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2020年05月02日
60年前に引退した「氷川丸」のエピソード
「氷川丸」運航していた日本郵船は戦前、北米や欧州など数多くの海外航路を有し、当時の世界の著名人も利用していました。
幾多もの歴史に残る客船や貨客船を世界の海に浮かべていたのです。
ブリッジから晴天に恵まれた横浜港を眺める。
過去を遡ること1922年(大正11年)
アインシュタインが夫人とフランスのマルセイユ(10月5日)から
神戸(11月17日)まで「北野丸」に乗船していたとの記録もある。
1930年に処女航海を行なった「氷川丸」(11,600トン)は
戦前戦後30年間にわたって横浜〜シアトル間に就航していた。
その乗船客のひとりに1932年(昭和7年)には
喜劇王チャップリンも乗船しました。
氷川丸の一等乗客専用のダイニングルームです。
単に食事をとるだけでなく、乗客同士のコミュニケーションの場でした。
氷川丸就航時のディナーを再現。
正統派のフランス料理です。
その後も秩父宮夫妻、フルブライト留学生、宝塚歌劇団など多彩な乗客も迎えた氷川丸。
秩父宮殿下夫妻がご乗船された一等客室のベッドルーム。
一等客室にはベッドルームの他にリビングもあります。
“客船”と言う華やかな顔を持つ半面、太平洋戦争では病院船として徴用され、
敗戦直後には復員引退者輸送に尽力したと言う時代の荒波にもまれた歴史を持ちます。
1953年、再び貨客船として
「北太平洋の花」
と言う憧れの存在であり続けた。
1960年8月、惜しまれながら引退。
処女航海からちょうど60年の歳月が流れていた。
戦中戦後に12年間の中断はあったものの、北太平洋の波涛をくぐり抜け横断すること
238回。
25,000人と言う人々の船旅を支えてきたのです。
そして、引退の翌年「横浜港開港100周年記念事業」の一環としては生まれ故郷である横浜に係留されたのである。
あれから60年経った現在、世界の客船が停泊する横浜大桟橋から山下公園側を望む一角に佇む姿は、長らく横浜港のシンボルであり続け、日本人にとって“客船”のイメージを
形成してきたのです。
氷川丸の引退を持って、日本郵船はクルーズ客船事業から撤退したが、「ポスト氷川丸」となる客船建造計画を模索した時代でもあったのです。
日本郵船百年史の「二引きの旗のもとに」に以下のような記述がある。
「氷川丸引退か?」
この噂を伝え聞いた社内外から
「何とかもう一度、客船を作ってくれ」
と言う声が、潮のように押し寄せてきたと言う。
日本郵船もクルーズ 客船事業を存続すべきか。撤退の道を選ぶのか。
非常に「もの」と「人」で作る芸術品であり、その国の文化遺産でもある。
ヨーロッパでは、外洋を走る豪華客船を持たなければ、一流の海運会社とみなされない時代があった。
金があれば、誰でもタンカーを持つことができる。それは「もの」自体だからである。
しかし、客船は、金で買うことはできない。「人」自身だからである。
しかし客船を継続することは一つの文化の伝承である。
この日本に、伝承できるものは日本郵船しかいないと自負する。
氷川丸引退の7年前の1953年、観光事業審議会は太平洋客船の建造について取り上げ、閣議決定に持ち込んでいる。
そして1959年には超党派の「太平洋客船懇談会」ができ、その委員長に就任したのは田中角栄氏であった。
1964年に東京オリンピック、70年に大阪万博と国際的イベントを控えていた日本国内で「海洋国家日本のシンボルとして、新しい客船を」と言う声が官民問わず高まってきた。
日本郵船はこの気を捉え、1959年に作成していた新造船計画「太平洋横断客船建造計画関係資料」を田中委員長に提出する。
その内容は前出の「二引きの旗のもとに」によれば次のようなものであった。
3万1000トン、航海速力26ノット(※1ノット=時速1.852キロ)、最高速力31ノット、客室定員1200人。
これを2隻揃えて、サンフランシスコ、ロサンゼルスの航路に配船する。
船価は2隻で当時の金額で 概算300億円。日本船主協会、海運造船振興協議会など業界団体から客船建造の要望書が提出された。
ホノルルやロサンゼルスの日系人商業会議所から総理大臣あての要望書も到着した。
運輸省(現在の国土交通省)は田中委員長の強力なバックアップと、これらの要望により、1959年度予算で一般会計10億円、財政投融資13億7500円の予算案を策定。
計画通りに進めば第一船は1963年7月、第二船は1964年7月に完成するはずだった。
しかし、天災が夢のプランを本当に夢のままにしてしまう。
59年9月に猛烈な台風が紀伊半島や東海地方を襲い、5000人以上の死者・行方不明者を出した伊勢湾台風である。
当時の大蔵大臣・佐藤栄作氏は客船に当てていた予算を伊勢湾台風被害復旧に回すことを決定。
こうして新造船プランは伊勢湾台風と言う風と共に去ってしまう。
