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「もっとも優れた人は、 生涯を通じて、 自らを教育し続けた人です。」魂の修正や成長をさせて頂く為に、地上という修業の場や肉体の他、心の羅針盤となる 「何が正しいかその全てを知っている良心」を与えて頂いている私たち。。。人生は修行とはいえ、良心に従って生かさせて頂きつつも、不完全な私たちは、欲や邪念に翻弄されて、過ちや間違いを犯してしまうことがあると思うのです。そのような時に、素直に反省し、心のあり方を改め、良心に従って生きていくことの大切さを再確認して、日々、自らを律して生かさせて頂く努力をさせて頂く。。。日々、自らの言動を監視し、責任を持つ努力をさせて頂く。。。ことによって、自分で自分を育ませて頂くことができると思うのです。地上は修行の場。。。人生は修行。。。故に、生涯を通じて、心を磨かせて頂く努力をさせて頂くことは、極自然なことだと思うのです。天に帰還させて頂くその日まで、良心に従って、心を磨き続けて、自分で自分を教育する。。。良心は永久不変の天法(真理)の写し故に、良心に従って生かさせて頂くことは、真理を追究しているということだと思うのです。真理を追究する。。。それこそ、魂の修正や成長をさせて頂くことを目的としている私たちの魂が喜ぶ生き方だと思うのです。そのような生き方をさせて頂く為にあるのが、輪廻転生を通じて培ってきた特技や能力だと思うのです。その特技や能力を良心に従って、人様のお役に立つことや、人様にお喜び頂けることに活かさせて頂く。。。その生き方こそ、魂の修正や成長を促すのだと思うのです。人様のお役に立つことや、人様にお喜び頂けることに自分の特技や能力を活かさせて頂く為には、培ってきた特技や能力をそのままにするのではなく、更にその特技や能力に磨きをかけさせて頂くことがとても大切だと思うのです。その為に必要なものが「向上心」だと思うのです。向上心。。。 現在の状態に満足せず、より優れたもの、 より高いものを目指して、努力する心。の意だそうです。人様にバカにされようと、中傷されようと、見下されようと、自分の魂が喜ぶ道、自分の信じる道に向かって、日々、その時の自分にできることやすべきことを誠実に真面目にこなし、自分に与えて頂いた特技や能力を探求し、磨きをかけて、人様のお役に立つことや、人様にお喜び頂けるようなことに活かさせて頂こうという人様を思い遣る利他心をもって、地道でコツコツとした努力を継続させて頂くその姿勢こそ、より高いものを目指そうとする向上心の表れであり、自分で自分を教育している(磨いている)生き方であり、天に帰還する時に後悔しない心のあり方なのだと思うのです。魂の修正や成長をさせて頂く為の人生という時間は、あっという間に過ぎていく短いもの。。。短い人生だからこそ、生涯を通じて、自分の心を磨き続けさせて頂きたいものですね。源光「日々向上心があれば、単調な日常にも、 単純作業にも飽きることがないのです。 仕事・生活の中に、向上の道を探していきましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403060000/「努力して創造していく間が人生なのです。 人生を楽しんでください。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201208140000/「世の中には、これが最高だと思っても、 さらにその上の優れたものがあるのです。 人は永遠の生徒。。。 常に学び続けなければなりません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201603120000/ 「熟達した人であっても、 時には自分より経験の浅い人や年下の人、 あるいは子供に、物事を教わることもあります。 今日も、謙虚に誠実に生きていくことを心掛けましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201502230000/ 「実れば実るほど、勉強すればするほど、 自然に自分の至らなさに気づき 謙虚になっていくのが人というものです。 天から観れば、謙虚で無い人は、 まだまだ修行の足らない、子供に過ぎないのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201303020000/「知恵も智謀も、優れた人格には到底及びません。 優れた人格者は、人がうらやむ大成功しても、 決して、天狗さんにはならないものですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201306110000/「名誉も地位も権力も学歴も財力も収入も、肩書も 地上の小さな世界でしか通用しない 煙のようなものです。 自分の才能をひけらかすことなく、笑顔を絶やさず 周囲と同調してやっていける人こそ、立派な人です。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311130000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311140000/「天命を果たす人とは、 自分のできることをする人である。 汝は、自分のできることをせず、 出来もしないことをしようとしてはならない。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201201110000/「人間の美徳は すべてその実践と経験によって 身に付けるものです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409110003/「汝は、自分の魂の喜ぶ仕事を、根気良く続けなければならない。 それは、僅かな報酬しか生まないこともある。 それでも道は、真っ直ぐに続いていることを知れば、 いつの日か報われるであろう。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201109250000/「非凡なことを打ち上げる。 これすなわち平凡な人。 平凡なことをコツコツと続ける。 これすなわち非凡な人なのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401240000/「大きな事を成し遂げようと思うのならば、 小さなことを偉大なやり方でやり続けることです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401300000/「汝、小さな行動を積み重ねていけ。 いつの日か大きなことを成し遂げるであろう。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201111200000/「本当に優れた人は、笑顔を絶やさない、 一見、どこのおじさん?おばさん? どこのお兄ちゃん?お嬢ちゃん?という感じで 違和感も威圧感も、存在感も全く無いものです。 でも観る人が観ればわかります。 これが人の世というものですね。 」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210310000/「普段は、 存在さえも感じさせないほどの人になってくださいね。 これこそが最上の人の境地なのですから。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201310190000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201310200000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.04.23
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「あなたの今は、過去の蓄積です。 今が良かろうと悪かろうと。。。 あるべくして今日の自分があるのです。」「人は誰でも過去があるから今があるのです。」「今」の自分。。。それは、今生において、様々な境遇を経た過去があるからこその「今」の自分であると同時に、私たちの本質である魂の視点から見れば、幾度も輪廻転生を繰り返してきた過去生があるからこその今生の自分、「今」の自分なのだと思うのです。今生や過去生において与えて頂いた様々な境遇を、 どのような心のあり方で。。。 どのような言動をして。。。 どのような生き方をして、。。。 どのようなことをしてきたのか。。。その蓄積の結果が、「今」の自分の心のあり方、言動、生き方、行いや「今」の自分を取り巻く環境や境遇、出逢いの元、になっているのだと思うのです。「今」の自分は、今生における過去の自分や、過去生の自分そのものを表している、ということだと思うのです。それを因果応報というのだと思うのです。それが善行であろうと、悪行であろうと、自分がした行いの報いは、巡り巡って自分に還って来る。。。自分が蒔いた種さんは、本人の意思に関係なく、自分で刈り取ることになる。。。過去の自分の行いの報いは、現在や未来の自分に還ってくる。。。現在の自分の行いの報いは、未来の自分に還ってくる。。。同じように、過去生の自分の行いの報いは、今生や来世の自分に還ってくる。。。今生の自分の行いの報いは、来世の自分に還ってくる。。。のだと思うのです。過去の善行は、徳となって、現在や未来の良いことに♪過去の悪行は、業となって、現在や未来の試練や苦難に。。。現在の善行は、徳となって、未来の良いことに♪現在の悪行は、業となって、未来の試練や苦難に。。。因果応報は、単純にこういうことなのだと思うです。良心に常に従って天に続く道を歩ませて頂こうと、良心に背き、邪念や悪に心を支配されようと、どちらを選択するのも私たちの自由。。。自由であるが故に、自ら選択したことに対する責任は、自分でとらせて頂くことが筋。。。責任逃れをしようとしても、この世的に責任逃れが出来たとしても、私たちの本質である魂が負うべき責任は、本人の意思に関係なく背負わせて頂くことに。。。天は私たちの表面的な言動だけではなく、私たちの内面である心のあり方も、その全てを見透かしていらっしゃられると思うのです。だからこそ、日頃から良心に従って生かさせて頂くことを常とし、自分の心のあり方や言動に気を付けさせて頂きたいものですね。「過去」を良心に背いて生きてきたことで、「今」の自分が辛く苦しい思いをしているのであれば、「今」この瞬間から、良心に従って心美しく生かさせて頂けば、その瞬間、又は、「未来」の自分が幸せになるスイッチを自ら押したことになるのだと思うのです。私たちの本質である魂にとって、魂の修正や成長に導いてくれる良心に従って生かさせて頂くことこそ真の喜びだと思うのです。反対に、「過去」を良心に従って生きてきたことで、「今」の自分が幸せ一杯であったとしても、「今」この瞬間に良心に背いてしまうと、その瞬間、又は、「未来」の自分に辛く苦しい思いをさせるスイッチを自ら押したことになると思うのです。私たちの本質である魂にとって、魂の修正や成長に導いてくれる良心に背くということは、修正すべき点を自ら増やすということ故に、残念なことだと思うのです。「今」の自分より、「未来」の自分を良くしたいと思うならば、いつでもどこでも、良心に従って生かさせて頂けば良いと思うのです。「今」の自分より、「未来」の自分を悪くしたいと思うならば、いつでもどこでも、良心に背いて生きれば良いのだと思うのです。それを意識していようといまいと、「過去」の自分が選択、決意したことが、「今」の自分に現れ、「今」の自分が選択、決意したことが、「未来」の自分に現れる。。。ただそれだけのことだと思うのです。自分が選択、決意したこと故に、「過去」の蓄積の結果は、「今」の自分が刈り取ることに。。。「今」までの蓄積の結果は、「未来」の自分が刈り取ることに。。。ただそれだけのことだと思うのです。魂の修正や成長をさせて頂く為に、地上という修業の場に生まれる機会を与えて頂いた私たちにとっては、 「過去」より「今」の自分の魂が。。。 「今」より「未来」の自分の魂が。。。磨かれて美しくなっていることこそ、魂の喜びだと思うのです。そのようになるように導いて下さるのが、 「何が正しいかその全てを知っている良心」だと思うのです。だからこそ、いつでもどこでも、 「良心に従って生かさせて頂こう♬」と努力させて頂くことが大切なのだと思うのです。~~~~たかが「今」この一瞬。。。されど「今」この一瞬。。。「今」この一瞬の心のあり方や言動が、自分では気づいていなくても、自分や自分を取り巻く人様に その直後から。。。 5分後から。。。 1時間後から。。。 明日から。。。 来月から。。。 来年から。。。 5年後から。。。 10年後から。。。 はたまた、来世から。。。に大きな影響を及ぼすことが、多々あると思うのです。それを因果応報というのだと思うのです。人様のお役に立つこと。。。人様にお喜び頂けること。。。人様を笑顔にさせるようなこと。。。などの善因の種さんを蒔かせて頂き、その直後から種さんはゆっくりと育ち始め、善意から善行を継続させて頂けば、その方にとって然るべき時期に善果という美しいお花さんを咲かせて下さるのだと思うのです。それを善因善果というのだと思うのです。反対に、人様を傷つけること。。。人様が嫌がること。。。人様を貶めるようなこと。。。などの悪因の種さんをばら蒔けば、その直後から種さんは勢いよく育ち始め、その栄養になっている悪意や悪行によって、次第に自分の心が悪や魔によって支配され、自分の意思とは関係なく、悪行を繰り返してしまうことになれば、その方にとって然るべき時期に、自ら積み重ねてきた人様に与えてきた苦しみを自ら背負い、苦しみ続け、自分の悪意ある言動を反省し、正せるよう、悪果という辛く苦しい結果を招くのだと思うのです。僅か5分後であろうと、遥か来世であろうと、何れも未来であることに違いはないと思うのです。その未来を明るくするのも暗くするのも「今」という一瞬の心のあり方次第。。。「今」という一瞬の過ごし方次第。。。の積み重ね。。。同じ「今」という一瞬でも、その「今」という一瞬の心のあり方や言動によって、これほどまでに差が出る因果応報だからこそ、「今」という一瞬を無駄にしたり、バカにすることなく、いつ何時も「何が正しいかその全てを知っている良心」に恥じることのないよう、心正しく、心美しく、生かさせて頂きたいものですね。源光「過去(生)があるから今があるのです。 とはいったものの、 本当は、過去(生)はわからない方がいいのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201410190000/「今の自分は過去の集大成。総合芸術である。 過去よりも優れた作品である必要は無いが、 それゆえ人は、帰還後に後悔の念に囚われる。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201108080000/「あなたの現在の人生は、過去の選択の結果です。 同じことは、あなたの未来にもあてはまるのです。 良心に恥じない自分であればよいのです。 触れ合う人の喜びを我が喜びにして生きていけばよいのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409140000/「もしあなたが、不運な状態にあるのなら、 それはあなたがそうなるように仕向けた結果です。 あなたが幸運に恵まれているのなら、 それもあなたがそうなるように仕向けた結果です。 天は、全てを知っていますから、自らを律して、 良心に恥じない自分であり続けましょう。 開運の鍵はあなたの目の前にあります。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201305020000/「良いことも、悪いことも、現在、あなたがその状態を保持する努力をしない限り、 永久に続くことはなく、たえず変化していきます。 良いことが続くとき。。あるいは悪いことが続くとき。。 自分で、その状態を保持しようと、知らず知らず自分自身が、努力しているわけです。 日々、明るく生きることですよ。。冗談を言って笑いあうことですよ。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201310270000/ 「身の回りで起こる、どんな良い事も悪い事も、 自分に無縁なものはありません。 全てに原因があるのですから、 今から善因の種を撒いて生きていけばよいのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312200000/ 「人は思い通りの人間になれます。 天はそのように人間を創ったのです。 あなたは、自分をどんな人間だと思っているでしょうか。 今の自分は、あなたの思いの通りの自分ですよ。 自分のことをどのように信じるかで、自分も人生も変わってきます。 人生を変えるのは自分自身。。 置かれている環境でも人の評価でもありません。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312050002/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312050003/「あなたの現在は、あなたの過去の総決算。 現在の自分を真剣に、反省してまだ欠点があるというならば、 それはこれからの人生において、学ばなければならない宿題が 残っていることを示すのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201303170000/「汝の今までの人生は下書き。 清書をする時が近づいている。 下書きのまま人生を終わる者は 後悔の念に囚われるものだ。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201110310000/ 「今日があるのは、昨日の想いから。 今日の想いは、明日の人生を形作る。 すなわち、人生は、心の創造物である。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201201250000/「何事も行き着く所に落ち着くものです。 今の自分の延長が未来の自分に相違ありません。 今の自分が気に入らないのであれば今すぐに、 より良い方向に軌道修正することです。 簡単なことですよ。 笑顔で自分の良心と対話するだけのことです。 答えはすぐ返ってきます。 それは安易な道ではないはず。。 だからこそ人生は楽しいのです。 良心と共に歩んで行くのならば大いなる雲に乗って 光の世界へ導かれるでしょう。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201505160000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.04.22
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「上には上があるのです。 人は、大きな存在にぶつかって初めて、 自分の身の丈を知ることが出来るのです。」「自分が賢くもないのに賢いと思う。。 これだけは卒業してください。 有史以来、もっとも勉強した人でも、 宇宙の真実のほとんど全てを知らないのです。 知っていることは、ほんの0.000001%程度に過ぎません。」実るほど頭を垂れる稲穂かな♪人格の高い方ほど人様と接する態度が謙虚、 (裏を返せば、人格の低い小物ほど尊大に振舞う、ということ。)という意味で捉えられますが、人格の高い低いを問わず、 (自分のレベルに拘わるというのは、人様の目や人様の 自分に対する評価などを気にしているなど、 自分のことしか考える余裕がないということの表れだと思うのです。)驕り高ぶったりせず、卑屈になったりせず、人様と自分を比較せず、人様からの評価を気にせず、出逢いを頂いた全ての方々が、自分を成長させて下さる有り難い存在と捉えさせて頂き、そういう有り難い存在だからこそ、相手の方を受け入れ、尊重させて頂くことによって、自然と謙虚さが身について、自分らしい自分、ありのままの自分で、過させて頂くことができるようになってくるのだと思うのです。自分の魂のレベルの位置を決めるのは、自分でもなければ、人様でもなく、私たちが日々、良心に素直に従って、心清らかに生かさせて頂いているかどうかを、愛の心でお見守り下さっている天 だと思うのです。そうであるとすれば、上とか下とか、言葉だけの地位や名誉、権力、肩書きなどに囚われる必要は全くないと思うのです。上とか下とか言っている間は、謙虚さが身についていないのだと思うのです。謙虚さが身についていないからこそ、「上だと優位、下だと劣位」と勝手に決めつけ、劣位ではなく優位でありたいと思ってしまうが為に上を目指してしまうのだと思うのです。本当の上にいらっしゃる方は、上であることを誇示したり、自慢することもなければ、何かを人様に押し付けたり、強要したり、はたまた、人様を支配しようとしたり、人様の自由を奪うようなこともなく、ただただ魂の修正や成長の為に必要な知恵 や生きる為に必要な心のあり方や愛や光を惜しげもなく与えつくし、何らの見返りをも求めないような方々なのだと思うのです。ということは、上であることを誇示し、自慢したり、何かを人様に押し付け、強要したり、人様を支配し、人様の自由を奪うようなことをされる地位や権力、名誉、財産にものを言わせるような方は、この世のシステム上では「上」でも、あの世的には「上」に該当しないのだと思うのです。そもそも、自分がされて嬉しくないようなことを、地位や権力を振り翳して平気でしてしまうような方は、心にゆとりや豊かさ、優しさ、温かさ、愛の心がないからこそ、地位や権力に執着し、同時に、自分のポストがいつ奪われるかもわから ない、誰かにいつ裏切られるとも分からないという不信や不安や恐怖に顔を歪ませ、心苛まれながら、生きることになるのだと思うのです。心にゆとりや豊かさ、優しさ、温かさ、愛の心がある方は、自分がされて嬉しいことだからこそ、人様にもさせて頂きたい、という感じで、人様と自分を重ね合わせて見ることができるからこそ、人様の喜びを自分の心の喜びとして、明るく、元気に、楽しく、笑って生かさせて頂くことが出来るのだと思うのです。どちらの生き方を選択するかは自由意志を与えて頂いている私たち次第だと思うのですが、何でも知っている天から授かった「良心」を心の友とし、「良心」に素直に従って生かさせて頂くことによって、人としてあ るべき正しい心の道を歩み続けさせて頂くことが出来るのだと思うのです。なぜ「良心」を授けて頂いたのか。。。それを自分が天の立場になって考えさせて頂けば、自然と「良心」に従って生かさせて頂きたくなると思うのです。そして、身の程知らずの高慢・傲慢な姿勢で生かさせて頂くことに恥ずかしさを覚えると同時に、格好をつけたり、体裁を取り繕うという自分の至らなさを素直に認めさせて頂くことができることによって、自分に与えて頂いた境遇を素直に受け入れさせて頂いたり、聞く耳を持たせて頂こうという謙虚な姿勢のありのままの自分で、自分らしく生かさせて頂くことができようになるのだと思うのです。~~~~~~~~上には上がいるのが世の常だと思うのです。不完全で至らない点が多い私たち故に、自分がどんなにかレベルが上がったとしても、 (レベルが凄く上がった気になっていても)上には上がいること。。。そして、その上の方に優しくお見守り頂き、ご指導頂く立場にあることを考えると、いつも謙虚に学ばせて頂く姿勢で生かさせて頂くことが大切だと思うのです。 (レベルが上がったということで、傲慢になったり、 さも神様にでもなったかのような言動をし、 人様を見下し、傷つけるようなことがあれば、 たちまちレベルが下がってしまうだけだと思うのです。 裏を返させて頂くと、 真の意味でレベルが高くなればなるほど、 謙虚になり、人様を尊重し、愛の心で 人様のお心が安らぐような言動を することができるようになる、 ということでもあると思うのです。)謙虚に学ばせて頂こうとする姿勢になれるのは、向上心があるからこそだと思うのです。謙虚に学ばせて頂こうとする姿勢になれないのは、 その時の自分のレベルの高さに自己満足して、 より高みを目指そうという向上心がないから。。。 その時の自分のレベルの高さが最高だと思い込み、 神様気分で鼻を高くしてしまっているから。。。だと思うのです。その他、自分のレベルがとても高いと思い込み、その優越感に浸る為に、自分勝手な自分基準によるものごとの見方で、「自分より下」とみなした相手にばかり目を向けてしまうから、ということもあると思うのです。 (例え、相手が自分より高いレベル の方であったとしても、 優越感に浸っている驕れた心故に、相手のレベルの高さを 見極めることができない、ということでもあると思うのです。)向上心。。。 現在の状態に満足せず、より優れたもの、 より高いものを目指して、努力する心。の意だそうです。魂の修正や成長をさせて頂く為に、地上という修業の場に生を与えて頂いた私たち故に、向上心をもって生かさせて頂くことが、私たちの魂の喜ぶ生き方であり、生き甲斐だと思うのです。「より高いレベルになりたい!」という気持ばかりが逸ってしまい、その時の自分にできることをせず、その時の自分がすべきことをせず、地道でコツコツとした努力もせず、手っ取り早く「より高いレベルになりたい!」というのは、より高いものを目指している「向上心」 ではなく、「自分さえ良ければそれで良い」という利己心の表れであると同時に、「より高いレベルになりたい!」という自ら生み出した欲を追いかけているに過ぎないと思うのです。人様にバカにされようと、中傷されようと、見下されようと、自分の魂が喜ぶ道、自分の信じる道に向かって、日々、その時の自分にできることやすべきことを誠実に真面目にこなし、自分に与えて頂いた特技や能力を探求し、磨きをかけて、人様のお役に立つことや、人様にお喜び頂けるようなことに活かさせて頂こうという人様を思い遣る利他心をもって、地道でコツコツとした努力を継続させて頂くその姿勢こそ、より高いものを目指そうとする向上心の表れだと思うのです。そういう謙虚で誠実な心のあり方。。。それこそ、魂の修正や成長を目的として、地上に生まれる機会を与えて頂いている私たちのあるべき心のあり方だと思うのです。 ~~~~~~~~ 上には上があるもの。。。世の中には、不完全で至らない点の多い私たち一人一人の自分勝手な自分基準による「完璧」よりももっともっと「完璧」なものがあると思うのです。不完全な私たちが、完全や完璧を求めようとしても、もともとが不完全故に、何をもってして完全、完璧なのかさえ、分からないと思うのです。もし、「これで完全、完璧だ♪」と思ったとしても、それは自分勝手な自分基準による「完全、完璧♪」でしかなく、「完全、完璧♪」と思い込んでいる自分がいるだけなのだと思うのです。自分勝手な 思い込みで「完全、完璧♪」としてしまうその姿は、天から見れば、ただの自己満足であり、不完全以外の何ものでもないのだと思うのです。完全や完璧を求めても、それに至るものではないのであれば、否、表現を変えさせて頂くと、完全や完璧というできないことを目標にして、頭を悩ませる暇があるのであれば、人様のお役に立つことや、人様にお喜び頂けること、そして、自分の夢や希望に向かって、良心に従い、誠実、真面目な姿勢で、「今」の自分にできることや、「今」の自分がすべきことを、「今」させて頂きながら、「今」を生かさせて頂くという、有意義で無駄のない時間の遣い方の方が、より完全や完璧に近い生き方だと思うのです。源光「世の中には、これが最高だと思っても、 さらにその上の優れたものがあるのです。 人は永遠の生徒。。。 常に学び続けなければなりません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201603120000/ 「愚かな人は、自分が賢いと考えるのです。 賢こい人は、自分が愚かなことを知っています。 この考え方の違いが、人生全てに、影響するわけです。 愚かな人は、後悔の多い人生に。。 賢い人は、豊かな実り多い人生に。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201602280000/ 「世の中で知られているようなことを、 自分だけが知っていると思い込んで得意がる人もいます。 人は、どこまでも謙虚に。。。上には上がいるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201501290000/ 「何かで有名になって、 偉くなったように思った時が アウトの時です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201506290000/ 「熟達した人であっても、 時には自分より経験の浅い人や年下の人、 あるいは子供に、物事を教わることもあります。 今日も、謙虚に誠実に生きていくことを心掛けましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201502230000/ 「中庸の道を歩むことですよ。 極端から極端に動かないことです。。 良心に従うことです。 なにも見えず、何も知らず、 何も聴こえないのが人というものなのですから。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201304290000/ 「自分の実力を知ることですよ。決して過信してはいけません。 過去の失敗を活かして大きな人物になってくださいね。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201306090000/「自惚れは苦しみの源泉である。 自惚れが消えたときから、人生の幸福な時期が始まる。 自惚れに翻弄されている人間に、天恵が降りることはない。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201108100000/「実れば実るほど、勉強すればするほど、 自然に自分の至らなさに気づき 謙虚になっていくのが人というものです。 天から観れば、謙虚で無い人は、 まだまだ修行の足らない、子供に過ぎないのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201303020000/ 「日々向上心があれば、単調な日常にも、 単純作業にも飽きることがないのです。 仕事・生活の中に、向上の道を探していきましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403060000/「知恵も智謀も、優れた人格には到底及びません。 優れた人格者は、人がうらやむ大成功しても、 決して、天狗さんにはならないものですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201306110000/「名誉も地位も権力も学歴も財力も収入も、肩書も 地上の小さな世界でしか通用しない 煙のようなものです。 自分の才能をひけらかすことなく、笑顔を絶やさず 周囲と同調してやっていける人こそ、立派な人です。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311130000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311140000/「人間、みんな平等です。誰が偉いわけでもありません。。 偉そうにしても、可笑しいばかり。。。 レベルの低さに呆れます。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407190000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407190001/「自分の姿をありのままに直視して、 「あゝなんて自分はアホなんだろう。。。」と、気づくこと。 それが悟りです。 そこから本当の人生がスタートするのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408050000/「人は等身大で生きていますから、悩みも喜びも等身大。。 目で見える基準。。それが全てと思って暮らしています。 違いますよ。。 宇宙即我。。。これが真実の世界。。 人智を超える圧倒的世界。。。 小さなことにクヨクヨしないスケールの大きい人になってください。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408110000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.04.21
