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プロフィール

隼四郎
一度都会に出てみると地元のことが気になってくるものです。 そういう自分の体験から、鹿児島を散策しながら「あっとらんだむ」にいろんなことをお伝えできればいいなと思っています。 どうぞお気軽におつきあいください。
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2013年08月31日
☆さらば夏の日





昭和32年から昭和47年まで、鹿児島空港は現在の鴨池新町にありました。

当時の滑走路跡にはニュータウンが建設され、鹿児島県庁、鹿児島県警、鹿児島県経済連等の官公庁やマンション群、鴨池新港が新しく出来、大きく様変わりしました。

ただ、鴨池空港当時のターミナルビルはそのまま別の商業施設として使用されてきていました。

ところが、さすがに老朽化により、このたび解体されることになりました。

今年の夏でターミナルビルはその使命を終えることになりました。


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Francis Lai 映画「さらば夏の日」 Du soleil plein les yeux(instrumental)


http://www.youtube.com/watch?v=0uUtgwbbOZg&feature=youtube_gdata_player

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昭和39年の東京オリンピックの前には、沖縄より聖火が空輸され、この鴨池空港に到着しました。その熱狂もつい昨日のように思い出されます。

8月11日にはビル内で「ありがとう鴨池空港 大感謝祭」も行われました。

本当に長い間お疲れ様でした。

さらば鴨池空港、さらば夏の日。




Posted by 隼四郎 at 04:56 | 歴史 | この記事のURL
2013年08月30日
☆暑い夏をぶっ飛ばせ!



「おぉっ、ビールがうまい!」

夕食に酢豚を作りました。

今回は、具の量とタレの量のバランスがたいへんうまくマッチングしました。

とろっとした程よいとろみと照りが命ですね。

甘酸っぱさの中に肉の旨みがじゅわーっとにじみ出て、野菜のシャキシャキ感とのハーモニーに幸せいっぱいになります。

ビールがのどごしにキューっとしみて、昼間の暑さをしばし忘れてしまいます。

美味しい食事をして暑い夏をぶっ飛ばしましょう。


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♪暑い夏をぶっ飛ばせ! by ナット・キング・コール

http://m.youtube.com/watch?v=iwt3s7HfHaM&desktop_uri=%252Fwatch%253Fv%253Diwt3s7HfHaM

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最初は、豚肉の唐揚げの表面に白い粉が吹いているのがどうやってつけるのかさっぱりわからなかったのですが、片栗粉だということがあとでわかりました。

豚肉を均等な大きさにカットして、下味をつけてから卵にからめ、片栗粉をまぶして油で揚げたらうまく出来ました。

専門店の味には到底かないませんが、食べたいときにいつでも作れるというのはやはり大きな強みだと思います。

これからもとても楽しみですね。

Posted by 隼四郎 at 03:57 | グルメ | この記事のURL
2013年08月28日
☆初秋風



今朝早く、外に出てみると乾草のような匂いでいっぱいです。思いっきり深呼吸してしまいました。冷んやりとした風に吹かれて頭もスッキリしました。

本当に涼しくて心地よい時間を楽しみました。

季節はしっかりと巡っていますね。

初秋の頃に吹く風を初秋風というそうです。なんだ、そのまんまじゃんとも思いますが、そのタイミングに風を感じられるのはとてもハッピーだと思います。やはり、早起きするといいことがありますね。


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『 暦の上の立秋の後先、まだ夏が衰へ初めたとも見えない とある八月の日の、
 朝か夕の思はぬ時に、ふと、その年の初の秋風を肌が感ずる。 − −

 まだ夏のさかりに早くも一息吹いて来る その秋風。
ぬれた髪のやうな冷やかな手で、つと頬を撫で去るのみで
後はまた夏らしい微風が渡ってゐる その秋風。

しかし 私の心が 今のひと吹きは今年最初の秋風だった。− −

夏にやうやく萎へそめた青草の呼吸の感じられる そのひと吹き。
今宵より野にすだく虫の やうやくしげく、
夜露やうやう深まさるだらうと思はれる そのひと息。− − 』

                ( 堀口大学 初の秋風 作品社:「日本の名随筆所収」)

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本当に今年の夏は暑かった、いやまだまだ暑さは続くはずです。

