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花園中央公園でモズを見かけました。(モズ)(同上)モズ・Wikipedia このモズが居たのは、若草読書会のお花見場所にもなっている花園中央公園の桜広場の一角。(花園中央公園の桜広場) 上の写真の右奥の方に背の低い生垣のような植え込みがいくつかありますが、その一つがこのモズのお気に入りの場所であったようです。 カメラを構えると、それに気付いたのかシャッターを切る前に飛び去ってしまいました。 撮影を諦めて、石のベンチで休憩していると、いつの間にか元の場所に戻っているのでした。(同上・モズ) そこは、地面から60~70cm程度の低い場所。 縄張り意識の強い鳥かと思うので、縄張りを主張するなら、背の高い木の見晴らしのいい枝にとまって見張らなければならない筈だから、このような低い場所で辺りを見回しているのは異例ではないかと思うが、メスであればそういうこともあるのかなど、モズのことをよくは知らぬヤカモチには、よく分かりませぬ。 モズを詠んだ歌も万葉集にありますので、紹介して置きます。春されば もずの草(かや)ぐき 見えずとも 我は見遣(みや)らむ 君があたりをば (万葉集巻10-1897)(春になるとモズが草の中に潜って見えなくなるように、見えなくなっても、私ははるかに眺めていよう、君の家のあたりを。)秋の野の 尾花が末(うれ)に 鳴くもずの 声聞きけむか 片聞(かたき)け我妹(わぎも) (万葉集巻10-2167)(秋の野のすすきの穂先に鳴くモズの声を聞いただろうか。よく聞きなさい、わが妻よ。)<参考>鳥関連の過去記事はコチラ。
2023.11.22
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地面にこんな穴ぼこがありました。(この穴ぼこは何?) ここは花園中央公園の桜広場の一角。 直径10数センチメートル程度の小さなへこみ。 ごく浅いものもあれば少し深いものもある。(同上) 凹みのごく浅いものも含めると、7~8個ほどある。 桜の木のほか、クスノキ、クヌギなどの木もある一画で、木の根元と根元の間の砂まじりの地面の雑草がまばらになった場所にある穴ぼこ。 樹上では雀の群れがしきりにチュンチュンと鳴き交わしていて、賑やかでありましたが、さて、この穴ぼこは何なのか。子どもたちが砂遊びでもした痕跡か。蟻地獄とは違って、穴の周囲に砂の盛り上がりは殆どない。 近くの石のベンチに腰掛けて待っていると、この穴ぼこの利用者さんたちがやって来ました。(雀の砂風呂) はい、この穴ぼこを作ったのは、スズメたちでありました。 羽をバタバタさせることで、周辺の砂粒が飛び散り、それを繰り返すうちにこのような穴ぼこが形成されたようです。(同上2) スズメたちの砂風呂でした。 ここで砂を浴びて、羽についた虫や不快なものを払い落とすのかもしれません。(同上3) 穴ぼこに入って翼をバタバタさせると砂が舞い上がり、砂をかぶることができます。その状態で体を揺すると砂が体から滑り落ち、それで羽などに付いた虫などを払い落としているようです。(同上4) 浅い穴ぼこだと体の下部しか隠れませんが、体がすっぽり隠れてしまうほどの深さのある穴ぼこもある。 20羽から30羽くらいのスズメの群れが舞い降りて来て、その群れの中の一部が、この穴ぼこに入って翼をバタバタやり始めたのでした。穴ぼこでバタバタするのは1~2秒の短い時間で、次のスズメと入れ替わる。中にはもっと長い時間穴ぼこに入ったままというのもいるが、それでも3~4秒位のようです。 「いい湯だな」という、長風呂派はスズメの流儀にはないようです。 まあ、カラスの行水という言葉もありますから、カラスもスズメも風呂は短いのでしょう。(同上5) ムクドリや鳩などもやって来ましたが、彼らはこの雀の砂風呂には何の興味もないようです。(同上6) スズメは皆このような砂浴びをするのか、それともこの群れがたまたま獲得した「文化」としての砂風呂であって、この群れにのみ見られるものであるのかなどは、勿論、ヤカモチの存じ上げぬことにて、不明である。(同上7) 穴ぼこに入っているスズメたちの姿はユーモラスで愉快。 指宿みたいだね、とでも話しているのかも。(同上8) はい、本日の銀輪散歩は、雀の砂風呂、日帰り温泉の巻でありました。<参考>鳥関連過去記事はコチラ。We stand with Ukrainians.(STOP PUTIN STOP WAR)
2022.06.18
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今日は、銀輪散歩見かけた鳥たちです。 花園中央公園の池にバンが居ました。(バン<鷭>)<参考>バン・Wikipedia オオバンは最近よく見かけるが、バンは見かけない。 以前、新潟の福島潟を銀輪散歩した際にオオバンを見ましたが、その時たまたま出遭った野鳥保護監視員の方から、オオバンという名前の鳥だと教えていただいたのでした。 その方の話の中で、バンという名の鳥もいることを知り、実物を一度見てみたいものと思っていたところ、その実物に遭遇したのでありました。写真では既に見て、どんな鳥かは承知していましたが、実物のバンを見たのは初めて。それも大阪で、しかも近所の公園の池でお目にかかるとは、まことに奇遇でありました。<参考>福島潟銀輪散歩 2013.2.3. オオバンがいた 2018.3.6. 銀輪鳥散歩・カモ、サギ、オオバン、カラス 2021.2.9. ツグミとオオバン 2022.3.19. その福島潟での記事を参照すると、オオバンの額の額板が白いのに対してバンのそれは黄色だと書いているが、これは、野鳥保護監視員のご説明を聞き違えたヤカモチの誤解で、バンの額板は朱色と言うか赤いのである。 バンは足に水掻きがないので、泳ぎが苦手、首を前後に振って、推進力を得ている。上の写真がピントの甘いものになっているのは、その首振り動作の所為である。 もっと、鮮明な写真を撮りたかったが、やがて葦の生えている中へと入ってしまったので、名誉バン回はならず、諦めました。(カモ) カモと言っても色んなカモがいて、その区別はヤカモチの手には負えないのであるが、これはヒドリガモ<緋鳥鴨>かと思う。 上の写真のバンがいた池の岸辺に上がって草をつついていました。(同上) 次はカラス。(カラス軍団) これは、墓参から帰って来たら自宅近くに群れをなしていたカラス軍団であります。 ヒッチコックまでは行かぬまでもヒッチゴッコ程度に、もっと多く群れていたのですが、カメラを構えると半数近くが飛び去ってしまって「軍団」という程の景色にもならず、「落胆」でした。 以下は、先日の京都銀輪散歩で見かけた鳥です。(ヒヨドリ♂) 二羽いたのですが、これはオス。色合いの地味な方のメスはカメラを向けたらすぐに高い木の上へと移動してしまいました。(同上) オスの方は、動じる風なくカメラの方をしっかりと見据えています。 その根性や、よし。 木の上に逃げた彼女に、いいところを見せなくては、ということなんでしょうかね。ここが勝負時。ヒヨドリも ひ弱なところ 見せまじと 男はつらい 逃げもならじか (寅さん)(同上) どうやら、ヤカモチは無害と判断したか、メスの方を向いて、ヒヨドリ声で、大丈夫だよ、と言って居ります。ヒヨドリの 恋路邪魔する 野暮はせじ 踵かへして ヤカモチ去りぬ (野暮家持)(アヒルとカワウ) これは龍安寺の池に居たアヒルとカワウ。 アヒルの横で盛んに羽つくろいをしている黒いヤツがカワウ。 ヤカモチもこれ位首が長く関節がしなやかであったなら、孫の手は要らないのであるが・・。 カメラを向けていると、アヒルさんたちは、左の植え込みの向こう側に回り込み、カメラの死角に退避してしまいました。(カワウ) それにも気づかぬか、カワウはせっせと羽つくろい。(同上)<参考>カワウ・Wikipedia(同上) ちょっとやり過ぎではないですか。 こちらの事はまったく無関心、無警戒。 こういうのをウカツなヤツと言うのカモ。 最後は、鴨川で見かけたアオサギ。(アオサギ) 橋の下で雨宿りしているヤカモチの近くにやって来たアオサギ。 まあ、オレオレサギでないから、近くに来ていただいても一向に構わないのであるが、サギとのお付き合いの経験がないので、どうご挨拶申し上げてよいのやらが分からないヤカモチなのであります。(同上) どうやら、ヒト慣れしたサギのようだ。サギ慣れしていないヤカモチとは既にして勝負あったであります。 彼は、ヤカモチを軽く鼻であしらい、悠然とヤカモチの前を横切って橋の下へと入って来ます。 カメラを向けても、知らん顔。(同上) はい、雨宿りをするアオサギであります。アオサギも すなる雨宿り ヤカモチと 橋の下にて 小止みを待つか (鷺家持) 以上、銀輪鳥散歩でありました。<参考>鳥関連過去記事はコチラ。We stand with Ukrainians.(STOP PUTIN STOP WAR)
2022.04.20
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このところ、足の裏が痛むことから、自己診断で足底筋膜炎と見て、鍼灸整骨院に通院しているが、3月14日を第1回とし、今日31日が5回目の施療となるが、痛みの方はさして変わらない感じである。まあ、もう少し通って様子を見てみよう。 さて、その整骨院からの帰宅途中、二階建ての民家の屋根の上にアオサギが居ました。 遠目にはパラボラアンテナかと見えましたが、近づくにつれて鷺だと気づきました。 鷺は河原など水辺近くではよく見かけるが、カラスやその他の小鳥のように住宅の屋根にとまっているのを目にしたのは初めて。 まあ、高い木の上にとまっていたりするのを見ることもあるから、屋根の上に居ても不思議ではないが、この鳥にはいかにも不似合いな場所にて、やはり違和感を覚える。 そんなことで、ズームで何枚か写真撮影してみた。(屋根の上のアオサギ) はてさて、そんな処で何をしているのやら。(同上) キョロキョロ。 水辺では水中の魚や蛙やオタマジャクシなどを狙っての狩ということで、じっと動かないでいることが多いが、屋根の上ではキョロキョロしたり、首を曲げたり、羽繕いをしたりと、何やら盛んに動くので、撮りづらい。(同上) 鷺の万葉歌は1首あるのみで、鶴や鴨やホトトギス、ウグイスなどと違って、万葉人は余り関心を示さなかった鳥のようである。池神の力士舞りきじまひかも白鷺の 桙ほこ啄くひ持ちて飛び渡るらむ (長意吉麻呂 万葉集巻16-3831) この歌の歌碑は、奈良県宇陀市榛原池上の蓮昇寺の境内にあるのを見て以前に記事にしたことがあるので、歌の意味などはその記事をご参照ください。<参考>中学時代の級友との大宇陀万葉ウオーク下見 2017.11.10. 万葉集の歌は「白鷺」にて「青鷺」ではないから、こいつは万葉鳥ではないということになるか(笑)。 まあ、偐万葉にはその方が似合うというものではある。屋根の上の ヴァイオリン弾きか 青鷺の 甍の上に 立ちてある見ゆ (青家持) アオサギ・オン・ステージならぬオン・ルーフでありました。(同上)<参考>鳥関係の過去記事はコチラ。
2022.03.31
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銀輪散歩で見かけた鳥です。(ツグミ) 先ずはツグミ。 ツグミは昨年2月3日に記事にしていますので、それ以来の二度目の登場であります。<参考>つぐみつぐみ春立つらむぞ 2021.2.3. 加納北公園で見かけたツグミです。 ツグミは、ちょんちょんと動いては静止して上空を見上げます。これを何度も繰り返すので、その動き方の特徴からツグミであることが遠くからでもそれと分かる。 スズメやムクドリのように群れで行動せず、単独行動。上空から肉食の猛禽類が襲って来る危険についても、見張り役の他の鳥に依存することはできず、自分自身でこれを警戒する必要がある。 それで地上を移動する際には、何歩か移動するごとに上空を見上げて危険がないかどうかを確認しているのだろうと思う。(同上) 従って、ツグミの写真はどうしてもこのような上空を見上げているポーズが多くなる。前方や下を向いている時は動いている時なので、そのような姿の撮影画像はぶれてしまうことが多いのである。 ツグミはシベリアで繁殖し、日本などへは越冬のため飛来するようだから、夏になる前には、シベリア方面に帰ってしまう。 従って夏になるとツグミの声が聞かれなくなることから、口をつぐむという意味でツグミと呼ばれるようになったという説があるらしいが、シベリアに帰っても口をつぐんでいないで、NO WARとかSTOP PUTINとか声をあげて欲しいものであります(笑)。 次はオオバンです。 R308号の南側、恩智川に新川が流れ込んでいる付近にいたオオバン。 この写真は、一昨日(17日)撮影のものです。 撮影していると男性が近づいて来られて、この鳥はいつも此処に居るのだと仰っていましたが、今日(19日)通りかかると、やはり同じ場所に居ましたので、男性の仰る通りでした。(オオバン) 花園中央公園の池にはオオバンが居ついていて、水面を泳ぐ姿は見慣れているが、このように水から上がっている姿を見るのは初めてである。(同上・2) オオバンの足は、通常の水かきはなく、木の葉形状の水かきが指の両側についていて、弁足と呼ばれる独特の形状をしている。(同上・3) 此処は川の真ん中の川底が少し高くなって水面から顔を出している場所である。まさかここで営巣する訳ではないと思うが、このところずっと此処に居るということはその可能性も否定できない。 しかし、少し水嵩が増せば水没してしまうから営巣には不適であるし、外から丸見えの無防備な立地、そんな馬鹿な選択をすることはないものと信じましょう。 抱卵は雌雄カップルで行うらしいから、近くに別のオオバンの姿も見られないということで、単なる休憩場所にしているだけと考えるべきか。(同上・4)<参考>オオバンが登場する過去記事オオバンがいた 2018.3.6.銀輪鳥散歩・カモ、サギ、オオバン、カラス 2021.2.9.(同上・5) 以上、銀輪鳥散歩でありました。<参考>鳥関係の過去記事はコチラ。#Ukraine #ウクライナ
2022.03.19
