人の後ろから行く人は、前進しているのではなく、 追従しているだけですから、他人の道を行くだけで、 自分の進みたい道は拓かないのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201404190000/「瑞々しい感性で生きて行く人は、 ずっと青春時代を生きることができます。 愛と勇気と希望を持って触れ合う人々を元気に明るくして行く人は、 ずっと幸運の時代を生きることができます。 妬み、そねみ、恨み、ツラミで、自己中心に生きて行く人は、 ずっと暗黒の時代を生きることになります。 どの道も自由に選択することが出来ますし、 途中で道を変更することも自由です。 神仏は静かに見守って、その人の自主性に任せます。」 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201310310000/「一度、思い込みから離れてみましょう。 思い込みのせいで本当のことに気づけないでいるのかもしれません。 あなたの行き詰まりは、かくあらねばならないという 自分で創り出した、思い込みから発していることがほとんど。 あなたの目指す山の頂上には、どこからでも登れますよ。 何も藪を切り拓いて道なき道で迷う必要はないのです。 山の動物が拓いた獣道。。先人が踏みしめてできた自然の道。。 道はいろいろあるのです。 笑顔で、家族仲よくお弁当持って登ればいいのです。 途中で休憩して山の景色も眺めてみましょう。 実はその方が早く、あなたの望む頂上に到達するのです。」 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312050000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312050001/「選択した道が正しいか、天は教えてくれないのです。 天は、全ての人に良心という羅針盤を持たせて地上に降ろしましたから、 その人の判断に任せているのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201204200000/「自分の言動に責任を持つことです。 その責任の下に、本当の幸せと喜びが 横たわっているのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201502100000/「現在うまくいっているとしても、本当は間違った事をしていると、 心の底で分かっているなら、すぐに止めることです。 現在うまくいかないとしても、良心に恥ない正しい事をしていると 心の底でわかっているなら、諦めず継続していきましょう。 正しい努力だけが真の幸せを運んでくるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311210000/「人は誰でも過ちを犯すものです。犯さない人は皆無です。 ただ自分の中で過ちを正当化したり、相手に責任を負わせたりする人がいます。 だから、いつまでも事態が改善されずに苦しむのです。。 自分が誤っていると悟ったなら、躊躇なく、すぐ改めるべきです。 即、行動しなければなりません。 いたずらに体面や人の思惑を考えて、改めるのを恐れてはいけません。 過ちては則ち改むるに憚ること勿れ と云うことですね。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312080000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312080001/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.05.17
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「人生は、ハプニングが起きたときに 面白さが出るか、投げ出すか、自暴自棄になるかで 全く違う結果になるのです。」同じ現象でも、その現象に対する自分の心のあり方、ものごとの見方によって、その現象によって導かれていくベクトルの向きは大きく変わっていくと思うのです。その現象が、一般的に試練や苦難のように感じる現象であったとしても、「ここで試練(苦難)を与えて頂くということは、 これを乗り越えれば飛躍できるということだな♪ それに試練を与えて頂けるということは、 乗り越えられる準備が整っているということだから、 乗り越えられないわけがない!! これはチャンスだ!! よし、頑張るぞ♪」と捉えて、その現象をありのままに受け入れて、その現象に挑んだり、「せっかくだから楽しでしまおう♬」くらいの心持ちで過ごさせて頂いていると、その現象(試練)が自分の味方となって、飛躍する為の準備を整えてくれると思うのです。~~~~「こんな面倒くさいことをやってられるか!絶対にやらん!」「こんなの嫌だから、逃げちゃおう。。。」「自分には関係ない!」「何で自分ばかりがこんな試練に会わなければならないんだ。。。」等のような思いを抱いたり、姿勢を取ってしまうことがあるものですが、そもそも、何らかの現象を与えて頂くときは、その現象がその時の自分にとって必要な現象故に与えて頂いている「偶然を装った必然の現象」であることを考えれば、その現象から逃げようとしても、目を背けようとしても、投げ出そうとしても、自分に必要な現象である以上は、逃げても逃げ切れるものではなく、目を背けても背けきれるものでもなく、投げ出しても戻ってきてしまうと思うのです。例え、そういう現象から、 一時期的に逃げたり、目を背けたり、投げ出することができ、 「上手くいった♬」と自己満足を得ることができたとしても、自分の魂の修正や成長という視点では、 「上手くいっていない」が故に、結局のところ、その境遇と向き合うまでは、次から次へと同じような境遇を与えて頂くことになるのだと思うのです。ということは、逃げれば逃げるほど、目を背ければ背けるほど、投げ出せば投げ出すほど、常に追われ続けることになる。。。常に自分で自分を追い込み続けることになる。。。常にチャンスを捨て続けることになる。。。それは、自分で自分を追い込み、辛く苦しい思いをさせてしまうだけだと思うのです。更に、逃げ切れない、目を背けきれない、投げ切れない、という自分の思い通りにならないことに憤りを感じて、人様に八つ当たりしてご迷惑をお掛けしたり、傷つけたり、自暴自棄になって投げ遣りな言動をすれば、もっともっと辛く苦しいことが巡ってくるだけだと思うのです。~~~~その現象が自分に都合の良いものであろうとなかろうと、それは、自分の魂の修正や成長の為に与えて頂いている境遇や現象であることに変わりはないと思うのです。それならば、どのような境遇や現象を与えて頂いたとしても、いつも感謝の心をもって、前向き、肯定的、積極的な姿勢でその境遇や現象を受け入れさせて頂くと良いと思うのです。そのような心のあり方や生き方で過ごさせて頂いていれば、その境遇や現象は、大なり小なりチャンスや幸運になると思うのです。反対に、後向き、否定的、消極的な姿勢でその境遇や現象から逃げ、目を背け、投げ出せば、上記のように苦しみの連鎖を生むだけだと思うのです。それならば、自分に与えて頂いた境遇や現象そのものにフォーカスするのではなく、 「なぜこの境遇や現象が今の自分に必要なのか?」という感じで、その時の自分にとって、その境遇や現象が、どのような意味があるのかを見出させて頂くことに意識を向けさせて頂きながら、前を向いて生かさせて頂いた方が、気持ち良く過ごさせて頂く事ができるばかりでなく、人生そのものも拓けてくると思うのです。悲観的な心のあり方で自暴自棄になっても、何も解決しないばかりか、むしろ事態は悪くなり、解決すべき問題点を増やすばかりだと思うのです。楽観的な心のあり方で、前向きに、笑顔で活き活きと生かさせて頂いていれば、直ぐに解決はしなくても、解決の糸口を見つけさせて頂くことができたり、実は解決すべき問題など何もなく、自分の心のあり方そのものに問題があったことに気付かせて頂けるなど、事態は良い方向に導かれていくと思うのです。 --------同じ境遇に対しても、ある人は「不安」や「恐れ」を感じ、ある人は「希望」や「夢」を抱く、ということがあると思うのです。ということは、その境遇そのものが「不安」や「恐れ」を生み出すものではなく、その境遇に反応している私たちの心が勝手に想像を膨らませて、「不安」や「恐れ」を生み出しているのだと思うのです。境遇そのものが「不安」や「恐れ」ではない上に、もともとそこには「不安」や「恐れ」がなかったことを考えれば、本来「不安」や「恐れ」を感じようがないと思うのです。「不安」や「恐れ」を感じようがないものに「不安」や「恐れ」を感じても仕方がないと思うのです。自ら「不安」や「恐れ」を生み出してしまっても、自分の【心のあり方ひとつ】で、「不安」や「恐れ」が消え去るばかりか、場合によっては、「希望」や「夢」を抱くことさえできるのだと思うのです。【心のあり方ひとつ】。。。心ある人間だからこその特徴だと思うのです。魂の修正や成長をさせて頂きつつ、幸せになる為に生かさせて頂いている私たち。。。同じ人生でも【心のあり方一つ】で大きく変わるのであれば、不安や恐怖に苛まれて、暗く、陰鬱になったり、不平不満、愚痴、怒り、嫉妬を生み出し、難しい顔や顰め面で生かさせて頂くよりも、希望や夢に向かって、明るく、元気に、楽しく、笑顔で生かさせて頂く方が、人生は楽しく幸せだと思うのです。それを分かっていても、どうしても前者を選択してしまう、ということもあると思うのです。選択しているのが、自分自身であることを考えれば、不安や恐怖に苛まれるのも、希望や夢に向かって生きるのも、自分の選択次第。。。【幸福になる心のあり方】【不幸になる心のあり方】どちらを選択するかは自由だと思うのですが、魂の修正や成長をさせて頂きつつ、幸せになる為に生まれてきた私たちの魂からすれば、 【幸福になる心のあり方】こそ、魂の喜ぶ生き方なのだと思うのです。--------同じ境遇に対してでも、暗く、俯き、不平不満、愚痴を言って、悲観的に生かさせて頂くよりも、明るく元気に天を仰ぎ、いつも笑顔で楽観的に生かさせて頂いた方が、人生は拓けていくのだと思うのです。新しく何らかの行動を起こそうとした時、悲観は、 「上手くいくかわからない。。。」 「やるだけ損。。。」などとして、新しい行動を自ら起こさないように仕向け、何の変化もない停滞や後退を維持・継続するのに対し、楽観は、 「とりあえずやってみよう♪」 「やってみなければわからない♪」などとして、新しい行動を次から次へと起こし、何らかの新しい変化を生み出す前進を生み出すが故に、人生が拓けていき、好転していくのだと思うのです。少し見方を変えさせて頂くと、この世でしか体験させて頂くことができない人生が、平坦で何も起こらなければ面白くないと思うのです。時には試練や苦難などの荒波があるからこそ、人生にインパクトがあり、面白みが生まれると捉えさせて頂けば、試練や苦難は人生を楽しませる冒険のようなものだと思うのです。魂の修正や成長を目的として、この世に生まれることをとても楽しみにしていた私たちの人生は、天から地上への期限付きの冒険のようなものだと思うのです。私たちの魂は、この世に生まれることを楽しみにしていたわけですから、この世で与えて頂いている様々な境遇は、それがどのような境遇であったとしても、魂にとっては楽しいチャンスだと思うのです。だからこそ、試練や苦難を与えて頂いても、それをチャンスとして楽観的に捉えさせて頂き、人生そのものを明るく、元気に楽しませて頂いていれば、それで良いのだと思うのです。源光「魂のレベルの高い人は、喜びの中でも苦難の中でも 楽しむ力があることで見分けがつきます。 苦難を楽しむ。。ドンと来い!! 試練。。人生大逆転の基本です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407250001/「苦難を苦悩にするのでは無く、 苦難を楽しんで歓喜を手に入れることのできる人になりましょう。 」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201208280000/「柔は剛に勝ります。 柔軟な心、決して怒らない平常心の持ち主になりましょう。 心乱れ、怒りに震え、思考が常軌を脱している時、 人は取り返しの付かない失敗を招くのです。」 (ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201306250000/「幸運は、諦めずに努力する人、勇気ある人を訪れ、 逃げる人、怠ける人からは去っていくのです。 」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201603180000/「人生は二つに一つです。 それは勇気をもって挑むか。。 棒に振るか。。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201603070000/「同じ現象でも 挑めばチャンス。。。 逃げればピンチ。。。 ただそれだけのことです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201505300000/「チャンスの種は、困難の中にあります。 衰退の種は、順風の中にあります。 幸せの種は、笑顔の中にあります。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406080000/「苦しい時、非難されているときに、 これはチャンス!!と思える人は、 人生の行方を自分で決めることができる 偉大な人なのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412180001/「勇気は、逆境を光に変える行動です。 臆病は、逆境を地獄に変える行動です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408120001/ 「大切な人生の局面で、勇気を失うと全てを失います。 勇気があれば、道は開けます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201402210000/「自分の持ち場で、自分のやるべきことを、やるべき時に、 キッチリとやっていたら運は逃げないのです。 それをやらないから運やツキが逃げるわけです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201503040000/「人が、逃げてしまいたいこと。。。嫌なこと。。 素通りしたいこと。。恐れることを 良心に従って率先してやる人は、奇跡を呼ぶのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405200000/「何があろうと決して落胆しないこと。 笑い飛ばして生きて行くこと。 それが人生、負けない人のやっていることです。 不運を逆転させる唯一の道でもあります。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403300000/「何が起こっても、否定しない。くよくよしない。 ありのままを受け入れ、すべてを肯定するという前向きな姿勢。 これこそ、運のいい人が身につけている姿勢なのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312260002/「災難や苦難に遭遇すると、心が折れてしまう人がほとんどです。 これをよい機会に変えようと努力した人にのみ天は微笑むのです。 そして災難や苦難をジョークにして笑い飛ばせば、 事態は素早く好転していきます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312210003/「たくさん苦しんでいる時に あえてよく生きることです。 世をはかなんで自暴自棄になれば、苦しみが長引きます。 なんで自分ばかりこんな目に会うのか!!と嘆いていれば さらに苦難が追加されます。 苦しい時こそ むしろ人を助けることですよ。喜ばせることですよ。 自分より苦しい人は、それこそ星の数ほどいるのです。。。 悩み多ければ多いほど、光に近い人。。 人を救う天命を持って生まれてきた偉大な魂なのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409110001/ 「災難や苦難に遭遇すると、心が折れてしまう人がほとんどです。 これをよい機会に変えようと努力した人にのみ天は微笑むのです。 そして災難や苦難をジョークにして笑い飛ばせば事態は、 素早く好転していきます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312210003/「物事を悲観すれば、悲観した通りになってしまいますが、 楽観的に考え口に出していると、物事は、全て良い方向に向かいます。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201204160000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.05.16
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「人生は、自分の思い通りにはならないのです。 あの時、あんなことをしなければよかったのに。 違います。 あの時、あんなことをしたから今があるのです。 反省から生まれた、ひとつひとつの決断や行動が、 これからの自分の人生をいい方向に変えていってくれるのです。」「大切なことは、自分で決めることです。 良心に恥じない決断は、一点の間違いもありません。 たとえ失敗したとしても、それは次のステップへの 避けては通れない試練だったわけです。 人は失敗から学んで成長していくようになっているのです。 あなたも例外ではありません。」「過去に学ばない人は、 それを何度でも繰り返す運命にあるのです。」過去の自分の間違いや過ちを後悔し、素直に反省させて頂くことはとても大切なことだと思うのです。しかしながら、いつまでも過去の間違いや過ちを背負って生きていかなければならないと思い込んだりして、悩み苦しみ続けてしまうことがあると思うのです。いつまでも悩み苦しみ続けていては、何の為に反省させて頂いたのか、良く分からないと思うのです。本当の意味で反省させて頂いたのであれば、人様の目を気にせずに、前進させて頂く他ないと思うのです。過去の間違いや過ちを素直に反省させて頂くのは、同じことを繰り返してしまうことのないように、そして、人としてあるべき正しい心をもって、より良く生かさせて頂き、人様のお役に立つことや、人様にお喜び頂けることをさせて頂くことを通じて、過去の間違いや過ちという経験を「心の財産」になるようにさせて頂く為にあるのだと思うのです。過去の間違いや過ちという「失敗」を「成功のもと」にさせて頂く為に、反省させて頂けば良いのだと思うのです。過去の間違いや過ちが、それ以降の自分の心のあり方や言動、時の経過によって、「心の財産」になるということは、その過去の間違いや過ち無くして、その「心の財産」は得られることはなかった、ということでもあると思うのです。それならば、過去の間違いや過ちについて、素直に反省させて頂いた後は、それが「心の財産」になるように、前を向き、積極的に、肯定的に、生かさせて頂けば良いのだと思うのです。学校のテストなどの間違いは、間違った時こそ「×」を付されても、その間違いを直し、正させて頂けば、「×」の上から「〇」を付して頂けるものですが、私たちの人生もそれと同じだと思うのです。テストの間違いを直さず、正さなければ「×」のまま。。。私たちの人生においても同じだと思うのです。テストも人生も、その間違いを認めず、反省せず、直さず、正さなければ、同じ間違いを繰り返してしまうだけだと思うのです。間違いを素直に反省し、直し、正そうとする気持ち。。。そして、それを何らかの行動に起こして、直し、正す勇気。。。 それがあれば、過去の間違いや過ちは、自分を悩ませ、苦しめ続けさせるものではなく、それ以後の人生をより良く生かさせて頂く為の「心の財産」になっていくのだと思うのです。~~~~気持ち良く過去を振り返らせて頂くことができるとき、過去の様々な経験は、今を生かさせて頂いている自分や、未来の自分がより良く活かさせて頂く為の「心の財産」や「心の宝」になっていると思うのです。過去を振り返らせて頂いたとき、はたまた、何らかのきっかけで、過去を振り返らざるをえなかったとき、過去の様々な経験を思いだし、後悔に苛まれたり、嫌な思いをしてしまうのは、「今」を生かさせて頂きながらも、過去に振り回されているからだと思うのです。「今」を生かさせて頂いているにもかかわらず、過ぎ去った「過去」に振り回されているということは、その過去について色々な思い残しがあるからだと思うのです。 「あの時、何であんなことをしてしまったんだろう。。。」 「あの時、何で素直になれなかったんだろう」 「あの時、なぜ謝れなかったんだろう。。。」 「あの時、【有難う♪】と言っておけば良かった。。。」 「あの時、〇〇さんにあんなことをしなければ良かった。。。」 「あの時、〇〇さんに酷いことを言わなければ良かった。。。」 「あの時、もっと〇〇さんのお話に耳を傾けるべきだった。。。」 「あの時、もっと優しくしておけば良かった。。。」 などなど色々な思い残しがあると思うのです。その思い残しを後悔として、今を生かさせて頂いている自分に繰り越すのではなく、良い思い出とすることができるようなものごとの見方や捉え方、心のあり方を通じて、明るく反省させて頂くことによって、今を生かさせて頂いている自分に活かさせて頂けば良いと思うのです。「あの時、あんなことをしなければ良かった。。。」 →「あの時、なぜあんなことをしてしまったんだろう。。。」 →「良く考えれば、あの時、もう少し冷静になって、客観的に見て、 〇〇していれば良かったのかもしれないなぁ。。。 これからは、平常心と客観的視点を大切にしよう♪」「あの時、何で素直になれなかったんだろう」 →「良く考えれば、強がっていただけかもなぁ~。。。 つまらないプライドのせいで意固地になっていたのかもなぁ~。。。 これからは、もう強がるの止めよう♪ 格好をつけるの止めよう♪ ありのままの自分、自分らしい自分、自然体の自分でいよう♪」 「あの時、なぜ謝れなかったんだろう。。。」「あの時、【有難う♪】と言っておけば良かった。。。」 →「ごめんなさい、ありがとう、の一言を 素直に言えなかったばかりに後悔するなんて。。。 これからは、思った時に直ぐに、ごめんなさい! ありがとう! を言おう♪」「あの時、〇〇さんにあんなことをしなければ良かった。。。」「あの時、〇〇さんに酷いことを言わなければ良かった。。。」 →「感情的になるとろくなことがないなぁ~。。。 相手に嫌な思いをさせてしまったことも辛いけど、 それが自分の苦い思い出になっていることも辛いなぁ。。。 これからは感情的になった時、もしくは、感情的になりそうなときは、 何度も深呼吸して、冷静さを取り戻してから、行動を起こしたり、 言葉を発するようにしよう♪」「あの時、もっと〇〇さんのお話に耳を傾けるべきだった。。。」「あの時、もっと優しくしておけば良かった。。。」 →「あの時は、忙しさを口実に聞く耳を持たなかったり、 辛く当たったりしてしまったけど、良く考えると、 自分勝手なことをしていたんだなぁ~。。。 これからは、何かを口実にしたり、弁解したりしないように、 聞く耳を持ったり、優しく接するようにしよう♪ 仮に、忙しかったとしても、 『今は忙しいから、ゆっくり聞けるときに声を掛けるから もう少し待ってね。』と優しく接するように努めよう♪」などのような感じで、過去を思い起こさせて頂きながら、反省すべきは明るく反省させて頂き、正すべきは心正しく修正させて頂きながら、「過去」の経験を「今」を生かさせて頂いている自分に活かさせて頂けば良いと思うのです。とはいえ、反省することや正すことについて、頭で考え、心で思うことはできても、いざ、それを実際に行動に起こすとなると、くよくよしたり、おどおどしたりして、出来なくなってしまうことがあると思うのです。それでは 「~しておけば良かったなぁ~。。。」という後悔のスパイラルから抜け出せず、いつまでも同じことを繰り返してしまいかねないと思うのです。そもそも、「~しておけば良かったなぁ~。。。」という思いから始まった反省と修正だと思うのです。それを、「頭では分かっているんだけど、なかなか出来ない。。。」としてしまうことが良くあると思うのですが、その実態は、「頭では分かっている」のではなく、「頭では分かっているつもり」なのだと思うのです。それは、反省や修正の先にある本当の大切さや本当の意味を、分かっていない、ということだと思うのです。本当に頭で分かっているのであれば、頭で考え、心で思ったことを行動に起こさせて頂いてはじめて、「価値」あるものになり、自分が生まれ変われる、ということを分かっていると思うのです。分かっていることを当たり前のようにさせて頂く。。。今すべきことを今させて頂く。。。今できることを今させて頂く。。。自分の思いが行動に直結しているからこそ、反省すべき点が真の意味で反省されることになり、正すべき点が真の意味で正されることになり、失敗が成功のもとになり、人生が拓かれていくのだと思うのです。