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2019年12月14日
44歳おじさんの無謀な挑戦!社会科教師が英語の免許を取得
高松空襲と本土空襲ー市民から見た第2次世界大戦ー【電子書籍】[ 真田まさお ]
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44歳おじさんの無謀な挑戦!社会科教師が英語の免許を取得
日本大学通信教育部英文学専攻に入学して、もうすぐ一年。
社会科教員の私にとって、畑違いの科目でしたが、何とか、単位修得試験にも半分の確率で合格しています。
語学の勉強は覚えることがたくさんありすぎて、大変。覚えても、覚えても、すぐに忘れていくのが現実です。
2018年の10月に入学して、2019年の6月の試験結果次第では、英語中学校2種の教員免許が取れる所まで学習が進んでいます。
〇6月に受験した科目。
1限目…英語学概説
2限目…イギリス文学史1
3限目…英米文学概論
4限目…スピーチコミュニケーションI
の四科目です。
この4科目の中で、必須科目を全て取ると、念願の中学校英語2種の単位が取得できます。
必須科目は英語学概説と英米文学概論。スピーチコミュニケーション?Tは必須科目ですが、スピーチコミュニケーション?Uの方がすでに合格なので、必須科目では無くなりました。
〇結果発表
1限目…英語学概説→合格
2限目…イギリス文学史1→不合格
3限目…英米文学概論→合格
4限目…スピーチコミュニケーションI→不合格
総合結果、2勝2敗。
ちなみに、これまで3回の試験全てが2勝2敗です。
今回のテストの結果は英語学概説と英米文学概論が合格です。
これで、必須科目全てを履修。
↓
中学校英語2種の単位を全て履修。
これで合計16単位を取った。
やったね!
後は単位を積み重ねて、高校1種と中学校1種に挑戦です。
苦節1年、44歳から始めた、おじさんの挑戦ですが、順調に進んでいます。
おじさんでも英語が出来るようになる。
これからも、勉強は年ではないことを証明していきます。
自分の脳みそに対して「よく頑張ったね♪」
44歳の無謀な挑戦はこれからも続きます。
日本大学通信教育部の活動について、詳しくはこちらで取り上げています。
世界が君を待っている英文学科大学生
にて配信しています。
タグ: 英語
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2019年11月15日
日本大学通信教育文学専攻に入学中!単位修得試験にチャレンジ2019年6月23日
チャレンジ料理人からチャレンジ高校教師へ飲食業店長高校教師になりました【電子書籍】[ 真田まさお ]
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日本大学通信教育文学専攻に入学中!単位修得試験にチャレンジ2019年6月23日
今年度2回目、通算3回目となる単位修得試験が6月23日(日)にあった。
ちなみに、10学生の場合、更新手続きをしない場合は最後の試験となる。
今夏のテストは、自分にとっては、とても大事なテストになる。
なぜなら、上手くいけば、今回のテストの結果次第では、必須科目を全てクリアーすることが出来る。
そうなると、中学校2種の免許を取得できる可能性がある。
〇受験科目
1限目 英語学概論
2限目 イギリス文学史?U
3限目 英米文学概論
4限目 スピーチコミュニケーション?T
この中で、特に力を入れたのが、必須科目。
英語学概論と英米文学概論です。
照準を絞り、英語学概説は教科書の内容を全て暗記するぐらいの勢いで、時間をかけて学習しました。
過去問を見ると、この英語学概説は、暗記だけでは解けない問題も多く、理解するのに多くの時間がかかった。
〇受験しての感想
〇1限目の英語学概説