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今日は月例の墓参。 しかし、写真を撮ったのは、途中の畑の前の樫の木の下に巣を張っている大きなジョロウグモの1枚だけ。これは、追って「虫」関連の記事で使用することとし、先々月(10月7)、東京の妹が帰阪した折に、妹たち二人と一緒に墓参をした時の写真2枚がブログ未掲載のまま残っているので、これで代用することとします。(墓参) お天気も、西方向の景色の霞み具合もよく似た感じでしたから、今日の景色の代用としては十分にその役割を果たしている写真であります。(墓地のランドマークのクスノキ) 今日は、このクスノキの枯れかかった枝に一羽のカラスがとまって盛んにカアーカアーと鳴いていました。 カラスも声を張り上げて鳴くときは、両の翼を少し広げるようにして、やや前のめりの姿勢で声を出すのですな。 左側の白くなっている部分の下あたりから横に伸びている黒い部分、枝と言うよりは幹と言ってよい太い部分にとまって鳴いていたのでありました。 このクスノキ、今日見た感じでは、この写真よりも更に枯れ具合が進んでいるようにも見えましたから、早晩にすべて枯れてしまうのではないかと心配ですが、左半分はもう駄目としても、右半分で何とか持ちこたえて生気を取り戻して欲しいものです。父母祖父母 見し楠よ 枯れずあれ 墓地の守りと 立ちても来れば (偐家持) 墓参の後、昼食後に近くを銀輪散歩。 加納緑地と花園中央公園で猫と出会いました。 加納緑地で出会った猫は、当初カノウ君かと思いましたが、少し感じが違うので、新顔の猫かと思います。ということで、同じオス猫なので、カノウ2君という名にしました。(カノウ2君♂)<参考>カノウ君の写真掲載の記事はコチラです。 その後、花園中央公園に回ると、麦茶が居ました。 麦茶君は小林一茶のパロディとして名づけましたが、なぜ小林一茶であったのかは、忘れました。(花園麦茶♂) 彼と初めて会ったのは昨年の5月であるが、その時は、足早に逃げて行き、ちょっと振り向いて見ただけの異邦猫という雰囲気であったのですが、声を掛けると、小林一茶はワシの弟子や、と偉そうな口のききよう。 何となく横柄でつれない素振りでしたが、今回は、ヤカモチと付かず離れずの1~2m程度の距離を保ちつつ、長らく一緒に居てくれました。 彼もコロナ禍の逆風にさらされて一回り大きく成長したのかも。<参考>麦茶との初対面記事はコチラ。(同上 手前の自転車はマイCB) この後、犬を連れたご婦人が奥の小径を通りかかろうとすると、ヤカモチの背後に隠れるような位置に素早く移動。 何やらヤカモチを仲間と考えてくれたような行動ではないか。 そうではなくて、餌もくれないこのおっさん、隠れるための岩くらいの役にしか立たん、と考えて、早速にそのように利用しただけであったのかもしれません。(同上 「麦茶殿、一句できましたかな?」) 帰ろうとCBを押しながら、公園の出口に向かうと、後ろからついてくるではないか。ヤカモチが公園の垣根から外の道路へと出たところで、その垣根の内側を使って、ヤカモチから離れて行きました。犬から隠れることができたお礼に、出口までヤカモチを送ってくれたのか。であれば、まことに義理堅い猫である。 ネコついでに、以前の銀輪散歩で見かけたネコの写真でブログ未掲載のものも、この際一挙公開であります。 先ずは、水走公園のアオメ。(アオメ♂) アオメとの初対面は2020年7月であるが、この写真は今年の11月19日のもの。彼とかなり顔見知りなってからのものであります。<参考>アオメとの初対面記事はコチラ。 この日の彼は、砂場でしきりに砂を掘っているのでありました。 砂を掘ってどうするのかと観察していましたが、それでどうするということもなく、ある程度掘ると別の場所に移って新しく掘り始める。掘ること自体が目的のようです。まあ、砂場で砂遊びをする子どもも似たようなものかもしれません。 ここ掘れワンワンは花咲か爺さんだが、ここ掘れニャーニャーと言っても反応しないボンクラ・ヤカモチに業を煮やして、こういう風に掘るのだと教えてくれているのかもしれない。(同上) しかし、一向に反応しないヤカモチ。 さすがのアオメも「こりゃアカン。アホ臭いことやめとこ。」とあきらめたようで、砂場から立ち去って行きました。(同上) 水走公園を立ち去ろうとするヤカモチに「気ぃつけて帰りなはれ。」と見送るアオメであります。 その時、気づいたのは新顔のこの猫。(水走公園の新顔猫♂♀不明) 耳を見ると、カットされていないから、まだ保護されていない野良猫なのか何処かの家の飼い猫が散歩に出て来たのかは不明。 何やらどっしりと構えていて、ちょっと風格のある猫でありました。 次は、恩智川べりのネコたちです。 以下は、今年11月12日の写真です。(恩智左膳♂) この猫は、右前足が付け根から欠損している三本足のネコである。 丹下左膳と恩智左近とに掛けて「恩智左膳」と命名することに。 こういうハンディを持ったネコは、人が与えてくれる餌でもなければ生きては行けないのかも。 ヤカモチは餌を与えない主義であるが、こういうネコを見ると気持ちが揺らぐ。この日は一人の男性がキャットフードを彼らに与えて居られましたが、恩智川辺では生き抜くための餌は与えられる環境にあるようです。(段衛門♀) 河川敷に捨てられた段ボール箱がお気に入りなのか、そこから動こうとしない。ということで、段衛門と命名。 メスなのに段衛門はおかしいだろうと思われるかもしれませんが、段衛門ではなく段・衛門なのである。 女流歌人・赤染衛門の向こうを張って、段衛門なのである。やすらはで 寝なましものを 段ボール ひしゃげかたぶき い寝がてにする (段衛門)(本歌)やすらはで 寝なましものを さ夜ふけて かたぶくまでの 月を見しかな (赤染衛門 後拾遺集680 小倉百人一首59)(おはぐろ♀) こちらは、何やら上品な感じ。 お歯黒という意味の「おはぐろ」ではなく「尾は黒」という意味の「おはぐろ」である。尾は、旧仮名遣いでは「を」であるから、正確には「をはぐろ」とすべきであるが「お歯黒」も捨てがたいとて「おはぐろ」といたしました。 面白くない? そりゃそうでしょう。 尾は黒いのですから、尾も白い筈がありません。 以上、墓参とは何の関係もない「ネコ歩き」記事となりました。<参考>過去の猫関連記事はコチラ。 過去の墓参関連過去記事はコチラ。
2021.12.03
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先日(8日)、喫茶「ペリカンの家」に立ち寄った折のことですが、店の前庭の「喫煙ベンチ」に腰かけて一服している時のこと。 ピ―――ッ・・・ピ―――ッ・・・と何処やらで小鳥の鳴く声。 何処で鳴いているのかと見まわすと、道路をはさんで向かいの病院の関係者用駐車場入り口脇の楓の木のてっぺんに小鳥の姿が見えました。(ジョウビタキ) カメラを取り出して、ズームで撮りましたが、少しピントの甘い写真になってしまいました。まあ、コンパクト・デジカメではこれくらいが関の山か。(同上)<参考>ジョウビタキ・Wikipedia ジョウビタキは、尉鶲、常鶲と漢字表記するようだが、スズメ目・ツグミ科・ジョウビタキ属の鳥。 オスは頭頂部が白く、目の周りが黒いということだから、これはメスのジョウビタキなんだろう。 チベットから中国東北部、沿海州、バイカル湖周辺で繁殖し、越冬のため渡りをする渡り鳥とのこと。日本でも北海道や長野県のほか、兵庫県、岡山県、鳥取県などで繁殖が確認されているそうだから、この鳥が大陸から渡って来た鳥とは限らない。 冬になるとよく見られる冬鳥。これからしばらくは、この鳥を見かけることも多くなるのだろう。 大きさはスズメくらい。翼の白紋がよく目立つので、容易に見分けられる鳥である。 今年の立冬は11月7日。この鳥を見たのは11月8日。 ヤカモチに冬が来たよ、と告げに来たのでもあるか。 そう言えば、フユ――ッと鳴いていたような気もしないではない。冬立つと 告げに来たるか 尉鶲 ほつ枝にありて 冬と鳴くらし (尉家持) 普通、鳥が木のてっぺんにとまって囀るのはオスが縄張りを主張している行動だと思っていたが、メスも同様の行動をするのか。 まあ、最近はジェンダー・ギャップの是正が言われる人間社会であるから、ジョウビタキ世界もこれに倣って、メスが縄張りを主張しても差支えなし、ということになったのかも。縄張り主張のことは別として、タリバン諸君もジョウビタキを見習って欲しいものである。<参考>鳥関連の過去記事はコチラ。
2021.11.12
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近ごろは余りネコを見かけなくなっている。 彼らも緊急事態宣言で不要不急の外出を差し控えているのであるか。 今日は、ネコロンと出会いましたので、久々の「ヤカモチ的ネコ歩き」の記事とします。(キジトラ猫のネコロン) 実は、昨日もネコロン(♀)はこの場所に居ました。 此処が彼女のお気に入りの場所なのか。 この付近は、同じキジトラ猫の清兵衛(♂)、ジャックナイフ(♂)などをよく見かけた場所。ネコロンも清兵衛グループの猫である。 しかし、このところネコロンを見かけるのみで、清兵衛やジャックナイフの姿はない。どうかしてしまったのだろうか。<参考>ヤカモチ的ネコ歩き 2020.4.27.(同上) カメラを向けた時は、ネコロンは眠っていたのか目を閉じていましたが、シャッター音かヤカモチの接近する気配に反応したのか、ぼんやり目を開けました。 ヤカモチに気づいたものの「何や、またアンタかいな。餌もくれへんくせに、なれなれしい顔して近づかんで欲しいワ。」と無視、再び目をつむってしまいました。 さて、以下は、かなり以前の撮影になりますが、同じく銀輪散歩で見かけたネコたちです。 先ずは、さまざまなポーズを取ってくれたポーズちゃん(♀)です。(ポーズちゃん・ポーズ1)(同上・ポーズ2) 彼女は、小柄な若い猫です。(同上・ポーズ3) 色々なポーズを、頼みもしないのにとってくれましたが、さすがに疲れたのか、最後は、投げやり気味に、ドテッと横になって「もう、おしまいよ。」と言いました。(同上・ポーズ4) 次は、加納のクロ(♂)です。(加納のクロ) この屋根付きベンチは、ヤカモチのお気に入りの休憩場所でもあるのですが、三毛猫ホームレス(♀)やこのクロが先客で居ることがあります。(同上) この日は、ホームレス嬢の姿はなく、クロだけでありました。 彼は余り愛想がよくなくて、ヤカモチが近づくとそれとなく立ち去ってしまいます。 今日は、ネコたちの休日風景でありました(笑)。 因みに、日本猫の種類は、白猫、黒猫、サビ猫、ブチ猫、三毛猫、キジトラ猫、茶トラ猫、サバトラ猫の8種らしいので、これを歌にすると、こうなります。日(ひ)の本(もと)に ありたる猫を 指折りて かき数(かぞ)ふれば 八種(はちくさ)の猫 (山上猫良(やまのうへねこら))(本歌)秋の野に 咲きたる花を 指(および)折り かき数(かぞ)ふれば 七種(ななくさ)の花 (山上憶良 万葉集巻8-1537)日本猫 白黒ブチに 三毛にサビ キジトラ茶トラ サバトラの猫 (偐猫持)<参考>犬、猫などの過去記事はコチラ。
2021.09.13
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雨が降ります、雨が降る。 向こう1週間の予報もずっと雨マーク。 北部九州や広島では大雨特別警報が出され、各地で土砂災害警戒情報が発出されている。既に各地で被害が発生、死者・行方不明者も出ている。 大阪でも、高槻市、茨木市などで土砂災害警戒情報。枚方市や交野市などでは高齢者等避難指示が出されているが、わが東大阪市は今のところ何もなしである。 大阪管区気象台の説明では、今夜(14日)から明日(15日)昼頃にかけてが大雨のピークとなり、1時間60ミリの大雨になるかもという。 ただ、予想天気図を見ると大雨は大阪府でも北よりの地域で、東大阪市域は、その圏外のように思われる。 ヤカモチの自宅は生駒山系の西山裾の高みの中ほどにあるので、そこそこの高さ。川の氾濫などによる浸水被害は心配しなくていいが、山側からの土砂崩れ、土石流、地滑りなどの被害は一応念頭に置いておく必要があるだろう。ハザードマップでも黄色く塗られた土砂災害の危険が及ぶ可能性のある区域に入っている。まあ、山裾の区域は全部黄色であるから、特に危険な区域という訳ではない。谷筋からは外れているから土石流の直撃ということはないのでは、と思っている。山体崩れというような大規模崩壊でもない限り大丈夫なのでは・・という次第。 雨はこの先1週間位続くようであるが、明日の昼頃までがピークなら、一応先が見えたことになる。 一方、先が見えないのが、新型コロナ感染爆発。 東京は、昨日の過去最多5773人よりは減少したものの、過去2番目の多さで、土曜日としては過去最多の5094人。 大阪は過去最多の1828人。 雨量も観測史上最多なら、コロナ新規感染者数も過去最多。もう、踏んだり蹴ったりの日本であります。 そんな中、昨日(13日)、雨が小止みになったので、毎年恒例のお盆前の墓参に行ってまいりました。 今回は、我が家の墓のあと、生駒の叔母の夫、S叔父が眠るお墓へもお参りすることとしました。(墓地からの眺め S叔父の墓への入り口から撮影) 上の写真の右側に写っている家の向こう側に、耕作されていない田んぼがあって、雨水がたまって池のようになっているのでしたが、そこに鴨が2羽やって来て泳いでいました。 盛んに水中に首を突っ込み、何かを食べているようなのですが、確かここはレンゲソウがいっぱい咲いていた場所。水中のレンゲソウを食べているのだろうか。鴨だけに、そうカモ、違うカモ、であります。(田んぼの鴨) 今頃ここにいるということは、渡りを諦めて、ずっと居るつもりなんでしょう。コロナの所為で母国に帰れなくなった外国人とは事情が違うようですが、ビザもパスポートも不要、出入国管理局の管轄外の鴨ですから、どうであれご自由に、であります。 ネギをしょっていたりするとまた違って来るカモ。(同上) 墓参を終えて帰る頃には、再び雨がパラつき始めましたが、さして濡れることもなく、背中のザックに入れていた折りたたみ傘を取り出す必要もなく、自宅まで帰り着きました。 途中の道の辺では、カラスが秋の準備。 カラスと言っても、カラスウリのことでありますが。(カラスウリ) 秋の準備を始めているカラスウリ。 花の名残りと実の出来始め、夏から秋への橋渡しであります。(同上) 次は鳩。 これは、昨日の墓参の折のものではなく、何日か前、未だ「雨季」に入る前の時の銀輪散歩で撮影したものです。 白い鳩。珍しい訳でもないが、群れの中では目立つので撮ってみた。(白い鳩) 色の黒い、その他多数の鳩は、遠慮がちに後方に控えている。(同上) そして、ハトのハートです。(ハート) ハト、ハト、ハート。 嘴の付け根にハートマークを付けているのがハト。 従って、ハトたちはこれをハートマークとは呼ばず、ハトマークと呼ぶのであります。(同上)(同上) コロナ禍の鳩の姿です。(間隔をとる鳩) 時に群れたりもするが、このようにコロナ対策をしている鳩もいる。(同上) 今日は、トリあえずトリの話でした。
2021.08.14
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昨日(5月7日)は、銀輪散歩で雨に降られて雨宿りを余儀なくされました。 雨具の用意をしていなかったので、花園中央公園桜広場近くのあずま屋に緊急避難、そこで小一時間の足止めでありました。(あずま屋からの眺め 左から東方向~南方向~西方向)(同上・左から南方向~西方向~北方向) 手持ち無沙汰の雨宿り。 カメラを回してパノラマ撮影。 時々、雀が遊びにやって来たりしましたが、話し相手にはならない。 しばらくして、上の1枚目の写真の左端に写っている屋根付きベンチの下に猫も雨宿りしているのに気づきました。 上の写真ではネコの姿は写っていないので、その後にやって来たのだろうと思う。(猫も雨宿り)(同上) 猫も手持ち無沙汰。所在なげな姿。 ヤカモチも多分こんな感じであったのかもしれない(笑)。 望遠で撮っているので、判然とはしないが、顔なじみの猫ではないようだ。 花園中央公園や恩智川べりにたむろする猫は顔なじみも多いのだが、知らぬ顔の猫も多い。 猫の写真を掲載したついでに、これまでの銀輪散歩で見かけたいくつかの猫の写真のストックがあるので、これを掲載することとします。(恩智川畔・花園中央公園南側の猫・・名前はまだない。)(同上 見返り美人ならぬ見返り猫。)(恩智川のブチ) ブチも上の「名前はまだない」猫と同じく、花園中央公園南側の恩智川べりでよく見かける猫である。 次は、国道308号(中央大通り)と恩智川が交差する付近で見かけた猫である。(恩智川べり・中央大通り付近の猫)(同上) 次は、水走公園のアオメ。(水走公園のアオメ) この写真では目の色はわかりにくいが、目の青い猫である。白猫は色素が少ないのだろう、目の青い猫が多い。中には左右の眼の色が異なる猫もいるそうだが、まだそういう猫を実際に見たことはない。 最後は、加納緑地の三毛猫ホームレス。 ホームレス君、ちょっとふてくされています。(三毛猫ホームレス) 結局、雨は止む気配なく、少し小降りになったところで、雨中を走って帰宅ということになりました。 ウェストポーチには使い捨ての携帯用雨合羽が入っているのだが、これを使うまでもない程度の降り具合、ということで使用せず、でありました。 これは、かなり前、昨年か一昨年かに、馴染みの喫茶店の店主・ももの郎女さん(楽天ブログ上のお名前は「☆もも☆どんぶらこ☆」さん)に頂戴したものである。 いざという時のための「安心」ということで、今日に至るも使用しないまま、ウェストポーチに眠り続けているという次第。(Pockep) 収納された状態は、名刺くらいの大きさである。 厚みは1cmあるかないか位。 まだ使ったことがないので、本当に役に立つのかどうかは不明であるが、少しくらいの雨でこれを試すのは勿体ない気がして、今回も使わず仕舞いでありました(笑)。(同上・裏面)