「思い」を「思い」のままに留め、「行動」に起こさず、何も変化しなければ、 新しい経験や体験などの様々な境遇が生まれないばかりか、「思い」は宝の持ち腐れになってしまうと思うのです。その反面、「思い」を「行動」に起こさせて頂くと、新しい境遇を与えて頂くものだと思うのです。その新しい境遇は、「行動」を起こすことによって与えられたもの故に、「価値」あるものだと思うのです。「行動」を起こさせて頂くことは、自分だけの為ではなく、自分の意識や理解を超えたところで、自分を取り巻く方々や環境やまだ出逢いの機会すら頂いていないご縁があるであろう他の方々との関係のある何かを始動させる スイッチのようなものだと思うのです。「言うは易く、行うは難し」と同じで、「思うは易く、行うは難し」だと思うのです。「百聞は一見にしかず」と同じで、「百思は一行動にしかず」だと思うのです。だからこそ、「思い」を「動き」に起こさせて頂きたいものですね。「思い」を「動き」に起こさせて頂くと、その「動き」が心に更なる「思い」を生み、その「思い」が新たな「動き」を生む。。。どんな些細なことでも、あれこれと考え過ぎずに、失敗を恐れずに、勇気をもって、「思い」を「行動」に起こすことを繰り返させて頂きたいものですね。「思い」を「行動」に起こさせて頂いたとき、その「思い」の元になった過去の経験は、「心の財産」「心の宝」になっているのだと思うのです。~~~~私たちは不完全な人間故に、過ちや間違いを犯すことはごく普通にあることだと思うのです。その過ちや間違いを犯してしまった時は、自分がそれを一番良く分かっていると思うのです。過ちや間違いを犯したことを分かっている。。。それは、とても素晴らしいことだと思うのです。犯した過ちや間違いを自分で分からなければ、反省しようにも反省できず、正そうにも正せないと思うのです。そのように考えさせて頂くと、自分の言動の中に、過ちや間違いがあることを自分で分かっている、というのは、良心が気付かせて下さっている、ということでもあり、とても有難いことだと思うのです。良心が気付かせて下さるということは、良心の声に耳を傾けている素直な自分がいる、ということでもあると思うのです。「自分が犯した過ちや間違いを分かっている」というのは、 「今なら反省すべきを正しく反省できますよ♪」 「今なら正すべきを正しく正させて頂くことができますよ♪」という良心からのお知らせであり、修正や成長をさせて頂く為の貴重なチャンスなのだと思うのです。犯してしまった過ちや間違いの取り扱いは、怪我や病気などと同じようなものだと思うのです。怪我や病気は、早い処置は快復も早いものですが、処置が遅かったり、処置をしなければ、快復に時間を要してしまったり、手遅れにもなりかねないと思うのです。それと同じように、犯してしまった過ちや間違いは、それについて自分が過ちや間違いであると分かっているのであれば、さっさと反省させて頂き、さっさと正させて頂いた方が良いと思うのです。心正しい早い反省は、修正や成長も早いと思うのですが、反省が遅かったり、反省をしなければ、修正や成長に時間を要してしまったり、修正や成長にすら結びつかなくなってしまう、ということもあると思うのです。同じ処置でも早ければ良い、というわけではないと思うのです。早く、正しい方法で処置をすることや、同じ怪我や病気にならないように日頃から気をつけ、正すべきことを正しく正すからこそ快復が早くなるのであり、正しくない方法で処置したり、正しく正すことが無ければ、また同じことを繰り返してしまうこともあると思うのです。 (怪我や病気そのものも過ちや間違いを気付かせて下さる為の 天からのお取り計らいなのだと思うのです。)それと同じように、反省も早ければ良い、というわけではないと思うのです。早く、正しい心をもって反省させて頂くことや、同じ過ちや間違いを繰り返さないように、日頃から気をつけ、反省すべきを素直に反省させて頂き、正すべきを正しい心で正させて頂くからこそ、過ちや間違いの修正が早くなり、成長に繋がるのだと思うのです。表向きばかり反省している振りをしたり、口先だけで「反省しています。。。」としても、正しい心で素直に反省していなければ、同じ過ちや間違いを繰り返してしまうと思うのです。過ちや間違いなど、本来、反省を要することについては、そのような機会を与えて頂いたことに感謝させて頂き、過ちや間違いを素直に認めて「間違えました」「ごめんなさい」などと謙虚に反省させて頂く姿勢を持たせて頂きたいものですね。その素直さ、謙虚さこそが、反省すべきを正しく反省させ、自分の心を磨き、過ちや間違いをその後の人生を輝かせる「心の財産」にさせるのだと思うのです。源光「人は誰でも過ちを犯すものです。 犯さない人は皆無です。 ただ自分の中で過ちを正当化したり、 相手に責任を負わせたりする人がいます。 だから、いつまでも事態が改善されずに苦しむのです。。 自分が誤っていると悟ったなら、 躊躇なく、すぐ改めるべきです。 即、行動しなければなりません。 いたずらに体面や人の思惑を考えて、 改めるのを恐れてはいけません。 過ちては則ち改むるに憚ること勿れ、 と云うことですね。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312080000/「人生は、ぶっつけ本番のリハーサル無し。。 これで失敗するなというのが間違いです。 失敗しない人間は皆無。 あなただけが失敗したのではありません。 大損したのでもありません!! 人は失敗から学ぶ動物です。 「あの時ああすればよかった。。」 そうです。ああすればよかったのです。 しっかり学び取って次に活かせば良いのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201402100000/「人生とは試行錯誤の過程である。 なんらの過ちもおかさない人は、何もしない人である。 汝は、失敗と挫折から学まねばならない。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201107260000/「汝の人生で、行動した結果、後悔の念に囚われるものは、 反省次第で明日を開く鍵にも、地獄への鍵にもなる。 行動しなかったことを後悔する必要はない。 今から行動すればよいのだから。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201109240000/「人間は努力する限り失敗したり過ちを犯すのです。 しかし失敗から学び、過ちを修正して夢を叶えることもできます。 失敗なんかしたくないし、過ちも犯したくなければ、 努力しないでノンビリしていればいいわけです。 ただし夢が叶うことは決してありません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406170001/「世間や社会に恥ずかしくないように生きるのではなく、 自分に恥ずかしくないように生きていきましょう。 その後姿で子供を、そして部下を教育するのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201303030000/ 「過去を振り返りましょう。後悔するためではありませんよ。 これからくよくよしないためです。 「あのときはなんてばかなことをしたんだ」と思い出しましょう。 そして「あのときはこうすればよかったんだ」という解決策を考えましょう。 よりよい言葉、よりよい行動、よりよい考え方を、自分で発見するのです。 次からそれを具体的に実行しましょう。 頭の中だけで思うのではなく、必ず実行することが大切です。 こうして以前、失敗したことも、成功するようになります。 全てが好転していきます。 欠点が長所となって輝き、理想的な人間へと修正されて 素晴らしい人生となって行くのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312270000/「人生は、三歩進んで二歩下がる。。 このくらいが一番いいのです。 確実に前進しています。 寄り道をしたり、振り出しに戻ったり、 失敗したりするのは、決して無駄ではありません。 成長していくには、そういったことがとても大切です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311220000/「過去の体験を「宝物」にするも、 「ごみ」にするも自分自身の「心」次第ですね。 みんな悩んで大きくなっていくのです。」 (ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209170000/「何も後悔することがない人の人生は、 とても虚しいものになります。 だから後悔させて頂けることに感謝することですよ。 後悔せずに生きられるほど人は完璧ではありません。。 後悔から学んだこと。。。あなたの一本の灯りです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406200000/「あなたが過去の間違いを悔いてばかりいたり、 未来のことを心配ばかりしていると、 この二つは合体して、あなたから活力、洞察力、健康、 そして心の平安を奪うウイルスに変身してしまうのです。 過去は過去。。。過ぎ去ったことです。 未来は、あなたが笑顔を忘れない限り 絶対に今よりも良くなるのですから、心配しなくていいのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412220000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.05.15
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「やり方は三つしかないのです。 正しいやり方。 間違ったやり方。 運を天に任せたやり方。 自主的に、良心に恥じない正しいやり方をするのなら いちいち運を天に任せる必要もないわけです。」正しいやり方。。。天から授かった「何が正しいかその全てを知っている良心」に従った心のあり方から生まれる自分の考え、言葉、行動を一致させることが正しいやり方だと思うのです。言うなれば、良心言行一致の姿勢が、正しいやり方なのだと思うのです。しかしながら、不完全な人間の私たちは、時として、自分では良心に従っているつもりでも、天から見ると、そうではない。。。ということもあると思うのです。良心に従って生かさせて頂くということは、どう言うことなのか。。。自分で自分を偽っていないかどうか。。。 (自分を偽っていれば、人様にも偽っていることに。。。)自分で自分を欺いていないかどうか。。。 (自分を欺いていれば、人様を欺いていることに。。。)それを常々自分に問い、自分を律し、その時々の自分の心のあり方や考え、言葉、行動を、冷静に、客観的に、それこそ天の立場になったつもりで、観察させて頂くことが大切だと思うのです。~~~~間違ったやり方。。。天から授かった「何が正しいかその全てを知っている良心」に従わない心のあり方から生まれる自分の考え、言葉、行動は、間違ったやり方だと思うのです。自分の考えや言葉、行動の大本になる自分の心のあり方が、「何が正しいかその全てを知っている良心」に背く。。。それは、 自分を偽っている。。。(=人様にも偽っている) 自分を欺いている。。。(=人様をも欺いている)ということだと思うのです。例えば、 「自ら抱いた欲や邪念を満たす為には、 正しくないと分かっていることさえもする。。。」 「自分さえ良ければそれで良い。。。」など、欲や邪念に翻弄、支配されている、若しくは、翻弄、支配されやすい。。。自分の都合しか考えていない利己心が強い。。。正義の心や道徳心がない。。。ような心のあり方は、間違った心のあり方だと思うのです。そのような間違った心のあり方から生まれる考え、言葉、行動は、自ずと間違ったやり方になると思うのです。私たちは心ある人間であり、その心(魂)が本質であるからこそ、心のあり方が大切だと思うのです。その行いこそ、善行であったとしても、又は、善行のように見えたとしても、その善行を生み出す心のあり方が、下心や何らかの見返りを求めているような良心に背いた心のあり方であれば、その善行は真の善行ではなく、偽りの善行。。。欺いている善行。。。裏を変えさせて頂くと、自分の欲や邪念を満たす為に人様を利用したり、人様の心を弄んでいる善行に見せかけた悪行なのだと思うのです。天が観ていらっしゃられるのは、私たちの行いではなく、その行いの原動力になっている私たちの本質である心のあり方だと思うのです。だからこそ、自分の心のあり方が間違っていないかどうかを、いつ何時も良心に照らしながら生かさせて頂きたいものですね。~~~~運を天に任せたやり方。。。運を天に任せるにしても、魂の修正や成長をさせて頂く為に地上という修業の場を与えて頂いている私たちは、 その時の自分がすべきことをやる。。。 その時の自分ができることをやる。。。 試練や苦難など、逃げ出したことから目を背けず、逃げずにやる。。。など、様々なシーンで努力をさせて頂くことなくして、天は何もして下さらないと思うのです。運を天に任せることができるのは、自分の力だけでは、もうどうにもならないほどに努力をさせて頂いた時だと思うのです。自分では、 「自分の力だけでは、 もうどうにもならないほどに努力をしてきた。。。」と思っていても、 「努力が足りない。。。」 「努力の仕方が間違っている。。。」 「努力すべきところが間違っている。。。」と天に映っていれば、運を天に任せても何も起こらないと思うのです。運を天に任せるという方法論を念頭に置くことは、天に対する依頼心でもあると思うのです。依頼心を抱いてしまうと、自分が本来持っている能力が活かされなくなってしまうと思うのです。運を天に任せようとしなくても、運を天に任せているのと同じように過ごさせて頂くことはできると思うのです。それは、「何が正しいかその全てを知っている良心」に従って生かさせて頂くことにあると思うのです。「何が正しいかその全てを知っている良心」は、天法の写し。。。天法の写しである良心に従って生かさせて頂くということは、天に通じる道を歩ませて頂くということだと思うのです。天に通じる道を歩ませて頂く。。。即ち、運を天に任せること、と同じだと思うのです。神仏は尊し、故に神仏に頼らず。。。自分を信じ、自分の力を信じ、積極的に良心に従うことを常とし、自分の信じる道を真っ直ぐに歩む努力をさせて頂いているのであれば、それは運を天に任せずとも、天が指し示して下さっている天に続く道を歩まさせて頂いていることに他ならないと思うのです。良心に従うという正しい心のあり方でさせて頂く「正しいやり方」とは、そういうことなのだと思うのです。正しい心のあり方で、正しいやり方をさせて頂く生き方。。。それこそ、魂の修正や成長をさせて頂く為に修行をさせて頂いている私たちの本質である魂(心)が喜ぶ生き方であり、かつ、天が微笑んで下さる生き方でもあると思うのです。源光「常に天法である心と対話してください。 人法の遥か上の境地で生きれば、 間違いの無い正しい生涯を全うできるのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201204020000/「天法は、人法の遥か上にあるのですから、 決して良心に逆らってはいけません。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201203250000/「汝は、常に自分自身の選択によって行動することができるが、 良心の命ずるままに行動するのが天命を果たす道である。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201110060000/「汝は良心を友として生きよ。天に通じる道ゆえに。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201112280000/「この世を生きてゆくには誠実の一語です。。 誠実とは何をするにも真心を尽くす事、 すなわちいつわらない事、あざむかない事です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409190001/「正しい心で誠意を尽くして生きていく。。 今日も、ただそれだけでいいのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409010000/ 「汝の良心は全てを知っている。 誰が正しいかではなく、 何が正しいかということを。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201110220000/「良心に従えば豊かになり、欲に従えば危うし。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201108090000/「良心に照らして、考えること、言うこと、することが調和されるならば 人生は、思いのままに拓けます。。 拓けないのならば、三点セットのどれかが歪(いびつ) なのですから修正していきましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201404200000/ 「大切なのは心構えです。心的態度です。 天は、心でどう思ったか、どう考えたかを観ていますから、 偽善や形だけの善行は、ほとんど評価しないのです。 心的態度。。 これが、その人の才能や努力、知識以上に重要な要素です。 心を磨く。。 これが全てに優先するのです。。 幸運の鍵。。 いつでも渡す準備はできています。 あなたの心、純粋な心に期待して、待っています。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401050000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.05.14
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「人を必要以上に批判追求した瞬間に 不幸が始まります 。 自分のことを棚に上げて、 人を悪く言うものではありません。」「陰口を叩くのは、暇な証拠。 自分も倍返しで言われているのです。 これは、針の山地獄の住人 哀れ極まりない世界です。」【悪口】・・・ 人様を悪く言うこと。。。悪態をつくこと。。。誹謗。。。人様の悪口を言っている人と一緒になって、同じように悪口を言うことを楽しんでいる人は、同じ穴の狢だと思うのです。ご本人様としては、人様の悪口を聞いていて不愉快。。。一緒にいてつまらない。。。と思いつつも、そういう方々と一緒にいるということは、第三者の方から見れば、やはり同じ穴の狢だと思うのです。悪口を言う人の集まりから退くことは、今度は自分が悪口を言われるターゲットにされてしまうことが多いものですが、 自分の良心や気持ちに背いてまで、 悪口を言う人の集まりにいる方が良いのか。。。それとも、 自分の良心や気持ちを大切にして、 悪口を言う人と距離を置き、 例え、自分の悪口を言われようと、 「心豊かで幸せな人は、悪口など言わないもの。。。 ということは、人様の悪口を言う人は、 不平不満を溜め込んだお気の毒な人。。。 悪口を言いたい人には言わせておきます。。。」 くらいの寛大な姿勢で、 悪口を言う人を相手にせずに放っておき、 仲の良い人と自分らしく過ごさせて頂くのが良いのか。。。を良く考えた方が良いと思うのです。因果応報。。。人様の悪口を言えば、自分が悪口を言われる立場に。。。悪口を言われる立場になるくらいなら、まだ良いと思うのですが、事態はもっと深刻なことになると思うのです。人様の悪口を言って楽しんだり、喜んでいるような人は、いざという時に、人様から一番信用されない人。。。一番信頼されない人。。。になると思うのです。 (同じ穴の狢の仲間同士でさえ、 「(自分のことについて)どんな悪口を言われてるものやら。。。」 と不信感を募らせることもあると思うのです。)信用されないもの同士や信頼されない者同士が集まっていても、いざという時に、ものごとは解決しないどころか、どなた様にも相手にされず、孤立無援になり、辛く苦しい思い、寂しい思いをするだけだと思うのです。人様の悪口を言い続ければ言い続けるほど、人様からの信用や信頼を回復するには、何倍もの時間を要することになると思うのです。否、どれだけの時間がかかっても、信用や信頼が回復できたのであれば、それはとても幸せな方だと思うのです。大抵の場合は、信用や信頼は回復できないまま、疎遠になることが多いと思うのです。 (もし、自分が悪口を言われている立場であったとき、 「反省したから許して下さい。ごめんなさい。。。」 などと言われても、悪口を言われたことを許すことは出来ても、 信用、信頼には容易に至らないと思うのです。)中には、 「あれは悪口ではない! あなたの為を思って言ったことなんだ!」などと、話を挿げ替えたり、すり替えたり、恩着せがましいことを仰られる方もいれば、 「反省して謝っているのに、 なぜ許してくれないんだ! なぜ信用してくれないんだ!」等のようなことを仰られる方もいるものですが、悪口を言われた側からすれば、 「そういう態度をされるあなた様だからこそ、 信用できないのです。。。 信頼できないのです。。。」ということになり、より信用や信頼から遠ざかるだけだと思うのです。人様の悪口は散々言っておきながら、 「反省したから早く許して欲しい。。。」 「謝罪したんだから、早く信用、信頼を回復して欲しい。。。」と伝えたところで、体裁を取り繕うだけの表面的な反省や謝罪では、 (中には他人様を利用して、反省や謝罪をする方もいると思うのです)当然、相手の心を打つことはなく、その自分のことしか考えていない虫が良すぎる姿勢は、呆れられるばかりだと思うのです。時に、 「謝罪してるのに許さないなんて何様? 信用、信頼しない何でどういうこと? 後になって、許しますとか、 信用、信頼しますとか言われても、 こっちから願い下げよ!」などと仰られる方もいるものですが、これは、自分が許されない寂しさ、距離を置かれた寂しさ、自分が信用、信頼されない苦しさ、辛さの裏返しで、ただ強気に出ているに過ぎないお気の毒様な姿勢だと思うのです。~~~~【陰口】・・・ その人のいない所で、悪口を言うこと。ご本人様を目の前にしては、勇気が無くて言えないような悪口を、陰ではコソコソと言い合って楽しむという、そのような陰湿なことをする方は、第三者からすれば、 「自分のことも陰で何を言われているか分からない。。。」として、信用や信頼を失墜してしまうだけだと思うのです。~~~~【批判】・・・ 人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、 正すべきであるとして論じること。最近の批判は、人様の些細な欠点や過ちを、揚げ足を取るかのように指摘するばかりで、それを正すにはどうすれば良いかは論じることのない無責任で説得力に欠けるものが多いと思うのです。見方を変えさせて頂くと、ご本人様がお溜めになられたストレスの発散やフラストレーションの解消の捌け口にしているだけの、自分勝手なものが多いと思うのです。ストレス発散やフラストレーション解消の為に、人様を必要以上に批判し、責め立て、追い込む。。。時には、人様を貶める為。。。人様にそのような言動をすることができるほど、 ご自身の言動に責任をお持ちでいらっしゃられるのか。。。 言行一致した生き方をされていらっしゃられるのか。。。という点を第三者は見ていると思うのです。自分が良心に従って生かさせて頂いているのであれば、人様のことをとやかく批判する必要はないと思うのです。相手がご自身の言動に無責任だったり、言行一致していない、有限不実行等の場合は、批判して然りだと思うのですが、そのような場合も、自分のことは棚に上げることなく、批判したくなる相手の振りを見て、我が振りを良く確認させて頂くべきだと思うのです。そして我が振りの中で正すべきことがあるときは、それを正させて頂いてから、批判させて頂くべきだと思うのです。そして、批判させて頂く時も、どのようにすれば正せるかの具体案と共に、批判させて頂くべきだと思うのです。~~~~悪口を言って、人様を傷つける。。。陰口をたたいて、人様を傷つける。。。説得力の無い批判をして、人様を傷つける。。。根拠のない悪口を言いふらして、人様を傷つける。。。(中傷)ことを楽しみ、喜んだその先にあるのは、同じ穴の狢だけが残るだけだと思うのです。それ以外の方からは、大人として、表面上のお付き合いのご対応を頂いても、その実態は、信用、信頼はされてない。。。距離を置かれている。。。相手にされてない。。。が故に、疎外感や孤独感を味わうことになってしまうのだと思うのです。自分が人様からされて嫌であろうとことを人様にはする。。。人様を傷つける。。。人様を責める。。。人様が傷つき苦しむ様子を楽しむ。。。喜ぶ。。。因果応報。。。その報いは、人様にした以上に辛く苦しいものになるのだと思うのです。悪口、陰口、批判、中傷をするのは、 人様の立場になることができない。。。 人様の苦しみを身に染みて感じることができない。。。心のあり方だからだと思うのです。それ故に、 人様の立場になってものごとを見ることができるように。。。 悪口や陰口を叩かれた人様の気持ちや 苦しみを身に染みて感じるように。。。 自分がどれほど人様を傷つけてきたかを知る為に。。。人様を苦しめた以上の辛さ苦しさを経験させて頂くことになるのだと思うのです。