2012年01月04日
田原坂=西南戦争の古戦場?@
田原坂は、高瀬街道木葉駅から植木に通ずる坂路。
豊岡の眼鏡橋解説板
豊岡の眼鏡橋
植木町指定文化財
植木町大字豊岡
平成五年十二月三日指定
この石造眼鏡橋は両脚の幅十一・二メートル、
高さ四・四メートルある。輪石の厚みは四十五
センチで、輪石と輪石を楔石で継いだ単一ア
ーチ橋である。最後の行に、享和壬戌二年十月
吉日の陰刻がある。年号のはっきりしている
石造眼鏡橋では、熊本県内で最古の橋といわ
れている。
享和二年は一八〇二年であるから、江戸時
代後期にあたる。
この橋を渡り、川沿いに添って旧道があり、
国道二〇八号線へ出た所に「田原坂攻撃官軍第
一線陣地阯」の石標が建っている。官軍は田原
坂本道の丘の右翼及び左翼へこの川沿いの旧
道を通り、本眼鏡橋を拠点に出撃して行った。
川の名は滑川といわれ、この眼鏡橋は左記
有志の篤志により架橋されたと推定される。
上流側の楔石に鈴麦村田原村庄屋彦次郎、正院会所詰弥兵衛、
右同総代寿三郎、右同甚兵衛、右同良助
下流側の楔石に山本郡口川、内田手永月田村、石工理左衛門、
右同吟右衛門、右同次平、右同惣八、正院手永
円台寺村、右同大平、南関手永関東村、大工嘉
右衛門とある。
平成十五年三月二十六日
植木町教育委員会
豊岡橋(とよおかばし)
石工=理左衛門、次平、惣八
橋長12.80m。橋幅4.30m。橋高4.40m。径間11.20m。
西南戦争田原坂攻撃に際して、この橋は、官軍出撃の拠点であったという。
明治十年三月四日、官軍は、豊岡眼鏡橋を渡り、攻撃を開始した。
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豊岡の眼鏡橋
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この石造眼鏡橋は両脚の幅十一・二メートル、
高さ四・四メートルある。輪石の厚みは四十五
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ーチ橋である。最後の行に、享和壬戌二年十月
吉日の陰刻がある。年号のはっきりしている
石造眼鏡橋では、熊本県内で最古の橋といわ
れている。
享和二年は一八〇二年であるから、江戸時
代後期にあたる。
この橋を渡り、川沿いに添って旧道があり、
国道二〇八号線へ出た所に「田原坂攻撃官軍第
一線陣地阯」の石標が建っている。官軍は田原
坂本道の丘の右翼及び左翼へこの川沿いの旧
道を通り、本眼鏡橋を拠点に出撃して行った。
川の名は滑川といわれ、この眼鏡橋は左記
有志の篤志により架橋されたと推定される。
上流側の楔石に鈴麦村田原村庄屋彦次郎、正院会所詰弥兵衛、
右同総代寿三郎、右同甚兵衛、右同良助
下流側の楔石に山本郡口川、内田手永月田村、石工理左衛門、
右同吟右衛門、右同次平、右同惣八、正院手永
円台寺村、右同大平、南関手永関東村、大工嘉
右衛門とある。
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石工=理左衛門、次平、惣八
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明治十年三月四日、官軍は、豊岡眼鏡橋を渡り、攻撃を開始した。
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