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<コメントつけにくい文章なので、スルーして下さい。 だけど、私たちは、だんだん親や、義父母、知っている人の訃報に接し始める年になってきたように思います。 そんな時、こんな文章を書いてみたりすると、それだけでも想い出になるのかなぁと思いだしてもらえればと思います>おばあちゃんに会いに行った。おばあちゃんは、92歳。息子からは曾祖母にあたる。実家は父方祖父母は在宅で健在、母方の祖母が数年前から施設に入っていた。祖父は私が中学の時に亡くなっている。ドイツ滞在時だったので、本当に遠い国の出来事で、初めて見る母の狼狽ぶりの方が印章的だった。だから私の生まれて初めての身内のお葬式は、自分の息子のお葬式だった。祖父が逝去した後は、代々木のどデカイ億ションに祖母は独りで住んでいた。新年の挨拶に行くと、向かいに住む浅利慶太宛の年賀状を届けに行かされた。普段は青山の紀伊國屋まで歩いてパンを買いに行き、そこで賄えないものは三越の外商が来たり、銀行員もよく来ていた。時代もあったのだろうけれど。祖父の財力に感心し、それは孫の代には何の影響もないのだと変な感心もした。そんな裕福な暮らししか知らなかったので、祖母が母の妹、つまり自分の娘を自殺で亡くしていた事実を知った時の衝撃は大きかった。小さい時に風邪をこじらせたと聞いていたのに、思春期の、自室での首吊りだったなんて。祖父の社会的地位もあって、警察沙汰にならないような配慮等大変だったろう。「神経質な子だったのよ」。母はそれ以上は詳しくは語らなかった。私が次男を亡くした時、祖母は「あんたも大変な苦労をなすったわね」とだけ言った。余計なことを言わない方が慰められるとご存知だったのたろう。その祖母が自宅で転んで動けなくなったのは、数年前のことだった。毎日決まった時間に母が入れる電話に、出ない。慌てて管理人室に連絡を入れて合鍵で様子を見てもらうと、下着姿で身動きできずに憔悴する祖母がいたらしい。本人のショックも大きく、プライドが折れてしまったらしく、気力がずいぶん低下したようだ。それから間もなくして、タイミングよく空いた公立のケア施設に祖母は入居した。会いに行くと、施設は見た目きれいな児童館か保育園のようだった。本当に小さな棚とベットだけが与えられたスペース。それまでの生活との落差をどう感じていたのだろう。かける言葉が見つからず、室内に貼られた折り紙や貼り絵を「きれいね」と言ってみた。おばあちゃんはくくっと小さく笑って、まぁ(施設の)皆さんが一生懸命なんでお付き合いしてるけど…この年で幼稚園みたいなことを毎日させられてるのよ。と、それ言っちゃあおしまいなことをにこにこしながら言う。誕生会のお知らせに、書き初めの掲示。確かに幼稚園みたいだけれど…見渡す限り、お年寄りばかり。何かをずっと呟いていたり、不思議な姿勢や遠い目でテレビを見ていたり。ミタコトノナイ生物バカリの空間のように感じられて、心の中でごめんねと思いながら、私は逃げるように施設を去ってしまった。帰ると息子がはぁはぁ言いながら犬のようにまとわりついて抱っこをせがむ。うっとうしく思うこともあるが、生命力いっばいの姿にその時はぎゅうっとしたくなった。大きくなった長男を施設に連れていった昨年は、まだ取り違えながらも意識のはっきりしていた祖母なのに、今年の年明けに会ったらすっかり変わりきってしまっていて驚いた。目の色がすっかり薄く、光が失われ、顔の形が崩れていた。もう、私のことはわからなかった。習性で深々と頭を下げてくれる。でも、話し掛けても返事はない。困った私は、母が施設の人と連絡事項している間黙って祖母につきそっていた。驚いたでしょう、と戻った母に言われた。うん。なんかねー最近全然だめなのよ。目の前で母がずけずけ言う。わわわ。最近ますます乱暴者になったね、と母をなじると、なにいってんのよ、などと母が応酬してくる。虚ろな様子で見ていた祖母がふと、昔のようにくくっと笑いながら、一言「あんたたち、よう似とるね」。