しかし、その暑い夏も終わりの兆しが見えてくると、とたんに、この夏は自分自身何かを達成できたのかなとふと不安に駆られます。

日々の忙しさに流されて、ついつい本質的なものを見失ってはいないか、手段と目的が逆転してはいまいかと、この季節の変わり目には「我にかえって」原点に立ち返るいい機会だと思います。


Posted by 隼四郎 at 08:45 | 自然 | この記事のURL
2013年08月27日
☆南国の花




今朝、ベランダのハイビスカスの花が咲きました。

毎年6月には咲き始めるのですが、今年は今日が初めてです。

栄養不足だったのかもしれませんね。

この鮮やかな赤色はまさに「南国の花」、限りない元気をいただきました。

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♪情熱の花(ドイツ語版)/カテリーナ/情熱の花

http://www.youtube.com/watch?v=JGsAUSaSez8&feature=youtube_gdata_player

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葉洩れ陽に ハイビスカスの 鮮やかさ


Posted by 隼四郎 at 09:45 | 自然 | この記事のURL
2013年08月26日
☆自転車の歴史はわずか200年?




写真は鹿児島市加治屋町です。

新しく自転車専用分離帯が設定されました。

「自転車専用分離帯なんて、そんなん要るかー」

なんて今まで自分は思っていましたが、出来てみるとなかなかカッコイイではないですか!

すぐにでも自転車で走ってみたいと思ってしまいました。

ところで、その自転車ですがいつ頃世の中に出現したものなのでしょうか?

調べてみると意外にも随分歴史は浅いようなんですね。

19世紀初頭だったとは本当にびっくりしました。

また、面白いことに、鉄砲鍛冶職人が自転車製造に携わり、さらに、自転車屋さんが飛行機を発明し、その技術が宇宙開発に繋がっているということです。

たゆまぬイノベーションの連鎖を見る思いがします。


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●自転車の歴史 〜自転車の誕生と発展〜

【自転車はいつ頃誰が発明したのか?】

自転車はシンプルな乗り物なので、遠い昔の石器時代に既に存在していた、などと考える人がいるかも知れません。自転車の発明はそれほど古くなく意外と短い歴史にもかかわらず、いつ頃誰が発明したかははっきりしていません。ヨーロッパのいろいろな国々が、自転車を発明したのはわが国である、などと主張して諸説紛紛ですが、いずれの説も確固たる証拠が無いものの、ヨーロッパで考えられたのは確かです。


【自転車の原点は子供の玩具の木馬?】

1880年代に入るとイギリスでは“ホビーホース”、フランスでは“ベロシフェール”と呼ばれた遊びが流行します。これは、今では子供の玩具である木馬の前後に車輪をつけて、当時の大人が地面を足で蹴って走ったものです。全体が木製で、直線を走るだけで曲がるためには停止して回転させなければなりませんが、これが自転車の原点と言われています。


【自転車の歴史はわずか200年?】

1813年、ドイツのカール・フォン・ドライス男爵が“ドライジーネ”と呼ばれた木製のベロシフェールにハンドルを取り付け、走りながら曲げられる足蹴り式の二輪車を発明しました。現在ではこれが自転車の発明とされています。当時の記録として、ドライジーネは37kmを2時間30分で走ったそうで、これは時速15km/hに相当し、かなりのスピードです。

イギリスのリチャード・トレビシックは1801年に蒸気自動車を製作し、1804年には蒸気機関車を発明していますが、この事から判断すると自転車はそれより新しい乗り物になる訳でやや驚きです。


【足蹴り方式からペダル方式へ】

1839年スコットランドで鍛冶屋を営んでいたカークパトリック・マクミランが、鍛冶の技術を利用して鉄製の“ベロシペード”を発明します。蒸気機関車と同じ梃(てこ)の原理の駆動回転を利用したペダルを踏み込んで進むこの新しい方式を採用したため、足蹴り方式と比較し走行スピードは大幅に上昇しました。

ベロシペードはラテン語で“早足”を意味し、現在フランスでは自転車を“ベロ”と呼んでいます。


【別名は“骨揺り”】

1863年、フランスのピエール・ラルマンがベロシペードを改良し前輪にペダルとクランクを取り付け、現在では子供が乗る三輪車と同じ駆動方式を発明しました。この発案をフランスのミショー親子が工場を設立し量産化に成功。1867年には1年間で約1,000台を生産し“ミショー型ベロシペード”として普及しましたが、乗り心地の悪さからイギリスでは“ボーンシェイカー(骨揺り)”と呼ばれました。

