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「誰かに相談しようと思うことを 第三者の目で、自分の心に尋ねてみましょう。。。 結論は、人に相談して得られる回答よりも 自分で出した回答の方が正解のことがほとんどなのです。 第三者の目で自分を冷静に見つめることができれば 指導の存在は、あなたに最高のアドバイスをしてくれるのです。」「生涯あなたに付き添ってくれる 唯一の人はあなた自身です。 頼りになる自分を構築するのです。」「私を救ってください」 「それはできません」「それは冷たいじゃないですか!!」 「救うのは私ではないのです。」「えっ、それは誰ですか??」 「あなたを救えるのはあなたしかいないのです。」「どうすればいいのですか?」 「あなたはもう解決法を知っていますよ。 心の命ずるままにお進みなさい。」本当にどうして良いか分からない時は、 「誰かに相談しよう。。。」ということすら思い浮かばないほどに、冷静さを失って動揺していたり、客観的になれないほどに感情に左右されたりしていると思うのです。それ故に、 「何を相談すれば良いのか。。。」 「どう相談すれば良いのか。。。」さえも自分の中で整理がついていない。。。それにもかかわらず、 誰かに自分の話を聞いて欲しい。。。というのは、もはや相談ではなく、 誰かに自分の相手をして欲しい。。。だけなのだと思うのです。「誰かに相談しよう。。。」そのように思うことができるのは、 ある程度、自分の中で相談したいことが整理されている。。。 ある程度、自分なりに結論を出している。。。ということでもあると思うのです。それにもかかわらず相談しようと思うのは、人様に相談させて頂くことを通じて、 自分なりの結論が正しいかどうかを確認したい。。。 自分なりの結論を支持、応援してもらいたい。。。 自分なりの結論より、もっと良い結論があるかもしれない。。。 人様だったら、どういうものごとの見方をするのか、 どういう結論を出すのかを知りたい。。。などのような様々な思いを確認したり、誰かに真剣に聞いて頂きたいからだと思うのです。 それ故に、相談した相手から頂いたアドバイスと自分の出した結論が大きく違っていたり、自分の考えと大きく違っていたりすると、そのアドバイスを聞き入れることはなく、自分の考えに基づいた結論を大切にすると思うのです。反対に、相談した相手から頂いたアドバイスが、自分ではとても思いつかないようなものだったり、自分よりも広い視野・視点でものごとを見たものだったりすると、 そのアドバイスを聞き入れよう、取り入れようとすると思うのです。しかしながら、実際に、 そのアドバイスを自分の結論に付加するかどうか。。。 そのアドバイスに従い、自分の結論を変えるかどうか。。。は、別のお話だと思うのです。「自分ではとても思いつかないようなアドバイス。。。」それは、裏を返させて頂くと、自分には必要のないこと故に、自分では思いつかない。。。ということでもあると思うのです。同時に、そのアドバイスは、相手が自分と同じような境遇に遭遇した時に、その相手にとって必要な内容なのだと思うのです。それ故に、結果的に自分の結論を大切にすることに。。。「広い視野・視点でものごとを見たアドバイス。。。」何ごとも森全体を見渡すような広い視野・視点で客観的に見ることは、とても大切だと思うのですが、相談していることが、その森を構成している「木」のことであれば、一般論としては参考になっても、自分の相談に対しては参考にならないことも。。。 (自分の中に取り入れることが出来るかどうかは、 自分の心のあり方や自分の器次第だと思いますが。。。)それ故に、結果的に自分の結論を大切にすることに。。。そのような結果に至るにもかかわらず、誰かに相談したくなるのはなぜなのか。。。自分の結論が正しいか否かを、自分自身にではなく、他者を通じて確認したいが為なのだと思うのです。他者に相談することを通じて確認しても、結果は自分で出した結論を大切にすることになるのであれば、その「他者」という相手を、内なる自分である「自分の心」や「何が正しいかその全てを知っている良心」「指導の存在」に向けさせて頂いていれば、それで良いのだと思うのです。「どうすれば良いか。。。」「何をすれば良いか。。。」「どうしたいのか。。。」「どうすれば自分の魂が喜ぶのか。。。」実は自分が一番良く分かっていると思うのです。表現を変えさせて頂くと、自分を救うことができるのは自分しかいない、ということでもあると思うのです。それ故に、結局のところ、自分を冷静に、かつ、客観的に見つめて、自分で出した結論こそ、自分には最も相応しい。。。のだと思うのです。とはいえ、裏を変えさせて頂くと、 冷静さを欠いた感情的で落ち着きのない心の状態。。。 客観性を欠いた視野の狭い主観的なものごとの見方の状態。。。で出した結論は、自分で自分を苦しめたり、貶めたりしてしまうもの、ということでもあると思うのです。だからこそ、 自分の感情を制するほどに自分をコントロールできる冷静さ。。。 広い視野でものごとを観たり捉えたりすることが出来る客観的視野。。。を育ませて頂きたいものですね。自分で自分を冷静に、客観的に見つめることができる。。。それは、自分を信用、信頼している生き方であり、自分を愛し、自分を許している生き方であり、自分で自分を救い、導いている生き方であり、内なる自分や良心、指導の存在の波長に自分の心を合わせることができる心のあり方なのだと思うのです。それ故に、自分で自分(内なる自分や良心、指導の存在)に問うことができるようになり、自分(内なる自分や良心、指導の存在)が自分に答えることができるようになるのだと思うのです。肉体こそ地上にあれど、心はいつも天にあるように生かさせて頂きたいものですね。源光「物事は、できるだけ単純に考えましょう。 良心に従って単純に考えれば、 人生の難問も難なく解読できます。 身の回りの現象に重要な事は、ほんのわずかで、 どうでもいい不必要な部分の方が、圧倒的に多いのです。 底無し沼に入り込んで苦しんでいる人は、 単純な事を敢えて難しくしているか、 阿呆の素晴らしさに全く気付いていない、 利口の真似をしている愚かな人です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312170002/「他人を知るのは理解、自分を知るのは良心です。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201204280000/「あなたの人生のすべての出来事には意味があり、 生きていくこととは、その意味を理解することです。 理解が及ばないと不本意な人生に。。 理解が及べば潤沢で楽しい人生となっていくのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408290000/「他人は、いろいろアドバイスしてくれますが、 あなたを苦しめているものから脱する方法は、 自分で心から納得できるものでなければなりません。 他人の解決法は参考にしかならないのです。 本来、自己というものは無く、無なのですが、 肉体を持つと煩悩の虜となって苦しむのが人というものです。 一旦、自己を手放してみることです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312230000/「人からの忠告に基づいて自分の人生を設計すると、 あなたの人生はいびつになるのです。 自分の人生は自分で設計すればよいのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406230000/ 「なにが苦しいといって、 自分自身を否定しているのが 一番苦しくて辛いのです。。 自分だけは、誰がなんと言おうと自分の味方です。 自分を誰よりも好きになってください!! 成功者は、例外なく自分大好き人間ばかりですよ。。 苦境の時、自分ほど頼りになる存在はありません。 指導の存在から命の水を頂ける人は、 最後まで自分で自分を見捨てなかった人なのです。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201502080000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201502080001/ 「光るものすべてが、金とは限らないのです。 見かけだけでは判断はできません。 人は内面の美しさ。。。それ以外の何ものでもありません。 常に自分と相手を第三者の目で観て、冷静に判断することです。 目の前に起こる現象も、不幸のようで幸運の種。。。 幸運のようで不幸の種。。。 こういうことは多いものです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412050003/ 「遠くなる程良く見えるのに、 近くなると見えなくなるのが人の特性です。 本質を見極めるために、少し離れて見てみましょう。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201208290000/「大きな人物は近くで見ていても普通の人にしか見えません。 しかし山と同じで、遠ざかれば、 その本当の姿を見ることができるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201402080000/「人は地上に生を受けると、 思い込みに支配される傾向があります。 自分で自分を縛っている、思い込み という名の鎖を解き放って下さいね。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201211080000/「相談する人が求めているのは、 的確なアドバイスではなく、 真剣に聞いてくれることです。 答えは本人が最初から知っているのです。 ただそれを引き出してあげること。。。 真剣に聞いてあげましょう。 その人の潜在意識が解決策を語り出します。 後は指導の存在の意見を聞いて調整をするだけです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201501040000/ 「自分で自分が信用できなかった時は、 一つもわからなかったのですが、 自分を信頼しはじめたその瞬間に、 どう生きたらいいのかがわかるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201505260000/「人を信じるのです。そして、その何倍も自分を信じてください。 自分ほど頼りになる存在はこの世にいないからです。」(ラクシュミーさん)「なにが苦しいといって、自分自身を否定しているのが一番苦しくて辛いのです。。 自分だけは、誰がなんと言おうと自分の味方です。 自分を誰よりも好きになってください!! 成功者は、例外なく自分大好き人間ばかりですよ。。 苦境の時、自分ほど頼りになる存在はありません。 指導の存在から命の水を頂ける人は、 最後まで自分で自分を見捨てなかった人なのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201502080000/「人は思い通りの人間になれます。 天はそのように人間を創ったのです。 あなたは、自分をどんな人間だと思っているでしょうか。 今の自分は、あなたの思いの通りの自分ですよ。 自分のことをどのように信じるかで、 自分も人生も変わってきます。 人生を変えるのは自分自身。。 置かれている環境でも人の評価でもありません。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312050002/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312050003/「自分の信じる道を 真っ直ぐに歩んで行けばよいのです。 あなたの道を。。。 良心という道標があるのならば 指導の存在、守護の存在は 随所であなたにアドバイスを与え、 奇跡を降ろして必ずあなたを助けるでありましょう。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201505120000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.06.11
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「他人の幸せを羨む人、 他人の不幸を喜ぶ人は 自分の幸運を放棄した人。 生涯、幸運から見放されるのです。」「人の失敗を喜ぶ人は、自ら不幸を呼ぶ人。 人の成功を喜ぶ人は、自ら幸運を呼ぶ人。」人様の幸せ。。。一緒になって、 「おめでとう!」 「良かったね♪」と喜ばせて頂けば良いと思うのです。一緒に喜ばせて頂くことで、人様は喜び一入になり、その様子を見ている自分も嬉しくなり、知らず知らずの内に幸せのお福分まで頂いていると思うのです。人様の不幸。。。そっと側にいて差し上げたり。。。お話を聞いたり。。。分かち合ったり。。。支えたり。。。助けたり。。。応援したり。。。もし、自分が不幸の境遇にある時に、人様にして頂いて、 「嬉しいなぁ。。。」 「助かるなぁ。。。」 「有り難いなぁ。。。」 「人の優しさが身に沁みるなぁ。。。」などと感じるようなことで、その時の自分にできることを心を込めてさせて頂けば良いと思うのです。心ある人間同士。。。自分一人で生かさせて頂いているわけではない私たち。。。人様(相手)を思い遣る心をもって過ごさせて頂きたいものですね。その一方で、人様の不幸を喜ぶ。。。人様の幸せを羨む。。。という方もいるもの。。。そのようにして人様を傷つけ、苦しめることが自分の喜び、幸せになってしまっていることこそ、本当の不幸だと思うのです。本当の不幸だからこそ、人様の不幸を喜び、、人様の幸せを羨むことを通じて、人様を傷つけ、苦しめるという心のあり方や言動を繰り返せば繰り返すほど実は、それが自分で自分を貶め続ける行いであることや、自分で自分を苦しめる業を積み続けている行いであることに、気付かせて頂くことができないのだと思うのです。不思議なものですが、人様の不幸を喜び、人様の幸せを羨む方に限って、 自分が不幸になったときに人様に喜ばれたり、自分が幸せを感じているときに様に羨まれると、自分が人様に対してしてきたことは棚に上げて、自分をそういう風に扱う人様に対して、ああだこうだと文句を言っていることが多いと思うのです。自分がされて嫌なことを、人様には喜んでする。。。そのような心のあり方だからこそ、心的にも、この世的にも、どんどん不幸になり、幸運から見放されるのだと思うのです。人様の幸せを羨むのは、自分が幸せではない。。。自分は不幸。。。と思っているからこそ。。。自分で自分のことを幸せではない、不幸と思っているからこそ、どんどん不幸になるのだと思うのです。人様の不幸を喜ぶことは、人様を傷つけ、人様をより不幸にさせていると思うのです。人様を不幸にさせる人が、幸運に恵まれるわけはないと思うのです。むしろ、人様を不幸に陥れた以上の不幸に見舞われるのだと思うのです。人様の幸せを一緒に喜ぶからこそ、幸運に近づくのだと思うのです。