土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

PR

プロフィール

aどいなか

aどいなか

カレンダー

バックナンバー

2024.06
2024.05
2024.04
2024.03
2024.02

コメント新着

ぷまたろう@ Re:子規と木曽路の花漬け(09/29) 風流仏に出でくる花漬は花を塩漬けにした…
aki@ Re:2023年1月1日から再開。(12/21) この様な書込大変失礼致します。日本も当…
LuciaPoppファン @ Re:子規と門人の闇汁(12/04) はじめまして。 単なる誤記かと拝察します…
高田宏@ Re:漱石と大阪ホテルの草野丈吉(04/19) はじめまして。 大学で大阪のホテル史を研…
高田宏@ Re:漱石の生涯107:漱石家の書生の大食漢(12/19) 土井中様 初めまして。私は大学でホテル…

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2022.05.03
XML
カテゴリ: 正岡子規
初冬の黒き皮剥ぐバナゝかな (明治32)
相別れてバナヽ熟する事三度 (明治35)
 正岡子規は、明治35(1902)年7月31日、『菓物帖』にバナナを描いたその日、台湾にいる子規の門人・渡辺香墨に、「 相別れてバナヽ熟する事三度 」「 秋の部に子規忌加はる恨みかな 」の短冊を送っています。
 香墨は、子規より一つ年上で、東京法学校(元・法政大学)を経て法律家になり、明治33(1900)年、台湾総督府の検察官として台湾に赴任しました。台湾から、子規のもとへ、バナナをはじめとする熱帯産の果物を送っています。子規は、香墨から贈られたバナナやパイナップルを描いたようです。
 香墨が子規のもとに初めて訪れたのは、明治27年の夏のことでした。千葉の裁判所に勤めていた香墨は、子規のことを40近くのずいぶん傲慢な男のように想像していましたが、会ってみると年齢は自分よりも少しは若いようだし、謙遜家であったことに驚いています。
 明治29(1896)年の秋、香墨はそれまで学んでいた月並俳句の門を振り捨て、子規門へと入りました。しかし、明治31(1898)年には高田の裁判所に赴任することになりますが、移転した新潟でも俳句をつくり続けます。明治31年1月4日、「日本新聞」に掲載された『明治三十年の俳句』には「 地方に在りて昨年中に歩を進めたる者を茶村、菰童子、青嵐、緑、瀾水、森々、香墨、桂堂等とす 」とあり、明治32年1月10日の「ホトトギス」『明治三十一年の俳句界』には「 昨年に在りて著き進歩を現したる者、東京に五城あり、越後に香墨あり、大阪に青々あり」「香墨はようやくを追うて進む者その礎既に堅し 」と評されています。
 明治32年1月24日、香墨は台湾へ渡る途中に子規を訪ねました。「 先生は非常に喜ばれた。僕の前途を祝しくれたのみならず……僕の台湾行に同情を寄せられたのは先生一人であったのである 」(渡辺香墨著『六年有余』)と書いています。
 翌日午後の虚子兄宅の運座に出掛け、夜半頃芝の宿屋に戻って来たら、先生よりの小包郵便が届いていた。根岸名物小蓑庵の青紫蘇の粉と山椒の実の瓶詰と短冊四枚に送別の句を書かれたものであった。二句だけはその頃の日本新聞紙上に公けにせられたようであったが、公けにせられなんだのはこういう句であるのだ。
   朕の手に団扇もつ日を数へけり
   冬の季にやや暑してふ題あらん
 内地にいてさえ田舎から東京へはなかなか出る機会がないのに、まして台湾よりは一層むずかしいから、他日先生と相見ることが出来るであろうかということは、常に僕の心を苦しめた一の疑問であったが、幸にも御用上京を命ぜられ、一年三ヶ月目に先生の病状を見舞うことが出来た。即ち昨年の五月半ば頃であった。
 先生は僕に対し、台湾は面白いところであろう。芭蕉の実(バナナ)はたくさんあるそうじゃ、いつ帰ってきたのだ、と尋ねられたるのみで他は何やらいわんとてただ苦悶するのみであった。僕はこの状態を座視するに忍びず母堂に失礼を断って辞し去った。……「相別れてバナナ熟する事三度」の七月三十一日付の手紙とともに贈られた短冊が最後の記念となり、永く先生と別るることになったのを深く遺憾とするのである。 (渡辺香墨 六年有余)
 子規は、明治34(1901)年3月20日発刊の「ホトトギス」『くだもの』のなかでバナナについて書いています。
○くだものと気候 気候によりてくだものの種類または発達を異にするのはいうまでもない。日本の本州ばかりでいっても、南方の熱い処には蜜柑みかんやザボンがよく出来て、北方の寒い国では林檎りんごや梨がよく出来るという位差はある。まして台湾以南の熱帯地方では椰子とかバナナとかパインアップルとかいうような、まるで種類も味も違った菓物がある。
○くだものの嗜好 菓物は淡泊なものであるから普通に嫌いという人は少ないが、日本人ではバナナのような熱帯臭いものは得食わぬ人も沢山ある。また好きといううちでも何が最も好きかというと、それは人によって一々違う。
○くだものと余 余がくだものを好むのは病気のためであるか、他に原因があるか一向にわからん、子供の頃はいうまでもなく書生時代になっても菓物は好きであったから、二ヶ月の学費が手に入って牛肉を食いに行たあとでは、いつでも菓物を買うて来て食うのが例であった。……しかしながら自分には殆ど嫌いじゃという菓物はない。バナナも旨い。パインアップルも旨い。 (くだもの)
 当時、バナナを手に入れるには、外国航路の船員が持ち込んだバナナを日本の果物業者に買い取られたものか、子規のように台湾在住の人から送ってもらうことしか、手に入れるすべがありませんでした。バナナが正式に輸入されるようになったのは明治36(1903)年4月10日のこと。台湾バナナが神戸港に陸揚げされましたがバナナは高級で、見舞いなどの贈答品として使われました。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2022.05.03 19:00:07
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.

Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: