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2024/11/27/水曜日/何ですか、の暑さ戻る今月の、いきなり寒くなった日の夜に、知り合いの知り合いというご縁でヒーリングタッチを受けた。公共施設の机が簡易的寝台に早変わり、居心地よくマットが敷かれ、そこはかとなく穏やかなハーブの香り。明かりは消され、間接照明かキャンドルか?心地よい音楽も静かに流れ、温かい。事前に少しの説明や、痛いところや触ってほしくない所など簡単な質問があった。終始身体には触れない。始めにシーツ越しに、施術者の両の手で、手をくるまれ、足をくるまれ、最後に頭を包まれたくらいが触れた、といえるかな?目を閉じていたのでどういうことが起きていたかは判然としないが、身体から少し離れたところで施術者の手で温められていた印象。いつの間にか気を失うようにストンと眠っていた。目が覚めた時、家だと勘違い。とても短い時間だったはずだが、信じられないくらい深い眠り。一体私はどこに行ってたのだろう。その後、額のあたりに風が吹いてきたような感触とか、内蔵がすごく活発に動いている感覚が残った。小一時間、得難い身体の体験をした。その後3日間ぐらい腸がぐるぐる動いてた。
2024.11.27
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2024/11/25/月曜日/晴れ、初冬の〈DATA〉出版社 中央公論新社著者 藪本勝治2024年7月25日 初版2024年8月10日 再版〈私的読書メーター〉〈平家物語後のリクエストが今頃。本居宣長からご一新の時代を600年遡る。とはいえ、歴史のダイナミズムよ。黒船来航と蒙古襲来、度重なる自然災害、帝を頂点とする都人の興亡、鏡映し。幕府の正史であれば民衆宗教語らず、されど新仏教、新興宗教と世情不安の折に栄える。著者曰く「蒙古襲来という未曾有の事件」は東海の小島の我らご先祖さまを震撼させ、上から下まで「寄って立つアイデンティティ」の補強なり創設を促した。本願は権力者の正当性だが、その仕付け糸を解けば異なる紋様を目の前に展開させ、解く前から想像力裏打ちの知性を説く。〉潤色、曲筆という言葉がリフレインされる。著者は灘高国語教師である。ナイーブな歴史甘受を戒める。知性は反権力モーメントで時代を平衡するのであるなあ。自己の肯定に資する情報を選択的に信じようとする我々自身の姿に対する自覚を促す。覚園寺の開基目的は異国降伏だが、その裏の貞時の意図は得宗家の先祖義時を追慕するため記念建造に絡め、源氏将軍時代に遡り、その正当性を語り直すこと。泰時と貞時の徳政フィクションは韻をふむ。頼朝の奥州合戦は幕府の強い影響力が奥羽に及んだ、また泰時の承久の乱はそれが京都に及んだ画期。そんなふうにメリハリが効く。幕府の西国出先機関、六波羅探題東海道、東山道、北陸道頼朝以来幕府と密接な関係をもつ諏訪明神の助力宇治川渡河の合戦で名を馳した春日貞幸、彼は諏訪氏某系、諏訪明神に加護されたと神掛かり義時と比企家の姫の前の間に生まれた長子、名越朝時、極楽寺重時兄弟はなぜ義時を継げなかったのか。実家では名越を祖とする過去帳があるというが、はて。あまり褒められた人物でないのが曲筆抜きではどうか。時宗の母は重時の娘なので、執権北条とは何かと寄り合っている。頼家、実朝の悪王化も度を越している。実朝暗殺を三浦義村とする魅力的な解釈が永井路子から出たが、今は公暁とその一味の単独が通説という。後鳥羽院の祟りこそ仏教繁栄のよすが。権力者は祟られる。その自覚がある、脛のキズどころか。
2024.11.25
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2024/11/22/金曜日/季節は冬へ、の小雪↓ブロッキング中お嫁ちゃん親族が大勢で日本観光に。中にはご高齢のおばあちゃんも!それに合わせ、冬を知らない方へのプレゼント兼タイでも肌寒い場所で使えるようにと考え、結局8月に編んだショールと同じ糸で、先行の反省を活かしつつ編んでみた。↓この糸に関わり始めの季節この2本のコーン巻とのお付き合いは8月半ば過ぎから始まり、延々と続く。小さいショール、スカート、七分袖のチビセーター↑雲も風も水もお日さまも、巡り動くよそれでとうとう。リストウォーマーを編んだら糸もここまで細った。↓最後の萩の花が寒そうになりつつ、の少し前↓元はこんなに福福しかった!その身を削って役立ってくださいます。糸さん、ありがとう。消しゴムさんありがとう。ところで!地域の施設の手芸クラブでアテンドしてくださってるステキなお若い職員さんも実は編み物フリーク某ブランドで7万なりのキャミ、手が出ない彼女はそのデザインを目に焼き付けてなんと再現してしまった!すごい!オシャレ、似合う!眼福でござります。クロシェとニットの合体!欲しければ作れば。を合言葉に私もせいぜい励みます!オス!↑今年6月のTversted のイサガーブティックで見たキャミソール。彼女に教えてあげよう。
2024.11.22
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2024/11/20/水曜日/本日の最高気温8度!影向寺と書いてヨウゴウジとよむ。正しくは、威徳山 月光院 影向寺 薬師三尊像が十日まで見学できるれる聞き、好天に恵まれた中、散歩がてら出かけた。ここはなかなかの古刹である。寺縁起によると夢告を受けた聖武天皇が、目を患った光明皇后のために、この地に行基を使わし祈願させたところ平癒したという。それで翌年お堂を建てたのが始まり、というもの。ところが発掘調査で、その起源は百年近く古い、7世紀半ばから後半には既に古代影向寺は既に創建されていたという。今は江戸時代に再建された薬師堂に前立仏がいらして、ご本尊の薬師如来さまは、その裏の庫リに保管され、折々の記念に開陳されている。薬師瑠璃光如来印象は、お顔の優しさの割に身体は奈良時代の仏像のようにがっしりとしていること。古代と平安時代が混ざり合っているような。角度によってお顔も変化する。説明では11世紀後半の制作で、おそらく地元では武州の仏師の手によるものだろう、とのこと。この仏さまの中に胎蔵仏があったそうでそれも展示されている。仏像制作を発心した女人像であろうか。展示には胎内女神像、とある。青銅器文明、すなわち、お互いを殺戮するような武器が発明されるまで、人類信仰の対象は女神であった。生命を産み出す女性が畏怖の対象であった。そのことを考慮すれば、菩薩の胎内に女神像を宿しているのは歴史認識に即している。しかし、もう一体、これは明らかに仏さま。女神像よりだいぶ小さい。薬師如来はお一人ではなく、日光、月光の菩薩さまを脇に従えている。お顔の感じは如来に近く、身体はほっそりとした立像で、背後には十二神将立像などの眷属が控えて迫力がある。これらも平安後期の作。力のある新しいであったことが理解される。寺内には太子堂が新築なって、中に南北朝時代、14世紀作の木造聖徳太子立像が安置されていた。小さいながら非常に優れた太子像で、こちらもお堂に合わせ修復されたらしく、何というか近代的ともいえるようなお姿を見せている。
2024.11.20
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2024/11/18/月曜日/昨夜は蚊に悩まされる!❸ 手打蕎麦 ふじや新宿区十割蕎麦 もり ¥1080並ぶことが当たり前に。いつもの十割、蕎麦産地案内が九月のままそろそろ新蕎麦じゃないの?と聞くと早速厨房に尋ねてくれる。今日から新蕎麦とか!なら、夏新蕎麦の案内を替えるなりしてほしいもの。コシあり十割、ツユも濃いめで量もたっぷり。よそで食べてはここに戻る、こちらふり子。❹蕎麦おさめ ← 空振り新宿区下落合 最寄り目白駅100%予約。コースのみ、因みに昼¥5500ふらっと寄れるお店じゃなかった。玄蕎麦に惹かれたんだけどねえ。にしても、注文の多い蕎麦店。で、仕方なく街の蕎麦屋典型のような⑤さんへ。⑤吉祥庵 目白店 初訪問豊島区大モリ ¥980新蕎麦、二八。モリは140gと聞いて、大モリを注文。小麦が入ると気のせいか甘みの印象が強くなる。十割はもっとほのかで清潔感を覚えるのは香りに引っ張られるから?蕎麦はまあそこそこ、としてツユが出汁の香りが少なく甘めで残念。2階、小さめの店内は落ち着けるけど。
2024.11.18
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2024/11/17/日曜日/はれ横山大観記念館は不忍池西、岩崎邸の北、東大附属病院の東にあり、ゆったりしたよい土地柄だ。上野に出かけた折、少し足を伸ばして自宅兼画室の旧宅を見学した。↑こちらは要人訪問時の正門↓二間構えの、数寄屋振りの玄関は料亭でもなければ旅館でもない、住居である、何かを志す者の住まう所である、が一目で分かる。品性が伺われる。お代を払い見せて頂く観覧者は、しかしこちらから入るのである。こんな企画展が住まいの一画で催されていた。大観は本来建築を志したのだ、とか。この住宅にはそんな彼の志が垣間見える。撮影は2階の画室のみOK ここで大観は画を描いた。なんと清潔なことだろう。↑ビデオから。財界人、文化人、大使ももてなしたサロン鉦鼓堂は中左。↓パンフレットから。床に掛けられているのは霊峰飛鶴。見る角度で鶴の輝きが変わる。照明器具も大観のデザイン。ノエミ・レーモンドが彷彿。同時代。しかし、この部屋で私の目が吸い寄せられたのは不動明王像だ。素晴らしい。大観はこの像のために、サロンを作ったのではないだろうか。壁に繰り抜かれた厨子に鎮座する。硝子面が無粋、当初は無かったろう。明治41年から昭和33年に没するまで、戦災で全焼した後、ほぼ同じに復元しここで暮らした。
2024.11.17
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2024/11/15/金曜日/晩秋から初冬の雨風景が心の糧になる尾瀬ヶ原東電小屋辺りから青空が見え始めた。ヨッピ川の水面が朝日にきらめく。↓これは池塘に映った空である。なんとうつくしい交通要所の牛首まで来たら、もう尾瀬ヶ原は残りわずかになりつつあるのだ。おや、至仏山にかかる雲が見ている内に腫れ上がってゆく。撮影していると向こうから大きな荷物の歩荷さんが。朝の挨拶をした後に声をかけないのがマナーだと娘に注意される(´;Д;`)撮影をするのは大丈夫らしい?腕を前に組んで俯きがちに足元を見ながら歩く菅田が近くなり、遠ざかっていく。見晴まで運ぶのか。昔日の歩荷は200k近い荷物を背負って山のガレバや渓流をとんでもない早さで歩いたと聞く。そうやって黒部ダムだってできたのだ。歩荷さんは燧ヶ岳ヒウチガタケに向かって小さくなっていく。ここ尾瀬ヶ原で二つの日本百名山は対峙するように向かいあう。その山容から至仏は女性、燧ヶ岳は男性に例えられるのだとか、これも娘から教わる。↑逆さ燧ヶ岳の撮影スポット風景に見惚れながら娘の写真を撮影してしているとまたまた歩荷さんが。あら、画像に入っちゃった。すみません!というと、なんとニコニコしながら、写真、一緒に撮りましょうと言ってくださるではないか!早く早くと娘をせかして一枚パチリ尾瀬で有名な、ホトケの五十嵐さん、であった。彼と仲良しのユーチューバぽっかのまーくん、の話なども娘から教えてもらう。ステキなプレゼントを頂き、気分は上々。次の休憩地、山ノ鼻ではお待ちかね、花豆ソフトクリームを食べるのだ!山ノ鼻は別荘地のような賑わい。これから見晴辺りまで日帰りハイキングのような軽装の人が沢山。うっすらアズキのような味わい、優しい甘さ。ほぐれる〜一本だけ、みごとに紅葉。ここにはビジターセンターがあるので、目にした💐の名を再確認。小動物には出会えなかった。幸いにクマにも。この後は少し山の中を上り下り歩いてお昼前には鳩待峠に辿り着く。お土産屋さんでぽっかのまーくんは養蜂家でハーブ栽培、加工もしていることを知った。すごい!まーくん、天晴れこれからのモテ男子のライフスタイルだねえ。あ、でももう結婚してるって。一泊二日のハイキング終了また来年ぜひ来たい。そうそう、尾瀬ではなぜか楽天モバイルが絶好調で他のキャリアを羨ませたのも心地よい。こんなケース、レア過ぎて笑
2024.11.15