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「オーロラのように心は刻々と変化します。 美しく流れるように変化していくのが理想です。」同じ一日を過ごさせて頂く中でも、心の動きが常に一定ということはないと思うのです。喜びを覚えたり。。。悲しみを感じたり。。。楽しさに心躍ったり。。。苦しみに喘いだり。。。満たされていることに幸せを感じたり。。。様々な心の変化があると思うのです。その心の変化も様々だと思うのです。心の変化(感情)が、 折れ線グラフのようにカクカクしていて刺々しい。。。 折れ線グラフの起伏が激しい。。。 折れ線グラフの角度が急勾配。。。ということもあれば。。。波線のように、 穏やかな流れるような弧を描きフワフワしている。。。 波の起伏が緩やか。。。 波の角度が緩勾配。。。ということもあると思うのです。感動したり。。。動揺したり。。。心の変化(感情)があることは、とても素敵なことだと思うのです。しかしながら、気分の良い時とそうでない時のその心の変化(感情)の起伏が激し過ぎると、気分の良い時はそれで良いかもしれませんが、一度、気分が良くない方に陥ってしまうと、その起伏の激しさ故に、理性を失い感情的になってしまうことも。。。それは時として、 自分で自分を貶め、傷つける。。。 人様を傷つけ、苦しめる。。。ということにもなりかねないと思うのです。魂の修正や成長をさせて頂くことを目的として、 何が正しいかその全てを知っている良心。。。 肉体。。。 修行の場である地上。。。を与えて頂いて生かさせて頂いている私たちが、自分の心(感情)の起伏の激しい変化で、自分や人様を傷つけるということは、不本意だと思うのです。喜びが過剰になれば、傲慢に。。。時には、人様からの嫉妬の対象に。。。自分ばかりが喜んでいるわけではないと思うのです。人様の立場になってその喜び方を上手に調整することができる謙虚さこそ、人様を思い遣る心の備わった優しい心の持ち主さんだと思うのです。悲しみや苦しみも過剰になれば、自己嫌悪や自暴自棄に。。。時に、人様からは不幸自慢をしているようにしか見えないことも。。。また、自分ばかりが悲しみ、苦しんでいるわけではないと思うのです。自分が悲しんでいようと、苦しんでいようと、否、そういう時だからこそ、 喜んでいる人とは共に喜ぶ。。。 頑張っている人は応援する。。。 助けが必要な人には手を差し伸べる。。。 人様のお役に立つことや喜ぶことをする。。。ことによって、悲しみや苦しみが癒されることもあると思うのです。心の変化(感情)は、自分一人だけに生じているものではなく、地上で共存させて頂いている私たち皆にあるもの。。。自分の心(感情)の変化が刺々しく、起伏が激しい。。。それは見方を変えさせて頂くと、 自分のことしか考えていない。。。 自分で自分をコントロールできていない。。。ということでもあると思うのです。裏を変えさせて頂くと、 自分のことしか考えていない。。。 自分で自分をコントロールできていない。。。からこそ、自分の思い通りにならないことがあると、感情の起伏を激しくすることで、自分の思い通りにしようとしているのだと思うのですが、それによって、自分勝手さや我儘さが露わになっているのだと思うのです。心の変化(感情)が刺々しく、起伏が激しいと、人様を傷つけてしまうことがあると思うのです。心の変化(感情)が刺々しく、起伏が激しい者同士では、お互いに傷つけ合ってしまうと思うのです。穏やかで緩やかに流れていくかのような心で生かさせて頂けば、人様を優しく包み込むことができると思うのです。時に、自分が悲しみや苦しみに喘いでいるときに、穏やかで緩やかに流れていくかのようなお心の方がいらっしゃると、その方のお心に優しく包み込まれ、心が癒されると思うのです。穏やかで緩やかに流れていくかのような心で生かさせて頂くことは、その流れの中に自分を受容し、人様をも受容する、ということでもあると思うのです。自分一人で生かさせて頂いているわけではない私たちは、助け合い、支え合い、分け合い、励まし合い、協力し合い、愛し合って生かさせて頂くことが大切だと思うのです。それを実現させるのは、自分や人様を傷つけたり、互いに傷つけ合ったりしてしまうような刺々しく、起伏が激しい心ではなく、人様を思い遣る優しい心、お互い様の心があり、自分で自分の心の変化(感情)を上手にコントロールできるよう促すようような、穏やかで緩やかに流れていくかのような心だと思うのです。オーロラを構成する小さな存在が手を取り合って、大きな美しいオーロラの流れ生み出しているのと同じように、私たち心ある人間同士も、利他心をもって生かさせて頂くと、大きな美しい流れの中に身を置かせて頂くことができ、心はその流れで優しく磨かれていき、オーロラのように美しく光り輝いていくのだと思うのです。~~~~一日の中でも、 純粋な心。。。 愛の心。。。 清い心。。。 善い心。。。 優しい心。。。 温かい心。。。 豊かな心。。。 奉仕の心。。。 思い遣る心。。。 利他の心。。。など、天が私たちに無償の愛を与えて下さっているような心持ちで過ごさせて頂くことができる時もあれば。。。ちょっとした感情の乱れなどから、 邪な心。。。 悪心。。。 下心。。。 見返りを求める心。。。 恩着せがましい心。。。 自分さえ良ければそれで良いと思う心。。。 人様のことはどうでも良いと思う心。。。 利己心。。。 不平不満。。。 愚痴。。。 嫉妬。。。 怒り。。。 恨み。。。 辛み。。。など、魂の修正すべき点を増やしてしまう心持ちで、過ごしてしまうこともあると思うのです。前者のような心持ちで過ごさせて頂く時間が長ければ長いほど、その日は、気持ち良く、心地良く過ごさせて頂くことができた。。。ということだと思うのです。それは魂が喜ぶ生き方であり、幸せで充実した一日なのだと思うのです。一日を気持ち良く過ごさせて頂くことができたということは、その一日の終わりには、気持ちの良い安らかな眠りに誘われ、寝ている間は、良心との会話を楽しませて頂くことができると思うのです。朝を迎えれば、昨日の気持ち良さが残っているが故に、昨日から受け継いできた気持ちの良さのままで、新しい一日を気持ち良く過ごさせて頂くことからスタートできると思うのです。反対に、後者のような心持ちで過ごさせて頂く時間が長ければ長いほど、その日は、心が乱れたり、心が揺さぶられるなど、様々な感情に心を支配され、自分を見失ったまま一日を過ごしている、ということだと思うのです。魂の修行をさせて頂いている私たちにとって、それは修正すべき点を増やす生き方であり、不幸せで、実りのない一日なのだと思うのです。とはいえ、終わり善ければ全て良し♪一日の多くを、感情に心を支配され、心が乱れたまま、心が揺さぶられたままで過ごしてしまったとしても、一日の自分の言動を振り返り、反省すべきを明るく反省させて頂き、正すべきを素直に正させて頂き、前者のような心を持って、明るく、元気に、笑顔で一日の終わりを気持ち良くお迎えることができれば、翌日の朝も、その気持ち良さを引き継いで、新しい一日を気持ち良く過ごさせて頂くことからスタートできると思うのです。魂の修正や成長をさせて頂く為に、地上という修行の場や、自分という意識や、地上における生を与えて頂いている私たちにとって、魂の修正や成長をさせて頂くことができるような、そして、魂が喜ぶような生き方は、前者のような生き方だと思うのです。至らない点が多々ある不完全な私たち故に、一日の中でも、前者のような心持ちになったり、後者のような心持ちになってしまうことがあるのは、致し方のないことだと思うのですが、少しでも前者のような心持ちで生かさせて頂くことができるよう、意識しながら過ごさせて頂きたいものですね。たかが一日。。。されど一日。。。今日という日が明日を創る。。。それならば今日を気持ち良く過ごすことができなければ、気持ちの良い明日を創ることはできないと思うのです。だからこそ、今日という日を、今という一瞬を大切にして、前者のような心持ちで過ごさせて頂きたいものですね。源光「人間とは、 一日中に何回となく 菩薩となり悪魔となり、 たえまなく変化しているのです。 一日のうち菩薩の時間の方が長かったのであれば あなたの一日は幸せだったのです。 一日のうち悪魔の時間の方が長かったのであれば あなたの一日は不幸だったのです。 笑よく業を制します。。。お祓いよりお笑いです。 あなたが笑って一日を過ごしたならば 天はあなたにご褒美を降ろしましょう。。。 安らかな眠りと明日への活力を。。 そして生きる喜びを。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201501150000/ 「心が悪い想念に流されることも、 嵐に巻き込まれることもあるでしょう。 しかし、そこで良心に従って反省すればいいのです。 その繰り返しで魂は向上していきます。。 あなただけの心のブランドを創り上げていくことですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407080000/「すべてが、心の働きの現われです。 強力な魔は、自我の盲信から生まれて、 残忍なる魔は、思考の仕組から生まれるのです。 それらを内から、良心に従って調伏するのが修行なのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201205120000/「あなたが、今日、良心に恥じない一日を生きるならば、 明日は、心にあたたかい太陽が昇ります。 今日、良心を裏切って生きるならば、 明日は、心に冷たい雨が降るでしょう。」 (ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201211030000/「優しい心で生きる時に聞こえる声は真実の声ですが、 邪念を持った時に聞こえる声は、偽りの声です。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201205030000/「足ることを知らない欲望に翻弄されると、人生が、歪曲。。。 良心を忘却して人は、偽りの目標に突き進み、 生きながら地獄に堕ちていくのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403040000/「妬み、嫉み、怨み、ツラミ、復讐の心、不平不満、 足ることを知らない欲望。。 自己中心的考え。。被害妄想。。 これがあなたを苦しめている元凶です。 笑よく業を制す お祓いよりお笑いですよ。。(一部抜粋) 」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406030000/「人間として一番大切なのは、 頭の良し悪しではなく、心の良し悪しです。 幸せになるのも 頭の良し悪しではなく、心の良し悪しです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201404100000/ 「大切なのは心構えです。心的態度です。 天は、心でどう思ったか、どう考えたかを観ていますから、 偽善や形だけの善行は、ほとんど評価しないのです。 心的態度。。 これが、その人の才能や努力、知識以上に重要な要素です。 心を磨く。。これが全てに優先するのです。。 幸運の鍵。。いつでも渡す準備はできています。 あなたの心、純粋な心に期待して、待っています。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401050000/「汝が最もだましやすい人は、汝自身である。 汝の想いは、善にも悪にも通じる。 善き方に想いを巡らせなさい。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201107310000/「悪と善。。両面を持つのが人間です。 悪が無ければ善の何たるかも分かりません。 また必要悪というものも存在します。 ある場面では悪い人と思っても、 違う場面では良い人のこともあります。 その逆もあり、善人悪人の区別はできるものではありません。 しかし誰もが持って産まれた良心という鏡に照らして行動するならば、 人は決して悪の道に迷い込むことは無いのです。 良心の道は天啓を得る唯一の道ですよ。 真っ直ぐに天に続く道を歩んでいきましょう。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311100000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311110000/「善心は幸運を呼ぶ。なぜならば善神と心が通じるからだ。 汝、悪心に惑わされることなかれ。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201112140000/「良心は人生航路の羅針盤。。。。 足ることを知らない欲望が嵐です。 嵐は自分で産み出したもの。。 自然に発生したのではありません。 嵐に翻弄されるのは、 羅針盤に従わなかった自分の心と言動に原因があるのです。 心のあり方を修正し、これからの言動を修正しなければなりません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401130000/ 「あなたの現在の人生は、 過去の選択の結果です。 同じことは、あなたの未来にもあてはまるのです。 良心に恥じない自分であればよいのです。 触れ合う人の喜びを我が喜びにして生きていけばよいのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409140000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.04.19
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「美しい人。。。 それは、窮しても品位を失わない人。」窮する。。。 金や品物が足りなくて苦しむ。。。 行き詰まって苦しむ。。。困りきる。。。の意だそうです。お金さんや品物が足りている。。。何ごとも順調で、特に困ったことも苦しいこともない。。。こういう時は、心に余裕やゆとりがあるが故に、明るく、元気に、楽しく、笑顔で、人様にも優しく接することができ、気持ち良く過ごすことができると思うのです。また、冷静に、かつ、客観的にものごとを見ることができたり、綺麗な言葉遣いや上品な振る舞いをすることができ、品位が身に備わっているように見えると思うのです。そのような状況がそのまま続けば良いものですが、時には、思うに任せないような状況に陥ることもあると思うのです。お金さんが足りなくなってくる。。。 品物が足りなくなってくる。。。ものごとが不順になり行き詰まる。。。困ったり、苦しいことが出てくる。。。など、それまでの状況から一転してしまう。。。状況の変化に心が付いて行けず、動揺してしまうと、心に余裕やゆとりが無くなり、足ることを知らない心が露わになって、 不平不満、愚痴、苛立ち、怒りを生み出す。。。 一転した状況の原因を人様や他のせいにする。。。 被害妄想を生み出す。。。 人様に八つ当たりする。。。 人様の幸を羨むようになる。 人様の不幸を望むようになる。。。 冷静さを失い、取り乱す。。。 客観的にものごとを見ることができなくなる。。。 利己的になる。。。など、順調な時には決して現れ ることのなかった品位に欠ける面や、自ら品位を貶めるような言動が次から次へと現れてくることがあると思うのです。人の本性は、調子の良い時ではなく、調子の良くない時にこそ現れるものだと思うのです。 (人様の本性を見極めたい時は、 その人様が調子の良い時の様子ではなく、 その人様の調子が良くない時の心のあり方、 心の状態、生き方、言動、態度をしっかりと見れば、 良く分かると思うのです。)調子が良い時であろうとなかろうと、自分を取り巻く状況の変化に動揺することなく、いつもその心のあり方や生き方、言動、態度が、何も変わらない程に品位が身に備わっている。。。いつ何時も乱れない心。。。乱されない心。。。揺らがない心。。。揺らがされない心。。。そういう凛とした堂々とした態度、生き様こそ、美しい心のあり方だと思うのです。それは、私たちが どのような心のあり方であろうと、 どのような生き方をしようと、 どのような言動をしようと、いつも無償の愛を与え続けて下さっている天のようなあり方だと思うのです。天のようなあり方で生かさせて頂くからこそ、美しい心を持つ美しい人になれるのだと思うのです。人生には、調子が良い時もあれば悪い時もある。。。調子が悪い時もあれば良い時もある。。。と思うのです。良い時ばかりでは、その有難さが分からず、感謝の心が育まれないが故に、悪い時を経験させて頂く。。。悪い時は、反省すべきを反省する時。。。正すべきを正す時。。。頑張るべき時。。。努力すべき時。。。故に、その成果として、良い時を与えて頂くと感謝の心が育まれ、良い時の有難さ、そして、頑張った甲斐、努力の甲斐を感じ、これからの頑張りや努力の為のエネルギーを充電させて頂く事ができると思うのです。調子が悪いなど、窮するという境遇は、調子が悪くなっても、動揺することなく、いつも通りの心のあり方や生き方、言動、態度が変わらない程の品位が養われているか否かを確かめる為の天からのお試しでもあると思うのです 。そのお試しは、同時に、その状況の変化に、自分がどのように対応するのか。。。自分の真の姿を自分で見つめたり、思い知らされる機会にもなっていると思うのです。調子が悪く、窮していても、 「この経験が今の自分には必要なことなんだなぁ。 どうも有り難うございます♬」 「窮していても、生かさせて頂いている。。。 とても有り難いことだなぁ~。。。 足るを知ることを学ばせて頂いたなぁ~。。。」 「窮してみてはじめて、今までがどれだけ 幸せだったのか分かった気がする。。。 それを知る為に、窮する経験を与えて頂いたんだなぁ~。。。 どうも有り難うございます♬」 「調子が良かろうと悪かろうと、 満ち足りていようと窮していようと、 それは、自分を取り巻くものが変わっているだけで、 自分は何も変わっていない。。。 だから、どんな時も態度が変わらない自分で いられるはずなんだよなぁ~。 状況によって態度が変わるという事は、 自分を取り巻くものに自分が左右されている、 ということなんだなぁ~。。。 どんな時でも動揺せずに、いつも態度が変わらない 自分でいられるよう平常心を養おう♬」などと捉えさせて頂けば、調子の悪い時や窮していることさえも、とても有り難い経験として、捉えることができるようになると思うのです。そのように、一見、不遇に見える境遇さえも、 「実は幸運になる為の境遇なんだ!」という感じで、自分の味方に付けることができるような発想や心のあり方。。。楽観的、肯定的、前向きなものごとの見方。。。大きな心、豊かな心、ゆとりのある心。。。優しい心、温かい心、愛の心。。。などを育ませて頂けるよう心を磨かせて頂き、自らの心を美しく輝かせたいものですね。源光「人間は、調子の良い時、お金に困っていない時は、 心に余裕があるので他人に優しくできます。 謙虚になることも難しくはありません。 不遇な境遇にある時にそういうふるまいができる人は、必ず再起できます。 不平不満、妬み、嫉み、恨み、ツラミに翻弄されて、 なぜ自分だけがこんな目にと、思っているならば、 事態は益々、悪化していきます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201402270001/「不安、不自由、不足や不満の種は尽きませんが、 恵まれていることは忘れていませんか? 心が不安や不満でいっぱいになったら、 不平不満、不安,不自由から心を放して、 恵まれていることに感謝しましょう。 そうすれば、あなたを悩ませている問題は、 霧がはれるように少しずつ消えていきます。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312210001/「幸運の時も不運の時も、すべての現象に感謝しましょう。 感謝は最大の徳であるだけでなく、全ての徳の源なのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406240001/「天に愛される人は、 運に恵まれようと、 運に見捨てられようと、 態度を変えない人なのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201207020000/「落ち着いて、りきまない。。。 ひるまない。。。こだわらない。。。 これが難局に当たる時の心構えです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201602130000/「平常心をもって一切の事をなす人は 名人の域に達していますから 何をしても上手くいくのです。 人の失敗は、動揺することから始まるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201505030000/「何が起こっても、否定しない。くよくよしない。 ありのままを受け入れ、すべてを肯定するという前向きな姿勢。 これこそ、運のいい人が身につけている姿勢なのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312260002/「何があろうと決して落胆しないこと。 笑い飛ばして生きて行くこと。 それが人生、負けない人のやっていることです。 不運を逆転させる唯一の道でもあります。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403300000/「魂のレベルの高い人は 喜びの中でも苦難の中でも 楽しむ力があることで見分けがつきます。 苦難を楽しむ。。 ドンと来い!!試練。。 人生大逆転の基本です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407250001/「苦難に直面したら嫌々耐えるのではなく、 現状を受け入れて、前向きに耐えるのです。 人は誰でも、逆転のエネルギーが内在しているのですが、 これを使わずに嘆いてばかり。。。もったいないことですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312240000/「自分は生きているのではなく、「生かされている」という事実に気づきましょう。 本当の幸せは、あなたの心の中にあるのです。 幸せを追いかける人はいつまでも幸せになれず、 今、呼吸をしている幸せに気づく人が、 本当に幸せになれるのです。 まずは、生かされていることに感謝しましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401020002/「たくさん苦しんでいる時に あえてよく生きることです。 世をはかなんで自暴自棄になれば、苦しみが長引きます。 なんで自分ばかりこんな目に会うのか!!と嘆いていれば さらに苦難が追加されます。 苦しい時こそ むしろ人を助けることですよ。喜ばせることですよ。 自分より苦しい人は、それこそ星の数ほどいるのです。。。 悩み多ければ多いほど、光に近い人。。 人を救う天命を持って生まれてきた偉大な魂なのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409110001/「自分の置かれている境遇を嘆かないことです。 自暴自棄になって、嘆いたり怨んだりしている限り、 どんなに望んでも絶対に幸運とは波長が合わないのです。。 」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406100003/ 「遭遇した苦難の 最もよい面に目を向ける習慣を身に付けましょう。 実は、失敗のようで成功。。 苦難のようで、長い目でみるとラッキー。。 世の中の仕組みはこういうことなのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409210001/ 「苦難を苦悩にするのでは無く、 苦難を楽しんで歓喜を手に入れることのできる人になりましょう。 」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201208280000/「苦しい時、非難されているときに、 これはチャンス!!と思える人は、 人生の行方を自分で決めることができる 偉大な人なのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412180001/ 「人の精神の高貴さは、すぐわかります。 言葉の中に、話し手の心の状態と人格と気質が見えるからです。」 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201602270000/「凛とした意識持っていますか? 真実の美は、凛とした意識の中にあるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201506060000/「自分の言動に責任を持つことです。 その責任の下に、本当の幸せと喜びが 横たわっているのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201502100000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.04.18
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「この種を撒くと将来落ち込んでしまう。。 そうだ、この種は燃やしてしまおう。 誰かが拾って困らないように。。 こういう考えが、危機管理の基本です。 撒かない種からは、何も収穫できないのですが その裏技です。」善因善果。。。悪因悪果。。。その種さんが、良い種さんであろうと、良くない種さんであろうと、自分で種さんを蒔いてしまえば、必ず生えると思うのです。その生えたものは、それを自分が好もうと好まざるをと、母親と胎児がへその緒で繋がっているかのように、自分と繋がっていているが故に、自らその生えたものを刈り取ることになる。。。それが因果応報の法則というものだと思うのです。時に、自分の持っている種さんが、悪因となって、悪果をもたらすであろうことが予想できるようなことがあると思うのです。予想がつくが故に、自らの意思でその種さんを蒔くことは無くとも、何故か、その種さんを持ち続けていることで、うっかり種さんを落としてしまうということも無きにしも非ずだと思うのです。うっかり落としてしまった種さんでも、蒔かれた種さんは、自ずと生えて、育ってしまうと思うのです。その原因こそは「うっかり」だったとしても、それを持ち続けていたのは自分。。。「うっかり」蒔かれた種さんとはいえ、悪因となって、悪果をもたらすであろうことが予想できていた種さんには変わらないが故に、その育ったものを自ら刈り取ることの無いように、気を付けていても、「うっかり」蒔いたものは、「うっかり」刈り取ってしまうものだと思うのです。「うっかり」刈り取ってしまうことは、ご本人様としては不本意なことだと思うのですが、その種さんが悪因となり、悪果をもたらすであろうことが分かっていたにもかかわらず、何らかの理由があってそれを処分しなかったことが「うっかり」の始まりであることを考えれば、自分に原因があることに変わりはないと思うのです。「うっかり」蒔いてしまった種さんを、「うっかり」自分で刈り取ってしまうのは、その原因が自分にあるが故に自分でその責任を取ることは、致し方のないことだと思うのです。しかしながら、「うっかり」蒔いてしまった種さんを、「うっかり」他の方が刈り取ってしまった。。。となれば、 「人様にご迷惑をおかけする」という種さんを自分が蒔いたことになってしまうと思うのです。例え「うっかり」だったとしても、自分が保持していたことが原因であることを考えれば、自分に原因があることに違いはないと思うのです。本来は、その因果関係が自分だけで済むはずのものが、人様をも巻き込んでしまった上に、ご迷惑までお掛けしてしまうとなれば、それを業として背負っていかなければならないと思うのです。迷惑をかけられた人様も不本意だと思うのですが、人様を巻き込んだり、迷惑をかけるつもりもなかったのに、結果的に人様を巻き込み、迷惑をかけることから、業を背負うことになってしまったら、自分もまた不本意だと思うのです。そのようなことにならないようにする為には、悪因となり、悪果をもたらすであろうことが予想できる種さんは、自分にとって、悪果をもたらすであろうことだけではなく、 「人様にご迷惑をおかけする可能性がある」ことも予想がつくと思うのです。それならば、「人様にご迷惑をおかけすることの無いように。。。」という人様を思い遣る利他心をもって、悪因の種さんが芽を出さぬ内に、予め「悪い芽を摘む」ならぬ、「悪い種を潰す。。。燃やす。。。」などして、生えたり、芽が出無いようにしてしまうこと。。。その存在を消し去ってしまうこと。。。が極めて大切だと思うのです。そのような処置をさせて頂く事によって、悪果をもたらす悪因が発生しないよう未然に防ぐことができるばかりか、人様も自分も救われることになるのだと思うのです。あっても無くてもよいものは、無いほうがよいもの。。。であることを考えれば、無いほうがよいものは、無いほうがよいものにしか成りえないと思うのです。悪果をもたらすであろう悪因の種さんは、「無いほうがよいもの」故に、あれこれ悩まず、直ぐに適切な処置をして、その存在を無くしてしまうようにすべきだと思うのです。そういう適切な選択や判断をさせて頂く為にも、日頃から良心に従って、何ごとに対しても冷静に、人様(第三者)の立場になって、客観的にものごとを観させて頂けるような自分を育ませて頂きたいものですね。源光「触れ合う人々を思い遣る心を習慣にしましょう。 自然な行いこそ、最大の美徳なのですから。」 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201212120000/「我が善き果実は、他の上に実りますように。 他の悪しき果実は、我が上に実りますように。」(ビシュヌさんの分霊さん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201202070000/「他人に親切にするのは、断じて義務などではない。 それは、光栄であり、健康と幸福と歓喜をもたらす。」(ビシュヌさんの分霊さん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201202020000/「これを人に与えれば、私は何も食べられない。 このように考える者は、利己で餓鬼に生まれる。 これを私が食べれば、人に何も与えられない。 このように考える者は、利他で神々に生まれる。」(ビシュヌさんの分霊さん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201201310000/「この世で苦しむ人は、全て利己を図った為である。 この世を楽しめる人は、総て利他を望んだ為である。」(ビシュヌさんの分霊さん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201201280000/「自分自身のことで身も心もいっぱいになっている人ほど、 心のない人間はいない。 汝、そのような人になるなかれ。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201201010000/ 「原因なしに起きる結果は 絶対にないのです。 蒔かぬ種は絶対に生えないが、 蒔いた種は必ず生えるのです。 種の種類によるのです。 善の種を蒔くことですよ。 悪の種など絶対に撒いてはいけません。 芥子の花が咲きますから。。」 (ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201602250000/「何事も行き着く所に落ち着くものです。 今の自分の延長が未来の自分に相違ありません。 今の自分が気に入らないのであれば 今すぐに、より良い方向に軌道修正することです。 簡単なことですよ。 笑顔で自分の良心と対話するだけのことです。 答えはすぐ返ってきます。 それは安易な道ではないはず。。 だからこそ人生は楽しいのです。 良心と共に歩んで行くのならば 大いなる雲に乗って 光の世界へ導かれるでしょう。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201505160000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.04.17
