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「人間には誰でも できることと、できないことがあるのです。 ある人にはできても、ある人にはできない。 それでいいのです。 他のことはできるわけですから。」「他人ができることは自分もできる!! いいえ。できないこともあります。 それでいいのです。 万能の人など皆無です。」「自分は何でもできる!」不完全で至らない点があるからこそ、地上で修業をさせて頂いている私たち。。。「何でもできる!」などと思ったり、啖呵を切ったり、強がったりしても、もともと不完全な私たちが思う「何でもできる!」の「何でも」も、不完全だと思うのです。ということは、「何でもできる!」の「何でも」は、万能や完璧、完全を意味するようなものではなく、私たちが度重なる輪廻転生を繰り返しながら培ってきた自分の特技や能力を活かせることであれば「何でもできる!」。。。というように捉えさせて頂いた方が良いのだと思うのです。自分では「何でもできる!」と思っていても、どのような分野にも、上には上がいると思うのです。それならば、自分の特技や能力を活かせる得意な分野でコツコツと努力と探求を重ねて、自分の特技や能力を更に磨くことを通じて、自分の得意な分野では「何でもできます!」と言えるような、自分を目指して、努力を継続する生き方こそ、自分が満足でき、幸せになれる生き方だと思うのです。 (例え、「何でもできます!」と言えなかったとしても、 「何でもできます!」と言えるように、 頑張り、努力する生き方は、 自分の魂が喜ぶ生き方故に、幸せだと思うのです。 自分で自分を貶めてしまいかねないような、 「何でもできる!」という思い込みや傲慢さは、 産み出さないように、いつでも謙虚でありたいものですね。)中には、「何でもできる!」という思いや言葉の通り、何に対しても、要領よく、手際よく、器用にこなすことが自然にできる方もいると思うのです。何でもこなせるとは言え、そのこなしているものが、その方の特技や能力、得意なことを本当の意味で活かせているかどうかは別だと思うのです。何でもこなすことができることと、こなしているものがその方にとって、向いているか否かは別だと思うのです。それならば、自分の特技や能力、得意なことを活かすことができ、自分の魂が喜んでできるような、自分に向いている分野に身を置かせて頂いた方が幸せに過ごさせて頂くことができると思うのです。その一方で、何でもこなしている内に、自分の魂が喜びを感じるような分野や、自分のご特技や能力、得意なことを活かすことができるような分野を見つけた、ということもあると思うのです。そういうケースもあることを考えると、何かをさせて頂くときや、何かをせざるを得ないときは、その何かを「したい」か「したくない」かではなく、 「まずはやってみよう!」 「やれるだけやってみる!」 「自分にも出来るはず!」 「やれば出来るはず!」という心持ちで取り組ませて頂くことにより、自分のキャパシティーは広がっていくと思うのです。輪廻転生を繰り返しながら、その都度、育み、培ってきた自分の個性である特技や能力という得意な分野を、良心に従って、人様のお役に立つことや、人様にお喜び頂けることに、活かさせて頂くことによって、私たちの魂は修正、成長をさせて頂くことができるのだと思うのです。裏を変えさせて頂くと、魂の修正や成長をさせて頂く為には、人様のお役に立つことや、人様にお喜び頂けることをさせて頂くことが必要故に、その必要を満たす為に、輪廻転生を繰り返しながら、自分の個性が活きるような特技や能力を見つける旅、磨く旅をさせて頂いている、ということなのだと思うのです。だからこそ、自分の特技や能力、得意なことが活きるところで、はたまた、自分のそれを必要として下さるところで自分にできることを、良心に従ってさせて頂けば、それで良いのだと思うのです。わざわざ自分の特技や能力、得意なことが活きないところで、自分にできないことを、無理をしてまでしようとする必要はないと思うのです。 (できることやすべきことをせず、 できもしないことをしようとする。。。 それは自分の特技や能力だけでなく、 自分の人生の時間をも無駄にしていると思うのです。) 自分と人様を比較する必要もないと思うのです。「あの人ができることが、自分はできない。。。悔しい。。。」「あの人にできないことを、自分はできる!自分は凄い!」などと、自分と人様を自分勝手な自分基準で比較したり、競っては、一喜一憂する。。。自分の特技や能力、得意なことは、それを人様の為に正しく活かさせて頂く為にあるもので、人様と比較・競争して、自分が一喜一憂する為にあるものではないと思うのです。 (人様と比較・競争して、一喜一憂している間は、 自分の特技や能力、得意なことは、 真の意味で活きてこないと思うのです。)自分は自分。。。人様は人様。。。人様は自分の持っていない特技や能力をお持ちでいらっしゃり、自分は人様のお持ちでない特技や能力を与えて頂いている。。。人様の特技や能力と自分のそれとを比較・競争して、優越感に浸ったり、劣等感に苛まれたりするなど、一喜一憂する必要は全くないと思うのです。同じ人間でもなければ、同じ土俵に立っているわけでもないのに、優劣や強弱を競っても仕方ないと思うのですが、それによって得られる自己満足で心を満たそうとするということは、裏を返せば、自己満足を得たいと思うくらいに心が貧しく、自分の特技や能力を活かしきれていない、ということでもあると思うのです。それでは、せっかく与えて頂いた特技や能力も宝の持ち腐れになってしまうだけでなく、その特技や能力の本当の素晴らしささえ、日の目を見ることさえ出来なくなってしまうと思うのです。比較や競争によって生じる優劣、勝負、強弱などは、本当はどうでも良いことだと思うのです。仮に、優劣や勝負、強弱を比較したり、競争するとしても、それを比較、競争する相手がいなければ、はたまた、比較、競争している自分がいなければ、比較したり、競争することさえ出来ない、と考えれば、人様が人様として存在して下さっていて、あなたがあなたとして存在して下さっていて、私が私として存在させて頂いている、ということそのものが実は素晴らしいことだと思うのです。 (競う相手がいなければ、自分は何もできないということは、 それだけでも自分が不完全であるという証だと思うのです。)お互いが各々に特技や能力がある部分を認め合う。。。お互いが各々に不得意や苦手な面があることを認め合う。。。お互いに不完全な人間同士であることを認め合う。。。お互いをお互いを尊重し合う。。。各々の欠点や弱点は、各々の美点や長所によって補い合う。。。とても素直で、美しく、清らかなことだと思うのです。私たちは、自分では気付いていなくても、様々な特技や能力をお持ちの方々が、世の為、人様の為に、その方の特技や能力を正しく活かさせて頂こうというお心のもと、生み出された様々なものや環境の中で生かさせて頂きながら、様々なサービスを受けたり、様々な便利を体験したり、喜びや楽しさ等を得ていることがあると思うのです。それと同じように、自分に与えて頂いている特技や能力は、 自分がその特技や能力を、人としてあるべき正しい心で、正しく活かさせて頂くことによって、社会や人様のお役に立たせて頂くことができるだけでなく、人様にお喜び頂くことにも活かさせて頂くことができる、というとても有り難いものでもあると思うのです。自分に与えて頂いている特技や能力を人様や社会の為に正しい心で活かさせて頂くという、人様の喜びを自分の喜びとする姿勢やお互い様の心という心ある人間同士の心の循環はとても美しいと思うのです。自分に与えて頂いている特技や能力は、そのようにして活かさせて頂くべきものだと思うのです。自分が不得意、苦手、出来ないことは、つまらない見栄を張ったり、啖呵を切って、無理に自分でしようとするのではなく、それを得意とされていらっしゃる方にお任せさせて頂けば良いと思うのです。そうすることによって、みんながみんなの特技や能力を活かして活躍できる機会が作られると思うのです。自分一人で生かさせて頂いているわけではない私たち。。。そんな私たちだからこそ、自分に与えて頂いた特技や能力は、お互い様の心で人様のお役に立つことや人様にお喜び頂けることに活かさせて頂きながら、助け合い、励まし合い、支え合い、分け合い、与え合い、協力し合い、補い合って、生かさせて頂くことが大切なのだと思うのです。源光「良心に恥じない自分であれば、 思うままに生きればよいのです。 そして他人の生き方に 口を出す必要はありません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409280000/ 「天は個性をとても大切にしています。 天職は、その人が、輪廻転生で探求し続けてきた 道や技を活かせる職ということ。 個性を活かして、触れ合う人達と協力しあって 世の中を幸せのお花畑にしていきましょう。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201305230000/ 「何でも出来る人はいません。 天界でもそうなのです。 それぞれの特技を活かして、 協力し、助け合い、励ましあって、 暮らしやすい平和な世界を創造するところに 最高の喜びがあるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201305220000/「ひとり一人の魂は、本質において宇宙の魂以外の何ものでもない。 人間はお互いに、頭、腕、胴、足となって補い合わなければならない。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201107170000/「強者にも弱点はあります。 弱者にも強者には無い強みがあります。 個性を活かして、少しでも世の中の役に立つ人になりましょう。 それが生きるということなのですから。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201306120000/「他人にも自分にも完全を求めてはいけないのです。 不完全の中に美しさ清らかさを見つけてください。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201203020000/「何もかも出来る人はいないのです。 知ったかぶりはやめて、得意分野を頼まれたら 世のため人のため、自分のためにしっかり頑張り、 出来ないものはその道のプロにお願いすればよいのです。 迷ったり困ったり、こだわったりしていないで、 出来ないものは出来ないと 素通りしてしまえばいいのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312170004/「有史以来、地上に完璧な人が生まれたことはありません。 みんな、みんな不完全。 だからこそ助け合って生きるのは当然ですね。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210150000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.03.29
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『人生とは、心の故郷に還る旅。 どうぞ、あなたも大いなる収穫を持って還れる 善なる旅でありますように。 「ただいま。。」 「お疲れさまでした。」 誰が待っているのでしょう。』魂の修正や成長をさせて頂く為に、魂の居場所である心の故郷から地上という修行の場に、肉体を与えて頂いて旅をする。。。それが人生だと思うのです。地上という修業の場に生まれる時は、魂の修正や成長がスムーズに進むよう 「何が正しいかその全てを知っている良心」という心の羅針盤を天から授かっていると思うのです。地上という修業の場では、良心に従おうと背こうと自由。。。何を考え、何をしようと自由。。。しかしながら、因果応報の法則が働くが故に、自由に伴う責任はすべて自分にかえって来ることを忘れてはならないと思うのです。良心に従って生かさせて頂けば、地上への修行の旅は、善なる旅となって、従前よりも魂レベルの高い心の故郷へ帰還することになる。。。良心に背いて生きれば、地上への旅は、修行ではなく、業を積む旅となって、従前よりも魂レベルの低い心の故郷へ帰還することになる。。。ただそれだけのことだと思うのですが、魂の修正や成長をさせて頂く為に地上という修業の場に生まれる機会を与えて頂いているということを考えさせて頂くと、良心に従った心のあり方、生き方こそ、魂が喜ぶ人生のあり方、修行のあり方、なのだとおもうのです。地上での修行を終え、肉体を捨てて、本来の姿である魂となって、心の故郷へ帰還させて頂く時に、心の故郷で待っていて下さる存在。。。それは、魂の兄弟姉妹だと思うのです。。。自分は自分一人だけ、と思ってしまいがちですが、地上において、私たちが自分一人で生かさせて頂いているわけではないのと同じように、「自分」という存在もまた、自分一人で生かさせて頂いているわけではないと思うのです。それ故に、地上において、今生は行ったことがない場所について、 「何か行ったことがあるような気がする。。。」 「何かここに住んでいたような気がする。。。」などと感じたり、今生において特に勉強をしたわけでもないのに 「何だか知らないけど、良く分かる。。。」 「覚えるというより、思い出してくる感じ。。。」 「なぜか、これをやっていると凄く楽しい♪」などと感じるのだと思うのです。それは、「自分は自分一人」と思い込んでいる「自分」に、魂の兄弟姉妹が地上において経験したことや記憶を、「同じ自分」という意識を持つ兄弟姉妹同士で、共有しているからだと思うのです。そういう魂の兄弟姉妹のことを、分霊さんというのだと思うのです。ということは、地上への修行の旅は、「自分一人」の為の修行の旅のように思っていても、実は、地上における様々な経験や記憶を共有する分霊さんにも大きな影響を与える旅。。。連帯責任の旅になっているのだと思うのです。連帯責任。。。今、地上で修業をさせて頂いている自分が良心に素直に従って生かさせて頂いて、魂の修正や成長をさせて頂くことは、地上の自分にとって良いことになるのではなく、自分の魂の兄弟姉妹にとっても有難く、良いことになる、ということだと思うのです。同じように、今、地上で修業させて頂いている自分が良心に反した生き方をして業を積んでしまうと、その業は地上の自分だけのものではなく、自分の魂の兄弟姉妹の業にもなり、魂の兄弟姉妹にご迷惑をお掛けする、ということだと思うのです。魂の修正や成長をさせて頂く為に、地上という修行の場を与えて頂いている私たちは、「何が正しいかその全てを知っている良心」に従って、 「人様のお役に立つこと」 「人様にお喜び頂けること」など、人様が笑顔になるようなことをさせて頂くことを通じて、業を解消することができ、魂が修正、成長させて頂くことができるのだと思うのです。地上においては「人様」という自分以外の家族や他人様の為。。。という利他心のある生き方だと思うのですが、それは、地上だけのことではなく、自分でありながら、自分とは存在を異にしている天界にいる「魂の兄弟姉妹」という自分以外の自分の為。。。という、二重の仕組みになっているのだと思うのです。二重になっているが故に、喜びや後悔も倍になるのだと思うのです。 良心に素直に従って生かさせて頂けば喜びが倍に。。。 良心に反して欲望に翻弄して生きれば後悔が倍に。。。そういうことなのだと思うのです。今生という自分の人生は、自分一人だけのものではなく、自分とは存在を異にしている別の自分である分霊さんにも連帯責任として大きく影響を与えることを考えれば、次回以降、別の自分である分霊さんが地上に降りた時に、少しでも幸せに過ごすことができるよう、別の自分である分霊さんに恥じることのない自分で、今生という人生を良心に従って全うさせて頂きたいものですね。良心に従って、自分に恥じない生き方、自分を裏切らない生き方をさせて頂けば、天に帰還させて頂いた時、心の故郷で待って下さっている魂の兄弟姉妹に対し、気持ち良く 「ただいま」ということができ、魂の兄弟姉妹からは、 「お疲れさまでした」と温かく迎え入れて頂けると思うのです。逆に、良心に背き、自分に恥じる生き方、自分で自分を偽り、裏切る生き方をすれば、天に帰還できるかどうかも分からないと思うのです。魂の兄弟姉妹の気持ちは、自分がその立場になって見れば、良く分かると思うのです。良心に背いて生きる。。。自分に恥じる生き方をする。。。自分で自分を偽り、裏切る生き方をする。。。ことは、自分で自分(魂の兄弟姉妹)を苦しめ、辛い思いさせる、ということなのだと思うのです。家族や人様の為という利他心。。。魂の兄弟姉妹の為という利他心。。。自分という意識を持っている私たちは、利己心に生きたくなってしまうものですが、それにもかかわらず、利他心で生かさせて頂くことの大切さを見つけるべく、修行の旅を何度も何度もさせて頂く。。。それは、「全て=1つ」「自分=あなた」という宇宙即我を知り、体感させて頂くことに繋がっているのだと思うのです。源光~ご参考 【魂の構成】について~魂は下記のような構成になっているそうです。1/6は、本霊さん 1/6は、分霊さん11/6は、分霊さん21/6は、分霊さん31/6は、分霊さん41/6は、分霊さん5合計で、1/6×6 = 6/6 = 1つの魂。。。こういうことのようです。例えば、今、地上に生まれてきている魂が「本霊さん」だとします。本霊さんが天に帰還された後、次に地上に生まれてくるのは、「分霊さん1」になるそうです。同じように、「分霊さん1」が天に帰還された後、次に地上に生まれてくるのは「分霊さん2」。。。→ 本霊さん → 分霊さん1 → 分霊さん2 →→ 分霊さん3 → 分霊さん4 → 分霊さん5 → 本霊さんの繰り返しで、本霊さんと分霊さん1~5がそれぞれ、地上で修業をさせて頂くことを繰り返しているそうです。また、「守護霊さん」という存在は、「次に生まれてくる自分」だそうです。今、地上で生かさせて頂いている自分の魂が「分霊さん3」であれば、その守護霊さんは、「分霊さん4」ということだそうです。「分霊さん5」が地上にいれば、その守護霊さんは「本霊さん」。。。「本霊さん」が地上にいれば、その守護霊さんは「分霊さん1」。。。ただし、「守護霊さん」とはいえ、1/6の自分であることに違いはない為、地上の自分を指導する力は、決して大きくはないそうです。稀に、同時期に1/6の魂2つ(2/6)が、地上に降り立つことがあるそうですが、それは、本人の魂の浄化や進歩に適した時代に、例外としてありうることだそうです。本霊さんは、本霊さんというリーダー的存在故に、分霊さん1~5が蒔いた種。。。地上で犯した過ちや間違いなどの業で清算されていないもの全てを背負うことになっているそうです。それ故に、本霊さんが地上に生まれた時は、大きな苦難や大きな試練があることが多いそうですが、乗り越えられないような苦難や試練はないようです。 (本霊さんご自身が、業の清算を通じて、 魂の修正や成長を遂げて、天に帰還するぞ! という意気込みで、自分で自分に課したものが 大きな試練故に、乗り越えられないことはない。。。 そういうことなのだそうです。)裏を返させて頂くと、大きな苦難だろうと、大きな試練だろうと、それらを乗り越えられるような心の器があるからこそ、「本霊さん」というリーダーが務まるのだと思うのです。今生の自分の人生は、自分の為だけの人生ではない。。。今生の自分の行いが、次に生まれてくる自分に引き継がれる。。。ということが良く分かると思うのです。 (地上で修業をしている1/6の魂の 地上における心のあり方、生き方、言動は、 天界にいる5/6が、順番に地上に生まれてくるときに、 引き継がれて大きく影響するということ。。。)今生の自分が善き心で善き行いをし、徳を積ませて頂けば、次に生まれてくる自分には善きことが。。。(善因善果)今生の自分が悪しき心で悪しき行いをし、業を増やせば、次に生まれてくる自分はその責を背負う。。。(悪因悪果)善きことも悪きこともバトンタッチして引き継いでいく。。。その引き継ぎは、自分から他人様ではなく、1/6の自分から、1/6の自分へ。。。次に地上に生まれ立つ魂の兄弟が、地上で心豊かに幸せに過ごせるようにする為には、今、地上で修業をさせて頂いている自分が、 良心に従って活かさせて頂くことを常とする。。。 人様のお役に立つことや人様にお喜び頂けることを 良心に従ってさせて頂く。。。 自分で自分に課した試練を乗り越える。。。ことによって、魂の修正や成長をさせて頂いたり、徳を積ませて頂くことが大切なのだと思うのです。その反対のことをすれば、自分で自分を貶めるだけでなく、次に地上に生まれ立つ魂の兄弟をも貶め、巡り巡って再び自分が生まれる時も、より大変になってしまう可能性がある、ということでもあると思うのです。自分一人で生かさせて頂いているわけではない私たち。。。自分と人様の関係において、「自分さえ良ければそれで良い」として、利己心で生かさせて頂くことは、自分で自分の首を絞めるようなものですが、自分(1/6)と自分の魂の兄弟(5/6)の関係もそれと同じようなものだと思うのです。地上にいるのは自分一人であったとしても、天界には5/6の魂の兄弟がいることを忘れず、その魂の兄弟が地上に生まれ立つときに、少しでも心豊かに幸せに過ごすことができるよう、 「魂の兄弟の為に自分が頑張ろう♪」という魂の兄弟を思い遣る心や魂の兄弟の為にという利他心を持たせて頂く。。。世界でたった一人の自分。。。掛け替えのない自分。。。掛け替えのない魂の兄弟。。。そういう魂の兄弟がいる自分だからこそ、 自分(1/6)で自分(5/6)を信じる。。。 自分(1/6)で自分(5/6)を大好きになる。。。 自分(1/6)で自分(5/6)を愛する。。。 自分(1/6)で自分(5/6)を大切にする。。。ことが大事なのだと思うのです。源光「人間は、修行のために異郷に生まれて来たのです。 生きることは心の故郷を異郷に実現させること。 愛の心で生きること。。 いつの日か心の故郷に、果たすべきことを果たして、 喜びを胸に還ることです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408120000/ 「生まれ変わるのは、地上に生ある時です。 還って来てからでは遅いのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209260000/ 「死なないで地上で、生きられる人は皆無です。 人は、地上に命がある時だけ 諸々の善行をなすことができるのですから、 せっかくの機会を大いに活かして、 帰還されますように。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201211090000/「人生は、途中で切り上げることができない 自分で決めた旅行であって、死は帰宅です。 素晴らしい経験を積んで、 土産話をたくさん持って帰ることですよ。 懐かしい故郷へ。。 そして次に出る用意をしている魂の兄弟姉妹に、 素晴らしいアドバイスを与えてください。 人生は楽しいよ。。笑顔を忘れないでね。。と。。」(ラクシュミーさん)「真っ直ぐの道。それは良心の道です。 懐かしい、魂の兄弟姉妹の待つ心の故郷へ 真っ直ぐに続く道。。。歩いていますか?」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201509240000/「地上に生を受けることは、降りる前に自分自身で決定していた、 路線に沿って魂を磨くということです。 無意味に生まれてきた人は、ただの一人も存在しないのです。 自分自身に誇りと夢を持って、活きて頂きたいと思います。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201310240000/「誰もが日々見ていながら、誰も気づかなかったことに気づくこと。 あなたの生涯研究の課題です。ゼロでもいいのですが、 心の故郷に三つも四つも持ち帰る人もいるのは事実です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403050000/ 「大切なのは心構えです。心的態度です。 天は、心でどう思ったか、どう考えたかを観ていますから、 偽善や形だけの善行は、ほとんど評価しないのです。 心的態度。。 これが、その人の才能や努力、知識以上に重要な要素です。 心を磨く。。 これが全てに優先するのです。。 幸運の鍵。。 いつでも渡す準備はできています。 あなたの心、純粋な心に期待して、待っています。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401050000/「無駄なものは何もなく、全ては必要なものです。 地上は、混沌としたものの中から、 真実の宝を見つけ出す修行の場なのです。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201310220000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201310230000/「今は一秒、一秒、過去になっています。 こちらに還ってくる時、一生は瞬きをする間だったなあ!!と、 ほとんどの人が感想を漏らします。 人は、今を心正しく誠実に生きることですよ!! この世を去る時に大後悔しないように!! 私は、全ての人に雲に乗って還っていただきたいのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210200000/「人間という舟を得たら、それで苦悩の大河を渡れ。 愚か者よ、惰眠を貪るな、この舟は、再び得がたい。」(ビシュヌさんの分霊さん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201201290000/「常に天法である心と対話してください。 人法の遥か上の境地で生きれば、 間違いの無い正しい生涯を全うできるのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201204020000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.03.28
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「幸せになるためには 何かを捨てなくてはならないのです。 営々と築きあげた地位や収入を捨てることも躊躇しないことです。 本当の幸せには代えられないからです。 本当の幸せは人を幸せにしたいという心です。」今、幸せを感じていないということは、今の心のあり方や、今の生き方、今の生活環境や生活習慣、生活のリズムなどが今の自分に合っていないからこそ、幸せを感じることができないのだと思うのです。「幸せになりたい!」といいながらも、幸せを感じることができないものに意味も無く執着してしまっていたり、大きな変化を恐れてしまっているが故に、いつまでも「幸せになりたい!」は実現できないと思うのです。本当に幸せになりたければ、今、幸せを感じることができない自分の心のあり方、生き方、生活環境、生活習慣、生活のリズムなどを思い切って変えてみる必要があると思うのです。「心のあり方を変えてみよう!」「生き方を変えてみよう!」「生活環境、習慣、リズムを変えてみよう!」と思うことはできても、なかなか行動に起こすことができない、ということがあると思うのです。それを行動に起こさせてくれるのが、勇気だと思うのです。変化を恐れない勇気。。。執着を捨てる勇気。。。勇気をもって、変化に立ち向かい、執着を捨てることができる。。。自分の心の叫びに従って、自由に生きているという実感だけでも、幸せを感じることができると思うのです。私たちは心ある人間であり、心こそ私たちの本質だと思うのです。それ故に、心が感じる心が満たされている状態を「幸せ」というのだと思うのです。ということは、「幸せ」は、それを感じることができる自分の心がなければ、例え、名誉や地位、権力、財産、肩書きをはじめ、どんなにか沢山の「もの」に恵まれていても、いつまでも「幸せ」を感じることはないと思うのです。逆の見方をさせて頂くと、名誉や地位、権力、財産、肩書きもなく、どんなにか「もの」に恵まれていなくても、「幸せ」を感じることができる心や足るを知る心が育まれていれば、いつでも、どこでも「幸せ」を感じることができる、ということでもあると思うのです。「幸せ」は心で感じるものであるが故に、「幸せ」を感じることができる自分の心を育ませて頂くことが大切だと思うのです。名誉や地位、権力、財産、肩書き、様々なものなど、この世的な「幸せ」と「思い込んでいるもの」、又は、この世的な「幸せ」と「思い込まされているもの」を手にさせて頂くことができたとしても、心で「幸せ」を感じていない限り、他に対する嫉妬心を抱いたりして、恨み、辛み、妬み、嫉み、不平や不満、愚痴、怒りなどを生み出してしまうのだと思うのです。「幸せ」になる為に名誉や地位、権力、財産、肩書きに頼ったり。。。「幸せ」になる為に様々なものに頼ったり。。。同じ名誉や地位、権力、財産、肩書き、様々なものでも「自分の心を満たしたい」という「欲」を満たす為に活かすのではなく、自分以外の人様が楽しみ、喜びを感じて下さるような、活かし方をさせて頂くことが大切だと思うのです。名誉や地位、権力、財産、肩書き、様々なものがあるから「幸せ」になれるのでもなければ、「幸せ」なのでもなく、「幸せ」だから、名誉や地位、権力、財産、肩書き、様々なものがついてくる、という感じであることが大切なのだと思うのです。見方を変えさせて頂くと、心が満たされていないから、自分の心を満たそうとして、自分の為に、名誉や地位、権力、財産、肩書き、様々なものを求めてしまうのだと思うのです。反対に、心が満たされていると、名誉や地位、権力、財産、肩書き、様々なものを求めなくても、「幸せ」に過ごさせて頂くことができると思うのです。自分一人で生かさせて頂いているわけではない私たち。。。自分が「幸せ」を感じているときであろうと、自分が「幸せ」を感じていない時であろうと、人様を思い遣る心、お互い様の心、優しい心、温かい心、豊かな心、助け合う心、分け合う心、支え合う心、協力し合う心をもって、自分の特技や能力を人様の為に活かさせて頂こう♪人様のお役に立たせて頂こう♪人様にお喜び頂けることをさせて頂こう♪という利他心をもって生かさせて頂くことが大切だと思うのです。自分が「幸せ」を感じているときに、人様のお役に立つことや、人様にお喜び頂けることをさせて頂いた結果、人様がお喜び下さり、笑顔を見せて下さったら、そのお喜びの姿や笑顔を見せて頂いた自分もまた更に「幸せ」になるばかりか、より嬉しくなり、より笑顔になると思うのです。自分が「幸せ」を感じていないときでも、人様のお役に立つことや、人様にお喜び頂けることをさせて頂いた結果、人様がお喜び下さり、笑顔を見せて下さったら、そのお喜びの姿や笑顔を見せて頂いた自分もまた嬉しくなり、笑顔になり、気付けば「幸せ」を感じていると思うのです。そういう 人様の喜びを自分の喜びにする。。。 人様の笑顔を自分の喜びにする。。。という利他の心で生かさせて頂き、人様に必要として頂けることこそ、自分一人で生かさせて頂いているわけではない私たちにとって、とても「幸せ」なことなのだと思うのです。だからこそ、「人様を幸せにしたい」という利他心を、良心に従って育ませて頂きたいものですね。源光「汝が何かを手に入れるには、 相応の代償を払う必要がある。 代償を払うことを惜しんではならない。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201109100000/「汝が大切なものを手放すならば、 もっと美しいものが手に入るであろう。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201110160000/「何か一つを手放してください。 それよりずっといいものがやってきますよ。 言い換えれば、何かを手放さない限り、 夢は手に入らないということです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201506230000/「自分が、大切にしている価値観や社会での立ち位置を手放したら、 それよりずっといいものがやってくることがあります。 だから人生は面白いのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312230000/「自分の中にどうしても譲れないものがあるはずです。 それを守ろうとするから苦しいのです。 壊してしまいませんか。。 新たな世界に進むために。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406060000/「長年、慣れ親しんだものを変える事は難しいのですが、 変えていかなければ、より良いものを 手に入れることはできないのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201303090000/「何かを勝ち取るには 何かを犠牲にしなければならない このことだけは覚えておいてください。」 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201602160000/「自分は生きているのではなく、「生かされている」という事実に気づきましょう。 本当の幸せは、あなたの心の中にあるのです。 幸せを追いかける人はいつまでも幸せになれず、 今、呼吸をしている幸せに気づく人が、 本当に幸せになれるのです。 まずは、生かされていることに感謝しましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401020002/「もっと幸せになる方法があります。 それは、自分の幸せを他人と分かち合うことです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201510110000/「小さな幸福を見つけたら、それをみんなに教えてあげましょう。 そうしたら、もう少し大きな幸福が見つかります。 同じことを繰り返すことですよ。 あなたと家族は最高の幸福に包まれることでしょう。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201203040000/「汝は、他人に幸福を分け与えることにより、 それと正比例して、自分の幸福を増加させることができる。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201112300000/「触れ合う人達に喜んで頂く時、 その人の心は最高の高みに達しているのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201203300000/ 「人は、他に対し善を行っている時、 自らに対して最善を行っているのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201206140000/「自分の幸福を人さまに分け与えましょう。。 この最高の手段を身につけている人は、 幸福を永久に持続させることができます。 」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201404210000/「幸せになりたければ、人からされたいと思うことを、 率先して自ら人にすればいいのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201404260000/「他人のための行いにこそ価値があります。 無償の愛。。それが人生の重要な秘訣のひとつです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406020001/「不幸になっていく人は、自分の喜びばかりを考えているのです。 人を喜ばせることを考えて生きていきましょう。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201207180000/「幸せの基準が他人に尊敬されたり、認められたり、 地位や収入を求めたり、異性にもてたり、 快楽を求めたりするところにある人は、 たとえそれが手に入っても心の底から幸せを味わうことはできません。。 幸せの基準は、もっと自分の魂が喜ぶ、心豊かなところにもちましょう。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407230001/「今日、触れ合う人を喜ばせて 今、現在に最善を尽くすこと。。。 今日を心豊かに過ごせば、 明日も明後日も。。。 ずっとずっと幸せの花が咲き続けます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201501120000/ 「人は心の美しさ。。。 太陽が朝を連れて来るように、 心美しい人は、今日も愛の光を連れて来るのです。 あなたの喜ぶ姿が私の喜びです。 人はこうして幸せになって行くのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405050001/「要は心が満たされればいいのです。 収入や名誉や地位や名声、財産など、どうでもいいことです。 現状がどうであれ、心が虚しいのであれば、 大言壮語していてもやはり虚しい人生です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412120000/「幸せの基準が他人に尊敬されたり、認められたり、 地位や収入を求めたり、異性にもてたり、 快楽を求めたりするところにある人は、 たとえそれが手に入っても心の底から幸せを味わうことはできません。。 幸せの基準は、もっと自分の魂が喜ぶ、 心豊かなところにもちましょう。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407230001/「愛するもの、輝くものを持っている人は、 心から幸せを感じて生きています。 物質的高価な物や、名誉や地位や財産、肩書きなど 他人がよいと思うものを持っているから幸せなのではありません。。 あなたは愛するもの、輝くものを持っていますか? まだ手に入れていない人もいますが、 それは、あなたの手の届くところに今もあります。。 そっと手を差し伸べてください。。そして愛おしんでください。。 あなたのために咲いた一輪の花を。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312050004/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.03.27