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2024/11/14/木曜日/曇り空① ゆき庵 台東区ここではお昼に出される海鮮丼が出色。 しかし12時では既に終わってる。それが食べたきゃ、開店同時に入る勢いですよね?と聞くと、そうねえ日によっては二つくらいしか用意できない時もあるって⁈もちろん本日も食べ損なう。もりにする。180gあるというから十分。800円、ありがとう。しかし二八。喉越しよし、ツユは好み。聞くところによると田舎蕎麦は十割らしい。次回また海鮮丼が外れたら十割にします。② えもり 渋谷区 初訪問知らなかった。代々木上原はたまにお蕎麦で立ち寄る駅なのに!この駅ではここが一番私好み。新蕎麦は来週からですとー残念だけど、せいろ十割、嬉しいな。蕎麦粉だけで面に延ばすのは難しい。蕎麦打ちを教えてもらった時、蕎麦粉だけて打つ時は水と空気でつなぐので、ともかく手早く空気を含ませると聞いた記憶があるが確かだろうか?なので?水分多めにして繋ぎやすくするのだろうけれど、その塩梅が難しい。また水もちのある十割蕎麦は独特のヌメリ感?が増す。それとは逆に、すごく歯応えがあって、翌日の餅の如き硬い十割蕎麦もある。そこまでいくと、喉越しが懐かしくなるのである。当店の蕎麦は前者に近いややユルだが、ぎり、コシも保つ。いい塩梅である。ネギなど余分なものは無し。本わさびのみ、というのがキッパリしている。私的に許せるのはネギまで。でも実はワサビだけの方がうまい。本当に蕎麦それ自体がうまければ。オロシやゴマは蕎麦湯で割って飲むときに頂く。なので当店のようにワサビだけ、というのは新鮮意外や深鉢。量も160gはありそう。せいろ、千円。代々木上原でお蕎麦を食べる時はここにします。
2024.11.14
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2024/11/13/水曜日/少し暑くなるらしい晩秋お風呂開始時間から少し経って行くと既に浴槽前に三人待ちだ。脱衣カゴが満杯になると浴室前に並ぶのがルールみたい。浴槽は小さめが二つあるので、8人くらいいけそうだけど、セーブしてくれていて落ち着ける。お風呂で手足を伸ばせる有り難さ。韓国人グループの方も説明に耳を傾け、それでもいいじゃないとばかりに仲間に入るよう促す人、笑って待つ人、それぞれ。韓国人グループとはハイキング中に沢山出会った。どうやら韓国で尾瀬がブーム?私なんぞが知らない日本の良いところを海外の人の方が知ってる時代なんだろう。宿には小学校低学年くらいの子どもたちや若い親御さんも数組。子どもらは元気いっぱい大騒ぎだったり、疲れたのか不機嫌気味でも、宿で働く人にきちんと挨拶する。自然を大切にすることも身についている。眩しいなあ。親から子へ、山の楽しみがリレーされていく。夜は早々と床につき、朝は一早く食堂に降りて、普段以上にご飯をしっかり頂く。お昼ご飯を鳩待峠の食堂で食べる予定。見晴十字路から西北へ、東電小屋をとおりヨッピ川沿いに尾瀬ヶ原を一周するルート7:00 小屋を出る。尾瀬ヶ原にはモーニングデューが降りている。徐々に霧が上がり始める。霧がすっかり腫れ上がり、9月末なのにアケボノソウが姿を見せてくれた。
2024.11.13
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2024/11/12/火曜日/日差しが暑いニットでお世話になっている西村先生も出展される、編み物師範の先生方8人によるフリマ主催は大魔女の丸山先生初日の昨日、仕事を早引けして訪れたら既に作品がまばらな感じ。お昼頃、小さなギャラリーが人でいっぱいで動けないほどだったらしい。私は残りものに福あり、で布とニットのキャスケット↑帽子デザイナーの福井章子先生作品。デンマークの伝統的なケープ↑望月先生もイサガーワークショップでご一緒(^^)クロシェケース↑古谷美智子先生リストウォーマー↑やれやれ西村先生の最後の一点!ユニークなデザインです。感覚的にはケープ一つ買えない価格で全部購入した感じ。とってもお得!あまりに商品が無くなり、再度先生方に緊急取り寄せするらしい…何より先生方のニット編み地はしっかりした、淀みない手の運びを感じさせる。うーん、遠い目標だー↓西荻窪のギャラリーステラさんで
2024.11.12
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2024/11/11/月曜日/午後には晴れ間竜宮小屋が見えて来た。この辺り、尾瀬歩きの交通要所だ。私たちはトレッキングシューズのストック持ちだが、この辺りのみを日帰りハイキングらしきの人たちはスニーカーの軽装。老若男女が俄然増える。竜宮を直角右へ、今夜お世話になる弥四郎小屋へ向かう。この辺り、地名どおりに広々とした平野、気候も丁度よい具合でみなで気持ちいいねえ、を繰り返す。真正面に、本日のお宿。ダークチョコとペパーミントグリーンが愛らしい。随分大きな建物、これが満室。中央の大きな階段を上がった、ワタスゲが私たちのお部屋。八畳くらいの和室に三人で床を延べます。荷物を置き、お風呂まで時間があるので、3時のお茶をしに、隣接の尾瀬小屋へ。尾瀬小屋に行く前に弥四郎清水、冷たく凄烈なお水が飲める。尾瀬ヶ原の美しさに魅せられ、清水の湧くこの地に川漁師の橘弥四郎さんが初代山小屋を建てた聞く。魚を求め川の上流へと渓谷を行けば、幾らでも美しい風景が眼前にあったと想像される。それでも尚、尾瀬ヶ原の美しさが格別だったのだ。自然に生きる人の美の享受、高尚な気分もどこらやら。尾瀬小屋のカフェメニューが素晴らしい。美味しい!鳩待峠からここまで歩荷さんが背中に背負ってやって来る事を考えれば、とてもお安いと思う価格で提供されている。ビールの向こうには尾瀬ヶ原。最高だ。
2024.11.11
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2024/11/10/日曜日/曇天この辺りから池塘チトウが現れる。鳩待峠から4キロ、尾瀬のイメージの木道続く高い所に台地が開けて見晴らしがひろがる。曇天につき、強い日差しが遮られ歩きやすい。アヤメ平まで来る。とても好きな風景だ。なんとなくアイルランドが思い出される。共に泥炭の沼がある。わずかに葉紅葉が始まっている。ゆっくり風景を愛でながら歩く。あー来て良かった。アヤメ平を抜けて富士見峠までの道は、今までの景色と打って変わり、ここが随分な高度であることを認知させる。絶景かな。天気の良いときは文字通り富士山が見えるのだとか。そこのスポットでお昼ご飯タイム。おむすび、ゆで卵、ぶどうなど。とにかくゴミを最小にする。少し休憩なったところで、これから今回尾瀬歩きの難関?中級者向けの道を竜宮まで辿る。高度ほぼ1900m地点から1400m地点までの500m分を4.2k下る。2時間目安。↓サルノコシカケ?ナメコみたいな色とヌメリの美味しそうなキノコが共生中急な下り坂を適切な石を踏んでは降りる。これは上りは辛い。こんな道標を見ると、やれやれ。クマ目撃!こんな開けた所をゆうゆうと横ぎるとはこの先、竜宮。雨も心配されたけれど、少し薄日もさして予定より1時間も早く山小屋に着けそう。
2024.11.10
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2024/11/08/金曜日/穏やかな初冬九月末に念願の尾瀬歩きを楽しんだ。知人曰く、秋の尾瀬が最高。新宿バスタから尾瀬戸倉←尾瀬の上り口である鳩待峠までマイカー禁止のため、尾瀬を目指す人はここでマイクロバスに乗る。今回の私は、高崎で前泊して娘夫婦の車に同乗し、やはり尾瀬戸倉近接の大きな駐車場にパーキング。ハイシーズンでないためか早朝のためか、駐車場は空間が沢山あり、それほど待たずにマイクロバスにも乗られた。東北や関西方面のナンバーも。予め券売機でチケットを買い、順ぐりで人数調整しながら乗車する。30分ほど揺られて鳩待峠のバス発着エリアへ。これ以降トイレは有料、宿においても凡ゆるゴミは持ち帰ることになる。トイレ用小銭も用意。↓鳩待峠小屋は新築なるらしい。小屋の裏方から細く急峻な登りがいきなり始まる。私もついて来れるよう娘が考えた、この度のルート鳩待峠→アヤメ平→富士見峠→竜宮→見晴(山小屋宿泊)翌朝、山小屋を出て、見晴十字路を北上、東電小屋をすり抜けてヨッピ川と付かず離れず、牛首分岐から山の鼻へ寄って鳩待峠へもどる。これから紅葉が始まる、あと2週間で山仕舞いというところ。でしたが。尾瀬は素晴らしかった。沢山の人を惹きつける、ということがよく分かった。また是非訪ねたい。今回は寄れなかった所も見たいけれど、何といってもアヤメ平から富士見峠の景観の素晴らしさ。思い出すたび、クマ避けの鈴と共に心の鳴る尾瀬
2024.11.08
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2024/11/07/木曜日/もう立冬〈DATA〉出版社 幻冬舎著者 柴田哲孝2024年6月20日 第1刷発行2024年7月27日 第8刷発行〈私的読書メーター〉〈フィクションというよりは仮説、英語でハイポシーシス?オリジンラテン?な小説か。政治家暗殺は歴史事件と見なす時代を安楽に生きていたら石井紘基さんや赤報隊事件にぶつかり、背筋を冷たいものが流れるような感触を覚えたものだった。戦前からミャクミャク←大阪万博やあらしまへん←と繋がる何やら禍々しい実体は敗戦で消滅するどころか、岸、安倍三代に絡みついて養分をやり取りする奇態な生命の如し。真実を口にして消される、そんなことが罷り通るのか。報道の自由度72位、甘んじるのかわれら。知識人がまともに皇室を論考しないツケも。〉扉を開くと目次。次に開くとタイトル。次に開くと 「この物語はフィクションである。」の断り。更に開くと 序文 十二単みたいな作りの果ての序文を読んで、私なんぞは鼻白らむ。しかし、朝日新聞阪神支局襲撃事件のプロローグで引き込まれる。またあの事件をなぞらされる。あれ以来日本から徐々に報道が変化し後退しているではないか。誰だって命は惜しい。ましてや暴力的に奪われるなど恐怖以外の何物でもない。だからこそ警察も検察も何としても犯人を挙げて、法の元に裁いてほしい。しかしそれができなかった。できなかった?もちろんこの事件だけではない。薮入りの事件被害者のご家族の事を考えるといたたまれない。著者は統一教会犯行説をほのめかす。そして第一部へ。本編は意外なシーンから始まる。新しい元号、令和を掲げる原官房長官。とあるのは菅氏のことだ。固有名詞である姓名は変えられているが、文中生じている社会の動きはそのまま日本の現代史だ。そして当時の総理といえば その3年後に‘’暗殺"された安倍首相だ。本文中の彼の名が何と驚いたことに 田布施、である。これは田布施システムからの転用だろう。そうしてみると、安倍元総理を麗々しく持ち上げた序文こそフィクションだ、と作者は言ってるように感じられるではないか。転倒している。しかし田布施システムまで行き着くと、明治以降の日本が根こそぎ転倒する。長州人、おそろしや。現弟宮家がどこの血筋だろうと、明治以降、ハナっからそんなものありはしなかった。という顛末を迎えてしまう、そのシステム。もの言えば唇さむし。
2024.11.07
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2024/11/07/水曜日/もう冬立つ当日券はなし。人気者だ。大ホールが彼一人で埋まる。噺家独特の、のんひゃらりんみたいな足取りで高座に着く。サービス精神も豊富で枕が長め、これがまた面白い。オオタニ選手をディスって笑いをとるたぁ、いいねえ、そのディスりがどこか心優しいンだなあ。ツーと来てルッ止まるっ声色と半座立ちが、何というかドリフとか吉本漫才を子どもン頃に聞いて育っちゃったフリで、客席もそうだし、打てば響く。夢見の八兵衛これ、久本雅美サンがTVでやらなかった?ドギモ抜かれましたけど。あ、エクソシストだったかな?大家と店子のおばあさんと、抜作八兵衛とぶら下がりのホトケと。一人四役で見事な芝居を見てるような。うどんやホトケが出て来たところで、数年前亡くなった柳家小三治が得意?にしたこのネタへ続ける。こんな所が愛される所以なんでしょう。うどんをすする芸がそれは見事で、今度は蕎麦が見たいねえ。
2024.11.06
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2024/11/05/火曜日/秋はやって来た〈DATA〉出版社 新潮社著者 藤岡陽子昭和29年12月25日 発行平成24年6月20日 91刷改版〈私的読書メーター〉〈本居宣長関連で続けて本書の引用あり。寄り道気分が引っ込む程に重要な読書である。これから先の分量に一体いつになれば宣長その人に辿り着けるのか。日暮れて道通し。木曽路も幕末もまた暗夜の道の如し。安政の大地震、黒船来航、桜田門の変、尊王攘夷、和宮降下、公武合体、江戸で京都で或いは伊那谷で時代が沸騰する。有意な若者を熱狂させる平田神道に藤村の父がモデルとされる半蔵もまたその門人となり、惟神の太古が信条思想である。にも関わらず父の平癒願いの御嶽参籠。宿で、篤胤『静の岩屋』の一文に吸い寄せられた半蔵、はてどうなる。〉
2024.11.05