2021.05.08
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今日はムクドリ。 ムクドリの写真は昨年4月の記事にも掲載していますが、今回掲載の写真は、今月19日撮影のものです。<参考>ころなと鳴くは何の鳥 2020.4.9.(ムクドリ)<参考>ムクドリ・Wikipedia ムクドリ(椋鳥)は、スズメ目ムクドリ科の鳥。 学名は、Sturnus cineraceu。 英名は、White-cheeked Starling又はGrey Starling。 スズメを一回り大きくしたサイズの鳥。ヒヨドリやツグミとほぼ同じ大きさである。英名が示すように頬に白紋があるのが特徴。(同上) ムクドリは雑食。椋の木の実を好んで食べるというので椋鳥という名がついたということだが、真偽のほどは不明。 植物の実や種子、穀物、花蜜のほか昆虫などの虫も食べるので、害虫を捕食してくれる益鳥とも考えられていたが、群れ集まるというその習性から、最近は害鳥という評価のようである。 大きな群れとなって街路樹などで夜を過ごすので、その糞害やギャーギャーと喧しい鳴き声が騒音となっているようです。 銀輪散歩などで、夕暮れ近くムクドリが宿として集まっている樹木の下を通りかかったりすると、確かに騒がしいし、その樹木の下に白く点々とまき散らされている糞を目にすると、糞を頭上に落とされては大変と急ぎそこを通過するのであるが、確かに或る場面では「害鳥」である。(同上) 彼らが群れるのは、天敵対策なのだろう。 都会の街路樹などに集団をなすのは、都会の方が天敵が少ないということで、山野から都会に進出して来たのである。 キジバトやシジュウカラなど他にも都会で営巣する鳥が増えて来ているのは、同じ理由によるのでしょう。 集団で居る方が、天敵の襲来に気づき易くなり、その分天敵から逃げ易くなるというもの。鷹などの猛禽類にとっても、対象が集団で居ると、見つけ易い反面、目移りがして狙いが定まらず、狩に失敗することが多くなるのかもしれない。 アイルランドの或る湖上での光景として、ムクドリの大集団が巨大な鳥の形に見える状態で飛翔する姿の写真がネットに掲載されていましたが、このようなものを見たら、さすがの鷹もこれに接近する「勇気」はないのでは、と思う次第。<参考>ムクドリが群れを形成し「別次元の巨大な鳥」に(アイルランド)(同上) ムクドリは春から夏に営巣・子育てをするようで、この時期は、大きな集団は構成しない。雛が成鳥となった夏から秋に群れが大型化して行くようですが、どのような基準、システムで集団の大型化が形成されて行くのでしょうね。(同上) この日に見かけたのは10数羽の小さな集団。 スズメやハトと一緒に、ピョンピョンと軽快に草地を駆けて、盛んに何かをついばんでいる。草の種子などを拾っているのだろうか。 動きは、スズメよりもはるかに素早い。スルスルと横移動するので、カメラで追いかけるのも苦労する。 同じ位のツグミに比べても動きが素早いように思う。 ツグミは単独行動なので、ピョンピョンも何やら「ためらい勝ち」というかキョロキョロ警戒しながら、右に左に、という感じなのに対して、ムクドリにはそのような「躊躇い」は見られず、直線的に素早く走る。(同上) 椋鳥は、冬の季語だそうな。 江戸時代には冬になると地方から出稼ぎに江戸にやって来る人を「田舎者」という意味で「椋鳥」と呼んで揶揄ったらしい。 信州から江戸に出て来ていた小林一茶もそのような体験をしたものであるか、「椋鳥と人に呼ばるる寒さかな」という句を詠んでいる。 偐家持も「田舎家持」と自称しているのであれば、「椋鳥とわが名を呼ばむ草の道」とでもして置きましょうか。(同上)椋鳥と ともにしぐれて ゆく道も 花は変らず 咲きてぞあれる (椋家持)<参考>鳥関連の過去記事はコチラ。
2021.03.22
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ながらくブログの更新を怠って居りました。 単にサボっていただけであります。 余りサボり過ぎて皆さんから忘れられてしまってもいけませんので、再開であります(笑)。 今日はヒヨドリさんであります。(ヒヨドリ<鵯>)<参考>ヒヨドリ・Wikipedia ヒヨドリはよく見かける鳥であるが、このようにアップで撮影したのは初めてのこと。 こちらを見ているようです。(同上A) 目が合ってしまいましたが、物陰からそっと撮影しています。 アングルの所為もあるが、何ともコロンコロンに太って見える。(同上B) ヒヨドリの万葉歌については、この2首をあげて置きましょうか。 万葉集に「呼子鳥」として登場する鳥がいる。 人を呼ぶような声で鳴く鳥ということで、「呼子鳥」というのだろうが、この鳥が何の鳥であるかについては未詳である。 カッコウだろうというのが有力説であるが、ウグイス、ホトトギス、ツツドリ、ツグミなどと並んでヒヨドリだという説もある。 まあ、猿の声だという説もあるので、山路を歩いていて、人を呼ぶような声で鳴く鳥や獣のことを「呼子鳥」と言ったに過ぎず、特定の鳥を指した言葉ではないのかも知れないのだが、今日は「ヒヨドリ説」を採用することとしました。 こういうのを「ヒヨリミ(日和見)主義」とも言いますな(笑)。(同上C) さて、呼子鳥を詠んだ万葉歌は数首あるが、この2首が最もよく知られているのではないでしょうか。大和には 鳴きてか来(く)らむ 呼子鳥(よぶこどり) 象(きさ)の中山 呼びそ越ゆなる (高市黒人 万葉集巻1-70)神奈備の 磐瀬(いはせ)の社(もり)の 呼子鳥 いたくな鳴きそ 我(あ)が恋まさる (鏡王女 同巻8-1419) カッコウは「かく恋ふ」と鳴くからカッコウと呼ぶということなら、上の2首の「呼子鳥」はカッコウが似合いで、「ヒーヨ、ヒーヨ」と鳴くヒヨドリはかなり分が悪いように思われる(笑)。 しかし、今日は「ヒヨドリ説」で日和見を押し通すこととします。(同上D) 何と言っても、今日のヒヨドリは可愛いではないか。 こんなに可愛く写っているのだから、「ヒーヨ」と鳴いても「呼子鳥」の資格があるというものである。(同上E) もう一つ、こじつけの万葉歌を紹介します。天皇、太后共に大納言藤原の家に幸(いでま)しし日、黄葉(もみち)せる沢蘭(さはあららぎ)一株(ひともと)を抜き取りて、内侍佐佐貴山君(ささきのやまのきみ)に持たしめ、大納言藤原卿と陪従の大夫等とに遣賜(たま)へる御歌一首命婦誦(よ)みて曰くこの里は 継ぎて霜や置く 夏の野に わが見し草は もみちたりけり (孝謙天皇 同巻19-4267) 上の歌は、孝謙天皇が母である光明皇太后と共に藤原仲麻呂邸を訪問した際に、女官に持ってやらせた歌であるが、題詞にある「沢蘭」は、サワヒヨドリ(ヒヨドリバナ)のことである。<参考>ヒヨドリバナ・Wikipedia 鳥で分が悪いなら草花で、という「ヒヨドリ主義」的、いや「日和見主義」的な方向転換であります。 フジバカマに似た花であるが、ヒヨドリが鳴く頃に開花することからこの名がついたとされる。フジバカマに群がる蝶・アサギマダラはこの花にも群がる。 だんだん話が迷路に入り込みつつあるようなので、鳥のヒヨドリに話を戻します。(同上F) 小鳥は、やはり横向きの姿がいいようです。(同上G) ヒヨドリ「写真撮るのん、ええ加減にやめて欲しいわ。」 ヤカモチ「はい、わかりました。」 ヒヨドリとながらく遊ばせてもらいました。<参考>鳥関連過去記事はコチラ。
2021.02.19
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今日2月9日は「肉の日」とのこと。 ならば、野菜の日は8月31日だろうと調べると、果たしてその通りでありました(笑)。 このような語呂合わせによる「〇〇の日」というのは他にも色々あるようですが、かつて「数字変換可能短歌」というのを作って記事にしたことがあります。これと同じ語呂合わせ遊びですな。<参考>数字変換可能短歌・俳句 2012.4.1. 数字変換が可能な文字は下記の通りであるから、これらの文字のみで、歌や俳句を作るという「言葉遊び」である。 い(1)、お(0)、く(9)、こ・ご(5)、さ・ざ(3)、し(4)、じ・ぢ(2又は4)、つ(2)、と・ど(10)、な(7)、に(2)、は・ば・ぱ(8)、ひ・び・ぴ(1)、ふ・ぶ・ぷ(2)、み(3)、む(6)、や(8)、よ(4)、れ(0)、ろ(6)、いち(1)、ふた(2)、さん・ざん(3)、よん(4)、ろく(6)、はち(8)、きゅう・ぎゅう(9)、じゅう(10)、とほ(10)、みそ(30)、よそ(40)、いそ(50)、むそ(60)、ななそ(70)、やそ(80)、くそ(90)、もも(100)、ち・せん(1000)、まん(10000)、てん(10)等 さて、話(874)は変わって、前頁の記事で、カイツブリかとカメラを向けたらカモのようでガッカリしたと書きましたが、そのカモらしき鳥の写真がこれであります。(カモ?) カモであるカモしれないし、別の種類の鳥カモしれない(笑)。 カモにも色々な種類がいて、その区別はヤカモチには容易ではないのであるが、少なくとも、マガモとかカルガモとかいった馴染みのカモではないことだけは確かであるカモ。 ここは、花園中央公園の遊水池。カモやサギはよく見かける。(カモ) こちらは、間違いなくカモである。 こんな風に池の中州と言うか、葦辺の干潟のようになっている場所に上がり、群れて休憩している。(カモたち) カメラをもう少しひいてみると、こんな感じです。(同上) この遊水池の東側、水門を隔てて恩智川が南から北へと流れている。 従って、この遊水池に飛来する鳥たちは、恩智川づたいにやって来るのであろう。(恩智川を泳ぐカモ) カモの泳ぐ傍らの中州に、アオサギが立ち尽くしていました。 まあ、座り込んでいるサギなんぞは見たことないが。(アオサギ) 寒風に吹かれて、胸の飾り羽がそよぎ、翻り、揺れる。 時に、思索に耽る哲学者のような雰囲気を醸すアオサギであるが、このアオサギ君は、何やらもの寂しく、落ちぶれて尾羽打ち枯らした感じがするのは、風でヒラヒラしている胸の飾り羽の所為でもあるか。(同上) 再び、遊水池に戻って・・・オオバンも泳いでいました。 このオオバンについては、ヤカモチはながらく水掻きがない水鳥であると誤解をしていました。 昔、新潟県の福島潟に銀輪散歩した際に、野鳥監視員だというお方に出会い、立話、歩き話でありますが、色々と野鳥保護についてのお話を伺ったことがありました。その折に、バンとオオバンについても説明を受けたのですが、監視員の方は、バンについて、水掻きがないので、首を振って泳ぎ、それによって推進力を補っている、というような説明をされたのだろうと思います。 これを、バン、オオバンに共通のことと誤解して、オオバンにも水掻きがないと誤解してしまったのでありました。 最近になってネットでの説明を見て、オオバンには、指間をつなぐ弁膜のような完全な水掻きではないが、木の葉形状の水掻き(弁足)があること、従って、水掻きがないバンに比べると泳ぎは上手いということを知ったのでありました。<参考>オオバン・Wikipedia バン・Wikipedia(オオバン) バンもオオバンもクイナの仲間。 ツル目クイナ科バン属、ツル目クイナ科オオバン属、というのがそれぞれの生物分類上の位置づけとなります。 嘴の延長のような額板が特徴で、白いのがオオバン、赤いのがバン。 このような顕著な特徴を持つ鳥は、見わけも容易なので、ヤカモチもすぐにその名前を覚えたという次第。 バンは漢字では鷭。オオバンは大鷭。 まあ、大伴家持はオオバン・ヤカモチとも読めますから、それで覚えたとも言えますかね(笑)。 してみると、オオバンからバンが派生し、それは淳和天皇の時代のことであったということにもなりますかね。 オオバン「そんなことにはなりません。」(同上) しかし、このように後ろを向かれてしまうと、オオバンとは分からないのでありますから、ヤカモチの知識もいい加減なものであります。(同上) 水中に頭を突っ込んだかと思うと、何やら黒っぽいものを口に咥えたようで、嘴の間に黒い丸いものが写っている。(同上) さて、話(874)変わって、陸上の黒い鳥と言えば、カラスのクロスケ或いはカラスのカンタローであります。(カラス) 石のベンチに座っているヤカモチの目の前を、カラスはひょっこひょっこと歩いて通り過ぎて行きました。万葉歌の「瞼腫れて」という、そのままの顔で。 コイツは人畜無害と、どうやらカラスからも見くびられたようだ。(同上) 少し、離れた場所を歩き回り、何をついばんでいるのか、時々地面をつついたりしている。 カラスをからかいついでに、カラスの万葉歌でもご鑑賞下さい。暁(あかとき)と 夜烏(よがらす)鳴けど この森の 木末(こぬれ)が上(うへ)は いまだ静けし (万葉集巻7-1263)朝烏 早くな鳴きそ わが背子が 朝明(あさけ)の姿 見れば悲しも (同上巻12-3095)烏とふ 大(おほ)をそ鳥の まさでにも 来(き)まさぬ君を ころくとそ鳴く (同上巻14-3521)婆羅門(ばらもん)の 作れる小田(をだ)を 食(は)む烏 瞼(まなぶた)腫れて 幡桙(はたほこ)にをり (高宮王 同上巻16-3856)(同上) カラスが高い木の上とか屋根の上とかに止まって、カァ~と鳴いているのはよく見かけるが、このカラス、地べたを歩き回りながら、時折、カァ~と鳴く。 コチラをからかっているのか、それとも威嚇しているのか。 まあ、カラスの勝手でしょ、ということでもあれば、無意味な詮索は止しにしましょう。 逆光での撮影であったので、写真写りはイマイチであったが、下の写真はその表情も撮れていて、まずまずの出来である。 この写真で見る限り、ヤカモチへの敵意はないようでありますが、さりとて親愛の表情でもない。 カラス「お前もそんな顔をしとる。」(同上) 今日は、銀輪散歩で見かけた鳥たちの記事でありました。<参考>鳥関連過去記事はコチラ。
2021.02.09
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花園中央公園の池にはカイツブリが生息している。 時々見かけるのであるがこれまで撮影に成功していない。 今日、銀輪散歩の帰り、その池の前を通った時に、それらしき鳥と見えたので、池のヘリに立って、カメラを向けてみた。 ズームアップすると、カイツブリらしくない。カモのようでガッカリ。 それでも何枚か写真に撮って、ふと足元を見ると、ヌートリアが岸に上がって、ちょこちょこと歩いて行く。 恩智川で見かけたヌートリアに比べると少し小型のようだが、まだ子どもなんだろうか。(ヌートリアA) 草の芽などを食べているのか、何やらムシャムシャとやっている。(同上) 後ろ足が随分大きい。(同上) 多少、当方を意識してもいるようだが、さほど警戒する風でもなく、行ったり来たりする。 すると、もう一匹、別のヌートリアBが居ました。こちらの方は警戒心がより強いらしく、カメラを向けて近づくと、水の中に入って、ヌートリアAの方へ泳いで行き、上陸して、ABが仲良く並んだ。(ヌートリアAB) ヌートリアのツーショットは初めて。人もなき 国もあらぬか わが二人 寄り添ひありて たぐひて居らむ (ヌーヤカモチ)(同上) <参考>ヌートリア・Wikipedia この池は遊水池にて、恩智川と水門でつながっている。 恩智川をねぐらとしていた、三六橋下のヌートリアSとどういう関係なのか不明であるが、ヌートリアSよりもヌートリアA、Bは小型のように見えるから、A、BはSの子どもである可能性もある。もしそうなら、繁殖していることになり、ネズミ算式に急増するということもあり得ることになる。 こんな巨大なネズミが大きく増えたら困る気もするが、近くで見るAとBは猫よりも少し小型で可愛らしく、このままそっとして置いてあげたいとも思う(笑)。<参考>ヌートリアの過去記事 ヌートリア現れる 2020.5.9. 再びヌートリア 2020.11.30.
