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2023年03月31日

生存確認


 本日、北海道議会議員選挙が告示となりました。
今朝は4時に起きて、応援する候補のいる街までお手伝いに行ってきました。

ただ私もこの歳なので、なかなか任される仕事がありません。良く言えば年長として大切にされるから、きつい仕事は頼まれません。
悪く言えば、わざわざ札幌からかけつけて、ハガキの枚数を数えるだけ?といったものです。しかも私の住まいとは選挙区が違うため、投票権がありません。あらら、、、

できれば遊説隊にも参加したかったのですけど、すでにローテーションがしっかりと組まれており、それは恐らく地元の後援会に所属の人たちで、私のようにポッと行って加わるわけにはいきません。

その枚数を数えたハガキは後援会会員あてに宛名を印刷したものです。選挙区には私が住んでいた田舎町も含まれます。そうすると懐かしい知人、友人の宛名もあるわけです。

その中に、お世話になった元助役の名前もありました。
「ああ、まだ存命なんだ。^^」

そのことを話すと、
「新聞のおくやみを見ていればわかる。」
と言われましたが、果たしてそうでしょうか?

旅行などで留守にするとき、新聞の配達を止めることもあるし、何より新聞への掲載は任意なので必ずおくやみ欄に載るとは限りません。
意外にもお手伝いに行った最大の成果は、住んでいた田舎町に住む人たちの生存確認になってしまいました。

 遊説は確か夜8時までだったと思うのですが、悲しいかな過疎地では夜7時になると外はもう、人が歩いていないから、7時に候補者が選対事務所に戻ってきたところで私も帰路につきました。

それが眠(ねむ)!

眠い眠い眠い!!
行きは高速道路を使って行きましたが、帰りは急ぐわけじゃなし高速料金がもったいないので、一般道路を走ってきたんです。

もう日が暮れていて、辺りは灯りのない田舎道。見えるものは前走車のテールライトのみ。さらには途中の信号待ちで前走車がトレーラーの後ろに着いてしまいました。トレーラーは時速60kmの定速走行。
目の焦点が合わなくなってくる恐ろしさ。

札幌までの標識を見ながら、
「あと54km。」
「あと44km。」
しんどいしんどい。

ようやく札幌市内に入ると街の灯りで視野が明るくなるのと、視界に入る情報量が多くなるので眠さからは解放されました。

田舎町に住んでいたときは、札幌の市街地に入ると運転に緊張したものですが、札幌に転居して16年目を迎えた今では市街地に入るとホッとするようになりました。





2023年03月30日

順番


 あんまり詳しくないんですけど、コールセンターではCTIってシステムのお世話になります。
要はコンピューターと電話を連携させるシステムです。発信業務ならリストをもとに次々とダイアルしていくし、受信業務なら架かってきた電話をオペレーターたちに振り分けていく仕組みです。

何年前でしたか、、
アホがひとりいました。
発信で、確か保険を売っていたんだと思います。するとそのアホは
「いいかい?帳面にこう書いておくんだ。『この客には電話するな』って。」

 そんなことできるかっ!?

リストから外すことはできるんですが、、、

きっとそのアホはCTIを知らずに、いまだ私たちが紙の台帳を見ながら一軒一軒、手で電話機を操作しているんだと、そう思ったのでしょう。
それも、
ねずみ色のスチールデスクに座り、指に唾を付けて台帳のページをめくっていく??
しかも白いYシャツに黒い袖抜き姿で??
横には吸い殻が山になった灰皿??
私にはそのアホのイメージしているさまが、そのように伝わりました。

 CTIにもいろいろあって、コールセンターごとに違うシステムを使っています。
たま〜に目にすることがあります。次は誰に架かってくるか、モニターで確認できるシステムです。

モニターには上から一行ずつ、オペレーターの名前が出ています。
次に電話を受けるのは、いちばん上のオペレーターです。そして電話が架かってきたら、そのオペレーターは「話中」や「応対中」となり、一番下に移動します。

対応が終わると今度は、一番下から順に、上へと上がっていくのです。
そしたらこの仕組みを利用してズルをする輩がでてくるんです。

自分がいちばん上、または2番目くらいになると、トイレに立ちます。トイレに立つには「受信可」というステータスを「休憩」とか「研修中」、または「手洗い」などに切り替えていきます。

そして席に戻ってきたら「受信可」に戻すのですけど、そのとき、順番は一番下になります。
さっきまで、次に受信しなければならなかったのに、最後尾に逃げることができるんです。それはズルい!

