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2019年09月26日

玉名大神宮【熊本県玉名市】

玉名大神宮【熊本県玉名市】

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玉名大神宮周辺は「元玉名」と呼ばれ、
玉名の地名の由来である「玉杵名」の地
とされています。

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玉名大神宮の「家系録」に
景行天皇が熊襲(南九州の民)征伐の途中
『玉杵名邑(たまなきむら)』に来た時、
土蜘蛛津頬(豪族の長)が抵抗しました。

景行天皇は天照大神を祀って拝み、お祈りをすると、
玉のような小石が落下して土蜘蛛津頬を退治しました。

この小石を神の霊として尊び、祀りました。
このことから大神宮を遥拝宮(ようはいぐう)
ともいいます。

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手水舎

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拝殿

社伝によると、
その時 地元勢力の中尾玉守が天皇軍に味方し、
その功績により玉名大神宮の宮司になったと
伝えられています。

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【御祭神】
天照大神、景行天皇、健磐龍神などの阿蘇の四座、
玉依姫、菊池則隆夫妻

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祭神は天照大神と景行天皇ですが、
菊池則隆の進出により菊池氏と結びついた
阿蘇信仰が玉名に影響して、
健磐龍の神などの阿蘇の四座と玉依姫と
その両親菊池則隆夫妻が祭神として祀ってあります。

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玉依姫は、菊池氏初代の則隆の娘で、
玉名の地を化粧田として与えられ、
大神宮の社地に住んだという説があります。

また、桓武天皇の右大臣の娘で、
天皇に見出されて玉名を賜り、
玉名地方を治めたという説もあります。

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神武天皇遥拝所

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栗島神社
祭神 神功皇后
婦人病の神


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東 末 社
祭神 :玉依姫、菊池則隆、菊池隆定、菊池経隆、菊池能隆

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西 末 社
祭神 :菊池経頼、菊池経宗、菊池経直、菊池隆直、
   菊池隆泰、菊池武房、菊池時隆、菊池武時

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打越神社
祭神 :大物主命
牛馬動物守護の神

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玉依姫供養塔

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鹿嶋神社
祭神
:武甕樋命
武道・スポーツの神

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猿田彦神社
祭神
:猿田彦大神
五穀豊穣の神

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生目神社
祭神
:垂仁天皇
眼病の神

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瘡締神社
祭神
:仲哀天皇
吹出物の神

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祖霊社
祭神
:大字玉名の御先祖 及び第二次大戦の戦没者

鎮座地
熊本県玉名市玉名




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2019年09月24日

疋野神社【熊本県玉名市】

疋野神社【熊本県玉名市】

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疋野神社(ひきのじんじゃ)は、延喜式内社で、旧社格は県社。

熊本県の式内社は
阿蘇神社、国造神社、疋野神社の三社のみです。

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猿田彦大神

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創立は景行天皇筑紫御巡幸の時より
古いと伝えられています。

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神牛
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厄除鳥居

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手水舎

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遥拝所

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拝殿
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御祭神 は、波比岐神(はひきのかみ)
相殿 には波比岐神の父「大年神」が祀られています。

波比岐神は『古事記』記載の神で、
『延喜式』には天皇即位時の大嘗祭の八神殿に祀る神として、
又祈年祭・月次祭の祝詞や、
神明帳の宮中三十六座の中にもその神号が見え、
特に朝廷の崇敬が深い神として記されています。

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波比岐神は這入君(はしき)、
あるいは端引(はひ)きの意味で屋敷神と、
本居宣長は『古事記伝』で解釈している。

また、旅人の守護神・製鉄の神とする説もあります。

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本殿
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相殿の波比岐神の父、大年神は素盞鳴尊の御子神で、
大年神と饒速日命を、同一神と考える説があります。

古代、この地方の豪族であった郡司日置氏(へきし)の
氏神を祀った神社だっが、日置氏の没落とともに衰退。

近世になり再興され、
熊本藩主 細川氏は厚い崇敬をよせた。

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この地は1300年前に玉名温泉を発見した
「疋野長者伝説」の長者の屋敷があったところと
伝えられている

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疋野長者御神陵

「疋野長者伝説」

昔、京に住む美しい姫が夢を見た。

「肥後国疋野の里に住む、炭焼き小五郎という
若者と夫婦になるように」

姫は、夢のお告げの通り、疋野へやって来ました。

貧しい小五郎に、姫は金貨を与え、
お米を買って来るように頼みました。

出かけた小五郎は、
途中飛んできた白鷺に金貨を投げつけました。

傷を負った白さぎは、湯煙立ち上る谷間へ落ちて行き、
しばらくして、元気に回復し、飛び去って行きました。

米を買わずに引き返した小五郎に、姫は

「あれは、大切なお金というもので、何でも買えましたのに」

すると小五郎は

「あんなものなら、山に沢山ある」

見ると山のあちこちに多くの金塊が埋まっていた。

こうして、夫婦は疋野長者となり、
白鷺が元気になった湯が、今の玉名温泉となりました。

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鎮座地
熊本県玉名市立願寺




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2019年09月03日

開化天皇を祀る 猫大明神【熊本県荒尾市】

猫大明神【熊本県荒尾市】

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由来は不明ですが「猫社(ねこじゃ)さん」と呼ばれるまつりが
毎年一月十日に今も行われています。