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2024/11/4/月曜日/小春日和30余年、この辺りを徘徊している。こちらは近所に関わらず初めてやって来たのは 片山健さんの油絵が見たくて。八ヶ岳小さな絵本美術館とあるので、ここが絵本作家のさとうわきこさんの私立美術館とはツユ知らずいつも通り過ぎていた。小淵沢周辺の似たような施設が入場料のわりにぴんと来る所が少なく以後、絵本と名のつく施設を避けていたきらいもあり。ところがこちらは違った。ランドスケープを活かした施設は子どもも大人もついワクワクしてしまう楽しさと明るさがある。施設内には、こもれり浸れる図書室があり、さとうさんの収集絵本が惜しげもなく手にとれる。絵本の名作が揃っているので、小さな子どもとゆっくり一日楽しめるだろう。館では読み聞かせも。今年は随分沢山の児童書に係る人が亡くなったが、さとうさんもその中にいる。聞けば、さとうさんは岡谷に住んでそちらにも美術館があるそうだ。何と武井武雄美術館のすぐそば。お二人で切磋琢磨されたらしい。さとうさんが東京から岡谷に住まいを移されたことは、幼い頃に体が弱く、療養のため武蔵野に移り住み、手付かずの自然に心身が健康になった原体験がある事も当美術館で知った。主なきあと、私設の美術館はどうなるのだろう。心配をよそに館長さんはじめスタッフのみなさんは存続の工夫を凝らしながら、素敵な企画や展覧会を発信している様子。年会費一万円で、館長自ら手もぎの敷地の林檎付き!心惹かれますねえ〜他にも面白そうな企画が沢山さて、片山健さん。彼はゴッホが大好きなのに、油絵の具の匂いがダメで、好きになれなかった、なんていうエピソードを読みながら、絵本と油絵をゆったり眺める贅沢さそんな時間がここにある。わさわさしていない。片山健さんに実にふさわしい。絵と共に絵本を子ども用のちいちゃい椅子に展示しているのもほのぼのする。油絵を観ていると、我が子はもちろん自分の中の子どももとても愛おしんでいることが分かる。それを引き寄せてくれた奥さまへの崇高な感情も福音館HPで読める、長谷川摂子さんとの対談からはそのまんまの片山健さんが現れている。
2024.11.04
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2024/11/03/日曜日/晴れる。田中一村。小さな画集が我が家にあって、いつかは奄美で、と願っていたのだが、上野に来てしまった。観たい展覧会もいつの間にか終了、ということがママある。そんな訳でとりあえず予約を入れたのだったが、ようやく金曜日に行くことができた。館内は平日午前に関わらず、団塊世代と思われる年代の方がたで混み合っている。意外に修学旅行生の姿も。女性のおしゃべりグループとリュック姿で前を横切る男性に閉口しながら、主に心惹かれるもの、観たいものを中心に立ち止まる。これだけの規模の回顧展は初めてであるらしく、初公開作品も幾つも見られた。出品は311点、足かけ60年にに及ぶ。一村は恐ろしく早熟な画才の人だった。ピカソの幼年時代と共通している。一村の父親は彫刻家、ピカソの父親は宮廷画家。いわば職業技芸家の親元で英才教育を早くから強いられた。そしてそれに二人とも過分に応えることができた。何の屈託もなく描けた少年期を経て 、描けてしまうことへの幻滅をかこつ青年期の葛藤が両者にはあるように感じられるのだ。。様式美から芸術へ、工人から一つの魂へ。そんな道程が二人から伺えるのだ。芸術という新領域が革命的に振動したヨーロッパと異なり、日本画の世界は師匠の筆を継承することが重んじられた近代。没個性。その違いが二人の絵師にはあったろう。一村の道はより険しい。一人は金も名誉もほしいままに、一人は貧しさの中に。もちろんどちらが幸福であったかは他人には知れぬこと、だ。自分がこれは!と思うものが周囲から評価されないもどかしさ。カメラに新しい表現スタイルを見出して、当時の日本最南端、奄美に赴く。彼の被写体である姉の美しさ。彼女の死に顔のスケッチ。姉は一村のミューズならん。染色工場で賃労働をしながら画材を買い寄せ、自身の表現を極めていった。奄美で見出した彼の芸術の上に、私はなぜか「戦艦ポチョムキン」のモンタージュ理論の実践を見る思いがした。まるでカメラアイが捉えたようなスケッチの連続、それら奄美の自然のアイコンのモンタージュ。確かな、を超える超絶技巧な筆使いが、見るものをして呼び起こす感情。一つの到達点「閻魔大王えの手土産」コノ デモーニッシュ コソ
2024.11.03
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2024/11/2/土曜日/一日雨です〈DATA〉出版社 光文社著者 藤岡陽子2023年7月30日 初版第1刷発行2023年9月30日 2刷発行〈私的読書メーター〉〈著者の『手のひらの音符』を読んだ年に学校司書を辞めたことが思い出された。長江優子さんの味わいだなぁ、こんな作家が続くのだから子どもたちは大丈夫と安心させられたのだった。子どもの問題は須く家族、家庭の問題なのだ。その事を子どもと大人の両側から老いと死も含め描く。人の命ばかりか北海道の獣医大を舞台に動物の尊厳や酪農経営の問題、新たな医療研究、或いは鳥、草花に至るまで作者の目は行き渡る。本気で生きているかと読む者に問う。人は人によって人になっていくが、その軋轢もある。動物バディがどれだけ私たちを慰めることか。〉花言葉❶ナナカマド 「私はあなたを守る」❷ハリエンジュ 「頼られる人」❸ラベンダー 「不信感」❹マリーゴールド 勇気だね、勇気❺クリスマスローズ 「私を忘れないで」❻白のガーベラ 「希望」*母への供花❼シラカバ 「あなたを待っています」*祖母チドリの遺言と残雪が語る『大造じいさんとガン』❽リラ 夏の時期に翌年の花芽を育てる*祖母チドリの遺言「もしなにかあったら、おばあちゃんが必ず助けてあげるから安心しなさい」
2024.11.02
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2024/10/31/木曜日/久しぶり晴れ10/28 神田の尾張屋 本店半地下では昼飲み宴会、その為か注文から30分は待つ。待つ間、レジに平積みの冊子 味の味を眺める。ツレ、カレー南蛮辛口。量は少ないが意外にも未だ値段はお得な税込600円!たいていちょっと前はこんな値段江戸風二八で、ツユは醤油しっかり。本ワサビが嬉しい。ここはモリの量が少なめ、ご飯も少し食べたい。親子丼シェアで一つ。いやーこれが殆ど目玉焼き状の玉子でびっくり。次回ここで食べるときは蕎麦だけにする。しかも大盛り一択である。10月は5回しかお蕎麦が頂けなかった(;ω;)
2024.10.31
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2024/10/29/火曜日/霜降の候の曇天のち雨旅から帰国。自宅方面に向かうバスの中で聞き続けたのは衆院選速報だ。蒸し蒸しした闇夜、そぼ降る雨を背景に聞くそれはどこか寒々として、投票率の低さも今更話題になりはしない。戦後3番目の低投票率あと1割の人が投票したらどうなっていたか。独立自尊も重い税負担もアメリカ支配も終わらせる気が全くない、傀儡の国。あと1割の人が本気で望めば変わるかもしれないのに、とごまめが歯ぎしりする。それで満足して死ぬまで口をつぐむのか。トルコはどうか。トルコには国民が、投票する国民がいた。愛する祖国を持つ人がいた。大学に至るまで教育費は全ての国民が無料。アルバイトする大学生はいない。最低の生活費が支給され、学生は学ぶことが担保され、それが社会通念である。トルコツアーの最終訪問はアンカラのアタチュルク霊廟だった。↓霊廟の衛兵は陸海軍兵のように思われる。トルコは三方を海に囲まれた国だ。トルコではムスタファ・ケマル・アタチュルクとトルコ共和国の生誕の日である本日、10月29日を国を挙げて祝う。セレモニーは既に、訪れた土曜日にも開催されていた。↑衛兵が捧げ銃を行うと、押しかけた市民も観光客も皆静謐な沈黙に包まれ、会場に一体感が醸成された。元々、この地は遺丘であったというが、トルコ全体が西と東、北と南を結び、古代文明、ヒッタイト、パクスロマーナ、ペルシャ、十字軍、セルジュクトルコ、オスマントルコ、と歴史の表舞台で、踊り続けている国だ。何しろトロイ遺跡からはエーゲ海の向こうにアキレウスの大型古墳?も臨まれる国、なのである。考えてみるとツアーの一番目の訪問先はイスタンブールのスレイマニエモスクだ。ここにはスルタン スレイマンファミリーの廟があるという。パクストルコの最も栄えた16世紀の時代からスタートし、国民議会に基づくトルコ建国の父、以降の現在のトルコ世界までを古代を歩きながら眺め考える旅を構成しているのだった。私が旅行前にガイド本代わりに読んだのは内藤正典氏の『トルコ 建国百年の自画像』だけ。トルコのノーベル賞受賞作家、オルハン・パムクは借りただけで読みそびれてしまった。↓トルコでよく見かけるもの、アタチュルクと人なつこい猫たち。しかし内藤氏の本によってトルコ社会というものがよく掴めたと感じる。驚嘆したのはトルコ国民の、前回大統領選の投票率87パーセントという数字。どうすれば一人ひとりこんな意識を持てるのか。トルコは若い人でいっぱい、家族でよく観光している。お父さん世代が日本人びいきである。彼らはカミカゼを尊敬している。ドラマショーグンが始まる金曜日夕方、それを見るために必死で仕事を終えたお父さんたちはサムライを敬愛する。自分たちはアジア人であり日本人は遠い兄弟と感じている。トルコは重工業と農畜産と観光業、わずかの石油、天然ガス資源、他に地下資源がある。地震がある↑アタチュルク霊廟ショップはラッシュの電車内みたいにトルコの人で混んでいた。そこで求めたTシャツ向学心を持つ若い人が多く、東に行くほど失業率は高い。子どもは子どもらしく、かつ愛されている。トルコはこれから繁栄する熱い国である。日本は衰退に向かう国だ。日本はこの国をお兄さんのように敬愛して学ぶべきところが沢山あるのではないかと実感した。
2024.10.29
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2024/10/26/土曜日/快晴の夜アンカラ空港からイスタンブール空港へ。出国手続きが終わると、後は大きな免税ショップをよそにプライオリティパスで使えるラウンジを探す。イスタンブール空港で待ち時間が5時間という長丁場である。こんな日のための保険のようなプライオリティパス。ご利益が薄くなった昨今とはいえ。2時発という時間帯なら利用者も少なかろうとラウンジ一択。私のことゆえもちろん事前調査なし。あたって砕けるのが好き∑(゚Д゚)新しい空港のラウンジはたいてい吹き抜けの中二階みたいな所にある。という体験と動物的感覚で100mくらい進むと先ず出くわすのがビジネスクラス客のためのラウンジ。もちろんエコノミー客は利用できない。くっすん。そこから更に30m進むとターキッシュエアマイルス、とある。会員がマイルで利用できるラウンジと想像されたが、一応尋ねる。砕ける。ここでは使えないのでどこそこに行けと言われる。その、どこそこが聞き取れぬ(T_T)聞き取れた1stフロアだけを頼りに降りると、そこに案内カウンターが。庶民の味方、プライオリティパスを見せて、これで使えるラウンジどこ?と聞くと1stコーナーturn to the right.インサイドとかなんとか。エルガラウンジとかなんとか。従い行くと、右折れ後すぐの左手にIGA の文字。これが私にはエルガと聞こえるのであります。エレベーターで上階へ。チョー美人なコンパニオンさんに温かく案内された内部の広いこと。お料理、チラッと見では今ひとつだけどアルコールや飲み物は充実、シャワーブースも完備、ただしこちらは混んでいる。まっつぐ行くは空港砂漠のオアシスのようなこのスポット。これを最後?のFESSというトルコのスピルナ、軽やかなビールで喉を潤し、↓これはキオスクと呼ばれる、フリーWi-Fi利用時に必要なパスコードを請求する設備イスタンブール空港時には利用する間も無く、今回試みる。パスコードが無いと繋がらない。4時間無料。プリントアウトもできる。おもむろにフムスやギョフテ、オリーブ、クスクス?などをお皿に盛って、トルコ産白ワイン、あ、これがびっくり美味しい、を飲んでまったりボーディング待ち、をするのであった。完璧に作られたツアー、というのは久しぶり、のトルコ旅に参加した。これがまあ、日本人の要望に応える重箱の如きにぎにぎしさ満載。終わってみれば一体何処で何をしたか全て混然として、今や呆然と帰国便を待つ。ペットボトルのお水が頂けるのも嬉しい。
2024.10.27