日本郵船首脳は、ジェット機時代を迎えて、「もはや客船の時代は去った」と判断するしかなかった。
経済合理性という厳しい現実が、氷川丸の引退。そして客船事業からの撤退を決断した。
日本郵船百年史の「二引きの旗のもとに」より
★ ☆ ★ Luxurious Cruise Collection ★ ☆ ★
このブログでは豪華客船の中の豪華客船「ラグジュアリークルーズ」をご紹介しております。あなたが最初に乗ったクルーズが本質的なサービスを提供する客船ほど人生を豊かにするものはありません。
2019年12月19日
クルーズは生活体験型旅行
■カテゴリー:ラグジュアリー
サービスのレベル及び宿泊環境:高級リゾートホテルと同等のサービス
(ゆとり度・サービス満足度が高い)
クルーズ料金レベル(1泊):250ドルから(但し宿泊費食事代込み)
主なクルーズ会社:クリスタルクルーズ、シルバーシークルーズ、
リージェントセブンシーズ、シーボーンクルーズライン等
競合リゾートホテル:高級リゾートホテル
(ハワイ・オアフ島400ドル以上(食事代金や税金など別)
■カテゴリー:プレミアム
サービスのレベル及び宿泊環境:リゾート&スパ
クルーズ料金(1泊):200ドル前後から
主なクルーズ会社:プリンセスクルーズ、
ホーランドアメリカライン
競合ホテル:都市型滞在ホテル
■カテゴリー:カジュアル(マスマーケット)
サービスのレベル及び宿泊環境:都市型ホテル
クルーズ 代金(1泊)100〜150ドル
ロイヤルカリビアン、カーニバルクルーズライン
競合ホテル:都市型チェーンホテル
成功するためのクルーズ旅行とは、
観光目的でどの方面に行くかと併行して、
クルーズは船上生活「体験型旅行」でもあります。
どのようなクルーズ船で
「船上生活ライフスタイル環境や体験」を
望むのかの視点から 船を選ぶべきである。
活動的なものが良いのか
それとも ゆっくりした時間を過ごしたいのか
を過ごしたいのかも
検討を加えるのがお勧めです。
サービスのレベル及び宿泊環境:高級リゾートホテルと同等のサービス
(ゆとり度・サービス満足度が高い)
クルーズ料金レベル(1泊):250ドルから(但し宿泊費食事代込み)
主なクルーズ会社:クリスタルクルーズ、シルバーシークルーズ、
リージェントセブンシーズ、シーボーンクルーズライン等
競合リゾートホテル:高級リゾートホテル
(ハワイ・オアフ島400ドル以上(食事代金や税金など別)
■カテゴリー:プレミアム
サービスのレベル及び宿泊環境:リゾート&スパ
クルーズ料金(1泊):200ドル前後から
主なクルーズ会社:プリンセスクルーズ、
ホーランドアメリカライン
競合ホテル:都市型滞在ホテル
■カテゴリー:カジュアル(マスマーケット)
サービスのレベル及び宿泊環境:都市型ホテル
クルーズ 代金(1泊)100〜150ドル
ロイヤルカリビアン、カーニバルクルーズライン
競合ホテル:都市型チェーンホテル
成功するためのクルーズ旅行とは、
観光目的でどの方面に行くかと併行して、
クルーズは船上生活「体験型旅行」でもあります。
どのようなクルーズ船で
「船上生活ライフスタイル環境や体験」を
望むのかの視点から 船を選ぶべきである。
活動的なものが良いのか
それとも ゆっくりした時間を過ごしたいのか
を過ごしたいのかも
検討を加えるのがお勧めです。
クルーズ旅行の極意(1)
クルーズ旅行では、世界中で300隻以上のクルーズ船が就航しています。
それぞれに個性が有り、その寄港地や
サービスの多様性は非常に豊富です。
したがってクルーズ旅行には極めて
多くの選択肢がある事に気がつくのです。
クルーズ旅行とは
「ONE TRIP TWO VACATIONS」
「一度の旅行」で 「2つの異なった休暇」を
楽しむことが出来る旅なのです。
船の寄港地として訪ねる世界の「観光地」「名所」に加えて、
船上での生活・体験が旅の思い出を作るのです。
旅行の観光地も大事ですが、船上でのライフスタイル体験の充実度も
「クルーズ客船」「クルーズ会社」を選ぶ際の重要な要素になるのです。
クルーズ船社側は自社の経営方針に基づき、
1〜2年先の就航海域やルートの企画します。
そして各種調査を経て最終的なスケジュールを作成します。
その配船先を企画する際、クルーズ船社は「絞り込んだ」客層の意向や
予算などを見極めて船の就航する海域を決めます。
そして船上に於ける文化<食事・娯楽等の船上プロダクト>を
演出(つまり船上生活の環境を決める)している。
従って アメリカ船客が中心のクルーズ船のクルーズライフは
先ず アメリカ人にとって心地よいアメリカ的「日常性の環境」
よりに成立っている
ヨーロッパ人従業員・船員+アメリカ人船客
=船員と船客が作るアメリカ的船上ライフスタイル環境
このような傾向は何もアメリカ船だけの問題ではない。
ドイツ船は限りなくドイツのライフスタイルを取っているし
フランス船には フランス的な食生活が満喫できる船に成っている。
