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2014年09月17日
カサブランカ(モロッコ)
カサブランカは、モロッコ最大の都市であり、モロッコの商業・金融の中心地。アフリカ有数の世界都市です。
カサブランカとはポルトガル語、スペイン語で「白い家」の意
1515年に、ポルトガル人によって町の再建が行われ、町を"Casa Blanca"(ポルトガル語で「白い家」)と名付けたのです。
しかし、1755年に起こったリスボン大地震によってカサブランカも甚大な被害を受け、ポルトガル人はカサブランカを去ったのです。
カサブランカはアラウィー朝モロッコに統合され、1770年からムハンマド3世によって町の再建工事が行われ、町は要塞化されました。
18世紀からはスペインと、19世紀に入るとそれに目を付けたヨーロッパの列強諸国との間で交易が始まり、主にウールの積出港として発展しました。
人口も急激に増大し、1830年に600人だった人口は、1868年に8,000人にまで成長した。
しかし、ヨーロッパ列強に対する住民の不満は募っていた。1907年に港湾工事を行っていたヨーロッパ人労働者を住民が殺害したのを機に、暴動に発展。
フランス、スペインが軍艦を派遣し、カサブランカを砲撃、フランス軍はカサブランカを占領。そして1912年、モロッコはフランスと保護領条約を締結し、カサブランカはフランスの保護領となったのです。
フランス保護領モロッコの初代総督に就いたウベール・リヨーテ将軍がカサブランカを商業の中心として整備を推進。
第二次世界大戦中はドイツ軍によってフランスが占領されたために、戦争当初は親独のヴィシー政権の支配下にありましたが、連合国軍の北アフリカ侵攻によって連合国軍に占領され、自由フランスに復帰。
1943年にはカサブランカ会談が開かれました。
第二次世界大戦後の1956年にモロッコがフランスから独立し、フランスはカサブランカから撤退。
その後カサブランカはモロッコ最大の都市として繁栄し、世界各国から観光客が訪れ、モロッコの経済の中心地の地位を占めているのです。
カサブランカなどカナリア諸島クルーズはこちら
ローマ外港「チビタベッキア」
チビタベッキアはイタリア、ラツィオ州、ローマ県にティレニア海に面した港町です。
首都ローマから西北西に約80キロの距離にあります。
チビタベッキアとは“古代の街”を意味しています。日本との関わりが深い街で、1615年に慶長遺欧使節団を率いる市倉常長が日本人として始めて上陸しました。
チビタベッキアからローマへは電車で約1時間半。
主な見所としては日本聖殉教者教会(La Chiesa Dei Santissimi Martiri Giappones)
1597年に長崎で殉教した日本26聖人を記念して1862年に建設されました。
教会の内部には1951年から1954年にかけて日本人画家の長谷川路可により描かれたフレスコ画があり、その中の聖母マリアおよびイエス・キリストは安土桃山時代の着物を着た姿で描かれています。
ローマ(チビタベッキア)発着クルーズはこちら
2014年09月08日
韓国の木浦(mokpo)に寄港
シーボーン・プライド(Seabourn Pride) で韓国の木浦(mokpo)に着きました。ちょっと散策したら韓国国鉄の駅を見かけました。ディーゼル特急「セマウル」号で木浦からソウルまで4時間で行けるそうです。
ソウルまで足を伸ばしたかったのですが、寄港時間の関係で断念しました。
木浦駅で待機中のソウル行き特急「セマウル」号
韓国国鉄自慢の高速列車は待機していませんでした。
シーボーン・クルーズのことを知りたい方はこちら。
シャンパンにキャビアが無料
ラグジュアリークラスのクルーズに乗船すると、朝食にシャンパンが提供されます。
終日航海日の朝は、ゆったりとした気分でシャンパン・ブレックファーストはいかがでしょうか?
写真はセイル・アウェイパーティの様子です。 ゲストにシャンパンと「キャビア」が振る舞われています。(キャビア、シャンパンは乗船料に含まれています)
シーボーンクルーズの「売り」といえば、キャビア・イン・ザ・サーフですが、寄港地がビーチリゾートでない場合は、船のデッキにて行われます。
シーボーン・クルーズのことを知りたい方はこちら。
2014年09月07日
シーボーンクルーズのウエルカムシャンパン
シーボーン・クルーズに乗船すると、あなたのスイートルーム(シーボーンでは客室のことをスイートと呼びます)にウェルカムシャンパンが届きます。
シーボーン・クルーズで提供されるシャンパンは、フランスで最も消費されている「ニコラ・フィアット」。
ニコラ・フィアットは、創始者が現存する唯一のシャンパン・メーカーです。
18歳の若さで渡米した彼は、コーヒー豆の輸入で大成功。1960年代に故郷で畑を譲り受けたことからフランスに帰国。1976年、独自のシャンパンブランドをつくることを決意しました。
醸造設備からパッケージまで、常に一流を目指してきた彼の情熱とセンスが反映されています。
ブームの火付け役はアメリカのジェット・セッターたちです。
今ではシーボーン・クルーズ以外では、パリの高級ホテルやレストラン、多くの航空会社で採用されています。
シャンパーニュ地方で最も近代的な設備を備え、その技術と伝統的なつくり手の知識と経験を活かすことで、ニコラ・フィアットのこだわりのシャンパンをつくることができるのです。
シーボーン・クルーズのことを知りたい方はこちら。
2014年09月06日
シーボーンクルーズの客船は全室スイートルーム
今回利用したスイート(客室)はA3で、一番お手頃なAと比べて1フロア上の階です。
ほぼ中央に位置しておりましたので、レストランを始めラウンジなどの
パブリックスペースへ移動する際は非常に便利でした。
シーボーンクルーズの最低クラスのスィートでも約26?uと十分な広さですが、
実際に部屋を見ると更に大きく感じます。
同等クラスのリージェントやシルバーに比べると、
バスルームとデスクまわりが狭く、その分リビングエリアが
広くなっているのが特徴です。
ベッドはダブルorツインに変更可能です。
ベッドの高さとマットレスの硬さはほど良い感じ。
硬さの異なる2種類の大判の羽根枕。
シーツは肌触りの良い上質のコットン。
薄いダウンの掛け布団。
シーツ交換は、枕の交換です。ベッドパットまで交換していました。
いつも真白なシーツをシワひとつなくベッドメイクしてあります。