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仕事仲間が遊びに来た。こいつ、ちょっとおかしい。お茶を出したらおいしそうに飲んでいた。そのお茶を入れたきゅうすがこれ。「いいだろ?このきゅうす。益子の陶芸市に行って買ってきたんだぜ」と話したら、「前のきゅうす、ふたを割っちゃったもんね」「え??」実はその通りで気に入ってたきゅうすのふたを落として割ってしまった。そんな話が仕事場でもあった。別の仕事仲間が車を購入。まだ、届いていないとき、「クリーム色みたいなで色でしょ?早く届いたらいいね」と話す。二人で目を合わせてしまった。それだけではない凄さを感じることが多々あった。仕事中、「次に本を出すのなら君のことを書きたいよ。題して、こいつ、おかしくね??」と話をしたら笑って「いいね~~」とのこと。とまあこんな感じ。おかしいでしょ?二作目となる本の出版は彼のことを書くか!と半分マジ、半分冗談で思った次第。特殊能力があるって本当なんだなあと実感してしまった。でこの益子焼、高校1年生の時、初めてデートしたのがこの益子だった。 駅前はちっとも変っていなかった。せっかく車で益子に行ったのだから笠間に行くことにした。約50年ぶりに行くことができた笠間稲荷神社。岩手から戻り、16年。やっと成し遂げた。小学校の頃、祈祷しに行った。商売繁盛の神様であるこの神社、祈祷の入口は全く変わっていないし、50年前の記憶がすぐ思い出すことができた。 この笠間でも陶器市がやっていた。ちょっと大きめのお皿を購入。この色合いが気に入っちゃった。大宮で生まれ育ち、岩手に移住。そして埼玉県にもどり、やっと成し遂げることができた。子供が育った今だからこそ、できたのかもしれない。ただそれだけのために今日のブログを書いたわけではないんだ。震災から15年がたち、立ち上げたプロジェクトもやり遂げた。しかし、これで終わったら、本当の意味で自己満足だ。自己満足で終わらせてはならない。そして、行動。蓮田市民会館ハストピアのステージを予約しに行った。昔とちがって今は、早い者勝ちではなく抽選。仮予約ではあるが予約を取ることができた。来年5月2日に音楽イベントを行う。俺たち音楽仲間の演奏だけではない。母校栄東高校合唱部。中学校の合唱部と共に生徒たちのステージを用意する。文化祭は高校の中で行うが、市民会館でもやれば更に生き生きした生徒たちの姿を醸し出すことができる。先日の同窓懇談会で校長先生に相談したら、「すぐやって!」と一発返事。その第一歩を進むことができた。コロナ禍前、母校を卒業し、栄東高校の教員になった後輩に言った。「予備校かのような高校には絶対にするな!」そして去年、文化祭の日に同窓懇談会総会があり参加。母校の文化祭を見て生き生きした後輩を見ることができた。先輩としてできること。それが、高校を出た場所を用意し、生き生きした姿をみせること。そして音楽の力を10代に伝えることが目的である。それは音楽の力で震災を乗り越えてきたからできる発想でもある。震災復興イベントみたいな題目は必要ない。俺と関わってくれれば音楽を通じて命の尊さを伝えることができる。イベントを楽しんでくれればそれでいいのさ。勿論、自分も演奏するが後輩の工藤慎太郎と共に舞台を作り上げる。これから交渉していくが参加者達の共通点、それは、音楽の力の底力と価値を感じている方たち。岩手からも呼ぶつもり。ただ楽しいイベントでは終わらない。毎年続ければ、震災の記憶も風化させず、子供たちに音楽を通じ命の尊さを伝えていくことができる。
2026年05月12日
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初めてのNHKホール!次の目標はこのステージ!な、わけない。3月29日放送DJ日本史。17日にNHKホールでの公開収録に行ってきた。NHKホールに入った時、スタッフの方と目が合った。その方はすぐ駆け寄ってきて「すぐわかりましたよ!来てくれてありがとうございます!」と力強い握手をしてくださった。その方はDJ日本史のプロデューサーさん。目が熱くなってしまった。嬉しかった。今までやってきたことが報われたと思った瞬間だった。新たな目標に向けて栄養ドリンクを渡してくれたかのような力強い握手。9月に行った岩手でのライブで震災復興プロジェクトは終わったと自分が勝手に決めていた。そんな時に偶然聴いていたラジオ番組DJ日本史。このDJ日本史は生き方の参考書になるかのような番組だった。目標を失っっていた11月、リスナーイベントを開催すると番組で流れたとき、背中に電気が走ったかのような感じがした。腰から肩にかけてビビビビビっと熱くなるかのようで体がしびれたかのような感覚。興奮して話もできなかった。すぐ応募し数日後当選。このおかげでついにやるべきことを果たせた。支援者へのお礼は全国、世界の皆様に伝えることはできた。しかし、支援を呼びかけてくださった方へのお礼を伝えていない。このリスナーイベントに参加できたおかげでNHKスタッフの皆様に御礼を伝えることができた。そしてこの公開収録に参加できたおかげで新たな目標が生まれた。それが母校栄東高校の生徒たちを招いて行う音楽イベント。毎年行えば、震災後に生まれた生徒たちと触れ合うことができる。数日後、蓮田市総合文化会館ハストピアに行ってきた。高校からも近く、駐車場も広い。電車の場合、蓮田駅からバスを使わなければならないが自分の目標をかなえるのにうってつけの場所。このステージは震災をテーマに行うわけではなく、命の尊さを音楽を通じて伝えたいというのが趣旨だ。震災の事は高校で触れてくれればありがたい。この15年間、全国だけでなく世界の国々の方まで被災地の復興を願っていた。ふと思うと、今まで復興の証を証明するようなイベントは行われただろうか?多くの支援物資、支援金が被災地に使われ産業は復活。甦ったというには無理があるかもしれない。しかし、被災地を拠点に全国、世界へ発信し続けている企業は多々ある。復興の証、かもめの玉子で知られるさいとう製菓、まさに復興の象徴だ。銀座に岩手県の物産館がある。ちょくちょく行ってかもめの玉子を買っていた。去年9月、花巻でのライブに出たとき、仕事仲間へのお土産はかもめの玉子!仕事仲間の誰もが知っていた。「私、これ、大好き~」と言っててくれた仲間もいた。そのさいとう製菓へかもめの玉子への感謝を伝えたら会長様からメッセージを送ってくださった。それを読んで感動してしまい、メールではなく、直接お礼がしたいと電話をした。このさいとう製菓の歩みを生徒に伝えるにはどうしたらいいか直接相談しようと思った。会長様が電話に出てくれたらいいなあと思ったがやはり、お忙しいようだった。総務の方に会長様から戴いたメッセージをブログに使わせてくださいとお願いし了承してくださった。会長様から戴いたさいとう製菓復興の歩みを書かせていただく。東日本大震災から十五年が経過いたしました。現在も大船渡市中心部には更地が残るものの、一定の復旧は果たしたと感じております。一方で、津波の襲来を受けた商業地域では居住が制限されており寝泊まりはできません。震災前のように住宅と商店が一体となった街並みは失われました。現在は安全第一のまちづくりが進められております。しかし、当時の大津波は防波堤・防潮堤を破壊し、乗り越えて甚大な被害をもたらしました。この経験から、津波においては何よりも迅速な避難が重要であると強く認識しております。未だにちょっとした地震にさえ身構えることがあり、海の近くで生きる者の宿命かなあと感じております。震災直後は壊滅的な被害を前に、この世の終わりかと思うほどの状況でした。そのような中、津波から三日後には「かもめの玉子」を三十万個、二度にわたり陸前高田市および大船渡市の避難所へ無償でお届けいたしました。避難されていた方々からは「地獄で仏に会ったようだ」とのお言葉を頂戴し、大変ありがたく、また心に深く残る出来事となりました。さらに全国各地のお客様より、温かいお見舞いや励ましのお電話・お手紙を日に二十通から三十通ほど頂戴し、多くの方々に支えられてこそ今の私どもがあること、人は一人では生きられないということを、改めて痛感いたしました。お客様に安心していただくためには、一日も早く「かもめの玉子」の製造再開することが何より重要であると強く強く感じ、四月六日に主力工場の再稼働に至りました。しかしながら余震による停電などの影響で思うように製造が進まず、仕込み原料を廃棄せざるを得ないなど、難義の連続でございました。再稼働した際には、放送局や新聞社に取材攻勢され、その対応にも四苦八苦したものです。店舗につきましては、四月二十一日に盛岡市・北上市、同月二十九日に大船渡市仮本店および釜石市、さらに八月四日には陸前高田市・気仙沼市にて営業を再開いたしましたが、原材料や包装資材の不足にも悩まされる状況でございました。その後、平成二十九年十一月には本店を「かもめテラス」として再建し、喫茶コーナーやパン・和洋菓子の販売に加え、お菓子作り体験ができる「かもめキッチン」を備えた地方では珍しい大型の店舗として生まれ変わりました。現在では観光バスの団体のお客様にもご利用いただいております。振り返りますと、まさに「禍転じて福と為す」の歩みであったと感じております。これもひとえに主力商品であるかもめの玉子を長年ご愛顧くださっているお客様のおかげであります。“感謝、感謝、感謝”であります。今後も、おいしいお菓子づくりに全身全霊で邁進して参ります。今後ともご指導ご鞭撻を賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。春陽のみぎり、お健やかな日々を過ごされますようお祈りいたします。敬具さいとう製菓株式会社取締役会長 齊藤俊明皆様が愛してくださるかもめの玉子、命を支えてくれていた。皆様から戴いた被災地復興への想いは被災地の企業に伝わり、その企業は震災前よりも愛情ある思いで我々と接している。このブログを読んでくださっている全国の皆様、被災地に向けての支援、温かい想い、心から感謝。震災復興プロジェクトをやり続けてきたからこそ、被災地の復興の証を伝えることができた。来年自分が主催する音楽イベント、普通に楽しい音楽イベントになればそれでいいと思う。その会場に高校生、そのご両親、NHK、さいとう製菓、そして岩手の音楽仲間がいたらどうだろうか。命の尊さを知る者たちが後世へ伝えるイベントになる。妄想で終わらせるわけにはいかない。そんなやる気を取り戻してくれた番組、DJ日本史。「最強バディ・豊臣兄弟 天下とりの秘けつはこれだ!」公開収録 最強バディ・豊臣兄弟〜天下取りの秘けつはこれだ!弟、秀長の偉大さをこのNHKホールで熱く語った。ホームページに書いてあるが1+1は2ではなく、10にも100にもなる。まるで自分と一緒。相方が歌ってくれなかったら何も始まらなかった。支えられているからこそどんなことにでも挑戦できた。それってどんなことにでも当てはまると思う。バンドもそう。一人一人の演奏が相まって大きな力を生む。プロレスのタッグもそうだ。共通して言えるのは仲良し同士だからミラクルを生むのではない。同じ目標に向かって性格が違う仲間と切磋琢磨し、道を切り開いて通るからこそ想像以上の世界を見ることができる。震災前、新たな企画を持ち込むと「前例がない」と言って断られることが多々あった。一人では何もできなかった。そして理解者すらいなかった。しかし、音楽を愛する仲間たちと一緒にいると話は変わってくる。一つの課題にみんな一人一人が意見を出す。それが企画となり行動へと繋がる。豊臣兄弟しかり、プロレスのタッグチームも一つの目標に向かって取り組む役割分担が明確で支えあっているからこそ、結果につながる。1+1は2ではなく、10にも100にもなるのだ。震災直後、絆という言葉がよく使われた。絆の価値は成しえたものしかわからないのか?それは違うかも。なぜって死ぬまで続くものこそ、絆だ。絆の価値を音楽の力で伝え続ける。
2026年03月30日
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確定申告終わった〜 しんどかった。。3時に食べたローソンのラーメン、美味いし、思い出になった。来年は違う意味でしんどいだろうなあ。。税金が。。笑 儲けてから言ってもおかしくない 笑さて、満開のクリスマスローズ!一種類だけが力強く、空を見上げている。こんなクリスマスローズはその辺にはないかも。たいした世話なんかしていない。しかし、増えていく。 これって生き方のヒントにもなるね。辛くても上を向かなければ花は咲かない。NHK復興支援ソングだ!花は咲くクリスマスローズは増え続ける。腐らなければ。。空を見上げ活動を続けていれば、花は咲く。今日は震災の日。被災地への支援、ずっと見守り続けてくれてありがとう!アメイジンググレイス想いを一つにTrue Happiness。
2026年03月11日
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2月14日、バレンタインデー。あなたのてつおって言うくらいだから、チョコレートたくさんゲット!!とはいかない。。。この14日はゴスペル。たくさんのお姉さまたちからチョコレートゲットといく予定だったがこの日は、栄東高校同窓会!ついに、高校の歴史は40年を越えた。そして自分が座った席は、一期生の先輩と一緒の席。一期から六期生まで。まさか、一期生から五期生の先輩方と一緒の席になるとは予想もしていなかった。緊張。。。そんな緊張、数分で終わった 笑家では子供たちの成長を感じ、歳をとったなあとよく感じてたが、ここでも実感。しかし、この思いも、数分で飛んで行った。さて、ここからはてつお’ ワールド全開だ!先輩に挨拶した後、後輩たちのもとへ。数日前、「先輩は出席しますか?」と二人の後輩に聞かれた。なんか嬉しかった。そのうち一人の後輩から体調について相談があった。整体師として今までやってきたがコロナによって活動を中止の中、そんな自分に相談してくれた。辛い部分を触らせてもらい、後日、ストレッチのやり方などを説明した動画を作って送った。良くなればいいなあ。。増え続ける後輩たち、後輩たちは様々な分野で活躍している。その労をねぎらうことこそが先輩の役目ではないかなあと思う。同窓会の様子参加者全員の写真で一番前の列にいます・・・この栄東高校同窓会に参加するにあたり、後輩に会う目的の他にもう一つ目的があった。それは、音楽イベントを企画し、ゲストに栄東高校合唱部を呼ぶこと。合唱部をイベントに呼びたいということを合唱部を担当している先生に伝えることだった。震災の翌年、2012年に埼玉に戻ってきて、2013年に母校を訪問。そして栄東高校同窓会が2015年がスタートし今に至る。この2015年に参加したのがきっかけで母校に再度、訪問。吹奏楽とコーラス部と合わせたイベントをやりたいと当時の吹奏楽部の先生に意思を伝えに行った。ありそうでなかったイベント、吹奏楽とコーラス部とのコラボ。自分の音楽活動もこの時はまともにできていない状況だったので机上の空論となってしまった。しかし、それを本気にさせてくれたのが先日参加させていただいた、NHKラジオ、DJ日本史リスナーイベントだった。このイベントに参加させていただいたおかげで、NHKスタッフの皆様に被災地支援を訴え続けてくださったことへのお礼を伝えることができた。このDJ日本史、2025年の秋、自分を支えてくれた番組でもある。9月25日、岩手県花巻市で開催されたイーハトーブ音楽祭。ここに出させていただき、岩手県民の皆様にMR.BIGのビリーシーン氏、STYXのトッドサッチャーマン氏から戴いたメッセージを岩手県民の皆様に届けることができた。そして、相方がアメイジンググレイスを歌い、震災復興プロジェクトをやり遂げることができた。アメイジンググレイスところが、やり遂げたのはいいのだけど、次なる目標がない。震災から15年を迎えようとしているとき、常に抱えていた問題がまた、頭によぎる。それは、この活動は自己満足なのか?ロックの歴史を支え続けてきた偉大なアーチストからのメッセージは、果たして、県民の皆様は喜んでくださったのだろうか?ということ。自分の活動を評価してくださったからこそ戴いたメッセージだとは思うがこれも自己満足だろうか?そんな数日間ではあったが、このDJ日本史はこれからの自分を支えるヒントをラジオを通じて教えてくれた。ラジオに支えられたのはこれで二回目である。震災の時、ラジオのおかげで情報を得ることができた。今度はNHKラジオDJ日本史。DJ日本史時代を築き上げた様々な人物が問題に遭遇したとき、どう対処していったかなどをこの番組で語っている。日本史の教科書、参考書には書かれていない当事者の心情など聴いていてわくわくすることばかり。様々な壁、それは乗り切れるからこそ用意された課題。このラジオ番組はこれを視聴者に訴えているのに違いないだろう。まさに、自分にとっての参考書だった。そんなラジオ番組のイベントに出させていただき、チーフディレクター、プロデューサー、アシスタントディレクター他、スタッフの皆様に御礼を伝えることができた。このとき、続けてきてよかったと改めて思った。岩手のライブの後、思いついた案がなかったわけでもない。しかし、これが本腰を入れてやり遂げるきっかけを作ってくれた。それが自分が企画する音楽イベントにコーラス部を参加させる。だったら、高校でもできるでしょ?という考え方もあるだろう。それじゃあ意味がない。ゴスペルをやっていてつくづく思った。「なぜ、イベントを教会でやることにだわるのだろうか?」と。こだわっているわけではないかもしれない。だけど、これではキリスト教以外の方は足を運びづらい。そこで考えたのはゴスペルの仲間たちを集めて音楽イベントを行うことだった。教会でやらないのだから牧師の説教は必要ない。ゴスペルのイベントではなく、音楽のイベント。音楽を喜び、楽しみ、分かち合う。そこに宗教は必要ない。どんな方でも見に来れるイベントでなければならない。震災直後は様々な国から物資が届いた。世界諸国の救援隊の皆様のおかげで多くの命が救われた。そこに宗教、民族の、国境の壁はない。命を救うために世界諸国の皆様の真心が被災地に届いた。命の尊さをどれだけ、被災者は感じたことだろうか。手を差し伸べてくれたり、食事を用意してくださった救援隊の皆様に被災者はどれだけ感謝したか計り知れない。もし、このイベントができて、素晴らしいイベントだと評価してくだされば、母校を通じて東日本大震災を風化させないですむ。イベントに震災の話など必要ない。自分が企画し、続けていくことこそが大切だと気づいた。音楽をみんなでやり、それを一般の皆様の前で披露することこそが学びである。そんな思いのもと、コーラス部の先生に話をして了解をとった。そして、校長先生のもとへ。「すぐやって!!」もうこの一言を戴けただけで今までの15年間が報われたかのようだった。栄東高校のイベントではなく、てつおが考える音楽イベントでは様々な業界の方にも来ていただこうと考えている。てつおの未来は栄東高校とともに歩み続けるのかもしれないなあ。東日本大震災を風化させないことこそが音楽イベントである。想いを一つにTrue Happiness。
2026年03月01日
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I had the opportunity to experience a studio recording at a listener networking event for DJ Nihonshi on NHK Radio 1.Participants formed several teams, and the selected team would be broadcast.DJ Nihonshi was featured on the program, which started at 4:05 PM on February 1st. I was the first person you hear on the program.らじる★らじるMy voice was broadcast nationwide. Missed episodes are also available for streaming. Perhaps it's an exaggeration to say it was a new step in my life. However, 15 years after the disaster, it felt like a rewarding day.Thanks to being able to participate in this event, I was able to express my gratitude to the NHK staff for calling for support for the disaster relief efforts nationwide.I am overwhelmed with emotion.True Happiness, a disaster recovery project that has begun to incorporate the thoughts and feelings of disaster victims and supporters into a single song, conveys the preciousness of life, the value of taking a step forward, and gratitude—these songs transcend religious and ethnic barriers.I have continued this project as if it were my mission for disaster victims to convey their gratitude to people across the country and the world.Uniting our thoughts: True Happiness.
2026年02月05日
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NHK第一ラジオ、DJ日本史のイベント、リスナー交流会でスタジオ収録体験をさせていただいた。参加者でいくつかチームを作り、その中で選ばれたチームが放送される。2月1日16時5分スタートの番組DJ日本史取り上げてくださった。番組一発目に聞こえる声がてつおです。らじる★らじる自分の声が全国に流れた。聴き逃し配信も対応。人生の新たな一歩といえばいい過ぎかも。しかし震災から15年、報われたかのような日だった。このイベントに参加できたおかげでNHKのスタッフの皆様に震災支援を全国に呼び掛けてくださったことにお礼を伝えることができた。感無量。被災者、支援者の想い、想いを一つの曲に託し始めた震災復興プロジェクトTrue Happiness、命の尊さ、一歩踏み出す行動の価値、感謝の思い、ここに宗教、民族の壁はない。被災者が全国、世界の皆様にありがとうと伝えること、それが自分の使命かのような思いで続けてきた。想いを一つにTrue Happiness。
2026年02月04日
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A fitting topic for the first blog of the year. I went to NHK!My favorite NHK TV show is Document 72 Hours. And on the radio, I watch DJ Nihonshi.I was listening to DJ Nihonshi in the car when I heard,"We're holding a listener meet-and-greet.If you're interested, please contact us by the 29th."At that moment, I felt a tingle of excitement.I wanted to participate!!!With that thought in mind, I immediately applied. Since it's a national broadcast, I figured the competition would be fierce. But, lo and behold, I was selected. I was so happy!But then, a strange thought crossed my mind.Would I be able to have fun chatting with everyone who attended with my level of intelligence?On January 16th, I took a half-day off work and went to Shibuya. All I could think about at work was the event, and I couldn't work as usual.I made my business cards the day before. It's been five years since I last made business cards, since before the COVID-19 pandemic.I assumed the event would last about two hours. But we met at 2 PM and finished at 6 PM!!I was worried about my intellectual level, but I had no need to worry about it at all as this was a wonderful event and I thoroughly enjoyed it.Photography is prohibited inside NHK. The event was held in the studio we usually use for DJ Nihonshi. It's not airing yet, so I can't write about the details, but there was a program prepared that all attendees could participate in.I was able to experience things that I could only have at this event, and time flew by. After the break, there was a round-table discussion.The round-table discussion was attended by the chief director, assistant director, producer, and performers, as well as the NHK Radio station manager. Memories of the earthquake and tsunami came flooding back to me.We talked about the production of DJ Nihonshi, memorable broadcasts for us listeners, and future plans for radio production.I think it's really wonderful that NHK, a national broadcaster, is shaping itself through dialogue with ordinary citizens like us.In the message section for this event,"Please say a few words to the NHK staff and the company."I wrote to them,"I was grateful for the importance of radio during the Great East Japan Earthquake, and I'm grateful for your appeal for support from people all over the country."And when I sent it to them, it was the first topic they brought up during the roundtable discussion.In September, we performed a live show in Iwate, completed the earthquake recovery project, and reported on it on this blog, and thought everything was finished. But then,I finally got to express my long-cherished wish to express my gratitude to all the staff at the broadcasting station.Before I moved from Iwate to Saitama, I visited Hanamaki Airport. There was an NHK helicopter there.A staff member in charge of management said this."The cameramen got out of the helicopter and said, in tears, 'Is it really okay for us to be doing this? We're watching from the sky and can't save lives.'"Immediately after the earthquake, thanks to the NHK staff, footage reached the entire nation. We, the victims, are truly grateful to the NHK staff for bringing us the current situation in the disaster-stricken areas.Thanks to being able to participate in this DJ Nihonshi event, I was able to express my gratitude for the support and greet the station director.Was my trip to Hanamaki Airport not just a coincidence, but was all for this day?Thinking about it brought tears to my eyes, and I wondered if I was able to properly thank the station director.In 2012, I returned to my hometown of Saitama, and my activities shifted from calling for support to expressing gratitude for support.I recorded a CD of my project song, "TRUE HAPPINESS," and sent it to libraries across the country, including Kobe, uniting the hearts of people in the disaster-stricken areas and across the country with messages of "reconstruction" and "the preciousness of life."Then, across the ocean, to the Japanese School.Conveying gratitude doesn't have to be limited to music.I put my feelings of gratitude into writing using the letters-in sections of newspapers across the country. I expressed my gratitude to embassies around the world, including the Kuwaiti and Finnish embassies, for their support, and also contacted Japanese embassies around the world. I received a kind message from the Japanese embassy in Panama.I also wanted to thank those who came to the disaster-stricken areas after the earthquake, so I contacted universities across the country. I managed to get it done before the first-year students graduated in 2011.It was during the Rio Olympics that I was able to express my gratitude to people overseas. Oizumi Town in Gunma Prefecture, where many Brazilians live, translated my feelings into Portuguese.The American band MR. BIG made a great contribution to Japan during the Great Hanshin Earthquake.In April, immediately after the earthquake, they decided not to cancel their live performance in Iwate, and performed there, providing Iwate with great strength. Wanting to express my gratitude, I attended the Ihatov Music Festival in Hanamaki, Iwate Prefecture in 2017. I performed MR. BIG's songs and shared MR. BIG's achievements with my fellow musicians in Iwate. I reported this to bassist Billy Sheehan and was able to contact him to express my gratitude for the live performance in Iwate.I struggled for days to figure out how to express my gratitude to people around the world. My English isn't even that good, so expressing my feelings in English was a huge hurdle. Media is always one-way. I never got a response. However, my past experience came in handy. I thanked universities around the world for their support.I suspected that some university staff members who were students at the time of the disaster, later graduated, and continued to work at universities.I received replies from the Manhattan School of Music, Harvard University, and others.There was just one thing left to do. I was unable to directly convey Billy's message to the people of Iwate Prefecture during the COVID-19 pandemic, and the message that STYX's Todd Thatcherman sent to the prefecture's residents. Last September, I returned to Iwate and performed a live show, which allowed me to deliver these messages in person.From Billy,From Todd,This marked the end of the TRUEE HAPPINESS earthquake recovery project, but thanks to my participation in DJ Nihonshi's event, I was finally able to fulfill my long-cherished goal of expressing my gratitude to NHK, Japan's public broadcaster.I'm truly grateful for their efforts in reporting the current situation in the disaster-stricken areas to the entire nation and the world, and calling for support.They also reported on the progress of reconstruction. This was available to everyone across the country, around the world, and to Japanese people living around the world who supported us.The thoughts of each and every one of you who supported us helped power the reconstruction of the disaster-stricken areas. First, seafood was revived, commercialized, and delivered nationwide. The Sanriku Railway reconnected its rails in 2019.The TRUEE HAPPINESS earthquake recovery project was able to accomplish everything.Thank you to everyone who reads this blog!!This episode of DJ Nihonshi is scheduled to air on February 1st:お家存続 崖っぷちでの、この一手 The family's survival: A crucial move on the brink.If you miss it, don't worry! In that case, please check out Radiru★Radiru.らじる★らじる Radiru★Radiru If you're interested in DJ Nihonshi, please check this out.過去のエピソード Past EpisodesIn the past episodes section, you'll find the topics prepared for each episode.But these topics aren't just great! Not only will they pique the interest of history buffs, they're also filled with sentences that would be found in a self-help book.For anyone struggling with the divide between superiors and subordinates, they'll surely be helpful.The sense of these topics and the interaction with Matsumura, Horiguchi, and Kawakubo creates material for the show. Material, that is, ingredients and raw materials. Material that resonates deeply with listeners.DJ Nihonshi is a show like a band ensemble.Thank you to hosts Matsumura, Horiguchi, DJ Kawakubo, and all the staff for a wonderful show.I also have to work hard on my music and other activities. If I don't work hard, the day we can meet again will never come.I have to work hard on my live performances, return to my job as a Massage Therapis, and get back to writing!!I want to leave a legacy of MR. BIG's achievements in a tangible form. Please support me.奇跡の湯 玉川温泉の整体師 余命と向きあう人たちにささげる笑顔の一時間【電子書籍】[ 小川哲男 ]価格:1,400円 (2025/11/4時点)楽天で購入Earthquake Reconstruction Project Song: TRUEE HAPPINESSPrevious Blog「日の目を見なかったオリジナル曲たち」"Original Songs That Never Saw the Light of Day"I've posted an original song. It's in Japanese, but please take a listen.
