2008年11月16日
マトリックス1言霊
捜し物をしていたら「マトリックス」のDVDが出てきた。
忙しい時ほど、観たくなるものだ。
時間があまりないので、とりあえずチャプターでアクションシーンを中心に!
「が〜ん。こんなに意味ありげな言霊がちりばめられていたなんて!」
心の中の世界を描いているのだから当然といえば当然?!
ウォシャウスキー兄弟監督は、押井守監督をリスペクトしているそうだ。
劇場で、「ここは、あれだな。」とかひとりほくそ笑んで観た物だ。
例を挙げると(あくまでも私の感想です)
「世界の異変に気付くきっかけが『デジャヴ』」
マトリックスの
トリニティが世界の異変に気付くシーン
(押井守監督の「うる星やつらビューティフルドリーマー」のオマージュ?)
「排莢される薬莢を一つの美しいシーンとして描いている」
マトリックスの
モーフィアスを救出する為、ネオがヘリからビルに機銃掃射するシーン
(世の中にOVAを流行らせたきっかけとなった押井守監督の「ダロス」の
デバッカーからの排莢シーンのオマージュ?)
「壁越しの射撃シーン」
マトリックスの
逃げるモーフィアスをエージェントスミスが壁越しに射撃するシーン
(押井守監督の「赤い眼鏡」の中の追っ手に対しての壁越しの射撃シーンのオマージュ?)
このシーンはカッコ良かった!(赤い眼鏡の中)
当時、海外と比べて迫力で劣る、邦画の電着銃による射撃シーンも
これは、凄くカッコ良かった。
ワクワクした!
演出でこうも違うものか?と。
当時、押井守監督の「甲殻機動隊」の影響であろう世界観や、
日本アニメ全般で多用されている、回り込みの描写方法。
カンフーアクションとCGに目がいってしまって言葉の深さに
氣が回らなかった!
いや、深いと感じていたが、今の感じ方とは違うという事だと思います。
一つの格言も、その時々の自分の状態で感じ方や、解釈が違うと。
例
「時は金なり。」
小学校の時
「時間は大切。無駄遣いしないように。」
中学校の時
「時はお金と一緒。
同じ金額(24時間)でも、
無駄に使う人もあれば
少ない金額でも有意義な有効な買い物をする人もある。」
現在
「時の一刻一刻は、人生の一刻一刻である。
少しでも無駄にできないし、したくない。(しかしそれは難しい)
多くの人は、人生(時間)を切り売り(労働)してお金を得て生活している。
下手すると、お金を得る為だけに時間を浪費してしまう。
それだけで、人生終わってしまう。
(氣を付けましょう。しかしそれは難しい)
時/時間(ほぼ全て人生)
お金(生活のアイテムの一つ。お金の無い世界もある。無い時代もあった。)
時(ほぼ人生全部)と金(人生の一部)をほぼイクオールという表現は
適切ではない?!
(私の中では)」
と言う様に、自分や時代が変われば、
同じ映画、格言も変わった感じ方・変わった解釈になる。
つまり、自分が変われば、変えれば、世の中の現象も変わって感じる。
つまり、変わると。
そうか考えると楽になりませんか?
特に、行き詰まっている人!(私?)
「自分が変われば、世の中が変わる。」
みなさん、言ってますけどね。
ふー、やっと結論にたどり着いた。
(みなさんと言ってもセーラーヴィーナスではありません。)
忙しい時ほど、観たくなるものだ。
時間があまりないので、とりあえずチャプターでアクションシーンを中心に!
「が〜ん。こんなに意味ありげな言霊がちりばめられていたなんて!」
心の中の世界を描いているのだから当然といえば当然?!
ウォシャウスキー兄弟監督は、押井守監督をリスペクトしているそうだ。
劇場で、「ここは、あれだな。」とかひとりほくそ笑んで観た物だ。
例を挙げると(あくまでも私の感想です)
「世界の異変に気付くきっかけが『デジャヴ』」
マトリックスの
トリニティが世界の異変に気付くシーン
(押井守監督の「うる星やつらビューティフルドリーマー」のオマージュ?)
「排莢される薬莢を一つの美しいシーンとして描いている」
マトリックスの
モーフィアスを救出する為、ネオがヘリからビルに機銃掃射するシーン
(世の中にOVAを流行らせたきっかけとなった押井守監督の「ダロス」の
デバッカーからの排莢シーンのオマージュ?)
「壁越しの射撃シーン」
マトリックスの
逃げるモーフィアスをエージェントスミスが壁越しに射撃するシーン
(押井守監督の「赤い眼鏡」の中の追っ手に対しての壁越しの射撃シーンのオマージュ?)
このシーンはカッコ良かった!(赤い眼鏡の中)
当時、海外と比べて迫力で劣る、邦画の電着銃による射撃シーンも
これは、凄くカッコ良かった。
ワクワクした!
演出でこうも違うものか?と。
当時、押井守監督の「甲殻機動隊」の影響であろう世界観や、
日本アニメ全般で多用されている、回り込みの描写方法。
カンフーアクションとCGに目がいってしまって言葉の深さに
氣が回らなかった!
いや、深いと感じていたが、今の感じ方とは違うという事だと思います。
一つの格言も、その時々の自分の状態で感じ方や、解釈が違うと。
例
「時は金なり。」
小学校の時
「時間は大切。無駄遣いしないように。」
中学校の時
「時はお金と一緒。
同じ金額(24時間)でも、
無駄に使う人もあれば
少ない金額でも有意義な有効な買い物をする人もある。」
現在
「時の一刻一刻は、人生の一刻一刻である。
少しでも無駄にできないし、したくない。(しかしそれは難しい)
多くの人は、人生(時間)を切り売り(労働)してお金を得て生活している。
下手すると、お金を得る為だけに時間を浪費してしまう。
それだけで、人生終わってしまう。
(氣を付けましょう。しかしそれは難しい)
時/時間(ほぼ全て人生)
お金(生活のアイテムの一つ。お金の無い世界もある。無い時代もあった。)
時(ほぼ人生全部)と金(人生の一部)をほぼイクオールという表現は
適切ではない?!
(私の中では)」
と言う様に、自分や時代が変われば、
同じ映画、格言も変わった感じ方・変わった解釈になる。
つまり、自分が変われば、変えれば、世の中の現象も変わって感じる。
つまり、変わると。
そうか考えると楽になりませんか?
特に、行き詰まっている人!(私?)
「自分が変われば、世の中が変わる。」
みなさん、言ってますけどね。
ふー、やっと結論にたどり着いた。
(みなさんと言ってもセーラーヴィーナスではありません。)