しかしCTIにもいろいろあるから、違うプロセスで動いているシステムもあるようです。
それは受信する順位をモニターで見ることができないシステムでした。
ですがたとえトイレにエスケープしても、順位は変わらないといったもの。

おそらく、単純に上から下にリストで並ぶものではなく、応対していなかった「待機時間」を累積しているんです。だから昼休憩でリストから外れても、前回の受信からどれだけ休んでいるかで優先順位を決めるシステムもあるようです。

どっちが良いか、
一長一短ですね。




2023年03月29日

年表


 自身の年表って書いたことがありますか?

私事、小学校は四校通っています。それは父の仕事都合でした。
小学校を四校も渡れば、幼馴染っていないんです。強いて挙げるなら、従姉弟がそれに近いか。

ただ、その分だけ思い出が区別されます。小学校別に思い出が区分されているから、いつ頃の出来事だったのか、憶えてい易いという良いところもあります。

 ちょっと前、書いたように今の仕事は勤務時間のほとんど、ただ座っているだけです。何もしません。息をしているくらい。
そうすると考え事をするし、考えることだってネタが切れてくると、ふっと昔の記憶が蘇ってきます。
「どっから出てきたの?」
ってくらい、不思議と突然蘇ってくるんです。

今日、思い出したのは「とつかくいちろう」。
母が教えてくれたのは間違いありません。ただ、それが何だったのか。思い出そうとしました。
だんだん思い出してきたのは、“北海道開発庁長官”でした。

母の実家は函館市の看板屋でした。タイヘイ堂、、太平堂だったのか、大平堂だったのか、今ではもうわかりません。

母の記憶で幼い頃の一人称は「タイヘイ堂のミヤちゃん」だったそうで。一度、迷子になって困り果て、泣きながら「タイヘイ堂のミヤちゃん」と独り言を繰り返していたそうです。

母の話というのは、看板屋の主人であった父 = 私の祖父が「北海道開発庁長官
とつかくいちろう」という看板をたくさん書いては広げて乾かしていたそうなんです。それを見た母は、否が応でも覚えてしまったというものでした。

 私の母は昭和ひと桁の生まれでした。なので、この思い出話だって相当古いものだろうと思っていたんです。

今日の昼休み。ヒマだったので、スマホで調べてみました。
出てくるかな?って、半信半疑で。
そしたら出てきたんです。
「北海道開発庁長官 戸塚九一郎」
って。

それもそんなに古い話じゃない。1953年2月10日からとなっています。

 ということは?

母は1929年生まれでしたから、もう24歳だったんですね。
私はてっきり、母がまだ小さい頃の記憶だと思い込んでいました。戦前とか。

母は高学歴です。私と違って。
だから、成人したあとにも函館にいたという認識がありませんでした。きっと学業を終えたあと、函館に戻っていた時期があったんですね。今ではもう確かめようもありませんが。

でもこれで私が聞いていなかった母の軌跡というか、生い立ちが少しだけ紐溶けたように思います。
それも母の人生を年表にしたように。

 さて、これも仕事がヒマなので、書いておこうと思ったことです。実際にPCのメモ帳に書いてみました。
小学校をいくつも通い、あれはいつのことだったのか。忘れたくないものです。

たとえば私は小学校2年生に進級するとき、宇都宮市に転居しました。また、小学校5年生の2学期からまた別の小学校へ転校しています。
このように、はっきり区切りがあると覚えてい易いのです。が、宇都宮の小学校から転校したのがいつだったのか、はっきり憶えていません。

