ミニバス誘致活動の記録 0
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☆河内山異聞・藤井邦夫・乾 蔵人隠密秘録(四)・光文社 (文庫)・2013年9月 初版1刷発行乾 蔵人(辰巳三十郎) =隠密周り同心五郎八 =古着屋『越後屋』の主秋山久蔵=南町奉行所吟味方与力《おりん》浦和から来たという旅の浪人が、血を吐いて小石川養生所に担ぎ込まれた。己の命もこれまでと悟った浪人は、養生所の小川良哲に、狛犬が口を開いた“阿”の文字が刻まれた二寸四方の銅板を出した。「明日の午の刻、板橋宿の板橋の袂の茶屋に行き、縁台にこれを置くと狛犬の“吽”の字を刻んだ“銅板”を持ってくる者がいる。その者に「神尾左馬之介は来られなくなった」と伝えてくれと言い置いて死んだ。南町奉行所吟味方与力秋山久蔵は、隠密周り同心の乾蔵人を呼び、「鬼が出るか蛇が出るか。死んだ神尾左馬之介になってくれるかい」怪訝な顔を向けた蔵人に、事情を話し銅板と古い刀を差し出した。茶を飲みながら待つ蔵人に、粋な形をした年増が婉然と微笑みかけた。女の名は、りん。茶店を出たおりんは、蔵人を連れ黒塀に囲まれた仕舞屋の木戸を潜った。蔵人を待たせ出かけたおりんが帰って来ると「今夜から働いてもらうよ」と告げた。小間物屋の16になる娘を下屋敷に連れ込んで、4人がかりで手篭めにした、岡崎藩の家来を4人斬ってくれという。その娘は、神田川に身を投げて死んだ。町奉行所に訴えて出るわけにいかない娘の親は、裏渡世に潜む仕置屋に頼んだ。死んだ神尾左馬之介は、仕置屋の元締めに雇われた刺客だった・・・・・。《紫陽花長屋》日下又四郎 浪人。直心影流の使い手降りしきる雨の中、乾蔵人は、巽三十郎の偽名で借りている長屋に向かっていた。先を急ぐ蔵人の行く手に、数人の人影が現れた。蔵人は、羽織姿の武士と遊び人に襲われた母と子を助けた。母親の話によると、長屋に突然現れた彼らは主人がいないと知ると、子供を連れ去ろうとした。そして、子供を返して欲しければ亭主の日下又四郎に、白根藩下屋敷に来るように伝えろ言ったという。備後国白根藩江戸留守居役の谷口左門は、用心棒に雇った日下又四郎に2度の刺客から守られた。にもかかわらず、左門はその又四郎を殺せと命じた。谷口左門は中屋敷にいる殿様の妾と揉めており、彼を襲ったのは妾の息のかかった同じ白根藩の手練れだった。日下を用心棒として雇ったものの、彼が刺客の正体に気づき公儀に漏れるのを恐れ口封じを命じたのだった。だが蔵人の登場で企ては失敗した。蔵人の話を聞いた秋山久蔵は、奥方が懐妊したので中屋敷にいる側室が焦ったのか・・・といい、苦笑した。「備後国白根藩の家来たちは、お家騒動で斬り合い、留守居役の谷口左門たちが死んだ…」噂は江戸の町に直ぐに広まり、大目付たちが動き始めた。国元に帰っていた藩主・備後守は驚愕し、一件に関わった者たちを慌てて処分した。そして門を閉じて謹慎し、公議の沙汰を待つしかなかった。《河内山 異聞》秋山久蔵は蔵人に、河内山宗春を知っているかと問い、「大物の弱みを握り強請りを働き、大金をせしめると専らの噂だ。……ちょいと探りを入れてみちゃあくれねえか」と言った。背の高い坊主が白縮緬の単衣に黒羽織を纏い、裾を粋に捌いて隅田川に架かっている吾妻橋を渡っていた。すれ違う者の中には、坊主の格好良さに思わず振り返る者もいた。やがて坊主は、向島にある、御三家水戸藩江戸下屋敷の門前に佇んだ。坊主の名は、小普請坊主 河内山宗春。彼は応対した家来に「水戸家の富籤、町方では当たり札がないと専らの噂・・・。」慌てて否定する家来に、「ならば町奉行所、いや評定所に訴え出ても構いませんな」といい、面白そうに笑った。富籤は本来、神社仏閣が改築修繕の費用を得るために公儀から許可されたもので、水戸藩の富籤は、御三家だから仕方なく眼を瞑っていたのだ。公にされては困る水戸藩を、富籤をタネに水戸家を強請った河内山宗春の話。
2018.03.06
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☆プリズム・百田尚樹(ひゃくた なおき )・幻冬社・2011年10月15日第1刷発行プリズムを通すと屈折率の違いから、様々な色の光に分かれる。人間の性格も、その光のようなものかもしれない。梅田聡子 32才。家庭教師。岩本修一 聡子が家庭教師をしている生徒、小学5年生。岩本洋一郎広志の兄岩本重雄広志を虐待した実の父親岩本広志岩本洋一郎の腹違いの弟、31才。解離性同一性障害(多重人格)。大学で物理学を研究していた研究生。3月のはじめ、家庭教師センターから派遣された梅田聡子は、成城の古い洋館街にある岩本家に向かっていた。立派な建物が立ち並ぶ中でも、岩本家はひときわ広い敷地を持っていた。家庭教師初日、聡子は廊下で若い男と出くわした。彼は聡子の会釈にも応えず目を逸らすようにうつむき行ってしまった。まるで心がない人のように思えた。よく手入れされた岩本家の庭園は広く、四季折々の花が植えられていた。授業の合間に、飽きず窓辺から庭を眺めている聡子を見て、修一が庭に誘ってくれた。庭は素晴らしかった。自分の足で歩いて見ると、窓から見た以上に庭の美しさを実感した。退屈した修一が部屋に戻ったあと、聡子が一人で庭を回っていると、ひときわ大きなケヤキの木があり「保存樹木」と書いた札がかかっていた。めくれた木肌を触ると、ぽろっと剥がれて落ちた。突然「木に触るな!」と怒鳴り声がした。振り向くと、男が聡子を睨みつけ、手に持った植木鉢を投げつけ唾を吐いた。逃げ出せるように身構えたが、男はくるりと背を向けると、庭の奥に駆けていってしまった。窓から見ていた修一と目が合った途端、彼は顔を引っ込めて2度と顔を出さなかった。