人様の不幸を分かち合うからこそ、人様の不幸の重みが軽減され、幸運に近づくのだと思うのです。自分がされて嬉しいことは、人様にも積極的にさせて頂く。。。自分がされて嫌なことは、人様にも決してしない。。。自分一人で生かさせて頂いているわけではない私たち。。。心ある人間同士の私たちだからこそ、自分本位で利己的なものごとの見方ではなく、人様(相手)の立場になって考えたり、人様を思い遣る利他的な心のあり方で生かさせて頂きたいものですね。~~~~「羨む」は、「心(うら)」が「病む」という意だそうです。。。 自分勝手な自分基準のものごとの見方や捉え方で、さも、自分は何でも分かっています、という姿勢で、相手の表面的なところばかりを見ては、人様の幸福を羨ましいと思ったり。。。自分にはないものをお持ちの相手に嫉妬したり。。。不平、不満、愚痴、悪口を言ったり。。。相手から何かをされた分けでもないのに、勝手に被害妄想を抱いて、その責任の所在を自分ではなく、相手のせいにするばかりか、相手を傷つけるような言動で一方的に攻撃したり。。。相手によってコロコロと態度を変えてみたり。。。相手に対するものごとの見方や捉え方が、自分の勘違いだったと分かっても、それを素直に認めることができなかったり。。。そのような姿勢は、自分さえ良ければそれで良い、という自分のことしか考えていない利己的な心のあり方だと思うのです。人様の幸福を一緒になって喜んで差し上げることができず、羨んだり、嫉妬してしまう心の器。。。心ある人間同士としてとても寂しいことだと思うのです。だからこそ、「羨む」は、「心(うら)」が「病む」という意なのだと思うのです。 「羨む」は、「心が病んでいる」状態故に、「幸せ」を感じる心のあり方ではないのだと思うのです。身近に幸福な方がいるときは、その人様の幸福を一緒になって喜び、祝福させて頂けば良いと思うのです。相手も、一緒になって喜んでくれたことを喜んで下さると思うのです。そして、相手が喜んでくれた様子を見て、自分も嬉しくなるだけでなく、人様の幸福や笑顔に触れ、自分も幸せになれるチャンスでもある思うのです。だからこそ、人様の幸福は、「羨む」のではなく、心から祝福させて頂き、一緒に喜ばせて頂いた方が良いと思うのです。源光「他人の幸福をうらやんではいけません。 なぜならあなたは、その人の密かな悲しみを知らないのですから。。 幸せそうに見えていてもそれは表面だけ。。 そういう人は多いものです。。 自分だけが不幸なのでも苦しんでいるのでもありません。 妬み、嫉み、怨み、ツラミ、復讐の心、不平不満、 足ることを知らない欲望。。自己中心的考え。。被害妄想。。 これがあなたを苦しめている元凶です。 笑よく業を制す お祓いよりお笑いですよ。。 」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406030000/「人は、心が荒んでくると 他人の不幸を喜ぶ以外に楽しみが無くなってくるのです。 これが、どんどん不幸になっていく人の典型です。 人を喜ばせるのが大好き。。。 これが、どんどん幸せになっていく人の典型です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201410270000/「勤勉のない人生はムダですが、 人の道を外れた、金儲けの勤勉は、 しない方がマシです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408070001/「正義に反した手段で、金持ちになったり、 他人を蹴落として地位権力を得るよりも、 意思の赴くまま、良心の命ずるままに 自由に生きる方が遥かに幸せになっていくのです。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201302040000/「嫉妬心を捨てましょう。 嫉妬は、あなたの潜在意識が正しく機能するのを妨害して、 心身の不調、経済の不調を招きます。。 むしろ他人の繁栄を心から祝福するのです。 そうすれば、あなたも確実に幸運の鍵を手にすることができます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401050000/「他人の不幸は蜜の味。 他人が不幸でなければ気がすまない。。 たまにこういう人もいますが、これでは自分が不幸になるばかりです。 思考は全て自分に還ってきますから、 「あなたの喜ぶ姿が私の喜びです。。」 こういう思考で日々、明るく笑顔で生きていけば、 ドンドン幸せになっていくのです。。 」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406100000/「人の涙をもて遊んだり、人の悲しみをかえりみない。。。 これでは幸せから遠のくばかりです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405140000/「あなたが扱われたいように、他人を扱いなさい。 汝が隣人からされたくないことを隣人に行ってはならない。 隣人を自分自身として見ることで、 人は正しい基準を得ることが出来る。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201107150001/「不幸になっていく人は、自分の喜びばかりを考えているのです。 人を喜ばせることを考えて生きていきましょう。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201207180000/「不幸な人は、さらに不幸な人によって慰められるのです。 ところがそのまた不幸な人は、なぜか幸せを掴んでいる。。 このことに気づくことですよ。 なぜ不幸が極まれば幸せになれるのか。。。。 ここに大逆転のヒントがあります。。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201404080000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201404080001/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.06.10
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「生まれ、育ち、経歴が違い過ぎて、 気のすすまない相手と 積極的に交際をすると 今まで見えなかった世界が いっぺんに観えるようになります。 こうなると人生は面白い世界に入っていきます。」私たちは、一人一人が個性溢れる存在で、 生まれた日や生まれた場所、容姿や年齢、性格、育ってきた環境、培ってきた様々な経験、感性、特技、能力、ものごとの見方や捉え方、考え方、生き方、趣味、嗜好、好きなもの、嫌いなもの、得意なもの、苦手なもの、ものごとに対する価値観、魂のレベルなど、様々な点において、十人十色、千差万別で、共通している点といえば、「心ある人間同士」ということくらいだと思うのです。そのような個性溢れる私たちでも、生まれや育ちの環境、経歴が似ているなど、似た者同士であればあるほど、意気投合したり、各々の意見や話題に賛同できる。。。気が合う。。。安心する。。。話しやすい。。。価値観が似ている。。。ということが多々あると思うのです。しかしながら、それは裏を変えさせて頂くと、似た者同士であるが故に、 新しい意見が出にくい。。。 他の価値観や世界観を知ることが出来ない。。。 仲間意識の強さから、他者を受け入れ難い。。。 仲間意識の強さが仇となって、自分の意見を主張し難い。。。などのようなディメリットでもあると思うのです。反対に、生まれや育ちの環境、経歴が全く異なり、似ている点が全くないに等しいと、意気投合し難く、各々が自分の意見や話題を主張するばかりで、相手の意見や話題を受け入れようとしない。。。気が合わない。。。話し難い。。。価値観が違う。。。それ故に、一緒にいるとイライラする。。。疲れる。。。ご縁を深めることに気が進まない。。。ということが多々あると思うのです。しかしながら、それは裏を変えさせて頂くと、似ている点が全くないに等しい者同士故に、相手を尊重し、相手のお話を聞く耳さえ持っていれば、実は、多くのメリットがあると思うのです。似ている点が全くないに等しい相手は、 ・自分にはない世界観を持っている。。。 ・その世界観で自分を刺激してくれる。。。 ・自分とは異なる価値観を持っている。。。 ・その価値観でものごとを見ることが出来るようになる。。。 ・自分とは異なる視野を持っている。。。 ・その視野を知ることで自分の視野が広がる。。。 ・自分では思いつかないような意見やアイデアを得やすい。。。 ・仲間意識ではなく、各々の特技や能力を尊重しているが故に、 自分の意見を言い易く、相手の意見に耳を傾けやすい。。。 ・相手は自分の特技や能力とは異なる特技や能力の持ち主故に、 自分では見えなくなっている素人目線の純粋な疑問を指摘して貰える。。。などのような様々なメリットを与えて下さると思うのです。自分にあって相手にないものは、相手の為に惜しみなく差し出し、相手にあって自分にないものを相手のお心遣いで与えて頂くことによって、相互に作用し合うことができ、相乗効果が生じると思うのです。相手が持っている自分にはないものの全てを自分に取り入れる必要はないと思うのですが、 「なるほどなぁ~。。。勉強になるなぁ~。。。」 「自分ではとても思いつかないことだなぁ~。。。」 「そういう考え方、見方、視点があるんだぁ~。。。」 「〇〇を取り入れたら良さそうだなぁ~。。。」などと感じたことを自分なりにアレンジして取り入れさせて頂くと、自分の世界観、価値観、視野が広がり、新しい自分の世界を築いていくことが出来ると思うのです。そういうものを与えて下さるのが、似ている点が全くないに等しいような気のすすまない方なのだと思うのです。そのような気のすすまない方を受け入れさせて頂き、意気投合すると、お互いがお互いの知恵の宝庫になり、新鮮に感じるようになると思うのです。相手に対する「気のすすまない理由」が、相手の心のあり方や言動が自分の良心に反するというような、心ある人としての根本的価値観が異なるような場合を除けば、積極的に相手を受け入れさせて頂いた方が、自分の世界観、価値観、視野は大きく広がっていくと思うのです。それは自分の人生を拓く扉であり、その扉を開く鍵であることもあると思うのです。源光「人は時空を超えて偶然を装った必然で出逢うのです。。。 波長の合う人も合わない人もいますが、 意味の無い出逢いというものはありません。。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201501210000/「縁ある人と、いつまで一緒にいられるか分からないのです。 それは愛する人も、今、心が通じない人も同じです。 しっかり心にとめて、お互いを大切にして生きていきましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201310280000/ 「あの人、今頃、何をしているのかなあ。。 思ったことがありませんか? 長い間会わないと、心は離れていってしまうものです。 大切な人とは、きちんと連絡を取り合いましょう。 せっかくの縁を断ち切ってしまうのは 本当にもったい無いことですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311260000/ 「出逢いは大切にしたいものです。 意味のない出逢いはないのですから。。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412130000/ 「人と気持ちが通じ合うのも、通じ合わないのも、 不思議な縁によるものなのです。 初対面でもなぜか強烈に惹かれる人もいるものです。」「知らない人とたまたま道で袖が触れ合うようなちょっとしたことも、 前世からの深い因縁であるのです。 袖振り合うも多生の縁と言いますね。 人との縁はすべて単なる偶然ではなく、 深い因縁によって起こるものですから どんな出会いも大切にしなければならないのです。 縁は円を描いているのです。」(ラクシュミーさん)「人は時空を超えて偶然を装った必然で出逢うのです。。。 波長の合う人も合わない人もいますが、 意味の無い出逢いというものはありません。。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201501210000/「あなたの人生のすべての出来事には意味があり、 生きていくこととは、その意味を理解することです。 理解が及ばないと不本意な人生に。。 理解が及べば潤沢で楽しい人生となっていくのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408290000/「今世、あなたの周りにいる人は、 前世からの縁のある人が、ほとんどです。 無数の環が連なる無限の鎖なのですから、 どのような人にも愛の心で接することですよ。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201207310000/「一生に一度だけ出会う人がいます。 一生に一度の貴重な出会い。。。 大切にしてください。 意味のある出逢いなのですから。。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201503020000/ 「縁は円を描いて自分に帰ってきますから、 不義理をしてはいけませんね。」(ラクシュミーさん)「人を思いやることが、結局は自分に戻ってくることにつながります。 縁は円を描いて自分に還ってくるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210140000/「どうしても理解できない思考回路の人もいますが、 自分の価値観で計って、他人の感受性を軽蔑してはいけないのです。 感受性はその人の才能なのですから。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405160000/「地上は、あらゆるレベルの魂が一同に会して修行をしている場所です。 世の中が善人と、物分りのいい人ばかりでは、あなたの修行になりません。 言っても聞かない人は放っておくしかありません。 いつか自分のまいた種によって、気づく時がきますから。 愛の種からは、愛の花が咲き、 芥子の種からは芥子の花が咲くのです。当然のことです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312180004/「完璧な人はいませんから、ちょっとしたことで ひねくれたり良くなったりもするものです。 ひねくれている時のその人が、その人の全てではありません。 良い時の多い人が幸せの多い人であることは事実です。 出来るだけ、ひねくれないことですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312150003/「意味もなく生まれてきた人はいないのです。 