そのような行く末が見えている悪口、陰口、批判、中傷などの、自分が人様にされて嫌なことは、人様にもしないように注意を払いつつ、日頃から自分の言動に責任を持って、生かさせて頂きたいものですね。反対に、自分がされて嬉しいことを、人様にもさせて頂くと、自分も人様も気持ちが良いと思うのです。自分がされて嬉しいことを、人様にもさせて頂くということは、人様を自分と見立ててさせて頂く、ということだと思うのです。自分も人様も気持ちが良くなるようなことをさせて頂く。。。それこそ、「良心」に素直に従って生かさせて頂く、ということだと思うのです。源光--------自分の人生は、自分のものだと思うのです。良心に恥じるようなことをせず、自分に恥じることをせず、自分がやりたいことを探求し続け、努力させて頂きながら、自分らしく自分の人生を歩ませて頂いているのであれば、自分の人生は、どのように生かさせて頂こうと自由だと思うのです。時に、そのような生き方をさせて頂いていること、人様の自分勝手な自分基準によるものごとの見方によって、ああだこうだと言われたり、バカにされたり、誹謗中傷されたり、心が傷つくようなことを言われたりすることがあるものですが、それらに振り回される必要もなければ、気にする必要もないと思うのです。そもそも、人様のことをああだこうだと言ったり、バカにしたり、誹謗中傷したり、人様の心を傷つけるようなことを平然と言ってしまうような方は、ご自身のやりたいことが見つかっていなかったり、自分らしく過ごさせて頂くことができていないが故に、不平不満、愚痴、怒り、ストレスなどを自ら勝手に溜め込み、そのはけ口を、自分以外の他者に向けているようなものだと思うのです。それが人様の迷惑になる、ということにまで気が回らない。。。自分の不平不満、愚痴、怒り、ストレスが発散できればそれでいい。。。自分さえ良ければそれで良い。。。とっても利己的で、自分勝手なことだと思うのですが、とっても利己的で、自分勝手だからこそ、自分のやりたいことを見つけることができなかったり、人様のことばかりが気になってしまい、自分らしく生きることができないのだと思うのです。見方を変えさせて頂くと、人様のことをああだこうだと言ったり、バカにしたり、誹謗中傷したり、人様の心を傷つけるようなことを平然と言うほどの時間がある。。。時間を持て余している。。。暇。。。なだけだと思うのです。自分のやりたいことが見つからず暇。。。自分らしく生きているつもりが、人様のことばかり気にしているだけ。。。それ故に、自分のやりたいことを見つけ、それを探求し続け、努力し、自分らしく頑張っている人様の姿を羨んでしまうのだと思うのです。自分勝手な自分基準によるものごとの見方から生まれたその羨ましさが、人様のことをああだこうだと言ったり、バカにしたり、誹謗中傷したり、人様の心が傷つくようなことを言うことに繋がっていくのだと思うのですが、自分のやりたいことを見つけ、そのやりたいことを探求し続け、努力し、 自分らしく頑張っている方にとっては、それらは自分のやりたいことを邪魔するもの以外の何ものでもないと思うのです。自分のやりたいことを邪魔する者を相手にしたり、自分のやりたいことを邪魔する者に振り回されてしまっては、自分のやりたいことが気持ち良くできなくなったり、自分のやりたいことに集中できなくなったり、自分のやりたいことに費やす時間が少なくなってしまうことさえあると思うのです。やりたいことを自分らしくやりたい自分にとっては不本意だと思うのです。不本意であるのであれば、自分のやりたいことを邪魔する者が気にならないくらいに、自分のやりたいことを邪魔する者に振り回されることがないくらいに、自分のやりたいことに集中させて頂いた方が、より自分らしく生かさせて頂くことができて、幸せだと思うのです。源光「良心に恥じない自分であれば、 思うままに生きればよいのです。 そして他人の生き方に口を出す必要はありません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409280000/「あなたが扱われたいように、他人を扱いなさい。 汝が隣人からされたくないことを隣人に行ってはならない。 隣人を自分自身として見ることで、 人は正しい基準を得ることが出来る。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201107150001/「自分に自信の無い者は、他人の悪口を言い、 責任を押し付けて暗い坂道を降りていく。 汝は良心を友として生きよ。 天に通じる道ゆえに。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201112280000/「妬み、嫉み、怨み、ツラミ、復讐の心、 不平不満、足ることを知らない欲望。。 自己中心的考え。。被害妄想。。 これがあなたを苦しめている元凶です。 笑よく業を制す お祓いよりお笑いですよ。。(一部抜粋) 」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406030000/「自分勝手な奉仕や主義主張を 人に押し付けるのは単なる迷惑行為です。 自己満足に浸らない、見返りを求めない無償の愛。 優しい言葉、優しい心、心掛けていきましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409130000/「人のことが気になって気になってしょうがない。。 これが物事にとらわれている心です。 そういう心を無くさない限り、心は安らかになりません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406150000/「人間関係に悩む人は多いのです。 誰とでも仲良くしようと努力しても、 残念ながら価値観、性格が違う人とはうまくいかないものです。 あまり他人に振り回されないようにして、 大切な自分の時間を大切にしましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312220001/「他人の目を気にせず、おおらかに自分らしく個性的に生きることだと思います。 この世的権威や、お金など、死後は無価値となってしまうのですが、 唯一つ「心」だけは持って還れるのです。 「心」こそ宝ですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210100000/「たいしたことない人間ほど人の夢にケチをつけたがるものですが、 そんな人は生涯何も出来ない人。。相手にする方が間違っています。 人に笑われてバカにされた夢は叶うと思って間違いありません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201402110000/「他人を知るのは理解、自分を知るのは良心です。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201204280000/「良心に従って生きてください。 他人の批判を恐れ、人生を台無しにしてはいけません。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201206220000/「天は自ら正しく行動しない人に 救いの手をさしのべないのです。。 良心に忠実に行動していますか? 良心に恥じるような言動をしていませんか? 」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408190000/「天法は、人法の遥か上にあるのですから、 決して良心に逆らってはいけません。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201203250000/「常に天法である心と対話してください。 人法の遥か上の境地で生きれば、 間違いの無い正しい生涯を全うできるのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201204020000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.05.13
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「集まったものは全てなくなって終り、 上がったものは落ちて終り、 結ばれたものは別れて終り、 生は死に終わるのです。 ただ心だけは終わりがありません。」生かさせて頂いている内に集まったもの。。。 様々な財産(現金、金融財産、不動産etc。。。) 趣味に関係するものなど、様々な持ち物。。。 身の回りの全てのもの。。。など「かたちあるもの」は色々あるものですが、何一つ、死と共に持ち還ることができるものはないと思うのです。全ては、地上で生かさせて頂いている間だけのもので、死と共に全てなくなって終わり。。。~~~~生かさせて頂いている内に上がったもの。。。 地位。。。 権力。。。 名誉。。。 肩書き。。。など、それらを表す人為的な名称は色々あるものですが、何一つ、死と共に持ち還ることができるものはないと思うのです。全ては、地上で生かさせて頂いている間だけのもので、いつまでも維持できるものではなく、生かさせて頂いている間、はたまた、死をもって、過去のものとなり、落ちて終わり。。。~~~~生かさせて頂いている内に結ばれたもの。。。 約束の人とのご縁。。。 約束の家族とのご縁。。。 相性の良い人、良くない人など、様々な人様とのご縁。。。など「結ばれたもの」は色々あるものですが、生かさせて頂いている内に、不信をはじめとする様々な理由によって、疎遠になり別れることもあれば、死をもって別れを迎えることも。。。人間と人間という肉体ある者同士の結びつきは、死を始めとする何らかの理由をもって、別れて終わり。。。 (肉体という「かたちあるもの」との分かれはあれど、 私たちの本質である魂としては、地上で結ばれた者同士の 生前の心と心の繋がり、様々な経験は、 魂の心の思い出として刻まれ続けていくものだと思うのです。)~~~~魂の修正や成長をさせて頂く為に地上という修業の場を与えて頂いた私たちが修行をさせて頂く為に必要なもの。。。 魂の乗り物である肉体。。。 生。。。それらは、時の経過と共に衰えていくものですが、それは、私たちが生かさせて頂いている地上という大自然の中で当たり前のように循環されている極自然なことなのだと思うのです。春の新芽、新緑から、 夏の青々とした緑になり、 秋の訪れとともに紅葉・黄葉して落葉し、 冬の訪れとともに、新しい春に生まれる新緑の為の肥やしとなる。。。大自然にはそういう循環があり、大自然の中にある様々な存在は、その循環に合わせて生かさせて頂いていると思うのです。私たちの生も同じだと思うのです。新芽は、地上に生まれた私たちの赤子時代。。。青々とした葉は、幼少期から青年期、中年期。。。枯れた葉は、老年期。。。枯れ葉が落ちるのは、死。。。 (人間と植物さんの違いは、その死が 新芽や新緑の肥やしとなれるかどうかだと思うのです。 新芽が、母体である幹から養分を頂き、 青々とした葉になっていくのと同じように、 一人で生かさせて頂いているわけではない私たちも、 常にどなた様かのお陰様で生かさせて頂いていると思うのです。 枯れた葉が、次なる世代の新芽の肥やしとなる為に お世話になった幹の下に落ちて土に還るのと同じように、 常にどなた様かのお陰様で生かさせて頂いてきた私たちも、 次世代の方々をはじめとする人様のお役に立つことや、 人様にお喜び頂けるようなことをさせて頂くという、 肥しを残させて頂けるような生き方をさせて頂くことが、 大切なのだと思うのです。)死があるからこそ、生という貴重な修行の時間を大切に生かさせて頂こうとすることができるのだと思うのです。~~~~終わりのないもの。。。心。。。地上における「死」。。。「死」をお迎えしたから全てが終わり。。。ということではないと思うのです。何かの「終わり」は、何かの「始まり」でもあるのと同じように、「死」という地上における人生の終わりは、今生という新たな人生経験をさせて頂いた自分の魂の天(心の故郷)への帰還であり、次なる輪廻転生への「始まり」だと思うのです。「死」をお迎えして終わるのは、 今生という人生を自分の魂と共に過ごしてくれた「肉体」。。。 地上という修行の場での修業。。。 地上において得た様々なかたちあるもの(集まったもの)。。。 地上において得た人為的な様々なかたちなきもの(上がったもの)。。。 地上において得た肉体あるもの同士としてのご縁(結ばれたもの)。。。が終わるだけで、私たちの本質である自分の魂(心)は、新たな「始まり」に向けて存在し続けることを忘れてはならないと思うのです。魂(心)は永遠であり、生き通しの命。。。私たちの本質は、魂(心)だと思うのです。魂(心)があるからこそ、地上という修行の場で「自分」という意識と肉体という生命をもって、人生を過ごさせて頂くことができるのだと思うのです。そして、生まれ変わる度に培わせて頂いている自分の能力や特技などの様々な糧を、今生に活かさせて頂くことができ、更に様々な経験を積ませて頂きながら、魂の修正や成長をさせて頂く機会を与えて頂いている、ということでもあると思うのです。裏を返させて頂くと、生き通しの命である魂(心)が存在しないということは、「自分」という意識もなければ、肉体という生命をもって、地上という修行の場で生かさせて頂くこともできない。。。様々な経験を積ませて頂くこともできない。。。特技や能力、心を磨くこともできない。。。ということになってしまうと思うのです。しかしながら、そのようにならないのが、私たちの本質である生き通しの命。。。「生き通し」の字の如く、永遠に存在し続け、生き続ける。。。修行の場である地上において、生命の本体である肉体が死しても、魂(心)は、肉体という乗り物を捨てるだけで、存在し続け、生き続ける。。。それが終わりなき旅を続ける私たちの本質、魂(心)なのだと思うのです。~~~~私たちの魂(心)は、 集まったものは全てなくなって終ること。。。 上がったものは落ちて終ること。。。 結ばれたものは別れて終ること。。。 生は死に終わること。。。 終わりがないのは、魂(心)だけ。。。ということを知っていると思うのです。しかし、修行をさせて頂いている私たちは、それを忘れさせられているのだと思うのです。それを知っていることが、修行の妨げになりかねない。。。それを忘れているからこそ、修行になる。。。それもこれも、終わりなき旅を続けさせて頂いている私たちの魂(心)の修正や成長の為の天のご配慮なのだと思うのです。それくらいに、私たちの「魂(心)」という存在は、とても大切なものなのだと思うのです。だからこそ、自分の「心」に正直に、素直に、人としてあるべき正しい心の道を歩ませて頂きたいものですね。そのように生かさせて頂くことができるように授かった 「何が正しいかその全てを知っている良心」を、いつ何時も心の友として。。。源光「一生を終えて後に残るのは、 あなたが集めたものではなくて、 あなたが与えたものなのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201505190000/「人の価値とは、その人が得たものではなく、 その人が与えたもので測られるのです。」 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201510260000/「生まれ変わるのは、地上に生ある時です。 還って来てからでは遅いのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209260000/「肉体は滅んでも、魂は、決して滅びません。生き通しです。 時代も場所も違っても、同じ心と趣味趣向を承継していきます。 人は自分の魂が喜ぶものをトコトン探求し続けるのが一番幸せなのです。。。」「人は生き通しなのです。。。 肉体は船。。。心が船頭さん。。。 船は乗り捨てて。。。心の旅は永遠に続くのです。 良縁は良縁として。。。悪縁は悪縁として次の船に引き継がれるのです。 今を良心に従って正しく明るく生きることですよ。」(ラクシュミーさん)「誰もが生き通しなのです。 時代も場所も違っても性格は全く同じです。 しかしそれを実感として知っている人はほとんどいないのです。 それでも人はなぜか魅かれる国や装束があるものです。」(ラクシュミーさん)「運命は自分で切り開くことができますが、 性格、趣味趣向、癖、好きな勉強や仕事のジャンルは、 いつの時代もまったく変わらないので、 どの人も行動パターン、失敗の傾向は同じです。 いいところは伸ばし、悪いところは修正。。。それでいいのです。」 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201507210000/「死なないで地上で、生きられる人は皆無です。 人は、地上に命がある時だけ諸々の善行を なすことができるのですから、せっかくの機会を 大いに活かして、帰還されますように。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201211090000/「本当は、生き通しの命以外に、 富などは存在しないのです。 死ねば終わり。。 好き勝手に生きなければ損だ。。 この考えがもっとも自分を卑しめる考え方です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201502250000/「死とともに全ては無となるのですが 残るものがあります。 それは心。。。 邪悪な心で生きた人は、 暗く寂しく辛く哀しい殺伐とした世界に住むことになります。 心の美しさ。。。 磨いていますか? 死と生はコインの裏表。。。 今世の生き方次第で帰る場所が決まります。」 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201601290000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.05.12
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「大切なことは、生涯問うことをやめないことです。 今日も、愛の人、正義の人、良心の人でありましょう。」「誇り高き人でありましょう。 良心に恥じない人でありましょう。 今日も、正義と愛と勇気の人でありましょう。」「自分自身のことは、自分が誰よりも知っています。 何かを始める時は、先ず、心に問うことです。 良心に恥じない自分であるかを。。」「聞かねばなりません。 そして聴かねばなりません。 心の叫びを。。」「いつの世もあなたはあなたでありました。。 いつも、あなたはあなたであればよいのです。 他の人になろうとしても、それは無理な相談です。 良心に恥じない自分であればよいのです。 愛と正義の人であればよいのです。」何を問うのか。。。なぜ問うのか。。。誰に問うのか。。。【何を問うのか。。。】自分が考えたこと。。。自分の考えていること。。。自分の言っていること。。。自分が言おうとしていること。。。自分がしていること。。。自分がしようとしていること。。。が正しいか否か。。。適切な選択か否か。。。適切な判断か否か。。。適切な決断か否か。。。を問わせて頂く。【なぜ問うのか。。。】良心に従った考えか。。。良心に従った言葉か。。。良心に従った行いか。。。それが正しいか否か。。。それで良いのか否か。。。を確認させて頂く為に問わせて頂く。高踏的で利己的にならないよう、独り善がりで、自分勝手な自分の主観という人様にご迷惑をおかけしかねない狭い視野で、誤った選択、判断、決断をしてしまうことのないよう、広く大きな視野を持っている良心に、冷静に、かつ、客観的にものごとを観させて頂く為に問わせて頂く。【誰に問うのか。。。】自分で自分に問わせて頂く。。。同じ自分に問わせて頂くのでも、自分の感情に問う(従う)のではなく、自分の本心に問わせて(従わせて)頂く。。。本心は、私たちの本質である魂の叫びそのものだと思うのです。本心は、その時の自分が考えていること、言おうとしていること、しようとしていることが、正しいか否かを分かっていると思うのです。「間違っている!」「誤っている!」と本心が叫んでいるが故に、躊躇し、迷い、動揺し、心が乱れ、直ぐに選択、判断、決断できないことがあると思うのです。それにもかかわらず、躊躇し、迷い、動揺し、心が乱れる、という本心からの重大なお知らせを無視したり、その状況から目を背けたり、逃げようとして、本心の叫びに耳を傾けず、自分の主観や感情のままに、その時の自分の考えを言動にしてしまうという、間違いや誤ちのスイッチを自ら押してしまうのだと思うのです。 (それは、自分に負けた瞬間であり、 修正すべき点や業を積んだ瞬間でもあると思うのです。)本心は、天から授かった天法の写しである「何が正しいかその全てを知っている良心」そのものだと思うのです。それ故に、自分の本心に耳を傾けさせて頂く、自分の本心に問わせて頂くというのは、良心に問わせて頂くことと同じだと思うのです。感情や欲望に流された方(良心に耳を傾けない方)が楽なのが地上ですが、地上は修行の場故に、楽では修行にならないと思うのです。感情や欲望に流されたり、翻弄されないよう、自分の本心、良心に問わせて頂く。。。例え、それが辛く苦しく、孤独になることが想定される道であったとしても、それが本心(良心)が指し示して下さる正しき道であれば、何があろうと歩ませて頂く。。。それ位に自分の心のあり方や思考、言動を自分で律し、コントロールすることができるからこそ修行になるのだと思うのです。裏を変えさせて頂くと、自分で自分の本心(良心)に問うことをしなければ、容易に感情や欲望に流されてしまうのが人間なのだと思うのです。だからこそ、その時の自分の心のあり方から生じる考えや言動が良心に恥じていないか否か。。。自分(本心)に恥じていないか否か。。。を常に問い続けさせて頂きながら、生かさせて頂くことが大切なのだと思うのです。良心に問わせて頂くことが日常的、当たり前になれば、当初、それが辛く苦しく、孤独になることが想定されていた道でさえ、それが、天に真っ直ぐに続く間違いのない道であることを知るが故に、私たちの本質である魂は、そういう生き方をさせて頂けることに喜びや幸せを感じるのだと思うのです。その時、私たちは「良心の人」になっていると思うのです。「愛の人」「正義の人」も同じだと思うのです。自分の考えていることに愛があるか否か。。。自分の言動に愛があるか否か。。。愛の人である為には、どうすれば良いのか。。。愛の人である為には、何をさせて頂けば良いのか。。。自分の考えていることは正義か否か。。。自分の言動は正義か否か。。。正義の人である為には、どうすれば良いのか。。。正義の人である為には、何をさせて頂けば良いのか。。。を自分の本心(良心)に問わせて頂く。良心がYESと後押しして下さったことは、天が支えて下さっていると思って喜んでさせて頂く。。。良心がNOとご指導下さったことは、何があってもしない、やらない。。。そうすれば、愛の人、正義の人、良心の人として、自分の魂が喜ぶ生き方をさせて頂くことができるのだと思うのです。良心がお示し下さる「YES」又は「NO」に、 自分の口から出る言葉や行動を揃えてこそ、 良心に従って生かさせて頂いていることになり、 自分が自分として生かさせて頂いていることになり、 自分で自分の人生を切り拓いて歩まさせて頂いている、ということになるのだと思うのです。良心の「NO!」を、言動の「YES」にせず、良心の「NO!」は、言葉と行動の「NO!」に!!良心の「YES!」を、言動の「NO!」にせず、良心の「YES!」は、言動の「YES!」に!!自分の言葉と行動を一致させる「言行一致」も大切だと思うのですが、自分の良心の声のまま、自分らしく、ありのままの自分で生かさせて頂き、更に、勇気をもって、言葉と行動を伴わせて一致させることが大切だと思うのです。言うなれば、【良心言行一致】で生かさせて頂くことが、人としてあるべき正しい心の道であり、人としてあるべき誠実な姿勢であり、この世の自分の心身を守る術であり、自分の心、そして魂を守る術であり、魂の喜ぶ生き方であり、天に続く道なのだと思うのです。だからこそ、「何が正しいかその全てを知っている良心」を心の友として、いつも良心の声に従って、【良心言行一致】の姿勢で生かさせて頂きたいものですね。 【良心言行一致】 (「志」が勝手に作らせて頂いた造語です♪) 良心の声とこの世における言行が一致していること。 魂が歓ぶ生き方。 の意です。 「経験は、人としての在り方を教えてくれますが、 問い方は教えないのです。 問い方を探究していけば、 間違いを直ちに修正する鍵を手にする事ができるのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201207070000/「心の深い悩みに苦しむ人は、自問自答しているのですが、 質問そのものの意味がわからないのです。 質問にたどり着いたなら、答えはすぐそこにあるのですが。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405220000/「あなたの問いの大きさが そのまま答えの大きさを示しているのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412200001/「汝、現状を見て、 なぜこうなのかを問うのではなく、 なぜ出来ないのかを問え。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201111190000/「人生は複雑なようでそうではなく、シンプルな中に真実があります。 悩みを複雑化しているのは自分自身です。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403220000/「物事は、できるだけ単純に考えましょう。 良心に従って単純に考えれば、 人生の難問も難なく解読できます。 身の回りの現象に重要な事は、ほんのわずかで、 どうでもいい不必要な部分の方が、圧倒的に多いのです。 底無し沼に入り込んで苦しんでいる人は、 単純な事を敢えて難しくしているか、 阿呆の素晴らしさに全く気付いていない、 利口の真似をしている愚かな人です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312170002/「天は人間に言葉を与えました。 言葉は、触れ合う人を喜ばせることも、 生きる勇気を与えることも、できますが、 辛い思いをさせることも、哀しませることもできます。 誤解されそうなことは、先に話しておきましょう。 言う必要もなく、相手を不快にさせるだけの事なら、 黙っていましょう。 人の悩みに耳を傾けましょう。。 どのような人とも心と心で言葉を通じ合わせましょう。 辛い時も哀しい時も、愛の人でありましょう。 心温まる言葉を話す人でありましょう。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311040000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311050000/「正しい心で誠意を尽くして生きていく。。 今日も、ただそれだけでいいのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409010000/ 「この世を生きてゆくには誠実の一語です。。 誠実とは何をするにも真心を尽くす事、 すなわちいつわらない事、あざむかない事です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409190001/「つねに正義とともにあれ。 もし正義の観念が汝のうちで薄れるようなことがあれば、 汝はあらゆる危険におちいるであろう。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201107250000/ 「幸福になろうとするならば、節制と正義とが 自己に備わるように行動すればよいのです。 節制は半分の法則。。 正義は愛の実践で自然に身に付きます。 あなたの喜ぶ姿が私の喜びです。。ということです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409080000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.05.11