…ないすだなぁ、おばあちゃん。ちょっとやられちゃった。その母から慌てた電話が入ったのは金曜日だった。高熱で救急車で運ばれた、と施設から連絡があったそうだ。それから3日経っているけど、とにかく緊急連絡先をうちにしているからその連絡をと言っていた。どうなの?と聞くと、病院は土日はなにもしれくれないのよ、とか、食べれてないから注射している、などと、素人らしい要領を得ない返事が返ってくる。夫が勧めてくれたので、おばあちゃんに会いに行くことにした。とってもどきどきした。重い気分だった。病院は苦手だ。死が近いかもしれない人に会いに行くのは、苦痛だ。これが最後になるかもしれない、なんて思いながら会いに行くなんて。実家の方面に向かって、電車とバスを乗り継いで行く。駅で母と合流して、初めて行く病院に行った。建物に入ると、むっとした湿気と、以前1年間息子の看病のために通っていた、あの、病院のICUの臭いがした。毎日かいでいた、あの、臭い。もう、5年も経つのに、こういう、感覚的な想い出は、冷酷なまでに時を超えてよみがえってくる。廊下の突き当たりの、カーテンの奥に、小さく、小さく、おばあちゃんは寝ていた。思っていたより、顔色がよい。肌つやもよい。施設は暗くてわからなかったけれど、こうして明るい所で見ると、ていねいにケアされていたことがよくわかる。声をかけると、ふごふごと口を動かした。ご苦労様です、と言っているようだ。母が、私の名前を指さして言うと、いちおうあぁ、という顔をした。私も、お元気ですか、と、重病人に声をかけてみる。深く、たんがからんだ咳を、繰り返していた。辛そうだ。咳は、重病人の体力を奪う。病名は肺炎だった。アミノ酸のどでかいパックがベット脇に吊られていた。母が承諾書の類を書いてはいないというので、IVHは入っていなくて、単に静脈注入なのかもしれない。「お年だから覚悟はして下さい」と言われたそうだ。土日は、病院は検査を基本的に行わない。月曜日になったら、ムンテラがあるのかもしれない。たぶん、CRPも高そうだ。私が、姉の名を挙げて「よろしくって電話で言ってたよ」というと、目が少し開いて「あぁ、」と言う。姉のことのほうがよくわかるようだ。高熱でもうろうとはしているものの、痴呆が一気に進んだというわけでもないらしい。救急車の隊員に「遅い時間にご苦労様です」と声をかけて、驚かれたらしい。丁寧な、温厚な人柄が、最後まで残って、「あのようなおばあさんになりたい」と、母が施設の若い職員さんに言われたそうだ。また、もうろうとした眠りの世界に入った祖母に「また来るね」と声をかけて、立ち去った。また、来るね、だなんて。なんの根拠のない言葉だけれども。なにを言ったらいいのか、私にもわからなかった。会社を辞めてから、おばあちゃんのマンションの荷物整理の手伝いに数回行ってきた。私はお着物や反物を全部もらってきて、気に入ったものを手元に残し、後は全部オークションで売り払った。私にとっては、全然よくわからない布を、落札者の人がその価値を教えてくれる。上質な生地なので、こういう用途にこれから使うつもりだ。昔の生地なので、今のものよりも生地幅が無いけれど、背が小さい孫に仕立てる。初めは転売ということに良心が痛んだけれど、整理屋さんにまとめて持って行かれるよりも、価値をわかる人に次のストーリーを作ってもらえる、その仲介ができているのかな、と思うようになった。そして、産まれてから一度しか着物を着たことのない私も着てみようかな、という気持ちになってきた。博多織の生地が多いこと、博多帯などから、おばあちゃんが博多の出身だということもわかった。聞きそびれたことがいっぱいあるんだろうな、と今頃思った。実家の祖父が96歳を筆頭に、実家はみんな長生きだった。毎年これが最後の桜だ、なんていうことを、もう、20年以上続けて聞いてきた。みんながだんだん年を取っていくだけだった。だから、人が亡くなるって、想像できていなかった。できれば、施設に戻ったという知らせを聞いて、安心したい。それは、もう、難しいかもしれない。だけど、深夜に電話がなって、受話器を不安いっぱいの気持ちで受け取る。あれ、もう、いやだなぁ。お葬式のしきりとか、火葬場に行くのとか、いやだなぁ。そんなことをぼんやりと思いながら、帰路についた。病院は、生きている人の精気まで奪ってしまう。妙にハイになってしゃべっている母の隣で、黙って、泣きたい気持ちいっぱいでただ座る私を乗せて、バスは哲学堂の脇をゆるやかな弧を描いてカーブし、駅へと向かっていった。