自分自身の、そして他の人々の人生に意味を見いだしましょう。 あなたの人生はあなたのもの。。(一部抜粋)」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312310000/「他人にも自分にも完全を求めてはいけないのです。 不完全の中に美しさ清らかさを見つけてください。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201203020000/「人間関係に悩む人は多いのです。 誰とでも仲良くしようと努力しても、 残念ながら価値観、性格が違う人とはうまくいかないものです。 あまり他人に振り回されないようにして、 大切な自分の時間を大切にしましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312220001/「汝に、好き嫌いがあるように、 すべての人に好かれるのは無理である。 汝の言葉に耳を傾けない人には、 その人の道があり信仰がある。 幸せへの道は一つでは無い。 ただ天法というものがあるだけである。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201110070000/「天は個性をとても大切にしています。 天職は、その人が、輪廻転生で 探求し続けてきた道や技を活かせる職ということ。 個性を活かして、触れ合う人達と協力しあって 世の中を幸せのお花畑にしていきましょう。。」 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201305230000/「何でも出来る人はいません。 天界でもそうなのです。 それぞれの特技を活かして、 協力し、助け合い、励ましあって、 暮らしやすい平和な世界を 創造するところに最高の喜びがあるのです。」 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201305220000/「人には個性があります。 一方的に相手を責めることは出来ません。 欠陥があるのが人間です。 それを指摘されたからといって ムキになるのは大人気ないのです。 批判してくれた相手に、反省の機会を与えてくれてありがとうと 感謝しなければなりません。 そして直すべきは直していきましょう。」 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201305210000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.06.09
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「縁に出会っても縁に気づかない人。。。 縁に気づいても縁を避ける人。。。 袖すりあっても縁に感謝する人がいます。 どのような人に幸運が微笑むのか? わかりますね。」「友達の友達にとっても素敵な人がいるものです。 縁が円を描くわけです。 美しい心の人になってください。 類は友を呼び、幸せを運んでくるのですから。」ご縁は、それが自分にとって、はたまた、相手にとって、時には、双方にとって何らかの意味があるからこそ、天のお取り計らいによって結び付けて頂いているとても貴重なものなのだと思うのです。意味のない出逢い。。。それは、天の深遠なるご配慮、お取り計らいが分からない私たちの自分勝手な自分基準によるものごとの見方が「意味がない」とさせているだけだと思うのです。自分の想像では及ばないようなその時だけの出逢いや、思いもよらないようなその場だけの出逢いを頂いた時でも、 「これは又と無い一期一会の貴重な機会! 何らかの意味があるからこそ頂いたご縁!」と受け留めさせて頂き、そのご縁を大切にさせて頂きたいものですね。 人生を大きく変えてくれるような方との出逢い。。。協力者になってくれるような方との出逢い。。。協力して差し上げたくなるような方との出逢い。。。反面教師になって下さっている方との出逢い。。。などなど、同じ出逢いでも色々な意味があると思うのです。しかしながら、自分勝手な自分基準によるものごとの見方で、自分に都合の良い出逢いには意味があり、自分に都合の良くない出逢いには意味がない、としてしまうことが思いのほか多いと思うのです。自分に都合が良いと感じられる出逢いには、それだけでもどんどんその関係が良くなりそうなものですが、その反面、自分では気づいていない落とし穴があったり。。。自分に都合が良くないと感じられる出逢いは、意味がない出逢い、無駄な出逢い、出逢わない方が良かった、などのように感じてしまうのも致し方のない面もあると思うのですが、それが自分に都合が良かろうと良くなかろうと、「全ての出逢いには意味がある」と捉えさせて頂くことによって、「出逢い」に対する見方が変わることも。。。「出逢い」そのものに意味があると捉えさせて頂くと、 自分に都合が良いとか良くないとか、個人的な好き嫌いに関係なく、 「この出逢いにはどんな意味があるんだろう?」 「この出逢いから何を学ばせて頂けるのだろう?」などのように、冷静に、客観的に見つめさせて頂くことができると思うのです。例えば、自分を傷つけたり、騙すような方との出逢いは、 「自分を傷つけて下さった方のお陰様で、 自分は人様を傷つけない生き方をしよう! と思うことができた。 傷つけられて、とても辛く、苦しかったけど、 それがなければ、こう思うことができなかったから、 自分を傷つけて下さった方との出逢いには、 大きな意味があったんだなぁ~♪」 「自分を騙して下さった方のお陰様で、 自分が騙されやすい人間だということが分かった。。。 これからは騙されないように、人様の話を鵜呑みにせず、 お人好しにならないように気を付けよう♪ 騙されて痛い思いを何度もしたけど、 それがなければ、こう思うことができなかったから、 自分を騙して下さった方との出逢いには、 大きな意味があったんだなぁ~♪」などのような見方をさせて頂くことによって、大きな意味を見出させて頂くことができると思うのです。 (大きな意味を見出すことが出来なければ、 その大きな意味を見出すことが出来るまでは、 何度も同じことを繰り返すだけなのだと思うのです。)それくらいに出逢いというものには深い意味があるのだと思うのです。~~~~人様とのご縁を頂くと、その方と自分のご縁の深さや相性の良し悪しにばかり意識を向けてしまうものですが、そればかりがご縁の意味するところではないと思うのです。例えば、AさんとBさんがお友達、又は、知り合い。BさんがAさんにCさんを紹介した。AさんとCさんはとても相性が良く、仲良く過ごすことになった。。。その結果、AさんとCさんは、Bさんとの距離ができてしまった。。。そのような状況下、Bさんは、Dさんとふっとした出逢いに恵まれ、相性も良く、仲良く過ごすことになった。。。というケースがあると思うのです。Aさん(Cさん)にとって、Bさんという存在は、Cさん(Aさん)と出逢う為に必要な友達、又は、知り合いだった。。。Bさんは、AさんとCさんを繋げるお役目を担っていた。。。Bさんは、AさんとCさんを繋げるお役目を果たしたことで、Dさんとご縁を頂くことになった。。。ということだと思うのです。このケースは、Aさん、Bさん、Cさん、Dさんの4人だけですが、AさんやCさんが、BさんやDさんの立場になることもあれば、BさんやDさんが、AさんやCさんの立場になることもあると思うのです。それ位に、人と人とのご縁というのは、目には見えなくても、どこかで繋がっている。。。繋がるべきは必ず繋がることになっている。。。ということなのだと思うのです。 ----AさんとBさんは不仲だけれども、たまたまそこに居合わせた共通の友達、又は、知り合いのCさんのお陰様でAさんとBさんが仲良くなった。。。Cさんという共通の友達、又は、知り合いを通じて、仲良くなることになっていた。。。CさんはAさんとBさんの間にある壁を取り崩し、握手させるお役目を担っていた。。。ということだと思うのです。 ----Bさんにとって、特別な存在Aさん。。。特別な存在故に、BさんはAさんを誰にも紹介したくない。。。Aさんにとって自分(Bさん)が特別な存在でいたい。。。などのような発想をされる方もいると思うのです。それは、AさんとCさんを繋げる方が良いと分かっていながらも、特別な存在であるAさんを独占したいが為に、AさんとCさんが繋がらないように阻止、邪魔をすることは、AさんやCさんの人生を狂わせているだけでなく、Bさん自身の人生をも狂わせていると思うのです。Bさんが本来繋がるべきDさんという存在。。。BさんがDさんと繋がる為の条件が、AさんとCさんを繋げることにあるとすれば、いつまでも繋がらない、ということになると思うのです。 ----Bさんにとって、特別な存在Aさん。。。その特別な存在Aさんを、Bさんに紹介してもらいたいCさん。。。AさんとBさんは普通に仲が良かった。。。 (Aさんを紹介してもらうまではBさんと仲良くしておいた方が良い、 というCさんの打算、策略が見え隠れしている。。。)BさんがAさんをCさんに紹介した途端 に、 「Aさんを紹介してくれれば、もうあなた(Bさん)は用済み!」 「Aさんを紹介してもらえばこっちのもの。 あなた(Bさん)は、Aさんと仲良くしないでもらいたい!」 「Aさんとの仲を深めているのに、邪魔をしないでもらいたい!」 「BさんはAさんの邪魔ばかりしているので止めてもらいたい!」などと、Aさんに取り入る為にAさんには媚び諂い、Aさんと仲の良かったBさん、Aさんを紹介してくれたBさんを邪魔者扱いして攻撃するというCさんの態度の豹変。。。被害妄想。。。誹謗中傷。。。そういうことは良くあると思うのです。そのようなとき、BさんはCさんに不信感を頂くと思うのです。否、不信感を抱けて良かったと思った方が良いと思うのです。信じることが出来ない相手と距離を保たせて頂くきっかけを、信じることが出来ない相手が自ら作り出してくれたと考えれば、とても有り難いことだと思うのです。天から観れば、Cさんは、Aさんをご紹介下さったBさんに不義理をしていることになると思うのです。因果応報。。。人様を利用した上、不義理をして、その人様の心を傷つけるようなCさんの心のあり方や言動は、Cさん自ら背負うだけのこと。。。もし、Bさんのような立場になったときは、 「自分は、AさんとCさんを繋げるお役目があっただけ。。。」ただそれだけで良いと思うのです。来る者拒まず。。。去る者追わず。。。信じられる者と手を結び。。。信じられない者は手を切る。。。それで良いと思うのです。また、知らず知らずの内に、自分がCさんのようになってしまうことのないよう、自分の心のあり方や言動を日頃から省みて、正すべきは正させて頂きたいものですね。 ----ご縁のケースは、良くも良くなくも、ご縁の数だけあると思うのです。だからこそ、今、目の前に与えて頂いているご縁に心を奪われて、その方と自分のご縁の深さや相性の良し悪しにばかり意識を向けてしまうことの無いように気を付けたいものですね。「この方と自分はご縁が薄そうだけれども、 この方を通じて繋がる方とご縁が深いかもしれない。。。 どんなご縁も大切にしておこう♬」「この方と自分はご縁が薄そうだけれども、 この方とご縁が深そうな方をお繋げすることはできる。。。 だからこのご縁も大切にしておこう♬」「この方はとても苦手で嫌いなタイプだけれども、 この方を通じて相性の良い大好きなタイプとの ご縁が繋がるかもしれない。。。 どんなご縁も大切にしておこう♬」「この方はとても苦手で嫌いなタイプだけれども、 こういう方が得意、こういう方が大好きなタイプ、 という方とお繋げすることはできる。。。 だからこのご縁も大切にしておこう♬」ご縁を頂いた相手が、自分とのご縁が薄そうだとしても、苦手で嫌いなタイプであったとしても、上記のように捉えさせて頂くことによって、相手や自分が繋がるべきご縁を妨げるようなことのないように、気を付けさせて頂きたいものですね。人と人を繋げる。。。だからこそ、自分も自分と繋がるべき方とのご縁を頂くことが出来る。。。ということでもあると思うのです。どこで、誰と、どのような経緯で繋がるか分からないご縁。。。あるご縁無くして、繋がることのないご縁。。。ご縁は人知の及ばない天のお取り計らいによって与えて頂いているものだと思うのです。だからこそ、どのようなご縁も大切にさせて頂きたいものですね。源光「出逢いは大切にしたいものです。 意味のない出逢いはないのですから。。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412130000/ 「縁は円を描いて自分に帰ってきますから、 不義理をしてはいけませんね。」(ラクシュミーさん)「人を思いやることが、結局は自分に戻ってくることにつながります。 縁は円を描いて自分に還ってくるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210140000/「一生に一度だけ出会う人がいます。 一生に一度の貴重な出会い。。。 大切にしてください。 意味のある出逢いなのですから。。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201503020000/「信じられない人とは手を切りなさい。。 信じられる人とは手を結びなさい。 信じた人から裏切られたら、 人を見る目を養えたことに感謝しなさい。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403110000/「人と気持ちが通じ合うのも、通じ合わないのも、 不思議な縁によるものなのです。 初対面でもなぜか強烈に惹かれる人もいるものです。」「知らない人とたまたま道で袖が触れ合うようなちょっとしたことも、 前世からの深い因縁であるのです。 袖振り合うも多生の縁と言いますね。 人との縁はすべて単なる偶然ではなく、 深い因縁によって起こるものですから どんな出会いも大切にしなければならないのです。 縁は円を描いているのです。」(ラクシュミーさん)「人は時空を超えて偶然を装った必然で出逢うのです。。。 波長の合う人も合わない人もいますが、 意味の無い出逢いというものはありません。。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201501210000/「今世、あなたの周りにいる人は、 前世からの縁のある人が、ほとんどです。 無数の環が連なる無限の鎖なのですから、 どのような人にも愛の心で接することですよ。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201207310000/「一生に一度だけ出会う人がいます。 一生に一度の貴重な出会い。。。 大切にしてください。 意味のある出逢いなのですから。。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201503020000/ 「言葉や文字を使わなくても、互いの気持ちが通じ合う。。。 本当に深いところで繋がっている真実の夫婦や親子、 友人関係は、自然なものなのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201501230000/「人と気持ちが通じ合うのも、 通じ合わないのも、不思議な縁によるものです。 