3日後、修一に聞いてみたが、彼は何も見ていないし誰かも知らないとしか応えなかった。この家には人目をはばかる人物がいるのは間違いないらしい。その後しばらくは謎の青年と出会うことはなかった。自宅のマンションの部屋で一人で座っていると息が詰まる。勉強が終わると庭に出るのが習慣になった。庭で過ごすのは気持ちが良かった。ソメイヨシノが満開の花を咲かせた時には、最高の贅沢を味わった気分だった。4月のある日、ベンチに座る聡子の前に「宮本純也」と名乗る男が現れた。職業は画家、岩本家の居候で、奥の離れに住んでいると言う。翌日も庭に出ると宮本がやって来た。求めに応じて出したノートに、彼は聡子の肖像画を描いた。簡潔な線で描かれた肖像画は聡子にそっくりだった。2日後、又もや不意にやって来た宮本は、聡子にモデルになるように誘い、いきなりキスをしようとした。聡子は渾身の力を込めて押し返しその場を立ち去った。次に出会った時は、彼は目を合わせようともせず下を向いたまますれ違った。避けたと言うより覚えていないようだった。この前に会った時の派手で気取った身なりとは違い、地味なこげ茶のブレザーを羽織っていた。初めて2階の廊下で会った時の感じに似ていた。その日の夕方、聡子が庭でバラを見ていると、又男が現れた。その時の彼の穏やかな話ぶりと態度は豹変と言えるほどの変わりようだった。話せば話すほど、これまでとは違う。まるで別人だった。2日後、思い切って夫人にその男のことを尋ねると、「彼は主人の弟です」と言った。大学の研究室で物理学を研究していた研究生で非常に優秀な人だったが、数年前に体を壊して、自宅で療養しているのだと言う。聡子は混乱した。夫人は、彼が宮本と名乗り、画家だと言ったと聞いても驚かず、義弟は心の病なのだとだけ言った。久し振りに庭に出ると、また男がやって来た。その日はとても紳士的で礼儀正しい。口調も違えば、全体の雰囲気も違う。まるで別人のようだ。彼は自分は「宮本」ではなく「村田卓也」だと名乗った。じっと聡子を見る彼の顔は、確かに「宮本」とは全く別人だ。似てはいるが、はっきりと違う。聡子の頭は混乱して来た。彼はおかしなことを言った。「村田卓也という人物も、宮本純也という人物も、実際には存在しない男なのです。聡子が廊下ですれ違ったのは、この家の主である岩本洋一郎の弟の広志です。分かり易くいうと、岩本広志は解離性同一性障害です。彼は、幼少期の頃から、その病気を患い、様々な人物が彼を乗っ取っているのです」「それは多重人格のことですか?」という聡子の問いに、そうだとこたえた。村田卓也は、聡子に、自分の病気のことを理解して欲しいから一緒にクリニックに行ってくれないかと誘った。ー進藤医師の話ー岩本広志は妾腹の子で、実の父である重雄から、幼児期から子供時代にかけて、酷い暴力を振るわれていた。重雄は異常人格であったと思われる。アメリカでは解離性同一性障害の患者は「幼児虐待から生き残ったひと」と言われている。彼らには、死ぬか、発狂するか、人格分離を起こすしかないのだ。8年前に岩本広志が診察に来た時は12の交代人格があったが、この7年で、7つの交代人格が広志に統合され、現在は5つとなった。他の交代人格者の記憶はまちまちだが、村田卓也は全ての人格の記憶を持っている。解離性同一性障害の患者には、高い確率で彼のような記憶装置的人格が現れるというデータがあり、セラピストの大きな助力になる。卓也も岩本広志が生み出した交代人格の一人だが、彼の人格は完璧で、非常に知的で、常に冷静、いつも穏やかで思慮深い。解離性同一性障害は自然治癒するケースはなく、この治療には村田卓也の助けが大きな力になっている。そして、医師は最後に、卓也と余り親しくなり過ぎないように、友人としてサポートしてあげて欲しいと言った。聡子は戸惑いながらも、いつしか卓也に惹かれ深く愛してしまった。いつか消えていくかもしれない、6時間しか存在しない彼を…。でもその日が来るまで卓也とは離れないと心に決めた。「これが最後」顔を上げた聡子に卓也は言った。「この2週間、広志のために消えることを真剣に考えていた。広志は今、前向きに生きている。以前は現実に向き合いたくなくて殻に閉じこもっていたのが、聡子に出会って恋をしてから変わった。今は残っていた5つの交代人格のうち3つが消えて、残りは宮本純也と卓也だけになった。拒否している純也を自分が連れていく。自分はそのために生まれた」と。「時間が来た・・・」卓也の体から何かが抜けていくような感じがした。とっさにしがみつき体を揺さぶると、卓也は天井に向けていた目を下ろし、聡子を見た。だが、その目は既に卓也の目ではなかった・・・。〈岩本広志の交代人格〉宮本純也自称、画家で岩本家の居候。村田卓也礼儀正しく紳士的。医師は完璧な人格だという。タケシ 大阪弁を話す、粗暴な男。進藤医師は、広志たちを暴力から守るために出現するという。清一中年男性。他の人格は広志を虐待した父親の声にそっくりだと言う。
2018.03.02