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「社会道徳的な事から外れなければ、 他者からの評価を気にする必要はないのです。 自分の人生を生き抜けばいいのです。 失敗や批判を恐れることはないのです。 良心に恥じない自分であればいいのです。 確固たる自分の城を持っていますか?」「堂々と生きることです。 人は人。我は我。。。 正義の道、良心の道。。。愛の道を 今日も歩み続ければよいのです。」自分勝手な自分基準によって、人様と自分を比較したり、他者を評価して、優位を感じたとしても、それはただの自己満足でしかないと思うのです。同じように、人様と自分を比較したり、人様に評価されて劣位を感じたりしても、それはただの被害妄想だったり、思い込み、嫉妬などでしかないと思うのです。自分と人様を自分勝手に比較したり、他者を評価して一喜一憂するということは、裏を返させて頂くと、それだけ人様に左右されているということだと思うのです。それは、自分らしく、ありのままの自分、自然体の自分で生きていない、ということに他ならないと思うのです。「自分」という意識を持って生かさせて頂いているにもかかわらず、人様と自分を勝手に比較したり、他者を評価して一喜一憂する為に、自分らしさ、ありのままの自分、自然体の自分を大切にせずに生きるというのは、自分で自分を貶めているだけでなく、自分に対する侮蔑以外の何ものでもないと思うのです。自分には自分の基準があるのと同じように、人様には人様の基準があると思うのです。その基準は似ていても非なるものだと思うのです。基準の土俵が異なっていることを考えれば、自分基準で自分と人様を比較したり、人様を評価したり、人様基準で自分と人様を比較されたり、自分を評価されても、そのような比較や評価は当てにならないと思うのです。自分と人様を比べる。。。人様に評価される。。。そんなことはどうでも良いと思うのです。それよりも、 「自分がどうありたいのか。。。」 「自分がどうしたいのか。。。」の方が大切だと思うのです。自分の評価は、人様にされるようなものではなく、自分ですれば良いものだと思うのです。自分が信念を持って努力してきたことを一番良く理解できているのは自分だけだと思うのです。自分の心の内のことまで分かる由もない方による自分の表面的なところしか見ていない評価など、相手にせず、放っておけば良いと思うのです。人様によって勝手にされる比較や評価を気にしたり、それらに振り回されてしまうことに時間を費やすことは、自分の時間を無駄に使っているようなものだと思うのです。 (反対の見方をさせて頂くと、人様のことばかりを気にして、 人様と自分を比較したり、人様を評価することにばかり 時間を費やしている人は、「自分」の人生の時間を、 「自分」のことよりも、「人様との比較」や「人様の評価」に 費やしてしまっているが為に、自分の人生を歩んでいない、 ということでもあると思うのです。)自分の貴重な人生の時間を無駄にしない為にも、自分が信念を持って、誠実に、真面目に、コツコツと地道に努力したいと思うことができるような「本当にやりたいこと」を良心に従ってさせて頂いているのであれば、 どなた様かに何を言われようと、 どなた様かにどのような比較をされようと、 どなた様かにどのような評価をされようと、 どなた様かにどのような批判をされようと、そのようなつまらないことは気にせず、相手にせず、自分の信じる道、自分が本当にやりたいことの道を、ただただ真っ直ぐに歩ませて頂いていれば、それで良いのだと思うのです。 (つまらない相手にムキになれば、 相手の術中に嵌ってしまうようなもので、 相手が喜ぶだけだと思うのです。 ムキになるということは、動揺しているということ。。。 動揺するということは、自分を信じ切れていないということ。。。 自分に自信があれば、何を言われようと、 気にしない。。。相手にしない。。。放っておく。。。 ことができると思うのです。 それくらいの自分になることができるよう、 自分を育ませて頂きたいものですね。)そもそも地上で修業をさせて頂いている私たちは、魂の修正が必要な不完全な存在だと思うのです。不完全な人間によって自分と人様を比較される。。。不完全な人間によって自分を評価される。。。不完全な人間によって自分を批判される。。。不完全な人間によって。。。相手にすべきは、不完全な人間ではなく、いつも私たちの心のあり方を見守って下さっている天だと思うのです。天は、個性を大切にして下さっているが故に、地上の人々を比較することはないと思うのです。天は、地上の人々を批判することはないと思うのです。なぜなら、自分の蒔いた種は、自分で刈り取るという因果応報によって、自らの過ち、間違いは、自ら背負うことになっているが故に批判する必要がないのだと思うのです。だからこそ、天から授かった「何が正しいかその全てを知っている良心」に恥じない自分、自分自身に恥じない自分で、生かさせて頂くことがとても大切だと思うのです。いつ何時も、天法の写しである良心に従って生かさせて頂く。。。その心のあり方、生き方を確固たるものとさせて頂けば、天に真っ直ぐに続く道を歩ませて頂いているのと同じ故に、間違いのない自分らしい人生を歩ませて頂くことができると思うのです。天が評価して下さるのは、良心に従って生きている、又は、生きようと努力しているその心のあり方、生き方なのだと思うのです。~ ~ ~ ~自分は自分。。。人様は人様。。。だから比べても仕方がない。。。 どのような評価をされようと、それはその人の価値観でしかないから、自分には関係ない。。。だからどのように思われようと構わない。。。比べられること、評価されることに意味を感じないから、分かって頂ける人に分かって頂ければそれでいい。。。例え、高く評価されようと自慢しようとは思わない。。。ただ、評価して下さったときは、それを喜び、感謝するだけ。。。 私は、人様と同じことはできないから、自分に出来ることをしているだけ。。。人様がしたいことと自分がしたいことは同じではない。。。だから私は、自分がしたいことをしているだけ。。。私は、自分に嘘をつくことなく、良心に従って、自分を信じて、自分らしく生かさせて頂いているだけ。。。自分に嘘をつくことは人様にも嘘をつくことだから。。。自分らしく生かさせて頂くから、自分らしいことができる。。。人様の目を気にして自分らしさを失い、人様の気に入る自分を演じていたら、もはや自分ではない。。。そんな小細工をして、自分を捨てたくない。。。私は自分に誇りをもって、自分らしく生きたい。。。自分は自分でしかないから。。。天はいつも自分の心を観て下さっている。。。自分の本質である魂も自分の心を観ている。。。だから、天にも自分にも恥じるような生き方は出来ないし、したくない。。。自分にも、天にも、正直でいたい。。。このような心持ちで生かさせて頂きたいものですね。源光「良心に恥じない自分であれば、 思うままに生きればよいのです。 そして他人の生き方に口を出す必要はありません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409280000/「自分で選んだ道ならば、 堂々と胸を張って生きていけばよいのです。 他人にとやかく言われる筋合いではありません。 ただ泣き言は止めなさい。見苦しい限りです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201501010000/ 「心が騒ついているから、苦しいのです。 人は人、我は我ですよ。 人の目や評価を気にしたり、 人と比較している限り心の平安は訪れないのですから。。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201507010000/ 「人は人、我は我ですよ。 人の目を気にしたり 人と競っている限り 心の平安は訪れないのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201507260000/ 「人から笑われようとバカにされようと、 自信を持って堂々としていればいいのです。 あなたが堂々としていると、あなたをバカにして 笑っていた人も恥ずかしくなって、 むしろ尊敬の念を持ってあなたに接してきます。 自分を卑下しているから、人にも軽視されるようになるのです。 あなたの素晴らしさ。天は全てを知っていますよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312040002/「運の悪い人は、障害があると簡単に諦めるのが得意。 運の良い人は、諦めるべきものは、サッサと諦め、 諦めてはならないものは、不退転の決意で徹底的に粘るのが得意。 そんなことを、まだやっているのか!? 道を極めた人は、若い時から、 この様に評価され続けた人です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312280001/「自分自身という財産を持っている人。。。 最終的に勝利者になる人です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405020001/「自分の信じる道を 真っ直ぐに歩んで行けばよいのです。 あなたの道を。。。 良心という道標があるのならば 指導の存在、守護の存在は 随所であなたにアドバイスを与え、 奇跡を降ろして必ずあなたを助けるでありましょう。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201505120000/「賞賛を求め、中傷に傷つく。。 これが普通の人ですが、 賞賛も、中傷も気にしない人にならない限り、 心の安らぎは永久に得られないのです。 」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403140000/ 「人のことが気になって気になってしょうがない。。 これが物事にとらわれている心です。 そういう心を無くさない限り、心は安らかになりません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406150000/「良心に恥じない堂々たる人生を歩んでいきましょう。 凛とした人に、天は、応援を惜しまないものです。(一部抜粋)」(ラクシュミーさん)「人は、権力やお金などに屈せず、 たとえ少数派であったとしても 正義と愛と勇気の旗印の元、 先祖に恥じぬように凛として生きることです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201506050000/「凛とした意識持っていますか? 真実の美は、凛とした意識の中にあるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201506060000/「良心に従って生きてください。 他人の批判を恐れ、 人生を台無しにしてはいけません。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201206220000/ 「自分のことを、この世の誰とも比べないことです。 それは自分自身を侮辱する行為だからです。 比べるのは昨日の自分です。 昨日より進歩した今日の自分を褒めてあげるのです。」 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407270000/「本当に自信のある人は泰然としています。 自分が他人にどのように評価されているか、 などということは眼中にないわけです。」「何があろうと凛として 良心に従って生きていくことですよ。 自分を信じることです。」「何があろうと 自分の確固たる城があればよいのです。 人は人。。。我は我。。。 人の評価など気にすることはないのです。」 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201510130000/「人生は有限です。 ですから他人の気に入るような行動をするよりも、 良心に忠実に、自分を尊敬し、自分が満足できるような 行動をとるべきです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312060000/「他人の目を気にせず、おおらかに自分らしく個性的に生きることだと思います。 この世的権威や、お金など、死後は無価値となってしまうのですが、 唯一つ「心」だけは持って還れるのです。 「心」こそ宝ですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210100000/「正しい心で誠意を尽くして生きていく。。 今日も、ただそれだけでいいのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409010000/「この世を生きてゆくには誠実の一語です。。 誠実とは何をするにも真心を尽くす事、 すなわちいつわらない事、あざむかない事です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409190001/「地上に生を受けることは、降りる前に自分自身で決定していた、 路線に沿って魂を磨くということです。 無意味に生まれてきた人は、ただの一人も存在しないのです。 自分自身に誇りと夢を持って、活きて頂きたいと思います。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201310240000/「生まれる前に決めていた、 自分のコースを自分のペースで歩むのが 最高の幸せの道なのですが、なぜか、 人のコースが良いように見えたり、 人のペースが早い様に見えて焦るのが人間です。 人は人。。我は我。。 コースはみんな違います。 本来のコースを外れた人生を送って、 名誉や地位や権力を手に入れたり、 学歴や肩書、財産などがあっても 一つも面白くない人生を歩んでいる人もいるのが 世の中というものです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312220000/ 「隣の花は赤いのです。 他人のものは何でもよく見えて、うらやましく思えるもの。 他人の持つ珍しいものはすぐに欲しがるもの。 これって実にくだらないことです。 あなたの方がずっとすごいものを持っているのです。 気付いていますか?自分の宝物に。。。 遥か昔から、何度も何度も生を繰り返して 体得してきたものを。。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201502020000/「自分の生きる人生を愛してください。 人の愛する人生ではなく 自分の愛する人生を生きることですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412050002/「親や他人の期待に振り回されないことですよ。 あなたにはあなただけの道があるのです。 正々堂々と、自分の道を歩んでください。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201504190000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.05.10
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「人間は、自らが置かれている社会や隣人に 有用な存在となるために生まれてくるのです。」「大切なこと。 それは自分を愛すること 世界でただ一つの個性を活かすことです。」「自分に自信を持ってください。 あなたは世界でただ一人の個性。 世界一の人なのです。」「あなたの周りにいるスゴイ人も そんなに差があるわけではありません。 手の届く範囲です。 自分は何をやってもダメな人間だと 自分を貶めないことですよ。」「微力でも、人のために何かしてください。 「ありがとう」の言葉が自分の存在感を確認する 生きる力になるのです。 助けられたのは実は自分。 愛は円を描くのです。」「自分が社会の中で何か役立っている、 ということを自覚できて初めて 生きがいを感じる事が出来るのです。 良心に恥じることをして、社会的弱者や お年寄りを騙していくら儲けようと 出世しようと虚しさは増すばかりです。」自分一人で生かさせて頂いているわけではない私たち。。。私たちは、一人一人が個性溢れる存在で、 生まれた日や生まれた場所、容姿や年齢、性格、育ってきた環境、培ってきた様々な経験(過去生含)、感性、特技、能力、ものごとの見方や捉え方、考え方、生き方、趣味、嗜好、好きなもの、嫌いなもの、得意なもの、苦手なもの、ものごとに対する価値観、魂のレベルなど、様々な点において十人十色、千差万別で、共通している点といえば、「心ある人間同士」、ということくらいだと思うのです。それ程までに異なる点が多い私たち。。。同じ「心ある人間同士」にもかかわらず、なぜ、これ程までに異なる点が多いのか。。。それは、 過去生から培ってきた自分の得意なことや、 特技、能力を、人様のお役に立つことや 人様にお喜び頂けることに活かさせて頂く為。。。 自分の不得意なことや自分にはできないことは、 それを得意、特技とされている方や その能力をお持ちの方にお願いさせて頂く為。。。だと思うのです。各々が各々の役に立たせて頂くことができる。。。各々が各々を必要とし合っている。。。そのようにして、お互いを思い遣る心を育ませて頂くことができ 、お互いに助け合い、支え合い、分け合い、補い合い、労わり合い、愛し合っていく。。。そういう持ちつ持たれつの関係や、人と人の心と心の繋がりを通じて、 人様のお役に立てることは、喜んでさせて頂こう♬ 人様にお喜び頂けることは、積極的にさせて頂こう♬という心が育まれ、生き甲斐をもって生かさせて頂くことこそ、魂の修正や成長に繋がる心磨きの一環なのだと思うのです。自分を必要として頂いたときは、人様に懸命に尽くさせて頂く。。。自分が必要とされていないときは、いつか自分が人様に必要とされるときの為に、それが人様に評価されることであろうとなかろうと、人様に認められようと認められまいと、自分の特技、能力に磨きをかけたり、それに関することを向上できるよう、探究させて頂く。。。自分に出来ることを地道にコツコツと繰り返し繰り返しさせて頂く。。。無償の愛の実践だと思うのです。自分という意識を持っていても、自分として生かさせて頂いていても、特技や能力、長所が自分のものでも、自分以外の方が存在しなければ、「自分」を感じることができなくなってしまうと思うのです。裏をかえさせて頂くと、自分という意識を持たせて頂く為に、自分以外の人様が存在して下さっている。。。自分として生かさせて頂く為に、人様が人様として生きて下さっている。。。自分の特技や能力、長所を活かさせて頂く為に、それを必要とする人様がいて下さる。。。人様という存在のお陰様で、実は自分が救われている。。。ということでもあると思うのです。私たち一人一人は、この世に存在させて頂いているだけで、「意味がある」ばかりか、人様のお役に立たせて頂いている、ということなのだと思うのです。その「意味がある」ことを、「意味を活かす」に変えさせて頂く為に、得意なこと、特技、能力、長所があり、人生があるのだと思うのです。私たちの本質である魂にとって、自分の特技や能力、長所を必要として下さる人様の為に、お役に立たせて頂くことこそ、最高の喜びを感じる生き方なのだと思うのです。だからこそ、自分の特技、能力、長所をはじめとする自分らしさという個性に、良心や思い遣りの心を添えて、人様のお役に立つことや人様にお喜び頂けることを積極的にさせて頂き、人様に必要として頂ける自分を育ませて頂きたいものですね。~~~~「自信」 自分の才能・価値を信ずること。。。 自分自身を信ずる心。。。「自信がない」 自分の才能・価値を信じていない。。。 自分自身を信じていない。。。世界でたった一人しかいない「自分」という存在は、誰に何と言われようと貴重な存在だと思うのです。それにもかかわらず、 自分で自分の才能や価値を信じることができない。。。 自分自身をも信じることができない。。。では、自分が気の毒だと思うのです。私たちの本質は、自分という意識の大本になっている「魂」だと思うのです。魂は、自分のことを愛していると思うのです。自分のことを信じていると思うのです。自分のことを愛し、信じているからこそ、 魂の修正や成長をさせて頂く為。。。 過去生における業を清算させて頂く為。。。に地上という修業の場に生まれることを自ら望み、地上における自分の人生設計を予め決めて来ているのだと思うのです。そして、自分の特技や能力を良心に従って、 人様のお役に立つことをさせて頂く。。。 人様にお喜び頂けることをさせて頂く。。。ことを通じて、魂を磨き、修正し、成長させて頂く。。。それが人生の目的だと思うのです。過去生から培ってきた自分の特技や能力は、人様の為に活かさせて頂く為に育んできたもの。。。折角の自分の特技や能力も、 自分の才能・価値を信じていない。。。 自分自身を信じていない。。。という「自信がない」状態では、宝の持ち腐れになるどころか、魂の修正や成長をさせて頂くことさえ、儘ならなくなってしまうと思うのです。それは、私たちの本質である魂にとって、本当の自分である魂にとって、不本意なことだと思うのです。=不本意な生き方==自分の才能・価値を信じていない生き方==自分自身を信じていない生き方==魂(自分)が喜ばない生き方=自分を信じていない生き方だからこそ、悪循環に陥ってしまうのだと思うのです。それ故に、試練や苦難に遭遇すると、自分と向き合うことができずに、それらから目を背けたり、逃げたりしてしまうのだと思うのです。その結果、自分で自分をどんどん貶め、自分で自分をどんどん苦しめてしまうのだと思うのです。自分を信じていないが為に。。。その悪循環を良い循環にさせる為には、単純にその逆をさせて頂けば良いと思うのです。=自分に素直な本意な生き方==自分の才能・価値を信じる生き方==自分自身を信じる生き方==魂(自分)が喜ぶ生き方=何があっても自分を信じる生き方をしているからこそ、試練や苦難に遭遇しても、自分と向き合うことができる。。。今すべきことは何か。。。今できることは何か。。。を冷静に、かつ、客観的に選択、判断することができる。。。のだと思うのです。