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「誰かの奉仕活動を 偽善だとか売名行為だとか批判するのなら その人が今までやってきたことを、 あなたも全てやってください。 それから堂々と批判してください。」奉仕活動。。。 利害を考えることなく、人様の為につくすこと。の意だそうです。奉仕活動と言っても、人それぞれの特技や能力が異なることを考えれば、その奉仕のあり方、活動の仕方は様々だと思うのです。自分の特技や能力を活かして、自分に出来ることをさせて頂くことで、人様のお役に立たせて頂けるなら。。。という純粋な気持ちから生まれた奉仕の心とその活動は、とても美しいものだと思うのです。例え、その奉仕活動が僅か一人の為であったとしても、その一人の方のお役に立つことができ、その一人の方にお喜び頂くことができ、その一人の方を笑顔にさせることができるのであれば、それは美しい奉仕活動だと思うのです。天がご覧になっている奉仕活動のあり方は、その奉仕活動の対象となる人様の頭数の多少や、人様からの評価の高さ、人気の高さなどではなく、その奉仕活動をされている方の人様を思い遣る心のあり方が美しいか否か、だと思うのです。 (どんなにか奉仕活動の対象となる人様の数が多くても、 人様からの評価が高く、人気も高かったとしても、 その奉仕活動をする時の心のあり方や言動が、 体裁ばかりを取り繕った心なきものであれば、 それこそ天から見れば、偽善や売名行為であり、 もはや、奉仕活動ではないと思うのです。)そのような人様の特技や能力を活かした個性的な奉仕活動について、さも自分は何でも分かっているかの如く、 ああだこうだと批判する方。。。 あることないこと誹謗中傷する方。。。が世の中にはいらっしゃると思うのです。人様がされている奉仕活動を批判したり、誹謗中傷しているにもかかわらず、 自ら立ち上げたことはない。。。 その苦労を経験したことがない。。。 その活動の素晴らしい点を見出すことができない。。。 その活動を応援する器量がない。。。ようでは、その方がされている批判や誹謗中傷こそ、信憑性に欠ける信に値しない言動だと思うのです。人様の奉仕活動を批判したり、誹謗中傷するのは、 自分ができないことを人様がしている。。。 人様が注目されているのが羨ましい。。。 自分が注目されないことに対する不満。。。などから、嫉妬しているが故だと思うのです。嫉妬しているからこそ、 「奉仕活動とは名ばかりで、あんなものは偽善だ!」 「あれは奉仕なんかじゃない!ただの売名行為だ!」などと批判したり、誹謗中傷するのだと思うのです。人様がされている奉仕活動について、ああだこうだと批判したり、誹謗中傷する時間や労力がある。。。それ即ち、暇なのだと思うのです。人様に嫉妬して、批判したり、誹謗中傷する時間や労力があるのであれば、その時間や労力を自分の特技や能力を活かした奉仕活動に投じた方が、よほど人様のお役に立つことができ、人様にお喜び頂けると思うのです。自ら奉仕活動をされるようになれば、人様がされている奉仕活動について、批判したり、誹謗中傷していた自分の愚かさが分かり、恥ずかしくなってくると思うのです。同時に、自分が自分の特技や能力を活かして人様のお役に立たせて頂こうと、頑張っている奉仕活動について、何もしたことがない他人に、ああだこうだと批判されたり、誹謗中傷されたら、どんな気持ちになるか。。。どんなに心が傷つくか。。。を思い知り、自分の人様に対する軽率で愚かな言動を後悔すると思うのです。人様がされていて、自分がしたことのないことは、自分がとやかく言う必要もなければ、言う資格もないと思うのです。もし、批判したり、何かを指摘したいのであれば、人様がそれまでされてきた様々な経験や苦労を、同じように体験させて頂き、相手の立場や相手のことを良く理解させて頂いてから、批判したり、指摘すれば良いと思うのです。それが出来ないのであれば、人様のことをああだこうだと批判したり、誹謗中傷するのではなく、 奉仕活動を頑張っている相手を尊重し、心から応援させて頂く。。。 批判するのではなく、自分なりの意見をお伝えさせて頂く。。。 自ら奉仕活動を立ち上げて頑張る。。。などのように、自分がされて嬉しくないことはせず、自分がされて嬉しいことをさせて頂けば良いと思うのです。そういう心のあり方こそ、奉仕活動に必要な心構えだと思うのです。源光「一所懸命やっている人を小馬鹿にするのは、 自分がかなわないから馬鹿にすることで逃げているのです。 本来、相手にするまでもない人です。 でも心の淋しい人ですから、 できれば愛を持って接してください。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201508100000/「たいしたことない人間ほど 人の夢にケチをつけたがるものですが、 そんな人は生涯何も出来ない人。。 相手にする方が間違っています。 人に笑われてバカにされた夢は 叶うと思って間違いありません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201402110000/ 「自分に自信の無い者は、他人の悪口を言い、 責任を押し付けて暗い坂道を降りていく。 汝は良心を友として生きよ。天に通じる道ゆえに。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201112280000/「思慮深くない人ほど、 おしゃべりで騒ぎ立てるものです。 噂話などは第三者の目で冷静沈着に観れば、 たちまち、事の真相、さらに深層が掴めるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201502220000/「深い川は静かに流れていきます。 分別のある人や思慮深い人は、 ゆったりとしていてやたらに騒がないのです。 中身がある人は悠然としていて、 出来ていない人ほど騒々しいものです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201501220000/「一つの命を救える人は、世界も救えるのです。 一つの善行ができる人は、世界の光の源です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408150000/ 「弱き者、懸命に生きている者を助けるのが、 汝の勤めであり、汝の幸せである。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201110020000/「あなたが、もっと精神的に強くなりたいと思うのなら、 弱い人をかばうことで強くなれます。 強い人のマネをしても弱くなるばかりです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406170000/「世の中が暗いと不平を言うよりも、 自分で進んで一本の明かりをつけていきましょう。。 一人ひとりの心に燈った小さな明かりも 何千本、何万本と集まっていけば、 この世の闇も消滅していくのです。 小さな一本の明かりでいいのです。 世の中に必要とされる人でありましょう。 この世で一番不幸なことは、飢えや病気ではなく、 この世で必要とされていないと感じるときなのですから。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407290000/「大切なのは心構えです。心的態度です。 天は、心でどう思ったか、どう考えたかを観ていますから、 偽善や形だけの善行は、ほとんど評価しないのです。 心的態度。。 これが、その人の才能や努力、知識以上に重要な要素です。 心を磨く。。 これが全てに優先するのです。。 幸運の鍵。。 いつでも渡す準備はできています。 あなたの心、純粋な心に期待して、待っています。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401050000/「いつも奉仕する機会を探して生きていきましょう。 決して、その機会を見逃してはいけないのです。 自分から、その機会を作りましょう。 機会を待つのではなく、作らないといけません。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201205290000/「他人のための行いにこそ価値があります。 無償の愛。。それが人生の重要な秘訣のひとつです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406020001/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.03.26
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「あなたがそこに居ることで 救われる人がいるのなら あなたは、そこに居るべきなのです。」ただ一緒に居て欲しい。。。ただ一緒に居てくれればそれでいい。。。自分を必要として下さっている。。。とても有り難いことだと思うのです。ただ、そこにいるだけでお役に立たせて頂けるのであれば、ただ、そこにいるだけでお喜び頂けるのであれば、その貴重なご奉仕の機会は大切にさせて頂くべきだと思うのです。 (急用など他の事情がある場合は、その諸事情や 相手のご希望に沿えない旨を、真摯に説明をさせて頂けば、 相手も快くご快諾下さると思うのです。 そして、一緒に居て頂けないことに対する 寂しさや悲しさも和らぐと思うのです。)相手に必要として頂けるという貴重なご奉仕の機会を与えて頂いているにもかかわらず、自分勝手な自分基準のものごとの見方で、 「一緒に居なくても大丈夫。。。」 「すべきことがないから一緒に居ても仕方がない。。。」 「何もできることがないから一緒に居る必要がない。。。」 「特に急用はないけど、自分にもやりたいことがある。。。」などと思ってしまうことがあると思うのです。それは相手の立場や気持ちを省みない利己的な考え故に、その考えから生まれた言動は、時に、相手を傷つけてしまいかねないと思うのです。いつの日か、自分の利己的な考えによって、相手を傷つけてしまったことを知れば、自分の相手に対する言動を後悔することになると思うのです。 (時には、後悔してもしきれない、という程に、 大後悔することにもなりかねないと思うのです。)そのようなことにならないように、相手の方が、 「ただ一緒に居て欲しい。。。」 「ただ一緒に居てくれればそれでいい。。。」という切なる思いを言葉にして下さった時は、相手の立場や気持ちを理解させて頂こうとする利他心をもって、優しく、親切にさせて頂くことがとても大切だと思うのです。それは、自分を必要として下さった相手に対する感謝の気持ちの表れであり、自分を必要として下さった相手に対する恩返しでもあると思うのです。自分を必要として頂いたことに心から感謝させて頂き、その時の自分が無理なく出来ることで快く応えさせて頂く。。。その結果、相手がお喜び下さり、笑顔になって下さる。。。その相手の様子を見て、自分も嬉しくなり笑顔になる。。。心ある人間同士の心と心の美しい繋がりであり、双方の心を満たしてくれる幸福感の素敵な循環だと思うのです。心と心の繋がりや、幸福感の循環は、その繋がりや循環を共有させて頂くことができる相手の存在があってこそだと思うのです。自分一人で生かさせて頂いているわけではない私たち。。。だからこそ、人様を思い遣る利他の心で、人様に親切に、優しくありたいものですね。自分が人様に対してとってきた姿勢は、巡り巡って、因果応報によって、何れ、人様が自分に対してとる姿勢にとなって現れるのだと思うのです。人様に親切にさせて頂けば、人様から親切にして頂ける。。。人様に優しくさせて頂けば、人様から優しくして頂ける。。。人様に不親切にすれば、人様から不親切にされる。。。人様を傷つければ、人様から傷つけられる。。。それだけのことだと思うのです。だからこそ、 自分がされて嬉しいことは、 人様にも積極的にさせて頂く。。。 自分がされて嬉しくないことは、 人様にも決してしないようにさせて頂く。。。という心持ちで生かさせて頂きたいものですね。源光「自分が社会の中で何か役立っている。。。 社会の中に自分の居場所がある。。。 自分を必要としている人がいる。。 なんて素敵なことでしょう。 お金があって、遊んで暮らしている人。。。 虚しさに心が張り裂けそうなのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412050000/「世の中が暗いと不平を言うよりも、 自分で進んで一本の明かりをつけていきましょう。。 一人ひとりの心に燈った小さな明かりも 何千本、何万本と集まっていけば、 この世の闇も消滅していくのです。 小さな一本の明かりでいいのです。 世の中に必要とされる人でありましょう。 この世で一番不幸なことは、飢えや病気ではなく、 この世で必要とされていないと感じるときなのですから。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407290000/ 「人様の利益を考えて、自分の時間を捧げれば、 肝心なときには、必ず、天が味方してくれます。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201204120000/ 「犠牲を払う価値のある人が傍にいることは幸せなことです。 たとえそれが敵であれ、味方であれ、 家族や友人であれ。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201508040000/ 「犠牲を払っても守りたい人がいる人は、幸せです。 自分一人で生きていくのは、やはり寂しいものです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403040002/「人は一人で生きて行くことはできません。 人は助け合う動物です。 ですから、努力してもどうにもならずに、 本当に困った時は人に助けて貰いましょう。 困っている人がいたらできる範囲で手を差し伸べましょう。。 ただ「借り」より、「貸し」が多い人生を心がけてください。 それだけであなたの人生は輝きます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312150000/「触れ合う人々を思い遣る心を習慣にしましょう。 自然な行いこそ、最大の美徳なのですから。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201212120000/「弱き者、懸命に生きている者を助けるのが、 汝の勤めであり、汝の幸せである。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201110020000/「汝、身体が丈夫ならば、杖にすがるとも人にすがるな。 心が丈夫ならば、人を助けよ。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201112090000/「人は、友愛の精神を持たなければなりません。 権利だけを手に入れようとしないことです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210010000/「あなたが扱われたいように、他人を扱いなさい。 汝が隣人からされたくないことを隣人に行ってはならない。 隣人を自分自身として見ることで、 人は正しい基準を得ることが出来る。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201107150001/「与える手は、どの手も美しいのです。 与えることは、自らを輝かせます。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201207050000/「人を喜ばせたいし、助けたい。 そういう人間になれば、幸運が舞い降りるであろう。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201108060000/「汝は、他人に幸福を分け与えることにより、 それと正比例して、自分の幸福を増加させることができる。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201112300000/「これを人に与えれば、私は何も食べられない。 このように考える者は、利己で餓鬼に生まれる。 これを私が食べれば、人に何も与えられない。 このように考える者は、利他で神々に生まれる。」(ビシュヌさんの分霊さん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201201310000/ 「千本の蝋燭の火は、一本の蝋燭より得る。 火を分け与え、蝋燭が短くなることはない。 同様に分け与え、幸福が失われることはない。」(ビシュヌさんの分霊さん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201201260000/ 「真心をもって人を助ければ、 必ず自分も人から助けられるのです。 嫌な思いを他人にさせれば、 必ず自分も人から嫌な思いを返されるのです。」 (ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408100000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408100001/「いつも奉仕する機会を探して生きていきましょう。 決して、その機会を見逃してはいけないのです。 自分から、その機会を作りましょう。 機会を待つのではなく、作らないといけません。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201205290000/「他人の役に立つ人生を心がけましょう。 今は、自分のことで精一杯で、他人の役に立てなくても、 絶対に他人を傷つけてはいけません。 他人を傷つけている限り、心の平安は決して訪れないからです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406100002/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.03.25
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「後世、人々がどのように、あなたを語ろうと 天はすべてを知っています。 日々、良心に恥じない言動で生きていきましょう。」魂の修正や成長をさせて頂く為に、地上という修業の場で生かさせて頂いている不完全な私たち。。。同じ地上で同じ時代を生かさせて頂いている者同士も同じ地上で異なる時代を生かさせて頂いている者同士も、不完全な者同士であることに変わりはないと思うのです。自分も不完全。。。自分以外の人様も不完全。。。不完全な自分が、不完全な自分以外の人様のことを、どのように語ろうと、不完全でしかないと思うのです。不完全な自分以外の人様が、不完全な自分のことを、どのようにお語り下さろうと、不完全でしかないと思うのです。同じ時代を生きている人様に何を語られようと、異なる時代を生きている人様に何を語られようと、所詮は、不完全な人間が、自分勝手な自分基準によるものごとの見方や心のあり方で、自分と同じ不完全な人間をああだこうだと言っているに過ぎないのだと思うのです。それならば、不完全な自分は、不完全な自分以外の人様のことについて、ああだこうだと語る前に、不完全な自分の魂の修正や成長が進むよう、自分に恥じない、良心に恥じない生き方をさせて頂いた方が良いと思うのです。反対に、不完全な自分以外の人様に、不完全な自分のことについて、ああだこうだと語られても、不完全な人間が言っていること故に、相手にする必要も、気にする必要もないと思うのです。同じ相手にするのであれば、自分と同じ不完全な人間の言うことではなく、 「何が正しいかその全てを知っている良心」を授けて下さった天を相手にさせて頂き、天にも、良心にも、自分にも恥じない生き方をさせて頂くべきだと思うのです。同じ気にするのであれば、自分と同じ不完全な人間の言うことではなく、 日々の自分の言動が良心に恥じていないか否か。。。 日々の自分の言動に責任を持っているか否か。。。 日々の自分の言行が一致しているか否か。。。 その言行一致は良心に従った良心言行一致になっているか否か。。。を気にさせて頂くべきだと思うのです。修行の場である地上における、私たちの心のあり方や生き方、様々な言動の1つ1つが、魂の修正や成長を促す良心に従ったものか否かは、不完全な私たちが決めるようなことではなく、 「何が正しいかその全てを知っている良心」をお授け下さった天に他ならないと思うのです。それならば、自分と同じ不完全な人様に 自分はどのような評価をされるのか。。。 自分はどのように語られるのか。。。などという人様の目は気にせず、魂の修正や成長を正しく導いて下さる心の羅針盤である 「何が正しいかその全てを知っている良心」に素直に従い、自分らしく生かさせて頂いていれば、それで良いのだと思うのです。=良心に従う生き方==自分に恥じない生き方==天に恥じない生き方==魂の修正や成長を促す生き方==魂が喜ぶ生き方==天に通じる生き方=故に、天から授かった良心に従って、生かさせて頂きたいものですね。反対は、=良心に恥じる生き方==自分に恥じる生き方==天に恥じる生き方==魂の修正すべき点を増やす生き方==魂が後悔する生き方==悪や魔に心を支配される生き方=ということになると思うのです。どちらの生き方をさせて頂くのかは、私たち一人一人の自由だと思うのですが、魂の修正や成長をさせて頂く為に、地上という修業の場に生を与えて頂いている、ということを考えると、前者の生き方こそ、私たちの魂が望む生き方だと思うのです。--------努力する姿であろうと、良心に従っている姿であろうと、頑張っている姿であろうと、楽しんでいる姿であろうと、人様に親切にしている姿であろうと、自分に嘘をついている姿であろうと、自分で自分を騙している姿であろうと、悲しんでいる姿であろうと、辛く苦しんでいる姿であろうと、怠惰な姿であろうと、良心に背いている姿であろうと、体裁を取り繕っている姿であろうと、格好を付けている姿であろうと、見栄を張っている姿であろうと、人様に嘘をついている姿であろうと、人様を騙している姿であろうと、弁解している姿であろうと、それが人目につこうとつくまいと、天は常に、私たちを見ていらっしゃられるのだと思うのです。天が私たちの姿や心のあり方の全てを見て下さっているのと同じように、私たちの魂、つまり自分自身も、この世における自分の姿や心のあり方の全てを見ていると思うのです。私たちは、自分の姿や心のあり方の全てを、天が見て下さっていること。。。自分の魂(自分自身)が自分を見ていること。。。の両方を心のどこかで感じていると思うのです。だからこそ、 自分に恥じることのない生き方。。。 良心に素直に従った生き方。。。 誠実で真面目な生き方。。。コツコツと地道に努力を継続する生き方。。。をさせて頂きたいものですね。それも、 「天に見られているから。。。」 「天に評価されたいから。。。」 「自分の魂が見ているから。。。」 「誰かが見ているから。。。」などのような、天や他者の目、人様の顔色を気にした理由ではなく、 「より幸せな人生を過ごさせて頂く為に♪ そして自分の幸せを人様にお裾分けさせて頂く為に♪」 「自分の努力が人様のお役に立つことや、 人様にお喜び頂ける何かに活かせますように♪」などのような利他心という愛の心が添えてある生き方をさせて頂きたいものですね。--------誰にも見られていない。。。誰にも知られていない。。。と自分に言い聞かせたり、勝手に思い込み、悪事や不正を繰り返して、業を積み重ねていることに気づかない、気づけない。。。この世的には上手く過ごしているように見えても、その実態は、業を積み重ね続けている生き地獄。。。それこそお気の毒なことだと思うのです。誰にも見られず、誰にも知られていないかもしれませんが、 「誰にも見られていない」 「誰にも知られていない」と思っている自分の心。。。 「本当は良くないことをしている」と思っている自分の心があることを実は自分が一番良く分かっている筈だと思うのです。そしてそれは、天に筒抜け。。。天はお見通し。。。地上の大自然にも筒抜け。。。大自然はお見通し。。。秘め事を聞きつける者もあり。。。時にはそれが裏切り者であることも。。。堂々とすることができない。。。隠れてコソコソしなければできない。。。そういう自分に嘘をついたり、自分を騙したり、自分を裏切るようなことをすることのないような自分でありたいものですね。死して今生の自分の人生を客観的に顧みさせて頂いた時、良心に背いた心のあり方による悪行三昧の言動の人生に死んでも死にきれないような後悔をするのは、自分で自分に嘘を付き、自分で自分を騙し続け、自分で自分を裏切ってきたからに他ならないと思うのです。自分で自分に嘘をつくことは、人様に対しても嘘をついていることと同じ。。。自分で自分を騙し続けることは、人様をも騙し続けていることと同じ。。。自分で自分を裏切るということは、人様をも裏切っていることと同じ。。。だからこそ、魂の修正や成長をさせて頂く為の修行の場として与えて頂いた地上での人生は、良心に従って生かさせて頂きたいものですね。「誰にも見られていないから大丈夫。。。 誰にもばれていないから大丈夫。。。 という考え方やコソコソとしている態度。。。 それこそ、自分で悪いことをしている。。。 と心のどこかで感じている証拠だなぁ~♪ それを感じさせてくれているのが良心なんだなぁ~♪ 自分に嘘を付くのは止めよう♪ 自分を騙すのは止めよう♪ 自分を裏切るのは止めよう♪ 良心に従って生かさせて頂こう♪」という感じで、自分で自分を律し、反省させて頂き、自分で自分を良い方向へコントロールさせて頂く。。。それが「良心に従って生かさせて頂く」という事なのだと思うのです。源光「誰も見る人もいないのに美しく咲く花。。。 人もそうありたいものです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201603060000/「人が見ていようといまいと、 正しき言動の出来る人でありましょう。 天は全てを知っています。 地上での勝ち負けは、 大した問題ではないのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201310010000/「天は、全てを知っています。 何を考えたか、心の中までも。。 ですから心正しく生きなければ、 この世を去る時に大後悔するのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209140000/「誰も見ていないようでも 全てを観ている存在があるのです。 あなたの日々の行動の全ては記録されているのです。 もちろん心の中で思ったことも。。。 良心に恥じることができるはずもありません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201506190000/「花は咲く場所を選びません。。 あなたの歩む道にも咲いています。 路肩に咲いている名も無い花に語りかけて下さい。 生きる意味を教えてくれることでしょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403070000/「大切なのは心構えです。心的態度です。 天は、心でどう思ったか、どう考えたかを観ていますから、 偽善や形だけの善行は、ほとんど評価しないのです。 心的態度。。 これが、その人の才能や努力、知識以上に重要な要素です。 心を磨く。。 これが全てに優先するのです。。 幸運の鍵。。 いつでも渡す準備はできています。 あなたの心、純粋な心に期待して、待っています。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401050000/「正しい心で誠意を尽くして生きていく。。 今日も、ただそれだけでいいのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409010000/「この世を生きてゆくには誠実の一語です。。 誠実とは何をするにも真心を尽くす事、 すなわちいつわらない事、あざむかない事です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409190001/「人間は、その人がどういう人生を歩んできたのか、 苦しい経験を積んできたのかではなく、事が起きた際に、 良心に従って正しく行動したかどうかで価値が決まるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201410160002/「人間として一番大切なのは、頭の良し悪しではなく、心の良し悪しです。 幸せになるのも頭の良し悪しではなく、心の良し悪しです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201404100000/「信じようと信じまいと 唯物論者、無宗教者であろうと 人は誰でも見守っている存在があります。 誰も見ていないようでも全てを観ている存在がいて 心の中で思ったことまで知っている。。。 良心に恥じることができるはずもないのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201601060000/ 「自分の信じる道を真っ直ぐに歩んで行けばよいのです。 あなたの道を。。。 良心という道標があるのならば、 指導の存在、守護の存在は、随所であなたにアドバイスを与え、 奇跡を降ろして必ずあなたを助けるでありましょう。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201505120000/「人は生き通し。。。決して死なない存在です。 誰も見ていなくても心正しく良心に恥じない自分でありましょう。 因果応報の法則は紛れも無い事実なのですから。。。(一部抜粋)」(ラクシュミーさん)「人は生き通しなのです。。。 肉体は船。。。心が船頭さん。。。 船は乗り捨てて。。。心の旅は永遠に続くのです。 良縁は良縁として。。。悪縁は悪縁として次の船に引き継がれるのです。 今を良心に従って正しく明るく生きることですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201507210000/「人生は有限です。 ですから他人の気に入るような行動をするよりも、 良心に忠実に、自分を尊敬し、自分が満足できるような 行動をとるべきです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312060000/「他人の目を気にせず、おおらかに自分らしく個性的に生きることだと思います。 この世的権威や、お金など、死後は無価値となってしまうのですが、 唯一つ「心」だけは持って還れるのです。 「心」こそ宝ですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210100000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.03.24
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「自分が自分自身に出会う、 彼女が彼女自身に出会う、 お互いが相手の中に 自分自身を発見する。 それが運命的な出会いというもの。。。」「初めまして」であるにもかかわらず、どこかでお逢いしていたかのように感じる。。。どこかで見たことがあるように感じる。。。相手の目を見たことがあるように感じる。。。ずっと一緒に居たような感覚を覚える。。。心が和むような懐かしさを覚える。。。何とも言えない心地良さを覚える。。。一緒に居ると安らぐ。。。癒される。。。ありのままの自然体の自分でいることができる。。。「俺ってこんなだったっけ?」「私ってこんな風だったかしら?」と思ってしまうような自分でも気付いていない自分に気付く。。。「この人と出逢う為に生きてきた気がする。。。」「一緒に居る時のこの安らぎ。。。 今まで感じたことがないけど、 ずっと前からこうしていた気がする。。。」と思ってしまう程に、相手の中に自分を見つける。。。それまでの出逢いでは感じたことがないような上記のような心地良い感覚、魂が喜んでいる感覚に包まれる。。。そういう出逢いだからこそ、運命の出逢いなのだと思うのです。一緒にいることができる幸せ。。。一緒に食事することができる幸せ。。。一緒に散歩することができる幸せ。。。一緒に暮らすことができる幸せ。。。一緒に寝ることができる幸せ。。。一緒にいる人を愛する幸せ。。。一緒にいる人に愛される幸せ。。。一緒にいる人の為に生きることの幸せ。。。(それが自分の為にもなっている幸せ。。。)一緒にいる人のお陰様で自分の存在意義を感じることができる幸せ。。。などなど。お金さんやものでは決して満たされることのない心の充足感、幸福感、高揚感、一体感の中に、お互いがお互いの中に心と心の繋がりを感じ、相手の中に自分の居場所を見つけ、自分の中の相手の存在感の大きさを知り、助け合い、支え合い、分け合い、協力し合い、愛し合うことができる。。。それが生まれる前に約束してきた約束の人。。。運命の人。。。なのだと思うのです。これほどまでに心豊かな幸せはないと思うのです。各々が各々として生かさせて頂きながらも、各々が各々の一部にもなっている。。。「夫(男)」と「妻(女)」、身体や性は個に分かれていても、夫婦になれば二人で一つ。。。今生を共にする運命共同体だと思うのです。深い信頼関係が育まれれば育まれるほど、それが形作るものは、二人の愛が一つに纏まった一心同体という愛の姿だと思うのです。そのような運命の出逢いをお迎えするには、各々がその出逢いを迎えることができるような、心の準備が整っている必要があるのだと思うのです。その心の準備が整っていない間は、心の準備をを整える為に、様々な出逢いや別れを通じて、色々なことを経験させて頂くと思うのです。そのような様々な経験をさせて頂き、各々の心が育まれ、各々の準備が整ったときに、思いもよらない偶然を装った必然で、運命の出逢いを与えて頂くのだと思うのです。時に、ただ出逢いが「欲しい」あまり、運命の出逢いを求めて急いてしまうあまり、 運命の人ではない方を運命の人と思い込んだり。。。 運命の出逢いではないのに運命の出逢いと思い込んだり。。。してしまうことがあると思うのです。それでは、運命の人との運命の出逢いがどんどん遠ざかってしまうだけだと思うのです。運命の人との運命の出逢いは、それを「欲しい」と思うことでお迎えできるものではなく、各々の心の準備が整って初めてお迎えできるものだと思うのです。約束の人、運命の人と異なる人と結婚をして、辛く苦しい人生を歩んでしまうことのないように、 自分で自分を冷静に、客観的に見ること。。。 相手が伴侶として相応しいかを冷静に、客観的に見ること。。。が大切なのだと思うのです。源光 「今まで努力してきたことや夢見ていた人生が、 自分にとって幸せかどうかは分からないのです。 ふとした出逢いで、チャンスに巡り合って、将来が開けそうな時は、 自分で作った人生設計を思い切って見直す方が良いかもしれません。 あらゆる障害を乗り越えて、どうしても一緒にならなければならなかった 夫婦もあるのです。真実の幸せを掴むために。。 約束の子供に出逢うために。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312190000/「一人では、いくら努力しても、どうしても掴めなかった幸せを 彼(彼女)が持ってきた!! これが運命の出逢いですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407110001/「価値観を共有しながらも、 いつまでたっても新鮮な驚きのある人。。 これが約束の彼(彼女)なのです。 あなたはもう運命の人と出逢いましたか? 愛し合い、許し合い、助け合う夫婦。。 笑顔溢れる仲良し親子。。 永遠の家族。。 これが地上の幸せの極致なのです。」 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312270001/「言葉や文字を使わなくても、 互いの気持ちが通じ合う。。。 本当に深いところで繋がっている 真実の夫婦や親子、友人関係は、 自然なものなのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201501230000/ 「いっしょに「いる」ということ。 それだけで幸せ。。。 これこそが結婚の本質。。。 家族の本質です。。。。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201410310000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201410310001/ 「以心伝心で 思うことが言葉に表さなくても心から心へと伝わり 一蓮托生で行動や運命を最後まで共にすることが ごく自然にできる、あったかい夫婦。。。親子。。。 これが遥か昔から何度も何度も家族を繰り返している 縁ある夫婦、親子なのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201505060000/「目がさめて愛する人が傍にいる。。。 なんて幸せ。。。 さあ愛する人のために働こう。今日も笑顔で頑張ろう。。 永遠の家族とは、こういうものですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311280000/ 「価値観を共有しながらも、 いつまでたっても新鮮な驚きのある人。。 これが約束の彼(彼女)なのです。 あなたはもう運命の人と出逢いましたか? 愛し合い、許し合い、助け合う夫婦。。 笑顔溢れる仲良し親子。。永遠の家族。。 これが地上の幸せの極致なのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312270001/「永遠の夫婦とは愛する事を教えてくれた大好きなあなたを、 永遠に愛して生きるものです。 これを究極の愛といい、永遠の幸せが約束された夫婦なのです。」ラクシュミーさん http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201402060000/「偶然を装った必然で出逢い、 愛を育み、互いを見つめ合い、 結婚後は、ともに同じ方向を見つめることができるなら、 一人では決して到達できなかった美しい世界に到達できるのです。 人生を大いに楽しんで、 約束の子供と出逢い、家族で幸せを謳歌してください。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407040000/「一人では、いくら努力しても、どうしても掴めなかった幸せを 彼(彼女)が持ってきた!! これが運命の出逢いですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407110001/「物語は、今日、ここから始まるのです。 運命の出逢いとはそういうものです。 一見、風采の上がらない、ぼ~~~~っとした人。。 福の神の可能性が高いのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409120000/「世の中でもっとも重要な出逢いは、 夫婦の出逢いです。(一部抜粋)」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403130000/ 【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.03.23
