犯人どころか出荷原因さえ未だ特定されていない。
しかし、
沖縄県民の中には『国から与えられたもの』『偽物の首里城』という意識もあった
というのだ、さらに、
「象徴としての首里城を取り戻すには長い時間をかけてでも、県民が中心となって議論することが大事だ」
という。
こうした意見は重要。
年間3億円で復旧をすれば、25年程度で復旧できるのが偽物でもある首里城正殿等なのだ。
世界遺産そのものの建物ではないという。その程度のもの。
その程度のものであるからこそ、ここは沖縄の金で復旧して、本物の首里城にすることが必要だ。
Yahoo!より、
美しい首里城よ「もう一度」 猛火に耐えた大龍柱、焼け跡に希望
11/5(火) 18:10配信 沖縄タイムス
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191105-00493359-okinawat-oki
記事より、
がれきと化した首里城正殿跡に、1対の大龍柱だけが焼け残った。とぐろを巻き、鎌首を持ち上げて仁王像のように構える柱状の龍。柱に巻き付く龍の装飾は中国や日本で見られるが、龍自体が柱になった形は琉球独自の意匠だ。
復元された首里城の龍柱を制作した彫刻家で琉球大学名誉教授の西村貞雄さん(76)=糸満市=は、独自の造形文化が詰め込まれた城の変わり果てた姿に「研究と技術の集積が一瞬にして消えた」と肩を落とした。
火災の前日、元美術教師らを連れて城を案内したばかりだった。一見中国の紫禁城に似た外観。だが単なる模倣ではなく、「中国と日本の文化を基にした琉球独自の文化の結晶」と首里城の価値を語る。
基本・実施設計の委員で龍柱を含む正殿の復元作業に携わった。わずかに残った戦前の写真や図面を観察し、中国や東南アジアなどを視察した。龍のうろこや背びれの数を数えて柱の高さを確認するなど、地道な作業で戦前の姿を解明していった。
その文化の結晶が灰と化した。「人生の多くの時間をかけた物が失われたのはつらい。でも手掛かりがほとんどなかった戦後の復元と比べ、資料はある。再建に向けもう一度全力投球だ」
国の首里城整備検討委員会の委員だった県立博物館・美術館前館長、安里進さん(72)は10月31日早朝、サイレンの音で目を覚ました。龍潭のほとりにある自宅から窓の外を確認すると、正殿が赤く燃えていた。見慣れた景色の惨状にぼうぜんとした。
だが、復元に携わった当事者だからこそずっと落胆してはいられない。「火事を防げなかった原因など再復元に向けた検証が必要だ」と前を向く。
30年前の復元時と比べ、県民の首里城への思いの強さが再建の要になるとみる。当時は日本復帰20年の記念事業として国主導で整備した。安里さんは「沖縄戦が背景にあり、県民の中には『国から与えられたもの』『偽物の首里城』という意識もあった」と振り返る。それが30年かけ、県民のアイデンティティーの一部として定着していった。
だからこそ強調する。「象徴としての首里城を取り戻すには長い時間をかけてでも、県民が中心となって議論することが大事だ」
材木の調達、人材の確保、文化財としての価値を保ちながらどう防災対策を施すか。県民が決めることに意味があると考える。
「焼け落ちた正殿跡に残った龍柱のように、県民も立ち上がらなくては」
この記事にあるように、今度こそ、国から与えられたものではなく、沖縄県民の力=金で首里城の復元をしてほしいものだ。
30年前ならともかく、それは今なら可能だろう。
なぜか沖縄県知事は国に金を出せと言っているのだが、どう考えてもアイデンティティーを大切にしている行動とは見えない。一体、何なのだろうか?
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