ミスが何か所かあったが、何とか合格点には達しているかな。
唯一合格できそうな科目でした。過去問と同じパターンで出題されたので、全て記入することは出来た。
〇2限目…イギリス文学史1
おそらく、過去最悪の点数を取りそうです。(点数までは知らされません。)
過去問を中心に出題される問題を予想して学習しましたが、全ての予想が外れました。例えば、シェークスピアの4大悲劇が出題されると予想して暗記しましたが、試験では喜劇の方が出題されました。間違いなく不合格だと思います。
3限目…英米文学概論
かなり、力を入れた学習した科目ですが、分からなかった問題もたくさんありました。
今更ながらもっと勉強しておくべきでした。恐らくは不合格だと思いますが、合格の可能性も少しはあると思います。ここまでくると合格を天に願うだけです。
4限目…スピーチコミュニケーションI
すでに、スピーチコミュニケーション?Uの方が合格しているので、この科目に関しては少しだけ学習して、予備知識でのぞみました。
前回、受験した時に、簡単な表現で会話文をまとめて不合格だったので、今回は難しい表現を心掛けました。結果として、難しい表現で書くことが出来ず、今回も簡単な表現で会話文をまとめることしか出来ませんでした。
前回と同じようなレベルの解答だったので、今回も不合格の可能性は高いと思います。
日本大学通信教育部での活動は、詳しくはこちらのブログに記事をアップしています。
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2019年10月16日
ヒューマンアカデミーの日本語教師の講座に参加しての本音を語る
ヒューマンアカデミーの日本語教師の講座に参加しての本音を語る
日本語教師をめざしてヒューマンアカデミーに7月入校しました。
最初おどろいたのが、その学費、なんと、60万円以上、70万円未満の高額な学費。
学割を使って数万円安くなっても大きな出費です。( 日本大学通信教育部に在籍 )夏のボーナスだけでは足らず、泣く泣く、株式の一部を売却しました。
自分が選んだコースは文化庁が指定した420時間のカリキュラムの通学生の講座です。
この講座を履修すると、日本語教師になる条件を満たします。
通う生徒は、年配者が多く、ほぼ女性です。自分でも若い部類に入ります。(現在44歳)年配者が多いので、通いやすい環境と言えます。
授業形態もいろいろと選択でき、私自身は、土日のコースを選択しました。このコースだと卒業に1年から2年の月日が必要です。
授業は1コマ約3時間の長丁場、途中1回休憩を挟んで行います。
長いですが、座って話を聞くだけなので、なんとかなります。
授業の感想ですが、日本が難しいと感じました。
男女の言葉の違い、丁寧語、尊敬語、謙譲語、擬音語、擬態語、など日本人でもよくわかってないことが多々あります。
これなら英語の方が簡単と思いましたが、でも、日本語なので、何とかなりそうです。
まあ、気楽に、自分のペースでゆっくりと履修していく予定にしています。
ヒューマンアカデミーにはここから資料請求できます。
タグ: 日本語教師
2019年09月17日
ビジネスチャンスが到来‐少子高齢化に伴う外国人の流入と日本語教師
ビジネスチャンスが到来‐少子高齢化に伴う外国人の流入と日本語教師
コンビニや飲食店でやたらと多くなった外国人達。日本社会は大きく変わっていくのが身に染みて分かります。
日本社会は少子高齢化にともって、人口減が問題になっています。この人口減社会を埋めるべく、大量の外国人が日本にやってきています。
・みなさん、不思議に思いませんか?
コンビニや飲食店で働く外国人は普通に日本社会で日本語を使って接客をしています。
どこで日本語を学んだのでしょうか。
↓
答えは、日本に来る前に、それぞれの国の現地で、ある程度の日本語を学んでいます。
↓
そうなると何が問題になるのでしょうか?