夫婦の縁、親子兄弟姉妹の縁。。。友人知人の縁。。。 全て偶然を装った必然の出逢いです。」 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201507290000/「あの人、今頃、何をしているのかなあ。。 思ったことがありませんか? 長い間会わないと、心は離れていってしまうものです。 大切な人とは、きちんと連絡を取り合いましょう。 せっかくの縁を断ち切ってしまうのは 本当にもったい無いことですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311260000/ 「縁ある人と、いつまで一緒にいられるか分からないのです。 それは愛する人も、今、心が通じない人も同じです。 しっかり心にとめて、お互いを大切にして生きていきましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201310280000/ 「あなたの人生のすべての出来事には意味があり、 生きていくこととは、その意味を理解することです。 理解が及ばないと不本意な人生に。。 理解が及べば潤沢で楽しい人生となっていくのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408290000/『「類は類を呼ぶ」で、同じ種類の人間は集まるのです。 嫌な人がそばにいるということは、あなたも同類ということですよ。 つまり「合わせ鏡」ということ。。。 「違います!!」と言うなかれ。。。 素直にしていれば、いわゆる“卑しい人間”は 近寄ってこないのですから。』(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201510120000/「瑞々しい感性で生きて行く人は、 ずっと青春時代を生きることができます。 愛と勇気と希望を持って触れ合う人々を元気に明るくして行く人は、 ずっと幸運の時代を生きることができます。 妬み、そねみ、恨み、ツラミで、自己中心に生きて行く人は、 ずっと暗黒の時代を生きることになります。 どの道も自由に選択することが出来ますし、 途中で道を変更することも自由です。 神仏は静かに見守って、その人の自主性に任せます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201310310000/「いつも不平・不満、愚痴を口にしている人のところには、 同じような人間が集まってきます。 いつも失敗ばかりしている人のところには、失敗者が集まってきます。 朗らかな、笑顔溢れる集りに参加しましょう。 幸運というものは、そういう場所にあるのですから。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401210000/「不平不満ばかり言う人や、人のあら探しが好きな人と 一緒にいると、自分もそういうレベルの人になって 望みもしない不幸を背負うことになりますから こういう人とは距離を置くことですよ。 幸福そうな顔をした人や、 成長し人生を楽しむことに関心を抱いている人に 囲まれているようにすれば、 自然に幸せと、生き甲斐が手に入るのです。 幸せと、生き甲斐を手に入れた人は、 不平不満ばかり言う人、 人のあら探しが好きな人に自分の経験から獲得した、 「幸せになる法則」を話してあげてください。 自分が出来て初めて人の心を救うことが出来るのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201402270000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.06.08
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「人というものは、 他の誰かと闘っているつもりでも、 実は自分と闘っているのです。 自分を第三者の目で見れる人は 自分に勝つことが出来ます。 すなわち人生に勝利することが出来るのです。」「あなたの迷いは 我欲で迷っているに過ぎません。 我欲を捨てて第三者の目で観てください。 いとも簡単に進む道が見つかります。 その道こそ栄光の道です。」 「栄光は、恐れを知り、 それを克服した人の頭上に輝くのです。 勇敢な人とは恐怖を感じない人ではなく、 得体の知れない恐怖と闘い、乗り越える人なのです。」「過去の自分に負けていないのなら あなたは進歩しているのです。 誇り高き人生。。 これからも歩み続けてください。」魂の修正や成長をさせて頂く為に、この世という修行の場に生まれる機会を与えて頂いている私たち。。。魂の修正や成長をさせて頂く必要があるのは、過去生、今生を問わず、業を積んでしまうような不完全で至らない点の多い心のあり方を心から反省させて頂き、誠実な美しい心になるよう、心を磨き続けさせて頂く為だと思うのです。表現を変えさせて頂くと、地上において与えて頂く修行の為の様々な境遇は、過去生や今生で業を積んでしまうような心のあり方をしている自分を自分で正す為の機会。。。欲や邪念に翻弄されようとしている、又は、欲や邪念に翻弄されている自分とと闘いの機会。。。良心や自分に恥じる思考・言動をしている、又は、良心や自分に恥じる思考・言動をしようとしている自分との闘いの機会。。。つまり、自分で自分に打ち克つ為の機会。。。良心に従って、自分で自分を支配する為の闘いの機会。。。自分の心の穢れた部分を磨き、美し輝かせる為の機会。。。ということだと思うのです。自分で自分を貶め、自分の心を穢すような心のあり方や思考、言動をしているのは、何を隠そう自分自身に他ならないと思うのです。例え、そのような心のあり方や思考、言動を生み出す原因が、様々な境遇や出逢い(人様)であろうと、その境遇や出逢い(人様)に原因があるのではなく、その境遇や出逢いに反応し、自分で自分を貶め、自分の心を穢すような思考、言動を生み出してしまう自分の心のあり方や、自分以外の他のせいにしてしまう心のあり方にこそ、原因があるということだと思うのです。自分に与えて頂いている様々な境遇や出逢い(人様)は、 自分で自分に打ち克つ為の機会。。。 良心に従って、自分で自分を支配する為の闘いの機会。。。 自分の心の穢れた部分を磨き、美し輝かせる為の機会。。。であると考えさせて頂けば、 辛く苦しいことがあって当然。。。 不平不満、愚痴を言いたくなることがあって当然。。。 嫉妬したり、怒りを抱きたくなることがあって当然。。。 欲や邪念に翻弄されそうになることがあって当然。。。 良心や自分に恥じる心のあり方、思考、言動をしたくなることがあって当然。。。だと思うのです。裏を変えさせて頂くと、その当然なことに負けてきた結果が今の自分。。。ということだと思うのです。当然なことに負け続けてきた自分に打ち克つ為には、当然なことに自分で打ち克つ以外にないと思うのです。そのような様々な境遇や出逢い(人様)に真正面からぶつかってしまうと、 「なぜ自分ばかりが辛く苦しい目に合うんだ!」 「自分が悪いんじゃない!境遇や出逢い(人様)が悪いんだ!」などとしてしまうことがあると思うのですが、その心のあり方や思考、言動、境遇や出逢いに対する自分でも気付いていない恐れこそが、自分で自分を貶め、自分の心を穢している。。。ということに気付くべきだと思うのです。どのような境遇であろうと、ご縁であろうと、その全ては、自分の魂の修正や成長の為。。。自分の心磨きの為。。。に与えて下さっているもの、であることを忘れてはならないと思うのです。自分に都合の良い境遇やご縁は喜ぶ。。。自分に都合の悪い境遇やご縁には、不平不満、愚痴をこぼし、嫉妬、怒りを抱く。。。私たちのそのような心のあり方は、天から観れば、自分勝手以外の何ものでもないと思うのです。不遇に見えても、 「これも自分の魂の修正や成長、心の磨きの為に与えて頂いた 今の自分にとって必要な境遇なんだよなぁ~。 本当に有り難いことだなぁ~。」などのように、心から感謝させて頂くことが出来れば、それは自分の心のあり方で、不遇に見えるものを幸運やチャンスに変えた、ということに他ならないと思うのです。実際に、私たちに与えて頂いている様々な境遇や出逢いは、自分の魂の修正や成長、心磨きの為という、その必要性に基づいて与えて頂いているもの故に、全ては幸運でチャンスでしかないと思うのです。折角の幸運やチャンスを不遇にしてしまっているのは、自分に都合が良いか悪いか、という視野の狭い自分勝手な自分基準によるものごとの見方で、判断してしまっている私たちの心のあり方だと思うのです。天がお取り計らい下さり、偶然を装った必然で与えて下さる自分の魂の修正や成長、心磨きの為の、様々な境遇や出逢い(人様)は、その全てが、自分の修行を助長して下さるもの故に、自分に都合が良いか悪いかなどで判断することなく、その全てに感謝させて頂くことが大切だと思うのです。自分に与えて頂いている様々な境遇や出逢いをそのように捉えさせて頂くことができる。。。天が私たちをご覧下さっているのと同じように、自分で自分を冷静に眺めている。。。少し上から自分を客観的に眺めている。。。ということだと思うのです。自分に与えて頂いている様々な境遇や出逢いを、そのような視野の広い、大きな心で捉えさせて頂くことが出来ると、例え、辛く苦しい境遇や、理不尽は人様とのご縁だったとしても、 「これが今の自分の心磨きに必要な境遇なんだなぁ♬ どうも有り難うございます。」 「この出逢いが今の自分の心磨きを助長して下さる方なんだなぁ♬ ご縁に感謝♬」と思うことが出来るようになると思うのです。例え、最初からそのように思うことが出来なかったとしても、そのように思い直すことが出来るような冷静さを直ぐに取り戻したり、客観的視野を直ぐに取り戻すことが出来るような心の器を育ませて頂けば良いのだと思うのです。克つべきは、自分に与えて頂いた境遇や出逢いそのものではなく、その境遇や出逢いを、自分に都合が良いか悪いかで判断してしまう自分の心。。。直ぐに辛く苦しいと弱音を吐いたり、逃げようとする自分の心。。。直ぐに不平不満、愚痴を言いたくなる自分の心。。。直ぐに嫉妬したり、怒りを抱きたくなる自分の心。。。直ぐに欲や邪念に翻弄されそうになる自分の心。。。直ぐに良心や自分に恥じる心のあり方、思考、言動をしたくなる自分の心。。。なのだと思うのです。自分で自分の心を制する。。。支配する。。。それ即ち、自分で自分に打ち克つことであり、生まれる前に自ら設計してきた自分の人生を制する、ということなのだと思うのです。魂の修正や成長、心磨きを目的として生まれてきた私たちの魂にとっては、そのような心のあり方で人生を全うさせて頂くことこそ、栄光の道を歩ませて頂いているということだと思うのです。そのような自分の心を育ませて頂く為に与えて頂いている境遇や出逢いだからこそ、その全てに感謝させて頂くことが大切なのだと思うのです。全てに感謝させて頂くことができる大きな心を育ませて頂くからこそ、自分に打ち克つことができる。。。ということでもあると思うのです。源光「きちんと自分を制御して生きること。 大切なことです。 ついつい楽な方向に流れていく。。 それが、現状から這い上がれない元凶です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201510210000/「なまけたい。。。楽がしたい。。。 という自分に勝つことができれば、 人生にも勝つことができるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201602030000/「人に勝っても、人間は、大して成長しないのです。 それどころか天狗になって坂道を転がって行くことも。。。 一度自分に勝つと人間は急に強くなれます。 自分に勝つほど難しいものはないからです。 自分を欲望ではなく、良心によって自由自在に コントロールできるようになれば、 心眼が開き指導の存在と会話が楽しめるようになるのです。 これは縄文時代の人に、当たり前のように備わっていた能力。 現代人に失われた能力なのです。」 (ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201510170000/「真の勇者とは、自分の欲望を克服した人のことです。 自らに勝つことこそ、最も難しい勝利なのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407060000/「自分の持ち場で、自分のやるべきことを、やるべき時に、 キッチリとやっていたら運は逃げないのです。 それをやらないから運やツキが逃げるわけです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201503040000/ 「苦しいこと辛いことから逃げてはいけないのです。。。 楽はいつだって出来るのですから。。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201503050000/「人が、逃げてしまいたいこと。。。 嫌なこと。。素通りしたいこと。。恐れること。。を 良心に従って率先してやる人は、奇跡を呼ぶのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405200000/「人様に才能で負けてもいいのです。 誠実さと、精神力があれば人は生きていけるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403180000/「地上的、勝ち負けは、こちらの指標では、逆のことが多いのです。 地上では、名誉も地位も権力も名声も大金も縁が無かった人が、 こちらでは、美しい雲に乗っておられます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210260000/「今が幸せで、うまくいっていればいるほど 謙虚、誠実に生きていきましょう。 人は、うまくできることにはすぐ得意になってしまいます。 傲慢は、過信を呼びます。 不注意の事故、社会からの非難、大損など 大失敗のもとですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312170007/「人間は、調子の良い時、お金に困っていない時は、 心に余裕があるので他人に優しくできます。 謙虚になることも難しくはありません。 不遇な境遇にある時にそういうふるまいができる人は、必ず再起できます。 不平不満、妬み、嫉み、恨み、ツラミに翻弄されて、 なぜ自分だけがこんな目にと、思っているならば、 事態は益々、悪化していきます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201402270001/「中庸の道を歩むことですよ。 極端から極端に動かないことです。。 良心に従うことです。 なにも見えず、何も知らず、 何も聴こえないのが人というものなのですから。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201304290000/「自分の実力を知ることですよ。決して過信してはいけません。 過去の失敗を活かして大きな人物になってくださいね。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201306090000/「地上では、良心に従って進むと、損をして、 この世的価値観では、失敗のように見えるものが多いのですが、 実は、天の蔵に大いなる宝を積み上げていた!! こういうことはこの世を去るときに誰もが経験することです。 地上に肉体を持つのは、瞬きをするくらいの時間ですから、 欲に翻弄されて、自分を見失うほど時間の浪費はありません。 」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209060000/ 「良心に照らして、考えること、言うこと、することが調和されるならば、 人生は、思いのままに拓けます。。 拓けないのならば、三点セットのどれかが歪(いびつ)なのですから 修正していきましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201404200000/ 「今日逃げたら、明日はもっと勇気が必要になるのです。」「何か困難なことから逃げ出すと、 やはりまた同じ系統の他の困難なことにぶつかるものです。 これは業の修正です。 いつかは乗り越えなければならないのですから、 今、頑張って乗り越えてしまいましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201510130000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.06.07