2026年01月26日
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今年最初のブログにふさわしい話題。NHKにいってきた!NHKのテレビで大好きなのはドキュメント72時間。ラジオはDJ日本史。そのDJ日本史を車の中で聴いていたら、「リスナー交流会を開きます。ご希望の方は29日までにご連絡ください。」その時、背中に電気が走った。でたい!!!そんな思いですぐ応募。全国放送だから競争激しいだろうなあ。と思った。ところが見事、当選。嬉しかった~~しかし、変なことが頭によぎる。俺の頭の程度で参加された皆様と楽しく話ができるだろうか?1月16日、仕事を半休にして渋谷へ。仕事中、そればかり考えていつもの様な仕事ができなかった。前の日に名刺を作った。名刺作成なんてコロナ禍前以来で5年ぶり。二時間くらいのイベントだろうなあと勝手に思っていた。ところが14時に集合、終わったのは18時!!不安だった自分のオツムレベル、そんなことは全く問題にする必要のない素晴らしい企画で心から楽しむことができた。NHKの中は撮影禁止。いつもDJ日本史で使っているスタジオでイベントが行われた。今は放送前なので内容は書けないが参加者みんなが参加できる企画が用意されていた。このイベントに参加できたからこそ体験できたことがあり、時間はあっという間に経っていった。そして休憩後、座談会。座談会はチーフディレクター、アシスタントディレクター、プロデューサー、出演者を含め、更にNHKラジオ局長も参加された。思わず、震災の時の思い出が頭によぎった。DJ日本史の制作話、我々リスナーが心に残った放送、そしてこれからのラジオ制作に向けて話し合った。民放ではないNHKが我々一般人と一緒になって語り合ってNHKを作ろうとする姿、素晴らしすぎる。このイベント参加募集の書き込み欄に、≪NHKスタッフ、会社に向けて一言≫という欄があった。そこに「東日本大震災の時、ラジオの有難さを感じたことと全国の皆様に支援を訴えてくださったことに感謝します。」と書いて送ったら、それが一番最初に話題にあげてくださった。9月に岩手でライブをやって震災復興プロジェクトをやり遂げ、このブログでその報告をし、すべて終わったと思った。ところが、ついに念願であった放送局のスタッフの皆様に御礼を伝えることが叶った。岩手から埼玉に引っ越す前に行った花巻空港。そこにNHKのヘリコプターがある。管理しているスタッフの方がおっしゃっていた。「カメラマンの方々、ヘリコプターから降りてきて、俺たちはこんなことをしていていいのか??空から見ていて命を救ってあげれない。と涙をながして話していました。」NHKのスタッフの皆様のおかげで映像が届いている。我々、被災者は被災地の現状を届けてくださったNHKのスタッフに心から感謝だ。このDJ日本史のイベントに参加できたおかげで支援のお礼を伝えることができ、ラジオ局長に挨拶をすることができた。花巻空港に行けたことは単なる偶然の出来事ではなくこの日のためだったのか?と思って涙がでてきて局長にちゃんとお礼ができたか不安だ。2012年、生まれ故郷の埼玉に戻り、活動は支援の呼びかけから支援のお礼を伝える活動となった。神戸、をはじめ、全国の図書館にプロジェクトソング「TRUE HAPPINESS」CDにして送り、被災地と全国の皆様の心一つに「復興」「命の尊さ」を訴えた。そして海を越え日本人学校へ。感謝を伝えることに音楽というジャンルに固執する必要はない。全国の新聞社の投稿欄を使って感謝の気持ちを字に込めた。クウェート大使館、フィンランド大使館をはじめとする世界諸国の大使館に支援のお礼を伝え、同様に世界諸国にある日本大使館にも連絡。パナマの日本大使館から有難いお言葉を戴くことができた。そして震災時に被災地に来てくれた方々に御礼がしたかった。そこで全国の大学に連絡。2011年に一年生だった方々が卒業する前に何とか間に合った。海外の皆様に御礼を伝えるためにできたのはリオオリンピックの時。ブラジルの皆様が多く住まれている群馬県大泉町。大泉町は自分の想いをポルトガル語にしてくださった。阪神大震災の時にも日本に偉大な功績を残したアメリカのバンドMR.BIG。震災直後の4月、岩手でのライブを中止にせず、ライブを行い、大きな力を岩手にくださった。そのお礼をどうしても伝えたくて2017年、岩手県花巻市で行われたイーハトーブ音楽祭に参加。MR.BIGの曲を演奏。岩手の音楽仲間にMR.BIGの功績を伝えた。その報告も含めてベース担当のビリーシーン氏に連絡することができた。世界諸国の皆様に御礼を伝えるにはどうしたらいいか苦戦する日が続く。まともに英語ができるわけでもないのに想いを英語にするなんて壁が高すぎる。メディアはすべて一方通行。返事はない。ところが今までの経験が生かされた。世界諸国の大学に支援のお礼を伝えた。震災時から働いている方もおられるだろう。ひょっとしたら大学を卒業してそのまま大学に残っている方もいるのではないかなと思った。マンハッタン音楽院、ハーバード大学他、返事を戴くことができた。一つだけやり残したことがあった。それはコロナ禍の時に岩手県民に向けて送ってくれたビリーのメッセージ、STYXのトッドサッチャーマン氏から県民に向けて送って下さったメッセージを直に伝えることができていなかった。去年の9月、岩手に戻りライブを行ったおかげで直接、伝えることができた。これで震災復興プロジェクトTRUEE HAPPINESSは終了だったのだが、DJ日本史を聴いていたおかげでついに日本の放送局、NHKにお礼を伝えることができた。被災地の現状を全国、世界に届け、支援を呼びかけてくださったことに心から感謝。そして復興の状況も伝えてくださった。支援してくださった全国、世界諸国の皆様、世界に住む日本の皆様はこれを見ていただくことができた。支援してくださった皆様ひとりひとりの想いは被災地復興の力になった。まずは海産物が息を吹き返し、商品化され、全国に届く。三陸鉄道は2019年にレールが繋がった。すべてやり遂げることができた震災復興プロジェクトTRUEE HAPPINESS。ブログを見てくださっている皆様、ありがとう!!このDJ日本史、2月1日に放送予定は、お家存続 崖っぷちでの、この一手この一手??いつの時の話?と思って下さった方は是非、クリック!4コマ漫画を読むと「えっェ!!」となり、興味をそそる。もし、聴き逃しても大丈夫!そんなときは らじる★らじる放送前に興味を持ってくださった方にはこちらを見てほしい。過去のエピソード過去のエピソード欄に毎回放送されたときに用意された題目がある。この題目が素晴らしいだけでは終わらない!歴史好きの心をそそるだけではなく、自己啓発の本に用いられるような文が並ぶ。部下と上司との狭間で戦っている方、きっとヒントになるはず。この題目のセンスと松村さん、堀口さん、川久保さんとの絡みが番組にマテリアルを引き起こす。マテリアル、それは素材や原料。聴いている皆様の心にたくさん届くマテリアル。バンドアンサンブルのような番組、DJ日本史。パーソナリティーの松村さん、堀口さん、DJ川久保さん、スタッフの皆様、素晴らしい番組をありがとう。自分も音楽活動他、頑張らなきゃならないなあ。頑張らないと、また会える日が来ない。ライブ活動と整体師復帰、ライター復活に向けて取り組まなければ!!震災復興プロジェクトソング TRUEE HAPPINESS前回のブログ「日の目を見なかったオリジナル曲たち」オリジナル曲を載せました。
2026年01月20日
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9月末、岩手に行ってライブを行い、震災復興プロジェクトをやり遂げた。気が抜けた10月、次に何をしようかと悩む日が続く。そして11月、新たなVocalと音楽活動復活にむけて話が進んでいたとき愛機が壊れた。 急遽、機材を購入。ところが、配送業者が購入した機材を壊した。 挙句の果てはステレオで左と右と音声が出るのだが片方がならなくなっていた。 もう、踏んだり蹴ったり。 気を取り戻して修理開始。使ったのはこれ。セメダイン コンクリート・金属・木材用 170ml PM165-R 1本価格:837円(税込、送料別) (2025/12/31時点)楽天で購入 なんとか直すことができた。そして内蔵電池も交換。 息吹を吹き込むことができたかな?片方からしか音声が出ないのはこれを使った。【無償オンラインユーザー登録で安心の3年間製品保証】ZOOM / G2X FOUR Effects & Amp Emulator ギター マルチエフェクター ズーム【PNG】価格:16,300円(税込、送料別) (2025/12/31時点)楽天で購入これはギターのエフェクター。購入金額以上の出費になってしまった。俺にとってクリスマスプレゼントとして奮発しちゃった。なんとこれ、すごい使い方ができる。キーボーディストは使わないだろう。なぜかというとギタリスト向けのための設計でステレオ入力がない。我々キーボーディストが使用する機材のほとんどはステレオ出力。そのため、機材のポテンシャルが生かされなくなってしまう。片方しかでない音声をこれにつなぎ、ステレオで音声を出す。つまり、半減されてしまったポテンシャルはこれによって修復できたわけ。さらに、オルガンを演奏するとき、このボリュームペダルがロータリーシュミレーターの役割を果たす。ロータリーのスピードをこのボリュームペダルを踏むとSLOWからFASTに変わり、オルガン演奏に幅が広がる。あと、まだある。エレキギターの音を用意してこれを使うとハードロックのギターの音を鍵盤で弾くことができる!とりあえず、使えるようになった。本日のテーマ、「日の目を見なかったオリジナル曲たち」って機材を修理しながら思いついた。ゴスペルを始めたきっかけは少しでも歌がうまくなりたいから。もし、歌がうまかったらキーボードを弾きながら歌っていたことだろう 笑今まで作ったオリジナル曲はすべて相方と一緒に作って歌ってもらっていた。バンド経験者なら実感できる話だと思うけど女性Vocalって何年も一緒に続けていくのが難しいんだよね。3年続けばいい方じゃないかなあ。仕事、家庭環境、新たな活動へ向かってやめていく。幸いなことに、震災復興プロジェクトを立ち上げた時に作った曲を歌ってくれたVocalと再会を果たし、9月に岩手に行ってライブができた。しかし、プロジェクト曲True Hapinessを歌ってもらうことはできなかった。多くのキーボーディストへ「尊敬するミュージシャンは?」と聞かれたら普通、ジョンロード、リックウェイクマン、キースエマーソンなど答えると思う。俺は違うんだよね。アランパーソンズ、ジェフリン、ポールマッカートニー。世界観を音楽を通じて作り上げていくミュージシャンがすごく好きで尊敬している。自分が抱く想いをバンドメンバーと共有するってなかなか難しいと思う。それを実現するためには自らがリーダーにならなければならない。その思いと似ているのかもしれない。震災を経験していない方に想いを託して歌ってもらうなんて俺のわがままであり、無理な難題。機材を直しながらそんなことを考えていた。長く歌ってもらうなんて無理だと割り切った方がいいと思った。知り合った音楽仲間に、「俺が弾くから歌う?」って話し、「いいよ」と快く答えた方と一緒にライブをやればいいじゃんと考えを変えた。知り合ったVocal一人一人、歌いたい曲もあるだろう。ならば、歌いたい方を集めて数曲歌ってもらい一つのステージを作り上げることも可能。参加してくれた仲間たちがコーラスもしてくれれば曲の幅も広がる。俺が作った曲を歌ってみたいと言ってくれたら今まで作った曲は日の目を見ることにもなる。来年の目標はオリジナル曲をライブで演奏することかなあ。20年前にオリジナル曲を作り始め、当時のままをアップしてみた。綺麗な音声ではなくて申し訳ない。ブログを見てくださった皆様に気に入ってもらえたら有難いなあ。Soundcludをこのブログに埋め込もうとしたけどできないみたいなのでクリックして聴いてみてください。2006~2008年製作 ライブでやらなかった楽曲たち。WaitingFreedom Kitchenはバンドから始まりました。メンバーが抜けていき二人になり活動を続けオリジナル曲を作り始めました。初めて作ったオリジナル曲。BEER NIGHT二作目BLUE TEARSバラード調Tresure Huntこの曲あたりからアンサンブルを意識してバンドが演奏しているかのように作った曲です。Wonderful Earthコナミスポーツクラブ北上のインストラクターの皆様がコーラスに参加!素晴らしい曲に仕上がった。そして相方は青年海外協力隊の一員となりアフリカへ。活動は終わりった。音楽活動は終わったが新たな目標が生まれた。それが本の出版。溜息 Tameikiこの楽天ブログで知り合った方と音楽活動を再開。Sakura Impostorカーペンターズなどを歌ってきた相方は今までなかった自分をこの曲で表現した。上に曲は2010年花巻でライブをやることができました。そして2011年震災。相方と一緒に作ったわけではなく自分が作って相方が修正した曲がこのTrue Hapiness2012年、北上でプロジェクトライブ。北上市民会館さくらホールで行われたイベントに呼ばれ演奏。そして相方は去っていった。歩き出せ2012年に埼玉に引っ越し。新たなVocalを必死に探し作ったのがこの二曲。まだ咲かぬ花ちょっと長めの曲に仕上がったのですがポイントはベースソロです。上2曲は2013年に花巻で演奏できた。しかし、これが終わるとすぐ去った。当時大学4年生だったからしょうがない。とまあこんな感じ。「ライブをやってよ!」って言ってもらえたら有難いですね。ライブが実現できるように頑張りたいです。この一年間、ブログを見てくださってありがとうございました。
2025年12月31日
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12月8日23時15分頃、青森県東方沖を震源とするマグニチュードMj7.5・Mw7.4(最大震度6強)の大きな地震が起きた。東北・北海道を中心とした広範囲で津波注意報・警報が発令され、岩手県の久慈港で0.7mの津波が観測された。この時、すでに寝ていたが揺れを感じ目が覚めた。埼玉の自宅では大きな揺れを感じずそのまま寝た。翌日、びっくり。また東北で地震か。津波は大丈夫かと気になったが人的被害はなかったようで安心した。東日本大震災が起きた時は電気が止まったがこの地震はどうなったのだろう?どうしても震災の時を思い出してしまう。電気が止まったあと、役に立ったのがこのストーブ。この土鍋にご飯を入れ、そこにカップヌードルを混ぜて炊いた。この味が今でも忘れられない。小川家の冬をずっと守ってくれたアイテム。機械故、老朽化。別のストーブへと変わった。そのカップヌードル、このブログを読んでくださる皆様は、どれがお好きだろうか?日清 カップヌードル(78g*20食入)【spts2】【カップヌードル】[インスタントカップ麺 即席ラーメン 醤油 日清食品]価格:3,949円(税込、送料無料) (2025/12/16時点)楽天で購入日清 カップヌードル シーフードヌードル(75g*20食入)【カップヌードル】[インスタントカップ麺 即席ラーメン 防災 日清食品]価格:4,179円(税込、送料無料) (2025/12/16時点)楽天で購入日清 カップヌードル カレー(87g*20食入)【カップヌードル】[インスタントカップ麺 即席ラーメン 防災 日清食品]価格:4,179円(税込、送料無料) (2025/12/16時点)楽天で購入小腹がすいたときによく食べていたのがシーフードだった。先日の仕事休みの日に機材を直した。カラオケに行ったとき、音声にエコーがかかる。直した機材はエコーを作り出す機材。専門用語でいうとエコー、ディレイ、リバーブ。空間系エフェクトと言い、18歳のときに買ってずっと使っている。ところが、ブツブツと音がしたり、音が急に消える。この手の故障は大概、接触不良。ハンダを使って直した! そして、入力を調節するツマミの小さな穴から接点復活材を注入。 見事に接触を直すことができた。同じ機種をヤフオクで買うと5千円もしない。でもこの機材は愛着があって手放せないんだよね。相場が安いせいもあるし、ちょくちょく直していたので次女の大学でかかる費用を作るため、ほとんどの機材を売った。売らなかった機材の一つである。なんとか直したあと、昼食にカップラーメン。これ、生まれて初めて食べた。いつもシーフードばっかり食べていた。やばい、うまい!ハマるね〜そばにいた息子が一言、「これね、麺を食べた後、ご飯を入れるとおいしいよ」とのこと。やっている方、いらっしゃるのではないかなあ。今年の漢字は「熊」だそうだ。玉川温泉で働いていた時、子熊を近くで見たなあ。今じゃ、盛岡市内に現れ、生活に支障をきたす日々になってしまった。そんな熊、熊には縁があったんだ。知り合いに熊谷さんはいっぱいいらっしゃる。その中でいいこともあったし嫌なこともあった。しかし、その熊谷さん、一人の方と長い縁が続いている。ありがたいことだ。聴いたら、ハマるぜ~~埼玉県ユースホステル協会吹奏楽団東日本大震災関連動画
2025年12月16日
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I usually get up at 3:30 for work, but this time I woke up at 2:30 because I had to go to the bathroom. When I flushed the toilet, I accidentally bumped my hand against the washlet switch.Water came gushing out from the middle and landed on my face... Even though it was my day off, I was woken up by water being splashed on me. It's definitely something a woman wouldn't do, I thought, but when I told a coworker about it, It happened to me too. My hand bumped into it while I was cleaning. The person who told me this was a woman a year older than me. We both laughed. So, I'm still as silly as ever. A lot of things have happened and been difficult, but these days I'm feeling a lot more calm. The other day, I went to Silver Elephant, a live music venue in Kichijoji. The jazz concert I went to in July was so disappointing that I wondered if the performers even realized that people were paying to see them. The professional-looking performers were good, but they didn't reach my heart. The sound was flat. The singers addressed the audience from various angles, but it didn't really get them excited. You could really feel their desire for the audience to enjoy the live performance, but everyone except the vocalist was just looking at the sheet music while they were playing. Not a single person looked directly at the audience. Whether amateur or professional, isn't looking at the audience the most important thing at a live performance? My gospel friends sing with a happy, smiling face. However, at this concert, only the vocalist was smiling and behaving cheerfully. However, this Kichijoji concert was just like any other gospel event, with smiles everywhere and a sense of enjoyment. Their performance was a tribute to the American progressive band Kansas.Not only were their technical skills impressive, but their desire for the audience to enjoy themselves was clearly conveyed, even more so than their musical ability. This concert, filled with sound, was a model of what a live performance should be. If I were planning an event, this is a band I would definitely want to have perform.Still basking in the afterglow, I headed to Omiya. Idumiya Main Branch in front of Omiya Station.When I entered the store, I said to the other staff, "A customer has arrived. Please show her to her seat!" and the ladies were engrossed in watching sumo in front of the TV. "Yes! Welcome! Please come this way!" I sat down in a chair. Then the ladies started talking to me about sumo.I wondered if she remembered me even though it was my third time at Izumiya.I couldn't help but wonder. This might be what makes Idumiya so great.Have you ever tried pork trip hotpot? It's popular in Japan. I ordered a large beer and pork trip hotpot. The pork trip hotpot was delicious!! Excellent. And above all, what's amazing about this store is their teamwork and customer service.Just watching the ladies working is enough to make a meal. The relaxing atmosphere is wonderful. If you're worried or anxious about something, this store might just give you some helpful hints.This bar is unique in its communication with customers. It's the perfect place to go drinking alone.Let me introduce my activities before the earthquake. I wrote a monthly column for an Iwate Prefecture newspaper.Once a month, I filled Iwate Prefecture mornings with laughter. Sounds a bit dramatic, doesn't it? But this experience inspired me to write articles for newspapers across Japan and around the world immediately after the disaster, calling for support. A few years later, I continued to express my gratitude for the support.First column. Published May 29, 2010. My name is spelled incorrectly, but it has been corrected in the magazine.【 A masseuse can't massage their own body. I wish I could get a massage from one every day.For me, the only place where I can relax and get in shape is the sports gym. And this body is one of the seven wonders of the gym I go to. I should say, I'm not fat (lol). But I was still on the sports team in school.Until recently, I would grumble every day, "I work out so hard, why don't I get thinner?" I jokingly asked a good friend from the sports club, "Would I feel more like myself if I lost weight?" and he seemed a little stumped. But recently, it seems like I've seriously lost a little weight. My jeans are starting to get too loose. At work, if I treat four people in a row, I take a 30-minute break, but these days I can work without any problems without a break. Maybe it's the benefit of going to the sports club."It seems like you've lost weight," I told a friend at the sports club, and she replied with a sad "You're kidding, right?" She then suggested, "Work harder and show us your cool Tetsuo." I countered, "A skinny body, a big heart! I weigh 60kg. The rest of the weight is the weight of everyone's love! It's a shame I lost that weight!" My female friend then burst out laughing, "Pfft." I'd worked so hard to lose weight. 】My second column was in April 2010. It was there I met Hitomi, the vocalist for Freedom Kitchen, a project I continue to work on. I even wrote a column promoting their first live show. My partner at the time was incredibly youthful and beautiful, a talented singer with a crystal-clear voice. Just because she's aged now doesn't mean she's any less attractive. She now sings jazz. Her voice is as clear as ever. A miracle happened when she performed her original song, "Sigh." Customers kept coming in to watch, and there was standing room only. I was amazed.【 Hello everyone. It's hot, isn't it? Did anyone think, "Who's this guy?" after reading my first column? My main job is as a masseuse, but I also have another side: I'm a musician. My image onstage doesn't match my public image. Well, that's one of my most distinctive features. A few years ago, at a concert, I saw a slightly older mother standing in front of the stage. She was really into the music and looked at me with such joy. Seeing this, I felt so happy that I played my solo while looking at her. I'll never forget that moment. It made me realize that music has the power to enrich the soul, regardless of age or gender. It was also a moment when I felt glad to be in a band. The "Ihatov Music Festival," a music event like this, will be held at Nahan Plaza in Hanamaki on August 7th and 8th. This music festival is going to be exciting! Music lovers of all genres and ages will perform at this event. Of course, I'm one of them. Please come and experience the wonderful feeling of unity between performers and audience members. Admission is free. We look forward to seeing you! 】 Third time: Before the earthquake, I participated in this Appi Relay Marathon. That's what got me started running. I formed a team with friends from Konami Sports Club Kitakami and took turns running. We all completed the 42.195km run. In my book, "The Chiropractor of Tamagawa Onsen," I strongly emphasized how the joy of sports leads to good health.【 Thank you so much for all your support at the Ihatov Music Festival Live! I'm so grateful to everyone. Next, I've set my sights on the Appi Relay Marathon, fitting for autumn, the season of sports. I can't relax unless I'm always doing something, so I'm going to let off all my energy by running a marathon! By the way, customers have been asking me a lot lately, "What kind of exercise should I do?" If you're going to do something, it's pointless if you don't enjoy it. But the reality is that many people give up before they even find enjoyment in a sport. So, try changing your way of thinking a little. The key is to keep doing it if it's fun. Take walking, for example. If you're going to walk, why not look for a handsome man? Talk to him! Of course, I'm joking. You spot a cool guy 100 meters ahead. Your eyes are fixed on him. Try being conscious of yourself at this point. You're making this discovery because of your good posture. Even if you're conscious of improving your posture, you don't really notice your own body. It's just a matter of adding a little fun to your walking. I think this is a concept that can be applied to work as well. Just by adding a new layer of fun, you will shine. Find a wonderful man. What? You don't have one nearby? Then please come and see me in Hiraizumi. 】Fourth time: A funny story. An incident that happened with my mother and myself. I thought that readers might get bored of free papers if they focused too much on the same topics, so I always wrote about a variety of topics. Maybe that's my signature style.【 Sweet omelets are spicy!!! I ran the Appi Relay Marathon. And I beat my target time! Though not particularly fast... I simply discovered the joy of running, unrelated to effort or willpower, and ran around Chusonji Temple every morning. This is the result. For example, even in studies, if you experience the joy of solving problems, it's more likely to lead to better grades. I believe this "fun" is the most important thing. Breakfast after such a running practice. The omelet was so spicy that it felt like it was burning my heart. I asked my mother, who had made it, "Did you put anything in it?" She replied, "It's the same as always." What's wrong with my palate? Maybe something's wrong with my body... I'm always talking big about health, so I never thought this would happen to me. My mother said,"Of course it's sweet. I made it," she said, before putting the omelet in her mouth."It's the same as always." However, after a few seconds,"It's spicy. What is this?"I realized the reason. He had been heating chili peppers he'd picked in his garden the day before in a frying pan. Since he hadn't used any oil, he had made tamagoyaki (rolled omelet) in the pan without washing it. "So that's why it's spicy!"Ladies, please don't try this at home after reading this. 】Fifth time: My writing style is characterized by a punchline at the end. Not a carp on a cutting board, but a sea bream on a cutting board. I tried to convey the atmosphere at work in this way.【 Sea bream on a cutting board. With autumn being the season for appetite, you might be wondering what would happen if I gained any more weight, but I'm fine this year. I'm working out hard! I say, but my toned body is... The other day, after finishing my usual treatment and receiving my payment, a customer (who looked a little older than me) smiled brightly and asked me. "Are you tired?" "No, I'm fine," I replied, but I felt strange, like she'd seen right through me."What are you talking about! If I'm tired, You can't make you feel better. Just lie down there!" I was shocked. It was the first time I'd ever experienced anything like this. It was such a kind gesture, so I took advantage of it. "What's this? Everything's so stiff! Is this the body of someone who preaches about health?" I couldn't say anything. And just as she reached for my waist, I cried out, "Ouch!"And she smacked me across the buttocks and said, "Be quiet!" I was no different from a carp on a chopping block. No, not a carp. It was a sea bream. Why sea bream?A word to the customer who helped me loosen up my body!Thank you (Arigatai) In Japan, expressing gratitude to someone is said as "Arigatai."Sea bream is called " 鯛 Tai " in Japanese.Instead of writing "arigatou" (thank you to the customer) in my column, I wrote "Ariga(鯛)tai." 】This is my sixth and final column of 2010.【 This year's final column is about music. Japanese bands like "Ikimonogakari" and "Kobukuro" have beautiful lyrics and melodies that evoke Western music and Japanese folk music from the 1970s. It's as if the music of the 1970s has been brought back to life. They have the elegance of the Carpenters and the Eagles, and even their rock songs are explosive with power. They say "the good old days," but playing in a band, I feel like music is never old or new. I was captivated by the sight of Kenji Sawada singing with his band in the Japanese music scene of the 1970s. Listening to it now, it still doesn't feel dated. The intro to his song "TOKIO," in particular, is hard rock. It really builds up anticipation. I could go on and on about music, but if there's one song title that best sums up my current state of mind, it's this one: "I Want to Tell You Thank You" ("Ikimonogakari"). To all my regular readers,I'd like to take this opportunity to make an announcement. I will be helping out at the IBC Radio event on December 24th. Last year I participated in Ichinoseki City, but this year I will be participating in Kitakami City. Please lend me your support to help bring happiness to people with disabilities. Thank you very much. 】 "I Want to Tell You Thank You" ("Ikimonogakari"). "TOKIO"January 29, 2011 - This is my final column. An introduction to the American rock band Journey.【 "America," "travel," and "rock band"—doesn't that sound familiar? I was busy treating patients at both days of the IBC Radisson. Thank you so much for all your support!For my first column of the year, I'd like to invite you on a journey through Western music. I'd like to introduce a world-famous American band. When you think of America, travel, and rock bands, some of you probably already know what's going on. That's right. The band in question is "Journey," whose Japanese translation means "travel." They're often played on morning news programs, and their song "Separate Ways" was the song that Japan used to win the 2009 World Baseball Classic. Journey was formed in San Francisco in 1973 and is still going strong today. What makes this band so amazing is that, while their music is hard rock, it's also incredibly melodic and easy to listen to. It had such an impact on the Japanese music scene in the 1980s that it created the industrial rock genre. While rock bands are typically guitar-centric, this band's well-balanced performance, featuring guitar, drums, bass, and keyboards, is what sets them apart. It's a well-known story that a struggling, historic British band made a comeback by emulating Journey's musical style. I first heard them when I was in middle school. I was inspired by Journey and started a band. It gives me so much energy and motivation. I encourage everyone to give it a listen. 】I used puns skillfully to brighten up mornings in Iwate Prefecture!! I put this experience to good use, pouring my heart into writing through the newspaper. The live show in Kichijoji, the Idumiya flagship store in Omiya, and the column I wrote all have in common a straightforward attitude and a constant smile on my face. Did you see my smile in the column? It was in a photo, wasn't it?
2025年12月02日
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前回は弁当を忘れたことを書いたが、今回もやってしまった。。いつも仕事で3時半に起きるがトイレに行きたくて2時半に目が覚めた。トイレで水を流した時、誤ってウォシュレットのスイッチに手がぶつかった。すると、真ん中からスーっとでてきて水が、顔に。。。休みの日なのに水をかけられて目が覚めてしまった。女性では絶対ありえないことだろう。と、思ったが仕事仲間に話すと、私もあったよ。掃除してたときに手があたった。と。話してくれたのは一つ年上の女性の方。二人で笑いあった。とまあこんな感じで相変わらずのおバカな私。心がだいぶ落ち着きを取り戻してきた今日この頃。先日、吉祥寺のライブハウス、シルバーエレファントに行ってきた。7月に行ったジャズライブの時、演奏者はお金を払ってライブを見に行っていることを自覚できているのか?と思うほどのがっかりライブだった。プロらしい方々の演奏は上手いがハートに届かない。音が平面。歌い手は様々な角度からオーディエンスに話しかけるが盛り上がらない。ライブを楽しんでもらいたいという気持ちが凄く感じられるのにVocal以外は楽譜を見ながら演奏しているだけ。客に向けての視線が一切ない。アマチュア、プロフェッショナルだろうと、客に視線を送ることはライブの一番必要なことではないだろうか。私が通うゴスペルの仲間たちは楽しそうににこやかに歌を歌う。しかし、このライブはにこやかに笑顔で振る舞っていたのはヴォーカルだけだった。しかし、この吉祥寺でのライブはゴスペルとまったく同様で笑顔を振りまき楽しそうに演奏する。アメリカのプログレッシブバンドKANSASのトリビュートライブ。技術力もさることながら演奏力以上に楽しんでいってほしいという想いがしっかり伝わるライブだった。 音に包まれているこのライブはどライブのお手本かのようだった。もし、自分がイベントを企画したら是非、演奏してほしいバンドである。余韻に浸りながら大宮へ。大宮駅前いづみ屋本店。自分が店に入った時、「おひとり様お願い!」とほかのスタッフに言うと、お姉さまたちはテレビの前で相撲に夢中。お客様がご来店よ!と大きな声で叫ぶと、「は~~い!いらっしゃいませ~ こちらにどうぞ~」そして椅子に座る。すると相撲の話をしてくるお姉さま。いづみや三回目なのに俺のことを覚えていたのかな?なんて思ってしまった。これがいづみやの味か?ビール大と煮込みを注文。この煮込みがうまい!!絶品。そして何よりもこの店の凄さはチームワークと接客。働くお姉様たちの姿を見ているだけでもツマミになる。なんせ、ほっとする空気感が素晴らしい。何か悩んでいたり、不安を抱えたりしたらこのお店に行くと何かいいヒントがあるかもしれない。お客様とのコミュニケーションはこの店ならではだ。ひとりで飲みに行くのならこのお店は最高だよ。では最後に震災前のてつおを紹介します。岩手県の新聞社に月一回のペースでコラムを書いていた。月一回、岩手県の朝を笑いで包んだ。大げさかあ。。だけど、この経験がきっかけで震災直後には全国の新聞社、世界の新聞社などに投稿して支援を呼びかけた。そして数年後は支援のお礼を伝えた。第一回目。2010年5月29日発行。名前が違っているけど本誌のほうは直してあった。第二回目コラム。2010年4月、Freedom KitchenのVocalを務めるHitomiと出会う。その最初のライブの宣伝もコラムに書いた。 当時の相棒は目を疑うような若さと美貌の持ち主で歌もうまく透き通っていた。勘違いして欲しくないが今は老けてしまったというわけではない 笑歌ってるジャンルはジャズになったが今もまったく変わらない澄んだ声だ。 このライブ4曲目オリジナル曲「溜息」をやったときミラクルが起こる。次から次とお客様がステージを見るために入り、立ち見が出る状態。これは驚きだった。第三回目。震災前、この安比リレーマラソンに出たのがランニングを始めたきっかけ。 コナミスポーツクラブ北上の仲間たちとチームを組み42.195Kmを走りきる。整体という立場からスポーツを見てこのように表現した。勿論、著書の玉川温泉の整体師でもスポーツの楽しさが健康に繋がることを強く書いている。第四回目。今回は笑話。母親と自分とのあほな出来事。 こういうフリーペーパーは話題性を同じにしすぎると読者は飽きる。これが自分の持ち味かもしれない。第五回目。最後にオチを入れるのが俺の文章表現の特徴 笑まな板の上の鯉 ならぬ まな板の上の鯛。仕事場での空気感をこんな感じで伝えてみた。第六回目2010年最後のコラム。2011年01月29日 これが最後のコラム。アメリカのロックバンド、ジャーニーの紹介。異常ではなく、以上。ダジャレをうまく使って岩手県の朝を彩った!!笑ないない。でもこの経験が震災後の平泉世界遺産登録をはじめ全国の新聞社を通じて心を文章に託して訴えた。吉祥寺でのライブ、大宮のいづみや本店、自分が書いたコラム、それらの共通点はまっすぐな気持ちで接っする姿勢と笑顔を絶やさない行動ではないだろうか。コラムに自分の笑顔は、、、写真でありましたね~~~
2025年11月22日
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I messed up... Something I'd never done before.I forgot my lunch (._.)That night, all six of us were together, and my three children laughed at me. Tetsuo forgot his lunch, but apparently his eldest daughter had forgotten it the day before. Well, I guess we're just father and son...The photo was taken by my youngest daughter. It was the most tender and delicious roast pork.The kids were having lively conversation. Since no one was home, it was always dinner with my grandparents.It was a moment that brought me the most happiness.I guess I've been raising my kids.It's like time stands still. I raised three. And now,My love?That's irrelevant. God will guide me. No, he won't, lol.I leave the rest of my life up to God. I think I've done what I needed to do. But challenging myself to achieve my goals is a different story. This isn't the end for Tetsuo.I'm glad I completed the earthquake recovery project, but I can't help but think about a lot of things.I wonder if what I've done is just self-satisfaction... My friends, high school classmates, and seniors in Iwate were incredibly supportive. They're people who know me.The only way the general public who don't know me gets information is through online searches and media news.I tried to contact the Iwate media in advance to announce my live performance when I returned to Iwate, but my attempts were unsuccessful.I thought that if it was featured in the media, I could report it to the people of Iwate. It seems it wasn't a big deal for the media.But what blew those thoughts away was the gospel I attend once a month.I started going to gospel singing because I wanted to improve my singing. A year has passed without me noticing any real improvement.Gospel singing lets you sing from the heart. It feels good! You won't get better unless you sing out loud. Singing makes me feel refreshed. I'm self-satisfied, thinking this is proof I've improved, lol.But even beyond singing, two women have helped me clear my mind.Both of them said their backs were sore.As usual, I couldn't resist and massaged them for three minutes each. Both were pleased, and one of them even said,Huh? It doesn't hurt! Wow! Those are godly hands!And... It's been a while since I'd heard someone say that. I was so grateful.It reminded me of the past. Tamagawa Onsen in Akita Prefecture. I massaged their sore spots with all my heart. That alone was enough to make them feel appreciated. When I worked there, cancer patients were so happy, and this experience inspired me to publish a book.I then opened my own business in Hiraizumi. I was able to fulfill one of my goals: to contribute to the community I lived in, but a year later the earthquake struck.In 2012, I returned to Saitama. I worked as the manager of a relaxation salon, but I left due to COVID-19 and have continued to work here ever since. I tried to make a comeback in August, but gave up because I had a live show coming up in September.A fellow gospel singer told me,"I want you to open the chiropractic clinic again."It's as if my fellow gospel singers have supported me.I can't help but wonder if my skills are still up to the task. I know that's a bit naive, though, haha.I'd be happy if anyone reading this blog would like me to treat them.Singing gospel from your heart might make you feel refreshed, like after a massage!I'll be waiting for you in Sugito!奇跡の湯 玉川温泉の整体師 余命と向きあう人たちにささげる笑顔の一時間【電子書籍】[ 小川哲男 ]価格:1,400円 (2025/11/4時点)楽天で購入
2025年11月11日
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やっちまった。。今までやったことのない事を。弁当忘れた (._.)その日の夜、家族6人全員揃い、子供三人に笑われた。弁当を忘れたてつおだが、前日は長女が忘れていたとの事。ま、親子ということで。。。写真は次女撮影。柔らかくて最高の焼き豚。子供達の会話が弾む。みんないないからなあ。いつもジジババと俺との夕食。何より幸せをもたらすひとときだった。俺、子供達を育ててきたんだね。まるで時間が止まる。3人育て上げた。あとは、俺の恋?そんなのどうでもいい。神様が導いてくださるだろう。いや、導かない 笑俺の人生、あとは神様にお任せ。やるべきことはやったと思う。しかし、自分の目標への挑戦は別の話。これでは終わらないてつおだ。震災復興プロジェクトをやり遂げたのはいいのだけど、色々なことを考えてしまう。俺がやってきたことは自己満足なのかな。。と。岩手の友達や高校の同級生、先輩たちは滅茶苦茶応援してくれた。それって俺という男を知っている方たち。自分を知らない一般の方々が得る情報手段はネット検索とメディアニュース。岩手に戻って行ったライブを岩手県のメディアに前もって連絡しておいたがことごとく、失敗。メディアに掲載されれば岩手県民に報告できると思った。メディアにとっては大した話題ではなかったようだ。ところが、そんな思いをふっとばしてくれたのが毎月一回通うゴスペル。歌がうまくなりたくて始めたゴスペル。歌の上達を実感できていないまま一年が過ぎた。ゴスペルで腹から声をだす。これが気持ちいい!声をだして歌わなければうまくならない。歌うとスッキリする。これが上達した証かと勝手な自己満足 笑そんなてつおは歌以外に二人の女性をスッキリさせた。背中が辛いと二人ともおっしゃっていた。いつものように我慢できず、3分づつ揉んだ。どちらの方も喜んでくださり、一人の方から、あれ?痛くない!うっわー!!神の手だ!と。。。なんか、久しぶりに言ってくださったその言葉。ありがたかった。昔を思い出した。秋田県の玉川温泉。ただ無心で触れて揉んだ。ただそれだけで感謝される。玉川温泉で働いていたときは癌の方から喜んでいただき、これがきっかけで本も出版した。そして平泉の自宅で開業。目標の一つでもあった地域密着を果たすことができた。ところが一年後に震災。2012年埼玉に戻る。そしてリラクゼーション店の店長を務めたがコロナにより離職し今に至る。8月に復活を試みたけど9月にライブを控えていたので断念。もう一人の方からはもう一度整体院をやってほしいとも言って下さった。ゴスペルの仲間たちが今のてつおを支えてくれたかのようだ。まだ俺の手は通用するのかな?と思ってしまった。それはあまいと思うけど 笑このブログを見てくださる方々で施術してほしいと思って下さる方がいらっしゃったら嬉しいなあ。ゴスペルで腹から歌うとマッサージした後のようにスッキリするかもよ!杉戸で待ってるぜ!奇跡の湯 玉川温泉の整体師 余命と向きあう人たちにささげる笑顔の一時間【電子書籍】[ 小川哲男 ]価格:1,400円 (2025/11/4時点)楽天で購入
2025年11月04日
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Festival de musique Ihatov 2025, Scène C, 16:45 - 17:15, Freedom Kitchen (Autre) Je pars pour ce concert !C'est le destin de ne pas suivre un genre musical, d'avoir plus de matériel. MDR J'ai préparé ce morceau de bois en pensant ne pas avoir de table.J'ai préparé un autre support, j'ai posé le bois dessus, puis j'ai posé ma table de mixage et le reste du matériel dessus. J'ai chargé le tout dans ma voiture et j'ai quitté la maison. 11:50 Arrivée à Ichinoseki. Je travaillais ici avant de me marier ; ça s'appelait SATY à l'époque.Il y avait mon restaurant de sushis préféré, avec son tapis roulant, près d'AEON, mais maintenant c'est Kappa Sushi.Hmm… Quel dommage… Mon glacier préféré se trouve près de Genbikei, où sont fabriqués les célèbres Kakko Dango, mais je vais attendre cette fois.J'ai enfin pu manger dans ce restaurant de ramen que j'adorais quand j'habitais à Hiraizumi, pour la première fois depuis 20 ans. Ce ramen est un mélange d'huile de sésame et de sauce soja, appelé Tsukushinbo Ramen. Ce parfum est incroyable.Après avoir déménagé, ils ont ouvert une nouvelle boutique appelée « Roadside Station Hiraizumi ». Ils y vendent du karinto manju. Si Hanamaki est une glace molle, alors Hiraizumi est du karinto manju !Si Hanamaki est Miyazawa Kenji, alors Hiraizumi est Hiraizumi' no nannchatte musician (nom radio : The Amatur Musician) ! Il a continué à promouvoir Hiraizumi avant et après le tremblement de terre, et a également écrit une chronique pour un journal gratuit publié par une société de presse.13:50 Arrivée à Hanamaki.J'ai déchargé mon matériel près de la scène et je me suis enregistré. Il reste encore du temps avant mon concert.J'ai pris mon partenaire et je suis allé au grand magasin Marukan ! Allons manger de la glace molle.Incapable de résister à la dégradation du bâtiment, le grand magasin Marukan a fermé ses portes en 2016, mais en 2017, il a été rénové sous le nom de Marukan Building Dai Shokudo.J'y suis allé à 15 h et c'était bondé de clients.Hmmmm… tellement heureux… Manger avec des baguettes, c'est la façon dont les habitants de Hanamaki mangent.Maintenant, je suis motivé. C'est parti ! Notre genre musical et bien plus encore !Enchantons tous nos auditeurs avec une variété de chansons !Chansons au programme :Love Me TenderEllie My LoveCan't Take My Eyes Off YouAmazing Grace (a cappella)Tears Are Not Just for DecorationRaspberry DreamD'après les titres des chansons, vous comprendrez probablement que je parle de genres musicaux et plus encore.Love Me Tender et Ellie My Love ont été interprétées avec des arrangements jazz.Grâce à mon partenaire qui chantait « Amazing Grace », nous avons pu mener à bien notre projet de reconstruction après le tremblement de terre.Si je n'avais pas retrouvé mon partenaire il y a un an, ce concert à Iwate n'aurait jamais eu lieu.Plusieurs raisons m'ont poussé à me produire à nouveau au Festival de musique d'Ihatov.Avant le tremblement de terre, nous avons joué au festival de musique d'Ihatov en 2010. Un client qui nous avait aidés lorsque nous travaillions à domicile à Hiraizumi est venu voir l'événement.Elle a été captivée par la voix de mon partenaire et est devenue fan. Cependant, après le tremblement de terre et mon déménagement dans la préfecture de Saitama, on lui a diagnostiqué un cancer du sein.Lorsqu'ils cherchaient des artistes pour le Festival de musique d'Ihatov, j'ai postulé, pensant que même si je ne pouvais pas la rencontrer, je voulais partager la voix de ma partenaire Hitomi avec eux.Elle est cependant décédée fin juin, avant le concert. L'événement n'acceptait les candidatures que jusqu'au 30 juin, elle est donc décédée après ma candidature.Je suis sûre que sa voix leur est parvenue.Mon partenaire a aidé à composer la musique du festival de musique d'Ihatov immédiatement après le tremblement de terre.Après cela, j'ai déménagé, ce qui est devenu un cadeau d'adieu.J'ai joué et composé toutes les parties moi-même, et ma partenaire Hitomi a chanté les refrains.La voix d'Hitomi résonne tout au long de la performance.Ma partenaire m'a apporté tant d'aide. Le festival de musique d'Ihatov est rempli de souvenirs, et je sentais que jouer ici était le seul moyen de conclure le projet de reconstruction après le tremblement de terre.Mais il me restait une tâche importante à accomplir.Je devais personnellement rapporter le message de Billy Sheehan de MR. BIG aux habitants de la préfecture d'Iwate, et celui du batteur de STYX, Todd Sucherman, aux victimes de la catastrophe.Je devais absolument le faire.Après avoir chanté Amazing Grace, j'ai parlé du client décédé d'Hiraizumi et des messages que Billy et Todd avaient adressés aux habitants de la préfecture d'Iwate. J'ai ensuite reçu une salve d'applaudissements.En voyant tout le monde applaudir, j'ai réalisé que j'avais atteint mon objectif.Mon amie a apporté un éventail qu'elle avait fabriqué elle-même.Elle portait un t-shirt MR. BIG. J'étais tellement heureuse. Je portais un t-shirt STYX. Désolée, je n'ai pas de photo. C'est une collaboration entre MR. BIG, STYX et des t-shirts.Merci à tous ceux qui lisent ce blog pour votre soutien ! Tetsuo a pu mener à bien le projet de reconstruction après le tremblement de terre.Si cette activité se poursuit, j'aimerais laisser un héritage tangible des aspirations de Billy et Todd pour le Japon.Nous ne pouvons pas laisser l’expérience du tremblement de terre s’estomper.Si nous laissons derrière nous quelque chose de tangible, cela restera dans l'histoire. Nous souhaitons que les Japonais créent et immortalisent les réalisations de ceux qui ont soutenu le Japon.