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「生きている限り人間関係に悩まされることは多いのです。 血をわけた子供ですら思い通りにはならないもの。 万人と仲良くなどできるはずがありません。 大切な自分の人生です。 あまり他人に振り回されないようにして、 自分の人生を大切にしましょう。」私たちは、一人一人が個性溢れる存在で、 生まれた日や生まれた場所、容姿や年齢、性格、育ってきた環境、培ってきた様々な経験、感性、特技、能力、ものごとの見方や捉え方、考え方、生き方、趣味、嗜好、好きなもの、嫌いなもの、得意なもの、苦手なもの、ものごとに対する価値観など、様々な点において十人十色、千差万別で、共通しているといえば、「心ある人間同士」ということくらいだと思うのです。それ位に一人一人が個性ある存在であることを考えれば、自分と合う人様よりも、合わない人様の方が多いのが、極自然なことだと思うのです。そのような人間同士故に、どなた様とも仲良くしようとしても、それは努力したから出来るというものではないと思うのです。趣味、趣向の違い。。。好き嫌いの違い。。。意見の食い違い。。。ものごとに対する価値観の違い。。。性格的、生理的に合わない。。。人間性の違い。。。それが人の個性であることを考えれば、相手の個性を尊重させて頂くつつ、自分は自分らしく、ありのままで過ごさせて頂いていれば良いと思うのです。わざわざ自分の個性や感情、自分らしさを押し殺して、相手に無理に合わせてまで、仲良くする必要はないと思うのです。相手の方は何も気にせず、気にしているのは自分だけ。。。ということも良くあるものですが、自分のその弱さに付け込まれて、相手に振り回されるということも良くあると思うのです。自分を押し殺した挙句、相手に振り回されていては、自分であるにもかかわらず、自分らしくあることができないことで、ストレスが溜まって病気になってしまいかねないと思うのです。そのようなことで病気になってしまっては、自分の人生の大切な時間が勿体ないと思うのです。自分は自分。。。人様は人様。。。自分と合わない相手のことは、自分の価値観との相違を理由に、否定したり、批判したりしてしまうものですが、それも「相手の個性」と単純に受け止めさせて頂き、ただただ相手を尊重させて頂く、という思い遣りを持たせて頂いていれば、それで良いと思うのです。合わない相手に何か言いたいことがある。。。そういうこともあると思うのです。しかしながら、合わない相手には、何を言っても平行線を辿ったり、相手を不快にさせてしまい、結果的に自分も不快になる。。。という事も。。。お互いが不快な思いをしてしまうことが予想できるのであれば、言いたいことがあったとしても、わざわざ言わない方が賢明だと思うのです。時には、合わない相手から持論を押し付けられたり、強制されることもあると思うのです。そういう時に、相手の顔色を伺い、ご機嫌を取るようなことをすると、その弱さに付け込まれて、その後も振り回されてしまいかねないので、相手の気持ちを逆撫でしてしまうような感情的な態度をとることなく、落ち着いた態度で、YES 又は NOの意思をハッキリとお伝えさせて頂きながら、少しづつ距離を置かせて頂くことが大切だと思うのです。「自分」という意識や、「自分」という個性をもって、生まれる機会を与えて頂いているにもかかわらず、自分らしさ、ありのままの自分、自然体な自分を捨てて、 人様に気に入られるような生き方をさせて頂く。。。 人様と同じような生き方をさせて頂く。。。など、人様に振り回されて生きるということは、自分で自分を裏切っているようなものだと思うのです。自分で自分を裏切り、自分らしく生きないように自ら仕向けてしまってしまうことは、生まれる前に自分が決めてきたライフプラン通りに生きることを自ら拒否しているようなもの故に、何も達成することができなくなってしまうと思うのです。 (それでは貴重な自分の人生が無駄になってしまい、 いつの日か大後悔すると思うのです。)嫌われまいとして、人様のご機嫌伺いをしたり。。。自分が孤独になることを恐れたり。。。人様の顔色や、社会の目を気にしたり。。。自分の意見ではなく、周囲の意見ばかりを気にしたり。。。少数派より、多数派に属することに、意味もなく安心感を覚えたり。。。その結果、 長い物には巻かれよ。。。 事勿れ主義。。。 人様の顔色を見て行動。。。 付和雷同。。。になり、 人様にとって都合の良い人。。。 人様に利用されやすい人。。。 人様に支配されやすい人。。。 人様と同じ行動しかできない人。。。 人様に言われたことしかできない人。。。 人様に言われるがままの人。。。などになってしまい、それが良いことであろうと、悪いことであろうと何であろうと、自分の意思や判断や良心の声に従うのではなく、人様の意思や判断や指示で動く人になってしまう。。。「自分」でありながら、「自分」として生きていない「自分」。。。 悪賢い方からすれば、とても利用し易い人。。。それ故、知らず知らずの内に、悪いことに加担してしまうということにもなりかねないと思うのです。。。嫌われることを恐れたが為に。。。どなた様か一人、又は、多くの方に嫌われたり、孤独になることを恐れて、自分や自分らしさを捨てて生かさせて頂くよりも、僅か一人の友人しかいなかったとしても、家族しか信頼できなかったとしても、例え、孤独になったとしても、その一人の友人や家族に心から愛され、その愛に応えさせて頂きながら自分らしく生かさせて頂いたり、自分を信じ、愛して、孤独に生かさせて頂いた方が、幸せな人生を過ごさせて頂くことができると思うのです。自分の人生という限られた時間は、自分の魂の修正や成長をさせて頂く為の貴重な機会として与えて頂いた自分だけのもの故に、良心に従って、自分に正直に、誠実に。。。自分らしく、自分が満足できるような有意義な生き方をさせて頂きたいものですね。そうやって自分で自分を満足させることができるからこそ、人様のお役に立つことや、人様にお喜び頂けることを心を込めてさせて頂く事ができるようになり、魂の修正や成長を促すことができるのだと思うのです。自分の人生。。。自ら鳥籠に入る必要もなく、誰かの鳥籠に自ら入る必要も、誰かに強制されて、鳥籠に入る必要もないと思うのです。私たちの本質である魂は、 鳥籠という制約に振り回されること。。。 飛躍する為の翼を閉じたままであること。。。を望んではいないと思うのです。自分らしく、翼を大きく広げて、自分の魂が喜ぶ方向に向かって、自由に羽ばたく。。。それこそ私たちの魂が喜ぶ生き方であり、一人一人に魂が喜ぶ方向があるのだと思うのです。自分の人生を有意義にさせて頂く為にも、魂が喜ぶ方向を見つけさせて頂きたいものですね。源光「人間関係に悩む人は多いのです。 誰とでも仲良くしようと努力しても、 残念ながら 価値観、性格が違う人とはうまくいかないものです。 あまり他人に振り回されないようにして、 大切な自分の時間を大切にしましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312220001/「汝に、好き嫌いがあるように、 すべての人に好かれるのは無理である。 汝の言葉に耳を傾けない人には、 その人の道があり信仰がある。 幸せへの道は一つでは無い。 ただ天法というものがあるだけである。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201110070000/「信じられない人とは手を切りなさい。。 信じられる人とは手を結びなさい。 信じた人から裏切られたら、 人を見る目を養えたことに感謝しなさい。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403110000/「友人を作ろうとしなくてもいいのです。 友人に選ばれる人になりましょう。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209210000/「汝、友人を選ぶなかれ。 友人に選ばれる人になれ。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201111260000/「人生は多くの愚者を友とするより、 一人の智者を友とするべきなのです。 縁は円、水車のように回ります。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201505140000/「友人が多いのは素敵なことですが、 悪い仲間と交わるよりも、 一人でいる方が良いのです。 無理に友人を作る必要はありません。 自然体で十分です。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412080003/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412080004/「友達はいなくてもいいのです。 無理して作らなくてもいいのです。 大勢の中に混じっていたからって孤独になるのですから。。 気の合う友達が数人いる人は世界一の幸せ者ですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201508170000/「どうしても理解できない思考回路の人もいますが、 自分の価値観で計って、他人の感受性を軽蔑してはいけないのです。 感受性はその人の才能なのですから。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405160000/「苦手な人。。。どうしても嫌い。。。 少し離れてください。。。 冷静に判断できる距離まで。。。 できれば好きになれる距離まで移動してください。。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412230001/「人はそれぞれ。。 理解できないと投げ出すことは簡単ですが、 理解しようと相手と同じレベルに立って 感じることを心がけましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406250001/ 「人生は有限です。 ですから他人の気に入るような行動をするよりも、 良心に忠実に、自分を尊敬し、自分が満足できるような 行動をとるべきです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312060000/「世の中に理不尽なことは尽きません。 なぜならば、地上は、あらゆる魂の階層の人が 一同に介して修行をしている場所だからです。 腹を立てるだけ損だと思って、怒りをおさめましょう。 勉強代だと思って相手を許し、不甲斐ない自分も許してあげましょう。 必ず勉強代が活きるのです。 逆境や苦難の多い人は光の天使。 どうぞ苦い経験を活かして世の中を明るくして下さいね。 そのために生まれてきたのですから。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311240000/「世間にはいろんなタイプの人が住んでいます。 みんなに好かれるなんて とても出来ることではありません。 嫌われることもありますよ。 気にすることはありません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412080000/「誰かのことをフッと思う。。 その人から電話があったり、街角でバッタリ出会ったり。。 よくあることです。 人は引き合うのです。 ですから、会いたくない人のことは思わない方がよいのです。 ところが会いたくない人、攻撃されている人。。嫌な人。。 ついつい思ってしまうものです。 好きな人。。愛する人。。心の友。。大切な人。。お世話になった人。。 どうぞ思い浮かべてください。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408300000/ 「汝の人生は、汝のものである。 大空を羽ばたくも、籠の鳥となるも 自由に選択することができる。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201109270000/「人は思い通りの人間になれます。 天はそのように人間を創ったのです。 あなたは、自分をどんな人間だと思っているでしょうか。 今の自分は、あなたの思いの通りの自分ですよ。 自分のことをどのように信じるかで、 自分も人生も変わってきます。 人生を変えるのは自分自身。。 置かれている環境でも人の評価でもありません。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312050002/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312050003/「まず自分自身を満足させるのです。 自分自身も満足させられない人に、 いったい何ができるというのでしょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201410220000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.04.16
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「時間はお金では買えないのです。 今の時間を大事にできない人は、 未来の時間もきっと大事にはできないでしょう。」 「時は一瞬も止まっていません。。 まだ時間があるから大丈夫。。。 そうではありません。 残された時間は僅かしかないのです。 今を悔いなく生きることですよ。」「人は、いつか必ず死ぬということを思い知らなければ 生きているということを実感することができないのです。 一秒一秒。無駄にしないことですよ。 足ることを知ることです。 名誉も地位も権力も名声も学歴も高収入も財産も 泡沫(うたかた)の夢と同じ。。。 全ては消え去り、持って還れるものは経験と心だけです。 業の修正は今世で決着を付けることですよ。 それがあなたが生まれてきた意味なのですから。」 時は金なり。。。一寸の光陰軽んずべからず。。。一刻千金。。。光陰矢の如し。。。「今」この瞬間に、「今」を与えて頂き、「今」この瞬間に、「今」が去っていく。。。それが当たり前のように繰り返されいるが故に、「今」という一瞬の大切さや重みを忘れてしまいがちですが、「今」という一瞬は、この世的には「今」その瞬間しか体験させて頂くことができない、「今」だけの特別な時間だと思うのです。それを意識していようと、意識していまいと、「今」という一瞬は、常に刻一刻と過ぎ去っていき、自分の「人生」という限られた時間の一齣一齣を、一瞬の間に迎え、一瞬の間に送り出す。。。いつ終焉を迎えるとも分からない自分の「人生」の終着点まで、絶えず、それが繰り返されていく。。。それが「今」という貴重な時間だと思うのです。一瞬の間に迎え、一瞬の間に送り出す「今」だからこそ、気付けば「あっという間」に時が過ぎているのだと思うのです。だからこそ、無駄にできる時間などないと思うのです。「今」出来ることや「今」すべきことを、「今する!(今させて頂く!)」という姿勢で、「今」という一瞬一瞬を大事にして、「今を生きる」姿勢で過させて頂きたいものですね。時間という制約の中で生かさせて頂いている私たちは「今」を生きることしかできないと思うのです。その「今」という時間の繰り返しを、私たちの魂の修行の為に与えて下さっている天からすれば、 『「今」を生きることしか出来ないにもかかわらず、 「今」を一所懸命に生きることなくして、 いつ一所懸命に生きることが出来るの? (いつ一所懸命に修行するの?)』ということになると思うのです。この世は、自分の心のあり方次第で、何度でも自分を生まれ変わらせることができる貴重な機会に恵まれた「修行の場」。。。「時間を無駄にしてしまった。。。」と感じたのであれば、それを繰り返さないように日々の時間を大事に過ごさせて頂けば良いと思うのです。そうすれば、「無駄にしてしまった時間は」、「無駄」にならないと思うのです。失敗や過ち、挫折、苦難、試練にめげるのではなく、それらを人生の糧にさせて頂く。。。自分が信じていることに疑念を抱いたり、夢や希望を決して諦めることなく、自分を常に信じ、良心に常に従いながら、自分を変化させ、生まれ変わらせる。。。この世に生まれてくる前に自ら設計してきた自分の魂の修正&成長の為のライフプランの道を歩ませて頂くことができるように。。。そして、天に帰還したときに「後悔」することがないように。。。生まれてくるときに天から授かった「何が正しいかその全てを知っている良心」に従って、明るく、元気に、楽しく、笑顔で「今」という瞬間の繰り返しを大事にして生かさせて頂きたいものですね。~~~~「今」の自分がすべきことや、「今」の自分ができることを、「今」の自分がしなければ、「未来」の自分がすべきであろうことや、「未来」の自分ができるであろうことは、「未来」の自分もしないであろう、と思うのです。「未来」の自分がすべきであろうことや「未来」の自分ができるであろうことを「未来」の自分がするであろう自分を築くためには、「今」の自分がすべきことや、「今」の自分ができることを、「今」の自分がする。。。という、「今」大事なこと、「今」すべきこと、「今」できること、から目を背けることのない「今を生きる」姿勢で生かさせて頂くことが大切だと思うのです。そういう姿勢で生かさせて頂いていれば、やるべきことをしっかりと遂行させて頂くことができると思うのです。「今」を不安を描いた未来に生きるのではなく、「今」を後悔を生み出した過去に生きるでもなく、「今」という現実を素直に受け留め、「今」の自分が出来ることや、「今」すべきことを「今」する、という「今の自分」で「今を生きる」という勇ましい姿を、未来は明るく迎え入れて下さるのだと思うのです。「過去」がどのような「過去」であろうと、その「過去」のお陰様あっての「今」の自分であり、予測される「未来」がどのような「未来」であろうと、「過去」や「今」のお陰様あっての「未来」の自分だと思うのです。まだ見ぬ「未来」に、「過去」に苛まれたことを投影して「今」を生かさせて頂くことは、まだ見ぬ「未来」に秘めている無限の可能性の扉を自ら閉ざしているに他ならないと思うのです。「過去」にとらわれず、「過去」を「今」を生きる自分に前向きに活かし、夢と希望をもって「未来」をお迎えさせて頂く。。。それこそ、無限の可能性を拓く鍵なのだと思うのです。何ごとも、物事には順番というものがあると思うのです。やるべきこと。。。それは裏を返させて頂くと、やらなければならないこと故に、 割愛できるものではない。。。 それをしなければ先に進まない。。。進めない。。。ということでもあると思うのです。やるべきことをやらない。。。ということは、自分勝手に割愛したり、自ら先に進まないようにしたり、自ら先に進めないようにして、自分で自分を貶めているようなものだと思うのです。魂の修正や成長をさせて頂く為に、地上という修業の場に生を与えて頂いている私たちが、 やるべきことに時間を投じない。。。 やらなくても良いことに時間を投じる。。。では、折角の修行の機会を無駄にしていると思うのです。自分の人生が刻一刻と終わりに向かっているにもかかわらず。。。例え、雑事に時間を投じて無駄に過ごしてしまっても、 「今やるべきことをやろう!」 「今すべきことをしなければ!」 「今できることを今しなくてどうする!」と気づかせて頂くことができたのであれば、雑事に投じた時間は無駄にはならないと思うのです。人生という魂の修行の機会を無駄にすることのないように、 「今やるべき今すべきこと」 「今やるべき今できること」は何かを真剣に模索させて頂き、それに意識と目を向けて行動を起こさせて頂く、という姿勢で今を大切に生かさせて頂きたいものですね。源光「生命のあるかぎり、希望はあります。 今を真剣に生きることです。明日ではありません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201602010000/「過去は過ぎ去った時間です。 未来には無限の可能性があります。 未来を開くのは自分です。 それを知っているつもりでも、過去にとらわれ、 未来を限定して考えている人も多いのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311230000/「明日のことはわからないのです。 だからこそ、今。。 この一瞬を大切にして生きることです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201507070000/ 「今を精いっぱい生きましょう。 明日、後悔しないように。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412160000/「過ぎ去った過去にとらわれず、 現在をいかによくするか。 今を生きることです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201501160000/「明日を生き抜くために必要なものだけを残して、 あらゆる過去を清算してください。 未来は、あなたの思いのままです。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405030000/ 「今は一秒、一秒、過去になっています。 こちらに還ってくる時、一生は瞬きをする間だったなあ!!と、 ほとんどの人が感想を漏らします。 人は、今を心正しく誠実に生きることですよ!! この世を去る時に大後悔しないように!! 私は、全ての人に雲に乗って還っていただきたいのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210200000/「大事な時間を雑事で浪費しないことです。 もっとやるべきことがあるはずです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201602200000/「魂のこもった価値ある日々を送ってくださいね。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201303050000/「人間という舟を得たら、それで苦悩の大河を渡れ。 愚か者よ、惰眠を貪るな、この舟は、再び得がたい。」(ビシュヌさんの分霊さん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201201290000/「今この瞬間のあなたの想い、そして生き方が、 あなたの明日を形成していくのです。 人生の紆余曲折、悟り間違いがなかったと 断言できる人生を送った人は皆無ですが、 この世を去る、その時。。 「あゝいい人生だった。。思い残すことは無い。。」 と思えるならば、それは最高の人生だったのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201501240000/「生まれ変わるのは、地上に生ある時です。 還って来てからでは遅いのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209260000/ 「死なないで地上で、生きられる人は皆無です。 人は、地上に命がある時だけ諸々の善行を なすことができるのですから、せっかくの機会を 大いに活かして、帰還されますように。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201211090000/「将来を思い煩う必要は無い。 現在為すべきことを為せ。 その他は神の考えることゆえに。。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201107220000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.04.15
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「花に水をあげましょう。。 心に愛を持ちましょう。 人には笑顔で接しましょう。 今日もユーモアを忘れずに。。。」「人は一人では生きていけないのです。 触れ合う人の笑顔で自分もパワーアップできるのです。 だから今日も触れ合う人を喜ばせましょう。 笑って笑って今日も楽しい一日でありましょう。」【お花さんにお水さんをあげる。。。】お花さんの存在に気付かなければ、お水さんをあげることはできないと思うのです。お花さんの存在に気付いていても、お花さんがお水さんを欲しているかが分からなければ、ただお花さんを見て「綺麗だなぁ♬」と思うだけで、お水さんをあげるまでには至らないと思うのです。自分一人で生かさせて頂いているわけではない私たち。。。様々なことに目を向けさせて頂く。。。自分の周りの人様を思い遣る心を持つ。。。相手が何を望んでいるのか、何を考えているのかなど、相手の立場になって、客観的にものごと観る。。。など、自分視点以外の視点を持たせてくことがとても大切だと思うのです。~~~~【心に愛を持つ。。。】天に無償の愛を与え続けて頂いている私たち。。。その無償の愛を与えられっ放しで満足するのは、「自分さえ良ければそれで良い。」という利己心。。。天が無償の愛を与え続けて下さっているのは、地上で修業をさせて頂いている私たちが、天と同じように、愛の心をもって、様々なものと接することの大切さを教えて下さっているのだと思うのです。自分一人で生かさせて頂いているわけではない私たち。。。自分一人で生きているつもりでも、直接的にも、間接的にも、いつもどこかで、どなた様かのお世話になっているお陰様で、生かさせて頂いているのだと思うのです。そういう見方ができないのは、自分のことしか考えていないからこそ、だと思うのです。当たり前のように頂いている食べ物や着ている服も、ただ買って食べたり着たりしているだけに見えても、その経緯をさかのぼってみると、 穀物さん、野菜さん、果物さん等を育てて下さる農家さん。。。 それらの食べ物を加工して下さる方々。。。 服を作って下さる工員さん。。。 様々なものを流通して下さる運送業者さん。。。 販売して下さる様々なお店屋さん。。。など、多くの方々の繋がりや、多くの方々のお陰様の上に成り立っていることが分かると思うのです。天や人様の愛によって生かさせて頂いている私たち故に、自分もまた、優しい心、温かい心、助け合う心、支え合う心、分け合う心、協力し合う心など、人様をはじめ、様々なものを思い遣る愛の心を持たせて頂くことが大 切だと思うのです。~~~~【人様には笑顔で接する。。。】ご縁あって接する機会を与えて頂いた人様に対して、気難しい表情や疑念を抱いているかのような眼差しで接すると、相手に目を逸らされたり、怪訝そうな顔をされたりして、 「この方は話し難いな。。。」 「嫌われているのかな。。。」などと思われてしまい、相手に心を開きにくくさせてしまい、せっかくのご縁も育まれなくなってしまう、ということにもなりかねないと思うのです。もし、自分に接して下さる人が、気難しい表情で自分に接して下さったり、疑念を抱いているかのような眼差しで自分のことを観られたら、あまり良い気分はしないと思うのです。だからこそ、自分がされて嬉しくないような接し方は、人様にもすべきではないと思うのです。反対に、自分がされて嬉しくなるような接し方を人様にもさせて頂けば良いと思うのです。屈託のない明るい表情や、「初めまして!貴重なご縁に感謝します♬」という気持ちが伝わるかのような人懐こい笑顔で挨拶をさせて頂くと 「この方は話し易そうだな~♬」 「楽しく会話できそうだなぁ~♬」 「いつもニコニコしていて、素敵な笑顔だなぁ~♬ こちらも自然と笑顔になってしまう。」などと思って頂くことができ、相手も心を開き易くなり、その結果、貴重なご縁を育ませることができると思うのです。笑顔には、人様を安心させたり、和ませたりする力があると思うのです。だからこそ、人様には笑顔で接することができるよう心掛けさせて頂きたいものですね。~~~~【ユーモアを忘れずに。。。】人様の心を和ませるような気の利いた上品な冗談を言って、人様を笑わせるユーモア。。。人様を笑わせようというサービス精神で、ユーモアに富んだ会話をするときは、自分も笑っていると思うのです。ユーモアを添えた笑顔で接することで、相手を笑顔にさせることができる。。。とっても素敵なことだと思うのです。笑顔で楽しそうにしていらっしゃる人様の姿を見ると、自分も笑顔になったり、楽しくなったり、明るくなったり、 朗らかになったり、穏やかになったりすることがあると思うのです。その逆もまた真なり、だと思うのです。 自分が笑顔で楽しそうにして過させて頂いていると、その自分の様子を見て下さった方が笑顔になったり、 楽しくなったり、明るくなったり、朗らかになったり、 穏やかになったりすることがあると思うのです。だからこそ、いつも笑顔で、明るく、朗らかに。。。会話をする時は、その場が笑顔で溢れるようなユーモアを添えさせて頂きたいものですね。ユーモアをもって人様を笑わせようというその思いは、人様の今日という一日を明るく、楽しく、笑顔で過ごせるようにさせようとする人様を思い遣る利他の心の表れだと思うのです。自分のユーモアで人様が笑って下さったり、喜んで下さった時、その人様の笑顔やお喜び下さったその様子を見て、自分も更に笑顔になり、とても嬉しくなると思うのです。人様を思い遣る心をもって、人様の為に何かをさせて頂くとは、そう言うことなのだと思うのです。人様を笑顔にさせれば、その人様の笑顔によって自分も笑顔になり、その人様の笑顔によって自分が救われる。。。人様を喜ばせれば、その人様の喜びによって自分も嬉しくなり、人様がお喜び下さったことで自分が救われる。。。人様の為にさせて頂いたことが、自分の笑顔や喜びになって返ってくる。。。心と心の美しい循環だと思うのです。心ある人間同士の心と心の美しい循環は、心を磨き、輝かせ、大きくさせると思うのです。そういう心のあり方こそ、私たちの魂が喜ぶ生き方だと思うのです。だからこそ、どんな時でも、 他を思い遣る心。。。 愛の心。。。 笑顔。。。 ユーモア。。。をもって生かさせて頂きたいものですね。源光 「愛のある言葉は、みんなを幸せにしますから、 ユーモア溢れる慈しみのある言葉を話して、 どんなに悩んで苦しんでいる人でも、 思わず、笑顔にさせてしまうことから始めましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210210000/「明るいジョーク、愉快な言葉が飛び交い 笑顔が絶えることのない家庭、社会は、 光の世界そのものですから、 全てが降りてくるのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201208110000/「今日も笑顔で過ごしましょう。 笑顔は他人にも伝染します。 自分が明るく楽しくなることで、 人にも多く貢献できるのです。 笑顔の輪が広がれば、世界に平和が訪れます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311060000/「あなたが扱われたいように、他人を扱いなさい。 汝が隣人からされたくないことを隣人に行ってはならない。 隣人を自分自身として見ることで、 人は正しい基準を得ることが出来る。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201107150001/「触れ合う人々を思い遣る心を習慣にしましょう。 自然な行いこそ、最大の美徳なのですから。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201212120000/「人は心の美しさ。。。 太陽が朝を連れて来るように、 心美しい人は、今日も愛の光を連れて来るのです。 あなたの喜ぶ姿が私の喜びです。 人はこうして幸せになって行くのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405050001/ 「他人のための行いにこそ価値があります。 無償の愛。。それが人生の重要な秘訣のひとつです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406020001/「本当の愛は、もはや何一つ見返りを望まないところにあります。。 本当の心の救いは、無償の奉仕の中にあります。。 あなたの笑顔で私は救われるのです。」 (ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408280000/「人は、他に対し善を行っている時、 自らに対して最善を行っているのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201206140000/「いつも奉仕する機会を探して生きていきましょう。 決して、その機会を見逃してはいけないのです。 自分から、その機会を作りましょう。 機会を待つのではなく、作らないといけません。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201205290000/「触れ合う人達に喜んで頂く時、 その人の心は最高の高みに達しているのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201203300000/「今日、触れ合う人を喜ばせて 今、現在に最善を尽くすこと。。。 今日を心豊かに過ごせば、 明日も明後日も。。。 ずっとずっと幸せの花が咲き続けます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201501120000/ 「不幸になっていく人は、自分の喜びばかりを考えているのです。 人を喜ばせることを考えて生きていきましょう。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201207180000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.04.14