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「大切なことがあります。 それは問うことをやめないことです。 いつの日か私と会話ができるように。。」「答えは後回しでもいいのです。。 疑問をもつことが第一歩、 第二歩で不思議な感覚を得たら 三歩目を踏み出してください。 基本的答えは、数歩先に存在します。 真理は、遥か彼方ですが。。」何を問うのか。。。なぜ問うのか。。。誰に問うのか。。。【何を問うのか。。。】自分が考えたこと。。。自分の考えていること。。。自分の言っていること。。。自分が言おうとしていること。。。自分がしていること。。。自分がしようとしていること。。。が正しいか否か。。。適切な選択か否か。。。適切な判断か否か。。。適切な決断か否か。。。を問わせて頂く。【なぜ問うのか。。。】良心に従った考えか。。。良心に従った言葉か。。。良心に従った行いか。。。それが正しいか否か。。。それで良いのか否か。。。を確認させて頂く為に問わせて頂く。高踏的で利己的にならないよう、独り善がりで、自分勝手な自分の主観という人様にご迷惑をおかけしかねない狭い視野で、誤った選択、判断、決断をしてしまうことのないよう、広く大きな視野を持っている良心に、冷静に、かつ、客観的にものごとを観させて頂く為に問わせて頂く。【誰に問うのか。。。】自分で自分に問わせて頂く。。。同じ自分に問わせて頂くのでも、自分の感情に問う(従う)のではなく、自分の本心に問わせて(従わせて)頂く。。。本心は、私たちの本質である魂の叫びそのものだと思うのです。本心は、その時の自分が考えていること、言おうとしていること、しようとしていることが、正しいか否かを分かっていると思うのです。「間違っている!」「誤っている!」と本心が叫んでいるが故に、躊躇し、迷い、動揺し、心が乱れ、直ぐに選択、判断、決断できないことがあると思うのです。それにもかかわらず、躊躇し、迷い、動揺し、心が乱れる、という本心からの重大なお知らせを無視したり、その状況から目を背けたり、逃げようとして、本心の叫びに耳を傾けず、自分の主観や感情のままに、その時の自分の考えを言動にしてしまうという、間違いや誤ちのスイッチを自ら押してしまうのだと思うのです。 (それは、自分に負けた瞬間であり、 修正すべき点や業を積んだ瞬間でもあると思うのです。)本心は、天から授かった天法の写しである「何が正しいかその全てを知っている良心」そのものだと思うのです。それ故に、自分の本心に耳を傾けさせて頂く、自分の本心に問わせて頂くというのは、良心に問わせて頂くことと同じだと思うのです。感情や欲望に流された方(良心に耳を傾けない方)が楽なように感じられる地上ですが、地上は修行の場故に、楽では修行にならないと思うのです。感情や欲望に流されたり、翻弄されないよう、自分の本心、良心に問わせて頂く。。。例え、それが辛く苦しく、孤独になることが想定される道であったとしても、それが本心(良心)が指し示して下さる正しき道であれば、何があろうと歩ませて頂く。。。それ位に自分の心のあり方や思考、言動を自分で律し、コントロールすることができるからこそ修行になるのだと思うのです。裏を変えさせて頂くと、自分で自分の本心(良心)に問うことをしなければ、容易に感情や欲望に流されてしまうのが人間なのだと思うのです。だからこそ、その時の自分の心のあり方から生じる考えや言動が良心に恥じていないか否か。。。自分(本心)に恥じていないか否か。。。を常に問い続けさせて頂きながら、生かさせて頂くことが大切なのだと思うのです。良心に問わせて頂くことが日常的、当たり前になれば、当初、それが辛く苦しく、孤独になることが想定されていた道でさえ、それが、天に真っ直ぐに続く間違いのない道であることを知るが故に、私たちの本質である魂は、そういう生き方をさせて頂けることに喜びや幸せを感じることができるようになるのだと思うのです。良心がYESと後押しして下さったことは、天が支えて下さっていると思って喜んでさせて頂く。。。良心がNOとご指導下さったことは、何があってもしない、やらない。。。魂の修正や成長をさせて頂く為に修行をさせて頂いている私たちの魂が喜ぶ生き方だと思うのです。良心がお示し下さる「YES」又は「NO」に、自分の口から出る言葉や行動を揃えてこそ、良心に従って生かさせて頂いていることになり、自分が自分として生かさせて頂いていることになり、自分で自分の人生を切り拓いて歩まさせて頂いている、ということになるのだと思うのです。良心の「NO!」を、言動の「YES」にせず、良心の「NO!」は、言葉と行動の「NO!」に!!良心の「YES!」を、言動の「NO!」にせず、良心の「YES!」は、言動の「YES!」に!!自分の言葉と行動を一致させる「言行一致」も大切だと思うのですが、自分の良心の声のまま、自分らしく、ありのままの自分で生かさせて頂き、更に、勇気をもって、言葉と行動を伴わせて一致させることが大切だと思うのです。言うなれば、【良心言行一致】で生かさせて頂くことが、人としてあるべき正しい心の道であり、人としてあるべき誠実な姿勢であり、この世の自分の心身を守る術であり、自分の心、そして魂を守る術であり、魂の喜ぶ生き方であり、天に続く道なのだと思うのです。だからこそ、「何が正しいかその全てを知っている良心」を心の友として、いつも良心の声に従って、【良心言行一致】の姿勢で生かさせて頂きたいものですね。 【良心言行一致】 (「志」が勝手に作らせて頂いた造語です♪) 良心の声とこの世における言行が一致していること。 魂が歓ぶ生き方。 の意です。 良心言行一致で生かさせて頂く。。。それは良心に「問う」からこそ、できることだと思うのです。躊躇し、迷い、動揺し、心が感情によって乱れているとき、躊躇し、迷い、動揺し、心が感情によって乱れている自分に問うても、正しい選択、判断、決断などできるわけがないと思うのです。だからこそ、深呼吸をさせて頂き、いつも高いところから冷静に、客観的にものごとを見て下さっている良心に「問う」ことが大切なのだと思うのです。そもそも「良心」とは、地上という修業の場で、魂の修正や成長を正しくさせて頂く為に授かった「何が正しいかその全てを知っている天法の写し」。。。不完全で至らない点が多く、魂の修正が必要な私たちが、常に正しい選択、判断、決断などできる訳がないと思うのです。 (躊躇し、迷い、動揺し、心が感情によって乱れることなく、 常に正しい選択、判断、決断をして、 常に正しい道を歩ませて頂くことができるのであれば、 もはや地上という修業の場に生まれる必要などないと思うのです。) 正しい選択、判断、決断ができない不完全で至らない点の多い私たちだからこそ、魂の修正が必要となるような業を積むのだと思うのです。そのような私たちだからこそ、天から授かった良心や、自分を指導して下さる存在に、謙虚な姿勢で「問わせて頂く」ことを常とさせて頂くことによって、人としてあるべき正しい道を歩ませて頂くことができるようになるのだと思うのです。また、何を問うのか。。。なぜ問うのか。。。誰に問うのか。。。だけでなく、どのように「問う」のか。。。その「問い方」も大切だと思うのです。「問う」と言っても、あれもこれも問えば良い、というものではないと思うのです。「問う」ときは、1度に多くを問うのではなく、 (1度に多くを問うことはできても、 その回答を正しくキャッチできないのが 私たちであることを忘れてはならないと思うのです。)どういう順番で問わせて頂けば良いか。。。問いたいことの中で一番何が重要か。。。など、1つ1つ順序立てて、整理をして、端的な「問い」を端的な「問い方」で問わせて頂くことが大切だと思うのです。 (「問うこと」「問い方」をあれこれと考えている内に、 客観的にものごとを見る冷静さを取り戻し、 問わずとも正しい答えを見つけることができる、 ということもあると思うのです。)もし、自分が良心や指導の存在であったなら、 「どのように問われたら、シンプルに回答できるだろう。。。」という感じで、「問われる立場」のことを考えさせて頂きながら、問わせて頂くと、より良いと思うのです。時に、「問う」ことに慣れてしまうと、大したことのないことや、どうでもよいようなことまでをも「問う」など、「問う」ことに頼りっ放しになることがあると思うのです。自分が「問われる立場」であったときに、 「それくらいのことは自分で考えましょう。。。」と答えたくなるような「問い」に値しないのだと思うのです。「問う」ときは、予め自分なりの答えを用意させて頂くことが大切だと思うのです。その用意させて頂いた自分なりの答えが自分や良心に恥じない答えになっているか否かを、良心や指導の存在に確かめさせて頂く為に「問う」。。。それこそ、「問う」ときの正しい姿勢であり、正しい「問い方」なのだと思うのです。源光「大切なことは、生涯問うことをやめないことです。 今日も、愛の人、正義の人、良心の人でありましょう。」(ラクシュミーさん)「聞かねばなりません。 そして聴かねばなりません。 心の叫びを。。」(ラクシュミーさん)「自分自身のことは、自分が誰よりも知っています。 何かを始める時は、先ず、心に問うことです。 良心に恥じない自分であるかを。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201605110000/「経験は、人としての在り方を教えてくれますが、 問い方は教えないのです。 問い方を探究していけば、間違いを直ちに修正する鍵を 手にする事ができるのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201207070000/「心の深い悩みに苦しむ人は、自問自答しているのですが、 質問そのものの意味がわからないのです。 質問にたどり着いたなら、答えはすぐそこにあるのですが。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405220000/「あなたの問いの大きさが、 そのまま答えの大きさを示しているのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412200001/「自分の信じる道を真っ直ぐに歩んで行けばよいのです。 あなたの道を。。。 良心という道標があるのならば指導の存在、守護の存在は、 随所であなたにアドバイスを与え、奇跡を降ろして 必ずあなたを助けるでありましょう。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201505120000/「自分を欲望ではなく、良心によって 自由自在にコントロールできるようになれば、 心眼が開き指導の存在と会話が楽しめるようになるのです。 これは縄文時代の人に、当たり前のように備わっていた能力。 現代人に失われた能力なのです。(一部抜粋)」 (ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201510170000/「あなたのヴィジョンが消えたら、 天は、スクリーンにあなたの姿を見つけることができないのです。 つまり指導の存在とコンタクトすることができなくなるわけです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412290001/「人生は複雑なようでそうではなく、シンプルな中に真実があります。 悩みを複雑化しているのは自分自身です。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403220000/「物事は、できるだけ単純に考えましょう。 良心に従って単純に考えれば、 人生の難問も難なく解読できます。 身の回りの現象に重要な事は、ほんのわずかで、 どうでもいい不必要な部分の方が、圧倒的に多いのです。 底無し沼に入り込んで苦しんでいる人は、 単純な事を敢えて難しくしているか、 阿呆の素晴らしさに全く気付いていない、 利口の真似をしている愚かな人です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312170002/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.06.06
