2022年01月01日
新年のご挨拶
ご訪問頂き有難うございます。感謝致します。
新年明けましておめでとうございます。皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。
そして今年もどうぞ宜しくお願い致します。
新しい年の幕開けですね。皆様にとって良い年となりますように、私にとっても良い年となりますように(笑)そんな1年を過ごしていけたらと思っています。
年末の3日間は正直、色々ありました。母方の伯母でブログにも登場しますが予知夢が100%当たる霊的な力を持っているあの伯母です。ここ2週間で認知症がバタバタと進行しました。92歳ですしもう料理も掃除も出来なくなってここ3〜4年は毎日「昼食分、夕食分、翌日の朝食分」の料理を作って母と私で届けています。メニューは色々ですが肉が苦手だった伯母が認知症になってからは「肉肉肉!」と言い出して「美味しい美味しい」と食べるようになりました。食べても忘れて「たまには肉が食べたい」と言うのですが、ほぼ毎日お肉を食べています、私以上に(笑)
それが年末の27日くらいから話していても動きが止まりボーっとする、返事が出来ない、理解力が極端に落ちてしまいまして。母が豚肉の生姜焼きを食べさせて「今、何を食べてる?」と聞くと「……これ」と肉を指差します。豚肉とか肉と言う言葉は出ません。週に2回病院へ行っていますが病院側が送迎をしてくれます。次回の受診日を赤い字で書いた紙を渡されるのですが、それを見せてと母が言うと「高島式易断暦」という1年の運勢の本を持ってくる始末。
お正月は父の妹である伯母や、伯母の息子夫婦や従妹などが集まります。なかなか忙しい中で伯母を家で一人でおいていては危ないと病院に母が相談しました。しばらく入院が出来ないかと。29日にその連絡をしました。27日から伯母の事を考えると私も眠れず母も眠れずでした。母にとっては一番上の姉で母は一番下です。伯母が結婚した後に母は生まれています。そして伯母の子が生きていたら母と同い年でもあります。母親といっていいくらい年が離れています。
伯母は当時よくあったのでしょうが、祖母が勝手に結婚相手を決めました。相手は奇麗な顔の男性でしたが超の付く遊び人。伯母を大事にせず伯母に自分の両親と妹の世話を任せて自分は女遊びという人でした。伯母は2回身籠りますが2回とも赤ちゃんは死産でした。女遊びで性病をうつされて、妊娠中に医者に注射された薬で死産になったそうですがそれから妊娠出来なくなりましたから子供はいません。その後に離婚し再婚しましたが、その旦那さんである伯父さんは女遊びはしませんでした…が、大酒飲みでギャンブル狂でした。
伯母が稼いだお金は全て借金の為に払います。伯母がしっかりしているのできちんと払います。ですから伯父にお金を貸す人も多かったそうです。伯母が風邪で寝込んでいても、タンスを開き部屋中ひっくり返してお金を探す伯父。尋常じゃないギャンブル狂で大酒飲み、女遊びをしないというだけで最悪です(笑)伯母はしっかりしていたので伯父があんなんじゃなかったらお金にも苦労する事なんて無かったのにと思うのですが、大阪に住んでいたのに伯父がお酒を飲み過ぎて肝臓を壊し一時的に認知機能が低下してしまい祖母がその頃は健在でしたので九州に来て伯父は入院する事になりました。大阪にいる時は数年に1回会うか会わないかでしたが私自身が中学生くらいの時に伯母がこちらに住むようになりましたのでそれからの付き合いです。
30日は伯母の今年最後の病院受診でした。その後看護師さんと話し入院について話す予定でしたが、私は母に「入院させるのは簡単だけど寝てばかりでする事も無いし、病院だとカードを買ってテレビも家のようにつけっぱなしにも出来ないでしょう?それに認知がもっと進んで伯母はもうあの家に帰れないかもしれないよ?伯母の家は車で5分だから毎日行ってるんだしその回数を増やそうよ。日に1回を2〜3回に増やそうよ。介護認定がおりたらデイケアも上手く使おうよ」と。すると母は泣き出して「入院したらもう帰って来れないと思ったんよ。そうしよう。協力してお正月でも親戚が来てても何回か顔を出して様子を見よう。病院での入院は断ろう」と言ってくれました。