ミショー型ベロシペードによって、新しい二輪車の乗り物は世間で認知されました。




【頭でっかちのダルマ自転車の出現】

ベロシペードではペダルを1回転すると前車輪が1回転しますので、速く走ろうとすると前車輪の直径を大きくしペダルの回転数を増加させねばなりません。

1870年頃になると、イギリスのジェームス・スタンレーが直径約1.5mに巨大化した前車輪のベロシペードを考案し“オーディナリー(日本ではダルマ自転車)”と呼ばれました。ハイスピードを追求し前車輪を大きくしても、乗る人間の脚の長さが限度で限界があり、またサドルの位置が高くて安定性が悪く乗りこなすのに大変苦労したそうです。

オーディナリーはアメリカでは“ハイホイーラー”、イギリスでは前輪を大きな1ペニー硬貨、後輪を小さな1/4ペニー硬貨(ファージング)にたとえ“ペニーファージング”と呼ばれました。


【近代自転車の確立】

1879年にイギリスのローソンが前ギアと後ギアをチェーンで結ぶ駆動方式を発明。この方式を利用して1885年にジェームス・スタンレーの甥のジョン・ケンブ・スタンレーが“ローバー型安全自転車”を発売し“セーフティバイシクル”と呼ばれこれが現在の自転車の原型です。

オーディナリーとセーフティは優劣を競い合いましたが、安全性、スピード、走行性能などいずれの面でオーディナリーは劣りやがて消滅しました。

ちなみに、“BICYCLE”の語が商品名として登録されたのは1869年で、この頃から自転車をバイシクルと呼ぶようになったと考えられています。バイシクルは普通名詞ではなく誰かが作った造語で、2個の回転部分を意味していると思われます。


【空気入りタイヤの出現で自転車は急速に進化】

1888年、アイルランドのジョン・ボイド・ダンロップが空気入りタイヤを発明。これによって自転車の乗り心地とスピード化が格段に向上し、自転車は急速に進歩しました。ダンロップは獣医でしたが、牛を治療した際に腸にガスが充満している様子からヒントを得たそうです。


【自転車誕生にまつわるエピソード】

車輪が考案されたのは西暦紀元前1500年頃のメソポタミア文明だ、と言われています。人間は一輪車や左右に並べた二輪車、四輪車などは古い時代から考案しましたが、車輪を前後に並べた二輪車の乗り物の発明に3000年以上かかったことになります。

1884年にイギリスで初めて自転車を製造したBSAや、1890年に日本で初めて自転車を製造した宮田製作所も、フランスやイタリアの古い自転車製造メーカーも、共通している状況は鉄砲鍛冶出身です。BSAはそれを象徴するように銃を3本立て掛けたヘッドマークを使用していました。これは、鉄砲の銃身を作る技術が自転車のフレームのパイプを作る技術として転用されたためです。

1800年代にイギリスで産業革命が起こり機械による工業製品の量産化が始まりましたが、この状況の中で自転車も量産され、当時のイギリスは“陽の沈まない国”として世界中に多くの植民地を持っていましたので、そこに輸出され広まりました。そのために、現在でも各国の自転車の規格は日本も含めてインチサイズのイギリス式が大部分を占めています。

1903年にアメリカのライト兄弟は飛行機を発明し世界で初の有人動力飛行に成功しました。それから航空宇宙科学が急速に発達し、1969年にはアメリカのアームストロング船長がアポロ11号で人類で初めて月面に到着します。現在では国際的な人工衛星基地を宇宙に建設しています。

このような航空宇宙科学の発達は自転車から始まった、と言われています。何故ならば、飛行機を発明したライト兄弟の本業は自転車屋さんで、自転車の技術を利用して初の飛行機を作ったのです。

自転車の歴史を一言で言えば、自転車はドイツで誕生し、フランスで育成され、イギリスが世界中に普及させた、です。



日本自転車文化協会ホームページ

http://www.jba-rw.org/topics/aboutbicycle_histry_1.html


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バス待ち時間等のロスタイムも無く、思い立ったらいつでもどこへでも出かけていける手軽さ便利さ、しかも速いときていますから、本当に自転車は便利なグッズですよね。


