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2025/02/27/木曜日/温かい1/1 終わりなき世のめでたさや有名な唱歌一月一日は第80代国造の作詞大晦日の深夜は11時頃から並んで、大社を退出したのが翌1時半頃。参拝に並んでいるのはイベント命、みたいな若いグループが多くいた。さすがに幼い人は見かけず。そして朝の大社は素晴らしいお天気だ。す元旦は表参道より明治神宮や川崎大師に比べれば穏やかな混み具合しかし車はほとんど動かない様子。大社隣接の空港リムジンバスは三が日はパスした方が無難と駅でアドバイスされる。JR出雲駅前発に急遽変更。一畑電車乗車券も前もって買うべし。乗車前には長い列ができていた。一人旅では並びながらのチケット購入はできない。大きな松の並木道をゆく今日はどことなく明るい大社大国主命は瑞垣、更に玉垣と二重の囲いの中、西を向いて鎮座されている。何故、稲佐の浜の方、国譲り会議が催された方に顔を向けているのか。出雲王族は朝日を拝礼する風習があったのに、何故わざわざ東でなく西向き?お正月5日間は八足門が開かれ、楼門前で参拝できる。大国主命のお側に、より近づける。大国主命の背中側、南面して立つ二つのお社は命のお妃と兄弟に殺された命を蘇生したカミムスヒノカミを祀る。ニ柱はこの場所を和らげているように感じる。背中は何者かが罹りやすい。そこを埋めて下さるのでいささか安心する。↓出雲大社参詣案内ところが御本殿の真北の上座、❼に素戔嗚尊の素鵞社が八雲山の気脈である大岩の上に、恐るべき重さで鎮まっているではないか。↓稲佐の浜の砂が頂ける場所辺りの磐座古事記がいうように、大国主命と息子らが国譲り協議をするとしたら、稲佐の浜側のちっぽけな立石の場所ではなく、このくらいの規模でなければ協議内容と釣り合わない。出雲口伝では、王の大己貴命と副王の事代主は謀殺されており、ホアカリ(彦火明)とその斥候ホヒ(天穂日命)と息子タケヒナドリの内、前者は大陸に逃げ、後者親子は奴ヤッコの身分に落とされ、自由な外出は禁じられたという。王と副王を殺害しながら、この対応は頗る寛大だ。出雲王族とはそのような王国だったのだろう。或いはホアカリのように既に出雲族との縁戚が複雑に進んでいたか。↓出雲大社参詣案内イザナギの禊からアマテラス、ツクヨミ、スサノオの三神が生まれた、と私たちは覚え聞かされた。出雲大社案内には天照大御神の二人の子神の内、①天忍穂耳命→瓊瓊杵尊→皇室②天穂日命→→→出雲国造第84代千家尊祐に繋がると記されている。月読は途切れている。スサノオはといえば→大国主神→①味鋤高彦根神②事代主神が続く。しかし、大国主の父神がスサノオであることは、大社の配置を見る限り違和感がある。何というか、親としての哀れみがないというか。むしろ大国主を威圧しているような塩梅。身内なのに何故玉垣の内にいないのか。案内を読んではあ、と膝を打つのは、神と記されているのはアマテラス、大国主、その子に比定される味鋤高彦根と事代主の4人だけ。アマテラスは除くとしても3人の神扱いが興味深い。記紀が排除した古い神代の複数の民族、トーテム、家紋、神話が出雲口伝からは見えてくる。異なる時代、目的、ルートで芦原の中津国に入り混じったパッチワークのような私たちのご先祖さま南インド辺りから北と南回りで、縄文末期にいち早くたどり着いたグループが源日本人である縄文人と混ざりながら拡大した。そこへ弥生から古墳時代に掛けて、かなりまとまったグループが大陸や半島から政権や王国を奪われるなどの政変を逃れていわば難民として辿り着いた。先発と後発のグループ間の闘争や内紛は宗教戦争帯びていた。厩戸皇子が、このクニは仏教で心を統一してやっていきます、と宣言。まとまりかけたのも束の間、物部、蘇我ら強大豪族は歴史の中に消えていった。太子と蘇我で文字化させた国記・天皇記は焼失。はて誰がそうしたか。やがて覇権を握った大海人皇子。大海人皇子は帝になるや国史編纂に邁進する。豪族らの口伝を集めては、抜群な暗記力の持ち主、稗田阿礼に語らせ、パッチワーク民族のパッチワーク神話を大きな物語に創作した……その物語は未だ機能している。夢から覚めるのはいつ?
