2011年06月15日
観心寺=河内長野市・山号=檜尾山
観心寺
=大阪府河内長野市・真言宗・山号=檜尾山
正面山門
大宝元(701)年、役小角(えんのおずぬ)の創立と伝え、弘仁年間(810〜823)に、空海が再興したという。
貞観十一(869)年、官寺に準じる定額寺(じょうがくじ)となった。
平安時代前期(承和年間の製作と推定されている)の如意輪観音像は、密教彫刻の特色である官能美と神秘性を強く表出している。
祭壇
建掛塔(国宝)
楠木正成が三重塔を建立中に討死してしまい、初層のみに屋根を付けたという。
観心寺関係文書700余点が、『大日本古文書』「観心寺文書」として刊行されている。
訶梨帝母天堂
訶梨帝母天堂(鎮守社・鎮守堂ともいう)=河内長野市寺元476に所在。
創建年代未詳。
興国五(1344)年に焼失し、後村上天皇の命により、楠木正行(くすのき・まさつら)が再建したと伝える。
現在の建物は、天文十八(1549)年に建てられ、慶長十九(1614)年に豊臣秀頼の命により、修理が行われた。
建物の構造は、一間社春日造で、正面に軒唐破風(のきからはふ)が設けられており、屋根は檜皮葺(ひわだぶき)。
訶梨帝母天は、サンスクリット語のハーリティーを音写したもので、鬼子母神とも呼ばれ、他人の子供を掠(さら)って食べていた。そこで、仏陀は、一計を案じられて、彼女の子供の一人を隠して、子を失う親の苦しみを悟らせられた。それ以後、訶梨帝母は、改心して、仏教を守護するようになったという。
正面山門
大宝元(701)年、役小角(えんのおずぬ)の創立と伝え、弘仁年間(810〜823)に、空海が再興したという。
貞観十一(869)年、官寺に準じる定額寺(じょうがくじ)となった。
平安時代前期(承和年間の製作と推定されている)の如意輪観音像は、密教彫刻の特色である官能美と神秘性を強く表出している。
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祭壇
国宝観心寺金堂・重要文化財同建掛塔修理工事報告書 (1984年)
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建掛塔(国宝)
楠木正成が三重塔を建立中に討死してしまい、初層のみに屋根を付けたという。
観心寺関係文書700余点が、『大日本古文書』「観心寺文書」として刊行されている。
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訶梨帝母天堂
訶梨帝母天堂(鎮守社・鎮守堂ともいう)=河内長野市寺元476に所在。
創建年代未詳。
興国五(1344)年に焼失し、後村上天皇の命により、楠木正行(くすのき・まさつら)が再建したと伝える。
現在の建物は、天文十八(1549)年に建てられ、慶長十九(1614)年に豊臣秀頼の命により、修理が行われた。
建物の構造は、一間社春日造で、正面に軒唐破風(のきからはふ)が設けられており、屋根は檜皮葺(ひわだぶき)。
訶梨帝母天は、サンスクリット語のハーリティーを音写したもので、鬼子母神とも呼ばれ、他人の子供を掠(さら)って食べていた。そこで、仏陀は、一計を案じられて、彼女の子供の一人を隠して、子を失う親の苦しみを悟らせられた。それ以後、訶梨帝母は、改心して、仏教を守護するようになったという。
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