一般的にはそのような解釈になっている。「 報酬=お金 」 という前提で考えよう。
では、【報酬を得ていない場合】は仕事をしていない事になるのだろうか・・。
まず、宝くじで1等当選した人 = 一瞬で偉大な仕事をしたことになる。
思考を捻って考えてみよう・・当選者が居ないと宝くじ当選の夢が持てず、宝くじの購入者が居なくなる。すると宝くじ運営機関が倒産してしまう。
宝くじの収益金から寄付される事が無くなって困る人がでる。宝くじ機関で就労されている方が失業する。
よって当選者が必要とされる仕事をしたことになる。
ベンチャー企業に投資したら、株価が急上昇して巨万の富を得た場合。
少ない投資額だったとしても、そのベンチャー起業にとっては、その時に必要不可欠な資金であった。その資金で事業を運営し、株主に報酬を配当することが出来るようになり、株主が多額の報酬を得たのだ。
つまり、投資したその時の行動が、巨万の富を得るべき仕事であったということである。
「 仕事=必要とされる事 」、そのような思想がある。
それでは、更に思考を捻ってみよう。
仕事として報酬を得ていないが、必要とされる事。
例えば、けがや病気で病院に行くことになった場合。病院にとっては病人が居なければ経営が成り立たない。すると、医療従事者は職を失ってしまう。薬局も必要なくなり、薬剤師も職を失う。
よって、病人として「必要とされる仕事」をしたのだが、報酬は得られない。
・・更に大きく考える。
お客様としてお金を消費しないと、会社は売り上げが上がらずに倒産してしまう。
よって、お客様も必要不可欠であり、報酬は得られないが「必要とされる仕事」をしていることになるのだ。
そうなると、「 報酬を得る = 仕事をした 」という公式が成り立たなくなってしまうわけである。
税収で仕事を営む組織の場合、税収に関係なく仕事量が決定される。
暇な時は良いが、多忙であっても税収は一定である。公共サービスの提供量に変動しない収入で従事することになる。
視点を変えると、基本給(月給)保証のサラリーマンとして従事している場合、会社に対する仕事量に変動があったとしても、月給に変化が無い。固定月で考えると、暇な時は良いが多忙であっても月給は一定である。
つまり『 報酬額 = 仕事量 』では無いわけである。
よって、報酬額の差で優劣を考える事は論外である、という事になる。
結果として、 仕事は報酬額で測れないというわけだ。
・・更に思考を深めよう。
会話をする時には、「話をする側」と「話を聞く側」の双方がお互いに必要である。
必要とされる事をしている = 仕事として考える事もできるのだ。
お誕生日に「誕生日でお祝いされる人」と「お祝いする人」の双方が必要である。
感謝されることをしている = 仕事として成り立つわけである。
では、具体的な仕事量は何で示されるのだろうか・・。
「サービスを提供される側」と「提供する側」の 双方における『 人と関わる人数』とすべきだろう。
よって結論としては、 人と関わりを持つ行為が【仕事】であると考えるのだ。
人と関わる事なく、一人無人島にて国に属することなく、自給自足で自由に生活している場合、社会的に仕事していない事になる・・。
しかし、人間として誰かに必要とされず生きていく事は困難である。
仕事は社会と繋がりを持つ、大切なツールであるのだ。
【このカテゴリーの最新記事】
- no image
- no image
- no image
- no image
- no image
- no image
- no image
- no image
- no image
- no image
- no image
- no image
- no image
- no image
- no image