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「愛する人を幸せにすること。。 真実の愛とはそういうことです。」愛することができる相手がいるだけで人生が素晴らしくなることが多々あると思うのです。それもこれも、愛することができる相手が存在して下さっているお蔭様だと思うのです。相手を愛するということは、相手に何らの見返りを求めることなく、ただただ自分の愛を形にして、 (目には見えない形の愛もあると思うのです。)自分の愛を捧げることだと思うのです。 (時に、相手を愛する心、思い遣る心、相手の幸せの為に 自分を犠牲にしようとする心から生まれた愛は、 相手に「愛」として伝わらないこともあると思うのです。)そもそも、私たちは、人に限らず、様々なものを愛する為に魂を与えられているのだと思うのです。 (人や何かを愛している自分を自覚することは、 自分で自分を愛していることを自覚することにも なっていると思うのです。)そのような私たちが、もし、愛を捧げる相手も、愛する相手もいない、ということになれば、心ある私たちにとって、とても辛く、苦しく、寂しいことだと思うのです。だからこそ、愛する相手や愛すべき相手が存在して下さっていることに、心から感謝させて頂きたいものですね。そして、相手の存在があるからこそ、愛することができることに、純粋に 幸せを感じたいものですね。愛する相手の存在は、その存在だけで、 自分に幸せを与えて下さっていると思うのです。自分に幸せを与えてくれる愛する相手に 幸せになって欲しい。。。 だから、幸せにしたい。。。 喜んで欲しい。。。 だから、喜んでもらえることをしたい。。。 笑って欲しい。。。 だから、笑わせたい。。。と純粋に思えるのは、 相手が幸せそうな様子を見ると、自分も幸せ♬ 相手が喜んでる様子を見ると、自分も嬉しい♬ 相手が笑っていると、自分も笑顔になるし安心する♬など、知らず知らずの内に、相手の喜びを自分の喜びにしているからだと思うのです。それは、「人様を愛する」という喜びを与えて下さる愛する相手に対する恩返しの気持ち。。。愛の心。。。奉仕の心。。。なのだと思うのです。それ故に、純粋に「愛する相手を幸せにしたい」と思えるのだと思うのです。だからこそ、愛する相手の存在に感謝させて頂き、「愛する相手を幸せにしたい。。。喜ばせたい。。。笑わせたい。。。」という愛の心、奉仕の心、恩返しの心を忘れずに生かさせて頂きたいものですね。時に、自分の愛を相手に押し付けたり、恩着せがましく愛をアピールすることもあると思うのです。それは、 「相手に愛を与えている」という自己満足を得る為。。。 「どんなに愛しているかを知って欲しい」という自己顕示の為。。。など、相手を愛している自分や、相手に愛を与えている自分に陶酔しているだけで、 (見方を変えさせて頂くと、自己満足、自己顕示、自己陶酔の為に、 相手を利用している、ということにもなりかねないと思うのです。)純粋に相手を幸せにしたい、という何らの見返りをも求めない愛とは異なると思うのです。それ故に、相手が自分の愛を受け入れてくれない、理解してくれない、となると、不平不満、怒り、嫉妬、被害妄想などを生み出し、酷い場合は、相手を誹謗中傷してしまうことも。。。自分の思い通りにならないと、相手を幸せにするどころか、相手を傷つけ、貶めようとする言動をしてしまう自分の本性を露わにした瞬間だと思うのです。押し付けたり、恩着せがましい愛の裏には、そういう本性が見え隠れしているものだと思うのです。だからこそ、自分が人様を愛する時も、人様から愛される時も、そういう点を冷静に、客観的に、注視させて頂きたいものですね。相手を幸せにすることが、自分の幸せ。。。相手を喜ばせることが、自分の喜び。。。何らの見返りをも求めることなく、押し付けず、恩着せがましくもしない無償の愛。。。自分一人で生かさせて頂いているわけではない私たちだからこそ、大切な心のあり方だと思うのです。源光「あなたが今すること。。 それは愛する人を幸福にすることです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311300000/「永遠の夫婦とは、 愛する事を教えてくれた大好きなあなたを、 永遠に愛して生きるものです。 これを究極の愛といい、 永遠の幸せが約束された夫婦なのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201402060000/「どうか自分で幸福になろうとしないで下さい。 それは私に任せてください。。 愛する人に心からそう言ってください。 本当にそうなっていくのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401180002/「愛する人を幸せにしたい。。。 今もその気持ちを持ち続けていますか?」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403010001/「目がさめて愛する人が傍にいる。。。なんて幸せ。。。 さあ愛する人のために働こう。今日も笑顔で頑張ろう。。 永遠の家族とは、こういうものですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311280000/ 「汝の傍にいる人が喜ぶことをせよ。 ただそれだけで良い。 汝の人生が好転しないのは、 傍にいる人に感謝報恩が不足しているからに過ぎない。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201109160000/『「愛」とは「理解」の別名です。 ですから、「理解」無き「愛」というものは存在しないのです。 別れも哀しみも、「理解無き」ところに発生するのですから、 互いを理解しようと努力することは、決して無意味ではないのです。』(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407210001/ 「犠牲を払っても守りたい人がいる人は、幸せです。 自分一人で生きていくのは、やはり寂しいものです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403040002/「人が天から魂をさずかっているのは、 触れ合う人々を愛するためである。 全世界の人々を愛するためである。 憎しみ合うためではない。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201108020000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.04.13
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「もし天国と地獄があるとしたならば、 あなたのいる場所は、どんな場所でしょう。 おそらく半分の人は天国と答え、 半分の人は地獄と答えることでしょう。 同じ場所であるにもかかわらず。。 天国なのですよ。正解は。。」魂の修正や成長をさせて頂く為に、地上という修業の場を与えて頂いている私たちにとって、地上は、地にある天国だと思うのです。なぜなら、地上は、魂の修正や成長をさせて頂くことができる貴重な貴重な修行の場だからです。修行の場故に、思いに任せないことがあったり、辛く苦しい試練や苦難があると思うのですが、それは当然のことだと思うのです。それでも良心に従って生かさせて頂く事を通じて、心が磨かれ、業が解消され、生まれてくる前の自分よりも心が美しく清らかになって帰還することができるのであれば、私たちの本質である魂にとっては、それほど嬉しく、有り難いことはないと思うのです。それ故に、魂の修正や成長をさせて頂く為に生まれる機会を与えて頂いている私たちにとって、 自分の心を磨かせて頂くことができる場所。。。 自分の業を解消させて頂くことができる場所。。。である地上は、天国だと思うのです。その一方で、同じ地上であるにもかかわらず、思いに任せないことがあったり、辛く苦しい試練や苦難があることで、地上を地獄と感じる方もいらっしゃると思うのです。それは、 自分の思い通りにい かないから。。。 辛く苦しいこと、試練や苦難が嫌だから。。。という自己本位な心のあり方や考え方をしているからだと思うのです。 (なぜ自分の思い通りにならないのか。。。 思い通りにならない原因は自分にあるのではないか。。。 なぜこのような試練や苦難があるのか。。。 このような試練や苦難を与えられるような原因を 自分が作りだしているからではないのか。。。 という考えに及ばないような心のあり方だからこそ、 試練や苦難を与えて頂いている、 ということでもあると思うのです。)そのような心のあり方や考え方になってしまうのは、自己本位な心のあり方だけではなく、なぜ、私たちが 地上に生まれる機会を与えて頂いているのか。。。 地上という場所が何の為にあるのか。。。を知らなかったり、忘れさせられてしまっているからだと思うのです。それを知ったり、思い出したりすることによって、地獄と感じている場所に対して、感謝の気持ちが生まれ、天国と思えるようになることもあると思うのです。とはいえ、そういう方に限って、欲望や快楽に翻弄されてしまうと、それらを満たしてくれる楽しい場所や、自分の思い通りになる場所など、自分の意に沿う都合の良い場所については、天国であると勘違いしたり、思い込んでしまうことが多いと思うのです。同じ地上でも、同じ場所でも、 自分の欲望や快楽を満たしてくれれば天国。。。 自分にとって辛く苦しい試練や苦難があれば地獄。。。とコロコロと変わってしまうのは、自分に都合が良いか、不都合か、という自己本位な主観でものごとを見ているからだと思うのです。欲望や快楽を満たしてくれる場所を、天国と捉えることは自由だと思うのですが、その実態は、天からすれば、欲望や快楽に翻弄されないくらいに心が磨かれているか否かを試している場所や境遇なのだと思うのです。それがお試しであることに気付くことなく、良心や理性によってコントロール出来ぬまま、欲望や快楽に翻弄されてしまうと、魂の修正や成長どころか、むしろ、修正すべき点を増やしてしまっている。。。自分で自分を貶めてしまっている。。。ということになると思うのです 。 (もし、それが天による試練ではなく、 地上の人々の欲望や快楽を求める想念を餌にしている悪魔が、 私たちの心を翻弄し、支配する為のものであったら、 それこそ、その行きつく先は地獄になってしまうと思うのです。)要は、同じ場所でも、 天国として捉えることができるか。。。 地獄として捉えてしまうのか。。。私たちの心のあり方、ものごとの見方次第、ということなのだと思うのです。「魂の修正や成長をさせて頂ける場所。。。 なんて有り難い場所なんだ! まさに天国だ! 例え、辛く苦しいこと、試練や苦難があっても、 それは因果応報によって自分に返ってきている結果と考えれば、 それを齎しているのは過去の自分。。。 過去の自分の過ちや間違いを反省し、修正する機会として、 与えて頂いている今生という人生と地上という修行の場所。。。 そして、何が正しいかその全てを知っている良心。。。 天のお取り計らいを始め、自分とご縁のある方々、 修行の場である地上など、色々な存在のお陰様あっての 今の自分なんだよなぁ~。。。本当に有り難いことだなぁ~♬ 」などと、足るを知る心や感謝の心をもって、生かさせて頂けば、どのような場所でも天国に。。。「辛く苦しいことばかり。。。 試練や苦難ばかり。。。 どうして自分ばかりがこんな目に合うんだ! 折角の人生だから、自分のやりたいように、 好き放題に生きたいだけなのに邪魔されてばかり。。。 この場所や自分を取り巻いている人が悪いんだな。。。 苦労なんてしたくないし、頑張りたくもない。。。 努力もしたくない。。。もっと楽をして生きたいなぁ~。。。 楽をして、楽しめる場所、世界こそ、天国だよなぁ~。。。 こんな地獄のような場所はもう嫌だ!」などと、足るを知らない心で不平不満、愚痴、怒りを並べ立てている限りは、どの ような場所に行こうとも地獄に。。。天が私たちに地上という修行の場を与えて下さっているのは、魂の修正や成長をさせて頂く為だけではないと思うのです。地上で心を磨かせて頂き、より美しく光り輝けば、私たちの本質である魂が帰還したいと願っている天にある本当の天国へのチケットを手にする為のチャンスをお与え下さっている、ということでもあると思うのです。天にある天国が魂の居場所であるのに対し、地上という修行の場は、魂の乗り物である肉体を持つ私たち人間の、地にある天国なのだと思うのです。天にある天国に帰還させて頂く為に与えて頂いている地にある天国。。。地にある天国で生かさせて頂いている私たちだからこそ、天法の写しである 「何が正しいかその全てを知っている良心」に従って生かさせて頂いていれば天国になり、良心に背けば、生きながらの地獄になるのだと思うのです。地上という修業の場を、天国にするのも地獄にするのも自由。。。私たちの心のあり方次第。。。とはいえ、魂の修正や成長をさせて頂く為に地上という修業の場を与えて頂いている私たちの本質である魂は分かっていると思うのです。。。地上という修業の場が、天にある天国と真っ直ぐに繋がる地にある天国であることを。。。それ故に、私たちの魂は、「地上という修業の場=地にある天国」において、例え、辛く苦しくても、試練や苦難に遭遇しても、「良心に従う道=天に真っ直ぐ続く道」を歩んでほしいと、自分に願っていると思うのです。同じ地上という修業の場で生かさせて頂くのであれば、 「ここは地獄。。。」と思って、暗く、俯き、しかめっ 面で、後向き、否定的、消極的に生きて、不平不満、愚痴、怒りを並べ立てていては、せっかくの人生も楽しく過ごせず、幸せになれないと思うのです。反対に、 「ここは天国♬」と思って、明るく、元気に、笑顔で、前向き、肯定的、積極的に生かさせて頂いた方が、人生を楽しく、幸せに過ごすことができると思うのです。幸せになる為に生まれて来ている私たち。。。地にある天国を、わざわざ自分の心のあり方で、地獄に変える必要はないと思うのです。地にある天国に滞在できる期間は極僅か。。。だからこそ、地にある天国を満喫させて頂き、天にある天国に帰還させて頂きたいものですね。源光「足ることを知らない欲望に翻弄されると、 人生が、歪曲。。。良心を忘却して、 人は、偽りの目標に突き進み、 生きながら地獄に堕ちていくのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403040000/ 「愚者の楽園は、快楽に溢れ魅力的ですが、 誘われても決して入り込んではいけません。 本当の楽園は、身を律した世界の中にあるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201601170000/ 「天に従うものは栄え、天に逆らう者は亡ぶのです。 良心こそ天の光です。あなたの生きる指針です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201508240000/ 「幸せとは、暖かく、愛にあふれた大家族を持つことです。 世界中の人が、掛け替えのない家族であるならば、 イデオロギーも宗教も不要です。 そのままで天国だからです。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201502110000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201502110001/「汝の人生は、汝のものである。 大空を羽ばたくも、籠の鳥となるも 自由に選択することができる。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201109270000/「人は思い通りの人間になれます。 天はそのように人間を創ったのです。 あなたは、自分をどんな人間だと思っているでしょうか。 今の自分は、あなたの思いの通りの自分ですよ。 自分のことをどのように信じるかで、 自分も人生も変わってきます。 人生を変えるのは自分自身。。 置かれている環境でも人の評価でもありません。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312050002/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312050003/「自分は生きているのではなく、 「生かされている」という事実に気づきましょう。 本当の幸せは、あなたの心の中にあるのです。 幸せを追いかける人はいつまでも幸せになれず、 今、呼吸をしている幸せに気づく人が、 本当に幸せになれるのです。 まずは、生かされていることに感謝しましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401020002/「不安、不自由、不足や不満の種は尽きませんが、 恵まれていることは忘れていませんか? 心が不安や不満でいっぱいになったら、 不平不満、不安,不自由から心を放して、 恵まれていることに感謝しましょう。 そうすれば、あなたを悩ませている問題は、 霧がはれるように少しずつ消えていきます。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312210001/「あなたの人生のすべての出来事には意味があり、 生きていくこととは、その意味を理解することです。 理解が及ばないと不本意な人生に。。 理解が及べば潤沢で楽しい人生となっていくのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408290000/「もしあなたが、不運な状態にあるのなら、 それはあなたがそうなるように仕向けた結果です。 あなたが幸運に恵まれているのなら、 それもあなたがそうなるように仕向けた結果です。 天は、全てを知っていますから、 自らを律して、良心に恥じない自分であり続けましょう。 開運の鍵はあなたの目の前にあります。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201305020000/「良いことも、悪いことも 現在、あなたがその状態を保持する努力をしない限り、 永久に続くことはなく、たえず変化していきます。 良いことが続くとき。。 あるいは悪いことが続くとき。。 自分で、その状態を保持しようと、 知らず知らず自分自身が、努力しているわけです。 日々、明るく生きることですよ。。 冗談を言って笑いあうことですよ。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201310270000/「自分の心の動きを注意しましょう。 幸運も不幸も全て心の中にあるのです。 愛で満たされているときに幸運の鍵を探してみましょう。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201208150000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.04.12
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「同じ痛みを分かち合った人でなければ 本当の助言はできないのです。 病気に限らず人生の荒波を乗り越えてきた 経験豊富な人の体験は生きる希望の光となるのです。」「貧困を知らずして、人生を語るなかれ。 社会の底辺を知らずして、経済を語るなかれ。 イジメを知らずして、教育を語るなかれ。 家族縁に苦しまずして、家族を語るなかれ 親、子供に泣かされずして、親子を語るなかれ。 失恋をせずして、恋愛を語るなかれ。 心身を病まずして、病苦を語るなかれ。」病気になったからこそ分かること。。。色々あると思うのです。 健康の有難さ、大切さ。。。 食習慣の大切さ。。。 生活習慣の大切さ。。。 病人の気持ち。。。 病人の望み。。。想い。。。 肉体的苦痛。。。 精神的苦痛、苦悩、悲しみ、怒り。。。 焦り。。。恐れ。。。葛藤。。。孤独感。。。 死とは。。。 今までの人生を振り返る。。。などなど。。。病気をされたことのない方が、病気のことや病人の気持ちを分かったようなおつもりになって、無神経に何かをお語りになられたり、病人の立場になっていない助言をしたり、同情の言葉をかけることがあると思うのです。そのような言葉は、その方と同じように病気をされたことのない方のお心には響いても、病気をされている方や病気を克服された方にとっては、説得力のない、心ない言葉故に、お心には響かないと思うのです。 (同じ言葉をおかけ下さるのでも、 相手のお気持ちや病状を察し、 相手の立場になった気遣いのある言葉は、 心ある言葉故に、その優しい心、愛のある心が、 相手のお心の癒しに繋がると思うのです。)今、病気をされている方には、病気を克服された方々や、長期に渡り病んでいる方々の、病中の様々な経験によって育まれた心のあり方やものごとの見方の変遷などの体験談こそ、重みがあり、説得力があり、人間味があり、心に響くのだと思うのです。見方を変えさせて頂くと、病気という荒波を乗り越えてきた方や、今なお荒波の中にいながら、その荒波を乗り越えようとしている方が、ご本人様の心身の苦痛、苦悩や、心のあり方やものごとの見方の変遷など、ご自身の体験談を人様の為にお話をされるのは、その体験談をお話しさせて頂くことを通じて、人様の心に一筋の希望の光を灯させて頂くという光の天使としてのお役目があるからこそ、自ら病気という経験をさせて頂いていた。。。もしくは、病気の経験を活かさせて頂いている、ということでもあると思うのです。そのように捉えさせて頂くと、自分の病気の原因こそは、自分の心のあり方や生活習慣、過去生における業などにあるとしても、その病気を克服するまでの心身の変化や、その病気と向かい合って生きていく生き方などを「人様の為」にお話させて頂いていても、それは「人様の為」だけではなく、実は「自分の為」にもなっているのだと思うのです。 (「自分の為」。。。その味方も色々あると思うのです。 業の解消の為だったり。。。天命を果たす為だったり。。。 とはいえ、「自分の為」という結果を齎すのは、 「自分の体験が人様のお役に立つのであれば。。。」 「自分の体験を話すことで人様の心が癒されるのであれば。。。」 という人様を思い遣る優しく愛のある心があるからこそ、 だと思うのです。 「結果的に自分の為になるのであれば、 人様の為になることもしよう。」 という心のあり方では、人様の為と言いながら、 その実態は、「自分の為に人様を利用している」という、 自分のことしか考えていない利己心でしかないと思うのです。 せっかく「人様の為」に何かをさせて頂くのであれば、 純粋に「人様の為」を想ってさせて頂く事が大切だと思うのです。) だからこそ、自分が病気になったときは、 「自分の心身が病むということは、 心身が病むような心のあり方や生き方を してきたということ。。。 この病気になった原因は何なのだろう。。。 食習慣? 生活習慣? 心のあり方? 言葉遣い?(言霊) 利己心? 過去の業? 良く考えてみよう。 」 「全ては因果応報。。。 原因が食習慣であれば、心身に良い食習慣にしよう! 原因が生活習慣であれば、心身に優しい生活習慣にしよう! 原因が心のあり方であれば、反省すべきを素直に反省し、 自らを律しながら、心を入れ替えていこう! 原因が言葉遣いであれば、綺麗な言葉を遣おう! 原因が利己心であれば、人様を思い遣ることに重きを置こう! 原因が過去の業と言われても良く分からないから、 人としてあるべき正しい心を大切にして、 良心に従って生きていこう!」 「病気が回復したら(克服したら)、 この自分の経験がどなた様かのお役に立つかもしれない。 身体に優しい食習慣の大切さ。。。 心身の健全を保つ生活習慣。。。 心のあり方。。。 綺麗な言葉遣い。。。 利己心ではなく利他心。。。 善意による善行。。。 などをお伝えしていこう。 こういう自分になれたのも、自分を助け、支え、 元気づけて下さった方々のお陰様。。。 その方々への恩返しのつもりで、 自分にできることをさせて頂こう!」 「多くの学びや気付きの為に、 病気という心身の苦痛、苦悩の経験を 与えて頂いたことに感謝!」などのような心持ちで過ごさせて頂くと良いのだと思うのです。 (私自身が病気になったときに思ったことです。)病気だけでなく、貧困、イジメ、人間関係、親子関係、恋愛などについても、同じだと思うのです。自分が経験させて頂いた痛みは、同じ痛みで苦しんでいる方の心を支えたり、癒す為に活かさせて頂けば良いと思うのです。「痛み」を共有させて頂くことで、同じ痛みに苦しんでいる人様の心が癒されるだけでなく、自分の過去の痛みも更に和らぐと思うのです。同じ痛みに苦しんでいる人様が、心が癒されたことで、笑顔になり、喜んで下さったら、その様子を見た自分も喜び一入だと思うのです。自分一人で生かさせて頂いているわけではない私たち。。。「痛み」も「喜び」も分かち合って生きたいものですね。とはいえ、人様の「痛み」というものは、自分自身も同じような「痛み」、似たような「痛み」を経験していなければ分からないもの。。。相手のことを分かったつもりになって、無神経に余計なことを話したり、助言をしたり、同情しているかのような優しい言葉をかけても、その相手や相手のことを分かっている人様からすれば、 「何も分かってないくせに良く言えるなぁ。。。」 「善人ぶって助言しているつもりだろうけど、 そういう自分を演じて自己満足したいんだろうなぁ。。。」 「言葉が優しくても、心に優しさがないなぁ。。。」などと受け留められてしまうこともあると思うのです。それ故に、自分が経験していない「痛み」はその「痛み」に苦悩している人様と共有させて頂くことはできないと思うのですが、そこは心ある人間同士。。。自分を頼って下さるのであれば。。。それが相手の為になるのであれば。。。ただ相手の「痛み」の苦悩のお話を聞かせて頂き、側に居させて頂くだけでも良いのだと思うのです。 (頼って頂けることは有り難いことだと思うのですが、 相手の依頼心が強くなり、頼り癖がついてしまっては、 相手の為にならない、ということもあると思うのです。 そういう時は、頼り癖がつかないように、 少しづつ距離を取らせて頂くことも大切だと思うのです。)源光「世の中に理不尽なことは尽きません。 なぜならば、地上は、あらゆる魂の階層の人が、 一同に介して修行をしている場所だからです。 腹を立てるだけ損だと思って、怒りをおさめましょう。 勉強代だと思って相手を許し、不甲斐ない自分も許してあげましょう。 必ず勉強代が活きるのです。 逆境や苦難の多い人は光の天使。 どうぞ苦い経験を活かして世の中を明るくして下さいね。 そのために生まれてきたのですから。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311240000/「天命を持って生まれてきた人は、 苦難を自ら背負って生まれ出るものです。 苦難から光り輝くものを見つけ出さなければなりません。 そしてその経験を世に伝え、苦しむ人々を救わなければなりません。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209280000/「病気をしなければ健康の有難さは分からず、 失敗しなければ、自分のいたらなさは分からず、 痛い目に合わなければ人さまの痛みを感じる事ができません。 人は試練を通して成長していきます。 天は、偉大なる魂に、大いなる試練を与えます。 感謝しなければなりません。そして天命を果たしてください。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201203080000/「なぜ自分だけが、こんなに苦しまなければならないのか? と思わないことです。 試練は、その人が魂の向上のために、 自ら人生の途中に仕掛けておいたもの。 試練の傾向が同じです。 自分のメニューですから、当然、クリア出来るのです。 よく反省し、より良く生きようとするなら、 苦しんだり、悩んだりすることは、当然のことです。 これを乗り越えた時、大いなる安らぎの光に包まれます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312170003/「地上は修行の場ですから、思うに任せぬ事も多いのです。 だからこそ成長できることを喜ばなければなりません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210290000/「脱皮の出来ない蛇は生きる事ができません。 人間は試練によって、罪を知り悔い改めて行くことができる 素晴らしい特性を持って生まれてきたのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201203170000/「意味もなく生まれてきた人はいないのです。 自分自身の、そして他の人々の人生に意味を見いだしましょう。 あなたの人生はあなたのもの。。(一部抜粋)」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312310000/「相談する人が求めているのは、 的確なアドバイスではなく、 真剣に聞いてくれることです。 答えは本人が最初から知っているのです。 ただそれを引き出してあげること。。。 真剣に聞いてあげましょう。 その人の潜在意識が解決策を語り出します。 後は指導の存在の意見を聞いて調整をするだけです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201501040000/「相談者の心を傷付けるような、酷いことを言わない。 心のケアとアドバイスを天命と知っている人には 正しい後の方が指導していますから、 大丈夫なのですが、ほとんどいません。 お祓いよりお笑い、が正解だと思いますよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201211040000/「喜びは分かち合うことによって倍になり、 悲しみは分かち合うことによって半分になるのです。」 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201601090000/「人は、分かち合えれば、悲しみは半分に、 喜びは二倍になるのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201206180000/「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きましょう。 それが人というものですから。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201204290000/「あなたが扱われたいように、他人を扱いなさい。 汝が隣人からされたくないことを隣人に行ってはならない。 隣人を自分自身として見ることで、 人は正しい基準を得ることが出来る。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201107150001/「天は人間に言葉を与えました。 言葉は、触れ合う人を喜ばせることも、 生きる勇気を与えることも、できますが、 辛い思いをさせることも、哀しませることもできます。 誤解されそうなことは、先に話しておきましょう。 言う必要もなく、相手を不快にさせるだけの事なら、 黙っていましょう。 人の悩みに耳を傾けましょう。。 どのような人とも心と心で言葉を通じ合わせましょう。 辛い時も哀しい時も、愛の人でありましょう。 心温まる言葉を話す人でありましょう。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311040000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311050000/「あなたがそこに居ることで 救われる人がいるのなら あなたは、そこに居るべきなのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201603250000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.04.11