2025.02.27
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2025/02/25/火曜日/まだまだ寒い国立劇場の建替えで、東京さすらいの文楽公演となって久しい。これは文楽ファンにはつらい。慣れない会場、たまには隅田川の向こうまでなんてこともあってすっかり足が遠のいた。2階の改装くらいで十分使える建物を早々と閉めてしまってねえ(。-_-。)あぜくら会退会かなぁ、と思っていた矢先吉田和生さんの顕彰でなんと!通しで!妹背山婦女庭訓記念公演。分けて見るのが楽だと思うのだけれど短い公演日程につき時間が取れず一気に観劇大ホールに入るなり、うわー舞台が遠いと口に出る文楽のための施設ではないので、左右が細く後ろが長い。しかも先行予約を逸して後部席(-_-;)それでも何でも本日は一日文楽だ。↓やる方もやる方見る方も見る方な、ずっしり感第一部吉田和生は定高サダカを違う。気丈で矜持の高い役所にすーと入る。端正小松原の段、小菊と采女を遣った南都太夫が光るいわゆる山の段、妹山背山の段は舞台の作りも大掛かりでドラマチック吉野川に分かれて奈良と紀州。歪み合うお家同士に引き裂かれたロミオとジュリエット。彼らの首を刎ねるのはそれぞれの実の父母という哀切に、仇の恨みが水のように溶解する。水に流れる文と桜、雛の道具、雛鳥の首身を捨てるほどの恋心は鵲の架ける橋と相成りぬ絶望から来世、再来世さらにその先まで、永劫の時間の契りの架け橋とならん2時間もの時間もあっという間に過ぎ去り、実感はその半分もない。太夫、太棹も妹山と背山に別れて、掛け合い送り合いの浄瑠璃というステレオ効果背山の大判事は若太夫、妹山の定高を錣太夫の大ベテランで固める。意外に?可憐な呂勢太夫の雛鳥太棹、太夫、人形遣い、背景のみなさん、入れ替わりがあるとはいえ、最後まで一つの物語世界を総がかりで作り上げたエネルギーはすごいです。第二部何しろ山の段が凄い大作なので、その後は軽く、円熟にはまだ遠い、若いバチ捌きや声の色猿沢池と鹿殺し、と二つの段がさらさら行くここらで目を覚ますべく私の贔屓、小住太夫の掛け乞の段。第二部真ん中できらりと光る。うん?あんまり光らんよー、本日は。潜在的な力量は絶対高い、何より声がよい。控えめ過ぎないか。もっと貪欲になって演じてほしいなあ、ソラでホンを歌ってほしい。文字を追えば気持ちがぼける。もっとも、お笑いを誘うような中継ぎのような二部ではあるので、やや軽めに仕上げたか。ならそれで、ゆるりの遊びをもう少し。万歳の段で露払い、切は千歳太夫の芝六忠義の段、太夫と富助の太棹も相性よく。成さぬ仲の親子の義理と人情が主題。鹿を殺せば人間はもっと苦しい責苦で死罪という、当時の当節模様が描かれる。母親の雉が余りにも哀れだが、どんでん返しが用意されてるとはいえ、ここでも親による子殺しが。ところで、呪いで失明した天智天皇←時代的にあり得ないが、時空がゆがむ山田風太郎的世界観である。もちろん山田風太郎が後発。他に藤原鎌足、蘇我蝦夷、入鹿親子など乙巳の変メンバー入り。江戸時代、よほど蘇我入鹿は忌み嫌われていたんだなあ。現代では蝦夷入鹿親子の評価は随分変化している模様だけど。入鹿が地中に隠匿していた三種神器の内の勾玉と鏡が発見されると、天皇の目はたちどころに平癒する。天岩戸の変奏だろうか。第三部杉酒屋の段三輪の里の酒屋の娘、お三輪は求馬=淡海(←藤原鎌足の子息)に熱い想いを寄せている。そこへ身分の高そうな女性←実は入鹿の妹橘姫、がやって来て、すわ三角関係か?道行恋苧環みちゆきこいのおだまきお三輪の呂勢太夫、橘姫の織太夫、求馬の小住太夫三人並び。更に桐竹勘十郎が遣うお三輪である。合唱ありのオペラ仕立ての味わい。衣に苧環の糸を付け、求馬は橘姫を、お三輪は求馬をどこまでも追う。おおお。アリアドネの糸!姫戻りの段橘姫の素性が明らかになる。鱶七上使の段これはどことなく素戔嗚尊と大国主命のオマージュのような段。お三輪という名も、国津神の流れをくむ大神神社に重なる。そして怒涛の金殿の段織太夫と燕三。燕三の力量が素晴らしく、音がすでに感情から言葉へと行きかけているみたい。三味線が浄瑠璃語りを始めそうで織太夫は、うかうかしてられない。おまけに勘十郎のお三輪。太棹と語りが溶け合って、人形も鎮まり、舞台と客席が水を打ったような静寂に陥る一瞬。そんな場面を導き出す勘十郎の人形観る者の感情を盛る大きな器のような空間を形成する卓越した技術。若く溌剌とした大店の娘お三輪が、嫉妬に狂い物苦しい女に変容する、その過程を観る者も同時に生きたのである。ああ哀れよの最後は自分の生命を愛する求馬に与えることで清く澄んでいくお三輪お三輪には勘十郎が合う勘十郎にはお三輪が合う