憶えているのはこうです。たぶん間違いありません。

 1970年(昭和45年)4〜5歳 延命幼稚園(年中)
 1971年(昭和46年)5〜6歳 葛飾区立飯塚幼稚園(年長)
 1972年(昭和47年)6〜7歳 葛飾区立飯塚小学校(1年)
 1973年(昭和48年)7〜8歳 宇都宮市立宇都宮東小学校(2年)
 1974年(昭和49年)8〜9歳 宇都宮東小学校 → 江東区立大島中央小学校(3年)
 1975年(昭和50年)9〜10歳 大島中央小学校(4年)
 1976年(昭和51年)10〜11歳 大島中央小学校 → 江戸川区立第三松江小学校(5年)
 1977年(昭和52年)11〜12歳 第三松江小学校(6年)

さらに、これに住んでいた場所とか、大人になってから付き合っていた異性なんかも記録しておくと、記憶を整理できるし、また思いもよらない記憶が蘇ってくるかも知れません。




posted by CSおじさん at 23:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 随想

2023年03月23日

感動!


 WBCすごかったですね。
準決勝のメキシコ戦、私は仕事でした。
それでも仕事の小休み、休憩室に行くとテレビ中継を見ることができました。
私が見たとき、0-3で日本が負けていました。

ああ、準決勝になるとさすがに難しい。勝てないかな?
そう思ったんです。
しかし次の休憩にスマホで試合結果を見てみると、逆転サヨナラ。

Wow!
帰宅してからYoutube動画で見ました。
侍ジャパンすげえ!

まあまあまあまあ、
優勝までの経緯は私が解説するまでもありません。

だけど、このWBCは大谷君。
MVPは文句なく大谷君でしょう。
プレイでも、選手を鼓舞して奮い立たせる姿でも。

感動しました。その姿は二つあります。
まず一つは、

準決勝のメキシコ戦9回裏、先頭打者で2塁打したとき。
2塁上でベンチに向かい、叫んでいましたね。

あれ、テレビの解説どおり
「乗れ!!」
そう言っていたんでしょうか。

それより私には一塁を回るとき、ヘルメットを投げ捨てた姿に感動しました。
「そこまでするのか?!」
って。

もう一つは決勝です。
最後にトラウト選手を三振に切って取り、雄たけびを上げるとき、
まずグラブを、そして帽子をかなぐり捨てました。

まずグラブがあって、帽子があっての野球なのに、どちらも投げ捨てる??
真の目的を達成したあとにはそれらのものは邪魔でしかなかった。

それだけ集中した。信念しかなかった。
そう伝わりました。

いいなぁ、素晴らしいなぁ!!

 もう一つ、全体を通して今大会は日本の優勝でした。
ですが、それぞれ試合の成果は選手一人ひとりの実績です。

たとえば村上選手、準決勝でサヨナラ打を打つまで、3打席0安打でした。
その悔しさ、焦り、いろいろあったでしょう。
それは村上選手以外でも皆それぞれ持っていた集合体です。

優勝という素晴らしい結果をもたらせてくれましたが、その裏で選手たちの感情、喜怒哀楽、さまざまな状況があることを、見ている側にも伝わってくるからこそ、この優勝には価値があるのだと思います。

で、
昨日、隣が空席でした。
欠勤か?と思ったら、座席表には「時間不明」と書いてありました。
遅刻する連絡があったのでしょう。ですが昼休みが終わると同時に出勤してきたんです。

「こいつ、WBCを見てきたな?」
バレバレです。

また、火曜、水曜と休日にしていた人もいます。
聞くと、やはりWBC観戦の休みだったそうです。(笑)




2023年03月22日

もの


 これは我が家の神棚です。

IMG_7085s.jpg

1976年だから、今から47年前に父が買ったものです。
見づらいかも知れませんが、神棚本体はヒノキでできているので、購入した当時はもっと白い色をしていました。神棚の前にある、ミキ口のような色でした。

