国慶節篇後半ダイジェスト記事、そして近況について
なんやかんやと忙しく記事も書けず投稿もできないうちに、気づけば日付は11月。書くといっておいたことを放置し続けるのも良心の呵責と言うよりは性格上許せない性質なので、ここはサクっとダイジェスト版という形で記事及び写真を掲載します。
10月2日午後7時過ぎ、彼女と二人で姉のご主人の故郷、公安に到着。姉のパンチの効いた出迎えを受けて自宅へ案内される。久しぶりに姉のご主人の母親(以後「おばさん」)の作った料理を食べて、僕は舌鼓を打つ。姉のご主人の父親(以後「おじさん」)にはちょっと高価な白酒もご馳走になった。出されたものは断れない性質なので、これもしっかりコップ一杯傾ける。これら並べられた食事の写真を撮るのを忘れたため、その晩は姉の息子の入浴写真を撮ることに。きっと10数年後、あるいは20数年後に「僕の膝の上であやされながらウンコしたこと覚えてる?」なんて訊いても絶対に、「そんなことしてないよっ!」とか言われるはずだ。これも実にいい思い出だ。
10月3日、午前5時。他所様の家に泊まると緊張のせいかどうも平時より早く目が覚めてしまう。僕は居間のソファで目を覚まし、カーテンを開けて小説を読む。午前7時におばさんが目を覚まし、姉と彼女の寝る部屋へ。早朝のもろもろの身支度を終え、僕らは三峡ダムを訪れるため車で出発。途中大衆食堂へ寄り、皆で一斉に麺類やら焼きギョーザにも似た焼餅を食べる。これも実に美味しい。食事を終えると早々に僕らは出発するのだが、公安から目的地までは3時間近く車で走るため、後部座席に座った僕と彼女と姉は、車を運転するおじさんと助手席で赤ん坊をあやすおばさんにも構わず、それぞれ眠りだした。僕も少し遠慮しながらまぶたを閉じるのだが、気づけば頭が揺れていた。そしていつの間にか三峡ダムを見るための白馬石像前に到着。
三峡ダムで先ず訪れたのはロープウェイ。これは安全性が恐ろしく低い単純な作りのものだった。ベルトも何もなく、ただ鉄のパイプが身体を抑えるだけだ。しかしこれもある意味スリルがあって、好きな人は好きかもしれない。
昼食を取り、猿のショーを見終えると、再びロープウェイへ。場所を移動し、今度は三峡ダム沿いにある洞窟内を舟で見て周り、今度は歩いて鍾乳洞を見学。この周りは以前ナントカ部族が住んでいた地域のようだが、その居住地跡や部族風飾り付けがちょっと現代的な仕上がりになっていた。あるいは、こういうのも好きな人は好きかもしれない。
中型船に乗り、三峡ダムを20分ほど遊覧する。その後はダム近辺の傾斜のある岩場やら、珍しい石の販売店などを訪れ、最後は橋の近くにあるバンジージャンプを見学。橋の手すりには、ジャンプするの客を見るためにたくさんの観光客が並んでいた。午後4時になると車を出し、三峡ダム近辺市内でホテルを探す。ホテルを決めると、外に出てみんなで食事を取った。
10月4日、ホテルで朝食をとると、三峡ダムの残った観光名所を見て周り、それから公安へ戻る。公安につくとすぐに昼食。次に僕と彼女と姉はなぜか買い物へ。僕は帰りのバスチケット購入のことがずっと気がかりだったのだが、姉は「大丈夫大丈夫」と余裕の表情。これには僕も再び嫌な予感がした。買い物後に長距離バスのチケット売り場へ行くと、武昌発杭州行きの列車にちょうど合うチケットは既に無いのだという。姉はおじさんに電話をし、「明日妹たちを武昌まで送ってもらえないか?」と訊くのだが、息子の嫁の頼みとはいえ、さすがにおじさんも「時間がない」と断った。明朝がダメなら、いっそ今からバスで武昌に行けばいいのではと僕は思っていたのだけれど、「他にもチケット売り場がある」との姉の一言で、僕らはタクシーに乗り場所を移動することに。長距離バス出発所のチケット売り場につくと、不思議なものでそこではなぜかまだチケットが販売されていた。「ほらね」と得意げな姉。僕も何とも言えず、とりあえず終わり良ければと納得する。
今は国慶節から既に一月が経ち、赤ん坊を公安に預けて来た姉が、杭州で再び僕と彼女と姉の夫と生活を始めることになった。姉が杭州に戻って、晩御飯はいつも4人みんなで揃ってとるようになった。彼女も姉のご主人も、姉に振り回されながらもいつも楽しそうだ。先日突然姉から携帯に電話があり、「買い物に出たんだけど、鍵を持つのを忘れちゃった。お兄ちゃん(ご主人のこと)と妹は帰りが7時頃でしょう? あんたいつ帰って来れる?」との内容。そそっかしく豪快な性格がときには憎めない魅力になるのだなと、僕はこの姉を見ながらつくづく思うのだった。