February 28, 2005
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米澤さんから直メール頂きました♪but丹波さんではく丹羽さんとのご指摘を....恥ずかしい!丹羽さん申し訳ありません!今日は、コミュニティビジネス起業家養成塾 に参加してきました。このセミナーは、横浜市内各区で不定期に行われています。セミナー参加も就職活動として認められると聞いたので、職安での就職情報検索よりも有益と思って参加しました。最初に横浜市職員による、コミュニティビジネス推進の目的についての説明。セミナー等で概念導入理解を図り、地域の課題解決に結びつけたい、という 市としての方針のお話と、どうでもいい説明があり、要約すると「横浜市の財政も厳しいのに地域の要請は多様化してるので、民間でやってくれるんならやってよ」....あ 失礼、民の力の総合発揮 を目指そうというものでした。その後、今日のメイン、実践者としてのオフィスポケット(株)の丹羽さん、そして司会進行役のキャラウィット社社長の米澤さんの、お話がありました。米澤さんの問いかけに丹波さんが答え、それを米沢さんが「なるほど、つまり...」と要約し、さらに「でも、その時はこんなことがあったのではないですか」「今、会場にいらっしゃる皆さんとしては、こういうことが知りたいところだと思うのですが」と、お話を引き出し、発展させていく。まるで、私がテレビのトーク番組の収録に参加しているような錯覚を覚えました。鮮やかな米澤さんの話術!丹羽さんは、横浜北部地域では、産前産後家事ヘルパー事業の先駆者「マーマさん」といえば、わかる方も多いのではないでしょうか。丹羽さんは16年の専業主婦の後,下のお子さんが中学生になってから、「なにかやりたい」と思ったというよりも、「このままで私の人生終わっちゃうのかな」という思いから、行動を起こしたそうです。求人欄を見て35歳という年齢制限に愕然とし、ボランティアと思ったのに43歳なんてとんでもないと言われて厳しさを感じ、会社勤めとしてのテリトリーの限界を感じた。そこで、じゃぁ、と会社を作ってしまったのだそうです。「いきなりですか。」ちゃんと、米澤さんがつっこんで下さいます。「何も知らない強みですかねぇ」なんてのんきなお返事が、丹羽さんから返ってきます。何も知らないし、なにかがやりたいということでもない、だけどおもしろいと言ってくれるという仲間がいた、と。会社組織にした時に、定款の必要性を司法書士に指摘され、業務内容をなににしたらいいでしょう、と聞き返したという笑い話を紹介して下さいました。それを、笑い話、と人に言えるところが違うんだろうなぁ。まずは形から、として100万で会社を作った。へそくりで80万、友達から20万の株式で調達。そして、スタートしたからには自分を縛ろう。母親として、子どもにひとつ、なにか見せてやろうと思った。それは「逃げない」ということ。そう、話される丹羽さんに、私はどんどん釘付けになっていきました。家賃4万電話2台,パートも雇った。そこで、地域にチラシを1000枚配布。何でも屋としてスタート。えぇと、最近もこんな話を聞いたぞ。あ、直木賞受賞の角田光代さんの「対岸の彼女」だ。読んだばかりの時は、まるで等身大の自分を描かれているようで、あまりにも自分に近くて嫌悪感を覚えた作品だ。丹羽さんの話に戻って。チラシのヒット率は高く、東急から新築マンションの風通しの仕事が100万で入ってきたそうだ。