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2022/01/29/土曜日/朝は曇り〈DATA〉株式会社すぐ書房/カーリン・ブラッドフォード訳者 石井美樹子1991年11月20日初版第1刷発行1987年度カナダ総督賞受賞作品〈私的読書メーター)〈ナショナルギャラリーマストシーの一つ「レディ・ジェーン・グレイの処刑」。19世紀作の画名はレディだが英王室は最初の女王と見なすとか。離婚のためにカソリックから宗派替えしたヘンリー八世亡き後、教会、貴族大衆含め宗教的大混乱の中、嫡男エドワードは早世。姉のメアリーかエリザベスが後継、のはずが権謀渦巻く権力闘争の中、騙し討ちのようにジェーンが担ぎあげられる。学問好きでギリシャ語でプラトンを読み、何よりも信仰と王の義務と議会を重くみる、王侯貴族中最も教養と品位を持ち合わせた少女は16歳で処刑台の露と消えたのだ。〉読メで、小学生の時にこれを読み衝撃を受け、何度も読み返してはナショナルギャラリーの絵を見に行くことを夢見て、10数年後とうとう思いを果たした、と投稿されている方がいた。何かとの出会うことの妙味というか、運命的な決定的な瞬間を持てることの僥倖とはこんなことなんだろうと思わされる。私は背景も知らず憧れもないままにこの絵を何度か見た。未だに記憶しているくらいだから絵そのものが訴える力は感じたけれど、所詮それで過ぎ去ってしまった。この本を読むと確かにもう一度「レディ・ジェーン・グレイの処刑」をじっくり見たいなあと思うのだ。ケストナーが「何」で泣いたかより「どれだけ」泣いたか、それが重要だと『飛ぶ教室』の序で書いていたと記憶するが、例え原因は些細なことであっても激しく魂が揺さぶられる、そんな体験は決定的なことではないだろうか。そこに大人も子どもも高尚も低俗も差異はない。真実の体験のみがあるのだろう。
2022.01.31
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2022/01/28/金曜日/曇り時々晴お習字のお稽古、本日は漢字が五文字、おさまりが難しゅうござりまする。先生の香の字はまことに香り立つように見受けられ、伸び伸びうつくしい。お稽古を早めに引けて、ちょっと電車に乗り思い立ち日比谷神社にご参拝。いやいや習字が上達しますようにではなく、瀬織津姫にご挨拶を。こちらの神社も江戸築城計画であちこちとうつられた様子。当時は大名各々の崇敬厚くあったれど、明治になってからは村社に下げられ辛い頃もあったかと想像する。23区で私の知る限り唯一瀬織津姫の名がまします。御朱印は書き置きというのはこの歴史を思えばちょっと寂しいけれど、ビルやら高速道路やら高架の隙間で神さまはさぞ切なかろう。
2022.01.30
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2022/01/25/火曜日/朝は日差し〈DATA〉株式会社筑摩書房/鶴見俊輔 関川夏央2011年8月10日初版第1刷発行〈私的読書メーター)〈対談?形式だし鶴見さんの語り口は平易ですすすと読めてしまう。しかしその中身は思索のための手掛かりが豊富で読者の関心に応じ、本の地点から幾らでも広がることができる。明治150年が巷間賑わしていた頃、そこに意識を当てた私の試み読書。それが関川さんと鶴見さんで語られているとは美味しい。天才的個人が作り上げた見事な樽としての明治国家という装置論。日露戦争が終わった1905年以降の下降、戦後変わったものといえば高文の私腹肥やす賄賂と氏は言うが更に公文書書換も加えなくてはならない。読みたい本ばかりか漫画も増えます。〉母親の正義の恐ろしい効果に慄然としたのは河合隼雄『あなたが子どもだった頃』の鶴見俊輔の段。裸の自分をここまで晒す人間力というか、彼の言う敗北の力というものがこの対談にも連なる。江戸末期に個人として立つ有能な人物が沢山登場した。この国の貧しさを知る彼らは篩ではない樽国家を作り上げ、ジャンブリーズと大洋に漕ぎ出した。しかし樽は「個人」を産まず、衰微は既に日露戦争後に始まったと氏はいう。樽の持続効果ほぼ50年、その後の退廃と大敗の百年を経て、とうとう原発事故に繋がってしまった。長州が欧州連合にこっぴどく負かされた下関戦争後、伊藤博文は急遽留学先の英国から帰国し、藩内で使えそうな洋食食材を探し集めて自ら調理し戦勝国側を饗応した。鶴見氏のいう敗北力とはこれらの行為を指すらしい。日露戦争後、日本人はこれを無くしていると。そういえば、かの芥川龍之介が海軍機関学校の英語教師だった頃、学生らに「君たちは負けることを学んでいないから自分が教えてやろう」という面白い授業を展開していたとどこかで読んだ。各国リーダーと対話など老人政治家のペルソナが思い浮かばない。中曽根氏のちゃんちゃんこ、その後彼らの友情?はつづいたのかどうか。少なくとも明治末から大正過ぎまでは魯迅や李登輝ら東アジアのリーダーが胸襟開いて付き合える大人がこの国にはいたのだった。エネルギー➕あわよくば国防という戦略の原子力発電所の事故。防波堤の高さ不足や冷却装置電源予備など専門家のアドバイスが無視されたのであれば、あれは人災になる。鶴見氏の言う樽は「東大、文科省、天皇制」であろう。鶴見氏が強く実感していた頃に比べれば随分様変わりしているだろうが、明治天皇や東郷平八郎、乃木希典、吉田松蔭の神社があるのが私には不思議。彼らはついこの前生きていた、ただの、失敗多い人間ではないなだろうか。罪は知らないが神ではないだろう。そこそ樽ではあるまいか。あの敗戦時が千載一遇のチャンスであったものを、樽に詰めとけとばかりにGHQが外から手前味噌なタガを締めて、のうのうのうのうゆらゆらりん、未だ何処かの水際をちゃぷちゃぷ浮かんでるんだな我らは。その樽を壊すのでもなく飛び出すのでもなく、樽の内側をしっかり見据えよと言った吉本隆明を鶴見氏は高く買うそうだが、今現在、見据え続ける余裕が我らにあるだろうか。他にたいへん重要だと感じた、鶴見氏を生かし続ける己の内にある悪について。この悪という癌は年をとるほどに小さくなっているが、ぽっかり消えれば自身死んでしまう、と鶴見氏が感得するそんな悪の存在。悪が自分か自分が悪か。あるいは悪を収容する器は悪に染みるか。デモーニッシュ。これに取り憑かれて初めて人生の深みも尊さも、いやさ信仰も芸術も度し難さも己のものとなって発酵するわけで、味わいそこにあり。コロナウィルスもそのうちそうやって飼い慣らしていく?ネガティブケイパビリティについて。今日的現在的病をつらつらと考える今日この頃。
2022.01.29
