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2024/09/29/日曜日/赤城高原辺りは小雨◼️Cha10 静岡市8/25訪問幸運にも待つことなくスムーズに席に。10人も入れば満杯の小さな店内。抹茶好きのための、お茶屋さんのかき氷。この際ですから?全てのトッピング載せ。この抹茶は暑さに堪えた心身に浸み入る〜氷は純氷ではなく、昔ながらのかき氷機でゴリゴリ下ろす。つまり。あくまで冷やした抹茶を楽しむための氷、である。メインはお茶。お愛想のほうじ茶もお店オリジナル無農薬、自家製。これがまたふくいくとして甘露◼️AORAKI CAFE 高崎市9/27訪問今年は暑過ぎて、日中は外に出る勇気も無く、故にかき氷屋さん避難が減退。九月末の夕方、というのに未だかき氷になびく。もっともこちらのお店は通年営業で、しかもオープン時間がまちまち。当日金曜日は午後5時からと聞いて、お店で娘と待ち合わせ。私はピスタチオエスプーマにサマーストロベリーソース、シャインマスカット、クィーンルージュごろごろ!あああ、煌めく宝石の甘さよ、柔らかいピスタチオの雲にくるまれて、その奥に潜むは情熱の夏苺娘は私の選択からコンビネーションを熟慮して、ダブチにダブルいちじくをチョイス。ダブチとはダブルチーズのことらしく、この度はカマンベールシロップにマスカルポーネクリーム。いちじくはドーフィンとバナーネうおおお。半端ではない、ダブルいちじく盛りお姫さまならこの一皿で夕飯とされること請け合いである。この濃厚な喜びを何としよう。滑らかな純氷が緩くなる頃には、上等な冷やしスープのような味わい。黒胡椒が効いている。えー氷にチーズ⁈と曖昧な私の先入観を打ち砕く、食欲減退な方の滋養にもなる一皿。当に一皿、お皿で供される。食べ終われば1800円のお値段がお値打ちと膝を打つ私めがおりました。◼️蔵亭 川崎市七夕祭特別催事7/7訪問え⁈ここでかき氷⁈はいはい。今日は特別な七夕祭だよーなので、川崎のマイクロワイナリー蔵亭さんで、蔵亭育ちの苺のかき氷が頂けます。おまけにたまに石窯ピザをフードトラックしてくれるパン屋さんやジュエリーデザイナーさんの出店もそして結局、蔵亭さんのバーで川崎産のワインなんぞもお変わりして、タパスと楽しむ。あら、かき氷?いちごがフレッシュo(^o^)o
2024.09.29
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2024/09/29/日曜日/秋らしく前回は展示換え期間で閉館だった当館を再び訪問し、ようやく入館叶う。8月末の静岡で、芹沢銈介美術館、すなわち白井晟一設計の石水館を見学する。石ベースの建築は、その存在自体に重厚感があり何やら哲学的な眉間にシワ、を覚える。2年ほど前にみた渋谷の松濤美術館と双子のような印象を持つが、松濤美術館は個人の邸宅のような親しさがほのかに感じられたが。↓トイレは美術館外に併設されているので、館内利用者でなくてもショップ同様、利用可↑左下画像、右手洗い、左ショップ石水館は、芹沢銈介作品の洒脱なユーモアや鮮やかな色彩、ある種の軽みとは、いささか不釣り合いな構造物ではなかろうか。と感じた。芹沢銈介作品を置いて似合う空間は、芹沢銈介自邸のような簡素な、それでいて普遍性のある、清潔な佇まいではなかろうか。↓内部撮影禁止。このラウンジの坪庭のみOKここのショップも駒場の民藝館のように、小さくても充実して、賑わっていた。さて、酷暑を冷ましてくれる空間を出ると現れるのは弥生式住居群である。なかなか魅力的な一角なのだった。
2024.09.29