ミキ口 ↓(出典:Amazon)
mikiguchi.jpg

 私の家は神道です。
この神棚は47年前に父が家を新築したとき購入しました。その後いろいろあり、1999年の2月に我が家へやってきました。

毎朝、米、塩、水を新しくしなければなりません。
本来それは家長である私がするべきことでした。でも代わりに妻がしてくれていたんです。

それじゃイカンと、私がするようになってから5年が経ちました。
2018年の4月から私がしています。初めは私も毎朝していました。
でも毎朝というのは、さすがに厳しいです。

妻も私に代わる頃には休日のみ、やっていたようです。
私も、今は二日に一度、するようにしました。

 私は来月でようやく5年。でも妻は19年もしてくれていたんです。
さすがにそれでは私にも負い目があります。

では、私が妻と並ぶ19年になるには、あと14年。
そのとき私は71歳になっています。

71歳なら、もう死んでもおかしくない歳です。
新聞のおくやみ欄を見ても、71歳の人は当たり前にいます。

では、私が死んだあと、神棚は残っているのでしょうか。
現に父が購入した神棚は父の死後も、ここにあります。

持ち主がなくなった後も、「もの」は残り続けます。“遺品”です。




posted by CSおじさん at 23:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 随想

2023年03月21日

うっかり


 やっちまいました。
始まりは1月9日、メインに使っているクレジットカードの明細に身に覚えのない請求があったことです。
金額は6千何百円。

ですがカード情報を盗まれた心当たりもない。
そうかといって6千円台の買い物をしたら、何かと憶えていると思います。でもそのくらいお金がかかる買い物をした形跡もありません。

じゃあ誰かに贈り物をした?
そんな人いません。

不思議なもので、カード情報を盗まれた心当たりがないと、本当は何か買ったんじゃないかという気持ちになってきます。でも何もない。

念のため、カード会社に連絡し、新たなカード番号で再発行してもらいました。
カード番号が変わるから登録してあった支払先をひとつひとつ、変更していったんです。カードの利用明細を見ながら。

いまではだいたい、ネットで変更が完了します。しかし中には郵送を伴うものもあります。変更用紙をネットで請求。ところが届いた用紙では印刷されたQRコードからネットで完結。
これ、
郵送というプロセスを挟むことで本人確認をするという安全策はわかるのですが、結局ネットでできるのであれば、最初から何とかならないの?
という疑問が残ります。

とにかく、一連の作業を終えたつもりでいたのです。

ある日、仕事へ行くのにバスを降りようとしてICカードをかざすと、、

「残高不足です。」

へ?

気付くまでしばらくかかりました。
ICカードの引落しを旧カードにしたままだったんです。

IDカードは「毎月いくら」というものではありません。残高が足りなくなって、はじめてチャージされます。不定期だから、たまたま私の見た明細にはなかったのです。

ところが、困ったもので60近い、いいおっさんの私は、
「オートチャージにしているんだけどな。」
なんて、自分を棚に上げて運転手にブーブー文句を言っていました。

ようやく気付いたものだから、引落しクレジットカードを変更しなければなりません。ですが札幌市のIDカードはネットでの手続きができません。

地下鉄駅まで足を運んで、申し込み用紙をもらって、手書きして郵送しなければなりません。さらに手続きには3週間もかかるのだとか。

明日、投函する予定です。ですが、それから3週間。
今までならカードの入った財布をピッとかざすだけでオートチャージできたものが、降車時に時間をかけ、他の乗客を待たせ、現金でチャージするか、地下鉄駅まで足を運んでチャージするか、または毎回、小銭を用意するか。

どうするか考えるのも面倒くさい。
うっかり忘れていた代償は意外にも大きなものです。



posted by CSおじさん at 23:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 通勤

2023年03月20日

断わったった


 昨年から今にかけて6か所のコールセンターを巡ってきました。
安定しない職業です。派遣だと特に。

先日の飲み会で一緒だった友人は、もう勤続35年くらいになるはずだから、聞いてみたんです。
「何か良い仕事ないか?」
って。

そしたら
「午前2時からの仕事しかないな。」

無理だ!
丑(うし)三つ時じゃないか。丑の刻参りじゃない!(笑)