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「天使があなたを嫌っているのではなく、 あなたが天使を嫌っているのです。」天使さん。。。 ・神の使者として神と人との仲介をつとめるもの。(エンジェル) ・やさしい心で,人をいたわる人。 ・天子(天上界の人)の使者。勅使。という意だそうです。天は、地上で修業をさせて頂いている私たちの心のあり方や言動、生き方が、天法の写しである良心に従っていようといまいと、好き、嫌い、などの主観に関係なく、無償の愛を以ていつも優しくお見守り下さっていると思うのです。地上的視点では、その無償の愛による優しさが、時に、 「厳しい」 「(私たちを)嫌っている」 「助けてくれない」 「何もしてくれない」などのように見えたり、感じたりしてしまうことがあるものですが、それは、自分が天に願ったり、期待したことが、 思い通りにならない。。。 願い通りにならない。。。 期待通りにならない。。。ことに対して、自ら生み出した被害妄想による不平不満、愚痴、怒りなどの矛先を天に向けている大変失礼な姿勢だと思うのです。「天に何かを与えて頂こう」「何かをして頂こう」など、何かを要求しようとして、天に願い、天に期待しているのが自分であることは棚に上げているにもかかわらず。。。日頃、平穏無事に生かさせて頂いていることに対する感謝の心さえ持たずに過ごしている者が、自分が困った時だけ 「助けて下さい」 「〇〇を与えて下さい」 「〇〇して下さい」などと要求する自分勝手で我儘な自分のことしか考えていない、自分さえ良ければそれで良い、という利己的な姿勢は省みないにもかかわらず。。。自分が天に願い、期待したことが思い通りに、願い通りに、期待通りにならないと、 「厳しい。。。」 「(私たちを)嫌っている。。。」 「助けてくれない。。。」 「何もしてくれない。。。」などと言ったり思ってしまう。。。もし、私たちが天や天使さんのお立場にあったなら、地上で修業をしている方の心のあり方や言動が、自分勝手で我儘、利己的な上に、感謝の心さえない、というとき 要求された通りに。。。 願い通りに。。。 期待通りに。。。して差し上げたいと思えるかどうかを考えるべきだと思うのです。天や天使さんからすれば、 「あなた様の要求通りに、願い通りに、 期待通りにすることは至って簡単なことです。 しかしながら、 今のあなた様の要求や願い、期待にはお応えできません。 なぜなら、あなた様の魂の修行を妨げることになるからです。 日々生かされていることに感謝して下さい。。。 感謝の心無き方。。。 理性的な言動ができない方。。。 良心に従わない方。。。 の要求、願い、期待に応えれば、 ~何でも自分の思い通りになる~ と増長し、傲慢になり、 修正すべき点を増やすばかりだからです。 今のあなた様ご自身を客観的にご覧ください。 天があなた様の要求、願い、期待に応えないだけで、 あなた様は、厳しい、(私たちを)嫌っている、 助けてくれない、何もしてくれない、などの被害妄想を生み出し、 不平不満、愚痴、怒りを生み出すばかり。。。 天はそういう要求や願い、期待に応えませんが、 それに応える存在があります。それは悪魔です。 悪魔は、感謝の心無き生き方、理性や良心に従わない生き方をし、 不平不満、愚痴、怒り、恨み、辛み、嫉み、嫉みを生み出す 自分勝手で我儘な者の想念を餌にしています。 その餌をえる為に、あなた様の要求、願い、期待に応えます。 その代償は、あなた様の心は悪魔に支配されることになるのです。 悪魔に同通するような心で生きるのも自由。。。 天に同通するような心で生きる努力をするのも自由です。。。 天はあなた様の自由を妨げることはありません。 ただし、その自由の代償として、あなた様は自分の心のあり方、 言動、生き方に対する責任を常に背負っていることを忘れないで下さい。 あなた様は、魂の修正や成長の為に地上で修業をされています。 地上に誕生する時より、天に帰還する時の方が、 少しでも魂が磨かれ美しくなっていること。。。 それがあなた様の魂の喜びです。 地上にいる間に悪魔に心を支配され、 生きながらにして地獄。。。死しても地獄。。。 あなた様の魂が、否、あなた様ご自身が苦しむことになります。 感謝の心無き方。。。 理性的な言動ができない方。。。 良心に従わない方。。。 は、地上的には楽だったり、 成功したりするかもしれませんが、 「心のあり方」を見ている天から見れば、 自分で自分を貶める生き方に他ならないのです。 天は、あなた様が地上に生まれる時に、 【何が正しいかその全てを知っている良心】 という天法の写しを差し上げました。 その心の羅針盤に従うか否かはあなた様の自由ですが、 天は、理性と良心を以て、反省の心、感謝の心、報恩の心を養い、 心を磨き、心正しく、心美しく生きている方を応援しています。」というお気持ちだと思うのです。私たちがどのような心のあり方であろうと、どのような言動、生き方を仕様と、天や天使さんたちは、無償の愛や光をいつも与え続けて下さっていると思うのです。その無償の愛や光を感じさせて頂くことができないのは、無償の愛や光を与えて下さる天や天使さんの波長が、穏やさ、優しさ、温かさ、豊かさ、繊細さなど、利他を思い遣る愛に満ち溢れているものであるのに対し、地上の私たちの放つ波長が、他者に対して粗々しい、刺々しい、冷たい、貧しい、乏しいなど、自分さえ良ければそれで良い、という自分勝手で我儘な利己的なものだからだと思うのです。天や天使さんが無償の愛や光を与え続けて下さっていること。。。そして、それに気付くことさえできない波長を放つ自分であること。。。という事実を知らない、気付けない自分であるにもかかわらず、天や天使さんたちに、ああだこうだと不平不満、愚痴、文句などを並べ立ててしまうからこそ、余計に天や天使さんの波長との距離ができてしまうのだと思うのです。 (自ら、天や天使さんたちを遠ざけている、ということだと思うのです。 それが「あなたが天使を嫌っているのです。」の位だと思うのです。)修行の場であるこの世で生かさせて頂いている私たちは、試練や苦難という境遇に遭遇すると、天や天使さんなどに助けを求めたりすることが多いと思うのですが、試練や苦難は魂の修正や成長の為に必要な境遇故に、天や天使さんが私たちの望むように私たちを助けることは、かえって、私たちの魂の修正や成長を妨げることになってしまうと思うのです。天や天使さんのお気持ちとしては、地上で良心に従いながら、頑張って、頑張って、耐えに耐えて生きている人々を見れば、 「助けたい。。。」 「与えたい。。。」という思いが込み上げてくると思うのです。そういう思いがあったとしても、魂の修正や成長の為に自らこの世に生まれることを決めてきた私たち人間の修行の邪魔をしてはならないと、ぐっと堪えて、私たちが抱く要求や願い、期待にはお応えにならないのだと思うのです。天や天使さんが、ぐっと堪えて下さるその姿勢は、地上で頑張り、耐えている私たちの心の苦しみを共有して下さっているようなものだと思うのです。天の無償の愛や光の表現は、そのような人知の及ばない深遠なものなのだと思うのです。それ故に、 「天や天使は私たちを嫌っている!」などと理不尽なことを言われたり、思われても、私たちに無償の愛や光を与え続けて下さるのだと思うのです。全ては与えて頂いているものだと思うのです。天や天使さんの無償の愛や光を与えて頂くことなくして、生かさせて頂くことなどできないのだと思うのです。魂の修正や成長をさせて頂く為に、この世に生まれた私たちに、修行の場であるこの世や、大自然をはじめとするこの世の全てのもの、そして、生まれる機会を与えて下さっている天や、事あるごとにサポートして下さろうとする天使さんに対しては、感謝の心を持たせて頂くことが何よりも大切だと思うのです。源光 「悪魔があなたを誘惑するのではなく、 あなたが悪魔を誘惑するのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403150000/「神様は、あなたが「願ったもの」を 天からストレートに降ろすことはほとんどありません。。 願ったものを手に入れるために「必要なもの」を降ろしてくれるのです。 それは今、自分が必要としないものかもしれません。 しかし、それが願ったものを手に入れるために必要なものなのだと、 感謝して謙虚に受け入れることが大切です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401160002/ 「苦しい時、神頼みをする人。 神は、あなたを愛の心で突き放します。 苦しい時、懸命に歯を食いしばって頑張る人。 神は、あなたを助けます。。 最もよく人を幸せにする人が 最もよく幸せになります。 これは、人類が誕生して以来、不変の法則です。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311080000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311090000/「幸運の女神と握手できるかできないか。。 邪念があるかないか。。ということです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201208200000/「神が、全ての人の願いを適えたら、 人類は滅びるのです。 人間に有害なものを、人々が要求するからです。 天からの贈物は慎重な審査を経て下ろされるものです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201208260000/「汝は、毎日欠かさず、◯◯さんのおかげで幸せです。 有難うございます。と唱えよ。 決して◯◯をして欲しいと注文をしてはいけない。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201109180000/「幸運は雨を連れてやってくるのですが、 普通の人は、戸を閉めて追い返してしまうのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201207200000/「自分に自信の無い者は、他人の悪口を言い、 責任を押し付けて暗い坂道を降りていく。 汝は良心を友として生きよ。天に通じる道ゆえに。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201112280000/「汝、自らを律する、心の声に従い、雑念を祓はねばならぬ。 雑念が見えない壁となって天からの贈り物を阻んでいるのだから。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201110280000/「善心は幸運を呼ぶ。なぜならば善神と心が通じるからだ。 汝、悪心に惑わされることなかれ。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201112140000/「優しい心で生きる時に聞こえる声は真実の声ですが、 邪念を持った時に聞こえる声は、偽りの声です。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201205030000/「すべてが、心の働きの現われです。 強力な魔は、自我の盲信から生まれて、 残忍なる魔は、思考の仕組から生まれるのです。 それらを内から、良心に従って調伏するのが修行なのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201205120000/「悪意に対抗できるのは、 悪意ではなく、善意のみです。」 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201205220000/「蝿と友達になればゴミの中に連れて行かれるのです。 蝶と友達になれば、花園へ連れて行ってくれます。 しかし地上の蝿は、きらびやかに装って見えますし、 蝶は、さほど美しくも見えないのです。 心眼で観なければなりません。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201207220000/「汝が最もだましやすい人は、汝自身である。 汝の想いは、善にも悪にも通じる。 善き方に想いを巡らせなさい。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201107310000/「悪と善。。両面を持つのが人間です。 悪が無ければ善の何たるかも分かりません。 また必要悪というものも存在します。 ある場面では悪い人と思っても、 違う場面では良い人のこともあります。 その逆もあり、善人悪人の区別はできるものではありません。 しかし誰もが持って産まれた良心という鏡に照らして行動するならば、 人は決して悪の道に迷い込むことは無いのです。 良心の道は天啓を得る唯一の道ですよ。 真っ直ぐに天に続く道を歩んでいきましょう。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311100000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311110000/「汝の良心は全てを知っている。 誰が正しいかではなく、 何が正しいかということを。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201110220000/「汝は、常に自分自身の選択によって行動することができるが、 良心の命ずるままに行動するのが天命を果たす道である。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201110060000/「良心に従えば豊かになり、欲に従えば危うし。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201108090000/「常に天法である心と対話してください。 人法の遥か上の境地で生きれば、 間違いの無い正しい生涯を全うできるのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201204020000/「天法は、人法の遥か上にあるのですから、 決して良心に逆らってはいけません。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201203250000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.03.22
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「人と比べるのではなく、 過去の自分と比べてみるのです。 今の方が進歩しているのなら それはあなたの精進の成果です。」私たちは、一人一人が個性溢れる存在で、 生まれた日や生まれた場所、容姿や年齢、性格、育ってきた環境、培ってきた様々な経験、感性、特技、能力、ものごとの見方や捉え方、考え方、生き方、趣味、嗜好、好きなもの、嫌いなもの、得意なもの、苦手なもの、ものごとに対する価値観、魂のレベルなど、様々な点において、十人十色、千差万別で、共通している点といえば、「心ある人間同士」ということくらいだと思うのです。私たち一人一人は殆どが異なっていて、生き方などの土俵も異なっていることを考えれば、人様と自分を比較しても仕方がないばかりか、大した意味さえないと思うのです。 (自分と人様を比較することに意味がないことを考えれば、 比較する為の基準などあるわけがないと思うのですが、 それにもかかわらず、自分と人様を比較したくなる自分がいるが故に、 自分勝手な比較基準によって比較して、そこに何らかの意味を 持たせようとしているだけだと思うのです。)自分勝手な比較基準によって、人様と自分を比較して優位を感じたとしても、それはただの自己満足でしかないと思うのです。 (或いは、人様の勝手な比較基準によって、 人様と自分を比較され、優秀だと評価されても、 自分で納得、満足できていなければ、 その評価は何の意味も持たないと思うのです。)同じように、人様と自分を比較して劣位を感じたとしても、それはただの被害妄想だったり、思い込み、嫉妬などでしかないと思うのです。 (或いは、人様の勝手な比較基準によって、 人様と自分を比較され、平凡・劣等と評価されても、 所詮は人様の無責任な勝手な比較基準によるもの故に、 気にする必要はないと思うのです。 自分で納得、満足できているのであれば、 人様にとやかく言われる筋合いはないと思うのです。)自分と人様を自分勝手な自分基準で比較したことについて、はたまた、自分と人様を勝手な人様基準で比較されたことについて、その都度、一喜一憂してしまう。。。それだけ人様に左右されているということだと思うのです。表現を変えさせて頂くと、自分らしく、ありのままの自分、自然体の自分で生きていない、ということに他ならないと思うのです。「自分」という意識を持って生かさせて頂いているにもかかわらず、人様と自分を自分勝手に比較して、又は、比較されて、一喜一憂する為に、自分らしさ、ありのままの自分、自然体の自分を大切にせずに生きるというのは、自分で自分を貶めているだけでなく、自分に対する侮蔑以外の何ものでもないと思うのです。自分は自分。。。人様は人様。。。私たちは、自分らしく、ありのままの自分、自然体の自分で生かさせて頂く為に「自分」という意識や個性、特技、能力を与えて頂いているということを、忘れてはいけないと思うのです。自分という意識や、個性、特技、能力を授かっている意味や大切さを知れば知るほど、人様と自分を比較することには意味がない、ということが分かってくると思うのです。魂の修正や成長をさせて頂く為に、この世と言う修行の場に生まれる機会を与えて頂いている私たち。。。明日を今日よりも、より良く過ごさせて頂くことができるように、今日を昨日よりも、より良く過ごさせて頂くことができるように、自分の言動を冷静に、客観的視点で監視し、自分を律しながら、良心に従って生かさせて頂くことが大切だと思うのです。日々是反省。。。日々是修正。。。時に、私たちは不完全な人間故に、 「昨日より今日の方が良くなかった。。。」ということが、良くあるものだと思うのです。そのようなとき、 「あぁ~。。。またやってしまった。。。 駄目だなぁ、私は。。。」などと意気消沈したり、 「どうして私はこんなにダメなんだ!!」などと自分で自分を責めるのではなく、 「あぁ~、またやっちゃったよ。。。 今からまた気を付けようっと♪」という感じで明るく反省させて頂き、前向き、積極的、肯定的に今日や明日を過ごさせて頂けば、それで良いのだと思うのです。「気を付けようっと♪」と意識したことが、自分の中で少しでも進歩したと思うことができた時は、自分で自分を褒めてあげることによって、明日には更に進歩しやすくなると思うのです。進歩したと思うことができているにもかかわらず、 「まだまだ、これくらいでは褒められたものじゃない!」として、あまり自分に厳し過ぎてしまうと、息苦しくなったり、ストレスが溜まって、かえって逆効果になってしまうことさえあると思うのです。だからこそ、自分を甘やかさない程度に、かつ、自分に厳し過ぎない程度に、そして、余計な背伸びをしたり、身の程を知らない驕れた自分にならない程度に、自分を褒め、自分を大好きであり続けることができるよう、自分らしさ、ありのままの自分、自然体の自分を大切にしながら生かさせて頂きたいものですね。源光「自分のことを、この世の誰とも比べないことです。 それは自分自身を侮辱する行為だからです。 比べるのは昨日の自分です。 昨日より進歩した今日の自分を褒めてあげるのです。」 (ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407270000/「人のことが気になって気になってしょうがない。。 これが物事にとらわれている心です。 そういう心を無くさない限り、 心は安らかになりません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406150000/「賞賛を求め、中傷に傷つく。。 これが普通の人ですが、 賞賛も、中傷も気にしない人にならない限り、 心の安らぎは永久に得られないのです。 」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403140001/ 「自分の生きる人生を愛してください。 人の愛する人生ではなく、 自分の愛する人生を生きることですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412050002/「他人の生活と比較することなく、自分自身の生活を楽しみましょう。 家族を楽しませましょう。触れ合う人々を楽しませましょう。 幸運とは、そういう自然体の人に微笑むのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201307010000/「他人の目を気にせず、おおらかに自分らしく、個性的に生きることだと思います。 この世的権威や、お金など、死後は無価値となってしまうのですが、 唯一つ「心」だけは持って還れるのです。「心」こそ宝ですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210100000/「他人の生活と比較することなく、汝自身の生活を楽しめ。 汝の家族を楽しませよ。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201108010000/「心の怒りを絶ち、表情の怒りを棄て、人との相違を怒らない事です。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201205180000/「生まれる前に決めていた、自分のコースを自分のペースで歩むのが 最高の幸せの道なのですが、なぜか、人のコースが良いように見えたり、 人のペースが早い様に見えて焦るのが人間です。 人は人。。我は我。。コースはみんな違います。 本来のコースを外れた人生を送って、名誉や地位や権力を手に入れたり、 学歴や肩書、財産などがあっても一つも面白くない人生を 歩んでいる人もいるのが世の中というものです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312220000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.03.21
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「慌てて急ぎすぎると、 結果的に失敗したり、かえって損をするのです。 じっくりと大局を観て、 一旦、動き出せば迅速に。。。 これが大切な心がけです。」 焦りは禁物。。。急いては事を仕損じる。。。急がば回れ。。。 焦って慌てたり、心が急いているときは、 落ち付きを失っていたり。。。 冷静さを欠いていたり。。。 驚きうろたえていたり。。。するなど、何らかの動揺をしているが故に、普段の自分ではないと思うのです。普段の自分ではない心の状態で、 正しい選択をしたり。。。 適切な判断をしたり。。。 揺るぎない決意をしようとしても、冷静さや客観的視点を欠いてしまっているが故に、 誤った選択をしたり。。。 不適切な判断をしたり。。。 優柔不断にになったり。。。 大切なことを見逃したり。。。 ものごとを見誤ったり。。。してしまい、一見、その時こそ上手く対処できたように見えても、結果的には、失敗したり、間違っていたり、過ちを犯したりしてしまうと思うのです。焦って慌てたり、心が急いているときは、ただでさえ失敗や間違い、過ちを犯しやすいと思うのです。そのような、しなくても良い失敗や間違い、過ちを犯さないように、何かを選択、判断、決意する前は、ゆっくりと深呼吸をするなどして、客観的視点でものごとを見ることができる冷静さをを取り戻させて頂くことが先決だと思うのです。冷静な自分を取り戻させて頂くことができると、本来の自分の能力を発揮しやすくなると思うのです。客観的視点でものごとを見ることができる冷静な自分であるときこそ、良心に従った正しい選択、判断、決意をさせて頂くことができるのだと思うのです。心が動揺していると、目先のことしか見えない「木を見て森を見ず」になったり、周りのことばかりが気になって、目の前の大切なことが見えなくなる「森を見て木を見ず」になったりしてしまうと思うのです。そのようなことにならないように、まずは深呼吸などによって動揺を解消し、冷静さを取り戻してから、平常心と客観的視点を以て、目の前のことや周りのことを、あらゆる側面から見ようとする「木も見て、森も見る、全部見る」くらいの心の余裕を持って、大局を見させて頂けば良いと思うのです。そして、 「これ!」 「これは〇〇すれば良い!」 「この順番、段取りでやっていけば良い!」という選択や判断、決断ができ、大筋の方向性が決まったならば、 善は急げ。。。 思い立ったが吉日。。。 好機逸すべからず。。。で、迷うことなく即行動に起こさせて頂き、それに向かって一心に努力、一点集中させて頂けば良いと思うのです。何か事を起こす時は、何をどのようにするかを決めたり、注意点は何かを見定めるまでは慎重に。。。それらを決めたり、見定めた後は、大胆に即行動。。。そういう姿勢を心掛けさせて頂きたいものですね。源光 「全体を見て、細部を観る。。 大切なことです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201510220000/ 「遠くなる程良く見えるのに、 近くなると見えなくなるのが人の特性です。 本質を見極めるために、 少し離れて見てみましょう。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201208290000/「落ち着いて、 りきまない。。。 ひるまない。。。 こだわらない。。。 これが難局に当たる時の心構えです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201602130000/ 「平常心をもって一切の事をなす人は 名人の域に達していますから 何をしても上手くいくのです。 人の失敗は、動揺することから始まるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201505030000/「柔は剛に勝ります。 柔軟な心、決して怒らない平常心の持ち主になりましょう。 心乱れ、怒りに震え、思考が常軌を脱している時、 人は取り返しの付かない失敗を招くのです。」 (ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201306250000/「神社仏閣などの長い階段は、急いで駆け上がろうとすると 途中でへばってしまうのです。 人生も同じこと。。 一段ずつ確実に上がっていけば、やがてはちゃんと 目的地まで上がることができるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403120000/ 「汝、牛に乗れ。 決して馬に乗ろうと思うなかれ。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201111010000/「ゆっくり歩いて下さいね。 走るより、人生、遠くへいけますから。。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210250000/「細部を見過ごさないことです。。 細部に最も大切なものが隠れているのですから。。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209020000/「無理をしてもトータルで失敗します。 真剣に生きる人ほど無理はしないものです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408150001/「地上での失敗のほとんどは、 【勉強不足】に【準備不足】が重なったものです。 出たとこ勝負というものは本来するべきではありません。 機が熟していないからです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201303160000/ 「あなたは、すべてを手に入れられます。 ただ、それは少しずつ。。。 焦らないことです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201410160000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.03.20
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『「ありがとうございます」と一言、 感謝の言葉を伝えるのです。 すると、「ありがとうございます」が 仲間を団体で連れてきます。。 その仲間とは、「愛」であり「平和」であり 「協調」であり「思いやり」であり 「幸せ」であり「喜び」なのです。』ありがとうございます。。。漢字で書かせて頂くと、有難度う御座居ます。。。「有る」ことが「難しい」はずのものが、「幾度」も「そこにありますよ(ございます)」という意になると思うのです。「ありがとうございます」という感謝の意を言葉に出させて頂くことは、「有る」ことが「難しい」はずのものが、「幾度」も「有る」ようになる。。。ということなのだと思うのです。それはもはや奇跡の連続だと思うのです。自分の発した心の籠った「ありがとうございます」の一言が、 相手の心を和ませたり。。。 相手を喜ばせたり。。。 相手を安心させたり。。。 相手を元気にさせたり。。。することがあると思うのです。反対に、相手が発して下さった心の籠った「ありがとうございます」の一言を耳にすると、 心が和んだり。。。 嬉しくなったり。。。 安心したり。。。 元気になったり。。。すると思うのです。そして、 「今度はもっとお喜び頂けるようなことをさせて頂こう♬」 「今度はもっとお役に立つようなことをさせて頂こう♬」 「また素敵な情報があったらお伝えしよう♬」などのような相手を思い遣る心が生まれてくると思うのです。「ありがとうございます」という感謝の意を発することは、相手との心と心の繋がりや信用が深まり、信頼関係の絆を育む素敵な言葉なのだと思うのです。だからこそ、感謝の心を込めて、心の籠った言霊として「ありがとうございます」と発したいものですね。例え、感謝の意を込めて発した「ありがとうございます」が相手に伝わらなくても、心の籠った「ありがとうございます」の音色は、目には見えなくとも、その「ありがとうございます」の波長と同じ、「ありがとうございます」の波長と共鳴し、新たな素敵な出逢いや境遇を引き寄せるのだと思うのです。心の籠った感謝の意として発した「ありがとうございます」の音色があちこちに共鳴し、引き寄せ合う。。。とても美しいことだと思うのです。とても美しいこと故に、そこには 「愛」 「平和」 「協調」 「思い遣り」 「幸せ」 「喜び」が訪れるのだと思うのです。それらが訪れて下さるのは、「ありがとうございます」という言葉を心の籠った感謝の意として発することができる美しい心があるからだと思うのです。中には、同じ「ありがとうございます」でも、 心が籠っていない。。。 感謝の意がない。。。表面的で体裁を整える為の礼儀として、ただ発しているということもあると思うのです。「ありがとうございます」を発しないよりはまだ良いのかもしれませんが、せっかく「ありがとうございます」と発するのであれば、例えそれが感謝の意に値しないと思えるものごとであったとしても、 それが感謝の意に値しないものであること。。。 相手が反面教師として存在して下さっていること。。。 「自分はこういうことはすまい」と思わせて下さったこと。。。などの気付きを与えて下さった、という意味では、相手に感謝させて頂くことができる面もあると思うのです。心が籠っていない「ありがとうございます」感謝の意がない「ありがとうございます」を発すれば、それと同じ波長と共鳴し、同じように心が籠っていないものや感謝の意がないものを引き寄せるということだと思うのです。心の籠った感謝の意として発せられた「ありがとうございます」が、 「愛」 「平和」 「協調」 「思い遣り」 「幸せ」 「喜び」を引き寄せるのに対し、心が籠っていない、感謝の意もない無関心で棘のあるような「ありがとうございます」を発すれば、 「競争、勝負」 「比較」 「排他」 「利己心」 「不幸」 「憂い」を引き寄せてしまうと思うのです。それらを引き寄せてしまうのは、「ありがとうございます」という言葉を心の籠った感謝の意として発することができない自分の心に起因しているのだと思うのです。だからこそ、同じ「ありがとうございます。」を発するのであれば、心の籠った感謝の意を添えて発したいものですね。-------- 「ありがとうございます」と言う言霊を発することについて、「照れくさい」と仰られる方もいらっしゃれば、「そんなことをわざわざ言わなくても伝わる」などと仰られる方もいらっしゃいますが、「ありがとうございます」は、照れて言うものでもなければ、言わなくても伝わるから言わなくても良い、というものでもなく、「感謝の意」として感謝の心を言葉(言霊)として発するものだと思うのです。「ありがとうございます」という言霊を発することによって、「感謝の心」も自然と身につくものだと思うのです。「感謝の心」をお伝えさせて頂く為にも、「感謝の心」をより深く身に付けさせて頂く為にも、「ありがとうございます」という言霊を心を込めて発したいものですね。日頃、 「当たり前」のように、 安心して過ごさせて頂いていること、「当たり前」のように、 皆が元気で存在して下さっていること、「当たり前」のように、 沢山のものが与えられている環境など、私たちは、身の回りにあることについて、それが「あって当たり前」という感覚で生かさせて頂いていることが多いと思うのですが、人様によっては、お国柄によっては、その逆が「当たり前」になっていることもあると思うのです。安心して過ごさせて頂くことができ、皆が元気で過ごさせて頂くことができ、沢山のものが与えられていることは、とってもとっても幸せなことですが、それは「当たり前」なことではなく、当たり前のように「有る」ことが「難しい」、とても「有り難い」ことだと思うのです。 (見方を返させて頂くと、私たちが 「当たり前のように」と感じてしまうほど、 奇跡の連続が起こっているのが、 毎日なのだと思うのです。)その「有り難い」ことの1つ1つに感謝の心を持たせて頂き、「ありがとう」という言霊・音霊を発するようにさせて頂きたいものですね。親しき仲にも礼儀あり、であれば、親しき間柄で無い方には、尚の事、礼儀・礼節をわきまえさせて頂くことが大切だと思うのです。全ては有ることが難しい「有り難い」こと。。。奇跡。。。ゆえに、「ありがとうございます。」という言葉が感謝の言葉になっているのだと思うのです。全ての「有り難い」ことに感謝して、ありがとうございます。今を生かさせて頂いていることに感謝して、ありがとうございます。ありがとうございます。源光「人を育てるのは感謝の心です。 感謝の心が自分を磨き、 人を幸せにするのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201601200000/「自分は生きているのではなく、 「生かされている」という事実に気づきましょう。 本当の幸せは、あなたの心の中にあるのです。 幸せを追いかける人はいつまでも幸せになれず、 今、呼吸をしている幸せに気づく人が、 本当に幸せになれるのです。 まずは、生かされていることに感謝しましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401020002/「日々、太陽に感謝して生きていきましょう。 そうすれば森羅万象全てに感謝出来る素晴らしい人格が構成され、 あらゆることが好転していきます。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201203110000/「幸運の時も不運の時も、すべての現象に感謝しましょう。 感謝は最大の徳であるだけでなく、全ての徳の源なのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406240001/「人に理不尽に酷いことをされても、 善意を仇で返されても、 報われなくても感謝してください。 どんなことにも感謝をしている人に 幸運の女神は微笑むのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201601120000/「不安、不自由、不足や不満の種は尽きませんが、 恵まれていることは忘れていませんか? 心が不安や不満でいっぱいになったら、 不平不満、不安,不自由から心を放して、 恵まれていることに感謝しましょう。 そうすれば、あなたを悩ませている問題は、 霧がはれるように少しずつ消えていきます。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312210001/「感謝は人の義務であるが、何人もそれを期待する権利はない。 汝、その事を世に伝えよ。 」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201201130000/「病気をしなければ健康の有難さは分からず、 失敗しなければ、自分のいたらなさは分からず、 痛い目に合わなければ人さまの痛みを感じる事ができません。 人は試練を通して成長していきます。 天は、偉大なる魂に、大いなる試練を与えます。 感謝しなければなりません。そして天命を果たしてください。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201203080000/「運の悪い人は、実はいないのです。 気づきをありがとう!!感謝します!! こういう人は、全部、驚くほど幸せになっていきます。 これが天の法ですから。。」 (ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209130000/「汝は、毎日欠かさず、◯◯さんのおかげで幸せです。 有難うございます。と唱えよ。 決して◯◯をして欲しいと注文をしてはいけない。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201109180000/「あなたが撒かないものを得ることはできません。 あなたが木を植えれば木が成長し、 感謝の言葉を口にすれば、 幸運を得ることができるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201306140000/「縁は円を描いて自分に帰ってきますから、 不義理をしてはいけませんね。」(ラクシュミーさん)「人を思いやることが、結局は自分に戻ってくることにつながります。 縁は円を描いて自分に還ってくるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210140000/「慶びは、ありがとうの言葉に正比例します。 一日100回、ありがとう、と邪念を捨てて心から言えば、 宝くじも当たりますよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201303040000/ 【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.03.19