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2022/01/26/水曜日/午後から晴玉川上水の緑と水の袂にある美術館と邸宅、お庭、お茶室など、彫刻作品と住空間を楽しめる。ところで、寡聞にして知らずの明治大正日本彫刻の世界。名前も読めず、しばらくは平櫛さんと田中さんのお二人の作品を展示しているものと誤解していたくらい。長い漆喰の塀と土器色の湿式壁の色のハーモニーに常緑樹と空の色が映える。建物が期待できそう、と入館。作品は撮影ができず、コロナ禍で住居庭園スペースもほんの一部だけ眺めることができただけ。でも幸い資料、パンフレットによって幾つかのことを知る。設計は住宅の名伯楽というべきか大江宏。パンフレットに並ぶ写真四人の右端の方、その左が平櫛田中。上野あたりの都心から転居して来た竣工時、実に98歳である。住居号はそこから取って平櫛翁自ら名付けたという。98歳で思いの丈の籠る最晩年の家を普請する。明治人かつ芸術家の健啖ぶりに驚愕と尊敬の念。その後アトリエを作り更に作品を仕上げる。モデルは伊勢の赤福餅の女将でこれが最晩年の作品らしいが、107歳で帰天される。葛飾北斎もうなることだろう。因みに平櫛の左が武原はん。流石に美しい佇まいで風景に溶け込むかのように自然にそこに立つ風情。これだけの建物なので、上棟と竣工の舞など捧げたのかもと想像する。コロナ禍以前はお茶室でお茶なども頂ける催しも。氏は最晩年まで創作意欲が衰えなかった、というように門から入ると左手に、彫刻材の大きな楠が迎えてくれる。大きめの枯れた中庭を囲む屋根の美しい平家住宅だ。古典的な和の建築は決して古びない。
2022.01.28
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2022/01/25/火曜日/穏やかな晴こちらは記念館。サザエさんのおうちのお茶の間が実物大で再現されていて、撮影できる少ない場所の一つ。館内にはサザエさんはもちろんのこと、エプロンおばさん、意地悪ばあさんがほぼ同じボリュームで楽しめるように展示されているのが嬉しい。発見!サザエさんは当初波平さんとフネさんをパパママと呼んでいたのでございます!大好きなハンサムなお父様が早くに亡くなられ、お母様は一年伏して泣き暮らしますが、ある日がバリと起き上がり、上京。15歳の町子さんがふと漏らした弟子になりたいの一言に反応して田河水泡の元に行かせるなど、驚きの行動の方。いやあ、意地悪ばあさんのユーモアと毒とペーソス、本当こんなにケケケと笑えるのは久しぶり。エプロンおばさんだって庶民の姿を見てを活写して見事。素晴らしい才能です。美術館は道を挟んで反対側にあり、こちらが先にできた。町子さんとお姉様の鞠子さんで集めた美術品を、社会還元しようと自分たちの力で開館したのが昭和60年。その経緯も実に正直にパンフレットに紹介されている。ただ今ひと足お先の、桜新町桜満開展示中。両方とも見学にで大人900円。カフェの100円引き券付き。ショップで絵葉書と波平さん織り地ネクタイを衝動買い。
2022.01.27
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2022/01/25/火曜日/午後から曇天生誕120年の後半「向井が愛した家具とともに」入館料200円失われていく日本の民家を描いた洋画家といったごく表面的な印象で訪ねる。何しろアトリエを見るのが好きだ。その人となり、選択して来たこと、時代背景を知ると向井潤吉という人間と作品が切実に迫り来る。仏像はその寺で見るのが良いように、アトリエで作品が見られるのは本当に喜ばしい。住宅やアトリエには芸術家の本懐のようなものが篭っている。今回は彼愛用の家具などにも触れることができた。家具は吉田ショウヤ(彼の存在を民藝の百年展で知った。)と木工作家の林次郎の紹介があった。林次郎は今回初めて知った。彼の作品は残念なことに不審火で焼失。チェストだけが手元に残り、館内でベンチに転用されていた。彼の作品をまとめて見たいものだ。内部は作品が展示されているためだろう、撮影禁止なのが残念。大きくはない庭だけれど、昔日の世田谷の印象を刻んでいるらしい。石が多く用いられているが重苦しさは無く柔らかく自然な感じ。
2022.01.26
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2022/01/25/火曜日/午後から曇天半蔵門線桜新町駅最寄りの神社ならぬ神宮。神社と神宮の違いすら知らないのだけれど、何となく有り難さに吸い寄せられる。こちらは古式神道の総本山的な役割を担うのだという。初詣は瀬織津姫ご祭神の武蔵一宮、小野神社だったし。いいのかしらん。ご朱印帳に並んで。と案じつつ、まあ八百万ヤオヨロズと唱える。ご朱印を待つ間にご由緒をチラ見すると明治15年創建とある。え?思ったより新しいですねーと尋ねてみると、神田今川小路から当地に移ったのは神官にお告げがあっての事だとか。移転は大正8〜11年にかけて行われ、その翌年の関東大震災や大空襲を免れたので、災難除けに霊験あらたかとして参拝される方が多いとの事。小さいけれど格式の高いお社でした。
2022.01.25
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2022/01/23/日曜日/朝から寒い曇天〈DATA〉株式会社文藝春秋/李琴美2021年6月25日第1刷発行第165回芥川賞受賞〈私的読書メーター)〈昨年の芥川賞作と思い出すまで、YA小説は久しぶりと読み進めた。著者は台湾出身で独学で日本語を学び2017年来日。えーそんな短時間で日本語で、更に先島らしき言語も駆使してノロの世界を創造したのか。主人公の記憶を無くした宇実のように大変な勉強家で努力家だ。地理的状況は物語後半で明かされるが、車や太陽光発電パネルが島にもたらされても時代特定できないのがユニーク。寄せる波のように繰り返される歴史、災害、パンデミックとマイノリティへの目配せがパラレル感を読み手に与える。鳥葬など上橋菜穂子的文化人類学テイストも。〉台湾はじめ南沙諸島辺りは、人も風景も穏やかで優しい感じがする。時に『首里の馬』みたいなとてつもない台風が来るけれど、確かにその傷跡は残すけれど、過ぎ去ればどこまでも青い空があっけらかんと広がるのだ。沖縄本島を訪ねたほんの3年ほど前、人のいない砂浜で立派な紳士と娘さんらしき人が夕なずむ海に向かい、膝まづいて祈りを捧げる姿に出会わせたことがあった。しんとして威厳があって、信仰というものが太古からこうして続いて来たのだと、こちらも居ずまいを正したことだった。沖縄とその周囲は祈りの島々だ。台湾の道教のお寺とは明らかに違う。神道の最も古い姿を留めているのではないかと直感された。彼岸花の咲く島で、島生まれの少女と島に打ち上げられた記憶の無い少女がノロになるために女語を学ぶ。ノロは島の歴史を語り継ぎ、薬草作りや葬儀祭事、神事を司る女性の集団だ。彼女たちの鉄の掟で小さな島は原始共同体のようなまとまりを持ち平和に暮らして来た。二人の少女も自らの意思でその道を歩み出す。ニライカナイの解釈が私には腑に落ちなくもあったが、著者の母語ではない言語という挑戦に拍手したい。
2022.01.24