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☆楽園 上下・宮部みゆき・前畑滋子シリーズ(ニ)・文藝春秋・2010年2月10日 第1刷・初出 産経新聞 2005年7月1日~20056年8月13日連載・単行本 2007年8月 文藝春秋より刊行(連載に加筆・改稿)・前畑 滋子(まえはた しげこ)=フリーライター・前畑昭二=滋子の夫・萩谷 敏子(はぎや としこ)=事件の依頼者、53才。 シングルマザーで、1人で息子の等を育てていた。・萩谷 等(はぎや ひとし)=敏子の息子。交通事故により12才で死亡。9年前、滋子は連続殺人事件に深く関わり、事件の収束に直接関与した。だが、それと引き換えに、彼女は容易に立ち直ることができないダメージを負ってしまったのだった。その原因は自分の軽率さ、不勉強、不用意なアプローチが原因だったと自分で自分を責めた。以来、ずっと仕事を断り続けていたが、夫の後押しもあり、3年前からフリペ専門の編集プロダクションでの仕事を再開した。滋子の夫、前畑昭二は親から引き継いだ鐵工所を経営しており、2人はあの連続殺人事件に関わる少し前に結婚していた。事件の渦中にあったときには離婚の危機にも直面した。子供には恵まれなかったが円満な家庭を築いている。この作品は、「模倣犯」に登場した前畑滋子のその後を書いた作品。ストーリーそのものに連続性は無い。2018年2月12日の日記→ 模倣犯・宮部みゆき第1章 亡き子を偲ぶ歌2005年5月中旬滋子の昔からの知人の紹介で、萩谷敏子という女性が訪ねて来た。それは不思議な依頼だった。彼女は3月に交通事故で死んだ息子の等が、特殊な能力の持ち主だったのではないか調べてほしいという。彼女が見せたノートには、12才にしてはひどく幼い筆致の絵が描かれていた。その中の一枚には、ページの真ん中に三角と四角を組み合わせた家が描いてあり、灰色の屋根の上に蝙蝠の形をした風見鶏がついていた。家は茶色で大きな窓があり、その家の奥で、女の子が仰向けに横たわっている。顔は灰色に塗りつぶされていて目鼻は無い。手足は棒のように真っ直ぐでしかも灰色だ。その絵は、等が亡くなる何日か前に描いたもので、彼は「お母ちゃん、これ悲しいでしょ。この女の子は悲しいんだよ。ここから出られなくて、ずっとずっと独りぼっちだから…」と話していたという。敏子は、この絵は先月北千住であった火事で焼け、焼け跡から骨が出たあの人殺しがあった家を描いたのだと言う。火事のあと、両親が娘(土井崎茜)を殺し埋めたことを認めたが、事件は既に時効が成立していた。等がその絵を描いたのは、その火事のニュースがテレビで流れるよりももっと前だったという。どうやって知ったか分からないけれど、あの子は、ここの家にこの娘さんが死んで埋められていることを知っていて絵を描いたんですという。敏子の自宅を訪ね、等が描いた同じ筆致の他の絵を見せられた滋子は、その中の一枚を見て凍りついた。その絵は連続殺人事件の犯人、ピースたちのアジトだったあの山荘だった。建物の足元には人の手が13本、空に向かって突き出している。犯人が墓標として地面に突き立てたシャンパン(ドンペリ)の瓶も……。滋子は9年前の事件の時に知り合った刑事に相談した。彼は、等の超能力について調査するなら、対象とする事案は土井崎茜の方だといい、時効で我々は出る幕が無かったが、知り合いを辿れば担当した千住南署の刑事に渡りをつけることくらい出来ると言ってくれた。滋子は思う。敏子にとっては等が超能力者であったかどうかと言うことよりも、ただ等のことを思い出していたいのではないかと。それが萩谷敏子にとっての“喪の仕事”なのだろうと。それは、残された者が死者を悼み、その記憶を整理してゆくことで喪失の記憶を癒やし、愛する者の死を認めていく過程のことだ。9年前、自分はあんなに残酷で意味のない死を強いられた大勢の人の死に関わっていながら、今まで一度もそういう事をしてこなかった。あの事件で大切な家族や友人や仲間を殺された人たちは、この9年間に、それぞれ苦しみながら喪の仕事をしてきたのだろう。子に先立たれる悲しみは、親にしかわからない。望んでも子供に恵まれずにいる滋子には、想像することしかできない。せめてしばらくあいだ、敏子の“喪の仕事”に一緒に立ち会ってあげたい。立ち会わせてもらいたいと・・・。北千住の殺人事件と、等が参加していた「あおぞら会」という団体。等の学校での先生との関わり、母親である敏子の生い立ち、そして16年前のもう一つの殺人事件。等の足跡を順に辿って行くうちに、滋子は等には「人の心の中を読み取る能力」があったことを確信する。そしてそのことが、彼をどれだけ苦しめ、戸惑わせていたかを知った。滋子は過去の全てのことを知ることになるが、夫の昭二以外には全てを語ることはしなかった。あの忌まわしい9年前の連続殺人事件の時と同様に・・・。タイトルの「楽園」とは一体どういう意味なのでしょう?「模倣犯」と「楽園」を続けて読んで思いました。「模倣犯」は、読んでいるだけでも重くて辛い作品でした。あれだけの長編を書き上げるに要した長い月日の間、作者はもっと辛い日々だったのでは無いかと。この作品のメインのテーマは、最愛の一人息子を亡くした母親が、たった12年しか生きられなかった息子の全てを知りたいと願い、気持ちの整理をつけて立ち直っていく道筋の様に思えます。残された母親が、悩み、戸惑い、やがて現実を受け入れて立ち直っていく。若しかしたら「楽園」とは、その先にある「心安らげる境地」のことなのでしょうか・・・。
2018.02.26
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☆模倣犯 上下・宮部みゆき・前畑滋子シリーズ・小学館・2001年4月20日 初版第1刷発行・週刊ポスト 1995年11月10日号〜1999年10月15日号に連載(加筆改稿)・第55回毎日出版文化賞特別賞、第52回芸術選奨・文部科学大臣賞、第5回司馬遼太郎賞受賞前畑滋子 ルポライター。連続女性失踪事件を追っていた。そのリストの中の1人、古川鞠子が連続女性殺人事件の被害者だと判明した。有馬義男 鞠子の祖父。72才。豆腐店を営む。栗橋浩美表向きは優等生で人気者、裏側では狡猾で意地の悪い本性をみせていた。29才。ピース栗橋浩美が「強いヤツ」として一目も2目も置き、決していじめたりからかったりもせず、積極的に近付いて仲良くしていた。高井和明蕎麦屋の長男。栗橋浩美、網川浩とは同級生。高井由美子高井和明の妹。兄の真実を訴え続けた。