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私が通った幼稚園がコンビニになっている。小学校に通う道すがらに、後輩となる園児の甲高い声を微笑ましく受け止めていたけれど、確か小学5年の時に廃園となった。もう私の幼稚園の後輩は生まれないのだと寂しく思ったものだ。幼稚園はその後、駐車場となり、釣具屋となり、喫茶店となり、リサイクルショップとなり、現在はコンビニになっている。2年目前のことだ。卒園後に同じ場所に姿を現した駐車場も、釣具屋も、喫茶店も、リサイクルショップも、私には縁がなく、立ち入ることはなかったけれどコンビニには立ち寄る。店内はどこにでもあるコンビニの風景なのになぜか懐かしく、そして落ち着くのは、私が巣立った幼稚園の跡に建てられたからに違いない。遠いあの頃を思い出す。笑った姿、怒った姿、ふて腐れた姿、そして泣きじゃくった姿、幼稚園児として気ままな生命力に翻弄された私の日常。何に対してそのような反応を示したのかは定かではないけれど、感情を表した姿は鮮明に記憶の中に生きている。もしも過去に戻れるのなら、私は幼稚園時代に戻りたい。高校でもなく中学でもなく小学校でもなく、ましてや社会人一年生の時代でもなく、幼稚園時代なのだ。そこに何があるのかわからないけれど、確かに私を惹きつける何かがある。今日はコンビニで週刊誌と果肉たっぷりのヨーグルトと野菜ジュースを買った。普通に歩いているのに妙に足取りが軽い。すれ違う幼稚園児を目で追って、羨ましく思ってしまう私は一体なに?本日の原稿2枚。合計217枚。今日は暑い。室温26度、夏日だ。
2005年04月30日
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「勉強しろってもう言わないで! 今の私が一番いいんだから」中学1年の娘が妻に反抗している。娘が今までいいという根拠は一冊の本にある。現状肯定型の本だ。言い方を変えれば癒し系の本だ。「今のままのあなたでいいんですよ。頑張らなくていいんですよ」というものだ。妻曰く。「それは大人の話。子供は頑張らないといけないの」「何かにつけて大人はいいよなぁ。勝手な理屈をつけられるから」「それなら、しっかり勉強して早く大人になりなさい」少しずつピントがずれた会話が続く。そして、お互いに納得しないままに終了する。二人が好きなテレビ番組が始まるからだ。延々と議論を続けても交わらない会話はどこかで終わらせないと決定的な溝となる。こんなときテレビっ子の二人はタイミング良くテレビに救われるのだ。娘は愛読しているけれど、最近売れ筋の現状肯定型の本にはいささか否定的な私。現状を肯定されれば気持ちが楽になるけれど、そのままでいいというものではないと思うのだ。私が若い頃に売れ筋だった本は自己啓発の本だ。いわば現状否定型の本だ。今の自分ではダメ、磨きをかけないとダメ、と言うものである。怠け者の私はこの種の本が苦手だったけれど、ダメな自分をはっきりと自覚するようになってからは恐る恐るでも本を手に取りページをめくった。そして、実行に移した。成長を自覚したときに、これは何、と思えるほど興奮をした。人の本質的な喜びは自己成長の中にある、更に言えば自己成長の中にしかない。スポーツでも技術の習得でも成長を自覚したときに心が躍る喜びを感じるはず。現状維持で喜びなんて感じない。感じるとしたら、諦めを悟りと言い換えて自己満足するだけの話だ。だから私は成長を目指して自己否定をするスタンスを良しとする。番組が終わったときに娘に言った。「お父さんも成長するから、お前も今のままでいいと言わないで成長するために勉強した方がいいぞ」「バッカじゃない、ひとりで成長すればっ!」反抗期なのかなぁ?今日の原稿5枚。合計215枚。まだ頭の中に木霊している。「ひとりで成長すればっ!」悔しいから、言い返す。「はい、しますよ」むろん想像の世界、言葉にはできない。
2005年04月29日
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「不定愁訴」漢字を見ただけでは意味がわからない。愁訴とは、嘆き訴えること。意味を聞かされて知っているけれど、漢字を見ただけではわからない。漢字からイメージできない言葉が多すぎる。知識人が知識不足人を嘲笑うためなのか、それとも騙し、煙に巻くためなのか、知識不足人の私は穿った見方をしてしまう。知識を増やさねば!知識人に操られないために。と、思いつつダラダラと時間が過ぎる。これは平和ボケなのか?今日の原稿2枚。合計210枚。ゴールデンウイーク突入。
2005年04月28日
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無意識のうちに昔懐かしいメロディを口ずさむことがある。(お風呂の中では鼻歌となる)口ずさむメロディーによって脳裏に映し出される当時の情景が変わってくる。(当然である)あの頃のにタイムスリップしているかのように、たっぷり時間をかけて想像の世界を楽しむ。やはり妄想癖があるようだ。しかし、私の妄想癖を持ってしても鮮明な情景が描けないメロディーを口ずさむときがある。そのメロディーとは校歌である。小学校の時の校歌。中学校の時の校歌。高校の時の校歌。それぞれを、ほぼ完璧に奏でることができる。でも不思議なことに、作為的に口ずさむと途中からわからなくなってしまう。無意識の状態だと途切れることなく完走できる。不思議だ~。思い起こしてみると、私はまともに校歌を歌った記憶はない。「校歌斉唱」と言われてもいつも口パクだった。口パクさえしないときもあった。なぜ校歌を歌うのがイヤだったかというと、ダサイからである。決して音痴だからではない。当時は、確か音痴ではなかった。歳を重ねる毎に音痴になった。たぶん歳を重ねることでどこかの細胞が故障、あるいは破壊されて音痴になったに違いない。私は生まれつきの音痴ではない。それはともかく、ダサイ校歌をなぜに今になって口ずさんでいるのか意図がわからない。10分ほど「考える人」と化し、精神的安定を図るために結論を導き出した。予定がドタキャンされ、突然やることがなくなったとき、おもむろにゲームでもやってしまうときと同じく無意味な時間つぶしに他ならない。即ち、心揺さぶるメロディーが終わり、次のメロディーが流れ始めるまでの無意味な時間つぶしが校歌のだ。でも時間つぶしのゲームが嫌いでないように、実は校歌も嫌いではないのかもしれない。過ぎ去りし時は、思い出を温かく包んでくれるようだ。今日の原稿3枚。合計208枚。ゴールデンウイーク間近、特に予定はないけど。