2025年10月18日
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Ihatov Music Festival 2025, Stage C, 4:45 PM - 5:15 PM, Freedom Kitchen (Other) Leaving for this concert!It's the fate of being genre-less, that equipment increases. lol I prepared this piece of wood assuming I wouldn't have a table. I prepared another stand, placed the wood on top of it, and then placed my mixer and other equipment on it. I loaded this into my car and left the house. 11:50 Arrived in Ichinoseki. I used to work here before I got married - it was called SATY back then.There used to be my favorite conveyor-belt sushi restaurant near AEON, but it's now Kappa Sushi. Hmm... What a shame... My favorite gelato is located near Genbikei, where the nationally famous Kakko Dango are made, but I'll hold off this time. This flavor is amazing.And after we moved, a roadside station called Hiraizumi opened. They sell karinto manju there. If Hanamaki is soft-serve ice cream, then Hiraizumi is karinto manju! If Hanamaki is Miyazawa Kenji, then Hiraizumi is Hiraizumi' no nannchatte musician (radio name The Amatur Musician)! Well, that's how it was before the earthquake. 13:50 Arrived in Hanamaki. I unloaded my equipment beside the stage and checked in. There's still time until my performance. I took my partner and headed to Marukan Department Store! Let's go for some soft-serve ice cream!!Unable to resist the deterioration of the building, Marukan Department Store closed in 2016, but in 2017 it was revived as the Marukan Building Dai Shokudo.I went there at 3pm and it was bustling with customers. Hmmmm... so happy... Eating with chopsticks is the way Hanamaki residents eat. Now, I'm fired up. Let's go! Our genre and more!Let's delight everyone listening with a variety of songs! Songs to be performed:Love Me TenderEllie My LoveCan't Take My Eyes Off YouAmazing Grace (a cappella)Tears Are Not Just for DecorationRaspberry Dream You can probably tell from the song titles that I'm talking about genres and more. Love Me Tender and Ellie My Love were performed with jazz-style arrangements.With my partner singing Amazing Grace, we were able to complete our earthquake recovery project. If I hadn't reunited with my partner a year ago, this live performance in Iwate would never have happened. There were several reasons why I decided to perform at the Ihatov Music Festival again. In 2010, before the earthquake, a customer who came to my home in Hiraizumi came to see my live performance.The woman in question was a fan of my partner's, and she loved his voice. However, she was diagnosed with breast cancer. When they were looking for performers for the Ihatov Music Festival, I applied, thinking that even though I wouldn't be able to meet her, I wanted to share my partner Hitomi's voice with them. However, she passed away at the end of June, before the live performance. The event was only accepting applications until June 30th, so she passed away after I had applied. I'm sure her voice reached them. Then, just after the earthquake, I ended up helping out with the theme song for the Ihatov Music Festival. After that, I moved, so it became something of a parting gift.I played and created all the parts myself, and my partner Hitomi joined in on the chorus. Hitomi's voice resonates throughout the performance.My partner helped me in so many ways. The Ihatov Music Festival is full of memories, and I felt that performing here would be the only way to bring the earthquake recovery project to a close. But there was one more important task I had to fulfill. I had to personally report on the message from MR. BIG's Billy Sheehan to the people of Iwate Prefecture, and the message from STYX drummer Todd Sucherman to the disaster victims. I had to report this. After singing Amazing Grace, I talked about the Hiraizumi customer who had passed away, and about the messages Billy and Todd had sent to the people of Iwate Prefecture. I then received a round of applause. Seeing everyone applaud, I realized I had accomplished my goal.My friend brought a handmade fan that she made. She was wearing an MR. BIG T-shirt. I was so happy. I was wearing a STYX T-shirt. Sorry I don't have a photo. It's a collaboration between MR. BIG, STYX, and t-shirts.Thank you to everyone who reads this blog for your support! Tetsuo was able to complete the earthquake recovery project. If this activity can continue, I would like to leave a tangible legacy of Billy and Todd's aspirations for Japan. I often hear that we must not let the experiences of the earthquake fade away. However, if we leave something tangible behind, they will not fade away. They will remain in history. Rather than leaving a legacy of the achievements of Japanese people during the earthquake, I would like to have the achievements of those who continued to support Japan produced by Japanese people and engraved into history.
2025年09月30日
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イーハトーブ音楽祭2025 Cステージ 16:45~17:15 Freedom Kitchen(その他)このライブに向けて出発!ノージャンルの宿命、機材が増える 汗。この木はテーブルがないことを前提に用意。別の台を用意してその上に木を載せ、ミキサーなどの機材を置く。これを車に積み込み家を出た。 11:50 一関到着。ここは結婚する前に働いていたのよ〜 当時はSATYだった。AEONのそばにお気に入りの回転寿司があったのだけど、かっぱ寿司になっていた。ん。。残念。。全国で有名になったかっこう団子がある厳美渓の方に行くとお気に入りのジェラートがあるが今回は我慢。平泉に住んでいた時に愛していたラーメン店、20年ぶりに食べれた。ごま油と醤油のアンサンブル、つくしん坊ラーメン。 この味はたまりません。そして引っ越したあとにできた道の駅平泉。そこに売っているのがかりんとう饅頭。 花巻がソフトクリームなら平泉はかりんとう饅頭!花巻が、宮澤賢治ならば、平泉は平泉のなんちゃってミュージシャン(ラジオネーム)!とまあ、震災前はこんな感じだった。13:50 花巻到着。機材をステージ脇に降ろし、受付を済ませた。出演時間までまだ時間はある。相方を連れ、マルカンデパートへ!ソフトクリームを食べにレッツゴー!!マルカンデパートは建物の老朽化には抗えずに2016年に閉店、しかし2017年、マルカンビル大食堂として復活を果たす。15時に行ってたくさんのお客様でにぎわっていた。ん~~ 幸せ~~ 箸で食べるのが花巻流 笑さあ、気合が入った。いざ、出陣!俺たちのジャンル、その他!様々な曲で聴いている皆様を喜ばそう!演奏曲 ラブミーテンダーエリーマイラブ君の瞳に恋してるアメイジンググレイス (アカペラ)飾りじゃないのよ涙はラズベリードリームジャンル、その他ってこの曲名を見てもらえば理解できるでしょ~~ラブミーテンダーとエリーマイラブはジャズっぽくアレンジして演奏した。アメイジンググレイスを相方に歌ってもらい、震災復興プロジェクトをやり遂げることができた。一年前に相方と再会していなかったらこの岩手でのライブを実現することはできなかった。このイーハトーブ音楽祭にもう一度出ようと思ったきっかけはいくつかある。震災前の2010年、平泉の自宅で開業していた時にお客様がライブに来てくださった。その方は女性で相方の歌声を気に入ってファンになった。ところが乳がんを患ってしまった。このイーハトーブ音楽祭出演者募集を募っていた時、会うことはできなくても相方、Hitomiの声を届けたいと応募した。しかし、ライブをやる前の6月末に亡くなった。イベントの募集が6月30日までだったので応募した後に亡くなってしまった。歌声はきっと届いているだろう。そして震災直後、イーハトーブ音楽祭のテーマ曲を手伝うことになった。置き土産見たくなってしまった。演奏を全部自分が弾いて作り上げ、コーラスは相方Hitomiが参加。Hitomiの声が響き渡る。様々な角度で手伝ってくれた相方。思い出がたくさんあるイーハトーブ音楽祭、ここで演奏してこそ、震災復興プロジェクトを終わらすことができると思った。あと、もう一つ、大切な果たさなければならない役目がある。MR.BIGのビリーシーン氏から岩手県民に向けていただいたメッセージの報告とSTYXのドラマー、トッドサッチャーマン氏から被災者に向けていただいたメッセージを直接、報告しなければならない。その責務があった。アメイジンググレイスを歌ってくれた後、亡くなられたお客様のことと、ビリーとトッドから県民に向けてメッセージを戴いたことを報告。そのあと、拍手をいただいた。拍手をしてくださった皆様を見てやり遂げたと実感した。友達が団扇を作ってきてくれてMR.BIGのTシャツを着ていた。嬉しかったなあ。自分はSTYXのTシャツを着ていたよ。写真がなくてごめん。このブログを見てくださっている皆さん、応援ありがとう!てつおは震災復興プロジェクトをやり遂げることができました。もし、この活動が続くことができるのなら、ビリーやトッドの日本への志を形に残したいです。震災の経験などを風化させてはいけないとよく話をききます。しかし、形に残せば風化はしません。歴史に残ります。震災での日本人の功績をのこすのではなく、日本をささえ続けた方々の功績を日本人がプロデュースをして歴史に刻みたいです。
2025年09月30日
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やっと涼しくなったね。先月の8月、実は、とあることに取り組んでいた。とあることとは、整体師復活。タイミーを見ていたらリラクゼーション店で募集がかかっていた。休みの日に行ってみるか?とふと思うてつお。しかし、コロナ禍の時から施術していない自分には不安もある。そしたらタイミーの中で別のリラクゼーション店が募集をしていた。その募集内容とは、すぐ施術をするのではなく、空いている時間に施術することを前提でまずは見にに来てほしいとのこと。そこはトレーニングセンターも兼ねている。自分にしてみると練習するには最高の環境。まずは行ってみて話を聞いてみた。話をきいて一番魅力的だったのは施術者として運営会社に登録しておくと全国の店舗で施術ができるとのこと。すると様々なアイデアが頭に浮かぶ。ところが、この会社、押しが強い!施術者が足りない環境であるのはわかるのだが、システムになれるために何回も出てほしいという。ZOOMで本社の担当者が「しっかり覚えていないとお客様に申し訳ないでしょ。日をおいて改めて話をしましょう」この言葉でふと我に戻った感じがした。トレーニングセンターで対応してくださった方に本社の担当者方から言われたことを伝えたら、Wワークをして取り組もうとしている方の気持ちを全く考えていないじゃないか!と言って下さった。心構えを問う本社、そして現場に送り出す担当者の思い、どちらもすごく理解できる。冷静に我を見つめ、自分に問う。今、急いで施術する必要はあるのか?と。。そして答えは、今じゃない。今すべきこととは来月に行われるライブに全力投球することではないのか?と結論に至った。もうすぐ始まるイーハトーブ音楽祭。震災復興プロジェクトの終焉。このライブをやり遂げることで完結。そのライブに向けて先日、練習をしてきた。2012年にプロジェクトを立ち上げた時に手伝ってくれたVocal,Hitomi-Ory。13年ぶりの音合わせである。2012年に立ち上げ、そして2025年に終わるこのプロジェクト、その締めくくりを岩手の地で歌ってくれることに感謝しかない。立ち上げた時に作った曲は今回のライブでは演奏しない。誰でも知っている曲をてつおなりにアレンジし演奏する。ジャズもあればロックもある。洋楽もあるし、歌謡曲もある。そのため、出演者紹介欄のジャンルではうまく表現できず、その他となった 笑9月27日16時45分Cステージでお待ちしています。その他の意義を感じてほしい 笑
2025年09月25日
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ジャズセッションに行ってきた。一緒に働く仕事場での仲間2人が参加。演奏曲、およげ!たいやきくん。当初、仕事仲間ひとりで歌う予定だったが急遽、2人に。味わったことのない幸せをありがとうと2人に感謝された。写真を載せたかったなあ・・・仕事に行く前、2時に起きて練習したのだが、本番で撃沈。写真見てもらうとわかるけど必死に楽譜を見て前を見ていない。今までの演奏で一番最低だった。セッションの凄さはその場その場で対応しなければならない。練習してきたのに全く役に立たずパニック!更にミスをおかす。ミュージシャンを辞めようと思うくらい技術力のない自分が腹立たしかった。翌日、その悔しさを吹き飛ばしてくれたのが参加してくれた仲間からのLINE。その数時間後、あるところからメールが入った。それは、イーハトーブ音楽祭、タイムテーブル!正直なところ、イーハトーブ音楽祭出演を辞退しようかとまで思っていた。ミュージシャンとして情けなかった。というのは、数日前、相方が歌う別のステージを見た時に、演奏者は常に楽譜を見ていて客に向けての視線が一切ないく、更に音が平面的だった。相方は様々な角度からオーディエンスに話しかける。でも、イマイチ盛り上がらない。ライブを楽しんでもらいたいという気持ちが凄く感じられ、せつなかった。見に来てくださった皆様に向けて弾くのはアマチュア、プロ、関係ないと思う。と、そんなことを前回のステージで思ったのにこのざまだった。来てくれた仲間と、イーハトーブ音楽祭からのタイムテーブルを見て改めて今までやってきたことに責任を果たさなければいけない!と反省。そんなとき、偶然、この動画を見た。この曲、自分と同世代の皆さんならご存じの方も多いだろう。Mr.Robottoを演奏するバンド、STYX。ファンになったきっかけはキーボードマガジンだった。当時、ギターと同じくらいにキーボードが活躍するバンドをよく記事になっていた。イギリスは誰でも知っているディープパープル。ではアメリカは?そんな特集記事で知ったのがTOTO、KANSAS、STYX。夢中になった高校時代。今は、誰もがYouTubeで見ることができ、Facebookで好きなバンドの情報を得ることができる。そんなFacebook。様々なバンドがページを持ち、ミュージシャン自身のページもある。メッセージを送ってもなかなか返事なんてくれないと思っていたのに返事を戴くことができたミュージシャンがMr.BiGのBilly SheehanとSTYXのTodd Sucherman。ご存じのように自分は東日本大震災が起きた後、震災復興プロジェクトを立ち上げた。その活動が支援を訴える活動から支援していただいた皆様に御礼を伝える活動に変わった。コロナ禍の時、Billyから岩手県民に向けてメッセージを戴いた。Wishing my absolute best to the citizens of Iwate! I hope I can come play for you again very soon. I miss playing live and I very much miss all my friends in Japan. I’m hoping everyone stays healthy and we can all be together again soon. 岩手県民の皆様、心よりお見舞い申し上げます!またすぐに演奏できることを願っています。ライブが恋しいですし、日本の友達にも会えなくて寂しいです。皆様が健康で、またすぐに皆で集まれることを願っています。(Google翻訳)この岩手県民に向けてメッセージを戴いたことで震災復興プロジェクトを終えたと思った。ところが、去年、震災復興プロジェクトを立ち上げた時に手伝ってくれた相方と再会。その再会は今までやってきたことを見つめ直すきっかけになり、再挑戦。再会が再開となった。日本に住む外国の皆様には様々な形でお礼を伝えることができたが海を隔てた国に住む皆様に御礼を伝えることはできていない。新聞社、放送局、様々なところに自分の思いを託したが反応はまったくない。そこで考えたのが大学、音楽校などに直接メッセージを送った。ありがたいことにいくつか返事をいただくことができた。その中で音楽校の社長様からI hope this email finds you well and enjoying a wonderful summer.自分のことをありがたい言葉で評価してくださり、このような文章を最後に書いてくださった。感謝しても感謝しきれない。この学校のために何かできないかと考えてしまう。つまり、外国に住む個別にお礼を伝えることができた。そしてもう一人、有難いメッセージを下さったのがSTYXのドラマーTodd Sucherman。何回かやりとりさせていただいて、思わずこんなことを書いて送った。東日本大震災だけではなく、熊本地震、能登地震が起きてしまいました。住んでいた故郷を離れた方も多くいらっしゃいます。被災された方だけではなく引っ越しを余儀なくされた方々にメッセージを戴くことはできますか?とダメもとでお願いしたら、戴くことができた。Wishing you all strength and courage during this difficult times. May you rebuild and that all your dreams come true.この困難な時期に、皆様に力と勇気をお祈りいたします。復興と夢の実現を心からお祈りいたします。(Google翻訳)ありがたくてありがたくて。。。。。ついに、復興支援プロジェクトTRUE HAPPINESSは岩手県民のみなさまだけではなく、全国に住む皆様にむけてメッセージを戴くことができました。お金にもならないことをして、何が楽しいの?なんてことも言われた。自分でも何のためにやっているのかわからないと思うことが一回どころではない。自分も平泉に住んでいたとき、家の中が滅茶苦茶になってしまった被災者である。平泉に住んでいたからこそ、岩手県民であったからこそ始めたのが震災復興プロジェクト。9月27日、Freedom Kitchenは復活を果たし、岩手県花巻市でライブをやる。この凱旋ライブを再びやることでやり遂げるのかもしれない。月に一回、歌がうまくなりたくてゴスペルに通っている。ゴスペルの仲間たちは楽しそうににこやかに歌を歌う。ふと思った。歌を歌う姿って空に向かって咲き続ける花々のようだ。俺は咲き誇る花になりたいのではなく、花を美しく咲かせる為の土でありたい。土に水をかけるが、俺にビールをくれたら頑張ってしまうかも~~~ 笑9月27日16時45分 イーハトーブ音楽祭Cステージ、美しい花が咲きます。
2025年07月31日
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Hello everyone.I am Tetsuo Ogawa.When the Great East Japan Earthquake occurred, I was living in Hiraizumi Town, Iwate Prefecture. Hiraizumi Town is inland, but it was hit by a magnitude 7 earthquake, but all of my family members were safe. Immediately after the earthquake, rescue teams from all over the world gathered in the affected area and many lives were saved. We also received warm support from many people. Although conflicts continue in various places these days, at that time, people of various races and religions joined forces toward the goal of saving lives. I can't thank them enough. As one of the victims, I would like to express my sincere gratitude to all the countries around the world who supported Japan. I love music and have been working in music ever since. Immediately after the earthquake, I started a project to support reconstruction through music. Later, this activity changed into an activity to express my gratitude to everyone who supported me. I learned all of these actions from great musicians. John Lennon, Paul McCartney, George Harrison. When the Armenian earthquake occurred, rock musicians came together to show their support.Queen wrote a song with gratitude to their Japanese fans. MR.BIG, a band that recently disbanded, was scheduled to hold a concert at the Iwate Prefectural Civic Hall in Morioka City, Iwate Prefecture in April, just after the earthquake. However, the Iwate Prefectural Civic Hall became unusable due to repeated aftershocks. At the time, all kinds of events were canceled, but they did not cancel the concert and changed the venue to Morioka Civic Hall, and the concert was held. Not only those who went to the concert, but many fans were truly grateful to them. And in 2017, I performed a live show in Hanamaki City, Iwate Prefecture to convey MR.BIG's achievements and to give some energy to the drummer Pat, who was battling an illness. When I reported this to Billy, the bassist, I received a reply. Are there any professional Japanese musicians who care so much about their fans? I don't know if there are any professional Japanese musicians who are doing activities to express their gratitude to people around the world. These great musicians have taught me the preciousness of life, the incredible power of music, and the importance of putting gratitude into action. To express my gratitude to all of you, I have written a blog post in English. Please read it.The Great East Japan Earthquake occurred on March 11, 2011.Immediately after the earthquake, I was living in Hiraizumi Town, Iwate Prefecture.A few months later, Hiraizumi Town was registered as a World Heritage Site.People from all over the world came to say to me in Japanese, "Good luck!"I was very touched.My job was as a masseuse, and I worked from home.Many people were evacuated to Rikuzentakata City First Junior High School.I volunteered to treat the evacuees, hoping to relieve their fatigue even a little.The evacuees were smiling and talking to each other, spending time together.What can I do for the victims?I put the feelings of those who died into lyrics and music, made CDs, and started distributing them.In addition to my musical activities, I also wrote letters to the editor in newspapers across the country, calling for support.My activities were featured in the newspaper, but I was forced to move due to the earthquake and my mother's heart surgery.Before I moved to Saitama Prefecture, I received a call from Iwate Prefectural Library, who had seen my newspaper article.The person in charge asked me to send a CD as a record of the earthquake.I felt like electricity was running through my body. I thought that if I sent this CD to Iwate Prefectural Library and to libraries all over the country, I could convey my feelings to the whole country.As I continued my activities, I also faced one problem.Everyone thinks that it is a wonderful activity. However, I can't help but feel that giving CDs to the victims is like forcing my feelings on them. I don't need it. Some people may think so.If I could send this CD to libraries all over the country, this problem might be solved. Because libraries are public institutions and anyone who is interested can listen to it.I thought that by sending this CD to libraries, I could convey my gratitude to the cities and towns that supported me.Before the earthquake, I was able to publish a book. Before opening my practice in Hiraizumi, I was doing treatments in Tamagawa Onsen, Akita Prefecture. People fighting illnesses come from all over the country. I was able to publish this book at the request of a customer who passed away.奇跡の湯 玉川温泉の整体師 余命と向きあう人たちにささげる笑顔の一時間【電子書籍】[ 小川哲男 ]I sent the CDs mainly to libraries that have my books in stock.The earthquake recovery project was initiated at the request of Iwate Prefectural Library, and I was able to send CDs to libraries across the country, and also convey gratitude for the support to Japanese schools overseas.The earthquake disaster recovery project evolved from an activity to ask for support to an activity to convey gratitude for the support.There is one thing I have not yet accomplished. That is to convey my gratitude to everyone living in countries around the world.My activities were triggered by words of support from customers who came to Hiraizumi. However, until now I have not been able to convey my gratitude for the support from everyone around the world.I thought that by posting on YouTube, I could convey my gratitude to many people around the world. PDF EnglishPeople of various ethnicities and religions from all over the world rushed to support the victims. People from all over the world gathered in the disaster area, and many lives were saved.And thanks to donations from all over the world, various industries have been rebuilt.As one of the victims, I would like to express my sincere gratitude to everyone who saved lives, donated funds, and participated in various support activities.I would like to visit the countries where you all live in person and convey my gratitude for your support. There are other things I want to accomplish.But it will cost a lot of money.It may be a silly thing to say, but I want to leave a legacy of MR. BIG's achievements. They worked hard not only in the Great East Japan Earthquake, but also in the Great Hanshin Earthquake, the Kumamoto Earthquake, and the Noto Earthquake, trying to help in whatever way they could. During the coronavirus pandemic, Billy sent a message to the people of Iwate Prefecture.As a disaster victim myself, I want to leave their achievements for future generations. I want professional Japanese musicians to have the same passion as them and convey the wonder of music to people living in all parts of the world. That's why I thought I had to be the first to act.If you sympathize with my project, please support it.Without your support, this is just a dream. Please lend me your strength.Thank you for watching.Thank you very much. Tetsuo OgawaGreat East Japan Earthquake Recovery SongTrue Happiness - Freedom Kitchen Vo : Hitomi Ory
2025年07月13日
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前回、母校の栄東高校について書いた。震災の影響で岩手から埼玉に戻ってきて一番嬉しかったことは高校の同級生に会えたことかもしれない。その同級生の一人が現在、埼玉県を代表する指揮者になっている。10年ほど前、彼が指揮する団体のチラシが郵便局に貼ってあり、びっくり。そのチラシを見て父と母を連れてイベントへ。父と母はすっかり彼のファンになってしまった。そのイベントが先日開かれた。彼はこの岩槻吹奏楽団の他にも様々なところでタクトを振る。イベントがあると必ず向かうことになった。彼の活躍を見ると自分も音楽活動を頑張らなきゃなあと毎回思ってしまう。コロナ禍前、彼も自分のイベントに来てくれた。その時以来、まともなライブ活動はやっていない。3月に書いた ブログ 震災復興プロジェクトを立ち上げた時に手伝ってくれた相方との再会したことを書いた。毎回行われるジャズセッションで半強制的に弾かされ、それがきっかけで細々と音楽活動復活 笑今までやってきた震災復興活動を見直すことができ、新たに動画を作った。日を重ねていくことにもう一度ライブをやりたい気持ちが高まっていく。岩手の友達というか、身内に近い友達がいて、久々にやり取りをした。これがきっかけで岩手でもう一度ライブをやりたいなあと思った。岩手でもう一度ライブをやりたいと思ったのはこれだけではない。平泉で開業していた時、お越しになったお客様が乳がんを患っていることを数年前に知った。それを知ったのが2020年の3月、練馬でリラクゼーション店長をしているときだった。教えてくれたのは平泉の自宅で開業していた時に通って下さったお客様。東京に住んでいて施術を受けに練馬店に来てくださった。岩手でもう一度ライブをやり、演奏している姿を送ってほしいと思ったのがきっかけでもあった。もう一度、岩手でライブをやってほしいと歌のおねえさま(ま、いいおばさんになってしまったが。。)にお願いしたらいい返事は来ない。募集締め切り期日がせまり、再度おねえさまにお願いする。やってもいいよという返事はこなかったのだが、断りの返事も来ない。申し込まなければ先に進めない!イーハトーブ音楽祭2025 9/27・28 in なはんプラザ締切日、送っちゃった~~~そして先日の6月29日、審査をめでたく通過し、出演が決まった。ところが、出演決定が決まった6月29日は同級生のイベント、ママさんブラスはるぴよ隊 を見に行き、イベントが終わった直後に電話があった。練馬に来てくださったお客様からの電話。「今、私、岩手にいるの~~」という会話からスタート!やったー!ライブに来てもらえるじゃんと喜んだてつおだったが、「○○さん、亡くなった。明日お葬式」間に合わなかった・・・○○さんは2010年同じ場所で行われたイベントに来てくださった。てつおは元気でやってるぜ!と岩手に戻りライブをやろうとしたのだが、、残念。おねえさまの許可をちゃんともらえてライブができたら、今回のライブもかけがえのない命がテーマになってしまった。2017年での凱旋ライブはMR.BIGの功績を岩手県民に報告し、その熱気を病と闘っていたドラム担当のパットにベースのビリーを通じて贈ることができた。そして翌年、パットは亡くなった。整体師という仕事から遠ざかって4年、命の尊さを考える活動はまだ続いているのだなあと実感。平泉開業時代に通って下さった2人のお客様、このお客様が来てくださったきっかけは2009年に出版した本を読んでくださり、感動して来てくださった。奇跡の湯 玉川温泉の整体師 余命と向きあう人たちにささげる笑顔の一時間【電子書籍】[ 小川哲男 ]価格:1,400円 (2024/6/22時点)楽天で購入業界から離れているにもかかわらず、いままでやってきたことが無駄ではなかったのだなあと実感。幸せ=お金儲けこの図式は俺には該当しないようだ。だって、次女の大学のお金をなんとか払い終えて疲れた体を癒そうと歌のおねえさんに連絡したことで再会できた。この再会がなければ今はないのだから。
2025年07月02日
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皆さんは高校を卒業した後、母校の校舎の中を再度訪れた経験はあるだろうか?自分が通っていた時とは違い、新たな校舎で学生たちは学んでいる。同窓懇談会の総会が6月7日にあった。この日は栄東高校文化祭。文化祭は3年連続で体育館のステージで演奏した。先生たちもバンドを作ってステージへ。80年代後半はバンドブームだった。総会に出席した目的は新たな校舎になった母校を見たかった。文化祭は学生たちとも直に触れあうこともできる。総会が終わり、食堂へ。なんと素敵な食堂!!!時代を感じたのがこれ。 電源がある!昔は食堂と言えば食べるところ。でも母校は違うようだ。ここで勉強したり、会話したり、癒しの場としても提供されている。そして、ここにはこのような素晴らしいものがある。この手書きが特に素晴らしい。この高校は大学に行くための高校と思っているお父さんや、お母さん。栄東高校は予備校の高校バージョンではない!誰もが熱い想いで三年間を過ごし、卒業していく。そして同窓懇談会にも参加してくれている。目指した大学に行くのは目標の一つに過ぎない。大切なのは高校三年間、先生や先輩、後輩とともに過ごす価値。それを実感できる高校こそが栄東高校なのだ。目標は自分で勝ちとるモノではなく支えられた愛情の結果が目標達成として結果につながる。先生と生徒との熱き絆を特に実感できた場所があった。言わずと知れたクイズ研究部。先生と生徒との力強いき絆は結果を残した。そのおかげで栄東高校に行きたいと思ってくれた中学生、そして学ばせたいと思って下さったご両親が全国にたくさん増えた。栄東高校が全国に知れ渡るのはとても嬉しい。そして、ここもそうだ。写真部。ここ写真部でしょ?と思うようなモニュメント。俺らの年代のレコードと雑誌!ソアラ、Z、セブンに憧れてた同級生も多々いた。自分もその一人でスカイラインが欲しかった。粋な演出だよね。こんな発想、頭が柔軟でなきゃできない。この空気感、最高!そして次に向かった先が図書室。俺の本がある!!!チョー感動!!奇跡の湯 玉川温泉の整体師 余命と向きあう人たちにささげる笑顔の一時間【電子書籍】[ 小川哲男 ]価格:1,400円 (2025/6/8時点)楽天で購入感極まってそこに立ち尽くした。図書館の後は水泳部のイベント。残念、なかった 笑俺らのころは、屋外だったが今は屋内。学校に感謝だなあ。卒業して30年経つ。震災の影響で埼玉県に戻り、新しくなった栄東高校を見た。ランニングで何回も走りに行った。この文化祭を見れたおかげで生徒たちの熱き想いを感じた。誰もが気持ちのいい挨拶をする。再び校舎の中に行ける幸せってなかなか味わえない。これは同窓懇談会に感謝だ。ふと歩いていると昔の面影が、、、当時の壁の色、そして地面。この辺でよく、草むしりをした。伝統を受け継ぐ生徒の皆さんと先生、ありがとう!!