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「別れの時は必ず訪れます。 哀しみではなく感謝。。 覚えておいてください。」「地上ではこの上なく辛い別れも、 こちらの世界から観れば、 大いなる使命を果たされ、 還られたことになるのです。 死は全ての人に平等に訪れます。 いかにして死ぬかということは、 いかにして生きるのかと同意語です。」「墓は生きている人のためにあります。 在りし日の故人を偲ぶことは、とても大切なことです。」「死顔が美しいのなら その人は人生に満足して 思い残すことなく還った人なのです。」それが直接的であろうと、間接的であろうと、自分と何らかの関係や繋がりがある方の死は、驚きであったり、悲しみであったり、寂しさであったり、辛さであったり、苦しさであったりするものですが、何らかの関係や繋がりを通じて、多かれ少なかれ、その故人のお世話になったり、喜びや楽しみを与えて頂いたり、共に苦しみや辛さを分かち合ったり、共に笑ったりすることがあったのであれば、それはその故人の方の存在なくして、なかったことだと思うのです。 (だからこそ、死という地上での別れに悲しみや苦しさを 強く感じるのだと思うのです。)そのように捉えさせて頂くと、その故人が地上に生まれてきて下さったこと、その故人とご縁を頂いたことで、自分の人生の貴重なワンシーンが築かれたこと、自分の人生というキャンバスが描かれたことなどに心から感謝させて頂き、天に帰還する死者の冥福を心からお祈りさせて頂くことが大切だと思うのです。この世(地上)では、魂が肉体から解放される「死」に対して、怖れを抱いてしまうことが多いものですが、 (この世における生に対する 執着があるが故の怖れだと思うのです)この世の肉体の「死」は、私たちの本質である「魂」にとってはあの世(心の故郷)への「帰還(誕生)」であり、この世(地上)の肉体の「誕生」は、魂にとってはあの世(心の故郷)からの「旅立ち(死)」だと思うのです。それ故に、この世(地上)的なものごとの見方や捉え方では、 肉体の「誕生」を迎えることは喜びに満ち溢れるのだと思うのです。しかしながら、あの世(心の故郷)的なものごとの見方や捉え方をすると、魂の修正や成長の為に必要な苦難や試練が待ち受けているこの世(地上)での肉体の「誕生」は、魂があの世(心の故郷)から旅立つ(離脱する)こと故に、魂の家族にとっては悲しみでありながら、「人生挫けず頑張ってきて下さい!」という応援でもあると思うのです。反対に、肉体の「死」は、この世(地上)的なものごとの見方や捉え方では、悲しみでも、あの世(心の故郷)的なものごとの見方や捉え方では、魂があの世(心の故郷)へ帰還する(誕生する)こと故に、「人生お疲れ様でした!」というお祝いであり、喜びなのだと思うのです。また、この世における修業を終えて天に帰還する故人の立場になってみることも大切だと思うのです。故人からすれば、地上の家族や友人、知人が自分の死を悲しみ、涙している姿を観ることこそ、悲しく、辛いことだと思うのです。だからこそ、地上に残された故人の家族や友人、知人は、故人の思い出話に花を咲かせ、それを笑って楽しませて頂きながら、故人が存在して下さっていたことに感謝させて頂けば良いのだと思うのです。自分の話題で盛り上がっている様子を見ている故人の魂は、自分が地上で生かさせて頂いていたことが、ほんの僅かでも家族や友人、知人の役に立っていたこと。。。そして、自分が必要とされていた存在であったことを知れば、大きな喜びを感じながら、天に帰還することができると思うのです。それこそ、故人に対する最高の手向けだと思うのです。とはいえ、地上に残された方々は、中々心の整理がつかないこともあると思うのです。そのような方々の心の拠り所になっているのが、お墓だと思うのです。お墓の存在や、命日やお彼岸のお墓参りや仏事が、故人の在りし日を偲ばせ、思い出話に花を咲かせることが、心の支えとなり、心の拠り所になるのだと思うのです。時の流れと共に、そのようなことを幾度か繰り返させて頂いている内に故人との別れに対する悲しみは次第に癒され、今度は、自分自身が死と向き合い始めると思うのです。自分が死しても、自分のことが話題にならない。。。地上で生かさせて頂いている時に、自分が必要とされていなかった。。。ということを感じながら天に帰還することこそ、故人の魂にとっては、辛く悲しいことなのだと思うのです。そのようなことにならないように、地上という修行の場において生かさせて頂いている時は、自分に与えて頂いた特技や能力、そして様々な経験を、良心に従って、人様のお役に立つことや、人様にお喜び頂けることに活かさせて頂くことが大切なのだと思うのです。「人様のお役に立たせて頂こう♪」「人様にお喜び頂けることをしよう♪」という心持ちで何かをさせて頂くことによって、人様に必要とされる自分を育ませて頂く。。。そのような心のあり方で生かさせて頂くことこそ、魂の修正や成長をさせて頂く為に、地上という修業の場に生まれる機会を与えて頂いている私たちの本質である魂が喜ぶ生き方なのだと思うのです。死して後悔しても、時既に遅しだと思うのです。だからこそ、生かさせて頂いている間に後悔をさせて頂けることに感謝し、後悔したことを反省し、正させて頂くことが大切だと思うのです。いつ死を迎えても、後悔することがないように、又は、後悔することが少しでも少なくなるような心のあり方で、「今」を大切に生かさせて頂きたいものですね。源光「死者にたいする最高の手向けは、悲しみではなく感謝です。 地上に生れ落ちて死なぬものは無く。。 意味も無く生まれた人もいないのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201501300000/「人に優しく、愛を注いで嫌味なく。。 労働に感謝。職場に感謝。家族に感謝。触れ合う人に感謝。 足ることを知って欲張らず。。 豊かになっても決して驕らず。。 肩書き、権威があっても威張ることを知らず。。 良心に従って、いつも笑顔で生きていく。。 先祖供養とはただそれだけのこと。。 ただそれだけのことです。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201507120000/「意味もなく生まれてきた人はいないのです。 自分自身の、そして他の人々の人生に意味を見いだしましょう。 あなたの人生はあなたのもの。。(一部抜粋)」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312310000/「人生で遭遇するすべての出来事には意味があるのです。 生きていくこととは、その意味を理解することに他なりません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407010000/「あなたの人生のすべての出来事には意味があり、 生きていくこととは、その意味を理解することです。 理解が及ばないと不本意な人生に。。 理解が及べば潤沢で楽しい人生となっていくのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408290000/「一生を終えて後に残るのは、 あなたが集めたものではなくて、 あなたが与えたものなのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201505190000/「触れ合う人に笑顔でプレゼントをしてください。 大切なのは、高価なものを与えたか。。 どれだけ多くを与えたかではなく、 どれだけ愛をこめたかです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405010000/「他人のための行いにこそ価値があります。 無償の愛。。それが人生の重要な秘訣のひとつです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406020001/「人は心の美しさと、いかに生前、人様のお役に立てたか?で、 こちらの住む場所が決まるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210160000/「与える手は、どの手も美しいのです。 与えることは、自らを輝かせます。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201207050000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.06.05
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「生涯をかけて学ぶべきことは 生きることです。 死ぬことではありません。」「何があろうと 今日も生きて生きて生き抜いてください。 悲しい顔はしないで 今日も触れ合う人を喜ばせてください。 それが生きるということですから。。。」死を恐れず、平気で死ねるという心意気は、素晴らしく、凄いことだと思うのです。しかしながら、自ら望まずとも、いつかは訪れるものが死でもあると思うのです。そして、意味あって与えて頂いているものが「生」だと思うのです。更にその「生」は、人様を愛し、人様のお役に立つことや人様にお喜び頂けることをさせて頂くことを通じて、魂の修正や成長をさせて頂く為に与えて頂いているもので、一見、自分の為だけのものに見えても、実は、自分だけの為の「生」ではないと思うのです。 (なにしろ一人で生かさせて頂くことはできない私たち故に、 自分だけの為の生などあるわけがないと思うのです。)そのように考えさせて頂くと、自らの選択と判断によって、自らの生の意味を知ることなく、自らの生を全うすることなく、人様のお役に立つことや人様にお喜び頂けることをさせて頂くことができるにもかかわらず、それを途中で放棄して死ぬことよりも、どんなことがあっても、自分の命が尽きるまで、意味あって与えて頂いた生を、家族や人様を愛することに活かしながら生き続けることの方が容易ではないと思うのです。その容易ではないことに、心揺らぐ時もあるものだと思うのですが、そのようなときでも良心に従い、平常心をもって、生き抜こう、生き続けようとすることが、生を与えて頂いている意味や、生きる意味を知ることに繋がるのだと思うのです。肉体をもって「生」を体験できるのは、修行の場であるこの世だけ。。。そのように考えさせて頂くと、如何に「生」を与えて頂けることが貴重なことかは、容易に想像できると思うのです。それほどまでに貴重な「生」故に、自ら死を選ぶことなく、何れ訪れる自分の寿命までは、生きて、生きて、生き抜いて、人生を全うさせて頂きたいものですね。~~~~私たちの魂は、魂の修正や成長を目的として、この世に「人」として生まれることを、今か今かと待ち望んでいたと思うのです。天はそのような私たちの魂の為に、魂の修正や成長の為の修行の場所として、「この世」という貴重な場所と、「生」という「時間」の概念と、「身体」という「魂の乗り物」など、魂の修正や成長の為に必要な環境や境遇を与えて下さっているのだと思うのです。その環境や境遇を魂の修正や成長の為に、どのように活かすかは自分次第。。。この世に生まれてきた目的を忘れて生きようと生きまいと、その結果として、「死」を迎えた時の魂のレベルが、従前より良くなっていようといまいと、それは自己責任という「自由」も、天は与えて下さっているのだと思うのです。「死」がいつ訪れるのかを恐れるのではなく、「死」がいつ訪れても良いように、「死」がいつ訪れても後悔したり、この世に執着を残すことのないように、「今」できることを「今」する、ことを繰り返し、「今、生きている」という「生」を一所懸命に、そして、明るく、元気に、楽しく、笑いながら、この世に生まれた瞬間から「死」に向かっている与えられた「生」を、良心に素直に従って、大切に過させて頂きたいものですね。源光「悟りとは、いかなる場合も平気で死ぬことではなく、 いかなる場合も平気で生きていること。。 生きて、生きて、生き抜くことにあります。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409160000/ 「汝は、死について考えねばならぬ。 そしてそこから死ではなく、 生について熟慮をはじめることだ。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201201120000/「汝、死がなければ、生を重んじることができず、 生がなければ道を見つけ出すことができないことを知ることだ。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201112250000/「汝は、自分が生を受けたことで、 世の中が少しよくなったということが 認められるまで生きねばならぬ。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201112310000/「力尽きたら、その場に倒れ込んでもいいのです。。。 生きていれば、次があります。 生きてさえいれば。。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201503080000/「自分は生きているのではなく、 「生かされている」という事実に気づきましょう。 本当の幸せは、あなたの心の中にあるのです。 幸せを追いかける人はいつまでも幸せになれず、 今、呼吸をしている幸せに気づく人が、 本当に幸せになれるのです。 まずは、生かされていることに感謝しましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401020002/「人間は、修行のために異郷に生まれて来たのです。 生きることは心の故郷を異郷に実現させること。 愛の心で生きること。。 いつの日か心の故郷に、果たすべきことを果たして、 喜びを胸に還ることです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408120000/「今、苦難の人生を歩んでいる人の中には 死んだほうがましだと思う人もいるのですが、 人生の意義は、あなたが人生から逃れることではなく、何を与えるか。。 これがわかれば、思わぬ出逢いがあり、 これからの人生は、反転して、驚くほど豊かになっていきます。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312040003/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312040004/「死なないで地上で、生きられる人は皆無です。 人は、地上に命がある時だけ諸々の善行を なすことができるのですから、せっかくの機会を 大いに活かして、帰還されますように。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201211090000/「生まれ変わるのは、地上に生ある時です。 還って来てからでは遅いのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209260000/「生命のあるかぎり、 希望はあります。 今を真剣に生きることです。 明日ではありません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201602010000/「魂のこもった価値ある日々を送ってくださいね。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201303050000/「毎日、涙がポロポロ流れる。。。。 それでも、愚痴一つ言わず、懸命に生きて、生きて生き抜く人。。 天は、こういう人を救わずして誰を救うのでしょう。 そうです。。必ず救いの手が差し伸べられるのです。 はっきり言いましょう。 愚痴を言っている間は永遠に修行が続くのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201510050000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.06.04