船上での生活がクルーズ旅行の大きな楽しみであるが故に、
どのような船を選ぶかがクルーズ旅行の「満足度」の決め手になるのです。
自分が最も自分に合った船を選ぶには、クルーズに詳しい
旅行代理店のアドバイスを求める事をお勧めします。
特にクルーズ船社の多くは 「豪華客船」と言う表現を使い
船旅の魅力を売っているケースが多いのです。
これらのミスマッチを少なくするためには
クルーズ旅行を計画される場合、クルーズ船社のパンフレット。
これは外観はどれも華やかで綺麗に出来ており、
超豪華とかの表現も氾濫しクルーズ船社の特徴や
区別・差異が良くわからないケースが多いのです。
旅行代理店のアドバイスやインターネット情報等を出来るだけ集め、
積極的に活用し、「豪華」とか「非日常性」等の言葉に惑わされず
値段のみならず、冷静に船上でのライフスタイルと言う視点からも
比較検討をされることをお勧めします。
船上で生活をする訳で 船上でのサービスのスタイルや
例えば、部屋は海に面しているか
ベランダがあるか 使われている家具の素材は何か ?
「バスタブは有るか?」
「 バスルームは?」
「シャワーは??」等なども クルーズ船社によって
異なっている事も知っておく必要があります。
クルーズ船社から見た “マーケット(対象船客)”を対象とした
クルーズ船社のカテゴリーは 大まかに3つに分けられます。
中にはマニアックな客層向けの1泊200ドル前後の予算の探検船もあります。
各クルーズ船社は 彼らの営業上絞り込んだ客層を対象として
クルーズのサービス海域や船上のプログラムを組んでいるケースが多い。
南太平洋を主としてサービス海域とするクルーズ客船では小型船のため、
船内にはエレベーターのない船。
新婚旅行層や若年層にマーケットを主たる対象としているために
高齢者や歩行を苦にする船客には不向きであろう。
しかし マリンスポーツのプログラム満載で
若い活動的な客層には受けるに違いない。
夫婦でシルバームーン休暇をカリブ海の船旅に求めたところ
子供が多く不愉快であったとか、
子供家族連れの船旅を選んだためベビーシッターもおらず、
なおかつ船上の子供用プログラムも少ないのです。
結局、子供の面倒見だけで疲れたと言った不満も良く耳にします。
これらは船旅の実情に対する情報不足からくる
「ミスマッチ」に依ることが多い傾向です。
それぞれに個性が有り、その寄港地や
サービスの多様性は非常に豊富です。
したがってクルーズ旅行には極めて
多くの選択肢がある事に気がつくのです。
クルーズ旅行とは
「ONE TRIP TWO VACATIONS」
「一度の旅行」で 「2つの異なった休暇」を
楽しむことが出来る旅なのです。
船の寄港地として訪ねる世界の「観光地」「名所」に加えて、
船上での生活・体験が旅の思い出を作るのです。
旅行の観光地も大事ですが、船上でのライフスタイル体験の充実度も
「クルーズ客船」「クルーズ会社」を選ぶ際の重要な要素になるのです。
クルーズ船社側は自社の経営方針に基づき、
1〜2年先の就航海域やルートの企画します。
そして各種調査を経て最終的なスケジュールを作成します。
その配船先を企画する際、クルーズ船社は「絞り込んだ」客層の意向や
予算などを見極めて船の就航する海域を決めます。
そして船上に於ける文化<食事・娯楽等の船上プロダクト>を
演出(つまり船上生活の環境を決める)している。
従って アメリカ船客が中心のクルーズ船のクルーズライフは
先ず アメリカ人にとって心地よいアメリカ的「日常性の環境」
よりに成立っている
ヨーロッパ人従業員・船員+アメリカ人船客
=船員と船客が作るアメリカ的船上ライフスタイル環境
このような傾向は何もアメリカ船だけの問題ではない。
ドイツ船は限りなくドイツのライフスタイルを取っているし
フランス船には フランス的な食生活が満喫できる船に成っている。
船上での生活がクルーズ旅行の大きな楽しみであるが故に、
どのような船を選ぶかがクルーズ旅行の「満足度」の決め手になるのです。
自分が最も自分に合った船を選ぶには、クルーズに詳しい
旅行代理店のアドバイスを求める事をお勧めします。
特にクルーズ船社の多くは 「豪華客船」と言う表現を使い
船旅の魅力を売っているケースが多いのです。
これらのミスマッチを少なくするためには
クルーズ旅行を計画される場合、クルーズ船社のパンフレット。
これは外観はどれも華やかで綺麗に出来ており、
超豪華とかの表現も氾濫しクルーズ船社の特徴や
区別・差異が良くわからないケースが多いのです。
旅行代理店のアドバイスやインターネット情報等を出来るだけ集め、
積極的に活用し、「豪華」とか「非日常性」等の言葉に惑わされず
値段のみならず、冷静に船上でのライフスタイルと言う視点からも
比較検討をされることをお勧めします。
船上で生活をする訳で 船上でのサービスのスタイルや
例えば、部屋は海に面しているか
ベランダがあるか 使われている家具の素材は何か ?
