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2020年04月07日
中野剛志さんに「MMTって可笑しく無いですか?」と聞いてみた 第二回
中野剛志さんに 「MMTって可笑しく無いですか?」と聞いてみた 第二回
〔貨幣・お金〕の成り立ちとは 解説
中野剛志氏
MMT・Modern Monetary Theory は、その名にmonetaryと有る様に〔貨幣〕から出発する理論です。現代の世界では、私達は単なる紙切れに過ぎない〔お札〕を〔お金〕として使ったり、貯め込んだりしています。単なる紙切れの〔お札〕が、どうして〔貨幣」として使われて居るのか?
資本主義経済で〔貨幣〕がどの様に機能して居るのか? それを解き明かしたのがMMTです。そして〔貨幣とは何か?〕を理解すれば、国家財政に付いて正しい認識を持つ事が出来ます。先程の〔国債を発行して財政支出を拡大すると、民間金融資産(預金)が増える〕と云う事も、それが当たり前の事だと理解出来る筈です。
・・・では、MMTは〔貨幣〕をどう理解して居るのですか?
・・・勿論です。
【マネーの本質】 何故、単為る〔紙切れ〕の紙幣で買い物が出来るのか?
〜1990年代から日本は、国債を発行し捲くって政府債務残高がドンドン増えて、多くの経済学者やエコノミストが〔国債金利が高騰する、高騰する〕と言い続けて来た。しかし、長期国債金利は世界最低水準に有るのが現状だ。何故、予測は外れて来たのか? 中野剛志氏は 「そもそも、貨幣を正しく理解して居ない事」 に問題があると言う。では、貨幣とは何か? 何故、単なる〔紙切れ〕の紙幣で買い物が出来るのか? 説明して貰った〜
単なる紙切れの「お札」で、何故買い物が出来るのか?
・・・前回、中野さんは〔主流派経済学〕が〔貨幣〕を正しく理解して居ないと仰いました。では、MMTは〔貨幣〕をどう理解して居るのですか?
判りました。では、それをご説明する前に、私から質問しても好いですか? 貴方は、単なる紙切れの〔お札〕が、どうして〔貨幣〕として流通して居ると思いますか?
・・・そうですね・・・皆がその〔お札〕を受け取ると信じて居るからでしょうか。
そう答える人が多いですね。では、何故、皆はその〔お札〕を受け取ると信じて居るのですか?
・・・うーん・・・
答えられ無いですよね? 皆が〔お札〕を受け取るのは、皆が〔お札〕を受け取ると信じて居るから。では、何故皆が〔お札〕を受け取ると信じて居るかと云うと、皆が信じて居るから・・・これを〔無限退行〕と言いますが、説明に為って居ない訳です。しかし、実は〔主流派経済学の標準的な教科書〕とされる『マンキューマクロ経済学?T 入門編』(グレゴリー・マンキュー著、東洋経済新報社、2010年)でも、同じ様な説明がされて居ます。読んでみましょう。
「原始的な社会では、物々交換が行われて居たが、その内に、何等かの価値を持った『商品』が、便利な交換手段・・・詰り貨幣として使われる様に為った。その代表的な『商品』が貴金属、特に金である。これが、貨幣の起源である。しかし、金そのものを貨幣とすると、純度や重量等貨幣の価値の確認に手間が掛かるので、政府が一定の純度と重量を持った金貨を鋳造する様に為る。
次の段階では、金との交換を義務付けた兌換紙幣を発行する様に為る。こうして、政府発行の紙幣が標準的な貨幣と為る。
最終的には、金との交換に依る価値の保証も不要に為り、紙幣は不換紙幣と為る。それでも、交換の際に皆が受け取り続ける限り、紙幣には価値が有り、貨幣としての役割を果たす」
最後の一文をご覧ください 「交換の際に皆が受け取り続ける限り、紙幣には価値が有り、貨幣としての役割を果たす」 と云うのは、先程の貴方の意見と同じ事です。要するに 、「皆がおカネがおカネだと思って居るから、皆がおカネをおカネだと思って使って居る」 と云う訳です。これが〔主流派経済学の標準的な貨幣論〕なんです。
しかし、この主流派経済学の説が正しいとすると、貨幣の価値は 「皆が貨幣としての価値が有ると信じ込んで居る」 と云う極めて頼り無い大衆心理に依って担保されて居ると云う事に為ります。そして、もし人々が一斉に貨幣の価値を疑い始めてしまったら、貨幣はその価値を一瞬にして失ってしまう訳です。
・・・そう言われると、随分頼り無い議論ですよね・・・
ハッキリ言って苦し紛れの説明です。何故、その様な説明をせざるを得無いかと云うと〔主流派経済学〕が 〔商品貨幣論〕 を採って居るからです。
・・・〔商品貨幣論〕とは?
