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離婚と同時に会社を辞めて起業した。多くの知り合いや親戚のお情けでなんとか運営ができている。その関係で日中わたしの事務所に遊びに来る人間がいる。本人は手伝いと称してやってくるが、実際はわたしに命令する。かえって仕事の邪魔になる。しかし、そういったお節介で親切な人たちのおかげでわたしは起業できたのだ。そういった人たちが先輩面したい気持ちもわからないでもないし、そういう人間はどこにでもいるものだ。わたしは相手のプライドを傷つけたくない。従っている振りをしている。浮世の義理は避けられない。しかし、なんて気疲れするものだろう。みんな考え方が違うから齟齬が生じる。思えば、わたしだって妻に自分の考えを押し付けていた。妻には妻の考えがあるというのにそれを無視した。嫌われる人間とはそういうものだ。嫌われる人間は自省することがないから自分が嫌われる理由に気づかない。嫌われているとは夢にも思わない。誰に対してももうそんな醜悪なループの中にはまりたくない。一人で生きていけるわけではなし。
2005.04.26
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個人のブログというのは、オール真実でなければならない規定はないので何を書いてもいいことになっている。わたしは他人のプライバシーを侵害しない程度に事実を書こうと思っているけれども、他人のブログが脚色有りで書かれていたとしてもしかたがない。ある女性が自身のモラス・ハラスメント夫に対する罵詈雑言を書いたとしてもそれはあくまで妻側の言い分であって、夫には夫の言い分があるはずだ。読者は夫側言い分を知らないという引き算をして読むべきだろう。とは言え、妻に暴力を振るう男は犯罪行為をしているのであり許されることではない。妻を流血させる等の、わたしからすれば理解の外の記述を読むにつけ、わたしはひどく落ち込む。吐き気に近いものを感じる。他人が書いたもので落ち込む必要はないとわかっている。暴力を振るったのは、その女性の夫であってわたしではない。昨夜、長い間わたしの恋人だった女性と会う機会があって、そのことを話した。彼女が言ったことを要約すると次のようになる。「他人のブログにどういうことが書かれていたとしても真に受けることはない。夫婦のことは夫婦にしかわからないから、どっちもどっちだと思ったほうがいい。暴力夫に何年も従ってきたということは、その女性の勘違いに由来している。滅私奉公することが幸福に繋がるという錯覚をしていて、時代錯誤も甚だしい。普通の人間なら、この人は暴力を振るうとわかった時点で離婚している」彼女は元々が親友だから彼女にはなんでも話せる。話してだいぶ落ち込みがましになった。相手が恋人でなくても喫茶店で一時間二時間話すだけでもかなり気持ちがリフレッシュできる。やっぱり人と実際に会わないとダメですね。メールは楽しいけれど、メールだけでは満たされない精神性の芯のようなものがある。同情でもいいから定期的に会ってくれる女性がいたらうれしいですね。
2005.04.25
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不幸にもわたしは結婚した時、三十代になったばかりで二十代気分の抜けない青二才だった。他人、人生、結婚、わかっているつもりになっていただけで何もわかっていなかった。愛がすべてを乗り越えられると信じていた。輝かしい未来を信じていた。愚かしいことだった。じつに愚かしいことだ。無知は罪だ。結婚しようとする男は、少なくとも妻に従うという覚悟がなければするべきではない。家庭生活なんてものは、経済観念のある利口な妻が仕切るのが一番しあわせだ。そのほうが好都合であり、そんな妻に従うのは男だって実際は楽なはずだ。利口な妻をもっている男はやってみればいい。今のわたしなら絶対する。わたしのような不幸な結婚は、わたしと妻だけでいい。妻に従うという覚悟ができない男は、恋愛くらいはしても許されるだろうけれど結婚は言語道断。結婚という一人前のことを考えるな、子どもを作るな。母子家庭を増やすだけだ。
2005.04.23
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わたしが全部悪かったと思う。妻の一生をめちゃくちゃにする権利は、わたしにはなかった。人一人の一生に比べたら、個人の価値観など取るに足りないものだ。妻と息子が安心して暮らしていけるなら、わたしはすべてを妥協すべきだった。お芝居でもいいから妻に従うべきだった。従っている振りをすべきだった。恐妻家になるべきだった。それが正しい結論だ。妻は言った。「結婚に失敗して私の人生は終わってしまった」「もう生きていたくない」。脅しと思われるリストカットが何度かあった。やがて彼女の心は食い破られてとうとう通常の生活ができない状態になった。彼女は弱い女性だった。強い女性なら再婚に希望を見出しただろう。わたしは弱い彼女を守ってあげるべきだった。わたししか守る相手はいないのだから。この年齢まで生きてきて、たくさんの不器用な人間、純粋な人間を見てきた。わたしの妻ほど純粋で情熱的な人間を見たことがない。わたしは矮小な人間だから、自分以外の人間全部が矮小だと思っていた。この世には純粋で潔い人間もいる。ここに書くのもおぞましい罵り合いがあったけれども、彼女に巡り合えてよかった。と心から思う。彼女と巡り合わなければ、弱い人間のことを考えない人間で終わったと思う。人間は働いてお金さえ儲けていればいいというレベルで終わった。わたしが全部悪かった。結婚した頃に戻れるものなら戻りたい。純粋で働き者の妻がいて、子どもがいて、それさえあれば他に何が必要だというのだろうか。