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「自分以外は皆我が師。 自分もまた我が師。」私たちは、一人一人が個性溢れる存在で、 生まれた日や生まれた場所、容姿や年齢、性格、育ってきた環境、培ってきた様々な経験、感性、特技、能力、ものごとの見方や捉え方、考え方、生き方、趣味、嗜好、好きなもの、嫌いなもの、得意なもの、苦手なもの、ものごとに対する価値観、魂のレベルなど、様々な点において、十人十色、千差万別で、共通している点といえば、「心ある人間同士」ということくらいだと思うのです。表現を変えさせて頂くと、自分以外の人様という存在は、 自分とは異なる環境で様々な経験をしている。。。 自分とは異なる感性や特技、能力を持っている。。。 自分とは異なるものごとの見方や捉え方、考え方、生き方をしている。。。 自分とは異なる趣味、嗜好をもっている。。。 自分とは異なるものごとに対する価値観がある。。。etcと思うのです。総じて、 自分にないものをお持ちでいらっしゃる。。。それが自分以外の人様、という存在だと思うのです。その人様がどのような方であったとしても、 自分にないものをお持ちでいること。。。 自分が経験したことのないことを経験されていること。。。には変わりはないこ とを考えれば、自分以外の人様からは、様々なことを学ばせて頂ける面がある、ということでもあると思うのです。それ故に、 「自分以外の人様は、皆自分の師」なのだと思うのです。しかしながら、 「自分以外の人様は、皆自分の師」という広く大きな視点で見させて頂くことができる度量が、自分に備わっているかどうかは別だと思うのです。自分勝手な自分基準によるものごとの見方で、 「この人は、自分より凄い方だ!」などと勝手に仰いだり。。。 「この人は、自分よりレベルが低い人だ。」などと見下したり。。。「自分以外の人様は、皆自分の師」であるにもかかわらず、自分の価値観で人様を選り好みをして、自分の価値観に合わない人様は師としない。。。そういう狭く小さな器では、自らの成長を自ら妨げてしまっているようなものだと思うのです。 (そういう狭く小さな器だからこそ、 「自分の価値観に合わない人様は師としない」 という心のあり方、ものごとの見方になるのだと思うのです。)同じ師でも、教え導いて下さる方だけが「師」ではないと思うのです。正しき道へ導いて下さる「導師」もいらしゃれば。。。「こうなってはいけない」というお手本になって下さる「反面教師」もいらっしゃる。。。世の多くは、前者を「師」とすることが多いものですが、後者の方のその言動や振る舞いから 「こうなってはいけない」ということを学び、気付かせて頂いていることを考えれば、「師」であることに変わりはないと思うのです。 (前者を「師」とする場合、「師」の導きに従うばかりで、 自分では何も考えていない、ということがあると思うのです。 それは追従しているだけで、自分の人生を歩んでいないが故に、 本当の意味で「師」を「師」足らしめていないと思うのです。 その結果、本当は「反面教師」であるにもかかわらず、 「導師」として仰いでしまうこともあれば、 逆に、「導師」を「反面教師」として見てしまう、 ということもあると思うのです。)中には、 「自分は自分、人様は人様。。。 だから人様から学ばせて頂く事など何もない!」などと仰られる方もいるものですが、自分一人で生かさせて頂いているわけではない私たち。。。確かに、自分は自分、人様は人様だと思うのですが、多くの人様とご縁を頂き、関わり合いながら生かさせて頂いていることを考えれば、自分ではそのつもりは無くても、多かれ少なかれ、良くも良くなくも、自分以外の人様の影響を受けていると思うのです。それにもかかわらず、 「人様から学ばせて頂く事など何もない!」という考えに至るということは、そういう考え方になるような心のあり方をされている方の影響を知らず知らずの内に受けてしまっている。。。ということにご自身で気付いていないだけなのだと思うのです。 「自分以外の人様は、皆自分の師」。 。。「導師」なのか。。。「反面教師」なのか。。。「師」としての存在のあり方が違うだけで、私たちの「師」という言葉に対する見方を広く大きくさせて頂けば、 「自分以外の人様は、皆自分の師」になると思うのです。不完全な私たちの自分勝手な価値基準で 「この人様には関心がある」 「この人様には関心がない」などとするのではなく、 「この人様からは何を学ばせて頂けるのだろう♬」という謙虚な心で、どなた様に対しても、好奇心、探究心を持って接することができる自分を育ませて頂きたいものですね。また、私たちは、それを覚えていようといまいと、輪廻転生を繰り返させて頂いている存在だと思うのです。「今」を生かさせて頂いている自分という存在。。。それは、様々な時代に、様々な環境で、様々な経験をさせて頂きながら生き通してきた過去生の自分あってこその自分だと思うのです。過去生の自分無くして、今の自分は無し。。。過去生では色々なことがあったと思うのです。 善行をして徳を積ませて頂いた。。。 悪行をして業を積んだ。。。 良心に従ってきた。。。 良心に背いてきた。。。 特技や能力を育んできた。。。 特技や能力を人様のお役に立つことに活かしてきた。。。 特技や能力を使って、悪事を働いた。。。などなど。。。その経験の1つ1つが、魂の修正や成長を促すものであろうと、逆に、修正すべき点を増やすものであろうと、それらが糧となって今の自分になっていると思うのです。その糧は、自分では気づいていなくても、今生の自分の人生で、知らず知らずの内に、活かされていることがあると思うのです。 「特に勉強したわけでもないのに、 なぜか良くわかるなぁ。。。 何か、昔から知っていたような。。。 頭にもどんどん入ってくるし、楽しいなぁ~♫」 「ん? 何かこのシチュエーションは どこかで似たような経験をしたような気がするなぁ。。。 その時、選択を誤って失敗したり、間違ったような。。。 ってことは、今回は同じような選択をしないように 気を付けよう♫」などと感じる時があるものですが、そういうときは、過去生の自分の経験が、今生の自分に良い形で影響しているのだと思うのです。自分の過去生における成功も失敗も、それらを今生の自分の人生において、 「師」として活かさせて頂けば、過去の経験は「宝物」に。。。 「師」として活かすことができなければ、過去の経験は「ゴミ」に。。。なってしまうと思うのです。それがどのような経験であろうと、過去生の経験であろうと、今生の経験であろうと、自分しか経験させて頂く事ができない自分だけの貴重な経験であることを考えれば、私たちの魂は、どんな経験をも「ゴミ」にすることなく、「宝物」にしたい、と思っていると思うのです。だからこそ、過去に生きてきた自分をも「師」にして、生かさせて頂きたいものですね。源光「人を信じるのです。 そして、その何倍も自分を信じてください。 自分ほど頼りになる存在はこの世にいないからです。」(ラクシュミーさん)「なにが苦しいといって、 自分自身を否定しているのが一番苦しくて辛いのです。。 自分だけは、誰がなんと言おうと自分の味方です。 自分を誰よりも好きになってください!! 成功者は、例外なく自分大好き人間ばかりですよ。。 苦境の時、自分ほど頼りになる存在はありません。 指導の存在から命の水を頂ける人は、 最後まで自分で自分を見捨てなかった人なのです。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201502080000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201502080001/「人は関わる相手や環境によって、良くも悪くもなるのです。 優れた師の周りには良い環境が備わっているもの。。。 人は師次第でどうにでも変わるのです。運命も。。。。。」(ラクシュミーさん)「あなたには、身近に感化される人がいますか? それは、妻や夫であったり、理解者であったり、 上司、指導者、師匠だったり、ライバルだったり、 部下・弟子であったり反面教師だったり。。。 人は感化される人に知らず知らずに引っ張られて 自分の望む人に近づいていくのです。 嫌な人に感化されているから その嫌な人と同じようなつまらない人生になっているのですよ。」(ラクシュミー さん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201503030000/「汝は師の言動を、真似ることだ。 真似て真似て真似抜けば、 いつの日か汝の内面からほとばしる叡智が、 汝を高い境地に引き上げてくれるであろう。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201109170000/「偉大な導師は、決してズバリとは教えません。 ただ道を示すだけです。 自分で見つけだすプロセスに意味があるからです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201404290000/ 「人は過去世の自分と職業、趣味趣向、性格、思考、 異性の好み、失敗の傾向、顔形までソックリです。 時代 、場所が違うだけで同じ魂ですから当然のこと。。。 人は生き通し。。。決して死なない存在です。 誰も見ていなくても心正しく良心に恥じない自分でありましょう。 因果応報の法則は紛れも無い事実なのですから。。。」「肉体は滅んでも、魂は、決して滅びません。生き通しです。 時代も場所も違っても、同じ心と趣味趣向を承継していきます。 人は自分の魂が喜ぶものをトコトン探求し続けるのが一番幸せなのです。。。」「誰もが生き通しなのです。 時代も場所も違っても性格は全く同じです。 しかしそれを実感として知っている人はほとんどいないのです。 それでも人はなぜか魅かれる国や装束があるものです。」(ラクシュミーさん)「運命は自分で切り開くことができますが、 性格、趣味趣向、癖、好きな勉強や仕事のジャンルは、 いつの時代もまったく変わらないので、 どの人も行動パターン、失敗の傾向は同じです。 いいところは伸ばし、悪いところは修正。。。それでいいのです。」(ラクシュミーさん)「人は誰でも、過去の生があり、今の自分があります。。 時代も空間も超えて今の生があるわけです。。 しかし性格、長所、短所、癖、趣味趣向、職業。。。全て同じ。。。 魂の鍛錬は、今日も続きます。あなたも例外ではありません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201507210000/「誰でも、子供の頃から、なぜか特に勉強したわけでもないのに 他人より上手くできるものがあるはずです。 過去の自分が学んだ宝を、活かすことを心掛けてください。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312280000/ 「天は個性をとても大切にしています。 天職は、その人が、輪廻転生で探求し続けてきた 道や技を活かせる職ということ。 個性を活かして、触れ合う人達と協力しあって、 世の中を幸せのお花畑にしていきましょう。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201305230000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.04.10
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「誰かがあなたの不幸になることを祈っているとき、 怒り狂って、復讐を考えたりして その人に力を与えるのは愚かなことです。 笑い飛ばすことです。 そうすれば不幸は、全部相手に還っていきます。 ちょっと可哀想なのですがそれも相手の修行。。。 やむを得ません。」どなた様かが自分が不幸になることを祈っている。。。相手にせずに勝手に祈らせておけば良いと思うのです。人様の不幸を祈る。。。人様の不幸を喜ぶ。。。人様が不幸になるような嫌がらせをする。。。理不尽なことをして人様を貶めようとする。。。そのようなことをしているその時こそは、相手がムキになったり、悩んだり、苦しんだりしている様子を見て、楽しさや喜びを感じる。。。心ある人として、とてもお気の毒な方だと思うのです。そういう方に限って、自分が人様にしていることを人様からされると、自分が人様にしていることは棚に上げて、過剰にムキになったり、怒ったりすると思うのです。自分がされて嬉しくないことを人様にはしておきながら、それを人様にされるとムキになって怒る。。。そういう理不尽な自分に気付けないからこそ、人様にも理不尽なことができるのだと思うのですが、結局のところ、因果応報の法則で、自ら生み出した「人様の不幸を祈る」想念は、「自分で自分を不幸にする祈り」として、「人様を不幸にしようとする」言動は、「自分で自分を不幸にする」言動として、自分に返ってくることになり、自分で自分を貶め、苦しめるだけだと思うのです。だからこそ、そのような相手の挑発に乗ることなく、 「言いたい奴には言わせておこう。」 「あ~あ。。。あんな祈りはしない方が良いのに。。。 あ~あ。。。あんな言動しない方が良いのに。。。 全部、自分に返るだけなのに。。。お気の毒だなぁ。。。 大変なことになりませんように。。。 そして幸せになりますように。。。」くらいの大きな心で相手にせず、笑い飛ばして、放っておけば良いと思うのです。とはいえ、実際にそういう境遇に遭遇してしまうと、なかなかそういう対応ができない。。。やりかえしたい! 復讐したい!ということもあると思うのです。そのような時は、まずは冷静さを取り戻させて頂くことが何よりも大切だと思うのです。冷静さを取り戻したら、 挑発に乗ってやりかえしたらどうなるのか。。。 挑発に乗って復讐したらどうなるのか。。。を良く考えさせて頂くと良いと思うのです。相手は、自分がされて嬉しくないことを人様にはしておきながら、それを人様にされるとムキになって怒るような人。。。相手にするとかえって厄介なことになるのではないか。。。相手にする価値があるのか。。。相手にする時間は勿体なくないか。。。などなど、冷静に考えるべきだと思うのです。ことの発端は相手にあるとはいえ、やりかえされたり、復讐されたり、反発されれば、相手は黙っていないと思うのです。 (もし、当初から黙っていられるような方であれば、 ことの発端になるようなことはないと思うのです。)黙っていないということは、更に相手から理不尽な仕打ちや嫌がらせを受ける、ということになると思うのです。それに腹を立てたり、目くじらを立てて、相手を非難したり、攻撃したり、やりかえしたり、復讐したり、反発しても、またやり返されるだけだと思うのです。それでは、同じ応酬の繰り返しで、いつまでたっても埒が明かないと思うのです。いつまでたっても埒が明かないようなことに、自分の大切な時間を費やし続けて、時間を無駄にしても仕方ないと思うのです。更に、その間、いつも苛立ちや不平不満、怒りなどを感じながら過ごしていても、楽しくも、面白くもないと思うのです。そればかりか、そのような生き方をしていたら、自分で自分を貶めてしまうだけだと思うのです。相手からの理不尽な仕打ちに対してムキになったり、相手の挑発に乗ることによって、自分の感情が左右され、自分でも思いもよらないような言動をしてしまうなど、自分で自分を貶めてしまいかねないのであれば、相手の低い土俵に乗ることのないように、こちらが大人になって、物事に動じない毅然とした態度をもって、相手からの仕打ちや挑発をかわす努力をさせて頂けば良いと思うのです。見方を変えさせて頂けば、理不尽な仕打ちやつまらない挑発をかわす術を学ばせて頂く為の貴重な機会を相手が与えて下さった、と捉えさせて頂くこともできると思うのです。 (はたまた、理不尽な仕打ちやつまらない挑発に 乗るか乗らないかのお試し、ということもあると思うのです。)相手の方は、理不尽な仕打ちやつまらない挑発をするという自分で自分を貶めてしまうようなことを、わざわざ、私が成長させて頂く為にして下さったんだ!と捉えさせて頂くと、むしろ、感謝させて頂くべきだと思うのです。「人様に理不尽な仕打ちをする」、「人様につまらない挑発をする」という種を蒔いた以上は、何れ、「人様から理不尽な仕打ちをされる」「人様からつまらない挑発をされる」という因果応報の結果を自ら刈り取らねばならなくなると思うのです。それと同じことを自分が相手に返すということは、自分も「人様に理不尽な仕打ちをする」、「人様につまらない挑発をする」、という種を蒔いているということになってしまうと思うのです。そのようなことになってから後悔しても遅いと思うのです。だからこそ、理不尽な仕打ちやつまらない挑発をされた時は、 「これは自分の魂の修正や成長の為に与えて頂いた 【ひっかけ問題】だな♪ 引っかからないようにしなきゃ!」と受け留めさせて頂き、「理不尽な仕打ち」「つまらない挑発」という【ひっかけ】に乗ってしまうことのないように、良心を心の友にして、平常心と客観的視点をもって、相手を逆上させないような、はたまた、相手に逆ギレされないようにするには、どのような冷静な対応をさせて頂けば良いか。。。などを考えていると、自分がされた理不尽な仕打ちのことなどは忘れてしまっていると思うのです。--------理不尽なことを人様にする方々は、それが理不尽なことであるかどうかをご本人様がお分かりであろうとなかろうと、「人が嫌がるようなことをしよう。」としていることに違いはないと思うのです。「人が嫌がるようなことをしよう。」という方々がしてくる理不尽なことに対して、その都度、こちらがムキになったり、怒ったり、不安や恐れを抱いたりしていては、相手の思う壺だと思うのです。理不尽なことをされたことに対して、ムキになれば、相手も更にムキになり、怒りで返せば、相手は更に怒りを露わにし、不安や恐れを抱けば、こちらの怯んだその姿に相手は喜びを覚え、更に不安や恐れを抱かせようとし、いつまでたっても埒が明かない鼬ごっこになるだけだと思うのです。相手にされた理不尽なことに何らかの反応をすることによって、当初された理不尽なこと以上に、より嫌な思いをすることになるのであれば、はじめから相手にしない方が賢明だと思うのです。時に、理不尽なことをされても相手にしない、という姿勢を取らせて頂いていても、その姿勢が高じて、相手が勝手にムキになり、「人様が嫌がるようなことをしよう。」という姿勢に拍車がかかり、執拗に理不尽なことをされ続けてしまう、ということもあると思うのです。それは、こちらの「相手にしない」という姿勢のとり方に、相手が不満を覚えてしまっているということだと思うのです。同じ「相手にしない」という姿勢でも、相手を小馬鹿にしたような態度で「相手にしない」とすれば、当然相手は不満を抱き、こちらをムキにさせようとして挑発してくると思うのです。ということは、「相手にしない」という姿勢をとらせて頂くときは、相手を挑発するような態度ではなく、相手が思いも寄らないような姿勢や、相手がこちらを相手にしたくなくなるような姿勢をとらせて頂けば良いのだと思うのです。その1つが「笑い飛ばす」だと思うのです。「人様が嫌がるようなことをしよう。」として、理不尽なことをしているにもかかわらず、「笑い飛ばす」ことで返されてしまうと、 「何だあいつ、笑ってやがる。気持ち悪ぃ。。。」 「あいつ、何されてるのかわかってんのか?」 「あいつ、何で笑ってられるんだ?怖ぇ~~。。。」 「あいつ、気持ち悪いから近づかない方が良さそうだな。。。」などということになると思うのです。時には、 「こんなことされても笑っていられるなんて、 あいつ、すげぇ~奴だな。。。」などと尊敬されてしまうこともあると思うのです。理不尽なことをされても、角を立てることなく、穏便に処置できるような大きな心を育ませて頂きたいものですね。源光「他人の幸福をうらやんではいけません。 なぜならあなたは、その人の密かな悲しみを知らないのですから。。 幸せそうに見えていてもそれは表面だけ。。 そういう人は多いものです。。 自分だけが不幸なのでも苦しんでいるのでもありません。 妬み、嫉み、怨み、ツラミ、復讐の心、不平不満、足ることを知らない欲望。。 自己中心的考え。。被害妄想。。これがあなたを苦しめている元凶です。 笑よく業を制す お祓いよりお笑い ですよ。。 」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406030000/「理不尽な仕打ちを受けて、 人を憎んだり、復讐したくなるような時もありますが、 決して復讐などしてはいけません。 復讐は、更なる復讐を生んで、際限なく苦しみが続きます。 自分で復讐などしなくても、そのような人は、 心の修正を求められて、自然な形で自分の行いの報いを受けるものです。 それが天法というものです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312220006/ 「あなたを陥れた人が、幸せそうに生きていたら、 「あゝ神も仏もいないのだな。。」と思うのも無理もありません。 しかしこれだけは言っておきましょう。 まだ悪の報いが熟さないあいだは、悪人でも幸運に遭うことがある。 しかし悪の報いが熟したときには、悪人はわざわいに遇うのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403030001/「理不尽はこの世的に通用しているように見えているだけですね。 全ては、お天道様が知っていますから。。大丈夫ですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210300000/「あなたが扱われたいように、他人を扱いなさい。 汝が隣人からされたくないことを隣人に行ってはならない。 隣人を自分自身として見ることで、 人は正しい基準を得ることが出来る。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201107150001/「理不尽な攻撃を受けている時に、 怒ったり、怖がったりしていると 相手を喜ばせ、ますます陰険な攻撃に拍車がかかります。 笑い飛ばして相手にしないのが一番です。 天は全てを知っていますから、 あなたに正義があるのならば、 頃合を見て必ず助けてくれます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312230001/「妬み、そねみ、恨み、ツラミ、 足ることを知らない欲望に翻弄されないことです。 相手は忘れてしまった事で、自分が、 いつまでも苦しんでいるのは本当につまらない事です。 相手を見返してやるなら、恨むより、 うんと幸せになってやる方がいいのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311190000/「身に降りかかってくる小さな火の粉は真正面からぶつかるのではなく、 ユーモアで、身をかわしたり、スッと受け流すことです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312180001/「戦いは戦いを生み、復讐は復讐を呼ぶ。 好意は好意を生み、善行は善行を招く。 愛は愛をもって巡回する。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201108030000/「一方的に理不尽な攻撃を受けている様に 感じるかも知れませんが、 人に辛くあたられるのは、 自分も優しく接していないからかもしれません。 まずは自分から親切にしてみましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312130004/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.04.09
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「どんなことがあっても他人様の厄介にならない!! と強い決意をして生きていても 人は一人では生きてはいけないのです。 どこで他人様のお世話になるかはわからないのです。 ですから生活に余裕のある時は、できる限り、人助けをしよう。。 これが大切な心構えなのです。」「人間、いろいろありますよ。 話を聞いたり、聞いて頂いたり。。。 それでいいのです。 完璧な人も、悩みのない人もいません。 あなたも私も同じです。」自分一人で生かさせて頂いているわけではない私たち。。。 「自分さえ良ければそれで良い。」 「自分の家族さえ良ければそれで良い。」という姿勢で生かさせて頂くのは自由だと思うのですが、それでは、いざという時に、日頃のそのような姿勢が祟って、どなた様にもご相談に乗って頂けなかったり、助けて頂けない、ということにもなりかねないと思うのです。 (表面的には、心ある人間同士、助け合い、支え合い、 分け合い、協力し合っていきましょう♪ としていても、 その本心は、「自分さえ良ければそれで良い」 「自分の家族さえ良ければそれで良い」という方も 思いのほか多いと思うのです。相手がどういう方かは、 しっかりと見極めさせて頂き、注意したいものですね。)私たちは、いつ、どこで、どのようなことが起こるかも分からない環境下で生かさせて頂いていると思うのです。突然、人様に相談をさせて頂かざるを得ないことが生じたり、人様に助けを求めざるを得ないことが生じることもあると思うのです。いつ、どこで、そのような状況に遭遇してしまうか分からない私たち故に、自分の人生が順調で良好な時こそ、お会いする人様に対して、謙虚な姿勢で、思い遣る心、お互い様の心をもって、見栄を張ることなく、体裁を取り繕うことなく、自分が無理なくできる範囲内のことを快くさせて頂くなどを通じて、日頃の感謝の気持ちをもって、ご恩に報いさせて頂くことが大切だと思うのです。同時に、相手がそのような状況に遭遇してしまった時は、自分に出来る範囲で相談に乗らさせて頂く気持ちがあることや、助けさせて頂く気持ちがあることをお伝えさせて頂くことも大切だと思うのです。 (口先ばかりでそのようなことをお伝えしても、 信用や信頼を失い、自分で自分の首を絞めるだけ故に、 本心にそのような気持ちがない場合は、 気安くお伝えすることは控えた方が良いと思うのです。)お会いする人様だけではなく、ふっ、と思い立った方などにも、お便りをさせて頂くなどの心配りをさせて頂くことも素敵なことだと思うのです。日頃から、そのような細やかな心配りをもって人様と接する機会を持たせて頂いていると、自分の人生が不調な時、つまり、人様に相談をさせて頂かざるを得ないことが生じた時や人様に助けを求めざるを得ないことが生じた時に、お会いさせて頂きたい旨や、ご相談させて頂きたい旨を、恥を忍びながらも、素直に頭を下げて、お願いさせて頂くことができると思うのです。 (相手がご相談に乗って下さらなかったとしても、 相手が助けて下さらなかったとしても、 相手の立場になってみれば、 「それは極自然なことだよなぁ~。。。 言い難いことにも関わらず、 ハッキリと仰って下さって逆に有難いなぁ~。。。」と 受け留めさせて頂くにとどめて、相手を恨んだり、 相手に対して不平、不満、怒りなどを 抱くことのないようにさせて頂きたいものですね。)時には、自分の人生が不調であることを察して下さった方から、お声掛け頂くという奇跡もあると思うのです。その位に、心と心が通じ合う人間関係を築かせて頂けるよう、自分の人生が順調で良好な時こそ、驕れることなく、そして、ご恩を仇で返すようなことのないよう、 「今の自分の人生が順調で良好なのは人様のお陰様♪」という気持ちをもって、人様のお役に立つことや人様にお喜び頂けるようなことを、日頃から積極的にさせて頂きたいものですね。-----どんなにか誠実な姿勢で努力をさせて頂いても、自分の力だけでは上手くいかない、ということもあると思うのです。それにもかかわらず、 「人様に頼ることを恥」 「人様に甘えることを恥」 「人様に頭を下げることを恥」などとして、意固地になって、更なる努力を続けようとしても、それまでと同じことしかできなければ、変化のない同じ結果を迎えるだけだと思うのです。そのような意固地な姿勢がかえって取り返しがつかないことを生み出してしまうこともあると思うのです。そのようなことにならないように、時には、人様に助言を求めさせて頂いたり、人様に頼り、甘えさせて頂くことも大切だと思うのです。人様に頼ること、人様に甘えることを通じて、人様に助けて頂けることの有難みや人様の優しさ、温かさに触れさせて頂くことが出来ると思うのです。それは、自分一人で生かさせて頂いているわけではないこと、いつもどなた様かのお陰様によって、生かさせて頂いていることを身をもって知ることにも繋がっていくのだと思うのです。見方を変えさせて頂くと、そのようなことを知り、学び、気付かせて頂く為に、人様に助けを求めざるを得ないような、人様に頼らざるを得ないような、人様に甘えざるを得ないような状況を天のお取り計らいによって与えて頂いた、ということでもあると思うのです。更に、助けを求められた側、頼られた側、甘えられた側にとっても、それ以前に、その方が人様に助けを求め、人様を頼り、人様に甘えさせて頂いたという有難い経験に対する恩返しをさせて頂くことができる貴重な機会にもなっているのだと思うのです。とはいえ、安易な道を歩みやすいことが多い私たち故に、頼ること、助けて頂くこと、甘えることに慣れてしまう、ということもあると思うのです。それではただ堕落してしまうだけだと思うのです。堕落してしまうことのないように、自分ですべきことは自分でやる、自分に出来ることは自分でやる、もう少しで出来そうなことは努力する、という自分自身を信じる、という姿勢を維持、継続させて頂くことが大切だと思うのです。その上で、自分の力だけではどうにもならない、という時は、礼儀礼節のある誠実な姿勢と、感謝の心をもって、人様に助けを求めさせて頂けば良いのだと思うのです。その一方で、人様に助けを求めているような自分であっても、自分とは異なる面で助けを必要としている方のお手伝いをさせて頂くことはできると思うのです。 (お手伝いをさせて頂けることは、 思いのほか多いと思うのです。)そういう方を見た時は、観て見ぬ振りをせず、時と場合によっては、こちらから声を掛けて差し上げたり、そっと手を差し伸べさせて頂くくらいの優しさをもって人様と触れ合わせて頂くことも大切だと思うのです。また、相手から助けを求められたり、頼られたり、甘えられたりした時は、相手の状況を良く把握させて頂きながら、自分に出来ることを、無理のない範囲でさせて頂けば良いと思うのです。もし、相手が要求、期待していることの全てをして差し上げることができることができる自分がいたとしても、相手が要求、期待することの全てをして差し上げることが、必ずしも相手の方にとって良いこととは限らないと思うのです。そういう時は、その時の相手の方が本当に必要としているであろうことについて、必要なだけ助けて差し上げ、あとは自助努力によって何とかできるよう、助言をさせて頂くなどをして様子を見させて頂くことも相手に対する思い遣りの一つでもあると思うのです。 (誠実な自助努力の姿勢が見えるにもかかわらず、 それでも上手くいかないようなときは、更に助けて差し上げたり、 助言をして差し上げれば良いのだと思うのです。)困っている人様のお役に立たせて頂けることは、思いのほか、至る所にあると思うのです。 「あのお年寄りの方(妊婦の方)、立っているのがお辛そうだ! 席を譲って差し上げよう♪。。。」 「道に迷っていらっしゃられるのかな? 何かお困りですか?」困っている方にとっては、小さな親切さえも有難いものになり、ちょっとした喜びや笑みを生み出すきっかけになることがあると思うのです。心ある人間同士、お互いがお互いを思い遣るお互い様の心をもって、助け合い、支え合い、分け合い、協力し合い、愛し合って生かさせて頂きたいものですね。「人は一人で生きて行くことはできません。 人は助け合う動物です。 ですから、努力してもどうにもならずに、 本当に困った時は人に助けて貰いましょう。 困っている人がいたらできる範囲で手を差し伸べましょう。。 ただ「借り」より、「貸し」が多い人生を心がけてください。 それだけであなたの人生は輝きます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312150000/「人生が順調な時に会う人にはいつも良くしておきましょう。 人生が不調の時に会うのも、また同じ人なのですから。。 」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401050003/「真心をもって人を助ければ、 必ず自分も人から助けられるのです。 嫌な思いを他人にさせれば、 必ず自分も人から嫌な思いを返されるのです。」 (ラクシュミーさん)「真心をもって人を助ければ、 必ず自分も人から助けられるのです。 人生のもっとも美しい行為への 天からのご褒美ということです。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408100000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408100001/「縁は円を描いて自分に帰ってきますから、 不義理をしてはいけませんね。」(ラクシュミーさん)「人を思いやることが、結局は自分に戻ってくることにつながります。 縁は円を描いて自分に還ってくるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210140000/「触れ合う人々を思い遣る心を習慣にしましょう。 自然な行いこそ、最大の美徳なのですから。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201212120000/「弱き者、懸命に生きている者を助けるのが、 汝の勤めであり、汝の幸せである。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201110020000/「汝、身体が丈夫ならば、杖にすがるとも人にすがるな。 心が丈夫ならば、人を助けよ。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201112090000/「人は、友愛の精神を持たなければなりません。 権利だけを手に入れようとしないことです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210010000/「あなたが扱われたいように、他人を扱いなさい。 汝が隣人からされたくないことを隣人に行ってはならない。 隣人を自分自身として見ることで、 人は正しい基準を得ることが出来る。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201107150001/「人は、もっと同期の地球人として、助け合う術を学ばなければなりません。 さもなくば天変地異が収まる事はないでしょう。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201206020000/「与える手は、どの手も美しいのです。 与えることは、自らを輝かせます。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201207050000/「人様の喜ぶ姿をイメージして無心に、奉仕して下さい。 それが限りなく天に通じる生き方ですから。。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209220000/「いつも奉仕する機会を探して生きていきましょう。 決して、その機会を見逃してはいけないのです。 自分から、その機会を作りましょう。 機会を待つのではなく、作らないといけません。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201205290000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.04.08