↓
誰が、現地で日本語を教えるかです。日本語を教えるのは誰でも良いわけではありません。
日本語に関する専門的な知識を備えた人が求められます。
この専門的な知識を備えた存在が日本語教師と言うわけです。
大量にやってくる外国人を対象にすることが、ビジネスチャンスと言えます。
その1つが日本語の教育です。
自身が日本語教師になるのもよし、日本語学校を設立するのもよしと言えます。
日本語教師になるためにはここから資料を請求してください。
タグ: 日本語教師
2019年08月18日
日本語教師になるための学校に入学‐教員生活14年目のチャレンジ
日本語教師になるための学校に入学‐教員生活14年目のチャレンジ
夢だった高校教師になった私ですが、実はもう1つ大きな夢があります。
それは
↓
「いつかは外国に住んで安定した収入を得て働いてみたい。」
私自身将来は、外国で安定した収入を得て働いてみたいと願っていました。そこで、徹底的に外国で収入を得る方法を調べてみました。
そうすると、1つだけ、私でも、外国で安定した収入を得る方法があることに気づきました。
それが
↓
「日本語教師」です。
現在、日本社会は少子高齢化に伴い、大量の外国人が日本にやってきています。日本に来る前に、それぞれの国の現地で、ある程度の日本語を学んでいます。日本語教師は現在国内外で、需要が高く、引っ張りだこの状態です。
高校教師になって14年、昨年度から英語の勉強を本格的にはじめていますが、並行して日本語教師になるべく勉強をはじめました。まだまだ、挑戦は続きます。
日本大学通信教育での生活の詳しくはこちらのサイトのせています↓
世界が君を待っている英文学科大学生
にて配信しています。
現在実際にヒューマンアカデミーに通って日本語教師をめざしています。ほんと!お勧めの学校。
日本語教師になるための資料はここから↓
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私自身将来は、外国で安定した収入を得て働いてみたいと願っていました。そこで、徹底的に外国で収入を得る方法を調べてみました。
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高校教師になって14年、昨年度から英語の勉強を本格的にはじめていますが、並行して日本語教師になるべく勉強をはじめました。まだまだ、挑戦は続きます。
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現在実際にヒューマンアカデミーに通って日本語教師をめざしています。ほんと!お勧めの学校。
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2019年07月19日
社会科高校教師が英語免許修得にチャレンジ‐必須科目全てを受験★日本大学通信教育部
社会科高校教師が英語免許修得にチャレンジ‐必須科目全てを受験★日本大学通信教育部
英語の教員免許取得をめざして、日本大学通信教育部英文学科に入学してはや、10ヵ月経過しています。
これまで、仕事の合間を見つけて、コツコツと学習を積み重ねて、順調に単位も修得しています。
順調と言っても、現時点ではまだ、8単位が確定しているだけです。
英語は、暗記が多いので、40歳を超えた私にはとてもハードルが高い学問です。
正直覚える量が半端なく多く、大変です。こんなことなら、若い時にもっと勉強をしていれば良かったと思う毎日です。
暗記に関しては、英語の文字と発音をしっかり対応させて、繰り返し繰り返す、読んで暗記しています。
言いたいことは、若い時のように、ただ一生懸命、書くだけでは暗記は難しいと言うことです。
詳しくはまた、いつか記事を書いていきたいです。
これまで、単位修得試験を3回、4科目ずつ受験しています。
順調と言えば順調ですが、大変です。
来月上旬に試験結果が発表されるので、もし上手くいけば、必須単位の16単位が確定されます。
今は合格できるように、祈るだけの毎日です。
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タグ: 日本大学通信教育
2019年06月12日
形而上学について!哲学リポート-通信大学生必見
形而上学について!哲学リポート-通信大学生必見
現代世の中は非常に混沌としている。