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2024/10/21/月曜日/イスタンブールは朝から晴れ◼️ハンサムで愛想のいい青年に騙されてはいけないの巻◼️今回は初トルコ。しかも久しぶりツアーといってもイスタンブール空港の待合せ場所までは各自で行くのである。いつマネーエクスチェンジするのか、今回マネージメントしているツレからの事前情報がない。荷物を引き上げ、外に出ようとした直前、おや、こんな所にスポット的に両替所があるではないか。両替しちゃおう。ナニナニ円は0.56とある。確か50円割ってる筈。いかがか。ツレは面倒だからここで一人2万円で両替という。対応一人のこの青年がまたチャーミングなのである。日本語でありがとうはどういうの?なんぞと親近感、清潔感高い。ニコニコして渡されたトルコリラ…がこれ↑なんかすくなー。円負けてる?ブツクサ呟きながら申告なし通路から出て現地ガイドさんのいる所へ。徐に、トルコリラと交換場所へ行きます、とのこと。やはりそんな段取りであったか。↓レート表を見てびっくり。ナニこの違い!84380トルコリラだよ!私たちより12000も多いではないか!つまり私たちは4万円を3万4千円の価値に落としたのね_:(´ཀ`」 ∠):慌てる乞食でござんす。空港の外には、銀行ブースが4.5軒並んでいて、殆どの旅行者はこちらで取引しています。またも学習代を支払ったわれら、ハンサムくんの笑顔付き。銀行員はにこりともせぬ。次を虎視眈々と。
2024.10.21
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2024/10/20/日曜日/薄曇りわれらの結婚記念周年を昨晩、羽田のありそというお寿司屋さんで乾杯して機上へイカのげそ焼き、すごく美味しかった。↓朝5時半頃のやって来たのは、キエフの西、ソフィアの東。アテネの北、ローマの南、イスタンブール。ガイドさんがいうには人口1800万人⁈難民300万人の都市だという。紀元前1500年頃トルコ人のご先祖がこの地に暮らし始めた記録があるそうだ。その頃はトルコ人によってアスタブルク?というように呼ばれたという。これは神に最も近い土地、との意味を持つらしい。←wikiとは異なる?その後、呼び名はビザス王の進行でビザンチウム、ローマ皇帝のネオローマ=コンスタンチノープル、そしてオスマントルコ大帝国の時にイスタンブールと呼ばれるようになる。トルコ人ガイド氏が言うには古地名がなまって現在のイスタンブールになったそうだが、別にギリシャ語の「イス ティン ボリン」←街ヘ向かって←説が優勢なようだ。トルコギリシャ関係を眺めれば、我らの花の都、歴史の首都がギリシャ語由来は受け入れ難い、のに違いない。こうして様々に揺らぎ語られ、受容されるものが自明の理となるのだろう。もっとも現在の首都はアンカラ。アタチュルクが刷新させた新生トルコの世俗主義によって宗教色を脱色させた。エルドゥアンは穏健的イスラム教政党を率いて長年大統領の地位にある。2020年、あの開かれなかった東京オリンピックの年、イスタンブールハイライト、アヤソフィアはとうとう博物からモスクに戻った。それに従い女性はスカーフ着用、衣服の禁止事項も増えた。が、入場料はなくなった。★2025年1月15日から外国人観光客は有料。大人一人25ユーロとのこと。無料で観光客が押し寄せたことによる対処とのこと世俗的であるのはどちらかなぁ。形だけ頭から被り物?入場フリーが美味しい?トルコの人にとって行き過ぎた宗教禁止は心情と矛盾する点も多かったろうが、若い世代、都会に住む人にはまた違う関心があるのだろう。兎にも角にもターキッシュエアはモスクワにもキエフにも飛行機を飛ばす。テルアビブにもバグダッドにも。日本の政治家百人束になってもエルドゥアンにかなうまい。アラーは商売の神なのだよ。
2024.10.20
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2024/10/19/土曜日/午後から小雨いつもいつも同じ蕎麦っていうのもどうなんだろう。たまにはちょいと足を伸ばしてみようと帰り道とは逆の方へ行ってみる。お目当ては、◼️green glass 新宿区といっても、中井駅に近い。あらま、情報と違い夜だけ?しかも前日予約?蕎麦だけというわけにはいかないのかな、残念。まあね、お散歩だね〜、この界隈には空き家が野鳥の別荘みたくなってる所が沢山ある。かつて文人画家などアーティストたちが住んでいた落合辺りこの辺なら徒歩17分くらいで行ける◼️山商さん久しぶり。あそこは二八だけどねえ。辿り着いてみるとまさかの工事中。臨時店舗はたまたまの第3水曜日につき休店(T_T)いよいよ蕎麦難民と化す。Googleさんに聞く、何でもいいからお蕎麦かれこれ歩くこと一時間、やって来たのが越前蕎麦③ SOBA CAFE輝 初訪問新宿区三色蕎麦 1300円福井の特徴的な、大根おろしぶっかけ、削り節載せやとろろ、のアレンジを楽しむ。しかしいかんせん、ツユが薄い!京風を貫く歴史だろうか、下らない江戸という。蕎麦は十割と二八の間くらい。丁寧な印象の蕎麦十割ですか?と尋ねたら、ウチは毎朝打ってますから、殆ど十割みたいなもんです。うーむ。私の理解の及ばない返答だった。店内奥にTVやソファーセットがある。丼セット蕎麦が人気のようでした。10/18久しぶりだよ〜松翁へ、女も下る男坂〜④ 松翁千代田区ざる。ツユ濃口。千円。開いてくれててありがとうございます(T_T)
2024.10.19
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2024/10/19/土曜日/妙に暑い、29度ジョーカーの続編も公開中だったけれど、前作を観た後は胃の臓腑がムカムカなるくらい絶望に襲われたので避けてしまう。こちらだって、政府軍と独立したカリフォルニア州テキサス州連合軍同志の、分断されたアメリカ国民の戦争なので、陰惨なものであるのは必定だけど見終わって感じたことは米国が銃社会であること。ジャーナリズムがかろうじて機能しているというか、報道は存在していた、ということ。で、その内容とか質はどうなのか。その背景を知りたければアメリカという国の来し方を尋ねなくてはならないだろうけれど、米国史はほんの少し読んだ、くらい。3回の訪米、しかも一度はハワイの観光やショートホームステイ程度の関わりではアメリカって全然分からない。朧げに感じ取れるのは以前読んだフォークナーから滲み来るアメリカの姿が、この映像と近しい印象をもたらすということ。同国人ながら受け入れられないほどの乖離、土地土地の歴史背景や宗教…いや宗教などというものはこの映画では体良く避けられていたが。というより戦争カメラマンとか、ジャーナリズムとかテーマがそちらにスライドされて、市民分断の焦点はピンぼけだったかもしれない。ベテランカメラマンのリーを演じる女優の存在感は素晴らしかった。人心も国土も荒廃する風景を車で走り抜ける日々の、ほんのひととき、横たわり草原の青い花を見やる、その静かな眼差し。カメラではなく生の目で見た青い花の命と共鳴したような彼女の瞳は既にカメラマンであることを終了しているように感じさせる。国がどうなるかしれない中で、当事者たることを放棄し、その事実に心も思考も閉した、古き良き東海岸の小さな町のコミュニティが描かれていた。日本人としての私はさすがに居心地の悪さを覚える。平和を願うことの困難な道を思う。ガンジーが言ったように。意味不明な大量殺人者、ルックスがティピカルアメリカンな彼が〈アメリカかアメリカでないか〉をジャッジして問答無用で他者を殺傷する場面。どこの出身か聞かれ、恐ろしさに返答もできないアジア系←彼は日本人俳優と思われる←ジャーナリスト?パパラッチ?が、何とかひねり出した香港!秒殺である。これは色んな意味でやばいアメリカだ。レイシストの上をいく。トランプの拡大系はこれに繋がるやもしれない。トランプ。とハリス。独裁になる危険をはらむ者と多様性を説きながら実はDSの踊り子かもしれない者と。オルタナティブがない!私たちの国もまた間も無くどんな船に乗り込むのか票を投じなければならない。自分の選挙区に投票したい立候補者がいない!それでも棄権する事はできない。全くもって不条理を生きるのみ、なのだな。苦々しきこと重なる。大統領選を前に日本を支配するこの国の姿を知りたくて好天の昼間に暗い部屋に入ったのだった。ところで。ホワイトハウスには地下道が軍用機の発着基地まで絶対通じてるはず、と私ならシナリオを書く。その裏をかいて最後のインタビューをする。ジャーナリストの音声に兵士が立ち止まるこの場面はよい。しかし速攻射殺ですか。裁判無しですか。これは戦争ではなく殺戮、それを証明してしまったラストがいけない。
2024.10.19
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2024/10/17/木曜日/薄曇り、時々晴れ10/5 土曜日❶ そば処 いずみ 初訪問北杜市小天丼付きもりそば 1400円残念ながら先月で十割蕎麦は終わり、今後二八のみとなるらしい。十割を打つのが大変になったか、注文する人が減ったのか事情は知らないけれど、せっかくの蕎麦の産地で、十割蕎麦が頂けるお店が余りに少ない!お蕎麦はゆるめで上品、更科様私的には物足りない。おつゆもやはり甘め丼は美味しく頂きました。❷ 手打蕎麦 ふじや新宿区いつものつもりで、十割、もりと注文したところ、なんと大盛りが運ばれてきた。店員さん、アルバイト初日か、初顔。その後、店奥から「もりというのは冷たいお蕎麦のことよ」と教えられていたけれど。「減らしてきましょうか?お値段はもりで結構ですが」とのこと。え、そんなもったいない、このまま頂きますとも。後で尋ねると、もり150g。まあ標準かな。大盛り250g、ええええー。おつゆも蕎麦湯で残さず飲み干しなんで、苦しいはずだわ。何度か通っているとこんなこともあります。何だか得したのかしら⁈あのアルバイトさん、気落ちしてなければいいなあ。初顔と気づいたらこちらも確認しなくちゃ
2024.10.17
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2024/10/13/日曜日/久しぶり軽やかに晴れ続き娘が引越した街には何となく親しみを覚えるもので、歴史や風土が知りたくなる。今回は駅近、アントニン・レーモンドの住宅を見る。アントニン・レーモンドといえばフランク・ロイド・ライト、そして吉村順三私は吉村順三のファンである。なぜか。住宅はそれが建つ風景の中につましく佇まねばならぬ。ほそぼそとした暮らしの、時や日の移ろいを伝え、住まう人を憩わせ安らかに健やかにせねばならぬ。肉体が精神の神殿であるなら、住宅はそれらの神殿でもある。簡素な、やがてゼロに帰るモノとして存在せねばならぬ。それをカタチに現すのは、視点の低さ、炎、音、和紙を通過する光、響き、開け放たれる開口部それらを表現する緻密な、数ミリ単位の計算。数字によって構成される、住まう者をして少しだけ引き上げられる精神性。住宅作家はその空間を目に見える形で、夏は涼しきよう、冬は温かきよう腐心するのだ。住宅は優れて人間学だ。私が吉村順三に見るのはそれだからである。などとツラツラ考えながら高崎市立美術館へ。ラウンジから庭に出て、旧井上房一郎邸へ行く。彼のお屋敷を設計したのがアントニン・レーモンドかとぼんやり考えていたら違った。これは、高崎市の実業家井上房一郎氏が深い親交を持ったレーモンドの、東京での2度目の住宅兼仕事場の、いわば一分の一の模型なのだった。↓張り出した庇を受ける柱がない。深く、連続する軽快さ。樋もなしのすっきりさ。ロイドの呪縛を離れ日本建築のあり様をモダンに翻訳したような。井上氏はよほどレーモンド邸が気に入ったのだろう。またそのままの設計を許すほど、レーモンドにとって井上氏は大切な友人だったのだろう。おかげでオリジナルは消失していても、ここで実物が自由に見学できる!↓お茶の時間を楽しむテラスの屋根は透過性←ガラス?の材料で葺いて明るさを取り込んでいる。右に簡素な作り付けのサイドボードこちらから靴を脱いで上がる。このサイドボードを靴入れと間違う人もいるらしい。私もそうでした。てへ。周囲のマンションも元はお屋敷の敷地だったという。どんなにか気持ちの良い風が感じられただろう↓外に門が見える。テラスに面したこの吐き出しが実は玄関。にしても玄関土間もなく、いきなり沓脱?これ、使いにくいでしょけれど。空間的には北と南の光の一体感靴を脱ぎ右に折れると、たっぷりとした廊下廊下とはスライドする壁のような襖に仕切られ、庭に南面する広々とした居間。深い呼吸ができるような居間は24畳ほどか?テーブルセットが3つ。上の画像の奥にはレーモンドお得意の?引き込式寝台兼ベンチソファが見える。天井が高い。登り梁もダクトも現し、トップライトもある。ツシヤネ?四間に渡る低い棚は柱で支持されている。荷重はかけられないだろうけど、焼き物や漆の種々が陳列されただろう。絶妙な高さと奥行家具や照明器具はレーモンドの妻ノエミがデザインしたものこのペーパーコードの椅子は違うと思うけれど。陰翳礼讃。椅子の上には住まいの主人の帽子が置かれていた。夏、冬と季節により変化させて置いているそう。上質なパナマ帽↓住宅を貫くダクトや家具と一体化した通気口デザインだけでなく設備に至るまで、そっくり同じように再現したことが分かる。伝統的な在来工法の技があればこそ仕上がったのではないだろうか。↓これはノエミ作。テーブルが3つあれば、一つはポーカー、一つは読書、物書き、一つはお茶と談笑壁のしなベニア仕上げなど、当時の棟梁はどう思ったろう。入り口から左に折れると寝室に付随して和室があった。この和室だけはオリジナルにはないものとのことはすかいに居間が見える。ご夫妻は本当にこの引出し型のベンチベッドで眠られたのだろうか。この奥の和室を使われたのだろうと推測する。こちらはファミリールームのような雰囲気がある。背当ての角度と高さ、深さ。座面の奥行き、材質、色。ベッドヘッドの収納障子の白さ、ベニアに濃いめオイルステイン仕上げ、家具建具の柔らかい白は布。アクセントみたいな大きな把手。簡素な和室この奥には水回りや厨房、女中室などが配置されているようだが、非公開。外から少し見える。水回りはスリーイン。モダン住宅和室側からは納屋がみえる。庭作業の道具などをしまう倉庫だという。手前に葡萄棚があり、今でも毎年実るそうだ。↓建具の欄間などはなく、そのまま天井までオープン。緑に反射した光は家中にあふれ。夜には暖炉に薪のあかり一間ごとに列柱する丸柱は和室開口部にさえ例外なしで、その厳密さは煉瓦や石で家を作る欧米の人の哲学のようにも思える。その柱が支える重厚な登り梁もやはり一間毎にかかり、深い庇の持ち出しを生んだ。住宅の裏側に回る。というか、こちらが表玄関ブルーノ・タウトとレーモンドと交流し、戦前フランスに留学した。晩年山田かまちの才能も応援した。そんな人が暮らした住居である。
