全8件 (8件中 1-8件目)
1
皆さま、寝袋クラブ開催いたします。5/17 深夜出発。(←10日から変更 )5/18 山へ。(←11日から変更 )山は呼んでいる。君が来るのを待っている。癒されたいあなた。非日常を望む都会の生活者よ。参加費、お一人様二万円以上 (嘘)寝袋持参でご参加下さい。ゴミ袋、雨具、携帯灰皿、タオル、温泉セット、日焼け止め、など。夜は冷え込みが予想されますので、各自ご用意下さい。詳しくは、NEBUKURO CLUBURL:http://nebukuroclub.ukime.org/代表 灰田
2008.04.30
コメント(6)
はっきり言ってどう生きていいのかわかりません。望まないセックスの強要のよな世の中。文句言っても困惑の担当者には悪気なしです。真正面から向き合っても虚しいだけ。ルナシーだけ。真面目な顔して嘘ばっかり。あぁ、スーサイドガンガン。僕らはいつまで耐えられるのか?いつまでカモられ続け、たかられ続けるのかな?「暴力に負けて泣くより、届ける勇気」などと交番の前に書いてありましたが、なんとも。なんとも。。取りあえずは、「暴力に負けて泣くより、仕掛ける勇気。」とでも変えておきましょうか。黙って受け入れていても、決して国はよくはなりません。権力、利権。保守。捕手。ほしゅ。欲しい。惜しい。あっはっは。(まぁ、時として信じて待つことも大事と思われますが・・)「檻のなかに虎と自分がいる。絶体絶命。どうせ喰われるなら、自ら食わしてやるほうがいい。なぜなら、誇りは残るから。」という言葉もいつも頭にあります。えっ、と。何が言いたいかと申しますと、いまは何も語るべきではない!(笑)と。 あっはっは、はっぱ。
2008.04.26
コメント(3)
僕の唯一の酒飲み相手である居間の植物が、小さな鉢で窮屈そうなので少し大きな鉢にと思いガーデニングな店に行った。ついでに、殺風景なうちの台所または一時的なにダイニング(ダイイングではない。)に花を、と思いアフリカンなんとかという美しい鉢を一目ぼれで連れて帰ってきた。いっつも中古CD屋に寄ってはマイルスないかなー?と見ていたが、欲っしまくっているときは全くなくて、もうねぇや!とどうでもよくなりかけたとき、ふっと寄ったらあった。あり申した。見たこともないブート盤だ。マイルスがヤクから抜け出た頃の56、57年ライブテイク。4枚組で2200円と微妙だなーと思いながら、ジャケ裏の英語を頑張って読んでいたら、ラジオ録音なのに「音質良し。」と書いてあった。(または勝手にそう受け取った。)よし、と買って路駐のトラックで即聴きした。素晴らしい!ビューティフルなーんか、いい流れになってきたなぁーと思っていた。または思い込もうとしていた。が、今日帰宅して「なんか、食い物残ってたかなー」と冷蔵庫を開けたら、なぜか置時計が入っていました。。かなりショックでした。全く記憶がない。。冷えた置時計を居間に戻し、ため息をつく。僕は毎晩(毎朝)必死に闘っているのだなぁ、と安堵とは程遠い今の状況を思い知らされました。
2008.04.19
コメント(2)
家族で千葉へ泊まりに行った。平均年齢も徐々にUPしつつあることを思い知らされる我がファミリー。パーソナルな問題をそれぞれに抱えつつ、そんなん関係なく温泉館へと出かけてゆくのです。かなーりアンニュイなムードたっぷりの家族なのだが、とても楽しく仲もよいのでございます。素敵な家族だとぼくは思います。刺身で酒を飲みまくりました。夜、ひとりベッドに寝そべり本を読んだ。ページからふっと目をそらし、自分の存在について考えた。今あることの危うさ、僕を僕として成り立たせてくれている多くの人たちについて。あまりに当たり前に意識することもなしに、そして感謝しなさ過ぎたことを反省した。だからいま、皆さまにありがとう!と言いたい。そして、失礼極まりない僕を謝りたい。おもぃっきり誤りたい。そして、ここに再生する。だからまた、皆をただでは済ませやしない。僕が、やさしくしても冷たくしても、嘘でも本当でも、そこには気持ちやこころや愛があるから。そのほとんどは言葉に変換することができない。けれど誤解を恐れていてはなにも出来やしない。いつかきみはぼくと交差する。音や温度、匂い。それは体験すること。からだがあるうちに伝えたい。う、ことばに詰まったので、おやすいみん。。* いもうとの日記に灰田ファミリー旅行記が写真つきで載ってます。あと、バンドHPに前回のライブ写真をUPしました。ご覧ください、なら。
2008.04.13
コメント(2)
「他人(ひと)にはわからない悲しみがあるのかもしれません。」「じゃあ、あなたは毎日が自殺未遂のようなものじゃないですか。」「はい。胸が痛むんです。受け入れることを強いられた苦しみなんです。」「流れない水。動かない川はただ暗闇に沈黙し澱んでいきます。」「かざぐるまくるくる。どこへも行くことが出来ない悲しみに、地蔵様はおそばで静かに微笑んでいらっしゃる。」
2008.04.11
コメント(3)
皆様にはいつもお世話になっております。この度、病んだ衝動により数日前に携帯メアド変更いたしました。携帯にうんざりしながら不自由に所持している、そんな人も多いんじゃないかな?と思いまふ。あと、アドレス帳を溜め込む人がいるようですけど、自分は苦手で消してゆくタイプと申せましょう。重い。。。軽くしてゆきましょう。わたくし灰田に連絡つかない方々、ご迷惑かけてすみません。ピース!さよなら。。お急ぎの方はPCメールにお願いいたします。ハッピー?
2008.04.09
コメント(3)

先日の高円寺Club ROOTSでのライブ写真。一部公開します。他、近々HPにup予定です。http://sexfactors.cool.ne.jp機材トラブルで苦笑の兄妹photo : 八巻なつえhttp://cocophoto.cocolog-nifty.com/blog/
2008.04.05
コメント(4)
一葉の写真がある。橋の上で母が祖母に背負われている白黒の写真。後ろには煙突が見える。この橋を渡ると東京だったと言う。 昨年亡くなった祖母の箪笥の引き出しから出てきた昔の写真。 その場所に生前祖母は、「もう一度行ってみたいねぇ」とよく言っていたという。母の生まれた所でもあるらしい。 複雑な生い立ちゆえに自分の幼い頃のことをあまり知らない母と、静かな微笑みしか残さなかった祖母の壮絶なる人生の一番幸せだった頃の写真なのだろう。 「この橋にいつか連れていってほしい」と母は僕に言った。 旧番地を調べ東京都との境界線になる川を探す。当時木で作られていた橋はそれほどの長さではないようだ。川にはよく肥船が通っていたという。どこの川なのだろう?あまり川幅はない川だろうな。 当時の風景を思い浮かべ、子供を背負って母親が近所の川に行く様をいろいろ想像してみる。 市役所に問合せて地区を特定していく。大体の場所がわかってくる。祖父が働いていたレンガ工場。そのA棟とB棟の間に川が流れていて、そこに木の橋が渡されていたという。残念ながら今その橋はないみたいだ。工場も今はショッピングセンターのようなものになっているらしい。 その土地の空気に触れてみたい。祖母はそこで何を思いどのように暮らしていたのだろうか。母はいったいそこで何を感じるだろう?そしてそれがいまの僕に繋がっていく。
2008.04.03
コメント(2)
全8件 (8件中 1-8件目)
1