第1部数年前、首都圏で4人の幼女がさらわれ、殺害された事件があった。現在公判中のこの事件の容疑者は、殺害後、自分のした事を公にひけらかすような手紙を、マスコミ宛に書き、遺灰を遺族に送りつけていた。この手の犯罪者がとうとう出てきたことを社会は悟った。1996年9月12日。隅田川沿いにある大川公園のゴミ箱で、女性の右腕とハンドバッグが発見された。第一発見者は、早朝に犬を連れて散歩に来ていた塚田真一と、水野久美という高校生だった。塚田真一 は、佐和市で起きた教師一家殺害事件被害者の長男。事件当時はアルバイトで不在だったため、たった1人生き残った。現在は父の友人である石井夫妻に引き取られ、公園の近くに住んでいた。ハンドバッグの持ち主は古川鞠子と判明、彼女は3ヶ月前から行方不明になっていた。犯人と名乗る男は鞠子の家に電話をかけ、電話を取った祖父の有馬義男に、新宿プラザホテルのフロントにメッセージを預けておくといい、時間を指定した。フロントに預けられていた手紙には「このホテルのバーで待て、8時に連絡する」とだけ書かれており、8時に電話で「鞠子の家に帰れ」と指示して来た。ホテルに手紙を届けたのは女子高校生だったという。鞠子の家のポストには、彼が鞠子に買ってやった腕時計と「これで僕が本物だとわかったろ」と書いた便箋が入っていた。土にまみれた鞠子の遺骨は、犯人がテレビ局に電話で知らせて来た通り、引っ越しセンターの敷地内で見つかった。また犯人はホテルのフロントに手紙を届けさせた女子高生をも殺害。遺体は犯人が指定した場所で発見された。捜査本部が置かれた墨東警察署巡査部長武上悦郎は、この3日間ほとんど不眠不休、食事もろくにとれない状態だった。10月21日大川公園事件発生以来、既に40日が経過していた。捜査線上に浮かんだ有力な容疑者と睨んだ田川一義にはアリバイがあった。伏せられていた筈の大川一義の存在を夕刊紙が嗅ぎつけた。大川は系列のテレビ局のインタビューに応じ、「容疑者T」としてテレビ番組に登場した。顔にモザイクをかけられ、音声を変えられた「容疑者T」は饒舌だった。取材を受けるまで、自分に一連の事件の容疑がかけられていることについては全く知らなかったと主張。インタビューに当たった記者が彼の前歴をあげ、彼の運転するレンタカーが大川公園事件発生の前後に公園の周囲で目撃されていることを持ち出した。すると、あれは冤罪で自分は罪をなすりつけられたのだと、一層激しい口調で喋り始めた。その興奮ぶりをカメラが逐一映しとる。インタビューの間、彼は絶え間なく貧乏ゆすりをしていた。膝に置いた右手の中指に、幅が1センチ程ある凝った細工の指輪をはめていた。彼は、その後も連日テレビや週刊誌を賑わせた。そのTが報道特別番組に生出演することになり、その放送中に真犯人だと名乗る男から電話がかかって来た。真犯人は、Tを「自分では何も出来ないくせに、人の尻馬に乗っかって有名になろうとしている。どんな顔をしているのか、お茶の間の皆さんにも見せたい」といった。Tは真犯人の巧みな挑発に乗せられ、遂にカメラの前に顔を出した。放送直後、大川公園の近くに住む住人から捜査本部に電話がかかって来た。「うちの子供が、車に乗った若い男に誘拐されかけたことがあり、その男かがTだ。間違いない」という。「この変態野郎」秋津刑事がテレビの中の田川に毒づいた。「貴様の首根っこを押さえてやる」1996年11月5日。大川公園事件は思いがけない展開を見せた。群馬県にある通称「赤井山グリーンロード」で、下り車線を走って来た車が、対向車路線を斜めに横切り、ガードレールを突き破り、崖下へ転落した。車は練馬ナンバーで、クレーンに吊り上げられた車の運転席と助手席から投げ出された男が1人ずつ、そして蓋が開いたトランクの中から背広を着た男性の死体が滑り落ちた。運転席と助手席に乗っていた2人は高井和明と栗橋浩美と判明。家宅捜索の結果、栗橋の部屋からは被害者の写真や、右手の部分だけ無い骨が出た。1996年11月6日。栗橋浩美と高井和明が大川公園事件と一連の殺人事件の犯人とされ、全てのキー局で番組を中断し臨時ニュースが流れ始めた。神無きこの国にこの瞬間だけは、神の鉄槌が振り下ろされた音を人々は聞いていた。これまで女性ばかりが狙われていた犯人がなぜ男性を殺害したのか・・・。栗橋浩美の周囲から事件に関与した証拠は出たが、高井和明の周辺からは決定的な証拠は出ない…。必死の捜索にもかかわらず、事故現場周辺からは事件の鍵を握ると思われる栗橋の携帯も見つからなかった。第2部栗原浩美と高井和明、浩美が「ピース」と呼ぶ男、3人の関係。そして、この連続誘拐殺人事件の犯人であるピースと栗橋浩美の過去の残虐な犯行が、2人の側から見た形で次々と明らかにされていく。主犯格のピースの指示通り、高井和明を犯人に仕立て上げる為に、栗橋浩美は和明を誘い出した。和明は浩美が犯行に関わっていることを承知の上で、彼を説得しようと、2人のアジトとしている山荘にやって来た。テレビのコメンテーターに「犯人は力の無い女性しか相手に出来ない」と指摘されたピースは、偶然出会った男性を言葉巧みに山荘に誘い殺害した。トランクに男性の死体を入れ、麻酔で眠らせた和明を後部座席に転がし、浩美が運転する和明の車は、赤井山の廃墟ビルに向かっていた。ピースの計画通り、そこで和明を自殺に見せかけ殺し、犯人に仕立て上げる為に・・・。廃墟ビルは、かつて浩美が衝動的に殺害した恋人と、偶然鉢合わせした女子高生を殺害して埋めた場所だった。車の中で意識を取り戻した和明は必死に浩美を説得した。和明の説得に心を動かされた浩美が赤井山へ行くのをやめて山を下る途中、あの転落事故が起きたのだ。ピースは、テレビニュースで予定外の事故を知った。第3部これまでピースとして登場していた真犯人が、いよいよ網川浩二という本名で登場。