![8.jpg](https://fanblogs.jp/lunakoh/file/8-542d0-thumbnail2.jpg)
由来は不明ですが「猫社(ねこじゃ)さん」と呼ばれるまつりが
毎年一月十日に今も行われています。
このまつりに因んだ話のなかに「せなが長者」があります。
![9.jpg](https://fanblogs.jp/lunakoh/file/9-33152-thumbnail2.jpg)
「せなが長者」
![10.jpg](https://fanblogs.jp/lunakoh/file/10-49902-thumbnail2.jpg)
昔、この付近の入江に出入りしていた唐船との貿易によって
栄えていた「せなが長者さん」は、
このあたりには勝てる犬や猫はいないという、
とても喧嘩が強い猫を飼っていました。
![11.jpg](https://fanblogs.jp/lunakoh/file/11-5e8e4-thumbnail2.jpg)
あるとき、とある唐船の船主さんが、
長者さんと酒を酌み交わしているうちに、この猫の話を聞いて、
「お互いの宝物を賭けて、私の犬と勝負しましょう」
と申し出ました。
船主さんの犬も、
これまで喧嘩に負けたことがない犬だったからです。
長者さんは即座に承知しました。
![12.jpg](https://fanblogs.jp/lunakoh/file/12-c46fe-thumbnail2.jpg)
猫と犬はすさまじい闘いをして、その果てに猫が勝利し、
犬は死んでしまいました。
そこで、長者さんは「金の茶釜」を手に入れ、
これは間もなく荒尾郷を治めていた小代家に献上されました。
しかし、自慢の猫は、闘いによる深手が原因で、
二、三日後に死んでしまいました。
![13.jpg](https://fanblogs.jp/lunakoh/file/13-3c6eb-thumbnail2.jpg)
長者さんはこれを哀れんで、祠を建てて霊を慰め、
これが「猫宮」となったそうです。
まつりの日には、「猫大明神札」という御札が配られます。
![14.jpg](https://fanblogs.jp/lunakoh/file/14-575b9-thumbnail2.jpg)
「猫大明神札」の御利益は、
ねずみ除け・家事災厄除け・金運上昇・無病息災(人・猫)
安産・交通安全(猫)だそうです。
![15.jpg](https://fanblogs.jp/lunakoh/file/15-d10d0-thumbnail2.jpg)
ちなみに小代家に献上された「金の茶釜」は、
小代氏の手によって小岱山山頂の筒ヶ嶽城の井戸に投げ込まれ、
大岩によってふさがれたという伝説も残っています。
猫宮の謎
「猫宮」の由来は、「せなが長者の話」とされていますが、
いくつかの謎があります。
![16.jpg](https://fanblogs.jp/lunakoh/file/16-3cfe4-thumbnail2.jpg)
小代氏が「金の茶釜」を投げ込んだ井戸のある筒ヶ嶽城は
15世紀〜16世紀とされますから、室町時代と考えられます。
![17.jpg](https://fanblogs.jp/lunakoh/file/17-27b4c-thumbnail2.jpg)
野原八幡宮
しかし、肥後国 野原八幡宮祭礼史料に、
元享二年(1322年)猫宮三郎太夫が、小行事を担当した記録があり、
鎌倉時代には「猫宮」が存在したことになります。
さらに、荒尾市史・通史編によると、
御神体は古墳時代(5〜6世紀)の舟形石棺から切り落とされた
縄掛け突起部分で、菊池川流域から持ち込まれたものです。
![19.jpg](https://fanblogs.jp/lunakoh/file/19-c8f03-thumbnail2.jpg)
![18.jpg](https://fanblogs.jp/lunakoh/file/18-f5218-thumbnail2.jpg)
荒尾近隣にて出土したものではありませんから辻褄があいません。
![26.jpg](https://fanblogs.jp/lunakoh/file/26-d480d-thumbnail2.jpg)
御祭神 は、稚日本根子彦大日日天皇
(ワカヤマトネコヒコオオヒヒノスメラミコト)
第九代 開化天皇です。
古事記・日本書紀では記載が非常に少ない
欠史八代(第二代〜九代の天皇)の一人です。
神社考古学ではその名のとおり
「ヤマトの国の根っ子」となった天皇とされ、
別名「ネコさま」と呼ばれ、
福岡県の猫坂、猫峠、猫尾城、若宮、阿蘇の根子岳に
関連があるとされます。
高良大社
また、高良大社に祀られる高良玉垂命の俗称(愛称)猫様で、
高良玉垂命=開化天皇説もあり、
その離宮がこの地にあったのではないかともいわれています。
宮地嶽神社
住吉神社、宮地嶽神社、松尾神社、日枝神社=日吉神社、
比叡山延暦寺の山王権現、山王大社にも深く関係しています。
古事記・日本書紀の記述とは異説をなしますが、
中国の史記に、紀元前1000年頃の周に、
後の呉を起こした太伯の弟・虞仲の子孫である夫差が
紀元前473年に越に亡ぼされた際に、
一族が海を渡り倭国をなしたという記載があります。
![23.jpg](https://fanblogs.jp/lunakoh/file/23-570b7-thumbnail2.jpg)
呉の太伯王の末裔であると称した
「松野連系図」(国立図書館所蔵)という、日本側の記録にも
「孝昭三年来朝。火の国 山門に住む。菊池郡。」ともあり、
系図は、神武天皇や倭の五王などと共に開化天皇も連ねています。
開化天皇に関する一族が菊池川流域で「猫宮」のもととなりました。
![24.jpg](https://fanblogs.jp/lunakoh/file/24-cb3d1-thumbnail2.jpg)
せなが長者のはなしは、663年の白村江の戦いで
日本軍(ネコ)が唐・新羅連合軍(イヌ)
に敗れ、多くの兵が帰国後亡くなったことを
隠喩したのではないでしょうか。
藤原氏が編纂した日本書紀で欠史扱いされるようになり
公には語られなくなったためです。
![25.jpg](https://fanblogs.jp/lunakoh/file/25-8cef2-thumbnail2.jpg)
菊池川
何らかの理由で、荒尾の地に一族が移動する際に、
開化天皇に関係のあった、菊池川流域の首長級の先祖の古墳から
石棺の一部を切り取りシンボルとして持ち込んだのです。
その後、貿易で大成功した一族が「せなが長者」として、
猫と犬の喧嘩のエピソードに代え「猫宮」の由来にあてたのでしょう。
とても古い由来を持っていることが伺えます。
鎮座地
熊本県荒尾市一部猫宮
にほんブログ村