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2022/01/22/土曜日/暖かく穏やかな晴天随筆編『骨董』中、秦秀雄「猿投」を読んで、慶應大学日吉キャンパス造成の折、川崎市南加瀬土中から発掘された国宝秋草文壺を見たいと思いたち出かけてみた。読み直してみると秦氏は慶應大学までこの壺を見に行ったのは昭和15年とあるが、大学のネット掲載情報では17年とある。何にしても氏が藤原古陶を追い始めて数年、廬山人の鎌倉古陶鑑賞発見から10年ほど。万を辞して土中からひょこりと現れることが面白いではないか。壺の時代は平安と特定できたが、どこの古窯かは未だ特定されないそうだ。氏の考えではその後瀬戸系や常滑と派生していく猿投窯業の広範な広がりを知ることができる。さて、2階国宝室には今回この壺はなく、羅漢図が架けられていた。調べもせず思い立って出かけては空振りすること多いが、二体の十一面観音立像に見えて幸福だ。そちらは撮影禁止。右大日如来坐像うるわし。秋草文壺は無かったが、猿投の立派な壺は見られた。蓋付き。左10世紀猿投、右12世紀常滑。やると言われれば猿投を頂きます、私。トーハク150年に当たる本年は、めでタイガー。応挙のトラと刺し子陣羽織に瞠目しつつ、田中抱ニの若松春草にほんわか。七歳の書に教えられ、八十一歳乾山の手になる陶箱の書を寿ぎ、寅の陶枕で邯鄲の夢、琉球3人弁当箱で野遊び哉今年は会員にでもなって、とにかく秋草文壺に出会えるまで辛抱強く通おうかしらん。
2022.01.23
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2022/01/21/金曜日/早朝寒し、晴〈DATA〉株式会社作品社/編者 安西篤子1991年11月25日第1刷発行1994年7月20日第4刷発行日本の名随筆 別巻9〈私的読書メーター〉〈1991年初版だからまだ31年。だのに、この古色然とした風貌内容を怪しみ、過年の電脳変幻世界が思われ眩暈する。エッセイ選者が実に気が利いている。矢張り卓越しているのは小林秀雄「真贋」だろうか。氏は良寛の「地震後作」の詩軸を得て得意満面、が良寛研究家の知人から越後の地震後、良寛はこんな字は書かないとばっさりやられる。で氏も名刀で掛け軸をばっさりバラしそれを肴に夜更けまで二人して酒を呑む。凄まじい。私の好みは井伏鱒二、加藤楸邨、自作土偶の話、猿投などか。実は先日良寛の地震後作を見たのだが果たして真贋いかに。〉芝木好子を読みたいと考えていたところ、この随筆集の中に彼女の名を見つけ喜ぶ。加藤楸邨発見の喜びも加わった。氏の「骨董夜話」は6つの掌編から構成される。其々タイトルを付し、初硯、もう一つの世界、からむしの昔、達谷の銘、月下信楽、掌中仏。それらには俳人らしく、氏の句も添付されている。全体がその表題に似つかわしい静けさと深まりをたたえ、同時に氏の人間的魅力が伝わってくる。長く身辺にある硯について。戦前の中国開封の古い城内で出会った軍人とのたった一度お茶を共にした出会いの、いわば形見として手渡された端渓硯。それが東京空襲の最中、一刻一瞬を俳句に凝集するしか明日のない日々の中に入り込んだというのだ。自分で求めたモノに非ずして、自らの生命にも等しい己が創作を描き付ける筆記用具、硯。ただならぬ関係だ。このような出会いは余程の縁を結んでなければ生じ得ない奇瑞であろうか。詩人は「一日が終わってさて夜を迎えるというような時、暗い机の前でしずかにこの硯の面を撫でていると、かつてこの硯を持った代々の人々の思いがひそかに胸中を去来する」ような気持ちを述べる。ー 初硯ひとひらの雪載りにけり初夢、初詣、初硯。取り止めのない日々に句読点を入れて、新たまる心のありようを寿ぐ我らの暮らしの中に不動のように思える、重持ちする石の硯。そこにひとひらの、まるで己が命の如く儚い雪が淡く触れる刹那、うたが生じるそんなふうに感得、鑑賞するのだろうか。「もう一つの世界」は、昼の生活では掴みきれないもう一つの世界を生み出してくれる枕の話。氏が墨台にしていた陶枕がやがて本来の用途に戻っていく様子が可笑しい。そういえば、ル・グゥインの『夜の言葉』ももう一つの世界につながるエッセイだった。「からむしの昔」 筆算として用いたらさぞや良かろうと骨董店の灰皿に執着するも商品ではないと断られてみれば、それ以上先へは進めない。ところがこれもちょっとお世話する件があり頂戴することになった。何の用途か誰も分からなかったのを鮮やかに開示したのは奥さまだった話。その反応が氏の教養や品性の健やかさを伝えて気持ちよい。「達谷の銘」 衝動のように湧き上がるギリギリ簡素な暮らしへの憧れ、そんな時日本の辺地やシルクロードなような乾燥地に出かけるという詩人の心。その100分の1くらいは私にもあり、荒波が寄せ来る、木も生えないような岩だらけの北の島嶼へ旅することを夢見る。氏の焼き物への好みもそのようであることが、次の「月下信楽」へと展開される。最終「掌中仏」、これもまた敗戦色濃い昭和19年、従軍僧となったお坊さんが別れ際に氏のポケットに入れたものという。何か託さずにはおれぬ、加藤楸邨とは人をしてそのように思わせる、そんな心のありようの詩人なのだろう。モノとの出会い、或いは骨董というものの本質を言葉を弄さず伝えるのは技量にあらずして、氏の心と見た。
2022.01.22
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2022/01/21/金曜日/じょうろや鉢からからこぼれ落ちた水は木製デッキの上で直ぐに氷と化す朝、晴天。尊敬する年上の同性の友人がいることは有り難く幸いなことだ。今年頂いた彼女の年賀状には仰天。こんな作品を頂いていいのかしら。でも本当に嬉しい。私は年賀状をダウンサイジングしているけれど、こんな素敵な作品が届くと止められないとつい欲張ってしまう。さて、彼女が先日手渡してくれた一冊の本もまた鳥にまつわるもので、読んだらこの本を好きそうな誰かに渡してね、とのこと。その際自分の印を残してバトンするのがお約束。ちょっと面白い企画。
2022.01.21