「バスタブは有るか?」
「 バスルームは?」
「シャワーは??」等なども クルーズ船社によって
異なっている事も知っておく必要があります。
クルーズ船社から見た “マーケット(対象船客)”を対象とした
クルーズ船社のカテゴリーは 大まかに3つに分けられます。
中にはマニアックな客層向けの1泊200ドル前後の予算の探検船もあります。
各クルーズ船社は 彼らの営業上絞り込んだ客層を対象として
クルーズのサービス海域や船上のプログラムを組んでいるケースが多い。
南太平洋を主としてサービス海域とするクルーズ客船では小型船のため、
船内にはエレベーターのない船。
新婚旅行層や若年層にマーケットを主たる対象としているために
高齢者や歩行を苦にする船客には不向きであろう。
しかし マリンスポーツのプログラム満載で
若い活動的な客層には受けるに違いない。
夫婦でシルバームーン休暇をカリブ海の船旅に求めたところ
子供が多く不愉快であったとか、
子供家族連れの船旅を選んだためベビーシッターもおらず、
なおかつ船上の子供用プログラムも少ないのです。
結局、子供の面倒見だけで疲れたと言った不満も良く耳にします。
これらは船旅の実情に対する情報不足からくる
「ミスマッチ」に依ることが多い傾向です。
2019年12月18日
アメリカのクルーズ専門旅行会社の集客ノウハウ
アメリカのクルーズ旅行の隆盛は 旅行代理店との
友好な補完関係で 成り立っています。
「高いコミッション率」が旅行代理店を魅了し
旅行代理店は地域に密着しその地域の有力者個人と組んで
クルーズ客を掘り起こすことに全力を挙げています。
特に有力な旅行代理店は地域の有志を彼らの
セールススタッフの如く組織化して
コミッションの中からこの活動原資を
生み出し新しい船客に投資をしている。
アメリカでは旅行会社と提携して
「個人宅」
において自宅パーテイなどで仲間を集めて
彼らをグループ化することが一般化しつつある。
実は、この「個人」が旅行代理店にとっては
セールス員の役割を担っているのである。
先日ビバーリーヒルズの72才一人暮らしの
御婦人の邸宅に呼ばれました。
大きな離れにはメキシコ人家族が
住み込みで彼女を世話しているのです。
彼女は自宅の大邸宅に毎週金曜日、
近隣の友人を集め軽食とその後クルーズを話題にした
「歓談会」を行い月間15人前後をクルーズの
旅行代理店に送り込んでいるのです。
勿論、旅行代理店からこの御婦人にはそれ相応の「対応」が
なされ本人も「無料」で旅行を楽しんでいるのです。
彼女の仲間に3ヶ月のワールドクルーズで6万ドルも使う
船客も数人居るので、これだけで孫の誕生日に
スポーツカーを買ってやった等と豪語しているのです。
そしてヨーロッパ向けクルーズで
この一夕に5人の集客に成功したのです。
このクルーズには一度は行きたいとの強い希望もあり
これから半年であと10人ほど集めて
自分の料金は「無料」にしようと頑張っているのです。
クルーズ会社とアメリカの旅行会社には人数による
「特約」を持っているところが多い為、
この「特約」を生かして「無料で得た船室」を
船客に還元して料金面でより競争力を付ける所多いのです。
このようにアメリカにおけるクルーズの集客システムは
「人脈」によって成り立っているケースも多いのです。
規制の多い日本社会ではなかなかアメリカのような
集客ノウハウを実践することは難しいのが現状です。
友好な補完関係で 成り立っています。
「高いコミッション率」が旅行代理店を魅了し
旅行代理店は地域に密着しその地域の有力者個人と組んで
クルーズ客を掘り起こすことに全力を挙げています。
特に有力な旅行代理店は地域の有志を彼らの
セールススタッフの如く組織化して
コミッションの中からこの活動原資を
生み出し新しい船客に投資をしている。
アメリカでは旅行会社と提携して
「個人宅」
において自宅パーテイなどで仲間を集めて
彼らをグループ化することが一般化しつつある。
実は、この「個人」が旅行代理店にとっては
セールス員の役割を担っているのである。
先日ビバーリーヒルズの72才一人暮らしの
御婦人の邸宅に呼ばれました。
大きな離れにはメキシコ人家族が
住み込みで彼女を世話しているのです。
彼女は自宅の大邸宅に毎週金曜日、