2005年04月27日
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帰宅する人たちをたっぷり飲み込んだ電車の車内に、私はひっそり身を潜めて立っていた。発車のベルが鳴り響く中、4人の女子高生が飛び込んできた。人混みを遠慮なく掻き分けて私の前に現れ、それぞれのカバンを4人の中央に集めて、それらを取り囲む位置取りで立ち話を始める。登場から賑やかで、がさつな印象を持った私は、4人に背を向けて窓の外に視線を向けていた。賑やかな4人は静まることなどない。迷惑そうな周囲の視線が集まる。きっと誰かが注意をするだろうなぁ、と緊張感を持って素知らぬふりをしていた。ひとりの女子高生が言った。「柳田先生、駆け落ちらしいよ」3人が聞き返す。「駆け落ちって何?」「知らないの? 愛し合う二人が親の反対に遭って、タカシさん行くしかないわ、ユキコさん、もちろん行くしかないよ、(立ち位置を入れ替えて一人芝居をする)と言って手に手を取って育った街を後にして知らない街で暮らし始めるの」「ふ~ん」「愛する二人は駆け落ちをすると更に恋の炎が燃え上がるの。も~う、イチャイチャ、ベタベタ。タカシさ~ん、あ~ん、って御飯を食べさせるの(御飯を食べさせる真似をする)」「やだ~、柳田のあの顔にあ~んはできない。キモイよぉ」「恋は盲目なの、あの顔でも恋するとあ~んができるの」「そうかなぁ、私は柳田には恋しない。それからどうなるの?」「そして御飯がすんだら一緒にお風呂(体を洗う真似をする)」「やだ、絶対ヤダ、想像するとキモイ。柳田はツチノコみたいな顔してるのよ」私は過去に見たツチノコの想像図を思い出していた。4人は自分たちの世界にズッポリ浸かっているけれど、4人もいれば誰かが周囲に気遣うかと思いきやみんなが揃いも揃って他の人たちの存在を消しているようだ。「それから、どうするの?」3人は興味津々で続きを待った。「それから……、テレビゲームを始めるの。そして、やり方が汚いってユキコが言うと、タカシが勝負は非情と返す。喧嘩になる。ふて寝する。朝が来ると、また仲良しになってキスをするの。これが駆け落ち。わかった?」3人は頷いた。その内のひとりがおもむろに言った。「私、駆け落ちする。恋は駆け落ちよぉ」(意味がわからない)盛り上がった4人はその後も駆け落ちを連発していた。最初は迷惑そうな視線を送っていた大人たちにも女子高生の演技力に引き込まれたのか、目を細めていた。芸は身を助けるというが、真理だ。私は笑いを堪えるのに必死だった。電車から降りると、横腹が痛い。演技派の女子高生、楽しい時間をありがとう。でも、ちょっとは周りに気を配れよっ。今日の原稿1枚、正確には5行。したがって合計枚数は205枚のまま。今日はどうもお疲れみたい。おやすみなさい。
2005年04月26日
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本日発売のBIG・tomorrowに載りました。感激です!若い頃からBIG・tomorrowを愛読し、少なからず影響を受けながら今日に至っている私が、まさかBIG・tomorrowに載るなんて想像できませんでした。まさか、まさかの出来事です。自分はダメなんだと諦めて人生を送っていたら、今日のこの日は来なかったでしょう。自分の過去を振り返って、過去の出来事を基盤に自分のことを規定してしまうことがいかに無意味なことであるか、改めて心に刻みます。未来は過去の繰り返しではなく、新たな出来事のとの遭遇です。誰にも想像できない瞬間が待ち受けているのです。さぁ、明日に向かって飛び立ちましょう。まさにBIG・tomorrowです。今日は原稿お休みです。BIG・tomorrowを読みます。
2005年04月25日
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ここ数年毎年2キロつ増量を続けている私の体。中年だから仕方ないと諦めていたけれど、このまま増量が続けばどんなになるのだろうか、と昨年の暮れに想像をすると恐ろしくなった。だから一念発起、今年の正月からダイエットを開始した。日野原重明氏が何かのテレビ番組で言っていた。「二十歳の時の体重が自分にとってベストの体重だ」って。中年になると運動不足に加え新陳代謝が悪くなるので、今まで通りに食べていたら完璧に増量を続ける。さりとて食べる量を減らすと、お腹が減ってストレスになる。市販のダイエット食品を買おうかと思ったけれど、計算通り減量できなかったり、リバウンドがあったりと健康的な減量を果たした人よりも、苦痛を増量した人の話を身近によく耳にするので自力で頑張った。食事の中で野菜を増やし、夕食は従来の半分の量にした。それから特に増量が顕著なお腹周りを引き締めるために毎日腹筋を150回した。すると3ヶ月後、体重は5キロ減、お腹周りも2年前に買ったスラックスがはける状態になった。やった~。!(^^)!でも不安が頭を過(よ)ぎる。順調に減量が進んでいるけれど、このままの食事+腹筋を続けていけば減量し過ぎになるのでないだろうか? このまま細く細くなったらヤだなぁ、と思うと、少しい多めに食べてしまう。目標まで減量ができたとき、それ以後の食事や生活のやり方がイマイチわからない。このままのペースで続けるべきか、少し緩和するべきか?本で調べたり、インターネットで検索をしたけれど、ダイエット後の生活指南が体系化されていない。ダイエットは減量することが目的ではなく、減量した体重を維持することが究極の目的なのに~。ダイエットにほぼ成功した今日からは、現状維持にのための食生活を見つけ出すこために試行錯誤を始める。洋服ダンスの奥に眠っていた2年前のスラックスたちを手前に出して、ここ最近買ったスラックスたちを奥に仕舞い込んだ。感慨深いものがある。今日の原稿3枚。合計205枚。マイペース!