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「幸運は、諦めずに努力する人、勇気ある人を訪れ、 逃げる人、怠ける人からは去っていくのです。 」幸運は、諦めずに努力する人、勇気ある人を訪れる。。。逃げる人、怠ける人からは去っていく。。。裏を変えさせて頂くと、不運は、直ぐに諦め、努力しない人、勇気のない人を訪れる。。。逃げる人、怠ける人に近寄ってくる。。。ということになると思うのです。修行の場である地上で生かさせて頂いていれば、 諦めたくなるようなこと。。。 いつ実るとも分からない努力を続けることが辛いこと。。。 勇気を持って前進し続けることが苦しいこと。。。などがあると思うのです。それは魂の修正や成長をさせて頂く修行の場だからこその試練であり苦難なのだと思うのです。諦めたくなっても、諦めずに頑張る。。。努力の継続が辛くても、誠実な姿勢を変えずに真っ直ぐ努力する。。。挫けそうになっても、勇気を奮い起こして前進する。。。この諦めない、努力を継続する、勇気をもつ、という地味で地道な一歩一歩の前進が、 昨日の自分を乗り越える今日の自分を。。。 今日の自分を乗り越える明日の自分を。。。育んでいくのだと思うのです。それは、 諦めずに取り組んでいる何か。。。 努力を継続している何か。。。 勇気をもってしている何か。。。に勝ったのではなく、 諦めようとした自分。。。 努力の継続を止めようとした自分。。。 勇気を失いそうになった自分。。。に打ち克った、ということだと思うのです。今日の自分が昨日の自分に打ち克つ。。。明日の自分が今日の自分に打ち克つ。。。従前の自分に打ち克てるよう、頑張り続け、耐え続けているからこそ、幸運が訪れるのだと思うのです。頑張り続ける。。。耐え続ける。。。ことによって心が磨かれるからこそ魂の修正や成長、業の清算が進み、幸運が訪れるのだと思うのです。ということは、その逆も然りになるのだと思うのです。諦めて楽な方に逃げる。。。努力をせずに怠ける。。。逃げる。。。怠ける。。。という、楽な方へ楽な方へと続く一歩一歩の後退が、 昨日の自分より今日の自分を貶め。。。 今日の自分より明日の自分を貶める。。。ことになってしまうのだと思うのです。それは、 逃げた、又は、逃げたくなる何か。。。 怠けた、又は、怠けたくなる何か。。。に負けたのではなく、 何かから逃げた自分。。。 何かを怠けた自分。。。に負けた、ということだと思うのです。今日の自分が昨日の自分に負ける。。。明日の自分が今日の自分に負ける。。。従前の自分に負け続けてしまう。。。魂の修正や成長をさせて頂く修行の場であるにもかかわらず、頑張りも、耐えることもしない。。。そういう心のあり方故に、幸運を自ら遠ざけ、不運を自ら引き寄せるのだと思うのです。逃げる。。。怠ける。。。ことによって、心がどんどん曇ってしまう。。。逃げよう、怠けようとする邪念、雑念は自分で自分を貶め、自分に負ける想いであると同時に、それらを好む魔によって、心が翻弄され、支配されてしまう。。。それ故に、自分では気づいていなくても、知らず知らずの内に修正すべき点を自ら増やし、自ら不運を引き寄せてしまうのだと思うのです。魂の修正や成長をさせて頂く為の修行の場で生かさせて頂いている不完全な私たち。。。そのような私たちだからこそ、 努力をさせて頂くのは当たり前。。。 勇気をもって挑戦することは当たり前。。。という心持ちで、自分の魂の修正や成長の為に与えて頂いている様々な境遇から逃げず、怠けず、そして何よりも自分自身に負けないように、勇気を奮い立たせて、努力に努力を重ねて、自分自身に打ち克っていきたいものですね。源光「苦しいこと辛いことから逃げてはいけないのです。。。 楽はいつだって出来るのですから。。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201503050000/「同じ現象でも 挑めばチャンス。。。 逃げればピンチ。。。 ただそれだけのことです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201505300000/「なんとかなる。。。。なりませんね。。。 なるわけがないのです。 やるべきことをやっていないからです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403090000/「勇気は、逆境を光に変える行動です。 臆病は、逆境を地獄に変える行動です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408120001/ 「大切な人生の局面で、勇気を失うと全てを失います。 勇気があれば、道は開けます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201402210000/「勇気ある愛は、 幸福に達するに最も必要なものです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210230000/「最善のものを求めて、最悪のものに備えるのです。 これが愛と勇気と希望を運んでくる生き方なのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201207160000/「自分の持ち場で、自分のやるべきことを、やるべき時に、 キッチリとやっていたら運は逃げないのです。 それをやらないから運やツキが逃げるわけです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201503040000/「人が、逃げてしまいたいこと。。。嫌なこと。。 素通りしたいこと。。恐れることを 良心に従って率先してやる人は、奇跡を呼ぶのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405200000/「不器用な努力家こそ、天が愛してやまない人なのです。 幸運の女神はこの様な人に微笑みます。。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201206250000/「幸運の女神は、崇拝や寄進、祈りよりも努力を好むのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403190000/「誰からも認められなくても、 真面目、誠実、勤勉に、 コツコツと責任を果たしていく人に、 天は、偶然を装った必然で、 運命の転機である出逢いと、 幸運の鍵を用意しています。。」 (ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201306100000/「奇跡は、世の苦難に耐えて、苦労に苦労を重ね、 それでも、歯を食いしばって頑張って生きている 美しい魂に天が感動して、偶然を装った必然で、 なんらの見返りも求めない完全無償で降ろすものなのです。 信仰や寄進に比例して、降ろすものではありません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201305070000/「幸運や助けは、頑張って、頑張って、 これ以上は出来ないというくらいに頑張った時に 偶然を装ってふとやって来るのです。 あなたのことをいつも見守っている存在からの 御褒美ということです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312150004/「天に愛される人は、 運に恵まれようと、 運に見捨てられようと、 態度を変えない人なのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201207020000/「苦しい時、神頼みをする人。 神は、あなたを愛の心で突き放します。 苦しい時、懸命に歯を食いしばって頑張る人。 神は、あなたを助けます。。 最もよく人を幸せにする人が最もよく幸せになります。 これは、人類が誕生して以来、不変の法則です。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311080000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311090000/「勝てないと思い込み、夢も諦めて、 初めから努力をしない人を負け犬といいます。 勝てるかもわからないのですから、 夢を実現するために 自分を信じて努力すればよいのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201402250000/「魂のレベルの高い人は、 喜びの中でも苦難の中でも 楽しむ力があることで見分けがつきます。 苦難を楽しむ。。ドンと来い!! 試練。。人生大逆転の基本です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407250001/「きちんと自分を制御して生きること。 大切なことです。 ついつい楽な方向に流れていく。。 それが、現状から這い上がれない元凶です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201510210000/ 「今日出来る事を明日に延ばさない。 これの繰り返しで未来が拓けるのです。 先送りにしているからいつまでたっても 現状維持が精いっぱいどころか むしろ退歩していることがほとんどです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201507180000/「自分の持ち場で、自分のやるべきことを、 やるべき時に、キッチリとやっていたら運は逃げないのです。 それをやらないから運やツキが逃げるわけです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201503040000/ 【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.03.18
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「名誉も、地位も、名声も、権力も、学歴も、 収入、財産の多寡も、肉体も全てはこの世だけの預かり物。。。 この世を去る時に全ては煙となって消滅します。 持って還れるものは心だけです。 心を磨くこと。。 今世、もっとも大切な、あなたの修行です。 この世に出た時よりも美しい心で還ってくること。 それがあなたの最大の目標です。 成功やお金儲けではありません。 太古の昔、人に貧富の差は無く、 お金すら存在せず、人は助け合い、 いたわりあって生きていたのです。」過去生における心のあり方や言動が起因となって、犯してしまった過ちや間違い等の業を清算させて頂く為。。。そして、魂の修正や成長をさせて頂く為に、地上という修業の場と肉体という生を与えて頂き、生かさせて頂いている不完全な私たち。。。魂の修正や成長を目的として、生かさせて頂いているということは、地上に生まれる時よりも、修正すべきが修正され、清算すべきが精算されるなど、魂が磨かれ、ほんの少しでも成長させて頂いて天に帰還することができなければ、後悔してしまうことになるのだと思うのです。天に帰還した時に後悔してしまうことのないよう、地上において心正しく修行をすることができるよう、私たちに天が与えて下さっているもの。。。それが、 「何が正しいかその全てを知っている良心」だと思うのです。その良心に素直に従わせて頂きつつ、過去生から培ってきた自分の特技や能力を 人様の役に立つことをさせて頂く。。。 人様にお喜び頂けることをさせて頂く。。。という利他心で生かさせて頂くことによって、私たちの魂、心は磨かれていくのだと思うのです。自分一人で生かさせて頂いているわけではない私たちにとって、 人様の役に立つことをさせて頂く。。。 人様にお喜び頂けることをさせて頂く。。。ことは、言うなれば、各々が培ってきた特技や能力を各々の為に、心正しく活かさせて頂きながら、助け合う。。。支え合う。。。分け合う。。。補い合う。。。労り合う。。。協力し合う。。。という精神を育ませて頂くことを通じて、心を磨かせて頂いている、ということなのだと思うのです。そのような心のあり方で生かさせて頂くことこそ、魂の修正や成長を目的として生まれてきた自分の魂の喜ぶ生き方であり、魂の修正や成長を促す生き方なのだと思うのです。 (裏を変えさせて頂くと、 「自分さえ良ければそれで良い」 という利己心で、自分の特技や能力を 人様に嘘を付くことや騙すこと、利用すること、 傷つけること、苦しめること、貶めることに活かすことは、 修正すべき点や清算すべき点を自ら増やし続けてしまっている、 ということだと思うのです。 それが例え、地上的な成功を収めるような 地上的に満たされた生き方であったとしても、 私たちの本質である魂にとっては、 修正すべき点や清算すべき点を増やしてしまう 魂が悲しむ生き方なのだと思うのです。)何かを選択、判断しようとしたときに、「?」を感じるなど、何か心に引っ掛かることがあると思うのです。そのような時は、これから自分がさせて頂こうとしている選択や判断、行為、そして、その動機となった自分の心のあり方や考え、想いを、第三者の目という客観的な視点で自分を冷静に見つめさせて頂くことが大切だと思うのです。そのようなことが極自然にできるような自分である為には、 「日々、自分の心のあり方や思考や言動を 素直に反省させて頂き、自分で自分を律する」ことを通じて、自分の心を磨き続けさせて頂くことが大切なのだと思うのです。心の美しさはその方の心のあり方次第、自分の心掛け次第で如何様にもなると思うのです。それは作ったり、飾ったり、取り繕うことが出来るものではなく、自分で育むものだと思うのです。「かたちなき」心の美しさは、年齢や時の経過に関係なく、磨けば磨くほど光り輝くものだと思うのです。心のあり方が美しくなれば、ほんの少し磨くだけでも輝くと思うのです。心のあり方が美しくなければ、どんなに磨いても、磨いているつもりでも、輝くには程遠いのだと思うのです。今、光り輝いていなくても、自分で自分を磨いていけば、いつでも光り輝かせることができるものだと思うのです。だからこそ、 「今更磨いても遅い」 「自分なんか磨いたって輝くわけがない」などと思うこと無く、いつでも、どこでも、良心という心磨き用の光輝く布で、自分の心を磨かせて頂きたいものですね。 (中には、 「私はいつも良心で心を磨いています。 だから私の心は美しいです。」 などのようにご自身の心の美しさや 心のあり方の素晴らしさを誇り、 他者からの尊敬を得たいが為に、 アピールする方もいらっしゃられますが、 それは自己顕示欲の表れ=謙虚さの無さの表れ、 でしかないと思うのです。 無償の愛を与え続けて下さっている天は、 そのようなアピールを一切しないことを考えれば、 そのようなアピールをしている間は、 心磨きが足りない。。。ということなのだと思うのです。)--------魂の修正や成長の為の修行の場である「この世」で与えて頂いている全てのものは、「この世」だけの「かたちあるもの」だと思うのです。それは、自分が肉体という「かたちあるもの」として、この世に存在させて頂いているからこそ、この世の「かたちあるもの」を手にすることができる、ということだと思うのです。「かたちあるもの」同士、波長が合う、ということだと思うのです。 (地位や肩書き、名誉、権力等のように言葉だけが存在し、 その実態が目には見えない「かたちなきもの」もありますが、 所詮は不完全な人間が作り出したものであり、 それを行使することによって「支配」「強制」という 「かたちあるもの」になっていると思うのです。)ということは、私たちが人生を全うし、肉体という「かたちあるもの」を捨てて、あの世に帰還するときは、生前この世で得た「かたちあるもの」の全ては手放すことになると思うのです。この世における地位や肩書き、名誉、権力、金銀財宝をどんなにか沢山手中に収め、行使しても、この世のものはこの世のもの。。。この世を去るときは持ちかえることはできないのだと思うのです。修行の為に「この世」に生まれる機会を与えて頂いた私たちが、肉体という「かたちあるもの」を捨てて「この世」を去るということは、「この世」における修行期間の終わりを意味するのと同時に、「この世」の「かたちあるもの」との波長を異にする「かたちなき存在」として天に帰還するということ故に、波長の異なる「この世」の「かたちあるもの」は、「この世」から持ち出すことができないということだと思うのです。そもそも私たちは地上に生まれる時は、肉体という乗り物だけを与えて頂いて、何も纏わず、何も持たずに生まれて来ていることを考えれば、天に帰還するときも同じようになるのが極自然だと思うのです。肉体を含め何も纏わず、何も持たず。。。私たちの本質の姿、魂というありのままの姿で帰還させていただく。。。そういうことだと思うのです。人生において大切なのは、地位や肩書きや名誉や権力、金銀財宝をどれだけ手中に収め、どれだけ多く残すことができるかなどの「結果」にあるのではなく、誕生から死に至るまでの人生の「過程」をどのように生かさせて頂いたかにあると思うのです。魂の修正や成長の為に与えて頂いた人生。。。それは、いかに良心に素直に従って生かさせて頂くことが出来るかどうか、にあると思うのです。どんなにかこの世的な豊かさを手中に収めても、良心に恥じる言動や、心が穢れるような言動をしていては、かえって魂の修正点を増やしているだけだと思うのです。 この世的な豊かさこそなくても、何が正しいかその全てを知っている良心に素直に従い、人としてあるべき正しい心の道を歩ませて頂いていれば、自然と心の穢れが洗われ、正すべき点は正され、豊かさやゆとりのある心が育まれ、美しく輝いていくのだと思うのです。自分の心の美しさや豊かさは、この世という修行の場で自分で磨き上げていくからこそ得られるものであり、この世のお金さんで買ったり、権力等によって手にすることが出来るようなものではないと思うのです。自分の心を美しくしたり、清らかにしたり、豊かにするのは、自分の心のあり方一つでで出来ることだからこそ、「心こそ宝」なのだと思うのです。そのような「宝」である「心」を、人様の目を気にして大切にしなかったり、自分らしさや個性を大切にしなかったり、権力等に安易に服従して良心を捨てたり、お金さんに翻弄されて心(魂)を売ったりしては、宝である心を光り輝かせるどころか、自分の心を酸化させて、余計に曇らせ、余計に暗くし、余計に重くしてしまうだけだと思うのです。この世は、私たちがもともと持っている「心」という宝を、より光り輝かせる為に与えて頂いたチャンスの場だと思うのです。そのチャンスの場を自分を貶める場にしてしまうことのないように、いつも天法である良心に素直に従わせて頂くことを通じて、チャンスの場をチャンスの場として生かさせて頂きたいものですね。そして、「良い人生だったなぁ~」という幸福感に満たされた笑顔で天に帰還することが出来るように人生を過させて頂きたいものですね。源光「人間は、修行のために異郷に生まれて来たのです。 生きることは心の故郷を異郷に実現させること。 愛の心で生きること。。 いつの日か心の故郷に、果たすべきことを果たして、 喜びを胸に還ることです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408120000/ 「生まれる前に決めていた自分のコースを 自分のペースで歩むのが、最高の幸せの道なのですが、 なぜか、人のコースが良いように見えたり、 人のペースが早い様に見えて焦るのが人間です。 人は人。。我は我。。コースはみんな違います。 本来のコースを外れた人生を送って、 名誉や地位や権力を手に入れたり、 学歴や肩書、財産などがあっても一つも面白くない人生を 歩んでいる人もいるのが世の中というものです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312220000/「人間は、その人がどういう人生を歩んできたのか、 苦しい経験を積んできたのかではなく、事が起きた際に、 良心に従って正しく行動したかどうかで価値が決まるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201410160002/ 「こちらの世界では、そちらの世界の名誉や名声は全く通用しません。 偉人伝の中の人物や、立志伝中の人物、大政治家と言われていた人物の中にも、 暗い世界に還った人もいるのが現実です。 人は心の美しさと、いかに生前、人様のお役に立てたか?で、 こちらの住む場所が決まるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210160000/「他人の目を気にせず、おおらかに 自分らしく個性的に生きることだと思います。 この世的権威や、お金など、死後は無価値となってしまうのですが、 唯一つ「心」だけは持って還れるのです。 「心」こそ宝ですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210100000/「大切なのは心構えです。心的態度です。 天は、心でどう思ったか、どう考えたかを観ていますから、 偽善や形だけの善行は、ほとんど評価しないのです。 心的態度。。 これが、その人の才能や努力、知識以上に重要な要素です。 心を磨く。。これが全てに優先するのです。。 幸運の鍵。。いつでも渡す準備はできています。 あなたの心、純粋な心に期待して、待っています。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401050000/「汝の人生の目的は金銭を得ることにあらず。 品性を高めることにある。 品性を高めるならば、生活に必要な金銭を得られるであろう。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201111120000/「要は心が満たされればいいのです。 収入や名誉や地位や名声、財産など、どうでもいいことです。 現状がどうであれ、心が虚しいのであれば、 大言壮語していてもやはり虚しい人生です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412120000/「自分は生きているのではなく、 「生かされている」という事実に気づきましょう。 本当の幸せは、あなたの心の中にあるのです。 幸せを追いかける人はいつまでも幸せになれず、 今、呼吸をしている幸せに気づく人が、 本当に幸せになれるのです。 まずは、生かされていることに感謝しましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401020002/「人間として一番大切なのは、頭の良し悪しではなく、心の良し悪しです。 幸せになるのも頭の良し悪しではなく、心の良し悪しです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201404100000/「こちらの世界では、そちらの世界の名誉や名声は全く通用しません。 偉人伝の中の人物や、立志伝中の人物、大政治家と言われていた人物の中にも、 暗い世界に還った人もいるのが現実です。 人は心の美しさと、いかに生前、人様のお役に立てたか?で、 こちらの住む場所が決まるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210160000/「生まれ変わるのは、地上に生ある時です。 還って来てからでは遅いのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209260000/「死なないで地上で、生きられる人は皆無です。 人は、地上に命がある時だけ諸々の善行をなすことができるのですから、 せっかくの機会を大いに活かして、帰還されますように。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201211090000/「今は一秒、一秒、過去になっています。 こちらに還ってくる時、一生は瞬きをする間だったなあ!!と、 ほとんどの人が感想を漏らします。 人は、今を心正しく誠実に生きることですよ!! この世を去る時に大後悔しないように!! 私は、全ての人に雲に乗って還っていただきたいのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210200000/「ひとり一人の魂は、本質において宇宙の魂以外の何ものでもない。 人間はお互いに、頭、腕、胴、足となって補い合わなければならない。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201107170000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.03.17
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「目先のことに心を奪われて、 後で大損することに気づかない。。。 こういうことがあります。 先を見通す力を養うことです。 先の先の先を読めれば、心眼が開きます。。。」今の自分がすべきこと。。。今の自分ができること。。。を蔑ろにしているにもかかわらず、それがお試しとして与えて頂いている境遇であることに気づくことができず、ただ目先に与えて頂いた欲を掻き立てられるようなその境遇に心を奪われてしまうことがあると思うのです。今の自分がすべきことやできることを蔑ろにしている自分へのお試しは、 自分が興味のあること。。。 自分がやりたいこと。。。 自分が欲しいもの。。。 チャンスと感じるようなこと。。。 分不相応なこと。。。など、自分の欲が掻き立てられるようなことが多いと思うのです。その欲が掻き立てられるようなお試しを、理性と良心に従って自制し、今の自分がすべきことやできることを先憂後楽の精神でさせて頂く。。。そういう心の強さや美しさが育まれ、それを当たり前のように実践できるとお試しは合格なのだと思うのです。お試しに合格すると、お試しとして与えて頂いた欲を掻き立てるようなものではなく、その時のその人にとって、本当に必要な境遇やものを与えて下さるのだと思うのです。それはその人が自ら決めてきた人生設計を遂行するために必要な境遇やものなのだと思うのです。それ故に心が満たされると思うのです。 (自分に与えて頂いている境遇が、 自分の欲を満たす為だけの境遇なのか。。。 それとも、 自分の心を満たし、魂が喜ぶ道へ導く境遇なのか。。。 を見極めさせて頂くことが大切だと思うのです。)反対に、欲が掻き立てられるようなお試しを与えて頂いた時に、自分では理性や良心に従い、自制しているつもりでも、天には、理性や良心を失い、自制できていない、ということがあると思うのです。それは、今の自分がすべきことやできることを蔑ろにして、それらから逃げたり、後回しにすることを繰り返して、欲を満たしてくれる目先のことを優先してしまう先楽後憂の姿勢として現れると思うのです。地上的には、欲を満たしてくれるような境遇を与えて頂き、それによって欲が満たされるが故に、ご本人様としては満足なのだと思うのです。しかしながら、天から見れば、理性や良心に従うことができない心の脆さや欲を自制することができない心の弱さを自ら露呈しているにもかかわらず、それに自分で気づいてすらいない。。。お試しに引っかかった。。。ということだと思うのです。故に、お試しは不合格なのだと思うのです。お試しに落第すると、お試しとして与えて頂いた欲を掻き立てるようなものによって、欲は満たされたものの、その時の自分がすべきことやその時の自分ができることを蔑ろにしてまで、欲を満たした自分さえ良ければそれで良い、という自分勝手で我儘な利己心に対する因果応報が働くのだと思うのです。それは、 大きな損失を被る。。。 他人にまで損失を与える。。。 大きな失敗や間違いを犯す。。。 不注意によるアクシデント。。。 信用や信頼を失う。。。などとして自分に返ってくるのだと思うのです。これもまた、理性や良心に従うことができず、欲を自制することができなかった自分の、魂の修正や成長の為に必要な境遇として、天が与えて下さっている修行なのだと思うのです。その時々に与えて頂いている境遇は、その境遇だけで終わるものではないと思うのです。その境遇をどのような心のあり方で受け留め、どのような対処をしたのか。。。それが自分の経験として、その後の自分の人生にも引き継がれていく、ということを忘れてはいけないと思うのです。 (自分の人生だけでなく、自分を取り巻く方々の 人生をも左右することさえあると思うのです。)だからこそ、目先に与えられた一見、自分に都合が良さそうに見える境遇を自分に都合の良いように解釈するのではなく、その境遇の受け留め方、対処の仕方によっては、その後の自分はどうなっていくのだろうか。。。ということを、あらゆる側面から先読みさせて頂くことが大切だと思うのです。あらゆる側面から先読みさせて頂くことが備わっていれば、常に平常心と客観的視点でものごとを見据えることができるが故に、目先のことに左右されることはないと思うのです。欲に翻弄されると、 欲を満たす為に、欲に向かって一直線になってしまう。。。 平常心を失い、客観的視点でものごとを見据えることができなくなる。。。 目先のことに簡単に左右されてしまう。。。そういう揺らいだ心の持ち主様だからこそ、先読みをさせて頂けるような平常心と客観的視点を育ませて頂くことが大切なのだと思うのです。それを育ませて頂くことができないと、同じような試練を与えて頂き、同じように欲に翻弄されて落第。。。を繰り返すことになると思うのです。そのような自分から脱皮させて頂く為にも、目先のことに簡単に翻弄されないよう、日頃から平常心と客観的視点をもって、様々な境遇やものごとをあらゆる側面から分析したり、先読みしたりする習慣を身に着けたいものですね。源光 「良心に従えば豊かになり、欲に従えば危うし。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201108090000/「心満ち足らぬ人は 分不相応な品や贅沢品を持ちたがるのです。 心満ちた時、人は物に執着しなくなります。 ですから、物に執着しないようにすれば 心満ち足りるわけです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201603010000/ 「迷った時は 「人間としてどちらが正しいか」 ということで判断して行動すれば、 たとえ失敗しても後悔することはありません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201602260000/ 「今が幸せで、うまくいっていればいるほど 謙虚、誠実に生きていきましょう。 人は、うまくできることにはすぐ得意になってしまいます。 傲慢は、過信を呼びます。 不注意の事故、社会からの非難、大損など 大失敗のもとですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312170007/「人間は、調子の良い時、お金に困っていない時は、 心に余裕があるので他人に優しくできます。 謙虚になることも難しくはありません。 不遇な境遇にある時にそういうふるまいができる人は、必ず再起できます。 不平不満、妬み、嫉み、恨み、ツラミに翻弄されて、 なぜ自分だけがこんな目にと、思っているならば、 事態は益々、悪化していきます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201402270001/「中庸の道を歩むことですよ。 極端から極端に動かないことです。。 良心に従うことです。 なにも見えず、何も知らず、 何も聴こえないのが人というものなのですから。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201304290000/「汝、自分に対する尊敬、自分についての知識、自分に対する抑制、 この三つだけが人生を導き、生活に絶対の力をもたらすことを知れ。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201112180000/「良心に照らして、考えること、言うこと、することが調和されるならば、 人生は、思いのままに拓けます。。 拓けないのならば、三点セットのどれかが歪(いびつ)なのですから 修正していきましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201404200000/ 「足ることを知らない欲望に翻弄されると、人生が、歪曲。。。 良心を忘却して、人は、偽りの目標に突き進み、 生きながら地獄に堕ちていくのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403040000/ 「足ることを知り、日々謙虚に生きていきましょう。 強欲と慢心こそが、あなたの心身を蝕む元凶なのですから。。」「足ることを知らない強欲に翻弄されないことですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201212100000/「この世の富貴は完全な幻です。。 真実の富貴は天にあります。。 心美しき人は心の大富豪。。 降ろそうと思えば自在に富貴を降ろせます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408050001/「人間は、その人がどういう人生を歩んできたのか、 苦しい経験を積んできたのかではなく、事が起きた際に、 良心に従って正しく行動したかどうかで価値が決まるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201410160002/ 「生まれる前に決めていた自分のコースを 自分のペースで歩むのが、最高の幸せの道なのですが、 なぜか、人のコースが良いように見えたり、 人のペースが早い様に見えて焦るのが人間です。 人は人。。我は我。。コースはみんな違います。 本来のコースを外れた人生を送って、 名誉や地位や権力を手に入れたり、 学歴や肩書、財産などがあっても一つも面白くない人生を 歩んでいる人もいるのが世の中というものです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312220000/「偽物の幸福は快楽を与え、 醜悪と高慢を供えますが、 本物の幸福は歓喜を与えて、 智慧と慈悲を具えるのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201206110000/「優しい心で生きる時に聞こえる声は真実の声ですが、 邪念を持った時に聞こえる声は、偽りの声です。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201205030000/「汝が最もだましやすい人は、汝自身である。 汝の想いは、善にも悪にも通じる。 善き方に想いを巡らせなさい。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201107310000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.03.16
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「人間の年齢は、今世を何年生きたかということですが、 本当は、赤ちゃんでも数千年生きた人がいます。 また、ただ数千年生きただけで、一つも進歩しない人もいます。 人は魂の年齢ですよ。。 ただこれは目には見えませんから、心眼で観るしかありません。。」魂の修正や成長をさせて頂く為に与えて頂いている人生。。。魂の修行をさせて頂くことができるのは地上だけ故に、長生きできれば、それだけ修行をさせて頂ける期間も長くなる、ということになりますが、長生きをしているからと言って、それが修行になっているか、というと、必ずしもそうではないと思うのです。反対に、短い人生であれば、修行をさせて頂ける期間が短い、ということになりますが、短い人生だからと言って、修行になっていないか、というと、必ずしもそうではないと思うのです。同じ人生でも、人生の長い短いよりも、人生の過程をどのように過ごさせて頂いたのか。。。人生の中身はどのようなものだったのか。。。修行がスムーズに進むように与えて頂いている良心に従って生きてきたか否か。。。によって、大きな違いが生じると思うのです。長く生かさせて頂くことができたとしても、良心に恥じる言動を続けるような人生の過程や中身では、魂の修正や成長を目的とした人生にも拘らず、逆に修正すべき点を増やしてしまっているが故に、進歩どころか、退歩する為に生きてきた。。。ということになってしまうと思うのです。地上に生まれてくるときこそは、 「魂の修正や成長をさせて頂く為に、良心に従って、 過去生から培ってきた自分の特技や能力を、 人様のお役に立つことや、 人様にお喜び頂けることに活かすことを通じて、 心磨きをしっかりして、生まれる前よりも 少しでも修正すべきを修正して帰還させて頂くぞ!」と意気込んでいても、輪廻転生をさせて頂く度に、このような生き方を何度も繰り返していれば、地上において数千年生かさせて頂いていようと、魂は磨かれるどころか、従前よりも曇りを増してしまい、魂の修正や成長が進まないのは極自然なことだと思うのです。反対に、人生こそ短かったとしても、良心に素直に従って、過去生から培ってきた自分の特技や能力を、人様のお役に立つことや、人様にお喜び頂けることに活かさせて頂くことを常とすることが、人生の過程や中身を構成していれば、心はコツコツと磨かれ、修正すべきが修正され、成長という進歩を遂げ、更には、地上におけるお役目も果たすことができるなど、充実、かつ、有意義な人生を過ごしていることになると思うのです。輪廻転生をさせて頂く度に、このような生き方ができるよう誠実な心のあり方で努力を継続することを何度も繰り返して生かさせて頂いていれば、魂も磨き続けられ、従前よりも輝きを増し、魂の修正や成長が着実に進んでいると思うのです。同じ「人生」という修行のチャンスを与えて頂いても、 どのような心のあり方で生かさせて頂くのか。。。 その心のあり方から生じる言動、生き方。。。 利己心で生きるのか、利他心で生かさせて頂くのか。。。などによって、人生は有意義にも無駄にもなってしまうと思うのです。不思議なことに、地上では良心に従って生かさせて頂いていると損をしているように見えて、地上的価値観では、それが失敗のように見えることが多いと思うのです。しかしながら、天の見方では、そのような生き方こそ、魂の修正や成長に繋がり、魂の得になり、徳になり、成功、ということになるのだと思うのです。その逆も然りで、地上では良心に従わない方が得をしているように見えて、地上的価値観では、それが成功のように見えることが多いと思うのです。しかしながら、天の見方では、そのような生き方は、魂の成長はおろか、魂の修正すべき点を増やすという、自分で自分を貶める心のあり方、言動、生き方故に、魂の損になり、失敗、ということになるのだと思うのです。地上の年齢は、時間の経過とともに誰でも重ねることができるものであるのに対し、魂年齢は、魂の修正や成長を通じて、美しい心のあり方が育まれた時に重ねる年輪のようなものだと思うのです。 (裏を変えさせて頂くと、時間の経過に何携なく、 魂の修正や成長なくして重ねることができない年輪が魂年齢。。。 ということでもあると思うのです。)その年輪を育ませて頂ける貴重な機会こそ、地上という修業の場における人生なのだと思うのです。いつ終わりを迎えるのか。。。いつ天に帰還することになるのか。。。それが分からないのが私たちの人生。。。先行きの分からない貴重な人生だからこそ、その人生を無駄に過ごしてしまうことのないように、 「何が正しいかその全てを知っている良心」に素直に従って生かさせて頂きたいものですね。源光「人の一生は長い短いではないのです。 天命に沿って生きることができたかどうかなのです。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201509170000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201509180000/「地上では、良心に従って進むと、損をして、 この世的価値観では、失敗のように見えるものが多いのですが、 実は、天の蔵に大いなる宝を積み上げていた!! こういうことはこの世を去るときに誰もが経験することです。 地上に肉体を持つのは、瞬きをするくらいの時間ですから、 欲に翻弄されて、自分を見失うほど時間の浪費はありません。 」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209060000/「天法は、人法の遥か上にあるのですから、 決して良心に逆らってはいけません。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201203250000/「常に天法である心と対話してください。 人法の遥か上の境地で生きれば、 間違いの無い正しい生涯を全うできるのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201204020000/ 「幸せへの近道は、でこぼこ道。 されど一本道。太陽の道。 汝、安易な道を歩むなかれ。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201108270000/「その道が正しい道なのか、天は教えてくれないのです。 そのために天は、良心という羅針盤を人に与えました。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201203050000/「足ることを知らない欲望に翻弄されると、人生が、歪曲。。。 良心を忘却して、人は、偽りの目標に突き進み、 生きながら地獄に堕ちていくのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403040000/ 「この世の富貴は完全な幻です。。 真実の富貴は天にあります。。 心美しき人は心の大富豪。。 降ろそうと思えば自在に富貴を降ろせます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408050001/「人間は、その人がどういう人生を歩んできたのか、 苦しい経験を積んできたのかではなく、事が起きた際に、 良心に従って正しく行動したかどうかで価値が決まるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201410160002/ 「生まれ変わるのは、地上に生ある時です。 還って来てからでは遅いのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209260000/「人間は、修行のために異郷に生まれて来たのです。 生きることは心の故郷を異郷に実現させること。 愛の心で生きること。。 いつの日か心の故郷に、果たすべきことを果たして、 喜びを胸に還ることです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408120000/ 「生まれる前に決めていた自分のコースを 自分のペースで歩むのが、最高の幸せの道なのですが、 なぜか、人のコースが良いように見えたり、 人のペースが早い様に見えて焦るのが人間です。 人は人。。我は我。。コースはみんな違います。 本来のコースを外れた人生を送って、 名誉や地位や権力を手に入れたり、 学歴や肩書、財産などがあっても一つも面白くない人生を 歩んでいる人もいるのが世の中というものです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312220000/「死なないで地上で、生きられる人は皆無です。 人は、地上に命がある時だけ諸々の善行をなすことができるのですから、 せっかくの機会を大いに活かして、帰還されますように。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201211090000/「今は一秒、一秒、過去になっています。 こちらに還ってくる時、一生は瞬きをする間だったなあ!!と、 ほとんどの人が感想を漏らします。 人は、今を心正しく誠実に生きることですよ!! この世を去る時に大後悔しないように!! 私は、全ての人に雲に乗って還っていただきたいのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210200000/「今の自分は過去の集大成。総合芸術である。 過去よりも優れた作品である必要は無いが、 それゆえ人は、帰還後に後悔の念に囚われる。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201108080000/「あなたが自分の最大の欠点を修正できるならば そこから、あなたの本来の人生が始まります。 それまでは助走期間に過ぎない人生です。 助走のみで還って来た人は、 一人の例外なく後悔の念にとらわれます。。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201501060000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.03.15