多様化する国際社会、統合を始めたヨーロッパ諸国、や統一ドイツ、パンアフリカ思想、しかし、分離崩壊した旧ソ連、分裂したチェコスロバキアやユーゴスラビア、アフリカの細分化された独立、国際社会は一方では他民族が協力して1つの国家を作ろうと努力しているが、一方では独立運動をてんかいして分離独立を勝ち取って細分化されている。世界は同時に二面性をだしながら進んでいう。
世界の進むべき姿がわからない。
その他、戦争や民族闘争、これらによる人の命の価値の低下、殺し合い、人間同士の憎悪、破壊、憎しみが憎しみを呼ぶ終わりなき報復、がくり広げられている。がしかし、現代において、福祉国家の誕生、赤十字、発展途上国に対する資金や技術の援助、国際協調、などの世界の流れもある。世界にはいろんな状況が同時に存在していることが分かる。
また、本来人を救うべき存在である宗教が原因となって引き起こる宗教闘争、これは今現在でも、北アイルランド問題やイスラムの宗派での争いがありテロなどが発生している。これは宗教が人の救いを与える反面、人を不幸にしている。まさに、多面性である。人間個人に目を向けると凶悪化する犯罪、犯罪の低年齢化、孤立化、しかし、人間はお互いに協調し、そして一人じゃ生きられなくグループを作る。
今まで述べたことを考えると、まさに多様化、いろんなことが同時に起こり、分けが分からない時代である。人間とは本当に不思議な生き物、人間とはいったい何なのか、この多様化した時代で、人間が引き起こす、さまざまな問題を、人間の感情、自我、など、もっとも深くシンプルな基本となる部分をから考える必要があるのではないかと思われる。これこそが現代の形而上学に他ならない。
形而上学の最初の始まりは、古代ギリシアのアリストテレスである。アリストテレスの作品を編集した時、自然学関係諸巻のあとの本という名から始まる。アリストテレスはこの部分を第1哲学と呼び、ものの第1原理と原因を解明する学問。言いかえるなら、すべてのものの最高原理を研究し、その根本にあるものを解明するものである。
その後形而上学は中世になると、スコラ学の神学と結びつき発展を遂げる。18世紀にはいってヴォルフ学問を分類して、形而上学とは人間の自由とか魂の不滅や神の存在など、超経験論を考える部類の学問とし、存在論を展開した。
これに対しカントは存在論を独断論として反対した。カントは、経験に依存しなくても総判断が可能なである学問で、超越論哲学に基づく新しい形而上学を目指した。しかし、カントが目指した形而上学は難しく完成するのには険しい道のりだった。
その後、フィヒテはカントの哲学を受け継ぎ発展さした。フィヒテはア・プリオリ的な経験に依存しない判断で、人間の自我に関する可能性を考えていった。そして、その後、ヘーゲルは事物を、不変で、たがいに個々別々に引きはなされて存在し、それ自体では運動しなく、運動、変化の原因はその内部に持たないという、とれえかたの思考方法を唱え、形而上学を反弁証法的思考方法だと説いた。これは、知識をおおざっぱで全体的にとれえていたのに対して、細部にわたって個々別々にそれぞれの知識領域を研究していくようになったことを意味する。しかし、細部にわったて研究することは大切ではあるが、ものごとの全体や関連、発展、変化を見過ごしてしまう危険性である。そこで弁証法的な物事のとらえかたも必要となっていった。
現代の形而上学は近代のカント後の哲学にもどり、自己意識や自我についてもう一度考え直そうとする流れがでてきた。そして、自己意識を研究してきたドイツ哲学と一線を引いて独自の哲学を研究していた英語圏哲学にも自己意識を研究する流れが見え始めた。
ドイツでの現代形而上学の研究はハインリッヒである。ハインリッヒは近代の哲学は自己意識を研究してはいるが自己意識がどのようなもので他の知を根拠づける機能を持つという点にのみ研究が集中されたと考えた。結果、近代哲学は自己意識そのものは、それ自体で何かという点に対して説明不足であるとハインリッヒは思った。ハインリッヒは自己意識は何であるかとの問に関して自己保存という視点から考えようとし、この自己保存こそ自己意識は何という問を説くカギであるとした。
現代の英語圏の形而上学は言語分析における自己意識の研究である。私という言葉を通してこれがどのように機能し、そして、自己意識とは何かという問いに答えようとした。シューメーカーは私という言葉は、主観としての用法と客観としての用法の2つの文法的用法があるとした。この2つの用法により、私という言葉が自我であるがないかを研究した。これに対してアンスコムは私という言葉の自我性を2つの用法とも否定した。このように言語研究から英語圏哲学は自我をかんがえていった。