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「人の業はそれぞれですから、 苦難の只中で苦しんでいる人がいたとしても あなたは他人の責任をとる必要はありません。 愛と善意で接すればよいのです。」 業。。。 ・人間の身・口・意によって行われる善悪の行為。 ・ 前世の善悪の行為によって現世で受ける報い。 ・理性によって制御できない心の働き。 ※主に「悪の行為」の場合に使われる。という意だそうです。自分の業は、心(魂)を本質とする人としての自分の過去生や今生における誤った心のあり方から生じた言動の誤りや間違いということだと思うのです。表現を変えさせて頂くと、「何が正しいかその全てを知っている良心」に恥じる言動。。。自分に恥じる言動。。。をしているということだと思うのです。自分の心のあり方や言動から生じた業を正しく清算させて頂く為には、人としてあるべき正しい心で生かさせて頂くことが大切だと思うのです。人としてるべき正しい心で生かさせて頂く為の機会として与えて頂いているのが、今の私たちが生かさせて頂いてる地上という修業の場なのだと思うのです。人としてあるべき正しい心で生かさせて頂く、といっても、業を積んでしまうような私たち故に、どのような心のあり方で生かさせて頂けば良いのかが分からない。。。ということが多々あると思うのです。そのような業の深い私たちの為に、天は私たちが地上に生まれる時に、 「何が正しいかその全てを知っている良心」という天法の写しである心の羅針盤、心の道標を与えて下さっているのだと思うのです。良心に従って生かさせて頂くことは、人としてあるべき正しい心で生かさせて頂くこと。。。それまでの誤った心のあり方で生きることに慣れているからこそ業を積んでしまう私たちにとっては、誤った心のあり方を正す為に、良心に従って生きることは、辛さや苦しさを伴う容易なことではないと思うのです。 (容易なことではないからこそ、修行になり、 心が磨かれ、心のあり方が正され、業が精算され、 魂の修正や成長をさせて頂く琴ができる、 ということでもあると思うのです。)業を清算し、魂の修正や成長をさせて頂く為に、地上という修業の場と肉体、そして良心を与えて頂いている私たち。。。それぞれの人が同じように業があるとはいえ、その業の内容は人それぞれ千差万別だと思うのです。自分の業は、自ら生み出したもの故に、 自分の誤った心のあり方を良心に従って正す。。。 良心に従った言動をし、その言動に責任を持つ。。。 過去生から培ってきた特技や能力を、利他の心をもって、 人様のお役に立つことや人様にお喜び頂けることに活かす。。。ことを通じて、清算させて頂くことができるのだと思うのです。業を清算させて頂く為の方法論こそは、自分も人様も関係なく同じだと思うのですが、業の内容は人それぞれ故に、その業の清算の為に必要な試練、苦難という修行の境遇も人それぞれだと思うのです。自分の業は自分の業故に、自分で清算しなければならない。。。自分でしか清算することができない。。。自分の業を人様に変わって頂くことはできない。。。自分の業を人様が清算することはできない。。。人様の業は人様の業故に、人様が自ら清算しなければならない。。。人様ご本人しか清算することができない。。。人様の業を自分が変わることはできない。。。人様の業を自分が清算することはできない。。。そういうことだと思うのです。自分が試練や苦難に遭遇している時に、人様に助けを求めることもあれば、人様が助けてくれることもあると思うのですが、 助けを求める。。。という自分を甘やかす心のあり方や、 助けて頂く。。。という人様に頼るという依頼心に慣れてしまうと、せっかくの試練や苦難が修行にならず、業を清算することができないばかりか、魂の修正や成長をさせて頂くことが出来なくなってしまうと思うのです。良心に従って魂の修正や成長をさせて頂くこと。。。心正しく生かさせて頂き業を清算させて頂くこと。。。を目的として生まれてきた自分の魂にとって、それは不本意なことだと思うのです。だからこそ、自分一人の努力だけでは、もうどうにもならない、というところまでは、人様に助けを求めない。。。人様の善意で頂いた助けに甘んじることなく、自分で何とかしようと努力をさせて頂く。。。ことが大切だと思うのです。逆に人様が試練や苦難に遭遇している時に、自分に助けを求められることもあれば、自分が助けて差し上げたいと思うことがあると思うのです。助けを求められたからといって、その人様が求めていることやものを何でもして差し上げる、何でも与えることは、その人様にとってはとても助かることで、一見、とても親切な行いに見えるものですが、その実態は、その人様の業の清算や魂の修正や成長の為に与えられている試練や苦難の境遇を無駄にしてしまっている、ということもあると思うのです。天が、試練や苦難に苦しんでいる地上の人々を見ても、助けようとしないのは、 「そもそも試練や苦難は自分で自分に課したもの故に、 自分で乗り越えることができるもの。。。 助ける用意はあり、助けることは容易であるが、 容易に助けることは、修行を妨げることになる。。。 本当に助けが必要なときは助ける。。。」というご配慮によるものだと思うのです。人様から助けを求められたときは、天のご配慮と同じような心持ちで接することこそ、その人様を思い遣っていることになるのだと思うのです。例え、自分に助けを求めてきた人様に、 「これだけお願いしているのに、何にも助けてくれないのかよ!」 「話を聞くだけじゃなくて、助けてくれよ!」 「それでも友達かよ! もう友達じゃない!」などと言われたとしても、気にすることはないと思うのです。そう言うことを仰られる心のあり方だからこそ、厳しい試練や苦難を自ら設定し、遭遇している。。。そう言うことだと思うのです。もし、助けてくれない人様に対して、 「自分を助けたい、と思っていてくれているのが良く分かるよ。。。 嫌われるかもしれない、と思いつつも、 助けないことを選んでくれたのは、 自分のことを思ってくれているからこそ。。。なんだよね。。。 話を聞いてくれてありがとう! もう少し頑張ってみるよ!」と、相手の立場になってものごとを見ることができ、素直にそのように思うことができることを継続できるのであれば、その試練や苦難を乗り越えられる日は近いのだと思うのです。時には、人様が試練や苦難に遭遇している時に、それを乗り越えようと頑張っている姿や、耐え忍んでいる姿に同情して、 助けて差し上げたい。。。と思うこともあると思うのです。人様を思い遣る心から生まれる同情は、とても素敵なことだと思うのです。しかしながら、同情も過ぎると、自ら試練や苦難を乗り越えようと、人様に頼らず頑張り、耐え忍んでいるその人様の修行の邪魔をしている。。。ということにもなりかねないと思うのです。「助けて差し上げたい。。。」という思い遣りや親切心は、天も常にお持ち下さっていると思うのですが、天がそれをしないのは、 「そもそも試練や苦難は自分で自分に課したもの故に、 自分で乗り越えることができるもの。。。 助ける用意はあり、助けることは容易であるが、 容易に助けることは、修行を妨げることになる。。。 本当に助けが必要なときは助ける。。。」という私たちに対するご配慮があるからこそ。。。「助けることはできるけど助けない。。。」「助けたいけれど助けない。。。」そういうスタンスをとることによって、地上で試練や苦難という修行に立ち向かっている人々の辛さ、苦しみを共有して下さっている。。。ということでもあると思うのです。人様を「助けて差し上げたい。。。」と思った時は、天と同じように、ただただ見守らせて頂く。。。ただただ心から応援させて頂く。。。ことこそ、本当の思い遣りであり、親切心なのだと思うのです。何かを要求されているわけでもないのに、 何かをして差し上げたり、 何かを与えることは、自分の「助けて差し上げたい。。。」という思いを満たす為の自己満足的な押し付けがましい行いにもなりかねないと思うのです。助けは、必ずしも何かをして差し上げる、何かを与えることではなく、人様の魂の修正や成長を妨げたり、修行を邪魔しないように、配慮させて頂くことこそ、本当の助けなのだと思うのです。そのような中で、ただただ見守らせて頂き、ただただ心から応援させて頂く。。。というスタンスを続けさせて頂いていると、 「今こそ手を差し伸べる時!」 「今こそ〇〇を与えるべき時!」と直感的に感じる時もあると思うのです。それは、天が「今こそ助けるべき時期!」とご判断下さったその天の想いを自分を通じて代弁して下さっている、ということでもあると思うのです。そういう時は、助けを求めたくても求めずに頑張り、耐え忍んでいる人様の心情を察して、何らの見返りを求めることなく、無理なく自分にできる範囲で、黙って手を差し伸べて差し上げたり、黙って何かを与えて差し上げれば良いのだと思うのです。それは、試練や苦難に立ち向かって頑張り、耐え忍んできたその人様への天からのご褒美なのだと思うのです。それは同時に、「助けて差し上げたい」という思いを封印し、ただただ見守り、ただただ応援し続けることを通じて、「助けて差し上げたい」と思う人様の辛さ、苦しさを共有してきた自分に対するご褒美でもあると思うのです。「助けて差し上げたいと思う人」「助けを必要としている人」の両方が喜ぶご褒美の与え方。。。天のご配慮とは、そういう人知を超えたものなのだと思うのです。自分が助けを求める立場にあっても、自分が助けて差し上げたい立場にあっても、相手の立場になって、相手の魂の修正や成長の為には、何が最善なのかを考えさせて頂く。。。そういう広く大きな視野でものごとを見ることができる愛の心や善意をもって生かさせて頂きたいものですね。源光「人は一人で生きて行くことはできません。 人は助け合う動物です。 ですから、努力してもどうにもならずに 本当に困った時は人に助けて貰いましょう。 困っている人がいたらできる範囲で手を差し伸べましょう。。 ただ「借り」より、「貸し」が多い人生を心がけてください。 それだけであなたの人生は輝きます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312150000/「相談する人が求めているのは、 的確なアドバイスではなく、 真剣に聞いてくれることです。 答えは本人が最初から知っているのです。 ただそれを引き出してあげること。。。 真剣に聞いてあげましょう。 その人の潜在意識が解決策を語り出します。 後は指導の存在の意見を聞いて調整をするだけです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201501040000/「相談者の心を傷付けるような、酷いことを言わない。 心のケアとアドバイスを天命と知っている人には 正しい後の方が指導していますから、 大丈夫なのですが、ほとんどいません。 お祓いよりお笑い、が正解だと思いますよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201211040000/ 「触れ合う人々を思い遣る心を習慣にしましょう。 自然な行いこそ、最大の美徳なのですから。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201212120000/ 「真心をもって人を助ければ、 必ず自分も人から助けられるのです。 嫌な思いを他人にさせれば、 必ず自分も人から嫌な思いを返されるのです。」 (ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408100000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408100001/「あなたが扱われたいように、他人を扱いなさい。 汝が隣人からされたくないことを隣人に行ってはならない。 隣人を自分自身として見ることで、 人は正しい基準を得ることが出来る。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201107150001/ 「人は、分かち合えれば、悲しみは半分に、 喜びは二倍になるのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201206180000/「なぜ自分だけが、こんなに苦しまなければならないのか?と思わないことです。 試練は、その人が魂の向上のために、自ら人生の途中に仕掛けておいたもの。 試練の傾向が同じです。自分のメニューですから、当然、クリア出来るのです。 よく反省し、より良く生きようとするなら、苦しんだり、悩んだりすることは、当然のことです。 これを乗り越えた時、大いなる安らぎの光に包まれます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312170003/「あなたよりも遥かに大きな試練に打ち勝った人がいますよ。 人も自分と同じように苦しんでいることを知ると、 怒りや苦しみ、悲しみが和らぎます。 人に優しくし、安らかな気持ちを取り戻しましょう。 幸運、不運はコインの裏表に過ぎません。 不運は、心からの笑顔で、驚くほど簡単にひっくり返ります。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311250000/「苦しくても辛くとも、誰も恨めないのです。 身から出た錆ですから。。 誰でも業があります。。 業の修正は、大切な今世の修行ですから 悟るまで同じパターンの試練を繰り返します。 試練を笑い飛ばして生きていきましょう。 笑よく業を制す。 お祓いよりお笑いです。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201404180000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201404180001/「逆境が人を育てます。 真に知的な人は、他の人が知識として有しているだけのことを、 身体で体得しているのです。 日々使える知識。。。。。これが活きた学問です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403250000/「深い憂いのわかる人になりましょう。。 ニコニコしている方に限って、 過去、深い憂いを経験している人だということに気付きます。 笑顔が苦難を乗り越える最高最強のパワーであることを 体得されているわけです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201410120000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.04.07
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「何を笑いの対象にするか 何を怒りの対象とするかで その人の人格がわかるのです。 もちろん信用できる人も。」同じ「笑い」でも色々あると思うのです。愛嬌笑い。。。愛想笑い。。。作り笑い。。。薄笑い。。。苦笑い。。。嘲笑う。。。一笑に付す。。。似非笑う。。。笑いが止まらない。。。etcその場の状況に応じて体裁を取り繕う「笑い」。。。人様を小ばかにしたような「笑い」。。。人様の不幸、不運を喜ぶ「笑い」。。。心ある人として如何なものか。。。と思えるような「笑い」ですが、心に余裕が無くなったり、心が荒んでいると、知らず知らずのうちに、そういう「笑い」をしている、ということがあると思うのです。本当の「笑い」は、そういうものではないと思うのです。本当の「笑い」は、心が楽しさや喜び、嬉しさ、面白さなどを感じた時に心から生まれる(放たれる)素晴らしいエネルギーを、表情や声、身体を用いた態度などで具現化した最高の表現のことだと思うのです。本当の「笑い」から生まれる素晴らしいエネルギーで自分自身がいつも満たされていると、心身がいつも元気で生き生きとしてくると思うのです。そうすると、自然と意気軒昂になって、いつでも前向き、積極的、肯定的になり、何でも楽しくなり、自然と笑みがこぼれて素敵な笑顔が生まれると思うのです。更に、そのような本当の「笑い」は、人様の「笑い」をも誘い、人様をも元気にさせると思うのです。だからこそ、同じ「笑う 」でも、せっかく笑わせて頂くのであれば、本心から、心の底から、腹を抱えてしまうほどに笑いたいものですね。体裁を取り繕ったり、人様を小ばかにしたり、人様の不幸を喜ぶような「笑い」をするか否かは、人それぞれの自由だと思うのですが、そういう方に限って、ご自身が人様からそういう「笑い」の扱いを受けると、自分のことは棚に上げて怒りだすことが多いと思うのです。自分がされて嫌なことにも拘らず、人様にはそれをする。。。心ある人としての人格、品格が良く分かると思うのです。人様を小ばかにしたり、人様の不幸を喜ぶような方を信用できるかどうかも、人それぞれの自由だと思うのですが、信用できるとすれ ば、似た者同士(同じ穴の狢)故に、そういう方を信用する方の人格、品格も自ずと分かってくると思うのです。人様を小ばかにする「笑い」や、人様の不幸を喜ぶような「笑い」を好まない方は、そういうことを「笑い」にするような方を身の回りには置かないと思うのです。それは単純に、人として信用できないからだと思うのです。「笑い」に対する価値観が異なるだけでなく、人格、品格も異なり、周りにいる方のタイプも異なると思うのです。それが全てということはないと思うのですが、その方の周りにいる方を見れば、その方の人格、品格は、自ずと分かってくると思うのです。時には、自分がどんな「笑い」をしているのかを、冷静に、客観的に見てみると良いと思うのです。それによって、その時の自分の人格、品格を自ら知ることができると思うのです。魂の修正や成長をさせて頂く為に、修行をさせて頂いている身である私たちが、人様を小ばかにしたり、人様の不幸を喜び、それを「笑い」にする。。。天には、 「人様を傷つけ、苦しめ、悲しませる行い。。。」として映ると思うのです。折角、修行の場に生まれる機会を与えて頂いたにもかかわらず、 「人様を傷つけ、苦しめ、悲しませる行い。。。」をしてしまっては、修行になっていないどころか、業を積んでしまっているだけだと思うのです。人様を小ばかにしたり、人様 の不幸を喜び、それを「笑い」にする。。。全ては因果応報。。。自分が小ばかにされて笑われる。。。自分の不幸を喜ばれて笑われる。。。くらいで済むのであれば良いと思うのですが、 「人様を傷つけ、苦しめ、悲しませる行い。。。」は、その業の深さ故に、修行の場である地上においても、死後の魂の世界でも、自らの心無い行いによって、自分の「笑い」を失うことになるばかりか、笑うことができない状況に追い込まれていってしまうと思うのです。人様を小ばかにしたり、人様の不幸を喜び、それを「笑い」にする。。。とは、そういうものだと思うのです。だからこそ、そういうことをしてしまうことの無いように、自分の言動を自分で注視したい ものですね。「怒り」も同じようなものだと思うのです。自分に関係あろうとなかろうと、それが 正義に反する言動。。。 理不尽な言動。。。 良心無き言動。。。に怒りを覚える方もいれば。。。(利他心)日頃の自分の言動は棚に上げているにもかかわらず、いざ、自分に都合の悪いことを指摘されたり、注意されたり、質されたりすると、ムキになって怒る方がいるものですが、ムキになるということは、 指摘されたこと、 注意されたこと、 質されたこと、の内容が自分の姿であることを自分で認めているようなものだと思うのです。自分の非を認めない為の怒り。。。自分の保身・弁解の為の怒り。。。自分の体裁を保つための怒り。。。自分のことしか考えていないと思うのです。(利己心)また、多くの方と助け合ったり、支え合ったり、分け合ったり、協力し合ったり、協調すべきときに、自分の自由にならない、自分の思い通りにならないとして、 「自分は誰とも協力したくない」 「誰かの為に何かをするのは嫌だ」 「自分は自分で好き勝手にやる」などと怒る方もいるものですが、それは、 「自分さえ良ければそれで良い」という自分勝手、我儘でしかないと思うのです。(利己心)その姿勢を貫くのは自由だと思うのですが、そういう方に限って自分の言動を貫くことができずに、何か事があると、助けや分け前を求めてくる、という厚顔無恥な言動を平気でするものですね。(利己心)結局のところ、そういう方は、どのような言動をしても、 「自分さえ良ければそれで良い」という自分勝手で我儘であることに代わりはないと思うのです。(利己心)同じ「怒り」でも、人様のことを思い遣る利他心から生じたものなのか、自分のことしか考えていない利己心から生じたものか、によってだいぶ異なると思うのです。利他的であるか。。。利己的であるか。。。その様子がはっきりと分かる言動や態度、その方の周りにいる方を見ていれば、その方が信用できる方か否かや、その方の人格、品格などが、自ずと見えてくると思うのです。時には、自分が抱いてしまった「怒り」は、 何に対する怒りなのか。。。 利他心から生まれる怒りなのか。。。 利己心から生まれる怒りなのか。。。そしてその時の自分の周りにいる方々を冷静に、客観的に見てみると良いと思うのです。人様のことをああだこうだという前に、 自分で自分を観察させて頂く。。。 自分の周りに要る方々を観察させて頂く。。。ことを通じて、その時の自分の人格、品格を自ら知ることこそ大切だと思うのです。自分を知ることは、良心に従って、何をどのように正させて頂けば良いのかを知る良い機会になるのだと思うのです。そのようにして良心に従って生かさせて頂くと、心ある人として美しい人格や人様に信用して頂ける自分が育まれていくのだと思うのです。源光「人は、何を好ましく思うかということによって、 その人格のレベルを示すのです。 良心に、恥じるような行為でも、 ある人にとっては陰険に、 ある人にとっては、当たり前に、 またある人にとっては、むしろ好ましく思えるものです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407070000/「人は、心が荒んでくると、他人の不幸を喜ぶ以外に 楽しみが無くなってくるのです。 これが、どんどん不幸になっていく人の典型です。 人を喜ばせるのが大好き。。。 これが、どんどん幸せになっていく人の典型です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201410270000/「他人の不幸は蜜の味。 他人が不幸でなければ気がすまない。。 たまにこういう人もいますが、 これでは自分が不幸になるばかりです。 思考は全て自分に還ってきますから、 「あなたの喜ぶ姿が私の喜びです。。」 こういう思考で日々、明るく笑顔で生きていけば、 ドンドン幸せになっていくのです。。 」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406100000/「人の涙をもて遊んだり、人の悲しみをかえりみない。。。 これでは幸せから遠のくばかりです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405140000/「嫉妬心を捨てましょう。 嫉妬は、あなたの潜在意識が正しく機能するのを妨害して、 心身の不調、経済の不調を招きます。。 むしろ他人の繁栄を心から祝福するのです。 そうすれば、あなたも確実に幸運の鍵を手にすることができます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401050002/「人は、他に対し善を行っている時、 自らに対して最善を行っているのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201206140000/ (裏を変えさせて頂くと、 「人は、他に対し悪を行っているとき、 自らに対して最悪を行っているのです。」 ということだと思うのです。 人様の不幸を喜ぶなどは最悪な行い故に、 どんどん不幸になってしまうのだと思うのです。)【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.04.06
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「下界を少し離れてみましょう。。 雲海の下では、雨が降って鬱陶しいのですが 心を雲海の上に置くことが出来れば たとえ身は下界にあっても 日々、晴れ晴れとした心境で暮らせるのです。」「下界で何があろうと動じないことですよ。 心に天空の城を。。。 難攻不落の良心の城を構築しましょう。」魂の修正や成長をさせて頂く為に、下界(地上)という修業の場を与えて頂いている私たち。。。その下界で、私たちが正しい心で修業をさせて頂きながら、スムーズに魂の修正や成長をさせて頂くことができるように、天が与えて下さっているのが、 「何が正しいかその全てを知っている良心」だと思うのです。良心に素直に従って生かさせて頂いていれば、魂の修正や成長、業の清算が進むとはいえ、そこは下界という修業の場。。。修行が必要な原因である業を積み重ねたのは、何を隠そう自分自身。。。それ故に、良心に素直に従って生かさせて頂いていようと、否、良心に素直に従って生かさせて頂いているからこそ、下界では辛く苦しいことが多々あると思うのです。どんなにか辛く苦しいことがあっても、それらから決して逃げることなく、欲や誘惑、邪念に翻弄されて、大切なことから目を背けることのないよう、良心に素直に従うことを心の羅針盤とし、良心を心の友とすることで、決してぶれない、揺るぎない自分を確立する。。。自分に打ち克つ。。。そういう生き方を続けさせて頂いてこそ、本当の意味での魂の修正や成長に繋がるのだと思うのです。とはいえ、頭の中ではそれを理解していても、下界という修業の場ではなかなか容易ではないと思うのです。 (容易ではないからこそ修行になる、ということでもあると思うのです。)容易ではないと、どうしても現実から目を背けたり、欲や誘惑、邪念に翻弄されてしまいがちになるものですが、その流れに乗ってしまうと、良心に恥じる生き方になってしまいかねないと思うのです。それでは元も子もない。。。元の木阿弥。。。どころか、それまで良心に従ってきた努力が水の泡。。。棒に振ることになるばかりか、修正すべき点を増やしてしまいかねないと思うのです。私たちの魂にとっては不本意なことだと思うのです。そのような不本意なことにならないようにする為に、時には、下界という広いようで狭い修業の場における様々な境遇や現象から目や意識を逸らして、私たちの魂の故郷が浮かぶ広大な天を眺め、天に意識を飛ばさせて頂くと良いと思うのです。広大な天を眺め、意識を向けさせて頂くことによって、はたまた、天に自分の心や意識を置かせて頂くことによって、下界において、魂の修行の為に与えて頂いている様々な境遇や現象、悩み、考え事は、実は些細なこと。。。であることに、ふっと気付かせて頂けると思うのです。その時、私たちの心は救われ、晴れ晴れとした気持ちになっていると思うのです。心が救われ、晴れ晴れとするのは、天法の写しである「何が正しいかその全てを知っている良心」の生まれ故郷である天。。。そして、私たちの魂の故郷のある天に、目や意識を向けているからだと思うのです。目や意識こそ天に向けていても、魂の乗り物である肉体は下界(地上)にあるまま。。。それにもかかわらず、目や意識を天に向けるだけで、心が救われ、晴れ晴れとするのは、私たちの本質が「心(魂)」だからだと思うのです。魂の修正や成長の為に与えて頂いている修行の場である下界(地上)に身を置かせて頂きながらも、私たちの本質である「心(魂)」の故郷や、天から授かった良心を心の置き所として生かさせて頂く。。。下界(地上)であろうと。。。天界であろうと。。。肉体のある自分であろうと。。。魂としての自分であろうと。。。いつも態度の変わらない同じ自分であることができるよう努めさせて頂く。。。下界(地上)にありながら、天にいるかのような生き方をさせて頂くことは、容易なことではないと思うのですが、容易ではないからこそ修行になり、魂の修正や成長をさせて頂くことができる、ということでもあると思うのです。だからこそ、下界(地上)でどのような境遇や現象に遭遇しようと、天から授かった良心に従って生かさせて頂くことが大切なのだと思うのです。--------下を向いていると、心が晴れ晴れとせず、気が塞いでしまうと思うのです。何かに思い悩んでいると、自然と俯いてしまうものですが、道端でお天道様の愛と光を受けて、明るく元気に笑っているかのように、そして、私たちを励ます為に歌を歌っているかのように咲くお花さんや雑草さんたちが目についたら、 「お花さんや雑草さんたちが、いつも天に向かって 花弁や葉を広げているように天を仰ぎましょう♪ お花さんや雑草さんたちだけではなく、 天もいつも応援していますよ♪」というお知らせだと思うのです。自分の目に近い下を見ていると、視野が狭くなると思うのですが、自分の目からとても遠い天を仰いでいると、視野が大きく広がると思うのです。 同じ思い悩んでいることでも、視野が狭いと、ただでさえ狭い視野の中に占める悩みの割合が多くなってしまうと思うのですが、視野が広くなればなるほど、その悩みの占める割合がどんどん少なくなり、 「自分が思い悩んでいることは、 実はとっても小さなことかもしれない!」と思うことができたり、吹っ切れたりすることができて、心が晴れ晴れとしてくると思うのです。だからこそ、気分が冴えない時は、視野が広がり、心が晴れ晴れするよう促して下さる天を仰がせて頂きたいものですね。源光「下を向いて歩いていたら、小銭は落ちているかもしれませんが、 天空に掛かる虹を見つけることは出来ないのです。 今日も明るく笑顔の人でありましょう。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407150001/「絶望と希望の間に煩悶があります。 これは心に厚い雲が掛かって雨が降っている状態です。 でも雲の上にはいつも太陽が輝いていますよ。 絶望してもどうにもなりません。 何としても希望を持ち続けましょう。 笑顔を取り戻してくださいね。 私は常にあなたとともにあります。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312030003/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312030004/「上の階に上がってみましょう。 視野が広がって新たな水平線が見えてきますよ。 人は自分の立っている場所より下の階のことはよく知っているのですが、 上の階のことは、さっぱりわからないものです。 あなたの心をコントロールしているのは上の階の住人です。。 直接会って話せる人は、古来稀ですが、 誰でも上がれる世界でもあります。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201404250000/「平常心をもって一切の事をなす人は 名人の域に達していますから 何をしても上手くいくのです。 人の失敗は、動揺することから始まるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201505030000/ 「人は等身大で生きていますから、悩みも喜びも等身大。。 目で見える基準。。それが全てと思って暮らしています。 違いますよ。。 宇宙即我。。。これが真実の世界。。人智を超える圧倒的世界。。。 小さなことにクヨクヨしないスケールの大きい人になってください。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408110000/ 「常に天法である心と対話してください。 人法の遥か上の境地で生きれば、 間違いの無い正しい生涯を全うできるのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201204020000/「天法は、人法の遥か上にあるのですから、 決して良心に逆らってはいけません。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201203250000/ 「汝は良心を友として生きよ。天に通じる道ゆえに。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201112280000/「少し大きな視点から見てみると、 様々な悩みも小さなものに見えてきます。 人は、本当に小さなことで悩んでいるものなのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201508060000/「人生は複雑なようでそうではなく、シンプルな中に真実があります。 悩みを複雑化しているのは自分自身です。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403220000/「物事は、できるだけ単純に考えましょう。 良心に従って単純に考えれば、 人生の難問も難なく解読できます。 身の回りの現象に重要な事は、ほんのわずかで、 どうでもいい不必要な部分の方が、圧倒的に多いのです。 底無し沼に入り込んで苦しんでいる人は、 単純な事を敢えて難しくしているか、 阿呆の素晴らしさに全く気付いていない、 利口の真似をしている愚かな人です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312170002/「遠くなる程良く見えるのに、 近くなると見えなくなるのが人の特性です。 本質を見極めるために、少し離れて見てみましょう。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201208290000/「困難を予期してはいけません。 起こりもしないことに 心を悩ます必要はありません。 常に心に太陽を持ちなさい。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201410160001/「地上では、良心に従って進むと、損をして、 この世的価値観では、失敗のように見えるものが多いのですが、 実は、天の蔵に大いなる宝を積み上げていた!! こういうことはこの世を去るときに誰もが経験することです。 地上に肉体を持つのは、瞬きをするくらいの時間ですから、 欲に翻弄されて、自分を見失うほど時間の浪費はありません。 」 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209060000/「汝、下を見て歩くなかれ。 苦しい時、辛い時は、空を見上げよ。 天はいつも汝の傍にある。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201112040000/「汝、道に迷ったならば、明るい方に進め。 ただそれだけで良い。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201111280000/「自分の及びえない事柄について人は、 真理を非難し決して自説を変えようとしない。 ゆえに進歩が止まり天に招かれることがない。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201107300000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.04.05