2024.10.13
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2024/10/10/木曜日/薄ぐもり成形、乾燥に3日ばかり編むだけでまるまる1月↓試着、ゴムベルトの長さ確認。ジャージの上からという!イサガー社ポルカスカートは子ども用デザインそれをアレンジして、オープンプリーツな雰囲気に仕上がった。ウエストにゴムベルトを通し、穴をふさいだところで、ベルトのねじれを発見!わたし、あるある。挫けそう。編み地と綴じ糸の見分けがさっぱり。何とか修復はしたものの、当初の仕上がりとは月とスッポンである(T-T)それでも思った以上に糸の性格とデザインが調和が取れて、軽くてかさばらず、断然気にいる。いい加減この糸に飽いて来たのだけど、残糸多いのでもう一点、プルオーバーを編むことにした。セーター類の中では今のところ一番好きなレシピ。ヒロセミドリさんのホワイトマウンテン一度スタディ編みしたけれど、バリエーションを変えて何度でも編みたい。スカートは3号針、こちらは6号針で。サイズはMAX大の一つ下。ゲージで確認したけれど、出来上がるまでは?丈は全て自分好みの地点を選択できるのも良い所
2024.10.10
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2024/10/09/水曜日/強く降る、後小雨先月岡谷市に出かけた時に、イルフ童画館から徒歩17分ほど離れた場所にある旧林家住宅を訪ねた。↑ピンコロ石の鋪石は公開時に設置されたらしい。洋館側の入り口にも敷設されていた。内外の見学で15分ほどと家人に伝え一人来たのだが、見学者にちゃんと案内ガイドが着いてくださる。手厚い。じっくり見るには一時間は必要だったか。↑見事な構えの門がよく保存されている。見学者は、通用口のような所から出入り。↑画像の小さな玄関も、中に入れば庭に面して明るく天井高く、広々としている。そこが受付。工芸品のような欄間のある、続きのお座敷。畳はこのように敷くのか、見付け二間半。あちらとこちらで風景が少し異なり、より格式の高い部屋からの眺めがよろしくなっている。〉〉建物は大隅流の大工・伊藤佐久二が建てた。欄間などの見事な彫刻は立川流の彫刻師・清水虎吉のものである。〈〈シルク文化協会HP←参考になります。大隈流も立川流も共に諏訪大社建造に関わる、地元の宮大工と聞く。法隆寺も創建の頃より瓦屋、金物、佐官、大工などなど。未だ子孫が引き継いでいると西岡棟梁の本で読んだ記憶がある。息の長い匠集団が今も存続していることに驚嘆する。途絶えることのないよう祈るのみ。↓板目?筍目と言われる床柱は珍しきもの。各部の納まりが見事で、水も漏らさぬ百年仕様↓床の間の狆潜り。犬将軍でなくとも。下々でもお大尽は愛犬と戯れ遊んだ、そのよすがのお飾りかな。廊下を渡り奥に進むと、金唐革紙の実際が分かるような展示があった。ヨーロッパで発展した豪華な仕上げ材は、動物の皮を叩いて薄く伸ばし、版木の筒に押し当てエンボス仕立てにした上に彩色、手間暇の掛かる工芸品。こちらでは何と和室丸々一室に、これをあしらった部屋が見学できる。急な階段を上る。不忍池近くの岩崎邸で見たことはあるが、その比ではない。建物が生活のための住宅でなかったことが幸いして百年を経ても状態がよい。金唐革紙に関心のある方には必見かも。↓壁紙の押し縁は漆塗り日本ならではの、丈夫な和紙を用いて同じ仕組みで作り、海外で人気を博した。なんとバッキンガム宮殿にも採用されたという。横浜から遠く離れたこの地で、外国の商人との取引もあったのだろう、欧州人の喜びそうなジャパネスクならん。もっとも工業化の波に襲われ、時間も予算もべらぼうな貴族趣味は瞬く間に消えてしまった。階段付近の窓は上げ下げスタイル。金物は輸入?工程が分からなくなった金唐革紙の復元のための研究所ができ、そこで作る金唐革紙のことをのみ金唐紙、と呼ぶそうだ。当日は洋館で、結婚式のための撮影があり、そこをほぼ省いてしまった。この住宅は当主、林国蔵が10年の歳月を掛けて普請した。一族は東京か深谷などにいて、別荘のように使ったらしい。仏壇と神棚。日本の住宅の身上、二つ並びの仲の良さが大好きだ。大工の彫る弁財天さま?か名工の技。
2024.10.09
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2024/10/07/月曜日/夏の回帰揺れる車の中で作業していたら書籍画像を消失( ´Д`)y━・~~仕方ない。鹿ぞ鳴く奥山画像でも〈DATA〉出版社 河田書房新社著者 足立巻一昭和49年10月20日 初版印刷昭和49年10月25日 初版発行〈私的読書メーター〉〈ハードカバーで読む。文庫の表紙がハテ春庭でなく宣長?著者は手っ取り早く国語教師になるため、当時松阪にあり、戦後皇學館となる官立の神職養成専門校に進学した。その国粋主義には鼻白らむ節もある文学好きな足立青年の魂を揺るがしたのは、「ふしぎですねえ…語学者には春庭のような不幸な人や、世間から偏屈と言われる人が多いようですねえ」、教授がふと漏らした言葉だった。文法はあらゆる学問の中でも、もっとも孤独でさびしいつつましい学問である、とも教授は定義した。戦前戦後を通じて当にその態度で春庭を調べた、記録と記憶の書物上巻〉上巻441ページ、ずっしりである。本居宣長が『古事記伝』を上梓するのに40何ほど掛けたとのことだが、著者が春庭に関心を抱いた青年期から本書刊行までも有に30年を超える。その間には大陸と大国との戦争、敗戦、職の変遷もあったに関わらず。卒論研究を春庭と定め、松阪の古本屋では店主と懇意になり、関連資料を渉猟し、気になる資料の著者や宣長末裔を東京に訪ねる、大学図書館を訪問するなど、実に熱心、活動的だ。後の新聞社勤めもむべなるかなしかし何より歌の人、なのだなあ。本文中にも登場者の和歌が沢山引用されるが、私なんぞ和歌音痴で、どこが良いのか悪いのかもさっぱり分からない。足立大人の仰るには、素直な心が真っ直ぐに反映して、その人となりを浮かび上がらせる、そのような素朴な味わいを是とするようである。それが日本のうた、であるようなのだな。ああ、ああ思いだす。私が今一つ苦手に感じた、瞼を伏せることなく凝視して、何でも有り体に話す叔母のこと。その様子を見ていたのか、ある日父が、「お前はあのおばさんをどう思うか?と聞いた。あの人は生まれたまんまのようなところを持っているね、あの人は俳句?短歌?がよく新聞に載っているのだよ。」へー!驚きだった。そんな文化的なことからたいそう距離があるように感じられる人だった。父は続けて、どこそこのお寺のお坊さんが何やらめかして手提げなど持っていそいそ歩く姿を見かけ、どちらへと尋ねたら、ええ句会の集まりでとのことだけど、あの人の句を新聞で見たことは一度もない、と苦笑したのだった。まだ中学生にはなってなかった頃歌とは素朴な、見たまま正直な心がうたうもの、と知った初めで、理屈好きが芽生えていた私にはそんな素朴さは遠いもののように感じられた。今なら私自身はうたえなくても何となく共感できる。そんな朧げな先の先で宣長も振動している。のだということが。本書は宣長の異様な二つの葬列、そのことが処世家宣長と学究者、詩人としての宣長を解く鍵として小林秀雄と同じく、それから筆を始める。著者自身の特殊な学生時代と並行させながら。彼の国学の学生時代と宣長の過ごした松阪、鈴屋、山室山は、ぴたり空間が重なり合うのである。ーー宣長没した陰暦九月二十九日を陽暦に置き換えたまま、全校揃って山室山奥墓に参拝するのが年中行事であった。夜明け前に学寮を出発、サクラの苗木を載せた荷車を先頭に隊列を組み校歌寮歌を合唱しながら伊勢街道を松阪に向かう。宮川を渡った辺りで夜が明ける。そこから松阪までは20キロ、明野の陸軍飛行場を過ぎ、明星、斎宮、櫛田といった村々を過ぎる。 現つ御神 高知らす国は 天つ日嗣 神こそ守らせ 遠つ祖の雄心伝へて 今も人の神習ふ国ぞそんな校歌を歌い、松阪に着くのはいつも十時半頃、そこからいよいよ山室山をめざす。ーーこんな著述に重ねて、当時の記録を紐解き、宣長の葬列の場面が出てくる。それからふと蝉の鳴き声でも聞こえ出すように、本の中の現在に戻る。ーー学生が詠進した和歌を三十首ほど冷泉龍朗詠で読み上げる。大いなる安けさに似たるもののあり 神に近づく吾なるらむか 祝日古山室は高からねども頂きに登れば見ゆる 伊勢の国原 治壮など。ところで、わたしたちの前の奥墓は宣長が『遺言之事』で残した設計図とはずいぶんちがう。…宣長が遺言で感動的に述べた簡潔美はない。宣長は石垣はもちろん、篤胤の石碑にさえ、いやな思いをしているのにちがいない。ーー宣長への理解が篤いのである。全ての描写が目に浮かぶようであるのが、歌を読む人らしい。 さてさて、熱い方の平田篤胤が本書最後半に、過剰な熱量を発して登場する。その登場はまさに風雲急を告げる黒船の煙もくもく、のごと。天皇復古、尊王攘夷、錦の御旗、廃仏毀釈の暴力へ人びとを雪崩れ込ませたあと、悪夢から冷めたように神道は卑小化させられ、諸外国からお雇い教授が当節のハイテク技術を指導しに日の本へ招聘される。帝国ホテルのすぐ脇には鹿鳴館なる上流の社交場ができて、ツイこの前ちょんまげ落とした頭にシルクハットを被るのかは。
2024.10.07
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2024/10/07/日曜日/山は午後から晴れ先月の9/23/月曜日岡谷のイルフ童画館で、先だって見逃した堀内誠一展が開かれていた。残念なことに限られたものしか撮影できないが、堀内誠一さんの複雑さと単純さが、越し方を通じてよく伺われる、小さな回顧展だった。雑誌のエディトリアル、ロゴデザイン、絵本の挿絵、旅ガイド、ミニコミ誌、油絵なども。戦後、ようやく日本が意匠からデザインへ飛び出した頃、そこに堀内誠一さんが伴走していた。↓瀬田貞二さんと並ぶ堀内さんは、まるでクロード・ルルーシュみたいだ。パリジャン過ぎる。中左のミヒャエル・エンデと瀬田さんが似ている。中右、永遠の美少年二人?下左、奥様が編集者で堀内さんの世界は福音館や瀬田さんに広がった。妖艶な母にして中也の如き父。若い頃のお味長旅でトーマス・クックとこれと、『ヨーロッパの建築案内』?は私のたびの友だった。特にこの頃、私の感性は堀内さんとピッタンコ!と言えるほど共感していた。そのガイドブックには当時の落書きやメモが残るその後も『ぐるんぱのようちえん』や『ロボットかみい』『人形の家』や『マザー・グース』でお世話になった。イルフ童画館で買った↓を読んでみると、老化の過程?で私は堀内さんとは少し違う道を歩いてるんだな、と感じたけれど。↓手拭いと絵葉書をたいてい買う。堀内さんならではのコレクション。フラシ天のお人形は入手できなかった?四谷シモン的なのは私は苦手、羊毛のが好き↓こういう容器を大切にしていた堀内さんの世界ソビエト、キエフとある。こんな所にまで出かけていたのか。殆どノマドのようであるが、自分は農耕民族、の自覚をお持ちだった。ここはもちろん、武井武雄のは美術館。3階が常設になっているようだ。とにかく常に何かを製作し、楽しんだひと。遊びをせんとや生まれけむ〜