近隣の友人を集め軽食とその後クルーズを話題にした
「歓談会」を行い月間15人前後をクルーズの
旅行代理店に送り込んでいるのです。
勿論、旅行代理店からこの御婦人にはそれ相応の「対応」が
なされ本人も「無料」で旅行を楽しんでいるのです。
彼女の仲間に3ヶ月のワールドクルーズで6万ドルも使う
船客も数人居るので、これだけで孫の誕生日に
スポーツカーを買ってやった等と豪語しているのです。
そしてヨーロッパ向けクルーズで
この一夕に5人の集客に成功したのです。
このクルーズには一度は行きたいとの強い希望もあり
これから半年であと10人ほど集めて
自分の料金は「無料」にしようと頑張っているのです。
クルーズ会社とアメリカの旅行会社には人数による
「特約」を持っているところが多い為、
この「特約」を生かして「無料で得た船室」を
船客に還元して料金面でより競争力を付ける所多いのです。
このようにアメリカにおけるクルーズの集客システムは
「人脈」によって成り立っているケースも多いのです。
規制の多い日本社会ではなかなかアメリカのような
集客ノウハウを実践することは難しいのが現状です。
アメリカの旅行事情(2)
第二次世界大戦後のアメリカの空路や陸路における
輸送手段の急激な変化は、人口集中都市と
滞在型リゾート地の距離を急速に近付けることとなる。
シカゴやニューヨークの住人は、
従来の東海岸のニューイングランドやメイン州など
「夏の避暑地」で滞在型旅行に加え、
昼間はビーチ、夜はカジノやショーを求めて、
フロリダやカリブ海諸国まで広がりました。
これらの地域を「冬の避暑地」として
滞在先の選択肢を広げることになったのです。
ケンタッキーや北マイアミ一帯のカジノやキューバに加え、
新型ラスベガスなどのカジノやショーを含めたエンターテイメントを
織りこんだ滞在型の旅行スタイルが以前にも増して注目。
キューバの情勢不安もあり、砂漠の中の新興都市ラスベガスには、
中西部を中心とした輸送組合などの年金を原資とした資金が流れ込んだのです。
これはラスベガスの急激な成長に貢献し、超大型ホテルの新設など、
同地のホテル業界を刺激していた。
資金力を盾に、新造ホテルは、従来の小規模滞在型設備の発想を一掃し、
大規模な滞在施設とカジノやショーも満載した大規模な滞在型旅行の
滞在地としての新しいビジネスモデルを創った。
1960年代に入ってカジノ事業の透明性に問題が発覚。
連邦政府の税制上の締め付けと州当局の積極的な介入が、
従来からのマフィア支配のスキミング防止策などを
一掃させることに成功しました。
ハワード・ヒューズやカーク・カーコリアンは
州政府の企業によるカジノ産業に対する行政上の
諸対策も後押しとなったのです。
ヒルトンをはじめとする国際的ホテルチェーンなどによるラスベガス進出が可能になったのです。
ホテルサイドとしては、ラスベガスの将来は「カジノ産業」から脱皮。
シアターや多くのレストランなども備えた総合エンターテイメント都市
として発展にあると予想していたのです。
今までラスベガスはカジノ産業都市から、
家族誰もがエンターテイメントが楽しめ、
イベントもできる新しい滞在型の観光都市として
積極的に売り出したのです。
1960年代後半には、ロサンゼルスやハリウッドからの
スター・エンターテイナーなども呼び込み、
ラスベガスは「カジノ」「ナイトライフ」も備えた
新しいテーマパーク型滞在観光としとして基礎が築かれた。
この頃、ラスベガスは、健全で、最も安全な都市となっていた。
このような環境の改善により、ネバタ州や観光当局は、
コンベンション・センターの設備的な拡充を進め、
一方、民間の資本で成り立っている。
ホテルなどの宿泊施設や夜間の健全な娯楽は、
全米からのイベントや旅行者を誘致することに努め、
更なる安定成長のために、リピーター対策も強化したのです。
西のラスベガスと同様に、東のフロリダ州オーランドにも
ディズニー・ワールドのような兄弟規模の新しい滞在型の
リゾート都市として急激に発展。
この新しいリゾート都市は、娯楽産業、ディズニーの周到に
して長期的な視野に基づく壮大なプロジェクトに沿って拡大して行きました。
1971年「ディズニー・ワールド」などの巨大な家族型遊園地と
滞在型ホテルを完備したテーマパーク型都市の誕生となった。