10月2日午後7時過ぎ、彼女と二人で姉のご主人の故郷、公安に到着。姉のパンチの効いた出迎えを受けて自宅へ案内される。久しぶりに姉のご主人の母親(以後「おばさん」)の作った料理を食べて、僕は舌鼓を打つ。姉のご主人の父親(以後「おじさん」)にはちょっと高価な白酒もご馳走になった。出されたものは断れない性質なので、これもしっかりコップ一杯傾ける。これら並べられた食事の写真を撮るのを忘れたため、その晩は姉の息子の入浴写真を撮ることに。きっと10数年後、あるいは20数年後に「僕の膝の上であやされながらウンコしたこと覚えてる?」なんて訊いても絶対に、「そんなことしてないよっ!」とか言われるはずだ。これも実にいい思い出だ。
10月3日、午前5時。他所様の家に泊まると緊張のせいかどうも平時より早く目が覚めてしまう。僕は居間のソファで目を覚まし、カーテンを開けて小説を読む。午前7時におばさんが目を覚まし、姉と彼女の寝る部屋へ。早朝のもろもろの身支度を終え、僕らは三峡ダムを訪れるため車で出発。途中大衆食堂へ寄り、皆で一斉に麺類やら焼きギョーザにも似た焼餅を食べる。これも実に美味しい。食事を終えると早々に僕らは出発するのだが、公安から目的地までは3時間近く車で走るため、後部座席に座った僕と彼女と姉は、車を運転するおじさんと助手席で赤ん坊をあやすおばさんにも構わず、それぞれ眠りだした。僕も少し遠慮しながらまぶたを閉じるのだが、気づけば頭が揺れていた。そしていつの間にか三峡ダムを見るための白馬石像前に到着。
三峡ダムで先ず訪れたのはロープウェイ。これは安全性が恐ろしく低い単純な作りのものだった。ベルトも何もなく、ただ鉄のパイプが身体を抑えるだけだ。しかしこれもある意味スリルがあって、好きな人は好きかもしれない。
昼食を取り、猿のショーを見終えると、再びロープウェイへ。場所を移動し、今度は三峡ダム沿いにある洞窟内を舟で見て周り、今度は歩いて鍾乳洞を見学。この周りは以前ナントカ部族が住んでいた地域のようだが、その居住地跡や部族風飾り付けがちょっと現代的な仕上がりになっていた。あるいは、こういうのも好きな人は好きかもしれない。
中型船に乗り、三峡ダムを20分ほど遊覧する。その後はダム近辺の傾斜のある岩場やら、珍しい石の販売店などを訪れ、最後は橋の近くにあるバンジージャンプを見学。橋の手すりには、ジャンプするの客を見るためにたくさんの観光客が並んでいた。午後4時になると車を出し、三峡ダム近辺市内でホテルを探す。ホテルを決めると、外に出てみんなで食事を取った。
10月4日、ホテルで朝食をとると、三峡ダムの残った観光名所を見て周り、それから公安へ戻る。公安につくとすぐに昼食。次に僕と彼女と姉はなぜか買い物へ。僕は帰りのバスチケット購入のことがずっと気がかりだったのだが、姉は「大丈夫大丈夫」と余裕の表情。これには僕も再び嫌な予感がした。買い物後に長距離バスのチケット売り場へ行くと、武昌発杭州行きの列車にちょうど合うチケットは既に無いのだという。姉はおじさんに電話をし、「明日妹たちを武昌まで送ってもらえないか?」と訊くのだが、息子の嫁の頼みとはいえ、さすがにおじさんも「時間がない」と断った。明朝がダメなら、いっそ今からバスで武昌に行けばいいのではと僕は思っていたのだけれど、「他にもチケット売り場がある」との姉の一言で、僕らはタクシーに乗り場所を移動することに。長距離バス出発所のチケット売り場につくと、不思議なものでそこではなぜかまだチケットが販売されていた。「ほらね」と得意げな姉。僕も何とも言えず、とりあえず終わり良ければと納得する。
今は国慶節から既に一月が経ち、赤ん坊を公安に預けて来た姉が、杭州で再び僕と彼女と姉の夫と生活を始めることになった。姉が杭州に戻って、晩御飯はいつも4人みんなで揃ってとるようになった。彼女も姉のご主人も、姉に振り回されながらもいつも楽しそうだ。先日突然姉から携帯に電話があり、「買い物に出たんだけど、鍵を持つのを忘れちゃった。お兄ちゃん(ご主人のこと)と妹は帰りが7時頃でしょう? あんたいつ帰って来れる?」との内容。そそっかしく豪快な性格がときには憎めない魅力になるのだなと、僕はこの姉を見ながらつくづく思うのだった。