2024.10.06
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2024/10/04/金曜日/時々青空のぞく九月はありがたいことに7回もお蕎麦が頂けた。⑦くろべえ 初訪問北杜市5人以上は予約がないと入れないとか、大盛り注文できないとか、人気店らしくあれこれ工夫して一人二人のお客さんを大切にしてくれている模様。⁉️なんと画像取り忘れ(T ^ T)↑気がついたらあとの祭り蕎麦の外皮も砕かれ田舎仕上げだがその分ツナギの小麦が必要なんだろう、二八。大盛りでなくても量は170gはあるのでは。ざるそば900円。太幅の刀削麺みたいな一枚が上に乗ってくる。これは塩で味わいましょう、かな?その前に、蕎麦羊羹?甘いのでデザートがよいかも。↓え、野菜天ぷらがお得過ぎ⁈やら、黒あわび茸に目を奪われてレンコン頼んだつもりが、かぼちゃ注文してたり。で、画像忘れぱくつく。カボチャが残り、ハッとしてスマホ向けるという(T ^ T)おつゆが甘すぎるかなー天つゆが濃くなったみたいな味だけど、蕎麦湯で割ればカツヲは香る。窓外の風景がご馳走でした
2024.10.04
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2024/10/04/金曜日/間欠泉のように雨がふるああ、月日の過ぎるのが早すぎる。既に10月,先月の手芸クラブは職員さんを講師に裂織を楽しんだ。↑こちらは富士見町の歴史民俗資料館で展示されていた本格的なもの買えばお高い∑(゚Д゚)工芸品、である。横糸はこんな感じ↓割いた布の幅が均一!さて。私たち、である。適度な大きさのダンボールの天地に7ミリピッチで1㎝弱の深さの刻みをハサミでじょきじょき入れる。これで織り機は完成o(^o^)oわーい。↓上下に縦糸をかける。後ろには渡さない伸縮性の糸は向かない。綿が向いている。これは後ほど知ることになった。アクセントのある糸も面白い仕上りになるかと期待したが仕上の糸結びの時、やわ過ぎてちぎれてしまった(T ^ T)↓裏はこんな感じ、マスキングテープで端を止める↓横糸を渡しやすいように割り箸利用。横糸を詰めるためにフォークも利用∑(゚Д゚)途中経過の画像を忘れた!綿糸で4段くらい、捨て糸渡しをしておく。これだけは木綿たこ糸一択。面の仕上がり後に解く。↓その作業が済んで、いよいよ段ボール織り機から縦糸を外す。縦糸を2本ずつ、玉結びの要領で結ぶ。この時、縦糸が弱いとしっかり結べない。破れたシャツやワンピースでコースターや花瓶敷き、マットもできる。横糸というか横紐のつなぎは、次の段で飲み込むとか、下の段で潜らせる。↓右コースターも実は裂織り。日本手ぬぐいの染色作家さんの仕事。アトリエラヒヨさん。手拭いを作る作業で、織キズや染色ムラのあるもの、いわゆるB反を美しく再利用とは素晴らしい。横糸を渡すリズムもそれぞれなんだなぁ。これらは↓ヒナタノオトさん@浜町、で購入ついでに帆布製トートバッグも奮発。12年ほど使用のトートもツイにコードのパイピング部分が破れ。長い間、よく働いてくれました。ありがとう!把手は部品として残しておく。ゴミ箱に入れるのは忍びない、せめて紙にくるんでお棺代わりにする。南無、成仏。勢いづいて、40年前ポルトガルで買ったお気に入りの布袋も把手のみ残して処分。昔、欧州旅の間ずっとこれを片手に持ち歩いた。口が広いので中が一目瞭然、そして軽くて丈夫で何とも愛らしい。トーマス・クックのタイムテーブルもここに入れていたのだった。乙女の姿しばし留めむ。しみじみしつつも前に進むワタシ、なのだ。後退りながらすすむ。背中は温かい、前は明るい、いざ。布のトートバッグに、例の裂織をざくざく縫い止めてみる。花とクキと根っこ⁈今度の手芸クラブにはこれを連れて出かけよう♬
2024.10.04
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2024/10/01/火曜日/晴れたり降ったり〈DATA〉出版社 小学館著者 椹野道流 ふしのみちる2023年4月25日 初版第1刷発行〈私的読書メーター〉〈あら楽しや。著者はミステリー作家として中堅ともいえる元お医者さん。その経歴も中々読ませるが。新年に親戚一同揃った席でお祖母様が放った一言は瓢箪から出た駒、ロンドンへのゴージャスツアーと相成りぬ。携帯電話普及し始め、と文中にあるからバブル終了直前頃か。ファーストクラス利用でおそらく、クラリッジスのセミスイート5連泊!アテンドする孫=著者、の二人分という天文学的財政出動!って話がそこに流れぬよう、実に著書は賢明な立ち位置をキープ。オリエント急行、アフタヌーンティー、オペラ座の怪人、おお、ベルエポックの響きよ。〉ロンドンのホテルといえば。前々回に宿泊した、10年はどっぷり前のロンドン。ホテル代の値上がりにびっくらこいた。大英帝国博物館にも行きたかったので、その近所のちょいクラシックなホテルを選んだ。ヨーロッパのホテルは二人でお泊まりが基本設定。二人ならば納得できるが一人一泊3万円ほどもする。それでも廉価な方である。これ以上安いと不便とか治安とかに支障が出そうで仕方なくそこに2泊した。クラリッジスなんざハナから縁がない。ビンボーが誇りである。ビンボーといえば音が似ている!林望先生ゆかりのボストン夫人のマナハウス。そこを訪ねるのがロンドン滞在の目的だった。『グリーン・ノウ物語』作者はパッチワーク作家としても著名で、お屋敷でその作品が見られるのだ。メール予約を入れたら、管理人である夫人の娘さんから返信があり、その日は日本人撮影クルーの予約で貸切とのことだった。親切にも他の日を提示されたが、飛行機乗り換えのストップオーバー2日滞在は動かせない。それでマナハウスのあるケンブリッジに対抗して急遽オックスフォードまで列車に乗った。オックスとは雄牛の事、雄牛が渡れるほどの池、が地名の元らしいことをその時知ったような。オックスフォード大学教授のトールキンがやがて袂を分かつ、ナルニア国物語のルイスと毎日のように語りあったパブ、the eagle and child。『指輪物語』ファンとしてはこれは避けて通れぬ。コーヒーは無いという。コーヒー味のビールならあるという。ほんまでっか。ぬるいコーヒーライクなビアをちびちび飲む。大学ではハリーポッターで有名な、あの図書館のツアーが時宜を得て開催中。英語があんまり分からないけれど参加しても良いのか聞くと、楽しめるからどうぞどうぞという。とんでも無く厳かで古めかしく、まるでゴチック礼拝堂な館内に、革装丁の分厚い本がずらりと。これら資料をいついつまでには全てデジタル化とか、大学キャンパスの地下道に延々と資料が蔵書されている、みたいな説明があったような…オックスフォード駅側の全天候型マーケットの迷路が楽しかったなども重い出される。歩けばミステリーが似合う風景に何度も出くわす、学生と教授と観光客と個人商店主たちの、こじんまりとした、緑豊かな古い街が今も目に浮かぶ。その後のロンドンへの娘とのミュージカル旅もあったけれど、何も庶民の倹約旅であることに変わりはない。ところで祖母姫と秘書設定の孫娘のお世話をするバトラーという存在。長い人生からみれば、ほんの一瞬のようなロンドン滞在を特別な永遠に変えた、バトラーというものが英国の伝統的なホテルにはあるのだ、ということ。まるで一幕のドラマを見るような。そこで秘書である著者はお姫さまとして遇されていますとも。貴女の望みを言ってください。私はどうあってもその望みをかなえます。バトラーという知恵も教養もある男性からそう言われてどう返答するか。そこに姫の姫たる所以が結実した、姫の誠がなければバトラーもバトラーとして成立しない。そんな文化なのである。
2024.10.01
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2024/09/29/日曜日/赤城高原辺りは小雨◼️Cha10 静岡市8/25訪問幸運にも待つことなくスムーズに席に。10人も入れば満杯の小さな店内。抹茶好きのための、お茶屋さんのかき氷。この際ですから?全てのトッピング載せ。この抹茶は暑さに堪えた心身に浸み入る〜氷は純氷ではなく、昔ながらのかき氷機でゴリゴリ下ろす。つまり。あくまで冷やした抹茶を楽しむための氷、である。メインはお茶。お愛想のほうじ茶もお店オリジナル無農薬、自家製。これがまたふくいくとして甘露◼️AORAKI CAFE 高崎市9/27訪問今年は暑過ぎて、日中は外に出る勇気も無く、故にかき氷屋さん避難が減退。九月末の夕方、というのに未だかき氷になびく。もっともこちらのお店は通年営業で、しかもオープン時間がまちまち。当日金曜日は午後5時からと聞いて、お店で娘と待ち合わせ。私はピスタチオエスプーマにサマーストロベリーソース、シャインマスカット、クィーンルージュごろごろ!あああ、煌めく宝石の甘さよ、柔らかいピスタチオの雲にくるまれて、その奥に潜むは情熱の夏苺娘は私の選択からコンビネーションを熟慮して、ダブチにダブルいちじくをチョイス。ダブチとはダブルチーズのことらしく、この度はカマンベールシロップにマスカルポーネクリーム。いちじくはドーフィンとバナーネうおおお。半端ではない、ダブルいちじく盛りお姫さまならこの一皿で夕飯とされること請け合いである。この濃厚な喜びを何としよう。滑らかな純氷が緩くなる頃には、上等な冷やしスープのような味わい。黒胡椒が効いている。えー氷にチーズ⁈と曖昧な私の先入観を打ち砕く、食欲減退な方の滋養にもなる一皿。当に一皿、お皿で供される。食べ終われば1800円のお値段がお値打ちと膝を打つ私めがおりました。◼️蔵亭 川崎市七夕祭特別催事7/7訪問え⁈ここでかき氷⁈はいはい。今日は特別な七夕祭だよーなので、川崎のマイクロワイナリー蔵亭さんで、蔵亭育ちの苺のかき氷が頂けます。おまけにたまに石窯ピザをフードトラックしてくれるパン屋さんやジュエリーデザイナーさんの出店もそして結局、蔵亭さんのバーで川崎産のワインなんぞもお変わりして、タパスと楽しむ。あら、かき氷?いちごがフレッシュo(^o^)o
2024.09.29
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2024/09/29/日曜日/秋らしく前回は展示換え期間で閉館だった当館を再び訪問し、ようやく入館叶う。8月末の静岡で、芹沢銈介美術館、すなわち白井晟一設計の石水館を見学する。石ベースの建築は、その存在自体に重厚感があり何やら哲学的な眉間にシワ、を覚える。2年ほど前にみた渋谷の松濤美術館と双子のような印象を持つが、松濤美術館は個人の邸宅のような親しさがほのかに感じられたが。↓トイレは美術館外に併設されているので、館内利用者でなくてもショップ同様、利用可↑左下画像、右手洗い、左ショップ石水館は、芹沢銈介作品の洒脱なユーモアや鮮やかな色彩、ある種の軽みとは、いささか不釣り合いな構造物ではなかろうか。と感じた。芹沢銈介作品を置いて似合う空間は、芹沢銈介自邸のような簡素な、それでいて普遍性のある、清潔な佇まいではなかろうか。↓内部撮影禁止。このラウンジの坪庭のみOKここのショップも駒場の民藝館のように、小さくても充実して、賑わっていた。さて、酷暑を冷ましてくれる空間を出ると現れるのは弥生式住居群である。なかなか魅力的な一角なのだった。
2024.09.29
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2024/09/26/木曜日#曇りのち〈DATA〉出版社 岩波書店著者 日本秘湯に入る会2004年11月26日 第1刷発行2005年1月7日 第3刷発行〈私的読書メーター〉〈「秘湯を守る会」の存在は知っていたけど、こちらは「日本秘湯に入る会」。色々あるのだなぁ。趣旨や発足の経緯は違えども、温泉はありがたい!が通底。ツレの趣味の中で楽しくお相伴できるのは落語と温泉かしら、と気がつき始めたお年頃(´∀`=)。温泉で同好の先達からオススメを伺うノリで、へえ、そんな泉質、ほうそんな場所に、とGoogle検索しつつ本書を眺めると廃業された温泉所や宿が幾つも。何だか素朴な所から失われるなあ。地震、津波、火山噴火。災害多い列島の慰めといえば温泉。それを楽しまんで何とする。〉山梨県では二湯塩之沢温泉と黒森鉱泉が紹介されていた。元湯はまだ大丈夫なのかもしれないけれど、掲載の宿は姿を消している。先週訪れた増富温泉は紹介がなかった。紹介のない所でも隠れた名湯は沢山あるのだろう。韮崎の旭湯で、千の温泉につかるため、会社辞めます宣言した男性の温泉本も面白く眺めた。湯屋では本当にいろんな出会いがある。増富温泉のような湯治場ではそんな印象が更に深まる。日本人らしい、ってどんなことを指すのか具には言えないけれど、温泉に浸かればしみじみとその感が沁み渡るのだ。増富温泉は奥多摩、秩父と日本百名山の金峰山の麓にあり、八ヶ岳南麓や清里にもほど近い山奥。武田の金山毛利の銀山という戯言を最近知った。そんな山奥に熱い湯が湧き出る。