2005年04月24日
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浦島太郎の物語を聞かされたとき、無性に悲しくなったあの時のことが忘れられない。私がもし長い旅にふらっと出かけて、ふらっと帰ってきたら、私のことを憶えている人はいなくなってしまうかも。だから忘れられないために旅などしない、と考えた。親にも、幼稚園の先生にも、友達にもその話をしたけど、不思議そうな顔をされただけ。大人になって、また友人にその話をしたら、お前の視点は宙を舞ってるからわからないと軽く受け流された。人は近くにいない人のことは忘れて行くようにできている、と人生を半ばまで歩いて確信を得た。小さかった頃の友達、先生、そしてすれ違った人たち。大人になっても、サークルで知り合ってそして辞めた人、職場を退職した人など、既に日常の生活の中では忘れてしまっている。なぜ忘れてしまうのかといえば、そうしないと現実の中で生きて行けないからだ。私たちの脳は記憶というメカニズムと、相反する忘却というメカニズムを持ち合わせ臨機応変に使い分けることで生命を維持している。とっても前向きで格好良い。人生の後半を迎えた今、私は思う。今後は出会った人を忘れないようにしようと。寂しがり屋の私は人に覚えておいてほしいから、私も忘れないようにするのだ。浦島太郎にはなりたくないから。本日の原稿2枚。合計202枚。これからお出かけです。
2005年04月23日
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私は自分にすっごくコンプレックスを感じているので、人の才能に素直に感動を覚える。プロ・スポーツ選手、歌手、芸術家、そして日常的に接する職場の人や友人たちの私にはない才能を見ているのが好きだ。最近ではブログの中に才能を見つけては、密かに感動に浸っている。そう、私は才能フェチである。人に感動を与える才能って凄い。気に入らない上司でも、時として圧倒される才能を見つけると悔しいけれど感動してしまう。出世しているだけに、それなりに才能を持ち合わせているのだ。だからといって好きになるわけではないけれど、決定的に嫌いになる歯止めとしての役割は十分に果たしている。私の周りに才能が溢れている。花畑の真ん中に座り込み、辺り一面に咲き乱れるきれいな花を眺めては心がポカポカと温まる情景をイメージする。今日も才能に出会った。心がポカポカと温まった。明日はどんな才能に出会うのかな?今日の原稿6枚。合計200枚。頑張ってます。
2005年04月22日
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平凡な毎日のようで違う日々なので、新たな難問を突きつけてくる日々と直面する日々。難問の答えは常に複数用意されているが、AにするべきかBにするべきか、進むべきか退くべきか、概ね二者択一だ。この選択がその後の人生を大きき左右する。誰だって勝ち組への道、感激への道を選びたいけれど、その場では誰にもわからないのだ。選んだ結果において間違っていたと気づくだけで、前もって誰にもわからない現実が人生を複雑怪奇にしている、人を不平等にしている。人生は選択の歴史に他ならない。多くの人は、なぜに辛い方向ばかりを洗濯するのだろうか?辛さが試練として人間を完成に向かわせるなんて嘘だ。克服すればいいけれど、挫折すれば暗い人生が待ち受けている。明るい未来を手繰り寄せる道程では決してない。人生は楽しさの中にのみ存在する。試練なんかしなくてもいいんです、イヤなことなんてしなくてもいいんです、公共性を壊さない限り好きなことに時間を費やし、楽しめばいいんです。一人で生まれて一人で死んでいく一度キリの人生だから。とは思っても現実は辛い、それは自分がいるからです。今日の原稿2枚。合計194枚。お風呂に入ります。
2005年04月21日
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証券外務員の資格試験をなぜか受けた。(ちゃんと受ける理由はある)今日、結果が通知された。☆ジャジャーン☆~合格~必殺一夜漬けが功を奏した。私はどうも好きでもないこと、興味のないことをコツコツと勉強をする気になれない性格なので、受けざるを得ない試験は常に一夜漬けで逃げ切ってきた。(私の場合、好きでもないことはすぐに忘れるので前々から勉強しても意味がない。無駄な時間となるだけだ)中学1年時、社会の試験を一夜漬けで100点を取って以来、私の試験対策は一夜漬けとなった。もちろん撃沈させられたことも数知れないが、好結果を得た感激が余りに大きいからコツコツ勉強をする気にはなれないのだ。たった1日しか勉強しないのに点が良いという、理不尽とも思える好結果が私には蜜の味となっている。このたびの一夜漬けは、午後9時から午前4時まで頑張った。眠くなると焼酎のお湯割りを飲んで気合いを入れた。(ますます眠くなった)気分転換に窓を開けて星を眺めた。(明かりの消えた家々の窓を眺めて、みんな起きて~と叫びたい衝動に駆られた)目がショボショボして我慢できなくなったら、水で顔を洗った。(効果なし)集中力に欠ける時間を過ごしながらも、計画したところまでやり終えたのが午前4時。やり終えるとなぜか自信が芽生える。合格するかもね、って。そして合格した。これは冷静に考えると運が良かったと言うべきなのだろう。「運」そう、17日の日記で予言したように運気が上昇している。(プーさん効果。わからない人は17日の日記を参照してください)私の運気はまだまだ勢い盛んだ。もっと幸運を運んでくれるに違いない。毎日が楽しみだ。今日の原稿はお休み。(こんなんで良いのだろうか?)一人祝杯です。プーさんに乾杯!
