● 受験やテストはなぜ必要か
学校現場では、競争や勝ち負けを嫌う傾向があります。みんなで仲良くというのもいいのですが、現実は競争の世界です。
自然界では、生存競争があり、環境に適さないものは自然淘汰され、適者生存、勝ち負けがはっきりした形で存在します。教育に必要なのは、実際には競争があるということをしっかり認め、勝者が敗者に対し手を差し伸べることが大切だということを教えることです。
そして、他人に手を差し伸べるためには、その人にパワーがなくてはなりません。力のない人が他を助けようとすれば共倒れになってしまいます。
私たちはなぜ勉強するのでしょう。
社会人になってから勉強するのは、資格を取って独立を目指したり、仕事で必要だから。また趣味などで自分のスキルアップを目指してなど、はっきりした目標があります。
では、子どもたちの勉強はどうでしょう。
はっきりとした目標は見えていません。
私は勉強とは、社会に出てから困らないようになるためにするもの。また何か問題が起きたとき、それを解決できる力をつけるためにするものだと子どもたちに話しています。
例えば、子どもたちが義務教育だけで社会の出て実際に社会の中で暮らしていけるかを考えてみて下さい。
それは無理でしょう。
学校や勉強は必要なのです。
ただ勉強というのは、学校の授業を受けただけでは自分がどのくらいの力がついたか分かりません。指標がなければ、いつまでに何をやったらいいかも分かりません。だからテストや受験が必要だと思うのです。
目標の設定や締め切りがはっきりしている点でも、受験は存在する価値がある。
と林先生は言います。
私もその意見に賛成です。
● 受験の問題点もある
受験がない国もあるのに、なぜ日本に受験が必要なのか。こう反論する人もいます。
特に中学3年生、高校3年生という受験生ではこう考える人も多いかもしれませんね。
義務教育のように受験が無ければ、いつ本気で勉強するのでしょうか。また受験が無いことがすばらしいことなのでしょうか。
アメリカでは、高校までが義務教育です。
誰でも高校に進学出来るのですが、勉強ができなければ留年もあり、高校に至っては白人以外の高校中退率は50%を超えているという問題を知っていますか。
※義務教育で中退した人達がどのようになるのかまでは知りません。
日本とは教育のシステムが違うのです。
日本の義務教育では、何もなければ自動的に進級していきます。そして大学までも含め、全員卒業させようとする学校がほとんどです。
日本でも、このように勉強が出来中れば留年があり、義務教育でも退学があるというのなら、子どもたちも真剣に勉強と向き合うので受験は必要ないかもしれません。
でも現実は違うのです。
問題は、選択肢が狭いことです。受験の勝者が全てに優れた存在であるかのように合格した時点で錯覚し、敗者を社会的に低く見てしまうことです。
世の中には、いろいろな才能を持った人たちがいて、受験だけでは判断できないということを忘れてしまうことが問題だと思います。
学力以外の「物差し」で能力を測る大学をたくさん作ってはどうか。
と提案しています。
現在写真を本格的に勉強するためには、海外に留学する人が多くいるそうです。そういう人のために、日本に写真の専門大学を作り、海外からも多く学生を集める。
このように1つの技術に特化した大学を作り、この分野なら日本の○○大学が最先端だというものを作っていく。そういう必要があると言います。
これなども、とても魅力のある意見だと思います。
読んでいると、この人本当に頭がいいんだなあと感じるか所がいくつも出てきます。
さらに、スペシャル対談の中で、
受験は、10代のうちに自分の人生と真剣に向き合うことを可能にする1つの制度。1つの目標に向けて努力し、結果を出すことができれば、それが一生の自信になる。
まだ狭い世界に生きている10代、受験がその役目を果たしてもいい。
なるほどと思います。
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