その結果、自分で自分をどんどん奮い立たせることができたり、自分で自分をどんどん育ませて頂くことができ、自分の人生がどんどん拓けてくるのだと思うのです。それが出来るのは自分を信じているからこそ。。。「自信」 自分の才能・価値を信ずること。。。 自分自身を信ずる心。。。自信を持って生きることは、自分を愛して生きている、ということに他ならないと思うのです。本当に頼りになるのは、自分自身に他ならないと思うのです。だからこそ、自信を持って生かさせて頂きたいものですね。世界でたった一人の自分だからこそ、 自分で自分を精一杯信じる、信じ続ける。。。 自分で自分を精一杯愛する、愛し続ける。。。ことが大切だと思うのです。その一方で、気を付けさせて頂くべきこともあると思うのです。自信を持って生かさせて頂くことは、とても素晴らしいことだと思うのですが、それが高じて、過信したり、自惚れたり、傲慢になったり、上から目線で人様を見下してしまっては、自分で自分を貶めているだけだと思うのです。同じ自信を持って生かさせて頂くにしても、不完全で至らない点がある私たちだからこそ地上という修業の場で生かさせて頂いていることを忘れずに、謙虚な姿勢で生かさせて頂けるよう努めさせて頂きたいものですね。源光「何でも出来る人はいません。天界でもそうなのです。 それぞれの特技を活かして、協力し、助け合い、励ましあって、 暮らしやすい平和な世界を創造するところに 最高の喜びがあるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201305220000/「ひとり一人の魂は、本質において宇宙の魂以外の何ものでもない。 人間はお互いに、頭、腕、胴、足となって補い合わなければならない。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201107170000/「天は個性をとても大切にしています。 天職は、その人が、輪廻転生で探求し続けてきた 道や技を活かせる職ということ。 個性を活かして、触れ合う人達と協力しあって 世の中を幸せのお花畑にしていきましょう。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201305230000/「隣の花は赤いのです。 他人のものは何でもよく見えて、うらやましく思えるもの。 他人の持つ珍しいものはすぐに欲しがるもの。 これって実にくだらないことです。 あなたの方がずっとすごいものを持っているのです。 気付いていますか?自分の宝物に。。。 遥か昔から、何度も何度も生を繰り返して体得してきたものを。。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201502020000/「汝は、自分が生を受けたことで、 世の中が少しよくなったということが 認められるまで生きねばならぬ。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201112310000/「強者にも弱点はあります。 弱者にも強者には無い強みがあります。 個性を活かして、少しでも世の中の役に立つ人になりましょう。 それが生きるということなのですから。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201306120000/「個性的だからこそ、素敵なのです。 何か得意なことで社会貢献してください。 それで生活できるのが一番の幸せです。」 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201603050000/「自分が社会の中で何か役立っている。。。 社会の中に自分の居場所がある。。。 自分を必要としている人がいる。。 なんて素敵なことでしょう。 お金があって、遊んで暮らしている人。。。 虚しさに心が張り裂けそうなのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412050000/ 「誰でも、子供の頃から、なぜか特に勉強したわけでもないのに 他人より上手くできるものがあるはずです。 過去の自分が学んだ宝を、活かすことを心掛けてください。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312180000/「人生は競争ではなく協調で切り開くのです。 偶然を装った必然で知り合った人と協調して、 互いに幸せを作り上げていくのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407080001/「今,地上に生ある人は全て同期生ですから、 いがみ合い争うのではなく,手を取り合って生きなければなりません。 自分たちの為,そして子孫の為に、平和で豊かな地上を 創っていかねばなりません。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201204230000/「一人ひとり、価値観は違うのが当たり前です。 人が自分の思い通りになるはずがありません。 自分だけが正しいわけでもありません。 互いに認め合うことですよ。 人が、どのような思想を持っていようと、 宗教を信じていようといいではありませんか。 みんなみんな地球同窓生ですから 仲良く笑顔で生きていけばよいのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201510230000/「意味もなく生まれてきた人はいないのです。 自分自身の、そして他の人々の人生に意味を見いだしましょう。 あなたの人生はあなたのもの。。(一部抜粋)」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312310000/「有史以来、地上に完璧な人が生まれたことはありません。 みんな、みんな不完全。 だからこそ助け合って生きるのは当然ですね。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210150000/「地上に生を受けることは、降りる前に自分自身で決定していた 路線に沿って魂を磨くということです。 無意味に生まれてきた人は、ただの一人も存在しないのです。 自分自身に誇りと夢を持って、活きて頂きたいと思います。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201310240000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201310250000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.05.09
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「神は人を見捨てないのです。 人が神を見捨てているのです。 救いようがないのは当然です。」神様は、地上で修業をさせて頂いている私たちの心のあり方や言動、生き方が、天法の写しである良心に従っていようといまいと、好き、嫌い、などの主観に関係なく、無償の愛を以て、いつも優しくお見守り下さっていると思うのです。地上的視点では、その無償の愛による優しさが、時に、 「厳しい」 「(私たちを)嫌っている」 「助けてくれない」 「何もしてくれない」 「見捨てられた」などのように見えたり、感じたりしてしまうことがあるものですが、それは、自分が天に願ったり、期待したことが、 思い通りにならない。。。 願い通りにならない。。。 期待通りにならない。。。ことに対する自ら生み出した被害妄想による不平不満、愚痴、怒りなどの矛先を神様に向けている自分勝手で我儘な大変失礼な姿勢だと思うのです。「神様に何かを与えて頂こう」「神様に何かをして頂こう」「神様に助けて貰おう」など、神様に何かを要求し、願い、期待したのは、自分であるにもかかわらず。。。日頃、平穏無事に生かさせて頂いていることに対する感謝の心さえ持たずに過ごしている者が、 自分が困った時だけ、頼みたい時だけ、 「助けて下さい」 「〇〇を与えて下さい」 「〇〇して下さい」などと要求する自分勝手で我儘な自分のことしか考えていない、自分さえ良ければそれで良い、という利己的な姿勢は省みないにもかかわらず。。。自分が神様に要求し、願い、期待したことが思い通りに、願い通りに、期待通りにならないと、 「厳しい。。。」 「(私たちを)嫌っている。。。」 「助けてくれない。。。」 「何もしてくれない。。。」 「見捨てられた」などと言ったり思ってしまう。。。もし、私たちが神様のお立場にあったなら、地上で修業をしている方の心のあり方や言動が、自分勝手で我儘、利己的な上に、感謝の心さえない、というとき 要求された通りに。。。 願い通りに。。。 期待通りに。。。して差し上げたいと思えるかどうかを考えるべきだと思うのです。神様からすれば、 「あなた様の要求通りに、願い通りに、 期待通りにすることは至って簡単なことです。 しかしながら、 今のあなた様の要求や願い、期待にはお応えできません。 なぜなら、あなた様の魂の修行を妨げることになるからです。 日々生かされていることに感謝して下さい。。。 感謝の心無き方。。。 理性的な言動ができない方。。。 良心に従わない方。。。 の要求、願い、期待に応えれば、 ~何でも自分の思い通りになる~ と増長し、傲慢になり、 修正すべき点を増やすばかりだからです。 今のあなた様ご自身を客観的にご覧ください。 神があなた様の要求、願い、期待に応えないだけで、 あなた様は、厳しい、(私たちを)嫌っている、 助けてくれない、何もしてくれない、などの被害妄想を生み出し、 不平不満、愚痴、怒りを生み出すばかり。。。 神はそういう要求や願い、期待に応えませんが、 それに応える存在があります。それは悪魔です。 悪魔は、感謝の心無き生き方、理性や良心に従わない生き方をし、 不平不満、愚痴、怒り、恨み、辛み、嫉み、嫉みを生み出す 自分勝手で我儘な者の想念を餌にしています。 その餌をえる為に、あなた様の要求、願い、期待に応えます。 その代償は、あなた様の心は悪魔に支配されることになるのです。 悪魔に同通するような心で生きるのも自由。。。 神に同通するような心で生きる努力をするのも自由です。。。 神はあなた様の自由を妨げることはありません。 ただし、その自由の代償として、あなた様は自分の心のあり方、 言動、生き方に対する責任を常に背負っていることを忘れないで下さい。 あなた様は、魂の修正や成長の為に地上で修業をされています。 地上に誕生する時より、天に帰還する時の方が、 少しでも魂が磨かれ美しくなっていること。。。 それがあなた様の魂の喜びです。 地上にいる間に悪魔に心を支配され、 生きながらにして地獄。。。死しても地獄。。。 あなた様の魂が、否、あなた様ご自身が苦しむことになります。 感謝の心無き方。。。 理性的な言動ができない方。。。 良心に従わない方。。。 は、地上的には楽だったり、 成功したりするかもしれませんが、 「心のあり方」を見ている神から見れば、 自分で自分を貶める生き方に他ならないのです。 神は、あなた様が地上に生まれる時に、 【何が正しいかその全てを知っている良心】 という天法の写しを差し上げました。 その心の羅針盤に従うか否かはあなた様の自由ですが、 神は、理性と良心を以て、反省の心、感謝の心、報恩の心を養い、 心を磨き、心正しく、心美しく生きている方を応援しています。」というお気持ちだと思うのです。私たちがどのような心のあり方であろうと、どのような言動、生き方を仕様と、神様は、無償の愛や光をいつも与え続けて下さっていると思うのです。その無償の愛や光を感じさせて頂くことができないのは、無償の愛や光を与えて下さる神様の波長が、穏やさ、優しさ、温かさ、豊かさ、繊細さなど、利他を思い遣る愛に満ち溢れているものであるのに対し、地上の私たちの放つ波長が、他者に対して粗々しい、刺々しい、冷たい、貧しい、乏しいなど、自分さえ良ければそれで良い、という自分勝手で我儘な利己的なものだからだと思うのです。神様が無償の愛や光を与え続けて下さっていること。。。そして、それに気付くことさえできない波長を放つ自分であること。。。という事実を知らない、気付けない自分であるにもかかわらず、神様に、ああだこうだと不平不満、愚痴、文句などを並べ立ててしまうからこそ、余計に神様の波長との距離ができてしまうのだと思うのです。 (自ら、神様を遠ざけている、ということだと思うのです。 自ら遠ざけているが故に、神様からすれば、 「救いようがない」のだと思うのです。)修行の場であるこの世で生かさせて頂いている私たちは、試練や苦難という境遇に遭遇すると、神様などに助けを求めたりすることが多いと思うのですが、試練や苦難は魂の修正や成長の為に必要な境遇故に、神様が私たちの望むように私たちを助けることは、かえって、私たちの魂の修正や成長を妨げることになってしまうと思うのです。神様のお気持ちとしては、地上で良心に従いながら、頑張って、頑張って、耐えに耐えて生きている人々を見れば、 「助けたい。。。」 「与えたい。。。」という思いが込み上げてくると思うのです。そういう思いがあったとしても、魂の修正や成長の為に自らこの世に生まれることを決めてきた私たち人間の修行の邪魔をしてはならないと、ぐっと堪えて、私たちが抱く要求や願い、期待にはお応えにならないのだと思うのです。神様が、ぐっと堪えて下さるその姿勢は、地上で頑張り、耐えている私たちの心の苦しみを共有して下さっているようなものだと思うのです。神様の無償の愛や光の表現は、そのような人知の及ばない深遠なものなのだと思うのです。それ故に、「神様が私たちを見捨てた!」などと理不尽なことを言われたり、思われても、私たちに無償の愛や光を与え続けて下さるのだと思うのです。全ては与えて頂いているものだと思うのです。神様の無償の愛や光を与えて頂くことなくして、生かさせて頂くことなどできないのだと思うのです。魂の修正や成長をさせて頂く為に、この世に生まれた私たちに、修行の場であるこの世や、大自然をはじめとするこの世の全てのもの、そして、生まれる機会を与えて下さっている神様や、事あるごとにサポートして下さろうとする神様に対しては、感謝の心を持たせて頂くことが何よりも大切だと思うのです。源光「天使があなたを嫌っているのではなく、 あなたが天使を嫌っているのです。」 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201603220000/「悪魔があなたを誘惑するのではなく、 あなたが悪魔を誘惑するのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403150000/「神様は、あなたが「願ったもの」を 天からストレートに降ろすことはほとんどありません。。 願ったものを手に入れるために「必要なもの」を降ろしてくれるのです。 それは今、自分が必要としないものかもしれません。 しかし、それが願ったものを手に入れるために必要なものなのだと、 感謝して謙虚に受け入れることが大切です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401160002/ 「苦しい時、神頼みをする人。 神は、あなたを愛の心で突き放します。 苦しい時、懸命に歯を食いしばって頑張る人。 神は、あなたを助けます。。 最もよく人を幸せにする人が 最もよく幸せになります。 これは、人類が誕生して以来、不変の法則です。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311080000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311090000/「幸運の女神と握手できるかできないか。。 邪念があるかないか。。ということです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201208200000/「神が、全ての人の願いを適えたら、 人類は滅びるのです。 人間に有害なものを、人々が要求するからです。 天からの贈物は慎重な審査を経て下ろされるものです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201208260000/「汝は、毎日欠かさず、◯◯さんのおかげで幸せです。 有難うございます。と唱えよ。 決して◯◯をして欲しいと注文をしてはいけない。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201109180000/「幸運は雨を連れてやってくるのですが、 普通の人は、戸を閉めて追い返してしまうのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201207200000/「自分に自信の無い者は、他人の悪口を言い、 責任を押し付けて暗い坂道を降りていく。 汝は良心を友として生きよ。天に通じる道ゆえに。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201112280000/「汝、自らを律する、心の声に従い、雑念を祓はねばならぬ。 雑念が見えない壁となって天からの贈り物を阻んでいるのだから。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201110280000/「善心は幸運を呼ぶ。なぜならば善神と心が通じるからだ。 汝、悪心に惑わされることなかれ。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201112140000/「優しい心で生きる時に聞こえる声は真実の声ですが、 邪念を持った時に聞こえる声は、偽りの声です。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201205030000/「すべてが、心の働きの現われです。 強力な魔は、自我の盲信から生まれて、 残忍なる魔は、思考の仕組から生まれるのです。 それらを内から、良心に従って調伏するのが修行なのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201205120000/「悪意に対抗できるのは、 悪意ではなく、善意のみです。」 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201205220000/「蝿と友達になればゴミの中に連れて行かれるのです。 蝶と友達になれば、花園へ連れて行ってくれます。 しかし地上の蝿は、きらびやかに装って見えますし、 蝶は、さほど美しくも見えないのです。 心眼で観なければなりません。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201207220000/「汝が最もだましやすい人は、汝自身である。 汝の想いは、善にも悪にも通じる。 善き方に想いを巡らせなさい。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201107310000/「悪と善。。両面を持つのが人間です。 悪が無ければ善の何たるかも分かりません。 また必要悪というものも存在します。 ある場面では悪い人と思っても、 違う場面では良い人のこともあります。 その逆もあり、善人悪人の区別はできるものではありません。 しかし誰もが持って産まれた良心という鏡に照らして行動するならば、 人は決して悪の道に迷い込むことは無いのです。 良心の道は天啓を得る唯一の道ですよ。 真っ直ぐに天に続く道を歩んでいきましょう。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311100000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311110000/「汝の良心は全てを知っている。 誰が正しいかではなく、 何が正しいかということを。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201110220000/「汝は、常に自分自身の選択によって行動することができるが、 良心の命ずるままに行動するのが天命を果たす道である。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201110060000/「良心に従えば豊かになり、欲に従えば危うし。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201108090000/「常に天法である心と対話してください。 人法の遥か上の境地で生きれば、 間違いの無い正しい生涯を全うできるのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201204020000/「天法は、人法の遥か上にあるのですから、 決して良心に逆らってはいけません。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201203250000/「なにもかも失われても、未来だけはまだ残っています。 希望を持っている限り、天はそれを求める気の毒な人を、 決して見捨てはしないのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201306130000/「あなたのヴィジョンが消えたら、 天は、スクリーンにあなたの姿を見つけることができないのです。 つまり指導の存在とコンタクトすることが できなくなるわけです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412290001/「汝は自分自身を信じなければならない。 自分自身に不信感のある者に天は手助けができない。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201201090000/「信念は人を強くするが、疑いは活力を麻痺させる。 信念は力である。 正しく信念を貫くならば岩をも通すであろう。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201110090000/「汝は驚くべき力を持っている。 それを使わないのは、汝が自分自身を 信用していないからである。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201110030000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.05.08