現代の形而上学は、近代の形而上学を基本とし、新しい形にしたものである。これは現代の多様化時代に適応するために近代形而上学が違う形に進化したといえるのではないか。
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2019年05月13日
哲学と科学の人間から見た違い!哲学(一般教養リポート)
哲学と科学の人間から見た違い!哲学(一般教養リポート)
人間という生き物は常に考え、あらゆるものに疑問を持つ動物である。そのことによって人間が地球上において食物連鎖の頂点に立ち現在の文明を作り上げた原動力になったと思われる。考えて見れば、僕自身子供の時、親に素朴な疑問をぶつけて困らしていた。
例えば、宇宙って何、UFOや宇宙人は本当にいるの、幽霊って何、空はなんで浮いているの、川ってどうやってできるの、男女になんで分かれているの。
自然、今考えただけでも疑問だらけであった。まさにこの世は不思議なことだらけである。だが、年をとるたびに、疑問を感じなくなった。いや、分からないことは考えないようになった。考えても分からないからである。答えがでないことは疲れるからあまりかんがえなくなった。
哲学や科学はまさにこの疑問から発生した学問といえるだろう。この世の中、宇宙の神秘のなぞを解く学問である。
しかし、僕自身この哲学を勉強する前は哲学と科学が同じ問いから発生した学問だとは思わなかった。哲学のイメージとして人間とは、なにかというようなイメージ、ようするに、あまりよく分からない学問、それに対して科学は数式が中心の数学的なイメージであった。まさに、論述的な学問と数学的な学問である。この2つの学問は方向性が途中から変わったようである。
最初は同じであったと思われる。例えば古代ギリシアのアリストテレスなどの有名な哲学者達、しかし、アリストテレスは科学の父とも言われ、その他の哲学者達も科学史では非常に有名である。この時代は哲学者兼科学者であると言えるだろう。
ここで疑問がある。なんでこの宇宙のなぞを考える学問が二つに分かれたかである。途中でその問、疑問に対して解明する方向が変化した。
まず、私の疑問であったことから考えると、光はなぜガラスや障子などを貫通して外に行くことができるかである。音と同じなのか、はたまた、幽霊のようなものなのか、すごく疑問であった。
しかし、この問は物理の勉強をした時なんとなくだがわかった。それは、光は波動性と粒子性を持っていること、トンネル効果なるものの存在、なにが起こるかわからないミクロの世界のこと、これらを自分なりに考え、ある程度ではあるがなんとなく、光が物を貫通する原因が自分の中で解明された。
また、これらの現象を数式に表すことができることも知った。これが科学である。しかし、どのようには分かったが、なぜこのようになるのかが不明である。なんで光は波動でもあり、粒子でも有るのか、そもそも粒子って何、波動って何なの、なんで物体の構造は電子と原子からできているの、電子って何、原子って何なの、掘り下げて疑問を追求すると、どんどん疑問がでてくる。疑問を究極まで考えるのが哲学である。
もう1つ例をあげると、たとえば、宇宙とはなにか、科学では、宇宙の構成物質は電子や原子などの小さい微粒子で構成される。そこにはもともと、人間が勝手に決めた価値観である、時間、力、位置、などの概念がないと考える。これを前提としていろいろな法則や物質の構成、結合、反応、自然などを観察や実験、理論をもとに研究をすすめていくのが科学である。あくまで、事実を元に考える学問である。
言いかえるなら答えを出そうとする学問。始めにあった人間の疑問、宇宙はなにかと言う問が宇宙とはどのようなものか、にすりかわっているのが分かる。そして、人間はどのようなものなのかで納得してしまうのである。
しかし、よく考えてみれば、純粋な疑問はなぜである。なぜ宇宙は存在するか、宇宙は何、なぜ存在するの、と言う問が忘れられている。哲学は究極の理由なぜや有るものや存在するものの根源の問いを考えるのである。しかし、答えはでない。考える行為そのものが哲学である。
次に、人間の思考である。私自身物心ついた頃からすごい疑問があった。それは、意識である。意識は自分だけが持っているのではないか、なんで自分は考えるのだろか、そして、最近思うのは実は自分自身ただのプログラムじゃないかとか。このような人間の思う、行う、有るなどの感情、自我は何なのか、科学で考えるならまだ、完全には解明されてはいないが、答えは近い将来にでるだろう。