2005年04月20日
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人生はままならない。思うように進まないことが常だ。後悔ばかりの繰り返しで人生が進んでいく。もう一度若いときに戻れるのなら……、と先人たちも欲望に翻弄された。私も思う、若いときに戻りたいと。でも注文がひとつある。今の経験や知識を持って若いときに戻りたいのだ。若いときと同じ知識で若いときに戻りたいとは思わない。なぜなら同じ人生の繰り返しだから。あ~、若いときに戻りたいよ~。絶対に無理。でも経験を生かしたいよ~。だから夢を抱いた。私の経験や知識を素直に受け止める若い人と出会いたい。その人に経験や知識を注入し、成功に導く。自分が若いときに戻りたいという希望は叶わないので若い人を成功させてこの知識と経験を生かしたいのだ。私と感性が近くて若い人を求めている。その人は自分の成功のために頑張る、私はバックアップに専念して頑張る、そして二人三脚での成功物語を私が出版する。私の夢だ。早く現れてくれ、私の分身よ。今日も行き交う人を注意深く眺めながら懸命に探した、私の分身を。まだまだパワーは十分にある、期待していいぞ、私の分身よ。酒が回ってきた。眠い。とりあえず夢の中で夢を見ることにする。今日の原稿2枚。合計192枚。これも夢かな?
2005年04月19日
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今日、昨年11月に新規事業を立ち上げた女性経営者に会いました。休みも取らず、事業を軌道に乗せるために毎日一生懸命なのです。初対面の私にまで意見を求めたり、商品の説明をしたりと、目をキラキラさせながら話します。その一生懸命さに惹かれて、普段なら語らない経営についての自分の考え方まで話してしまいました。私は一生懸命の人に弱いのです。魅力的なんです。休みの日に家にいるとセールスマンがチャイムを鳴らします。営業経験がある私は居留守を使われる虚しさを知ってますので、一応玄関に出てお断りをします。でも一生懸命の人だと、話を聞いてしまって商品まで買っちゃいます。どうも弱いんです、一生懸命の姿に。自分の全エネルギーを出し切っている、例えこの場で果てても本望という潔(いさぎよ)ささえ感じます。そう命がけなのです。一生懸命とは命がけ、だから私はその気持ちに応えたくなるのです。営業経験があるからでしょうか?一生懸命さは伝染します。私もその後パワフルに動き回りました。すっごく気持ちが良かった~。一生懸命執筆もします。ということで今日の原稿5枚。合計190枚。(一生懸命ねぇ?)
2005年04月18日
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書店の帰りに何かに誘われるようにゲーセンに立ち寄った。あちらこちらから聞こえる機械音が煩わしい。ゲーセンをぐるりと一回りしてすぐに出るのかと思いきや、引き返してUFOキャッチャーの前へ。娘が好きなプーさんが愛想を振りまいている。助け出してやる~、と意気込んで財布から200円を取り出す。横から奥行きを計り、正面から全体像を把握し、いざトライ。ぎこちなくクレーンが動く。イヤー、失敗だー。クレーンの片方のアームはプーさんの足先を捉え、もう一方のアームは小さな耳の付近。これはダメだ!諦めた瞬間、耳をかすめたアームが肩口にガッチリ。でも持ち上がるときに揺れて落ちそう。息を潜めてクレーンを見つめる。ヤッター! プーさん獲得、解放成功、娘の喜ぶ顔が。早速娘に携帯で連絡。興奮する私とは対照的な娘の冷静な反応。 「家に持って帰ってて」「はい」小さい頃は感情を表に出し過ぎと思うほどはしゃいでいたのに、今は努めて冷静な娘。娘は成長しているのに、成長しない私。娘以上にプーさん獲得を喜ぶのでした。そういえば、今年の1月にふらっとゲーセンに立ち寄ったときに、幸運の招き猫が入ったUFOキャッチャーにトライしたけど、失敗。1000円も使った挙げ句に収穫なし。ショックが大きく、幸先悪いーと思ったけど、プーさん獲得で運気が上昇してくる感触がある。これからきっと良いことがあるでしょう。楽しみ~。プーさんのピンクの頬がかわいい。今日の原稿2枚。合計185枚です。極度の興奮のため文章が浮かんでこない。
2005年04月17日
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気分転換に公園のベンチに座っていました。(一見すると変なおじさんかも?)子供たちの遊ぶ姿や親子のふれあいを目の当たりにすると生気が沸き上がってくるのです。みんなそれぞれの世界で精一杯生きているんだなぁと思うと、負けてはいられない、くじけている場合じゃない、今できることを頑張らなくっちゃ、という気分にさせてくれるのです。私の隣のベンチに三世代の親子が座りました。おばあちゃんから見れば娘と孫の三世代です。 娘が母親であるおばあちゃんにこぼしていました。「旦那、北海道に出張だといってブーブー言ってたのに帰ったら、どことなく機嫌がいいの。怪しい! と思っていたらカバンの中からすすきのスナックのライターが出てきの。一体どこに出張に行ったのやら?」それを聞いていた孫が母親にいいました。「ボクもパパが行ったすすきのに行きた~い」母親がすかさずピシャリ。「子供が行っても楽しい所じゃないの!」「おばあちゃ~ん、ボクすすきのに行きたい」おばあちゃんが言いました。「すすきのはね、口紅をつけたキツネがいっぱいいるんだから。恐いのよぉ」少し考えていた孫が意を決して大きな声で言いました。「ボク、口紅をつけたキツネに会いたい、絶対会いたい、口紅をつけたキツネに会いたいよぉ」私は子供の純真な発想に思わず笑ってしまいました。諦めさせようと発したおばあちゃんの一言、「口紅をつけたキツネ」に子供は興味をそそられたようです。逆効果になったのです。その後も執拗に子供は「口紅をつけたキツネに会いたい」を連発していました。最後には母親が「ダメと言ったらダメ!」と怒ったもので、子供は泣き出したしまいました。子供は泣きながら母親とおばあちゃんに手を引かれ家路に。納得させるように理論的に答えられないと圧力をかけて黙らせる、大人の悪い癖ですねぇ。大人はもっと大人にならないといけないと思うのでした。私は大人の階段をどれくらい上ってるのでしょうか?今日の原稿三枚。合計183枚です。日差しが眩しいです。目をつむっても光の残像が残ります。