2025年06月08日
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مرحباً بالجميع.أنا تيتسو أوغاوا.وقع زلزال شرق اليابان الكبير في ١١ مارس ٢٠١١.مباشرةً بعد الزلزال، كنت أعيش في بلدة هيرايزومي، محافظة إيواتي.بعد بضعة أشهر، سُجِّلت بلدة هيرايزومي كموقع للتراث العالمي.لقد ناداني الناس من جميع أنحاء العالم باللغة اليابانية قائلين: "حظا سعيدا!"لقد تأثرت كثيرا.كان عملي هو مدلك وكنت أعمل من المنزل.لجأ العديد من الأشخاص إلى مدرسة ريكوزينتاكاتا الإعدادية الأولى.ولأنني أردت أن أساعد في تخفيف التعب عن النازحين قليلاً، تطوعت لتقديم العلاج.كان النازحون يبتسمون ويتبادلون أطراف الحديث، ويقضون الوقت معًا.ماذا يمكنني أن أفعل للضحايا؟أضفتُ مشاعرَ من قضوا نحبهم إلى كلماتي وألحاني، وأنتجتُ أسطواناتٍ مدمجة، وبدأتُ بتوزيعها.بالإضافة إلى أنشطتي الموسيقية، كتبتُ أيضًا رسائل إلى المحررين في الصحف في جميع أنحاء البلاد، أطلب الدعم.نُشرت أنشطتي في الصحف، لكنني اضطررت للانتقال بسبب الزلزال وجراحة القلب التي خضعت لها والدتي.قبل انتقالي إلى محافظة سايتاما، تلقيت اتصالاً من مكتبة محافظة إيواتي بعد أن رأوا مقالتي الصحفية.لقد طلب مني المسؤول أن أرسل له هذا القرص المدمج لتسجيل كارثة الزلزال.كان الأمر وكأن إحساسًا كهربائيًا يجري في جسدي. اعتقدت أنه إذا قمت بإرسال هذا القرص المضغوط إلى مكتبة محافظة إيواتي ومن ثم إلى المكتبات في جميع أنحاء البلاد، فسوف أتمكن من نشر رسالتي في جميع أنحاء البلاد.وبينما كنا نواصل أنشطتنا، واجهنا مشكلة.الجميع يعتقد أنها مبادرة عظيمة. ولكن لا يسعني إلا أن أشعر بأنني عندما أقوم بتسليم الأقراص المدمجة لضحايا الكارثة، فإنني أفرض مشاعري عليهم. لا أحتاجه. قد يعتقد البعض ذلك.لو تمكنا من إرسال هذا القرص المضغوط إلى المكتبات في جميع أنحاء البلاد، فقد يتم حل هذه المشكلة. المكتبات هي مؤسسات عامة ومتاحة لأي شخص مهتم.اعتقدنا أنه من خلال إرسال هذا القرص المضغوط إلى المكتبة، يمكننا أن نعرب عن امتناننا للبلديات على دعمها.قبل الزلزال، تمكنت من نشر كتاب. قبل افتتاح عيادته في هيرايزومي، كان يقدم العلاج الطبي في تاماغاوا أونسن، محافظة أكيتا. يأتي الأشخاص الذين يعانون من المرض من جميع أنحاء البلاد. تم نشر هذا الكتاب استجابة لطلب أحد العملاء المتوفى.奇跡の湯 玉川温泉の整体師 余命と向きあう人たちにささげる笑顔の一時間【電子書籍】[ 小川哲男 ]أرسلتُ الأقراص المدمجة بشكل رئيسي إلى المكتبات التي تحتفظ بكتبي.بدأ مشروع التعافي من الزلزال بناءً على طلب مكتبة محافظة إيواتي، وتمكنتُ من إرسال أقراص مدمجة إلى مكتبات في جميع أنحاء البلاد، كما عبّرتُ عن امتناني للدعم الذي قدّمته للمدارس اليابانية في الخارج.تطوّر مشروع التعافي من كارثة الزلزال من نشاط لطلب الدعم إلى نشاط للتعبير عن الامتنان للدعم.هناك أمرٌ واحدٌ لم أنجزه بعد، وهو التعبير عن امتناني لجميع سكان العالم.بدأت أنشطتي بكلمات دعم من زبائن زاروا هيرايزومي. مع ذلك، لم أتمكن حتى الآن من التعبير عن امتناني للدعم الذي تلقيته من الجميع حول العالم.فكرتُ أنه من خلال النشر على يوتيوب، يُمكنني التعبير عن امتناني للعديد من الناس حول العالم. PDF عربيهرع الناس من مختلف الأعراق والأديان من جميع أنحاء العالم لدعم الضحايا. تجمّع الناس من جميع أنحاء العالم في منطقة الكارثة، وأُنقذت أرواح كثيرة.وبفضل التبرعات من جميع أنحاء العالم، أُعيد بناء مختلف الصناعات.بصفتي أحد الضحايا، أود أن أعرب عن خالص امتناني لكل من أنقذ أرواحًا، وتبرع بالأموال، وشارك في أنشطة الدعم المختلفة.أود زيارة البلدان التي تعيشون فيها جميعًا شخصيًا، وأن أعرب عن امتناني لدعمكم. هناك أشياء أخرى أرغب في تحقيقها.لكنها ستكلف الكثير من المال.إذا تعاطفتم مع مشروعي، فيرجى دعمه.بدون دعمكم، هذا مجرد حلم. من فضلكم، ساعدوني.شكرًا لمشاهدتكم.شكرًا جزيلاً. تيتسو أوغاواGreat East Japan Earthquake Recovery Song True Happiness - Freedom Kitchen Vo : Hitomi Ory
2025年04月21日
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Ciao a tutti.Questo è Tetsuo Ogawa.L'11 marzo 2011 si verificò il grande terremoto del Giappone orientale.Subito dopo il terremoto vivevo nella città di Hiraizumi, nella prefettura di Iwate.Pochi mesi dopo, la città di Hiraizumi venne dichiarata Patrimonio dell'umanità.Persone da tutto il mondo mi hanno detto in giapponese: "Buona fortuna!"Mi sono commosso.Lavoravo come massaggiatrice e da casa.Molte persone si stanno rifugiando nella scuola media superiore della città di Rikuzentakata.Nella speranza di contribuire ad alleviare, anche solo un po', la stanchezza degli sfollati, mi sono offerto volontario per fornire cure mediche.Gli sfollati sorridevano, parlavano tra loro e trascorrevano del tempo insieme.Cosa posso fare per aiutare le persone colpite?Ho scritto un testo e una canzone per esprimere i sentimenti di coloro che sono morti nel terremoto. Abbiamo iniziato a farne dei CD e a distribuirli.Oltre alle mie attività musicali, scrivevo anche lettere ai direttori dei giornali di tutto il Paese, chiedendo sostegno.Il mio lavoro è stato pubblicato sul giornale, ma il terremoto e l'operazione al cuore di mia madre mi hanno costretto a traslocare.Prima di trasferirmi nella prefettura di Saitama, ho ricevuto una chiamata dalla Biblioteca della prefettura di Iwate, che aveva letto un articolo sul giornale.Il responsabile mi ha chiesto di inviargli un CD come testimonianza del disastro del terremoto.Era come se una sensazione elettrica mi attraversasse il corpo. Ho pensato che se avessi inviato questo CD alla Biblioteca della Prefettura di Iwate e poi alle biblioteche di tutto il Paese, avrei potuto diffondere il mio messaggio in tutto il Paese.Mentre proseguivamo le nostre attività, ci siamo imbattuti anche in un altro problema.Penso che stiate facendo tutti un ottimo lavoro. Tuttavia, non posso fare a meno di pensare che dare i CD alle vittime del disastro sarebbe come imporre loro i miei sentimenti. Non ne ho bisogno. Qualcuno potrebbe pensarla così.Se potessimo inviare questo CD alle biblioteche di tutto il Paese, questo problema potrebbe essere risolto. Le biblioteche sono istituzioni pubbliche e sono accessibili a chiunque sia interessato.Inviando questo CD alla biblioteca speravamo di poter esprimere la nostra gratitudine ai comuni per il loro sostegno.Prima del terremoto ho pubblicato un libro. Prima di aprire il mio studio a Hiraizumi, offrivo trattamenti a Tamagawa Onsen, nella prefettura di Akita. Persone da tutto il paese vengono qui per combattere le malattie. Questo libro è stato pubblicato su richiesta di un cliente scomparso.奇跡の湯 玉川温泉の整体師 余命と向きあう人たちにささげる笑顔の一時間【電子書籍】[ 小川哲男 ]Ho inviato i CD principalmente alle biblioteche che conservano i miei libri.Il progetto di recupero post-terremoto si è evoluto da un'attività per chiedere donazioni a un'attività per esprimere gratitudine per le donazioni ricevute.Il progetto di recupero post-terremoto ha inviato CD alle biblioteche di tutto il Paese ed è stato anche in grado di esprimere gratitudine per il supporto fornito alle scuole giapponesi all'estero.Ci sono ancora cose che non ho completato. Vogliamo esprimere la nostra gratitudine a tutti coloro che vivono in vari paesi del mondo.Le mie attività sono state stimolate dalle parole di incoraggiamento dei clienti che venivano a Hiraizumi. Tuttavia, fino ad ora, non siamo stati in grado di esprimere la nostra gratitudine per il sostegno ricevuto da persone da tutto il mondo.Ho pensato che pubblicandolo su YouTube avrei potuto esprimere la mia gratitudine alle persone di tutto il mondo. PDF ItalianoPersone di tutte le etnie e religioni provenienti da ogni parte del mondo si sono precipitate ad aiutare le vittime. Persone provenienti da tutto il mondo si sono radunate nella zona del disastro e molte vite sono state salvate.E grazie alle donazioni provenienti da tutto il mondo, diversi settori hanno potuto riprendersi.Come vittima del disastro, vorrei esprimere la mia sincera gratitudine a tutti coloro che mi hanno salvato la vita, a coloro che hanno donato fondi e a coloro che hanno partecipato alle varie attività di soccorso.Mi piacerebbe visitare personalmente i vostri Paesi per esprimere la mia gratitudine per il vostro sostegno. Ci sono altre cose che voglio realizzare.Ma costerà un sacco di soldi.Se il mio progetto ti interessa, per favore sostienimi.Senza il vostro sostegno, questo sarebbe solo un sogno. Per favore, prestateci la vostra forza.Grazie per aver guardato.Grazie mille. Tetsuo OgawaGreat East Japan Earthquake Recovery SongTrue Happiness - Freedom Kitchen Vo : Hitomi Ory
2025年04月20日
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여러분, 안녕하세요.오가와 테츠오입니다.2011년 3월 11일 동일본 대지진이 발생했습니다.지진 재해 직후, 나는 이와테현 히라이즈미쵸에 살았습니다.몇 달 후, 히라이즈미쵸가 세계 유산에 등록되었습니다.전세계에서 온 여러분이, 일본어로 「최선을 다해 주세요!」라고 말해 주었습니다.감동했습니다.제 직업은 마사지사였고 재택근무였습니다.리쿠젠 타카다시 제일 중학교에는 많은 사람들이 대피하고 있습니다.나는 피난당한 사람의 피로를 조금이라도 완화하고 싶다고 자원봉사로 시술하러 갔습니다.피난당한 분들은 웃는 얼굴로 이야기하고 함께 시간을 보냈습니다.피해를 입은 사람들을 위해 나에게 무엇을 할 수 있습니까?저는 죽은 분들의 마음을 가사와 곡에 담아 CD를 만들고 나누는 활동을 시작했습니다.음악 활동 외에도 전국 신문의 투서란에도 쓰고 지원을 호소했습니다.나의 활동은 신문에 게재되었지만, 지진 재해의 영향과 어머니의 심장 수술을 해야 하기 때문에, 이사를 하게 되었습니다.사이타마현으로 이사하기 전에, 신문 기사를 본 이와테 현립 도서관으로부터 전화가 있었습니다.담당자로부터, 지진 재해의 기록으로서 CD를 보내 주었으면 한다고 의뢰되었습니다.마치 몸에 전기가 달리는 듯한 감각이었습니다. 이 CD를 이와테 현립 도서관, 그리고 전국의 도서관에 보내면, 나의 생각을 전국에 전해질 수 있다고 생각했습니다.활동을 계속하는 가운데 하나의 과제에도 직면했습니다.여러분은 훌륭한 활동이라고 생각합니다.그러나, 피해자에게 CD를 건네주는 것은, 나의 기분을 밀어붙이는 것 같은 생각이 들지 않습니다.나에게는 필요 없다.이 CD를 전국 도서관에 보낼 수 있다면 이 문제는 해결할 수 있을지도 모릅니다.이 CD를 도서관에 보내는 것으로, 지원해 준 시읍면에의 감사의 기분을 전할 수 있으면(자) 생각했습니다.지진 재해 전, 나는 책을 출판할 수 있었습니다.히라이즈미에서 개업하기 전에는, 아키타현 다마가와 온천에서 시술을 하고 있었습니다.전국으로부터 병과 싸우는 사람들이 옵니다.죽은 고객의 요청으로이 책을 출판 할 수있었습니다.奇跡の湯 玉川温泉の整体師 余命と向きあう人たちにささげる笑顔の一時間【電子書籍】[ 小川哲男 ]전국의 도서관에 CD를 보내고, 해외의 일본인 학교에도 CD를 보내고 지원에 대한 감사를 전할 수 있었습니다.지진재해 부흥 프로젝트는, 지원을 부탁하는 활동으로부터, 지원에의 감사를 전하는 활동으로 진화했습니다.나에게는 아직 이뤄지지 않은 것이 하나 있습니다. 그것은 세계의 나라에서 사는 여러분에게 감사의 마음을 전하는 것입니다.나의 활동은, 히라이즈미에 와 주신 고객으로부터의 응원의 말이 계기였습니다.YouTube에 게시하여 전 세계의 많은 사람들에게 감사의 마음을 전할 수 있다고 생각했습니다. PDF 한국어전 세계에서 다양한 민족과 종교의 사람들이 재해자를 지원하기 위해 달려왔습니다.그리고 전세계 여러분의 기부 덕분에 다양한 산업이 부흥했습니다.피해자의 한 사람으로서 생명을 구해 주신 여러분, 의원금을 보내 주신 여러분, 그리고 다양한 지원 활동에 참가해 주신 여러분에게 진심으로 감사드립니다.저는 여러분이 거주하는 나라들에게 직접 발길을 옮겨 지원에 대한 감사의 마음을 전하고 싶습니다.저는 성취하고 싶은 다른 것들이 있습니다.그러나 그것에는 많은 비용이 듭니다.만약 내 프로젝트에 공감해 주시면 꼭 지원을 부탁드립니다.여러분의 지원이 없다면, 이것은 단지 꿈일 뿐입니다.시청 해 주셔서 감사합니다.정말 고마워요.Great East Japan Earthquake Recovery SongTrue Happiness - Freedom Kitchen Vo : Hitomi Ory
2025年04月20日
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大家好。我是小川哲男。2011年3月11日,东日本大地震发生。地震发生时,我住在岩手县平泉町。几个月后,平泉町被注册为世界遗产。世界各地的人们用日语对我说:“祝你好运!”我很感动。我的工作是按摩师,在家工作。许多人正在陆前高田市立第一初中避难。为了帮助疏散人员减轻疲劳,哪怕只是一点点,我自愿提供医疗服务。撤离人员面带微笑,互相交谈,共度美好时光。我能做些什么来帮助那些受影响的人?我把那些失去生命的人们的感受写成歌词和音乐,制作成CD送给受灾群众。在继续我的音乐活动的同时,我给全国各地的报纸写信请求支持。我的活动曾见诸报端,但由于地震和我母亲的心脏手术,我被迫搬家。在我搬到埼玉县之前,我接到了岩手县立图书馆一位工作人员的电话,他看到了报纸上的文章。负责人让我寄一张CD给他,作为地震灾难的记录。就像有一股电流穿过我的全身。我想,如果我把这张 CD 寄送到岩手县立图书馆,然后再寄送到全国各地的图书馆,我就可以将我的信息传播到全国各地。随着我们继续活动,我们也面临一个问题。我认为你们都做得很好。然而,我禁不住觉得,把 CD 送给受灾者就像是强迫他们接受我的感情。我不需要它。有些人可能这么认为。如果我们能将这张 CD 发送到全国各地的图书馆,这个问题可能会得到解决。图书馆是公共机构,任何感兴趣的人都可以访问。通过将这张 CD 发送到图书馆,我们希望能够向市政当局表达我们的感激之情。地震前,我得以出版一本书。在平泉开业之前,我曾在秋田县玉川温泉提供治疗。与疾病作斗争的人们来自全国各地。这本书是应一位已故客户的要求出版的。奇跡の湯 玉川温泉の整体師 余命と向きあう人たちにささげる笑顔の一時間【電子書籍】[ 小川哲男 ]我主要把CD寄给了有我书的图书馆。地震重建项目已经从一项请求支援的活动演变为一项向支援者表达感谢的活动。作为地震恢复项目的一部分,我们不仅能够向全国各地的图书馆发送 CD,而且还能够向海外日语学校表达我们对支持的感谢。有一件事我还没有完成。是为了向世界各国人民传达我们的感激之情。我的活动是由来到平泉的顾客们的鼓励之言引发的。然而,直到现在,我们还没有能够表达出对来自世界各地人民的支持的感激之情。我认为通过将其发布到 YouTube,我可以向全世界的人们表达我的感激之情。 PDF 中国語世界各地不同民族、不同宗教的人们纷纷伸出援手,救助灾民。世界各地的人们聚集到灾区,许多生命得以挽救。并且由于来自世界各地的捐赠,各行各业都得以恢复。作为此次灾难的受害者之一,我向所有救命恩人、捐款捐物的人、以及参与各项救援活动的人们表示最诚挚的感谢。我非常愿意亲自访问你们的国家,以表达对你们支持的感谢。我还有其他想完成的事情。但这会花费很多钱。如果您对我的项目感兴趣,请支持我。如果没有你们的支持,这将只是一个梦想。请借给我们你的力量。谢谢观看。非常感谢。小川哲男Great East Japan Earthquake Recovery SongTrue Happiness - Freedom Kitchen Vo : Hitomi Ory
2025年04月20日
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Bonjour à tous.Voici Tetsuo Ogawa.Le 11 mars 2011, le grand tremblement de terre de l'est du Japon s'est produit.Immédiatement après le tremblement de terre, je vivais dans la ville d’Hiraizumi, dans la préfecture d’Iwate.Quelques mois plus tard, la ville d'Hiraizumi a été inscrite au patrimoine mondial.Des gens du monde entier m'ont dit en japonais : « Bonne chance ! »J'ai été ému.Mon travail était celui de masseuse et je travaillais à domicile.De nombreuses personnes se réfugient au collège de la ville de Rikuzentakata.Dans l’espoir d’aider à soulager la fatigue des évacués, même un peu, je me suis porté volontaire pour leur prodiguer des soins médicaux.Les évacués souriaient et parlaient entre eux, passant du temps ensemble.Que puis-je faire pour aider les personnes touchées ?J'ai mis les sentiments de ceux qui étaient décédés dans les paroles et la musique, j'ai créé des CD et j'ai commencé à les distribuer.Tout en poursuivant mes activités musicales, j’ai écrit des lettres aux journaux de tout le pays pour demander du soutien.Mon travail a été présenté dans le journal, mais le tremblement de terre et l’opération cardiaque de ma mère m’ont obligé à déménager.Avant de déménager dans la préfecture de Saitama, j’ai reçu un appel de la bibliothèque préfectorale d’Iwate, qui avait vu un article dans le journal.Le responsable m'a demandé de lui envoyer un CD comme souvenir de la catastrophe du tremblement de terre.C'était comme si une sensation électrique traversait mon corps. J’ai pensé qu’en envoyant ce CD à la bibliothèque préfectorale d’Iwate, puis aux bibliothèques de tout le pays, je pourrais diffuser mon message dans tout le pays.Alors que nous poursuivions nos activités, nous avons également été confrontés à un problème.Je pense que vous faites tous un excellent travail. Cependant, je ne peux m’empêcher de penser que donner les CD aux victimes de la catastrophe reviendrait à leur imposer mes sentiments. Je n'en ai pas besoin. Certains pourraient le penser.Si nous pouvions envoyer ce CD aux bibliothèques de tout le pays, ce problème pourrait être résolu. Les bibliothèques sont des institutions publiques et accessibles à toute personne intéressée.En envoyant ce CD à la bibliothèque, nous espérions pouvoir transmettre notre gratitude aux municipalités pour leur soutien.Avant le tremblement de terre, j’ai pu publier un livre. Avant d'ouvrir mon cabinet à Hiraizumi, j'ai dispensé des soins à Tamagawa Onsen, dans la préfecture d'Akita. Les personnes qui luttent contre la maladie viennent de tout le pays. Ce livre a été publié à la demande d’un client décédé.奇跡の湯 玉川温泉の整体師 余命と向きあう人たちにささげる笑顔の一時間【電子書籍】[ 小川哲男 ]J'ai envoyé les CD principalement aux bibliothèques qui possèdent mes livres.Le projet de rétablissement après le tremblement de terre est passé d’une activité visant à demander des dons à une activité visant à exprimer sa gratitude pour les dons reçus.Le projet de reconstruction après le tremblement de terre a débuté à la demande de la bibliothèque préfectorale d'Iwate, et nous avons depuis livré des CD aux bibliothèques de tout le pays, et exprimé notre gratitude aux écoles japonaises à l'étranger pour le soutien qu'elles ont reçu.Il y a une chose que je n’ai pas encore accomplie. Il s’agit de transmettre notre gratitude à tous ceux qui vivent dans les pays du monde entier.Mes activités ont été déclenchées par les mots d’encouragement des clients qui sont venus à Hiraizumi. Cependant, jusqu’à présent, nous n’avons pas pu exprimer notre gratitude pour le soutien que nous avons reçu de personnes du monde entier.J'ai pensé qu'en le publiant sur YouTube, je pourrais transmettre ma gratitude aux gens du monde entier. PDF FrançaisDes personnes de toutes les ethnies et de toutes les religions du monde entier se sont précipitées pour aider les victimes. Des personnes venues du monde entier se sont rassemblées dans la zone sinistrée et de nombreuses vies ont été sauvées.Et grâce aux dons du monde entier, diverses industries ont pu se redresser.En tant que victime de la catastrophe, je voudrais exprimer ma sincère gratitude à tous ceux qui m’ont sauvé la vie, à ceux qui ont fait don de fonds et à ceux qui ont participé à diverses activités de secours.J’aimerais visiter vos pays en personne pour vous exprimer ma gratitude pour votre soutien. Il y a d’autres choses que je veux accomplir.Mais cela coûtera beaucoup d’argent.Si vous êtes intéressé par mon projet, soutenez-moi.Sans votre soutien, ce ne serait qu’un rêve. S'il vous plaît, prêtez-nous votre force.Merci d'avoir regardé.Merci beaucoup. Tetsuo OgawaGreat East Japan Earthquake Recovery SongTrue Happiness - Freedom Kitchen Vo : Hitomi Ory
2025年04月20日
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Olá pessoal.Este é o Tetsuo Ogawa.A 11 de março de 2011, ocorreu o Grande Terramoto do Leste do Japão.Imediatamente após o terramoto, eu estava a viver na cidade de Hiraizumi, na província de Iwate.Alguns meses depois, a cidade de Hiraizumi foi registada como Património Mundial.Pessoas do mundo inteiro disseram-me em japonês: "Boa sorte!"Fiquei comovido.O meu trabalho era como massagista e trabalhava em casa.Muitas pessoas estão a refugiar-se na Escola Secundária da Cidade de Rikuzentakata.Na esperança de ajudar a aliviar o cansaço dos evacuados, mesmo que apenas um pouco, ofereci-me para prestar tratamento médico.Os evacuados sorriam e conversavam entre si, passando tempo juntos.O que posso fazer para ajudar os afetados?Coloquei os sentimentos dos que faleceram em letras e músicas, criei CD e comecei a distribuí-los.Mientras trabajaba en mi carrera musical, escribí cartas a editores de periódicos de todo el país pidiendo su apoyo.O meu trabalho foi publicado no jornal, mas o terremoto e a cirurgia cardíaca da minha mãe obrigaram-me a mudar-me.Antes de me mudar para a Câmara Municipal de Saitama, recebi uma chamada da Biblioteca da Câmara Municipal de Iwate, que tinha visto um artigo no jornal.O responsável pediu-me para lhe enviar um CD como registo do desastre do sismo.Era como se uma sensação elétrica percorresse o meu corpo. Pensei que se enviasse este CD para a Biblioteca da Câmara Municipal de Iwate e depois para bibliotecas de todo o país, poderia espalhar a minha mensagem por todo o país.À medida que continuávamos as nossas atividades, enfrentámos também um problema.Acho que todos vocês estão a fazer um ótimo trabalho. No entanto, não posso deixar de sentir que dar os CD às vítimas do desastre seria como forçar os meus sentimentos sobre elas. Eu não preciso disso. Algumas pessoas podem pensar que sim.Se pudéssemos enviar este CD para as bibliotecas de todo o país, este problema poderia ser resolvido. As bibliotecas são instituições públicas e estão disponíveis para qualquer interessado.Ao enviar este CD para a biblioteca, esperamos poder transmitir a nossa gratidão aos municípios pelo apoio.Antes do terramoto, consegui publicar um livro. Antes de abrir o meu consultório em Hiraizumi, oferecia tratamentos em Tamagawa Onsen, na província de Akita. As pessoas que lutam contra doenças vêm de todo o país. Este livro foi publicado a pedido de um cliente que faleceu.奇跡の湯 玉川温泉の整体師 余命と向きあう人たちにささげる笑顔の一時間【電子書籍】[ 小川哲男 ]Enviei os CD principalmente para bibliotecas que guardam os meus livros.O projeto de recuperação do sismo evoluiu de uma atividade para pedir donativos para uma atividade para expressar gratidão pelos donativos recebidos.O projeto de recuperação após o terramoto começou a pedido da Biblioteca da Câmara Municipal de Iwate e, desde então, temos entregue CDs a bibliotecas de todo o país, além de transmitirmos a nossa gratidão às escolas japonesas no estrangeiro pelo apoio que receberam.Há uma coisa que ainda não consegui realizar. É para transmitir a nossa gratidão a todos os que vivem em países de todo o mundo.As minhas atividades foram desencadeadas por palavras de incentivo de clientes que vieram a Hiraizumi. No entanto, até ao momento, não conseguimos expressar a nossa gratidão pelo apoio que recebemos de pessoas de todo o mundo.Pensei que publicando no YouTube poderia transmitir a minha gratidão às pessoas de todo o mundo. PDF PortuguêsPessoas de todas as etnias e religiões de todo o mundo acorreram para ajudar as vítimas. Pessoas do mundo inteiro reuniram-se na zona do desastre e muitas vidas foram salvas.E graças a donativos do mundo inteiro, vários setores conseguiram recuperar.Como uma das vítimas do desastre, gostaria de expressar a minha sincera gratidão a todos aqueles que me salvaram a vida, aos que doaram fundos e aos que participaram em diversas atividades de ajuda.Adoraria visitar os vossos países pessoalmente para expressar a minha gratidão pelo vosso apoio. Há outras coisas que quero realizar.Mas isso vai custar muito dinheiro.Se estiver interessado no meu projeto, por favor apoie-me.Sem o seu apoio, isto seria apenas um sonho. Por favor, empreste-nos a sua força.Obrigado por assistir.Muito obrigado. Tetsuo OgawaGreat East Japan Earthquake Recovery SongTrue Happiness - Freedom Kitchen Vo : Hitomi Ory