 その6か所のコールセンターのうち、5か所が受信業務のセンターです。
今の傾向なのか、たまたまなのか、一か所を除いてヒマなんです。ほとんど電話が鳴りません。
今のところも、その前のところも一日中、ただ座って終わる日がほとんどなんですね。

今のところはオペレーターが120人くらいいます。
その120人のオペレーターたちが、かかってくるか、こないかわからない電話をじっと待っている光景は、さぞ滑稽なものでしょう。生産性から考えると、親方日の丸だからこそできる業務なんです。

残業なしの一日8時間、ただ黙って座っているだけ、、というのも決して楽な仕事ではありません。

 何もすることがないと、いろいろ考えてしまいます。
いえ、考えるというより、思い出すといった方が良いかも知れません。

私は田舎町に住んでいた19歳から、札幌へ来るまでの20数年間、副業で保険の代理店をしていました。
はじめは祖父の手伝いから始めて、やがて代替わりしました。

保険の代理店は専業代理店もありますが、副業でするにはちょうど良い手間暇だったんですね。手数料体系が合理化されるまでは。

 私が二十代の頃、そりゃもう精力的に顧客を伸ばしました。そのほとんどが自動車保険でした。
団体契約ってありますね。20人以上でできる契約です。

20人以上の他にも、給与天引きできる団体であるとか、いくつか条件がありました。
その中に、1年以内に20人以上になるというのがあったんです。

皮肉なもので、あのとき1年を迎えようとしている頃、19人しかいませんでした。
しかし保険にはいろいろと裏技があります。コンプライアンスが厳しい今はわかりませんが。

たとえば給与天引きができる団体でも公務員はダメでした。ところが公務員で構成する職員組合はOKなど。そして一人足りなかった20人目は私が加入したんです。

私が加入しても、本当にその団体に所属しているかどうか、調べることはなかったんですね。
公務員だったら副業してはいけないから保険代理店になれるはずがありません。

しかも、私はすでに自分の自動車保険に入っていましたから、さらに団体保険に、、というのはできないはずです。しかしまだそれができた時代。

さらには自動車保険に二つ入るのにはいろいろ厄介なことがありますが、当時は特約だけ入ることができました。それでも立派な契約です。「危険担保特約限定A」ってやつです。

 さて、なんやこんやで役所の職員組合に団体契約を作ることができました。
もちろん、いろんなお客様がいました。

その中のMさん。
話が長いんです。

自動車保険は1年更新だから、1年経つ前に更新の手続きに伺います。職場に行けばOKです。
「継続お願いします。」
って、ハンコをもらえば良いんですが、世間話にもなります。

ただMさん、話が長くなるほかに、話の内容にイラっとくるんです。
「保険代理店は他にもあるんだから、別にお前(私)のところに入らなくてもいいんだよな。」

普通、保険継続のハンコをもらうのにかかる時間は一人10分くらいだったと思います。
でもMさん、30分くらいかかるんです。

でもしょうがないから、
「お願いします。」
って、30分もかけて継続のハンコをもらう商談を毎年していました。

ある年、また
「他からも保険の勧誘はあるからな。」
Mさんがそう言ったので、私は
「じゃあ、そうすれば良いんじゃないですか?(サヨナラ)」

あのとき、Mさんの驚き様。

Mさん、商売人に対して自分に選択権がある。その立場は絶対という過信があったのでしょう。
収益を考えたら、団体契約で自動車保険の一人当たり、手数料はひと月に数百円程度。
それを更新のたび、イヤミを聞かされながらお願いするのはコスト割れだと思った私の判断でした。




2023年03月18日

いちばん


 Sと初めて逢ったのは昭和53年、1978年だから、もう45年の付き合いになります。
Sは私と同学年ですが、同じクラスになったことは一度もありません。ただ中学校の3年間、同じ部活で苦楽を共にしました。

私は中学への入学と同時に東京から北海道へ。Sは高校を卒業すると同時に東京へ。ちょうど入れ替わった感じです。

 SからLINEで連絡が来たのは2月8日でした。10年振りの里帰りで北海道へ来るというのです。Sの実家はここ札幌ではありません。でも3月17日に札幌に一泊してから翌日、実家へ行くと言います。