2025.02.25
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2025/02/21/金曜日/温かいが花粉の予感〈DATA〉出版社 河田書房新社著者 今野真二2018年8月20日 初刷印刷2018年8月30日 初刷発行河田ブックス 110〈私的読書メーター〉〈古代史の範囲である3章までを読む。私の受けた歴史教育は日本史と世界史二本立て、東アジア史は抜け落ちていた。最近では大陸や半島の関わりから日本史が解読され、孤立した島国の上書きが進む。著者は日本語学を専門とする故に、書き言葉である漢字が話し言葉である和語に、どのように吸収されたか、或いは中国の北部漢語と南部の呉語、半島の発音に即し用いられた漢字のクセなど、記紀に反映された実例を示す。いや、記紀の原典を読む事で編纂者が中国古典の何を読んだかも判明する!知識とは広大なもの。重祚女帝の狂心たぶれごころ、がざわつく〉列島に住む縄文人である私たちのご先祖は、ことばでもって意思疎通をしていたことは間違いない。そうでなければ三内丸山遺跡など作られようもない。そしてその文化は、聞くこと に重点が置かれていた。上下下達の官僚制が列島隅々に行き渡る8世紀まで、一族自らの出自や由来の歴史も語りで伝えられた。沖縄には古い日本の姿が遅くまで生き残ったのではないかと想像されるが、政治の主体である王とその姉妹である姫君は祭祀を司る聞えの大君と呼ばれたのである。久高島の巫女らは首里城よりもいち早く昇る朝日を拝む位置にあり、聞えの大君に奉仕した。出雲を中心に発掘された夥しい銅鐸は、そもそも聞くための祭祀の道具だったのが、ヤマト政権に分解吸収されるにつれて見るための祭祀道具に変化したという。日本にも古代文字や神代文字があった、という説もあるが、それは汎用性のない、各部族において使用されたもの、と今のところ考えざるを得ない。それが政治も都市も技術も漢語を用いる事で、進んだ大陸の文化吸収が容易になるわけで中央統治者を中心に漢字を学ぶことが即ち文化人の証とばかり、瞬く間に円を描いて広がった。そんな漢字と和語のあざなえる縄の如しな歴史が古代から幕藩体制終了まで駆け足に、かつ専門資料を併記しながら明かされていく。さて、英語というものがどうも日本語に馴染まない背景を考察するのはどうだろうか。国境も、民族のことばも文化も風習も信仰も、時の流れの中で呼吸しているかのようにたゆたい、自在にうねっている様が見えるかのような読書だ。
2025.02.21
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2025/02/16/日曜日/曇り後晴れ12/31 ようやくたどり着いたよ、大社稲佐の浜から下宮シモノミヤと上宮カミノミヤに参拝しながら大社へ向かったので、国造家の千家前の道を行く。ところで、下宮の御祭神は天照大神上宮は素戔嗚尊並び八百万神とのこと。皇祖神天照大神が下宮、という逆転?の並びも出雲王国の心意気か必然かと注意をひく。↓立派なお屋敷であります。かつて国造は出雲の人びとにとって神に等しい存在だったという。明治になるまでは国造は西の千家と東の北島家が担っていたが、今は千家のみとなった。明治の一新が、日本の宗教信仰にどれほどの混乱と打ち壊しを招いたか、測り知れない。長年の寺社の腐敗も一方にはあったろう。しかし官制の位階に配置されなかった民の祈りの小さなお社は、お寺同様悉く廃止されたのだ。その直前、全国津々浦々民衆こぞってええじゃないかで踊り狂い、大店の蔵を開いて財産ばら撒くなどの騒ぎは、旱魃、百姓一揆、疫病、天変地異の後を引き継ぐように近世の幕引きと重なりうねった。一体いつ心穏やかな時代はあったろう。橋を渡る。それは俗世を後ろにひとまず置いてくる事に他ならない。苦海浄土にかかる橋ならん。千家と大社の間の川は素鵞川北島家と大社の間の川は吉野川やがて二つの川は出会って一本になる。行き先は高浜川か?一つ一つお社前で二礼四拍手一礼をしている参拝者の姿。なぜかそのみなさんとすれ違う私。