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2018年06月23日
幼児の教育はいつから始めるの?早い方がいいの?
「ばばあ2」
幼児の教育は何歳から始めたらよいか悩みますよね。0歳児から音楽などを聞かせたりされる方も多いと聞きます。実際に「ばばあ1」は0歳の時に音楽などを聞かせてみましたが、結果は出ているのかわかりません。
本格的に教育と名が付くものを始めたのは長男が3歳、次男が2歳です。理由は年子なので一緒に始めた方が親も楽ですし、早いに越したことはないと思ったからです。では、どのようなことをしたかご説明いたします。
1.公文式パズル
たまたまですが、お友達から「公文式の簡単なパズル」を頂きました。それはリンゴや車の形をはめ込むものでした。あまりに簡単に出来てしまい、長男はすぐに飽きてしまいました。次男はとても楽しんで、飽きずに毎日毎日パズルをはめたり外したりの繰り返しをしていました。
パズルなどの場合は手先の器用な子供や、不器用な子供などにより、違いは出てきます。次男にはとても合っていたのでしょう。どこへいくにも持ち歩いていました。
私が心動かされた公文の方針をご紹介します。
先生・教材・教室3つの秘訣で、
「読み書きの力」と、
「知的好奇心」を育みます
「まだ小さいし、家でドリルをやれば十分・・・」
そうお思いの方も多いはず。くもんでは、経験豊富な「先生」・細部まで工夫された「教材」・集中できる「教室」がお子さまの力を最大限伸ばします。
引用 公文式HPより
2.本格的に公文式入会へ
その後、長男が4歳で次男が3歳の時に公文式へ入会しました。始めた理由は義兄の一言でした。「名古屋の方では3歳から公文をやっている子供が多いから、もう始めた方がいいよ。」その後、一番近くの教室探しをし、国語と算数の2教科を始めました。
授業料は1教科6000円で2教科で12000円でした。2人分になりますと24000円になり、高いなと思いながらも通わせることにしました。
長男はメキメキと成長して宿題も簡単にこなしていきました。しかし次男はとても苦戦しました。
3歳児にはまずお座りをすることが長時間は無理なので、座っていることに飽きてしまうのです。5分もたたずに隣の子供の妨害やら、鉛筆を加えてボーとしている事ばかりで、やる気にさせる事がとても大変でした。
3.公文式の宿題
週2回は教室に通い後は宿題が1日3枚程度出されます。私が働いていたので子供たちは未満児から保育園に通っていました。保育園のお迎え後、スーパーでの買い物が終わり、私が夕食の支度をしている間が子供達の宿題の時間でした。今思えばとても可哀想な事をしたように感じます。遊びたい盛りの子供に、例え30分でも宿題が終わらないとテレビも見せなかったですからね。
4.宿題が段々と負担になる次男
長男はすらすらと宿題を終わらせる中、次男はなかなか宿題も進みません。いつまでたっても鉛筆を加えているだけです。そしてついに次男は強行に出たのです。
それは宿題を隠すことです。「初めから先生にもらっていない。」と言い張るのです。そんなことはありません。どこかに隠してしまうのです。それを探すのが大変で、親子で鼬ごっこの始まりです。
その後、隠したことがばれた次男はお説教を食らうのですそして次男は次の策へと発展していくのです。
5.長男の宿題を隠す
長男はスラスラと宿題を済ませるのですが、次男はなかなか終わりません。それが悔しくて、ついに長男の宿題をも隠し、自分だけ終わらせるのです。
その後、長男を尻目にゲームを始めるのです。長男はあるはずの公文の宿題を探すのに必死です。もともとだらしのない長男なので、置き忘れていないのか、家族総出で探しますが見つかりません。
次男が自分のカバンの中に隠しているのです。くだらない知恵だけはとても回る次男でした。そして次男との戦いは小学校の3年まで続くのです
まとめ
・公文式パズルなどを用いて集中力を養おうとするが個人差がありました。
・本格的に公文へ入会するが1歳違いの次男には早すぎたようです。
・宿題が続けられなくなり、次男は自分の分の宿題を隠し始めるのです。
・スラスラできる長男の分の宿題も隠しはじめる事になりました。
公文式にしても学習面の塾は早ければ良いとは聞いていましたが、興味を持つには4歳ぐらいでないと集中力もなく、苦しくなるばかりの様です。
但し、進む具合のスピードによりやる気が起きるようです。順位の冊子に名前が出るようになるまでが苦しいのかもしれません。そしてこの兄弟がどのように成長していくのかもお知らせしていきたいと思います。
どちらを優先?実家の親と嫁ぎ先の親に挟まれストレスがピーク!