2021.02.05
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立春。ツグミと遊ぶ。 銀輪散歩で立ち寄った花園中央公園でツグミを見かけました。 遠目には、ムクドリかと思たのですが、カメラでズームアップすると、ツグミでありました。(ツグミ)<参考>ツグミ・Wikipedia ちょこまかと動くので、ズームで追いかけるのは、一苦労。(同上) ツグミは渡り鳥。 夏季にシベリア中部・南部で繁殖し、冬季になると南下、日本にも越冬のため渡来し、当初は山地の森林などで群れて生息し、その後平地に分散移動するという。ムクドリなどは常時群れで行動するが、ツグミは分散移動後は群れるということはないそうです。(同上) なかなか可愛い鳥である。 ツグミは万葉集には登場しないが、近縁種のトラツグミは万葉集の「ぬえ鳥」のこととされているので、その歌でも紹介しながら、閑話を続けることといたしましょう。<参考>トラツグミ・Wikipedia 万葉集には、ぬえ鳥(鵺鳥または鵺)そのものを詠んだ歌がある訳ではなく、「ぬえ鳥の」という枕詞として登場するだけである。ひさかたの 天(あま)の川原(かはら)に ぬえ鳥(どり)の うら泣きましつ すべなきまでに (柿本人麻呂歌集 万葉集巻10-1997)<(ひさかたの)天の川原に(ぬえ鳥の)しのび泣きしておられました、どうしようもないほどに。>よしゑやし 直(ただ)ならずとも ぬえ鳥(どり)の うら泣き居(を)りと 告げむ子もがも (同上 万葉集巻10-2031)<よし、どうともなれ、直接逢うのでなくてもいい、(ぬえ鳥の)心の中で泣いているとあの人に告げ知らせてくれる人が居たらなあ。> 上の2首はいずれも七夕をテーマにした歌である。牽牛と織女が天の川を挟んで逢えないで嘆いていることを詠っている。 短歌はこの2首のみで、あとは全て長歌である。 参考までに「ぬえ鳥の」の部分だけ抜き書きすると、「・・ぬえこ鳥 うらなけ居れば・・」(軍王 万葉集巻1-5)「・・ぬえ鳥の 片恋づま 朝鳥の 通はす君が・・」(柿本人麻呂 万葉集巻2-196)「・・ぬえ鳥の のどよひ居るに・・」(貧窮問答歌・山上憶良 万葉集巻5-892)「・・ぬえ鳥の うら泣けしつつ・・」(大伴家持 万葉集巻17-3978)である。 いずれも、「うら泣く」(忍び泣く)や「片恋づま」、「喉よひ」など「泣く」に関連した言葉にかかる枕詞として使われている。<追記注:2021.2.4.>上の山上憶良の貧窮問答歌の「ぬえ鳥ののどよひ居るに」については、「ぬえ鳥の」を枕詞とは見ず、「トラツグミがヒーヒーとか細い声で鳴くように泣いているその上に」と解釈する見解もあるようだから、この見解に立てば、トラツグミ(ぬえ鳥)そのものが詠まれている歌ということになる。(同上) ツグミという名は、口をつぐむ、の「つぐみ」で、この鳥は殆ど鳴かないということで、このように呼ばれるようになったという説があるようだが、今日の花園中央公園では、チッチーとか何とか、時折鳴いてもいました。 スズメであれムクドリであれ群れる鳥は互いに意思疎通の必要もあって鳴く関係で、時にはうるさいほどであるが、単独行動の多いツグミは別に口をつぐんでいる訳ではなく、鳴く必要がないから鳴かないだけのことなんだろう。こちらに渡って来た当初の森林での群れ生活では結構騒がしく鳴いていたのではないかと推測します。(同上) ツグミの特徴は目の上の白い太い眉のような模様である。 オスかメスかは不明であるが、なかなかの「イケメン」である。(同上) 夏になる前には、シベリア方面へと旅立つのであろうが、彼らには緊急事態宣言も検疫も関係ないから、この先、コロナ禍がどういう展開になろうと関係なく、再び、何処かの森に集結し、シベリア方面へと旅立つのであろう。 今日から春。 シベリアへと旅立つまでの間、 日本の春を心置きなく楽しまれよ(笑)。<参考>鳥関連過去記事はコチラ。
2021.02.03
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今日は、銀輪散歩で見かけた鳥をとりあげることとします。 花や草木と違って、鳥に出くわすことはそう多くなく、撮影がうまく行くということも余りなく、鳥の写真はなかなか増えない。それでも、気が付けば、6種類の鳥の写真がたまっていました。 先ずは、カワウです。(カワウ<川鵜>) 鵜はカツオドリ目ウ科ウ属の鳥で川鵜と海鵜がいる。 写真の鵜はカワウの方だろう。 カワウとウミウの違いは、嘴の基部の黄色い部分の形にある。 黄色の部分が丸みのある形なのがカワウ、三角形に尖った形に嘴後方に突き出しているのがウミウである。 鵜と言えば、鵜飼であるが、鵜飼に使う鵜は今は性格がおとなしいウミウがもっぱらのようだが、万葉の頃など昔はカワウも使っていたらしい。 鵜飼という漁法は万葉時代からある古い漁法で、「鵜飼いする」ことを万葉では「鵜川立つ」という。婦負川(めひがは)の 早き瀬ごとに かがりさし 八十伴男(やそとものを)は 鵜川(うかは)立ちけり (大伴家持 万葉集巻17-4023) 鵜川(うかは)立ち 取らさむ鮎の しが鰭(はた)は 吾(われ)に掻き向け 思(おも)ひし思(も)はば (大伴池主 同巻10-4191) 上の2首の鵜飼いの鵜はカワウのような気がするが、次の山部赤人の鵜はウミウでしょうな。万葉人にはカワウとウミウの区別などはなかったと思うけれど、ウカツなことは言えない(笑)。玉藻刈る 唐荷(からに)の島に 島廻(しまみ)する 鵜にしもあれや 家思(も)はずあらむ (山部赤人 同巻6-943) 次はコゲラ。 キツツキ目キツツキ科アカゲラ属の鳥である。(コゲラ) ちょこまかと動くので、何とか撮れたのがこの1枚だけ。 啄木鳥。 石川啄木を思い出したが、彼の本名は「石川 一(はじめ)」である。 彼の故郷、岩手県渋民村はキツツキが多く見られ、この鳥を好んでいたので、「啄木」という雅号を使ったらしい。何となく 今年はよい事 あるごとし 元日の朝 晴れて風無し (啄木)何となく 啄木のこと 思ひ出す コゲラが一羽 現れ消えた (鳥家持) 次はメジロ。 メジロはスズメ目メジロ科メジロ属の鳥。 中国では「繍眼児」と書くそうな。 学名はZosterops japonicus。 ジャポニクスとあるように日本古来からの鳥である。 目白という呼び名は室町時代から既にあったそうだが、万葉時代は何と呼んでいたのやら。 この鳥も片時もじっとしていなくて、盛んに動くので、ズームでの手持ち撮影では、なかなかうまく撮れない。(メジロ) 大きなクスノキの木の高い枝の上で、メジロが2羽、チーチーと何やら楽し気に騒いでいたのだが・・。(同上) 見上げるとこんな状態。この鳥はお互いくっつきあってとまる習性があるそうで、目白押し、という言葉は、この習性に由来するものであるとか。 メジロが沢山集まって木の枝や電線などにとまる姿を「目白の押し合い」と呼び、これから転じて「目白押し」となったとのこと。 また、江戸時代には子供の遊びで、縁台に横一列に並んで座り、互いに左右から押し合って、端っこの者を押し出して落とすというのがあったそうだが、これを「目白押し」と呼んでもいたそうな。 集中して、密に物事があることを「目白押し」と言うようになったのは、いつの頃からなのかは存じ上げぬ。(同上) カメラを向けていると、目が合った。 警戒心の強い鳥なら、すぐにも飛び去ってしまうのだが、この鳥はそうでもないようで、相変わらず鳴き交わしつつ楽し気に振舞っているのでありました。(同上) 次はシラサギとカモ。 サギはペリカン目サギ科の鳥。 カモはカモ目カモ科の鳥。(シラサギとカモ) 写真では見えづらいですが、シラサギの足元にカモがいます。 サギとカモの取り合わせは面白い。 サギと詐欺とはお互い無関係であるが、音が同じであるのがこの鳥にはいささか不運。 サギ師が騙すターゲットにする人のことをカモと呼ぶが、これには騙しやすい人、うまく利用できる人という意味が込められている。 鴨鍋に葱を入れると肉の臭みが消えて美味しくなることから、いいことが重なってやって来ることを「鴨が葱をを背負ってやって来る」と言うが、この言葉から派生して、ターゲットをカモと呼ぶようになったのだろう。 警察の隠語では、赤詐欺は結婚詐欺。 青詐欺は、融資詐欺や保険金詐欺や取り込み詐欺など、企業・会社をカモとする詐欺のこと。 黒詐欺は、サギ師をカモとする詐欺のこと。 白詐欺は、個人をカモとする詐欺。 オレオレ詐欺などの振り込め詐欺を始めとする特殊詐欺は、従って白詐欺の一種ということになるか。 ちょっと話が横道にそれました。 白詐欺ならぬ、白鷺であるが、これにはダイサギ、チュウサギ、コサギの3種類がいる。 ダイサギとチュウサギの違いは嘴の色かと思っていたが、さに非ずで、口角から目の下に伸びる嘴の切れ込みの違いで両者を見分けるらしい。 ダイサギは切れ込みが目の後ろまで長く伸びている。 チュウサギの切れ込みは目の下付近で止まっていて短い。 チュウサギとコサギは身体の大きさのほか、足先の色で見分けるとのことである。 チュウサギは足の先まで黒い。 コサギは足先が黄色。 さて、一方の鴨であるが、以前の記事で「鴨の万葉歌」というタイトルで万葉歌を紹介したことがあるので、それをご参照いただくこととして、ここでは万葉歌には触れないで置きます。<参考>鴨の万葉歌 2017.2.19. で、鴨南蛮の話。 以前、銀輪散歩の昼食で立ち寄った蕎麦屋で鴨南蛮を注文した際に、南蛮とは葱のことだと、店の主人から教わった話をブログ記事のどこかで書いた記憶があるが、これにも色々な説があるらしい。 南蛮人が葱を好んで食べたことから、葱を南蛮渡来のものということで、「南蛮」と言った、というのが蕎麦屋の主人の話。 同じく葱のことを南蛮と言ったという点では同じであるが、それは地名由来だという説である。 大阪では「鴨なんば」と表記し「鴨南蛮」とは言わない地域がある。 葱が中国大陸から先ず大坂に伝えられ、大坂から全国に広まったそうだが、大坂の一部では葱を「なんば」と呼んでいたらしい。それは大阪の難波(なんば)に通じるが、この「なんば」から南蛮に転じたという説である。 もう一つの説は、「目新しいもの」説である。 南蛮渡来のものは目新しいものであったので、目新しいものを南蛮風と表現するようになった。従って、「南蛮風鴨鍋」は「新しい鴨鍋」という程度の意味で、南蛮が葱そのものを指している訳ではないという説である。 因みに、江戸時代の鴨鍋は、葱ではなく芹が用いられているのが普通であったらしく、葱と鴨の組み合わせが広まったのは新しいとのこと。 鴨が背負って来る「葱」の話になってしまって、「芹」まで出て来ては、博多方面の鴨から「なんば言うとっとか」というクレームが入りそうなので、話を鴨に戻します。 カモも、マガモからガンやオオヒシクイなどまで仲間が多い。 そんな中の一種、キンクロハジロの写真が撮れましたので、掲載して置きます。(キンクロハジロ) キンクロハジロは、カモ目カモ科ハジロ属の鳥である。(同上)梶無(かぢなし)の 池はわれ知る 鴨ありと しか言ふ鴨は きんくろはじろ (鴨葱餅)(本歌)勝間田(かつまた)の 池はわれ知る 蓮(はちす)無し しか言ふ君が 髭無き如し (万葉集巻16-3835)<参考>鳥関連の過去記事はコチラ。
2021.01.27
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日付が前後しますが、今日は27日に見た大きなネズミ、ヌートリアです。 前回、こいつと初めて対面し、写真を撮って、ブログに掲載したのは、今年の5月9日のことであるから、半年ぶりの再会である。 場所も同じ、花園中央公園の東側、恩智川に架かる三六橋の下付近の川の中洲である。 初対面以来、この近くを通るたびに川面を覗き込んだりすることが何度かあったが、ヌートリアの姿を目にすることはなかった。 そんなことから、何処か違う場所へ「転居」したものかと思っていたのだが、そうではなく、ずっとこの付近に定住していたようです。 中洲と言っても、畳数畳程度の小さなもの。 鴨3羽に混じって、草でも食べているのか何やらゴソゴソしている。(ヌートリアと鴨) それほど素早い動きではないが、草を食べているのか絶えず動いているので、望遠で撮っていると、手振れなどと相まって、なかなかうまく撮れない。(正面向き) 尻尾が長い。 こんな長い尻尾が何故必要であるのか。 水中を泳ぐには、推進力確保や方向転換の円滑化のため、このような太くて長い尻尾が必要ということか。(尻尾が長い) 右向きの姿。(右向き)(同上)恩智川 鴨にまじりて ぬーとりあ 寒き夕(ゆふべ)は いかにか過ぐす (大鼠皇子)(本歌)葦辺(あしべ)行く 鴨の羽交(はがひ)に 霜ふりて 寒き夕(ゆふべ)は 大和し思ほゆ (志貴皇子 万葉集巻1-64)(同上) 直接に触ってみたいとは思わないが、ずんぐりむっくりでなかなか可愛い姿ではある。 左向きの姿。(左向き)(同上)(同上)<参考>ヌートリア現れる 2020.5.9.
