2021年06月23日
若葉の頃に(3)小学生〜中学1年生編
ご訪問頂き有難うございます。感謝致します。
本日は小学生時代、ピンポイントで5年生時のお話をさせて頂きます。
当時の私は背が高くて太めで(今もですが)大柄な体型でした。体は大きいですが、繊細で傷つきやすいのは周りの子と同じです。だって女の子なんですから。ですが当時はよく1つ上の先輩達に意地悪やいじめをされていました。体が大きいから目立っていたんだと思います。
ある日、母にバレエシューズタイプのフラットな青い靴を買って貰いました。ワンポイントにサテンの小さなリボンが付いています。服装指定などが無い小学校ですから、嬉しくて買って貰った靴を履いて学校へ行きました。放課後になり帰ろうと下駄箱を見ると…靴がありません。下駄箱近辺を探しましたが見当たらずです。そこで私はいつもの変な力を発揮します。頭にふっと「ここを探そう」と浮かぶのです。浮かんだ先は「運動場の一番端っこにある錆び付いた金属製のゴミ箱」です。今考えても不思議ですが我ながら、考えもしない場所が浮かぶものです。それもピンポイントで浮かびました。
下駄箱から運動場の端までは結構、距離があります。行ってみれば案の定、汚されて踏まれて黒ペンで落書きされた靴がそこにありました。この靴はせっかく母に買って貰ったのに、1度履いただけでこんな目に遭ってしまい悲しくてポロポロ涙が出ました。犯人は…5人。1つ上の先輩達です。笑いながら「生意気にこんなん履いて」と踏みまくっている姿も想像出来ました。悲しいけれど、その靴はそのままにして上靴で家に帰りました。
その事を母に話すと、母は当然怒っていましたが「よく捨てられていた場所が分かったね!」と変な所で驚かれました。そういうの分かる娘でしょうが!(笑)変に感が鋭くなったりするのもいつもではありません。霊が見える時と見えない時があるように、異常に感覚が冴える時があったりします。そのお陰で見つけられましたが、当時から嫌なエネルギーを感じやすかったので、その靴にはあの意地悪5人組のエネルギーを感じましたから靴は持って帰らず家に帰って来ました。どうぜ洗ってもボロボロにされ油性のマジックで落書きされているので奇麗にはなりません。
ある時は、帰り際に待ち伏せされました。そしてわざと擦れ違って、擦れ違い様に私の肩にその子達が肩をぶつけて通るんです。ドンッ!またドンッ!と。子供ながらに頭に来ましたが、悲しい顔をしたり泣いたりすれば一層相手を喜ばせてしまうだけです。なので知らん顔の無表情で小走りで帰ったりしていました。
そんな事がもう、何度も日常的に起きていました。どうも私自身が「生意気」に見えたようです。話した事も私の性格も何も知らないのに(笑)自慢じゃないですが、子供の時から心優しき動物好きの女の子です(笑)
冬になると黒のタイツや紺色のタイツ、赤いタイツなどを服に合わせて穿いていました。母が喘息があるから足元も冷やさないようにの配慮だったのですが、色々なタイツを穿く私が「生意気」だと言われた事もあります。「寒いから」と答えても「生意気、格好つけて」と言い返される始末です。
そして意地悪5人組が卒業し6年生になり、私が中学生になったらその意地悪5人組は中学2年生です。また意地悪が始まりました。中学1年生の頃、ロッカーは教室の外に備え付けてありました。そしてそのロッカーというか棚に、美術で使う絵の具を入れていたキティちゃんの赤いバス型の缶ボックスを置いていました。ある日の朝に教室に入る前にロッカー棚を見ると絵の具がバラバラになっているのを見つけました。可愛いキティちゃんの缶ボックスは盗まれていました。5人組が持って行ったんです。1人がキティちゃん好きだったんでしょうね(笑)ただその缶ボックスは捨てられてはいないと思いました。誰かの部屋に置いてある状況が浮かんだからです。誰かまでは分かりませんが、浮かんだのが5人のうちの2人なので、2人のうちのどちらかが持って帰ったんだと思います。証拠が無いですし、酷い事をされても私はひたすら黙って我慢していました。
私は色々意地悪な事をされても平気な顔をしていましたが、実際には嫌だし悲しいし辛かったのです。当たり前ですが私もまだ10代前半の普通の女の子です。先日小学校を卒業したばかりの。歩いて帰る道すがら泣いていました。家に帰ってからも両親に話す時は泣いていました。逆に両親は怒り、兄は「泣くぐらいなら相手をぶっ飛ばせ」という始末(笑)いや、その教育はどうなのか(笑)
そんな事が繰り返されて、ある時に帰りに待ち伏せされました。その日は5人のうち、3人だけでした。帰りにまた肩をぶつけて擦れ違うを何度かされました。辛い気持ちを隠し、知らんふりして通り過ぎようとしたら「何か反応しろ!」と一番背の高いSさんが私を突き飛ばしました。前のめりで砂利道で転び、砂利に両手で踏ん張りましたが、両膝をついてしまい石で擦り傷が出来て出血してしまいました。私の足の擦り傷を見てその時はそれで終わったので家に歩いて帰りました。
正直な事を書けば、当時に私が思っていたのは「自分自身で気が付いて欲しい」という事です。父にも兄にも殴られても向かって行く私。殴られてもへこたれず、むしろ闘争心の塊です。兄とのケンカで30?pの定規など私に持たせたらもう、無双です(笑)殴ろうと思えばいつでも殴れると思っていました。ですが女の子ですし、殴るという行為は兄以外にはしたくありません。だから辛いなりにも、いつか本人達自身で「こんな事はおかしい・やめるべきだ」と気が付いて欲しかったのです。私以外にも意地悪をしていたようでしたから。