2005.04.22
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ふと年齢を感じるときがある。今日がそうだった。徹夜が続いた昼過ぎ、胃に痛みを感じた。もう若くはない。わたしは一人で死ぬのか、と思った。元々胃は丈夫なほうでなく、胃癌になっても不思議ではない。正直さみしくないと言えば嘘になる。しかし、再婚を考えうるだけの余力はわたしには残っていない。結婚は人生のイベントとしては大きすぎる。わたしには別れた妻以上の女性がいるとはとうてい思えない。伴侶は一生のうちで一人いればいい。結婚生活とは通常、双方の妥協によって成り立つ。もしくは、一方の盲目的な服従によって成り立つ。盲目的に服従されるような結婚生活は、わたしは楽しいとは思わない。男に服従する女など、なんの魅力もない。生活力のない女は、男に媚びる。かといって妥協するつもりはない。妥協するくらいなら一生一人身でいたほうが有意義だ。人生は短いのに妥協する価値を感じない。わたしは誰と結婚してもうまくいかないということなのだろう。若い頃は、妻がいて子どもがいてという生活を夢見ていた。一度は手に入れたけれど指の間から滑り落ちた。妻を愛していたという郷愁だけが残った。郷愁は、わたしの生活のすみずみに浸透していて、わたしは郷愁を愛するために生まれてきたかのようだ。時々は、あのときわたしが妥協していたらよかったかもしれないと思うときがあるにはある。すべてわたしが悪かったと思うときがある。わたしが我慢して妥協していたら子どもを片親にすることはなかった。この孤独からは逃れられたかもしれない。けれど、それをしてなんになったというのだろうか。もっとお互いを疲れさせ、憎み合う対象になったに違いない。わたしは妻を愛していた。けれどそれは、妻が望む愛とは違っていた。だから別れるしかなかった。結果的にわたしは彼女の一生をめちゃくちゃにした。廃人にまで追い込んだ。わたしにできる罪滅ぼしは、一生独身でいることだ。そして一生郷愁を愛していくことだ。わたしは死んだように生きている。
2005.04.21
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わたしは誰に対しても殴ったり怒鳴ったことはない。もちろん妻に対しても。けれど、妻からすれば重大なモラル違反があったそうだ。妻の母親が組み立ての鯉幟を買ってきたことがある。組み立てるのは、わたしの役目だった。わたしは連日夜の11時まで残業続きで疲れていたけれど、日曜の休日を利用して組み立てた。わたしが二階のフローリングで組み立てていると、妻が息子を抱いて二階まで上がってきた。わたしは金属の回転羽の調節に四苦八苦していて「難しい。手を切りそうだ」と言った。妻は泣きそうな顔をした。あとから聞いた話だと妻の言い分はこれだ。「父親が子どもの鯉幟を組み立てるのを面倒がるなんて最低」父親としての資格はない、と判断した。わたしは忙しい生活の中で、懸命に父親をやっていたつもりだ。世間の父親同様。しかし、妻にはそれが伝わらなかった。伝わらなかったということは、やはりわたしに非があったのと同じことだろう。彼女はそのことで普段から苦しんでいて、狂わんばかりに苦しんでいた。今流行の言い方をするとモラル・ハラスメント夫ということになるのだろう。彼女は苦しんでいたのだから。わたしの側の言い分がどうあれそういうことなんだろう。妻はわたしの趣味自体気に入らなかった。わたしは小説を読むのが好きだ。妻は「小説なんか読む暇があるなら私の忙しい子育てを手伝って」と怒った。わたしには手伝えるだけの心の余裕がなかった。日々の忙しい生活で。
2005.04.19
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妻を愛していた。今も愛している。離婚して何年経っただろう。彼女を忘れた時はないと言ってもいい。恋人と一番盛り上がっている時期にも彼女はそこにいる気がしていた。恋人とはいろいろあって自然消滅し、ネットの恋人とも終焉させた。再びわたしは一人になった。一人になって疲れた頭が思い出すのは、妻のこと、置いてきた息子のこと。妻が息子のおむつを替えていた時期のことを思い出す。妻はよくやっていた。じつにかいがいしく母としての誇りに満ちていた。わたしがそれに気づかなかっただけで。息子は小学校に入学したというのにわたしは養育費を送っているだけ。会いに行きもしない。子どもはかわいいと思うけれど、しあわせになってほしいと思うけれど、ただそれだけだ。今さら会いたいとは思わない。それぞれ違う世界に生きている。わたしは、子どもを作ったというだけの父親だ。毎日は過ぎていく。仕事、食べて寝て、仕事。その繰り返し。わたしは疲れていて、ただ空しい。テレビから流れる哀愁のある洋楽を聴いては郷愁にひたり、一人落ち込んでいる。ただ空しいから。
2005.04.18
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