2025年04月20日
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Hola a todos. Este es Tetsuo Ogawa. El 11 de marzo de 2011 se produjo el Gran Terremoto del Este de Japón. Inmediatamente después del terremoto, vivía en la ciudad de Hiraizumi, prefectura de Iwate. Unos meses más tarde, la ciudad de Hiraizumi fue registrada como Patrimonio de la Humanidad.Personas de todo el mundo me dijeron en japonés: "¡Buena suerte!".Me conmovió.Los evacuados sonreían y hablaban entre ellos, pasando tiempo juntos.¿Qué puedo hacer para ayudar a los afectados?Puse los sentimientos de los que habían fallecido en letras y música, creé CD y comencé a distribuirlos.Mis actividades aparecieron en el periódico, pero me vi obligado a mudarme debido al terremoto y a la cirugía de corazón de mi madre.Mi trabajo apareció en el periódico, pero el terremoto y la cirugía de corazón de mi madre me obligaron a mudarme.Antes de mudarme a la prefectura de Saitama, recibí una llamada de la biblioteca de la prefectura de Iwate, que había visto un artículo en el periódico. El responsable me pidió que le enviara un CD como registro del desastre del terremoto. Fue como si una sensación eléctrica recorriera mi cuerpo. Pensé que si enviaba este CD a la Biblioteca de la Prefectura de Iwate y luego a las bibliotecas de todo el país, podría difundir mi mensaje por todo el país. A medida que continuamos con nuestras actividades, también nos enfrentamos a un problema. Pienso que todos están haciendo un gran trabajo. Sin embargo, no puedo evitar sentir que darles los CD a las víctimas del desastre sería como imponerles mis sentimientos. No lo necesito Algunas personas podrían pensar así. Si pudiéramos enviar este CD a las bibliotecas de todo el país, este problema podría resolverse. Las bibliotecas son instituciones públicas y están disponibles para cualquier persona que esté interesada. Al enviar este CD a la biblioteca, esperábamos poder transmitir nuestra gratitud a los municipios por su apoyo. Antes del terremoto, pude publicar un libro. Antes de abrir mi consultorio en Hiraizumi, ofrecí tratamientos en Tamagawa Onsen, prefectura de Akita. Las personas que luchan contra la enfermedad vienen de todo el país. Este libro fue publicado a petición de un cliente fallecido.奇跡の湯 玉川温泉の整体師 余命と向きあう人たちにささげる笑顔の一時間【電子書籍】[ 小川哲男 ]Envié los CD principalmente a las bibliotecas que tienen mis libros.El proyecto de recuperación del terremoto ha evolucionado de una actividad para pedir donaciones a una actividad para expresar gratitud por las donaciones recibidas.El proyecto de recuperación tras el terremoto comenzó a petición de la Biblioteca de la Prefectura de Iwate, y desde entonces hemos entregado CD a bibliotecas de todo el país, además de transmitir nuestra gratitud a las escuelas japonesas en el extranjero por el apoyo que han recibido.Hay una cosa que aún no he logrado. Es para transmitir nuestro agradecimiento a todos los que viven en países de todo el mundo.Mis actividades fueron motivadas por las palabras de aliento de los clientes que vinieron a Hiraizumi. Sin embargo, hasta ahora, no hemos podido expresar nuestra gratitud por el apoyo que hemos recibido de personas de todo el mundo.Pensé que al publicarlo en YouTube, podría transmitir mi gratitud a personas de todo el mundo. PDF EspañolPersonas de todas las etnias y religiones del mundo entero acudieron a ayudar a las víctimas. Personas de todo el mundo se reunieron en la zona del desastre y se salvaron muchas vidas.Y gracias a donaciones de todo el mundo, varias industrias han podido recuperarse.Como una de las víctimas del desastre, me gustaría expresar mi sincero agradecimiento a todos aquellos que me salvaron la vida, a quienes donaron fondos y a quienes participaron en diversas actividades de socorro.Me encantaría visitar sus países en persona para expresar mi gratitud por su apoyo. Hay otras cosas que quiero lograr.Pero costará mucho dinero.Si estás interesado en mi proyecto, por favor apóyame.Sin vuestro apoyo esto sería sólo un sueño. Por favor, préstanos tu fuerza.Gracias por ver.Muchas gracias. Tetsuo OgawaGreat East Japan Earthquake Recovery SongTrue Happiness - Freedom Kitchen Vo : Hitomi Ory
2025年04月20日
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Hallo zusammen. Das ist Tetsuo Ogawa. Am 11. März 2011 ereignete sich das große Ostjapanische Erdbeben. Unmittelbar nach dem Erdbeben lebte ich in der Stadt Hiraizumi in der Präfektur Iwate. Einige Monate später wurde die Stadt Hiraizumi zum Weltkulturerbe erklärt.Menschen aus aller Welt sagten mir auf Japanisch: „Viel Glück!“Ich war gerührt.Ich war Masseurin und habe von zu Hause aus gearbeitet.Viele Menschen suchen Zuflucht in der Rikuzentakata City First Junior High School.In der Hoffnung, die Erschöpfung der Evakuierten zumindest ein wenig zu lindern, meldete ich mich freiwillig für die medizinische Versorgung.Die Evakuierten lächelten, unterhielten sich und verbrachten Zeit miteinander.Was kann ich tun, um Betroffenen zu helfen?Ich habe die Gefühle der Verstorbenen in Texte und Musik umgesetzt, CDs erstellt und mit der Verbreitung begonnen.Während ich meine musikalischen Aktivitäten fortsetzen, schrieb ich Briefe an Zeitungen im ganzen Land und bat um ihre Unterstützung.Über meine Arbeit wurde in der Zeitung berichtet, aber das Erdbeben und die Herzoperation meiner Mutter zwangen mich zum Umzug.Bevor ich in die Präfektur Saitama zog, erhielt ich einen Anruf von der Bibliothek der Präfektur Iwate, die einen Artikel in der Zeitung gesehen hatte. Der Verantwortliche bat mich, ihm eine CD als Dokumentation der Erdbebenkatastrophe zu schicken. Es war, als ob ein elektrisches Gefühl durch meinen Körper lief.Ich dachte, wenn ich diese CD an die Präfekturbibliothek Iwate und dann an Bibliotheken im ganzen Land schicke, könnte ich meine Botschaft im ganzen Land verbreiten. Bei der Fortsetzung unserer Aktivitäten sind wir jedoch auch auf ein Problem gestoßen.Ich finde, Sie alle machen einen tollen Job. Ich kann mich jedoch des Eindrucks nicht erwehren, dass ich den Opfern der Katastrophe meine Gefühle aufzwingen würde, wenn ich ihnen die CDs gäbe. Ich brauche es nicht. Manche Leute denken vielleicht so. Wenn wir diese CD an Bibliotheken im ganzen Land schicken könnten, wäre dieses Problem möglicherweise gelöst. Bibliotheken sind öffentliche Einrichtungen und stehen allen Interessierten zur Verfügung. Mit der Übersendung dieser CD an die Bibliothek wollten wir den Gemeinden unseren Dank für ihre Unterstützung zum Ausdruck bringen.Vor dem Erdbeben konnte ich ein Buch veröffentlichen. Bevor ich meine Praxis in Hiraizumi eröffnete, habe ich Behandlungen in Tamagawa Onsen in der Präfektur Akita angeboten. Aus dem ganzen Land kommen Menschen, die gegen Krankheiten kämpfen. Dieses Buch wurde auf Wunsch eines verstorbenen Kunden veröffentlicht.奇跡の湯 玉川温泉の整体師 余命と向きあう人たちにささげる笑顔の一時間【電子書籍】[ 小川哲男 ]Ich habe die CDs hauptsächlich an Bibliotheken geschickt, die meine Bücher besitzen.Das Erdbeben-Wiederaufbauprojekt hat sich von einer Spendenaktion zu einer Aktion entwickelt, bei der man für die erhaltenen Spenden dankt.Das Erdbeben-Wiederaufbauprojekt begann auf Anfrage der Präfekturbibliothek Iwate. Seitdem haben wir CDs an Bibliotheken im ganzen Land geliefert und den japanischen Schulen im Ausland unseren Dank für die erhaltene Unterstützung zum Ausdruck gebracht.Eines habe ich noch nicht geschafft. Damit möchten wir allen Menschen in den Ländern dieser Welt unseren Dank aussprechen.Auslöser für meine Aktivitäten waren die aufmunternden Worte von Kunden, die nach Hiraizumi kamen. Allerdings konnten wir bisher unseren Dank für die Unterstützung, die wir von Menschen aus aller Welt erhalten haben, nicht zum Ausdruck bringen.Ich dachte, dass ich durch die Veröffentlichung auf YouTube den Menschen auf der ganzen Welt meine Dankbarkeit ausdrücken könnte. PDF DeutschMenschen aller Ethnien und Religionen aus aller Welt eilten den Opfern zu Hilfe. Menschen aus aller Welt versammelten sich im Katastrophengebiet und viele Leben konnten gerettet werden. Und dank Spenden aus aller Welt konnten sich verschiedene Branchen erholen. Als eines der Opfer dieser Katastrophe möchte ich all jenen, die mir das Leben gerettet, Geld gespendet und sich an den verschiedenen Hilfsmaßnahmen beteiligt haben, meinen aufrichtigen Dank aussprechen. Ich würde Ihre Länder gerne persönlich besuchen, um Ihnen für Ihre Unterstützung zu danken. Es gibt noch andere Dinge, die ich erreichen möchte.Aber es wird viel Geld kosten. Wenn Sie an meinem Projekt interessiert sind, unterstützen Sie mich bitte. Ohne Ihre Unterstützung wäre dies nur ein Traum. Bitte schenke uns deine Kraft.Vielen Dank fürs Zuschauen. Vielen Dank. Tetsuo OgawaGreat East Japan Earthquake Recovery SongTrue Happiness - Freedom Kitchen Vo : Hitomi Ory
2025年04月20日
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Всем привет.Это Тэцуо Огава.11 марта 2011 года произошло Великое восточно-японское землетрясение.Сразу после землетрясения я жил в городе Хираидзуми префектуры Иватэ.Несколько месяцев спустя город Хираидзуми был зарегистрирован как объект Всемирного наследия. Люди со всего мира говорили мне по-японски: «Удачи!» Я был тронут. Я работала массажисткой на дому. Многие люди находят убежище в Первой неполной средней школе города Рикудзентаката. Надеясь хоть немного облегчить усталость эвакуированных, я вызвался оказать им медицинскую помощь.>Эвакуированные улыбались и разговаривали друг с другом, проводя время вместе.Что я могу сделать, чтобы помочь пострадавшим?Я вложил чувства тех, кто ушел из жизни, в тексты песен и музыку, записал компакт-диски и начал их распространять.Помимо своей музыкальной деятельности, он также писал письма в редакции газет по всей стране, призывая к поддержке.Мои работы были опубликованы в газете, но землетрясение и операция на сердце моей матери вынудили меня переехать.Перед переездом в префектуру Сайтама мне позвонили из библиотеки префектуры Иватэ и увидели статью в газете.Ответственный человек попросил меня прислать ему компакт-диск с записью землетрясения.Ощущение было такое, будто по моему телу пробежал электрический ток. Я подумал, что если отправлю этот компакт-диск в библиотеку префектуры Иватэ, а затем в библиотеки по всей стране, то смогу распространить свое послание по всей стране.Продолжая свою деятельность, мы также столкнулись с одной проблемой.Я думаю, что вы все делаете отличную работу. Однако я не могу отделаться от ощущения, что передача компакт-дисков жертвам катастрофы будет равносильна навязыванию им моих чувств. Мне это не нужно. Некоторые люди могут так думать.Если бы мы могли разослать этот компакт-диск по библиотекам по всей стране, эта проблема могла бы быть решена. Библиотеки являются государственными учреждениями и доступны всем желающим.Отправив этот компакт-диск в библиотеку, мы надеялись выразить свою благодарность муниципалитетам за их поддержку.До землетрясения мне удалось опубликовать книгу. До того, как открыть свою практику в Хираидзуми, я проводил лечение в Тамагава-Онсэн, префектура Акита. Люди, борющиеся с болезнями, приезжают со всей страны. Эта книга была опубликована по просьбе клиента, который скончался.奇跡の湯 玉川温泉の整体師 余命と向きあう人たちにささげる笑顔の一時間【電子書籍】[ 小川哲男 ]Я отправлял компакт-диски в основном в библиотеки, где есть мои книги.Проект по восстановлению после землетрясения превратился из мероприятия по сбору пожертвований в мероприятие по выражению благодарности за полученные пожертвования.Проект по восстановлению после землетрясения начался по просьбе библиотеки префектуры Иватэ, и с тех пор мы доставили компакт-диски в библиотеки по всей стране, а также выразили благодарность японским школам за рубежом за оказанную им поддержку.Есть одна вещь, которую я еще не выполнил. Мы хотим выразить нашу благодарность всем, кто живет в разных странах мира.Мою деятельность подтолкнули слова поддержки от клиентов, которые приходили в Хираидзуми. Однако до сих пор мы не имели возможности выразить свою благодарность за поддержку, которую мы получили от людей по всему миру.Я подумал, что, разместив это на YouTube, я смогу передать свою благодарность людям по всему миру. PDF РусскийЛюди всех национальностей и вероисповеданий со всего мира бросились на помощь пострадавшим. Люди со всего мира собрались в зоне бедствия, и многие жизни были спасены. А благодаря пожертвованиям со всего мира различные отрасли промышленности смогли восстановиться. Как один из пострадавших в результате катастрофы, я хотел бы выразить искреннюю благодарность всем тем, кто спас мне жизнь, тем, кто пожертвовал средства, и тем, кто принял участие в различных мероприятиях по оказанию помощи. Я бы с удовольствием посетил ваши страны лично, чтобы выразить свою благодарность за вашу поддержку. Есть и другие вещи, которых я хочу достичь. Но это будет стоить больших денег. Если вам интересен мой проект, пожалуйста, поддержите меня. Без вашей поддержки это было бы всего лишь мечтой. Пожалуйста, одолжите нам свою силу. Спасибо за просмотр. Большое спасибо. Тетсуо ОгаваGreat East Japan Earthquake Recovery SongTrue Happiness - Freedom Kitchen Vo : Hitomi Ory
2025年04月20日
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前回、震災復興プロジェクトを立ち上げた時に手伝ってくれた相方に再会したことを書いた。今まで、このブログで今までの活動を載せることはあっても、見つめ直すことはなかった。改めて見つめ直した。偶然の出会いなんてない。役割を持って出会い、その役割を全うして去っていく。そんな話をよく聞く。この活動で一番大変だったのは、パートナーが何度も変わったこと。しかし、役目を終えると彼女らは去っていった。しかし、震災前から一緒にやっていた相方との再会は必ず役目があるからこそなのではないだろうか。そこで今まで果たせなかったことに再度挑戦することに決めた。世界の国々で暮らす皆様への感謝の気持ちを伝えること。今まで新聞社や放送局にも連絡を取り、私の思いを世界中の人々に伝えようと試みていますが、なかなか思うようにはいかない。なぜなら、投稿担当の方をはじめ、多くのスタッフの心を掴む必要。しかしながら、駐日フィンランド大使館、ブラジル人が多く住む群馬県大泉町、そしてバーレーンの新聞社には、ご支援へのお礼を伝えることができた。私の活動は、平泉にお越しいただいたお客様からの応援の言葉がきっかけだった。世界中の方々からいただいたご支援への感謝の気持ちを、まだお伝えできていない。そこでこういう動画を作った。英文で文章を書き、それを世界諸国の皆様にお伝えするため、説明欄に各国の皆様が読めるようにPDFを用意した。 日本語 EnglishHo creato un PDF del messaggio di ringraziamento per questo video. لقد قمت بإنشاء ملف PDF لرسالة الشكر لهذا الفيديو.J'ai créé un PDF du message de remerciement pour cette vidéo.Ich habe eine PDF-Datei mit der Dankesnachricht für dieses Video erstellt.He creado un PDF del mensaje de agradecimiento por este vídeo.Criei um PDF da mensagem de agradecimento deste vídeo.我已為該影片建立了感謝訊息的 PDF 檔案。이 동영상의 예문을 PDF로 했습니다. Я создал PDF-файл благодарственного сообщения для этого видео.たくさんの方に見てもらえたらいいな。震災直後、世界中から、様々な民族や宗教の人々が被災者を支援するために駆けつけた。被災地には世界中の人々が集まり、多くの命が救われた。そして、世界中の人々からの寄付のおかげで、様々な産業が復興した。この動画を作れば民族、宗教の壁を越えてお礼ができると思ったんだ。そして相方が歌った震災復興プロジェクトソングを海を越えた皆様に聴いていただきたい思い、作り直した。今の日本、つまり、東京オリンピックが開催されたのは世界諸国の皆様の支援があったからこそできたことだと思う。自分ができることってGoogle翻訳を使って世界諸国の皆様にお礼を伝えることだと思い、作った。またライブ活動ができたらいいなあ。
2025年04月15日
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コロナ禍で開催されず5年ぶりの栄東高校同窓会。あっという間に40年以上経った母校。びっくりしたのは後輩のお子さんが栄東に入学したのち、母校の教師として頑張っている。親子でこの同窓会に出席。なんて素晴らしいことだろう。前回は次女の大学進学を前に先生方に頑張れとお言葉を戴き、今回は先生ではなく、先輩。泣きそうになった。コロナの影響でリラクゼーション業界を去った今、物流会社に就職し、生活している。その環境の中でも震災復興活動を続け、やり遂げることができた。その状況を知っていた先輩。出世と成功者との違いがわかるか?お前は出世をしていく者ではない。長くその企業を務め、時を重ねていく者たちと比較してみろ。自分を信じて突き進め。と出世していく者との違いを話してくださった。ステージで歌う後輩。埼玉県を代表するミュージシャンとして活動している。彼も自分と一緒で音楽の道を突き進んでいる一人。更に、後輩の中には政治家になった者もいれば、会社経営者もたくさんいる。今回の新たな出会いは埼玉県を代表するレストランを経営している後輩と話すことができた。先輩がおっしゃっていた、成功者と出世するものとの違いミュージシャンの後輩、レストラン経営者の後輩、二人とも熱いまなざしで話をし、そこには常に笑顔がある。自分に忘れていたかもしれないものを呼び起こしてくれた。同窓会が終わり、改めて2024年を見つめなおす。2019年新宿でのライブ、昭和歌謡ナイト以降、音楽活動はしていない。コロナ禍の中、整体師としての仕事もできなくなってしまった。でも、新たに務めた会社のおかげで生活ができ、次女を大学卒業させることができそうだ。さらに、念願の家族旅行をやり遂げた。次女、長男、父母と名古屋城に行くことができた。岩手から埼玉に戻って12年。一つの目標をやり遂げた。6月の ブログ で書いた銀座でのピアノ演奏は数年ぶりに人前で弾いた。緊張しまくり (;^_^A音楽をしていたい思いは日に日に増していく。新たな挑戦、ゴスペル。月一回、キリスト教でもない自分ではあるが教会に通っている。 サンライズ杉戸ゴスペル歌の中にいるてつお。歌に包まれる空間は心と体を清め、力をも生んでくれる。今まで味わったことがない経験。腰や肩のコリにもいいかも!!笑幸いにしてランニングをしているから相乗効果で更なる強いてつおを作ることだろう。でも、やはり、癒してくれるのだけど音楽活動を続けたい思いは消えない。そして11月、思いが天に通じたかもしれない出来事が起きた。2012年、震災復興プロジェクトを立ち上げた時に手伝ってくれた相方との再会!今は本業のほかにジャズシンガーとして歌い続けている。11月にライブに呼ばれて松戸へ。その後、毎月呼ばれるようになり、そのおかげでてつおはなんちゃってミュージシャン復活を果たす!このブログで数回書いたなあ。。復活なんちゃってミュージシャン。。そのイベントで行われるのがジャズセッション。半強制的に弾くことになってしまった 笑初めてお会いした方々に自分が何者かを挨拶しなければならないから、全然弾いていなくてご迷惑をおかけしました。と挨拶をしようとしたら、挨拶する前にマイクを持って、今まで一緒にやってきた時のことや整体師として歩んできた時のことなどを語る。強制的に弾かせた意味がわかった。ありがたかった。2月になってセッション参加3回目。2012年の岩手でのライブを最後に12年ぶりの演奏。感無量。 やりがいを持つって生きていくためのお守りのように感じる今日この頃。自分にとってのやりがいこそが音楽なのだなあ。再び会った縁に感謝。知り合ったきっかけがこの楽天ブログ。2010年4月、自分が本を出版したのがきっかけで新宿で 講演会 を行った。その時に足を運んでくれて初めて会った。この年の夏に岩手花巻でのライブに参加。オリジナル曲も作った。聴いていただけるとありがたい。溜息 TameikiSakura Imposorこのバラード曲、溜息を演奏したとき、会場が満員になってすごかった。その数ヶ月後、東日本大震災が東北を襲う。当時住んでいた岩手県平泉町。震度7が平泉を襲った。自宅前の東北本線。電車が立ち往生。乗客は平泉小学校に避難。家の中は滅茶苦茶。被災者となってしまった。しかし、自分を始め、誰もが何かできることはないかと考える。2011年3月16日ブログ復興の象徴と呼ばれた平泉町。6月、平泉は世界遺産登録が決まった。当時、東北の各新聞社が集まって作った企画に賛同。平泉をYouTubeを通して広くPRすることが目的。住民として役に立ちたかった。当時、全国でやたら使われた言葉、絆。この言葉が様々な広告に使われる。なんか、違うんじゃない?と思っていたから自分なりのやり方で岩手を応援。自分ができること、もう一つは施術して差し上げるしかない。7月に陸前高田第一中学校へ。街は津波に破壊され、言葉を失う。 中学校に避難された方を施術して差し上げることはできた。けれど、これで終わらせていいのだろうか。全国の新聞社に投稿し、支援のお願いと支援のお礼を伝えるために投稿欄を利用させていただいた。 更に岩手県内では三陸で被災された皆様を助けたいと、いたるところで寄付金を募る。被災地の中での寄付金。被災者が寄付する現状。寄付金を出している方のご親戚が亡くなっている方も多々いらっしゃる。 ラジオチャリティミュージックソンに参加。参加した会場は岩手県北上市。ここも三陸から引っ越されてきた方も多々おられる。震災前に書いていたフリーペーパー。これを読んでいたお客様もおられたし、参加した皆様達はラジオネーム平泉のなんちゃってミュージシャンを知っていた。そして曲を作って被災者に差し上げる活動を始めた。これが震災復興活動True Happinessである。 了解をいただき、ブログに載せさせていただくことができた。 津波で家を失い、慣れない環境で疲れ果てて施術を受けに足を運んでくださった方やお身内を津波で亡くされた方、余震で家が破壊された方など多くの方にこのCDを差し上げた。その曲を一緒に作ってくれたのが先日再会した相方。歌の他にCDのデザイン他色々手伝ってくれた。おんぶにだっこ状態。彼女がいなければこのプロジェクトをはじめることはできなかった。活動が新聞に掲載。そしてそのライブ。イベントにも呼んでくださった。岩手県さくらホール、大きな会場での演奏。プロジェクトは成長していくが、震災の影響と家庭の問題で生まれ故郷の埼玉県に引っ越さなければならなかった。そんなとき、新聞記事を読んでくださった岩手県立図書館から、このCDを震災資料として送ってほしいと電話。背中に電気が走った。CDを差し上げる活動は気持ちの押し売りと思われても仕方がない。しかし、公共機関である図書館、岩手県立図書館を筆頭に全国の図書館にも送れば被災者と支援者との心の共有ができる!一枚のCDに託された想い、それは被災者、支援者とも同じ想いかもしれない。生活環境など様々な問題で相方はやめることに。相方を失ってもプロジェクトを終わらせるわけにはいかない。新たな相方をみつけ、再レコーディング。新生Freedom Kitchenスタート。プロジェクトは被災地支援を求める活動から支援のお礼に感謝し、お礼を伝える活動へと進化。そして海外へ。海を越えた国に住む日本人の皆様にも支援のお礼を伝えようと日本人学校に送った。True Happiness そして凱旋ライブ。しかしこの相棒ともお別れ。Vocalにめぐまれないてつお。俺がやっていることが理解されない苛立ち、または性格が悪いのかもしれない。しかし、これがきっかけでプロジェクトは音楽という枠を越えることができた。音楽というジャンルに固執する必要なんてない。プロジェクトの趣旨はお礼を伝えることである。今までやってきた新聞投稿再開!バーレーンの新聞社、フィンランド大使館が掲載してくださった。 ブラジルの方がたくさん住まれる群馬県大泉町。そのコミュニティセンターに支援のお礼文をポルトガル語にして貼ってくださった。その時のブログそして新たなVocalがみつかり、活動再開!凱旋ライブができた。凱旋ライブ岩手にいた時の音楽仲間と一緒に演奏。このライブは先日解散したMR.BIGの功績を岩手県民に紹介するのが目的。コロナになる前まで活動は続き、町田や新宿で定期的に演奏。 2019年昭和歌謡ナイトライブを最後にまたVocalは去った。そしてコロナが世界を襲う。東京オリンピックが一年遅れての開催。オリンピックを前に久しぶりに投稿。復興した被災地の姿を世界にアピールする場所こそが東京オリンピック。元岩手県民だが、支援のお礼を伝える手段ってこんな方法しか思いつかない。コロナが猛威を振るう中、お礼を伝える活動は続く。世界諸国の日本大使館に連絡をし、パナマ日本大使館から戴いたお返事。をここで紹介させていただきたい。「パナマは人口あたりのコロナ感染が世界的にみても深刻な国の一つとされています。送って頂いた楽曲に励まされる方々がおられることでしょう。」 ブログコロナ禍で送った世界諸国の日本大使館からのメッセージは言葉で表すことができないほど感動した。これはコロンビアの放送局から戴いた。有難いお言葉を世界諸国に住まれる皆様からたくさん戴いた。この活動をしていて利益なんてものはいっさいない。俺は何のためにこのプロジェクトをやっているのだろうと思ったことがどれだけあったことか。去年の能登半島地震、数年前の熊本地震、震災を経験している者たちは恩返しとして被災地に行く。恩返しは天災が起きないとできないことなのか?被災地復興のために被災地にかかわる物を購入する方法も復興支援だと思う。自分の場合、直接お礼が言いたいただそれだけ。始めてから10年以上が経過したが立ち上げた相棒との再会がきっかけでブログも更新。10年以上も続けてこれたのは、この方々のおかげである。その方々とはMR.BIG日本を愛する気持ちを行動にする姿勢、これが模範になり続けてこれた。彼らは阪神大震災の翌年、神戸のライブハウスでチャリティ・アコースティック・ライヴを開催。東日本大震災直後、予定通りジャパン・ツアーで来日。仙台公演は中止になったが、盛岡公演は会場を変更しつつもライヴを敢行。被災地を勇気づけた。ありとあらゆるイベントが中止になっていた状況。中止せずに音楽を通じて寄り添う姿勢は感謝しかない。これはミュージシャンの気持ちだけではな成し得ない。マネージャーをはじめとするスタッフの理解と協力がなければできないことである。数年前に行った凱旋ライブはMR.BIGの功績を岩手県民に伝えるものだった。ところが、2018年ドラムのパットが亡くなった。話が前後するが、Freedom Kitchen活動中の2019年2月、生前、パットとビリーだけが演奏する曲があったのでこれに自分と相方の歌をつけて曲として作り上げた。凱旋ライブの報告をベースのビリーに報告したのがきっかけでビリーとのご縁が生まれ、Pat&Billy with Freedom Kitchenとしてビリーに差し上げた。ビリーからのメッセージは自分にとって宝物であり、お守り。ビリーの偉大さはこれだけではない。岩手の友人がパーソナリティーを務めるFM花巻。県民に向けてビリーからのメッセージをFMを通じて届けたいとお願いしたらメッセージを戴くことができた。感謝しかない。ビリーから戴いたこのメッセージを見て震災復興プロジェクトをやり遂げたと思った。ところが、MR.BIG解散発表。それを知って辛くて辛くて。。。最後のライブに行きたかったが行けなかった。武道館ライブの前日、今までのお礼をビリーに送った。ウドー音楽事務所 MR.BIGこのページを見ていただきたい。ウドー音楽事務所、マネージャーTimをはじめとするスタッフの皆様に感謝しかない。やり遂げた震災復興プロジェクト、本当にやり遂げたのか?この動画を見て自分に問う。”ファンと呼びたくない。親しみを込めて友人と呼ばせてください”涙が出た。ライブに行けなかったけど俺も友人の一人と思ってもらえるのかな?どれだけ彼らに支えられたかわからない。それこそ、仕事を作って恩返しをすることはできないだろうか?俺に何ができる??本気で考える。再び出会うことができた相方の力を借りてできないものだろうか。指揮者の同級生の力を借りれないだろうか?などと色々考える。1パーセントの可能性もないかもしれない。だけど諦めたくはない。どうしたらいいか全くわからないが一歩進むためがんばる。長々とここまで読んでくださり、心から感謝いたします。再び会った縁でこのライブに行きます。4月19日土曜日 SWEET & SPICY SPRING LIVE会場17:30 開演 1st /18:00~ 2nd/19:00~是非、お越しください。ライブで彼女の器、想いを感じていただけると幸いです。もう一度、True Happinessを歌う場を作らなければなりません。出会って15年、彼女もそれなりに辛い道を歩み、乗り越え、今があります。歌を聴いていただければ皆様の心の奥まで音楽への想いが伝わることと思います。応援してください!