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2024/09/26/木曜日#曇りのち〈DATA〉出版社 岩波書店著者 日本秘湯に入る会2004年11月26日 第1刷発行2005年1月7日 第3刷発行〈私的読書メーター〉〈「秘湯を守る会」の存在は知っていたけど、こちらは「日本秘湯に入る会」。色々あるのだなぁ。趣旨や発足の経緯は違えども、温泉はありがたい!が通底。ツレの趣味の中で楽しくお相伴できるのは落語と温泉かしら、と気がつき始めたお年頃(´∀`=)。温泉で同好の先達からオススメを伺うノリで、へえ、そんな泉質、ほうそんな場所に、とGoogle検索しつつ本書を眺めると廃業された温泉所や宿が幾つも。何だか素朴な所から失われるなあ。地震、津波、火山噴火。災害多い列島の慰めといえば温泉。それを楽しまんで何とする。〉山梨県では二湯塩之沢温泉と黒森鉱泉が紹介されていた。元湯はまだ大丈夫なのかもしれないけれど、掲載の宿は姿を消している。先週訪れた増富温泉は紹介がなかった。紹介のない所でも隠れた名湯は沢山あるのだろう。韮崎の旭湯で、千の温泉につかるため、会社辞めます宣言した男性の温泉本も面白く眺めた。湯屋では本当にいろんな出会いがある。増富温泉のような湯治場ではそんな印象が更に深まる。日本人らしい、ってどんなことを指すのか具には言えないけれど、温泉に浸かればしみじみとその感が沁み渡るのだ。増富温泉は奥多摩、秩父と日本百名山の金峰山の麓にあり、八ヶ岳南麓や清里にもほど近い山奥。武田の金山毛利の銀山という戯言を最近知った。そんな山奥に熱い湯が湧き出る。
2024.09.26
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2024/09/24/火曜日/ようやく涼来る⑤手打蕎麦 ふじや新宿区最近ではすっかり安定した歯応えと喉越しを提供してくれています。1080円はちょっと痛い、おまけにワサビの量も少なめになったが、ツイふらりと寄らずにいられないです。今日はこの前同様、真岡のキタワセかしら。⑥手打ち蕎麦 わ川崎市麻生区ざる 740円二八。150gに足りないので大盛にしてもらった記憶あり私の場合、小麦の澱粉質な甘味が蕎麦には無用だと思うので、少しぱさついても、喉越し落ちても、十割蕎麦のねろりとしたかすかな甘味とワサビのコンビを好みます。大盛りで千円以下はお値打ちかな。ワサビがもう少しほしい。
2024.09.24
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2024/09/22/日曜日/能登で大雨災害噂の、世界一ラジウム温泉郷増富温泉で湯に浸かる。◼️金泉閣の案内よりラジウム温泉とは放射能泉のこと、日本には約500ものラジウム温泉があるという。中でも有名なのが島根、池田ラジウム鉱泉、玉造温泉、鳥取三朝温泉、兵庫有馬温泉、岐阜恵那ラジウム鉱泉など。増富温泉は信玄公の時代、金山平が金山千軒といわれた戦国時代に遡る。傷病兵や金山鉱夫が利用したそうで信玄公隠し湯とも言われる。明治以降に始まった温泉成分調査の流れの中、大正13年、金峰山登山の際に増富温泉に立ち寄った東大木村博士が温泉に関心をもち、ラジウム温泉調査が始まった。昭和14年からの継続分析調査で、ラドン及びラジウム含有測定値は12,300マッヘと解析された。ドイツの放射能泉で13,500マッヘが得られたが一度だけの測定のため、増富温泉が世界一の名誉を得ている。ラドンとはラジウムから放出されるガス気体のことで、初めはラジウムエマナチオンと呼ばれた。この放射能は医学的に身体によいとされ、神経痛、リウマチ、内臓疾患に効能があるとされる。宿泊した金泉閣は、旅アプリやJTBには加盟がなく、宿に直接連絡して予約する。古くからの営業で、40年前に改装したままとのこと。屋内外共に古さは否めないが、利用する所は清掃が行き届いている。食事も私には余るくらい。夜には鯉の洗いが付いた。値段の割に立派なものである。やはり長年通う湯治客の方が殆どで、月に一度3泊し、日に4度お湯につかる、というのがどうやら定型のようである。私のような一泊組は聞く限り一人もいない。