で、17日の昨夜、一緒に飲み会をしてきました。
Sと二人きりではなく、SとSの奥様、そして同じ部活だったもう一人の男、合わせて4人でです。
19:30分から居酒屋を予約していました。

私、本当はSと二人きりで良かった。でもSの奥様だって良い人なんだ。
居酒屋は2時間の飲み食い放題コース。21:30過ぎに店を出ると、同じ部活だった男は、明日仕事だから帰ると言います。

私は帰るにはまだ早い。
Sに聞くと、Sも奥様も、もう一軒行くと言います。
もしかしたらSも奥様も私と同様に、最後は少人数でじっくり飲みたいと思ってくれていたのかも知れません。結局、0時過ぎまで。私は珍しく酔っぱらいました。

                 ☆

 人は誰かと親密になるとき、「認める」というプロセスを踏むんじゃないでしょうか。その人の才能や長所とか、同じ価値観であったりとか。

私が最初にSを認めたのは、彼の着想でした。中学2年に進級したとき、クラスで班分けをし、班ごとに壁新聞を作ろうということになりました。

他の皆は平面で2次元の壁新聞を作っていたとき、私は立体的な壁新聞にしたいと考えました。ハッキリ言って私のスタンドプレーでした。強引に立体的な壁新聞を作り始めたんです。

立体的というのは壁新聞へ、半球状に真っ二つにした地球儀を装着。しかもモーターで回転させるというもの。ただその回転させるのが上手くいかなかったんです。

私の構想は、モーターにプーリーを付け、ベルト駆動させるというものでした。でも半球の地球儀が大きすぎて上手く回らなかったんです。

そこでクラスが違うSに相談しました。そしたらSはいとも簡単に、
「下にゴムタイヤを付け、駆動させたら?」
と言ったんです。

これが大成功。以来、私はSの才能に一目置いています。さらに大人になって、とても穏やかな性格のS。

 一昨年、私は東京へ遊びに行きました。そのとき、もちろんSと飲みに行きました。遅くまでしっかり付き合ってくれました。

                 ☆

 六十近いこの歳になって、少し変わってきたことがあります。
友人って何人もいて、いろんな友人がいると思います。仕事上の同僚、中には親しい親友も。特に親友は皆、それぞれ甲乙つけがたいと思ってきたんです。

変わったのは、甲乙つけられるようになったことです。私はSにいちばん、信頼を寄せていると実感します。他にも、一番愛した女性は〇〇だったと自分にとっての唯一無二を感じるようになったんです。

なぜこうなったのか。
私はこの歳になって、将来を断ち切ったんだと思います。
もうこれ以上、自分にとって信頼できる人間、異性ならばあれ以上、愛せる人間と巡り合うことはないだろうと判断を下したんだと思います。無意識に。

だから唯一無二の人、大切にしたいと思います。





posted by CSおじさん at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 随想

2023年03月16日

割り勘


Youtube動画を見ているたら、飲み代は男性が奢るべきかという話題がありました。

さて、知り合って4年くらいになる仲の良い同僚がいます。
昨年その同僚と飲みに行ったときの話。同僚が私に告げてくれたんです。前に同じコールセンターに勤めていた女性が、私と飲みに行っても奢ってくれないと言っていたって。

すぐにその女性とは誰のことか特定できました。二人くらいしか心当たりがありません。きっとその二人でしょう。

仲の良い同僚がなぜ、わざわざ今になって話してくれたのか、目的はわかりません。私が奢るべきだったと言いたかったのか、それともただの報告だったのか。

でもね、私だって奢るときはあります。なのに同じコールセンターで、同じ時給で同じ時間働いて、なぜ私が二人分も奢らなければならないのか。私は仕事の延長線で軽く寄っていく程度にしか考えていませんでした。

女性がいう、男性が奢るべきだという理由について、女性は新しい化粧品を買って、服も下着も買って、準備に時間もかかるから、というのがあるそうですけど、そうじゃない。デートじゃない。仕事帰りですからね。

もし仕事上の付き合いを超えたい考えがあれば、奢ったかも知れません。でもそこまで考えていません。
同じく彼女たちにしてみれば、奢ってくれないのだったら一緒に飲みに行く価値が私にはないと言えるのでしょうね。

心外です。

平成生まれの人たちに、男性が奢るべきだという考えの人は少ないと聞きました。もちろん、その二人の女性は昭和の生まれです。



2023年03月10日

もう帰らん!