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「大切なことは、 深慮をもって話すことです。 誤解を生むようなことは決して言ってはいけません。 根気よく相手に合わせて話すことです。 上から目線、下から目線やめましょう。 大人にも子供にも、どなたにも、 横から目線。。で話すのです。」(ラクシュミーさん)お話しをさせて頂く立場にあるとき、 「説明(解説)してやっている」 「教えてやっている」という気持ちが多かれ少なかれ見え隠れすることが多々あるものですが、そのような上から目線でお話をさせて頂いていると、せっかく良いお話をさせて頂いていても、相手には、 「何を偉そうに。。。」 「こちらの気持ちも知らずに。。。」などと思われてしまいかねないと思うのです。逆に、 「自分なんかが説明させて頂いて良いのだろうか。。。」 「自分が人様に教えることなんてできるのだろうか。。。」 「自分では役不足なのではないだろうか。。。」という気持ちが、そのおどおどとした言動に見え隠れすることがあるものですが、そのような下から目線でお話をさせて頂いていると、せっかく良いお話をさせて頂いていても、相手には、 「この方に相談して良かったのだろうか。。。」 「こんなに自身のなさそうな人の話では信用できない。。。」などと思われてしまいかねないと思うのです。上から目線や下から目線では、せっかく良いお話をさせて頂いていても、その良いお話の真意が相手に伝わらず、誤解を招いたり、勘違いされたり。。。上から目線の言動が相手を不快にさせたり。。。舌から目線の言動が相手を不安にさせたり。。。してしまうと思うのです。お話しをさせて頂くことができるのは、相手(聞き手)の存在があってこそ、自分に聞いて下さっているからこそ、だと思うのです。それならば、 「説明(解説)してやっている」 「教えてやっている」という上から目線の驕った姿勢ではなく、 「自分なんかが説明させて頂いて良いのだろうか。。。」 「自分が人様に教えることなんてできるのだろうか。。。」 「自分では役不足なのではないだろうか。。。」という自分を卑下し過ぎた下から目線の姿勢でもなく、 「人は十人十色。。。 同じお話をさせて頂くのでも、 そのお話の受け留め方も十人十色。。。 だからこそ、相手の立場になって、 相手と同じ目線になって、 その人の性格や今のお心の状況を冷静に、 客観的に見極めさせて頂いて、 お話の進め方や表現、例え話などを 工夫させて頂くことが大切!」 「どのように説明させて頂けば、 ご理解頂けるだろう。。。」 「もし、自分が教えて頂く立場だったら、 どういう説明や解説を望むだろう。。。」 「相手にお楽しみ頂けるような説明の方が、 興味を持って頂くことができて、 聞くことに集中して頂けるだろうなぁ~♪」 「お話させて頂くことを通じて、逆にこちらが 多くのことを学ばせて頂いているんだなぁ~。。。 お話させて頂けることに感謝感謝だなぁ~。。。 しっかりとお伝えできるように、分かり易い言葉や 絵解き、例え話などをあれこれ考えてみよう♪」 という、相手(聞き手)の立場になる。。。相手と同じ目線に立つ。。。という横から目線で、お話しをさせて頂くことが、とても大切だと思うのです。 (その方が、自分自身も多くのことを 学ばせて頂くことができると思うのです。)「自分の話を相手に理解して頂けない。。。」「自分の話の真意が相手に伝わらない。。。」そういうことがあると、その責任や問題の所在を相手のせいにしてしまうことがあるものですが、実際のところは、ご相談を下さっている 相手の立場になっていない自分。。。 相手の目線に合わせていない自分。。。 上から目線で話をして、相手を不快にさせている自分。。。 下から目線で話をして、相手を不安にさせている自分。。。にこそ責任や問題があるのだと思うのです。だからこそ、お話しをさせて頂く立場にあるときは、否、お話しをさせて頂く立場にある時こそ、相手(聞き手)の立場になること、相手の目線に合わせることが大切だと思うのです。時に、相手の立場になって、相手の目線に合わせて、その時の相手の心情を察して、適切なお話の進め方や表現、例え話などを用いて、お話をさせて頂いたとしても、それでもなお、相手に伝わらない、ご理解頂けない。。。ということもあると思うのです。なぜ、そこまでさせて頂いても、相手に伝わらないのか。。。ご理解頂けないのか。。。それは、相手が「ご相談」下さっているからだと思うのです。相手が「ご相談」下さるのは、 「自分の話を聞いて欲しい。。。」 「自分ではどうして良いか分からない。。。」など、お心が辛く苦しい状況にあるからこそ。。。お心が辛く苦しい状況にあるということは、同じ境遇を与えて頂いても、正しい選択や正しい判断がし難いお心の状態、ということでもあると思うのです。そのようなお心の状態の方からご相談を頂き、お話をさせて頂くことを考えさせて頂けば、相手に伝わらない、ご理解頂けない、ということがあっても、それは極自然なことだと思うのです。相手のお心の状況を察しながら、相手のペースに合わせて、同じお話でも表現を変えたりしながら、何度でも何度でも根気良くお話をさせて頂く。。。お話をさせて頂く立場にある方は、地上の民の立場になって無償の愛を与え続けて下さっている天のように、自分を出さず、相手の立場を尊重し、相手のお役に立たせて頂けるよう、努めさせて頂こうとする心のあり方と言動をさせて頂くことが求められ、それを実践させて頂くことが大切なのだと思うのです。--------例えば、小学1年生と6年生がいたとき、6年生は1~5年生までに学んできたことは良くわかり、 良く理解していると思うのですが、1年生は全く未知なることでさっぱり分からないと思うのです。6年生が1年生に指導するとなれば、1年生にも良く分かるような言葉遣いや、1年生でも理解できるような咀嚼した説明や解説をしながら、相手の理解の深さを確認しつつ、様子を見ることが大切になると思うのです。そうしなければ、分からないまま話が進んで行ってしまうだけだと思うのです。それは、1年生にとっては、 「何を言っているか分からない。。。」 「親切にして頂いていても、何が何だかわからない」ということになってしまうと思うのです。1年生がそういう状態であるにもかかわらず、それを無視して、はたまた、それに気付くことなく、6年生が説明や解説を一方的に進めてしまうのであれば、その6年生の姿勢は、1年生の為という思い遣りではなく、 「説明(解説)してやっている」 「教えてやっている」という自己満足でしかないと思うのです。同じお話をお伝えさせて頂くのでも、聞き手の数だけその受け留め方や理解の深さが異なると思うのです。1つのお話を聞いて10を知る方もいれば、1つのお話を理解するのに時間がかかる方もいると思うのです。だからこそ、同じお話をさせて頂くのでも、相手の立場になって、その時のその方のお心の状態を把握させて頂き、その時のその方に必要なことを、その時のその方にご理解頂けるような分かり易い言葉遣いや表現を通じてお伝えさせて頂く心遣いも持たせて頂くことが、とても大切だと思うのです。 (適材適所ならぬ、「適言適所」という感じだと思うのです。)--------人それぞれ、魂のレベル(階層)が異なるとはいえ、不完全で至らない点がある者同士であることに、違いはないと思うのです。ということは、どんなにか魂のレベル(階層)が異なっていたとしても、お互いがお互いのお役に立たせて頂くことができる、ということでもあると思うのです。例えば、魂のレベルが8段階あるとします。Aさんは魂レベル3、Bさんは魂レベル5とします。普通に考えると、AさんがBさんを教導させて頂く、ということになると思うのです。実際のところもそうだと思うのですが、全ての点において、そうとは限らないと思うのです。Aさんの至らない点を、Bさんは既にお持ちでいらっしゃることもあると思うのです。その場合は、AさんがBさんに教導して頂く、ということになると思うのです。このようなケースがあることを考えると、魂のレベル(階層)の高低に関係なく、お互いがお互いの魂の修行の為に存在し、お互いがお互いの役に立たせて頂くことができる、ということだと思うのです。レベルの高い者が低い者を教導するという、一方通行的な関係ではなく、低い者と接し、低い者に何かをお話しさせて頂くことによって、自分の至らない点に気づかせて頂き、それを学ばせ頂くという機会もあることを考えると、レベルの高い者は低い者に対して、偉そうな態度と上から目線で教導することはしてはならないと思うのです。むしろ、純粋に感謝の心を持たせて頂くことが大切だと思うのです。そして、低い者を低い者としてみることなく、どなた様に対しても同じ目線を持たせて頂くことこそ大切なのだと思うのです。様々な魂のレベルの方同士が、同じ地球さんの上で生かさせて頂いているのが今の世の中だと思うのです。魂のレベルが高い方から低い方まで、十人十色、千差万別だからこそ、修行の場として適している、ということでもあると思うのです。魂のレベルが高い方は、その方がその高いレベルに至る為に修正したことやその修正の仕方、学び、気付きなどから培った心のあり方やものごとの見方や捉え方、考え方、感じ方、そして、与えて頂いた知恵や智慧などを、魂のレベルが低い方の為に、上から目線ではなく、同じ目線に立たせて頂きながら、愛の心で、見返りを求めることなく、出し渋ったり、ケチケチすることなく、惜しみなく差し出させて頂くなどの、ご奉仕をさせて頂くことがお役目なのだと思うのです。今でこそ魂のレベルが高い方も、その方が高いレベルになる前は、自分よりも高いレベルの方に、沢山のことをご指導頂いたり、与えて頂いたりしていたからこそ、今の高いレベルに到達している、ということだと思うのです。だからこそ、自分が自分よりも高いレベルの方に辛抱強くして頂いたことと同じようなことを、自分よりも低いレベルの方に辛抱強くさせて頂くことこそ、自分を導き、育てて下さった自分よりも高いレベルの方々が喜んで下さるであろう報恩になるのだと思うのです。異なる魂のレベルの方同士が同じ世の中や社会の中で生かさせて頂いていることにより、トラブルが生じてしまうことも多いと思うのですが、そういうときこそ、魂のレベルの高い方が、魂のレベルの低い方にその波長を合わせ、魂のレベルの低い方の視線でものごとを見て差し上げ、魂のレベルの低い方に通じるような表現や言葉遣い、例え話などをもって、辛抱強く説かせて頂いたり、理解を得たりしながら、トラブルなどの解決に努めさせて頂きたいものですね。自分の上には常に上がいる。。。自分の魂レベルを引き上げようとして下さっている方が常にいる、ということだと思うのです。私たちの魂の繋がりもこれと同じだと思うのです。自分が自分より高い魂レベルの方に様々なことをして頂いて、とても有り難く、嬉しく、感謝の気持ちで一杯になったことを、自分だけのものとして温存したり、出し惜しみをすることなく、自分より低い魂レベルの方にも同じようにさせて頂くことが、大切なことであり、それこそが一人一人のお役目なのだと思うのです。源光 「地上は、あらゆる魂の階層の人が、 地球同窓生として修行している場所ですから、 同じ話でも、聞く相手の心の状態に応じて、 段階を追って話す必要があります。 相手の心の進歩に合わせて徐々に深い話に。。。 これを対機説法といいます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201404220000/「相談する人が求めているのは、 的確なアドバイスではなく、 真剣に聞いてくれることです。 答えは本人が最初から知っているのです。 ただそれを引き出してあげること。。。 真剣に聞いてあげましょう。 その人の潜在意識が解決策を語り出します。 後は指導の存在の意見を聞いて調整をするだけです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201501040000/「難解なことはやさしく。 やさしいことは深く。 深いことは笑顔で冗談にしてしまう。 これが汝の道である。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201110190000/「人はそれぞれ。。 理解できないと投げ出すことは簡単ですが、 理解しようと相手と同じレベルに立って 感じることを心がけましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406250001/ 「相談者の心を傷付けるような、酷いことを言わない。 心のケアとアドバイスを天命と知っている人には、 正しい後の方が指導していますから、大丈夫なのですが、ほとんどいません。 お祓いよりお笑い、が正解だと思いますよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201211040000/「曖昧な言葉は避けて、わかりやすく話しましょう。 出来る限り紙に書いて渡すことですよ。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209270000/「優しい言葉で相手を説得できないような人は、 怒りの言葉で相手を屈服させようとしても、 反発攻撃を受けるだけです。 永遠に事態は好転しません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201508120000/「相手に話が伝わらないというのは、 相手のレベルが低いのではなく、 自分の話すレベルが低いのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201602190000/ 「あなたが扱われたいように、他人を扱いなさい。 汝が隣人からされたくないことを隣人に行ってはならない。 隣人を自分自身として見ることで、 人は正しい基準を得ることが出来る。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201107150001/「人は、力と光を、到達した高位のレベルから、 有限の低位のレベルに、降ろす役目を担っています。 木切れから菩薩を掘り出す仏師のように。。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201205230000/「名誉も地位も権力も学歴も財力も収入も、肩書も 地上の小さな世界でしか通用しない 煙のようなものです。 自分の才能をひけらかすことなく、笑顔を絶やさず 周囲と同調してやっていける人こそ、立派な人です。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311130000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311140000/「汝、道を解きながら学べ。 言い聞かせとは自分自身への問いかけと勉強である。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201111150000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.03.14
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「運を飛躍的にアップする方法があります。 幸福そうな顔をした人や、成長し人生を楽しむことに 関心を抱いている人に囲まれているようにすればよいのです。 運を落としたければ、妬み、そねみ、恨み、ツラミ、不平不満、 愚痴、悪口を言う人に囲まれているようにすればよいのです。」自分が明るく、前向き、積極的、肯定的、楽観的に、笑顔で過ごさせて頂いているときは、自分と同じように過ごしている人様が集まってくると思うのです。そして同じような思考や言動で盛り上がると思うのです。反対に、自分が暗く、後向き、消極的、否定的、悲観的に、俯き顔で、不平不満、愚痴、恨み、辛み、嫉妬、被害妄想などを抱いて過ごしているときは、自分と同じように過ごしている人様が寄ってくると思うのです。そして、お互いに同じような思考や言動をすることで、よりその深みに嵌ってしまい、自らを貶めてしまうと思うのです。自分が明るく、陽気に、楽しそうに、笑顔で生過ごさせて頂いていれば、同じように明るく、陽気に、楽しそうに、笑顔で過ごしている人様に引き寄せられたり、そういう人様を引き寄せたり。。。自分が暗く、俯き、苦悩し、仏頂面で過ごしていれば、同じように暗く、俯き、苦悩し、 仏頂面で過ごしている人様に引き寄せられたり、そういう人様を引き寄せたり。。。その時の自分の周りにいる人様は、その時の自分の放っている波長と同じ、又は、似ている波長の人様が集まる。。。或いは、自ら引き寄せているのだと思うのです。類は友を呼ぶ。。。類を以て集まる。。。同気相求む。。。目の寄る所へは玉も寄る。。。ということだと思うのです。それ故に、その時の自分の周りにいる人様を見れば、その時の自分の心、精神の状態が分かる、ということでもあると思うのです。見方を変えさせて頂くと、自分の周りにいる人様を変えたり、自分の居場所を変えることにより、自分の心、精神の状態も変わっていく。。。同じように自分の運も変わっていく。。。のだと思うのです。幸せになる為に生まれてきた私たち♬自分の気持ちが優れない時や落ち込み気味な時は、明るい笑顔で元気に楽しそうにしている方々に囲まれるように過ごさせて頂くと、その方々のエネルギーに触れさせて頂くことができ、自分も明るい笑顔で元気に楽しく過ごせるようになると思うのです。その結果、落ち込み気味な運が一気に上がっていくと思うのです。反対に、自分の気持ちが優れない時や落ち込み気味な時に、不平不満、愚痴、悪口、嫉妬などをして、人様を傷つけるような言動をする方々に囲まれて過ごせば、知らず知らずの内に、自分も不平不満、愚痴、悪口を言ったり、人様に嫉妬して、人様を傷つけるような言動をしてしまう。。。ということになってしまうと思うのです。それは、人様を傷つけているだけではなく、自分で自分を傷つけ、貶めている上に、ただでさえ落ち込み気味な運を更に下げてしまうと思うのです。幸せになる為に生まれてきた私たち♬せっかく同じ時間を過ごさせて頂くのであれば、明るい笑顔で元気に楽しく過ごさせて頂ける方が幸せだと思うのです。それならば、明るい笑顔で元気に楽しくしていらっしゃる方々に囲まれるようにして過ごさせて頂きたいものですね。そして、自分が明るい笑顔で元気に楽しく過ごしている時に、気持ちが優れず、落ち込み気味な方々見かけたら、自分が人様に巣食って頂いたのと同じように、人様を笑顔にして差し上げることができるような自分でありたいものですね。--------暗く、後向き、消極的、否定的、悲観的で、不平不満、愚痴、恨み、辛み、嫉妬、被害妄想などを抱いている集まりの中に、明るく、前向き、積極的、肯定的、楽観的に、笑顔で過ごしている人様が入ってくると、本音では、 「あんなに楽しそうに過ごせて羨ましいなぁ。。。」 「あんな風に過ごせたら幸せだろうなぁ。。。」などと感じているにもかかわらず、日常的に抱いてしまっている不平不満、愚痴、恨み、辛み、嫉妬、被害妄想などの癖から、その明るく、前向き、積極的、肯定的、楽観的な姿勢に嫉妬して、その人様を追い出そうとしたり、その人が嫌がることをしたり、その人様を傷つけようとしてしまうことがあると思うのです。時には、その人様を後向き、消極的、否定的、悲観的にさせ、自分たちの方に引き入れようと仕向けようとすることさえあると思うのです。I 反対に、前向き、積極的、肯定的、楽観的で、明るく、元気な笑い溢れる集まりの中に、後向き、消極的、否定的、悲観的な人様が入ってくると、その人様に対して、 「もっと明るく生きていこうよ♪」 「もっと積極的にいこうよ♪」 「何ごともやってみないとわかんないよ♪」 「一緒に頑張ってみようよ♪」 「細かいことは気にしない気にしない♪」などのような感じで、優しく、温かく、親身になって、迎え入れてくれることが多いと思うのです。どちらの集まりに身を置かせて頂くのかは、私たち一人一人の自由だと思うのですが、魂の修正や成長をさせて頂くことを通じて、「幸せになる」「幸せに生きる」ことを目的としてこの世に生まれることを望んできた私たちの魂が喜ぶような集まりに身を置かせて頂きつつ、お互いに切磋琢磨して、心のあり方の高みを目指していきたいものですね。源光「瑞々しい感性で生きて行く人は、 ずっと青春時代を生きることができます。 愛と勇気と希望を持って触れ合う人々を元気に明るくして行く人は、 ずっと幸運の時代を生きることができます。 妬み、そねみ、恨み、ツラミで、自己中心に生きて行く人は、 ずっと暗黒の時代を生きることになります。 どの道も自由に選択することが出来ますし、 途中で道を変更することも自由です。 神仏は静かに見守って、その人の自主性に任せます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201310310000/「いつも不平・不満、愚痴を口にしている人のところには、 同じような人間が集まってきます。 いつも失敗ばかりしている人のところには、失敗者が集まってきます。 朗らかな、笑顔溢れる集りに参加しましょう。 幸運というものは、そういう場所にあるのですから。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401210000/「不平不満ばかり言う人や、人のあら探しが好きな人と 一緒にいると、自分もそういうレベルの人になって 望みもしない不幸を背負うことになりますから こういう人とは距離を置くことですよ。 幸福そうな顔をした人や、 成長し人生を楽しむことに関心を抱いている人に 囲まれているようにすれば、 自然に幸せと、生き甲斐が手に入るのです。 幸せと、生き甲斐を手に入れた人は、 不平不満ばかり言う人、 人のあら探しが好きな人に自分の経験から獲得した、 「幸せになる法則」を話してあげてください。 自分が出来て初めて人の心を救うことが出来るのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201402270000/『「類は類を呼ぶ」で、同じ種類の人間は集まるのです。 嫌な人がそばにいるということは、あなたも同類ということですよ。 つまり「合わせ鏡」ということ。。。 「違います!!」と言うなかれ。。。 素直にしていれば、いわゆる“卑しい人間”は 近寄ってこないのですから。』(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201510120000/「まずは人間を創ることです。 人の嫌がることをしないことです。 心を磨き技を練る。。。 技を練って心を磨く方法もあります。 さすれば幸福は向こうからやってくるのです。 良心という心の警察官。。。 誰でも持っているのです。 自らを裏切らないことです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201501130000/「蝿と友達になればゴミの中に連れて行かれるのです。 蝶と友達になれば、花園へ連れて行ってくれます。 しかし地上の蝿は、きらびやかに装って見えますし、 蝶は、さほど美しくも見えないのです。 心眼で観なければなりません。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201207220000/「幸せな人の周りには幸せの花が咲き乱れます。 気持ちが柔らかで、平静ならば、 その人の周りには自然とたくさんの幸せの花が咲くのです。 爽やかな笑顔の人は、美しい花畑がよく似合います。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312010000/「完璧な人はいませんから、ちょっとしたことで ひねくれたり良くなったりもするものです。 ひねくれている時のその人が、その人の全てではありません。 良い時の多い人が幸せの多い人であることは事実です。 出来るだけ、ひねくれないことですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312150003/「言葉には魂が宿っています。心して話しましょう。 愛も勇気も希望も夢も、全て言葉の中に宿っているのですから、 美しい言葉を話すことですよ。。 邪悪な言葉を慎むことです。邪悪な言葉は不幸を呼ぶのです。 鳥や虫たちの歌声がいつも同じ調子にしか聞こえてこないというのは、 無頓着な人間の粗雑な耳だけです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201305140001/「友人が多いのは素敵なことですが、 悪い仲間と交わるよりも、一人でいる方が良いのです。 無理に友人を作る必要はありません。 自然体で十分です。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412080003/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412080004/「人生は多くの愚者を友とするより、 一人の智者を友とするべきなのです。 縁は円、水車のように回ります。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201505140000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.03.13
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「世の中には、これが最高だと思っても、 さらにその上の優れたものがあるのです。 人は永遠の生徒。。。 常に学び続けなければなりません。」上には上がいるのが世の常だと思うのです。不完全で至らない点が多い私たち故に、自分がどんなにかレベルが上がったとしても、 (レベルが凄く上がった気になっていても)上には上がいること。。。そして、その上の方に優しくお見守り頂き、ご指導頂く立場にあることを考えると、いつも謙虚に学ばせて頂く姿勢で生かさせて頂くことが大切だと思うのです。 (レベルが上がったということで、傲慢になったり、 さも神様にでもなったかのような言動をし、 人様を見下し、傷つけるようなことがあれば、 たちまちレベルが下がってしまうだけだと思うのです。 裏を返させて頂くと、 真の意味でレベルが高くなればなるほど、 謙虚になり、人様を尊重し、愛の心で 人様のお心が安らぐような言動をすることができるようになる、 ということでもあると思うのです。)謙虚に学ばせて頂こうとする姿勢になれるのは、向上心があるからこそだと思うのです。謙虚に学ばせて頂こうとする姿勢になれないのは、 その時の自分のレベルの高さに自己満足して、 より高みを目指そうという向上心がないから。。。 その時の自分のレベルの高さが最高だと思い込み、 神様気分で鼻を高くしてしまっているから。。。だと思うのです。その他、自分のレベルがとても高いと思い込み、その優越感に浸る為に、自分勝手な自分基準によるものごとの見方で、「自分より下」とみなした相手にばかり目を向けてしまうから、ということもあると思うのです。 (例え、相手が自分より高いレベルの方であったとしても、 優越感に浸っている驕れた心故に、相手のレベルの高さを 見極めることができない、ということでもあると思うのです。)向上心。。。 現在の状態に満足せず、より優れたもの、 より高いものを目指して、努力する心。の意だそうです。魂の修正や成長をさせて頂く為に、地上という修業の場に生を与えて頂いた私たち故に、向上心をもって生かさせて頂くことが、私たちの魂の喜ぶ生き方であり、生き甲斐だと思うのです。「より高いレベルになりたい!」という気持ばかりが逸ってしまい、その時の自分にできることをせず、その時の自分がすべきことをせず、地道でコツコツとした努力もせず、手っ取り早く「より高いレベルになりたい!」というのは、より高いものを目指している「向上心」ではなく、「自分さえ良ければそれで良い」という利己心の表れであると同時に、「より高いレベルになりたい!」という自ら生み出した欲を追いかけているに過ぎないと思うのです。人様にバカにされようと、中傷されようと、見下されようと、自分の魂が喜ぶ道、自分の信じる道に向かって、日々、その時の自分にできることやすべきことを誠実に真面目にこなし、自分に与えて頂いた特技や能力を探求し、磨きをかけて、人様のお役に立つことや、人様にお喜び頂けるようなことに活かさせて頂こうという人様を思い遣る利他心をもって、地道でコツコツとした努力を継続させて頂くその姿勢こそ、より高いものを目指そうとする向上心の表れだと思うのです。そういう謙虚で誠実な心のあり方こそ、永遠の生徒である私たちのあるべき姿勢だと思うのです。 -------- 上には上があるもの。。。世の中には、不完全で至らない点の多い私たち一人一人の自分勝手な自分基準による「完璧」よりももっともっと「完璧」なものがあると思うのです。不完全な私たちが、完全や完璧を求めようとしても、もともとが不完全故に、何をもってして完全、完璧なのかさえ、分からないと思うのです。もし、「これで完全、完璧だ♪」と思ったとしても、それは自分勝手な自分基準による「完全、完璧♪」でしかなく、「完全、完璧♪」と思い込んでいる自分がいるだけなのだと思うのです。自分勝手な思い込みで「完全、完璧♪」としてしまうその姿は、天から見れば、ただの自己満足であり、不完全以外の何ものでもないのだと思うのです。完全や完璧を求めても、それに至るものではないのであれば、否、表現を変えさせて頂くと、完全や完璧というできないことを目標にして、頭を悩ませる暇があるのであれば、人様のお役に立つことや、人様にお喜び頂けること、そして、自分の夢や希望に向かって、良心に従い、誠実、真面目な姿勢で、「今」の自分にできることや、「今」の自分がすべきことを、「今」させて頂きながら、「今」を生かさせて頂くという、有意義で無駄のない時間の遣い方の方が、より完全や完璧に近い生き方だと思うのです。--------実るほど頭を垂れる稲穂かな♪人格の高い方ほど人様と接する態度が謙虚、 (裏を返せば、人格の低い小物ほど尊大に振舞う、ということ。)という意味で捉えられますが、人格の高い低いを問わず、 (自分のレベルに拘わるというのは、人様の目や人様の 自分に対する評価などを気にしているなど、 自分のことしか考える余裕がないということの表れだと思うのです。)驕り高ぶったりせず、卑屈になったりせず、人様と自分を比較せず、人様からの評価を気にせず、出逢いを頂いた全ての方々が、自分を成長させて下さる有り難い存在と捉えさせて頂き、そういう有り難い存在だからこそ、相手の方を受け入れ、尊重させて頂くことによって、自然と謙虚さが身について、自分らしい自分、ありのままの自分で、過させて頂くことができるようになってくるのだと思うのです。自分の魂のレベルの位置を決めるのは、自分でもなければ、人様でもなく、私たちが日々、良心に素直に従って、心清らかに生かさせて頂いているかどうかを、愛の心でお見守り下さっている天だと思うのです。そうであるとすれば、上とか下とか、言葉だけの地位や名誉、権力、肩書きなどに囚われる必要は全くないと思うのです。上とか下とか言っている間は、謙虚さが身についていないのだと思うのです。謙虚さが身についていないからこそ、「上だと優位、下だと劣位」と勝手に決めつけ、劣位ではなく優位でありたいと思ってしまうが為に上を目指してしまうのだと思うのです。本当の上にいらっしゃる方は、上であることを誇示したり、自慢することもなければ、何かを人様に押し付けたり、強要したり、はたまた、人様を支配しようとしたり、人様の自由を奪うようなこともなく、ただただ魂の修正や成長の為に必要な知恵や生きる為に必要な心のあり方や愛や光を惜しげもなく与えつくし、何らの見返りをも求めないような方々なのだと思うのです。ということは、上であることを誇示し、自慢したり、何かを人様に押し付け、強要したり、人様を支配し、人様の自由を奪うようなことをされる地位や権力、名誉、財産にものを言わせるような方は、この世のシステム上では「上」でも、あの世的には「上」に該当しないのだと思うのです。そもそも、自分がされて嬉しくないようなことを、地位や権力を振り翳して平気でしてしまうような方は、心にゆとりや豊かさ、優しさ、温かさ、愛の心がないからこそ、地位や権力に執着し、同時に、自分のポストがいつ奪われるかもわからない、誰かにいつ裏切られるとも分からないという不信や不安や恐怖に顔を歪ませ、心苛まれながら、生きることになるのだと思うのです。心にゆとりや豊かさ、優しさ、温かさ、愛の心がある方は、自分がされて嬉しいことだからこそ、人様にもさせて頂きたい、という感じで、人様と自分を重ね合わせて見ることができるからこそ、人様の喜びを自分の心の喜びとして、明るく、元気に、楽しく、笑って生かさせて頂くことが出来るのだと思うのです。どちらの生き方を選択するかは自由意志を与えて頂いている私たち次第だと思うのですが、何でも知っている天から授かった「良心」を心の友とし、「良心」に素直に従って生かさせて頂くことによって、人としてあるべき正しい心の道を歩み続けさせて頂くことが出来るのだと思うのです。なぜ「良心」を授けて頂いたのか。。。それを自分が天の立場になって考えさせて頂けば、自然と「良心」に従って生かさせて頂きたくなると思うのです。そして、身の程知らずの高慢・傲慢な姿勢で生かさせて頂くことに恥ずかしさを覚えると同時に、格好をつけたり、体裁を取り繕うという自分の至らなさを素直に認めさせて頂くことができることによって、自分に与えて頂いた境遇を素直に受け入れさせて頂いたり、聞く耳を持たせて頂こうという謙虚な姿勢のありのままの自分で、自分らしく生かさせて頂くことができようになるのだと思うのです。源光「愚かな人は、自分が賢いと考えるのです。 賢こい人は、自分が愚かなことを知っています。 この考え方の違いが、人生全てに、影響するわけです。 愚かな人は、後悔の多い人生に。。 賢い人は、豊かな実り多い人生に。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201602280000/ 「世の中で知られているようなことを、 自分だけが知っていると思い込んで得意がる人もいます。 人は、どこまでも謙虚に。。。上には上がいるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201501290000/ 「何かで有名になって、 偉くなったように思った時が アウトの時です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201506290000/ 「熟達した人であっても、 時には自分より経験の浅い人や年下の人、 あるいは子供に、物事を教わることもあります。 今日も、謙虚に誠実に生きていくことを心掛けましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201502230000/ 「中庸の道を歩むことですよ。 極端から極端に動かないことです。。 良心に従うことです。 なにも見えず、何も知らず、 何も聴こえないのが人というものなのですから。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201304290000/ 「自分の実力を知ることですよ。決して過信してはいけません。 過去の失敗を活かして大きな人物になってくださいね。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201306090000/「自惚れは苦しみの源泉である。 自惚れが消えたときから、人生の幸福な時期が始まる。 自惚れに翻弄されている人間に、天恵が降りることはない。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201108100000/「実れば実るほど、勉強すればするほど、 自然に自分の至らなさに気づき 謙虚になっていくのが人というものです。 天から観れば、謙虚で無い人は、 まだまだ修行の足らない、子供に過ぎないのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201303020000/ 「日々向上心があれば、単調な日常にも、 単純作業にも飽きることがないのです。 仕事・生活の中に、向上の道を探していきましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403060000/「知恵も智謀も、優れた人格には到底及びません。 優れた人格者は、人がうらやむ大成功しても、 決して、天狗さんにはならないものですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201306110000/「名誉も地位も権力も学歴も財力も収入も、肩書も 地上の小さな世界でしか通用しない 煙のようなものです。 自分の才能をひけらかすことなく、笑顔を絶やさず 周囲と同調してやっていける人こそ、立派な人です。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311130000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311140000/「人間、みんな平等です。誰が偉いわけでもありません。。 偉そうにしても、可笑しいばかり。。。 レベルの低さに呆れます。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407190000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407190001/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.03.12