すっぴん裸のお付き合いは、全くもって赤子の交わりだ。話したくない人も静かに目を閉じて聞くともなく会話に身を委ねる心地がよい。湯は34度。マックス30分の注意書きがあるが常連の人はもっと長く浸かって、上がり湯と交互にしている人もあった。黄土色のクレイ質で、初め、焼き物の後に手を洗う質感を覚えた。2日目には皮膚に則した印象が生まれた。匂いはわずかな硫黄に鉄分を覚える。味は塩分濃度高くガスを含む苦味で、かなり不味い。身体のために250ccを飲み干す人もいるとか⁉︎まじすかマジック。↑朝ごはん普段、朝は果物かポリッジらしきものか甘酒+牛乳、ヨーグルト蜂蜜、みたいなものしかとらない。早朝にお湯につかると、何と全部平らげてしまった。
2024.09.22
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2024/09/13/金曜日/きょうも酷暑〈DATA〉出版社 編集工房ノア著者 足立巻一1985年10月10日ノア叢書 8〈私的読書メーター〉〈ヤチマタとは道がいくつにも別れた所をいう、そうだ。春庭の評伝物語『やちまた』を書いた足立巻一によるエッセイ。この世におぎゃあと生まれやがて晩年へ。戦争で九死に一生を得た体験。生涯学びを深めた詩歌。その縁で出会った沢山の人。そのエピソードの一つ一つは敬愛する人びとをいきいきと蘇らせると同時に著者その人をも照らす。熊野純彦『本居宣長』で、この西洋哲学者は高校生のとき夢中で『やちまた』を読んだと紹介があり関心沸く。その地ならしのつもりの本書で吉川幸次郎にぶつかる。まさに「読書やちまた」である。読書無窮。〉ご自分の来歴が述べられている中で印象に残るのが巻一の祖父の件。巻一の生後間も無く亡くなった父、里から再婚を迫られた母が去ったあと、父方祖父母に育てられるのだが、その祖父が桁外れな漢学者であった。生活者として破綻していたが、豊かな愛情を巻一に与え、祖父母はあっさり虚しくなる。母の実家に引き取られやがて関西学院中学に進学する頃、詩の世界に足を踏み込んだ。国語に対する感受性と中学で出会った教師への敬慕から、官立の特殊な学校、神宮皇學館へ進学した。この経歴、過程があってこその本居宣長であり、春庭であった。巻一は戦後しばらく勤務した新聞社を辞め、北海道を放浪した。その折たまたま羅臼からの連絡船で出会った男のエピソードは、もっともわたしの心を打った。「その人は筋骨質の頑丈な体格を持ち、半袖から出た腕は太くて赤く日焼けしていたが、目はやさしかったし、話しぶりもおだやかだった。『何か急用なんですか?』『え、さっきの連絡で母が病気だと知ったもんで、急いで支度しました。』『どちらへ』『秋田です』『そんな遠くからこちらへ?』『ここの昆布採りには秋田の者が多いんです。大抵が東北です。』わたしには意外な話だった。一種の季節労働者らしかった。『では古くから知床へ?』『いいえ、戦争がすんでからです。』『それまではどちらで?』『郷里の海でずっーと漁師をしておりました』『昆布のほうが儲けがいいんですか?』『ぼくの場合はわけがあるんです』『といいますと?』『兵隊にとられて、あげくはシベリアに送られて帰ってみると、僕の墓が建ったりました』『…』『妻は弟の嫁になって子を産んどりました』わたしは悪いことを聞いてしまったと悔いた。が、その人は淡々と語り続けるのだった。『それで郷里からなるだけ遠く離れようと思うて、ここへ来たんです。昆布採りが終わればニシン船に乗ります。郷里には帰ったことがありません。帰るとみんなに悪いですからね。でも、今度はどうしても帰らんと…』それからは話が途切れた。その素朴きわまる言葉はわたしにこたえた。」日本人とはどんなひとであったか。それを見る思いだ。さて。この本の私にとっての珠玉は『うひ山ぶみ』逍遥 の段宣長が35年の歳月を掛けた大業『古事記伝』の直後、師弟に求められ軽やかに仕上げた学問心得に関する足立氏の巡らせる思い。