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2022/01/19/水曜日/思ったより寒くはない晴天白井晟一といえば、飯倉交差点にあるNOAビル。学生時代この建物に遭遇した時のことを思い出す。明らかに周囲の建物と異なる存在感。求道的というか殆ど宗教的。ゴツゴツした重さ、アメリカではなくヨーロッパ志向。などなど。考えてみれば不思議な経歴の方だ。京都の現工芸繊維大学を出た後、ドイツでヤスパースの元、哲学を学んだという。その留学、帯殴時代に林芙美子と交友を持ったことが会場で紹介されている。なんと。先週林芙美子邸を訪ねたばかり。彼女の住宅は素晴らしいものだった。山口文象設計と言い状、実際は旺盛な建築学習欲で芙美子の方が彼を圧倒していたのではないかと想像される住まいだ。彼女の伴侶は彫刻家であり、彼女自身、画家を夢見たという。さて当初は建物見たさの松濤、まさかの白井晟一展でドンピシャ。渋谷駅から道玄坂を登り神泉辺りのヤバヤバな隘路に紛れ込み、つつつと斜め急ぎ。ちょっと気位の高い松濤へ。竣工当時は建物が美術、とささやかれていたような小さな入り口から入館すると右手で受付。左手にホワイエ、ロッカー、資料展示など。入り口からまっすぐ、オープンな渡り廊下。地下2階と地上2階の真ん中、この演出はお寺の、俗世を離れるお太鼓橋でもあろうか。芸術に身を投ぜよ、と。階段というのはそもそも劇場的だけれど、それをよく心得た抑えた構成だと思う。静謐で穏やかだ。館内に二つの大小オーバルタイプの周り階段。仕上げは同じだけど、小さい方は円形プランから生じたニッチな空間が面白い。こんな所に展示があっても良いのに。2階のギャラリー、サロンミューゼは、リッチなマンションの居間にでも迷い込んだかのよう。竣工当時、白井晟一は私有物で展示の具合を確認したらしく、その様子を再現したインスタレーションだとか。館内のあちこちに置かれた鏡は当初から。何故鏡か。哲学するためか。正面に飾られた旧約聖書からキリストの受難のタピストリーが私には垂涎の逸品だった。サロンミューゼ隣接の小さな展示室には書をよくしたという白井晟一の作品と共に道具類の展示も。地下二階のお茶室は今回初公開だとか。ただし一度もここでお茶会がもたれたことはないとの事。週末実施の職員による建築ツアーは全て満席。展示を廃して、建物を見せる。ちょっと意表をつく展覧会ではあったが、ささやかに村田勝四郎のダックスフンドの像などがエレベーターホールにあったのはご愛嬌実はここから、和菓子の岬やさんまで遠くない。ここの最中は他所で見当たらないくらい私には美味しい。眼福の後は口福、帰宅の愉しみ喜び
2022.01.20
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2022/01/19/水曜日/寒いけれど好天毛糸屋さんを除いて色や手触りを確かめて毛糸を買うのも好きだけど、割と面白いのがネットでまとめ買いなる、ギャンブル的な買い物も面白い。もちろん当たり外れとか混合玉石はあるけれど。自分の好みで買うと何の意外性もないのは当たり前、そこを破るのがまとめ買い。届いたものを見てあーあ、みたいにため息ついて2、3年寝かしていた内にふと思い立って2枚目ケープと帽子を編んでみると中々良い出来栄え。自分のお買い物ではあり得ない、他の方の選択の毛糸との出会いって面白い。
2022.01.19
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2022/01/14/金曜日/風強く吹く晴月2回のお稽古が始まり未だ2ヶ月。教室以外で筆を持つこともないままで、せめて鉛筆でも良いから、少しでも丁寧に文字を書く時間を今年は持つように努めたい。↓今年初めての文字、これは先生お手本↓10枚書いた中で先生から「よろしい」をもらえたもの。本日の学び慈雲尊者の讃月や花のようにありたい、相手により変えることなく、嫌なことを言われたりされても等しく己の自然な姿で接する。忍。
2022.01.18
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2022/01/14/風多少あるも陽当たりよし都庁舎から近い所にある、今まで何度も通りながら気づくことなく通り過ぎたビルの、アプローチの分かりやすい場所にある、学園附属の服飾に特化した博物館。ただ今、欧米クチュリエに繋がった歴史の展覧会中民族衣装のような手仕事の感じられる服飾に昔から関心があり、旅先では可能な限り民族博物館などを訪れる。小さな町の資料館でびっくりするようなモノに出会えるととても楽しい。かつて佐倉で見た民族博物館の蚕のコレクションには圧倒された。サンフランシスコ、チャイナタウンにある資料館の民族衣装の刺繍も素晴らしい。ドイツの名前も忘れた村唯一のお店兼観光案内の建物二階でバルラハを始めて知ったことなども懐かしい。↓これは多摩美だったと思うけれどユーラシアの渦巻き紋様を追って鶴岡真弓さんと西洋占星術家の鏡リュウジさんの対談というまあ、面白い企画で。↓ラトビアの森の手仕事マーケットとラトビアのミトンを地域ごとにまとめたコレクション本を出した女性が持っている手仕事のお店に併設された民族衣装コレクションの画像ここは野外民族博物館となっていでとても充実している。物資不足の共産圏時代、彼らはここに集い物々交換経済で息をついていたのだ。なんと日本語訳があったショップ。このお店で典型的なラトビアのスカートを購入したけれど中々着用機会がない。↓アジアの手仕事、特に刺繍が好きでハノイの国立博物館はとてもよかった。建物の屋根の意匠に目を見張る。今では実物があるのかどうかは不明。ベトナム人女性、というよりおそらくその地の少数民族の人びとの手先の器用さ他に台湾、ウーライの山岳民族資料館で見た衣装、その刺繍やプリーツなども。今回展覧会で興味深く思ったのが、戦時中の陸軍被服厰の熱心な現地調査と記録。態度は大変学術的。もう少し資料数が多ければ貴重な、興味深いものとなったろう。欧米が世界各国の民族衣装を受容しデフォルメする幾つかの展示の中で青いかすりのドレスのオリジナルがとても美しく印象に残った。
2022.01.17
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2022/01/14/金曜日/都心は風の強い晴〈DATA〉東京創元社/著者ポール・アダム 訳者青木悦子2014年5月30日初版2014年7月4日再版創元推理文庫〈私的読書メーター〉〈ヴァイオリン奏者の娘が、殺された父のヴァイオリンを追う児童書『消えたヴァイオリン』が思い出された。ミステリーとしてはそちらが面白かったかも。釈然としないのが伏線の曖昧な所。冒頭で弦楽四重奏を楽しむ仲間の3人のボリュームに比して一人神父は早々と立ち消え、別途犯人は最終やや唐突に登場。それにあのストラドはどんな経路で?これは私の読みが拙いのか或いは読者の想像で補うのか、そこがミステリー。むしろヴァイオリン器楽のためのオマージュとして上等な味わいがあると感じた。真に音楽的なるものは天上の如く倫理を奏でる。〉著者は英国人。イタリア好きはドイツ人と思いきや、英国人もそうなのかも。偉大なるシェイクスピアはいたけれど、音楽家って英国に誰がいる?なのに、オックスフォードにル・メシーがある事実を著者はスコットという英国人登場人物を配して、コレクターとしてのイングランドという一面も描いたのではないか。大英帝国時、世界の富の三分の一だかなんだかのポゼッションが彼らの女王のものだったのだから。そういえばクレモナ。アニメ耳を澄ませば、の男の子が旅立つ街と記憶。以前お稽古事レッスンでご一緒した方のお嬢さんがクレモナでヴァイオリン職人目指して留学中、とお話を聞いたことがある。何でも18世紀以前の建物に寄宿して、そこにはレッスン室があり、お嬢さん自身ヴァイオリンを弾くので嬉しいとか。さて、今はどんな活躍をされているのかしらん。物語次回作では、オークションに影のように出てくるアノニマスな日本人ではなく、こんな東洋の女の子が事件に絡んで意外に活躍、なんてなると面白いのに!ヴェネツィア、ミラノ、フィレンツェ、ローマ、ナポリ、ヴェローナ、ボローニャ。かつて3週間ほど旅して回ったけれど、クレモナには行ったことがない。本書を読んで訪ねたいと感じたのだから観光ガイドとしても成功している。もしイタリア渡航の機会があれば、そことボローニャに再び行きたいな。