隣接されたエプコット・センターは1982年開園しました。
「ディズニーランドなどでの体験した喜びを、次世代や孫の代に繋ぐ」経営思想がある。
これら都市では、更に裾野を広げ、総合エンターテイメント(娯楽型)の大型宿泊施設を備え、
ますます「テーマパーク都市」化へ発展していくこととなるのでしたのでした。
輸送手段の急激な変化は、人口集中都市と
滞在型リゾート地の距離を急速に近付けることとなる。
シカゴやニューヨークの住人は、
従来の東海岸のニューイングランドやメイン州など
「夏の避暑地」で滞在型旅行に加え、
昼間はビーチ、夜はカジノやショーを求めて、
フロリダやカリブ海諸国まで広がりました。
これらの地域を「冬の避暑地」として
滞在先の選択肢を広げることになったのです。
ケンタッキーや北マイアミ一帯のカジノやキューバに加え、
新型ラスベガスなどのカジノやショーを含めたエンターテイメントを
織りこんだ滞在型の旅行スタイルが以前にも増して注目。
キューバの情勢不安もあり、砂漠の中の新興都市ラスベガスには、
中西部を中心とした輸送組合などの年金を原資とした資金が流れ込んだのです。
これはラスベガスの急激な成長に貢献し、超大型ホテルの新設など、
同地のホテル業界を刺激していた。
資金力を盾に、新造ホテルは、従来の小規模滞在型設備の発想を一掃し、
大規模な滞在施設とカジノやショーも満載した大規模な滞在型旅行の
滞在地としての新しいビジネスモデルを創った。
1960年代に入ってカジノ事業の透明性に問題が発覚。
連邦政府の税制上の締め付けと州当局の積極的な介入が、
従来からのマフィア支配のスキミング防止策などを
一掃させることに成功しました。
ハワード・ヒューズやカーク・カーコリアンは
州政府の企業によるカジノ産業に対する行政上の
諸対策も後押しとなったのです。
ヒルトンをはじめとする国際的ホテルチェーンなどによるラスベガス進出が可能になったのです。
ホテルサイドとしては、ラスベガスの将来は「カジノ産業」から脱皮。
シアターや多くのレストランなども備えた総合エンターテイメント都市
として発展にあると予想していたのです。
今までラスベガスはカジノ産業都市から、
家族誰もがエンターテイメントが楽しめ、
イベントもできる新しい滞在型の観光都市として
積極的に売り出したのです。
1960年代後半には、ロサンゼルスやハリウッドからの
スター・エンターテイナーなども呼び込み、
ラスベガスは「カジノ」「ナイトライフ」も備えた
新しいテーマパーク型滞在観光としとして基礎が築かれた。
この頃、ラスベガスは、健全で、最も安全な都市となっていた。
このような環境の改善により、ネバタ州や観光当局は、
コンベンション・センターの設備的な拡充を進め、
一方、民間の資本で成り立っている。
ホテルなどの宿泊施設や夜間の健全な娯楽は、
全米からのイベントや旅行者を誘致することに努め、
更なる安定成長のために、リピーター対策も強化したのです。
西のラスベガスと同様に、東のフロリダ州オーランドにも
ディズニー・ワールドのような兄弟規模の新しい滞在型の
リゾート都市として急激に発展。
この新しいリゾート都市は、娯楽産業、ディズニーの周到に
して長期的な視野に基づく壮大なプロジェクトに沿って拡大して行きました。
1971年「ディズニー・ワールド」などの巨大な家族型遊園地と
滞在型ホテルを完備したテーマパーク型都市の誕生となった。
隣接されたエプコット・センターは1982年開園しました。
「ディズニーランドなどでの体験した喜びを、次世代や孫の代に繋ぐ」経営思想がある。
これら都市では、更に裾野を広げ、総合エンターテイメント(娯楽型)の大型宿泊施設を備え、
ますます「テーマパーク都市」化へ発展していくこととなるのでしたのでした。
アメリカの旅行事情 (1)
ラグジュアリートラベルビジネス論の中で、
クルーズは非常に重要な項目であると思います。
最近で最近では日本でもクルーズを楽しむ方は増えてきたものの、
未だ富裕層のための旅行という概念が日本では根強い傾向にあります。
日本人以上にクルーズを楽しむ国はアメリカです。
マーケットが日本の数十倍の規模です。
そこでメッカであるアメリカでのクルーズ客船事業に参入検討と