ですがその思いも、父が私の膝小僧を見て終わりを迎えました。それから数日し父の車に乗せられ、車に乗っている時に突き飛ばしたSさんが自転車に乗っている所に出会いました。父はSさんに「どんな理由からかは聞かないけれど、相手に怪我させるような事はいけない。今回が最後で2度目は無いよ。仲間にも言っておきなさい」と話し、Sさんもビックリして「はい」と返事をしていました。Sさんが伝えたのか、Sさんを含む5人は私に意地悪を直接する事も無くなりました。
Sさん、Uさん、Sさん、Gさん、Mさんの5人でしたが、意地悪で有名だったようで後で聞いた話は、Uさんは教師が注意してもUさんの母親は「うちの子の事は放っておいて下さい。何をしようと娘に任せています」と聞く耳持たずだったそうです。間違った行為をしても娘任せで良いと。
Gさんの母親は「うちの〇〇ちゃんがそんな事する訳ありません!」と逆切れで怒ったりと、今で言う「モンスターペアレント」の走りだったように感じます。いじめられた子の親がGさんの母親に直接言っても、「うちの〇〇ちゃんは良い子なんですよ!そんなウソをつかないで下さい!」といつだって返すそうです。それだけ苦情が出ていたにも関わらずです。他の子達にも意地悪やいじめをしていたんだと後で聞かされました。筋金入りの意地悪な人達でした。可愛らしい顔をした女の子達だと私は当時は思っていたのですけれど。可愛い顔して意地悪だなと(笑)
あの時、子供ながらに意地悪をしてくる5人に意地悪で返さなかったのは良かったと、今でも本当に思います(笑)ケンカしても勝っていたと思うんです、だって体も私の方がずっと大きかったですし、兄とのケンカに慣れている野生児でしたから。ただ、私自身の顔があっさりした「こけし」の様な顔なので大人しく見えて意地悪し易かったのかもしれません。ショボイ顔だと損をしますね(遠い目)
本当は泣いていても面と向かっては平気な顔をして飄々としている所がいじめっ子達には面白く無かったんだと思います。あの時、私ももっと言い返していたらそれはそれでどうなっていたのやら?
今もなんですが、私はとても大人しく見えるそうです。初対面でもそう言われます。しかし私を知ると、大人しくは無い事に気が付くようです。人に意地悪もしませんが、ハッキリと物を言うので言い返されると思わない人にはビックリされます。ですが最近は私も成長しケンカにならないように、相手の考えも尊重し、それでも合わないとそっと離れるというスタンスでいます。「こけし」のような目も口も小さいショボイ顔なので大人しく見えるようですが、人は見かけによらないものです(笑)ちなみに私の両親も兄もハッキリした顔立ちでこけし顔は私だけです。
子供時代にと言っても、中学生になれば善悪の区別はある程度つきます。いじめをしていた子が成長し人の親になる。ですが負のエネルギーもまた循環します。どこかで断ち切らないといけません。
可愛いキティちゃんの赤いバスの缶ボックス。盗られてしまった後は、絵の具は適当な巾着袋に入れていました。巾着袋はシンプルなデニム生地だったので盗られませんでした(笑)でもよく考えれば、教室に入る前の教室の外側にロッカーがある事が問題だと思います。誰でも盗られる可能性があり、誰にされたか分からないからです。私以外の子も盗られたりしていました。ロッカー棚とは本来、教室の中にあるはずですよね?問題のある作りの中学校でした(遠い目)
子供のいじめはなかなか無くなりません。だって大人の社会の縮図が子供の社会だからです。大人の社会こそいじめも意地悪も足を引っ張ったりもある。だったらどうするか?
それは…人それぞれの個性を認める事、尊重する事、干渉しない事。シンプルです。
個性を認めず、相手を踏みにじり、過干渉する。真逆だと問題は起こるばかりです。そうならないように私も日々気を付けようと思っています。
何十年経っても、記憶に残っています。乗り越えたけれど、記憶はあります。意地悪した方は忘れているのでしょうが、された方は覚えています。不思議ととても嫌な記憶という程ではありません(笑)結局、私も相手も子供だったんです。だから昔の事ですし許せています。青い靴はあの頃とても悲しかったけど、あの可愛い靴は私の記憶に残っているので大丈夫です。母に夕方に靴屋さんに連れて行って貰い、自分で選んで買って貰ったという嬉しかった記憶が残っていますから。その靴屋さんも今はもう閉店してしまってます。時代の流れですね。
キティちゃんは特別好きだった訳では無く、プレゼントで貰った物で大切にしていたから悲しかっただけです。子供の時から貰った物には気持ちが込められていると思っていて、その気持ちを大切にしたかったから盗られた事が悲しかったのですが、本当はマイメロの方が好きでした(笑)
今回のお話、もう昔過ぎて嫌になりますね。若かったんですよね、私も(笑)
ああ、中学生に戻りたい!でも勉強はしたくない!テストなんて真っ平です。
本日もお読み頂き有難うございました。感謝致します。
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