2022.01.16
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2022/01/12/水曜日/寒いけれどうららかな晴私はこの画家を知らなかった。碌山ともつながる中村屋に出入りしていた夭折の人。彼を支援するパトロンがいて、下落合にアトリエを持った。アトリエの天窓のあしらい、アトリエの空間並びにそれにつながる居間への内法寸法、漆喰壁の肌合、全てのスケール、素晴らしい雰囲気に満たされる。誰の設計か、中村彝自身のものか。だとしたら素晴らしいセンスの持ち主だ。ここで暮らしたい!そんなふうに思える空間は少ないが、このアトリエには魅せられる。どこか禁欲的で精神の休まる、そんな印象が深い。そしてとても音楽的なのだ。チェロやバイオリン、弦楽器が似合う。外壁の焼き杉板?下見張りとこの屋根瓦。冬薔薇が痩せた姿をフリーズさせ、まるで音符のように南面土台に並んでいる。37歳で逝ったが、その少し前、髑髏を持つ自画像が描かれている。大原美術館が所蔵している。まるでグレコのような。清浄な世界へと昇っていくような。これも、彼の一つの絵である、と思う。
2022.01.15
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2022/01/13/木曜日/寒い晴れの日30歳でパリで客死した。その時まで2度もパリに滞在した。ユトリロやセザンヌの影響の感じられるタブローを残している。当時の日本人画家の中では一番パリに触れた人、のように感じる。アイスブルーのグラデーションが彼には似合う。学生時代に結婚し、アトリエ付き住居を構えた。↓竣工した頃の魔界が記念館に置かれている。妻の米子も画家で、彼女の絵からは苦悩のようなものはやって来ない。↑右上が米子の作品。住居部分は失われ、アトリエだけが修復再現された。↑親密な、ヌックのような空間のある小部屋は祐三自身が建てた空間で、素人の手ながら関東大震災にもびくともしなかったそうだ。在学中に土地を買い、家が建てられ、就職することなく家族と共にパリで学び暮らした。しかし2度目滞在で精神を病み、衰弱死する。それから2週間ばかりして一人娘も可愛い盛りに命を落とした。米子は二人の遺骨を抱いて帰国、まもなく日中戦争、太平洋戦争、大空室、敗戦と続いた日々を生き抜いた上での、あの花の絵、なのだ。
2022.01.14
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2022/01/12/水曜日/穏やかでも空気が冷たい「ぐるっとパス」を12月末に購入したらオミクロン株急蔓延。少しでも行ける内に足を運ぶ。林芙美子といえば放浪記、のイメージで建築とはおよそ結び付かなかった。しかし家の普請に当たり200冊からの住宅関係書を買い込み、研究し、大工連れで京都の見学までしている。求道心の塊のような方である。「生涯住む家を作るなら、何よりもまず愛らしく美しい住宅を作りたい」と多忙な流行作家の傍ら、昭和16年の夏に竣工させた。この住宅には武張ったところも権威的なところもない。水回りと茶の間に最大予算をさいた、まさに芙美子という人間の見える住宅だ。浴室西壁一杯の引違い窓からは寝室とアトリエのある棟の前に植えられたカエデのイチギョウジとオオサカヅキが西陽に照らされ臨める。オレンジと真紅の紅葉が並んだ美しさは例えようがないとか。茶の間の東奥には母のための四畳半がある。すっきりとした狭さを感じさせない内装。こういう部屋を見ると半間でも床の間があるとよいなあ、と思う。玄関アプローチの床石、カマチの踏み石、床の黒曜石、また隣接の客間の意匠は数寄屋風で、作家の住宅らしい格調がある。プライベートな空間のほのぼのとした柔らかさと好対照作家の書斎。ずっと正座で書き続けられる、なんていうことに感嘆する。雪見障子で光をコントロール、裏庭の見える廊下に面した障子戸の内法の低さが美しい。正座から見た内寸法だろうか。右上の照明は書庫の天井灯。当初からのものはこれとアトリエの天井灯だけだそう。また画像で判然としないけれど、外壁テクスチャーに独特のさびた味わいがあると思っていたら、お醤油に漬けた鉄屑を漆喰に混ぜて仕上げたものという。昔からある技法らしい。この季節、さっぱり花はない。けれど小さな案内板を見ると今では個人の住宅で見られなくなったものが並び植えられ、その季節が待ち遠しい。
2022.01.13
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2022/01/11/火曜日/寒い雨の日三本の毛糸がありました。一つは30gの極細モヘア若草色。一つはおそらく姑が保存していたカセの濃い緑のモヘア100gほど。残りはミックスツイードベージュの残り糸70g N先生の、ノット編みカーディガンの応用でこれらの半端な毛糸でコート上から使えるスヌードケープを編むことに。針は6と8号4段ごとにメリヤス部分を一目毎増やしてみるとかなりな裾フレアーとなってしまった。簡単なゲージはやってみたけれど、やはりスォッチ編み=一つのモチーフを3パターンくらい続けてみるべきだったなあ、と反省。仕上がりイメージが違うので、完成したものの解いて編み直し。まあ大きなものではなし、気に入らないと絶対にムダなものとなる。しかしツイ熱くなって気づくと夜中1時過ぎ、なんてことになる。冷えた身体で固まった姿勢は腰に来てしまう、うう。これも反省。見切りをつけてさっさと床に行くべし。若いときは徹夜明けで仕事していたのだから、大したものだった。上は編み直してコンパクトになったところ。コート上からだとフレアーがもう少し広くても良かったかも。下は、今はもう何処にもないもの。ネックをそのまま閉じるか、ボタン止めにするか思案中。教えて頂いたパターンや技法はできるだけ複数体験して身につけるよう試みる。ついでに残り毛糸も活用。
2022.01.12