兄の無実を訴える高井由美子を守り、代弁するヒーローとして登場。「真犯人X説」を掲げ、連日のようにテレビに出演した。真摯な姿勢。爽やかな弁舌。整った容姿と温和な笑み。どこでも彼は好印象を振りまいた。彼が書いた「もう一つの殺人」は、発売後1週間でベストセラーリストのトップに躍り出た。得意の絶頂にあり、自分が書いた「シナリオの完璧さ」に酔いしれていた彼は、ひたひたと忍びる包囲網に気がついていなかった。やがて彼は、生放送のテレビカメラの前で、前畑滋子が投げかけた「挑発」に、まんまとはまり、自ら墓穴を掘った……。同じ作者の「楽園」を読見始めたものの、「模倣犯」の続編と判明。ならばと、模倣犯を先に読み始めました。読んだことがあるような無いような…。とにかく長い。分厚い2冊を読み上げるのに、9日かかってしまいました。10年以上も前となると、よほど印象に残る作品以外は忘却の彼方…。自分自身の備忘録として、そして脳みその劣化防止のために、あらすじを書くことを、自分自身に義務付けていますが、この小説はとに角長いのです。その上話が入り組んでいて、あらすじを書くのに、又々一苦労してしまいました…^^;
2018.02.12
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☆帰り花・藤井邦夫・秋山久蔵 御用控 (ニ)・文藝春秋・2012年5月10日 第1刷南町奉行所には “剃刀久蔵” と呼ばれ、悪人を震え上がらせる1人の与力がいた。秋山久蔵 南町奉行所吟味方与力弥平次 久蔵から手形を貰う岡っ引、神崎和馬 南町奉行所定町廻り同心。秋山久蔵の部下。蛭子市兵衛 南町奉行所臨時廻り同心。久蔵から探偵能力を高く評価されている。凧作りの名人。幸吉 弥平次の下っ引。他に、弥平次の下で働く手先。長八、寅吉、直助、雲海坊香織 秋山久蔵の亡き妻・雪乃の腹違いの妹。与兵衛、お福 親の代からの秋山家の奉公人。第一話 暗闘着流しの武士が、三味線堀の船着場に番傘を差して佇んでいた。秋山久蔵である。その時、傍らの笠井藩江戸屋敷の裏門が開き、若い娘が風呂敷包み1つを抱え、傘も差さずに出てきた。久蔵の亡き妻雪乃の妹の香織であった。香織は、笠井藩江戸詰の藩士北島兵部の娘であり、久蔵の亡き妻雪乃の腹違いの妹だった。北島兵部は三谷堀に架かる小橋で、何者かに斬られて死んだ。笠井藩江戸屋敷の藩士が刀も抜かず辻斬りに斬られて殺された…。笠井藩は武士でありながら、刀を合わせもせず斬られて死んだ北島兵部を恥じた。後継もいず、残されたのは香織だけとなり、藩は北島家を取り潰しとしたのだ。久蔵は、岳父の無残な死を岡っ引きの弥平次から報された。弥平次は藩内の情報を集め久蔵に報告していたのだ。久蔵に連れられ秋山屋敷に着いた香織を、父親の代からいる与平、お福の老下男夫婦が歓待した。雪乃が亡くなり既に9年、奥の間には雪乃の鏡台や箪笥、着物がそっくりそのまま残されていた。香織の目から涙が溢れた。翌日、香織は午の刻を過ぎてから屋敷を出て両国に向かった。その後を、汚い托鉢坊主の雲海が足早に追っていた。その朝、弥平次のもとに、久蔵から「香織を見張れ…」という手紙が届いており、弥平次は居合わせた手下の雲海坊を屋敷に走らせていたのだ。三味線堀の片隅に佇み、笠井藩の裏門から出てくる誰かを待ち続ける香織を、雲海坊は物陰から見守り続けた。その雲海坊に、笠井藩の馬鹿殿さまの素行調べをしているという神崎和馬が声をかけた。2人で見守るうち、裏門から出てきた若い藩士のあとを、香織が物陰伝いに追った。危ねぇ…。雲海坊が追い、和馬も続いた。和馬は、男は馬鹿殿さま京之助の取り巻き藩士・山崎新九郎だという。人気のない隅田川の川べりまで来たとき、いきなり振り向いた山崎は香織に迫り、襟首に手を伸ばした。「人さらいだあ、みんな、勾かしだあ」香織が雲海坊の背後に逃げ込んだ。「皆の衆、このお侍が、無理やり連れ去ろうとしていますぞ」尚も叫び続ける雲海坊の声に、集まった人々は、山崎に恐ろしげな視線を向けた。「役人だ。早く役人を呼んでくれ」の声に、1人の職人が猛然と走り去った。山崎は腹立たしげに雲海坊を睨み、足早に立ち去っていった。怪訝な顔を向ける香織に「お嬢さま、ご無事で何より。では、拙僧はこれにて」と、集まった衆に礼を言いさっさと立ち去った。香織は己の未熟さに腹が立つとともに、父の無念さを思い知らされた。山崎新九郎の後をつけた和馬は、新九郎が浅草寺門前の茶店の奥座敷で会っていた相手に驚いた。南町奉行所臨時廻り同心の柴田甚十郎だった。「笠井藩は、おそらく家中の揉め事と思われるのを恐れ、探っているのだろう。しばらく泳がせて、逆に情報を取り、いずれは利用する」和馬から話を聞いた秋山は微かな嘲笑を浮かべた。弥平次の話では、辻斬りは3人で、結構な身分の1人と残りはお供の家来らしい。「人を斬りたがる主とお供の家来ってところかい…」「訳も分からず斬られた方は堪りません…」弥平次の静かな声には怒りが込められていた。「だがな親分、そいつらが下手人なら俺達奉行所の支配違い。どうする…」「その時は、あっしは長い旅にでも出ますよ」弥平次の目が鈍く輝いた。辻斬りと刺し違える…。久蔵は弥平次の覚悟を知った。辻斬りの姿が、下っ引の幸吉や手先たちの努力で漸く浮かんできた。正体を突き止めてからでも遅くはない。その時は・・・。久蔵には弥平次に十手を返させたり、長い旅に出す気は毛頭なかった。悔しさに震え、御公儀に訴えるという香織に、久蔵は言った。「未だ証拠は何もねえ。安心しな。義父上の無念、放っちゃ置かねえさ。追い詰めて正体を暴き、必ず叩きのめしてやるぜ」子供のように頬を紅潮させ、大きく頷く香織に、久蔵は思わず微笑んだ。久蔵と香織の睨みが正しければ、公儀は笠井藩を放って置く筈がない。