2005年04月16日
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駅には何故か鳩がいる。幸せの使者か何か知らないが、生理現象に逆らうこともなく無造作に撒き散らされる糞の所在が気にかかる。女の子の肩に糞が付いていると何とも可愛そうになる。(私が男だからか?)高校の時に友人が、それは運が付いているのだからラッキーと解釈すれば気持ちが収まると言ったけれど、私はそんな解釈などできない。汚いものは汚い、それを美化することなどできない。当時、「糞害には憤慨だ!」と洒落っ気を込めて、でも本気で言ったのに、知らん顔をされた。本気で鳩の糞害には怒りを覚えていると主張していたときに、洒落っ気を込めたことで本気度が薄れたのだろう。しまった!と後悔したけれど、後の祭り。以来、糞害には触れぬままに30年の月日が流れた。でも。私の心には常に糞害に対する憤りが渦巻いている。要するに、鳩が嫌いなのだ。それなのに……。プラットホームのベンチに腰をかけていると、一羽の鳩がピョンピョンと跳ねながら私の足下を回っている。その様子から、餌がほしいと言っているに違いないと悟った。でも、私は鳩が嫌い、だから悪いけれど餌はやれない、と呟いた。それなのに執拗に回り続ける鳩。周囲を見回すと、その一羽以外の鳩が見当たらない。仲間からはぐれたのかもしれない。そう思うと急に可哀想になり、カバンの中から菓子パンを千切り、鳩に向かってそっと投げた。鳩は嬉しそうに飛びついた。次の瞬間、予想だにしない光景が。何処にいたのか知らないけれど、多くの鳩が千切れたパンに向かって突進してきた。私の足下では鳩が鬩(せめぎ)ぎ合っている。鳩が嫌いな私のこと、その場を逃げた。周囲の人たちの視線が痛い。鳩に餌なんかやって、子供じゃあるまいし、それにこんなに鳩が集まったらキモイんだよ等々、視線に毒が潜んでいる。私の足下にいた一羽の鳩は結局、千切れたパンの端をほんの少しを食べただけで残りは仲間の鳩に浚(さら)われたようだ。可哀想な運命を背負った鳩だ、どこの世界にもこんな役割を演じる存在が必要なのか?もちろん人間界に存在する。イヤだ、イヤだ。餌が無くなると鳩は徐々に姿を消した。でも冷ややかな視線だけは残っている。やっぱり私は鳩にはかかわらない方がいいみたい。今日の原稿はお休みです。鳩に会ったから、それは違うけどね。
2005年04月15日
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今、ここにいる私について考えることがある。今の私は、過去の生活体験や知識よって出来上がっている。もし他人が同じ経験と知識を蓄えることができたなら、今の私と同じ考え方、そして同じ行動を取っていたのだろうか?よくよく考えてみると、そもそも生まれ持った性格が違うので、経験や知識に対する対応が自ずと違ってくるので、結局、自分と同じ考え方にはならないだろう。したがって、私のコピーは間違っても存在しない。過去はもうない。誰にも見えない。だから作り替えることができる。苦い過去を温かい思い出に、穏便な日々を激動の日々に。そう、知らない人を相手に自由に過去を作り替えることができるのだ。それなのに多くの人は正直に過去を紐解く。なぜなのか?「天知る 地知る 我が知る」の教えが無意識の領域に根付いているから、嘘がつけないのだろう。 逆に過去を着飾り、今の自分に箔をつけようとする人たちは、自由に変えることのできる過去を存分に利用しているだ。過去を現在に出現させ、未来へも連れて行こうとしている。強かである。 私は小市民、過去を変える勇気などない。過去があって今の私がいる。過去を着飾ったところで、今ここにいる私に変化は訪れない。過去はもうない、今も瞬時に過去になり、未来などあるのかないのか誰にもわからない。私も時間の世界の中でいるのかいないのかわからない。でも確実に今ここにいる。何が何だかわからない。今日の原稿5枚。合計180枚。目が痛い。
2005年04月14日
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ヒュ~ウ……、パーン! シャワ、シャワ、シャワッ……。何? なに?窓の外から奇怪な音が定期的に聞こえる。カーテン隅からそっと覗くと、家の前の公園で花火をしているグループが。年の頃は……、20~30歳。(幅が広い。薄暗くて判別が困難なため)男2人、女2人、恋人同士なのか、単なる友達か、まさか見知らぬ者同士の行きずりか?関係など、どうでもいい。桜の花の側を人工的な花火が舞い上がる光景に違和感を覚える。何よりも、季節感がない。今は春だ、桜の季節だ。考えてみると食べ物なんて既に季節感が無い。子供の頃、四季を知らせるかのごとく並び始めていた野菜や果物たちが、今ではいつでも手に入る。四季を愛でる日本人の美意識はどこに行ったのだろうか?「今は春、花火の季節は夏、そこの若者たち、季節感を味わう生活をしなさい」と言いたいけれど、それはやはり季節はずれの花火のごとく、若者にとっては違和感を持つ音にしか聞こえないはず。屈託のない笑い声が花火の奏でる音と混じって夜空に響く。カーテンの隅から星のない空に打ち上がる花火と若者の姿を交互に見て、思わず呟く。「無防備な若さっていいなぁ」手持ちの花火が切れたのだろう。4人は火の始末をし、後片づけを始めた。(いい奴らかもしれない)公園を出ると、男二人は坂の下に、女2人は坂の上に向かって歩き始めた。エッ? もしかして行きずり?わずか15分間のドラマだった。今日の原稿2枚。合計175枚。花火買おうかなぁ? 売っているのかなぁ?