2025年03月04日
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今回はちょっと角度を変えて母校、栄東高校の話。東大進学やクイズで有名になった栄東高校。後輩達が活躍する姿、なんか、嬉しい。後輩には、県議会議員、市議会議員、大学教授、自分とはかけ離れた世界にいる。東大に進学し、クイズ番組で活躍している後輩見ると、。。。。足元にも及ばない。先輩として自慢できることってあるかな?ん〜 ある!大学進学したわけでもないが、誇りにできることが2つある。それは、東日本大震災が起きたとき、被災地に住んでいたのと世界遺産登録が決まった平泉町に住んでいたこともあり、震災復興活動を立ち上げた。それと玉川温泉の整体師を出版したことだ。玉川温泉は秋田県の山深いところにある。このブログを初めて読んでくださっている皆様は玉川温泉と言われてもピンとこない方が多いと思う。この玉川温泉は命の狭間で闘う方々が全国からお越しになる。2006年から2009年までここで整体師として施術させていただいた。2008年の夏、「先生、あなたは玉川温泉の整体師、家の近くにある整体院の先生とは違うのよ。あなたに会いたくて来てくださる方も多いと思う。あなたの施術を受けて帰ると元気になって闘えるわ」と有難いお言葉を戴いた。そして年が明け、雪の中、とある男性のお客様が亡くなられた奥様の遺言をつたえるためにお越しになった。その遺言がきっかけで本を出版した。施術を通じてお客様とのやりとりを中心に書いている。奇跡の湯 玉川温泉の整体師 余命と向きあう人たちにささげる笑顔の一時間【電子書籍】[ 小川哲男 ]価格:1,400円 (2024/6/22時点)楽天で購入その後、玉川温泉をやめることになり、平泉の自宅で開業。そして震災が起きて震災の影響などで埼玉県に戻り、東京のリラクゼーション店で施術。自分の施術は玉川温泉での経験が基本になっている。栄東高校を卒業して大学に行かなかったてつおはこんな男になった。今や栄東高校は東大合格者の数はものすごく、知名度は全国規模。そんな栄東高校ではあるが6期生として入学した当時は男子校。中学生のとき、塾が東大宮駅前だった。学校の前にあるJRの陸橋を通り、塾に通っていた。時はまだ昭和。まだ歴史がなく進学校を目指していると話をきいた。通るたびになぜか、惹かれていく。公立高校も考えたが栄東に入りたい気持ちがそれを上回る。男子校だったせいかもしれない。きっと先生も男性が多いから腹割った付き合いができるかもと思った。そして晴れて入学。6期生は4クラスしかなかった。学力が高い生徒から1組、2組となり自分は4組。そして入学して早々と勉強合宿があった。この勉強合宿、最初にやらかした。それはいまや高校関係者のみの伝説となっている。 卒業アルバムより一般的に知られている栄東高校の伝説とは、朝と帰りに生徒全員が学校周り2.5kmを走る。正門の脇をずっと走っていくと大宮工業高校が見える。その前に陸橋があり、JR操車場を越えて操車場の脇を走り、正門の前にある陸橋を渡って走るコース。今は東大に入りたい一心で全国から集まっているから、生徒数も増え現実的に無理。在学中にあった荒川土手の20㎞マラソン大会があったが今はだろうなあ。これも伝説かもしれないが、少数の卒業生しかしらない伝説がある!それは、坊主事件である。勉強合宿は長野県佐久市であった。先生は、「トランプなんて持ってくるなよ。みつけたらバリカンだぞ」という。それを聞いて、持って行った ^^;そしたら見事にバレて坊主。今じゃ、ありえないでしょ?その数ヶ月後、また坊主となった。2回も坊主になった生徒は数人しかいない。その1人 笑休み時間、4人が机の各隅に集まる。10円をひとりひとりのせ、順番で指で弾く。そして落ちた10円をゲット。それがみつかり、坊主。東大進学を目指す今の生徒じゃやらないよね。これが6期生。一年の時だったので4組。1-4は熱かったぜ!ところが、どの生徒も先生や学校に恨みをもたない。しかし、これだけは嫌だった。それは暇さえあると草むしりをさせられた。これが一番苦痛。この学校に入る動機、先生と腹を割った付き合いこれは期待を裏切ることはなかった。ゆえに、この様にブログのネタにもなっている。しかし、先生達は大変だった。今の栄東のもとを作り上げた先生だ。教育方針に合わず辞めた先生も多くいらっしゃる。当時の若手の先生は、教育方針と戦っていた。教育とは?指導とは??若い先生達は必死に立ち向かい生徒と接してきた。そんな先生達を生徒たちは好きだった。今、栄東高校で坊主事件や先生との絆を講演会で話をしたら、在校生はどう思うかな?できのわるいバカ代表、てつおである。伝説とまではいかないけど文化祭で三年間連続でバンド演奏をやった。先生達もバンドを組んでステージに立ったんだ。 でも、てつおが一度だけ栄東高校の授業内容に対して、腹が立ったことがある。今わかると大問題になるから内容は伏せておく。2年のときの数学の授業は悔しかった。数学の先生は当時の先生たちを束ねる職種についていた。先生たちはこの先生の教育方針と闘っていたと思う。そのくらいならまだ我慢はできたが当時のてつおは今で言うイジメと戦っていた。いじめを受けていると自分で認めたくないのだが一般的にはそういうだろう。相談することもできた。しかし、解決させるのは当事者である生徒ではなく、先生とその親。正直そいつを、ぶちのめしたかった。こらえて、こらえて、この試練を無駄にするものかと自分にいいきかせた。次第に授業が苦しくなる。クラスの仲間のみどういう状況だったかは知っているがどんなことをされたかはもし、講演会をやらせていただくことがあったらそのときに話をしたい。ここでの説明は避ける。日に日に集中力がなくなり、授業や自宅での勉強ができない。思うように覚えられないのだ。この高校に進学してよかったのか?と正直思った。一年生で坊主、二年、三年はこの環境での死闘。しかし、それを支えてくれたのが、先生とのコミュニケーション。どんなに成績が悪くても先生は落ちこぼれ扱いをしない。だからこそ、あえて先生に助けを求めなかった。親にすら、言っていない。言ってしまうと、自らかした試練が無駄に終わる。知っているのは、二年、三年と同じクラスの生徒だけでいい。大学にいきたいという思いは二年生でなくなった。本当は日大芸術学部の放送学科に入りたかったがそれ以前に勉強ができない状況に陥ってしまった。弁当を休憩中に食われたこともある。授業中にさされたとき、俺をののしることがずっと続く。その中で、一度だけ、殴りかかっていこうと思ったことがあった。それも授業中である。しかし、それをやったらすべてが無駄になるに違いない。たとえ、当事者が悪くても。。。年齢を重ね、同級生を訴えようと思った。そいつも自分と同じように家庭を持ち子供を育て上げただろう。次は俺に責任を取ってもらおうと思ったわけ。年月が経ちすぎたから無理だろうなあ。と思うのだが、もう一人のてつおが頭の中で訴える。そんなことして嬉しいか?裁判をしてまでお金が欲しいのか??このもやもやを解決したのが栄東高校同窓懇談会に出席したおかげだった。大学を諦め、専門学校に進学。その後、音楽機材を輸入する商社に就職したが、父が岩手県に家を購入。家族で岩手に引っ越すことになり、一年もたたないまま退職。しかし、1993年、父の会社が倒産。様々な仕事を経験し、行きついたのが整体師だった。怪我で2003年、入院。リハビリの先生に感銘を受け、リハビリのような仕事は何ができるか模索。そして整体師の道を歩み始めた。まずはリラクゼーション会社に就職。盛岡、花巻の温泉施設で施術をしていた。そして、玉川温泉と隣接するホテルで施術することになった。そこで人生を変える方と出会う。そのお客様を施術したとき、お客様に言われた。「あなた、このままでいるの?私は経営者だけど現役のエスティシャンよ。今でも、すぐやれるわ。あなたも私と一緒でしょ?」その言葉をいただき、即行動!玉川温泉へ直談判。年が明けた4月から玉川温泉で働くこととなった。本を出版後、自宅があった平泉町で開業したが一年後、東日本大震災が起きる。仮設住宅に住まれている方、仮設住宅を作る為に他県から来てくださった作業員さん、そしてお身内や友達を亡くされた方、様々なお客様を施術させていただいた。 自分の家も破壊されたが幸いにして普通に暮らせることができた。しかし、母と次女が入院しなければならない状況になってしまった。母をこのままにしておくと命の保証はない。手術できるのは仙台と盛岡。自宅から100kmさきである。そんな状況下の中で震災復興プロジェクトを立ち上げた。詳しくは以前のブログを見ていただきたい。生まれ故郷の埼玉県にもどり、即、母と次女を病院へ。無事、母の手術はうまくいき、次女は入院しなくていいと言われた。そして埼玉に戻ってきたことを栄東高校の先生にご挨拶を兼ね報告。一年生のときの担任の先生、二年、三年の時の担任の先生に挨拶することができた。2人の担任の先生は、栄東から埼玉栄高校と栄中学校におられたので栄高校の図書館に本を置いていただいた。そして母校、栄東高校に挨拶に行き、在学中に化学を担当されていた先生が教頭をされていてお会いすることがかなった。栄東高校にも本を置かせていただいた。その数年後に画期的なことが起きた。それは、先に書いた同窓懇談会である。たしか、できたのは2016年だったかなあ??栄東高校同窓会栄東高校OB、OGが一年に一回集まって酒を飲むイベント。このイベントに先生も来てくださる。そして後輩にも会える。辞められた先生もお越しになり、栄東高校に行ってよかったと実感できるイベントだ。卒業してから恩師に会って酒が飲めるなんて、なんて幸せな学校なのだろう。先生に、「てつお!本良かったぞ。次の本はいつ出すんだ?」この言葉を戴いて涙が止まらなかった。三年間の高校生活の苦しさが先生からいただいた言葉で体が浄化されたかのようだった。その言葉で2,3年の時の辛さは先生の言葉で報われた。栄東高校は東京大学に入る為の予備校的高校ではない!熱い熱い先生達が作り上げてきた高校である。その教え子たちが教師として栄東高校の今を支えている。こんな素晴らしい学校は全国にどのくらいあるだろう。震災プロジェクトをやり遂げた今、母校に恩返しをしなくてはならない。同窓会に出席したことがきっかけで考えていて、こんなことをコロナ禍前に思いついて相談しに母校へ行った。それはブラスバンドとコーラス部とのコラボレーションだ。この動画を見て感動して思いついた。STYX in Concert With the Contemporary Youth Orchestra吹奏楽部とコーラス部で同じステージで演奏。場所など確保できれば前向きに検討するとお言葉を戴いた。動画はSTYXだが、実はゲストで読んでほしい方がいらっしゃる。それはMR.BIGのベーシスト、ビリーシーンを。何を途方もないことを!と思われると思うだろうがまじなのです。私がやってきたプロジェクトは音楽を通じて命の大切さを訴え、支援のお礼を伝える活動をしてきた。2017年、岩手に戻り、凱旋ライブ。この時演奏したのがMR.BIGの曲。MR.BIGの功績を岩手県民に伝えるのが目的だった。MR.BIGは震災直後の4月に岩手県民会館でのライブを予定していた。ありとあらゆるイベントが中止になる中、彼らは中止にしなかった。岩手県民会館が使えなかったので盛岡市民会館に場所を変えてライブを決行。どれだけ感謝したか計り知れない。彼らは少しでも力になりたい一心でライブを行った。ビリーに凱旋ライブの報告とともに被災地への支援のお礼を伝えたらありがたいことにお返事を戴けた。こんなハートフルなミュージシャンがいるだろうか?日本のミュージシャンではありえない。ビリーはコロナ禍の中、岩手に向けてメッセージを送ってくださった。このご縁で知り合ったMR.BIGのビリーシーンをゲストによび、栄東高校スペシャルミュージックイベントをやりたい。自分も演奏に参加すれば栄東高校の在学生と卒業生が一緒にできる企画になる。Mr.Bigの曲を演奏してほしい。ビリーシーンを呼ぶとなると多くの方々の応援とご理解がないとできない。栄東高校の卒業生として佐藤栄学園の歴史に携わるために考えた企画。どうかお力を貸していただきたい。宜しくお願いいたします。【送料無料】BIG FINISH LIVE(国内流通盤)[2SACD Hybrid]/MR.BIG[HybridCD]【返品種別A】価格:5,413円(税込、送料無料) (2024/9/3時点) 楽天で購入
2024年09月03日
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ブログって何なんだろう一言で言ったら日記なのだから書きたいように書けばいい。それはわかってはいても書けない。整体の仕事から離れた生活。次女を大学卒業させるために必死なてつおパパ。唯一の現実逃避は音楽ではなくランニング。そんな日がずっと続いていた。2月にこんなことがあった。築地に行く予定で立ち寄ったのが銀座。スカイラインが見たいなあと思って日産ショールームへ。スカイラインはなかった。違う車になんと、ピアノが付いてる!お〜!弾いている方の演奏を聴いていたら日産のおねーさんが話しかけてきた。音楽活動しているときに車のバッテリーから電源を取って楽器につなぎ、外で演奏した思い出話をしたら、弾いてください!と。まともに数年弾いていないと話をしたら、演奏していた方が終わった。すかさずおねーさんが、空きましたのでお願いします!弾いてください!体が自然と動いてしまった。ジョンレノンのイマジンを即興演奏。そしたら、人がたくさん集まってきた。弾きながらやばい、見たら緊張すると思ってまわりは見ない (⌒-⌒; )多くの拍手をいただき、ステージいや、車から降りた。久しぶりに緊張した。弾いた後、思わず言ってしまったのが片言の英語でWelcome to Japan. Thank you Touhoku support.と、伝わっているかわからない適当英語でしゃべってしまった。そして築地へ。知人に言われたのが、もう一度、本を書きなさい(年上です)。今は無料で本が書ける時代よ。本を書くための題材はそろっているじゃない。やるしかないでしょ?以前、栄東高校の同窓懇談会に出席したとき、先生に、次の本はいつでるんだ?楽しみにしてるぞ。と有難い言葉を戴き、涙がこぼれた。また同じ言葉を戴いた。ありがたくてありがたくて感謝しかない。そして春になり、次女の大学のお金を払った。あともうちょっとで卒業だ。長男、長女も元気に仕事をしている。そんな長女と次女からプレゼント。長女はドーナツ、次女はケーキ。ドーナツは仕事に持っていき、休憩中に食べた。ケーキは帰宅後に食べた。疲れた体に最高のプレゼント。元気が出た。まだ嬉しいことが続く。父の日。娘2人と居酒屋へ。酔ってしまった。。。居酒屋の後はサーティワンでご馳走してくれた。ラムレーズン、ミントチョコは最高!!これで行動しなきゃ子供たちに申し訳ない。音楽活動も出筆も復活させなくてはならない。もちろん、整体もだ。今まで自分の活動はいつもこの楽天ブログとともにある。ブログ更新だ!今までのてつおを改めて紹介しようと思う。さっき、イマジンを弾いたと書いた。音楽活動においてすべてはここから始まった。Freedom Kitchenを始動する前の時の一発録り。オリジナル曲のイメージを損ねずこんな素晴らしい曲に仕上がった。でも、スペル間違えたり動画編集は全くダメだった。このVoとずっとと活動していきたいとは思ってもそんな簡単にはいかない。というのは、整体の仕事を始めたばかりだった。音楽ができる余裕がなかった。2006年、玉川温泉で働くことができ、お客様を通じて知り合ったのがFreedom Kitchen初代のVocal。秋田県のイベントで演奏したりしたが、Voは青年海外協力隊となってアフリカへ。音楽活動ができなくなった。この楽天ブログを始めたのも2006年あたりだったと思う。仕事に集中し、多くのお客様を施術させていただいた。2008年3月、雪の降るこの時期に東京からお越しくださったお客様。お客様の奥様が本を書いてほしいと伝えてと言って亡くなられた。亡くなられたお客様の遺言、命を懸けられたこの言葉、なんとしてでもやり遂げようと心に決めた。2009年11月30日、玉川温泉の整体師発売。奇跡の湯 玉川温泉の整体師 余命と向きあう人たちにささげる笑顔の一時間【電子書籍】[ 小川哲男 ]価格:1,400円 (2024/6/22時点)楽天で購入しかし、玉川温泉で働くことができなくなり、自宅があった平泉で開業。岩手の放送局や新聞社のお力を借りして出筆活動も続けられた。講演会の仕事を戴くこともできたが2011年3月11日 東日本大震災 陸前高田第一中学校へボランティア施術に行ったことがきっかけで震災復興プロジェクトを立ち上げた。亡くなられた皆様の魂を音楽の力で残したい。曲をCDにして被災者に差し上げる活動をはじめた。自分も被災者なのに変な話でもある。でも、役に立ちたかった。この曲のVoを務めたのがFreedom Kitchen2代目Voでこの楽天ブログで知り合った。でも、このVoとも長続きしない。しかし、活動は岩手県の中で知れ渡る。この活動に感銘してくださった岩手日報社の方が記事にして新聞に掲載された。問題を抱えながらも活動は進んでいく。そこに追い打ちのように問題が起きる。母の心臓手術と次女の検査入院が必要だった。二人を盛岡か仙台に入院させれる環境ではなかった。埼玉に引っ越すことが決まった後、新聞を見てくださった岩手県立図書館から震災資料としてCDを送ってほしいと電話があった。この電話がきっかけで被災者に向けての活動から支援してくださった皆様にお礼を伝える活動に変わった。今までの活動は遺族の方から親切の押し売りと思われても仕方がないが、この岩手県立図書館からの電話のおかげでこの悩みが解決。全国の図書館にCDを送り、利用される方々とスタッフの皆様に被災地支援のお礼を伝えることができた。活動は日本だけではなく世界に住む皆様へと大きくなっていった。 詳細は以前のブログを見ていただけたら有難い。新たなVoが入ってはすぐやめていく。まるでやるべきことをやり、去っていった感じ。3代目、4代目とVoが変わったが素晴らしい活動をしてくれた。どちらも岩手凱旋ライブで歌ってくれたのだ。4代目は岩手でMr.Bigの曲を歌ってもらい、Mr.Bigの日本への貢献を岩手の音楽仲間に伝えることができた。そしてドラマー、パットが亡くなった一年後にビリーへ送った動画を一緒に作ってくれた最高の相方だった。そしてイベント昭和歌謡ナイトを最後にやめた。コロナ禍の中でビリーのご家族や仲間の方々の安否は大丈夫かなと思って連絡したら大丈夫と返信してくださった。ダメもとで岩手県民に向けてメッセージが欲しいと伝えたらメッセージを戴けた。そのメッセージを岩手でFMパーソナリティーを務める親友に託したがそれが流されたかどうかは不明だ。ファンひとりのメッセージに誠意をもって対応したビリーシーン。心から感謝してもまだ感謝しきれない。この戴いたメッセージをもって、震災復興プロジェクトは終わった。次へのステップ、それが整体、ライター、ミュージシャンの活動を再開すること。活動を再開することこそが自費出版ではなく本を出せたことへの責任を果たすことではないだろうか。このブログ同様に応援してくださる方々がいらっしゃる。そのお気持ちに応えるためにがんばります。応援してください。オリジナル曲 溜息Sakura Impostorまだ咲かぬ花歩き出せ
2024年06月22日
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なんかいいネタないかなあと思い数ヶ月。ふと浮かんだネタが今日の本題。平泉で開業してた時、数回足を運んでくださるとうちのじいさんとばあさんのファンになる方もたくさんいらっしゃった。通って下さったお客様はこのブログを通じて元気でやっているかを確認している。そんなお客様に向けてのネタが本日のブログ。何を煮たの?と、ばあさんに聞いたら、私の親戚。 と。。???どういうこと?と尋ねたら、ガンコ!がんこという魚だそうだ(⌒-⌒; )相変わらずのばあさん、冴えてる。そのばあさんがほえた。てつお!事件!!おとうさんの財布が盗まれた〜郵便局にいったとき、置き引きにあったみたい。財布には免許証が。。財布を盗まれそこに免許証が入っていたらしい。これでは運転できないので休みを使い、じいさんを乗せて免許センターへ。無事手続きを済ませたじいさん。しかし、イマイチ元気がない。その後、楽器の部品を買うために本庄市のハードオフ。じいさん、店の中をうろちょろ。スピーカーに一目惚れし、3500円で購入。今度はじいさんがわめいた。てつお!スピーカーから雑音がでる!壊れてた。。なげくじいさん。。動作チェック開始!まずはスピーカーからコードを外し、別のスピーカーに接続。すると同じ雑音が。。と言うことはハードオフで買ったスピーカーが原因ではない。次にアンプの配線を確認。赤いコードが二本つながっているのがわかると思うが上の方の赤いコードが外れていた。専門用語でいうとアースが取れていなかった。繋ぎなおしたら問題はなかった。素晴らしいサウンドを3500円(ペア)のスピーカーは奏でていた。いい休みを過ごせたてつお。そして、翌日、運転席の下に財布発見!!!お騒がせじいさん、ホッとする。(⌒-⌒; )そんなじいさん、かなりほっとしたのかその日の夜、こんなことを言った。朝に薬。夜も薬。寝る前も薬。。俺の1日は薬三昧。でも、俺の仕事は病気にならないこと。と、、!!最高の一言を残したじいさん!とても素晴らしい!10数年前も今も小川家の様子はなんら変わりないことがわかっていただけたと思う。ではてつおの近況報告。やっと涼しくなりランニング復活。あるイベントに参加した。ピンクリボンオンラインウォーク&ラン in 埼玉毎年10月は乳がん月間。施術していない今、こんな企画をみつけ参加。ピンクリボン運動 をご存じの方は多くおられると思うが自分が知ったのは IBC岩手放送 の番組に出演したのがきっかけだった。本を出版し、地元新聞社、岩手日報社の朝刊に出させていただき、その後IBC岩手放送の取材を受けた。取材に来てくださったのは奥村 奈穂美 アナウンサー奥村アナウンサーにピンクリボン運動を教えてくださった。そして取材を受けた数日後、盛岡の岩手医大へ。岩手医大の中にある一室が岩手のピンクリボン運動の事務局になっていることを教えてくださったので奇跡の湯 玉川温泉の整体師をもっていった。以前、ブログにも書いたけど、岩手県民のために頑張ってくださいとお言葉をいただき、その言葉もきっかけになって震災復興プロジェクトを立ち上げた。すべての最初の一歩がピンクリボン運動にこの本を届けたこと。そして施術できなくてもランニングを通じて縁を持てたのが何よりも嬉しかった。施術。。。復活できるかどうかわからない。リラクゼーション店にまた勤務という形は絶対にしない。なぜなら、今、働いているところはコロナで生活できない環境から救って下さったところ。そこを辞めて再度リラクゼーション店で施術する選択肢はないんだ。しかし、どんな方法で復活できるかわからないけど、前向きな気持ちでいることは前回のブログを見ていただけるとわかっていただけると思う。
2023年10月21日
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先月のランニングし時、14kmあたりで蹴躓いてすっころんだ。肋骨が大きい振動のときに痛む。やばいと思って病院へ。骨には異常がなかった。しかし、大きく息をしたり、咳、くしゃみ、ちょ-辛い。その一週間後、痛みはいくらか落ち着いた。やっぱ走りたいなあ。。長い距離を走らなくてもいいから軽くランニング。テーマはゆっくり走る。これがなかなか難しい。仕事でもそうだけどゆっくりって難しいない??バンド演奏もゆっくりでシンプルな曲ほど難しい。ゆっくりとおおらかに!ちょーむずい!♪( ´θ`)ノ でも、なんかいい経験してる。仕事でもそうだけどゆっくり合わせるって今までやったことがなかった。視野が広くなったかなあと何気に実感。この痛み、楽になるまで2週間(くしゃみしても痛くない)。3週間経つとうつ伏せができるようになった。ランニングは毎週欠かさず走る。暑くなると走れなくなっちゃうから無理もしちゃう。そんな一か月だったのだけど、嬉しいことがあった。長女が仕事の帰りを待ってていて「パパ〜❤️ 温泉に行こう!」と。。二人で温泉へ。なんて幸せな父親なんだろ。てつおパパ最高!清算のとき、娘は自分が誘ったのだからとお金をだしたが勿論、俺がだした。これはどこのパパも同じようにしたことだと思う。いい思い出になった。このランニングって不安な時に走るとなぜか、心がスッキリする。新たな試みに挑戦し始めた時にすっころび、そんな中でも走ることをやめず続けた。それを見てた長女が気を使ってくれて、すごく元気をもらった感じ。不安より、気合がかかった。その新たな試みとはYouTubu広告!今まで力を入れて自分が書いた本を売り込むことをしてこなかった。考えても方法が浮かばない。そこで考えたのがYouTube広告。自分らしさを大切にしながら、どのようにアピールしたらいいか悩んだ。かといって一般的な広告にはしたくない。ランニングした後、温泉に行くのが楽しみだったのだがその温泉の露天風呂でくつろいでいるときに、アイデアが浮かんだ。お金を払っているのだから自由はきく。だったら今までできなかったことを広告を使って発信しよう。それが新たな試みである。広告は5秒!そのあとの時間は 笑・・ まず見ていただきたい。広告はランダムに出してくれる。すると、何ができるか。震災の支援のお礼を伝えることができる!!今まではライブなどのイベントを通じてお礼を伝えていたがこれならば全国に住んでいる皆様にお礼が伝えられる。やっとやりたいことができた。予想以上に広告をスルーしないで見てくださる方が多数!!感謝感謝。ずっと続けていきたい気持ちがネックになるのは広告費。一週間に一日夜のみと決めた。同じ広告を出していくのでは脳がない。てつおらしさ、てつお’sワールド復活!広告を岩手でやっていたコラムをそのまま動画でやろうと思いついた!広告はうざい!と誰もが思っていることだと思う。自分もその一人。ならば見てて楽しめる広告を始めようと広告二回目を制作。がんばって続けていきたい。もうちょっと広告費が出せれたらなあ・・・・奇跡の湯 玉川温泉の整体師 余命と向きあう人たちにささげる笑顔の一時間【電子書籍】[ 小川哲男 ]楽天Kobo電子書籍ストア
2023年07月20日
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ご無沙汰してました。色々あって数ヶ月が経ってしまった。20年近く続けていてやめようと思ったこともあったのだけど今回は「何を書いたらいいのか」それがわからなくなってしまった。肩に力を入れずいつものスタンスで書けばいいのに書く気力が起きない。震災復興プロジェクトも自分が目標にしていたこと成し遂げることができた。コロナの影響で施術を辞めてしまい、目標を失っていた。ほんと、何を書いたらいいのだろう。。寒いダジャレを書く気もおきないし。。と数ヶ月放置。ふとそんなとき数日前のこと、10年以上ほっぱらしにしていたことを思い出した。それはプロフィール変更。2009年11月30日に本を出版してそれが電子書籍になった。amazonで販売させていただくことができ、プロフィール欄を書いたのだけど2012年8月に引っ越していながら変更するのを忘れていた。岩手県平泉町に住んでいたままになっていたわけです。これはまずい!!変更しました。一番困ったのは写真。。これは講演会やった時のを使った。これが一番しっくりするかなって感じ。Amazon著者プロフィールこんな感じです (;^_^A 今と比べると髪の毛が多い・・これを書き終えて思ったのは焦るのをやめようってこと。数回施術の依頼があってやってはきた。必ず業界に戻る!という思いはなく、声がかかったら施術させて頂くことができたことがほんと、ありがたい。諦める必要は全くないと実感と改めて思った。スマホのアプリで施術者登録できるのがあるみたい。これには登録しておかなければいけないなあ。この著作者プロフィールを書き終えてブログ更新のネタとなりました。あと、もう一つ。これは書かなきゃまずいと思っていたネタ、それはMR.BIGが終わるということ。去年の2月28日のブログ、ロシア軍人の気持ちを書いたときにメンバーのビリーから戴いたメッセージをのせた。震災直後の4月、彼らは岩手県民会館でライブを予定していたが震災の影響で県民会館は使えない。場所を盛岡市民会館に変えてライブは行われた。ありとあらゆるイベントが中止になる中でキャンセルしないで行われたMR.BIGのライブ。ファンとして心から感謝した。 感謝を行動に移し、岩手に戻ってFreedom Kitchen凱旋ライブを行った。目的は岩手の音楽仲間たちにMR.BIGの功績を伝えること。ギターが弾けないので鍵盤でギターパートを弾いてMR.BIGの曲を演奏した。その報告をベーシストのBilly Sheehanに報告をしたらなんと返事を戴くことができた。これがきっかけで連絡をすることができるようになり、コロナ禍の岩手にむけてメッセージを戴きたいとお願いしたら快くいただくことができてブログに載せさせていただいた。MR.BIGのメンバーたちは日本のファンのおかげと思ってくださっているだろうけど自分にしてみたら諦めないことの大切さを改めて教えてくださったのがMR.BIGなのです。そのMR.BIGのラストツアーが決まった。MR.BIG 「The BIG Finish FAREWELL TOUR」このブログを見てくださった皆様、MR.BIGの日本への功績を知っていただければありがたいです。これは東日本大震災のみならず阪神、熊本地震の時も行動されています。どれだけ日本に貢献しているか計り知れない。玉川温泉では生き抜く皆様の強い気持ちを肌で感じ、MR.BIGからは諦めないことの大切さを学んだ。そしてこの感謝の気持ちをこのブログに書くことでブログが復活。読んでくださってありがとうございます。
2023年05月13日
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急に寒くなった今日この頃。庭のダリアが咲きだした。 外に咲いているダリアを家で生けた。イケてる??さらに寒くなったかもしれない。。ま、、いつものてつおだ。てつおの優しさは花の元で折れてしまったのをコップにつけて生けた。これならば、ほのかなぬくもりを感じてくれるかな?ほのかな温もり、寒さを世間に提供している自分が温まった。それは息子がご馳走してくれた。子供3人一緒って数年ぶりかもしれない。俺も歳をとり、子供が食べさせてくれるようになった。前よりも食べる量、減ったかも (^◇^;) だって、もやしの高さ、前より低くなった(⌒-⌒; )自分と同世代のお父さん、お母さん、まもなく子育てが終わるだろう。大学に通う子供を卒業させるまで必至だ。ましてや、東北では東日本大震災で家を失い、コロナで仕事を失った方もいらっしゃるに違いない。たかがラーメンだけど子供がご馳走してくれるだなんて親にしてみればこれ以上の幸せはないと思う。次女が卒業したら急に老けるのかなあと思ったりもした。ある意味、震災復興プロジェクトをやり遂げた今、目標を失ったからこそ思うことかもしれない。ところが、ふとしたことでその思いが消えた。毎週、東京へ行く用事があり銀座へ。銀座で用事を済ませた後、次に向かう先は東銀座。歌舞伎座についたらそのそばにいわて銀河プラザある。おおっ!!すぐ中に入った。も〜な懐かしい!かもめの卵買った!! 平泉のかりんとう饅頭はなかった。しかし、トロイカのチーズケーキがある。トロイカは北上市にあるロシア料理の店。数回行ってボルシチとチーズケーキを食べた。30年近く前だ(;^_^Aまるで岩手県が癒してくれたかのようだった。 住んでいた平泉、ご存じのように世界遺産登録の街。俺の動画まだあるのかな?と思って検索したら、なんと、、残っていた。感謝感謝の岩手日報社!こんな小さな形ではあるが岩手への想いが今もなお続けられている。そして今も売られている本、この経験のおかげで岩手日日新聞社のコラムを書いたり講演会やライブ活動もできた。奇跡の湯 玉川温泉の整体師 余命と向きあう人たちにささげる笑顔の一時間【電子書籍】[ 小川哲男 ]価格:1400円 (2022/10/8時点)楽天で購入小さな目標がこのおかげで生まれた。それは整体師、ライター、音楽活動の復活。細々でもいいからこれができるように準備開始。岩手にいたときはこのように住んでいる皆様に貢献できる活動を再開するのが俺の目標である。この報告はかなり先になるかもしれないが見守っていてほしい。
2022年10月08日
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久しぶりの投稿になってしまった。子供の成長を感じ喜んでいたここ数か月ではあったが、体調の不調と闘い続けていた。体力が落ちたのだなあと実感。6月、20歳となった次女。小川家に未成年はいなくなった。そして長女は自動車免許取得。あとは次女が大学を卒業したら親としての実務が終わる。まだまだ頑張らなきゃならない。整体、リラクゼーションの道を離れて1年半。おかげで安定した生活ができるようになった。これには感謝しかない。でも、一年を過ぎると一緒に入社した仲間が次から次へと辞めていく。仕方ないかもしれないがやっぱり寂しい。やめる理由はそれぞれ違うだろうけど、腹をくくって働く意義ってわかっているのかな?とどうしても思ってしまう。震災やコロナの影響前からずっと闘い挑んでいた顧客確保。待っているだけでは仕事は生まない。しかし、今の仕事になってから毎日数トンの仕事量をこなし、間に合わなければ残業。仕事が準備されていることがどれだけ有難いことか。仕事に限らず何でもそうなのだけど、自分を必要とされいることを実感できるって最高の幸せだと思う。一年過ぎてそう思って取り組んでいたのはいいのだけど、体はとても素直。だまして仕事はできない。片頭痛と左肩、関節きわの痛み、これがなかなかよくならなかった。整体師てつお、ん~~~~残念。自分の体を揉めない。そして今は施術から遠ざかっている。。。。😢今まで一緒に働いていた仲間のところへ行こうかとは思ったのだけど何かその気にならない。ん~~~どうしよう。。つらい。。。。近所のリラクゼーションへ行くのならこいつにやってもらおう!と思ってラインをした。何年も会っていないし、喧嘩別れと言ってもいいかもしれない状況。でもやはり、一緒になって取り組んできた相方に体をゆだねたい。相方??とこのブログを読んでくださる皆様はお思いだろう。その相方とは震災復興プロジェクトを立ち上げ支えてくれたVocalist! 折笠仁美。相方との再会によって体調が戻った。改めて紹介しよう。出会ったときはOLだったが、人体について深く理解をするために鍼灸師の道を目指し千葉県野田市、流山市、埼玉県春日部市近郊を拠点に活動している。音叉セラピーとの出会いが彼女の人生を変えるものになった。まずはホームページを見てもらいたい。訪問ホリスティック鍼灸マッサージ-美仁-よしひと、とは読まず、びじんと読む!!笑 名前の付け方さすがというか・・・ 名前が仁美だからね (;^_^A 俺のダジャレにはおよばないだろう 笑)ま、それはよしとして数年ぶりに彼女が開業している野田にむかった。第一印象は凛々しい!確かに出会った時と比べて、いいおばちゃんだが、角が取れたというかとても清々しさがある。案内されてソファーに座ったら、頭がポ~~~として今までのムラムラがす~~~と抜けていった。これには自分でも「何で??」と思うほど驚いた。正直なところ、目を合わせたとき俺はにっこり微笑むことができるのか?と思うほどだった。それがソファーに座った瞬間、すべてがリセット。おばさんパワーってすごいね。あ、違うか。これは多くの壁を乗り越えてきたからこそ発するオーラかも。その辺のリラクゼーション店で働くおねーさんには出すことができないミラクルパワーである。心が癒された後、施術してもらった。イケイケガンガンパワフル系ではないから気になった方、そこを求めてはいけない。この音叉セラピーも受けたが、この説明はなんとも難しい。鐘が発する音が体を包み込んでいく。巷で「これを飲むと血液サラサラよ」と聞いたことがあると思う。血液は体の中にあるものだから実感なんて難しい。血液サラサラとはこういうことなのか?と思うほど体が軽く感じ。まるでマイナスイオンいっぱいの森の中にいたような感覚。悩み事と闘っている方には最高かもしれない。一応、元プロとして言うならばと、この鐘の奏でる音がこの施術のすばらしさではなく仁美の施術、ある意味、技術力をこの音叉が醸し出しているのではないだろうか。そんな施術であった。気になった方、まずはソファーに座ってゆっくり休もう (笑) そのあとに施術を受けるのがてつおのオススメである。久しぶりにゆっくり話ができた。相変わらず行動的でお灸のイベントもやったりコロナ禍であっても歌い続けているようだ。この施術によって肩はだいぶよくなったが片頭痛がいまひとつ。仁美ワールドは野田では終わらない。次に松戸へお灸のイベントに参加した。見てもらいたいこの写真。 頭にお灸するてつおである。まじにこれで片頭痛がよくなったのよ。だがまだ物足りない。片頭痛、肩はよくなった。あと、ひとつ、俺に必要な処方箋、それは歌声。不定期ではあるものの歌っているところがある。大宮の Acoustic House Jam彼女が歌っている店に行き、久しぶりに生き生きとした歌声を聴くことができた。5年以上前に見たジャズライブとは大違い。飾らないストレートなジャズを歌う。今まで数回見たステージの中で断トツに一番いい!壁を乗り越え自分が輝く場所を築いたのだなあと実感した。彼女と初めて会ったのは2010年4月に初めて講演会を新宿で行った時に来てくれた。そして一緒に曲を作ることになり、その夏、花巻でライブをやった。そのあとは務めている会社での仕事が忙しく、なかなか活動ができなかった。そして翌年、東日本大震災。陸前高田第一中学校へボランティア施術に行ったのがきっかけで音楽を通じた震災復興プロジェクトを立ち上げようと考え、その気持ちを彼女に伝えた。亡くなられた皆様の魂を曲にして被災者に差し上げる活動を開始。その活動は岩手日報社に取り上げられた。いわば、彼女の歌がなければ震災復興活動は始まらなかった。お披露目ライブを北上市で行い、フラダンスのイベントに招待され、北上市さくらホールでライブを行った。このさくらホールでのライブ、とても素晴らしく、フラダンスの皆さん全員がコーラスに参加してくださり感動して弾きながら涙が出てしまった。しかし、お互いに環境変化に耐えられずさくらホールでのライブ以降、一緒に活動はしていない。Freedom Kitchenは活動を続けられてもVocalは変わっていった。去年なんて、歌はうまいのに志や態度が気にいらず辞めさせてしまった。2017年の岩手凱旋ライブを行ったが当時のVocalさくみと出会う前にMr.Bigのカバーライブをやるから歌ってほしいと誘ったが断られた。これだけではなく、数回ほど誘ってすべてダメ。当時、彼女自身も体調や自分の取りめく環境と闘い続けていたようだ。そして今の折笠仁美となった。彼女のベースはジャズ。ジャズがお好きな方、大宮のお店に行って歌声を聴いてもらいたい。何か曲はないの?と思った方!!ありがとう。震災前に作った二曲。 溜息 Sakura ImpostorジャズベースのVocalが歌うポテンシャル、震災前に作った曲で質もそんなよくないけど感じることができたらうれしい。Mr.Bigの楽曲を歌わせたらいいと思わない??(笑)以上が元相方との再会であった。幸せはこれだけではなかった。「小川さんが施術できる場所を用意しておくよ」とありがたいお言葉をいただいた。また読者の方からは、「お久しぶりです。昨日、図書館で検索したら小川さんの本、武蔵境の図書館にあるようで驚きました。前に買ったけどまた読もうかな」と連絡があった。玉川温泉の整体師 新たな仕事を取り組み、「もう俺は施術することはない」と思っていたのだけど諦めるという必要はないかもしれない。諦めるのではなく、常に前向きに考えたほうが今まで自分を支えてくださった方々に対して感謝の証。本の出版、震災復興プロジェクト、様々な経験は貴重な財産。財産は自分のものだけではない。支えられてきたものだから無駄にしてはならい。諦めることはやめよう。ずっと追い続けたいと思う。また、本を出版したい!施術もしたい!また、ライブをやりたい!今の仕事を続けていたい!常に追い続け、また皆様とお会いできる日に向けてつおは取り組みます。
2022年09月03日
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先日、母校、栄東高校の先生と同級生が活躍する場へ足を運んだ。3年ぶりとなった同級生が指揮するブラスバンドのコンサート!熱かった!特にパーカション!ちょーいい!ビブラフォンが音を刻み、グロッケンがメロディーを奏でる。うっとりして聴いてた。あと、フルートとクラリネットとのユニゾン(一緒に旋律を弾くこと)、うっとりパート2!コロナでできなかったことを自分より先に同級生がやり遂げた。仲間たちの結束と力強さには頭が下がる。会場は埼玉会館。2003年頃だったかな?妹がこの会場で日本舞踊の発表会に出た。もう一度これてよかったなあ。そして、その帰りに寄ったのが恩師の書道のイベント。先生はラグビー日本代表の練習ユニホームをデザイン!先生とお会いする前、岩手からもどった2012年。恩師が栄高校に移られたので埼玉栄高校と母校栄東高校に自分が書いた本を持って行った。数年後、同窓懇談会が始まり、先生にお会いした時、「すばらしかった!!次の本はいつ出すんだ??」なんて言ってくださり、涙があふれてあふれて大変だった。毎年お会いするたびに言ってくださる。その先生が自分の書道で結果を出した。そして先生と一緒にパチッ!俺、細くなったでしょ??笑そっちかー?!(⌒-⌒; )ま、それはいいとして、栄東は熱いぜ!大学進学のすごさは全国に届いているが同級生、卒業生、先生はこうして生き生きとした姿でコロナ禍と向き合っている。オツムだけじゃない。ハートだぜ!ハート!!後輩は市議会議員になったり、県議会議員選挙に挑んだり、常に自分に目標を掲げ挑む卒業生。自分は・・・・・実は、、、仕事場でギックリ腰をやってしまった。。。。離れた所にお茶をいっぱい入れ、その上に今川焼をおく冗談きつい母親。 腰が痛くて座ったままでは届かない。よっこいしょ!と立って触わると熱い!やっと手前に持ってくると、濡れた今川焼。。。は~~~、この野郎・・・熱いから持てないのでお茶に口をちかづけようとしたら、いてぇ!!!このくそばば、こんなことできるのは親だけだ。その夜、ロキソニン飲んでシップして寝たら、朝楽だった。トイレで痛みなく手が届く。それから約二か月、ここまでよくなった。90分ひたすら真っ直ぐ走るをテーマに川越まで行くことができた。なんとか3年前の体調に戻すことができた。 整体師を辞めて一年。同級生、後輩、先生にはかなわないけど、俺を拾ってくれた会社に感謝を込めてアマリリスをプレゼント。玉川温泉、自宅開業のとき、東京の店舗で施術しているとき、常に花を生けていた。仕事が変わっても食堂にも置かせてもらっている。玉川温泉の時に出会ったダリア。岩手県雫石にある無人販売で購入したダリア。この品種がなかなかわからず、見つけたのが町田ダリア園。台風19号で折れてしまい終わってしまったダリア。今年になってやっと買いに行くことができた。町田のダリア園に球根を買いに行くと息子に話したら、乗せていく。1000円でどう??と言われ、契約成立 (;^_^A 息子はそのまま帰り、自分は上野へ。上野駅で長女と待ち合わせ、立ち飲み。長女が自動車免許取得できたのでそのお祝い。上野は店長として働いていたところ。その上野で俺を癒やしてくれた店に娘を連れて行った。ここは同級生と再会を果たした所でもある。鶏皮、塩で!という娘。そのあと、長女と一緒に次女が働くバイト先に行ってケーキを購入。次女の働く姿を見ることもできてちょっと涙ぐみそうになったなあ。。まだまだパパ仕事は終わってない。同級生、後輩、先生を見習ってがんばろ。