2020.11.30
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花園中央公園の池にサギがいました。 コサギです。(コサギ) コサギの背後に繁茂しているのはホテイアオイ。 ホテイアオイがこんな処に繁茂しているとは、今まで気が付きませんでした。花もチラホラ咲き始めている。 左に視線を移すと、アオサギが居ました。(アオサギ) 見ていると、右方向に向きを変えると、のそのそと歩き始めました。(同上) アオサギの向かう先にはコサギが居る。 コサギを狙っているのであるか。まさか、である。(アオサギとコサギ) アオサギはどんどんコサギに接近。 コサギはそれに気づかないのか、水中に嘴を突き入れたりして、小魚を捕まえることに余念がない。(同上) しかし、この距離を保ったまま静止。 コサギを追い払うようでもない。何事も起こる気配がないので、見物を諦めて、公園の他の場所に移動。 ひと回りして戻って来ると、コサギの姿は見えず、ダイサギがいる。 アオサギはダイサギに追い払われたのか、池を取り囲む柵柱の上に首をすくめてちょこなんとしている。(アオサギとダイサギ)<追記・訂正> よく調べるとダイサギの嘴は黒いようです。チュウサギのそれは黄色ですから、この白鷺はダイサギではなく、チュウサギのようです。謹んで訂正します。 この構図から、思い浮かんだストーリーは、吾輩が立ち去った後、アオサギがコサギを追い払い、池の一角を独占したところ、ひと回り大きいダイサギが飛来して、今度はアオサギが追い払われる羽目になったのではないか、ということでありました。 もしそうなら、アオサギにしてみれば、ダイサギがやってきてダイナシになっちゃった、ということになる。 まあ、そんなゴタゴタはなくて、十分に餌は食べたので、コサギもアオサギも平和裏に順次撤退したということであったかもしれない。 因みに、花園中央公園の見取り図で、サギの居た池の位置を示すと、下掲の通りであります。(花園中央公園総合案内板) ちょっと分かりにくいでしょうから、部分を拡大すると・・。(同上・拡大図) この公園は、恩智川の水嵩が増した場合に備えての遊水池公園の役割を担っている。 上の図で言うと、「常時池」、「ドッグラン」、「多目的芝生広場」、「多目的球技場」と表示されている部分(緑色で囲まれた部分)が周囲より一段低くなっていて、恩智川堤防の水門(左上部)を開いて、ここに川水を流入させ、下流での氾濫を防ぐという仕掛けになっている。恩智川には、このような遊水池公園が他にも幾つかあり、現在も増設されつつある。 台風などで大雨となった時には、ここに大きな池が現出することになるが、平時は、「常時池」と表示されている部分だけが池となっていて、葦などが群生し、カモ、カイツブリ、カワウ、オオバンなどの水鳥のほか、オオヨシキリ、サギ、ケリや、運が良ければ、カワセミなども見られる池となっている。また、この池で釣りを楽しむ人の姿も絶えることがない。 本日は、釣り人の話でも、他の鳥の話でもなく、サギの話でした。<参考>鳥関連の過去記事はコチラ。
2020.09.07
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今日は、本来なら健人会の納涼昼食会で、瀬田川畔の料亭「新月」に集まっている筈でしたが、新型コロナ感染拡大第2波かという動きもあって中止。家でゴロゴロしていることと相成りました。 当初予定では、この健人会の後、JR湖西線・大津京駅近くのビジネスホテルに宿をとり、翌日、宇佐山城跡、大伴黒主神社、坂本城跡、西教寺などを銀輪散歩することとしていましたが、健人会が中止とあれば、この日である必要もなく、宿泊予約もキャンセル、日を改めることとしたのでありました。 今日の大阪の新規感染者数は過去最多の121人だそうですから、この選択は「正解」というものでしょう。 という次第で、今日は「ヤカモチ的ネコ歩き」の記事とします。 最近の銀輪散歩で出会った猫三態であります。 先ず、最初はキジトラ猫のネコロンであります。(ネコロン) ネコロンは花園中央公園を根拠地とする♀ネコで、同じくキジトラ猫の清兵衛(♂)やジャックナイフ(♂)と行動を共にしていることが多いのであるが、この日は一人、いや一匹でいました。(同上) ネコロンという名は、最初に出会った時、清兵衛やジャックナイフと一緒で、彼らがお座り乃至は立っている状態なのに彼女だけは終始寝そべっていたので、つまり寝転んでいたので「ネコロン」と名付けたのでありました。 ネコ論を論じさせるとひとかどのネコ論を展開するからという説はフェイクであります。(同上) はい、ヤカモチと完全に目が合いました。 いかにも「女の子」という感じのネコで、ネコ論を論じるようなネコでないことは明らかであります。 「ニャン?」と言って居ります。 ここは花園中央公園の桜広場の一画。 この後、一時、彼女は姿を消しますが、噴水広場を挟んだ反対側の地区でまたまた彼女と再会します。 しばらくして自転車で通りかかった男の人が、エサらしきものを置いて行ったと見えて、それを食べている気配。 ヤカモチはそれを離れた場所から見ていましたが、同じように彼女を見ている奴がいました。(サビ猫おこげ) それは、このネコ。 焦げた色合いなので「おこげ」という安直な命名です。 彼はオス猫です。 やんちゃ坊主のような顔つき。じっとネコロンの方を見ていました。 ヤカモチの視線に気づいたか、こちらに顔を向けた。(同上) 右の耳が桜耳になっているから、オス猫です。 ヤカモチとは多分初対面。 黄金色の目でじろり。 「じろり」という名にするか、「おこげ」という名にするかで、迷いましたが、「おこげ」という名に落ち着きました。 次は、水走公園で出会った白猫です。 アオメアブを撮影していて、視線を上げると、広場の反対側、遠くを白いネコが歩いて行くのが見えました。 ぐるりと回って、少し近くまでやって来たので、ヤカモチも彼の方へ少し接近。無難な距離から彼を観察。(アオメ) 目が青い色なので「アオメ」と名付けることにしました。 ネコの目というと金色というのが相場であるが、白猫の場合は目の中の色素も少ないと見えて、眼球は「水色」と言うか、青っぽい色になるのが居るようです。白人の目が青いのと同じ原理でしょうか。 アオメも、右耳が桜耳になっているから、♂である。 上のネコロンやおこげが何となく幼い雰囲気を残しているのに対して、アオメは成熟した大人という感じのネコである。(同上) ネコロンではないのに、伏せの恰好、寝そべってしまった。 視線は何処に。 撮影しているヤカモチには全く無関心である。 ならばと、更に接近してみる。(同上) お前のことなんか・・プイと顔をそむけて馬鹿にしたような仕草。 ヤカモチ「おいおい!」 無視。 やがて目をつむってしまった。(同上) しかし、よく見ると、何やら懊悩の表情である。 腰痛ですかな? それとも・・何かお悩みですかな?(同上) アオメ「そんな訳ねえだろうが・・・!!」 初対面のネコには、ヤカモチと雖も、余り立ち入ったことを聞いてはいけないようであります。 友人からの受け売りの話であるが、右目が金色で左目が水色というように左右で色の異なる目を持つネコも居るそうで、そういうネコは結構人気があるのだという。 何でも、神秘的な雰囲気を漂わせるのでいいのだそうだが、ヤカモチ的には何だかチグハグで滑稽な表情になってしまうように思えるのだが、実のところはどうなんだろう。まあ、そんなネコが居るのなら、一度お目にかかりたいものである、ニャンてね。<追記・参考>左右で目の色が違うオッドアイの猫<参考>犬、猫など関連の過去記事はコチラ。
2020.07.22
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今日から7月。 ということは、今年も半分が過ぎたことになる。 今年半分が過ぎたところで、今年の記事件数は103件。 この記事が104件目になる。 去年(2019年)の年間記事件数が184件、2018年・2017年のそれがともに183件、2016年が178件と、この4年間は200件に届かない記事件数が続いていたことを思えば、今年は、今のところ、久々に200件に届きそうなペースですから、まあ、頑張っていることになるか。 とは言え、そろそろ記事ネタも尽きて、記事を書く意欲もいささか減退気味になっていますので、後半戦もこのペースで記事アップできるのかどうか、それが問題であります。 で、今日も、コレというネタがありませんので、銀輪散歩で見かけた犬たちでも紹介することにします。 ペットフード協会の調査によると、2019年10月現在、ペットとして飼われている犬は、日本全国で約879万匹で、猫は約977万匹だという。 2016年までは犬の方が上回っていたが、2017年に猫に逆転され、以来、犬は猫の後塵を拝しているのだそうな。 このところ、ヤカモチ的ネコ歩きなどと猫が登場することが多くなっていますが、今日はヤカモチ的イヌ歩きとし、犬にご登場いただくこととしました。まあ、ここでもネコの後塵を拝していることに違いはありませんが。 先ずは、花園中央公園で見かけた犬です。(花園中央公園のドッグランで見かけた犬)(同上) リードにつながれていない犬の写真が撮れる場所と言うと、公園のドッグランであるが、ヤカモチが知るドッグランのある公園と言えば、花園中央公園と深北緑地である。 それはさて置き、ドッグランと言うだけあって、ここではどの犬も結構、走り回る。従って、遠方からのズーム撮影はかなり苦労である。 次は、同じ花園中央公園の桜広場で見かけた犬。 散歩を済ませて、飼い主に引かれてお帰りのようであります。(花園中央公園桜広場で見かけた犬) 次は深北緑地で見かけた柴犬。 首輪とリードの色からして雌犬のようですね。(深北緑地で見た柴犬) こちらは、オスの柴犬。 加納緑地で見かけました。(加納緑地で見た柴犬) 次は、長田中公園で見かけた犬。 ちょっと太りすぎかも。(長田中公園で見かけた犬)(同上) 以上、ヤカモチ的イヌ歩き・吾輩は犬である、でありました。
2020.07.01
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ヤカモチ的ネコ歩き第4弾。 今日は、加納緑地と花園中央公園のニャンコです。 加納緑地のニャンコといえば三毛猫ホームレスですが、ホームレスの姿は見えず、キジトラと白ブチが混ざったこんなネコがいました。 6月20日の銀輪散歩でのことです。(白キジ猫のカノウ君)(同上) 右耳がカットされているので、オス猫。ということで「カノウ君」と呼ぶことにしましょう。 声を掛けても反応しない。(同上) ネコの先祖はリビアヤマネコ(アフリカヤマネコ)やヨーロッパヤマネコで、これが家畜化されたのがイエネコ。15万5千年~10万7千年前にリビアヤマネコからイエネコが分岐したらしい。 キジトラ猫が遺伝子的にはリビアヤマネコに近いらしいから、当初のイエネコの体色はキジトラであったのだろう。 体毛の色を決定する遺伝子の組み合わせで黒毛、茶毛、白毛とそれらの混在という風に体色が決まるようですが、トラ猫も、キジトラ(焦げ茶と黒、キジ猫とも言う。)、サバトラ(灰色と黒、サバ猫とも言う)、茶トラ(黄色と赤茶色、単にトラ猫とも言う。)に分類されるらしい。 上のカノウ君は、キジトラと白のブチ模様であるから白キジ猫ということになるか。 体毛の色が鼻筋を境に左右対称に分かれて、八の字型に見えるものを「はちわれ(八割れ、鉢割れ)」と呼ぶらしいが、カノウ君はこの「はちわれ」に該当するのだろうか。彼の場合は肩の部分が背中まで白毛なので、こういうのは「八割れ」とは言わないのだろうか。 「はちわれ」は、頭または兜が割れることに通ずることから、武家ではこのような猫を忌避することもあったらしいが、商家などでは末広がりの八で縁起がいいとしたとか。 カノウ君が、この「はちわれ」に該当するのなら、「カノウ君」ではなく、「番頭はん」と呼ぶのが適当だろう(笑)。(同上) 商人ならもっと愛想よくあるべきだが、カノウ君は不愛想のまま、のっそりと立ち去りました。やっぱり「番頭はん」と呼ばれる資質ではなかったようです。<参考>ネコの文化・Wikipedia 上記<参考>の「ネコの文化」によると、日本列島に初めてネコが現れるのは、長崎県壱岐市勝本町の弥生時代の遺跡、カラカミ遺跡から出土の骨とのこと。 語源については、1.鼠を好むのでネコ2.「本草和名」に禰古未(ネコマ)とあることから「鼠子待ち」の略3.眠りを好むから「寝子」4.虎に似るから「如虎」が変化したもの、などの説があるとのこと。 万葉集にネコは登場しないことは、以前にも書いたが、ネコが登場するわが国最古の文献は日本霊異記(弘仁13年<822年>編纂説あり)で、それには、景雲2年(705年)に豊前国の膳臣広国が死後、ネコに転生し、息子に飼われた、というような話が出てくるとのことです。 ネコは奈良時代に、経典などを鼠の害から守るために中国から輸入されたと考えられているようですが、愛玩動物として飼われるようになるのは平安時代になってからのようです。 ネコが描かれたわが国最古の絵は、信貴山縁起絵巻に描かれたネコだそうです。 以上、詳しいことは、上記<参考>の「ネコの文化」をご参照下さい。 昨日(6月27日)も、銀輪散歩で加納緑地に立ち寄りましたが、ホームレス嬢もカノウ君も姿を現しませんでした。(昨日の加納緑地公園)(同上) 加納緑地の東側は恩智川で、川沿いに南へと走ると花園中央公園で、多くはこの川沿いの道を走るのであるが、昨日は恩智川沿いの道を走らず、西側の道を南へと走りました。 すると、水走公園というこじんまりした公園があった。 立ち寄ってみると、草が生え放題でやや荒れた感じの公園である。 多分、この公園は初めて。(水走公園) しばらくすると、幼い女の子が二人、虫網を持って現れた。後ろからそのおじいちゃんと思われる男性が現れる。 女の子は蝶を捕まえようと虫網を盛んに振り回すが、空振りばかり。 子どもが現れただけで、打ち捨てられた感じで息をひそめていた公園が何やら生気を取り戻して息づき始めた風に見えました。 花園中央公園に戻ると、いつもの場所に、ジャックナイフがいた。 彼はこの場所が好みのようだ。(キジトラ猫のジャックナイフ) そして、何処からともなく、清兵衛さんも現れました。(キジトラ猫の清兵衛) カノウ君といい、ジャックナイフだの清兵衛だのといい、ヤカモチが付けた勝手名ですから、彼らの本当の名(if any)は知らない。 ネコの名は「タマ」というのが相場であるが、なぜ、タマという名がそういうことになったかについては、諸説あるらしい。 1.猫は化け猫になるという言い伝えから霊や魂の意味で「タマ」と付けた。 2.球のように丸くなって寝るから、または毛糸玉などの球状のものが好きなので「タマ」とした。 3.招き猫のモデルとなったのが豪徳寺の和尚が飼っていた猫で、その名が「タマ」であったから。 4.サザエさんなどアニメのネコの名がタマであったから。などがその諸説とのことだが、まあ、たまたまのことで特に理由はない、ということにして置くか。 ところで、2020年の猫の名ランキングでは、 1位 ムギ(6位) 2位 レオ(3位) 3位 ソラ(1位) 4位 マル(5位) 5位 ココ(4位) 6位 モモ(2位)※( )は2019年順位とのことで、タマは圏外のようです。 清兵衛さんは、勿論、圏外ですからランキングには興味ないものと見え、首をカリカリ掻いて、心ここに非ずであります。(同上) イヌ派、ネコ派などということが言われるが、ある調査では、 イヌ派60%、ネコ派40%で、イヌ派の方が多いらしい。 また、別の調査でも、イヌ派46.9%、ネコ派33.6%、どちらでもない派19.5%となっていて、イヌ派とネコ派の比率は概ね3:2となっているから、ほぼ同じ結果である。 因みに、ヤカモチはどちらでもない派である。 どちらでもない派には、どちらも同じ位に好き、どちらも嫌い、どちらも好きでも嫌いでもない、というのが混在しているかと思うが、ヤカモチのそれは、どちらも同じ位に好き、という部類である。(同上) はい、清兵衛さんお得意の「たそがれスタイル」でお別れです。 最後までご覧いただき、ありがとうございました。<参考>過去の犬猫関連記事はコチラ。