自身、士農工商の最下位であるところの商人の出自である宣長は、町民、庶子への学問を神道・有職・国史・和歌の4種に分け、好みの道を選べば良いと諭す。およそ当時の寺子屋が儒教に基づいた読み書きそろばんであった、その上でのことではあろうが。言葉の用例をできるだけ沢山集めてそこから語義や法則を導いた宣長の科学的機能的アプローチは、当時世界的な言語学研究の最先端に並ぶものであったという。そしてその根底に、言葉と史実と精神は相かなうものという思想があるとする。宣長は、「言(コトバ)と事(ワザ)と心(ココロ)と、そのさま大抵相かなひて」と述べ、心の賢い人はことばも行為もそれに応じて賢く、心のつたない人はその反対だと説明する。さらに、言葉は和歌に伝わり、事実は史に伝わっているが、その史も言葉で書いたのだから、「言の外ならず」と断ずる、という。これら論文を書いた若い頃の足立氏は言=事=心を説いた件の深い意味に気づいたのはずっと後になって、吉川幸次郎先生に教えられたことによるものと述べる。吉川幸次郎博士の『本居宣長ー世界的日本人ー』で中国研究の方法論が宣長と全く同じであったことに勇気を得た一方、自分よりずっと早くその業を成し遂げた宣長に脱帽した、という一文に接した足立氏はさらに吉川先生の、事と言とが心を媒介としている、心を知る最も端的な手がかりは言にある言を重視するのは東洋の学問の伝統的な精神で、様々な点で差異のある日中でも、その一点において一致する言語そのものが事実なのであるを紹介する。これは深い、深すぎる。私なんぞには容易に掴みきれない。そこに啐啄を覚えるけれど。例えば「やま」と発すればこそ山が立ち現れる、現出するような。やま、といい、みず、という。その言の葉。さやさやと。しかしここで心はいかに働いているのか。発するものと現れるものの卵の殻の如きものか。『やちまた』を読むための本書は、なんと本居宣長『うひ山ぶみ』も吉川幸次郎『本居宣長』を運んでくるのだ。時雨ふり肩寒しなど小言いひ「初の山踏」 読みたどるかな 前川佐美雄なるほど。言葉の源流へ
2024.09.13
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2024/09/11/水曜日/まだまだ盛夏のごとく③ 手打ちそば蔵 ★初訪問 9/9 月曜日 甲斐市旭湯につかって出たらもう2時ちかい。近所のめぼしいお蕎麦屋さん、2時頃までの開店の中にあって、ありがたいことに3時まで開いていた。窓の向こうは釜無川、なかなか良いロケーション。テーブル席もも広々している。店内に蕎麦打ちコーナーあり。私はせいろ。大盛りを頼む必要を考え、一人前は何gか尋ねる。なんと180g!それで700円T^T蕎麦は冷水で締まっている。自家製粉だろうか。襖など外皮もいささか混じる。甘味も強く、喉越しの良い細打ち。食べ終わる頃にはいささかダレるので素早く食べたい。二八?ツユ可。申し訳ないのと山梨でお蕎麦を食べる時は何となくサイドメニューのトリモツ煮をいつも頼んでしまう。ついでにデザートもo(^o^)oあんこ、ウマし。④手打蕎麦ふじや 新宿区とにかく私には便利で、繰り返し行くお店。いよいよ列待ち客の暑さヨケ日傘まで用意されていた。私の前に並んだ、母とその息子さんと思われるお二人はシンガポールからですと!本日の蕎麦はこのうちの真岡市のキタワセ、夏新蕎麦!先日、長野では蕎麦が花盛りで、稲の黄金と蕎麦の白銀が、だんだらに視界に広がっていたけれど。いつもの十割、1080円。少々値が張ります。馴染んだこの味、硬めのコシに強い甘味はワサビとの相性よし。残りのツユを蕎麦湯で割ると、まあ鮮やかにカツオ節の香りが立つ。ここはツユがよい。身体中が爽やかになる心地蕎麦湯が珍しく熱々だったのに、蕎麦は冷水締めが足りないよ?今日は。ひと月のご無沙汰なのに、いつもありがとうございます!などと言われるのも面はゆい
2024.09.11