「物々交換から貨幣が生まれた」と云う学説は否定されて居る
先程のマンキューの説明が典型ですが〔貨幣の価値は、貴金属の様な有価物に裏付けられて居る〕と云う学説です。物々交換は面倒臭いので、金や銀等のそれ自体で価値の有るモノを選んで、それを〔交換の手段〕としたと云う訳です。だけど、この商品貨幣論は間違いです。
・・・間違いですか? 日本でも過つてはコメが貨幣として流通して居たそうですから、納得出来る様な気がするんですが・・・
嫌、この考え方は間違いだと本当は私達は既に知って居ます。何故なら、1971年にドルと金の兌換が廃止されて以降、世界の殆どの国が貴金属による裏付けの無い〔不換貨幣〕を発行して居ます。処が、誰も貨幣の価値を疑いはしませんでした。そして、マンキューがそうで有る様に〔商品貨幣論〕では、何故不換貨幣が流通して居るのかに付いて納得出来る説明が出来無いのです。
ソモソモ、イギリスでは17世紀後半、擦り減って重量が減った銀貨が流通して居ましたが、物価や為替相場に全く影響を与えませんでした。銀貨にはそれ自体に価値が有るから流通して居るのだとすれば、擦り減った銀貨が同じ価値で流通して居るのは可笑しな現象と云う事に為りますよね?それに、イギリスは19世紀に一時期、ポンドと金の交換を停止して居る時期がありましたが、その頃ポンドは使われ無く為ったかと云うと、逆で、ポンドが国際通貨としての地位を確立したのは、マサにその時期だったんです。
・・・そうなんですか?
エエ。
・・・と云う事は、過つて人々は金貨・銀貨それ自体に価値が有るから貨幣として使って居る積りだったけれど、実は、別の原理に依って貨幣の価値は裏付けられて居たかも知れない・・・と云う事ですか?
そう云う事に為りますね。それに、貨幣の起源を研究した歴史学者や人類学者・社会学者達も、今日に至る迄誰も〔物々交換から貨幣が生まれた〕と云う証拠資料を発見する事が出来ませんでした。それ処か、硬貨が発明されるより数千年も前のエジプト文明やメソポタミア文明には、或種の信用システムが既に存在して居たのです。
例えば、紀元前3500年頃のメソポタミアに於いては、神殿や宮殿の官僚達が、臣下や従属民から必需品や労働力を徴収すると共に彼等に財を再分配して居ました。そして、神殿や宮殿の官僚達が臣下や従属民との間の債権債務を計算したり・簿記として記録する為の計算単位として貨幣と云う尺度を使って居ました。メソポタミアで出土した粘土板にその記録が遺されて居るのです。
又、古代エジプトは私有財産や市場に於ける交換は存在し無い世界でしたが、ソコに貨幣は存在して居ました。その貨幣も又、国家が税の徴収や支払い等を計算する為の単位として使われて居たのです。
・・・詰り、金貨や銀貨と云った鋳貨よりも先に、帳簿で記録したり計算する為の単位として貨幣が存在して居たと云う事ですか?
そう云う事です。実際、世界史上、金属貨幣が初めて鋳造されたのは小アジアのリディアで、メソポタミアや古代エジプトから遥か後の紀元前6世紀頃の事だとされて居ます。
・・・非常に興味深いですね。帳簿上の貨幣単位が先に在って、後で現物貨幣が生まれたのが歴史的事実だとしたら、貨幣が物々交換や市場に於ける取引から生まれたとする〔商品貨幣論〕は間違いと云う事に為りますね。
エエ。歴史学・人類学・社会学に於ける貨幣研究に依って〔商品貨幣論〕は既に否定されて居ます。勿論〔貨幣とは何か?〕に付いては、現在も様々な説がありますが、少なくとも〔商品貨幣論〕の様な素朴な貨幣論を未だに信じて居る社会科学は最早〔主流派経済学〕位のものです。
・・・では、商品貨幣論が間違いだとしたら、貨幣とは一体何なのですか?
〔貨幣〕とは〔借用証書〕である
MMTが立脚して居るのは 〔信用貨幣論〕 と云う学説です。
・・・〔信用貨幣論〕とは?