2020.06.28
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カテゴリ「犬・猫または鳥」を新設し、「ヤカモチ的ネコ歩き」などというタイトルの記事をブログにアップするようになったせいか、猫を見かけるとカメラを向けるようになった。 と言っても猫が特に好きという訳でもない。犬派、猫派のどちらでもなく同じ位に可愛いと思うが、今はそのどちらも飼ってはいない。 我が家に猫が居たのは、ヤカモチが高校生になる位までのこと。猫好きだった祖母が亡くなって以来、猫は飼っていない。 父は犬派だったようで、父が亡くなる少し位前まで、我が家には必ず犬が居た。その最後の犬が亡くなり、しばらくして父も亡くなった。それ以来であるから、もう10数年犬の居ない生活になっている。 猫であれ、犬であれ、高齢となったヤカモチであるから、最後までペットの面倒を見ることができるという保証がないこと、ペットが先に死んだら死んだでその悲しみに見舞われたくないことなど諸々を考慮して、犬も猫もその他のペットも飼わないということに決めて、今日に至っている。 話が横道にそれました。 今日は、花園中央公園のキジトラ猫のネコロンと加納緑地公園の三毛猫ホームレスとに再会したという話です。 銀輪散歩ではよく立ち寄る花園中央公園と加納緑地公園であるが、ともに恩智川沿いにある。 ネコロンは花園中央公園を住処とする何匹かの地域猫の一匹であり、三毛猫ホームレスは加納緑地公園を住処としている地域猫である。 ネコロンやホームレスに出会ったのは、4月16日のことで、ブログで紹介したのが、4月27日のことである。<参考>ヤカモチ的ネコ歩き 2020.4.27. ネコロンとの再会は5月27日のこと。(キジトラ猫ネコロン1) 最初はネコロンかどうかは分からなかったのでしたが・・。(同上2) 背中が痒いのか、毛づくろいか、盛んに何やらやっている。(同上3) チョッチョッと音を出すとこちらを向いた。(同上4) その顔を見て「お前はネコロンか?」と尋ねてみたが、勿論、返答はなく、のそりと歩き出した。(同上5) どれ、ヨガのポーズでも。(同上6) はい、ホット・ヨガならぬ、キャット・ヨガです。(同上7) はい、このポーズとこの表情。ネコロンに間違いないようです。 清兵衛さんやジャックナイフはどうしているのかと尋ねるも、これまた返答なしで、無視であります。(同上8) すっかり、くつろいでいます。(同上9) 以上、キジトラ猫ネコロンの9態でありました。 三毛猫ホームレス嬢との再会は5月30日のことでありました。(三毛猫ホームレス) ちょっと行儀が良すぎて、面白味に欠けるなあと言うと、いきなりこんな大胆なポーズをとってくれました。三毛猫ホームレス「ちょっとやり過ぎかしら?」(同上) 以上、ヤカモチ的ネコ歩き第3弾でありました。 なお、両猫ともに左耳が桜耳のメスのさくら猫(地域猫)であります。<参考>犬、猫関連過去記事はコチラから。
2020.06.04
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銀輪散歩で出会った猫の数もそこそこになりましたので、本日は第2回ヤカモチ的ネコ歩きであります。 まずは、花園中央公園で出会った猫たちから。 茶色の猫なので「一茶」という名がいいかと思いましたが、イマイチなので、「麦茶」としました。まあ、「むぎちゃ」と読んでいただいてもいいのですが、「いっさ」から来ていますので「ばくさ」または「ばくちゃ」と読んでいただく方が適切かと。(茶色猫の花園麦茶) 声をかけると振り返りました。 シロツメクサの咲き群れる中で、絵になる姿であります。麦茶「うん?ワシのこと呼んだか?」ヤカモチ「小林一茶とはどういうご関係ですか?」麦茶「あれは、ワシの弟子や。」 麦茶氏によると、一茶が柏原市の玉手山で詠んだ句は麦茶氏の句を真似たものだそうな。 猫折々 振り返り見る 花の園 (麦茶) 雲折々(をりをり) 適(まさ)に青葉見ゆ 玉手山 (一茶) 初夏や 猫も木陰を したふ哉 (麦茶) 初蝉や 人松陰を したふ比(ころ) (一茶) 小林一茶のこの句碑は玉手山公園内にある。 かなり前に撮影したものだが、ブログ未掲載のままとなっているようなので、ついでに掲載して置きます。(玉手山の一茶句碑)(同上・副碑) 桜広場とプラネタリウムのある建物「ドリーム21」との間に、小さな竹林がある。その中に虎ならぬ猫が居た。(お前はジャックナイフか?) どんな顔をして虎を気取っているのか、と見ると。 その顔は見覚えがあるぞ。 前回のネコ歩きで見かけたジャックナイフ君ではないか。ジャックナイフ「また、お前か。うるさい奴やなあ。今日は何の用や?」ヤカモチ「いや、別に用はありません。通りすがりです。」ヤカモチ「石原裕次郎の歌に『花園の 藪の前を通ったら おゝきな顔して ジャックナイフが 寝ていたよ~』というのがありましたかね。」ジャックナイフ「ワシに喧嘩売っとんのか、お前。」ヤカモチ「いえ、そんなつもりは。ちょっとした冗談です。」 こちらの三毛猫は通路に寝そべっていましたから、大きな顔して、というのなら、こっちの方かもしれません。後ろ姿にてその大きな顔を拝見することは叶いませんでしたが、噂では、三毛猫ホームズの助手で三毛猫ステイホームズという名の猫だそうな。 彼女も今は、緊急事態宣言解除で、あちらこちらと出歩いていて、行く先々で「ゴーホーム」と言われているのかも。(三毛猫ステイホームズ) 花園ラグビー場の近くでは、美形の猫と目が合ってしまいました。 うん?楊貴妃?と思いましたが、よく見ると右の耳が桜耳。オス猫であることに気づきました。 さては、お前があの有名な「三毛紫田舎源氏」なのか。(三毛紫田舎源氏) 目が合うと彼は固まってしまった。たづねても われこそとはめ 道もなく 深き蓬の もとの心を (光源氏 源氏物語「蓬生」)(訪ねて行って私の方から問おう、深き蓬にうもれているあなたの心を)(同上) 台本にない田舎家持が現れたので、どういうアドリブで切り抜けるべきか決めかねて固まってしまったようであります。カ~ット!! 物語の展開や人の(いや猫の)恋路を邪魔するは野暮の骨頂、無礼千万と言うもの。 「始めから其処に居なかったかのようにヤカモチは立ち去った。」 猫紫田舎式部さんは、急遽このように書き加えました。 ヤカモチはそっとその場を離れます。さりとても 心残りの この道の 末摘花の 末は知らずも (田舎家持) かくて猫源氏物語も原作通りに進行することとなりました。 桜広場に戻ります。(寅女<とらめ>ちゃん) こちらで会ったは、まだあどけない感じの少女・寅女ちゃん。 何やら周囲を気にしている。キョロ、キョロ、キョロ。 そして目が合った。(同上)ヤカモチ「こっちへおいで。」とらめちゃん「知らないおじさんから声をかけられても、近づいてはいけないの。」 トラ猫なので「寅さん」と思ったが、何年か前に「寅さん」猫は当ブログに登場しているので、そして何やら幼い感じもあったので「寅ちゃん」ということにしたが、耳を見ると左が桜耳、メス猫でした。 ということで「寅女」として「とらめ」ちゃんとしました。 とらめ、というのは役行者、小角の母親の名前と同じですな。 役行者の母親は、渡都岐比売(とときひめ)、白専女(しらとうめ)などとも呼ばれるが、都良売または刀良売(とらめ)である。 いつであったか、友人の偐山頭火氏と「とらめ」さんの墓を訪ねたことがある。調べてみようと、右欄のキーワードリサーチに「とらめの墓」と打ち込んで検索してみると、それは11年前の3月のことだと判明いたしました。<参考>飛鳥から大和高田へ 2009.3.20. 既にさくら猫となってしまっているから、彼女が子猫を産むことはないが、もし、さくら猫になっていなければ、将来、きっと、「役小角」ならぬ「役小猫」の母親になっていたことでしょう。 さて、次は池島神社の猫たちです。(池島神社の猫たち) どなたかが与えたエサを3匹の猫が食べていて、もう1匹のやや小柄な猫はこれに加わる様子がなく、こちらを見ている。 花園中央公園に居る猫たちは殆どみな避妊去勢手術を受けたさくら猫であるが、こちらの猫たちはそうではないようで、耳が桜耳になっていない。(同上) 一番太った猫が先ず立ち去り、2匹が食べる。(同上) 2匹が食べ続け、小柄な1匹は相変わらずこちらを見ている。 猫にも順位があって、順位の上の猫が食べ終わるまで下位の猫は待たなくてはならないのだろうか。(同上)※耳が完全な形なので所謂「さくら猫」ではない。 こちらを見ているばかりのこの猫。左目はこちらを見ているが、右目は違う方向を見ているようでもある。(池の島子) これも池島神社に居た猫であるが、上の猫たちを見た日には見かけなかったので、彼らのグループには属していないのだろう。 この猫も桜耳ではないので、雌雄の別は不明。池の島子と名付けることとしました。 浦の島子を文字って「池の島子」である。 浦の島子とは、ご存じ「浦島太郎」のことであるから、こちらは「池島次郎」とでもして置くか。 万葉集にも浦島伝説を詠んだ歌がある。 「水上の浦の島子を詠みし一首」とある高橋虫麻呂の長歌1首と反歌1首である。 長歌は一部略して引用すると、次の通りである。春の日の 霞める時に 住吉(すみのえ)の 岸に出で居(ゐ)て 釣船(つりぶね)の とをらふ見れば 古(いにしへ)の ことそ思ほゆる 水上(みづのえ)の 浦の島子が 鰹(かつを)釣り 鯛(たひ)釣り誇り 七日(なぬか)まで 家にも来ずて 海坂(うなさか)を 過ぎて漕ぎ行くに わたつみの 神の娘子(をとめ)に たまさかに い漕ぎ向かひ・・(中略)・・住吉(すみのえ)に 帰り来たりて 家(いへ)見れど 家(いへ)も見かねて 里見れど 里も見かねて 怪しみと・・(中略)・・玉くしげ 少し開くに 白雲(しらくも)の 箱より出でて 常世辺(とこよへ)に たなびきぬれば 立ち走り 叫び袖振り こいまろび 足ずりしつつ たちまちに 心消失(けう)せぬ 若かりし 肌も皺(しわ)みぬ 黒かりし 髪も白(しら)けぬ ゆなゆなは 息(いき)さへ絶えて 後(のち)つひに 命(いのち)死にける 水上(みづのえ)の 浦の島子が 家所(いへどころ)見ゆ (高橋虫麻呂 万葉集巻9-1740) 反歌は、「常世の国でずっと暮らしていられたのに、自業自得、馬鹿な奴だなあ」という歌である。常世辺(とこよへ)に 住むべきものを 剣(つるぎ)大刀(たち) 己(な)が心から おそやこの君 (同上 巻9-1741)(注)この歌の浦島伝説伝承地については色々説があるようだが、京都府与謝郡伊根町本庄浜、同竹野郡網野町水之江浜、大阪市の住吉の浜、など。(同上) 池の島子さん、左目が、眼病でも患っているのか、何やら泣きはらしたようになっている。故郷に帰って来たら、家も村もかき消えていて、知る人もなく、どうしていいのかわからず、悲しみ、泣いている浦の島子の目もこんな風であったかも。そして、玉手箱を開けて、たちまち白髪の老人となってしまったというのを思わせる白い毛。そんな姿から浦の島子に掛けて「池の島子」という名が思い浮かんだのでありましたが、さて、池の島子さんは、実のところ、どんな境遇でありますのやら。 何やらびくびく、おどおどしている風であったのが気にかかりました。(同上)樫の実の ひとり行く子や うらぶれて 池の島子も 悲しきろかも (池家持) 以上、本日は、ヤカモチ的ネコ歩き記事第2弾でした。<参考>過去の犬、猫関連記事はコチラから。
2020.05.27
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偐山頭火氏のコメントで、「か」と「ま」の続きの摩訶不思議な話を、というご要望がありましたが、今日は、「か」と「ま」の続きの話ではなく、「か」と「ま」の間にある「ぬ」の話であります。 というのも、昨日の銀輪散歩で思いもかけない動物を見かけたからであります。 場所は恩智川。 外環状道路(R170号)の鷹殿交差点西側、恩智川に架かる三六橋の下付近でのこと。大きな鯉が泳ぐ中に妙な動物が泳いでいる。(ヌートリア?) 橋の上から川面を覗いていたのだが、最初にそれに気づいた時は、背中を見せて、橋から遠ざかって行くところであったので、後ろ姿。何とも不明。 頭からお尻までの体長は40~50センチ位、猫程度の大きさだが、尻尾はネズミのそれのように黒っぽく細長いひも状。ネズミにしては巨大過ぎる。 幸い、右に旋回してコチラ向きに方向転換、顔が見えた。(同上) 何だか見たような気がする動物。カピバラを小さくしたような奴。 しかし、名前が思い出せない。 結局、帰宅し、「ネズミの仲間」でネット検索してヌートリアという名前を目にするまで「ヌートリア」という語は思い出せなかったのであるが、この字を見た瞬間に、これだと思い当たったのではありました。 勿論、ヌートリアの実物を見たことなどないので、断言はできないのであるが、こいつはきっとヌートリアに違いないと思ったった次第。(同上)<参考>ヌートリア・Wikipedia しかし、何故、ヌートリアが恩智川にいるのか? ヌートリアは南米が原産地。 ウィキぺディアによると、その事情は次のようだ。 「日本では、大日本帝国陸軍向けの毛皮採取を目的として導入されたが、第二次世界大戦終戦後、需要が激減したことに伴い、飼育されていた個体の多くが野外に放逐された。また、1950年代の毛皮ブームでは、本種の飼育が流行したが、その後の毛皮価格の暴落に伴い、このときも多数の個体が野に放たれ、野生化している。これらの子孫が各地に定着し、やはり特定外来生物のアライグマと同様に、野外繁殖が問題となっている。」 アライグマとかハクビシンとかのことは知っていたが、このヌートリアも特定外来生物に指定され、防除対象となっている動物であったのでした。 わが恩智川もヌートリアにノットラレないようにしなければならないが、その駆除は大変そうだ。(同上) 珍しい動物と遭遇したと喜んだヤカモチでしたが、歓迎されない有害生物とあっては、喜んでもいられないということです。 さりとて、どうすればいいのか。 アライグマに関して、以前、市の担当課へ電話で問い合わせしたことがあり、その時の経験から、市は害獣駆除には少しも熱心ではなく、面倒くさいということがよくわかる応対であった経験からして、市役所に通報しても駆除に動き出すとは思えないから、放って置くこととしよう。 それでなくとも今はコロナ、コロナで、ヌートリアどころではないだろうから。 彼は、悠然と泳ぎ、花や葉をすっかり落としてしまって、荒れ放題の藪といった状態のセイヨウカラシナの草むらに消えて行きました。 今は、恩智川には大きな鯉がウジャウジャといるが、その鯉に負けぬ位にヌートリアがウジャウジャと増えたら、さぞや不気味な川となることであろう。 それはともかく、ブログ的には助かりました(笑)。 そう言えば、今年は子年でした。ブログネタ 尽きんとする日 ヌートリア ぬっとや出でて 助太刀すらし (鼠小僧)