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「笑う門には福来る、といいますね。 いつも笑っていれば、 自然に幸福がやってくるのです。 辛く苦しいことがあっても、 前向きで明るく笑っていれば、 誰でも、幸せを呼びこむことができるのです。」~笑う門には福来たる♪~~笑って損した者なし♪~裏を返させて頂くと、 笑わなければ福来ない。。。 笑わないで損した者あり。。。 だったら、ああだこうだと御託を並べず、明るく、笑って、元気に、楽しく過ごさせて頂き、幸せを感じて生かさせて頂きたいものですね♪笑う門には福来たルンルン♪♪ 幸せになる為に生まれてきた私たち♪幸せになる為には笑顔と言う笑う表情が大切だと思うのです♪笑うことが幸せを呼び込むのだと思うのです♪だからこそ、今日も、明日も、明後日も、笑うことを忘れずに生かさせて頂きたいものですね♪~笑って暮らすも一生泣いて暮らすも一生~せっかく同じ人生を過ごさせて頂くなら、難しい顔や怒り顔や暗い顔で過ごすよりも、明るく、楽しく、元気に、笑顔で生かさせて頂く方が、心も身体も気持ちが良いと思うのです。それならば、難しい顔や怒り顔や暗い顔を生み出すようなことにフォーカスしたり、それらに振り回されることのないように、明るく、楽しく、元気に、笑顔で過ごせるようなことに、目や意識を向け、気分を変えて、気持ち良く過ごさせて頂いた方が、より良い人生を歩ませて頂くことができると思うのです♬--------この世において与えて頂いている様々な試練や苦難は、私たちの魂が天にいるときに、修正させて頂きたい、と、強く望んでいた至らない点や業を、この世で修正させて頂く為のチャンスとして与えて頂いているものだと思うのです。試練や苦難といえば、自分にとって不都合なもの、又は、辛く苦しいが故に苦悩するものとして捉えられがちですが、修正すべき点を修正させて頂く為のチャンスとして与えて頂いているものと捉えれば、むしろ、とても有り難いもので、 「修正する機会を与えて頂けるなんて、ラッキー♪」と喜びながら感謝させて頂くべきものだと思うのです。それにもかかわらず、私たちは試練や苦難に苦悩し、不平・不満、愚痴ばかりを言って、悲観的になってしまうことがあると思うのです。不平・不満、愚痴を言うことによって、試練や苦難が去るのであれば良いのですが、不平・不満、愚痴を言っても去らないどころか、より増えてしまうのが試練や苦難だと思うのです。修正すべき点を修正させて頂く為のチャンスの試練や苦難に対して、感謝をさせて頂くことなく、不平・不満、愚痴を言っていては、火に油を注ぐようなもので、修正は愚か、より修正すべき点を増やしてしまうと思うのです。不平・不満、愚痴がなくならない限り、修正すべき点は修正されることはなく、その試練や苦難も去ることがないと思うのです。悲観的になって、不平・不満、愚痴を「言霊」として口に出し続けている限りは、それが繰り返されるばかりで、悪循環になってしまうと思うのです。その悪循環を止め、良い循環に変える為には、その逆のことをさせて頂けば良いのだと思うのです。悪循環の元になっているのが「悲観的」であるとすれば、その逆の「楽観的」で生かさせて頂けば良いのだと思うのです。悲観的から楽観的へ。。。「真逆のことをすれば良いといわれても、そんなこと簡単に出来るわけがない!」と思われてしまうことが多いと思うのですが、簡単に出来ないからこそ修行になる、ということもできれば、楽観的に生きているだけで、苦難が去っていくのであれば、それほど楽なこともない、ということも出来ると思うのです。 (逆に捉えさせて頂くと、悲観的になっていても修行にならない、 ということでもあると思うのです。)地上の私たちへのチャンスとして、試練や苦難を与えて下さっている天からすれば、チャンスとして与えている試練を試練ともせず、苦難を苦難ともせず、楽観的な生き方をしている私たちのその姿を見れば、試練や苦難を与えても仕方がない、ということになると思うのです。だからこそ、試練や苦難に苦悩し、悲観的になるのではなく、試練や苦難に対して、明るく笑えるくらいの図太い神経を育み、試練や苦難に対して脳天気に、そして楽観的になって、明るく笑って生かさせて頂いていれば、それで良いのだと思うのです。普通に考えても、同じ時間を過ごさせて頂くのであれば、同じ現象を経験させて頂くのであれば、ことあるごとに悲観的になって、不平不満、愚痴を言って、しかめっ面や怒り顔、暗い顔で過ごすよりも、何があっても楽観的に、明るく、元気に、笑顔で過ごさせて頂いていた方がものごとが良い方向に運び、幸せを呼び込むことになることは、容易に想像がつくと思うのです。それならば、今、この瞬間から、そういう生き方をさせて頂きたいものですね♬源光「笑顔、笑顔、笑顔、これで全てが好転しますよ。 朝から晩まで笑って生活してくださいね。 苦難を笑いのネタにして笑い飛ばしてくださいね。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210180000/「笑いのない日。。。 それは無駄な一日です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201410150000/「今日も笑顔で過ごしましょう。 笑顔は他人にも伝染します。 自分が明るく楽しくなることで、人にも多く貢献できるのです。 笑顔の輪が広がれば、世界に平和が訪れます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311060000/「人間は内面から輝くのです。 スマイル スマイル。。。 いつでもどこでも。。 スマイル スマイル。。。 驚くほど人生は好転していきますよ。 もちろんお顔も美しくなっていきます。。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412210001/「汝の徳性を輝かせるもので、 表情ほど重要なものはない。 笑顔で生きる者に天は微笑む。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201110270000/「着る物や身に付ける物に気を使う人は多いのですが、 残念なことに、表情に気を使う人は、ほとんどいません。 日々の明るい笑顔こそ、天の蔵を開ける幸運の鍵なのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201202230000/「下を向いて歩いていたら、小銭は落ちているかもしれませんが、 天空に掛かる虹を見つけることは出来ないのです。 今日も明るく笑顔の人でありましょう。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407150001/「天は、人間に笑う力を授けた。 この能力は、宇宙に存在する全てのものを 地上に降ろすほどの力を持っている。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201108180000/「チャンスの種は、困難の中にあります。 衰退の種は、順風の中にあります。 幸せの種は、笑顔の中にあります。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406080000/「幸せとは、よく笑い、楽しむこと。。 それ以外は、おまけのようなものです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312110001/「素晴らしい明日を迎える人は、 今日の一日を家族とともに笑顔で終えた人です。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201208310000/「何があろうと決して落胆しないこと。 笑い飛ばして生きて行くこと。 それが人生、負けない人のやっていることです。 不運を逆転させる唯一の道でもあります。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403300000/「何が起こっても、否定しない。くよくよしない。 ありのままを受け入れ、すべてを肯定するという前向きな姿勢。 これこそ、運のいい人が身につけている姿勢なのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312260002/「災難や苦難に遭遇すると、心が折れてしまう人がほとんどです。 これをよい機会に変えようと努力した人にのみ天は微笑むのです。 そして災難や苦難をジョークにして笑い飛ばせば、 事態は素早く好転していきます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312210003/「汝、笑顔で忍ぶことのできる者に天は微笑むことを知れ。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201111270000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.03.11
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『嵐が過ぎ去るのを、身を低くして、 「どうぞ、静かにお通り下さい」と、 過ごしたらいいですよ。 あなたは、必ず、元気になりますよ。 私はあなたを応援しています。』(グラ女神さん)暴風や暴雨が激しい嵐が吹き荒れる中、わざわざ外に出掛けたり、外で作業をすれば、大きな危険を伴うだけだと思うのです。危険が及ぶであろうことを分かっていながら、嵐に立ち向かっていこうとすることがあるものですが、それは度胸のある行動、又は、勇気のある行動ではなく、危険を軽んじる判断をしている無謀な行動だと思うのです。嵐は、何日も、何週間も、何カ月も、何年も続くようなものではなく、一時期的なもの。。。それならば、その嵐が吹き荒れる一時期に、例え、日常通りのことができなくても、自分のやりたいことができなくても、嵐が過ぎ去るまでの暫しの時間をそっと耐え忍ばせて頂けば良いと思うのです。わざわざ嵐の中に身を投じて危険を伴うことをして、取り返しのつかないようなことになるよりも、暫しの時間を耐え忍ばせて頂き、嵐が去った後の、澄んだ青空のもと、清浄な空気の中、気持ち良く日常に戻らせて頂いたり、自分のやりたいことをさせて抱けば良いと思うのです。魂の修正や成長をさせて頂く為に与えて頂いている試練や苦難の時も同じだと思うのです。止まない雨はない。。。苦あれば楽あり。。。朝の来ない夜はない。。。春の来ない冬はない。。。今、遭遇している境遇が、自分にとって試練や苦難であるのならば、その試練や苦難の雨は何れ止み、楽になり、朝を迎え、春を迎える、ということだと思うのです。それならば、 「もう自分ではどうにもならない」 「何をやっても上手くいかない」 「自分にできることはもうない」という状況であったとしても、 「頑張って、やるべきことや できることをしていれば、 いつの間にか、事態が好転して、 上手くいってるんだろうなぁ♪」という純粋な気持ちで奇跡を願い、奇跡を信じながら、今の自分の運命をありのままに受け入れさせて頂きながら、試練や苦難という嵐が過ぎ去るのを、そっと耐え忍ばせて頂いていれば良いと思うのです。 (諦めることで自暴自棄になったり、思い悩んだりして、 自分を傷つけるくらいなら、奇跡を願い、信じていた方が 心身にとっても健全だと思うのです。)そこまでさせて頂いたら、あとは「天にお任せ♪」で良いと思うのです。「天にお任せ♪」させて頂いたら、あとは事態が好転する時を楽しみに待たせて頂いていれば良いと思うのです。何れ好転することが分かっているのであれば、その日、その時を待たせて頂くことは、とても楽しみになると思うのです。とても楽しみになるとはいえ、ただ楽しみにしているだけでは、事態は好転しないと思うのです。同じ楽しみにして待たせて頂くにしても、前向き、肯定的、積極的、楽観的なものごとの見方で、明るく、元気に、笑顔で、楽しく、今まで通りに、 「その時の自分がすべきことをさせて頂く」 「その時の自分にできることをさせて頂く」はたまた、自分のすべきことを新たに見つけようと努める、自分のできることを新たに見つけようと努める、という地道な行いの積み重ねを繰り返させて頂くことが大切なのだと思うのです。そのような誠実、真面目な姿勢で明るく、元気に、笑顔で生かさせて頂いていると、日々の様々な境遇の中に隠されている事態を好転させる為のヒントや、新たに与えて頂いているチャンスに気付かせて頂けるようになるのだと思うのです。天のお立場からすると、地上で修業をさせて頂いている私たちが、長く続く苦難や試練をお迎えした時に、私たちがどういう心のあり方で過ごすのか。。。私たちの心の本質を見ていらっしゃると思うのです。長く続く苦難や試練に耐えきれず、後向き、否定的、消極的、悲観的、感情的になって、不平不満、愚痴を言い、怒りを露わにしてしまうのは、修行が必要な私たちにとっては極自然の反応だと思うのです。しかしながら、極自然な反応であるということは、魂の修正や成長をしていない。。。ということでもあると思うのです。そのような中、苦難や試練が長く続いても、 「いつかきっと良くなる♪」 「この境遇は、自分の魂の修行の為に与えて頂いている 苦難や試練なんだよなぁ~♪ 辛く苦しいけど、感謝させて頂くべきことなんだよな~♪ ありがとうございます♪」などと、前向き、肯定的、積極的、楽観的なものごとの見方で、平常心を保ち、忍耐強く、苦難や試練と向き合うことができるのは、魂の修正や成長が進んでいる証なのだと思うのです。そのような私たちの良好な変化が、一時期的なものではなく、本質的なところから改善された変化であると天がお認め下さると、事態はどんどん好転していくのだと思うのです。つまり、私たちが「待たせて頂いている」時間は、私たちの魂の変化が、良好なものであるか否か。。。もし、良好な変化であるのであれば、それは一時期的な見せかけだけのものか。。。それとも、本質的に改善された光り輝く変化なのか。。。を、天が見極めて下さっている時間でもあるのだと思うのです。ということは、私たちが「待たせて頂いている」時間は、試練や苦難が長く続くと、不平不満、愚痴を言い、後向き、否定的、消極的、悲観的、感情的になり、 「どうして自分だけがこんな目に合うんだ!」 「自分さえ良ければそれで良い!」という利己心に生きてしまいがちな自分を改善させて頂く為の時間。。。裏を変えさせて頂くと、、いつ何時も良心に従い、平常心を保ち、人様を思い遣る心である利他心を持ち、前向き、肯定的、積極的、楽観的なものごとの見方で生かさせて頂くことができる強い心、逞しい心、勇ましい心、大きい心、豊かな心、優しい心、温かい心、愛の心を育ませて頂く為。。。自分自身に克つ為に必要な時間。。。なのだと思うのです。試練や苦難という人生の嵐が過ぎ去るのを心静かに待たせて頂く。。。その「待たせて頂く」ときの姿勢によって、その後の試練や苦難という嵐の動き方も変わるのだと思うのです。=心のあり方や言動、プロセスが良い==魂の修正や成長が進んでいる==試練や苦難が過ぎ去っていく==心のあり方や言動、プロセスが良くない==魂の修正すべき点が増えている==試練は大試練に。。。苦難は大苦難に。。。=もともと私たちの魂の修正や成長の為に与えて頂いている試練や苦難故に、極自然な流れだと思うのです。その試練や苦難を与えて下さっているのは、私たちの魂の修正や成長を応援して下さっている天。。。天が応援して下さることほど、力強いものはないと思うのです。だからこそ、天が私たちの為に与えて下さっている試練や苦難に心から感謝をさせて頂きたいものですね。そして、試練や苦難という現象に心揺さぶられることなく、良心に従って、その時の自分がすべきこと、その時の自分が出来ることをさせて頂きながら、試練や苦難という嵐が過ぎ去るその日まで耐え忍び、心静かにその日を待たせて頂きたいものですね。源光「喜びましょう。 期待しましょう。 明日を見ましょう。 そうです。 明日は、晴れるのです。 寒い冬ももう終わりです。。 あなたの人生。。 春の陽射しがそこまで来ていますよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201602090000/「明けない夜は無いのです。 あなたの人生も同じことです。」(ラクシュミーさん)「たとえ今は不幸な状況であっても、 じっと耐え忍んでいれば、いずれ幸せが巡ってくるのです。 いつまでも冬が続くわけではなく、春は必ず訪れます。 朝のこない夜もないのです。」(ラクシュミーさん)「暑さ寒さも彼岸まで、 残暑は秋の彼岸までに治まり、 余寒は春の彼岸までに和らぐので、 それ以後は過ごしやすくなるという自然の理です。 どのように困難な事態であっても、 やがては終わりが来て乗り越えることができます。 だから苦難の時も、諦めずに耐えることですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201509140000/「待つ。。。ひたすら待つ。。。大切なことです。 農作物、人生。。。 育てることが上手な人は待つことが上手です。 待っていることに喜びや楽しみが感じられれば 今を充実して生きられるのです。 経済的苦難も、鬱も、病気も、慟哭も、 トラブルも事態の好転をひたすら待つ。。。 待つことが喜びであり楽しみ。。。 もはや好転したも同じです。 天はそのような人にご褒美を降ろします。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201511010000/「心の病、大病など、根性や、精神力、 お金ではどうにもならないこともあります。 自分の力のないことは天に任せて、自分の心がけをよくし、 根本から再生の努力をすることです。 天は心の美しさを求めているのですから。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408230001/「幸運の時も不運の時も、すべての現象に感謝しましょう。 感謝は最大の徳であるだけでなく、全ての徳の源なのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406240001/「不安、不自由、不足や不満の種は尽きませんが、 恵まれていることは忘れていませんか? 心が不安や不満でいっぱいになったら、 不平不満、不安,不自由から心を放して、 恵まれていることに感謝しましょう。 そうすれば、あなたを悩ませている問題は、 霧がはれるように少しずつ消えていきます。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312210001/「なにもかも失われても、未来だけはまだ残っています。 希望を持っている限り、天はそれを求める気の毒な人を、 決して見捨てはしないのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201306130000/「冬の時代にすべてを今すぐに知ろうとしても無理です。 心が春になって雪が解ければ観えてくるのです。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409050000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409050001/「人生は、悩み、挫折、後悔。。これの繰り返しだと思っていませんか? 本当は、悩みは幸運の種、挫折は喜びの種、後悔は輝く希望の畑です。 幸運の種と、喜びの種を、輝く希望の畑に蒔いて育てれば、 必ず大きな実りの日々が訪れます。 種だけを見ていると、本当につまらないものに見えるかもしれません。 苦難の多いあなたは、すでに心の長者の資格があります。。 たくさんの種を手にした選ばれた人なのです。 あなたのすることは、ただ、蒔いて育てる。。それだけのことです。 あなたの望むもの全ての種は、手の中にあります。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312160002/「山は、どこからでも登れますが、 正規の道を、お天道様に感謝しながら、 楽しく明るく家族笑顔で登っていくのが一番です。 藪を切り開いて登ったり、 お日様の射さない裏から登る必要はないのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210080000/「良心は人生航路の羅針盤。。。。 足ることを知らない欲望が嵐です。 嵐は自分で産み出したもの。。 自然に発生したのではありません。 嵐に翻弄されるのは、羅針盤に従わなかった 自分の心と言動に原因があるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401130000/「心が悪い想念に流されることも、 嵐に巻き込まれることもあるでしょう。 しかし、そこで良心に従って反省すればいいのです。 その繰り返しで魂は向上していきます。。 あなただけの心のブランドを創り上げていくことですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407080000/ 【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.03.10
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「あなたに足りないのは、 時間でも、気持ちでも、お金でもなく、 自信だけなのです。 何にもなくても自信があれば なんでも成し遂げられるのです。」「自信」 自分の才能・価値を信ずること。。。 自分自身を信ずる心。。。「自信がない」 自分の才能・価値を信じていない。。。 自分自身を信じていない。。。世界でたった一人しかいない「自分」という存在は、誰に何と言われようと貴重な存在だと思うのです。それにもかかわらず、 自分で自分の才能や価値を信じることができない。。。 自分自身をも信じることができない。。。では、自分が気の毒だと思うのです。私たちの本質は、自分という意識の大本になっている「魂」だと思うのです。魂は、自分のことを愛していると思うのです。自分のことを信じていると思うのです。自分のことを愛し、信じているからこそ、 魂の修正や成長をさせて頂く為。。。 過去生における業を清算させて頂く為。。。に地上という修業の場に生まれることを自ら望み、地上における自分の人生設計を予め決めて来ているのだと思うのです。そして、自分の特技や能力を良心に従って、 人様のお役に立つことをさせて頂く。。。 人様にお喜び頂けることをさせて頂く。。。ことを通じて、魂を磨き、修正し、成長させて頂く。。。それが人生の目的だと思うのです。過去生から培ってきた自分の特技や能力は、人様の為に活かさせて頂く為に育んできたもの。。。折角の自分の特技や能力も、 自分の才能・価値を信じていない。。。 自分自身を信じていない。。。という「自信がない」状態では、宝の持ち腐れになるどころか、魂の修正や成長をさせて頂くことさえ、儘ならなくなってしまうと思うのです。それは、私たちの本質である魂にとって、本当の自分である魂にとって、不本意なことだと思うのです。=不本意な生き方==自分の才能・価値を信じていない生き方==自分自身を信じていない生き方==魂(自分)が喜ばない生き方=自分を信じていない生き方だからこそ、悪循環に陥ってしまうのだと思うのです。それ故に、試練や苦難に遭遇すると、自分と向き合うことができずに、それらから目を背けたり、逃げたりしてしまうのだと思うのです。その結果、自分で自分をどんどん貶め、自分で自分をどんどん苦しめてしまうのだと思うのです。自分を信じていないが為に。。。その悪循環を良い循環にさせる為には、単純にその逆をさせて頂けば良いと思うのです。=自分に素直な本意な生き方==自分の才能・価値を信じる生き方==自分自身を信じる生き方==魂(自分)が喜ぶ生き方=何があっても自分を信じる生き方をしているからこそ、試練や苦難に遭遇しても、自分と向き合うことができる。。。今すべきことは何か。。。今できることは何か。。。を冷静に、かつ、客観的に選択、判断することができる。。。のだと思うのです。その結果、自分で自分をどんどん奮い立たせることができたり、自分で自分をどんどん育ませて頂くことができ、自分の人生がどんどん拓けてくるのだと思うのです。それが出来るのは自分を信じているからこそ。。。「自信」 自分の才能・価値を信ずること。。。 自分自身を信ずる心。。。自信を持って生きることは、自分を愛して生きている、ということに他ならないと思うのです。本当に頼りになるのは、自分自身に他ならないと思うのです。だからこそ、自信を持って生かさせて頂きたいものですね。世界でたった一人の自分だからこそ、 自分で自分を精一杯信じる、信じ続ける。。。 自分で自分を精一杯愛する、愛し続ける。。。ことが大切だと思うのです。その一方で、気を付けさせて頂くべきこともあると思うのです。自信を持って生かさせて頂くことは、とても素晴らしいことだと思うのですが、それが高じて、過信したり、自惚れたり、傲慢になったり、上から目線で人様を見下してしまっては、自分で自分を貶めているだけだと思うのです。同じ自信を持って生かさせて頂くにしても、不完全で至らない点がある私たちだからこそ地上という修業の場で生かさせて頂いていることを忘れずに、謙虚な姿勢で生かさせて頂けるよう努めさせて頂きたいものですね。源光「できると思えばできる、できないと思えばできない。 人生とは、ただそれだけのことです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408200000/「人を信じるのです。 そして、その何倍も自分を信じてください。 自分ほど頼りになる存在はこの世にいないからです。」(ラクシュミーさん)「なにが苦しいといって、 自分自身を否定しているのが一番苦しくて辛いのです。。 自分だけは、誰がなんと言おうと自分の味方です。 自分を誰よりも好きになってください!! 成功者は、例外なく自分大好き人間ばかりですよ。。 苦境の時、自分ほど頼りになる存在はありません。 指導の存在から命の水を頂ける人は、 最後まで自分で自分を見捨てなかった人なのです。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201502080000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201502080001/「人から笑われようとバカにされようと、 自信を持って堂々としていればいいのです。 あなたが堂々としていると、 あなたをバカにして笑っていた人も恥ずかしくなって、 むしろ尊敬の念を持ってあなたに接してきます。 自分を卑下しているから、 人にも軽視されるようになるのです。 あなたの素晴らしさ。天は全てを知っていますよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312040002/「自分自身という財産を持っている人。。。 最終的に勝利者になる人です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405020001/「汝は汝自身を、もっと愛さなければならない。 自分を愛せない者は、人も愛せない。 汝を高みに連れて行くのも、坂道を転げ落ちるのも、 全て汝自身の心掛け次第である。 天は手助けをするに過ぎない。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201109230000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.03.09
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「女をよく言う男は、女をほとんど知らない者であり、 女を常に悪く言う男は、女を全然知らない者なのです。 夫婦とはそういうものを超越した存在です。。 かつて苦楽を共にした夫婦。。。 今世も縁が巡り、再び一緒になった仲。。。 分かり合えないはずがないのです。」男女の性別の違い云々の前に、一緒にいることが自然。。。一緒にいるだけで幸せ。。。一緒にいるときの安心感。。。どこか懐かしい温もりを感じる。。。「初めまして」のはずなのに、知っているような感じがする。。。結婚相手というより良き理解者、善き相棒。。。男と女の繋がりと言うよりも魂と魂の繋がり。。。心の故郷を一にする者同士。。。そういう相手が、過去に何度も何度も夫婦を繰り返してきた者同士なのだと思うのです。時に、自分のことは棚に上げて、 「どうして一緒になってしまったのか。。。」 「来世は一緒になりたくない。。。」 「来世はもっと良い人と一緒になりたい。。。」などと堂々と仰られる女性、男性がいるものですが、天からすれば、 「どうして一緒になってしまったのか。。。」 →「あなたが相手の方と約束されたことですよ。 その約束を忘れ、自分のことを棚に上げて、 相手のことを悪く言っては、自分で自分を 貶めてしまうだけですよ。」 「来世は一緒になりたくない。。。」 →「あなただけがそう思っているわけではないかもしれませんよ。 相手もそう思っているかもしれません。 相手にそう思われる理由は、あなたにも原因があるはずです。 お互いがお互いに抱く色々な思いの原因を、 愛の力でお互いに理解し合い、 尊重し合っていくことが修行ですよ。」 「来世はもっと良い人と一緒になりたい。。。」 →「あなただけがそう思っているわけではないかもしれませんよ。 相手もそう思っているかもしれません。 また、そういう言葉を発するあなたを見聞きした第三者が、 あなたと一緒になりたいと思うでしょうか。。。 逆の立場だったら、あなたはどうでしょう。。。 もっと良い人と一緒になりたいと思う前に、 今の相手にとって、もっと良い人であるよう 努めることも大切ですよ。」などのようにお思いになられると思うのです。天界にいる時に約束してきた相手。。。その相手と、地上でご縁を頂き結ばれる奇跡。。。愛し合っているからこそ、紆余曲折、色々なことがあっても、助け合い、支え合い、分かち合い、協力し合うことができる美しい関係。。。その相手に、 「今世も一緒になれて良かった♪ どうもありがとう♪ 天界でも一緒にいようね♪」 「来世もまた一緒になろうね♪ 天界に戻ったら、 来世も一緒になる約束をしようね♪」などと思って頂いたり、言って頂けるような心と心の深い繋がりを築かせて頂きながら添い遂げる。。。本当の夫婦。。。約束の夫婦。。。永遠の夫婦。。。とは、そういうものなのだと思うのです。--------男性と女性。惹かれあう者同士。恋をし、愛し合う者同士。新たな生命(子供)の誕生に、家族の絆を感じる者同士が、一つ屋根の下で暮らさせて頂くのが「家庭」だと思うのですが、はじめの内は、お互いがお互いを思い遣り、助け合い、協力し合い、分け合い、支え合い、気遣い合っていた仲の良い関係が、時の経過と共に、それらが薄れていってしまうことがあると思うのです。自分のことを棚に上げるだけでなく、相手の良いところを見ようとせず、相手の欠点ばかりを見てしまったり、何でも欠点に結びつけるような見方をしたり。。。自分が相手の欠点にばかりフォーカスすれば、相手もまた自分の欠点にフォーカスしてしまい、お互いがお互いに対する不平、不満を募らせるばかりのいたちごっこになってしまうと思うのです。それではいつしか別れをお迎えすることになってしまうと思うのです。別れをお迎えすることがなかったとしても、「家庭内別居」という言葉があるように、形ばかりは夫婦関係が保たれていても、心は離れ離れ、ということもあると思うのです。それでは一緒にいても「幸せ」を感じることができないと思うのです。「幸せ」を一緒に築こうと夫婦になったにもかかわらず。。。一緒にいれるだけでも「幸せ」だったにもかかわらず。。。お互いがお互いの欠点ばかりにフォーカスすると、そのようなことになってしまうと思うのです。お互いが相手の欠点にフォーカスしたところで、自分も相手も不完全な人間には変わらないと思うのです。そもそも、不完全な人間同士が夫婦になるということは、お互いがお互いの魂の修正や成長の為に存在している、ということでもあると思うのです。そのように捉えさせて頂くと、相手の長所や欠点だけではなく、それらを含めた「相手」という貴重な存在は、自分の魂の修正や成長にとって、掛け替えのない存在なのだと思うのです。逆の見方をさせて頂くと、自分の長所や欠点を含めた「自分」という存在は、相手の魂の修正や成長にとって、お役に立たせて頂くことができる存在、ということでもあると思うのです。それならば、相手に何かを要求するのではなく、「自分の魂の修正や成長」の為に存在してくれている相手に対して、自分は 「何をさせて頂くことができるか」 「何を差し出すことが出来るのか」 「何を与えることが出来るのか」 「どんな形でお役に立てるのか」という、相手を思い遣る心、愛する心、奉仕の心をもって、生かさせて頂くことが大切だと思うのです。そのように生かさせて頂くことは、「自分の魂の修正や成長」の為に存在して下さっている相手に対する恩返しにもなると思うのです。相手の欠点を責めるのではなく、相手を思い遣る心、愛する心、奉仕の心をもって赦し、相手の欠点を補い、修正・成長のお手伝いができるよう、自分の長所を積極的に活かさせて頂く。。。そのような相手を思い遣る心、愛する心、奉仕の心を持って、お互いに補い合い、支え合い、助け合い、分け合い、協力し合って生かさせて頂いていれば、各々の欠点は少しづつ修正、改善され、各々の欠点の修正・成長の為に活かしてきた自分の長所は、より素晴らしい長所となって、相手の為だけではなく、人様のお役に立つことができるほどの長所にもなっていくと思うのです。相手の欠点は、自分の長所をより良くなるよう磨き、輝かせてくれるもの。。。相手の長所は、自分の欠点を補い、修正・成長させてくれるもの。。。 (とはいえ、自分の欠点を反省することなく、 自分を律することもなく、相手の長所に 甘んじてばかりでいては、自分で自分を 貶めているようなものだと思うのです。)そのように捉えさせて頂くと、相手の長所だけでなく、欠点でさえも有難いものになってくると思うのです。だからこそ、長所、欠点をも含めた相手の全てを、そして、生まれてくる前に夫婦になることを天で約束してくれた掛け替えのない相手の全てを愛し、全てを赦すことができるような大きな心、優しい心、愛の心、奉仕の心を育ませて頂きたいものですね。そして、相手の為に、家族の為に生かさせて頂きたいものですね。掛け替えのない「相手」や「家族」を欠いてしまってから、それが掛け替えのない「相手」や「家族」であったことに気付く、ということのないように、自分の心が安らぎ、自分の愛を惜しみなく与えることができる「相手」や「家族」を、自分に安らぎを与え、自分に愛を惜しみなく与えてくれる「相手」や「家族」を日頃から大切にして、「相手」や「家族」との絆をより深めていきたいものですね。源光「いっしょに「いる」ということ。 それだけで幸せ。。。 これこそが結婚の本質。。。 家族の本質です。。。。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201410310000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201410310001/ 「二人三脚で走る。。歩く。。散歩する。。語り合う。。 夫婦で力を合わせると素晴らしい世界が開けます。。 いつも二人三脚ではなく 個人の時間も大切にしている夫婦は、 年齢を重ねるごとに幸せになっていくのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408160000/ 「縄文の昔から、現在に至るまで、生まれ変わり 偶然を装った必然で、 何度も何度も、出逢って夫婦、家族を繰り返している 約束の家族も存在します。 これが愛の家族。。。 あなたの家族かも知れません。。(一部抜粋)」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401010000/「世の中でもっとも重要な出逢いは、夫婦の出逢いです。 世の中でもっとも重要な仕事は、親という仕事です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403130000/「男と女は、互いに相手の長所と欠点を併せて愛せなければ、 いずれ別れることになるでしょう。 相手の全てを愛し、そして許してこそ真実の夫婦になれるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401110000/「価値観を共有しながらも、 いつまでたっても新鮮な驚きのある人。。 これが約束の彼(彼女)なのです。 あなたはもう運命の人と出逢いましたか? 愛し合い、許し合い、助け合う夫婦。。 笑顔溢れる仲良し親子。。永遠の家族。。 これが地上の幸せの極致なのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312270001/「家族とは汝についてすべてのことを知っていて、 それにもかかわらず汝を好んでいる人のことである。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201112020000/「家族の心と心の繋がりほど美しいものはこの世にありません。 みなさんそのことに気づいて欲しいのです。(一部抜粋)」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209090000/「夫婦、親子の礼儀は忘れがちですが、 幸せな家庭は心愛(しんあい)の礼儀が保たれているものです。 互いを思いやることを忘れてはなりません。(一部抜粋)」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312030005/「地上の家族は、約束の家族です。 仲良く明るく助け合い、成長していきましょう。。 永遠の家族でありましょう。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210230000/「目がさめて愛する人が傍にいる。。。 なんて幸せ。。。さあ愛する人のために働こう。 今日も笑顔で頑張ろう。。 永遠の家族とは、こういうものですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311280000/ 「互いを束縛しないことです。 互いを結ぶ紐は解けやすくしておいて、自由なのがよいのです。 豊かな心は、思いやりと愛を育みます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201402220000/「互いを監視するのはやめましょう。 あなたが自由になれば、相手も自由になれます。 人は、相手を拘束した分だけ、自分も拘束されるのです。 愛とは、互いを信頼すること。。拘束することではありません。」 (ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201402160000/「人様と調和し、夫婦協力すれば、 独身の時の何十倍ものパワーを発揮できます。 子供ができ、家族が増え、笑顔いっぱいに生涯を送れば、 天の門が開きます。人生とはそういうもの。 シンプルそのものです。(一部抜粋)」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201203230000/「永遠の夫婦とは愛する事を教えてくれた大好きなあなたを、 永遠に愛して生きるものです。 これを究極の愛といい、永遠の幸せが約束された夫婦なのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201402060000/「相手の美貌や愛欲、職業 収入によって結ばれた結婚は、簡単に破綻しますが、 心と心で結ばれた結婚は、年を重ねるごとに幸せになっていきます。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407250000/「いつまでも妻が夫に夢中な夫婦は、最高の夫婦です。 いつまでも妻を夢中にさせる夫は、最良の夫です。 二人の間に産まれた子供は、愛の天使です。約束の家族。。 あなたの家族のことかも知れません。笑顔で仲良くいつまでも。。 地上を去っても家族一緒。。これが究極の幸せです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311270000/ 【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.03.08