「ばばあ2」
最近は核家族化でありますが、おばさん2は主人の家族と同居です。家族構成は息子2人はすでに独立し、義母、義母の妹、主人、保護猫3匹と犬がいる家庭です。
事が起きたのは実家の母が転んだ父を助けようとして、大腿骨骨折をしてしまったのです。入院し手術をしなければなりませんでした。しかし、仕事もあり、嫁ぎ先の協力はあまり得られず、悪戦苦闘の毎日を過ごしたのです。
母の骨折
実家も弟夫婦と同居なのですが、弟は10年以上前から仕事で海外におります。なので、実家では義妹と私の両親、姪と甥の5人家族なのです。
とてもわがままな父に耐えてくれている義妹にすべてを託すのは気の毒でなりません。やはり子供の少ない今は自分の親は自分で見るのが当たり前になってきているのです。
家事をこなし、仕事の手配後に母の手術の立ち会いへと向かいました。手術時間はさほどかかりませんでしたが、病院での説明や必要な物の購入、始終病院から電話がかかり、仕事どころではありませんでした。
嫁ぎ先の義母は「お母さん、大事にしてあげてね」などと言いますが、家事の負担は減る訳でもありません。それが、嫁の立場なのです。
父の様子が変に
?
母の状態も良く2週間後にリハビリ病院への転院をしなくてはならなくなりました。リハビリ病院の場合は家族が洗濯などをしなけばならず、毎日病院の往復を考えるととても大変なので、職場の近くの病院を選びました。
幸い、早くに空きが出て転院が決まったのですが、父の様子が変になってしまったのです。今までの病院は歩いて10分かからない厚生病院でしたので毎日早朝から母の病室に出向いていたのですが、リハビリ病院は電車やバスを乗り継がなくてはなりません。
その旨を父に伝えたら、父は無言で寝てしまいました。その日を境に父は食事も満足に出来なくなり、お漏らしをし、コタツから出て来なくなってしましました。
ドンドン衰弱をする父
殆ど食事もとらず「寒い、寒い」と言ってコタツの中の父ですが、よく見ると窓が全開なのです。これは認知症?しかし、食事がとれていない分体はどんどん弱り、立つこともままならなくなりました。
父も仕事の合間に病院へと点滴に連れて行く日がスタートしたのです。母の病院、父の点滴、仕事、自宅の家事、もう頭の中はパニックでした。
しかし、義母には私の大変さは伝わりません。何故なら、義母は子供の頃も、結婚後も核家族だからなのです。経験しないとわからないとはこのことなのでしょう。
心も体も倒れそう
仕事が終わり、母の病院へ向かう毎日で、自宅に帰って母の洗濯物を洗い、次の日には父の病院の繰り返しで心も体も限界が近づいたときに、母のリハビリ病院が父を入院させてくれることになったのです。
神からの救いの手が下りてきま した。同じ病室ではないのですが、父と母を同じ病院に入院させることになったのです。
しかし、二人分の病院代と二人分の洗濯が私にのしかかってくるのです。一難去ってまた一難とはこのことなのでしょうか。
まとめ
・いつもの日常が、母の骨折で新たな方向へと変わっていくのです。
・母の転院で父の認知症が進んでいくのです。
・見かねた病院の相談員の方が母と父を同じ病院に入院させてくれました。
・嫁ぎ先の家族の手助けはなく、 嫁はお手伝いさん と思っているように感じました。
今回の母の入院が無くても、以前から私の事を「お手伝いさんとしか感じていないだろうな」とは思っていましたが、やはり昭和10年代の人達からしてみれば考え方を改める事など無いのです。
しかし自分の娘には苦労はさせたくないと思う親心は同じ様です。この先まだまだ波乱が続くのですが、また後日お知らせいたします。
教訓、どちらの両親でも同居はすべきでありません 。
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