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2024/9/10/火曜日/もう白露というのに9/8 日曜日 その1日帰り温泉は週一度程度。なので、ずぼらな私もさすがにカレンダーを確認して利用時間10時過ぎには迷いつつ到着した、毒沢鉱泉、秘湯を守る会の神乃湯旅館急きょお休みだったT^T次なる選択は神乃湯から下がった所の宮乃湯旅館、うーむ清掃が行き届いてないけど、まぁ湯元は同じであろう。入れただけでも御の字。脱衣所↓3人くらいの利用前提一応、レジオネラ菌、大腸菌検査もクリアを確認泉質は期待高い二人の先客の方それぞれ東京と愛知からで、やはり神の乃湯のカレンダーを調べやって来たが、不発でこちらへ流れて来たのだという、お仲間組桃色という風情の色、ぬるめ、微かに硫黄臭気シロクマさんの奥のカランから鉱泉を飲んでびっくり。薄めたポカリスエットにレモンをこれでもかと絞り入れたお味。覚悟していたけれど、私はまあ飲める。とってつけたような電熱ヒーターのサウナ室もあり。人肌よりぬるめの鉱泉にちゃぽんしては、大きな、といっても4人はキツくないかなぁ、の湯船へもう少し清潔にしてくれたらお客さん来るだろうにねえ。客商売なんだから、ねえ。日帰り千百円、お一人。一応シャンプー、ボディーシャンプー、ドライヤーもあります。9/9 月曜日 韮崎旭湯お!期待があがりまする。受付には働き者風な元気な女性。こういう方がいるとそこは清潔な場所で間違いない。ロビーのコインロッカーを使ったけれど、脱衣室棚は全て鍵付きなので、それで十分だった。浴室は舟一つ。きっぱり、源泉掛け流し一本。露天風呂、サウナなどの喜ばせもない。徹底して湯で勝負⁉︎スタイル。清潔、安心。こちらも飲泉できる。かすかに鉄分と塩分の後やや甘味を感じたけどツレはあまり感じないという。自然の炭酸で肌にまろやかなぷつぷつが着く。38℃ほどか。半日はつかってられる。けれど帰途上なので、そこさこにして上がる。毎日湯船の栓を抜いて清掃、とのことらしい。火曜金曜はお休み、一人600円で至福。また来たい。
2024.09.10
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2024/09/09/月曜日/暑さ続く先週土曜日から山に来て慌ただしく戻る。①満月庵 北杜市なので、往路は甲州街道沿いの北杜市の満月庵で相変わらずの炊き込みご飯ともりのセットランチツユがもう少し濃いめ、蕎麦をもう少し冷水締め、と念じながらもこの炊き込みご飯は満点。お付きのお漬物もフレッシュこれで千円、ご馳走様です。つれはシークワーサのかわり蕎麦選択で1100円。今年蕎麦は収穫するのか尋ねると、作業が大変過ぎたので今年は断念した様子。ただご近所の方が届けてくれたというヒマラヤ辺りの赤い蕎麦の花を見せてくれた。これを今年は混ぜるかどうかして食べさせてくれるらしい。10月の名月の頃か。②山猫亭はなれ 下諏訪町 ★初訪問本店かと思って入ったらはなれ、という2号店らしい。12時前に到着したおかげでスムーズに入店できたが、その後続々とお客さん。人気店らしい。駐車場は参道を挟んで反対側。店内はゆったりして清潔。食事を提供する所だから当たり前といえばそうだけど、真逆な温泉の後とあれば、心落ち着く。二人でもりを選択の上、海老の天ぷらと、とろろご飯を頂く。とろろもたっぷりあるのが嬉しい。蕎麦は薄緑色で細く喉越しよし。冷水でしっかり締められていて気持ち良い。時間の経過に合わせて冷たさ蕎麦の清新さが落ちるので、さっと食べて天ぷら、とろろご飯を食べるべし。二人で3048円ばかり。付け合せの自家製大根の返し漬け、美味しいので自宅用に求める。別途400円ほど。店の外に出ると左手に趣のある建物苔泉亭とある。この奥でお蕎麦が頂けるらしいが、商い中であるかは確認しなかった。
2024.09.09