このまつりに因んだ話のなかに「せなが長者」があります。

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「せなが長者」

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昔、この付近の入江に出入りしていた唐船との貿易によって
栄えていた「せなが長者さん」は、
このあたりには勝てる犬や猫はいないという、
とても喧嘩が強い猫を飼っていました。

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あるとき、とある唐船の船主さんが、
長者さんと酒を酌み交わしているうちに、この猫の話を聞いて、

「お互いの宝物を賭けて、私の犬と勝負しましょう」

と申し出ました。

船主さんの犬も、
これまで喧嘩に負けたことがない犬だったからです。

長者さんは即座に承知しました。

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猫と犬はすさまじい闘いをして、その果てに猫が勝利し、
犬は死んでしまいました。

そこで、長者さんは「金の茶釜」を手に入れ、
これは間もなく荒尾郷を治めていた小代家に献上されました。

しかし、自慢の猫は、闘いによる深手が原因で、
二、三日後に死んでしまいました。

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長者さんはこれを哀れんで、祠を建てて霊を慰め、
これが「猫宮」となったそうです。

まつりの日には、「猫大明神札」という御札が配られます。

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「猫大明神札」の御利益は、
ねずみ除け・家事災厄除け・金運上昇・無病息災(人・猫)
安産・交通安全(猫)だそうです。

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ちなみに小代家に献上された「金の茶釜」は、
小代氏の手によって小岱山山頂の筒ヶ嶽城の井戸に投げ込まれ、
大岩によってふさがれたという伝説も残っています。


猫宮の謎

「猫宮」の由来は、「せなが長者の話」とされていますが、
いくつかの謎があります。

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小代氏が「金の茶釜」を投げ込んだ井戸のある筒ヶ嶽城は
15世紀〜16世紀とされますから、室町時代と考えられます。

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野原八幡宮

しかし、肥後国 野原八幡宮祭礼史料に、
元享二年(1322年)猫宮三郎太夫が、小行事を担当した記録があり、
鎌倉時代には「猫宮」が存在したことになります。

さらに、荒尾市史・通史編によると、
御神体は古墳時代(5〜6世紀)の舟形石棺から切り落とされた
縄掛け突起部分で、菊池川流域から持ち込まれたものです。

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荒尾近隣にて出土したものではありませんから辻褄があいません。

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御祭神 は、稚日本根子彦大日日天皇
(ワカヤマトネコヒコオオヒヒノスメラミコト)

第九代 開化天皇です。

古事記・日本書紀では記載が非常に少ない
欠史八代(第二代〜九代の天皇)の一人です。

神社考古学ではその名のとおり
「ヤマトの国の根っ子」となった天皇とされ、
別名「ネコさま」と呼ばれ、
福岡県の猫坂、猫峠、猫尾城、若宮、阿蘇の根子岳に
関連があるとされます。

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高良大社

また、高良大社に祀られる高良玉垂命の俗称(愛称)猫様で、

高良玉垂命=開化天皇説もあり、

その離宮がこの地にあったのではないかともいわれています。

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宮地嶽神社

住吉神社、宮地嶽神社、松尾神社、日枝神社=日吉神社、
比叡山延暦寺の山王権現、山王大社にも深く関係しています。

古事記・日本書紀の記述とは異説をなしますが、
中国の史記に、紀元前1000年頃の周に、
後の呉を起こした太伯の弟・虞仲の子孫である夫差が
紀元前473年に越に亡ぼされた際に、
一族が海を渡り倭国をなしたという記載があります。

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呉の太伯王の末裔であると称した
「松野連系図」(国立図書館所蔵)という、日本側の記録にも
「孝昭三年来朝。火の国 山門に住む。菊池郡。」ともあり、
系図は、神武天皇や倭の五王などと共に開化天皇も連ねています。

開化天皇に関する一族が菊池川流域で「猫宮」のもととなりました。

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せなが長者のはなしは、663年の白村江の戦いで
日本軍(ネコ)が唐・新羅連合軍(イヌ)
に敗れ、多くの兵が帰国後亡くなったことを
隠喩したのではないでしょうか。

藤原氏が編纂した日本書紀で欠史扱いされるようになり
公には語られなくなったためです。

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菊池川

何らかの理由で、荒尾の地に一族が移動する際に、
開化天皇に関係のあった、菊池川流域の首長級の先祖の古墳から
石棺の一部を切り取りシンボルとして持ち込んだのです。

その後、貿易で大成功した一族が「せなが長者」として、
猫と犬の喧嘩のエピソードに代え「猫宮」の由来にあてたのでしょう。

とても古い由来を持っていることが伺えます。

鎮座地
熊本県荒尾市一部猫宮





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2019年09月02日

子どもの神様「にしばるさん」西原大神宮【熊本県荒尾市】

西原大神宮【熊本県荒尾市】

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1533年(天文2)、弘家の先祖が徒歩で伊勢大神宮に参詣され、
直接御分霊を頂いたのを鎮座されたもの。

その後、永く氏神として、五穀豊穣の神様
子供のすじ、ひきつけの神様として有名です。

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御祭神
天照皇大神・豊受大神・素戔嗚尊

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天岩戸の昔、東天紅をうたってより
神様の一族として御寵愛される処から
鶏の絵馬を奉納して神様のご加護を願います。

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西原大神宮大祭【にしばるさん】

春季大祭 2月11日

秋季大祭 9月11日

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鎮座地
熊本県荒尾市西原町






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