そんなラッキーは、ほとんどない筈。そんな話も遠い昔に聞いたことがあるぞ。あ、芥川賞受賞の村田喜代子さんの初期作品でそんな話があった。なんだ 主婦作家の話、やっぱり私の引き出しの深い所にちゃんとしまってあったみたい。こうやって、するっと出てきてくれる。ところで、なんでも屋を始めてみたら「外でも掃除はイヤ」とスタッフが言うようになり、付加価値をつけていくことの重要性を痛感されたそうだ。その時。国体にまで出た身体なのに、産後に体調を崩して薬を飲み続けた経験を思いだし、産前産後支援サービスを考えたそうだ。そして、女性の社会進出化、核家族化などを改めて実感し、いけるぞ、と。いきなり会社法人にした時とは反対に、実際のビジネスに入る前に、自分の弟がマニュアルを作ったらいいよというアドバイスをしてくれる。以降のお話から、丹羽さんのビジネスの、立ち上げ期、拡大期、等のポイントで、その弟さんが非常に的確なアドバイスをして下さっているように伺えた。起業の成功のポイントは、(ご自身がどれだけ実感されているかは?だったけれど)、優秀なアドバイザーが欠かせないものとお見受けした。7ヶ月間をマニュアル作成にかけ、働きたい側の認識と、サービスを受けたい側の、両方の立場をドッキングさせてみるとどうかということを考えた。その結果、サービスの質、レベルを統一することが重要だという結論を得、そうなると研修の必要性を感じる、また、サポート状況の把握、書式を整えていくことなど、手順を発展させていったようだ。そして、マニュアルを作成してから事業をスタートさせている。私が知りたかった、多くの人を雇う、またいろんな顧客を相手にすると、望んでもいない相手と関わる必要が出てきて困ったりした時は、どうされたのだろうか。そんなことは、「お宅に伺ったら、その筋の方だったり」と、あっさりとお話をされる。きっとその時はその時で非常に困ったりもされたと思うのに。こんな風に、まぁあの時は大変だったけれど、と片付けられるのも、能力のひとつなんだろうなぁと思いながら話を伺った。事業は、新聞に掲載されたことで大きく知られる。読売新聞に売り込みに行ったところ、若い担当者に「産褥ってなんですか」などから質問され、それからキャップに話がいき、数日後に記事が掲載され、大きな反応があったそうだ。2日間で149件の問い合わせ。うち,オーダーは1件で、あとは働きたいという問い合わせばかり(笑)。でも、大きな手応えを感じたのだそうだ。その後、テレビ番組出演、各種新聞への掲載など。「市場性に注目されたのではないかしら」と。各事業所は、フランチャイズ化していったわけではなく、ネットワーク化をしていった。法人はそれぞれ作って下さい、そして同じ看板を使い、ロイヤリティでなく会費とし、ノウハウはお持ち下さい、弁護士さんなどは共有しましょう、と。一方、実際のユーザさんは、多胎児家庭、核家族化、実家が頼れない、など、ニーズは様々だったそうです。平均1日4時間。沐浴、家事、ママのお話相手、つまりおばあちゃまの代わりですね。実は、私も長男の時に1度だけ頼んだことがあります。保育園に入る前に、母子分離の予行演習として。その後、いくつかシッター会社を試してみたら「お子さんが見たがるから」と4時間子どもと一緒にビデオを見ていたところもありました。今思うと、質のよいシッターさんを人数確保できているマーマさんはすごかった。人選のポイントは、全員出産経験のある人。面談の中で、人となりを把握していったそうで、やっぱり人物眼はたいしたものなのでしょう。丸2日研修があり、その後も追加研修があるそうです。創業時のスタッフが、一人をのぞいて全員残っているとか。これは、すごい。ふつー、年月の変化と、人生の重要ポイントの変化に伴い、辞めていくものですが。よほどの魅力が丹羽さんにあるのでしょうか。ユーザさんの成長にあわせ、産まれた時の援助だけでなく、シッター事業、そしてキッズディサービス、グループの保育と、段階的に広げていったそうです。