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2022/01/10/月曜日/午後から晴↓作夏、山梨のベリーガーデンで。ベリーはスグリ以外はたいてい生で食べるのが好み。かつてベリーガーデンが憧れだったくらいベリー好きだが、ハックルベリーなるものを知ったのは2年ほど前のこと。↓ベリーの摘み取り、一昨年前の高原長野に出かけると立ち寄っていらお蕎麦屋さんの奥さんが庭で育てジャムにしているという。一年越しで先月、やっとハックルベリーを手に入れることができた。見た目はブルーベリーに近い。レシピにもよるのだろうけど、ジェリー状にはならずソースのような仕上がり。やや甘い味の仕上げ。その為か酸味は少なくブルーベリーに比べると素朴な味わい。これがヨーグルトに合う。ハックルベリーといえばマーク・トゥエインの小説とばかり思っていた。そんなベリーがちゃんとあるんですねー。どうやらビルベリーの、北米の方言らしい。そうか、ビルベリーのことだったんだ。↑ベリーとリンゴ、スコーンとクロテッドクリーム、ジャム少々のピクニック。ロンドンの植物園で、もう3年前のこと。
2022.01.11
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2022/01/07/金曜日/南の窓はうららかでも風少しあり〈DATA〉中央公論社/星亮一2003年12月10日印刷2003年12月20日発行中公新書1728〈私的読書メーター〉〈判官贔屓だ。敗者の歴史とその鎮魂であるお能が好きだ。従って心情的に会津藩士にどうしても肩入れするのだが、そのセンチメントを少し払い除けてくれる本書。慶喜の描き方はいささかステレオタイプと感じたが、会津藩周辺の民百姓がどのようであったかの資料調査が充実している。勝てば官軍の薩長同盟に対して負ければ賊軍の奥羽越列藩同盟。官軍とて所詮寄合軍、巻き返す機会がありながら、実践を知る参謀も武器も兵站知略も無く、最後は最新式銃大砲に向かい槍で突撃するしかなかった老兵や哀れ。而、これはその後日本全体が経験した事に他ならぬ〉江戸幕藩体制から明治薩長同盟への移行について、私が学齢期に学んだものは世界に冠たる平和な革命、といった教科書を黙読したくらいで、近現代史は遂に授業内で省かれていた。御一新から150年になる今から5年前辺りから、その当時について書かれた記録や物語を思い出したように読み継いでいる。ついこの前起きた国内戦争の内実は今の地平に繋がっているわけだから。本書はコンパクトな新書版だが、会津戦争の激戦地となった市町村の史料なども読み込み、激戦地の周囲の村々がどんな様子であったか理解が進む。一度戦争が始まれば、生命を落とすのはサムライたちばかりではない。会津では籠城に至ったが為に、城内の女子どもも生命を落とした事はつとに知られているが、領地の、武士階級ではない男たちもにわかに軍内に組織されていたのだ。また官軍の北進にある町々、村々は青天の霹靂のような災禍が襲う。蔵の保存食が供出され、女性らは兵士の慰みに駆り出され、挙句戦略の為に村ごと焼き払われる様が克明だ。浪江町はこの時にも辛酸を舐めている。民百姓が生き延びる為の選択は道理で、当然強い側に着く。間道や山道を案内し、薩長同盟軍を支援した村人たちのあった事は会津藩に手痛い敗戦を強いた原因の一つとなった。そんな地域は長年会津藩政に恨みを抱いた原因にあると言う。本書は画像や地図などの資料も豊富で読みやすく分かりやすい。ただ、やや会津藩に辛口のように思ったのは、白虎隊記念館資料紹介にあって、私の記憶に一番残っている資料は紹介されていないなど散見される点。260年も天下泰平の世で、城内にプールを設営し、水の中の実戦的な騎乗訓練を行うなど、他の藩にはみられない工夫もあった事実を忘れてはいけない。本書紹介、板垣退助が官軍の側から示した敬愛が幾らかの慰めでもある。同時に三浦乾也が蒸気船造船を仙台藩の元に成し得た後、仙台藩内の半目で冷や飯をかこつ事になった時期とも重なり、その際の仙台藩の仕打ちは私には酷く感じるが、著者は仙台ご出身で、矢張り地元に緩いのはご愛嬌か。
2022.01.10
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2022/01/08/土曜日/日差しは温かいけれど北に雪凍みる国立のギャラリー銀風工房さんのコンサートに出かける。朝、玄関扉のお正月飾りを取り外したその日に、何故にクリスマスかというとそれはコンサート主催者のパンフレット裏面説明に詳しい。私はクリスチャンではないけれど、クリスマスやキリストに親和性を覚え、アドベントキャンドルの灯りを灯し、生誕祭の夜のお人形を並べ一陽来福を寿ぐ。松の内まではクリスマスとお正月さまが重なりながらリレーする我が家なのだ。だから、今回25日に始まり本日9日終了のクリスマス古楽コンサートが素直にフィットする。このアンサンブル主催者中村会子さんの力量というか、音楽的宗教的な芯の太さが素晴らしい。古楽器は気温や室内環境に合わせて調律もかなり努力を要する。それはどこまでも肉声に近くキリスト生誕の喜びを伝えたい!ただそれだけの心が歌になる。入れ物と容器がとてもしっくりくるのだ。それゆえに音や歌が流れると情景や風景を呼び覚ますような力がある。「天に栄光、地に平和」をコルトナとフィレンツェのラウダで聴かせ、違いを感じさせた試みも興味深い。前者は私に祭のお囃子の調子を、後者は祈りだけに捧げた教団が生きたフィレンツェの風景を連想させた。コンサートの合間にはヒルデガルドや聖フランチェスコの話なども出て、学術的な用土から真摯に紡がれる音楽であることも付け加えたい。本日コンサート最終、場所は飯能ガレット工房 時、である。ガレット!時!なんか素晴らしい閉じ方だ。
2022.01.09
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2022/01/02/日曜日/午後は温かい晴〈DATA〉株式会社新潮社/川端康成昭和56年12月20日発行昭和60年8月15日四刷川端康成全集第二十巻〈私的読書メーター〉〈初読みは13、4歳頃。この世界にすっかりはまり込み、わざわざ遠くの女子校に編入学したのだから人生を変えた一冊といえる。読み直してみると改めて洋子という少女の崇高さが胸に迫る。人間というものは生きた年数によって、或いはその体験の嵩で完成されるとばかりは言えぬとしみじみ思う。清潔さ思索の深さ思い遣り、といった情緒の種の良し悪しは生まれ落ちた時から既にその人特有であるように思う。一見恵まれたお嬢様洋子のクリスマスの贈り物を心から尊く受け入れる三千子、挫折を通し人間の価値、自分の過ちを認める克子、乙女ら伸びよ。〉〈〈私は人間は生まれつき善なる存在と捉える。それでも自身の重ねた馬齢を通して人間本質の善なるものが人間個々の魂的レベルにおいて位階がある、という実感を覚える。 そう感じたのは勤務先の中学で尊敬すべき図書委員の女子中学生に出会ったことが大きい。彼女は未だ15歳だったが40過ぎの私よりもとてつもなく大きな人間だった。 トラブル対処の彼女の対応は私など足元にもおよばない叡智の輝くもの。彼女の存在は凡ゆる差異を超えて尊敬しうる人間のあることを教え、その感激はいつも新しい。同時にいつも自分の小ささを反省させる。〉〉洋子と克子は、ミッションスクールの新入学生三千子の鞘当てで、感情をもつらせる。洋子は樹木の花を愛する人、克子は濃い紫の匂い菫を愛する人。