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2023年07月10日

関東大震災は東京の被害だけではなかった

関東大震災から100年。
東京の地震と思われているが、震源は神奈川県。
実は、東京での震度は大したことがなかったことが明らかになっている。
火災ばかりではなく、津波、また大地震の揺れによる木造住宅の全壊も数多く見られたのが、関東大震災の全容だ。

Yahoo!より、
日本を暗黒の時代に突き落とした関東大震災から96年
福和伸夫
名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
2019/9/1(日) 9:00
https://news.yahoo.co.jp/byline/fukuwanobuo/20190901-00140012
記事より、
 大正時代は、元老を中心とした藩閥主義を脱して、尾崎行雄や犬養毅らの政党政治に移行しようとした時代でした。第一次世界大戦による好況や、護憲運動や労働運動、婦人参政権運動、部落解放運動など、民衆運動が活発に行われました。洋食・洋服・文化住宅などの西洋式の衣食住が広がって、芸術・大衆文化、新聞・ラジオ、路面電車や乗合バス、家庭電化製品などの都市文化も形成されました。この時期には、1914年秋田仙北地震を除いて、犠牲者を多く出す地震もありませんでした。そんな中、関東地震が発生し、強い揺れが南関東を直撃しました。その甚大な被害故に、災害名は関東大震災と呼ばれます。

 関東地震は1923年9月1日11時58分に発生しました。小田原周辺を震源とするマグニチュード7.9の地震で、フィリピン海プレートと北アメリカプレートが接する相模トラフでのプレート境界地震です。1703年に発生した元禄関東地震よりは一回り小さい地震でしたが、震源域は神奈川県西部から房総半島南部に及び、南関東を中心に広域な被害となりました。震源域からは少し離れていますが、地盤が軟弱な東京の沖積低地も強く揺れました。死者・行方不明者は我が国史上最大の10万5千人余り、全潰家屋11万棟、焼失家屋21万棟に上ります。経済被害は日銀の推計では物的損失が約 45 億円、また、東京市の推計では約52億7,500万円とされています。これは、当時の日本の名目GNP約150億円の1/3、一般会計歳出額約15億円(軍事費を除くと10億円)の3倍に相当します。このため、経済的にも苦境に陥りました。
寺田寅彦が残した揺れの記録

 関東地震は正午前の地震で、日本海を進む台風によって風が強かったため、住家が密集した東京や横浜で大規模な地震火災となりました。とくに、多くの住民が避難していた本所の陸軍被服廠跡では、火災旋風によって4万人弱もの人が犠牲になりました。焼失棟数は21万棟にも上り、全死者の9割が焼死によるものでした。

 このように関東地震は火災被害の印象が強いですが、揺れによる全壊家屋数も約11万棟ありました。家屋倒壊による死者数は全死者の約1割の1万1千人で、阪神・淡路大震災の倍にもなります。住宅の全壊棟数は、東京市が12,000棟、東京市の1/5の人口の横浜市が16,000棟で、人口比で考えると横浜市の被害は東京の7倍にもなります。震源域に近かった横浜の揺れの強さが想像できます。

 また、地震後には、伊豆半島から相模湾、房総半島の沿岸に高い津波が押し寄せ、熱海、伊東、鎌倉などで、200〜300人の犠牲者が出ました。土砂災害も各地で発生し、全体で700〜800人の死者となりました。とくに小田原の根府川駅での列車転落事故では、山津波によって列車が海中に没し、その直後に津波が押し寄せ100人を超える犠牲者を出しました。また、神奈川県秦野市と中井町の境には、土砂崩れでせき止めが起こり、震生湖ができました。神奈川県は、富士山や箱根の火山噴火で噴出した堆積物が地表を覆っているため、土砂災害が起こりやすいようです。
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