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「真実の大人になるということは 人のせいや親のせいにするのを止めた時です。 それまでは大人の姿をした子供です。」「大人」というのは、人法に定められるような、成人のことではないと思うのです。「大人」とは、 ・いつでも、どこでも、理性と良心に従う。。。(従うよう努力している) ・思考や感情を平常心をもってコントロールする。。。 ・ものごとを冷静に、かつ、客観的に観察、洞察する。。。 ・過去の経験を「今」に活かす。。。 ・時には慎重に。。。時には大胆に。。。 ・誠実。。。真面目。。。 ・偽らない。。。欺かない。。。 ・思慮分別のある言動をする。。。(有言実行、言行一致) ・自分の言動を省みて、反省すべきは反省し、正すべきは正す。。。 ・間違いや過ちは、直ぐに素直に認めて、 「ごめんなさい」と謝罪できる。。。(弁解しない) ・自分が決めたことについて、何か問題が生じた時、 その事実を隠蔽したり、改竄したり、偽装したり、 体裁を取り繕ったり、弁解をしたり、 人様にその責任をなすりつけたり、 人様のせいにしたりせず、自ら責任をとる。。。 ・度量が広い。。。器が大きい。。。 ・自分で自分を支配している。。。など、自分に厳しく、自分を律することができる。。。自分の言動、生き方に責任を持つことができる。。。そう人を「大人」というのだと思うのです。 (裏を変えさせて頂くと、その反対は、 「大人」ではない、ということでもあると思うのです。)自分の言動に責任を持たせて頂く為には、自分の言葉と行動を一致させる「言行一致」も大切だと思うのですが、自分の良心の声のまま、自分らしく、ありのままの自分で生かさせて頂き、更に、勇気をもって、言葉と行動を伴わせて一致させることが大切だと思うのです。言うなれば、【良心言行一致】で生かさせて頂くことが、人としてあるべき正しい心の道であり、人としてあるべき誠実な姿勢であり、この世の自分という身を守る術であり、自分の心、そして魂を守る術であり、魂の喜ぶ生き方であり、天に続く道なのだと思うのです。天に続く道を歩ませて頂くということは、お手本としてもお役に立たせて頂くことができると思うのです。良心のYESは、言動のYESに。。。良心のNOは、言動のNOに。。。自分に恥じることなく、自分も人様をも裏切ったり、騙すことのない良心言行一致の姿勢で生かさせて頂き、自分の言動について言い訳、弁解をせず、間違いや誤りは、即、素直に、心から、謝ることができる。。。それが責任だと思うのです。そういう姿勢で生かさせて頂くからこそ、人様からの信用や信頼を得ることができ、心と心の繋がりを築かせて頂くことができ、幸せと喜びに包まれながら過ごさせて頂くことができるのだと思うのです。反対に、良心のYESを、言動のNOに。。。良心のNOを、言動のYESに。。。 自分に恥じる言動であり、自分も人様をも裏切り、騙す言動であり、良心言行不一致の姿勢だと思うのです。自分の言動は人様に押し付け、人様のお話しには耳を傾けない。。。間違いや誤りがあっても、終始、言い訳や弁解をするばかりで、素直に、心から、謝ることができない。。。自分さえ良ければそれで良い。。。という姿勢を見受けることもあると思うのです。それを無責任というのだと思うのです。そういう姿勢は、 人様からの信用、信頼を失う。。。 人様から距離を置かれる。。。 心と心の繋がりを破壊する。。。ことになってしまうと思うのです。中には、一見、信用、信頼されているように見えたり、距離が近く親しく見えたりすることもあるものですが、得てしてそこにあるのは、体裁を取り繕った表面的な繋がりや、地位や権力を利用し、利用される間柄に生まれる下心や騙し合いが見え隠れしていることが多々あると思うのです。下心や騙し合いから生まれる幸せや喜びは、邪な心から生まれたもの故に、それは、邪な心を一時的に満たす偽りの幸せや喜びでしかないと思うのです。そこには純粋さが無いが故に、本当の幸せや喜びを感じることはないと思うのです。下心や騙し合いなどのような邪な心なく、自分の言葉や行動に素直に責任を持たせて頂く。。。自分の言動に間違いがあった時は、即、素直に謝罪する。。。自分の言動が正しい時は、それを誇示せず、その時の自分ができること、すべきことをさせて頂き、生き様、態度を持って示す。。。そういう自分に恥じない姿勢や、自分に正直な純粋な心だからこそ、自分の言動に責任を持つことができ、その責任の下、人様からの信用や信頼を得、本当の幸せや喜びを感じることができるのだと思うのです。自分の言動に責任を持つことにより感じる本当の幸せや喜びとは、自分の魂が感じている幸せや喜びなのだと思うのです。自分の魂が幸せや喜びを感じているということは、良心に従った人としてあるべき正しい心の道を歩ませて頂いている、ということに他ならないのだと思うのです。天に繋がる人としてあるべき正しい心の道を歩ませて頂く。。。そういう大きな志を持って、 「全ては因果応報。。。 今の自分は、過去の自分が蒔いた種が育った結果。。。 その育った結果が、良いものであれば、多くの方のお陰様♬ その育った結果が、悪いものであれば、どなた様のせいでもなく、 その責任の全ては自分にある。。。」という謙虚な姿勢と、自分の言動に責任を持つ姿勢が育まれた大きな心の持ち主さんだからこそ、「大人」というのだと思うのです。源光「自分の顔に責任を持てるようになった時、 天はあなたを大人と認めてくれるのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201208230000/「自分の言動に責任を持つことです。 その責任の下に、本当の幸せと喜びが 横たわっているのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201502100000/ 「弁解をしない人になれば、大きく幸運に近づきます。 弁解は裏がえしにした利己心に過ぎないのですから。。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201208160000/「汝、弁解をするなかれ。 反省を妨げ成長を妨げ、光を遮るもの、 それが弁解という名の厚いカーテンなのだから。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201111050000/「自分で選んだ道ならば、 堂々と胸を張って生きていけばよいのです。 他人にとやかく言われる筋合いではありません。 ただ泣き言は止めなさい。見苦しい限りです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201501010000/「堂々と自分のほうから謝る人は大人です。 頑固を誇るのは小人の常です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201410010000/「完璧な人は皆無です。誰でも間違いを侵します。 謝ることは負けることだと思っていませんか? そうではありません。 ごめんなさい。。これが言える人は栄光の人。勇気の人です。 必ず大いなる栄冠を掴む人です。 なかなか自分の過ちを認めることができない。 これが苦しみを長引かしている元凶なのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401280000/「人は誰でも過ちを犯すものです。犯さない人は皆無です。 ただ自分の中で過ちを正当化したり、 相手に責任を負わせたりする人がいます。 だから、いつまでも事態が改善されずに苦しむのです。。 自分が誤っていると悟ったなら、躊躇なく、すぐ改めるべきです。 即、行動しなければなりません。 いたずらに体面や人の思惑を考えて、 改めるのを恐れてはいけません。 過ちては則ち改むるに憚ること勿れ と云うことですね。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312080000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312080001/「人にはしろと説教しておいて、自分ではそれをやらない・・・ こういうことでは人は付いてきませんし、 言うことも聞きません。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201411020000/ 「言葉で人を教導するものは自身もその様に行動せねばならぬ。 自分が出来ないことを、人に教えてはならない。 恥を晒してこそ人は、救われる。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201109260000/「汝の言動が価値を生んでいるかを決めるのは自分以外の人である。 自己満足に陥ってはならぬ。決して難しい言葉を使ってはならぬ。 自分が出来もしないことを聖人のように語ってはならぬ。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201109130000/「言い訳の上手な人間は、 他に得意なものがないことが多いのです。 言い訳しない!! これだけで信用は数段アップするのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405040001/「現在うまくいっているとしても、 本当は間違った事をしていると、 心の底で分かっているなら、すぐに止めることです。 現在うまくいかないとしても、 良心に恥ない正しい事をしていると 心の底でわかっているなら、 諦めず継続していきましょう。 正しい努力だけが真の幸せを運んでくるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311210000/「世間や社会にではなく 良心に従って自分に恥ずかしくないように 生きることです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412160001/「自分の中にある子供っぽい思考は卒業して大人になりましょう。 仕事も、遊びも、無駄なことも、 恋も、結婚も、子供では無く大人の思考をするのです。 ただ子供のような純粋な心と笑顔は忘れないでください。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407030000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.05.07
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「どんな状況でも楽しむことができる人は、 どんな状況でも乗り越えられる人です。」「難問から逃げる口実はいくらでもあります。 簡単に逃げられるはずです。 しかし逃げない。。。立ち向かう!! こういう人になることです。 苦難が襲ってきたら、 おお!!面白くなってきたぞ。。。と本気で喜ぶ。。。 大逆転、大成功はこの時点で約束されたわけです。」裏を変えさせて頂くと、 「どんな状況でも悲観的な人は、 どんな状況でも乗り越えられない人です。」ということになると思うのです。どんな状況でも悲観的な人は、 それが絶好のチャンスであったとしても、 その悲観的な見方で、チャンスを罠かもしれない、 として捉えて、無駄にしてしまう。。。 それが些細な試練であったとしても、 その悲観的な見方で自ら大試練にしてしまう。。。 それが些細な苦難であったとしても、 その悲観的な見方で自ら大苦難にしてしまう。。。 良いことは悪いことに、 悪いことはもっと悪いことにしてしまう。。。 そのような悲観的な心のあり方、生き方をしていると、乗り越えられるものも乗り越えられなくなり、壁がないところに自ら壁を作ったりするなど、悪い方に悪い方に自分で自分を貶め、苦しめてしまうだけだと思うのです。そういう悲観的、後向き、消極的、否定的な心のあり方だからこそ、それが試練や苦難であろうとなかろうと、どのような境遇、状況にも、心が翻弄、左右され、不平不満、不安、恐れ、怒り、被害妄想などを生み出してしまうのだと思うのです。そして、そういう想念を餌にしている存在に、知らず知らずの内に心を支配されてしまう。。。それ故に、悪い方に悪い方に引き寄せられるという悪循環を繰り返してしまうのだと思うのです。反対に、どんな状況でも楽しむことができる楽観的な人は、 それが日常的なことであったとしても、 「これは絶好のチャンス♬」 などと捉えて、その楽観的な見方で、 自らチャンスを生み出す。。。 それが試練であるにもかかわらず、 「これは今の自分に必要な試練! だから大チャンス!!」 「乗り越えられないように見えても、 乗り越えられるから与えられているんだ! だから大チャンス!!」 などと捉えて、その楽観的な見方で、 試練からチャンスを生み出す。。。 それが苦難であるにもかかわらず、 「これは一般的に言うところの苦難。。。 ということは、苦あれば楽あり! 良い兆しという事だ!大チャンス!!」 「この苦難に耐えられるかどうかを試されているな。。。 どのみち耐えなければならないなら、 苦渋に満ちた顔で耐えるよりも、笑顔で耐えよう♬」 などと捉えて、その楽観的な見方で、 苦難からチャンスを生み出す。。。 良いことは、実はもの凄く良いこと♬ 日常的なことは、実は良いこと♬ 悪いことは、良いことが起こる前触れやお知らせ♬その楽観的な心のあり方や生き方は、どのような境遇でも、どのような状況でも、 「せっかくの境遇や状況だから、楽しもう♬」とすることができるのだと思うのです。それ故に、乗り越えられる試練や苦難は、さっさと乗り越えることができ、容易に乗り越えられそうにない試練や苦難でさえも、時間をかけずに無難に乗り越えることができ、目の前に壁が立ちはだかっても、発想の転換で、壁を乗り越えようとしたり、壁を壊そうとするのではなく、壁を避けて行く(急がば回れ)など、良い方に良い方に。。。楽しくなるように。。。自分で自分を導いていくからこそ、何でも乗り越えることができるのだと思うのです。人生、平坦だったら面白くない。。。試練や苦難は、平坦な人生に刺激を与えてくれる楽しいもの♬だから楽しんだもの勝ち♬そういう楽観的、前向き、積極的、肯定的な心のあり方だからこそ、試練や苦難をも自分の味方に付けることができ、そつなく乗り越えたり、かわしたりすることができるのだと思うのです。悲観的、後向き、消極的、否定的な心のあり方で、不平不満、愚痴、不安、恐れ、怒りなどに苛まれて生きていくのか。。。楽観的、前向き、積極的、肯定的な心のあり方で、どのような境遇、状況下でも、明るく、元気に、笑顔で楽しみながら生かさせて頂くのか。。。どちらの生き方を選ぶかは、私たちの自由だと思うのですが、私たちの本質である魂が喜ぶ生き方は、後者だと思うのです。もし、 「今の自分は悲観的な心のあり方で生きているなぁ。。。」と思うところがあるのであれば、真逆の楽観的な心のあり方で生かさせて頂く努力をさせて頂けば良いと思うのです。悲観的から楽観的へ。。。 「今まで悲観的な心のあり方で生きてきたのに、 真逆の楽観的な心のあり方で生きれば良い、 といわれても、そんなこと簡単に出来るわけがない!」と思われてしまうことが多いと思うのです。簡単に出来るわけがないからこそ、修行になるのだと思うのです。同時に、楽観的に生かさせて頂くだけで、試練や苦難が乗り越えられるのであれば、それほど楽なこともない、ということもあると思うのです。 (逆に捉えさせて頂くと、悲観的になっているときは、 修行になっていないばかりか、修行すべきことを増やしている、、 ということでもあると思うのです。)地上の私たちの魂の修正や成長のチャンスとして、 試練や苦難を与えて下さっている天からすれば、 私たちがを試練を試練ともせず、苦難を苦難ともせず、 楽観的な心のあり方で生きている私たちのその姿を見れば、試練や苦難を与えても仕方がない、ということになると思うのです。だからこそ、試練や苦難に苦悩し、悲観的になるのではなく、試練や苦難に対して、笑って楽しめるくらいの図太い神経を育み、試練や苦難に対して脳天気に、そして楽観的になって、 明るく、元気に、笑顔で生かさせて頂いていれば良いのだと思うのです。私たちが暗い苦渋顔という闇を心に持つと、その闇を魔が見つけて飲み込み、魔が私たちの心を支配して行く。。。私たちが明るい笑顔という光を放てば、天は、その地上から放たれる光を見つけて、その光あるところに天の光を降り注いで下さる。。。そういうことだと思うのです。源光「徹底的に苦労した人だけが、 夢の世界を見ることが出来るのですが、 苦労している最中に自分は苦労している、 と思っているようでは、 苦労が足らない人ですから夢は叶いません。。 苦労を楽しむことですよ。 本当に楽しいのですから。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408220000/「苦難に強い人もいますが、 根性とか、覚悟とか、歯を食いしばってとかではなく、 愚鈍と慣れで、これに自然に対応している人を 人生の達人といいます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201402190000/「魂のレベルの高い人は、 喜びの中でも苦難の中でも 楽しむ力があることで見分けがつきます。 苦難を楽しむ。。ドンと来い!!試練。。 人生大逆転の基本です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407250001/「幸運の時も不運の時も、すべての現象に感謝しましょう。 感謝は最大の徳であるだけでなく、全ての徳の源なのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406240001/「何が起こっても、否定しない。くよくよしない。 ありのままを受け入れ、すべてを肯定するという前向きな姿勢。 これこそ、運のいい人が身につけている姿勢なのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312260002/「生きていれば、どうにもならないことにも遭遇する。 汝は、それを解決しようと考えるよりも、 忘れ去ることが幸福に繋がる。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201201070000/「苦難に直面したら嫌々耐えるのではなく、 現状を受け入れて、前向きに耐えるのです。 人は誰でも、逆転のエネルギーが内在しているのですが、 これを使わずに嘆いてばかり。。。 もったいないことですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312240000/「物事を悲観すれば、悲観した通りになってしまいますが、 楽観的に考え口に出していると、 物事は、全て良い方向に向かいます。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201204160000/「災難や苦難に遭遇すると、心が折れてしまう人がほとんどです。 これをよい機会に変えようと努力した人にのみ天は微笑むのです。 そして災難や苦難をジョークにして笑い飛ばせば 事態は、素早く好転していきます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312210003/「苦難を苦悩にするのでは無く、苦難を楽しんで 歓喜を手に入れることのできる人になりましょう。 」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201208280000/「苦しい時、非難されているときに、 これはチャンス!!と思える人は、 人生の行方を自分で決めることができる 偉大な人なのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412180001/ 「遭遇した苦難の 最もよい面に目を向ける習慣を身に付けましょう。 実は、失敗のようで成功。。 苦難のようで、長い目でみるとラッキー。。 世の中の仕組みはこういうことなのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409210001/ 「何があろうと決して落胆しないこと。 笑い飛ばして生きて行くこと。 それが人生、負けない人のやっていることです。 不運を逆転させる唯一の道でもあります。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403300000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.05.06
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「心と身体は密接な関係があるのです。 考え事ばかりしていると 血液の浄化を司る脾臓がやられる。 とりこし苦労が多いと心臓が痛む。。 怒りが増幅すると肝臓をやられる。。 悲しんでいると肺の病に。。 憂いが多いと腎臓が疲弊する。。 こういうことです。 笑ってくださいな。。 笑いは万病に効く万能薬なのです。。」「身体が、どのような状態にあろうとも 心だけは遊ばせてください。。。 心と身体は密接に繋がっているからです。」「誰でも居ながらにして心を自由に遊ばせることができるのです。 心と身体は一体化していると思っていませんか? 実は心は船頭さん。。。身体は船。。。 船は故障もするのです。これが病気。。。 古くなれば廃船にもなります。船頭さんは下船します。 これが死です。 でもね。。。乗っている間も ちょっとくらい下船できるのですよ。 船がドッグ(病院)に入っている間に。。 身体は病んでも心は決して病まないのですから。。。」「何はなくてもまずは笑顔ですよ。 笑顔は万能薬ですから、 生活、精神の安定の特効薬なのです。」心が喜びや楽しさを感じている時、身体は、身振り手振りそれを表現したり、明るい笑顔になると思うのです。心が悲しみや不安を感じている時、身体は、絶え絶えしい呼吸になって、涙したり、憂い顔になると思うのです。心が苦しみを感じている時、身体は、自分ではそのつもりが無くても、知らず知らずの内に俯いてしまい、笑顔を失い、その表情は、苦渋の色を浮かべていると思うのです。心が怒りを感じている時、身体は、わなわなと身を震わせ、目つきは鋭く、口調は刺々しく、しかめっ面や挑み顔になると思うのです。心が傷つくと、気が下がり、身体は重く感じると思うのです。心が明るくなると、気が上がり、身体は軽く感じると思うのです。心が病めば、身体は重く。。。身体が病めば、心は重く。。。心が元気であれば、身体は軽く。。。身体が元気であれば、心は軽く。。。心と身体は、私たちが自分で思っている以上に、密接な関係があり、良くも悪くも、心の状態は身体に。。。身体の状態は心に。。。影響を及ぼし合っている、ということだと思うのです。良い影響を及ぼし合っている時は、前向き、積極的、肯定的な心のあり方で、明るく、元気に、楽しく、笑顔で過ごさせて頂いてると思うのです。悪い影響を及ぼし合っている時は、後向き、消極的、否定的な心のあり方で、暗く、不平不満を抱き、憂い顔や仏頂面で過ごしてしまっていると思うのです。=悪い影響を及ぼし合う頻度が多い==前向き、積極的、肯定的な心がない頻度が多い==後向き、消極的、否定的な心の頻度が多い==明るさ、元気、楽しさ、笑顔がない頻度が多い==暗さ、不平不満に満ち、憂い顔や仏頂面の頻度が多い==気分が優れない=心が病む==体調を崩す=身体が病む=ということになると思うのです。気が病むと書いて「病気」。気は私たちが生かさせて頂く為の活力。その活力が病んでいるということは、活力が病んでしまうような生き方をしている。。。あまり望ましくない生き方をしている。。。だからこそ、活力が失われ、気が病んでしまう、そういうことなのだと思うのです。だからこそ、病気の時は、それまでの自分の心のあり方や行いを素直に反省させて頂き、心のあり方を改めさせて頂くことが大切だと思うのです。そして、気という生きる活力が病んでしまうことのないような、心豊かな、心穏やかな、良心に従った生き方ができるように地道に努力させて頂けば良いと思うのです。「病」の字の、「やまいだれ」の中にある「丙」の字は、脚が張り出た台を形取ったものでそうです。そこから、芽が地上に出て、葉っぱさんが広がった様子を示しているそうです。葉っぱさんが広がっている部分は、きっと、双葉さんなのかもしれません。その「丙」の字に「やまいだれ」という屋根がかぶさった字が「病」です。土から芽が出て、葉っぱを生み出した植物さんに必要なのは、エネルギー満点のお天道様の光や水分などです。そこに、屋根をかけてしまっては、折角育ってきた葉っぱさんには、お天道様の光りも当たらず、雨が降っても水分を補給できなくなります。そうなれば、それこそ葉っぱさんは、元気 がなくなって萎れてしまいます。それが続くと、「病」になってしまうのだと思うのです。私たち人間も同じだと思うのです。私たちも本来あるべき自分が、「丙」の字の意味するように、一生懸命伸びようとしているしているところに、様々な障害(やまいだれ)があったり、自分で障害を作り出したりしてしまうが故に、本当の自分に屋根をかぶせて、本当の自分が見えないようにしてしまっていることがあると思うのです。本当の自分が、自分らしく生きられなければ、それはもはや自分ではないわけですから、本当の自分ではない状態。。。つまり「病」になってしまうのだと思うのです。本当の自分を、あるがままの自分を、素直に受け止め、素直に認め 、反省すべきは心から反省させて頂き、質すべきは心から正しく正させて頂くことによって、心にかかっている屋根は取れるのだと思うのです。勇気を持って、その屋根を取り去ったとき、その時、病は消えるものだと思うのです。病は気から。。。心の脱皮をさせて頂くと、病は消えるのかもしれません。。。何しろ心の脱皮をした自分は、新しく生まれ変わっているわけですから。。。病は、私たちの心のあり方の修正や成長をさせて頂く為に必要な経験として与えられているものだと思うのです。それ故に、気づくべきことに気づかせて頂いたり、反省すべきを心から反省させて頂いたり、正すべきを心から正しく正させて頂けば、=病は不要になる=心の脱皮==病の殻を捨てることが出来る=ということなのだと思う のです。病気そのものも、意味があって与えて頂いているものなのだと思うのです。病気にならなければ、否、病気になってさえも、なぜ自分がそういう境遇になっているのかが分からない私たちだからこそ、病気という自分を省みる機会を与えて頂いているのだと思うのです。 「心身が疲れていますよ。。。 疲れていると正しい選択や判断ができませんよ。。。」 「あんまり無理しない方がいいですよ。。。 無理をしていることに気付いていないことが危険なんですよ。。。」 「ものごとの見る角度を変えてみると良いですよ。。。」 「何ごとも【~し過ぎる】ことは良くありませんよ。。。 気分転換をしたり、一休みしたり、 しっかりと睡眠をとった方が、能率も効率も良いですよ。。。」 「無理をし過ぎると、取り返しのつかないことになりますよ。。。 人生はまだ先がありますから、気を付けた方が良いですよ。。。」 「同じ境遇を過ごすのであれば、 暗く俯いて、憂い顔、仏頂面で過ごすのと、 明るく元気に笑顔で過ごすのと、 どちらの方が人生が良い方向に向かうか。。。 分かりますよね。。。 分かっているのに良い方向に向かわない 心のあり方で生きてしまうのはなぜでしょうね。。。」 「あなた様の心のあり方が、 今のあなた様を作り出していますよ。。。 病んでいる今の自分が望ましくないのであれば、 あなた様の心のあり方を変えることですよ。。。 分かっていながら目を背けている 反省すべきことや質すべきことを素直に認めて、 心から反省し、心から正すことですよ。。。」 