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2024/09/06/金曜日/暑し。今年お花見の頃の芹沢銈介美術館行きは、展示の入れ替え中で、見学ができなかった。事前にHPなんぞで細かく調査しておけばよいものを、その手間をサボっては毎回こんな事に出会す。度し難きワタクシめ、でござります。美術館開催中の日曜日は芹沢銈介さんの自宅も見学できるとは、ケガの巧妙?前回訪問時に看板を見て知った。それはウマシ、美し。それで一泊旅の戻りの日曜日を美術館訪問にあてた。行きは息子夫婦へのオランダデンマーク土産でバッグが重い。帰りは身軽と踏んでいたら、子どもらのタイ土産で同じくらい重い。なんと。静岡駅でコインロッカーを探すもみな使用中。コインロッカーが少なすぎる!駅案内で構内のコインロッカーを教えてもらい、あちこち探し歩く。どこも埋まってる!駅の一番東側の場所で奇跡のように一つ空いているのを発見T^T、間も無く出発のバスを乗り過ごしたら次は45分後である。走る。何のことはない。バス停の背面にジャーン、ロッカーの壁があるのだったT^Tドギカマジカな慣れぬバス乗車と前回とは違う道を歩いた。振り出しからほぼ5ヶ月、ようやくこの地点への双六一度振られていると、感激はひとしおである。建物はいいなぁ、勝手に移動してないし。約束を守ってちゃんと開いてるって奇跡じゃない?とか、もうそれだけで嬉しさ込み上げるのである。庭へと導く小道こざっぱりと簡潔。何のテライもない。でも粗野ではない。改めて思う障子紙の清潔さ。蔵なので天井はそんなに高くない。そして重量に耐えられる強度があるだろう。それが健康な骨組みを観るものに示すのだ。土仕事好きなら、通り土間は素晴らしい工夫だ。家の表情を決定するのは建具だと思う。二階から繭玉とか保存された農産物をそのまま下ろせるように?なのか、せり出した床の開口部は掃き出しである。元は登米市の農家の板倉だったものを、気に入って芹沢銈介が蒲田に移築したものを当地は更に移築した。板倉にとっても思いもよらぬ旅だろう。草色の聚楽壁。漆喰ならどうであったろう。民藝の方のインテリアは正に私好み、北欧スタイルとも親和性が高い。オリジナルでは掃き出し開口だったところに、浅い出窓を設置して上げ下げ障子で光の調整ができる。出窓のアイディアは柳宗悦によるとか。その出窓に対面して彼の写真が掲げられていた。柳は芹沢を愛し、芹沢も柳を慕ったそんな空気がじんわり漂う。人間は食べたところのものであるとはサバランか。いや、人間は住んだところのものである。と私は思う。無駄なもの、虚飾を廃して本質に迫る。ことを押し付けがましくなく導いてくれるような空間。それが日本建築の美の標準ではなかろうか。濱田庄司、河井寛次郎、柳宗悦とそれぞれの自宅を見たが、私は芹沢銈介の、この小さなアトリエ兼住居が大好きだ。↑芹沢銈介デザインのスチール製ガーデンチェア二階は残念なことに見学出来なかった。出窓、椅子、お地蔵さま
2024.09.06
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2024/09/05/木曜日/夏揺り戻し↓虎の子のスイカさん、大切にしすぎて腐らせる。私の日々にそんな諸々ないか、ぐるりを検証しなくちゃ今年はイチジクがよく成った。ありがとうイチジクさん6月に訪れたTverstedで購入した3つのレシピの一つ、来年までに二つはトライしたいではないか、大切にしすぎの虎の子にならぬよう。レシピブックはこんな感じ↓オサレである。言語は幾つか選べるけれど、日本語はない。次の選択は英語。困った時にN先生のおられる有り難さスワッチはスケールを小さくしたものらしい。色の糸も挟んで様子をみる。やっぱりグレーの一色でいこう。というか青灰色と淡墨さくらが混ざった、なかなか複雑なグレーなのだ。編んでは解く。そうこうしている内に昨日には15日モチーフが。これの倍編むのか…単調でハヤハヤ感乏しく、3号針なので遅々。終いのぶどうに季節は揺れ動く次に編みたいものがせめぎ来る、る、る