お話の最後に、いかに人脈が大事か、という話をされました。篤志家から、「君 おもしろいからお金を貸してあげる」と言われ、その人に「人脈はあるか。知り合いを50人言えるか」と聞かれたのだそうです。また、ボランティア精神の重要性についても、指摘されたそうです。常に「この人はなにを求めているのか」と、相手の立場で考えているかどうか。お客さんがほしがっているニーズを把握できるかどうか、というふうにおっしゃってました。おしまいに、丹波さんは、異業種交流の重要性を強調されていました。いつも、人が次の話のきっかけになった、と。フットワークの軽さがポイント。すぐに会いに行っちゃう。せっかく紹介してくれたんだから、とにかくおっくうがらない、とおっしゃっていました。強い衝撃を受けました。だって。いつも、そんな軽いフットワークでいることって、大変。自分に言い訳したくなる時だって、多いでしょう。また、メンターとの出会いは大きく、困るとお話を伺ったりしていたそうです。業種は違っていいけれど、指導力のある、キーマンと出会うことは、非常な+になるようです。私にとってのメンターは。やっぱり、人事にいた、2人のお嬢さんを育てながらも、総合職として実力を発揮している女性の先輩だったかな。子どもが2人いて、仕事と家庭を両立している人は、その人だけだった。もっと、相談してもよかったのに。今になって思う。丹羽さんのお話を伺って、拒まないでチャンスをつかんでいく、という、その精神はすごいと思うが、なかなかそれを実践し続けていく、精神力と、気力と、体力は、まねできないなぁと思った。最後におもしろい話をされていた。起業を起こす人のタイプって、よく似ているのだそうだ。興味の範囲が広く、探っているというか、元気がいい。なんとなく、わかる。つまり、アンテナが広いっていうことなんだと思う。「元気な人のそばにいるといい」とも言われたそうです。うん、だって、私、今日は元気はお二人のお話を聞いただけで、ものすごく、元気とか、パワーを分けてもらった気がするから。今日のこと、忘れないような気がする。もしかしたら、自分の環境が整ったら、米澤さんか、丹羽さんのところに「雇って下さい」って押しかけたくなっちゃうかも。そんなふうに思いました。最後に質疑応答の時間があり、私も挙手してみました。「事業拡大をした時などに、頭が整理しきれなくなって、イヤになったり、パニックになったりしませんでしたか? また、気力の維持という点で苦労されませんでしたか?」後で米澤さんに、おもしろい質問をされましたね、と言われました。え、だって、米澤さん、もうやんなっちゃうこととか、ないですか? と聞くと、きれいな顔をかしげて「うーん、ないですね」ときっぱり。そ、そうか。私、育児介護専門委員会をやっていた時、自分が調子がいい時はあれもやろう、これもやろう、といろいろと思いつき、そして周りの人を巻き込んでしまうのに、自分が調子が悪い時はなんにもやる気が起きなくなってしまい、せっかくのメーリングリストも放りっぱなしで腐らせてしまったり、ということがあり、そんな自分に本当に嫌悪感があったのです。気力のアップダウンが激しく、精神的な躁と鬱の状態に大きく活動が左右されてしまいます。(このHPだって、最近はずっと放ったらかしだし....)だけど、丹羽さんの答えは「私、人に仕事を任せちゃいます。信用するんです。」と。私、仕事の分配は、下手だったな。甘えられる人には、がっつり仕事を丸投げしちゃったり。逆に天然な人には、肝心なことが言えなかったり。やっぱり、トップにたつ力量はないなぁ、と思っていました。でも、今日の話は、とても、元気にされられました。そして、やっぱり、人と関わる仕事がしたい、と改めて思いました。そして、そんな思いをぶっとばすかのような、息子の組み分けテストの返却。そうだよ、私、トップ?ブリーディングのために仕事を辞めたんじゃん。今の私に必要なのは、息子をけなすこの口の代わりに、「コーチング技術」を身につけることじゃないか?