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「人生は二つに一つです。 それは勇気をもって挑むか。。 棒に振るか。。。」「勇気」 物事を恐れない強い心。いさましい意気。 いさましい意気。困難や危険を恐れない心。の意だそうです。「棒に振る」 それまで積み重ねてきたものを無にしてしまう。。。 それまでの努力や成果を無にする。ふいにする。の意だそうです。何ごとも、勇気をもってことに当たれば、良くも良くなくも前進すると思うのです。 (反対に、勇気を持たずにことに当たると、 そこにあるのは、停滞、又は、後退だと思うのです。) 前進するということは、まだ見ぬ未来の道を歩むということだと思うのです。まだ見ぬ未来の道を歩むということは、自ら道を開拓するということだと思うのです。 (停滞・後退では、まだ見ぬ未来の道を知る由もなく、 「まだ見ぬ未来の道」を歩むことはできないが故に、 自ら道を開拓することもできないと思うのです。)自ら道を開拓するということは、様々な新しい境遇やチャンスに恵まれる、ということだと思うのです。 (停滞・後退では、過去の経験に固執したり、束縛されるだけで、 新しい境遇やチャンスに恵まれることはないと思うのです。)様々な新しい境遇やチャンスに恵まれるということは、それを今を生きる自分や、未来の自分に心正しく活かさせて頂けば、より実りある人生を築かせて頂くことができる、ということだと思うのです。より実りのある人生を築かせて頂くということは、私たちの魂が喜ぶ生き方だと思うのです。唯一、魂の修正や成長をさせて頂くことができる、この世という修行の場に生まれる機会を待ちに待っていた私たち。。。それがどんなにか辛く苦しいことであろうと、自分で自分に課した試練を自らの力でクリアしようと張り切って生まれてくることこそ、勇気のあることだと思うのです。ということは、この世に生まれてきている私たちは、みんな勇気を持っているのだと思うのです。ただ、魂の修正や成長をさせて頂くことができる修行の場であるこの世に喜び勇んで生まれてきたことを、忘れてしまっている(忘れさせられてしまっている)が故に、私たちが勇気をもって生まれてきたことさえも、忘れてしまっているに過ぎないのだと思うのです。喜び勇んでこの世に生まれてきた私たち。。。折角、修行の場であるこの世に生まれてきたことを考えれば、後で後悔することのないように、何ごとにも臆することなく、それまで積み重ねてきた努力を無駄にして棒に振ることのないよう、勇気をもって過ごさせて頂きたいものですね。棒に振る=それまで積み重ねてきた努力を無駄にすること。。。つまり、棒に振ろうとしてしまうその時までは、勇気を持って努力を継続してきた。。。ということだと思うのです。勇気を持って努力を継続してきたけれども、 「もうどうにもならない。。。」 「もう限界。。。」と感じるような試練や苦難に遭遇させて頂くからこそ、 「これまでの努力を諦めるしかない。。。」として棒に振ってしまう方もいると思うのです。反対に、そのような境遇に遭遇しても尚、 「こんなことで負けるもんか! 今まで努力してきたことを絶対に実らせるんだ!」 「辛く苦しい試練や苦難に遭遇した時こそ、 耐えて、耐えて、耐え抜いて、 それを乗り越える為に努力して、頑張るぞ! 乗り越えられない試練や苦難はないはずだ!」として、それまでと同様に、否、それまで以上に勇気をもって人生に挑もうとする方もいると思うのです。 前者は、いつの日か、棒に振ったことを後悔すると思うのです。後者は、それまでの努力を棒に振らず、勇気を持って挑むことを選択したことで、より辛く苦しい境遇に遭遇することもあると思うのですが、自分に負けることなく、自分を信じて前進してきたことにより、自信や誇り、強く逞しい心が育まれると思うのです。私たちは、勇気を持っていようと持っていまいと、毎日、「新しい日」をお迎えさせて頂き、「新しい日」を切り拓かせて頂いていると思うのです。ただ、その「新しい日」を過ごさせて頂くに当たって、そこに勇気があるのとないのとでは、その一日が有意義な日になるか否かに違いが生じるのだと思うのです。次から次へと与えて頂いている「新しい日」を無駄にすることなく、有意義なものにしたければ、何ごとにも臆することなく、勇気をもって過ごさせて頂けば良いのだと思うのです。何事にも臆することなく、とはいえ、何も考えずにするのは、ただの無謀でしかないと思うのです。何かをさせて頂くにも、策を練ることが大切だと思うのです。策を練ることは誰にでもできるものだと思うのですが、それを行動に移すことが容易ではないと思うのです。それが困難なことであろうと、策を練って行動に移すことができること、それが「勇気」だと思うのです。人としてあるべき正しい心である良心に常に従い、その良心から生まれる不退転の決意と勇気を持って生かさせて頂けるような自分を育ませて頂き、「ここぞ!!」「今こそ!!」という時に、不退転の決意と勇気をもって、行動に起こさせて頂きたいものですね。勇気が湧いてきたから、何かに挑むことができるのではなく、何かに挑むことを決意するからこそ、勇気が湧いてきて、挑むことができる。。。勇気とはそういうものだと思うのです。--------同じ現象を与えて頂いても、人それぞれの心のあり方、ものごとの見方によって、その現象はそのベクトルの向きを大きく変えていくと思うのです。その現象が、一般的に試練や苦難のように感じる現象であったとしても、 「ここで試練(苦難)を与えて頂くということは、 これを乗り越えれば飛躍できるということだな♪ それに試練を与えて頂けるということは、 乗り越えられる準備が整っているということだから、 乗り越えられないわけがない!! これはチャンスだ!! よし、頑張るぞ♪」と捉えて、その現象をありのままに受け入れて、その現象に勇気をもって挑ませて頂けば、その現象(試練)が自分の味方となって、飛躍する為の準備を整えてくれると思うのです。反対に 「何で自分ばかりがこんな試練に会わなければならないんだ。。。」 「面倒くさいから、気づかなかったことにしておこう。。。」 「こんなの嫌だから、逃げちゃおう。。。」等のような姿勢を取ってしまうことがあるものですが、そもそも、何らかの現象を与えて頂くときは、その現象がその時の自分にとって必要な現象故に与えて頂いている「偶然を装った必然の現象」であることを考えれば、その現象から逃げようとしても、必要な現象である以上は、逃げても逃げ切れるものではないと思うのです。逃げても逃げ切れるものではないものから、一時期的に逃げることができて自己満足できたとしても、「逃げる」ことそのものが、実は自分で自分を追い込み、与えて頂いたチャンスを自ら捨てている行為に他ならないと思うのです。ということは、逃げれば逃げるほど、自分を追い込み続け、チャンスを捨て続けることになり、自分で自分を辛く苦しめてしまうだけだと思うのです。その現象が自分に都合の良いものであろうとなかろうと、感謝の心をもって、前向き、肯定的、積極的な姿勢でその現象を受け入れさせて頂けば、大なり小なりチャンスとなり、後向き、否定的、消極的な姿勢でその現象から目を背け、逃げ続ければ、結果として自分で自分を追い込み、苦しみが続くのだと思うのです。その時の自分に必要なことだからこそ与えて頂いている現象について、自分の心のあり方、ものごとの見方で、わざわざ自分で自分を追い込み、苦しめる必要はないと思うのです。それならば、 「なぜこの現象が今の自分に必要なのか?」など、自分に与えて頂いた現象(境遇)に意味を見出させて頂くことに意識を向けさせて頂きながら、現象と向き合わせて頂き、勇気をもって、前を向いて歩ませて頂いた方が、人生が拓けてくると思うのです。--------同じ境遇に対しても、ある人は「不安」や「恐れ」を感じ、ある人は「希望」や「夢」を抱く、ということがあると思うのです。ということは、その境遇そのものが「不安」や「恐れ」を生み出すものではなく、その境遇に反応している私たちの心が勝手に想像を膨らませて、「不安」や「恐れ」を生み出しているのだと思うのです。境遇そのものが「不安」や「恐れ」ではない上に、もともとそこには「不安」や「恐れ」がなかったことを考えれば、本来「不安」や「恐れ」を感じようがないと思うのです。「不安」や「恐れ」を感じようがないものに「不安」や「恐れ」を感じても仕方がないと思うのです。自ら「不安」や「恐れ」を生み出してしまっても、自分の【心のあり方ひとつ】で、「不安」や「恐れ」が消え去るばかりか、場合によっては、「希望」や「夢」を抱くことさえできるのだと思うのです。【心のあり方ひとつ】。。。心ある人間だからこその特徴だと思うのです。魂の修正や成長をさせて頂きつつ、幸せになる為に生かさせて頂いている私たち。。。同じ人生でも【心のあり方一つ】で大きく変わるのであれば、不安や恐怖に苛まれて、暗く、陰鬱になったり、不平不満、愚痴、怒り、嫉妬を生み出し、それまで積み重ねてきた努力を諦めて棒に振ったり、難しい顔や顰め面で生かさせて頂くよりも、希望や夢に向かって、勇気を持って挑み、明るく、元気に、楽しく、笑顔で生かさせて頂く方が、人生は楽しく幸せだと思うのです。それを分かっていても、どうしても前者を選択してしまう、ということもあると思うのです。選択しているのが、自分自身であることを考えれば、不安や恐怖に苛まれるのも、希望や夢に向かって生きるのも、自分の選択次第。。。【幸福になる心のあり方】【不幸になる心のあり方】どちらを選択するかは自由だと思うのですが、魂の修正や成長をさせて頂きつつ、幸せになる為に生まれてきた私たちの魂からすれば、 【幸福になる心のあり方】こそ、魂の喜ぶ生き方なのだと思うのです。源光「同じ現象でも 挑めばチャンス。。。 逃げればピンチ。。。 ただそれだけのことです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201505300000/「勇気は、逆境を光に変える行動です。 臆病は、逆境を地獄に変える行動です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408120001/ 「大切な人生の局面で、勇気を失うと全てを失います。 勇気があれば、道は開けます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201402210000/「勇気ある愛は、 幸福に達するに最も必要なものです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210230000/「最善のものを求めて、最悪のものに備えるのです。 これが愛と勇気と希望を運んでくる生き方なのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201207160000/「自分の持ち場で、自分のやるべきことを、やるべき時に、 キッチリとやっていたら運は逃げないのです。 それをやらないから運やツキが逃げるわけです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201503040000/「人が、逃げてしまいたいこと。。。嫌なこと。。 素通りしたいこと。。恐れることを 良心に従って率先してやる人は、奇跡を呼ぶのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405200000/ 「あれこれと心配して、心労で疲れてしまうより、 覚悟を決めてしまった方が楽になり、 災いを転じて福とする事が可能になります。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401160000/「いくら考えていても思考が堂々巡りするばかり。。 具体的に動けば 具体的な答が出ます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201404170000/「勝てないと思い込み、夢も諦めて、 初めから努力をしない人を負け犬といいます。 勝てるかもわからないのですから、 夢を実現するために自分を信じて 努力すればよいのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201402250000/「この道を行けば、どうなるものか。 危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし。 迷わず行けよ、行けば、分かる。」(ビシュヌさんの分霊さん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201202040000/ 「不安や心配事はすべて自分の想像によるものですから、 全てがうまくいっている想像をすればよいのです。 最初は想像がうまくいかない時もあります。 どうしても不安や心配事に縛られて、 不安や心配事が現実になってしまえば、 ただ平常心で対処すればよいのです。(一部抜粋)」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311030002/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.03.07
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「誰も見る人もいないのに美しく咲く花。。。 人もそうありたいものです。」立派な木々や、木々の足元を飾るお花さんをはじめとする植物さんたちは、自ら何かを求めようとすることはなく、 ただただ自分に与えて頂いた環境で、ただただ自分の置かれている環境で、その環境に適応して生きようとしていると思うのです。豪雨で溺れそうになろうと、強風に飛ばされそうになろうと、大雪の寒さに凍えそうになろうと、雨の少ない乾季になろうと、焼けてしまうほどの暑さになろうと、不平、不満、愚痴などを一切露わにすることなく、ただただ、自分に与えて頂いた環境を受け入れられるよう耐え忍び、更には、順応しようと努めているのだと思うのです。木々やお花さんなどの植物の生き方には、 「自分さえ良ければそれで良い」という利己的な姿勢はなく、 自分が存在させて頂く為。。。 自分が生かさせて頂く為。。。に様々なものを与えて頂いていることに対する沢山の感謝の気持ちと、その恩返しとして、自分が出来ることを通じて、お天道様や地球さん、人間や昆虫さんや動物さんなどに喜んで頂きたい、という利他心で生きているのだと思うのです。いつの季節も、その季節を彩る木々やお花さんなどの植物さんたちがありますが、それは、 「木々やお花さんたちから多くのことを学んでくださいね♪ 木々やお花さんたちに習うことは沢山ありますよ♪ 木々やお花さんの生き方をいつも忘れないように、 いつの季節にも木々が茂り、お花さんは咲いているのです♪」という天の私たちに対する無償の愛の表現の1つなのだと思うのです。木々やお花さんの生き方から学ばせて頂けることは多々あると思うのです。 不平、不満、愚痴を露わにしない生き方。。。 自分に与えて頂いた環境を受け入れさせて頂き、 前向きに、肯定的に、積極的に生きる生き方。。。 何に対しても感謝の心を持たせて頂く生き方。。。 ご恩を忘れず、恩返しをさせて頂こうとする生き方。。。 (次世代の新緑や蕾という子孫の肥やしとなるよう、 自ら枯れては散っていくその姿は、報恩だと思うのです。) 何かを他に求めるのではなく、 自らが与えられるものを与えようとする生き方。。。 見返りを求めない、恩着せがましくしない生き方。。。 自らの逞しさ、強さ、大きさ、美しさ(笑顔)で、 周りを癒し、和ませ、感動させ、笑顔にさせる生き方。。。 自らに恥じることのない生き方をしている自分の後姿で 子孫を育み、子孫の為の肥やしとなる生き方。。。 利他の心で生きる生き方。。。などなど。。。「木」の字は、 一画目・・・枝に覆い被さるように繁る葉っぱさんたちを。。。 二画目・・・幹を。。。 三、四画目・・・土の中の根を。。。表しているそうです。木は、地上に出ている高さと同じ位の根を地中に張り巡らしているといいます。それ位に地中に根を張り巡らせているからこそ、ちょっとやそっとのことでは倒れないのだと思うのです。その「木」の佇まいは、私たち人間に、地にしっかりと足を着けて生きることの大切さを教えて下さっているのだと思うのです。「お花さん」の「花」という字は、「草冠」に「化ける」と書きますが、もしかすると、天が草(お花さん)に化けて、地上に咲き乱れることを通じて、私たちをお見守り下さり、私たちの身近なところで無償の愛を与え続けて下さっている、という意味なのかもしれませんね♪ (天界には絨毯のようにお花さんが 咲き乱れているようですから。。。)木々やお花さんをはじめとする植物さんたちのあり方のように、私たちも自分に与えて頂いた環境や自分の置かれている環境が、例え、自分の自分勝手な自分基準によるものごとの見方で、自分に都合が良くない、楽しくない、面倒くさい境遇であろうと、不平不満、愚痴を漏らさず、思い通りにならないことに感情的にならずに、その時の自分に必要故に与えて頂いている境遇であることを、心から理解させて頂くことに努めつつ、心から感謝させて頂きながら、 「今出来ることは今させて頂く」 「今すべきことは今させて頂く」 「耐えるべきは耐えさせて頂く」 「楽しむべきは楽しませて頂く」 「何をすれば人様のお役に立てるのか」 「何をすれば人様にお喜び頂けるか」 「自分は次世代に何を残すことができるのか」などを考え、その考えたことを行動に起こしながら生かさせて頂きたいものですね。源光 「人が見ていようといまいと、 正しき言動の出来る人でありましょう。 天は全てを知っています。 地上での勝ち負けは、 大した問題ではないのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201310010000/「天は、全てを知っています。 何を考えたか、心の中までも。。 ですから心正しく生きなければ、 この世を去る時に大後悔するのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209140000/「誰も見ていないようでも 全てを観ている存在があるのです。 あなたの日々の行動の全ては記録されているのです。 もちろん心の中で思ったことも。。。 良心に恥じることができるはずもありません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201506190000/「花は咲く場所を選びません。。 あなたの歩む道にも咲いています。 路肩に咲いている名も無い花に語りかけて下さい。 生きる意味を教えてくれることでしょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403070000/「窓の外の、自然に目を留めてくださいね。 寒風の中、木々は、不平も言わずに、 今日もしっかり生きていますよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201509270000/ 「天に愛される人は、 運に恵まれようと、 運に見捨てられようと、 態度を変えない人なのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201207020000/「幸せは足下に生える雑草や 朝日にきらめく花の露と同様、 無数にあるのです。 今日も思い煩うこともなし。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409210000/ 「自分は生きているのではなく、 「生かされている」という事実に気づきましょう。 本当の幸せは、あなたの心の中にあるのです。 幸せを追いかける人はいつまでも幸せになれず、 今、呼吸をしている幸せに気づく人が、 本当に幸せになれるのです。 まずは、生かされていることに感謝しましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401020002/「不安、不自由、不足や不満の種は尽きませんが、 恵まれていることは忘れていませんか? 心が不安や不満でいっぱいになったら、 不平不満、不安,不自由から心を放して、 恵まれていることに感謝しましょう。 そうすれば、あなたを悩ませている問題は、 霧がはれるように少しずつ消えていきます。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312210001/「人は足下に転がっている幸運は見過ごして 手の届かないようなものばかり追い求めるものです。 幸運はあなたの足下に今もあります。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201507170000/「人が天から魂をさずかっているのは、 触れ合う人々を愛するためである。 全世界の人々を愛するためである。 憎しみ合うためではない。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201108020000/「愛するもの、輝くものを持っている人は 心から幸せを感じて生きています。 物質的高価な物や、名誉や地位や財産、肩書きなど 他人がよいと思うものを持っているから幸せなのではありません。。 あなたは愛するもの、輝くものを持っていますか? まだ手に入れていない人もいますが、 それは、あなたの手の届くところに今もあります。。 そっと手を差し伸べてください。。そして愛おしんでください。。 あなたのために咲いた一輪の花を。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312050004/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.03.06
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「個性的だからこそ、素敵なのです。 何か得意なことで社会貢献してください。 それで生活できるのが一番の幸せです。」「何だか良く分からないけど、〇〇にとっても興味がある♪」「何だか無性に〇〇をやってみたい!」「〇〇をしている時が、一番ワクワクして楽しい♪」「〇〇については、どんどん頭に入ってくる!」 などということが、その理由こそわからなくても、多かれ少なかれあると思うのです。私たち一人一人にとっての「〇〇」は異なると思うのですが、一人一人にとっての「〇〇」は、その人が過去生において、携わっていたことや、お仕事、趣味、研究していたことなど、探究したり、楽しんだりしながら歩ませて頂いていた自分の道なのだと思うのです。とはいえ、その道は凸凹道など様々な道が待ち受けているが故に、過去生だけではその道が拓けなかったり、自分では満足できない、という結果に終わってしまうこともあると思うのです。そのような過去生における「〇〇」に対する思い入れや探究心が、今生における探究心や生き甲斐、目標、目的、努力、創造などとして、引き継がれている、ということが多々あると思うのです。自分が向かおうとしている「〇〇」への道は、一見、自分の探究心を満たす為のように見えて、実はその「〇〇」を探求させて頂いていることや、探究させて頂いている過程において、その「○○」を、様々な面で人様のお役に立たせて頂けることや、人様にお喜び頂けることがたくさんあるのだと思うのです。裏を返させて頂くと、人様のお役に立たせて頂くことをさせて頂いたり、人様にお喜び頂けることをさせて頂くことによって、行き詰っていた探究や研究の道を拓くヒントを、何らかの形で与えて頂いたり、探究や研究の発展を助長して下さる方との出逢いに恵まれたりするなど、様々なことに繋がっている、ということも多々あると思うのです。つまり、自分が探究させて頂いたり、楽しませて頂いている「〇〇」は、自分の探究や努力だけではなく、様々な人様との出逢いや境遇によって、支えて頂き、育ませて頂き、成長させて頂いている、ということでもあると思うのです。だからこそ、人様が「〇〇」を探求されていたり、努力されている時、困っている時などは、自分が様々な人にして頂いているように、そして、自分が様々な人にして頂いてきたように、お互い様の心で、人様の「〇〇」の発展を支えさせて頂いたり、快くお手伝いさせて頂いたりして、助け合い、分け合い、与え合い、補い合い、協力し合って生かさせて頂きたいものですね。人様の為にさせて頂いたことが、実は自分の為になっていた。。。ということが思いのほか多いものだと思うのです。 (もちろん、下心や見返りを求めていなければ、 のお話ですが。。。)だからこそ、自分に与えて頂いている特技や能力という個性が、人様のお役に立たせて頂くことができるのであれば、そのような機会を与えて頂いていることに心から感謝させて頂きながら、積極的に、そして、快く、お役に立たせて頂いたり、協力させて頂くことが大切だと思うのです。--------同じお花さんでも、1つ1つの咲く時期や1つ1つの色合いや、1つ1つの咲き方や、1つ1つの咲く場所は異なれど、そのお花さんらしく咲いていれば、とっても美しいものだと思うのです。それと同じように、私たちも一人一人が、「自分」という名の蕾を開花させるべく、「自分らしさ」という「個性」や自分の内にある「良心」や人様を思い遣る「愛の心」「優しい心」などを大切にして、生かさせて頂くことこそ、美しい「心の咲かせ方」だと思うのです。長いものには巻かれよ。。。ことなかれ主義。。。人様の顔色を見て行動。。。付和雷同。。。をはじめ、自分さえ良ければそれで良いとして、お金さんや地位や名誉、権力など欲しさに「良心」や「魂」を売ってしまうという、「自分」や「自分らしさ」という「個性」を大切しない生き方は、この世的な人生はどうであれ、それは、自分の心を自ら「割いて」しまっていると思うのです。私たちの心は「咲かせるもの」であって、「割くもの」ではないと思うのです。魂の修正や成長をさせて頂く為に、この世という修行の場に生まれる機会を与えて頂いている私たちは、「自分の心(個性)」という蕾を大切に大切に育み、美しく開花させたいものですね。そして、 「自分の蕾さえ咲けばそれでいい! 自分が咲く為には人様の蕾はどうでもいい!」などとして、人様の蕾を紡いだり、傷つけたりしてしまうようなことはせず、人様の蕾が綺麗なお花さんを咲かせることができるように、何らかのお手伝いをさせて頂くなど、人様のお役に立たせて頂いたり、人様にお喜び頂けるようなことをさせて頂きたいものですね。蕾が綺麗なお花さんを咲かせる為には、お天道様の光や扶翼な大地や水分や綺麗な空気など様々なものが必要になると思うのです。その必要なもの全てを自分を取り巻く多くの方々が自分に与えて下さっているのと同じように、自分も人様の蕾が綺麗なお花さんを咲かせる為の、光になったり、土になったり、水になったり、空気になったりして、お役に立たせて頂けることを自分の喜びとして生かさせて頂きたいものですね。そのような生き方こそ、自分の魂の喜ぶ生き方であり、人様に必要として頂けることこそ、幸せな生き方だと思うのです。人様のお役に立たせて頂けば頂くほど、私たちの心の蕾はしっかりと育まれ、いざ開花するときは、それはそれは美しいお花さんを咲かさせて頂くことができるのだと思うのです。そのように考えさせて頂くと、人様と自分を比較したり、自分勝手な自分基準で人様を評価したり、人様と競ったりするのではなく、一人一人がお互い様の心で、自分の個性を活かして助け合い、協力し合って生かさせて頂くことこそ、みんなの心の蕾を美しく開花させることになり、幸せ一杯のお花さんが咲き乱れるお花畑がみんなの力によって育まれていくのだと思うのです。それは決して難しいことではないのだと思うのです。自分の心の中に、何らかの見返りを求めようとする下心を生み出すことなく、ただただ純粋な心で、 「人様のお役に立たせて頂きたいなぁ。。。」 「人様にお喜び頂けることをさせて頂きたいなぁ。。。」という心の蕾を生み出し、それを育てる為に必要な光や水、栄養を与える為の何らかの「行動」を、少しづつでもさせて頂けば良いのだと思うのです。それが自分のものであろうと、人様のものであろうと、純粋な心から生まれた蕾を枯れさせてしまうことのないように、お互いがお互いを思い遣る心を持って、各々が過去生から培ってきた特技や能力という個性を人様の為に活せて頂く心正しい生き方をさせて頂きたいものですね。源光「何でも出来る人はいません。 天界でもそうなのです。 それぞれの特技を活かして、 協力し、助け合い、励ましあって、 暮らしやすい平和な世界を創造するところに 最高の喜びがあるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201305220000/「ひとり一人の魂は、 本質において宇宙の魂以外の何ものでもない。 人間はお互いに、頭、腕、胴、足となって 補い合わなければならない。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201107170000/「天は個性をとても大切にしています。 天職は、その人が、輪廻転生で 探求し続けてきた道や技を活かせる職ということ。 個性を活かして、触れ合う人達と協力しあって 世の中を幸せのお花畑にしていきましょう。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201305230000/ 「強者にも弱点はあります。 弱者にも強者には無い強みがあります。 個性を活かして、少しでも世の中の役に立つ人になりましょう。 それが生きるということなのですから。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201306120000/「世の中が暗いと不平を言うよりも、 自分で進んで一本の明かりをつけていきましょう。。 一人ひとりの心に燈った小さな明かりも 何千本、何万本と集まっていけば、 この世の闇も消滅していくのです。 小さな一本の明かりでいいのです。 世の中に必要とされる人でありましょう。 この世で一番不幸なことは、飢えや病気ではなく、 この世で必要とされていないと感じるときなのですから。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407290000/「世の中から孤立してもいいと腹をきめて、 自分を貫いていけば、本当の意味でみんなの役に立ち、 喜ばれる人になれるのです。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407130001/「意味もなく生まれてきた人はいないのです。 自分自身の、そして他の人々の人生に意味を見いだしましょう。 あなたの人生はあなたのもの。。(一部抜粋)」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312310000/ 「自分が社会の中で何か役立っている。。。 社会の中に自分の居場所がある。。。 自分を必要としている人がいる。。 なんて素敵なことでしょう。 お金があって、遊んで暮らしている人。。。 虚しさに心が張り裂けそうなのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412050000/ 「本当に好きな仕事というものは、 頑張っているとか努力しているという感覚がないのです。 だから少し余分なお金が入ってきます。。 こういう仕事を天職といいます。 天職で食べられる。。幸せなことですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406210000/ 「汝は、自分の魂の喜ぶ仕事を、 根気良く続けなければならない。 それは、僅かな報酬しか生まないこともある。 それでも道は、真っ直ぐに続いていることを知れば、 いつの日か報われるであろう。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201109250000/「今、夢中になっているものがありますか? どうぞ何処までも探求して下さいね。 それが貴方が真に求めているものなのですから。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201310290000/「誰でも、子供の頃から、なぜか特に勉強したわけでもないのに 他人より上手くできるものがあるはずです。 過去の自分が学んだ宝を、活かすことを心掛けてください。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312180000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.03.05
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「どのような大先生の理論でも 成功法則や幸せになる法則は、その人の法則です。 参考にはなりますが、人は人ですよ。 自分にふさわしい流儀で成功法則、 幸せになる法則を体得してください。 これも半分の法則です。」自分は自分。人様は人様。人様がお説き下さる幸福論、成功論は、その人様が幸福になる、又は、成功するに至った方法論であり、経験談であることを考えれば、その人様に適していたことには違いないと思うのですが、それが自分にとって、必ずしも適していると言えるかどうかは別のお話だと思うのです。 (永久不変の真理をお説き下さるものは別だと思いますが。。。)「自分」という意識や個性、特技、能力を持って生かさせて頂いている私たちにもかかわらず、人様の幸福論、成功論を模倣するばかりでは、「自分」としての人生を生きていない、ということになると思うのです。それでは、例え人様の幸福論、成功論を模倣して成功を手中に収めたとしても、「自分」の心が幸せを感じることはできないと思うのです。「自分」には、自分が幸福になる生き方、自分が幸福を感じる生き方、自分が幸福になる夢、希望、生き甲斐、自分の個性を活かした成功の仕方、自分の特技や能力を活かした成功の仕方など、「自分」に適したものがあると思うのです。人様の幸福や成功を羨まない。。。妬まない。。。人様と自分の幸福や成功に対する価値観を比較しない。。。自分勝手な自分基準によるものごとの見方で人様を評価しない。。。人様の自分に対する目を気にしない。。。人様に気に入られる自分を演じない。。。その上で、 自分らしく生かさせて頂けばそれでいい♪ ありのままの自分で生かさせて頂けばいい♪ 自然体の自分で生かさせて頂けばいい♪ 今の自分のままでいい♪ なりたい自分になればいい♪ 自分の思い通りの自分になればいい♪という姿勢で生かさせて頂くことこそ、私たちの魂が喜ぶ生き方だと思うのです♪私たちは、一人一人が個性溢れる存在で、生まれた日や生まれた場所、容姿や年齢、性格、育ってきた環境、培ってきた様々な経験、感性、特技、能力、ものごとの見方や捉え方、考え方、生き方、趣味、嗜好、好きなもの、嫌いなもの、得意なもの、苦手なもの、ものごとに対する価値観、魂のレベルなど、様々な点において、十人十色、千差万別で、共通している点といえば、「心ある人間同士」ということくらいだと思うのです。ということは、人様の幸福論や成功論などのアドバイスは、その人様がご自身の様々な経験から培かってきたもの故に、そのご本人様には有効でも、人様にとっては必ずしも有効とは限らないと思うのです。だからこそ、人様の幸福論や成功論などのアドバイスは、あくまで参考として受け止めさせて頂き、 「これはいいな♬」 「こういう考え方は参考になるな♬」 「こういう心のあり方は大切だな♬」と素直に思えることは、自分に合う形に変えて取り入れさせて頂き、あまり心に響かなかった点は、アドバイスを頂いたことに感謝させて頂きながら、受け流させて頂けば良いのだと思うのです。「どうしたいのか。。。」「何がしたいのか。。。」「何をすべきなのか。。。」「何ができるのか。。。」 などなどそれらを最終的に決めることができるのは、何を隠そう、自分自身だと思うのです。しかも、その時々の状況に合わせて、自由自在に決めることができると思うのです。それにもかかわらず、人様の幸福論や成功論などのアドバイスや様々な本などにばかり依存してしまっては、どんどん自分らしく生きることができなくなってしまい、余計に自分で自分を悩ませてしまうばかりか、 「アドバイス通りにしても上手くいかない!」 「本に書いてある通りにしても上手くいかない!」などとして、アドバイスをして下さった方や本などのせいにしてしまうことがあると思うのです。アドバイス通りにしようと決めたのは自分。。。本に書いてある通りにしようと決めたのも自分。。。自分のことを自分で何も決めない。。。そういう自分のことを棚に上げて、他のせいにしてしまっては、自分で自分を貶めてしまいかねないと思うのです。そうやって、自分の人生を歪にしてしまうのだと思うのです。人様の道は人様の道。。。自分の道は自分の道。。。私たちは、この世に生まれる前に、予め、自分の魂の修正や成長に必要な自分の人生設計を構築して、この世に生まれてきていると思うのです。それにもかかわらず、この世に生まれてくると、自分の人生設計よりも、人様の人生設計の方がこの世的に良く見えたりすることで、その人様のやることなすことを真似てみたり、追従してしまうことが良くあると思うのです。自分の人生設計通りに生きるのではなく、人様の人生設計の軌条に乗って生きても、それは自分の人生設計の軌条ではないが故に、自分の魂が目指している道には、いつまでたっても繋がらないと思うのです。自分にとって本当に良い人生は、生まれる前に自ら構築してきた自分の人生設計通りに生かさせて頂くことだと思うのです。人様の幸福論や成功論だけでなく、欲や邪念に翻弄されることなく、人様に何と言われようと動じることなく、「自分の信じる道」を見つけ、真っ直ぐに歩ませて頂くことこそ、生まれる前に構築してきた自分の人生設計の軌条を切り拓きながら(思い出しながら)生かさせて頂いている、ということになるのだと思うのです。そういう「自分の信じる道」を見つけさせて頂く為の1つの方法論。。。「自分の信じる道」の歩き方の1つの方法論。。。として、人様の幸福論や成功論を参考にさせて頂けば良いと思うのです。間違っても、人様の幸福論や成功論を鵜呑みにして、「自分の信じる道」に置き換えてしまうことのないように気を付けたいものですね。「道」という字は、部首の「之繞(しんにょう)に「首」と書きます。「之繞」は、「道」や「歩く」ことを意味するそうです。「道」という字は、これらの意味や字の様子から見て、自分の首を「道」や「歩く」意の之繞に乗せていると思うのです。自分の首を乗せられるのは、自分の歩むべき道だけ。。。だからこそ「自分の信じる道」を歩ませて頂きたいものですね。源光 「最も幸福な人とは 人が説く幸福論などに惑わされず 今のままでいいと知っている人なのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412070000/ 「人からの忠告に基づいて自分の人生を設計すると、 あなたの人生はいびつになるのです。 自分の人生は自分で設計すればよいのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406230000/「他人は、いろいろアドバイスしてくれますが、 あなたを苦しめているものから脱する方法は、 自分で心から納得できるものでなければなりません。 他人の解決法は参考にしかならないのです。 本来、自己というものは無く、無なのですが、 肉体を持つと煩悩の虜となって苦しむのが人というものです。 一旦、自己を手放してみることです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312230004/「前進しているつもりかも知れませんが、 他人の後ろから行く人は、前進しているのではなく 追従しているだけですから他人の道を行くだけで、 自分の進みたい道は拓かないのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201404190000/ 「人の成功法則は、人の成功法則です。 自分に合ってるかどうかが全てです。」「まず今の現実を知ることです。 どんなスゴイ成功法則を知ったからと言って 自分が置かれている現実からしかスタートできないからです。 一人ひとりスタート地点が違うのに同じ法則で対応できるわけはないのです。 成功法則は今の自分に合わせてアレンジしなければ使い物にならないのです。」「いくら成功法則を学ぼうとセミナーに行こうと 少しも成功しない人は多いのです。 自転車を乗りこなすための一番早い方法は、 実際に、自分が自転車に乗って転んでみることです。 転んだら、また自転車に乗る。そしてまた転ぶ。 こうして自転車に乗れるようになるのです。 成功は実践。。 理論は後からついて来るのです。 理論で、成功するほど世の中は甘くはありません。。」 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408230000/「生まれる前に決めていた自分のコースを 自分のペースで歩むのが最高の幸せの道なのですが、 なぜか、人のコースが良いように見えたり、 人のペースが早い様に見えて焦るのが人間です。 人は人。。我は我。。コースはみんな違います。 本来のコースを外れた人生を送って、 名誉や地位や権力を手に入れたり、学歴や肩書、財産などがあっても 一つも面白くない人生を歩んでいる人もいるのが世の中というものです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312220000/「汗と涙のなかから知恵を生みだしただけでは、まだまだの人です。 笑顔で実践しなければなりません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403100001/「人と同じことをしなければならない。。 というのは単なる思い込みです。 良心に恥じず人様に迷惑を掛けないのであれば 何でもやってみることです。 そしてダメなら即、中止する勇気が必要です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201402020000/「人生は、自分で切り開いてこその楽しみがあります。 切符を買ってレールの上を走っているエリートには 決して分からない妙味が、あるのです。 この妙味こそ魂を向上させる偉大なエキスなのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403070001/ 「人生には、敷かれたレールを走る人、安易な道を歩く人には、 決してわからない奥深いものが隠れているのです。 これを見つけ出し、持ち帰るのが、最大の天命なのですが、 持ち帰った人は古来稀です。 生まれながらに、誰にでもそのチャンスは与えられているのですが。。」(ラクシュミーさん ) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401180000/「地上に生を受けることは、降りる前に自分自身で決定していた、 路線に沿って魂を磨くということです。 無意味に生まれてきた人は、ただの一人も存在しないのです。 自分自身に誇りと夢を持って、活きて頂きたいと思います。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201310240000/「汝の人生は、汝のものである。 大空を羽ばたくも、籠の鳥となるも 自由に選択することができる。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201109270000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.03.04