洋子は賢く控え目で思慮深く、克子は活発、スポーティで自分の感情を全て外に発散させる。そんな彼女は欧米の少女とも対等に交際する。まるで完成された人格者のような洋子という存在、しかしなぜそんなパーソナリティを持ち得たか、洋子の家庭の事情も段々見えてくる。三千子は洋子を敬愛し夢中になり、周囲からも二人はエスの関係であると認知される。そんな二人が離れた夏休み、避暑地で偶然克子に会った三千子は、後ろめたさを覚えながら克子の魅力にも惹かれる。そもそも誰とでも仲良くしてはなぜいけないのか、と考えてしまう三千子…三千世界に咲く花の、匂い立つ艶やかさ、少女たち薔薇は生きている、劇中劇のような洋館の荒れた庭。嫉妬深く意地悪な、強い娘はその強さで自らの過ちを認め許しを乞う勇気、克己がある。その時未来は新たに洋々と開かれる。無垢なものが誤謬を犯し、贖うことで真理に到達する。洋子は見守る人、証言する人であろうか。いや矢張り幾ばくか嫉妬もし恐れもしたのだ。それでも洋子は矢張り遥か高みを行く人。この3人の乙女は3人で一人のパーソナリティかもしれない。其々のペルソナが知性、感情、意志を示すかのよう。物語を読みながら時に宝塚が演じる源氏物語の世界が展開しているような印象も。本作は中里恒子の原作を川端が手を入れた事が定説だ。さて。この本に出会った中学時代。好んで読んでいたのが、哲学入門とか貝塚茂樹の論語とか宮沢賢治伝記とか岡潔や寺田寅彦の随筆だった。その折、人格とは遺伝をベースに環境と教育で作られる三角形、といった表記に出会ったことをよく記憶している。授業で「獲得形質は遺伝しない」法則みたいなことも学んだ頃。数学や音楽の天才が耳に似た形態の渦巻官をもつことはよく知られている。今日では笑い話だが、19世紀にヨーロッパを席巻した人相学、骨相学では犯罪を犯すものの外的特徴に共通するものを学者が真面目に研究したという。音楽、スポーツなどには確かに遺伝上のアドバンテージがあるように思うが、三角形パーソナリティから考察すると、犯罪は教育、環境因子に因ると思う。盗まなければ飢える状況下では私も盗みを犯す。これ間違いない。ところで最近の知見では離婚遺伝子なるものが存在するという研究もあるそうだ。ほんまかいな。その研究者自身に離婚因子があるので、離婚に至らぬよう環境を予め徹底的に考え、時間や趣味のありようを工夫している、というのは知人から聞いた話。知るは防御なり。しかし、簡単に道徳や善から転び落ちる多くの私のような人間の中に、より困っている人のために自分の全てを差し出す驚嘆するような人がいる。多くを持ちながらまだ貪る人もいる一方で。この違いとは何だろうかを考えずにいられない。本当に人格は遺伝、教育、環境の三つだけだろうか。人間は身体と感情と知性だけで認識できるだろうか。私の実感としてある大きな問題は「輪廻転生」という考えだ。因果応報、撒いた種は自ら刈り取らねばならないは道理。それが時空を超えて私という人間の実体に刻印される、今ある生は過去のどかかでの果である、という考えは私に根強くある。ごまかせる、騙せる、そんなものなど一つも無いという実感がある。遺伝は祖先から連綿と受け継いだ命のバトンだが、全き私は幾度か生きた人生でその時その時の私自身が、行為思考の中に記して来た一冊の本のような、何と名づけるべきか、霊魂か。言わばヒトとしての血統とindividualな霊統。この二つを有しているのが人間ではないだろうか。人は全て平等、尊厳を有している。にも関わらず明らかに霊魂において高低がある。ヒットラーもマザーテレサもヒムラーもガンジーも等しく人間だけれど、人間として遥かな距離がある。乙女の港を読んでこんな思索の旅もした。年の始めに。
2022.01.08
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2022/1/7/金曜日/温かい日だけれど昨夕からの雪仕事から帰ると我が家の周囲はこんな雪景色振り返ると私の足跡だけが私に続く音が雪に吸い込まれ静かな道寒い日は何といってもストーブの傍かおこたの中でせっせと編み物、の喜びが倍増する。ブリオッシュでストール編みたい、毛糸のパンツもよろしい、何より毛糸と余り毛糸の山を何とかしたい。と思いつつ、年末にまたこの一冊が増える。毛糸も増える。
2022.01.07
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2022/01/01/木曜日/昨日は寒の入りの寒い曇天カーディガンが編めた後、一玉半の毛糸が残る。アイルランドで買った白い帽子をベースに製図もせずに編んでみた。再現は難しいかも。髪の薄くなり始めた兄に届けよう。
2022.01.06
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2022/01/04/火曜日/日差しコントラストの強い晴昨日の午後は相当密な浅草も、4日の午前10時頃は呼吸もしやすい混み具合。それでもできるだけ少ない路地の方へ。路地で、ふじ屋という手ぬぐい屋さんを発見。三代続く、オリジナルデザイン手ぬぐいが渋い。お店に飾られていた市松人形の女の子、とてもよい作品で思わずお店の方に尋ねてしまう。藤村光還という墨田区一番の名工だとのこと。この作品は光還が明光と名乗っていた時分のもののよう。ソラマチの産業展示館でもっと見られる、と教えられ丁度スカイツリーお膝元に行く予定だし訪ねてみることに。浅草からは目と鼻の先、すみだリバーウォークを歩き向島へ隅田川付近からスカイツリーが色んな額縁で見えてくる。本当に美しい塔だと思う。ようやく辿り着いたソラマチ5階にはたっぷり空間を取り、墨田区マイスターの作品紹介や販売があった。しかし市松人形は一体のみ。お顔も余りピンと来ないもので残念。デパートの販売展示会などではそこそこまとまって見ることも可能らしい。次のご縁を待とう。電車で鐘ヶ淵に出る。向島七福神の多聞寺へ向かう。山門は珍しい茅葺き。真言宗智山派 隅田山吉祥院 多聞寺。ご本尊は毘沙門天。ほんとうのことを見抜く智慧とほんとうのことをまもる勇気を示すお姿という。この一年これを忘れず心がけよう。前回訪れたときはやや裏寂しい白鬚神社だったけれど、お正月は御神輿なども開陳され、人出も賑やかに華やいで、寿老神さまもお喜びの事だろう、おめでたい。最後は向島百花園の福禄寿さま。実は今年のスケジュール帳見返し紙にスタンプを昨日から押していたのでこれで全部揃った。松の内に七福神巡り、の初体験。二つの福神さまの間に素敵なテーラーを見つける。墨田はモノづくりの街だなぁ。センスが光るほんとうに良いものを作る若い人が途切れる事なく続き出て、その仕事でちゃんと上質な暮らしができるような国になってほしい。今度、墨田で仕事用のバッグを探したいものだ。
2022.01.05