February 24, 2005
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この日は、お料理教室の体験クラスに行ってきました。そこは、次男が入院時にお世話になった病院のナースさんたちがみんなで通っている、と昔聞いたことがあるからです。駅からちょっと離れた、どんな用事があっても通らないような場所にあるその教室を、なぜ思いだしたかというと.....塾の2号館の斜め向かいにあるから(笑)。パンフレットをもらいに入り口をノックすると、とっても特徴的なおじさんが。えー、男の人! それもお話大好き(笑)! と、引きたくなってしまいましたが。月謝が8000円と良心的なこと、一ヶ月に何回通っても同じ月謝でフレックス制、1回の材料費は900~1000円、入学金なしと、全然営利度外視なのが気に入って、しばらく通うことにしました。会社を辞めて、すぐに自宅にひきこもった私に、「なにかやれば」とスポーツクラブを勧めてくれた夫。たしかに着実に太り、体重計に乗ると、ありえない体重と体脂肪率が表示される日々\(;゚∇゚)/だけど、なぜか体を動かす気力がなかなか起きなくて、スポーツクラブがちょっと遠いということも腰が上がらなかった理由なのですが....。「あったかくなってきたらやろうかな」と返事すると、「....そういう人が多いんだよね」。や、やはり?まぁ、お料理が私のやりたかったことか、というとそういうわけでもないのだけど、教室の入り口を開けた時に、ちょうどカレー粉をベースにした、いかにもお料理教室な香りが充満していて、「なんか自分、ずっと香りがたつような料理をしていないかも」とすごく思ってしまったのです。飽きるまでやってみて、そのうちまたなにか見つかるといいなぁ、と思ってます。この日は、鰤(読めますか~?)のぬた和え、豆腐の鰻スフレ、ジャガイモの揚げ浸し。ぬた和えには、普通酢みそを使うところを「チリソース」をプラスしているところがポイント。先生が冷蔵庫から、肩幅もあろうかというぶりの半身をだーん!と取り出し、頭をがっつりと落とし、すぃーっとおろすその手さばきといったら。後に残った皮が、ラップのように薄くて身がまったく残らないの。試食で頂いたぶりの身が、しまっていて、それだけでも十分においしい。後で自宅で試作したら、ぶり(東急デパ地下で買ったのに!)の身に脂身が多くて、だれた食感になってしまいました。教室の感動を伝えられず、子どもにはブーイングを買ってしまった....。豆腐のスフレも、思わず「どうやって作ったの? なにが入っているの?」と聞きたくなる作品。私がよく遊んでもらう病院の時のお友達はみな料理上手なので、これをマスターしたらえばれる?だろうなぁ。いつも私が感心してバクバク食べる係だから。お料理教室には、独身時代に会社の同期と通っていたことがあります。辻クッキング。でも、料理をマスターできたわけではちっともなくって、むしろケイコとマナブしている自分たちにいい気分でいたように思います。結婚してからは、あまりにも料理ができなくて夫が驚く驚く....。今でも、焼き物(お好み焼き、焼き肉、焼き魚...)、鍋物、麺類は、夫がお奉行様です。私がお料理をするようになったのは、2回目の育児休職の時。そして、前述のお友達の影響(あきちん!ともちん!いっちゃんママ!のりママ!)が大きかったかな。何年も前からみんなはそれぞれHPを持っているので、時々のぞきに行くと....おいしそーな写真たちが。いつか私も、ここに写真を載せてみるぞ!ところで、先生はこってりしたトーク。口先から産まれて言い訳人生を送る私も、ここではただただおとなしくなるばかり。「じゃ、今月から入会だから、どんどん来なくちゃ損だよ!」せ、先生。体験じゃなかったの?「よし、明日はオリジナルのメニューだからね!」う、連続で受講ですか。朝が10時~、お昼が1時半~。夜もあるようで、お子さんが一人なら塾の送迎待機ママならその間に習ってもいいかも。試食はその場でしなくて、お持ち帰りになる生徒さんも多数。量がかなりあるので、私は半分だけ食べて、半分持ち帰っています。塾が終わる頃に夕食もできあがるのよ~。興味がある方はのぞいてみて~。さて、お料理は個性的な内容だけど、野菜の扱いなど細かいポイントは勉強になることばかり。生徒さんの皆さんも、本当に手仕事が早くて、きれい。私は....「ほら、そこ! なにしているの、流しに使ったものを残さない。使ったらすぐに洗って、ふいて、しまう!」と先生のお声が。習うのは、お料理だけではなかったのでした.....