良くて減知、悪くすればお家は断絶。藩は取り潰しになる。笠井藩は6万8千石をかけ、全てを闇に葬り、取り潰しを免れようとするだろう。下手に動けぬ・・・。相手に取って不足はねえ・・・。久蔵は不敵な笑みを浮かべた。香織とお福、そして与平の楽しげな笑い声が、台所から慎ましく洩れてきた。久し振りの笑い声だ・・・。それは、雪乃が逝ってから初めてのことであった。京之助は、町奉行所の手の届かない“朱引”外で、父親を殺された香織に討たれ、笠井藩江戸家老と留守居役は、全ての攻めを取って腹を切った。第2話 泡沫(うたかた)第3話 鬼女第4話 雀凧第5話 切腹秋山久蔵は、奉行の荒尾但馬守成章に呼びだされた。だが、但馬守は現れず、内与力の太田郡兵衛と年番方与力の佐野作左衛門から「その方の日頃の言動、不謹慎至極。よって詮議が終わるまで、出仕に及ばす、屋敷にて謹慎を命ずる」と言い渡された。久蔵謹慎・・・。話は、一瞬にして南町奉行所にひろまった。謹慎の理由は、久蔵が、『蓬萊堂』の若後家・絹を手込めにして金を脅し取ろうとした。そのお絹と舅である蓬萊堂の主・孫右衛門が、久蔵を評定所に訴え出たのだという。信じられず、噂の真偽を問い詰める定町廻り同心神崎和馬に、臨時町廻り同心の稲垣は、「日頃から何かとお偉方に盾をついている秋山さまだ。ここぞとばかりに叩かれても仕方がないさ」と云い、定町廻り同心の佐野は「墓穴を掘ったんだよ。墓穴を・・・」冷めた目でいった。日頃から久蔵のやり方に不満を抱いている同心は多い。稲垣もその1人と云っていい。苛立ちを噴き出しそうな和馬に、臨時町廻り同心の蛭子市兵衛が「そんなに気になるなら、秋山さまに聞くしかあるまい」と機先を制するようにいった。お絹は、公儀目付の桑原嘉門の倅・右京之介に妾になれと迫られていた。右京之介は、取り巻き連中を従えて遊び歩いている評判の悪い男だった。お絹が手込めにされたというその日は、困り果てたお絹と舅の孫右衛門が、秋山久蔵を料亭『梅乃家』に招き、相談していたのだった。倅・右京之介の悪行が表沙汰になれば、父親の監督不行き届きとなり、桑原家は家禄没収の上断絶。嘉門は切腹を免れない。目付の嘉門が、二百石取りの御家人で与力の久蔵を訴えさせるのに造作はない。かくして、事件は捏造されたのだ。どうやら、お絹と孫右衛門は、右京之介にお絹の息子新吉を勾かされ人質に取られて、久蔵を訴え出たらしい。ならば、新吉を助け出してお絹と孫右衛門の訴えを取り下げさせ、無実を証明して謹慎を解くしかない。右京之助を見張り、その行動を調べあげる・・・。 狙いを定め、和馬、臨時廻り同心蛭子市兵衛、岡っ引の弥平次、下っ引の幸吉、そして托鉢坊主の雲海坊、鋳掛屋の寅吉はじめ手先たちが動き出した。打てる手は打った。問題は新吉を助け出すより先に、久蔵に切腹の沙汰が下った時だ。「間に合いますかね」という弥平次に、市兵衛は「親分、間に合わない時には、間に合うようにするまでだよ」気負いも焦りもなく、目尻に微かな笑みを滲ませ淡々といった。弥平次は、そこに風采の上がらない中年男・蛭子市兵衛の秘められた闘志を見た。彼らの必死の働きにより隠れ家から新吉が救出された。己が窮地に陥ったことに気がついた右京之介は父親の桑原嘉門に泣きついた。「もはや今夜の内に2人を殺すしかあるまい」嘉門の声が冷酷に響いた。孫右衛門とお絹は勿論のこと、奉公人たちも皆殺しにして強盗の押し込みに見せかけようとした京之助たちは、待ち構えていた南町奉行所の同心や捕り方たちに捕らえられた。それから一刻後、事態を知った公儀目付桑原嘉門は切腹した。与力=奉行所という組織に所属している者であり、町奉行個人の家来ではない。将軍家直参の幕臣であり、御目見得以下の200石取りの御家人。内与力=町奉行個人の家来。町奉行と町奉行所の組織を繋ぐのが役目。年番方与力=最古参の与力が勤め、町奉行所全般の取り締まり、金銭管理や各組同心諸役の重要事項を処理する。
2018.01.25
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☆お文の影・宮部みゆき・角川書店(文庫)・平成26年6月25日 初版発行*坊主の壺江戸の町には、たびたびコロリが出た。田屋の主人重蔵は木置き場を1つ開けてお救い小屋を建てた。コロリにかかったものは一晩か二晩で死んでしまう。重蔵が呼び寄せたのは、後に残された女や子供たちが主であった。おつぎもその1人だった。お救い小屋で世話をする奉公人たちに言った。「梅雨を超したら生水を飲むな。生ものを決して口にしてはいけない。屋台の天ぷらや寿司など決して手を出してはならないぞ」。奉公人たちは言いつけを守り、誰もコロリに罹らなかった。奉公人だけでなく、重蔵もお救い小屋に顔を出した。お救い小屋でのまめまめしい働きが重蔵の目にとまり、おつぎは奉公人になった。ある日、主人の重蔵から呼ばれたおつぎは、大きな掛け軸を見せられた。現れたのは3尺四方の墨絵で、真ん中に描かれているのは赤茶色の地に黒く滴るような釉を施した、ありふれた壺だった。その壺にはお坊さんが1人、肩口から上の部分だけ出して下は壺の中に入ってしまっている不思議な絵だった。しかも、その絵は重蔵とおつぎにしか見えないらしい…。*お文の影(おふみのかげ)郷右衛門長屋の子供達が影踏みをはじめると、小さな女の子の影が1つ増えて一緒に遊びはじめる。長屋の建つ場所には薬種問屋の別邸があり、そこには不幸にして死んだお文という女の子が住んでいた。供養を頼まれた住職は、影だけ成仏できずに残ったのだろうという。*博打眼(ばくちがん)*討債鬼(とうさいき)*ばんば憑き*野槌の墓(のづちのはか)
2018.01.21