2024.09.05
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2024/09/04/水曜日/曇る晴れる去年買ったコーン巻と今夏買ったコーン巻去年巻/キュプラ61モヘア12ナイロン10アクリル9ウール6、puってナニ?これが1、1/10番手今年巻/コットン100、綿ギマ←擬麻、1/15番手去年今年の糸を引き揃えて、先ずはショールを3号針で編んでみる。デザインはrevelryからもちろんfree(^^)私らしくもなく手がきつい。多分に糸の性格による。綿ギマが弛むとたわむ、或いは寄り添わぬ風情で一本置いてけぼりとなる。ふ。何度迷子ちゃんを引き取りに戻ったことか。なのでキツめに引き絞りながら編んだため。これなら4か5号がよかったなあ。次はそうしよう。左はソフィアスカーフもどき。去年マンゴスチンで染めた糸で。ショールを編んでふと考える。糸が残りすぎている。4号で再度ショールを編む前に、イサガーブティックで見たこれを編んでみよかしら。これはトドラーなので、もっとロングでグレーの一色で。と思い立つ。
2024.09.04
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2024/09/12/木曜日/9月始めの雨、懐かしむ〈DATA〉出版社 講談社著者 豊永浩平2024年7月9日 第1刷発行 2024年、本作で第六十七回群像新人文学賞受賞〈私的読書メーター〉〈すごいね、すごい才能。タイトルは「ちちぬはいや、うんまぬはい」。「つねにこの胸に刻んでおけ歴史の大河と言霊、いちばん深い夜空が明けたらやってくんのはほのかなひかりと明日さ…」黄金言葉さー。クラブのDJライクな物語構成で79年の沖縄をリミックスする。回転数が変わる刹那の音なき音に心捻られる。唯一本土戦を戦い文字通り根こそぎ奪われ、それは今も。沖縄を一人の旧友として捉えるならば、こんな理不尽がなぜ起きたか共に怒り涙し抱きしめたい。古い軍刀が巡り巡って今の凶器になってしまうエピソードの挿入は一番深い夜空か。〉沖縄が好きだ。何といっても人が好い。那覇よりは地方が好みだ。琉球の姿を伝える風景、それは正しくはもはや植生だけかもしれないけれど。北も南も良い。毎年の花粉シーズンに行きたいと考えているので他の季節は知らない。沖縄の人にとって、那覇の南、ガマが沢山ある地域は未だに近づきたくない所だと聞いた。ガマを覗いたわたしは少女たちをそこに感じた。彼女たちは軽くなれない。なぜなら、いまだそんなガマが沖縄の心にぽっかり空いているから。普天間の私立佐喜真美術館の丸木位里さんの絵画!普天間という空洞、穴。今、そこにあるガマ。大切な御嶽がそこにあるのだ。歴史は教えてくれる。ヤマトと称する薩摩藩がしたこと。その琉球が奄美の群島にしたこと。アメリカ世がヤマトにしていること。そんな事ごとが苦く思い出されるけれど、未来はいつも明るい方からやって来るのだ。物語はチカラ強い。
2024.09.03
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2024/09/03/火曜日/小雨と湿気白酒 はくしゅ じゃ手前のスマホで変換できないよ、やだねー。変換リストの前の方に来たらいよっ、真打ちだねえ。青菜、よかった。いやはや笑えた笑えた。一之輔 肩の力が抜けて座ってますよ、なかなか遊んでるんだろうね。しかしこのネタ、シモ過ぎて笑いがどうも下卑ちゃう。喬太郎 お、流石に一発変換。台風が迷走してるんで、枕に事欠かない。随分長いメリヤス?で楽しませて、創作。ここんとこ、シメは創作。前回も感じたんだけど、創作の語りは古典の語りと声の出てくる位置が違うように感じる。で、それが少しイヤなの、好みじゃないの。古典を語るように創作語ってほしいけれど、そうなっちゃったらそれはもはや古典⁈なのか?