 帰らんというのは、私がもっとも長く過ごした北海道の田舎町にです。

車で高速に乗ると夏場で3時間。冬は吹雪など悪天候になると、高速道路が通行止めになり、過去に6時間かかったこともありました。

コロナ禍で行くのを自粛したこともありましたが、基本、盆と暮れには行って、特に正月は田舎町で迎えていたのです。

 田舎町には妻の母、それから妻の姉夫婦が住んでいます。
私の両親は晩年、田舎町に住んでいませんでしたし、もう亡くなっています。

私がその田舎町から札幌市へ転居してきたのが2007年。
当時はまだ田舎町の仲間たちと親交もありましたが、16年も経つと、さすがに関係も薄れてきます。

私の子供たちを義理母に会わせるという目的が大きかったんですけど、もう子供たちだって大人になったし、二人ともそれぞれ独立して暮らしています。

 公共交通機関で行くならバスしかありません。バスで往復すると一人7,000円くらいかかります。皆で車で行けばガソリン代は8,000円くらいで済みます。
ですが子供たちがまだ子供だった頃とはだいぶ、様子が変わってきました。

 そもそも私は妻の母からも、姉夫婦からも好かれていません。
それは言葉の端はしに現れます。

たとえば、
昨年の暮れでした。料理するようになった私。そのことを妻から義母に話すと、
「何か見て作ってるんだろうさ。」

あたかも
「どうせ料理本でも読みながら、それを真似て作っているだけなんだろう?」
そんなニュアンスで伝わってきます。

しかし時代はもう料理本でなく、ネットの動画なんですけどね。

 姉夫婦のところへ行っても私にはアウェイ感いっぱいです。
そもそもなぜ毎回、姉夫婦のところへ挨拶に行かなければならないのか。よくわかりません。
妻はいいんです。姉のところへ遊びに行くだけなのだから。

姉夫婦、特徴として人をリスペクトしません。自分たちがいちばん偉い。そんな空気が伝わってくる家庭です。

 義母は姉夫婦のところへ毎日のように行っています。それに私を使ってお礼させられているんじゃないかと思っています。毎回、缶チューハイを一箱持たされて姉夫婦の家を訪れていました。私からの志として。
ですが缶チューハイは義母が買ったものです。

さらには姉夫婦の家にいた大奥様、施設に入居する前は、義理母が老後、自分が姉夫婦の世話になるだろうから、今から義理を立てるため、私を使っていたように思いました。

それが昨年の暮れは持たされませんでした。きっと、姉夫婦の家にいた大奥様が高齢のため施設に入居したからです。義母が姉夫婦の家に気を遣わなくて済むようになったからです。
義母は私が持っていかなくても店から配達させたと言っていましたが、義理姉からお礼はありませんでした。

とにかく私は妻の親姉妹のため、親孝行と思ってきた田舎町行きは、いつの間にか私が妻たちを連れて行くのが当たり前、当然のことになっていたのでしょう。

 また、田舎町へ行くこと。それがまだ札幌市へ来たばかりの頃は私にも「田舎へ帰る」という意識が強くありました。ですが私は田舎町とのつながりが薄れていく中で、ただ義務感で動いているだけになってきました。
それも必ず面白くない思いをして帰ってくる。言ってしまえば私はただの運転手でしかありません。盆と暮れの数日間を犠牲にして。

だからもういいんです。私は田舎町へは行きません。妻は自分で行きなさい。そう思っています。

 妻と結婚する前、まだ付き合い始めた頃、とあるイベントに参加しました。あのとき、なんかケンカっぽくなっちゃったんです。
その様子を遠くで見ていた義理姉の私を睨みつけたまなざし。いまだに忘れません。





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