戦後アメリカの時代背景を辿ってみたいと思います。
第二次世界大戦後のアメリカは産業基盤が変わり、
軍需産業が大きく成長。
特に西南部のシカゴなど五大湖周辺都市や、
ピッツバーグなどを中心とした一帯は
大工業地帯と言われるまでになったのです。
労働者層を中心とした都市部人口の急増は、
彼らの生活スタイルを変え、
仕事場から離れる休暇や旅行にも及ぶのですのです。
当時の女性の労働参加の活発化は、家庭の収入構造も大きく変化し、
時間とお金に余裕が出てきたのです。
家族などを訪ねる「里帰り旅行」や「家族との再会」とは異なった
「季節に合わせた滞在型の新しい旅行」
を好むようになりました。
寒さが厳しいアメリカ中西部を中心にした寒い北国の人たちが
「スノーバード」
と呼ばれる、南の島の「太陽と海」を求める
旅行者群が増えたのです。
彼らは避寒を求めてカリブ海へ移動。
この南の島々では、太陽と海以外にも北の生活と
異なる環境に新しい発見をしたのです。
自分たちの「滞在体験」に刻まれ、この地域を繰り返し訪ね
滞在し、リピーターとなり、安定した旅行者層になったのです。
当時のパンアメリカン航空(現在のユナイテッド航空)などの
航路網の拡大に伴い飛行機を利用した旅行が拡大し、
遠距離旅行を刺激したものもこのでもあります。
第二次世界大戦から15年後の1960年代は、
テレビが普及するようになりました。
有力テレビ局のABC社はワーナーブラザーズ(TV)と組んで、
ハリウッドをベースにした「サンセット77」(1958年)
ニューオリンズを舞台にした「バーボン・ストリート」(1959年)
マイアミの太陽の下、展開される
「サーフサイド・シックス」(1960年)が
ゴールデン・タイムを独占していたのです。
このように、アメリカ各地を“ロケ地”を舞台にした、
「屋外型のモビリティを中心としたストーリー」
に焦点を当て、各社のテレビ番組は、新しい旅行世代に、
国内各地や海外に新しい「旅行目的地」への
誘惑を後押ししたのです。
当時の大統領であったアイゼンパワー氏が
推進したことも牽引力ともなったのです。
アメリカ国内の高速道路の整備は、個人や家族旅行にも、
自動車や大型バンなどの機動性が重宝され、
定期遠距離バスや鉄道に依存していた旅行スタイルも
急激に変化することとなったのです。
第二次世界大戦前は、移民船の寄港するアメリカの
東部の都市からの「移民の道」といわれ、
1960年には退役軍人の家族などが新しい職を求めて移動した
シカゴからロサンゼルスまでの高速道路「ルート66」は、
この高速道路沿線で起こるエピソードを素材にしたテレビ映画でした。
海を知らない内陸部のアメリカ人に、
「サンサンと降り注ぐ太陽に青い空、そして温暖な町と太平洋」
をアメリカ人の脳裏に思い描かせることに成功し、
自動車での旅への衝撃をかきたてたのです。
そして自家用車の普及により大陸横断鉄道などを担っていた
アムトラックなどの鉄道会社も、この事業から撤退を
余儀無くされることになったのです。
クルーズは非常に重要な項目であると思います。
最近で最近では日本でもクルーズを楽しむ方は増えてきたものの、
未だ富裕層のための旅行という概念が日本では根強い傾向にあります。
日本人以上にクルーズを楽しむ国はアメリカです。
マーケットが日本の数十倍の規模です。
そこでメッカであるアメリカでのクルーズ客船事業に参入検討と
戦後アメリカの時代背景を辿ってみたいと思います。
第二次世界大戦後のアメリカは産業基盤が変わり、
軍需産業が大きく成長。
特に西南部のシカゴなど五大湖周辺都市や、
ピッツバーグなどを中心とした一帯は
大工業地帯と言われるまでになったのです。
労働者層を中心とした都市部人口の急増は、
彼らの生活スタイルを変え、
仕事場から離れる休暇や旅行にも及ぶのですのです。
当時の女性の労働参加の活発化は、家庭の収入構造も大きく変化し、
時間とお金に余裕が出てきたのです。
家族などを訪ねる「里帰り旅行」や「家族との再会」とは異なった
「季節に合わせた滞在型の新しい旅行」
を好むようになりました。
寒さが厳しいアメリカ中西部を中心にした寒い北国の人たちが
「スノーバード」
と呼ばれる、南の島の「太陽と海」を求める
旅行者群が増えたのです。
