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analog純文

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2009.08.24
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カテゴリ: 大正期・私小説

『子を貸し屋』宇野浩二(新潮文庫)

 上記小説の読書報告の第3回目です。
 作品の二つ目のポイントを、これに置きました。

(2)極めて特徴的な文体

 しかし、見事に特徴的な文体であります。適当に引用してみますね。

私は、こんなに正直に、こんなに一所懸命に働いているのに、世界のすみずみまで見張つてをられるといふ神様は、彼が私に味方をしない筈がない、と夜の寒空の下を、ふるへながら、あるきながら、考へたものだ。私は、下をむいてあるきながら、彼はきつと私をあはれんで、私が拾つてもいいお金を、誰かにこの道に落とさしておいてくれるにちがひない、と本当にまじめに考へたものだ。だが、何にも落ちてはゐないのだ。この上は『どろばう』をしても差支へがあるまいともちよつと考へたことだが。これだけ文学の修業をしても、文字で飯を得られないものを、修業もなしに、『どろばう』する能力など思ひもおよばぬにちがひなかつた。       (『あの頃の事』)

 どうでしょうか。こんな文が、改行も極めて少なく、ずーーーっと続いていきます。
 うーん、なかなかのものですなー。
 ちょっと、この文体の特徴を、箇条書きに列挙してみますね。

  1.一文の異常な長さ。(本来「。」のところが「、」に。)
  2.ひらがなの多用。
  3.一文中の逆接接続(屈折)の多さ。
  4.段落の少なさ。
  5.間接話法の多用。(直接話法も行がえなし。)
  6.文末の断定型の多さ。
  7.極端な比喩。大げさな抑揚。

と、まー、こんなあたりでどうでしょうか。
 6.7については、例えばこんな表現です。

「仕事は急流のやうに早くすすむのだ、あまりに貧乏な生活が私の頭から物を考へる力などを奪ひ取つてしまつたのだらう、私は機械になつたにちがひなかった。」

「ちよつとでもだまつてゐると、心のなかが荒野みたいになつて、その上そこに空ツ風でも吹きとほすやうな感じがしてたへられなかつたからだ。」

 これらの文章上の特徴が、極めて特異な文体を作るのですが、僕がこの小説を読み始めてしばらくして気づいたのは、この一作だけならとにかく、この筆者は、この文体でずっと行くつもりなのか、という事でした。

 作品ごとに文体をがらりと変えたのは、なんといっても芥川龍之介でしょう。
 しかし芥川の場合は、「定点=原点」をしっかりと自分の物に持ちつつ「変奏」していったのでありまして、いきなりこれから入っていく宇野浩二とはかなり趣を事にします。

 確かに宇野浩二のこの文体は極めてユニークではありますが、この文体では書ききれない事も少なくないだろうと。
 かなり自信があったのかも知れませんが、果たしてこれでやっていく事に何か「怯む」ものを、筆者は持たなかったのでしょうか。
 その辺がとても気になりました。

 ただ、読んでいくうちに、幾つかの事が分かってきたのですが、当たり前ながら、筆者は、思いつくままだらだらとこの文章を綴っているわけではないということです。

 それはこの短編集に入っている、『人心』という作品との比較で、特に分かりました。
 同様の文体で描きながら、この『人心』のほうには「たるみ」が見られるのです。
 この文体は、だらだらと書いているように見えながら、極めて緻密にタイミングを計りながら、プロットの出し入れのなされている事が分かりました。
 『人心』は、ややそこが甘く感じました。

 最後にもう一つ。
 筆者がこの文体を選ぶのを決意した時、横に伴走していたものは、おそらく「伝統の力」でありましょう。
 そして、この文体で行けるところまで行こうと第一歩を踏み出した筆者に、「先達」として見えていたもの、それはきっと、西鶴の「浮世草子」ではなかったかと、僕は密かに考えたのでありました。

 今回は、こんなところであります。


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Last updated  2009.08.24 06:45:12
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analog純文 @ Re[1]:父親という苦悩(06/04)  七詩さん、コメントありがとうございま…
七詩 @ Re:父親という苦悩(06/04) 親子二代の小説家父子というのは思いつき…
analog純文 @ Re:方丈記にあまり触れない方丈記(03/03)  おや、今猿人さん、ご無沙汰しています…
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