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☆神隠し・藤井邦夫・秋山久蔵 御用控 (一)・文藝春秋・2012年3月10日 第1刷秋山久蔵南町奉行所吟味方与力。“剃刀久蔵”と称され、悪人たちに恐れられている。何者にも媚びへつらわず、自分のやり方で正義を貫く。心形刀流(しんぎょうとうりゅう)の使い手。普段は温和な人物だが、悪党に対しては情け無用の冷酷さを秘めている。弥平次秋山久蔵から手札を貰う岡っ引。柳橋の船宿『笹舟』の主人でもある。“柳橋の親分”と呼ばれる。若い頃は江戸の裏社会に通じた遊び人だった。幸吉 弥平次の下っ引。夜鳴蕎麦屋の長八。鋳掛屋の寅吉。飴売りの直助。托鉢坊主の雲海坊=弥平次の手先伝八 『笹舟』の船頭。神崎和馬南町奉行所常町廻り同心。秋山久蔵の部下。20才過ぎの若者。第1話 神隠し呉服屋『近江屋』の17歳の娘おさよが、桜見物に行き行方知れずになった。おさよには来年祝言をあげる許嫁がおり、仲も良く身を隠す必要もなかった。そのおさよが3日間姿を消し、町駕籠に乗って自分で戻ってきた。その間のことは何も覚えてないという。着物髪や着物も酷く乱れており、おさよは怯えていた。何かあったのは間違いないのだが「神隠しに十手持ちの出る幕はないと…」そう言う弥平次の意を汲み、南町奉行所吟味方与力秋山久蔵は、表向きおさよ失踪事件を神隠しで始末した。だが、弥平次は手先を使っておさよ失踪を調べていた。「勾かしで、おさよの身体に他人には言えない弱味を付けて帰し、それをねたにいつまでも脅しをかけて金を巻き上げる。悪辣な手口ですよ」秋山久蔵に話す弥平次の目には怒りが滲みでていた。弥平次は、近江屋とおさよにこれ以上の傷をつけず、事件を終わらせようとしている。久蔵は浮かぶ笑みを隠すように酒を飲んだ。旗本の「部屋住みの当主の弟」の企みだと知った久蔵は、旗本は町方の支配違いではないかと案ずる弥平次に「神隠しの報いは、神隠しになるしかねえだろう・・・」と、不敵に言い放った。☆第2話 伽羅香その夜、南町奉行所与力秋山久蔵は検使与力として、夜烏一味の隠れ家に踏み込んだ。ところが家はもぬけの殻で、押入れの下の抜け穴から逃げた後だった。情報が漏れていた。盗賊に内通する者が町奉行所の中にいるのだ。久蔵は確信した。早朝、北町奉行所定町廻り同心岡本新八郎の死体が発見された。久蔵は、顔見知り、それもやくざか遊び人の犯行と読んだ。秋山の弔いの日、喪主の席に座っている妻、美奈に悔やみを述べた秋山は、変わった…と思った。しばらく見ぬうちに美奈は大人の美しさと艶やかさを漂わせた女に変わっていた。久蔵の屋敷を美奈が訪れた。夫殺しの探索と弔いの折の礼を述べる美奈の、銀簪が揺れて煌めき、高価な伽羅香の匂いが微かに漂った。美奈には何かある…。美奈は不忍池の畔にある料亭蔦屋で男と会っていた。相手は武士であり美奈が帰る時には既に姿を消し、部屋の淀みの中には微かに伽羅の香りが残っていた。どんな男だとの問いに、女将は「着流しで…何となく旦那のような…」と答えた。その蔦屋から密かに出て行った秋山久蔵に似た男を、探索中の飴売りの直助が見かけ、てっきり秋山様だと思って声をかけようと思ったら人違いで、服部左門だったと話した。「服部様は北町奉行所与力の御家人、あっしら岡っ引の出る幕はねぇものかと存じますが……」という弥平次に「ああ、だがな親分、身分相応の裁きにかけねえ方が良い時だってあるんだよ」久蔵は服部を評定所扱いにせず、己の手で裁くつもりなのだ。それは、久蔵の優しさに他ならない。服部は北町奉行所の御用部屋で「切腹して果てた…」美奈は「自らの懐剣で胸を突き死んだ…」☆第3話 切放し☆第4話 狐憑き☆第5話 幽霊挿し絵をお借りしました
2018.01.20
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☆眠り猫・藤井邦夫・日溜り官兵衛 極意帖シリーズ -1・双葉社・2014年1月12日 第1刷発行眠り猫の勘兵衛=錏(しころ)勘兵衛。盗賊の頭。おせい=黒門町で口入屋『恵比寿屋』を営む。吉五郎=小料理屋「桜や」の主。白髪頭の老人。故買屋という裏稼業の顔を持つ。万蔵=骨董屋大黒堂の主、夜烏の重吉(外道働きの盗賊)の仲間第1話 眠り猫根岸の里 時雨の岡には、南側に広い縁側のある小さな家があった。広い縁側は陽射しに溢れ、年老いた黒猫が腹を見せて眠っていた。土地の者たちは、その家を黒猫庵と呼んでいた。黒猫庵には中年の浪人が独り住み、近くの百姓家の婆さんに掃除や洗濯などをして貰って暮らしていた。大身旗本家の厄介叔父…。大名家のご落胤…。盗賊の頭…。只の暇な浪人…。土地の者たちは面白可笑しく勝手に噂した。彼は広い縁側で黒猫を抱いて転た寝していることが多かった。黒猫庵の日溜り浪人…。噂は、あやふやな形で落ち着いた。大工仕事が出来る者という条件で、松吉はおせい(恵比寿屋)の口利きで、旗本の本多帯刀の元へ下男として入った。利き腕の骨を折るまで腕の良い大工だった松吉が、骨董屋大黒堂へ使いに行ったきり戻らないと云う。大黒屋の裏稼業は故買屋で、本多帯刀は他人の品物でどうしても手に入らない物があると故買屋に注文するらしい。*故買屋=盗品だと承知で買いとり、高値で転売する。第2話 時雨の岡黒猫庵から石神井川用水越しに見える時雨の岡にやってきては、何をするでも無く松の根元に蹲っている老人がいた。勘兵衛は縁側に寝そべりながらその老人を眺めていた。ある日「ご隠居」と呼ぶ若い男の声が時雨の岡から響いた。若い浪人が、立ち去っていく百姓姿の老爺の後を追っていくのが見えた。そぐわない…。勘兵衛は興味をそそられた。手伝いのおとき婆さんは、30年ほど前に時雨の岡で神隠しがあり、3歳くらいの女の子が消えたという。果たして首を突っ込んで良いものかどうか。勘兵衛の腹の内を読んだ吉五郎は、「ちょいとだけ探ってみましょう」と微笑んだ。