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「天性の庭には、 花を咲かせる草もあり、雑草もあります。 良草に水をやり、雑草を抜くもよし、 むしろ雑草を愛し、伸びるに任せるもよし、 自分の人生ですから、自由裁量に任されています。 美しい庭を作って愛でるもよし、 雑草が生い茂る荒れ放題の庭にするもよし。 これが人に与えられた特権です。」「正義の道を歩みなさい。 これが天命です。 これさえ守れば後はどう生きようがあなたの自由。 運が悪いのは、何処かで天命に反したから。 ただそれだけのことに過ぎません。」「 自由と責任 」「自由」という言葉は、「自分の好き放題、やりたい放題」などと解釈されることが多いですが、それは「自分勝手」「自己本位」「我が儘」であり、「自由」という言葉を、自分に都合良く解釈して、自分の解釈する「自由」を正当化しようとしている弁解に過ぎないと思うのです。「自由」は、何かに強制されたり、拘束されることなく、仮に何かに強制されたり、拘束されても、それらから解放され、自分らしく、自分に正直に、自分の信念に従って生かさせて頂くことであると同時に、自分の言動に「責任」をもって生かさせて頂くことでもあると思うのです。自分らしく、自分に正直に、自分の信念に従って、「自由」に生かさせて頂くからには、それなりの「責任」が伴うのは、極自然なことだと思うのです。「自由」だけを望んでも、それは単なる自分勝手、自己本位、我儘で、「無責任」だと思うのです。「責任」だけ与えられても、「責任」だけ負わされても、それは「不自由」だと思うのです。「自由」と「責任」は、背中合わせだと思うのです。自分勝手、自己本位、我儘は、人様にご迷惑をお掛けすると思うのです。自分一人で生かさせて頂いているわけではない世の中(人間社会)は、各々が魂の修正や成長をさせて頂く為に、地上で修業をさせて頂いている不完全で至らない点のある人間同士が共存している場だと思うのです。ただでさえ不完全で至らない点がある人間同士故に、自分ではそのつもりは無くても、知らず知らずの内に、人様にご迷惑をお掛けしてしまっているものだと思うのです。そんな不完全で至らない点のある私たちだからこそ、 「自分さえ良ければそれで良い」という「自分の好き放題、やりたい放題」の自由観や利己的で無責任な心のあり方や言動をするのではなく、 (無責任な生き方をするのもまた自由だと思うのですが、 魂の修正や成長をさせて頂く為に 修行をさせて頂いている私たちにもかかわらず、 無責任な生き方をするということは、 自ら修正すべき点を増やし、自分を貶めている 生き方だと思うのです。)可能な限り人様にご迷惑をお掛けすることのないよう、お互いがお互いを思い遣る利他の心をもって、自由と同時に責任のある言動をさせて頂くことを心がけ、実践させて頂くことこそ、魂の修正や成長を促す心のあり方であり、生き方だと思うのです。そのような心のあり方や生き方は、 自分に恥じない自由な生き方。。。 自分に恥じない責任ある生き方。。。 良心に恥じない生き方。。。だと思うのです。自分が「自由にしたい。。。」と思っていることが、 人様にご迷惑をお掛けすることではないか。。。 家族に迷惑をかけることではないか。。。 人様を蔑にした自分勝手なことではないか。。。 家族を蔑にした我儘なことではないか。。。 人様にご迷惑をお掛けしても責任が取れることか。。。 家族に迷惑をかけても責任が取れることか。。。 「自由にしたい」が為にあれこれ弁解を生み出していないか。。。を良く考えさせて頂くことが大切だと思うのです。良く考えることから逃げている時、「自由にしたい」という欲に翻弄されているのだと思うのです。「自由にしたい」という思いについて、冷静に、客観的に自分を見つめて、良く考えさせて頂いている時、良心に従っていると思うのです。善因善果。。。悪因悪果。。。何をさせて頂くにも自由だと思うのですが、その自由な言動から生じた結果は受け入れない、受け留めない、という「無責任」はこの世で通じても、私たちの本質である魂の世界では通用しないと思うのです。だからこそ「自由」を自分勝手に好きなようにして良いこと、などと捉えることなく、自由と責任はコインの裏表の関係にあることを良くわきまえさせて頂き、良心の声に従って、自分に恥じることのないように生かさせて頂きたいものですね。源光「自分に正直に自由に生きるべきです。 しかし自由は無制限ではありません。 他の人に迷惑をかけてはならないのです。 と言っても人に迷惑をかけずに生きること自体不可能。。 それが人間社会です。 ですから良心に恥じることをしてはいけないのです。」 (ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201602230000/「地上は、自由にしていられる場として創られたのです。 ですから善行をするも悪行をするも自由です。 ただ因果応報の法則が働く。。。 前世の善行や習得した技術は今世の才能として持ち越しています。 今世、修正出来なかった業は次に持ち越される。 ただそれだけのこと。。。全て自分の責任です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201508090000/「花は咲く場所を選びません。。 あなたの歩む道にも咲いています。 路肩に咲いている名も無い花に語りかけて下さい。 生きる意味を教えてくれることでしょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403070000/ 「幸せは足下に生える雑草や 朝日にきらめく花の露と同様、 無数にあるのです。 今日も思い煩うこともなし。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409210000/ 「あなたの現在の人生は、 過去の選択の結果です。 同じことは、あなたの未来にもあてはまるのです。 良心に恥じない自分であればよいのです。 触れ合う人の喜びを我が喜びにして生きていけばよいのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409140000/「身の回りで起こる、どんな良い事も悪い事も、 自分に無縁なものはありません。 全てに原因があるのですから、 今から善因の種を撒いて生きていけばよいのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312200000/「幸福になろうとするならば、節制と正義とが 自己に備わるように行動すればよいのです。 節制は半分の法則。。 正義は愛の実践で自然に身に付きます。 あなたの喜ぶ姿が私の喜びです。。ということです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409080000/「つねに正義とともにあれ。 もし正義の観念が汝のうちで薄れるようなことがあれば、 汝はあらゆる危険におちいるであろう。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201107250000/「この世を生きてゆくには誠実の一語です。。 誠実とは何をするにも真心を尽くす事、 すなわちいつわらない事、あざむかない事です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409190001/「正しい心で誠意を尽くして生きていく。。 今日も、ただそれだけでいいのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409010000/「常に天法である心と対話してください。 人法の遥か上の境地で生きれば、 間違いの無い正しい生涯を全うできるのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201204020000/「良心に恥じない自分であれば、 思うままに生きればよいのです。 そして他人の生き方に口を出す必要はありません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409280000/「自分の言動に責任を持つことです。 その責任の下に、本当の幸せと喜びが 横たわっているのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201502100000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.04.04
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「したいことをするのではなく やるべきことをするのが開運のコツです。 やるべきことを完遂できたら、 したいことをする時間を取ってください。」「努力する人は幸せの種を見つけることができます。 そして、春に種を撒き、育てる人は、収穫することができます。 冬の時代に種を蒔いても、それは無駄な事。。 今為すことはなんでしょう。。 人生は先憂後楽。。。 生きて生きて生き抜く!! 不運なんて笑い飛ばして生きていく。。。 これが人生です。 天は一から十まで全てを知っています。 ここまで頑張るなら、手助けしてあげよう。。。 これが神仏の心です。」「人間の後半生は、 前半生で蓄積された精神と習慣のみで成り立つのです。 前半生の生き方が非常に大切です。 まだ若いから遊んで暮らそう。。。宵越しの金なんかいらない。。。 この精神が後半生の苦労と失望を呼ぶのです。 人生は先憂後楽。。。 先楽後楽はあり得ず、先に楽しめば後で憂いが待っているのです。」先憂後楽。。。同じ一日を過ごさせて頂くのでも、「やりたいこと」という楽しみを後にとっておき、その日、その時に「すべきこと」、その日、その時に「できること」を、 「面倒くさいなぁ~」 「大変だなぁ~」 「後回しにしたいなぁ~」と思いつつも、優先してさせて頂くことがとても大切だと思うのです。「やりたいこと」というお楽しみが待っていると、「すべきこと」や「できること」を頑張れるばかりか、集中力や真剣さも増して、効率が良くなることもあると思うのです。そうやって「すべきこと」や「できること」を終えて手にした「やりたいこと」というお楽しみの時間は、より楽しさを増して楽しませて頂くことができるのだと思うのです♪ (先憂後楽)しかしながら、多くの場合は、 「面倒くさいなぁ~」 「大変だなぁ~」 「後回しにしたいなぁ~」という思いばかりが先行してしまい、その日に「すべきこと」や「できること」を後回しにして、先に楽しいことをしてしまうことがとても多いと思うのです。(先楽後憂)先に楽しみを満喫してしまった結果、その楽しみが終わった後に待っている「すべきこと」や「できること」をお迎えした時は、更に、 「面倒くさいなぁ~」 「大変だなぁ~」 「後回しにしたいなぁ~」と思ってしまい、挙句の果ては、 「もう疲れたから、今日は止めた~」 「もう眠いから、明日やろう~」 「明日だってまだ間に合うから大丈夫」などとして、今日すべきこと、今日出来ることを先延ばしに。。。明日には明日すべきことや明日できることがあるにもかかわらず。。。明日は、今日と明日の分の「すべきこと」と「できること」をこなさなければならないことに。。。自分のやりたいことには積極的に取り組むにも拘らず、いざ、今日すべきことや今日できることを目の前にすると、自分で自分を甘やかしたり、自己弁護をしては、それらから目を背けて、今日しない人が、明日になったからといって、今日と明日の二日分のすべきことやできることができる。。。というのはなかなか考えにくいと思うのです。 (その考え方そのものが自分に対して甘いのだと思うのです。)また、例え、今日中に「すべきこと」や「できること」に取り掛かっても、先にやりたいことを満喫してしまった後では、やる気が起きなかったり、集中力や真剣さに欠け、効率が悪くなったり。。。時には、それらが原因で思いも寄らない失敗や間違いを犯してしまう。。。そういうことにもなりかねないと思うのです。同じ「やりたいこと」という自分にとってのお楽しみも、「先憂後楽」で味わう楽しさと、「先楽後憂」で味わう楽しさでは、「楽しさ」の感じ方が大きく異なると思うのです。同じように、同じ「すべきこと」「できること」も、「先憂後楽」の姿勢で取り組ませて頂くのと、「先楽後憂」の姿勢で取り組ませて頂くのとでは、その「すべきこと」や「できること」に対する、思考や行動、意気込みや思い入れ、取り組み方、効率なども大きく異なると思うのです。「先憂後楽」、「先楽後憂」のどちらを選択するかは一人一人の自由だと思うのですが、前者は、一日の終わりを気持ち良く迎えられると思うのですが、後者は、一日の終わりを気持ち良く迎えられないと思うのです。人生もまた、これと同じなのではないかと思うのです。仮に、「すべきこと」や「できること」ばかりをして、いざ楽しむ時を迎えたという時に、天に帰還することになったとしても、私たちが思い描いている以上の楽しみが、天にはあるのだと思うのです。--------「今」すべきこと。。。「今」できること。。。それは、その時の自分がすべきこと故に、その時の自分ができること故に、その時の自分がすることが最善故に、人知の及ばない天のお取り計らいによって、「今」与えて頂いているのだと思うのです。いわば、「チャンス」を与えて頂いている、ということだと思うのです。それにもかかわらず、自分勝手な自分基準によるものごとの判断や自分の感情や欲を優先してしまい、 「今」すべきこと 「今」できることから目を背けてしまうことがあると思うのです。「今は他のことがやりたい。。。」「今は面倒くさいからやりたくない。。。」「今はやる気がないからやりたくない。。。」「どうして自分がやらなければならないの。。。」などのような理由で、 「今」すべきこと 「今」できることから目を背けたり。。。楽な方へ逃げたり。。。気付かない振りをしたり。。。しかしながら、天からすれば、「今は他のことがやりたい。。。」 →『その「他のこと」よりも、 すべきことがあるからこそ、 そのすべきことをするチャンスを 与えているのです♪」「今は面倒くさいからやりたくない。。。」 →「すべきことは面倒くさいかもしれませんが、 それをやるからこそ修行になるのです♪ そして、先へ進めるのです♪」「今はやる気がないからやりたくない。。。」 →「やる気の有無に関係なく、 すべきことはすべき時に。。。 出来ることはできる時に。。。 ということがあるのです♪ やる気がないのはあなたの心のあり方の問題です♪」「どうして自分がやらなければならないの。。。」 →「あなたがすべきことに意味があるのです♪ あなたがすべきことであるにもかかわらず、 あなたがそれをしなければ先に進まないのです。 それは、あなただけでなく、 あなたと繋がっている方々も同じです。 自分の為だけではなく、自分と繋がっている人様の為にも、 すべきこと、できることを今しなければならないことがあるのです。」ということでもあると思うのです。そのような天の深遠で人知の及ばないご配慮、お取り計らいによる貴重なチャンス。。。そのチャンスに素直に従わせて頂き、 「今」すべきことを「今」させて頂く。。。 「今」できることを「今」させて頂く。。。という姿勢で生かさせて頂いていれば、 新たなすべきこと 新たな出来ることが増えてくると思うのです。そうやって、前進させて頂くことができることこそ、運が拓けていく、ということに他ならないと思うのです。「今」すべきことを「今」しない。。。「今」できることを「今」しない。。。「すべきこと」を差し置いて「やりたいこと」をやる。。。「できること」に目を向けず「やりたいこと」をやる。。。という姿勢では、「すべきこと」や「できること」をしていないが故に、先に進むことができず、停滞、はたまた、後退してしまうことにもなりかねないと思うのです。その結果、 新たなすべきこと 新たな出来ることを与えて頂くこともなく、前進もできなくなる。。。故に、運が拓けないのだと思うのです。「すべきこと」をした自分に対するご褒美として、「できること」をした自分に対するご褒美として、「やりたいこと」をさせて頂くからこそ、「やりたいこと」から花が咲き、運が拓けてくるのだと思うのです。--------今を生きる。。。「今」の自分が出来ることや、「今」の自分がすべきことを、「今」の自分がしなければ、「未来」の自分が出来るであろうことや、「未来」の自分がすべきであろうことは、「未来」の自分もしないであろう、と思うのです。「未来」の自分が出来るであろうことや「未来」の自分がすべきであろうことを「未来」の自分がするであろう自分を築くためには、「今」の自分が出来ることや、「今」の自分がすべきことを、「今」の自分がする。。。やはり、「今を生きる」姿勢で生かさせて頂くことが大切だと思うのです。「今の自分が夢見る未来、希望を抱く未来を心に抱きながら、「今を生きる」姿勢でありたいものですね。今の自分ができることや、今の自分がすべきことから逃げてしまうことがあるものですが、その逃げた時こそは良くても、逃げてきたものを通らない限り、その先には進めないということを考えれば、遅かれ早かれ向かい合わざるを得ない、ということだと思うのです。それならば、今、目の前に与えて頂いている自分ができることや自分がすべきことに意識を集中させて、 今できることがチャンスなんだ♪ 今すべきことに意味があるんだ♪という心持ちで、前向きに、積極的に、肯定的な姿勢でできることやすべきことに取り組ませて頂けば良いと思うのです。今できることをして、今すべきことをしても、何らかの結果がすぐには出ないことも多々あるものですが、 「今の自分にできることは精一杯やった。。。」 「今の自分がすべきことを頑張ってやった。。。」と素直に思うことができれば、心は満たされると思うのです。今できることや今すべきことから逃げることを繰り返し、 「今の自分にできることは精一杯やった。。。」 「今の自分がすべきことを頑張ってやった。。。」と素直に思うことができないことが繰り返されると、後悔の念に苛まれたり、自分で自分を責めたり、弁解をしたりしてしまうことがあると思うのです。魂の修正や成長をさせて頂く為に、地上と言う修行の場に生を与えて頂き、今を生かさせて頂いているにもかかわらず、自分で自分を貶めても仕方がないと思うのです。だからこそ、「今」できることは、「今」集中してさせて頂く、「今」すべきことは、「今」集中してさせて頂く、という姿勢を大切にしながら、生かさせて頂きたいものですね。同じ働かせて頂くのでも、同じ何かをさせて頂くのでも、 「どんなことでも、 今やこれからの自分にとって必要になる とても大切な経験になるかもしれない♪ よ~し、真面目に頑張るぞぉ~♪」 「今日の働きがどのような形で 人様のお役に立つのかはわからないけど、 小さな積み重ねが大切なんだよなぁ~♪ いつか人様のお役に立ちますように♪」 「今日出来ることは、今日の内に片づけておこう♪ できるなら、明日すべきことにも着手しておこう♪ 少しでも前倒しでやっておけば、何かあった時も 後れを取らなくて済むし、どなた様かにご迷惑を お掛けしなくて済むもんなぁ~♪」 「だらしない姿と言われようとなんだろうと、 仕事を頑張った後に、ゆっくり風呂に浸かって、 TV見ながら飲むビールとご飯が最高なんだよなぁ~♪ 今夜の【最高】の為に頑張ろうっと♪」などのような思いで懸命に働かせて頂くこともあれば。。。 「何で自分がこんなことやんなきゃいけないの? こんな無駄なことしてどうするの? 面倒くさいなぁ~。。。 他の人にやってもらおうかなぁ~。。。」 「この仕事をして自分の為になるのかなぁ~? 自分の為にならないし、お金にならないなら、 やる価値が全くないと思うだけど。。。 楽してお金になる仕事ないかなぁ~。。。」 「あ~ぁ。。。今日中にやらなければいけないこと、 終わらなかったなぁ~。。。 まぁ、いっか。。。明日やれば。。。 昨日中にやらなければいけないことも残ってたなぁ~。。。 自分一人じゃ無理だな。。。 誰かに手伝ってもらって楽しようっと♪」 「あ~ぁ。。。今日もたいしたことしてないのに疲れたなぁ~。。。 何もしてなくても疲れんだから、何かしたらもっと疲れるよなぁ~。。。 もっと楽して過ごしたいなぁ~。。。」などのような怠惰な姿勢で過ごさせて頂くのとでは、大きな違いがあると思うのです。前者は、働くこと、何かをさせて頂くことそのものを誠実に、真面目に、懸命に取り組み、頑張り、努力し、探究し、楽しんでいるがゆえに、そのお仕事や何かが終わった時の、その【達成感】や【満足感】は、とても気持ちの良いものだと思うのです。その気持ちの良さは、 「やるときはやる!」 「やらないときはやらない!」というハッキリとしたメリハリをもって、何ごとにも取り組ませて頂くからこそ、感じられるものなのだと思うのです。だからこそ、お仕事や何かを頑張った後の気の緩んだほっと一息の休息時間に幸福感や喜びを感じることができるのだと思うのです。(先憂後楽) その幸福感や喜びによって、今日の頑張りや努力、探究、楽しみを明日に繋げることもでき、 「よしっ! 頑張るぞ♪ 明日も張り切っていくぞ!」と明日を気持ち良くお迎えさせて頂く準備まで整うと思うのです。更には、朝を迎えた時は、 「よしっ! 朝だ!」と明るく、元気に、積極的に、肯定的に、前向きに生かさせて頂くことができると思うのです。後者は、働くこと、何かをさせて頂くことそのものを不誠実に、不真面目に、手を抜いた姿勢で、怠け、だらけ、惰眠をむさぼっているがゆえに、お仕事や何かが終わろうと終わるまいと、常にメリハリがない為に、いつも【空虚感】や【虚脱感】、【無力感】、【徒労感】などに苛まれてしまうと思うのです。そのような怠惰な姿勢で過ごさせて頂いていると、ただただ時間が過ぎていくばかりか、せっかく新しい朝をお迎えさせて頂いても、 「あぁ~。。。朝か。。。面倒くさいなぁ。。。」と暗く、陰鬱に、消極的に、否定的に、後向きに捉えるばかりになってしまうと思うのです。それでは、魂の修正や成長の為に与えて頂いた人生という貴重な時間を無駄にしてしまっている、ということでもあると思うのです。働くこと、頑張ること、努力すること、探究することなど、何かをさせて頂くこと(何かをさせて頂けること)を、面倒くさいこと、つまらないこと、などと思い込んだり、それらから逃げてしまうことのないように、自分がワクワクしたり、楽しみながら働けること、頑張れること、努力できること、探究できるお仕事や何かを自分で探し求めることが大切だと思うのです。そして、同じ一日を過ごさせて頂くのであれば、それがお仕事であろうとなんであろうと、明るく、元気に、積極的に、肯定的に、前向きな姿勢で頑張って取り組ませて頂き、頑張った後の【達成感】【満足感】【幸福感】【喜び】を明日の明るさや元気の糧にできるような生き方をさせて頂きたいものですね。日々の【達成感】【満足感】【幸福感】【喜び】は、自分の人生の【達成感】【満足感】【幸福感】【喜び】に、比例していくのだと思うのです。--------「今」、私たちに与えられている先行きの分からない状況を直視せず、「未来」に「期待」を抱いても、それは、「今」解決すべきことを、「期待する」という形で先送りにしているだけだと思うのです。「期待」という形で先送りすることは、常に繰り返すことは出来るかもしれませんが、同時に、刻一刻と迫ってくる「今」という一瞬一瞬に解決すべきことも先送りにしているだけで、常に解決されることがない、という循環になるだけだと思うのです。「する」か。。。「しない」か。。。「する」という行動は、それが上手く行こうと行くまいと、成功しようと失敗しようと、魂の修行を前進させていると思うのです。「しない」は、何も生み出さないが故に、魂の修行を停滞させたり、時には、後退させることにもなると思うのです。「する」。。。「しない」。。。の「行動」の有無が、直ぐにではなくても、何れ大きな差を生むと思うのです。面倒くさいと思うことをさせて頂くからこそ修行になる。。。逃げたいと思うことをさせて頂くからこそ修行になる。。。嫌だなぁ~と思うことをさせて頂くからこそ修行になる。。。素通りしたいと思うことをさせて頂くからこそ修行になる。。。恐いなぁ~と思うことをさせて頂くからこそ修行になる。。。のだと思うのです。ということは、私たちが、面倒くさく感じること、逃げたくなるようなこと、嫌だなぁ~と思うようなこと、素通りしたくなること、恐いなぁ~と思うようなことは、その見方を変えさせて頂くと、私たちの修行の為に与えて頂いているものであったり、私たちの魂の修正度、成長度を確かめる為のテストだったりするのだと思うのです。修行やテストの機会を、面倒くさい、逃げたい、嫌だ、素通りしたり、恐いとして、修行を受け入れなければ、修正すべきを修正できないばかりか、成長をさせて頂くこともできないと思うのです。テストに至っては、それを受け入れないということは、テストを受けないということ故に、受け入れなかったその時点で、その時のテストは落第となり、チャンスを逃したということになると思うのです。反対に、それが面倒くさく感じることであろうと、逃げたくなることであろうと、嫌だなぁ~と思うようなことであろうと、素通りしたくなるようなことであろうと、恐いなぁ~と思うようなことであろうと、それを受け入れさせて頂いて、何かをさせて頂く、ということは、その何かが上手く行こうと行くまいと成功しようと失敗しようと、 「修行をさせて頂いた」 「テストを受けさせて頂いた」ということに変わりないと思うのです。その誠実で、真面目な姿勢が天に評価されたとき、奇跡を授けて頂けるのだと思うのです。源光「目先のことに心を奪われて、 後で大損することに気づかない。。。 こういうことがあります。 先を見通す力を養うことです。 先の先の先を読めれば、心眼が開きます。。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201603160000/「あなたがすること、それは、 今、しなければならないことに集中することです。 それが、たとえ断崖の道であろうとも 進まなければなりません。 」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407210000/「自分の持ち場で、自分のやるべきことを、やるべき時に、 キッチリとやっていたら運は逃げないのです。 それをやらないから運やツキが逃げるわけです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201503040000/「人が、逃げてしまいたいこと。。。 嫌なこと。。素通りしたいこと。。恐れること。。 を良心に従って率先してやる人は、奇跡を呼ぶのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405200000/「苦しいこと辛いことから逃げてはいけないのです。。。 楽はいつだって出来るのですから。。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201503050000/「きちんと自分を制御して生きること。 大切なことです。 ついつい楽な方向に流れていく。。 それが、現状から這い上がれない元凶です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201510210000/ 「今日出来る事を明日に延ばさない。 これの繰り返しで未来が拓けるのです。 先送りにしているからいつまでたっても 現状維持が精いっぱいどころか むしろ退歩していることがほとんどです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201507180000/「自分の持ち場で、自分のやるべきことを、 やるべき時に、キッチリとやっていたら運は逃げないのです。 それをやらないから運やツキが逃げるわけです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201503040000/ 「同じ現象でも 挑めばチャンス。。。 逃げればピンチ。。。 ただそれだけのことです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201505300000/「なんとかなる。。。。なりませんね。。。 なるわけがないのです。 やるべきことをやっていないからです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403090000/「人の不運は、次の二つから成り立っています。 したいけれどできない、できるけれどしたくない。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201203270000/「自分から逃げれば逃げるほど、汝の夢も希望も生き甲斐も遠ざかる。 逃げ惑うことなかれ。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201201210000/「将来を思い煩う必要は無い。 現在為すべきことを為せ。 その他は神の考えることゆえに。。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201107220000/「良心に従えば豊かになり、欲に従えば危うし。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201108090000/「若い時に痛い思い、辛い思いを通して体得したものは 人生の宝物ですから、後半生を輝かせるのです。 人生は、先憂後楽ですよ。 (一部抜粋)」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409230000/「誰からも認められなくても、 真面目、誠実、勤勉に、 コツコツと責任を果たしていく人に、 天は偶然を装った必然で、 運命の転機である出逢いと、 幸運の鍵を用意しています。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201306100000/「さぼりの楽しさは、今すぐに味わえますが、 あまり美味しくはないし、心は荒み、財布も軽くなります。 勤労の喜びは、心地よい疲労感と引き換えに心を満たし、 財布も重くして、将来、何度でも美味しく味わうことができるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201402150000/ (人生においても同じだと思うのです)「純粋な喜びは、懸命に働いた後の休息の中にあります。 怠惰な日常は、虚しさが増すばかりです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401120000/ (人生においても同じだと思うのです)【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.04.03