2024.09.03
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2024/09/02/月曜日/久しぶり晴れ↓大社に即した細い道の右手角三嶋大社参拝の後は、ほど近い三嶋和食ひいらぎさんで鰻を頂く。三島は鰻処らしいので、鰻好きには嬉しいなぁ。立派な肝吸いと美味しいお菜、お漬物が付いた鰻重が3800円!特筆すべきかな。ご飯も美味しい。量が私にジャストであるのも嬉しい。鰻のおむすびなども買い、さて三嶋暦師の館へ、再び大社を通り抜けて向かう。↓歩道にはこんなサインが。三嶋大社から5分ばかり、三嶋暦師の館に着く。暦師、などという職業が独立してあったのだなぁ。何となく神社と一体なものかと想像していた。当たらずとも遠からず。暦師コヨミシ、である河合家は三嶋大社の社家に連なる。元は奈良時代に山城国の加茂から当地へ移住して来たという。ということは河合家というのも、加茂一族、即ち秦氏であろうか。京は下鴨神社の南、糺の森には河合神社がある。そこから直ぐの御所東にある梨木神社が梨木香歩さんのペンネームになったのは、縁深い河合隼雄氏によるものだったとか、何とか。おまけに梨木神社の対面に紫式部の住まいがあったのもよくできている。もとい。元々暦を日本に持ち帰ったのは吉備真備である。この人は岡山の今の倉敷市辺りが出身らしいが、これもまた不思議の人だ。話によると、遣唐使として渡った唐の国で囚われ命の危ういところ、習い知らない囲碁に勝ち、唐から多くの学問、書物を持ち帰ったといわれる。その一場面が三嶋大社正殿の南東に彫刻されているらしく帰り道に確認した。太陰太陽暦という昔ながらの和暦では、月の満ち欠けに従うため、3年に一度13ヶ月の年がある。昔の和暦は潮の満ち引き、農業、女性生理に呼応していると思う。そういえば、月のカレンダーがブームとなって久しい。宿曜や陰陽、納音と、私など知り得ない学問と連動しており、宇宙の法則、鼓動にも連なるようで、暦というものは大変奥が深い。館では、地元NPOの方が丁寧に説明くださる。またここのHPがとても充実している。庶民にも読めるように、いち早く平仮名を用いた三嶋歴はくずしの姿も美しく、李朝渡りの皿や壺の文様に似ていたために、見た目から三島焼とも呼ばれ、茶人に好まれたという。確かに茶碗の紋様と暦が絶妙だ。↓窯の名ではなく何処とか何時を問わず、三島焼きで通ずる分類が面白いではないか。棕櫚の間の、床にかかる書は山本玄峰氏による↓漢詩からの引用は読んで字の如し、水面に映った月。その水を掬い上げると手の中に月があるのだよ、を意味するとか。壮大。この、山本玄峰という三島の龍沢寺住持がまたすごい方なのである。玉音放送の、あの、「耐え難きを耐え忍び難きを忍び」の文言や、象徴天皇なる仕組みを拵えた人であり、敗戦時首相のブレーンだったとか。白隠上人にもつながる。↓安政の大地震で館は全壊し、建直した館は竣工直前に火事で消失したらしい。そんな不幸を見て韮山代官江川氏が裾野市の関所の廃屋を移築させて河合氏の館に充てたという。幕末の頃である。三島由紀夫のペンネーム、三島はそんなこんなを沢山包摂しているのだった。↓槙の木の生垣はなぜか懐かしい。
2024.09.02
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