でも、その気軽さゆえの気の緩みからとんでもない人身事故を起こして億単位の補償を求められるケースもあると聞いています。

くれぐれも危機管理はぬかりなく、楽しいバイクライドライフを楽しみましょう。

Posted by 隼四郎 at 15:56 | | この記事のURL
2013年08月23日
☆けげかしけじめ…年号の憶え方その1



「えーっと、これは文久二年、そちらは安永七年、あっちは弘化三年、みんなかなり古いことはわかるけど、じぇじぇっ!年代の順番がさっぱりわからん!」

史跡巡りをして古い墓所にやってくると墓石に刻まれた年号が気になります。

しかし、私たちはたいがい年号はほとんどあやふやなままで墓石に相対することになります。

それで、西暦との換算表を携帯していなければ、折角遠路はるばる史跡にやってきても、何がなんだかわからないまま貴重な時間を浪費してしまうことになるでしょう。

そこで、出現頻度の高い江戸時代の年号は暗記してしまおうと思い立ったわけです。

若い世代の人たちには年号暗記は今後たいへん強力な武器になるでしょうし、還暦を過ぎた方々にとってはボケ防止のための貴重なトレーニングの機会ともなりましょう。

冒頭に挙げた「けげかしけじめ」は、暗記のための有効な手法のひとつなのですが、まず、単語の頭だけをつなげて憶えてしまおうというものです。

そこで、年代順に江戸時代の年号の頭だけをつなげてみました。江戸時代の年号は36あります。17世紀、18世紀、19世紀をそれぞれひと括りにして憶えてしまいましょう。