イングランド銀行の季刊誌(2014年春号)の解説が判り易いので、それに基づいてご紹介しましょう。その解説は
「商品貨幣論が根強いけれども、それは間違ってます。信用貨幣論が正しいんですよ」 と云う趣旨で書かれて居るのですが、ソコに
「今日、貨幣とは負債の一形式であり、経済に於いて交換手段として受け入れられた特殊な負債である」 と云う文章があります。要するに、貨幣は〔特殊な借用証書〕だと云うのが〔信用貨幣論〕なんです。
・・・一寸、何を言って居るのか判りません・・・
ですよね・・・その季刊誌では〔信用貨幣論〕の意味を判り易く説明する為に 「ロビンソン・クルーソーとフライデーしか居ない孤島」 と云う架空の事例を挙げて居ます。その孤島で 「ロビンソン・クルーソーが春に野苺を収穫してフライデーに渡す。その代わりにフライデーは、秋に獲った魚をクルーソーに渡す事を約束する」 とします。この場合春の時点で、クルーソーがフライデーに対して〔信用〕を与えると共に、フライデーにはクルーソーに対する〔負債〕が生じて居ます。
そして、秋に為って、フライデーがクルーソーに魚を渡した時点でフライデーの〔負債〕は消滅する訳です。しかし、口約束では証拠が残りませんよね? そこで、約束をした時に、フライデーがクルーソーに対して〔秋に魚を渡す〕と云う〔借用証書〕を渡します。この〔借用証書〕が貨幣だと云う訳です。
・・・確かに、クルーソーは、秋に為ってその〔借用証書〕をフライデーに渡せば魚と交換出来ますから〔貨幣っぽい〕様な気はしますが、飽く迄もクルーソーとフライデーの間での取り決めと云うだけでは無いですか?
では、話を少しアレンジしましょう。この島には、クルーソーとフライデー以外に、火打ち石を持って居るサンデーと云う第三者が居るとします。そして、サンデーが〔フライデーは約束を守るヤツだ〕と思って居ると共に〔魚が欲しい〕と思って居れば、クルーソーはフライデーから貰った〔秋に魚を渡す〕と云う〔借用証書〕をサンデーに渡して、火打ち石を手に入れる事が出来るでしょう。
更に、この三人に加えて、干し肉を持って居るマンデーと云う人も居たとします。そして、マンデーも〔フライデーは約束を守るヤツだ〕〔魚が欲しい〕と思って居るとすれば、今度は、サンデーが例の〔借用証書〕をマンデーに渡して干し肉を手に入れる事が出来るでしょう。
その結果、フライデーは〔秋に魚を渡す〕と云う債務を、マンデーに対して負ったと云う事に為ります。そして、秋に為ってマンデーがフライデーから魚を手に入れれば、フライデーの〔借用証書・負債〕は破棄される訳です。
・・・為る程。確かに、その様に〔借用証書〕が流通すれば貨幣と言えそうですね。イングランド銀行の季刊誌が〔貨幣とは負債の一形式である〕と書いて居る意味が少し判って来ました。
誰かが誰かに「負債」を負った時に「貨幣」は生まれる
此処で重要なポイントが2つあります。第一に重要なのは、クルーソーとフライデーの野苺と魚の取引が、同時に行われるのでは無く、春と秋と云う異なる時点で行われると云う事です。だからコソ、そこに〔信用〕と〔負債〕が生まれ、フライデーが負った〔負債=借用証書〕が貨幣として機能して居るのです。
もしも、野苺と魚を同時に交換する〔物々交換〕で有った為らば、取引が一瞬で成立するので〔信用〕や〔負債〕は発生しません。そして、ソコには〔借用証書〕=〔貨幣〕も必要とされ無いと云う事に為ります。
・・・為る程。そう考えると、先程のメソポタミアの粘土板に刻まれた記録の意味も判る気がします。神殿や宮殿の官僚達が、臣下や従属民から必需品や労働力を徴収すると共に、彼等に財を再分配して居たとの事ですが、徴収と再配分は異なる時点で行われる筈ですから、誰からドレだけ徴収してその人にドレだけ再配分し無ければいけ無いかを記録する必要が有りますものね。そして、その〔信用〕と〔負債〕の記録が貨幣の起源と為ったと。
そうです。だから、先程私は 「エジプト文明やメソポタミア文明には、或る種の信用システムが既に存在して居た」 と言ったのです。貨幣は〔物々交換〕から生まれたのでは無く〔信用システム〕から生まれたのです。
・・・詰り、こう考えても好い訳ですか? フライデーがクルーソーに〔秋に魚を渡す〕と云う負債を負った為に〔借用証書〕が生まれた様に、誰かが誰かに負債を負った瞬間に〔貨幣〕は生まれると。