2020.05.09
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銀輪散歩などで見かけた花や虫は、「花」、「虫」という記事カテゴリを設置して、これにまとめていますが、鳥などは、そういうものがなかったので、これまでは「カテゴリ未分類」という扱いになっていました。 カエルやヘビなどは、まあ「虫」に分類してもいいかと思いますが、犬や猫や鳥はそうもいかない。ということで「犬、猫または鳥」という新しいカテゴリを設けて、未分類の中の記事からこれに当てはまるものを移行させることとしました。 ところが、移行した7記事全てが「鳥」の記事で、犬や猫の記事はゼロ。 まあ、万葉集にも犬の歌は4首あるだけで、うち1首は犬上という地名を詠んだものであるから、実質は3首のみ、それも犬が主題ではなく、エキストラ出演みたいな扱いに過ぎないこと、猫は平安時代になってから我が国に入って来たのだから万葉集には登場しようもないこと、など考えると、わが偐万葉にても犬、猫の影が薄いのもムベなるかな、ではあります。(注)犬の万葉歌巻5-866「・・犬じもの 道に臥してや 命過ぎなむ」(大伴熊凝)巻7-1289「垣越しに 犬呼び越して 鳥猟する君・・」巻11-2710「犬上の 鳥籠の山なる 不知也川・・」巻13-3298「・・床敷きて わが待つ君を 犬なほえそね」 いつであったか、ブログネタがないとかを話していたら、さる猫好きのお方から「猫でもとりあげたら」と「ご助言」をいただいたことがあった。 猫の手を借りるのは、忙しい時であって、暇つぶしのブログに「猫の手」を借りるのは横着だろうと、その気にもならなかったものの、こうして新カテゴリを設けてみると、「借りてみるか」という気になったという次第。 何の役にも立たぬヤカモチが猫の手を借りるのは、猫の手も借りたいほどに頑張って居られる医療従事者の皆さんなどには申し訳なきことでありますが、猫の方もヤカモチと同じで何と言って役に立つことをしないのが猫というような顔をして平然として居りますから、いい組み合わせかもしれません。ネコの手も 借りたしと思(も)へど コロナにて コロニャにあらねば 遊ばせて置け (医療センター) 医療関係者の方も、猫の手は期待していないようでありますので、役立たず同士で、役にも立たぬことをやってみることとします。 と言っても、銀輪散歩で見かけた、親愛なるネコ君を紹介申し上げることに過ぎないのでありますが。 先ずは、恩智川べり北隣の大東市に近い、東大阪市域にある加納緑地の三毛猫ホームレス君。名探偵三毛猫ホームズ君との親戚関係については、ヤカモチもそれほど親しくお付き合いさせて貰って居りませんので、詳しいことは存じ上げません。(三毛猫ホームレス) 加納緑地の屋根付きベンチにMTBを停めて休憩していると、こいつがやって来ました。ヤカモチ「何か事件の調査ですか?」三毛猫ホームレス「探偵には守秘義務というのがあるのでねえ。」と黙秘であります。(同上) 「うん?」と三毛猫ホームレスは北北東に鋭い視線を。ヤカモチ「どうかしましたか?」 「やかましいな。ごちゃごちゃ言わんといて。事件のことは何も言われへんて、さっきから言うてるやろ。」とホームレス。ヤカモチ「すみません。」(同上)※追記:避妊去勢手術をした野良ネコは、オスは右耳、メスは左耳の先端をカットするそうですから、このミケはメス猫です。従って、三毛猫ホームレス君ではなく三毛猫ホームレスさんと呼ぶべきかもしれませんが、訂正しないままとします。 因みに、このように耳をカットした猫をさくら猫と言うらしいです。「う~ん、違うな。」とホームレス。ヤカモチ「何が違うんですか?」「やかましい。これは独り言や。話しかけんといて。」とホームレス。「すみません。」とヤカモチ。(同上)三毛猫ホームレス「あかん、調査失敗や。アンタがそばでごちゃごちゃ言うから失敗してもたわ。どないしてくれるねん。」ヤカモチ「すみません。」 三毛猫ホームレス君はヤカモチに「喝!」と言うと、悠然と立ち去って行きました。 事件のことは一言も洩らさない。さすがはプロである。 ヤカモチは事件記者にはなれませんな。 花の取材でもして来よう。 花園中央公園に移動すると、キジネコ三人衆と遭遇。(キジネコ三人衆)※追記注:耳のカットから清兵衛とジャックナイフはオス猫、ネコロンはメス猫。 中央の行儀のいいのがキジネコ・清兵衛、左手前がキジネコ・ジャックナイフ、右奥に居るのがキジネコ・ネコロン。 話をきくと、コロナ終息まで自宅待機ということで、仕方なく公園で時間を潰しているところだそうな。 彼らも「三密」は避けているようで、ソーシャル・ディスタンシングを守っている。一方で、東屋で4人の男が将棋盤を真ん中に置いて顔つき合わせ至近の距離で勝負に熱中している。 かと思えば、ギターをかかえて大声張り上げて、さしてうまくもない歌を高らかに歌っている男もいる。路上ライブのつもりなんだろう。大声を張り上げるたびにマイクロ飛沫を相当にまき散らしていることになる、という風には考えないのだろうか。 ヒトも、せめてネコ並みには進化しなければ、将来はない。(キジネコ・清兵衛) 清兵衛は、ブロ友のひろろさんの絵の猫と同じようなポーズであるが、何となくたそがれている風なのが、いかにも清兵衛である。(キジネコ・清兵衛とキジネコ・ネコロン) 清兵衛の後ろで寝転んでいるのがネコロン。 ずっと寝転んでいるので、ネコロンかと思ったら、ネコについて論じさせたら右に出る猫がいないのでネコ論の専門家として一目を置かれているからネコロンなのだそうな。(キジネコ・ネコロン) そう言われれば、彼はちょっとインテリジェンスを感じさせる顔つきをしている。まなざしもシャープだけれどやわらかい。 ネコについて、いかなる見解も持ち合わせないヤカモチ、彼とネコ論をたたかわせる気はもとよりないのでありました。 吾輩は猫である、みたいな顔をしているから、迂闊な姿を見せては、追って新聞小説かネット小説という形で、人間様のことを揶揄した作品に仕立て上げられかねないというもの。近寄らぬが無難であろう。(キジネコ・ジャックナイフとキジネコ清兵衛) もう一匹のキジネコ・ジャックナイフは人相、いや「猫相」が余りよろしくない。 ネコロンがニュートラルな静かな目で見返して来るのに対して、ジャックナイフは敵意のある目で見返して来る。 本人にはそういう気はないのかもしれないが、相手にはそのように見えてしまうというのが、彼の持って生まれた不幸と言うべきか。ジャックナイフ「なんやお前、なんか文句あんのか。」ヤカモチ「別にありません。」(キジネコ・ジャックナイフ) どうやら清兵衛さん、たそがれているように見せて、暴力沙汰を必要とするときはジャックナイフを、ち密な企画と知識、分析を必要とするときは、ネコロンを使って、うまくやっているようで、したたかなネコ親分のようです。 恩智川沿いの道に出て、道ばたでみつけたエゾオオバコの写真を撮っていて、見つけたのが黒猫やまと。(黒猫やまと)ヤカモチ「そんなところで何をなさっているのですか?」黒猫やまと「・・・・・」 返事がない。無視か。 もう一度、声を掛けてみると。(同上)※追記注:これはメス猫でした。 こちらを向いた。 しかし、「なんや、うるさいな。」という表情。ヤカモチ「今は、宅配便、忙しいんじゃないんですか?」黒猫やまと「あれは、ワシの弟のヤマトがやってる仕事で、ワシには何の関係もありまへん。そういうアンタはんはバイク便のお方でっか?」ヤカモチ「いえ、違います。」 ここで、職務質問のような質問を返されるとは思いもしなかった無職のヤカモチさん、少し慌ててタジタジとなりました。(同上) 今日は、猫の話、ネコ歩きでした。<追記・参考>犬、猫関係の過去記事はコチラから。
2020.04.27
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花カテゴリの記事ばかりでは単調となるので、今日は鳥の記事とします。と言っても、タンチョウ鶴などという由緒正しき鳥は登場しないのが我がブログ記事であります(笑)。 花については「花」という記事カテゴリを設けていますが、鳥についてはそのようなカテゴリを設けていないので、楽天ブログ上は「カテゴリ未分類」の記事となります。 しかし、記事目次用に開設しているサブ・ブログであるアメブロの方では「鳥」という分類を設定しているので、鳥関連記事を一括して見る仕掛けが出来て居ります。興味ある方は下記<参考>のコチラをクリックしてみてください。<参考>鳥関連の過去記事はコチラからどうぞ。 さて、本日の鳥は、カラスとアオサギとムクドリであります。 と言っても、最近撮ったのはムクドリのみで、カラスは過去記事からの借り物、アオサギは昨年10月に撮影した写真を動員してという、やりくり記事であります。(ヤカモチガラス) カラスは「カア~」と鳴く。 いつの頃から、カア~と鳴くようになったかは知らないのだが、万葉の頃には「ころく」と鳴いたりもしたようである。 まあ、万葉集の歌と言っても東国の歌であるので、都のカラスがどう鳴いたかは定かではない。烏(からす)とふ 大をそ鳥の 真実(まさで)にも 来まさぬ君を ころくとそ鳴く (東歌 万葉集巻14-3521)(カラスという大馬鹿鳥が、<あのお方が>本当はこちらへお出でにならないのに、「コロク(自分から来る・自(ころ)来(く))」と鳴く。) 上の写真のヤカモチガラス。 何故、ヤカモチガラスというかと言うと、この写真を掲載したブログ記事(下記参考記事参照)に於いて、そのように名付けているからである。 では、何故、下記記事でヤカモチガラスと名付けたかということになるのだが、その記事を読んでみてもイマイチよくわからない。ひょっとすると、上記の万葉歌でカラスをバカ鳥としていることが頭にあって、カラス=バカ鳥=バカ=ヤカモチ=ヤカモチガラスという連想が働いていたのかもしれない。<参考>555555・銀輪6台 2015.12.15. コロクと鳴くカラスをバカ鳥と言っているが、「コロク」と「コロナ」は少し似ている。ならば「コロナ」と鳴く鳥はどんな鳥なんだろう、と考えたりするところがバカなヤカモチガラスなのであります。万葉の 烏ころくと 鳴くなれど 閑古鳥かも ころなと鳴ける (偐呼子鳥) どうやら、コロナと鳴くのは閑古鳥のようです。自宅待機 せよと飛ぶ鳥 閑古鳥 けだしや鳴きし コロナの春に (閑田王)(本歌)いにしへに 恋ふらむ鳥は ほととぎす けだしや鳴きし 吾が思へるごと (額田王 万葉集巻2-112) さすがに閑古鳥の写真は持ち合わせない。 孤独な哲学者、アオサギの写真でも掲載して置きましょう。(アオサギ)(同上) アオサギなどの鳥のようにジッと静止していることの多い鳥は撮りやすいが、ちょこまかと動く小鳥は撮りにくい。 そんな中で、ムクドリなどは比較的撮りやすい鳥になる。(ムクドリ) これは花園中央公園で見かけたムクドリです。多数群れているところを狙ったのですが、ズーム撮影なので、モタモタしている間に散らばってしまい、1羽、2羽という寂しい写真になってしまいました。 群れで飛来した瞬間にシャッターを切らないと群れてる姿の撮影は無理ですな。地上に降り立ったらすぐに四方八方に広がってしまう。何をつついているのかは存じ上げぬが、草の実、種子などだろうか。(同上) 今日は、少しばかり自転車で外を走ってみましたが、ブログ記事のネタとなる写真の在庫もやがて手薄になることだろうから、外に出て花や鳥や虫や何やかやとネタ写真を撮ることも必要になるだろう。これは不要不急の外出なのか、日常生活を維持するために必要な外出なのか。 運動のついでということなら、必要的外出であるから、写真を撮るために外出するのではなく、運動のための外出とし、その合間に撮影することとしましょう。
2020.04.09
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ブログ更新をサボっていました。 これと言ってネタがないので、銀輪散歩で見掛けた雀と鳩でも。 鳥というカテゴリを設定していたかと思ったら、それはアメブロ版偐万葉田舎家持歌集の方で、楽天ブログの方には鳥のカテゴリは現時点では未設定でありました。 それはさて置き、スズメたちです。(スズメ) これは、文字通り「嘴が未だ黄色い」ので、子どもの雀のようです。(同上)(同上)(同上) 何となく頼りなげな感じ。(同上)(同上)(同上・大人のスズメ) これは、多分大人の雀。 顔つきが全然違う。厳しいというか、しっかりした顔つきである。目つきも鋭い。(同上)(同上) そして、鳩。(ドバト)鳩の会話。雄鳩「どうかしたのか?」雌鳩「イヤリングの片方を落としたみたいなの。」雄鳩「一緒に探してあげよう。」(同上)「こっちにはないなあ。そっちはどうだ?」(同上)(同上)雄鳩「お前、元々、イヤリングなんかしてなかったのでは?」雌鳩「???そうだったかしら・・」 もう一つ、山鳩(キジバト)の写真も。(キジバト) これは、今年4月、枚方方面を偐山頭火氏と銀輪散歩した際に、百済王神社(大垣内神社)で撮影した写真です。<参考>偐偐銀輪散歩・枚方方面へ(その3) 2019.4.5.