2024.09.26
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2024/09/24/火曜日/ようやく涼来る⑤手打蕎麦 ふじや新宿区最近ではすっかり安定した歯応えと喉越しを提供してくれています。1080円はちょっと痛い、おまけにワサビの量も少なめになったが、ツイふらりと寄らずにいられないです。今日はこの前同様、真岡のキタワセかしら。⑥手打ち蕎麦 わ川崎市麻生区ざる 740円二八。150gに足りないので大盛にしてもらった記憶あり私の場合、小麦の澱粉質な甘味が蕎麦には無用だと思うので、少しぱさついても、喉越し落ちても、十割蕎麦のねろりとしたかすかな甘味とワサビのコンビを好みます。大盛りで千円以下はお値打ちかな。ワサビがもう少しほしい。
2024.09.24
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2024/09/22/日曜日/能登で大雨災害噂の、世界一ラジウム温泉郷増富温泉で湯に浸かる。◼️金泉閣の案内よりラジウム温泉とは放射能泉のこと、日本には約500ものラジウム温泉があるという。中でも有名なのが島根、池田ラジウム鉱泉、玉造温泉、鳥取三朝温泉、兵庫有馬温泉、岐阜恵那ラジウム鉱泉など。増富温泉は信玄公の時代、金山平が金山千軒といわれた戦国時代に遡る。傷病兵や金山鉱夫が利用したそうで信玄公隠し湯とも言われる。明治以降に始まった温泉成分調査の流れの中、大正13年、金峰山登山の際に増富温泉に立ち寄った東大木村博士が温泉に関心をもち、ラジウム温泉調査が始まった。昭和14年からの継続分析調査で、ラドン及びラジウム含有測定値は12,300マッヘと解析された。ドイツの放射能泉で13,500マッヘが得られたが一度だけの測定のため、増富温泉が世界一の名誉を得ている。ラドンとはラジウムから放出されるガス気体のことで、初めはラジウムエマナチオンと呼ばれた。この放射能は医学的に身体によいとされ、神経痛、リウマチ、内臓疾患に効能があるとされる。宿泊した金泉閣は、旅アプリやJTBには加盟がなく、宿に直接連絡して予約する。古くからの営業で、40年前に改装したままとのこと。屋内外共に古さは否めないが、利用する所は清掃が行き届いている。食事も私には余るくらい。夜には鯉の洗いが付いた。値段の割に立派なものである。やはり長年通う湯治客の方が殆どで、月に一度3泊し、日に4度お湯につかる、というのがどうやら定型のようである。私のような一泊組は聞く限り一人もいない。すっぴん裸のお付き合いは、全くもって赤子の交わりだ。話したくない人も静かに目を閉じて聞くともなく会話に身を委ねる心地がよい。湯は34度。マックス30分の注意書きがあるが常連の人はもっと長く浸かって、上がり湯と交互にしている人もあった。黄土色のクレイ質で、初め、焼き物の後に手を洗う質感を覚えた。2日目には皮膚に則した印象が生まれた。匂いはわずかな硫黄に鉄分を覚える。味は塩分濃度高くガスを含む苦味で、かなり不味い。身体のために250ccを飲み干す人もいるとか⁉︎まじすかマジック。↑朝ごはん普段、朝は果物かポリッジらしきものか甘酒+牛乳、ヨーグルト蜂蜜、みたいなものしかとらない。早朝にお湯につかると、何と全部平らげてしまった。
2024.09.22
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2024/09/13/金曜日/きょうも酷暑〈DATA〉出版社 編集工房ノア著者 足立巻一1985年10月10日ノア叢書 8〈私的読書メーター〉〈ヤチマタとは道がいくつにも別れた所をいう、そうだ。春庭の評伝物語『やちまた』を書いた足立巻一によるエッセイ。この世におぎゃあと生まれやがて晩年へ。戦争で九死に一生を得た体験。生涯学びを深めた詩歌。その縁で出会った沢山の人。そのエピソードの一つ一つは敬愛する人びとをいきいきと蘇らせると同時に著者その人をも照らす。熊野純彦『本居宣長』で、この西洋哲学者は高校生のとき夢中で『やちまた』を読んだと紹介があり関心沸く。その地ならしのつもりの本書で吉川幸次郎にぶつかる。まさに「読書やちまた」である。読書無窮。〉ご自分の来歴が述べられている中で印象に残るのが巻一の祖父の件。巻一の生後間も無く亡くなった父、里から再婚を迫られた母が去ったあと、父方祖父母に育てられるのだが、その祖父が桁外れな漢学者であった。生活者として破綻していたが、豊かな愛情を巻一に与え、祖父母はあっさり虚しくなる。母の実家に引き取られやがて関西学院中学に進学する頃、詩の世界に足を踏み込んだ。国語に対する感受性と中学で出会った教師への敬慕から、官立の特殊な学校、神宮皇學館へ進学した。この経歴、過程があってこその本居宣長であり、春庭であった。巻一は戦後しばらく勤務した新聞社を辞め、北海道を放浪した。その折たまたま羅臼からの連絡船で出会った男のエピソードは、もっともわたしの心を打った。「その人は筋骨質の頑丈な体格を持ち、半袖から出た腕は太くて赤く日焼けしていたが、目はやさしかったし、話しぶりもおだやかだった。『何か急用なんですか?』『え、さっきの連絡で母が病気だと知ったもんで、急いで支度しました。』『どちらへ』『秋田です』『そんな遠くからこちらへ?』『ここの昆布採りには秋田の者が多いんです。大抵が東北です。』わたしには意外な話だった。一種の季節労働者らしかった。『では古くから知床へ?』『いいえ、戦争がすんでからです。』『それまではどちらで?』『郷里の海でずっーと漁師をしておりました』『昆布のほうが儲けがいいんですか?』『ぼくの場合はわけがあるんです』『といいますと?』『兵隊にとられて、あげくはシベリアに送られて帰ってみると、僕の墓が建ったりました』『…』『妻は弟の嫁になって子を産んどりました』わたしは悪いことを聞いてしまったと悔いた。が、その人は淡々と語り続けるのだった。『それで郷里からなるだけ遠く離れようと思うて、ここへ来たんです。昆布採りが終わればニシン船に乗ります。郷里には帰ったことがありません。帰るとみんなに悪いですからね。でも、今度はどうしても帰らんと…』それからは話が途切れた。その素朴きわまる言葉はわたしにこたえた。」日本人とはどんなひとであったか。それを見る思いだ。さて。この本の私にとっての珠玉は『うひ山ぶみ』逍遥 の段宣長が35年の歳月を掛けた大業『古事記伝』の直後、師弟に求められ軽やかに仕上げた学問心得に関する足立氏の巡らせる思い。自身、士農工商の最下位であるところの商人の出自である宣長は、町民、庶子への学問を神道・有職・国史・和歌の4種に分け、好みの道を選べば良いと諭す。およそ当時の寺子屋が儒教に基づいた読み書きそろばんであった、その上でのことではあろうが。言葉の用例をできるだけ沢山集めてそこから語義や法則を導いた宣長の科学的機能的アプローチは、当時世界的な言語学研究の最先端に並ぶものであったという。そしてその根底に、言葉と史実と精神は相かなうものという思想があるとする。宣長は、「言(コトバ)と事(ワザ)と心(ココロ)と、そのさま大抵相かなひて」と述べ、心の賢い人はことばも行為もそれに応じて賢く、心のつたない人はその反対だと説明する。さらに、言葉は和歌に伝わり、事実は史に伝わっているが、その史も言葉で書いたのだから、「言の外ならず」と断ずる、という。これら論文を書いた若い頃の足立氏は言=事=心を説いた件の深い意味に気づいたのはずっと後になって、吉川幸次郎先生に教えられたことによるものと述べる。吉川幸次郎博士の『本居宣長ー世界的日本人ー』で中国研究の方法論が宣長と全く同じであったことに勇気を得た一方、自分よりずっと早くその業を成し遂げた宣長に脱帽した、という一文に接した足立氏はさらに吉川先生の、事と言とが心を媒介としている、心を知る最も端的な手がかりは言にある言を重視するのは東洋の学問の伝統的な精神で、様々な点で差異のある日中でも、その一点において一致する言語そのものが事実なのであるを紹介する。これは深い、深すぎる。私なんぞには容易に掴みきれない。そこに啐啄を覚えるけれど。例えば「やま」と発すればこそ山が立ち現れる、現出するような。やま、といい、みず、という。その言の葉。さやさやと。しかしここで心はいかに働いているのか。発するものと現れるものの卵の殻の如きものか。『やちまた』を読むための本書は、なんと本居宣長『うひ山ぶみ』も吉川幸次郎『本居宣長』を運んでくるのだ。時雨ふり肩寒しなど小言いひ「初の山踏」 読みたどるかな 前川佐美雄なるほど。言葉の源流へ
2024.09.13
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2024/09/11/水曜日/まだまだ盛夏のごとく③ 手打ちそば蔵 ★初訪問 9/9 月曜日 甲斐市旭湯につかって出たらもう2時ちかい。近所のめぼしいお蕎麦屋さん、2時頃までの開店の中にあって、ありがたいことに3時まで開いていた。窓の向こうは釜無川、なかなか良いロケーション。テーブル席もも広々している。店内に蕎麦打ちコーナーあり。私はせいろ。大盛りを頼む必要を考え、一人前は何gか尋ねる。なんと180g!それで700円T^T蕎麦は冷水で締まっている。自家製粉だろうか。襖など外皮もいささか混じる。甘味も強く、喉越しの良い細打ち。食べ終わる頃にはいささかダレるので素早く食べたい。二八?ツユ可。申し訳ないのと山梨でお蕎麦を食べる時は何となくサイドメニューのトリモツ煮をいつも頼んでしまう。ついでにデザートもo(^o^)oあんこ、ウマし。④手打蕎麦ふじや 新宿区とにかく私には便利で、繰り返し行くお店。いよいよ列待ち客の暑さヨケ日傘まで用意されていた。私の前に並んだ、母とその息子さんと思われるお二人はシンガポールからですと!本日の蕎麦はこのうちの真岡市のキタワセ、夏新蕎麦!先日、長野では蕎麦が花盛りで、稲の黄金と蕎麦の白銀が、だんだらに視界に広がっていたけれど。いつもの十割、1080円。少々値が張ります。馴染んだこの味、硬めのコシに強い甘味はワサビとの相性よし。残りのツユを蕎麦湯で割ると、まあ鮮やかにカツオ節の香りが立つ。ここはツユがよい。身体中が爽やかになる心地蕎麦湯が珍しく熱々だったのに、蕎麦は冷水締めが足りないよ?今日は。ひと月のご無沙汰なのに、いつもありがとうございます!などと言われるのも面はゆい
2024.09.11
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2024/9/10/火曜日/もう白露というのに9/8 日曜日 その1日帰り温泉は週一度程度。なので、ずぼらな私もさすがにカレンダーを確認して利用時間10時過ぎには迷いつつ到着した、毒沢鉱泉、秘湯を守る会の神乃湯旅館急きょお休みだったT^T次なる選択は神乃湯から下がった所の宮乃湯旅館、うーむ清掃が行き届いてないけど、まぁ湯元は同じであろう。入れただけでも御の字。脱衣所↓3人くらいの利用前提一応、レジオネラ菌、大腸菌検査もクリアを確認泉質は期待高い二人の先客の方それぞれ東京と愛知からで、やはり神の乃湯のカレンダーを調べやって来たが、不発でこちらへ流れて来たのだという、お仲間組桃色という風情の色、ぬるめ、微かに硫黄臭気シロクマさんの奥のカランから鉱泉を飲んでびっくり。薄めたポカリスエットにレモンをこれでもかと絞り入れたお味。覚悟していたけれど、私はまあ飲める。とってつけたような電熱ヒーターのサウナ室もあり。人肌よりぬるめの鉱泉にちゃぽんしては、大きな、といっても4人はキツくないかなぁ、の湯船へもう少し清潔にしてくれたらお客さん来るだろうにねえ。客商売なんだから、ねえ。日帰り千百円、お一人。一応シャンプー、ボディーシャンプー、ドライヤーもあります。9/9 月曜日 韮崎旭湯お!期待があがりまする。受付には働き者風な元気な女性。こういう方がいるとそこは清潔な場所で間違いない。ロビーのコインロッカーを使ったけれど、脱衣室棚は全て鍵付きなので、それで十分だった。浴室は舟一つ。きっぱり、源泉掛け流し一本。露天風呂、サウナなどの喜ばせもない。徹底して湯で勝負⁉︎スタイル。清潔、安心。こちらも飲泉できる。かすかに鉄分と塩分の後やや甘味を感じたけどツレはあまり感じないという。自然の炭酸で肌にまろやかなぷつぷつが着く。38℃ほどか。半日はつかってられる。けれど帰途上なので、そこさこにして上がる。毎日湯船の栓を抜いて清掃、とのことらしい。火曜金曜はお休み、一人600円で至福。また来たい。
2024.09.10