あら、みなさん半時計周りじゃない⁈のは私だった!初めからやり直しΣ(゚д゚lll)たいそう立派な社殿だ。なぜか、大国主命は幸せではない、が私の印象だ。少しでも幸せになって頂きたい、という祈りになってしまう。今回の旅のテーマは民藝、松江、大国主命さま、だったのだ。ひととおり参拝を済ませた後はご縁横丁でおぜんざい。付け合わせのお漬物が美味しい!暮れなずむ参道の界隈をへ巡りながら、宿へ戻る。深夜からの初詣並びに備えて↑竹内まりあさんのご実家旅館。右は祝凧の専門店。車付きのタイや宝船が可愛い!私好みなのだが、既に稲藁の鶴亀を買ってしまい、これを壊さないよう持ち帰るので余裕がない(T-T)そういえば、出雲民藝館も年末年始休館中。また別の時期を期待しよう。
2025.02.16
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2025/02/13/❶ そば一仁世田谷区十割もり+牡蠣の天ぷら¥180011時30分オープン前に既に5組ばかりの列これからのレッスンに備えてもりに牡蠣の天ぷら三ケをプラス。曜日分けで十割蕎麦の打ち方が異なる。今まではこの太麺に当たったことがなかった。かなりコシが強いので、噛み締めるかんじ。それにしてはツユが繊細でカツオの香りも高い。この麺ならもう少し濃い目がよいなあ❷ 手打蕎麦ふじや新宿区十割もり¥1080わお、今日の十割はめちゃくちゃ美味しいぞ何があったのか⁈よく冷水で締めている。蕎麦粉にまぶす水の量が絶妙、生粉打ち後、時間を置かず茹で上げられ、とか?その麺にからむツユが私好みにからめ、である。今日は蕎麦茶も甘味際立つ。何というか、背中まで涼風がめぐる。1080円。惜しくない。
2025.02.15
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2025/02/13/木曜日/風は冷たし日差しは春12/31 2024年の大つごもり。うーむ時間を掛けてようやく大社へ何でかな?大国主命が気になって、ここに来れば何か気配を感じられるかも、と。神話の道とやらを歩いてみる。国譲り会議がここで持たれた、という設定の屏風岩現状は民家の庭先だ。国譲りを迫られた大国主は、自分一人では決められないからと二人の息子を呼びにやる、というのが学校教育の定型というか…あれ、そもそも公教育で記紀内容を学んだんだっけ?出雲口伝では全く異なる展開だ。事代主がその身を虚しくした跡地には娘の姫君によって美保神社が建立された。主王と副王が、ホアカリの命令を受けたホヒ、タケヒナドリの指示で海童らに襲われ、黄泉の国に去ってしまったという富家の言い伝えが符牒するようなご神事が行われている。ところで現出雲国造は代84代というが、その祖がホヒ=天穂日命であると、大社参詣案内にある。記紀では天照大神の御子神の一人であり、もう一人は天忍穂耳命。出雲口伝では忍穂耳は徐福の父親とある。これは一体どういうことだろうか。二元的な神話を組み合わせて記紀を編纂した時、時の天武天皇は姓制度の刷新で物部氏を冷遇した埋め合せに、徐福を祖とする物部氏の天孫神話を取入れつつ、皇祖神タカミムスヒと南方系土着神かもしれないアマテラスとすり替えたとしたら…物部一族の面目も出雲王国の面目も立ったことだろう。何と巧妙な仕掛け。↑下宮その物語を構成する舞台が、ここ出雲には整えられているのだなぁ。↓上宮出雲口伝を基にした『出雲王国と天皇』の添付資料、家系図では事代主の孫の代で、ホヒ家の沙麻奈姫と縁戚が結ばれ、その子が建甕槌タケミカヅチと記載されている。記紀では、あの建御名方タケミナカタを負かし国譲りを完遂させた天孫族である。タケミカヅチはタケミナカタから見れば孫世代になる。事代主とタケミナカタが祖父と孫ほどに歳の離れた親子であっても、ミカヅチとミナカタの二人は親子ほど年が離れているのではないだろうか。二人の間で何か確執があった事を象徴しているのか、国譲り物語。例えば、事代主の屋敷があった神魂神社を明け渡すようミカヅチがミナカタ一族を追い払った、なんていうことがあれば、それは一つの国譲り、ではなかろうか。ホヒの孫であるタケミカヅチの一族が神魂神社に居を据えて900年ばかり。出雲国造の千家、北島家祖先は、出雲風土記を完成させた頃に、現在の大社がある杵築に突如移転を中央政府から言い渡される。それから幾星霜の1300年余。