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「人間ですから理不尽な仕打ちを受けたりすれば、 人を憎んだり、復讐したくなるような時もあります。 ですが、自分で復讐などしなくても、そのような人は、 自然な形で自分の行いの報いを受けるものです。 また、復讐そのものが巡り巡って、 自分に跳ね返ってくるのですから復讐は無用です。 因果応報は神の仕事ですから、 天の報いは誰も逃れようがないのです。」人様から何らかの理不尽な仕打ちを受けた時、その相手を憎んだり、復讐をすれば、それと同じことを、又は、それ以上のことを、相手は自分に対してしようとしてしまうと思うのです。ことの発端は相手にあるとはいえ、憎まれたり、復讐されれば、相手は黙っていないと思うのです。 (もし、当初から黙っていられるような 冷静で、客観的で、利他的な方であれば、 ことの発端になるようなことはないと思うのです。)黙っていないということは、更に相手から理不尽な仕打ちや嫌がらせを受ける、ということになると思うのです。それに腹を立てたり、目くじらを立てて、相手を非難したり、攻撃したりしても、相手を増長させてしまうばかりで、またやり返されるだけだと思うのです。それでは、同じ応酬の繰り返しで、いつまでたっても埒が明かないと思うのです。いつまでたっても埒が明かないようなことに、自分の大切な時間を費やし続けて、時間を無駄にしても仕方ないと思うのです。その間、いつも苛立ちや不平不満、怒りなどを感じながら過ごしていても、楽しくも、面白くもないと思うのです。そればかりか、そのような生き方をしていたら、自分で自分を貶めてしまうだけだと思うのです。相手からの理不尽な仕打ちに対して向きになったり、相手の挑発に乗ることによって、自分の感情が左右され、自分でも思いもよらないような言動することが、自分で自分を貶めてしまいかねないのであれば、相手の土俵に乗ることのないように、そこは大人になって、物事に動じない毅然とした態度をもって、相手からの仕打ちや挑発をかわす努力をさせて頂けば良いと思うのです。見方を変えさせて頂くと、理不尽な仕打ちやつまらない挑発をかわす術を学ばせて頂く為の貴重な機会を相手が与えて下さった、と捉えさせて頂くこともできると思うのです。「相手の方は、理不尽な仕打ちやつまらない挑発をするという 自分で自分を貶めてしまうようなことを、わざわざ、 私が成長させて頂く為にして下さったんだ♪」と捉えさせて頂くと、むしろ、感謝させて頂くべきだと思うのです。「人様に理不尽な仕打ちをする」、「人様につまらない挑発をする」、という種さんを蒔いた以上は、何れ、「人様から理不尽な仕打ちをされる」「人様からつまらない挑発をされる」という因果応報の結果を自ら刈り取らねばならなくなると思うのです。それと同じことを自分が相手に返すということは、自分も「人様に理不尽な仕打ちをする」、「人様につまらない挑発をする」、という種さんを蒔いているということになってしまうと思うのです。そのような種さんを蒔いてから後悔しても遅いと思うのです。だからこそ、そのような種さんを蒔くことのないように、理不尽な仕打ちやつまらない挑発をされた時でも、 「これは自分の魂の修正や成長の為に与えて頂いた 【ひっかけ問題】だな♪ 引っかからないようにしなきゃ!」 「相手の挑発に乗れば、自分で自分を貶めるだけ。。。」 「相手にすれば相手にするだけ増長するだけだし、 行っても分からない相手だから放っておこう♬」などと受け留めさせて頂き、「理不尽な仕打ち」「つまらない挑発」という【ひっかけ】に乗ってしまうことのないように、良心を心の共にして、平常心と客観的視点を失わないようにして過ごさせて頂きたいものですね。例え、「理不尽な仕打ち」「つまらない挑発」をしてきた相手が、幸せそうに生きている様子を見聞きしたとしても、それは、その相手が報いを受ける準備が熟していないだけなのだともうのです。機が熟せば、その相手の意思に関係なく、否が応でも、因果応報で、人様に「理不尽な仕打ち」「つまらない挑発」をしたという悪因による悪果の報いを受けることになるのだと思うのです。それは天のお仕事ゆえに、地上の私たちが、 「あの人はいつ報いを受けるのだろう。。。」 「あの人が早く報いを受けますように。。。」などと余計なことを考えたり、願ったりする必要はないと思うのです。「理不尽な仕打ち」「つまらない挑発」をしてきた相手を反面教師とさせて頂き、 「自分がされて嫌だったことは人様にはしない! 逆に、自分がされて嬉しい、有り難い、と思えることを 人様にさせて頂こう!!」という気持ちを抱いて、過去の嫌なことはさっさと忘れ、明るく、元気に、笑顔で、自分らしく過ごさせて頂く。。。そのようにして嫌な経験という試練・苦難を柔軟に乗り越えさせて頂いた自分の人生は、新たに拓かれていくのだと思うのです。源光「あなたを陥れた人が、幸せそうに生きていたら、 「あゝ神も仏もいないのだな。。」と思うのも無理もありません。 しかしこれだけは言っておきましょう。 まだ悪の報いが熟さないあいだは、 悪人でも幸運に遭うことがある。 しかし悪の報いが熟したときには、 悪人はわざわいに遇うのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403030001/「理不尽はこの世的に通用しているように見えているだけですね。 全ては、お天道様が知っていますから。。大丈夫ですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210300000/「世の中に理不尽なことは尽きません。 なぜならば、地上は、あらゆる魂の階層の人が 一同に介して修行をしている場所だからです。 腹を立てるだけ損だと思って、怒りをおさめましょう。 勉強代だと思って相手を許し、 不甲斐ない自分も許してあげましょう。 必ず勉強代が活きるのです。 逆境や苦難の多い人は光の天使。 どうぞ苦い経験を活かして世の中を明るくして下さいね。 そのために生まれてきたのですから。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311240000/「天罰を逃れることは決してできないのです。 罪を犯して逃げおおせた人は多いじゃないか。。。と言うなかれ。。。 来世にキツイお仕置きがあることを決して忘れないことですよ。 天は全てをお見通しなのです。 あなたが今、何を思っているかも。。 口先で、うまいことを言ってもダメですよ。 心の中が問題なのです。 良心に恥じない生き方。。。 たった今から始めることです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201502010000/「理不尽な仕打ちを受けて、人を憎んだり、 復讐したくなるような時もありますが、 決して復讐などしてはいけません。 復讐は、更なる復讐を生んで、 際限なく苦しみが続きます。 自分で復讐などしなくても、そのような人は、 心の修正を求められて、自然な形で 自分の行いの報いを受けるものです。 それが天法というものです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312220006/ 「戦いは戦いを生み、復讐は復讐を呼ぶ。 好意は好意を生み、善行は善行を招く。 愛は愛をもって巡回する。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201108030000/「自分の心に正直に、良心に恥ない思考と言動をして生きていても、 必ず妨害をする人が出て来るものです。 その方こそ天が送ってくれた、先生です。 霊界テストと思ってくださいね。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210030000/「あなたが扱われたいように、他人を扱いなさい。 汝が隣人からされたくないことを隣人に行ってはならない。 隣人を自分自身として見ることで、 人は正しい基準を得ることが出来る。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201107150001/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.03.03
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「今。。。この一瞬に、 あなたは5分後の自分を作ったのですよ。 嫌な顔をしませんでしたか? 嫌な言葉を発しませんでしたか? 人を中傷しませんでしたか?」例え、嫌な状況や辛く苦しい状況であろうと、否、嫌な状況や辛く苦しい状況だからこそ、否、嫌な状況や辛く苦しい状況にもかかわらず、「今」この一瞬を、明るく元気に笑顔で過ごすことができるからこそ、5分後には、嫌なことや辛く苦しいことは遠ざかり、心は晴れ晴れとし、本当の明るく元気な笑顔になれるという好循環に恵まれると思うのです。反対に、せっかく楽しく幸せな状況を与えて頂いているにもかかわらず、足ることを知らずに、「今」この一瞬を、不平不満、愚痴、嫉妬、怒りなどを発して過ごせば、5分も経たない内に、楽しく幸せな状況は遠ざかり、場がしらけ、5分後の自分は、更に不平不満、愚痴、嫉妬、怒りなどが酷くなり、5分後の自分を取り巻く人様は、楽しく幸せな時間を奪われた上に、不快な気分にさせられたことから、自分との距離を広げてしまうと思うのです。また、嫌なことや辛く苦しい状況の時に、ストレス発散のつもりで、「今」この一瞬を、不平不満、愚痴、怒りなどを発して過ごせば、5分後には、より状況が悪化してしまったり、はたまた、状況は何も変わっていないにもかかわらず、より不平不満、愚痴、怒りを発したくなるような心の状態になってしまうという悪循環に苛まれしまうと思うのです。「今」この一瞬に、 ユーモアのある言葉。。。 人様が喜ぶような綺麗な言葉。。。 人様が感動するような美しい言葉。。。など、優しさ、温かさ、愛のある言葉を発すれば、5分後にはその言葉を聞いて下さった人様が幸せそうな笑顔になって下さるだけでなく、その人様の幸せそうな笑顔を見て自分も笑顔になり、幸せを感じるという好循環に恵まれると思うのです。「今」この一瞬に、 人様を不快にさせる言葉。。。 人様が嫌がる言葉。。。 人様を傷つけ、苦しめる言葉。。。など、棘のある汚い言葉を発すれば、5分後にはその棘のある汚い言葉が自分にも人様にもたくさん刺さってしまい、人様を不快にさせてしまうだけでなく、人様の自分に対する印象まで悪くさせてしまうという悪循環に苛まれてしまうと思うのです。「今」この一瞬に、自分を必要として下さっていようといまいと、 人様を応援する。。。 人様を助け、支える。。。 人様に協力する。。。など、人様のお役に立たせて頂こうと努めさせて頂けば、 5分後には、人様にお喜び頂けたり、笑顔になって頂けるだけでなく、その人様の様子を見て、自分を喜びを感じ、笑顔になれるという好循環に恵まれると思うのです。「今」この一瞬に、自分勝手な自分基準による主観で、 人様を誹謗中傷する。。。 人様の邪魔をする。。。 人様を貶めるようなことをする。。。など、人様に辛く苦しい思いをさせようとすれば、5分後には、その悪意が相手だけではなく第三者にも伝わり、 「この人は人様を誹謗中傷する人なんだなぁ。。。」 「この人は人様の邪魔をして貶める人なんだなぁ。。。」 「こう言う人とはかかわりたくないなぁ。。。」 「この人とかかわると、自分もいつどこで何を言われることやら。。。」などと人様に思われるようになるなど、自らの言動によって人様からの信用や信頼を失うという悪循環に苛まれてしまうと思うのです。たかが「今」この一瞬。。。されど「今」この一瞬。。。「今」この一瞬の心のあり方や言動が、自分では気づいていなくても、自分や自分を取り巻く人様に その直後から。。。 5分後から。。。 1時間後から。。。 明日から。。。 来月から。。。 来年から。。。 5年後から。。。 10年後から。。。 はたまた、来世から。。。に大きな影響を及ぼすことが、多々あると思うのです。それを因果応報というのだと思うのです。人様のお役に立つこと。。。人様にお喜び頂けること。。。人様を笑顔にさせるようなこと。。。などの善因の種さんを蒔かせて頂き、その直後から種さんはゆっくりと育ち始め、善意から善行を継続させて頂けば、その方にとって然るべき時期に善果という美しいお花さんを咲かせて下さるのだと思うのです。それを善因善果というのだと思うのです。反対に、人様を傷つけること。。。人様が嫌がること。。。人様を貶めるようなこと。。。などの悪因の種さんをばら蒔けば、その直後から種さんは勢いよく育ち始め、その栄養になっている悪意や悪行によって、次第に自分の心が悪や魔によって支配され、自分の意思とは関係なく、悪行を繰り返してしまうことになれば、その方にとって然るべき時期に、自ら積み重ねてきた人様に与えてきた苦しみを自ら背負い、苦しみ続け、自分の悪意ある言動を反省し、正せるよう、悪果という辛く苦しい結果を招くのだと思うのです。僅か5分後であろうと、遥か来世であろうと、何れも未来であることに違いはないと思うのです。その未来を明るくするのも暗くするのも「今」という一瞬の過ごし方次第の積み重ね。。。同じ「今」という一瞬でも、その「今」という一瞬の心のあり方や言動によって、これほどまでに差が出る因果応報だからこそ、「今」という一瞬を無駄にしたり、バカにすることなく、いつ何時も「何が正しいかその全てを知っている良心」に恥じることのないよう、心正しく、心美しく、生かさせて頂きたいものですね。源光 「人は、日常の生き方で未来が決まるのです。 普段の心のありようが一番大切です。 他を害さない、傷つけない、相手の心を痛めない。。ことですよ。 相手を苦しめれば、その行為によって自分が苦しむことになります。 さらに相手の恨みを受けて苦しみが増幅するわけです。 相手の心を害したときは、すぐに謝るなり償うなりして、 一刻も早く、清算しておくことです。 心は丸くおだやかに。。 これが未来を開き、日々を豊かに送るコツなのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201601180000/ 「まずは人間を創ることです。 人の嫌がることをしないことです。 心を磨き技を練る。。。 技を練って心を磨く方法もあります。 さすれば幸福は向こうからやってくるのです。 良心という心の警察官。。。 誰でも持っているのです。 自らを裏切らないことです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201501130000/「天は人間に言葉を与えました。 言葉は、触れ合う人を喜ばせることも、 生きる勇気を与えることもできますが、 辛い思いをさせることも、哀しませることもできます。 誤解されそうなことは、先に話しておきましょう。 言う必要もなく、相手を不快にさせるだけの事なら、 黙っていましょう。 人の悩みに耳を傾けましょう。。 どのような人とも心と心で言葉を通じ合わせましょう。 辛い時も哀しい時も、愛の人でありましょう。 心温まる言葉を話す人でありましょう。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311040000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311050000/「言葉が堕落するので、精神が混沌とするのです。 まず、妬み、嫉み、恨み、ツラミ、足ることを知らない欲望、 怒りから発する、汚い罵り言葉を改め、 綺麗な思いやり言葉を話すことから始めるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407090001/「あなたが扱われたいように、他人を扱いなさい。 汝が隣人からされたくないことを隣人に行ってはならない。 隣人を自分自身として見ることで、 人は正しい基準を得ることが出来る。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201107150001/「天は、全てを知っています。 何を考えたか、心の中までも。。 ですから心正しく生きなければ、 この世を去る時に大後悔するのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209140000/「人間として一番大切なのは、頭の良し悪しではなく、心の良し悪しです。 幸せになるのも頭の良し悪しではなく、心の良し悪しです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201404100000/「自分の言動に責任を持つことです。 その責任の下に、本当の幸せと喜びが 横たわっているのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201502100000/「誰かを傷つけるようなことを言うたびに、 あなたは同じような傷を、 他人だけではなく自分にも残しているのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412100000/「他人を傷つけてはならない。 思いや行いで危害を加えてはならない。 他人を苦しめる言葉を吐いてはならない。 怒りを捨てたものは神の世界に招かれる。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201107210000/「他人の役に立つ人生を心がけましょう。 今は、自分のことで精一杯で他人の役に立てなくても 絶対に他人を傷つけてはいけません。 他人を傷つけている限り、心の平安は決して訪れないからです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406100002/ 「真心をもって人を助ければ、 必ず自分も人から助けられるのです。 嫌な思いを他人にさせれば、 必ず自分も人から嫌な思いを返されるのです。」 (ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408100000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408100001/「言葉には魂が宿っています。心して話しましょう。 愛も勇気も希望も夢も、全て言葉の中に宿っているのですから、 美しい言葉を話すことですよ。。 邪悪な言葉を慎むことです。邪悪な言葉は不幸を呼ぶのです。 鳥や虫たちの歌声がいつも同じ調子にしか聞こえてこないというのは、 無頓着な人間の粗雑な耳だけです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201305140001/「昨日は心地よい一日でしたか? 昨日心地よい一日を過ごした人は 今日も心地よい一日を過ごせます。 幸せとはこれの繰り返しですよ。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201203240000/「あなたが、今日、良心に恥じない一日を生きるならば、 明日は、心にあたたかい太陽が昇ります。 今日、良心を裏切って生きるならば、 明日は、心に冷たい雨が降るでしょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201211030000/「今日があるのは、昨日の想いから。 今日の想いは、明日の人生を形作る。 すなわち、人生は、心の創造物である。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201201250000/「汝は、他人に幸福を分け与えることにより、 それと正比例して、自分の幸福を増加させることができる。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201112300000/「触れ合う人達に喜んで頂く時、 その人の心は最高の高みに達しているのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201203300000/「人は、他に対し善を行っている時、 自らに対して最善を行っているのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201206140000/「自分の幸福を人さまに分け与えましょう。。 この最高の手段を身につけている人は、 幸福を永久に持続させることができます。 」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201404210000/「幸せになりたければ、人からされたいと思うことを、 率先して自ら人にすればいいのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201404260000/「人は心の美しさ。。。 太陽が朝を連れて来るように、心美しい人は、 今日も愛の光を連れて来るのです。 あなたの喜ぶ姿が私の喜びです。 人はこうして幸せになって行くのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405050001/ 「他人のための行いにこそ価値があります。 無償の愛。。それが人生の重要な秘訣のひとつです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406020001/「不幸になっていく人は、自分の喜びばかりを考えているのです。 人を喜ばせることを考えて生きていきましょう。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201207180000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.03.02
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「心満ち足らぬ人は 分不相応な品や贅沢品を持ちたがるのです。 心満ちた時、人は物に執着しなくなります。 ですから、物に執着しないようにすれば 心満ち足りるわけです。」「もの」は、生活を豊かにしてくれる便利なものや、趣味や好きなことを充実させてくれるものや、ものごとをはかどらせてくれる優れものなど、色々なものが溢れていると思うのです。それが無ければ、 生活が不便になる。。。 趣味や好きなことが充実できなくなる。。。などのようなものは「必要なもの」故に、その「もの」を手にした方がストレスを感じることなく、心豊かに生活をさせて頂くことができると思うのです。しかしながら、 あっても無くても生活に支障のないもの。。。 あっても無くても趣味や好きなことに支障のないもの。。。などのようなものは、結局のところ、その程度のもの故に、個人的な嗜好やその時の気分(欲)に翻弄されて手にした分不相応なものや贅沢品でしかないと思うのです。ただ、その「もの」がその方にとって分不相応なものや贅沢品なのかは、人それぞれの価値観や欲の対象が異なるが故に、皆一様に同じということはないと思うのです。その価値観がその方らしい価値観なのか。。。それとも自分の価値観らしく見せかけているものなのか。。。それによってもだいぶ変わると思うのです。価値観によって必要なものなのか。。。欲によって生み出された価値観なのか。。。では、その「もの」がその方にとってどういうものなのかが、大きく変わると思うのです。前者は、その「もの」の必要性に基づいた詳細な説明ができると思うのですが、後者は、その「もの」が必要であることを自他ともに認められたいが為の弁解のような説明をすることが多いと思うのです。前者は必要なものを手にすることによって、心が満たされ、生活が豊かになったり、趣味が充実して、そこで満足できると思うのです。後者は欲を満たすものを手にしても、その時の欲が満たされただけで、心が満たされていないが故に、また直ぐに他の「あっても無くても困らない分不相応なもの、贅沢品」を求めてしまうと思うのです。その後者のような心の状態が「ものに執着している」ということだと思うのです。前者のように生活を豊かにしてくれる「もの」や趣味を充実させてくれる「もの」は、心を豊かにして、心にゆとりを作り、心が穏やかに、和やかに、温かく、優しくなり、明るく笑顔で過ごせるようにさせてくれると思うのです。後者のような分不相応な「もの」や贅沢品など、あっても無くても困らない「もの」に心を奪われたり、執着してしまうと、生活こそ何も困っていなくても、趣味を充実させるものが揃っていても、心が欲に翻弄され、心が満たされていないが故に、それを物欲を満たすことで補填しよう、としてしまうのだと思うのです。 (それが酷くなると、 生活が苦しかろうと、困っていようと、 「ずっと欲しかったものだから。。。」 「安くなっていたから。。。」 「こんな機会は滅多にないから。。。」 等と、そのものや機会に対する自分の執着に 正当性を持たせようとする言い訳をしてまで、 そのものや機会を手にしようとしてしまうと思うのです。)ところが、物欲を満たそうと、分不相応なものや贅沢品で補填しても、決して心が満たされることはなく、底なしの欲によって、同じことをひたすら繰り返していくことになってしまうと思うのです。心を満たそうと、次から次へと「もの」や「機会」を手にする。。。次から次へと「もの」や「機会」を手にしようとしてしまうということは、それまで手にしてきた「もの」や「機会」は、自分の心を満たしてくれていなかった。。。ということに気付くべきだと思うのです。次から次へと「もの」や「機会」を追いかけたり、手にしようとしたり、それらに執着することなく、心を満たしてくれる「もの」や「機会」こそ、本当に必要なものだと思うのです。「心」が本質である私たちにとっては、「心」が満たされることが幸せなことだと思うのです。「心」は「かたちなきもの」。。。「かたちなきもの」である「心」を、「かたちあるもの」で満たそうとしても、それは限界があると思うのです。「欲」も同じように、私たちの心が生み出した「かたちなきもの」。。。「かたちなきもの」である「欲」だからこそ、「かたちあるもの」で満たそうとしても、決して満たされることがないのだと思うのです。「心」が満たされるとはどういうことか。。。全ては「与えて頂いている」と思うのです。私たちが、今こうして存在しているのもそうだと思うのです。 魂の修正や成長をさせて頂きながら幸せに生きる為、 という目的をもって生まれてきている私たちですが、 「この世」という修行の場も「与えて頂いているもの」。。。 この世で修業をさせて頂く為に必要な「肉体」や「生」も 「与えて頂いているもの」。。。 修行の場である地上の全てのものも「与えて頂いているもの」。。。 様々な境遇も環境も出逢いも「与えて頂いているもの」。。。 呼吸をさせて頂く為に必要な空気も「与えて頂いているもの」。。。 食糧や衣服や住居、その他全てのものは、 姿かたちこそ変われど、 もともと地球さんにあったもの(地球さんに与えられたもの)を加工したり、 科学の技術や化学による反応で、元の形を変えて 使わせて頂いているだけの「与えて頂いているもの」。。。 科学や化学などを生み出す元になった直感や知恵、智慧なども 「与えて頂いたもの」。。。何もかもが「与えて頂いているもの」。。。全ては授かりもの、なのだと思うのです。今を生きている私たちの「命」さえも。。。「与えて頂いているもの」の中にいる私たちは、「生きている」という感覚で過ごしがちですが、「与えて頂いているもの」の全てが無くなれば、生きたくても生きようがないと思うのです。 「この世」がなければ修行ができず、魂の修正や成長はできません。 「肉体」や「生」がなければ、この世に存在することができません。 空気がなければ、生きることができません。 食糧や衣服や住居がなければ、生きることができません。 思考や想像、科学、知恵、智慧がなければ、生きることができません。全てを「与えて頂いている」からこそ、生きることができる私たちなのだと思うのです。ということは、私たちは自らの力で「生きている」ように見えて、実は、「与えて頂いているもの」の全てのお陰様で、【生かさせて頂いている】のだともうのです。「与えて頂いている」ことが「当たり前」になってしまい、感謝の心や謙虚な心を忘れることのないように気を付けたいものですね。「当たり前」が当たり前で亡くなった時に、気が付いても遅いと思うのです。私たちが「当たり前」と感じるほどまでに全てを「与え続けて頂いている」ということ。。。その「与え続けて頂いている」環境の中で「生かさせて頂いている」ことの有難み。。。「生かさせて頂いている」からこそ感じることができる幸せ。。。があることを忘れてはいけないと思うのです。「幸せ」は、何かがたくさんあるから幸せ、というものではないと思うのです。小さなことにも大きな幸せを感じることができる豊かでゆとりのある大きな心で生かさせて頂けることが「幸せ」なのだと思うのです。「幸せ」は、自分に与えて頂いている様々な境遇に対する自分のものごとの見方や捉え方、考え方、心のあり方1つでも大きく変わると思うのです。それまで「幸せ」を感じることができなかった境遇についても、ものごとの見方や捉え方、考え方、心のあり方などが、ほんの少し変わるだけで「幸せ」を感じることができるようになったりするものだと思うのです。朝、当たり前のように目覚めることができたこと。。。実は、とても幸せなことだと思うのです。挨拶する相手がいる幸せ。。。お話をする相手がいる幸せ。。。一緒に食事をする相手がいる幸せ。。。共に仕事をする相手がいる幸せ。。。一緒に生活する相手がいる幸せ。。。一緒に遊ぶ相手がいる幸せ。。。元気で健康に過ごせる幸せ。。。病を通じて健康の大切さを教えて頂く幸せ。。。道端に咲く小さなお花さんを観て幸せを感じる幸せ。。。深呼吸をした時の空気の美味しさに幸せを感じる幸せ。。。 などなど日々、「当たり前」になっていることの中にも、それが「当たり前」でなくなった時に感じるであろう、「当たり前」であったことの「幸せ」が沢山あると思うのです。「幸せ」は、いつも自分の身近にたくさんあるということだと思うのです。ただ、その身近にあるたくさんの「幸せ」に気付くことができない自分がいたり、はたまた、次から次へと生れる強欲を満たすことこそ「幸せ」と勘違いしてしまっている自分がいるだけなのだと思うのです。「幸せ」は、心が感じるもの故に、自分の心の中にあるものだと思うのです。その自分の心の中にある「幸せ」を自分で見出させて頂くことができたとき、「本当の幸せ」という計り知れない大きな愛で包まれ、心が満たされていくことを感じ、「生かさせて頂いている」ことに喜びや幸せを感じるのだと思うのです。自分が自分であれること。。。自分が一人ぼっちではなく、「全て=1つ(宇宙即我)」であること。。。心の安らぎや幸せを自分の内という宇宙に見い出させて頂きたいものですね。その時、私たちは「もの」への執着から解放され、心が満たされ、本当の幸せを感じながら、生かさせて頂くことができるのだと思うのです。そもそも私たちは、何も纏わず、何も持たず、ただ私たちの本質である心、魂を肉体に乗せて生まれて来ていると思うのです。地上という修行の場でどんなにか多くの纏うものや多くのもの、地上的価値基準による地位や名誉、権力、肩書き、財産などを手にしようと、天に帰還するときの「死」は、生まれてきたときに与えて頂いた肉体さえも持ちかえることができないと思うのです。天に持ちかえることができるのは、私たちの本質の姿である「かたちなきもの」である「心」と地上という修業の場における「経験」だけ。。。だからこそ、心を満たせるような心のあり方、生き方をさせて頂きたいものですね。源光「あってもなくてもいいものは、 実は、ないほうがいいものです。 捨てる勇気持っていますか?」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409090000/ 「心の整理がつかない人は、余計なことを考えすぎです。 余計なことを考えすぎているから、頭の中がどんどん散らかります。 たくさんものがあれば豊かになると思われがちですが、実は逆です。 不要なものを取り除くことで集中でき、豊かになるのです。 まず、捨てることです。シンプルな状態になって初めて、 心の内面と向き合うことができるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401050001/「自分の部屋の整理整頓ができない人が、 心の整理整頓ができるはずがありません。 部屋の状態と心の状態は同じといっても過言ではないのです。 本当は掃除の基本は、捨てることです。 散らかりやすい部屋は、それだけ余計なものがたくさんある部屋ということです。 使っていないものは、いらない物ですよ。宿便と同じです。 あるだけで、悪臭を放ち、体調を悪化させてしまいます。 隅にたまっている不要なものを、思い切って除去してしまうのです。 掃除の基本は、まず使っていない物を捨てることです。 部屋の内面がそうであるように、心の内面も同じです。 心の整理がつかない人は、余計なことを考えすぎです。 余計なことを考えすぎているから、頭の中がどんどん散らかります。 たくさんものがあれば豊かになると思われがちですが、実は逆です。 不要なものを取り除くことで集中でき、豊かになるのです。 まず、捨てることです。シンプルな状態になって初めて 心の内面と向き合うことができるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401050001/「自分は生きているのではなく、 「生かされている」という事実に気づきましょう。 本当の幸せは、あなたの心の中にあるのです。 幸せを追いかける人はいつまでも幸せになれず、 今、呼吸をしている幸せに気づく人が、 本当に幸せになれるのです。 まずは、生かされていることに感謝しましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401020002/ 「愛するもの、輝くものを持っている人は、 心から幸せを感じて生きています。 物質的高価な物や、名誉や地位や財産、肩書きなど 他人がよいと思うものを持っているから幸せなのではありません。。 あなたは愛するもの、輝くものを持っていますか? まだ手に入れていない人もいますが、 それは、あなたの手の届くところに今もあります。。 そっと手を差し伸べてください。。そして愛おしんでください。。 あなたのために咲いた一輪の花を。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312050004/ 「幸せの基準が他人に尊敬されたり、認められたり、 地位や収入を求めたり、異性にもてたり、 快楽を求めたりするところにある人は、 たとえそれが手に入っても心の底から幸せを味わうことはできません。。 幸せの基準は、もっと自分の魂が喜ぶ、 心豊かなところにもちましょう。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407230001/「要は心が満たされればいいのです。 収入や名誉や地位や名声、財産など、どうでもいいことです。 現状がどうであれ、心が虚しいのであれば、 大言壮語していてもやはり虚しい人生です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412120000/「豊かさには、三等あります。。 家の富、身の富、心の富の三等です。 心の富が一等である事は言うまでもありません。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201204170000/「心が満たされた人は、 膨大な富にも勝ります。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201501090000/ 「不安、不自由、不足や不満の種は尽きませんが、 恵まれていることは忘れていませんか? 心が不安や不満でいっぱいになったら、 不平不満、不安,不自由から心を放して、 恵まれていることに感謝しましょう。 そうすれば、あなたを悩ませている問題は、 霧がはれるように少しずつ消えていきます。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312210001/「花は咲く場所を選びません。。 あなたの歩む道にも咲いています。 路肩に咲いている名も無い花に語りかけて下さい。 生きる意味を教えてくれることでしょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403070000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.03.01
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