しかし、物見遊山でもよいのだ。
被災地の人の多くは、忘れ去られることを一番恐れている。
結局、被災地の状況を見ない限りは愛着も、復興しなければという気持ちが出ないと思う。
見たくない=関わりたくないという裏返しなのである。
別に見なくてもいいので、100万円ぐらい被災地の自治体に渡してもらえればそれのほうがよいに決まっている。
数千円とかつまらない額ではなく。
その額なら、被災地に旅行して飲んで歌って帰ってくれたほうが経済効果としてはプラスなのだ。
くだらない意見として、観光ではなく、ボランティアが必要なのでは?なんてものがあるが、要するに何もしたくないだけ、と言っているに等しい。
テレビの前でわかった気になっている、これで終わっているレベルと実際に見に行くということの大きな違いを考えてほしい。
考えるだけでは分からない、感じるべきだ。
面倒くさい被災地の人と交流なんてする必要はない、また、見世物として捕らえてもいい、そうならなおさら被災地の人とコミニケーションを取らなくて良い。
ハードルはないと思ってもらえばよい。
行けない、なら、金を遅れ。
観光で行くのが悪いと言って、被災地にお金を渡さず、自分の快楽に浸っていることを真面目に考えるべきだろう。
観光という言葉には、遊びの要素しか感じないおろかな人もいるようだが、ビジネストリップも立派な観光である。
本当に、ネットのつぶやきの愚かさには呆れるし、大変有害だと思う。
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