毎年出雲一宮、熊野大社で火を頂く際に知る人ぞ知る亀太夫神事がある。国造は熊野大社の亀太夫に難癖を付けられ、持参した餅を中々受け取って貰えず平身低頭する、というかなり芝居がかったやり取りがあるらしい。ようやく聞き入れてもらい、火を起こす道具一式を借り、その日で新殻を調理し、神魂神社にお供えをする、というのである。出雲の祭祀王である出雲国造の大変な奉仕は、古代出雲王族と現出雲国造の歴史的な力関係をそこはかとなく具象化しているように思えてくる。ここでは一千年、二千年を経た出来事も合わせ鏡で際限なく映し出されるように人びとの意識や記憶にこだまして生き続けているのだ。
2025.02.13
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2025/02/09/土曜日/関東は晴天〈DATA〉出版社 岩波書店著者 溝口睦子2009年1月20日 第1刷発行岩波新書(新赤版)1171〈私的読書メーター〉〈古事記は宮廷官吏に軽んじられ長く解読不能だった。本居宣長以来、江戸後期にはお伊勢参りが大ブームになるなど広まった。さて、幼児期以来折りにつけ読む古事記は、実は私にはさっぱり捉えられない神話なのだった。部分のエピソードが際立ち筋としての統一が無いのだ。著者は専門の立場から、ムスヒと土着神の皇祖神の交代を説く。学術認識の地点が明確になり私の疑問も緩んだ。ヤマト王権の臣君が土地に、連は職掌に因む、の指摘は目から鱗。本当に国譲りを迫ったのはアマテラスだろうか。中央集権のタテ構造に彼女は似合わない、と私も感じる。〉本書は古代天皇制思想の核心部分である国家神についての疑問の解明がテーマであると序章で宣言されている。歴史学や国文学、民俗学、思想史のあらゆる分野、あの丸山眞男ですら、天皇制思想の根幹をなす国家神はアマテラスであると固く信じられてきた、と。その背景には明治憲法に天皇をヒエラルキーの頂点に置く思想的背景の画策として、アマテラスを我が国独自の文化的な役割として利用?据えられたことにあった、ということ。また学術関係者らの古事記に傾いた読み取りがあったこと←誰もが避けられない本居宣長?日本書紀ではタカミムスヒを国家神=皇祖神とはっきり位置付けている、と。よく知られているように、日本書紀は海外=中華に向けて編纂された国史であり漢文で記され、古事記は国内一般に向けて大和ことば←漢字当て字、で記された。中央集権国家として、いち早く大陸や半島の進んだ政治形態である王政に肩を並べるため、いわば輸入される形で登場したタカミムスヒを皇祖神にすえた、と結論付ける。皇祖神がタカビムスビノカミであると主張した端緒は昭和29年の昭和天皇進講を行った岡正雄氏の説であることも示している。古代の神はどの文明でもあまねく女性神だ。それは農耕と新たな命を生み出す、再生と豊穣のシンボルなのだ。やがて青銅器や鉄が発明されると、武力で支配する王制となり、女性は神の位置から排除され、男性中心の政治形態に変わっていく。という説明をトルコツアーの現地ガイド氏である考古学専攻、元教師の方から聞いた。首肯。そんな文明の大きな波が、ヨコ的だった秋津洲にも打ち寄せ、天の高い所由来の北方ユーラシア渡りの権威的な神を急遽据えることになった。タカミムスヒの内、タカとミは美称尊称で、神名としてはムスヒ。ヒを日とするか霊とするかは別れるところらしいが著者は日と捉え「万物を生成する日」の意だとする。外来神であるタカミムスヒは太陽の神であるばかりでなく、日月も象徴する天帝である。皇室の子孫は故に「日の御子」と称され、ヤマト連合の王と画期された大王となる血筋となる。まあ座布団、高下駄?としての外来のカミ。やがて天照大神が皇祖神の位置に着くと、風土記編纂の8世紀後半にはムスヒは「魂」の一語で表されらようになった。そんな記述に触れてみればなるほど、神魂神社はカミムスヒ→カモスと人口に膾炙したのだろう。天照大神の天照は太陽や月に用いる形容語なので天照御魂神はアマテラスミムスヒの神であり、タカミムスヒである、というややこしさ。4-5世紀の古墳から出土する副蔵品は、爪先から頭のテッペンまで大陸、半島由来で鹿鳴館時代どころではない、日本的民族的なものはどこに行ったのかという石母田氏に対して目に見えるものの変化は理解されやすいが、精神面での大きな変化を記紀に探るという解。