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2022/01/03/月曜日/朝雲多く冷えたのち晴9:30頃浅草寺に到着。仲見世通りは平日お休みくらいの混雑。浅草神社はかなり並んでいるので列外から拝礼。待乳山聖天へと向かう道すがら和菓子屋さんを発見。浅草寺と待乳山聖天さん御用達の看板。この地で110年以上営まれているという。あの関東大震災と3.10大空襲を生き延びて。焼き菓子三種を二つずつ購入。美味しいくお財布に優しい。聖天さんに10:30頃か。本日は浅草七福神の毘沙門天さまがご開帳。神楽殿では雅楽がちょうど始まり、お暇する頃には奉納大根を下され、誠に有難い。次回は大根奉納させて頂かなくてはと思いました。隅田川たもとの公園まで来ると浅草混雑は嘘のようにのんびりと静かで地元の子どもたちやジョギングする人の日常風景が…桜橋から向島へ。地元の人と賑わう七福神巡りの中を早めにお蕎麦ランチ。すずめのお宿、はたまたま入れたけどお昼は要予約の印象。流石蕎麦激戦区、味も歯応えもある自家製粉、十割蕎麦。向島をひやかして、言問団子を頂いて三囲神社、牛嶋神社を経て言問橋から浅草戻る。花屋敷前の天然温泉宿で湯に浸かり、浅草六区をうろうろと。途中凄い人出におじけつつ、お好み焼きのつる次郎へ。なんとなんと!待ちリストは次の次の真ん中くらい。未だ5時になったばかり。とりあえず記入。お腹はすく、呼ばれる気配は一寸もない、仕方ない。染太郎は回ると13日だったかにお店開けるそうな。がっくり戻る途中、どこのお好み焼きもんじゃ焼きも若者グループが並び待ち。浅草って今や若者の街なんだなー、お年寄りはあまり見かけない。他のお店で並んで待ちつつ、つる次郎を行ったり来たり。名前を呼ばれた時そこに居なければ即リストアウトルールらしい。結局つる次郎に入れたが、記入してから1時間半が過ぎていた。お好み焼きを食べるのがこんな大変なことだったとは!二人でデラックスモダン焼き、デラックスもんじゃ、浅草焼き。それに水菜サラダとスモークサーモン。生ビール二杯ウーロンハイ。はふはふぐーぐびり、の幸せタイム
2022.01.04
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2021/12/31/金曜日/寒く風花舞う日〈DATA〉里文出版/益井邦夫1992年5月25日〈私的読書メーター〉〈隅田川沿い長命寺裏の案内板。それにある洒脱な都鳥デザインは三浦乾也作。陶工でありながら長崎研修わずか半年で得た知識で日本初の蒸気船を仙台藩下造船。江戸湾まで航海、船長も彼自身という。黒船を見て蒸気の仕組みに気づき独学でモデル作りするなど開明奇才の人物だ。幕府に海防造船を建じ得たのも乾也とその養父が一流の陶工で将軍前立ての腕があった事が大と思う。本書は乾也を中心に鎖国から開国へ至る日本美術の血脈を風雲急を告げる時代背景の中、足で得た資料を元に描き、乾也の反骨風狂振りが克明。黒船や遊女も愛した乾也玉。〉乾也は薩長を嫌ったという。まあ代々幕府御家人の倅で銀座生まれであるのだから左様だ。江戸っ子に田舎侍は嫌われ会津藩士は同情含めて愛された。そんな所以の輪王寺宮の反錦の御旗なのだろう。さて乾也の父親清七は笛の名手で舞台に出、芸名構えていたようだから、侍とはいえ扶持薄くもっぱら芸能活動で糊口を凌ぐ有様、乾也は生まれてすぐ里子に出されている。或いは母の産後の肥立ちが思わしくなかったか。そんな乾也を清七の実姉夫婦が引き取り、乾也は江戸に暮らす。養父井田吉六は陶工として初めて将軍家斉の柳営で席焼を行った名工だ。その手ほどきを12歳で受け、15歳で生涯の師、五世乾山西村ニュウアンと出会う。乾山流陶器法の修行を行い、乾の一字を貰う。24歳で五世から乾山伝書一式与えられ六世を襲名した。当人は師への敬慕尽きず同列に並ぶを謙って終生、乾也とだけ称す。そんな所に人柄が偲ばれる。若き改革者、老中阿部正弘がもう少し長生きすれば、乾也の力量はその後の幕府の運命さえ左右したかもしれない、日本人による初めての蒸気船造船を成したのだ。その後もこの国は乾也を用いるには余りにも保守的泥縄的近視眼的だった。時代がこれだけの人材を用意しながら残念なことだ。弟子や養子に慕われながらもその才は明治22年68歳で閉じた。乾也は蒸気船ばかりか国産の碍子一号を工場生産させ、当時国産が無く大変高価な煉瓦を自前で作り、ガス燈の必要性を訴え、復活させた伝統窯も多々である。殖産によって富国強兵を成し遂げ、進んだ文化を取り入れつつ幕末から明治へ、日本を対等な独立国とすべく乾也は東奔西走した。江戸っ子らしい短気直情と諧謔、弱い者への温かい思い遣り。乾也の焼いた言問団子の都鳥の絵や乾也玉のアクセサリーに、私はその性質を見るのである。
2022.01.03
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2022/01/02/日曜日/早朝少し曇り暮れにかけて水通し後アイロン掛け。大晦日、黄白見ながらボタン付け。元旦これを着て初詣。本日娘に手渡す、3日カーディガン となりぬ。
2022.01.02
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2022/01/01/土曜日/晴天古刹に関心を持ち始めて初めての初詣になる本日、京王聖蹟桜ヶ丘駅側の小野神社を訪ねる。埼玉の氷川神社は大変な大宮だが、こちらは驚くほど小ぶりな神社だ。しかしながら南北朝時代成立の『神道集』では「一之宮小野神社を筆頭に、二ノ宮小河神社、三之宮氷川神社、云々」と由緒書にあるので、ある時代まで小野神社の格は高かったようだ。当時の武蔵六所の宮総社、現大国魂神社が隣接府中市に座していることからも理解される。当時は大国魂神社に比肩する規模のお社であった事だろうが、長い歴史の中、火災や多摩川氾濫などで今に至る。地名、多摩市〈一ノ宮〉に記憶が。由緒書には、主神は天下春命アメノシタハルノミコト、とあるが、神社関係資料を見ると多摩川の水の女神を祀ったのが始まり、なども目にする。この女神が瀬織津姫と呼ばれるミステリアスな姫神だ。そういえば荻原規子の『レッドデータガール』の主人公少女は高野山に住む巫女。彼女の、あまり姿を見せない母こそ瀬織津姫だったかも?鳥居をくぐると立派な門がある。そこには龍神さまが彫られているではないか。天下春命と瀬織津姫の二柱の門でもあろうか。今年の初詣に因んで今年はミステリアスな瀬織津姫を少し辿ってみようかしらん。ところで当地は小野郷と古来呼ばれた土地。かつて琵琶湖西岸にいた小野氏一族のあるグループが、どんな経緯かここに植民したことなど妄想される。そこには暴れ川多摩川の鎮まりを願い、瀬織津姫が先来植民者によって祀られていた?小野郷9社を兼務する社務所があり、御朱印をまとめて頂いた。帰宅後見るとなんと!小野神社の御朱印が欠けているではありませんか。これをどう卜する也?尤も電話で事情を伝え、ご親切にも我が家に送って頂けることに。おみくじならば、遅れるが願いは叶う末吉としよう。
2022.01.01
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