「大切な自分を責めたり、痛めつけないことですよ。。。 大切な自分だからこそ、許してあげることですよ。。。 自分を許すことは、自分を愛することですよ。。。 自分を愛することは、自分に正直に生きることですよ。。。」などのようなことをお知らせ下さっていたり、教え、導き下さっているのだと思うのです。日頃、その忙しさ故に、自分で自分をゆっくり省みたり、自分自身のことをゆっくり考えることができない私たちに、ゆっくり休み、ゆっくり自分を省みる時間、振り返る時間を与え、自分自身を見直させて頂く為の有意義な時間を与えて下さっている。。。病気とは、そういう側面もあると思うのです。「病気」というと、それを悪者として、自分とは別のもののように捉えてしまうことがありますが、その「病気」を作り出しているのは、今生、過去生を問わず、何を隠そう自分自身に他ならないと思うのです。だからこそ、「自分」と「病気」を別のものとして捉えるのではなく、「病気は自分の大切な一部」と捉えさせて頂けば良いのだと思うのです。誤った心のあり方や生き方をしている自分に気付き、それを反省し、正し、より良い人生を過ごさせて頂く為。。。魂の修正や成長をさせて頂く為。。。に与えて頂いている貴重な機会の一つとして、「病気」を捉えさせて頂けば、とても有り難い機会として受け留めさせて頂くことができると思うのです。心のあり方や魂の修正や成長の為に与えて頂いた境遇は、それが病気であろうと、苦難であろうと、試練であろうと、喜んで立ち向かわせて頂き、楽しませて頂くことが大切なのだと思うのです。病気を楽しめるわけがない!苦難をどうやって楽しむんだ!試練は苦しいだけで楽しいことなんてない!というのは、普通だと思うのです。病気や苦難や試練を生み出した自分と同じままで、今迄と同じように普通のことをしていては、乗り越えることなどできないと思うのです。だからこそ、楽しませて頂けば良いのだと思うのです。楽しめないと思えるようなことを楽しむ、という普通ではないこと、普通では考えられないことをする。。。それは、ある意味、超越した感覚だと思うのです。病気や苦難や試練を生み出してしまうような心のあり方や言動をしていた自分が、それらを超越した感覚を持って、それらを喜んで迎え入れ、楽しませて頂くとなれば、病気や苦難、試練を与えても効果が無い。。。病気や苦難、試練のお役目は終わった。。。ということになると思うのです。病気や苦難、試練でさえも、楽しむことができるような飛び抜けた逞しい心。。。何ごとにも左右されない自由な心。。。勇気のある心。。。になれば、その波長と合わない病気は去り、その波長に合った健康を迎え、苦難や試練は、それを乗り越えた先にある真の姿を現し、幸福をお迎えすることになるのだと思うのです。だからこそ、 「魂の修正や成長の為に、病気を与えて頂き有難うございます♪」 「この苦難、試練は、自分にとって意味のあることなんですね♪ どうも有り難うございます♪」と心から感謝させて頂きながら、その時の自分が置かれている境遇を明るく、元気に、笑顔で楽しむことができる自分や自分の心を育ませて頂きたいものですね。いつでも、どこでも、どのような状況でも、良心に従って、明るく、元気に、笑顔で生きる。。。自分の魂が喜ぶ生き方だと思うのです。自分の魂が喜ぶ生き方をさせて頂くことこそ、自分の人生を豊かにし、人生の目的に導かれる生き方だと思うのです。いつでもどこでも遊ぼうとし、何でも遊びにしてしまうことができる子どもたちのような自由な心で、人生という短い修業の機会を遊ばせて頂きたいものですね。以前、不思議なヴィジョンを見させて頂きました。そこには傷ついた細胞がありました。。。その傷ついた細胞を抱えた方が、「あははは♪」と大爆笑していました。すると、その傷ついた細胞が消えていく。。。癒えていく。。。そういう感じのヴィジョンでした。笑うことによって、傷は癒され、消えていく。。。それは肉体的な傷(病気)だけではまく、心の傷(病気)もまた同じだと思うのです。そのヴィジョンを見させて頂いた時、 「笑うって、凄いんだなぁ~♫ 笑うって、素晴らしいエネルギーなんだなぁ~♫」と感じたことを思い出しました。源光「笑顔溢れる人は病気になっても自然治癒力が 抜群にありますから治りが早いのです。 病は気から。。 人の身体は車と同じでメンテナンスが必要ですが、 心は故障しないのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201204010000/「肉体が病んでいようと、精神的に圧力が掛っていようと、 何があろうと、心は苦しむべきではありません。 いかなる状況も楽しむ人。 こういう人は、全てを逆転出来る人です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312150002/「汝の徳性を輝かせるもので、表情ほど重要なものはない。 笑顔で生きる者に天は微笑む。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201110270000/「着る物や身に付ける物に気を使う人は多いのですが、 残念なことに、表情に気を使う人は、ほとんどいません。 日々の明るい笑顔こそ、天の蔵を開ける幸運の鍵なのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201202230000/「奇跡を願うあまり、笑顔を失うことがないようにしましょう。 今日を笑顔で過ごしましょう。 奇跡は家族の笑顔の中から生まれるのですから。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201208060000/「人の特性で、最も大切なものは表情です。 今日も表情豊かに明るく朗らかに生きて下さいね。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210270000/「笑顔、笑顔、笑顔、これで全てが好転しますよ。 朝から晩まで笑って生活してくださいね。 苦難を笑いのネタにして笑い飛ばしてくださいね。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210180000/「重要なのは、病から癒えることではなく、病みつつ生きることです。。 病みつつ生きる。。。大いなる光への道。。。 光に包まれた時、肉体も救われるのです。」 (ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405270000/ 「心の病、大病など、根性や、精神力、 お金ではどうにもならないこともあります。 自分の力のないことは天に任せて、自分の心がけをよくし、 根本から再生の努力をすることです。 天は心の美しさを求めているのですから。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408230001/「病気をしなければ健康の有難さは分からず、 失敗しなければ、自分のいたらなさは分からず、 痛い目に合わなければ人さまの痛みを感じる事ができません。 人は試練を通して成長していきます。 天は、偉大なる魂に、大いなる試練を与えます。 感謝しなければなりません。そして天命を果たしてください。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201203080000/「人間は内面から輝くのです。スマイル スマイル。。。 いつでもどこでも。。スマイル スマイル。。。 驚くほど人生は好転していきますよ。 もちろんお顔も美しくなっていきます。。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412210001/「天は、人間に笑う力を授けた。 この能力は、宇宙に存在する全てのものを 地上に降ろすほどの力を持っている。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201108180000/「幸せとは、よく笑い、楽しむこと。。 それ以外は、おまけのようなものです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312110001/「温かい触れ合いは、万病を退散させるパワーがあります。」 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201211010000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.05.05
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「天祐と神助は、必ずあるのですが それは、良心正義あっての天祐、 努力至誠あっての神助です。」「人は信義で動くことです。 信義に厚い、品性のある人であれば、 必ず神仏の助けがあります。」「どのような環境にあろうとも 真剣に生きているのなら、 絶対に報われないということはないのです。」私たちをお見守り下さっている神仏にとって、私たちに何かを与えることや、私たちの願いを叶えることは、決して難しいことではなく、むしろ容易いことなのだと思うのです。容易いことであるにもかかわらず、その容易いことを私たちにして下さらないのは、私たちのことを思って下さっているからだと思うのです。魂の修正や成長をさせて頂く為に、地上という「修行の場」で生かさせて頂いている私たちが求めるものを無暗矢鱈と与えたり、私たちの願いをやすやすと叶えることは、私たちの為にならない。。。私たちの修行にならない。。。という想いで私たちをお見守り下さっているのだと思うのです。仮に、私たちが求めるものを何でも与えて下さり、私たちが願うことをやすやすと叶えて下さったとすれば、不完全で至らないところがあるが故に地上で修業させて頂いている私たちは、 「与えて頂けることが当たり前」 「願いを叶えて頂くことが当たり前」 「魂の修正や成長は来世に回します」などと感謝の心を忘れたり、安易な道を選んだり、自分ですべきこともせず、自分でできることもせず、他力本願や人任せになってしまうと思うのです。それでは、魂の修正や成長の為に地上に生まれてきているにもかかわらず、自ら修正すべき点を増やし続けてしまうことになってしまうと思うのです。神仏は、そういう私たちの至らない点や私たちの考えそうなことを見越された上で、 与えることができるものを与えず、 叶えることができるものも叶えず、ただただ、じっと私たちの日々の心のあり方や行い、態度をお見守り続けて下さっている。。。私たちの自発的な努力。。。誠実さ。。。真面目さ。。。信義を重んじた人様への接し方。。。何ごとに対しても真剣な態度で臨む姿勢。。。を期待して下さっているのだと思うのです。お見守り続けて下さっているだけで、何も与えず、何も叶えてくれないように見えても、その実態は、私たちに「無償の愛」をいつも与え続けて下さっているのだと思うのです。「何か」を与えて下さることが、必ずしも「愛」とは限らないと思うのです。本当に私たちを想って下さっているからこそ、「与えたい」「叶えたい」「期待に応えたい」という逸る気持ちを抑え、 与えて然るべき時期。。。 叶えて然るべき時期。。。 期待に応える然るべき時期。。。と判断できるまで、 何も与えない。。。 何も叶えない。。。 何も期待に応えない。。。という辛さや苦しみを自ら買ってまで、無償の愛を与え続けながらお見守り下さっている神仏に、心から感謝させて頂きたいものですね。神仏のそのような姿勢は、裏を変えさせて頂くと、 「あなたには、自分で何とかできる力がありますよ。」 「あなたは、自分で努力すれば何でもできますよ。」 「自分を信じて下さい。 あなたには素晴らしい力が内在していますよ。」ということを教えて下さっていると思うのです。私たちにもともと備わっている力、能力が活性化するのを妨げてしまうことの無いように。。。自らその力、能力を開花させられるように。。。という想いで、私たちの願いに応えない、という無償の愛の立場をお選び下さっている、ということでもあると思うのです。だからこそ、私たちは自分を信じ、信じ続け、過去生から育み、培ってきた特技や能力を磨く努力、そして、更に探究する努力をさせて頂くことが大切なのだと思うのです。とはいえ、闇雲に、自分勝手に努力すれば良い、というものでもないと思うのです。努力をさせて頂く時も、人様にご迷惑をおかけすることのないよう、良心に従って、言行を一致させ、誠実に、真面目に、信義を重んじ、何ごとに対しても真剣であることが大切だと思うのです。幸運な時であろうと、不運の時であろうと、どのような状況下、環境下に置かれようと、そのような心のあり方、生き方を当たり前のように継続させて頂くことができて、初めて身に着いたとご判断頂けるのだと思うのです。そのような自分になるということは、従前の自分よりも心が磨かれ、成長させて頂いている面もあると思うのです。従前の自分よりも、今の自分の方が、スキルがアップしたり、キャパシティーが広がっていると思うのです。それならば、神仏の助けが無くても、今の自分がより努力をさせて頂けば、よりスキルがアップできたり、よりキャパシティーを広げることができる、ということでもあると思うのです。神仏の私たちに対する姿勢のお陰様で、私たちは自助努力で乗り越えてることができた。。。表現を変えさせて頂くと、神仏の私たちに対するお取り計らいで、私たちは自分の力を知り、自分の力を活かす術を学ばせて頂いた、といういうでもあると思うのです。神仏は私たちが望むような助けを与えて下さらずとも、私たちが自ら運命を拓けるように、様々な形で支え、助け、お取り計らい下さっている。。。そういうことだと思うのです。それ故に、神仏は尊し。。。故に神仏に頼らず。。。の姿勢で、将来を思い煩うことなく、今の自分ができることや、今の自分がすべきことから目を背けずに、今を生かさせて頂いていれば、それで良いのだと思うのです。 源光「もし切羽詰まって、誰かを頼っているのなら あなたは囚われの身となるのです。 彼らはあなたの影の主人となって これから、あなたを搾取して、さらなる地獄へ叩き落します。 断崖絶壁に立っているのなら誰にも頼ってはなりません!! 自力です。 自力で頑張れ!! こういう天からの絶対命令なのです。 絶対命令を必死の形相で遂行するならば、 天は、徹底的に助けます。 そういう仕組みになっているのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201602100000/「何かが成し遂げられたということは 自分の努力が半分。。 半分が人智を超えたものの助けです。 実力ではどうにもならないところ。。 これが乗り越えられたということは 人知を超えた力です。 正心誠意生きていくならば、 偶然を装った必然の幸運が続々と訪れるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201601030000/「幸運の女神は、崇拝や寄進、祈りよりも 努力を好むのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403190000/「人は誰でも自発的な努力によって 善良にも偉大にも幸福にもなることができるのです。 あなたも例外ではありません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201604020000/ 「苦しい時、神頼みをする人。 神は、あなたを愛の心で突き放します。 苦しい時、懸命に歯を食いしばって頑張る人。 神は、あなたを助けます。 最もよく人を幸せにする人が 最もよく幸せになります。 これは、人類が誕生して以来、不変の法則です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311080000/「神仏にいくら祈ってもすがっても、 夢が叶うことはありません。 神仏は、コツコツと努力している姿を評価して、 ご褒美を降ろしてくれるわけです。 基本、神社仏閣で、お願いはしない方がいいのです。 おかしなものと同通してしまうからです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409220000/「なにごとも陰日なたなく頑張ると、 神様は半分だけ望みをかなえてくださる。 残りの半分は、また頑張れるように、 増長しないように謙虚に生きるようにと心に貯金をして下さっている。 こう考えると、不平不満など消え去り、 心にゆとりが生まれます。笑顔が溢れます。 こうして人は、幸せになっていくのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407200000/ 「不器用な努力家こそ、天が愛してやまない人なのです。 幸運の女神はこの様な人に微笑みます。。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201206250000/「奇跡は、世の苦難に耐えて、苦労に苦労を重ね、 それでも、歯を食いしばって頑張って生きている美しい魂に、 天が感動して、偶然を装った必然で、 なんらの見返りも求めない完全無償で降ろすものなのです。 信仰や寄進に比例して、降ろすものではありません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201305070000/「幸運や助けは、頑張って、頑張って、 これ以上は出来ないというくらいに頑張った時に 偶然を装ってふとやって来るのです。 あなたのことをいつも見守っている存在からの 御褒美ということです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312150004/「誰からも認められなくても、 真面目、誠実、勤勉に、コツコツと責任を果たしていく人に、 天は、偶然を装った必然で、運命の転機である出逢いと、 幸運の鍵を用意しています。。」 (ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201306100000/「汝、天は準備のできていない人を助けないことを知り、 日々精進して偶然を必然とせよ。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201112050000/「天は、理性と良心を持っている人を 決して見放すことはありません。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201203060000/「天は自ら正しく行動しない人に 救いの手をさしのべないのです。。 良心に忠実に行動していますか? 良心に恥じるような言動をしていませんか? 」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408190000/「この世を生きてゆくには誠実の一語です。。 誠実とは何をするにも真心を尽くす事、 すなわちいつわらない事、あざむかない事です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409190001/「正しい心で誠意を尽くして生きていく。。 今日も、ただそれだけでいいのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409010000/「至誠、天に通ず。。。その通りです。 ただ、地上には、至誠ということの 意味が分からない人が多いのです。 一人ひとりの心に、至誠の種火が宿ることを 天は期待しているのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201211070000/「つねに正義とともにあれ。 もし正義の観念が汝のうちで薄れるようなことがあれば、 汝はあらゆる危険におちいるであろう。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201107250000/「神様は、あなたが「願ったもの」を 天からストレートに降ろすことはほとんどありません。。 願ったものを手に入れるために「必要なもの」を 降ろしてくれるのです。 それは今、自分が必要としないものかもしれません。 しかし、それが願ったものを手に入れるために必要なものなのだと、 感謝して謙虚に受け入れることが大切です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401160002/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.05.04
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「人によってお辞儀の角度を変えていませんか? 誰にでも深々とお辞儀する人。。 成功や幸せに最も近い人です。」お辞儀の角度を変える。。。相手に対する感謝や礼、思い入れなどの度合いの違いによるところが多いと思うのです。それは、自分勝手な自分基準によるものごとの見方で、相手を自分より上。。。自分より下。。。尊敬の対象。。。軽蔑の対象。。。などと勝手に格付けし、相手に対する感謝や礼、思い入れなどの深さ、浅さが、お辞儀の角度の深さ、浅さに現れてるのだと思うのです。それは良くも悪くも、自分の相手に対する見方を、相手に伝わるように、表現しているようなものだと思うのです。そもそも、その不完全さ故に、魂の修行をさせて頂いている私たちの「自分勝手な自分基準によるものごとの見方」も不完全だと思うのです。また、ご縁を頂いた方について、好き嫌い。。。向き不向き。。。相性の良し悪し。。。などがあるものですが、それもまた、不完全な私たちの「自分勝手な自分基準によるものごとの見方」がベースになっていることが多いと思うのです。ご縁というものは、人知の及ばない天の深遠なるご配慮によって与えて頂いているものだと思うのです。それ故に、好き嫌い、相性の良し悪しなどの個人的な主観で見たり、捉えたり、判断するようなものではなく、 「貴重なご縁をお取り計らい頂き有り難うございます。 意味のないご縁はないもの。。。 お取り計らい下さった天に、そしてご縁を頂いた相手の方に、 心より感謝申し上げます。 それにしても、今回頂いたこのご縁は、 どういう意味があって与えて頂いたご縁なのだろう。。。 これからが楽しみだな。」という感じで、感謝させて頂くべきものなのだと思うのです。ご縁をお取り計らい下さった天だけでなく、意味があるからこそご縁を頂いた相手の方にも感謝させて頂くことが大切だと思うのです。例え、相手がどのような方であったとしても。。。例え、相手が自分にどのような態度をとろうとも。。。相手を主観で見るのではなく、ご縁に感謝させて頂く。。。ただそれだけで良いのだと思うのです。それにもかかわらず、自分勝手な自分基準によるものごとの見方(主観)で、好き嫌い、相性の良し悪しを勝手に決め、好きな人、相性の良い人には、感謝や礼を尽くし、嫌いな人、相性が悪い人には、感謝や礼を尽くさない。。。という姿勢をあからさまに取ってしまう私たちの心のあり方や態度を見ている天からすれば、 「礼儀礼節は、 相手によってその態度を変えないからこそ、 礼儀礼節足らしめる。。。 相手によってその態度を変えるのは、 礼儀礼節ごかし。。。 お辞儀も同じ。。。 相手によってお辞儀の角度を変えるのは、 空辞儀。。。 好きな人、相性の良い人には、 自ずと礼儀礼節を尽くせるもの。。。 嫌いな人、相性が悪い人には、 自ずと礼儀知らずになるもの。。。 どちらも意味あって結んだ縁であるにもかかわらず。。。 嫌いな人、相性が悪い人。。。 そういう方にも礼儀礼節を尽くし、 ご縁に感謝すことができる。。。 できるようでできないことをする。。。 できないことをできるようにする。。。 そういう心の大きさ、豊かさが育まれるからこそ、 成功や幸せが寄ってくる。。。」という思いで、私たちを見ていらっしゃると思うのです。親しき仲にも礼儀あり。。。裏を返せば、親しき仲でなければ、より礼儀を重んじることが大切。。。ということでもあると思うのです。天に感謝しても、ご縁に感謝しない。。。それは、天に感謝していないのと同じだと思うのです。なぜなら、そのご縁を与えて下さったのは、天に他ならないからです。天に心から感謝するように、天のお取り計らいで頂いたご縁にも心から感謝させて頂く。。。ご縁を頂いた相手に対して、優劣や良し悪しを付しているのは、私たちの主観でしかないと思うのです。天がお取り計らい下さるご縁は、その時の自分にとって必要な時期に、必要な形で、必要なご縁を結び付けて下さっているもの故に、各ご縁に優劣や良し悪しなどはないと思うのです。だからこそ、どなた様に対しても、礼儀礼節を重んじ、どなた様に対しても、深々とお辞儀をさせて頂くことが、とても大切なのだと思うのです。天が与えて下さったご縁は、天そのもの。。。ただ人間の姿をしているだけ。。。実際にそういう事だと思うのですが、そのように思うように努めさせて頂くと、相手がどのような方であろうと、自ずと感謝の心が生まれ、深々とお辞儀をさせて頂くことができるようになると思うのです。源光「名誉も地位も権力も学歴も財力も収入も肩書きも 地上の小さな世界でしか通用しない煙のようなものです。 自分の才能をひけらかすことなく、笑顔を絶やさず、 周囲と同調してやっていける人こそ、立派な人です。