February 17, 2005
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今日は育児介護専門委員会のメンバー宅に遊びに行きました。はるばる~総武線~....と思ったら、半蔵門線が錦糸町を通っているのですごく便利。塾の説明会で、駒場東邦や世田谷学園に千葉の子も来るようになった、と言っていたのは、こういうことだったのねぇ、と実感しました。彼女は2回目の育児休職中の、専門職。同期にたくさん育休から復帰した人がいて、同期が多くてうらやましいです。どこの部署の誰さんも、同期なんだー、あ、あの人もそうなんだー。などという話、久しぶりですっごく楽しかった!年賀状を見せてもらったりして。一方、二人目の復職で続けている例が少ないこともあって、その不安はあるようでした。「なんで辞めちゃったんですか、突然でびっくりしましたよ」と言われました。うむ、辞めることを決めたのは突然だったかも。でも、事務なら派遣で復職することもできるけれども(年齢制限をクリアしなくちゃいけないけど!)、彼女のように、特定の専門分野があるスペシャリストは、うちの会社以外で活躍するのは難しいと思う。実家の支援が無い場合は、本当に大変だと思うけれども、ぜひ続けてほしい。実際、某一流国立大学の大学院を首席で卒業した専門職女性で、退職後事務のパートをしている先輩を知っている。自宅が近いこともあって、知り合いのそのまた知り合い、という感じで、交流があるのだけれども、「彼女はうちの会社では超優秀だったし、建築士一級を持っているんだよ」と話すと、その知り合いにはすごーく驚かれる。えぇぇ、気さくで頭のいいママだとは思ったけれど、そんなすごいの!!という感じ。もちろん、辞めた時期はまだ復職制度が整っていなかったことや、いろんな考えがあってのことで、どちらがいいとかいうことでは全然ない。働ける環境は、そんなに簡単な理由だけではないのだから。ただ、専門を生かすとなると、なかなか難しいと思う。.....という話を、辞めてしまった私が仕事の継続を勧めるのもすごく変なことなんだけど。私は、会社のいろんな話が久しぶりにたくさんできたのが、すごく楽しかった。二人で「ん~、名前が出てこない! ほら、あの部署にいる、あの人の....」などと、きゃぁきゃぁ盛り上がって。あんな話やら、こんな話、うちの会社はなんでもありだねという話....。夫も社内の人なのだけど、やっぱり社内で知っている人があまり重ならないし、とにかく忙しいのでとても人の話とかは覚えていられないみたい。子どもの学校から帰宅する時間の都合で、2時過ぎにおいとましたのだけど、それまでがあっという間でした。これから、どうするんですか?と聞かれて。ん,....実はこんなこともやってみたいんだよね、なんていう話もうっかりしちゃいました。誰にも話していなかったのに....。ははは。気持ちだけじゃなくって、ちょっと行動も起こしてみたいですね。ま、まずはチビ助が幼稚園に入って、最初の夏休みを超えてリズムができてからかなぁ。.....って、そうすると上の子が思い切り受験体制になっているような気がする。夏休み....恐ろしそうだ。考えるのはよそう。そして、夫からの宿題もまだ全然やれていない私。それは か・け・い・ぼ!苦手なの~!!!!日々の課題は、洗濯ものをたたんで片付けることがネック。苦手なの~!!それにアルバム整理も、塾プリント整理も全然できていない。要するに、片付けるのが苦手なの~!!!今までは「時間がないから」で逃げていたけれど、時間ができてもだらしがない性格までは直らないの~!!
February 16, 2005
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懲りない企画です、三木谷さんもう少しアイデアないでしょうか。最近はほりえもんの方が、なにかと話題ですよね。応募するだけでポイントつくので、お互いにリンク張り合いませんか?まだ応募していない方、ぜひクリックを。現金があたったらおすそわけしますから(笑)という、くだらない話はおいといて。今日は 1/2成人式 でした。10歳だから、二分の一。後期の授業では、今までの自分の人生をふりかえってみての作文、これからの自分の夢、といった、二分の一に関する課題活動がありました。前回の授業参観の国語の授業でも、作文の発表会でグループごとに分かれて発表していました。息子は、ピアノを始めたきっかけなどを話しました。「最初、ぼくのおかあさんは自分がピアノをすぐにあきらめたので ぼくもあきらめるだろうと思って反対ばかりしていました。 でも、ぼくはその反対を押し切ってピアノを始めたのです....。」などと、他のお母さんの前での堂々とした発表....はずかしぃ~。内容はその通りなんですけれど。今日の二分の一成人式は、お母さん方の前での発表です。夫も時間を作って見に来てくれました。そんな感じのパパがちらほら。他の学年のお子さんの姿はほとんどなく、途中で5年生が一クラス、6年生が一クラス、そうっと入ってきて見ていました。