そうして見えてくるのが、北方ユーラシア騎馬民族が大暴れして周辺豪族を震撼させ、勢い、地域を国に凝縮させたタカミムスヒ系の天帝神話と、日本に古くから語り継がれたイザナギイザナミのクニトコタチら始源神の二つの流れを国譲り神話で結んだ記紀神話である。私はこの本を読みながら、出雲口伝であるところの『出雲と天皇』との親和性もいくつか感じた。スサノオの像に関しては其々異なるし、私自身どちらも腑に落ちない。しかし学問をすることで明確になるなあ、と感じるのは、天武の氏族政策について書かれた第5章。長年用いられた「臣、連、君」から「真人、朝臣、宿禰、忌寸」への撤廃と移行は先の姓が出自の差に伴っていたのを解消させたたが、その中にも天武天皇の政治力を著者は見ている。真人は天皇子孫。天皇下でヤマト王権最大の連、大伴氏を第二位の宿禰に留め、大神氏を朝臣の筆頭に据えたのは、前者はムスヒ系、後者はアマテラス、オオクニヌシ系であるということ。律令制に舵を切り始めた頃はまだ地方豪族の力が大きいということも背景にはあるだろうが、皇祖神にアマテラスを据えたのも天武天皇が直接関わった古事記において、なのである。ある日をもって私部私民を公地公民とし、国からサラリーを貰う仕組みに、各地の豪族が納得したろうか。しかも祖神の存在まで否定され、渡来人が周囲を取り囲む大王に支えたろうか。その辺りの統治者能力の高さを著者は天武に見ているのである。何をもって国のまとまりとしたか。日本人にとって最も親しいカミは、しかし、私には朝日に向かい虚心に拝む遠い遠い祖先神、サイノカミに行き着く。
2025.02.08
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2025/02/07/金曜日/日差しは春、午後からあやし緑蔭ギャラリー(完全予約制)のオーナーさんが、迷えるはにわロードハイカーに下さった手製マップ↓地図を見るとこのギャラリーが素晴らしい場所にある事が伺えます。松江ではいろんな方に親切にして頂いたなあ。ありがとうございました!小泉八雲や不味公ゆかりの茶亭も記録を残さないと、記憶が薄れてゆくーさて日が明けて。12/31宍道湖ほとりの一畑電車の駅まで荷物を転がしながらゆく。寒くない、お天気も上々車窓からは宍道湖が朝靄を透かして見える。この色合いの美しさよ旅情を呼び覚すのは地名や駅名。元々の響きに後から漢字を当てたのだろうか。たぶせ→旅伏鳥取3泊、松江2泊、出雲一泊全て温泉付き格安ホテルの予定が…JR出雲駅から出雲大社へは歩いては行けない距離であることを旅にでる十日ほど前に気づいた。慌てて大社近辺で宿を探すハメになってしまった。だって。折角出雲に行くのだから、やはり去年今年の狭間で初詣したいではないか。目ぼしいところは当たり前だが満室(´;ω;`)何とか民泊の部屋を予約できたが、次回機会があればとにかく、大社付近の小さなパイであるお宿は早めに確保したい。1年前とか⁈ともかく荷物を下ろし、稲佐の浜に向かおう。その途中に出雲阿国のお墓があるので、お参りもしたい。彼女は何者⁉︎うろうろ探す。どうやら裏山の方からアクセスしたらしい。通り掛りの年配の方に尋ねてみる。「この辺は山坂が多いからお米もとれなくてね」「一畑電車からは広い畑や田んぼが見えましたよ」と答えてみたが、あの辺りとは違う地域であるように仰る。私には地続きの一塊の地域に思えたが、何か隔たりがあるというか、この土地は格別に限定的な区域であるかのような気持ちが伝わる。海もすぐそこなのだ。にしても、お米というものがどれだけ私たちに大切か、彼女の口ぶりから改めてしみじみ伝わる。殆ど民族の悲願、コメ。私には出雲は日本人発祥の土地のように思われ、その土地の醸すスフィアを深く呼吸したくなる。なので、できるだけ歩く。訪ねあてた阿国の墓は車道からは掲示板があり、そこから少し階段を上った小さな墓所にある。晩年に尼となり暮らしたという住い跡も程近い。よく手入れされ、お花やシキミが備えられていた。↓この下に眠られているのだろうか。独特な形の石で、三分の一くらいの所に亀裂が入ったのはいつのことだろう。案内板に大社町の鍛治職中村三右衛門の子で、出雲大社の巫女であったといわれる。天正の頃、大社修復勧進のため京に上り、世にいう歌舞伎踊りを創始した。名古屋山三との熱愛ぶりも有名。とある。出雲阿国のミュージカル成功祈願とお礼参りの記念碑があった。木の実ナナさんの名前も。