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2024/09/09/月曜日/暑さ続く先週土曜日から山に来て慌ただしく戻る。①満月庵 北杜市なので、往路は甲州街道沿いの北杜市の満月庵で相変わらずの炊き込みご飯ともりのセットランチツユがもう少し濃いめ、蕎麦をもう少し冷水締め、と念じながらもこの炊き込みご飯は満点。お付きのお漬物もフレッシュこれで千円、ご馳走様です。つれはシークワーサのかわり蕎麦選択で1100円。今年蕎麦は収穫するのか尋ねると、作業が大変過ぎたので今年は断念した様子。ただご近所の方が届けてくれたというヒマラヤ辺りの赤い蕎麦の花を見せてくれた。これを今年は混ぜるかどうかして食べさせてくれるらしい。10月の名月の頃か。②山猫亭はなれ 下諏訪町 ★初訪問本店かと思って入ったらはなれ、という2号店らしい。12時前に到着したおかげでスムーズに入店できたが、その後続々とお客さん。人気店らしい。駐車場は参道を挟んで反対側。店内はゆったりして清潔。食事を提供する所だから当たり前といえばそうだけど、真逆な温泉の後とあれば、心落ち着く。二人でもりを選択の上、海老の天ぷらと、とろろご飯を頂く。とろろもたっぷりあるのが嬉しい。蕎麦は薄緑色で細く喉越しよし。冷水でしっかり締められていて気持ち良い。時間の経過に合わせて冷たさ蕎麦の清新さが落ちるので、さっと食べて天ぷら、とろろご飯を食べるべし。二人で3048円ばかり。付け合せの自家製大根の返し漬け、美味しいので自宅用に求める。別途400円ほど。店の外に出ると左手に趣のある建物苔泉亭とある。この奥でお蕎麦が頂けるらしいが、商い中であるかは確認しなかった。
2024.09.09
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2024/09/06/金曜日/暑し。今年お花見の頃の芹沢銈介美術館行きは、展示の入れ替え中で、見学ができなかった。事前にHPなんぞで細かく調査しておけばよいものを、その手間をサボっては毎回こんな事に出会す。度し難きワタクシめ、でござります。美術館開催中の日曜日は芹沢銈介さんの自宅も見学できるとは、ケガの巧妙?前回訪問時に看板を見て知った。それはウマシ、美し。それで一泊旅の戻りの日曜日を美術館訪問にあてた。行きは息子夫婦へのオランダデンマーク土産でバッグが重い。帰りは身軽と踏んでいたら、子どもらのタイ土産で同じくらい重い。なんと。静岡駅でコインロッカーを探すもみな使用中。コインロッカーが少なすぎる!駅案内で構内のコインロッカーを教えてもらい、あちこち探し歩く。どこも埋まってる!駅の一番東側の場所で奇跡のように一つ空いているのを発見T^T、間も無く出発のバスを乗り過ごしたら次は45分後である。走る。何のことはない。バス停の背面にジャーン、ロッカーの壁があるのだったT^Tドギカマジカな慣れぬバス乗車と前回とは違う道を歩いた。振り出しからほぼ5ヶ月、ようやくこの地点への双六一度振られていると、感激はひとしおである。建物はいいなぁ、勝手に移動してないし。約束を守ってちゃんと開いてるって奇跡じゃない?とか、もうそれだけで嬉しさ込み上げるのである。庭へと導く小道こざっぱりと簡潔。何のテライもない。でも粗野ではない。改めて思う障子紙の清潔さ。蔵なので天井はそんなに高くない。そして重量に耐えられる強度があるだろう。それが健康な骨組みを観るものに示すのだ。土仕事好きなら、通り土間は素晴らしい工夫だ。家の表情を決定するのは建具だと思う。二階から繭玉とか保存された農産物をそのまま下ろせるように?なのか、せり出した床の開口部は掃き出しである。元は登米市の農家の板倉だったものを、気に入って芹沢銈介が蒲田に移築したものを当地は更に移築した。板倉にとっても思いもよらぬ旅だろう。草色の聚楽壁。漆喰ならどうであったろう。民藝の方のインテリアは正に私好み、北欧スタイルとも親和性が高い。オリジナルでは掃き出し開口だったところに、浅い出窓を設置して上げ下げ障子で光の調整ができる。出窓のアイディアは柳宗悦によるとか。その出窓に対面して彼の写真が掲げられていた。柳は芹沢を愛し、芹沢も柳を慕ったそんな空気がじんわり漂う。人間は食べたところのものであるとはサバランか。いや、人間は住んだところのものである。と私は思う。無駄なもの、虚飾を廃して本質に迫る。ことを押し付けがましくなく導いてくれるような空間。それが日本建築の美の標準ではなかろうか。濱田庄司、河井寛次郎、柳宗悦とそれぞれの自宅を見たが、私は芹沢銈介の、この小さなアトリエ兼住居が大好きだ。↑芹沢銈介デザインのスチール製ガーデンチェア二階は残念なことに見学出来なかった。出窓、椅子、お地蔵さま
2024.09.06
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2024/09/05/木曜日/夏揺り戻し↓虎の子のスイカさん、大切にしすぎて腐らせる。私の日々にそんな諸々ないか、ぐるりを検証しなくちゃ今年はイチジクがよく成った。ありがとうイチジクさん6月に訪れたTverstedで購入した3つのレシピの一つ、来年までに二つはトライしたいではないか、大切にしすぎの虎の子にならぬよう。レシピブックはこんな感じ↓オサレである。言語は幾つか選べるけれど、日本語はない。次の選択は英語。困った時にN先生のおられる有り難さスワッチはスケールを小さくしたものらしい。色の糸も挟んで様子をみる。やっぱりグレーの一色でいこう。というか青灰色と淡墨さくらが混ざった、なかなか複雑なグレーなのだ。編んでは解く。そうこうしている内に昨日には15日モチーフが。これの倍編むのか…単調でハヤハヤ感乏しく、3号針なので遅々。終いのぶどうに季節は揺れ動く次に編みたいものがせめぎ来る、る、る
2024.09.05
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2024/09/04/水曜日/曇る晴れる去年買ったコーン巻と今夏買ったコーン巻去年巻/キュプラ61モヘア12ナイロン10アクリル9ウール6、puってナニ?これが1、1/10番手今年巻/コットン100、綿ギマ←擬麻、1/15番手去年今年の糸を引き揃えて、先ずはショールを3号針で編んでみる。デザインはrevelryからもちろんfree(^^)私らしくもなく手がきつい。多分に糸の性格による。綿ギマが弛むとたわむ、或いは寄り添わぬ風情で一本置いてけぼりとなる。ふ。何度迷子ちゃんを引き取りに戻ったことか。なのでキツめに引き絞りながら編んだため。これなら4か5号がよかったなあ。次はそうしよう。左はソフィアスカーフもどき。去年マンゴスチンで染めた糸で。ショールを編んでふと考える。糸が残りすぎている。4号で再度ショールを編む前に、イサガーブティックで見たこれを編んでみよかしら。これはトドラーなので、もっとロングでグレーの一色で。と思い立つ。
2024.09.04
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2024/09/12/木曜日/9月始めの雨、懐かしむ〈DATA〉出版社 講談社著者 豊永浩平2024年7月9日 第1刷発行 2024年、本作で第六十七回群像新人文学賞受賞〈私的読書メーター〉〈すごいね、すごい才能。タイトルは「ちちぬはいや、うんまぬはい」。「つねにこの胸に刻んでおけ歴史の大河と言霊、いちばん深い夜空が明けたらやってくんのはほのかなひかりと明日さ…」黄金言葉さー。クラブのDJライクな物語構成で79年の沖縄をリミックスする。回転数が変わる刹那の音なき音に心捻られる。唯一本土戦を戦い文字通り根こそぎ奪われ、それは今も。沖縄を一人の旧友として捉えるならば、こんな理不尽がなぜ起きたか共に怒り涙し抱きしめたい。古い軍刀が巡り巡って今の凶器になってしまうエピソードの挿入は一番深い夜空か。〉沖縄が好きだ。何といっても人が好い。那覇よりは地方が好みだ。琉球の姿を伝える風景、それは正しくはもはや植生だけかもしれないけれど。北も南も良い。毎年の花粉シーズンに行きたいと考えているので他の季節は知らない。沖縄の人にとって、那覇の南、ガマが沢山ある地域は未だに近づきたくない所だと聞いた。ガマを覗いたわたしは少女たちをそこに感じた。彼女たちは軽くなれない。なぜなら、いまだそんなガマが沖縄の心にぽっかり空いているから。普天間の私立佐喜真美術館の丸木位里さんの絵画!普天間という空洞、穴。今、そこにあるガマ。大切な御嶽がそこにあるのだ。歴史は教えてくれる。ヤマトと称する薩摩藩がしたこと。その琉球が奄美の群島にしたこと。アメリカ世がヤマトにしていること。そんな事ごとが苦く思い出されるけれど、未来はいつも明るい方からやって来るのだ。物語はチカラ強い。
2024.09.03
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2024/09/03/火曜日/小雨と湿気白酒 はくしゅ じゃ手前のスマホで変換できないよ、やだねー。変換リストの前の方に来たらいよっ、真打ちだねえ。青菜、よかった。いやはや笑えた笑えた。一之輔 肩の力が抜けて座ってますよ、なかなか遊んでるんだろうね。しかしこのネタ、シモ過ぎて笑いがどうも下卑ちゃう。喬太郎 お、流石に一発変換。台風が迷走してるんで、枕に事欠かない。随分長いメリヤス?で楽しませて、創作。ここんとこ、シメは創作。前回も感じたんだけど、創作の語りは古典の語りと声の出てくる位置が違うように感じる。で、それが少しイヤなの、好みじゃないの。古典を語るように創作語ってほしいけれど、そうなっちゃったらそれはもはや古典⁈なのか?
2024.09.03
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2024/09/02/月曜日/久しぶり晴れ↓大社に即した細い道の右手角三嶋大社参拝の後は、ほど近い三嶋和食ひいらぎさんで鰻を頂く。三島は鰻処らしいので、鰻好きには嬉しいなぁ。立派な肝吸いと美味しいお菜、お漬物が付いた鰻重が3800円!特筆すべきかな。ご飯も美味しい。量が私にジャストであるのも嬉しい。鰻のおむすびなども買い、さて三嶋暦師の館へ、再び大社を通り抜けて向かう。↓歩道にはこんなサインが。三嶋大社から5分ばかり、三嶋暦師の館に着く。暦師、などという職業が独立してあったのだなぁ。何となく神社と一体なものかと想像していた。当たらずとも遠からず。暦師コヨミシ、である河合家は三嶋大社の社家に連なる。元は奈良時代に山城国の加茂から当地へ移住して来たという。ということは河合家というのも、加茂一族、即ち秦氏であろうか。京は下鴨神社の南、糺の森には河合神社がある。そこから直ぐの御所東にある梨木神社が梨木香歩さんのペンネームになったのは、縁深い河合隼雄氏によるものだったとか、何とか。おまけに梨木神社の対面に紫式部の住まいがあったのもよくできている。もとい。元々暦を日本に持ち帰ったのは吉備真備である。この人は岡山の今の倉敷市辺りが出身らしいが、これもまた不思議の人だ。話によると、遣唐使として渡った唐の国で囚われ命の危ういところ、習い知らない囲碁に勝ち、唐から多くの学問、書物を持ち帰ったといわれる。その一場面が三嶋大社正殿の南東に彫刻されているらしく帰り道に確認した。太陰太陽暦という昔ながらの和暦では、月の満ち欠けに従うため、3年に一度13ヶ月の年がある。昔の和暦は潮の満ち引き、農業、女性生理に呼応していると思う。そういえば、月のカレンダーがブームとなって久しい。宿曜や陰陽、納音と、私など知り得ない学問と連動しており、宇宙の法則、鼓動にも連なるようで、暦というものは大変奥が深い。館では、地元NPOの方が丁寧に説明くださる。またここのHPがとても充実している。庶民にも読めるように、いち早く平仮名を用いた三嶋歴はくずしの姿も美しく、李朝渡りの皿や壺の文様に似ていたために、見た目から三島焼とも呼ばれ、茶人に好まれたという。確かに茶碗の紋様と暦が絶妙だ。↓窯の名ではなく何処とか何時を問わず、三島焼きで通ずる分類が面白いではないか。棕櫚の間の、床にかかる書は山本玄峰氏による↓漢詩からの引用は読んで字の如し、水面に映った月。その水を掬い上げると手の中に月があるのだよ、を意味するとか。壮大。この、山本玄峰という三島の龍沢寺住持がまたすごい方なのである。玉音放送の、あの、「耐え難きを耐え忍び難きを忍び」の文言や、象徴天皇なる仕組みを拵えた人であり、敗戦時首相のブレーンだったとか。白隠上人にもつながる。↓安政の大地震で館は全壊し、建直した館は竣工直前に火事で消失したらしい。そんな不幸を見て韮山代官江川氏が裾野市の関所の廃屋を移築させて河合氏の館に充てたという。幕末の頃である。三島由紀夫のペンネーム、三島はそんなこんなを沢山包摂しているのだった。↓槙の木の生垣はなぜか懐かしい。
2024.09.02
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