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311130000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311140000/「知恵も智謀も、優れた人格には到底及びません。 優れた人格者は、人がうらやむ大成功しても、 決して、天狗さんにはならないものですよ。」 (ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201306110000/「本当に優れた人は、笑顔を絶やさない、一見、 どこのおじさん?おばさん?どこのお兄ちゃん?お嬢ちゃん? という感じで違和感も威圧感も、存在感も全く無いものです。 でも観る人が観ればわかります。これが人の世というものですね。 」 (ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210310000/「実れば実るほど、勉強すればするほど、 自然に自分の至らなさに気づき謙虚になっていくのが人というものです。 天から観れば、謙虚で無い人は、まだまだ修行の足らない、 子供に過ぎないのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201303020000/「人間、みんな平等です。誰が偉いわけでもありません。。 偉そうにしても、可笑しいばかり。。。 レベルの低さに呆れます。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407190000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407190001/「中庸の道を歩むことですよ。 極端から極端に動かないことです。。 良心に従うことです。 なにも見えず、何も知らず、 何も聴こえないのが人というものなのですから。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201304290000/「人の魂のレベルの差は、上位と下位では雲泥の差がありますが、 上位の人が偉いわけでもありません。 威張るような人は低レベルの人です。 心の世界は、この世の名誉や地位、権力、名声、 学歴、収入、財産、年齢差などとは全く次元の違う、 波長の乱れた地上とは違う高尚な真実の世界です。(一部抜粋)」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401100001/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401100002/「他人の目を気にせず、おおらかに 自分らしく個性的に生きることだと思います。 この世的権威や、お金など、死後は無価値となってしまうのですが、 唯一つ「心」だけは持って還れるのです。 「心」こそ宝ですよ。」 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210100000/「実れば実るほど、勉強すればするほど、 自然に自分の至らなさに気づき、 謙虚になっていくのが人というものです。 天から観れば、謙虚で無い人は、まだまだ修行の足らない、 子供に過ぎないのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201303020000/「本当に優れた人は、社会的地位や、 肩書きなどで人に接しないのです。 本来、社会的地位、肩書きと人間性の美しさは 一致しているのが当然です。 心の中で、人を見下しているようでは、 まだまだの人間です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201511030000/「自分より弱い立場の人間には恐ろしく強く、 徒党を組んで虐めるくせに、 強い立場の人間には平身低頭。。。 これが情け無い人間の行動パターンです。 将来、痛い目に会うのも当然です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201506220000/ 【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.05.03
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「人に好かれることと 信頼されることとは別物です。 確固たる信念を持って生きていきましょう。」人様に好かれる。。。とても素敵なことだと思うのです。人様に好かれたい。。。そういう思いは多かれ少なかれ、どなた様にもあると思うのです。人様に好かれる為には、人様に好かれるようなことをさせて頂けば良いと思うのです。その時に、 「好かれたい」 「良く思われたい」など、 人様からどのように思われるか。。。 人様からどのように見られるか。。。という人様の自分を見る目を気にしてしまい、 「嫌われたくない」 「悪く思われたくない」などという思いから、嫌われたり、悪く思われることを恐れるあまり、人様に気に入られる自分を演じてしまうことがあると思うのです。人様に好かれたいが為に、人様に気に入られる自分を演じる。。。その結果、自分の意思とは関係なく、 何でも人様の言うことを聞いてしまう自分。。。 やりたくないこと、嫌なことも断れない自分。。。になってしまうことも。。。人様からすれば、 自分の言うことを何でも良く聞く人。。。 都合良く利用できる人。。。 やりたくないことをやってくれる人。。。 嫌なことをやらせることができる人。。。 騙しやすい人。。。ということだと思うのです。 「自分」という意識や「自分らしさ」という個性を持たせて頂いているにもかかわらず、「自分」として生かさせて頂いていない思うのです。それでは、人様に好かれても、自分は辛いだけだと思うのです。「人様に好かれる」と書いて「お人好し」。。。「お人好し」 何事も善意にとらえる傾向があり、 他人に利用されたり、騙されたりしやすいこと。の意だそうです。人様に利用される自分になりたい。。。人様に騙される自分になりたい。。。と思う人はいないと思うのです。利用されるだけされて、利用価値が無くなったらポイ捨て。。。騙されるだけ騙されて、面白みが無くなったらポイ捨て。。。そのようなことをされたら、心が傷つき、辛く、苦しく、悲しいと思うのです。怒りを感じることもあると思うのです。時には、お人好しであることが、自分の身近な方々にまで派生して、ご迷惑をおかけしてしまうことも多々あると思うのです。お人好しが祟って、身近な方々にまで距離を置かれてしまう。。。そういうこともあると思うのです。お人好しの行く末は、そういうものなのだと思うのです。しかしながら、そのような結果を招いた原因は、人様に好かれたいが為に、人様に好かれる自分や、人様に気に入られる自分を演じ、「自分」という意識や、「自分らしさ」という個性を蔑ろにした自分自身にあると思うのです。「自分」という意識や、「自分らしさ」という個性を蔑ろにする。。。私たちの本質が魂であることを考えれば、それは、自分で自分に嘘をつき、自分で自分を騙し、自分で自分を裏切っているようなものだと思うのです。それ故に、その行く末も、それに相応しい結果になってしまうのだと思うのです。「そんなの嫌だ!」「自分らしく生きたい!」という心の叫びがあるのであれば、人様に好かれる、又は、気に入られる自分を演じる、という自分に対する嘘、騙し、裏切りを止めて、「自分」という意識に誇りを持って、「自分らしさ」という個性を大切にして、生かさせて頂けば良いと思うのです。そういう心のあり方、生き方をさせて頂き、「本当の自分」を取り戻させて頂くと、例え、人様に好かれなかったとしても、「自分らしく」生きていることに喜びを感じると思うのです。「自分」であること。。。「自分らしく」あること。。。「本当の自分」で生きることができること。。。そういう自分で生かさせて頂くことによって、過去生から培ってきた自分の特技や能力が、どんどん開花されてくると思うのです。その結果、その特技や能力を、 人様のお役に立つこと 人様にお喜び頂けること 人様を笑顔にさせることなどに正しく活かさせて頂くことができるようになると思うのです。そうすると、人様に好かれるようになると思うのです。とはいえ、この場合の「人様に好かれる」は、その好かれる理由や、好かれるようになる基盤が大きく異なると思うのです。 「自分」という意識に誇りを持って、 「自分らしさ」という個性を大切にして、 「自分」を信じて、「自分」を生きている その心のあり方や生き方。。。 いつでもどこでも、決してぶれない 信念のある凛とした姿勢。。。 自分も人様も裏切らない 言行一致した姿勢。。。 出来るものは出来る、 出来ないものは出来ない、 など、イエスとノーがハッキリしている。。。 人様によって態度を変えることなく、 どなた様に対しても同じように接する。。。そういう生き様が、 「この人は信用できる!」 「この人には頼れる!」 「この人になら何でも話せそう♬」という安心感や信頼感を、人様に抱かせるのだと思うのです。「信じる」に「頼る」と書いて「信頼」。。。「信頼」 ある人や物を高く評価して、 全て任せられるという気持ちをいだくこと。の意だそうです。信頼は、自分を信じて頂けるまで、自分を頼りにして頂けるまで、時間をかけながら築いていく心と心の繋がりの基盤だと思うのです。人様にとって都合が良いだけのお人好し。。。心の心の繋がりの基盤のある信頼。。。お人好しは、一方通行的な人間関係。。。信頼は、自分と相手の心が繋がる相互関係。。。人様に気に入られる自分を演じて「人様に好かれようとする」お人好し。。。ありのままの自分で生きていることで人様に好かれる信頼。。。少し視点を変えてみると、自分や自分らしさを表に出さずに、自分に好かれよう、気に入られようと、演じている相手を信頼できますか?ということでもあると思うのです。人様に好かれたいが為に、人様に好かれるような自分を演じて生きる道を歩むのか。。。それとも、人様に好かれようなどと思わず、自分らしく、ありのままの自分で、自分を信じ、自分を大切にして、自分の信じる道を歩ませて頂くのか。。。どちらの道を歩ませて頂くのも自由だと思うのですが、自分の本質である魂が喜ぶ生き方をさせて頂くことこそ、信念のある自分の生き方であり、人生の醍醐味だと思うのです。源光「信念は人を強くするが、疑いは活力を麻痺させる。 信念は力である。 正しく信念を貫くならば岩をも通すであろう。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201110090000/「人に好かれようなどと思わず、 孤立してもいいと腹を決めて、 強い人に媚びず、 弱い人を助け、 自分を貫いていけば、本当の意味で みんなに喜ばれる人間になれるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201601110000/「好人物と言われても仕方がないのです。 好人物は、嫌と言わないから、 雑用をさせるのに都合が良い。。 金を、借りても催促しない。。 踏み倒しても文句を、言わない。。 騙すのに都合がいい。。 つまり、悪い人から見るとカモ。。 好人物=幸運な人ではありません。。 お人好しだけは卒業しなければなりません。。 地上は、あらゆる魂のレベルの人が一同に会して修行している 波長が乱れた世界だからです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408210000/ 「良い時も、悪い時も同じ態度で接してくれた人。 こういう人。世の中でもっとも信頼できる人なのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201602150000/「人は、お人好しを卒業しましょう。 →反省→感謝→報恩→平常心→愛の心→自由の心→勇者の心、 と心が進歩していきますが、報恩がきちんとできるようになれば、 誰でも雲さんの御迎えが来ます。 まずは、お人好しさんを卒業することからはじめましょうね。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209100000/「 失敗する人は、お人よしで、すぐ同情して騙される人か、 決断を下すのがものすごく遅いのに変更するのがやたらに速く、 しかもやたらに変更を行う行動パターンの人がほとんどです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405060000/「意味もなく生まれてきた人はいないのです。 自分自身の、そして他の人々の人生に意味を見いだしましょう。 あなたの人生はあなたのもの。。(一部抜粋)」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312310000/「自分で身を守る術は、イエスとノーをはっきり言うことです。 決して、自分さえ我慢すればいいのだ。と思わないことです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201310100000/「附和雷同。。。長いモノに巻かれろ。。。人の顔色をみて行動。。。 こういう人は、後で後悔する人です。 何時でもどこでも良心に恥じない自分でありたいものです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201211100000/「人は、心が他人や現象に隷属する限り、自由に成れないのです。 心を鎖から解き放ってください。 幸運の鍵は手の届くところにあるのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201206200000/「自分自身という財産を持っている人。。。 最終的に勝利者になる人です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405020000/「人のことが気になって気になってしょうがない。。 これが物事にとらわれている心です。 そういう心を無くさない限り、心は安らかになりません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406150000/「人間関係に悩む人は多いのです。 誰とでも仲良くしようと努力しても、 残念ながら 価値観、性格が違う人とはうまくいかないものです。 あまり他人に振り回されないようにして、 大切な自分の時間を大切にしましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312220001/「友人を作ろうとしなくてもいいのです。 友人に選ばれる人になりましょう。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209210000/「汝、友人を選ぶなかれ。 友人に選ばれる人になれ。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201111260000/ 「友人が多いのは素敵なことですが、 悪い仲間と交わるよりも、 一人でいる方が良いのです。 無理に友人を作る必要はありません。 自然体で十分です。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412080003/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412080004/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.05.02
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「人の造ったものは、放っておけば いずれ瓦礫と化すのです。。。 堅固な建造物も同じことです。 人の心も身体も同じことです。 心と身体のメンテナンスしていますか? 仕事の奴隷になっていませんか? 自由時間を楽しんでいますか?」「いろいろ犠牲にしても 寝る時間だけは犠牲にしないこと。 寝不足で良い仕事はできません。」「家族のために一所懸命に働いているあなた。 もう少し遊んでいいのですよ。 リラックスしているときに 指導の存在と導通して 素敵な閃きがあるのですから。」人偏に「木」と書いて「休む」。。。自分の「自」に「心」と書いて「息」。。。「木」をはじめとする自然と、「自」分の「心」や「身体(人偏)」を同調させて頂くことによって、心身の疲れを癒すことが「休息」だと思うのです。今の世の中のように「時間」を気にしながらの「休息」は、時間的に問題がないときだけ「休息」をとっているだけの時間に追われた「急息」であるが故に、「時間」的に「休息」をとったつもりでも、心身は癒されることなく、疲れが残っている。。。ということがとても多いと思うのです。それでは本当の「休息」ではないと思うのです。本当の「休息」が取れていないからこそ、同じことで失敗や間違い、更には危険なことまでをも繰り返したり、空回りしたりしてしまうのだと思うのです。そのようにならないように、疲れを感じているときは、自分の為にも、人様の為にも、「休息」を正しい形で取らせて頂きたいものですね。「休息」は、心身を休めたり、くつろぐことだと思うのです。自分の好きなことや趣味に時間を投じてくつろぐことはとても素敵なことだと思うのです。睡眠という形で心身を休めることも大切だと思うのです。睡眠は、心身の休息の為に、自分で自分に与えるべきものだと思うのです。それ故に、睡眠をとらなかったり、心身の健康を維持できないような睡眠時間では、心身を害することになってしまうと思うのです。睡眠不足で心身を害すれば、自分では「大丈夫!」と思っていても、 ものごとを見る視野が狭くなっていたり。。。 ものごとに取り組む効率が悪くなったり。。。 一つのことに無駄に時間を要したり。。。 同じことを何度も繰り返したり。。。 正しい選択や判断ができなくなっていたり。。。 普段は即決できるのに思い悩んだり。。。 普段は1時間で済むことが、数時間かかったり、間違ったり。。。 冷静さや客観的視野を失ったり。。。 自分がトラブルの原因になってしまったり。。。などなど、自分では気づいていないマイナスなことが生じていることが多々あると思うのです。そのマイナスなことが生じていることにさえ気づけない。。。それほどまでに疲弊していては、何をさせて頂くにしても、集中力に欠け、効率が悪いばかりだと思うのです。「頑張らなきゃ。。。」「頑張りたい。。。」そういう気持ちを持って、何ごとに誠実に、真面目に取り組ませて頂くことは、とても素晴らしいことだと思うのですが、それは、自分の特技や能力を最大限に、又は、普通に発揮できるような状態でさせて頂くからこそ、素晴らしいことなのだと思うのです。睡眠不足や疲労困憊な状態では、自分の特技や能力を発揮することなどできず、空周りになってしまうと思うのです。そのような状態でものごとに取り組むと、自分の「頑張るぞ!」という思いとは裏腹に、時には、その空回りによって生じているマイナスなことが人様にとってご迷惑になっていることも多々あると思うのです。 (ご本人様的には「頑張ってる」つもりでも、 実態が空回りになってしまっているのであれば、 それは「自分は頑張っている!」という自己満足を 得るためにしているようなものでしかないと思うのです。)人様のご迷惑になるようなことを頑張っていても仕方がないと思うのです。そのようなことも不本意だと思うのです。だからこそ、自分の特技や能力を最大限に発揮して、人様のお役に立たせて頂いたり、人様にお喜び頂けるような取り組みができるよう、心身の健全を確保させて頂く為の質の良い睡眠や休息、ストレスや疲れが発散できる質の良いリフレッシュの時間を、しっかりと確保させて頂くことがとても大切だと思うのです。自分の為だけではなく、自分を取り巻く人様にご迷惑をおかけしない為にも。。。逆に、活動の休止を意味する睡眠が度を越すことは、心身の本来の活動を停滞させてしまうことでもあると思うのです。心身の休息ではなく、心身の活動の停止・停滞になるような睡眠は、かえって、心身の機能の快い目覚めを阻害することにもなりかねないと思うのです。睡眠も休息もバランス良くとらせて頂きたいものですね。~~~~無理は、「理」に適って「無い」と書きます。「無理をする」ということは、道理に適ってないことをしていたり、「~をし過ぎている」ということでもあると思うのです。「~をし過ぎる」は、 過ぎたるは猶及ばざるが如しそのものだと思うのです。動き過ぎて身体を壊してしまったり、考え過ぎて精神を病んでしまったり、先を行き過ぎて「今」が見えなくなったりするなどの、「~し過ぎる」という思考や行動は、本来あるべき状態から自ら逸して「行き過ぎて」しまっているが故に、その時々の自分にとって本当に大切なことを見逃してしまっていたり、その時にすべきことに意識が向かなかったりしてしまうなど、本当に大切なことやすべきことが疎かになってしまうと思うのです。無理をするのは、見方を変えさせて頂くと、心の焦りの表れでもあると思うのです。無理をするから、より焦りを感じる。。。焦るから適切な選択や判断ができなくなる。。。その結果、犯さなくても良い過ちや失敗をしたり、他に迷惑を掛けてしまったりするのだと思うのです。身体が疲れた時は無理をせずに休む。。。考えてもどうにもならないものは無理に考えずに忘れてしまう。。。先のことを考えることも大切だと思うのですが、今を生かさせて頂くことしかできない私たち故に、まずは、今の自分ができること、今の自分がすべきことを今する、という「今を生きる」姿勢で、今を無理なく生かさせて頂くことが大切だと思うのです。無理をしないから、焦ることも無く。。。焦ることがないから、平常心と客観的視点をもって、適切な選択や判断ができる。。。それ故に過ちや失敗が少なくなり、他に迷惑をお掛けすることも少なくなると思うのです。「理」に適って「無い」と書くくらいの「無理」はしない。。。「~し過ぎる」のではなく、節度をもって「適当」にする。。。それを誠実に、真面目に、真剣に、勤勉な姿勢で、地道にコツコツと取り組ませて頂くことが、継続の秘訣だと思うのです。無理をしたり、~をし過ぎて、心身を病んだりしてしまうと、やりたいことさえできなくなってしまうと思うのです。その原因が、無理をしたり、~をし過ぎたことにあると考えさせて頂くと、無理をしたり、~をし過ぎることが、如何に「理」に適って「無い」こと、なのかが良く分かると思うのです。休めるときはしっかりと休ませて頂いた方が、ものごとに本調子で取り組ませて頂くことができるだけでなく、いつもよりも頭や直感が冴えて、それまで出来なかったことさえも出来るようになるということもあると思うのです。疲れている時に無理をして何かに取り組んでも、効率が悪くなったり、感情的になり易くなって、失敗や間違いを犯しやすくなると思うのです。反対に、しっかりと休ませて頂き、心身がすっきりとした状態で何かに取り組ませて頂くと効率が良くなり、失敗や間違いを犯すことも少ないと思うのです。どちらが、心身の健全には良いのか。。。それはとても明確だと思うのです。源光「人間ですから、落ち込む時も、体調がすぐれない時もありましょう。 そういう時は、小さな幸せを楽しんで心身を休めるのが良いです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311070000/ 「体調を崩すということは、飛ばし過ぎ、 または不摂生ですから注意しなさい。 という身体からのシグナルです。 この位大丈夫と無理を重ねないことですよ。 一休みするべきです。 さもないと、大病を招いて、 身体に強制休息させられてしまうのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201402010000/ 「無理が一番いけないのです。 休める時にしっかりと休むことです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201505280000/ 「無理をしてもトータルで失敗します。 真剣に生きる人ほど無理はしないものです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408150001/「何をやってもうまくいかないときは、「休憩」のメッセージですよ。 あなたを見守っている存在があなたに休憩のタイミングを教えてくれているのですから 無理に進まず休憩することです。 ハッキリ言いましょう!! あなたの指導霊、守護霊は、エネルギーが切れている あなたの応援が出来ないのです。 応援しようにも波長が合わないのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401020001/「シンプルで控えめに。。 身体にも、心にも、最善の生き方です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406130001/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.05.01
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