例えば脳細胞の有る部分に記憶をつかさどる細胞があって、というふうに解明されるであろうが、しかし、根本的な問題の解決にはなっていない。なぜ人間は考える。なぜ記憶する。人間って何、思考はなに、というふうに無限に疑問が広がって、ついにはなんでこんなこと考えるかとかというふうに、もう、理解できなくなる。これが哲学である。
人間は答えを求めてしまう生き物なのかも知れない。だから、現在答えがでる科学の異常な進歩を引き起こし、哲学がついていけなくなるという現象を引き起こしたのではないだろうか。しかし、僕は思う。この世に答えなんてない。答えのでない哲学こそ、これからの学問の主流になるべきだ。
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タグ: リポート
2019年04月08日
科挙について東洋史概説-法政大学通信教育リポート・学生必見
科挙について東洋史概説-法政大学通信教育リポート・学生必見
科挙以前の官僚登用は、漢(前202〜220)で行われた察挙である。これは中央政府から地方に派遣された地方官が優秀な人材を見つけ推挙するというシステムである。だが、実際は地方で権力を持っていた豪族の意向に左右されることが多いシステムであった。
次は、三国時代の魏で3世紀ごろ作られた九品官人法である。これは地方に中正という官職を配置し、才能有る者などを、九段階の等級に分けて中央政府に推薦するというものである。しかし、初めはうまくいっていた制度だが、中正官はその地方出身者が原則であり、また、中正の官を地方の有力者が占有したため、自然に上品には地方の有力者の子弟が選ばれるようになった。そして、家柄などによって、官職が代々固定され、貴族層が形成され、能力に関係なく官僚が選ばれ結果となった。
九品官人法の問題点を解決するために、隋の文帝(581〜601)は中央の地方に対する統制を強化し、九品官人法を廃止し、始めて科目試験の方法で官職を選抜した。2代目の煬帝(605〜616)は科挙制度を正式に形成した。しかし、隋や唐(618〜907)代の科挙はまだまだ貴族中心の制度であった。だが、少しずつではあるが徐々に科挙の持つ実力主義の特徴が貴族による官僚独占構造を崩していった。
そして、科挙制度の、受験資格は国籍、貧富、身分に関わらず男性なら誰でも受験できた。例えば日本人の阿倍仲麻呂(698〜770)も採用され、節度使として活躍した。科挙制度は優秀な人材を採ると言うことには非常に合理的で、全ての男性に平等な制度と言えるだろう。しかし、科挙試験は非常に難しく、大変な勉強時間を必要としたため、実際に勉強できる環境にあるのは、収入的にゆとりのある貴族などの裕福な層の人間が大半を占めるといった矛盾点もあった。
そして、科挙が形式上、だれでも公平に受験できるようになり、もっとも科挙制度が花開いたのが宋(960〜1279)代である。
科挙は、中国の政治、文化、社会、国民性などを作り出すシステムとして大きな役割を果たした。例をあげるなら、科挙試験による画一された倫理観の養成、科挙制度によってもたらされる文化の普及、その他人と人を結ぶ役割。例えば、教育費、受験費用を援助するシステム、郷試や解試合格者などを地域あげて応援したこと、試験管と受験生のつながり、教育機関でのつながり、官界に入ってからの薦挙制度などによる人脈である。
科挙の試験科目は、経義(経書の解釈)、試賦(作詩)、論、策(論文)である。科挙合格の条件として古典に精通して、詩文を立派に作り、論文作成のための歴史知識をもつことが必要とされ、これらの教養を身につける事が合格の条件であった。
科挙官僚が多数いた宋代において経義に代表される儒教的価値観を身につけた科挙官僚が、宋代の権力者層を形成していった。この権力者層は士大夫と呼ばれた。また、科挙の学習は政治事情と深く関係した。例えば、宋代の王安石(1021〜1086)の率いた新法党が政権を担当したときには、科挙の試験科目から詩賦が除外され、経義が重視されることとなり、王安石を中心に作られた三経新義が教科書となり、受験生達は、王安石の学問一色に染められた。ところが、旧法党が政権を担当すると王安石の書物の使用が抑制され、詩賦が復活した。
そして、再度新法党が政権を握ると経義中心の王安石体制に戻った。