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「人がもっとも嬉しいとき、 美しいとき、楽しいときは 人の為に生きるときです。」「この世で一番価値のある行為は、 他人の顔に喜びの表情を浮かばせることです。」「良い日は幾らでもあるのです。 良い日を手に入れるのが難しいわけではありません。 心がけ次第です。 今日、会う人を喜ばせればいいのです。 ただそれだけのことです。」魂の修正や成長をさせて頂く為に、地上という修行の場に生を与えて頂いている私たち。。。どのようにさせて頂けば、魂の修正や成長をさせて頂くことができるのか。。。それは、自分が過去から培ってきた特技や能力を、良心に従って、人様のお役に立つことや、人様にお喜び頂けることに活かさせて頂くことにあると思うのです。自分の特技や能力なのに、 「なぜ人様の為に?」と思ってしまうこともあるものですが、人様の為に心正しく活かさせて頂くことによって、 人様がお喜び下さったとき。。。 人様が笑って下さったとき。。。 人様が「ありがとう♪」と仰って下さったとき。。。自分の心は 「何とも言えない心地の良い喜び、幸せ」で溢れると思うのです。人様の為に何かをさせて頂いた結果、「何とも言えない心地の良い喜び、幸せ」になったものは、 人様の喜び。。。 人様の笑顔。。。 人様から頂いた感謝のお言葉。。。だと思うのですが、少し見方を変えさせて頂くと、 人様がお喜び下さったことで自分も喜ぶことができた。。。 人様が笑顔を見せて下さったことで自分も笑顔になれた。。。 人様から感謝のお言葉を頂いたことで嬉しさ、幸せを感じた。。。ということでもあると思うのです。自分の喜びや笑顔、嬉しさ、幸せは、人様から与えて頂いた。。。そういうことだと思うのです。人様の為に何かをさせて頂かなければ生じることが無かった「何とも言えない心地の良い喜び、幸せ」。。。人様に為に何かをさせて頂いたからこそ体験させて頂くことが出来た「何とも言えない心地の良い喜び、幸せ」。。。自分の特技や能力故に、自分の為にそれを活かそうとすることは、極自然なことだと思うのですが、自分一人で生かさせて頂いているわけではないことを考えれば、 「自分さえ良ければそれで良い」 「人様のことなんかどうでも良い」という利己心で生かさせて頂くにも限界があると思うのです。だからこそ、自分の特技や能力を良心に従って人様のお役に立つことや、人様にお喜び頂けることに、正しく活かさせて頂くという人様を思い遣る心、利他心をもって、積極的に生かさせて頂くことが大切なのだと思うのです。「人様の為に生きる。。。」と書いて人生。。。人様を思い遣る心、利他心を持って生かさせて頂くことこそ、地上という修業の場における人生を有意義にするのだと思うのです。お天道様が、日々私たちに無償の光と愛を与え続けて下さっているのと同じように、自分も人様に無償の愛や無償の奉仕をさせて頂く。。。それが、私たちの魂の修正や成長を促す生き方なのだと思うのです。同時に、そのように生かさせて頂くことが、私たちの魂が喜ぶ生き方なのだと思うのです。魂が喜ぶ生き方をすることができるということは、自分を偽ることなく、自分を欺くことなく、心美しく生かさせて頂いているということだと思うのです。美しい心で「人様の為に生きる」人生を過ごさせて頂くからこそ、「嬉しさ」「楽しさ」「幸せ」を感じることができるのだと思うのです。だからこそ、いつ何時も良心に従って、人様に笑顔になって頂けるような人様のお役に立つことや、人様にお喜び頂けることを積極的にさせて頂けるような自分を育ませて頂きたいものですね。「人様の為に生きる。。。」それが結果的に自分の喜び、嬉しさ、楽しさ、笑顔になり、自分の心の美しさに磨きをかけることになるわけですから。。。時に、「人様の為」と書いて「偽」という字もあります。世の中には、さも自分が善人であるかのように振る舞い、表面を取り繕う為に「人様の為に。。。」と言いながら、その実態は、何らかの見返りを求めていたり、人様を欺いているような言動もあるものですね。。。「人様の為に。。。」心にそのような気持ちが無くても、「人様の為に。。。」という体裁の良い言葉を利用する。。。それこそ「人様の為」と書いて「偽」なのだと思うのです。「偽」故に、当然「人様の為」ではなく、「自分の為」なのだと思うのです。「人様の為。。。」としながら、その実態は「自分の為。。。」その言動は、人様を欺き、騙しているだけではないと思うのです。そういう良心や自分に恥じる言動ができるのは、自分で自分を欺き、自分で自分を偽り、自分で自分を裏切り、自分で自分を貶めていると思うのです。「自分の為」にしているつもりが、そのようなことでは、自分の本質である魂は、とても残念な思いをされると思うのです。そのようなことにならないように、「人様の為に生きる人生」は、何らの見返りを求めることなく、自分も人様も偽ることなく、欺くことなく、人様を思い遣る心、利他心をもって、心美しく生かさせて頂きたいものですね。無償の愛のあり方のお手本を、日々私たちに示して下さっているお天道様のように。。。源光~~~~「今ある自分」というのは、「今ある自分」に至るまでに、触れ合いを頂いた方々からの愛やお心遣いや智慧や知識や助けなどを与えて頂いてきたからこその「今ある自分」だと思うのです。家族や人様など「触れ合う方の為」に何かをさせて頂くという心持ちや行いは、一見、「与える」だけに見えるものですが、実は、今まで自分が与え続けて頂いたことに対する「恩返し(報恩)」にもなっているのだと思うのです。(報恩は奉仕でもあり、奉仕は報恩でもあると思うのです。)「今ある自分」が生き続けさせて頂いているということは、生き続けている間は、これから触れ合いを頂くであろう方々から沢山のものを与えて頂くことになる、ということでもあると思うのです。そのように考えさせて頂くと、「触れ合う方の為」に何かをさせて頂くという心持ちや行いは、過去の自分が与えて頂いたことに対する「恩返し(報恩)」としてだけではなく、未来の自分が与えて頂くであろうことに対する「恩返し(報恩)」を先にさせて頂く、くらいの気持ちで、「触れ合う方」のお役に立たせて頂けることや「触れ合う方」にお喜び頂けることをさせて頂きたいものですね。家族や人様の喜びや幸せの中に、自分の喜びや幸せを見出させて頂く。。。そういう心を育ませて頂きながら、家族や人様との心の繋がりや絆を築かせて頂き、心穏やかに過ごせる心の平和を感じたいものですね。源光「人は心の美しさ。。。 太陽が朝を連れて来るように、 心美しい人は、今日も愛の光を連れて来るのです。 あなたの喜ぶ姿が私の喜びです。 人はこうして幸せになって行くのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405050001/「触れ合う人達に喜んで頂く時、 その人の心は最高の高みに達しているのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201203300000/ 「人は、他に対し善を行っている時、 自らに対して最善を行っているのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201206140000/「他人のための行いにこそ価値があります。 無償の愛。。 それが人生の重要な秘訣のひとつです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406020001/「不幸になっていく人は、自分の喜びばかりを考えているのです。 人を喜ばせることを考えて生きていきましょう。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201207180000/「今日、触れ合う人を喜ばせて、今、現在に最善を尽くすこと。。。 今日を心豊かに過ごせば、明日も明後日も。。。 ずっとずっと幸せの花が咲き続けます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201501120000/「幸せというものは、一人では決して味わえないのです。 幸せの連鎖。。無償の愛。。心と心を繋いでいきましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405090000/「人様の喜ぶ姿をイメージして無心に、奉仕して下さい。 それが限りなく天に通じる生き方ですから。。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209220000/「汝は世の人々に伝えなければならない。 本当に幸せになる人は、 真実の奉仕の仕方を探し得た人であることを。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201111250000/「今日、触れ合う人を喜ばせて 今、現在に最善を尽くすこと。。。 今日を心豊かに過ごせば、 明日も明後日も。。。 ずっとずっと幸せの花が咲き続けます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201501120000/ 「他人に親切にするのは、断じて義務などではない。 それは、光栄であり、健康と幸福と歓喜をもたらす。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201202020000/「人は偶然を装った必然で出会うものです。 触れ合う人を喜ばせて生きることは 未来の自分の幸せに繋がるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201410260000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.06.03
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「あなたが今を楽しめていないのなら、 あなたは何か、間違ったことをしている可能性があります。」今を心から楽しめている時。。。それは私たちの本質である魂が喜んでいる生き方をしているのだと思うのです。魂が喜ぶ生き方。。。魂の修正や成長をさせて頂く為に地上で修業をさせて頂いている私たちの魂が喜ぶのは、どのような境遇に遭遇しようと、「何が正しいかその全てを知っている良心」に従って生きることだと思うのです。時に、良心に従って生かさせて頂いていると、楽しいどころか、辛く苦しいことが多々あると思うのです。それでも、良心や自分に恥じることのないよう自分を偽らず、自分を欺かずに生きる。。。自分らしく生きる。。。辛く苦しかったとしても、良心に従って、自分らしく生きるからこそ、「自分」として生かさせて頂いていることを楽しませて頂くことができるのだと思うのです。もし、今を心から楽しめていない時。。。それは私たちの本質である魂が喜ばなない生き方をしているのだと思うのです。魂が喜ばない生き方。。。魂の修正や成長をさせて頂く為に「何が正しいかその全てを知っている良心」を授かり、地上で修業をさせて頂いているにもかかわらず、欲や邪念に翻弄され、 「間違ったこと」 「いけないこと」と心の中では分かっているにもかかわらず、自分をコントロールできずに、良心や自分に恥じるような言動をして、それをしようとしてしまっている、はたまた、それをしてしまう。。。そういう自分の心のあり方を、私たちの魂は喜ばないのだと思うのです。良心や自分に恥じる言動をするということは、自分を偽り、自分を欺いて生きているということ。。。欲や邪念を喜ばせているだけで、自分らしく生きていない。。。ということだと思うのです。時に、良心に背いて生かさせて頂くことは、地上的にはとても楽で、楽しいことも多々あると思うのです。それにもかかわらず、心から楽しめないのは、 「間違ったこと」 「いけないこと」と分かっていることをしているからだと思うのです。それを心のどこかで分かっている内は、まだ幸せだと思うのです。良心という心の羅針盤の声が聞こえている、ということ故に、自分の心のあり方次第で、修正できると思うのです。しかしながら、 「間違ったこと」 「いけないこと」と分かっていながらも、良心や自分に恥じる言動をすることを何度も繰り返してしまっていると、その悪習に慣れてしまい、自分がしている言動が 「間違ったこと」 「いけないこと」であることさえ分からなくなり、「自分」であるにもかかわらず、「自分」として生きることができないように知らず知らずの内に欲や邪念に心を支配されてしまう、ということにもなりかねないと思うのです。そのようなことにならないように、天から授かった心の羅針盤である良心に素直に従って生かさせて頂くことがとても大切なのだと思うのです。良心がお示し下さる「YES」又は「NO」に、自分の口から出る言葉や行動を揃えてこそ、良心に従って生かさせて頂いていることになり、自分が自分として生かさせて頂いていることになり、自分の魂が喜ぶ生き方をさせて頂いている、ということになるのだと思うのです。どのような境遇に遭遇しようと、良心の「NO!」を、言動の「YES」にせず、良心の「NO!」は、言葉と行動の「NO!」に!!どのような境遇に遭遇しようと、良心の「YES!」を、言動の「NO!」にせず、良心の「YES!」は、言動の「YES!」に!!自分の言葉と行動を一致させる「言行一致」も大切だと思うのですが、自分の良心の声のまま、自分らしく、ありのままの自分で生かさせて頂き、更に、勇気をもって、言葉と行動を伴わせて一致させることが大切だと思うのです。言うなれば、【良心言行一致】で生かさせて頂くことが、人としてあるべき正しい心の道であり、人としてあるべき誠実な姿勢であり、この世の自分の心身を守る術であり、自分の心、そして魂を守る術であり、魂の喜ぶ生き方であり、天に続く道なのだと思うのです。だからこそ、「何が正しいかその全てを知っている良心」を心の友として、いつも良心の声に従って【良心言行一致】の姿勢で生かさせて頂きたいものですね。 【良心言行一致】 (「源光」が勝手に作らせて頂いた造語です。) 良心の声とこの世における言行が一致していること。 魂が歓ぶ生き方。 の意です。 源光「後味がいいなあ。。。良いことをしたご褒美です。 後味が悪いなあ。。。良くないことをした報いです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407170001/ 「優しい心で生きる時に聞こえる声は真実の声ですが、 邪念を持った時に聞こえる声は、偽りの声です。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201205030000/「現在うまくいっているとしても、 本当は間違った事をしていると、 心の底で分かっているなら、すぐに止めることです。 現在うまくいかないとしても、 良心に恥ない正しい事をしていると 心の底でわかっているなら、 諦めず継続していきましょう。 正しい努力だけが真の幸せを運んでくるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311210000/「良心に照らして、考えること、言うこと、することが調和されるならば、 人生は、思いのままに拓けます。。 拓けないのならば、三点セットのどれかが歪(いびつ)なのですから 修正していきましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201404200000/「人間として一番大切なのは、 頭の良し悪しではなく、心の良し悪しです。 幸せになるのも頭の良し悪しではなく、 心の良し悪しです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201404100000/「大切なのは心構えです。心的態度です。 天は、心でどう思ったか、どう考えたかを観ていますから、 偽善や形だけの善行は、ほとんど評価しないのです。 心的態度。。 これが、その人の才能や努力、知識以上に重要な要素です。 心を磨く。。 これが全てに優先するのです。。 幸運の鍵。。 いつでも渡す準備はできています。 あなたの心、純粋な心に期待して、待っています。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401050000/「心が悪い想念に流されることも、 嵐に巻き込まれることもあるでしょう。 しかし、そこで良心に従って反省すればいいのです。 その繰り返しで魂は向上していきます。。 あなただけの心のブランドを創り上げていくことですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407080000/「人間は、その人がどういう人生を歩んできたのか、 苦しい経験を積んできたのかではなく、 事が起きた際に、良心に従って正しく行動したかどうかで 価値が決まるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201410160002/「世間や社会にではなく、良心に従って 自分に恥ずかしくないように生きることです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412160001/ 【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.06.02