92歳になる伯母ですが介護認定を持っていません。87歳か88歳の頃に申請したのですが要支援さえもなりませんでした。認知症は軽度でトイレも入浴も自分で出来るからです。今は痛いと体も動かさないし認知症は極端に酷くなりました。要支援ならデイケアには通えます。要介護だとデイサービスが利用できます。92歳ですので極端なリハビリは無理ですが入浴と昼食を利用出来るのは心強いので介護認定がきちんとおりれば良いなと思います。お正月明けたら役場に申請に行きます。
30日は朝8時半に母が伯母の家へ行き、洋服も素肌にセーターとかを着るので服を着せて送迎してくれる方に挨拶をして送り出し、その後すぐに私と母は病院へ行き入院は断る事を伝えました。介護認定次第で出来る事も増えるし前向きで行こうと思います。そして伯母は150cmくらいで体重が84kgあります。ドラえもん体型です(遠い目)以前着ていた服が着れません。母と一緒にお正月の準備の買い物と伯母用の大きなサイズの服を買いに行ってきました。
セーター2枚、肌着1枚、下着のパンツ2枚、ズボン1枚、コート1枚。5Lサイズで1万円くらいで揃えられました。また正月明けて追加でズボンを4枚、タートルネックシャツや追加で肌着も購入予定です。タンスや収納ラックに入っている洋服は全て着れませんので処分ですね。数ヶ月おきに洋服を買ってあげていたのですがそれを着回していたのでついでに一気に購入しました。ただ大きいサイズは横幅に合っていますがコートやズボンは全て袖丈が長いんで切って縫っておかないといけません。横幅はあれど背は小さいので。4日から伯母は病院受診があるのでそれまでに服の補正をしなくてはと思います。私の野望、寝正月は・・・無理なようです(笑)
介護というのは難しいですよね。気力も体力もごっそり奪われてしまいます。でも伯母の為に何故するか?奇麗事でも無く「伯母が好きだから」です。超好きなんです(笑)今では子供のようになった伯母ですが、伯母が若い頃はちゃきちゃきしていて気が強くて。認知症が酷くなる前までは体が弱い私を心配してくれて。伯母が亡くなれば後悔がきっと襲ってきます。「もっとああしてやれば良かった。こんな事も出来た」という後悔を最小限にしたいからです。もっともっと認知症が進行すると私の事も母の事も分からず家で暮らせなくなるかもしれません。だったらその時は私達の手では看る事が出来なくなる事を考えると、今しか無いと母と話しました。今出来る事をしようと。過去を振り返らず、出来る事をしようと。出来ない事は出来ないんだから(笑)
そんな感じで、今は1日に3回伯母の家に行っています。30日の夜に伯母から電話がかかってきました。
「電話を待ってるのにかかってこない」と。詳しく話を聞くと「テレビが映らず見れない」との事で行くとリモコンを触って映らなくなっているだけでした。「伯母が電話を待っているというのは意味が分からない」と母が言うので「電気屋さんからの電話を待っているって事だと思うよ。テレビが映らない→テレビが壊れた→修理する→電気屋さん→電話を待っているって事じゃない?」と言うと母が何で分かるの?と言っていました。だって介護福祉士持ってますので(笑)HSPは相手に共感するとか寄り添うのは得意なんです。まぁ、伯母が本当にそう思っているかは分からないんですけど(笑)
昨年は11月から父方の伯母の大火傷から始まりオカメの福ちゃんを預かって、年末は母方の伯母の認知症の進行で色々あり本当に慌ただしかったです。勿論、今日も午前中から親戚が来ますし夕方まで忙しい中で何回も伯母の様子を見に行くつもりです。
伯母は動物が苦手なので家の中で育てていると大騒ぎになるので家で数日泊まってもらう訳にもいきません。台風の日に迎えに行って連れてきたら、ワンコを見て「帰る!」と家にまたすぐ送りとどけた事もあります。
失敗から学びつつ上手く行くように思えばそうなります。前向きな気持ちで何でもやろうと新年早々に課題を伯母に貰いました。無理せず出来る事からやっていきます。本日の画像は制作している宝箱です。お宝一杯なので縁起物として1月のカレンダー画像にしてみました。
新年早々、長いブログとなってしまいましたがお読み頂き有難うございました。感謝致します。
寒い日々です、皆様お身体ご自愛下さいますように。
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