このように、科挙試験を通して国家や時の権力者が求める画一的価値観にそう自分に都合の良い官僚を育成することができた。また、科挙制度は受験科目である経義を通して、儒教的価値観を国に広める原因となり、広大な中国で1つの統一的な文化が生まれる原因になった。しかし、科挙試験とは関係ない学問は発達しにくいことや科挙試験だけの勉強にかたよることや科挙試験が国や権力者の国家統制に利用されるという弊害も同時に生まれた。
つぎに宋代の科挙試験には殿試と呼ばれる皇帝自らが試験管となる試験が設けられた。宋代では、科挙の合否の決定権は最終的には皇帝1人が握り、官僚の任命をするのも皇帝の役割だった。さらに宋代では「対」と呼ばれる直接皇帝に面会して意見を申す制度が発達した。これらのことは皇帝と科挙官僚の個人的なつながりや関係を深めていった。このことは、皇帝に権力が集中する宋代の政治体制に大きく関わった。また、官僚と皇帝の個人的なつながりは、官僚の発言力が皇帝の政治決断に大きな影響を及ぼした。
この宗代のシステムは大変すばらしいが、たいへん大きな危険性を含んでいた。たとえば、皇帝である徽宗(1082〜1135)は政治よりも文化に興味を持ち、政治はもっぱら科挙官僚に任してしまった。これは、皇帝徽宗の後ろ盾で専権をふるう宰相の出現をもたらした。科挙試験に若くして合格した、蔡京(1047〜1126)は皇帝に重用され、ついには宰相にまで登りつめ、専制をふるい、自分に都合の良い政治をして国を混乱させた。これは、宋王朝滅亡の1つの原因ともなった。
(中国史 尾形勇 岸本美緒 山川出版社 1998 参照)
(科挙と官僚制 平田茂樹 山川出版社 1997 参照)
記事を読まれた方はクリックをお願いします。
科挙以前の官僚登用は、漢(前202〜220)で行われた察挙である。これは中央政府から地方に派遣された地方官が優秀な人材を見つけ推挙するというシステムである。だが、実際は地方で権力を持っていた豪族の意向に左右されることが多いシステムであった。
次は、三国時代の魏で3世紀ごろ作られた九品官人法である。これは地方に中正という官職を配置し、才能有る者などを、九段階の等級に分けて中央政府に推薦するというものである。しかし、初めはうまくいっていた制度だが、中正官はその地方出身者が原則であり、また、中正の官を地方の有力者が占有したため、自然に上品には地方の有力者の子弟が選ばれるようになった。そして、家柄などによって、官職が代々固定され、貴族層が形成され、能力に関係なく官僚が選ばれ結果となった。
九品官人法の問題点を解決するために、隋の文帝(581〜601)は中央の地方に対する統制を強化し、九品官人法を廃止し、始めて科目試験の方法で官職を選抜した。2代目の煬帝(605〜616)は科挙制度を正式に形成した。しかし、隋や唐(618〜907)代の科挙はまだまだ貴族中心の制度であった。だが、少しずつではあるが徐々に科挙の持つ実力主義の特徴が貴族による官僚独占構造を崩していった。
そして、科挙制度の、受験資格は国籍、貧富、身分に関わらず男性なら誰でも受験できた。例えば日本人の阿倍仲麻呂(698〜770)も採用され、節度使として活躍した。科挙制度は優秀な人材を採ると言うことには非常に合理的で、全ての男性に平等な制度と言えるだろう。しかし、科挙試験は非常に難しく、大変な勉強時間を必要としたため、実際に勉強できる環境にあるのは、収入的にゆとりのある貴族などの裕福な層の人間が大半を占めるといった矛盾点もあった。
そして、科挙が形式上、だれでも公平に受験できるようになり、もっとも科挙制度が花開いたのが宋(960〜1279)代である。
科挙は、中国の政治、文化、社会、国民性などを作り出すシステムとして大きな役割を果たした。例をあげるなら、科挙試験による画一された倫理観の養成、科挙制度によってもたらされる文化の普及、その他人と人を結ぶ役割。例えば、教育費、受験費用を援助するシステム、郷試や解試合格者などを地域あげて応援したこと、試験管と受験生のつながり、教育機関でのつながり、官界に入ってからの薦挙制度などによる人脈である。
科挙の試験科目は、経義(経書の解釈)、試賦(作詩)、論、策(論文)である。科挙合格の条件として古典に精通して、詩文を立派に作り、論文作成のための歴史知識をもつことが必要とされ、これらの教養を身につける事が合格の条件であった。