(け) けいちょう
慶長 1596ー1615


(げ) げんな
元和 1615ー1624


(か) かんえい
寛永 1624ー1644


(し) しょうほう
正保 1644ー1648


(け) けいあん
慶安 1648ー1652


(じ) じょうおう
承応 1652ー1655


(め) めいれき
明暦 1655ー1658


(ま) まんじ
万治 1658ー1661


(か) かんぶん
寛文 1661ー1673


(え) えんぽう
延宝 1673ー1681


(て) てんな
天和 1681ー1684


(じ) じょうきょう
貞享 1684ー1688


(げんろく) げんろく
元禄 1688ー1704


(ほ) ほうえい
宝永 1704ー1711


(し) しょうとく
正徳 1711ー1716


(き) きょうほう
享保 1716ー1736


(げ) げんぶん
元文 1736ー1741


(か) かんぽう
寛保 1741ー1744


(え)えんきょう
延享 1744ー1748


(か) かんえん
寛延 1748ー1751


(ほ) ほうれき
宝暦 1751ー1764


(め) めいわ
明和 1764ー1772


(あ) あんえい
安永 1772ー1781


(て) てんめい
天明 1781ー1789


(か) かんせい
寛政 1789ー1801


(き) きょうわ
享和 1801ー1804


(ぶ) ぶんか
文化 1804ー1818


(ぶ) ぶんせい
文政 1818ー1830


(て) てんぽう
天保 1830ー1844


(こう) こうか
弘化 1844ー1848


(か) かえい
嘉永 1848ー1854


(あ) あんせい
安政 1854ー1860


(ま) まんえん
万延 1860ー1861


(ぶ) ぶんきゅう
文久 1861ー1864


(げ) げんじ
元治 1864ー1865


(け) けいおう
慶応 1865ー1868


以上が36個の江戸時代の年号になります。


憶え易いように頭の一語を世紀ごとに一括りにしてみましょう。

*17世紀
「けげかしけじめ まかえてじ (げんろく)」

*18世紀
「ほしきげかえか ほめあてか」

*19世紀
「きぶぶてこうか あまぶげけ」


リズムよく憶えるために、元禄は「げんろく」、弘化は「こう」として置き換えています。


やはり年号は漢字ですから、どうしてもイメージで憶えることが主になってきますよね。でも、それをサポートするための工夫が必要になってくると思います。

今日ご紹介した頭の文字を串刺しにしてしまうことは、順番の記憶をまず固定させるにはたいへん効果的です。


また次回には別の方法もご紹介したいと思います。



Posted by 隼四郎 at 02:41 | この記事のURL
2013年08月22日
☆古代のロマン 歴史探索〜大隅国1300年




「祓うとか鎮めるというよりも安らかに天国へ昇って下さいという思いで建てられたのだと思います。」

「他の史跡との距離もきれいに二等辺三角形をかたどっていますので、ここに建てられたのも根拠があると思います。」

先日、「隼人塚」での現地研修会で、案内して下さった研究家の方はそのように説明して下さいました。


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701年、朝廷は大宝律令を完成させました。隼人の住む地域に対しても、律令のしくみをあてはめようとし、702年には薩摩国とたねのしまを置きました。さらに、713年には、日向国のきもつき・大隅・あいらの4郡を割いて大隅国を置きました。このあと、隼人たちは住んでいる国にもとづいて大隅隼人、薩摩隼人とよばれるようになりました。

朝廷は、戸籍づくりを進め、また隼人の有力者を郡司とよばれる役人に任命しようとしたのですが、隼人たちは武器をとって抵抗したようです。699年、702年、713年に戦いが起こり、朝廷は大軍を送ってこれを鎮めました。そして、薩摩国には肥後国から人々を移住させて高城郡をつくり、大隅国には豊前国・豊後国から人々を移住させて桑原郡をつくり、隼人たちを朝廷のしくみに従わせようとしました。

720年に、大隅守(国司の長官)が隼人に殺されてしまうという事件が起きました。朝廷は、大伴旅人を最高司令官として、1万人以上の兵を動員し、鎮圧までに約1年半をかけました。当時の日本の人口は500万人前後といわれていますから、この戦いがいかに大きかったかがわかります。

この戦いの時、隼人たちは7つの城を拠点として戦ったといわれています。そのうち、曽於石城(そのいわき)は、霧島市国分の城山、比売城(ひめのき)は霧島の姫城(ひめぎ)にあたると考えられます。これ以降、隼人との戦いはおこりませんでした。


*以上鹿児島県霧島市発行「大隅国建国1300年記念 大隅国へタイムワープ」パンフレットより抜粋引用しました。
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大和朝廷が全国統一をしていく中で隼人の人たちが8世紀に最後の抵抗をしたということ、そしてその霊たちを慰めるために隼人塚が建てられたということ。

隼人塚の五重の塔の側面には数々の菩薩像が刻まれていることからも、祓うというよりも霊を慰めるという趣旨が明らかですね。


今年は大隅国が置かれてから1300年になります。

霧島市では、大隅建国1300年記念事業として隼人舞の共演等、様々な催しが企画されています。

今まで薩摩と大隅の境がどの辺になるのかすら自分は知りませんでしたが、これを機会に歴史探索をしてみようと思っています。


Posted by 隼四郎 at 02:30 | 歴史 | この記事のURL
2013年08月20日
☆猛暑を乗り切るスーパードリンク



今日ご紹介するのは奄美特産「花田のミキ」です。

名称:ミキ(米加工食品)

原材料名:うるち米(国産)・さつまいも・白糖

内容量:1000ml

ミキは奄美伝統の発酵食品で、鹿児島県の奄美地方で広く飲まれています。

甘酒によく似ていますが、食感は甘酒よりもやや粘りが強く、また甘酒よりも甘みが抑えられています。

よく冷やして飲めば、暑さに疲れた身体をよく癒してくれます。いくらでも飲みたくなります。

江戸時代に江戸では真夏に甘酒がよく好んで飲まれたといいますが、甘い発酵飲料は夏バテ対策にもってこいなのでしょう。

甘い発酵飲料としては、ヤクルトやカルピスや飲むヨーグルトもとても美味しいですよね。

ミキのメーカーもたくさんありますが、「花田のミキ」もたいへん人気があります。奄美に行かれたらぜひお試し下さい。鹿児島市内でも売っているお店がありますよ。

Posted by 隼四郎 at 02:22 | この記事のURL
2013年08月18日
☆気分は「灰」?




今日夕方、桜島が爆発的噴火を起こし、東風に乗って噴煙が鹿児島市方面を直撃しました。

気分はHighならぬ「灰」まみれ。

東風(こち)吹かば 噴煙よこす桜島


Posted by 隼四郎 at 21:26 | この記事のURL

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