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「神社仏閣にお祈願に行ったり パワースポットに行ったり。。 でも実際は、上手くいかないわけです。 そんなことで自分は変われないし、進化できないのです。 自分自身が変わらないことには、前には進めない。 そのことを天は教えてくれているのです。」「自分で自分を騙さないことです。 現実逃避しないことです。 状況を改善したいなら、 見たくない真実をしっかりと見つめて 堂々と生きていくことです。 神仏に頼らないことです。 自力で頑張ることです。 そういう生き方を神仏は大いに評価しますから 助けてくれとも言わないのに 無償で助けてくれます。 それどころか苦難の 10倍以上の幸運をプレゼントしてくれるのです。」「自己を捨てて神仏に走るならば 廃人となってしまいます。 宗教やスピリチュアルに翻弄されてはいけません。 地に足を着けて生きていくのです。」「空想やスピリチュアルに逃げないことです。 現実に目をつぶったからといって、 現実が無くなるわけではないのです。 しっかりと地に足を着けて、 今を精一杯頑張るしかありません。 その頑張りに対して、 天は手を差し伸べるわけです。 拝んでも寄進しても、頼ってもムダな努力ですよ。。」「スピリチュアルに翻弄されないでください。。 おかしな話がほとんどです。 のめり込むとむしろ魂のレベルが低下します。 地上に生ある間は、しっかりと地上に足を着けて 現実を見て生きることです。 生業で働いてお金を稼ぎ、明るく元気に生きていく。。 当たり前のことを当たり前に。。」「人は誰でも自発的な努力によって 善良にも偉大にも幸福にもなることができるのです。 あなたも例外ではありません。」私たちをお見守り下さっている神仏にとって、私たちに何かを与えることや、私たちの願いをかなえることは、決して難しいことではなく、容易いことなのだと思うのです。容易いことであるにもかかわらず、その容易いことを私たちにして下さらないのは、私たちのことを思って下さっているからだと思うのです。魂の修正や成長をさせて頂く為に、地上という「修行の場」で生かさせて頂いている私たちが求めるものを無暗矢鱈と与えたり、私たちの願いをやすやすと叶えることは、私たちの為にならない。。。私たちの修行にならない。。。という想いで私たちをお見守り下さっているのだと思うのです。仮に、私たちが求めるものを何でも与えて下さり、私たちが願うことをやすやすと叶えて下さったとすれば、不完全で至らないところがあるが故に地上で修業させて頂いている私たちは、 「与えて頂けることが当たり前」 「願いを叶えて頂くことが当たり前」 「魂の修正や成長は来世に回します」などと感謝の心を忘れたり、安易な道を選んだり、自分ですべきこともせず、自分でできることもせず、他力本願や人任せになってしまうと思うのです。それでは、魂の修正や成長の為に地上に生まれてきているにもかかわらず、自ら修正すべき点を増やし続けてしまうことになってしまうと思うのです。そういう私たちの至らない点や私たちの考えそうなことを見越された上で、与えることができるものを与えず、叶えられることも叶えず、ただただじっと私たちの日々の行いをお見守り続けて下さっている。。。私たちの自発的な努力を期待して下さっている。。。お見守り続けて下さっているだけで、何も与えず、何も叶えてくれないように見えても、その実態は、私たちに「無償の愛」をいつも与え続けて下さっているのだと思うのです。「何か」を与えて下さることが、必ずしも「愛」とは限らないと思うのです。本当に私たちを想っているからこそ、「与えたい」「叶えたい」「期待に応えたい」という逸る気持ちを抑え、 与えて然るべき時期。。。 叶えて然るべき時期。。。 期待に応える然るべき時期。。。と判断できるまで、何も与えない、何も叶えない、何も期待に応えない、という辛さや苦しみを自ら買ってまで、無償の愛を与え続けながらお見守り下さっている神仏に、心から感謝させて頂きたいものですね。天のそのような姿勢は、裏を変えさせて頂くと、 「あなたには、自分で何とかできる力がありますよ。」 「あなたは、自分で努力すれば何でもできますよ。」 「自分を信じて下さい。あなたには素晴らしい力が内在していますよ。」ということを教えて下さっている、ということでもあると思うのです。私たちにもともと備わっている力、能力が活性化するのを妨げてしまうことの無いように。。。自らその力、能力を開花させられるように。。。という想いで、私たちの願いに応えない、という無償の愛の立場をお選び下さっている、ということでもあると思うのです。だからこそ、私たちは自分を信じ、信じ続け、過去生から育み、培ってきた特技や能力を磨く努力、そして、更に探究する努力をさせて頂くことが大切なのだと思うのです。~ ~ ~ ~常に無償の愛を与え続けて下さっている神仏だからこそ、神仏には頼らない。。。空想の世界に心をいざない、現実から目を背けさせるスピリチュアル。。。神仏や天の存在を気取って、理想論ばかりを語っていても、行動が伴なわないスピリチュアル。。。そういう言行一致していない自分に気付けないスピリチュアル。。。利他や協調、個人尊重の大切さを説きながら、その実態は利己的で、押し付けがましかったり、恩着せがましく、自己顕示欲の塊のスピリチュアル。。。不完全な人間であるにもかかわらず、自らを高みに置いて、天の教えを、さも自分が生み出したものであるかのように、提唱するスピリチュアルに翻弄されてしまうと、知らず知らずのうちに、扇動され、洗脳され、自分を見失うことに。。。自分を見失うと、 扇動され、洗脳されている自分に気付けない。。。 人様から指摘されても、それを認めることができない。。。 「あなたは何も分かっていない」として、聞く耳を持つことができない。。。 自分が扇動・洗脳されているスピリチュアルに人様をいざなおうとする。。。ということが多々見受けられることがあると思うのです。もし、そのスピリチュアルが真実のスピリチュアルであれば、無償の愛を与え続けて下さっている天と同じ姿勢だと思うのです。天が無償の愛を与え続けて下さっているのに対し、地上の人為的なスピリチュアルは、人為的なスピリチュアルの資格を作り、その資格取得の為に高額な授業料、指導料などの見返りを要求する。。。天は「何が正しいかその全てを知っている良心」を、私たちの心の羅針盤になるように授けて下さり、その良心に従おうと背こうと、そこには一切干渉せず、私たちに自由を与えると同時に、自らの言動に責任を持てるよう因果応報の法則をもって、ただただお見守り下さっているのに対し、地上の人為的なスピリチュアルは、その教えこそは天と同じでも、その実態は、人様の言動を干渉したり、条件付きの自由など、天から見れば「良心に背いている」言動や方法によって、人様の自由を奪い、心を翻弄させ、扇動・洗脳している。。。真実のスピリチュアルか否かは、「何が正しいかその全てを知っている良心」に従って、客観的視点で冷静に見つめさせて頂くことが大切だと思うのです。~ ~ ~ ~【天の正しい教え】をお説き下さった方には、感謝、報恩の心を持たせて頂くことこそ大切な礼儀でも、その方に追従しなければならない、ということはなく、追従する必要もないと思うのです。 (追従することを要求する。。。 要求はせずとも、そういう仕組みになっている。。。 ということが世の中には良くあるものですが、 そういう世界に身を置こうと置くまいと、 本物は、表も裏も無く、いつも謙虚で、 自らの生き様を以て、天の教えを示すと思うのです。 偽者は、表では謙虚を装い、裏では傲慢。。。 酷い偽者は、表も裏も無く、いつも傲慢。。。 天の教えに反する自らの生き様を、反面教師として、 私たちに示して下さっているのだと思うのです。) もし、【天の正しい教え】を説かせて頂く立場にあるときは、ただ【天の正しい教え】を分かり易くお伝えさせて頂けば良く、相手からの感謝や報恩、何らかの見返りなどを要求したり、それらを期待してはならないと思うのです。なぜなら、【天の正しい教え】は、天から地上の全ての人々への授かりものであり、【天の正しい教え】を説いている方だけに、特別に与えられているものではないが故。。。そのような【天の正しい教え】を神仏気取りで、我が物顔で偉そうに説いているのは、良心言行一致できていない偽者。。。授かりものの【天の正しい教え】を皆さんと共有する為に、自らを律した生き様と謙虚な姿勢をもって、分かり易く説くことに努め、お互いにその理解を深め合い、共に良心に従って生かさせて頂くことの大切さを確認することを繰り返すのは本物。。。そういうものだと思うのです。魂の修正や成長をさせて頂く為に、修行をさせて頂いている私たちは、【天の正しい教え】を説いて下さった方に追従するのではなく、説いて頂いた【天の正しい教え】を心の指針として、【良心】に従って生かさせて頂いていればそれで良いのだと思うのです。そして、人様のことについて、ああだこうだと口を出す必要はないと思うのです。--------時に、私たちの心のあり方次第、私たちの行動次第で、実現することが出来そうな願いに対しては、神仏は容易に応えることはしないのだと思うのです。裏を返させて頂くと、適わない願いは、その願いの内容にもよると思うのですが、 「自分で何とかできるものですよ♪ もっと頑張ってみてください♪」という応援であることもあれば、 「どの道を進むのも自由ですが、その道があなた様が 本当に望んでいる道かどうかを良く考えてみてくださいね♪」というご指導であることもあると思うのです。はたまた、その時の私たちの心のあり方や行動だけでは、私たちの願いを実現することが出来そうにない、ということもあると思うのです。そのような場合、神仏は、私たちの願いそのものを叶えて下さるのではなく、私たちが自らの力で、願いを実現することができるようなサポートやヒントをはじめとする私たちに「必要なもの」をお与え下さるのだと思うのです。なぜ、願いそのものを叶えるのではなく、 「必要なもの」をお与え下さるのか。。。それもやはり、私たちを思う神仏のご配慮なのだと思うのです。願いを抱く私たちにとっては、自ら抱いた願いを叶える為に、何を考え、どのような行動を起こし、どのような努力をしてきたか、などのような「過程(プロセス)」こそが大切なのだと思うのです。神仏が私たちの願いを単純に叶えることは、その「過程(プロセス)」がない、ということになってしまうと思うのです。そのようなことにならないように、自ら考え、自ら行動を起こし、自ら努力できるように、その道標となるようなサポートやヒントなどの「必要なもの」を与えて下さるにお留め下さっているのだと思うのです。しかしながら、そのようなサポートやヒントなどの「必要なもの」を与えて頂いているにもかかわらず、不完全で魂の修正や成長が必要な至らない点の多い私たちは、その「必要なもの」を「必要なもの」と受け止めることができなかったり、「必要なもの」を与えて頂いていることにすら、気付かせて頂くことができなかったりすることがあると思うのです。それでも、神仏が人知の及ばない深遠なる愛で私たちをお見守り下さっていることに違いはないと思うのです。自分勝手な自己基準のものごとの見方や捉え方で、「必要なもの」に該当しなかったとしても、神仏が意味なく与えて下さるものなどはないと思うのです。だからこそ、神仏のご配慮やお取り計らいによって、お授け頂いたものは、いつでもどこでも、心より深く感謝させて頂きながら、有難く拝受させて頂きたいものですね。--------私たちの「願い」という想いは、良くも良くなくも、その想いの波長と合うものに伝わるのだと思うのです。善心から願ったものは善神に通じ、悪心から願ったものは悪神に通じるのだと思うのです。善神は、私たちに与えられている自由や自ら魂を修正し成長しようとする自助努力の姿勢を尊重し、日々、良心を心の友として生かさせて頂いているであろう私たちの様子をご覧下さり、様々な形でチャンスをお与え下さり、私たちが抱いた願いを自らの手で切り拓き、自己実現できるよう無償の愛でいつもお見守り下さっているのだと思うのです。その一方で、恨み、辛み、妬み、嫉み、不平、不満、愚痴、怒り、足るを知らない欲などの悪心が根底にある願いを抱いていると、自分では気付いていなくても、悪神と通じてしまうと思うのです。悪神は、悪心から生まれた願いを適えることにより人を喜ばせる(陥れる)と思うのですが、その願いを適える代償として、その人の心を弄び、その人の心を支配するのだと思うのです。自分の願いを適える為に自分を失い、自由を失い、自分で気付いていようといまいと、悪神(悪心)に帰属してしまう、ということになってしまうのだと思うのです。そのようなことにならないように、それが叶う叶わないを問わず、何か願い事をさせて頂くときは、自分勝手、我が儘な利己心からではなく、世の為、人様の為という利他心を生み出す善心からでありたいものですね。願い事をすることはとても素敵なことだと思うのですが、自分で抱いた願い事を本当に叶えたいと思うのであれば、その願いを適えて頂く為に、その時の自分がすべきことをさせて頂き、その時の自分に出来ることを積極的にさせて頂いたり、努力したり、挑戦するなど、何らかの代償を差し出すくらいの気持ちや行動がなければ、その願い事は、「適わなくてもともと。適ったらラッキー♪」程度の欲から生まれた願い事であり、真の願い事ではないと思うのです。もし、私たちがこの世の人々の願いを叶えることができる「神仏」という存在だったとしたら、人様のことを何とも思わないような利己心に満ちた願望成就ばかりを期待・要求してばかりで、努力や挑戦や実験などの行動をせず、様々なことに対する有り難みを忘れ、感謝の心も抱くことのない地上の人々の姿を見て、その人々の願いを耳にしたとき、 「ただ願望を適えて差し上げることが、 果たしてその人の魂の修正や成長の為になるだろうか。。。」と感じるのではないかと思うのです。それ故に、神仏は、私たちが抱く願いが、 天法という良心に従った美しい善心から生まれた願いなのか。。。 良心に背いた穢れた悪心から生まれた願いなのか。。。はたまた、同じ善心から生まれた願いであったとしても、 まだ自助努力の余地があるか否か。。。真の願いであるか否か。。。 願いを適えた前後において、生きる姿勢や態度が変わらないか。。。 何ごとがあっても揺らがない心の成長を遂げているか否か。。。 今、願いを適えることがその人にとって最善か否か。。。などを正しく見極める為に、慎重な審査が設けられているのだと思うのです。それもまた、私たちを慈しみの心で愛おしくお想い下さっている天の、神仏の、無償の愛の表現の1つなのだと思うのです。何から何まで与えて頂きながら生かさせて頂いている私たちは、何かを願わせて頂く前に、天(お天道様)の、神(上=お天道様)の、無償の愛や何かを願う自由を日々与えて頂いていることに、心から感謝させて頂くことが大切だと思うのです。日々の出逢いや事象などの様々な境遇をはじめ、何から何まで常に与えられっぱなしの私たち。。。「当たり前」のように与え続けて頂いていても、それを「当たり前」と思い込んだり、勘違いすることなく、いつ何時も感謝の気持ちをもって生かさせて頂きたいものですね。感謝の心は、感謝に始まって、感謝に終わるものではなく、持ち続けるものだと思うのです。そういう感謝の心や自ら努力すること、頑張ることを怠らない自分が育まれていくと、歩ませて頂くべき道が自ずと拓かれていくのだと思うのです。裏を変えさせて頂くと、自分が歩ませて頂くべき道を拓く為には、その道を拓くことができる自分になれるよう、自分の心のあり方を変え、努力や頑張りを継続させて頂くことが大切なのだと思うのです。源光「苦しい時、神頼みをする人。 神は、あなたを愛の心で突き放します。 苦しい時、懸命に歯を食いしばって頑張る人。 神は、あなたを助けます。 最もよく人を幸せにする人が 最もよく幸せになります。 これは、人類が誕生して以来、不変の法則です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311080000/「神仏にいくら祈ってもすがっても、 夢が叶うことはありません。 神仏は、コツコツと努力している姿を評価して、 ご褒美を降ろしてくれるわけです。 基本、神社仏閣で、お願いはしない方がいいのです。 おかしなものと同通してしまうからです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409220000/「なにごとも陰日なたなく頑張ると、 神様は半分だけ望みをかなえてくださる。 残りの半分は、また頑張れるように、 増長しないように謙虚に生きるようにと心に貯金をして下さっている。 こう考えると、不平不満など消え去り、 心にゆとりが生まれます。笑顔が溢れます。 こうして人は、幸せになっていくのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407200000/ 「神様は、あなたが「願ったもの」を 天からストレートに降ろすことはほとんどありません。。 願ったものを手に入れるために「必要なもの」を降ろしてくれるのです。 それは今、自分が必要としないものかもしれません。 しかし、それが願ったものを手に入れるために必要なものなのだと、 感謝して謙虚に受け入れることが大切です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401160002/「幸運の女神は、崇拝や寄進、祈りよりも 努力を好むのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403190000/「不器用な努力家こそ、天が愛してやまない人なのです。 幸運の女神はこの様な人に微笑みます。。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201206250000/「自分で自分をだましたり、 自分を演出してよく見せようとしているうちは 自分の本質を成長させることはできない。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201107220001/「汝が最もだましやすい人は、汝自身である。 汝の想いは、善にも悪にも通じる。 善き方に想いを巡らせなさい。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201107310000/「自分の姿をありのままに直視する。。 それが本物の強さです。。 本物になれば、人生は思うままに拓けるのです。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406110000/「人生は有限です。 ですから他人の気に入るような行動をするよりも、 良心に忠実に、自分を尊敬し、自分が満足できるような 行動をとるべきです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312060000/「自分を大きく見せようとして、偉ぶっても、また謙遜しても、 その人の真の実力や人柄は、どうしても現れてしまうものです。 自分のアピールに必死にならなくてもいいのです。 自然体でいいのです。周囲は見てくれていますから。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312130000/「奇跡は、世の苦難に耐えて、苦労に苦労を重ね、 それでも、歯を食いしばって頑張って生きている美しい魂に、 天が感動して、偶然を装った必然で、 なんらの見返りも求めない完全無償で降ろすものなのです。 信仰や寄進に比例して、降ろすものではありません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201305070000/「幸運や助けは、頑張って、頑張って、 これ以上は出来ないというくらいに頑張った時に 偶然を装ってふとやって来るのです。 あなたのことをいつも見守っている存在からの 御褒美ということです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312150004/「努力して創造していく間が人生なのです。 人生を楽しんでください。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201208140000/「誰からも認められなくても、 真面目、誠実、勤勉に、コツコツと責任を果たしていく人に、 天は、偶然を装った必然で、運命の転機である出逢いと、 幸運の鍵を用意しています。。」 (ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201306100000/「神が、全ての人の願いを適えたら、人類は滅びるのです。 人間に有害なものを、人々が要求するからです。 天からの贈物は慎重な審査を経て下ろされるものです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201208260000/「汝は、毎日欠かさず、◯◯さんのおかげで幸せです。有難うございます。と唱えよ。 決して◯◯をして欲しいと注文をしてはいけない。」 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201109180000/「汝、天は準備のできていない人を助けないことを知り、 日々精進して偶然を必然とせよ。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201112050000/【スピリチュアル♪って何だろう?】 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201101190001/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.04.02
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「太陽も月も、自分を疑ったとしたら その瞬間に光を失うのです。 良心に恥じない自分であるのなら、 太陽や月のように堂々と振舞えるはずです。 」 太陽さんは、「私は太陽だ!」という意識をお持ちだと思うのです。そして、 自分が太陽さんであることを知っている。。。 自分が太陽さんであることに自信がある。。。 自分の太陽さんとしてのお役目を信じ続ける。。。 自分のお役目を果たすべく、太陽さんらしく存在し続ける。。。など、「太陽さん」は、自らが「太陽さん」である為の振る舞いをし続けているからこそ、「太陽さん」は「太陽さん」として、存在し続けているのだと思うのです。そのお陰様で、私たちは生かさせて頂くことが出来ているのだと思うのです。もし、「太陽さん」が 太陽さんであることを疑ったら。。。 太陽さんであることを放棄したら。。。 太陽さんとして のお役目を疑ったら。。。 太陽さんとしてのお役目を放棄したら。。。自分に対する疑念や、自分自身の放棄によって、太陽さんは太陽さんでなくなり、 太陽さんとしての光を失うと思うのです。太陽さんが光を失うということは、地上にも光が照らないということ。。。その結果、私たちだけでなく、地上の動植物さんなどの生あるものは、生かさせて頂くことが出来なくなると思うのです。それほどに太陽さんという存在は大きいと思うのです。 その存在の大きさ。。。 他に与える影響の大きさ。。。 自分でありながら、自分の為だけに存在しているのではなく、 他の存在の為にも存在し続けなければならない。。。(利他)など、自分が太陽さ んであることを信じ続けること、そして、自分の太陽さんとしてのお役目に対する責任感が、太陽さんを太陽さん足らしめるのだと思うのです。夜を月明りで照らして下さったり、満ち欠けによって周期を教えて下さるお月様も同じだと思うのです。そして、私たち人間も同じだと思うのです。「自分」という意識や個性、特技、能力を与えて頂いている私たち。。。その意識や個性、特技、能力は、幾度も繰り返してきた輪廻転生によって育まれてきた自分を表すものだと思うのです。ただ、その「自分」という意識や個性、特技、能力を、「宝物」とすることができるか否かは、私たちの心のあり方次第だと思うのです。「何が正しいかその全てを知っている良心」に素直に従って、人様のお役に立つことや、人様にお喜び頂けることに、自分の個性や特技、能力を正しく活かさせて頂けば「宝物」に。。。「自分さえ良ければそれで良い」という利己心を満たす為に、人様を傷つけたり、苦しめたり、悩ませたりしてしまうなど、良心に背いた形で自分の個性や特技、能力を悪用、乱用すれば、輪廻転生によってせっかく築き上げてきたものも「宝の持ち腐れ」どころか、自分で自分を貶める「ゴミ」にさえなってしまうと思うのです。そもそも、「何が正しいかその全てを知っている良心」とい う天法の写しをなぜ、地上の私たちに与えて下さっているのか。。。を良く考えることが大切だと思うのです。魂の修正や成長をさせて頂く為に、地上という修業の場を与えて頂いている私たち。。。輪廻転生を繰り返しながら育ませて頂いている「自分」という意識や個性、特技、能力を与えて頂いている私たち。。。そういう不完全な私たちが、修行の場である地上にただ降ろされただけでは、同じ過ちを繰り返してしまい、魂の修正どころか、更に業を積んでしまい、修正すべき点を増やしてしまいかねないと思うのです。そればかりか、自ら犯したその過ちがなぜ過ちなのかさえ分からぬままでは、反省したり、自らを律し、自制ることができ ないが故に、魂の修正をさせて頂くことができないと思うのです。そのような不完全な私たちが、地上という修業の場で、自分の選択と判断で、魂の修正や成長をさせて頂くことができるように与えて頂いているのが「良心」という心の羅針盤なのだと思うのです。 (ただ、その「良心」に従うか否かは私たちの自由。。。 自由の代わりに、責任も伴う、ということだと思うのです。)その良心に従って、過去から育んできた自分の個性や特技、能力を、人様のお役に立つことや、人様にお喜び頂けることに活かさせて頂く。。。自分の個性や特技や能力でありながら、 「自分さえ良ければそれで良い」という利己心を満たす為に活かすのではなく、 「人様のお役に立たせて頂けるなら。。。 人様にお喜び頂けるなら。。。 人様に笑顔になって頂けるなら。。。 自分にできることを喜んでさせて頂きたい。。。」という利他の心で、人様の為にそれらを活かさせて頂く。。。全ては、「何が正しいかその全てを知っている良心」に素直に従って生かさせて頂くこと ができるか否か。。。自分の個性や特技、能力を正しく活かせるか否かも、良心に従って活かさせて頂くことができるか否か次第。。。良心に背くということは、 自分という意識や個性を自ら拒否している。。。 特技や能力を正しく活かすことを拒否している。。。 正しい心で生かさせて頂くことをを拒否している。。。 魂の修正や成長の為の修行を拒否している。。。 自分で自分を否定する。。。 自分で自分に嘘をつく。。。 自分で自分を騙す。。。 自分で自分を裏切る。。。ということだと思うのです。それは、「自分」という意識の本質である私たちの魂にとって、不本意なことだと思うのです。「自分」という意識は、自分が良心に背いていることを、心のどこかで不本意であることを分かっていると思うのです。それ故に、良心に背いているときは、 心のどこかでうしろめたさを感じる。。。 邪念や下心が渦巻いている。。。 欲望に翻弄されている。。。という自分の弱さ、至らなさを感じていると思うのです。それ故に、 堂々とすることができない。。。 隠れてコソコソする。。。 人様の目が気になる。。。ことになり、自分らしく。。。ありのままの自分で。。。自然体の自分で生かさせて頂くことが出来なくなってしまうのだと思うのです。=良心に背いて生きる==堂々とすることができない==自分らしく生きることができない==自分という意識(光)を失う= (=邪念や欲に支配されている=) という等式が成り立つと思うのです。ということは、その逆の=良心に従って生きる==堂々とすることができる==自分らしく生きている==自分という意識(光)を輝かせる= (=邪念や欲を良心や理性によって支配できる=)という等式も成り立つと思うのです。天法の写しである良心は、 自分が自分らしくある為。。。 自分という意識(光)を輝かせる為。。。 自分の本質である魂が喜ぶ生き方をさせて頂く為。。。 に必要不可欠な重要な存在だと思うのです。私たち一人一人は小さな存在かもしれませんが、自分一人で生かさせて頂いているわけではないが故に、自分一人で何でもできるわけではないが故に、お互いに必要とし合っていると思うのです。ということは、自分という存在は、太陽さんと同じように、 どなた様かにとってはその存在感が大きい。。。 どなた様かに与える影響力が大きい。。。 自分でありながら、自分の為だけに存在しているのではなく、 他の存在の為に存在し続けなければならない役目がある。。。のだと思うのです。だからこそ、自分の為にも、人様の為にも、いつも良心を心の友として、自分に恥じることのないよう、堂々と生かさせて頂きたいものですね。源光「汝、良心に恥じず堂々と背筋を伸ばして生きよ。 天は汝と共に生きるであろう。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201111230000/「人から笑われようとバカにされようと、 自信を持って堂々としていればいいのです。 あなたが堂々としていると、 あなたをバカにして笑っていた人も恥ずかしくなって、 むしろ尊敬の念を持ってあなたに接してきます。 自分を卑下しているから、人にも軽視されるようになるのです。 あなたの素晴らしさ。天は全てを知っていますよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312040002/「世間や社会に恥ずかしくないように生きるのではなく、 自分に恥ずかしくないように生きていきましょう。(一部抜粋)」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201303030000/「人生は有限です。 ですから他人の気に入るような行動をするよりも、 良心に忠実に、自分を尊敬し、自分が満足できるような 行動をとるべきです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312060000/「良心に従って生きてください。 他人の批判を恐れ、人生を台無しにしてはいけません。」 (女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201206220000/「附和雷同。。。長いモノに巻かれろ。。。人の顔色をみて行動。。。 こういう人は、後で後悔する人です。 何時でもどこでも良心に恥じない自分でありたいものです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201211100000/「常に天法である心と対話してください。 人法の遥か上の境地で生きれば、 間違いの無い正しい生涯を全うできるのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201204020000/「誰も見ていないようでも全てを観ている存在があるのです。 あなたの日々の行動の全ては記録されているのです。 もちろん心の中で思ったことも。。。 良心に恥じることができるはずもありません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201506190000/「天は、全てを知っています。 何を考えたか、心の中までも。。 ですから心正しく生きなければ、 この世を去る時に大後悔するのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209140000/「人が見ていようといまいと、 正しき言動の出来る人でありましょう。 天は全てを知っています。 地上での勝ち負けは、大した問題ではないのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201310010000/「大切なのは心構えです。心的態度です。 天は、心でどう思ったか、どう考えたかを観ていますから、 偽善や形だけの善行は、ほとんど評価しないのです。 心的態度。。 これが、その人の才能や努力、知識以上に重要な要素です。 心を磨く。。 これが全てに優先するのです。。 幸運の鍵。。 いつでも渡す準備はできています。 あなたの心、純粋な心に期待して、待っています。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401050000/「自分の信じる道を真っ直ぐに歩んで行けばよいのです。 あなたの道を。。。 良心という道標があるのならば、 指導の存在、守護の存在は、随所であなたにアドバイスを与え、 奇跡を降ろして必ずあなたを助けるでありましょう。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201505120000/「人間は、その人がどういう人生を歩んできたのか、 苦しい経験を積んできたのかではなく、事が起きた際に、 良心に従って正しく行動したかどうかで価値が決まるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201410160002/「人間として一番大切なのは、頭の良し悪しではなく、心の良し悪しです。 幸せになるのも頭の良し悪しではなく、心の良し悪しです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201404100000/「信じようと信じまいと 唯物論者、無宗教者であろうと 人は誰でも見守っている存在があります。 誰も見ていないようでも全てを観ている存在がいて 心の中で思ったことまで知っている。。。 良心に恥じることができるはずもないのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201601060000/ 【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.04.01
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