科挙官僚が多数いた宋代において経義に代表される儒教的価値観を身につけた科挙官僚が、宋代の権力者層を形成していった。この権力者層は士大夫と呼ばれた。また、科挙の学習は政治事情と深く関係した。例えば、宋代の王安石(1021〜1086)の率いた新法党が政権を担当したときには、科挙の試験科目から詩賦が除外され、経義が重視されることとなり、王安石を中心に作られた三経新義が教科書となり、受験生達は、王安石の学問一色に染められた。ところが、旧法党が政権を担当すると王安石の書物の使用が抑制され、詩賦が復活した。
そして、再度新法党が政権を握ると経義中心の王安石体制に戻った。
このように、科挙試験を通して国家や時の権力者が求める画一的価値観にそう自分に都合の良い官僚を育成することができた。また、科挙制度は受験科目である経義を通して、儒教的価値観を国に広める原因となり、広大な中国で1つの統一的な文化が生まれる原因になった。しかし、科挙試験とは関係ない学問は発達しにくいことや科挙試験だけの勉強にかたよることや科挙試験が国や権力者の国家統制に利用されるという弊害も同時に生まれた。
つぎに宋代の科挙試験には殿試と呼ばれる皇帝自らが試験管となる試験が設けられた。宋代では、科挙の合否の決定権は最終的には皇帝1人が握り、官僚の任命をするのも皇帝の役割だった。さらに宋代では「対」と呼ばれる直接皇帝に面会して意見を申す制度が発達した。これらのことは皇帝と科挙官僚の個人的なつながりや関係を深めていった。このことは、皇帝に権力が集中する宋代の政治体制に大きく関わった。また、官僚と皇帝の個人的なつながりは、官僚の発言力が皇帝の政治決断に大きな影響を及ぼした。
この宗代のシステムは大変すばらしいが、たいへん大きな危険性を含んでいた。たとえば、皇帝である徽宗(1082〜1135)は政治よりも文化に興味を持ち、政治はもっぱら科挙官僚に任してしまった。これは、皇帝徽宗の後ろ盾で専権をふるう宰相の出現をもたらした。科挙試験に若くして合格した、蔡京(1047〜1126)は皇帝に重用され、ついには宰相にまで登りつめ、専制をふるい、自分に都合の良い政治をして国を混乱させた。これは、宋王朝滅亡の1つの原因ともなった。
(中国史 尾形勇 岸本美緒 山川出版社 1998 参照)
(科挙と官僚制 平田茂樹 山川出版社 1997 参照)
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2019年03月10日
必須科目を全て提出‐英語の教員をめざして/日本大学通信教育部編
必須科目を全て提出‐英語の教員をめざして/日本大学通信教育部編
英語の教員免許取得をめざして、日本大学通信教育部に入学しました。地歴公民の教員として働いている自分にとっては畑違いの科目。どうなるか自分自身、心配でしたが、何とか順調に進んでいます。これも、法政大学通信教育部を卒業して、通信教育の勉強にはなれているおかげかもしれません。
2018年の10月に、英語の免許取得のため、日本大学通信教育部に入学しました。そして、2019年の1月末には必須科目のリポートを全て出すことができました。単位数で言うと必須科目が16単位と+2単位、計18単位を提出したことになります。10月入学と言っても、9月ぐらいから学習が出来たので、実質は約5カ月です。
日本大学通信教育部英文学科の場合、必須科目16単位だけを取れば、中学校の2種の英語の免許が取得できるようになっています。後は、選択科目8単位と教育法の4単位を余分に取得すれば、中学校1種と高校1種が取れます。
リポート提出に関しては、課題を理解して、教科書や参考文献、インターネットなどに書いている内容をまとめていく作業。資料を見ながらの作業なので、英語力よりも、文章力や読解力が重要になってきます。英語力があまり無くても、時間さえ費やせば、誰でも書くことは出来ます。
リポートの作成だけで言えば、文学部史学科だろうと、英文学科だろうと、大差はありません。リポートの書き方は基本的に同じです。
このブログは史学科以外の学部でも、 リポート作成 のやり方は参考に出来ると思います。
このブログにあるように、私自身、とりあえず、リポートを書いて出すことを優先しています。あれこれ考える前に、書いて出すことが重要です。
日本大学通信教育部での活動については、詳しくはこちらを参考にしてください。
→ 世界が僕を待っている日本大学通信教育部英文学科に入学編!The world is waiting for me
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タグ: 日本大学通信教育