そう云う事ですね。〔貨幣を創造する〕とは〔負債を発生させる〕事だと云う事なんです。これは〔信用貨幣論〕の非常に重要なポイントなので好く覚えて置いてください。但し、此処で2つめの重要なポイントがあります。
と云うのは、債務を負った人は〔借用証書〕を発行しますが、誰が発行した〔借用証書〕でも貨幣として流通する訳では無いからです。負債には常に〔デフォルト・債務不履行〕詰り借り手が貸し手に返済出来無く為ると云う可能性があります。そこには、必ず〔不確実性〕が存在して居るのです。だから、誰の負債でも、貨幣として受け取られると云う事には為りません。
先程のクルーソー達の島でも、フライデーの事を〔アイツは約束を守るヤツだ〕と信頼して居なければ誰もフライデーの〔借用証書〕を受け取ら無いでしょうから、貨幣として流通する事は無い訳です・・・詰り、デフォルトの可能性が殆ど無いと全ての人々から信頼される〔特殊な負債〕のみが貨幣として受け入れられ、流通する様に為るのです。これを、イングランド銀行の季刊誌では、貨幣は 〔信頼の欠如と云う問題を解決する社会制度である〕 と表現して居ます。
・・・為る程。詰り〔信用貨幣論〕に依れば、円・ポンド・ドル等の貨幣は、デフォルトの可能性が殆ど無い政府(中央政府+中央銀行)が発行する〔借用証書〕だから貨幣として受け入れられ、流通して居ると云う事ですね?
マァ、一応はそう言う事が出来ますね。
・・・だけど、凄くモヤモヤします。1万円札が政府の〔借用証書〕だとしたら、それを政府に持って行ったら何かを貰える筈ですよね? クルーソーがフライデーに〔借用証書〕を持って行ったら魚を貰える様に・・・過つての金本位制の様に〔金〕と交換して貰えるなら〔借用証書〕だと思えますが、今はそうでは無いですよね?
それでしか税金を支払え無いから〔紙切れ〕に価値が生まれる
そうなんですよ。実際、イギリスの5ポンド紙幣には 「要求有り次第、合計5ポンドを所持人に支払う事を約束する」 と述べる女王の姿が描かれて居るだけです。
・・・本当ですか? 幾ら女王様が保証して下さっても、5ポンド紙幣と引換えに別の5ポンドを渡されるのでは意味が無いですよ。そんな約束をして居るだけの貨幣はヤッパリ只の紙切れとしか言え無いのでは無いですか? 〔信用貨幣論〕に付いて色々お話を伺って来ましたが 「単なる紙切れの〔お札〕が、どうして〔貨幣〕として流通して居るのか?」 と云う最初の質問に結局の処応えられ無いじゃないですか?
そんなに怒らないでください(笑)MMTは、その問いにこう応えます。先ず、政府は円やポンドやドルを自国通貨として法律で定めますが、次に何をするかと云うと、国民に対して税を課して法律で定めた通貨を〔納税手段〕として定める訳です。
これで何が起こるかと云うと、国民に取って法定通貨が〔納税義務の解消手段〕としての価値を持つ事に為ります。納税義務を果たす為にはその〔法定通貨〕を手に入れ無ければ為りませんからね。此処に、その貨幣に対する需要が生まれる訳です。
こうして人々は、通貨に額面通りの価値を認める様に為り、その通貨を民間取引の支払いや貯蓄等の手段として・・・詰り〔貨幣〕として・・・利用する様に為るのです。要するに 「人々がお札と云う単なる紙切れに通貨としての価値を見出すのはその紙切れで税金が払えるから」 と云うのがMMTの洞察です。
貨幣の価値を基礎付けて居るのは何かと云うのを掘って掘って掘り進むと〔国家権力〕が究極的に貨幣の価値を保証して居ると云う認識に至ったのです。
・・・為る程・・・詰り、フライデーが発行した〔借用証書〕をクルーソーがフライデーに持って行ったら魚が貰える様に、政府が発行した〔借用証書」を政府に持って行ったら〔租税債務〕を解消して貰えると云う事ですね?
そう云う事です。
・・・確かに、その説明には説得力を感じます。納税義務に違反すれば罰則を科せられると云う〔強制力〕が貨幣の価値の根本に有ると云うのはリアリティが有りますよね。しかも、納税義務は国民に一斉に課す事が出来るものですから、一斉に貨幣需要が生まれる事にも為ります。
ええ。国家の〔徴税権力〕と云うのは強烈な権力ですからね。それに、これは歴史的にも実証されて居る事です。
中野剛志氏
第二回 おわり 続いて 第三回へつづく
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