歌舞伎界の方もよく墓参されているようだった。阿国は美少年の誉れ高い名古屋山三と夫婦になったとか。阿国は男装して山三役、茶屋女役を男性が演じ、その倒錯踊りの際どさが評判を呼び、秀吉や家康の前でも演じたという。名古屋山三は名越流に血のつながる人物らしい。また阿国の参加している一座の訪問興行地は公家や大寺、大名ばかりでなく、石見銀山、佐渡金山などで山師らも慰安した。動いたのは金だけだろうか。さて。阿国の墓からはすぐ。稲佐の浜神話世界が唐突にここにあることに感激至極。半世紀の昔には砂浜はずっと後退していて、潮の引いた時に足を濡らしながら渡れる程度だったと宿のご主人から聞いた。モン・サン・ミシェルか江ノ島か人間が何やら感じ入るものは近しい。↑浜には少し強い風が吹きつけていた。こんな魚、カワハギ?が打ち上げられていた。↓神坐すカタジケナサを感じる海と空痺れを切らしたアマテラスが遣わした武甕槌タケミカヅチがこの浜に太刀を逆さに立て、その切先に胡座をかいて大国主に国譲りを言い渡しだというが。今は昔。神在月にはこの浜からヤオヨロズの神が大社に集うため、出雲国造は夜にお迎えに上がる。その場所は二つある駐車場の、奥の方の小さい駐車場から海に向かった辺りの浜と聞き、そちらまで行ってみた。小さな川がある辺り、とのこと。ここらあたりか。何も目印がない。関わりのある方には分かる、或いは神迎神事に参加すれば、ということだろう。神事では2本の神籬ヒモロギを掲げ、先頭は竜蛇神が務める。竜蛇神は出雲神族租神のクナトノ大神の信仰トーテムである。ということはこの2本の神籬、つまり出雲王族が鳥葬に用いたという木、は無惨に殺されたオオクニヌシ、コトシロヌシの鎮魂用であろうか。天津神には席を外していただき、ネノカタスクニに追いやられた国津神たちを一年の12分の1だけ奉斎する、ということなのか。2025年の神迎神事は11月29日、土曜にあたる。大勢の出雲王族の末裔も集うのだろうか。
2025.02.07
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2025/02/05/水曜日/午後から寒い〈DATA〉出版社 青土社著者 吉田敦彦2012年1月30日 第1刷印刷2012年2月10日 第1刷発行〈私的読書メーター〉〈大国主に最近とっても惹かれて、手当たり次第に手を伸ばす。いかん。これは私の望む方向の著作ではなかった。著者吉田敦彦さんのような比較神話学及びユング心理学の集合的無意識やフロイトのヒストロをフィルターとする考察はなんか違うというか私の知りたいアプローチではないのだなぁ。大国主と母殺し⁉︎いやいや、むしろ大地母神として感じられるオオクニヌシにあらせられまする。その震源はどこまで遡れるか。が、この度の読書の悦びにして神話も一つのチャンネルならむ。それにしては日本神話の掘り下げがウツロに感じられる。 〉副題は出雲神話と弥生時代の祭りとある。祭りというものが古来いかなるものであったか。大国主🟰八千矛🟰広矛アメノヌボコ🟰男性性陽根とする国生みは、各地の土地の神格化された女神とのまぐあひによって国土を拡大し、かつ土地を肥沃にして芦原の瑞穂の国に成していく様である。とのこと。これは既によく理解されていることでもあり、里神楽などの大らかな身振りは農耕民族中に見出される、豊作祈願にもつながる祈りそのものだ。その辺りの経緯を宣長が後の世の心もておしはかる言コトな為そと戒めているのも、その方向のみで考察するには、後の世の我々は既にヒトとしてあまりにもカミから離れてしまっている所以。宣長の言を引用しながらも、その事ばかりに力点が置かれ、果てはニューギニアだったかの少年の通過儀礼と因幡の白兎を横並びにするのは、いささか辟易した。出雲の人びとの最重要な民間信仰はサイノカミではないだろうか。クナト神と幸比賣とその児であるサルタヒコの三位一体の、誠に人間らしい幸福。子どもこそ宝、子種、子宝そんな歓びが辻々にこだまする、山田には豊かに実った稲穂がこうべを垂れている。それこそがヒトとカミのよろこひ。
2025.02.05
