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2010.01.02
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カテゴリ: 明治期・明治末期

『鱧の皮』上司小剣(岩波文庫)

 素朴な疑問があるんですがね、前々からうっすらとは思っていたんですが、何のことかといいますと、一出版社の経営戦略についてのことなんですがね。
 もう少し具体的に言います。私の疑問は以下のものです。

(疑問)岩波文庫の出版基準は、一体如何なるものなのか。

ということなんですがね。
 この作者、ご存じでしたか。名前、迷わず読めましたか。
 私は実はこの文庫本を手に入れる以前から、こんな名前の作家がいることは知っていたんです。エヘン。

 いや、別に自慢するようなことではなくて、以前から何度か拙ブログに取り上げている『筑摩現代日本文学大系』中の、四人で一冊の巻に、この名前があったんですね。
 とても特徴的な名前だから目に付いたという、ただそれだけのことですがー。

 この名前、何と読むんですかね。「じょうし・こけん」? 上司の沽券?
 ふざけた筆名だなーと思いましたね。二葉亭四迷と双璧ですね。

 そして次に、どんな小説を書く人なのだろうか、と。
 ところが私の得意の高校国語日本文学史教科書を見ても、載っていません。

 で、最初の疑問に戻るわけですね。
 とてもじゃないけれど、ポピュラリティーのある作家とは思えないわけです。
 もっとも、以前にも少し触れましたが、「岩波文庫」というのは見事に売れ筋の本をはずして出版していますからねー。
 いえ、一般論としてのポリシーは、何となく分かります。

 いわゆる「歴史的評価」の確立した古典的な作品のみを文庫にしているんですね。
 岩波文庫の「最近作家」の定義は、おそらく「第二次戦後派」あたりの作家じゃないですかね。
 「第三の新人」、大江・開高、この辺の作家ですら文庫化されていないと思います。
 (文庫じゃない本は、もちろん出版されていますけれどもね。例えば大江健三郎の『ヒロシマ・ノート』とか。)

 で、上司小剣ですが、この方は正宗白鳥の五つ年上だと言うことですから、堂々と明治・大正の人です。

 もう少しはっきり言います。
 この作家の作品をこの度初めて読みましたが、内容的には、確かに「岩波文庫」に収録されるに相応しい作品であると、私も思いました。とっても面白かったです。
 でも、でもなぜ、今となってはほとんど「無名」の上司小剣(忘れていましたが、この名前の読みは「かみつかさ・しょうけん」です)なのか。
 「歴史的評価」についても、高校の日本文学史の教科書にも載っていないような作家ですよー。

 うーん、あまたいる過去の小説家の中で、何故この作家が岩波文庫に選ばれたのか。
 どなたか、私の冒頭の疑問にお答えいただける方はいらっしゃいませんかねー。
 この場を借りまして謹んで広くお答えを戴きたいと、えー、よろしくお願いいたしますー。

 ただ、現段階で私が考えられる、ちょっと「不安な」考えを一つ書いてみますね。
 それは、実はこのレベルの作品が、日本文学史上にさほどないのではないか、という「不安」な推論であります。

 ひょっとしたら、そうなんでしょうか。
 いくら「貧弱」な日本文学史とはいえ、そして、この短編集の出来は決して悪くないとはいえ、この辺のレベルの作品なら、山のように、とは言い過ぎでも、他にも多くの作家を見つけることができると思うのですが、いかがでしょう。「日本文学史の謎」ですねー。

 しかしそれはそうとして、繰り返しますが、この作品集はなかなか良くできています。
 六つの短編が入っていますが、その中では、僕は、『鱧の皮』『兵隊の宿』などの出来がとても良いと思いました。

 どこが優れているか、二点取り上げてみますね。
 一つめは、まず全編に渉って、関西弁描写の見事なことでしょう。
 六つのお話し総てが、関西弁のセリフを伴う小説ですが、独特の関西弁のニュアンスをとても見事にすくい取っています。例えば、こんな部分。

「こなひだ、お駒の面皰指で絞つてやつたら、白いシンがぷつッと出たで。……面皰絞るん面白い。」
 まだ面皰のことを言つて、自分は父の口元を見詰めつゝ、如何にも大きく見事な父の面皰を絞りたさうにした。父は顔を背向けて、「えへん、えへん。」と無理に空咳をした。
                      (『父の婚禮』)


 二つめは、物語の運びのうまさです。就中、小説の終え方が非常にうまいと思いました。
 集中屈指の短編『鱧の皮』を始め、総ての作品について、小説の終わりに一工夫が見えます。これは、おそらくこの筆者の嗜好なんでしょうね。
少々やり過ぎと感じるものもないわけではありませんが、この工夫は間違いなく作品をきっちりと引き締めていると思いました。

 というわけで、なかなか得難い名短編集でありました。
 しかし、関西人作家の小説からは、西鶴のDNAなんでしょうか、どうしてこう第一級の「市井物」小説が産まれるんでしょうかね。
 伝統というものは、なんかこのー、妙に不思議なものですね。


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Last updated  2010.01.02 08:25:47
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