全員の詩の暗唱や、合奏。そして、劇のグループ、グループ芸(漫才、コマ、折り紙など。折り紙はスクールに通っているすごいお子さんがいる)、合奏グループなどに分かれての発表でした。うちの息子は、当然合奏。どうせなら他のことをやればいいのに、ピアノはいつもやっているじゃない。などと、私らしい余計なことを言うと、息子が「ぼくの10年の発表なんだから、得意なピアノでいいじゃない。」と。そう、そうですね。失礼しました。他のお母さん方から、「ピアノがすごいって、うちの子が言っていたわ」と言われました。あ、そうなんですか、としか返事ができません。長男は、全体合奏も、グループ発表の合奏も、伴奏ピアノを担当しますが、「これは二分の一成人式用だから」と言って私には聞かせてくれていません。ずっとサイレンサーにヘッドホンをつけて練習していました。今日は初めて聞くのです。合奏は、とても上手でした。ピアノだけが壇上にあって、他のお子さんと指揮の先生は講堂高さにいたので、息子は体を半ひねりして諳譜で演奏していました。グループ合奏の時は、和音いっぱいで(すみません、音楽音痴な母で)難しそうでした。全然指揮を見ていなかったので、さすがに余裕がないのかなぁと思ったら裏の見えない位置で先生がタイミング指導していたので、そちらを見ていた、とのこと。それは気づかなかった。最後にお母さん方からの歌のプレゼント。「大人マーチ」と「栄光のかけ橋」。ゆずの、その曲は今まで聞き流していましたが、歌詞をじっくり聴くと.....。いつか受験する日もこんな風に思うのかしら....などと思ってしまいました。(スポーツ少年の母は、全く別のシーンを思い浮かべていたようです。 母によって「栄光」の内容が全然違うのね....)子どもの10歳の人生。そんなにたいしたモノはないでしょう。と、子どもが「ボクの今まで」という、国語の課題シートを持ってきた時は思ってました。産まれた時.....3600gもあって大きな赤ちゃんと言われました小さい時.......抱っこが大好きで、なかなか歩いてくれませんでした。1歳で保育園に入りました。幼稚園の時.....弟が産まれました。だけど、病気で死んでしまいました。ピアノを始めました。小学校の時.....二番目の弟が産まれました。学童に行きました。そして今.......息子の言葉でうめられたそのシートを見て、大変な10年だな、と思いました。こんなにいろんなことを感じなければいけない10歳は、そう、いないよね。
February 9, 2005
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なにがイヤだって、面倒がって直接ここの「楽天日記新規作成」にべた打ちした文章があっさりと消えること。はぁぁ。気を取り直して書きます。毎日新聞の少子化の風景 読者からの反響特集が記事掲載されました。編集担当者から、投稿意見採用されるという連絡があってから2週間。(投稿全文はこちら)新聞社に投稿することそのものが、なんだか暇な主婦みたい。でも、読んでいてふつふつと言いたい気持ちいっぱいになって紡いだ言葉たち。ぶろぐよりも、もっと社会的影響がある立場の人たち、それもたぶん若めの担当者達に、目を通してもらえるだけでも、と思って書いた文章。いったい、どんな風に受け止められたのだろう、と興味津々です。94年の出生数増は、出産手当金を大幅に増額したためといわれる。また思い切って増額したらどうか。子育てにかかる費用は誰も助けてくれないのに、老人を養う財源であるかのように狙われる。お金がかかるから育てながら働きたいのに、環境が不十分。必要なのは子育て家族への経済支援=神奈川県、主婦あれあれあれぇぇ。学童保育の話は? 短期間の男性育休のオススメの話は?まぁ、私の意見を投げた先がどこをどのように採用して、加工して、特集の中に組み込むのかは先方の裁量なのですが。他の方の意見は興味深く読みました。実感している人ならではの表現には、深くうなずきました。また、「大変なのは一時のこと」というご意見には、なかなか奮闘中の当事者にはこの言葉は伝わりにくいかなとも思いました。その大変な今をどうしたらよいか、ということをもっと真剣に、かつ問題解決できるように捉えてもらいたいのですが。いつでも働ける、というご意見には、いやいや世の中が求める労働年齢というものがありますよ、という気もあったし、一方で「保育所に預けるなんて不安」というご意見には、それは知らないだけなのでは、とも思いました。皆さんはどうお感じになりましたか?辞めて1ヶ月。すでに、求人情報を斜め読みしては「やっぱり事務職は30までかぁ」などとつぶやいたり、年齢問わずは土日祝日時間関係なく働ける即戦力!なのかなぁと思ったり。一方で、せっかく会社を辞めたのだから方向転換してみたい、とも思ったり。AIDEM読むよりは、ケイコとマナブを読んでいる方が、よっぽど前向きな気持ちになれる私でした
February 5, 2005
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