2005年04月13日
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行きつけの書店に拙著がありません。探し回ったけれど見当たりません。返品されたのかなぁ?恐る恐る仕入れ担当者を呼んで事情を聞きました。「売れて1冊になったから棚に入れてあります」確かに棚に拙著の背表紙が。平積みにされていたのに~。すかさず、「注文は入れてもらってますか?」「いいえ」簡単に言うな~って思ったけれど冷静に。「注文してもらえませんか?」考え込む担当者。何考えてんだぁ、入れてよぉ。「あっ、そうだ。今月末に発売されるビッグトゥモローに私載ります」押しの一手。「そうですか、入れましょう」「何冊?」「5冊ほど」「10冊にしてもらえませんか?」「う~ん、7冊ということで」なんだその中途半端、と思ったけれど、やっぱりありがたい話なので喜びを顔で表現しました。担当者も笑ってました。これからもドンドン入れてねぇ。書店に自分の本を営業する著者も少ないとは思うけれど、冊数まで口を出す人はもっと少ないでしょう。でも……、私、書店から拙著が姿を消すと寂しいんです。ということで、地元の書店さん、頻繁に顔を出すけれど嫌いにならないでね。今日の原稿もお休み。勉強があるのです。
2005年04月12日
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駅の地下道にホームレスの人たちが寝泊まりしている。私が通りかかる午後7時頃にはいつも宴会が始まっている。今日も5人の薄汚れたおじさまたちが、欠けた湯飲みに日本酒を入れて飲んでいる。頬を赤らめ、超ご機嫌。立ち止まった私に正面のおじさまが湯飲みを差し出したけれど、さすがに口をつけることはできない。このまま立ち去るには間が悪い、何か言わなければ。「お仕事は何ですか?」してるわけないじゃん、そんなこと訊いて何になる。焦ると突拍子もない言葉が飛び出す。正面のおじさまがグイッとお酒を飲み干して言った。「もう30年も仕事してない。仕事をしなくても生きていける。ストレスがないから病気にもならない。お金がないなんて悩みもない。最初からないから」「お金が無くて、どうやって食事をしてるんですか?」「食事、そんな大層なものは食っちゃねえ。メシには困らねえ。現代人はまだ使える物を捨てるから、俺らにはありがたい。生き延びられる」「具体的にはどうなんです?」「それは言えねえ。俺らの食い扶持(ぶち)だから。俺らの仲間になったら教えてやるよ」「それは……」「おめえさんらはおめえさんらの世界でしか生きれない、俺らは俺らの世界でしか生きれない、それだけのことよ」行き交う人たちが私を異様な目で見ていることは知っていたけれど、ホームレスの人と話したのは初めてのことだから興味津々で周囲のことなど気にならない。手前のおじさまが、私を邪魔者のであるかのように手を払いながら言った。「あんたの居場所に帰りなっ」胸にグサリと言葉が刺さった。仲間はずれにされた、あるいは交わることのない世界から拒絶されたショックなのか。兎に角虚しさ悲しさが心を埋め尽くす。私は私の居場所に帰るしかない、何を迷っている、考えている、見上げるとほのぼのレイクのネオンが騒いでいる。無理矢理、微笑んで家路を急いだ。哲学はみんなが持っているんだぁ、当たり前だよね。今日は原稿お休み。読みたい本が積ん読になっているから、積み木崩しをします。
2005年04月11日
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うわー、フリーズした。せっかく書いた日記が消えてしまった。昨日に続き約3000文字も書いたのにフリーズして、私の苦労が水の泡と化した。もう書かない。書き直す気分ではない。フリーズしたということは、人目に触れない方がいいという神秘の力による警告に違いない。だから、同じテーマではもう書かない。よって今日はテーマを選んで書く。「心の病」私は20代前半に心の病にかかってしまった。(爆弾発言かも?)未だに完治しているわけではないけれど、頑張っている。目が覚めると得体の知れない恐怖が襲いかかって兎に角恐い、だから外出もできない。仕事なんて当然できない。車に乗るのも、エレベーターに乗るのも、レストランに入るのも恐い。何が恐いのか正体を確かめようとしたけれど、わからない。死が恐いことには間違いないけれど、直接的な恐怖ではない。原因不明。医者に処方された、抗うつ剤、抗不安剤、精神安定剤、睡眠薬、飲んでみたけれど一時的な効果のみ。行き場のない体を引きづり書店を彷徨う。何気なく手に取った本。「行動が性格を変える」1日で読み終えた。10日間毎日読み返した。死を覚悟して、薬を手放した。恐怖感はあるけれど、日常生活を体感しよう決意した。薄紙を重ねるように少しずつ生きる気力が蘇ってくる。理想とする姿には程遠いけれど、生きられるだけ生きようと誓った。誰にわかってもらえない心の闇、でもわかってもらって同情されるのも生き辛い、だから人知れず、普通の人のように振る舞うことにした。あれから20年。完治しない心は時々悲鳴を上げる。私はなだめる。「頑張らなくていいから、我慢しなくていいから、自分が自分であるだけでいいから」と。心の病は、数値や映像で視覚的にわからないだけに深い。でも心配ないよ。あなたがあなたであるように、私が私であればいいんです。世界は大きな包容力を備えているから任せればいいんです。今日の原稿3枚。合計173枚。雨が降り始めました。遠慮気味な雨です。
2005年04月10日
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季節は春ということで、3月28日に桜色のネクタイを新調しました。3月29日の日記でも触れたけれど、某出版社の取材用です。写真撮影という初めての体験だから気持ちを引き締めるためにネクタイを買ったのです。新緑鮮やかな季節ということで淡~い緑色のネクタイもいいけれど、桜色のネクタイも季節感もあって捨てがたい、そこで見比べ、悩むこと30分、決めた~のです、桜色のネクタイに。私はすっごくお気に入り。桜色が。職場の人や友人は桜色と思っているネクタイを見せると、ピンクのネクタイねっ、と言うのです。ピンクと表現されると何となくイヤらしく感じます。だからその人たちも内心では、何考えてんの? イヤらしーと思ったことでしょう。今ひとつ気に入らない様子でしたから。ちょっと派手だけどいいんじゃない、って、言う方も聞く方も微妙に引っかかる言い方をされること3回。なんでピンクって言うの? 桜色って言ってくれないの?日本人なのに~。私のセンスはどうも他人には通じないみたい。私って……。今日、私の隠れ家であるスナックに行きました。新人の女の子がブランデーの水割りを持ってきて言いました。「あら~、春色ですね。この季節にピッタリのネクタイ、お似合いですよ」「エッ! これ何色に見える?」