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2020年12月09日

10分間の映画のようなバイク昔話

 こんにちは、サイクルジャーナリストのケニー佐川です、

 バイクの免許も無いのに、勝手にモノマネしたらあきませんよ、

 そんなケニーさんによる、安全運転啓発動画をどうぞ、



 バイクにも乗らんのに、よう興味が続きますね、

 エンジン付き乗り物では、自転車にいちばん近いんで、自転車と同じ部分とそうでない部分がまざりあって、甘辛味が止まらなくなるような魅力があるんや、

 ところで、なに読んでるんすか、ウィキペディアで、

 自転車に毛が生えて、バイクになったんはいつごろからか、そのへんのルーツ(イチバン根っこ)の部分が気になったもんで、

 ちなみに、ホンダ・スーパーカブのいちばん元のモデルは、HONDA本社に動態保存されてるんすね、

 なんか、いまの電動自転車とおなじノリやな、

 半世紀たって、ひと回りして、また同じ場所へもどってきたような、



 ウィキペディアには、こう書いたある、「本田技研工業は日本陸軍払い下げの軍事無線機用小型エンジンをベースに開発を重ね、後にホンダ・カブF型(通称「バタバタ」)を1952年(昭和27年)に発売する」、

 無線機って、ラジコンの飛行機とか、

 いやいや、第2次世界大戦中、陸軍で無線通信するため、通信兵が背負ってたメチャ重たい通信機のことやろ、

 この小型エンジンとの出会いが、戦後の国産バイクの出発点になると同時に、ホンダという世界的企業の出発点にもなってるんすね・・・コレ読むと、さらによう分かりますわ、
「1946年9月のある日、友人の犬飼兼三郎氏の家を訪れた本田は、そこで偶然、小さなエンジンに出逢う。アート商会浜松支店を経営していたころ、タクシー会社をやっていた犬飼氏とは自動車修理を通じての古くからの知り合いだった。犬飼氏が、たまたま知人から預かっていた旧陸軍の6号無線機発電用エンジン。これを見た本田の頭に、アイデアがたちまちひらめく。運命的と言うべき瞬間だった。この出逢いが、彼の向かう将来を決め、後のHondaを生むことになる決定的瞬間だった。本田は、もともと自動車修理工である。エンジンはお手のもの、そして、発明家である。−−これを自転車用の補助動力に使おう−−と思い付くのに、時間はかからなかった。」(HONDA ホームページより)

ところで、今回のお題は、映画のようなバイク昔話とありますけど、

 空波さんという50才くらいのモトブロガーさんが、30年ほど前に知り合ったバイク仲間の話をされてるんやけど、スッキリ晴れ晴れするというより、切ない余韻が残るような話で、わずか10分チョットやけど、映画みたいな厚みや重みがあって、

 過去の記憶をたどって淡々と話されてるだけですけど、かえってじわっとせまってくるもんがありますね、

 自転車もバイクも、乗り手との一体感が強いんで、魂がこもるというか、乗り手を失って、朽(く)ち果(は)てていくバイクと対話するシーンも、ごく自然なこととしてよう分かるなあ、

話が始まる部分から再生されます



posted by なおいのおじさん at 23:07| バイク
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