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「他人の生き方や、成功法則で成功するよりも たとえ失敗したって自分らしく生きる方を あなたの魂は望んでいるのです。 他人の生き方や、成功法則を 自分らしくアレンジしない限り あなたの本当の意味での 幸せも成功もありえないのです。」「大事なのはモノマネではない自分の「型」です。 この「型」ができるまでは、 成功の「せ」の字にも到達できないのです。」自分は自分。。。人様は人様。。。人様がお説き下さる幸福論、成功論は、その人様が幸福になる、又は、成功するに至った方法論であり、経験談であることを考えれば、その人様に適していたことには違いないと思うのですが、それが自分にとって、必ずしも適していると言えるかどうかは別のお話だと思うのです。 (永久不変の真理をお説き下さるものは別だと思いますが。。。)「自分」という意識や個性、特技、能力を持って生かさせて頂いている私たちにもかかわらず、人様の幸福論、成功論を模倣するばかりでは、例え、それで大成功を手中に収めたとしても、「自分」としての人生を生きていない、と思うのです。模倣して大成功を手中に収めたことについて、地上的な喜びはあっても、その喜びは一瞬に過ぎないと思うのです。なぜ一瞬なのか。。。 私たちの本質である「自分」の心を 満たすものではないからだと思うのです。なぜ自分の心が満たされないのか。。。 自分らしく生きていないからだと思うのです。 自分の魂が喜ぶ生き方をしていないからだと思うのです。「自分」という意識を持たせて頂いている私たち。。。そういう私たちだからこそ、 自分らしく。。。 自然体の自分で。。。 ありのままの自分で。。。生かさせて頂くことこそ、心が満たされる幸せな 生き方なのだと思うのです。自分には、 自分が幸福になる生き方。。。 自分が幸福を感じる生き方。。。 自分が幸福になる夢、希望、生き甲斐。。。 自分の個性を活かした成功の仕方。。。 自分の特技や能力を活かした成功の仕方。。。など、自分に適したものがあると思うのです。人様の幸福や成功を羨まない。。。妬まない。。。人様と自分の幸福や成功に対する価値観を比較しない。。。自分勝手な自分基準によるものごとの見方で人様を評価しない。。。人様の自分に対する目を気にしない。。。人様に気に入られる自分を演じない。。。その上で、 自分らしく生かさせて頂けばそれでいい♪ ありのままの自分で生かさせて頂けばいい♪ 自然体の自分で生かさせて頂けばいい♪ 今の自分のままでいい♪ なりたい自分になればいい♪ 自分の思い通りの自分になればいい♪という姿勢で生かさせて頂くことこそ、私たちの魂が喜ぶ生き方だと思うのです。とはいえ、自分一人で生かさせて頂いているわけではない私たち。人様の幸福論や成功論に限らず、人様の様々な言動や考え方、生き方から多くを学ばせて頂いたり、ヒントを与えて頂くことが多々あると思うのです。逆に、自分基準の良心や正義に反するなぁ~、と感じるようなことも多々あると思うのです。そういう良心に反するようなことは取り入れる必要はないと思うのです。良心に恥じることなく、 「なるほど!」 「そういう見方もあるんだなぁ~♬」 「お勉強になるなぁ~♬」 「今言っていた〇〇を〇〇したらもっと良くなるかも!?」と感じるようなことだけを参考にさせ て頂けば良いのだと思うのです。そういう判断をさせて頂くこともなく、ただ闇雲に、 「〇〇さんが言うことだから絶対だ!」 「〇〇さんの言うことを聞いていれば間違いない!」などと自分勝手に思い込み、何でもかんでも鵜呑みにし、模倣しようとしてしまうのは、自分を見失った盲信でしかないと思うのです。その結果、さも自分が「〇〇さん」になったかのような口調になったり、言動をすることが増えると思うのです。ご本人様としてはそれで気分が良いのかもしれませんが、第三者の目には、 「〇〇さんになりたいんだね。。。」 「〇〇さんの受け売りばかりだね。。。」 「〇〇さんのようにちやほやされたいんだね。。。」 「〇〇さん のように尊敬されたいんだね。。。」などのように映ってしまうと思うのです。第三者の目にそのように映ってしまうのは、「自分」がないからだと思うのです。 「自分」であるにもかかわらず。。。それでは「自分」が浮かばれない、否、自分で自分を浮かばれないようにしている、のだと思うのです。知らず知らずの内にそのような自分にならないようにする為にも、何でもかんでも人様のお話を鵜呑みにしたり、模倣するのではなく、その時の自分には何が大切なのか、必要なのかをしっかりと見据えさせて頂きながら、取捨選択、判断をさせて頂くことが大切だと思うのです。その結果として得た学ばせて頂いたことやヒントを、「自分のもの」とさせて頂く為には、それらを新たな息吹として取り入れさせて頂きつつ、それまで培ってきた自分の経験や自分の特技や能力、感性、直観など、自分だけのものと融合し 、自分オリジナルのものとすることによって、「自分のもの」になっていくのだと思うのです。様々な情報を参考にさせて頂きながらも、その中から、その時の自分に必要なものを見つけだし、自分の特技や能力の更なる向上の為に活かさせて頂く。。。自分で自分を育む生き方だと思うのです。自分で自分を育む生き方こそ、自分らしい生き方であり、自分の魂が喜ぶ生き方だと思うのです。そういう自分が満足できる生き方をさせて頂くからこそ、心が満たされ、幸せを感じることができるのだと思うのです。子どもの頃の自分はそうやって生きていたと思うのです。子どもの頃の心のあり方を、今の自分の心のあり方に。。。源光「最も幸福な人とは 人が説く幸福論などに惑わされず 今のままでいいと知っている人なのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412070000/「人からの忠告に基づいて自分の人生を設計すると、 あなたの人生はいびつになるのです。 自分の人生は自分で設計すればよいのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406230000/「他人は、いろいろアドバイスしてくれますが、 あなたを苦しめているものから脱する方法は、 自分で心から納得できるものでなければなりません。 他人の解決法は参考にしかならないのです。 本来、自己というものは無く、無なのですが、 肉体を持つと煩悩の虜となって苦しむのが人というものです。 一旦、自己を手放してみることです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312230000/「前進しているつもりかも知れませんが、 他人の後ろから行く人は、前進しているのではなく 追従しているだけですから他人の道を行くだけで、 自分の進みたい道は拓かないのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201404190000/「生まれる前に決めていた自分のコースを 自分のペースで歩むのが最高の幸せの道なのですが、 なぜか、人のコースが良いように見えたり、 人のペースが早い様に見えて焦るのが人間です。 人は人。。我は我。。コースはみんな違います。 本来のコースを外れた人生を送って、 名誉や地位や権力を手に入れたり、 学歴や肩書、財産などがあっても 一つも面白くない人生を歩んでいる人もいるのが 世の中というものです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312220000/「人の成功法則は、人の成功法則です。 自分に合ってるかどうかが全てです。」「まず今の現実を知ることです。 どんなスゴイ成功法則を知ったからと言って 自分が置かれている現実からしかスタートできないからです。 一人ひとりスタート地点が違うのに同じ法則で対応できるわけはないのです。 成功法則は今の自分に合わせてアレンジしなければ使い物にならないのです。」「いくら成功法則を学ぼうとセミナーに行こうと 少しも成功しない人は多いのです。 自転車を乗りこなすための一番早い方法は、 実際に、自分が自転車に乗って転んでみることです。 転んだら、また自転車に乗る。そしてまた転ぶ。 こうして自転車に乗れるよう になるのです。 成功は実践。。 理論は後からついて来るのです。 理論で、成功するほど世の中は甘くはありません。。」 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408230000/「まず自分自身を満足させるのです。 自分自身も満足させられない人に、 いったい何ができるというのでしょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201410220000/「人生は有限です。 ですから他人の気に入るような行動をするよりも、 良心に忠実に、自分を尊敬し、自分が満足できるような 行動をとるべきです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312060000/「人のことが気になって気になってしょうがない。。 これが物事にとらわれている心です。 そういう心を無くさない限り、心は安らかになりません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406150000/「自分が心からやりたいことを見つけ出して自分らしく生きていく。。 これが最高の人生ですよ。。 人の価値観に振り回されることはありません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408160001/「自分が望んだように生き、そして、それを続けることができるのならば、 それが最高の人生です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407200001/「他人の目を気にせず、おおらかに自分らしく個性的に生きることだと思います。 この世的権威や、お金など、死後は無価値となってしまうのですが、 唯一つ「心」だけは持って還れるのです。 「心」こそ宝ですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210100000/「地上に生を受けることは、降りる前に自分自身で決定していた、 路線に沿って魂を磨くということです。 無意味に生まれてきた人は、ただの一人も存在しないのです。 自分自身に誇りと夢を持って、活きて頂きたいと思います。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201310240000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201310250000/「自分で自分をだましたり、 自分を演出してよく見せようとしているうちは 自分の本質を成長させることはできない。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201107220001/「汝が最もだましやすい人は、汝自身である。 汝の想いは、善にも悪にも通じる。 善き方に想いを巡らせなさい。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201107310000/「世間や社会に恥ずかしくないように生きるのではなく、 自分に恥ずかしくないように生きていきましょう。(一部抜粋)」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201303030000/「自分のことを、この世の誰とも比べないことです。 それは自分自身を侮辱する行為だからです。 比べるのは昨日の自分です。 昨日より進歩した今日の自分を褒めてあげるのです。」 (ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407270000/「賞賛を求め、中傷に傷つく。。 これが普通の人ですが、賞賛も、中傷も気にしない人にならない限り、 心の安らぎは永久に得られないのです。 」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403140000/「他人の生活と比較することなく、自分自身の生活を楽しみましょう。 家族を楽しませましょう。触れ合う人々を楽しませましょう。 幸運とは、そういう自然体の人に微笑むのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201307010000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.06.01
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