彼らは避寒を求めてカリブ海へ移動。
この南の島々では、太陽と海以外にも北の生活と
異なる環境に新しい発見をしたのです。
自分たちの「滞在体験」に刻まれ、この地域を繰り返し訪ね
滞在し、リピーターとなり、安定した旅行者層になったのです。
当時のパンアメリカン航空(現在のユナイテッド航空)などの
航路網の拡大に伴い飛行機を利用した旅行が拡大し、
遠距離旅行を刺激したものもこのでもあります。
第二次世界大戦から15年後の1960年代は、
テレビが普及するようになりました。
有力テレビ局のABC社はワーナーブラザーズ(TV)と組んで、
ハリウッドをベースにした「サンセット77」(1958年)
ニューオリンズを舞台にした「バーボン・ストリート」(1959年)
マイアミの太陽の下、展開される
「サーフサイド・シックス」(1960年)が
ゴールデン・タイムを独占していたのです。
このように、アメリカ各地を“ロケ地”を舞台にした、
「屋外型のモビリティを中心としたストーリー」
に焦点を当て、各社のテレビ番組は、新しい旅行世代に、
国内各地や海外に新しい「旅行目的地」への
誘惑を後押ししたのです。
当時の大統領であったアイゼンパワー氏が
推進したことも牽引力ともなったのです。
アメリカ国内の高速道路の整備は、個人や家族旅行にも、
自動車や大型バンなどの機動性が重宝され、
定期遠距離バスや鉄道に依存していた旅行スタイルも
急激に変化することとなったのです。
第二次世界大戦前は、移民船の寄港するアメリカの
東部の都市からの「移民の道」といわれ、
1960年には退役軍人の家族などが新しい職を求めて移動した
シカゴからロサンゼルスまでの高速道路「ルート66」は、
この高速道路沿線で起こるエピソードを素材にしたテレビ映画でした。
海を知らない内陸部のアメリカ人に、
「サンサンと降り注ぐ太陽に青い空、そして温暖な町と太平洋」
をアメリカ人の脳裏に思い描かせることに成功し、
自動車での旅への衝撃をかきたてたのです。
そして自家用車の普及により大陸横断鉄道などを担っていた
アムトラックなどの鉄道会社も、この事業から撤退を
余儀無くされることになったのです。
ラグジュアリートラベルビジネス論 概要
弊社はトルコのイスタンブールを拠点にラグジュアリーをテーマにおいた旅行の
発展を全世界に向けて発進しております。
実は世界中の中で海外在住の方を含めて
日本人の方がハイソサエティな旅を好まれるのです。
単価の高い旅行を企画するなら、
どこの旅行会社にでも問い合わせは可能です。
しかし、ラグジュアリークラスの旅の本質を理解している
業者さんは皆無に等しいのが現実です。
そこで弊社ではラグジュアリークラスの旅を一般の旅行会社や
観光関係者各位とは発想が異なります。
これらをソフト面、ハード面で捉えてするだけでなく、
学術的にかつビジネスの本質である投資などの
金融面でもアプローチして参ります。
一言申し上げておきますが、弊社が考えるラグジュアリートラベルビジネス論は、
一般受けするビジネス論ではございません。
当然、少数ではありますが、賛同される方もいらっしゃれば、
違和感を感じられる読者様もいらっしゃると想像致します。
異論や反論をなさる方との接触は
固くご遠慮させていただきますのでご了承くださいませ。
発展を全世界に向けて発進しております。
実は世界中の中で海外在住の方を含めて
日本人の方がハイソサエティな旅を好まれるのです。
単価の高い旅行を企画するなら、
どこの旅行会社にでも問い合わせは可能です。
しかし、ラグジュアリークラスの旅の本質を理解している
業者さんは皆無に等しいのが現実です。
そこで弊社ではラグジュアリークラスの旅を一般の旅行会社や
観光関係者各位とは発想が異なります。
これらをソフト面、ハード面で捉えてするだけでなく、
学術的にかつビジネスの本質である投資などの
金融面でもアプローチして参ります。
一言申し上げておきますが、弊社が考えるラグジュアリートラベルビジネス論は、
一般受けするビジネス論ではございません。
当然、少数ではありますが、賛同される方もいらっしゃれば、
違和感を感じられる読者様もいらっしゃると想像致します。
異論や反論をなさる方との接触は
固くご遠慮させていただきますのでご了承くださいませ。