「桜色でしょ」思わず言いました。「ありがとう、このネクタイが浮かばれます。今日まですっかり沈んでいたから。ピンクじゃなくて桜色だよね」「ピンクだけど、桜色よ。ごゆっくり」新人さんはカウンターの中に向かいました。また引っかかりました。う~、ん~、ピックだけど桜色?私にとってピンクではあり得なくて、桜色以外にはあり得ないのに~。まぁ、いいかっ、桜色って言ってくれた人がいてくれただけで。色の呼び方が何種類かあって、その中でその人のセンスで色の呼び方を選び出すわけで……、同じ呼び方を選び出すセンスの持ち主が出会うのは珍しいのでしょうか?それとも多くの人が選択しない色の呼び方を選び出すセンスの方が珍しいのでしょうか?こんなことを考え始めると時計の針が足早に駆け抜けていきます。今日も長く日記を書いてしまった~。ブログを始めた頃、私の日記を見て、長すぎると指摘をしてくれた友達は、もう読んでくれていないみたいです。「どうだった?」と質問しても「よかった、おもしろかった」としか答えません。絶対見ていないと思う私です。私だってわかってます。どこの誰だかわからない人の日記を読むのは苦痛だし、長いとなると尚更読む気がしません。まぁ、いいんです。私は誰も見てくれなくても書き続けます。だって、書くと発見があるし、好きだから書いているだけですから。最近、控えめに書いていたけれど、今日はスッキリ長めに書きました。私がスッキリしただけのことですけど。今日の原稿7枚。合計170枚。桜色ですから。
2005年04月09日
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つまんないのっ!朝からテンションが盛り下がってます。時々、こんな現象が私を襲います。何をやっても、何を見ても、何を聞いても、つまんない、と気怠い思いだけが対象物に応えます。つまんない、つまんない、つまんない、つまんない、つまんない、つまんない、つまんない、つまんない、つまんない、つまんない、つまんない、つまんない、つまんない、つまんない、つまんない、つまんない、つまんない、つまんない、つまんない、つまんない、つまんない、つまんない、つまんない、何もかもつまんな~い。心の中で叫びます。そうすると、つまんないと思うこと自体がつまんないと思うようになり、他愛ない日常に戻っていくのです。私の抱えた、ある種発作なのかもしれません。発作は10分ほどで治まる日もあれば、2時間ほど続く日もあります。多くは20分ほどで日常に引き戻されてしまいます。今日も20分ほど叫びました。(もちろん心の中です)つまんない、つまんない、つまんない、つまんない、つまんない、つまんない、つまんない、つまんない、つまんない、つまんない、つまんない、つまんない、つまんない、つまんない、つまんない、つまんない、つまんない、つまんない、つまんない、つまんない、つまんない、つまんない、つまんない、つまんな~い。スッキリしました。外はいい天気です。家の前の公園の桜は三分咲きです。早々とお花見をしている老人会の人たち。老人会という根拠はない。ただ見た目で言っただけ。失礼しました。お友達? 仕事仲間? 戦友? 関係はわからないけれど、早く咲けと桜を挑発するように笑顔満開でした。気持ちいい、とっても気持ちいい。気持ちよさを勢いにして、原稿に取りかかりました。今日の原稿三枚。いつもと変わらんじゃん。気持ちよさの勢いはどこに行ったの?どうも私は桜同様にまだ三分咲きみたい。合計163枚です。
2005年04月08日
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「悪いことしたらすぐに謝りなさい!」子供の頃、母によく言われたものだ。ふて腐れて「ごめん」と言うと、「そんな謝り方じゃダメ。ちゃんと謝りなさい!」「ボクはちゃんと謝った。これがボクのちゃんとだ」小さな心で抵抗を試みる。「そんなにちゃんと謝るのがイヤなら、人に謝らなければいけないことをしなさんなっ!」吐き捨てるように母は言った。「ボクは一生誰にも謝らな~い」と、泣きながら宣言をした。今でも昨日のことのように鮮明に浮かぶ庭先での母とのバトル。それなのにボクが私になった今でも謝り続けている。あの宣言は空砲に終わったのだ。私はこの出来事があって以来、いつも考えている。謝るって必要なの?誰かに悪いことをして謝ったとしても、悪いことをした事実は消えない。悪いことをされた人も謝られれば、本心では許したくなくても許さざるを得ない。ある種、ルールだから。謝った人も、本心から謝っていないかもしれない。体裁を繕っただけだ。ルールだから。本心と本心がぶつかるとそこら中で戦争が起こるから、ルールを決めただけだ。だから謝るという行為は心がこもっているかどうかなど問題ではない。心がこもっていなくても、表面的に謝れば、謝るという行為は成立するのだ。と言うことは、ちゃんと謝らなかったボクは責められることはなかったのだ。ちゃんとイコール心から、という母の概念は空理空論でしかなかったのではないのか。心なんて見えないんだから、何とでも誤魔化せる。人間の醜さを念頭に置いて考えれば、表面的な行為と内面を同一と考えること自体に無理がある。謝る行為に疑問を持っているものの、社会人になってからも、上司、先輩、お客さまに対して謝り続けてきた。謝ることによって人間関係の摩擦が少ないことを知ったかからだ。そのせいか、人に頼み事をするときにも「ごめん○○頼める?」なんて、いとも簡単に謝り言葉を使ってしまう。「ボクは一生誰にも謝らな~い」大人になって言いたいけれど無理。大人はルールを守るものだから。(時々、ルールを守らない大人がいるけどネ)今日の原稿4枚。合計160枚。クシュン、クシュン。ゴホン、ゴホンは静まりつつあるけれど、鼻がむず痒い。
2005年04月07日
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仲の良い友達だけが必要なんじゃない。と、大人になって思うようになった。私には誰が呼び始めたか不明だが、5人組という仲良しグループがある。遊びでも、真面目な話でも遠慮無くぶつけ合うことができる。その他にも嫌いというわけではないけれど、それほど仲良しと呼べる関係でもない人たちが周りを囲んでいる。仲良しグループと話すときほど時間を忘れないけれど、それなりに楽しめる。時々、話題が絶えて無言の空間の中でグラスを傾けるだけという無機質な動きになると少し息苦しさを感じる。それでも、この息苦しい感覚、嫌いではないのだ。表面的にはお互いに何もなかったかのように繕っているけれど、頭の中では話題探しに翻弄している、この不自然さ、歪さがたまらなく恋しくなるときがある。「みんな、集まろう」と声をかけると、弾んではないけれど「いいよ」って気軽に応えてくれる。なんやかんや言っても、仲が良いのかも?今頃どうしてるのかなぁ、メールでもしてみるかっ。今日の原稿2枚。合計156枚。ゴホン! ゴホン!