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2025/02/03/月曜日/今日から立春↓先生のサンプル念願のこの模様のリストウォーマーが編める!あやふやなラップ&ターンのおさらいもできる!それで私のうろ覚えミス、ラップとターンの間には一手間、すなわち滑り目を元の針に戻す事が私的には抜け落ちやすい、に明かりが灯った。その混乱を避けるために段消しにはジャーマンショートロウを選択していたのだった。リズムはラップ&バック&ターン、なのだ。ショートロングではなく、ショーショーローング↑私のチョイスコントラストカラーの毛糸はメルスリーさんの手染め糸。メインはブリティッシュエロイカ 針は8号レクチャーを受けて編み始める。授業終わりにみなさんの作品を並べてみると誰⁉︎このブカブカに膨らんだ編み地!あああー実に私でございます。先生のサンプルがふんわり仕上がっているのに気を良くしてぷかぷか編んでしまいました(T . T)みなさんの編み地は先生より小さめの方がほとんど、私一人巨大であります。下は師範でもあるクラスメイトさん作品。うわーさすがに編み地が美しい。彼女は先生より一回り小さい。本当に同じ8号⁉︎帰宅するなり、解いて編み直す。やはり針の号数を一つ落とすことにエンジが目立つけれど、大体指定の大きさに仕上がる。私はこの裏地が好み、ゴッホの空かなんかみたい。それとも頂きもののトチアイカ?だっけ?これ、おいしーおいC、癒されたーブリティッシュエロイカやメルスリーさんの糸が余っていたので、同じ模様でカウルを編む。結局両方とも糸が足りず買い増し。メルスリーさんのはローワンの糸をぶつける。ローワン糸でやはりリストウォーマーを編み途中だったが旅を挟んで編んでみると左右でゲージが違い過ぎるΣ(゚д゚lll)やり直し。。ペアものは一気に編まないとサイズ崩れ多々しかも英語表記のレシピが不明(T_T)次のクラスで先生に教えてもらおう。
2025.02.03
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2025/02/01/土曜日/晴れのち曇り元旦が出雲、月半ばに高崎、長野。まあ、忙しく過ぎてしまった。❶ 奥出雲そば処 一福★初訪問 出雲縁結び空港え!これで、空港という場所で。1320円とはお得です。予想より美味しかった!前日に大社の側で食べた蕎麦屋さんよりずっと美味しい。割子蕎麦ともしばらくお別れなのです。こちらには私の好きな銘柄、出雲月山が置いてあるではないか。心惹かれ、後ろ髪引かれるも我慢してお蕎麦だけでヨシとする。帰路は長い。❷ 蕎麦処 つゆ下梅の花本店★初訪問高崎市お蕎麦は二八、ツナギにフノリツユがやや薄味早刈りの蕎麦を用いることが特徴なのだとか。天ぷらのカリッというアガリが今ひとつ。寛げる店内で、地元の人気店らしい。❸ 十割蕎麦 大善★初訪問長野市チェックしたお店は夜開店。ともかく十割に惹かれて入店十割とは思えないほど喉ごしがよい。香りはそこまで立たないが、甘みは強い。蕎麦ツユも甘過ぎず、手慣れた感じ。女子高生らしいアルバイト店員さん。カワイイけれど、蕎麦のサービスに向かないなあ清潔感のある、きりっとした妙齢以上の女性が切り盛りしているお店が好み。打つ人は若めな男性がよい。注文うるさいぞ、私は。❹ 手打ちそば そばしき 四ツ谷店★初訪問新宿区四ツ谷駅界隈は蕎麦不毛地帯。まして日曜日。ランチ店ほぼお休みそんな中でともかくも営業している蕎麦屋があるとは有り難い。もり 700円今どき、うれしい価格設定カウンター内もサービスする人もインドかネパール辺りから?日本式お蕎麦を愛してくれていたら嬉しい。マニュアルではなくて、ねえ。そば、ツユ共にまあ平均的❺ 蕎麦 うえはら新宿区 ★初訪問代々木上原でお昼頃降りる理由はただ一つ。えもり の蕎麦が食べたい。しかし4回訪ねて2回しかヒットしてない。今回で空振り重ねる。下北まで行くには空腹過ぎる。改札口に程近いお店に。新しいお店で、テーブル席がゆったり配置されているため、居心地よく清潔。もり。千円くらい記憶。量はまあまあ。二八。ツユ、カツオ出汁がもう少し強く香ってほしいところ。蕎麦湯トロミが下に溜まって、うわずみばかり飛び出すという塩梅。お茶は室温蕎麦茶、美味しい。❻ 手打蕎麦 ふじや新宿区十割もり。1080円今月は3回お昼に行く。最近ではここの十割蕎麦が私の標準になりつつあります。量、コシ、甘み、ツユ、価格今月初回には七味を頂きました。感謝
2025.02.01
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