2022年05月24日
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警察のお世話になった。。写真を撮られ、奥の部屋へ。30分何も言わずに自分を見つめ直さなければならない。そして30分後、出て良い!と言われ外へ。そして名前を呼ばれた。帰っていいようだ。しかし、また5年後これを持って来いという。なんと、綺麗に写してくれたステキなカード。以前より首が長くなっている!!笑笑 若い!! 無事、30分少々で免許更新終了。こんなアホなことを書いている場合ではない。もうすぐ震災の日を迎え、ブログに何を書こうか考えていた。まずはビリーからのメッセージをお伝えしなければならない。全世界がコロナと闘う中、岩手県民に向けてMr.BigのBilly Sheehanがメッセージを送ってくださった。以前のブログでこの事を書いたが震災の日を迎えるので、読んでいただきたい。本当に素晴らしい方。心から尊敬する。あと、冬季オリンピックのことを書こうと思っていたが、それはやめてウクライナに侵攻したロシアのことを書こうと思う。ロシア軍は被災地で多くの命を救って下さった。第1陣75名が3月14日に到着。16日の2陣は80名も来てくださり宮城県石巻市で活動。しかし、これはどういうことか。命って一体、なんだろう。国があっての命。ロシア軍人は国の為に命を捧げている。この侵攻を見て震災直後に被災地を取材していた記者の思いを思い出した。平泉の自宅で開業してたとき、疲れを癒すために来て下さったこの記者の方は悔しい思いを訴えた。手を伸ばせば助かる命、しかし、手を出さずカメラを握りしめている。その悔しさを涙を流し話していた。その後、7月に陸前高田第一中学校にボランティア施術に行き、津波で無くなった街を直に見た。 何か自分にできないのか。と考える日が続く。そして震災復興プロジェクトを立ち上げた。そして岩手を離れる数日前にライブをすることが決まり、この記事を書いてくれたのが彼だった。この記事のおかげで今に至るまでプロジェクトを続けてこれたと言っても過言ではない。この記事を読んだ岩手県立図書館担当者が震災資料としてCDを送ってほしいとの依頼。これがきっかけとなり、全国の図書館、アメリカ、カナダ、イギリス、メキシコの日本人学校に送った。プロジェクトは支援してくださった皆様へ感謝を伝える活動となり、被災地の図書館このCDを送り、音楽を通じて命のありがたさを行動で伝える活動となった。この北上で初めてやったライブに来てくださった方が、三陸の海を見せたいとおっしゃってくださった。自家用機に乗らしていただき、三陸海岸へという予定だったが雨で乗れなかった。乗せていただく予定の飛行機の横にNHKのヘリ。管理している空港担当者の方が、NHKの記者の方々、ヘリから降りて泣いていました。命を助けず上から見てると。ウクライナに侵攻したロシア軍。中には被災地に来てくださり命を救ってくれた方がいるに違いない。ロシア軍の方々は新聞記者、NHKの記者同様にこの矛盾と闘いながら戦っているのだろうか。ロシアもウクライナも被災地に支援してくださった。1日でも早く終わってほしい。
2022年02月28日
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今回のブログ更新、出だしは俺の写真 (^◇^;)。。。 ちょっと目的があって写真を撮ったのだが、、こんなに痩せていたとは正直思わなかった。これは数年前。腹が…いいステージだったけど、もうちょっと痩せていたら結構イケていたかも (;^_^Aないない。今までのジーパンは必要ないと思い、今まで使っていた愛着あるジーパンと履かなくなった靴を売ってきた!!てつおの覚悟!もう、太らない 笑笑 待っていたときに見つけたのがこれ。 なんと500円!別に破れていたわけではない。よく見ると、縫い目が青紫! オシャレ〜 でも、リーバイスファンが見たらこれは駄作なのかなあ。。そんなこんなしていると名前を呼ばれた。売価340円(^_^;) こんなもんかあ。そしてもう一度着直し。売ったジーパンはサイズ34。先日購入したのは32。さてこれは???ちょっとキツくても着れた!購入決定!レジへ。 「ありがとうございます!440円です」 !(◎_◎;) ʕʘ‿ʘʔ 「本日まで衣料品2割びきとさせていただいております」 なんと、負担金100円で生まれ変わった。 これは仕事とランニングの恩恵か!? 腹がへこむとやはりランニングのタイムはよくなった。あと、仕事の疲れが次の日に残らない。これはありがたい。大宮の氷川神社へお礼参りをするのが目的でランニングをしたのだが、去年の今頃ではこのタイムでは無理。信号待ちをしているときタイムは止めていないからだいぶ進歩したかもしれない。 お礼参り、二年間お願いしていたことが報われた。感謝感謝。大宮公園の紅葉がきれいだったよ。。。走った11月30日、この日は人生を変えた日でもある。2009年11月30日、本を出版。 奇跡の湯 玉川温泉の整体師 余命と向きあう人たちにささげる笑顔の一時間【電子書籍】[ 小川哲男 ] でも今は整体師をやっていない。自分で今の仕事を選択したのだから悩んではいない。 ただ、自費出版ではなく本を出せた責任を果たしているか?と考えると悩んでしまう。 コロナだから仕方ないのはわかっていても、現在もこの本は電子書籍で販売されている。 氷川神社の神様にお礼を伝え、今の気持ちを話した。 自分に求められるのは日々精進。1日1日を大切に生きていくことしかない。 時が解決するとはその日々精進していくなかで答えが生まれるのかもしれないなあ。自分ができる感謝、今の自分にとって何よりも有難いのはコロナ禍で仕事がみつかったこと。家族の協力のもと、自分を支えてくださっている職場の皆さんを家に招き食事会をした。この大トロを市場で買い、寿司に。まぐろ、ブリ、アジ、タイ、ツブ。そして小川家定番自家製餃子。 そして、最後を飾ったのはアップルパイ! 春巻きの皮を使ったこれ、パリッ、ジュッわ〜。どの料理も好評だった。 みんなに感謝。
2021年12月03日
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子供3人のワクチン接種2回が終わった。安堵。。これで家族全員ワクチン接種完了。この頃の小川家だが、長男は就職し、この頃は残業する日が増えた。コロナがだいぶ落ち着き、長女と次女は学校に行き、帰るとバイトと教習所。娘二人が免許をとれば爺さんの運転回数が減るだろうなあ・・平日は家に爺さんと婆さんしかいない今日この頃でヒューテック農園(ただの畑 (;^_^A)ででできた野菜が家計を助けてくれている。去年もその前も変わらず畑があるおかげでかなり助かった。この頃ちょっと変わったことといえば娘二人が台所に立つ日が増えた。二人同時はさすがに少ないがバイトのない日はどちらかが台所に立って手伝っている。その台所に立つ姿を見ると俺も老けたなあって思うてつお。これが自家製さつまいもを使って次女が作ったケーキ。これを肴にウイスキーロック!!太る???やっぱりそう思うよね。また走らなきゃなあ・・・翌日、走った。。さっきのは次女作だけど、こっちは長女が作ったミネストローネ。本日のブログは娘の成長ネタになってしまった。ではまじな話をしよう。これもヒューテック農園でできた野菜の炒め物。先日、友達に唐辛子をあげた。そしたら、「唐辛子、チョーうまかったです!!塩コショウで炒めた後に鰹節と醤油をかけたら最高でした!娘が食べたいと言ってきましたが今日は俺だけだと言って食わせませんでした 笑 」嬉しかった~ それを聞いて作ったのがこの唐辛子炒め。奥様を亡くされ、子供二人を育てている。仕事から帰ると夕食の準備をするそうだ。自分は離婚で子供を育てているが彼は死に別れ。おいしかったです!!と話をしているときに涙が出てきてしまった。涙が出た理由はもう一つあって、玉川温泉時代を思い出してしまった。当時は施術を通じて多くの出会いが生まれ、お客様から戴いた遺言のおかげで本を出版することができた。このコロナウイルスにより、施術することはなくなってもこうやって近所に住む友達が野菜を通じて喜んでもらえることができている。先が見えない環境でもこうやって喜ばれながら生きていける、こんな幸せはないだろう。涙が出たのはそんな思いからであった。そしてこの一週間考えていたのは、施術する姿が本来のてつおとは限らない??コロナ禍では、また施術できる日が来るまでがんばろう!!という気持ちで日々暮らしていたのだが、この一週間はそう考えるのを辞めた。コロナ禍は新たに歩む道をみつける時期だったかもしれないと思う日が増えた。かといって今までやってきた施術を捨てたというわけではない。ひょっとしたらまた施術できるかもしれない。「前向きに生きる!」というポジティブな考え方を友達や娘を通じて自分が学んだ一週間でもあった。必死に一人でも多く来客数を増やそうと必死に取り組んできた20年。もう焦る必要はなくなった。あるがままに生き、一人でも多くの方々の笑顔をプロデュースすることこそ、これから歩む我が道であろう。
2021年10月26日
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誰もが通る壁、受験。そして次は自動車免許。 我家では長男が免許取得し1年ちょっと経つ。ついに娘ふたりまで自動車免許取得に挑戦。子供三人すべてが車を運転するとなんか、老いを感じるなあ・・・「あの教官は嫌だった」という思い出、多くの皆様がお持ちであろう。もちろん自分もそんな思い出がある。今回のブログは教習所をめぐっての会話。 苦手な教官がいるようで「行きたくなーい 行きたくなーい」と駄々をこねていた長女。「ねえ、休んでいいでしょ?」と、長女は私に言うが「行け!!」なんて言わない。行こうと行くまいと自分で判断すればいい。娘は「行かなくていいよ」という言葉を待っていたようだが。。。予約の時間まで2時間ちょっと。長女、次女、私、3人が郵便局や荷物の配送手続きなどで用事があり、娘二人を車に乗せ出かけた。私の裏心は「このまま教習所に載せていけば間に合う!」用事を済ませ娘二人が「スタバに行こう!」というのでスタバへ。予約時間まであと90分。長女は、「このままスタバへ行けば予約時間には間に合わない」と思ったようだ。そんなこと読めないてつおパパではない (笑)案の定、長女は「ねえ、パパ~~ 行かなくてもいいでしょ??」と言ってきた。にんまり笑うてつお。そして予約時間20分前に店を出る。「パパ、無理だよ。いいよ無理しないで。。。」 てつおは気合が入った。79.5FM NACK5 GOGOMONZ を聴きながら運転。そのときラジオから流れていた曲が薬師丸ひろ子Woman”Wの悲劇“ ♬ もう 行かないで そばにいて ~~ ♬なんというタイミング!!次女は大爆笑!そして教習5分前、教習所到着!!てつおは「急げ!!!」とわめく。無事、教習を受けることができたようだ。長女帰宅後、「今日の教官、優しくて良い方だった・・・」と。。。どの教官も怖い人ばかりではないのはわかっていてもまた同じ教官にあたるのが嫌。皆様も教官(共感)できた話だったと思います。寒・・・・Tokyo2020終わりました。前回のブログで日本語を英語にし、Google翻訳を使って世界諸国の言葉に直したものを載せました。その文章ですが、世界諸国のメディアに送ったのです。そしたらなんと、コロンビアの放送局 Telemedellin 社からPDFファイルにして手紙を戴くことができました。感謝感謝です。世界に住む皆様に支援のお礼を伝えるという目標はこれでやり遂げることができました。あとひとつだけやり残していることがあります。それは岩手県民へMr.Bigのビリーシーンさんから戴いたメッセージを届けることです。友達がMCを務めるFM ONE。友達の声を通じ、ビリーのメッセージが届いたとき、震災直後から始めた震災復興プロジェクトTrue Happinessは終了です。これからの音楽活動はコロナがおちつき次第、再開します。ライブ活動再開したら、是非、お越しください。
2021年09月14日
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コロナ禍でのオリンピック。本日よりパラリンピックだね。無観客という今までにないオリンピック。コロナ禍だからこそ感じることも多々あった。Tokyo2020が始まる前と開催中に世界の放送局に連絡した。サッカー会場になった宮城スタジアム。震災から甦った日本、そして宮城スタジアムがある利府を見てほしい。皆様からの支援がなければ開催することはできなかった。ありがとう。このような文章を書いて国民の皆様に伝えてほしいと連絡。コロンビアの放送局から返事を戴くことができた。英語すら喋れない自分がこんなことをして伝わるのか?と思っても1%の可能性があるのならやってみよう!Google翻訳を使って数十か国の放送局に連絡した。その1%の可能性。それに応えてくださったのがコロンビアのTelemedellin社だった。感謝!これで終わりにしていいのか?と考える日が2週間。いつも俺を支え続けてくれたブログ。ここにGoogle翻訳を使って書けば検索に引っ掛かり各諸国に住む皆様に伝わるのではないだろうかと思った。施術を受けたいと検索してこのブログを見つけ、電車賃かけて来てくださった多くの皆様。この楽天ブログは整体師になってからずっと自分を見せる場としていつもそばにいた。もう一度、自分を支えてもらいたい。以下の文章は日本語を英語にしてGoogle翻訳を使って世界諸国の言葉に直したもの。酷い文章だなあって思うかもしれないけど心に届くといいなあ。英語Hello, My name is Tetsuo Ogawa. I live in Saitama prefecture. The Summer Olympics Tokyo Games have ended. The Paralympics will be held from today. The Olympic is a beautiful celebration of athletes and people in the world coming.In addition to sports, Tokyo2020 has a role to play. It is to show Japan that has revived from the 2011 earthquake. It has been decided that the venues for the Olympic Games will be held in Fukushima and Miyagi. Miyagi Stadium becoming the venue of the soccer is in Rifu-Town.Rifu-Town suffered big damage by the Great East Japan Earthquake, too.Rifu-Town immediately after the earthquake. Rifu ← clickI wanted everyone in the world to come to Japan. I wanted you to see the resurrected Rifu and Japan. However, Tokyo2020 at COVID-19 pandemic was a tournament that conveys gratitude as well as excitement. We appreciate your support for the recovering of those areas. Without your contribution we could never have these events there. Thank you to all the players for their excitement. And thank you to all the people living in the world for supporting Japan. I lived in Hiraizumi-town, Iwate, but moved in Saitama under the influence of an earthquake disaster.As a victim of the disaster, I have been working to thank everyone in the world for their support. I made a song right after the earthquake. Then I made this song into a CD and sent it to the victims, libraries all over the country, and Japanese schools in various countries around the world. I thought this song might be useful for Corona, so I uploaded it to YouTube again. Please listen. True HappinessI'm sorry in strange English. Thank you for reading.Thank you so much all the people.フランス語Bonjour, je m'appelle Tetsuo Ogawa. Je vis dans la préfecture de Saitama.Les Jeux olympiques d'été de Tokyo sont terminés. Les Jeux Paralympiques auront lieu à partir d'aujourd'hui.Les Jeux olympiques sont une belle célébration des athlètes et des personnes du monde à venir.En plus du sport, Tokyo2020 a un rôle à jouer. C'est pour montrer le Japon qui s'est réveillé après le tremblement de terre de 2011.Il a été décidé que les sites des Jeux Olympiques se tiendraient à Fukushima et à Miyagi.Le stade Miyagi devenant le lieu du football se trouve dans la ville de Rifu.La ville de Rifu a également subi de gros dégâts lors du grand tremblement de terre de l'est du Japon.Rifu-Ville immédiatement après le tremblement de terre. Rifu ← cliquez surJe voulais que tout le monde vienne au Japon. Je voulais que vous voyiez le Rifu et le Japon ressuscités.Cependant, Tokyo2020 lors de la pandémie de COVID-19 était un tournoi qui exprime la gratitude ainsi que l'enthousiasme.Nous apprécions votre soutien pour la récupération de ces zones. Sans votre contribution, nous ne pourrions jamais avoir ces événements là-bas.Merci à tous les joueurs pour leur enthousiasme. Et merci à toutes les personnes vivant dans le monde de soutenir le Japon.J'ai vécu dans la ville de Hiraizumi, Iwate, mais j'ai déménagé à Saitama sous l'influence d'un tremblement de terre.En tant que victime de la catastrophe, j'ai travaillé pour remercier tout le monde pour leur soutien.J'ai fait une chanson juste après le tremblement de terre.Ensuite, j'ai fait de cette chanson un CD et je l'ai envoyée aux victimes, aux bibliothèques de tout le pays et aux écoles japonaises dans divers pays du monde.J'ai pensé que cette chanson pourrait être utile pour Corona, alors je l'ai à nouveau téléchargée sur YouTube. S'il vous plaît écoutez.Le vrai bonheurJe suis désolé dans un français étrange. Merci pour la lecture.Merci beaucoup à tous les gens. スペイン語Hola, mi nombre es Tetsuo Ogawa. Vivo en la prefectura de Saitama.Los Juegos Olímpicos de Verano de Tokio han terminado. Los Juegos Paralímpicos se celebrarán a partir de hoy.Los Juegos Olímpicos son una hermosa celebración de los atletas y la gente del mundo que viene.Además de los deportes, Tokyo2020 tiene un papel que desempeñar. Es para mostrar a Japón que ha revivido del terremoto de 2011.Se ha decidido que las sedes de los Juegos Olímpicos se llevarán a cabo en Fukushima y Miyagi.El estadio Miyagi que se convierte en la sede del fútbol se encuentra en Rifu-Town.Rifu-Town también sufrió grandes daños por el Gran Terremoto del Este de Japón.Rifu-Town inmediatamente después del terremoto. Rifu ← haga clic enQuería que todos en el mundo vinieran a Japón. Quería que vieras al Rifu resucitado y a Japón.Sin embargo, Tokyo2020 en la pandemia de COVID-19 fue un torneo que transmite gratitud y emoción.Agradecemos su apoyo para la recuperación de esas áreas. Sin su contribución, nunca podríamos tener estos eventos allí.Gracias a todos los jugadores por su entusiasmo. Y gracias a todas las personas que viven en el mundo por apoyar a Japón.Viví en la ciudad de Hiraizumi, Iwate, pero me mudé a Saitama bajo la influencia de un terremoto.Como víctima del desastre, he estado trabajando para agradecer a todos en el mundo por su apoyo.Hice una canción justo después del terremoto.Luego hice esta canción en un CD y se la envié a las víctimas, bibliotecas de todo el país y escuelas japonesas en varios países del mundo.Pensé que esta canción podría ser útil para Corona, así que la subí a YouTube nuevamente. Por favor escucha.Felicidad verdaderaLo siento en español extraño. Gracias por leer.Muchas gracias a toda la gente. ポルトガル語Olá, meu nome é Tetsuo Ogawa. Eu moro na prefeitura de Saitama.Os Jogos Olímpicos de Verão de Tóquio terminaram. As Paraolimpíadas serão realizadas a partir de hoje.A Olimpíada é uma bela celebração da vinda de atletas e pessoas de todo o mundo.Além dos esportes, o Tokyo2020 tem um papel a cumprir. É para mostrar ao Japão que se recuperou do terremoto de 2011.Foi decidido que as instalações dos Jogos Olímpicos serão realizadas em Fukushima e Miyagi.O Estádio Miyagi tornando-se a sede do futebol está na cidade de Rifu.A cidade de Rifu também sofreu grandes danos pelo Grande Terremoto do Leste do Japão.Rifu-Town imediatamente após o terremoto. Rifu ← cliqueEu queria que todo mundo viesse para o Japão. Eu queria que você visse o Rifu e o Japão ressuscitados.No entanto, Tokyo2020 na pandemia COVID-19 foi um torneio que transmite gratidão e também entusiasmo.Agradecemos seu apoio na recuperação dessas áreas. Sem a sua contribuição, nunca poderíamos ter esses eventos lá.Obrigado a todos os jogadores por seu entusiasmo. E obrigado a todas as pessoas que vivem no mundo por apoiarem o Japão.Eu morava na cidade de Hiraizumi, Iwate, mas me mudei para Saitama sob a influência de um desastre de terremoto.Como vítima do desastre, tenho trabalhado para agradecer a todos no mundo por seu apoio.Fiz uma música logo após o terremoto.Então eu fiz essa música em um CD e enviei para as vítimas, bibliotecas em todo o país e escolas japonesas em vários países ao redor do mundo.Achei que essa música poderia ser útil para Corona, então a carreguei no YouTube novamente. Por favor escute.Felicidade verdadeiraSinto muito em um português estranho. Obrigado por ler.Muito obrigado a todas as pessoas. アラビア語مرحباً ، اسمي تيتسو أوغاوا. أعيش في محافظة سايتاما.انتهت دورة الألعاب الأولمبية الصيفية في طوكيو. ستقام الألعاب الأولمبية للمعاقين اعتبارًا من اليوم.الأولمبي هو احتفال جميل بالرياضيين والأشخاص القادمين من العالم.بالإضافة إلى الرياضة ، طوكيو 2020 لها دور تلعبه. إنه لإظهار اليابان التي استعادت إحيائها من زلزال 2011.تقرر أن تقام ملاعب الألعاب الأولمبية في فوكوشيما ومياجي.أصبح ملعب مياجي مكانًا لكرة القدم في مدينة ريفو.تعرضت مدينة ريفو لأضرار جسيمة بسبب زلزال شرق اليابان الكبير أيضًا.ريفو تاون فور وقوع الزلزال. Rifu ← انقرأردت أن يأتي الجميع في العالم إلى اليابان. كنت أريدك أن ترى Rifu المقامة من بين الأموات واليابان.ومع ذلك ، طوكيو 2020 في جائحة COVID-19 كانت بطولة تعبر عن الامتنان وكذلك الإثارة.نحن نقدر دعمك لاستعادة تلك المناطق. بدون مساهمتك ، لم نتمكن من إقامة هذه الأحداث هناك.شكراً لجميع اللاعبين على حماستهم. وشكرا لجميع الناس الذين يعيشون في العالم لدعمهم اليابان.عشت في بلدة هيريزومي ، إيواتي ، لكنني انتقلت إلى سايتاما تحت تأثير كارثة زلزال.كضحية للكارثة ، كنت أعمل على شكر الجميع في العالم على دعمهم.لقد صنعت أغنية بعد الزلزال مباشرة.ثم قمت بتحويل هذه الأغنية إلى قرص مضغوط وأرسلتها إلى الضحايا والمكتبات في جميع أنحاء البلاد والمدارس اليابانية في مختلف البلدان حول العالم.اعتقدت أن هذه الأغنية قد تكون مفيدة لـ Corona ، لذا قمت بتحميلها على YouTube مرة أخرى. إستمع من فضلك.السعادة الحقيقيةأنا آسف بلغة عربية غريبة. شكرا لقرائتك.شكرا جزيلا لكم جميع الناس. ロシア語Привет, меня зовут Тецуо Огава. Я живу в префектуре Сайтама.Летние Олимпийские игры в Токио завершились. С сегодняшнего дня будут проводиться Паралимпийские игры.Олимпийские игры - это прекрасный праздник для спортсменов и людей со всего мира.Помимо спорта, Tokyo2020 играет определенную роль. Это показать, что Япония возродилась после землетрясения 2011 года.Решено, что места проведения Олимпийских игр пройдут в Фукусиме и Мияги.Стадион Мияги, ставший местом проведения футбола, находится в городе Рифу.Рифу-Таун тоже пострадал от Великого Восточно-Японского землетрясения.Рифу-Таун сразу после землетрясения. Rifu ← щелкнитеЯ хотел, чтобы все в мире приехали в Японию. Я хотел, чтобы вы увидели воскресшего Рифу и Японию.Тем не менее, Tokyo2020 во время пандемии COVID-19 был турниром, который вызывает как благодарность, так и волнение.Мы ценим вашу поддержку в восстановлении этих территорий. Без вашего вклада у нас никогда не было бы этих мероприятий.Спасибо всем игрокам за их волнение. И спасибо всем людям, живущим в мире, за поддержку Японии.Я жил в городе Хираидзуми, Иватэ, но переехал в Сайтаму под влиянием землетрясения.Как жертва катастрофы, я работаю, чтобы поблагодарить всех в мире за их поддержку.Я написал песню сразу после землетрясения.Затем я записал эту песню на компакт-диск и разослал ее жертвам, библиотекам по всей стране и японским школам в разных странах мира.Я подумал, что эта песня может быть полезной для Corona, поэтому снова загрузил ее на YouTube. Пожалуйста, послушай.Настоящее счастьеПрошу прощения на странном русском. Спасибо за чтение.Большое спасибо всем людям. イタリア語Ciao, mi chiamo Tetsuo Ogawa. Vivo nella prefettura di Saitama.Le Olimpiadi estive di Tokyo sono terminate. Da oggi si terranno le Paralimpiadi.L'Olympic è una bellissima celebrazione di atleti e persone nel mondo in arrivo.Oltre allo sport, Tokyo2020 ha un ruolo da svolgere. È per mostrare al Giappone che si è ripreso dal terremoto del 2011.È stato deciso che le sedi dei Giochi Olimpici si terranno a Fukushima e Miyagi.Lo stadio Miyagi che diventa la sede del calcio si trova a Rifu-Town.Anche Rifu-Town ha subito gravi danni dal grande terremoto del Giappone orientale.Rifu-Town subito dopo il terremoto. Rifu ← cliccaVolevo che tutti nel mondo venissero in Giappone. Volevo che tu vedessi il risorto Rifu e il Giappone.Tuttavia, Tokyo2020 alla pandemia di COVID-19 è stato un torneo che trasmette gratitudine ed eccitazione.Apprezziamo il vostro sostegno per il recupero di quelle aree. Senza il tuo contributo non potremmo mai avere questi eventi lì.Grazie a tutti i giocatori per il loro entusiasmo. E grazie a tutte le persone che vivono nel mondo per aver sostenuto il Giappone.Ho vissuto nella città di Hiraizumi, Iwate, ma mi sono trasferito a Saitama sotto l'influenza di un terremoto.Come vittima del disastro, ho lavorato per ringraziare tutti nel mondo per il loro sostegno.Ho fatto una canzone subito dopo il terremoto.Poi ho trasformato questa canzone in un CD e l'ho inviata alle vittime, alle biblioteche di tutto il paese e alle scuole giapponesi in vari paesi del mondo.Ho pensato che questa canzone potesse essere utile per Corona, quindi l'ho caricata di nuovo su YouTube. Per favore ascolta.Vera felicitàMi dispiace in italiano strano. Grazie per aver letto.Grazie mille a tutte le persone. ドイツ語Hallo, mein Name ist Tetsuo Ogawa. Ich lebe in der Präfektur Saitama.Die Olympischen Sommerspiele in Tokio sind beendet. Ab heute finden die Paralympics statt.Die Olympischen Spiele sind ein wunderschönes Fest der kommenden Sportler und Menschen auf der ganzen Welt.Neben dem Sport spielt Tokyo2020 eine Rolle. Es soll Japan zeigen, das sich vom Erdbeben von 2011 erholt hat.Es wurde beschlossen, dass die Austragungsorte der Olympischen Spiele in Fukushima und Miyagi stattfinden werden.Das Miyagi-Stadion, das zum Austragungsort des Fußballs wird, befindet sich in Rifu-Stadt.Auch Rifu-Town erlitt durch das Große Erdbeben in Ostjapan große Schäden.Rifu-Stadt unmittelbar nach dem Erdbeben. Rifu ← klickIch wollte, dass jeder auf der Welt nach Japan kommt. Ich wollte, dass Sie das auferstandene Rifu und Japan sehen.Tokio2020 bei der COVID-19-Pandemie war jedoch ein Turnier, das sowohl Dankbarkeit als auch Aufregung vermittelt.Wir danken Ihnen für Ihre Unterstützung bei der Wiederherstellung dieser Gebiete. Ohne Ihren Beitrag könnten wir diese Veranstaltungen dort nie durchführen.Vielen Dank an alle Spieler für ihre Begeisterung. Und danke an alle Menschen auf der Welt, die Japan unterstützen.Ich lebte in Hiraizumi-Stadt, Iwate, zog aber unter dem Einfluss einer Erdbebenkatastrophe nach Saitama.Als Opfer der Katastrophe habe ich daran gearbeitet, allen auf der Welt für ihre Unterstützung zu danken.Ich habe direkt nach dem Erdbeben ein Lied gemacht.Dann habe ich dieses Lied zu einer CD gemacht und es an die Opfer, Bibliotheken im ganzen Land und japanische Schulen in verschiedenen Ländern auf der ganzen Welt geschickt.Ich dachte, dieser Song könnte für Corona nützlich sein, also habe ich ihn noch einmal auf YouTube hochgeladen. Bitte hör zu.Wahre FröhlichkeitEs tut mir leid in fremdem Deutsch. Vielen Dank fürs Lesen.Vielen Dank an alle Leute.