7月に義父が亡くなったのだが
この年はとても暑い夏が続いていた
通夜・告別式共 それはまあ本当に暑い中のことで
亡くなった日から 少し日を空けないと会場が取れなかったため
エンバーミングをしてもらった
驚くほど 生き生きとした雰囲気になり
まるで そこで眠っているだけかのような義父だった
そのきれいな顔を見ていただくことができて
通夜に来ていただいた方々にも ゆっくりお別れしてもらえた
そして この時の体験で
" 遺されたもの " の様々な仕事やら 役目やらを考えさせられたのだ
8月になって 新盆だと信じ切っていた私たちは
「亡くなってから四九日も過ぎていないのに 新盆の訳はないでしょう!」と
当の和尚さんに叱責されてしまった
確かに理屈上はそうであるが
自分の実家のあたりは 旧七夕の前までに亡くなれば
その年に 新盆を済ませる習慣があった
商家が多い地域がら
翌年の盆まで喪を長く引きずらないように
商習慣として そうしていたのかもしれない
なので 四十九日の法要は仕方のないこととして
翌年 新盆
そのまた翌年 3回忌・・・と
毎年法要をするのは 正直 多すぎないかと
罰当たりのような言い方だが
和尚さんのご都合をお伺いし
家族・親族の都合がなるべく重なる日程を模索し
その日程に沿った法要を営むのは そうそう簡単なことではない
それも 今回のケースでは3年連続・・・
結果的には
義兄夫婦が とてもスピーディーに動いてくれたので
この年はもちろんのこと
翌年以降も 法要関係は とてもスムーズに営まれた
故人を偲ぶことは 大切なことだし
家族にとっても 親族の皆と顔をあわせる機会を設けるのは
こういう時だからこそ、の大事な時間かと思う
けれど やはり大変だった・・・というのも正直な気持ち
時間的にも金銭的にも そして遠い親族は物理的にも・・・
同じ仏教でも 宗派が違えば 捉え方も違ってくるし
檀家さんの数で お寺さんから要求される内容も違ってくる
地域性もあるとは思うが
静かに故人を偲んでいきたいと思った夏だった
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