2019.07.11
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今日は、墓参。 墓参に出掛けようとしていた時に、ご近所のHさんから電話が入り、何やら見て貰いたい書類があり、これから持って行くがどうか、とのこと。 電話の内容から、書類の察しはついたので、簡単に済む話なので、持って来ていただくことに。予想通りのものであったので、電話で申し上げた通りのことでよいと思います、と説明。一件落着。 同氏も墓参に行くつもりであったとのことなので、一緒に行くこととした。同氏は、小生よりも9歳年長なので、子供時代に一緒に遊んだということはないが、同氏の母親と小生の祖母が従姉妹の関係ということもあって、親しくお付き合いさせていただいている仲。 H家の墓はわが家の墓から少し奥まった場所にあるが、墓の場所も近い。世間話をしながらの墓参となりました。(今日の言葉)捨てきれない 荷物の重さ まえうしろ ――種田山頭火―― 今日の門前の言葉は、珍しく山頭火の句でありました。まへうしろみぎもひだりも捨てきれぬ荷物かかへて坂道のぼる (三等蚊) こんな人も多いのでしょうな。 かく言う自分は?と時に鏡に己を映してもみるか。一つ捨て 一つ自由に なる身かな (二等蚊) H氏とご一緒の墓参であったので、写真は上の門前の言葉1枚だけ。 ということで、以前に撮ってブログ未掲載となっている鳥の写真で、記事の体裁を取り繕って置きます。 先ずは、よく見る、セキレイ。 キセキレイとハクセキレイは区別ができるが、ハクセキレイとセグロセキレイなどの区別は小生には無理。よって、以下は、皆、ハクセキレイとして置きます。(ハクセキレイ)(同上 セグロセキレイかも) 下から見上げたら白っぽく見えるからハクセキレイ、上から見下ろすと黒い背中が見えるからセグロセキレイというのでは洒落にもならぬ、であります。(同上)(同上) 次は、ルリビタキ。 これは、春日大社の森で撮ったものです。 最初は、飛んでいるところを見てカワセミかと思いましたが、嘴が小さいのと、近くに川もないのに、ということで、思い浮かんだ名前がオオルリ。 帰宅してネットで調べたらルリビタキのようでありました。(ルリビタキ)(同上)(同上)(同上) わが家の庭にも時々鳥が訪れるが、シャッターチャンスは大抵逃がしているので、写真はない。何日か前にキジバトのつがいがやって来たり、メジロやヤマガラがやって来たりもしたが、カメラを取りに二階へ上がっているうちに何処かへ行ってしまいました。 ということで、2階の洗面所の暖簾に最近とまるようになったフクロウを紹介して置きます。(2階のフクロウ) タイトルの「百鳥の・・」は誇大広告。フクロウ5羽をふくめて13羽にしかなりませんでした。<参考>墓参関連記事目次はコチラ 鳥関連の記事目次はコチラ
2019.03.01
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馴染みの喫茶店・「ペリカンの家」の店の前の木、シマトネリコの木に巣をかけたキジバトについて、店主のももの郎女さんが「ヒナがかえりました。」とブログに書かれていましたので、銀輪散歩の帰りに立ち寄ってみました。 たしかに、ヒナがいました。それもかなり成長した姿でありました。 トネリコの木も今日よりはひなの家 (偐蕪蕉) (元句)草の戸も住替る代ぞひなの家 (芭蕉 奥の細道)(キジバトのヒナ)(同上) ももの郎女さんのお話ではヒナは2羽居るとのことですが、よくは分からない。上の写真でこちらを向いているヒナの頭の右側に見えている羽毛が2羽目のヒナのうしろ姿なのかもしれない。 この写真で見る限りでは、まだ「可愛い」という感じではないが、これは写真映りの所為かもしれない。 いずれにせよ、喫茶「ペリカンの家」も、ここ当分は、「山鳩の家」もしくは「ヒナの家」と改名である。<参考>キジバトの再挑戦 2018.11.5.ペリカンの家のキジバト 2018.8.29.ももの郎女さんこと☆もも☆どんぶらこ☆さんのブログ記事ひよっこ 2018.11.27.生駒風いたくな吹きそ山鳩の ひなはぐくめるペリカンの家 (偐家持)山鳩の巣立ち待たなむ霜月の 暮れゆく空のやさしくもあれ (偐家持)(本歌)旅人の宿りせむ野に霜降らば わが子羽ぐくめ天(あめ)の鶴群(たづむら) (万葉集巻9-1791)<参考>鳥関連の過去記事はコチラから。
2018.11.29
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1ヶ月位前から胃の調子が悪く、胸やけというか不快な鈍い痛みが続き、一向に軽快しないので、病院に行って検査して貰いました。 10月23日エコー検査、同29日胃カメラ検査とピロリ菌検査。エコー検査と胃カメラ検査では十二指腸を含め、ガンや潰瘍は認められないということで、単なる胃炎であろうということ。念のためピロリ菌の検査をしてみるということで、29日に採血をして病院を後にし、その検査結果は1週間後に来院して下さいということで、本日、その結果を聞いてまいりました。 検査の結果は、陰性ということで、ピロリ菌は居ないだろうとのこと。胃の調子も少し良くなっているような気もするので、しばらく様子を見ようということになりました。 病院は毎度のことで待ち時間が長い。向かいの喫茶店「ペリカンの家」で珈琲やランチを食べたりということで、此の処結構この喫茶店に立ち寄ることが多くなっている。23日のエコー検査の時は夕方6時頃の検査であったのだが、終了後、会計をせずに、つまり金を払わずに帰宅してしまったりの失敗もありました。自宅近くまで帰って来て、その事に気付き、病院に電話し、翌日に支払いに伺います、ということで了解をいただいた次第。 そんなことで、1回余分に病院通いをしたこともあって、ペリカンの家にも1回余分に立ち寄った次第(笑)。 それはさて置き、今日、ペリカンの家の店先のシマトネリコの木に、キジバトが再び巣を作り、卵を温めているのを写真に撮りました。 以前、同じ木に巣を作り、ヒナが孵ったものの、台風直撃で巣が壊れ、ヒナが落下し、行方不明となってしまった、という事件がありましたが、そのキジバトのカップルが再び営巣にチャレンジしているのだろうと思われるのであるが、キジバトの顔などは区別のしようもないから、同一の夫婦なのかどうかは、勿論、確証がある訳ではない。 しかし、時を置かず巣を作ったことから見て、同じ夫婦だろうと考えるのが合理的な気がする。 今度は無事に育ち、巣立って欲しいものである。<参考>ペリカンの家のキジバト 2018.8.29.(キジバト) もう少し近寄ってみましょう。(同上) 少し角度を変えて・・。(同上)トネリコに鳩が巣のありかにかくも あらしな吹きそ雛巣立つまで (鳩家持)(本歌)大海にあらしな吹きそしなが鳥 猪名の港に舟泊つるまで (万葉集巻7-1189)<参考>鳥関連の過去記事はコチラ。
2018.11.05
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今日は、喫茶店・ペリカンの家のキジバトの記事です。 来月16日に予定しているペリカンの家主催の明日香サイクリングについて、友人の偐山頭火氏が、地図に目的地(立ち寄り先)を落とし込んだコース地図を作成し、Eメールで送ってくれました。小生は、立ち寄り先にある万葉歌碑の歌とその現代語訳を付したものを作成しましたので、これらをPCから参加予定人数分印刷し、ペリカンの家にお届けしました。可能な場合は、参加希望者にそれらを配布して頂こうという訳です。 ペリカンの家に入ると、店主のももの郎女さんが鳩が巣を作っていると仰る。店の入口の左側、喫煙用のベンチの隣にあるシマトネリコの木に鳩らしき鳥が巣を掛けていました。よく見ると鳩は鳩でも、普通の鳩ではなく、キジバトでした。ヤマバトとも呼ぶ野鳥である。 ももの郎女さんによると、先日から店の前の電線にとまっていて何度も目が合ったと仰っていましたが、それは既に巣作りをしていて、警戒して様子を見ていたということであったのかも知れない。 彼女は、鳥の羽毛が苦手らしいので、店先の木に巣を作られて、そこから親鳥やヒナの羽毛が落下して来るのはノーサンキューとのことでありました。しかし、山の鳥がやって来て巣を掛けてしまった以上、我慢するしかないのでしょうな。 ペリカンの家とあるので、キジバトさんも親近感を覚えて、「此処に巣を作ろう。」と考えたのかも知れない(笑)。(キジバト) この角度では、普通の鳩にも見えるが、下の写真のように、少し動いた時に見えた、羽根の模様からヤマバト、キジバトであるということが見てとれました。(同上)(同上) いよいよ、ペリカンの家も「キジバトの家」或は「ヤマバトの家」に改名しなくては、いけないかも(笑)。 もう、卵を産んでいるのかどうかは、下からでは分からないが、ちょこんと巣におさまっている姿などからは、卵を抱いているようにも見える。<後日談> その後ヒナがかえったものの、9月4日の台風21号の直撃を受け、巣が崩壊。ヒナが2羽落下し、命を落としてしまったようです。是非に及ばず、であります。〇キジ鳩さ~ん頑張れ~(T-T)〇朝電線に
2018.08.29
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孤独な散歩者の夢想、というのはルソーの著作のタイトルであったでしょうか。高校か大学の頃に読んだ記憶があるが、共感できるものが余り無かったのか、内容は記憶に無い。今日の日記のタイトルはこれを借用しましたが、ルソーとも夢想とも無関係。主人公はアオサギであります。 孤独が好きなアオサギ。 アオサギが群れている姿は勿論、複数で居る処を見た記憶がない。 いつもたった一羽で身じろぎもせず突っ立っている。 アオサギ君に尋ねてみたこともないので、彼が孤独が好きであるのか、仕方なくそうしているのかは、知らぬことであるが、鴨や白鳥、カラスや雀や鳩とは違って群れるということをしない。何処かアオサギのコロニーにでも行けば、群れている姿も目にすることがあるのかも知れぬが、川原などでよく見かける姿は孤独なそれである。 尤も、ひとつだけ例外がある。銀輪散歩で淀川の河川敷自転車道を走った折に見掛けたアオサギである。淀川のワンドに釣りをする人々の中に立ち混じって一羽のアオサギが居たことである。釣り人たちが餌をやるということが常態化して、すっかり彼らになついてしまったのか、彼らの手の届く至近の距離に、と言うより、人々の群れの一員ででもあるかのように、或はそれが自然な景色であるとでも言うように、ちょこんと突っ立っているのでありました。釣り人たちもそれを気にもしていない風であり、面白い光景でありました。 <参考>淀川自転車道銀輪散歩(その1) 2014.6.1. わが恩智川のアオサギは淀川のアオサギのように人擦れしてはいない。一般のアオサギ同様に孤独を愛する川原の哲学者なのである。(恩智川のアオサギ 新川との合流点付近で) 餌となる魚などを狙っている時は、長い首を伸ばした状態で水面をじっと見つめているのであるが、このアオサギは首をすくめているから、夢想中なのである。或は「吾輩はアオサギである。名前はまだない。」などと小説の構想を練ってでもいるのかも知れぬ。決してアホサギではないのである。 孤独と言えば、このヤマトシジミもそうでした。 寒くなって動けなくなっている蝶を俳句などでは「凍蝶(いてちょう)」と言うらしいが、それかと思ってカメラを更に接近させると、飛んで行ってしまいました。「凍て蝶」ではなく、こちらは只の「居眠り蝶」であったようです(笑)。(ヤマトシジミ) アオサギの居た恩智川から北へ数百メートルばかり行った処にあるのが、加納緑地。花園中央公園同様にヤカモチが銀輪散歩でよく立ち寄る公園である。 メタセコイアが紅葉して美しく色づいていました。(緩衝緑地公園・加納緑地のメタセコイア) そのうちの1本を見上げてみたら、こんな風でした。 右側の小さい写真は以前見上げたもので、今年の10月28日の日記に掲載したものです。左は12月2日撮影、右は10月28日撮影。35日間でこのように色が変化するのですね。 (同上・見上げてみれば) この公園の北寄りのエリヤに古い石橋がある。何度も目にしていたものの、これまでは気にもとめていなかったのであるが、少し離れた処にある水防倉庫の脇に立っているイラスト案内図看板を見ていて、その記述からこれが由緒あるものだということを知りました。(布市石橋跡)「公園内にある石橋は、1737年(元文2年)恩智川に当初板橋でかけられていたものを1870年(明治3年)に石橋にかけかえられたものでありまして、歴史的にも貴重な石橋である。」(上述案内図看板の記述より)(同上)
2016.12.12
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