オランダ語Hallo, mijn naam is Tetsuo Ogawa. Ik woon in de prefectuur Saitama.De Olympische Zomerspelen in Tokio zijn afgelopen. De Paralympische Spelen worden vanaf vandaag gehouden.De Olympische is een prachtige viering van atleten en mensen in de wereld die eraan komen.Naast sport heeft Tokyo2020 een rol te spelen. Het is om Japan te laten zien dat het herleeft na de aardbeving van 2011.Besloten is dat de locaties voor de Olympische Spelen worden gehouden in Fukushima en Miyagi.Miyagi Stadium wordt de locatie van het voetbal in Rifu-Town.Rifu-stad heeft ook grote schade opgelopen door de grote aardbeving in Oost-Japan.Rifu-stad direct na de aardbeving. Rifu ← klikIk wilde dat iedereen in de wereld naar Japan zou komen. Ik wilde dat je de herrezen Rifu en Japan zou zien.Echter, Tokyo2020 tijdens de COVID-19-pandemie was een toernooi dat zowel dankbaarheid als opwinding uitstraalt.We waarderen uw steun voor het herstel van die gebieden. Zonder uw bijdrage zouden we deze evenementen daar nooit kunnen houden.Bedankt aan alle spelers voor hun enthousiasme. En dank aan alle mensen die in de wereld leven voor het steunen van Japan.Ik woonde in de stad Hiraizumi, Iwate, maar verhuisde naar Saitama onder invloed van een aardbevingsramp.Als slachtoffer van de ramp heb ik gewerkt om iedereen in de wereld te bedanken voor hun steun.Ik heb een liedje gemaakt vlak na de aardbeving.Daarna maakte ik van dit lied een cd en stuurde het naar de slachtoffers, bibliotheken in het hele land en Japanse scholen in verschillende landen over de hele wereld.Ik dacht dat dit nummer misschien wel handig zou zijn voor Corona, dus heb ik het opnieuw geüpload naar YouTube. Luister alstublieft.Echt gelukHet spijt me in vreemd Nederlands. Bedankt voor het lezen.Heel erg bedankt alle mensen. ギリシャ語Γεια σας, με λένε Tetsuo Ogawa. Ζω στο νομό Σαϊτάμα.Οι Ολυμπιακοί Αγώνες του Τόκιο ολοκληρώθηκαν. Οι Παραολυμπιακοί Αγώνες θα διεξαχθούν από σήμερα.Ο Ολυμπιακός είναι μια όμορφη γιορτή των αθλητών και των ανθρώπων στον κόσμο που έρχονται.Εκτός από τον αθλητισμό, το Tokyo2020 έχει να διαδραματίσει έναν ρόλο. Είναι για να δείξει στην Ιαπωνία που αναβίωσε από τον σεισμό του 2011.Αποφασίστηκε ότι οι χώροι για τους Ολυμπιακούς Αγώνες θα διεξαχθούν στη Φουκουσίμα και το Μιγιάγκι.Το γήπεδο Miyagi που γίνεται ο χώρος του ποδοσφαίρου είναι στο Rifu-Town.Η Rifu-Town υπέστη επίσης μεγάλες ζημιές από τον μεγάλο σεισμό της Ανατολικής Ιαπωνίας.Rifu-Town αμέσως μετά τον σεισμό. Rifu ← κλικIθελα όλοι στον κόσμο να έρθουν στην Ιαπωνία. Iθελα να δείτε το αναστημένο Ριφού και την Ιαπωνία.Ωστόσο, το Tokyo2020 στην πανδημία του COVID-19 ήταν ένα τουρνουά που μεταφέρει ευγνωμοσύνη αλλά και ενθουσιασμό.Εκτιμούμε την υποστήριξή σας για την ανάκαμψη αυτών των περιοχών. Χωρίς τη συμβολή σας δεν θα μπορούσαμε ποτέ να έχουμε αυτές τις εκδηλώσεις εκεί.Ευχαριστώ όλους τους παίκτες για τον ενθουσιασμό τους. Και ευχαριστώ όλους τους ανθρώπους που ζουν στον κόσμο για την υποστήριξη της Ιαπωνίας.Έζησα στην πόλη Hiraizumi, Iwate, αλλά μετακόμισα στο Saitama υπό την επίδραση μιας καταστροφής από σεισμό.Ως θύμα της καταστροφής, εργάζομαι για να ευχαριστήσω όλους στον κόσμο για την υποστήριξή τους.Έκανα ένα τραγούδι αμέσως μετά τον σεισμό.Στη συνέχεια, έκανα αυτό το τραγούδι σε CD και το έστειλα στα θύματα, τις βιβλιοθήκες σε όλη τη χώρα και τα ιαπωνικά σχολεία σε διάφορες χώρες του κόσμου.Νόμιζα ότι αυτό το τραγούδι μπορεί να είναι χρήσιμο για τον Corona, οπότε το ανέβασα ξανά στο YouTube. Ακου σε παρακαλώ.Αληθινή ευτυχίαΛυπάμαι σε περίεργη ελληνική γλώσσα. Ευχαριστούμε που το διαβάσατε.Ευχαριστώ πολύ όλους τους ανθρώπους. スウェーデン語Hej, jag heter Tetsuo Ogawa. Jag bor i Saitama prefektur.Sommar -OS i Tokyo har slutat. Paralympics kommer att hållas från och med idag.OS är ett vackert firande av idrottare och människor i världen som kommer.Förutom sport har Tokyo2020 en roll att spela. Det är att visa Japan som har återupplivats från jordbävningen 2011.Det har beslutats att platserna för de olympiska spelen kommer att hållas i Fukushima och Miyagi.Miyagi Stadium blir fotbollsplats i Rifu-Town.Rifu-Town led också stora skador av jordbävningen i Great East Japan.Rifu-Town omedelbart efter jordbävningen. Rifu ← klickaJag ville att alla i världen skulle komma till Japan. Jag ville att du skulle se det uppståndna Rifu och Japan.Tokyo2020 vid COVID-19-pandemin var dock en turnering som förmedlar tacksamhet och spänning.Vi uppskattar ert stöd för återhämtningen av dessa områden. Utan ditt bidrag skulle vi aldrig kunna ha dessa evenemang där.Tack till alla spelare för deras spänning. Och tack till alla människor som lever i världen för att ni stöttar Japan.Jag bodde i staden Hiraizumi, Iwate, men flyttade till Saitama under påverkan av en jordbävningskatastrof.Som offer för katastrofen har jag arbetat för att tacka alla i världen för deras stöd.Jag gjorde en sång direkt efter jordbävningen.Sedan gjorde jag den här låten till en CD och skickade den till offren, biblioteken över hela landet och japanska skolor i olika länder runt om i världen.Jag trodde att den här låten kan vara användbar för Corona, så jag laddade upp den till YouTube igen. Snälla lyssna.Sann lyckaJag är ledsen på konstig svenska. Tack för att du läste.Tack så mycket alla människor. トルコ語Merhaba, benim adım Tetsuo Ogawa. Saitama vilayetinde yaşıyorum.Yaz Olimpiyatları Tokyo Oyunları sona erdi. Paralimpik Oyunları bugünden itibaren yapılacak.Olimpiyat, dünyadaki sporcuların ve insanların güzel bir kutlamasıdır.Spora ek olarak, Tokyo2020'nin oynayacak bir rolü var. 2011 depreminden dirilen Japonya'yı göstermektir.Olimpiyat Oyunları mekanlarının Fukushima ve Miyagi'de yapılmasına karar verildi.Miyagi Stadyumu futbolun oynandığı yer haline geliyor Rifu-Kasabasında.Rifu-Kasabası da Büyük Doğu Japonya Depremi'nden büyük zarar gördü.Depremden hemen sonra Rifu-Town. Rifu ← tıklayınDünyadaki herkesin Japonya'ya gelmesini istedim. Yeniden dirilen Rifu'yu ve Japonya'yı görmenizi istedim.Ancak Tokyo2020, COVID-19 pandemisinde heyecanın yanı sıra minnettarlığı da aktaran bir turnuva oldu.Bu alanların geri kazanılması için desteğiniz için teşekkür ederiz. Sizin katkınız olmasaydı bu etkinlikleri orada asla yapamazdık.Heyecanları için tüm oyunculara teşekkür ederiz. Ve Japonya'yı desteklediği için dünyada yaşayan tüm insanlara teşekkür ederim.Iwate, Hiraizumi kasabasında yaşadım, ancak bir deprem felaketinin etkisi altında Saitama'ya taşındım.Felaketin kurbanı olarak, dünyadaki herkese destekleri için teşekkür etmek için çalışıyorum.Depremden hemen sonra bir şarkı yaptım.Sonra bu şarkıyı bir CD'ye dönüştürdüm ve kurbanlara, ülkenin dört bir yanındaki kütüphanelere ve dünyanın çeşitli ülkelerindeki Japon okullarına gönderdim.Bu şarkının Corona için faydalı olabileceğini düşündüm, bu yüzden tekrar YouTube'a yükledim. Lütfen dinle.Gerçek mutlulukGarip bir Türkçe dilinde özür dilerim. Okuduğunuz için teşekkürler.Tüm insanlara çok teşekkür ederim. タイ語สวัสดี ผมชื่อเท็ตสึโอะ โอกาวะ ฉันอาศัยอยู่ในจังหวัดไซตามะโอลิมปิกฤดูร้อนที่โตเกียวเกมส์สิ้นสุดลงแล้ว พาราลิมปิกจะจัดขึ้นตั้งแต่วันนี้โอลิมปิกเป็นการเฉลิมฉลองที่สวยงามของนักกีฬาและผู้คนในโลกที่จะมาถึงนอกจากกีฬาแล้ว Tokyo2020 ยังมีบทบาทให้เล่นอีกด้วย เพื่อแสดงให้เห็นว่าญี่ปุ่นฟื้นจากแผ่นดินไหวในปี 2554มีการตัดสินใจว่าสถานที่สำหรับการแข่งขันกีฬาโอลิมปิกจะจัดขึ้นที่ฟุกุชิมะและมิยางิสนามกีฬามิยางิที่กลายเป็นสถานที่จัดการแข่งขันฟุตบอลอยู่ในเมืองริฟุRifu-Town ได้รับความเสียหายอย่างมากจากแผ่นดินไหว Great East Japan เช่นกันRifu-Town ทันทีหลังจากเกิดแผ่นดินไหว ริฟุ ← คลิกฉันอยากให้ทุกคนในโลกมาญี่ปุ่น ฉันต้องการให้คุณเห็น Rifu ที่ฟื้นคืนชีพและญี่ปุ่นอย่างไรก็ตาม โตเกียว 2020 ในช่วงการระบาดของ COVID-19 เป็นการแข่งขันที่แสดงถึงความกตัญญูและความตื่นเต้นเราขอขอบคุณที่คุณสนับสนุนการกู้คืนพื้นที่เหล่านั้น หากปราศจากการสนับสนุนของคุณ เราก็ไม่สามารถมีกิจกรรมเหล่านี้ที่นั่นได้ขอบคุณผู้เล่นทุกคนสำหรับความตื่นเต้นของพวกเขา และขอขอบคุณทุกคนที่อาศัยอยู่ในโลกที่ให้การสนับสนุนประเทศญี่ปุ่นฉันอาศัยอยู่ในเมืองฮิราอิซูมิ อิวาเตะ แต่ย้ายไปไซตามะภายใต้อิทธิพลของภัยพิบัติแผ่นดินไหวในฐานะเหยื่อของภัยพิบัติ ฉันได้ทำงานเพื่อขอบคุณทุกคนในโลกที่ให้การสนับสนุนฉันทำเพลงทันทีหลังเกิดแผ่นดินไหวจากนั้นฉันก็ทำเพลงนี้เป็นซีดีและส่งให้กับเหยื่อผู้เคราะห์ร้าย ห้องสมุดทั่วประเทศ และโรงเรียนญี่ปุ่นในประเทศต่างๆ ทั่วโลกฉันคิดว่าเพลงนี้อาจมีประโยชน์สำหรับ Corona ดังนั้นฉันจึงอัปโหลดไปยัง YouTube อีกครั้ง โปรดฟัง.ความสุขที่แท้จริงฉันขอโทษในภาษาไทยแปลก ๆ ขอบคุณสำหรับการอ่าน.ขอบคุณทุกคนมากๆครับ. フィンランド語Hei, nimeni on Tetsuo Ogawa. Asun Saitaman prefektuurissa.Tokion kesäolympialaiset ovat päättyneet. Paralympialaiset pidetään tänään.Olympialaiset ovat kaunis urheilijoiden ja maailman ihmisten juhla.Urheilun lisäksi Tokyo2020: lla on roolinsa. Sen on tarkoitus näyttää Japani, joka on elvytetty vuoden 2011 maanjäristyksestä.On päätetty, että olympialaisten paikat pidetään Fukushimassa ja Miyagissa.Miyagi-stadionista on tulossa Rifu-Town.Rifu-Town kärsi suuria vahinkoja myös Itä-Japanin maanjäristyksestä.Rifu-Town heti maanjäristyksen jälkeen. Rifu ← napsautaHalusin kaikkien maailman tulevan Japaniin. Halusin sinun näkevän ylösnousseen Rifun ja Japanin.COVID-19-pandemian Tokyo 2020 oli kuitenkin turnaus, joka välittää kiitollisuutta ja jännitystä.Arvostamme tukea alueiden elvyttämiselle. Ilman teidän panostanne emme voisi koskaan järjestää näitä tapahtumia siellä.Kiitos kaikille pelaajille jännityksestä. Ja kiitos kaikille maailman asukkaille Japanin tukemisesta.Asuin Hiraizumin kaupungissa, Iwatessa, mutta muutin Saitamaan maanjäristyksen seurauksena.Katastrofin uhrina olen työskennellyt kiittääkseni kaikkia maailman ihmisiä tuesta.Tein kappaleen heti maanjäristyksen jälkeen.Sitten tein tämän kappaleen CD: ksi ja lähetin sen uhreille, kirjastoille ympäri maata ja japanilaisille kouluille eri puolilla maailmaa.Ajattelin, että tästä kappaleesta voisi olla hyötyä Koronalle, joten latasin sen uudelleen YouTubeen. Ole hyvä ja kuuntele.Todellinen onnellisuusOlen pahoillani vieraalla suomen kielellä. Kiitos, että luit.Kiitos paljon kaikille ihmisille.
2021年08月24日
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前回のブログを読んでくださった皆様、どうもありがとう。 新たな仕事になって3か月が経ちだいぶ仕事に慣れた。体力勝負の仕事だから自己管理が今まで以上に大切。逆に言えばこの仕事のおかげで家族での食事や会話が増えた。それが今の自分を支えている。 緊急事態宣言が20日で終わり、オリンピックの開催が決まった。 オリンピックが東京で開催されることが決まり2013年9月のブログでは東京オリンピックは東北に新たな目標を持たせ、世界に向けて復興した姿を報告する義務をもたらした。と、このように書いた。凱旋ライブ リオオリンピック開催時に行ったのが群馬県大泉町。コロナで多くの命が失われた国、ブラジル。この大泉町にはたくさんブラジルから来られた方が住まれている。被災者のひとりとして支援のお礼をどう伝えたらいいか考え、思いついたのが大泉町に行くことだった。 当時、震災復興プロジェクトを続けていたのだが何のためにやっているのか悩み続けていた。命を救ってくださった全国、世界の皆様に被災者の誰がお礼を伝えるのか!という気持ちので頑張っていたのはいいが、お金が入らないことをして楽しい??と言われたこともある。それを言われて返す言葉もない。そして頭によぎるのはプロジェクトを立ち上げたころに言われた言葉、ボランティアはお金がある人がやるものよ この活動はボランティアとしてやっているつもりはなかったのだが、大泉町に行ったことと、前回のブログでも書いた2017年岩手に戻り凱旋ライブをやったことが何のためにやっているのか?という問題が解決。自分が思うままに突き進む、つまり、余計なことは考えるなと諭してくれたかのような出来事だった。 自分が書いた文章を大泉町に送ったところ、このようにポルトガル語に直してくださり、これをコミュニティセンターなどに貼ってくださった。そのお礼を伝えるために大泉町に行った。 役場の後に行ったスーパー。 役場の方が直してくださった文章を貼ってほしいとお願いした。書いた文章を読んで握手してくださり、自分の眼をしっかり見てくださった。この握手と眼差しこそ、ずっと悩み続けていた問題の解決だった。リオオリンピックが終わったねそして被災地宮城県での開催が決定。 オリンピックが被災地で行われることで全国、世界の皆様が支援してくださった街を目で見ていただくことができる。自分が住んでいた世界遺産登録平泉町にも足を運んでもらいたい一心で全国の新聞社に投稿した。 高知新聞社が取り上げてくださった。2019年12月22日しかし、コロナで休止。そして今年コロナ禍での開催がきまった。 その会場、宮城スタジアムは利府町にある。震災直後の利府町。 この利府町が開催地!なんてすばらしい。 今日のブログで一番言いたかったのは、コロナ禍での開催のため、全国、世界からお越しくださることが難しくなってしまった。テレビを通じて甦った被災地、皆様が支援してくださった街が復活した姿を見ていただきたい。 生き抜く力を与えてくださった全国、世界の皆様へ感謝です。ありがとうございます。自分ができること。それは多くの皆様にありがとうと伝えるための活動です。震災復興プロジェクトで作った曲をコロナ禍で再アップしました。True Happiness一歩踏み出す勇気を与えてく下さった皆様への恩返し。音楽は行動へのきっかけを生む。
2021年06月26日
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ブログを始めて久しいが今回の更新ほどどのように書いたらいいか悩んだことはなかった。 コロナウイルスは全国世界で命を奪い、生き続ける者たちの生きる術まで奪った。去年、上野の病院でクラスターが起こり、以前チーフを務めていた上野店は大打撃を受け、閉店。 当時は練馬のチーフをしていていたのだが売り上げは落ち込む一方。それだけではなく、店の中でも問題を抱えていた。どう頑張っても解決できない。コロナと直接関係ない問題にやるせない気持ち、腹立たしくて仕方なかった。そろそろ潮時。 2012年10月1日からお世話になったこの会社。2月いっぱいで辞め、3月11日、東日本大震災が起きた日と同じ日より新たな職場で仕事を始めた。「どこのお店で働いているの?」と多くの方が思ってくださっていることと思う。申し訳ない。まったくリラクゼーションとは寒けない仕事をしている。もうリラクゼーション店のスタッフの一人として働くことはない。 18年前に左手首を怪我をし入院。リハビリの先生に感銘をうけ、似たような仕事がしたくて整体師を志した。 ブラック企業として取り上げられた仙台を本社におくリラクゼーション店に就職。この会社も倒産したが自分にとってはこの会社に就職したおかげで独立するきっかけにもなった。 担当していたホテルにお越しくださったお客様。お客様から戴いたお言葉が独立のきっかけとなった。「ねえ?あなたはこのままでいるの?私は経営者ではるけど、現役のエステティシャンよ。今ここでやれと言われればすぐやるわよ。あなたも私と一緒じゃないの??同じでしょ??」 独立するために修行する目的で就職したのだがまさか、こんなに早くこのようなお言葉を戴けるとは思ってもみなかった。その年の秋、玉川温泉へ直談判。翌年の2006年5月1日玉川温泉で施術させていただくことになった。玉川温泉、当時のブログ 秋田県の山奥で泊まり込みでの仕事。微力ながら全国からお越しになる皆様の力になれたことはほんと、ありがたかった。そしてお客様からの遺言がきっかけで本を出版。玉川温泉の整体師しかし、玉川温泉を辞めることになり、平泉の自宅で開業。そして2011年3月11日に震災が起き、その影響と母の心臓手術などで生まれ故郷の埼玉県に戻ることに。しかし、平泉と同様に、施術することができた。 上野店、六本木店、練馬店と責任者をさせていただき、わざわざ福岡、山形、そして平泉で開業していた時のお客様が上野店と練馬店にお越しくださった。 神奈川、東京、埼玉からも本の読者に限らず、このブログを見てお越しくださったお客様もたくさんおられ、心から感謝。ありがとうございました。 施術だけではない。開業してた時は講演会の依頼もいただいた。 整体師として働いた18年間。ありがとうございました。でも、整体師を辞めたと決めたわけではありません。いつか復活できる日を願い、日々精進。今、施術していないだけです。呼ばれれば行くかもしれない。 新型コロナウイルスは命、生きる術をまで奪ったが自分を見つめ直すことにもなった。それが本を書いた責任。自費出版ならともかく、自費出版ではないので全国の図書館に置いてあり、電子書籍で購入できる。自分の姿を全国に示しているのだから無責任なことはできない。自分ができること震災直後は震災復興プロジェクトを立ち上げた。この曲がもう一度役に立てないだろうかと震災復興プロジェクトで作った曲を再アップ。True Happiness コロナ禍で自分がすべきこと。一歩踏み出す勇気を与えてく下さった皆様への恩返し。音楽は行動へのきっかけを生む。 東日本大震災で被災地を支えて下さった全国、世界の皆様へ。我々被災者は全国、世界の皆様に命を救っていただいたからこそ今がある。 2011年7月、陸前高田第一中学校へボランティア施術。皆様の笑顔に触れ合わなかったらプロジェクトを立ち上げることはなかった。その笑顔を支えてくださったのが全国、世界の皆様の支援だった。 亡くなられた皆様の魂を残したい。曲を作って被災者に差し上げる活動を立ち上げた。 しかし、母の体調がおもわしくなく、手術しなければ2年の命と宣告。生まれ故郷の埼玉に引っ越すことを決めた。そして引越す前に お披露目ライブを行うことになった。 埼玉に戻ってからは音楽だけではなく、様々な活動を続けた。そして2017年夏、震災直後の4月に岩手でのライブを中止にせず行ったバンド、Mr.Bigの功績を岩手県民に伝えるため凱旋ライブ を行った。 この報告をベースのビリーシーンに伝えることができ、ご縁が生まれた。しかし、翌年の2月にドラムのパットがパーキンソン病で亡くなった。 メンバーたちはどれだけ辛かったか。偶然ビリーとパットのみが演奏している動画を見つけ、それを当時の相方に歌ってもらい、自分が弾いて曲に仕上げてパットの一周忌にビリーへ送った。そして2021年3月、震災から10年を迎え、ビリーに改めてお礼を伝えた。ライブ活動ができないプロのミュージシャン達。 新たな仕事が始まる前に最後のご奉公がしたい。仕事が始まる3月11日は震災から10年目でもある。岩手でパーソナリティを務める友達に相談。ビリーから岩手県民にメッセージを届けようと持ち掛けたら快く引き受けてくれた。そしてビリーに連絡。ありがたくメッセージを戴くことができた。それを流すためには準備があるため、放送が決まり次第、連絡したいと思う。ビリーからのメッセージがラジオで流れたら、震災復興プロジェクトは終了と思っている。ビリー自身はずっと日本を愛し、日本を支えてくださっている。自分がビリーに連絡しようと思っていた時、こんなイベントがあった。「MR.BIG」を追った、映画 MR.BIG~3・11から10年 被災地とともに歩んだ外国人バンド渋谷のロフト9にて監督の川西全さんと音楽評論家、伊藤政則さんのトークイベントがあった。ここにビリーからのメッセージ動画が届けられた。東日本大震災の被災地と共に歩んだMR.BIGのドキュメンタリー映画、その先行上映が実現。ビリー・シーンのメッセージも寄せられたプレイベントのレポートが到着!改めてビリーの偉大さを実感。こんな偉大な方とご縁を賜り、幸せである。まさに日本でいう侍魂。何者にも屈しない強い意志を被災地に届けた一人ではないだろうか。その気持ちに報いるために、頑張っていきたい。
2021年05月30日
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もうすぐ、3月11日。被災地への募金やボランティア活動をしてくださった皆様、被災者の一人としてお礼を申し上げます。ありがとうございます。この震災の日を迎えるにあたり、母校の中学校にダリアの球根を渡してきた。 10年経ってしまったけれど、募金のお礼をしたくて行ってきた。同級生の子供たちは震災時に中学生だった子もいるはず。その子達が結婚する時期を迎え、この子たちの中学校の思い出って被災地に向けての支援活動だったかもしれない。この球根を植えて咲けば腐らない限り毎年花が咲く。東日本大震災の凄さを語り継いでくれたらありがたい。それが津波の写真とかではなく、花なら悲しさの思い出にはならない。咲くとこんな花になる。コロナの渦の中での3月11日、我々被災者は皆様からのお気持ちのおかげで生き抜くことができた。このブログでは読んでくださっている皆様へ少しでも笑う数が増えるように今年も頑張ります。コロナで苦しんでいる皆様の心が少しでも楽になりますように。なんかまとまりのないブログで申し訳ない。先日、ランニングしながら行った墓参り。今日のブログはお礼を伝えたいこともあるのだけど生まれ育った大宮を紹介しようと思う。生まれ育ったさいたま市大宮大成町。駅から約1km、八幡神社では神輿かついだり、幼い頃から世話になった。キャッチボールしてはいけないと書いてあるがよく野球もやった。幼稚園のときは石を拾って絵を描き10円で売ったなあ (⌒-⌒; ) もちろん、二宮金次郎もいますよ。この八幡神社はは歴史も古い。ずっとお世話になった八幡神社なのですが、コロナの影響もあるでしょうけど大きな声で騒ぎながら遊ぶ小学生や中学生はだいぶ減ったかもしれません。俺らの頃ってインベーダーゲームが出た頃でしたから・・そして氷川神社。大宮で一番有名なところかもしれない。アルディージャの皆様も来られています。はやくコロナが収束すればいいですね。氷川神社の池にでかい鳥がいました。氷川神社の魅力って大きさだけではなく池も素敵。そして氷川神社の次は母校、栄東高校!今はいい子しか通っていない!俺たち6期生はこいつらに負けないほどいい子だったぜ!笑2回ほどバリカンで坊主にされたが (^◇^;)あ、まだある!!文化祭3年連続でライブに出た!!一年生の時にやったのがYMO。二年次はカシオペア。三年のときは二つのバンドで出て、カシオペアコピーの他にもう一つのバンドでレインボウとホワイトスネイク。ん~~~懐かしい。先生方もバンド組まれて出た。いい思い出。今の若い先生方にこれだけ器の大きな先生いるかな??笑もちろん、いるに決まっている。でなければ全国で有名な高校になれなかった。若い先生方の情熱こそがこの高校を支えている。話を戻し、大宮の魅力。大宮の魅力って何か!!栄東高校!!もそうだが、電車が便利で首都高からのアクセスがいい。便利さを感じる方が多いと思うが他に魅力もある。素敵な名の町が多いところだ。自分が生まれた大成町。これはタイセイと読まずオオナリと読む。あと、日進、指扇。それこそ、氷川神社があるので宮町もある。宮前もる。あとは、春里、盆栽などなど。そして緑が多い街が大宮であり、大宮には温泉もある。そんな生まれ育った大宮、でも、まだやっていないのが大宮でのライブ!現在、相方が辞めてしまったけど今年は新たなVoを入れてライブするのが目標かもしれない。歌いたい方いる??笑とまあ年が明けてのブログはこんな感じ。コロナと闘う日々はまだ続くがみんなで乗り越えよう! そんな思いで震災復興ソングを再アップ。True Happiness アマチュアだからこそできる事を追求。一歩踏み出す勇気を与えてく下さった世界の皆様への恩返し。命の尊さ、生きる喜び。True Happiness
2021年02月21日
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本日のテーマ、 ほんのひととき ふと、目にしたものや会話が心を癒す。特にこのコロナとの闘いのなか、そんなひと時が今の自分を救う。「悩んでいても仕方ないやるしかない!やるしかない」この言葉も誰もが自分に言い聞かせてることだろう。でも、みんな心は弱い。強ければ言い聞かせるなんてしない。必要なのは気合ではなく気合を入れる為のきっかけではないだろうか。そのきっかけが一歩を踏み出せる。何気なく目に入ったこれ。無性に食べたくなった。このチョコミントを食べ、ある曲を思い出す。“ 憧れはスリムでセクシーなBodyなのにミントチョコがやめられなかった ♪ ”なんかわかる気がする。レベッカのNOKKOのリアルな詞はすごい。冷たいアイスを食べてるのにやけにほっとしたひと時だった。そのあとスーパーの野菜売り場を通ったら平泉りんご!!元平泉町民として滅茶苦茶嬉しかった。何気ないことなのだけどこんなひとときが行動を促す。ふとした家での会話も同じだった。自家製煮込みラーメンを作った時、これをめぐり、次女が一言。「おねーちゃん!これにニンニク入れるとちょーおいしい!」「まじ?入れちゃおうかな~」「入れちゃえ〜!」「うっま〜!ジャンガレじゃん!(二郎系ラーメン屋ジャンクガレッジ)」「っでしょ〜 マスクあるから大丈夫!」「そうね。ふふふ」長女次女曰く、煮込みラーメンにニンニク入れましょう!マスクがあなたを支えます !との事。ふと心が安らぐ娘たちの会話。きっと全国のパパさんも同じような経験をされた方が多くおられることだろう。安らぎはパワーを生む。 まだコロナと闘う日々はまだ続くがみんなで乗り越えよう! そんな思いで前回のブログでは震災復興ソングを再アップしたことを書いた。True Happiness 一歩踏み出す勇気を与えてく下さった世界の皆様への恩返し。ただアップしただけでは自分の自己満足。どうしたら伝わるか考えた。これを見て戴きたい。新型コロナウイルス世界の感染者・感染者マップ国や地域ごとの感染者数の推移がわかる。これをもとに各諸国にある日本大使館に連絡した。国民の皆様へ震災支援のお礼を伝えていただき、国民の皆様に音楽の力を届けたい。 国の機関である大使館が一般人の意見を聞いてもらえるなんてことはないとわかっていても可能性が1%でもあればやる。震災が起きてからずっとこの信念で続けてきた。約80諸国に送り返事もいただいた。その中でネパール日本国大使館、アゼルバイジャン日本国大使館、パナマ日本国大使館から前向きに対応して下さるお返事を戴くことができた。この他、オーストラリア日本大使館、スロバキア日本大使館、ニューヨーク領事館、メキシコレオン総領事館、イスタンブール総領事館、バングラディッシュ日本大使館からのお返事は心温まる内容だった。パナマ日本大使館から戴いたお返事をここで紹介させていただきたい。「パナマは人口あたりのコロナ感染が世界的にみても深刻な国の一つとされています。送って頂いた楽曲に励まされる方々がおられることでしょう。」震災のことにも触れて下さった。「東日本大震災後、パナマでは震災の被災者を追悼し、日本庭園が造られました。パナマ市役所が管理しています。」このお返事を読んで感謝で涙が出た。エリック・デル・バジェ公園内日本庭園 震災復興プロジェクトで自分がしてきたことはお金を集めて送ることではない。自分の活動が心の栄養ドリンクになるようなものを目指した。それが音楽であり文章でもある。 このプロジェクトを本にしろ!!と数人の方にも言われたが本にしてしまったらそこで活動は終わりになってしまうかもしれない。だから書かなかった。 そしてコロナの向き合う中、ロックダウンになったニューヨークを見て心配でプロのミュージシャンの方に連絡した。 戴いたお返事にプロフェッショナルであるが故の葛藤が感じられた。 アマチュアだからこそできる事を追求し歩み続けていると様々な選択肢が次から次へと生れていく。 命を支えて下さった世界国々の皆様への恩返しはまだ続く。
2020年11月30日
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