2005年04月06日
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昨日ひいた風邪が治らない。大人しく暖かくして早寝したのに治らない。若い頃ならきっと治っていたはず。恨めしきかな我が年齢。医者行って血を採られた。採決しますと看護師さんが2人現れて、私の直感でこの人の方が上手そうだなと思った反対の人が私の血管に針をブスリ!しかめっ面をしたけど、ちっとも痛くなかった。私のカンは、良い方にハズレたのだ。考えてみると私のカンは良くハズレる。その度に悔しさが煙幕のように込み上げる。煙幕が散って落ち着きを取り戻した頃、こんなものよと開き直る。こころが安定するから。カンがハズレて気持ちよかったのはいつ以来だろう? フィットする記憶に辿り着けない。無かったのかもしれない。これ以上考えるほど脳も元気じゃない。脳も風邪をひいて咳をしている。頭の中にゴホン、ゴホン、と咳音が響いている。ゴホン、ゴホンと私の口の中で木霊する。今日も早く寝るっきゃない。今日は原稿お休み。仕方ないじゃん、病気なんだからと開き直る私。可愛いもんです。
2005年04月05日
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風邪をひいて熱がある。昨日くらいからどうもイヤな予感。でも年度初め。仕事は忙しい。今日は珍しく自分を誉めてやりたいぐらいパワフルに仕事をこなした。昼間に体が怠くて熱っぽいなぁと思って体温計で測ると平熱。安心して家に帰ってまたひと仕事。終わった~。今日の予定は全て完了!と、満足感の中、おもむろに熱を測ると38度3分。もうダメ~。体温計の数字を見た途端に力が抜けてきた~。いつものことながら、多くの人が風邪をひかなくなった時期に風邪をひく、ひねくれ者の私。 暖かくして寝るしかない。つまんない夜を過ごしそうだ。今日の原稿3枚。合計154枚。ゴホン! ゴホン! 咳まで出始めた。
2005年04月04日
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若い頃からサラリーマンだけの人生は物足りないとの思いが強くて、密かにいろいろと手を出しました。その都度、新鮮な感動を随分与えてもらいました。その経験を生かして、新作を世に問おうとしています。サラリーマンは副業を持つことが必須です。サラリーマンの悲鳴、副業での成功談がありました教えてください。私も出版という形で情報を発信します。今日の原稿1枚。合計151枚。「やる気あんのか!」「もちろんあります」「時間を有効に使え」「ごもっとも。でも……」自問自答です。
2005年04月03日
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今ひとつ体感気温が掴めません。上着を羽織って外に出ると少し暑いように感じるし、上着を脱ぐと寒いように感じます。どのくらい着込めば現在の気温とマッチするのか判断がつきません。こんなことで迷っていても仕方ないと思い、結局上着を羽織って出かけました。車の中でも外を歩いているときも少し汗ばむ感じがあったけれど、着たままで1日を過ごしました。そういえば、若い頃には迷ったときには着ないで出かけていたような気がします。薄着が格好良いと思ったのでしょう。着込んでいると年寄り臭く感じたのでしょう。今は格好よりも風邪を引かないように最善を尽くす方が優先しているみたいです。あ~、私、年寄り臭くなったのでしょうか?仕方ないですね。寄る年波には勝てませんもの。今日の原稿5枚。合計150枚です。折り返し点です。
2005年04月02日
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寝不足が祟って体がだるい。でも新年度のスタートの一日ということで、引き締まった気持ちは怠さを跳ね退(の)けます。私は元旦に1年のスタートとしての誓いを立て、4月の新年度スタートの日には1~3月までの検証を行い、それによって新たな誓いを立てるのです。毎年ことながら検証結果は「どこか物足らない」という不全感が支配します。だから、焦りにも似た感情が芽生え、切羽詰まったように4月から動き始めるのです。今年も3月末までを期限と決めていたことが未達に終わりました。後1週間あったらと、下らない弁解が脳裏をかすめます。ということで、少しずれ込みましたが、4月6日までには仕上げて落ち着きたいと新たな誓いに書き加えたところです。今日の原稿5枚。合計145枚です。頑張れ! 頑張れ!
2005年04月01日
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