その吉五郎の話では、老人は傘屋『高砂屋』のご隠居、宗右衛門で、苦労して「古傘買い」から大店の傘屋の店を持てるようになったと云う。その宗右衛門が、ときどき昔の「古傘買い」の時の姿で、時雨の岡に来ていたのだ。果たして宗右衛門は、その「神隠し」につながりがあるのだろうか・・・。第3話 外道狩りおせいがやって来て「昨夜、閻魔の平蔵が外道働きをしましたよ。今年に入ってもう3度。これ以上は放って置けませんよ」という。閻魔の平蔵は、50絡みの小柄な男で、手下を従えて商家に押し込んでは店のものを容赦無く殺し、女を犯す外道働きの盗賊だった。「放っては置けないか…」「狙いは、外道働きの閻魔の平蔵を闇に葬り、人を殺めて貯め込んだ金を戴く…」勘兵衛は、不敵に言い放った。第4話 如何様観音(いかさまかんのん)吉五郎が縁側で猫と居眠りをしていた勘兵衛に、暇ならちょいと観音様を拝みにいかないかと誘った。噂の黄金の観音様だという。江戸の女たちの間で人気を集め、若い娘や子供の欲しい夫婦で賑わい、かなりのお布施を集めているらしい。ご利益を一番受けているのは、竜玄寺って処か・・・と、勘兵衛は皮肉っぽい笑みを浮かべた。皮肉っぽい笑みは、裏に真っ当ではない何かが潜んでいると感じた証だった。「よし、拝みに行くか・・・」勘兵衛と吉五郎は、小日向の馬場沿いの道を竜玄寺に向かった。
2018.01.17
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☆仕掛け蔵・藤井邦夫・日溜り官兵衛 極意帖シリーズ第2弾・双葉社・2014年5月18日 第1刷発行第1話 仕掛け蔵眠り猫の勘兵衛=錏(しころ)勘兵衛。盗賊。根岸の里の黒猫庵に住む。故買屋吉五郎(こばいやきちごろう)=小料理屋『桜や』の隠居、勘兵衛の手下。丈吉=船頭、吉五郎の手下。仙蔵=百獣屋(ももんじや)、昔から吉五郎の世話になっている。おせい=口入屋『恵比寿屋』の女主。吉五郎の手伝いをすしている。大口屋喜左衛門=蔵前の札差 大口屋。弁天の五郎蔵=どんな金蔵でも破って金を盗み出す、犯さず殺さずの本道を行く盗賊根岸の里、時雨の岡に建つ黒猫庵。縁側の日溜りには勘兵衛が柱に寄りかかって転た寝をしていた。垣根の外に人影が過ぎり、木戸に故買屋吉五郎が現れた。縁側に腰掛けた吉五郎がいうには、江戸でも五本の指に入る蔵前の札差大口屋が、近頃どんな盗賊にも破られない金蔵を作ったと、札差仲間に自慢しているという。その噂を聞いた盗賊、弁天の五郎蔵が押し入った。2人の手下と共にまんまと内蔵まで忍び込んだが、板の間の床が3人の重さに軋み僅かに沈んだ。次ぎの瞬間、三寸角の格子戸が音を立てて落ちて来た。退路を断たれた五郎蔵たちは金蔵を前にしてあえなくお縄になった。大口屋の主人喜左衛門は、札差仲間に五郎蔵捕縛の顛末を面白可笑しく話し、金蔵を自慢しているらしい。吉五郎からその話を聞いた眠り猫の勘兵衛は「札差大口屋の自慢の金蔵、破ってやるぜ・・・」と言い放った。喜左衛門に恨みはないが盗っ人としての意地があり、このまま捨てては置けない。大口屋の金蔵を破る理由は、金よりも盗人の馬鹿な意地だという。勘兵衛は大口屋の内情を吉五郎に探らせた。大口屋を見張っていた吉五郎は、大口屋には付け入る隙が無く面倒な金蔵破りになりそうだという。そこで勘兵衛は、金蔵作りを請け負った大工に狙いを定めた。木陰から大工『大政』の普請場を眺めた勘兵衛は、若い大工の良吉に目をつけた。さて、どうやって吐かせるか・・・。普請場の片付けを終え道具箱を担いでの帰り道、女の悲鳴に足をとめた良吉の背に、居酒屋から飛び出してきた酌婦が隠れた。立ち竦む良吉に酌婦を追ってきた2人の浪人が斬りつけた。尾行ていた勘兵衛が飛び出し、1人を蹴飛ばし、斬り掛かってきた浪人の刀を腕とともに斬り飛ばし追い払った。幸い良吉の傷は浅手で、勘兵衛に送られて帰る道すがら、勘兵衛に気を許した良吉は、問わず語りに自分は金蔵の戸口の天井に吊るす牢屋の格子戸を作ったことがあると話した。忍び込んだ奴を閉じ込めるためで、この前忍び込んだ盗賊がお縄になったと話した。勘兵衛は格子戸が落ちる仕掛けと他に仕掛けがないことを、まんまと聞き出した。五郎蔵と2人の手下は、小伝馬町の土壇場で首を斬られ獄門台に晒された。やがて、大口屋の押し込みの一件は盗賊・弁天の五郎蔵たちの仕置と共に人々の噂に余り上らなくなった。もう少しだ…。勘兵衛は奉公人たちの気が緩んでくるのを待った。忍び込むのは勘兵衛一人。まんまと金蔵に忍び込んだ勘兵衛は、4個の切り餅(百両)を皮袋に入れて腰に結び付け、眠り猫の絵が描かれた千社札を残した。そして、仕掛けのある戸口の前の床を蹴り、転がり出た。刹那、格子戸が音を鳴らして天井から滑り落ちた・・・。夜空に呼子笛が鳴り響くころ、勘兵衛と見張りの丈吉は既に屋形船の中にいた。三寸角の格子戸を引き上げ、内蔵に踏み込んだ北町奉行所の同心たちと喜左衛門は戸惑った。金蔵の中には、眠り猫の絵の描かれた千社札だけが残されていたのだ。「眠り猫……」喜左衛門は言葉を失い、同心たちは、盗賊・眠り猫が金蔵を破ったのを知った。*札差旗本・御家人の代理として俸禄の蔵米を受け取り、売り捌きの事務を行なって手数料を取り、その米を担保に金を貸すのを生業にする商人。その名の謂れは、蔵米受取手形である“札”に受取人の名を記して割竹に挟んで蔵役所の藁苞(わらずと)に差した処からきていた。享保のときに、百九人と定められ、旗本御家人の便宜を図った。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・第2話 札付き*札付き親が素行の悪い子を勘当する者の候補として名主に届け、人別帳に札を付けておくことを云った。そして親は“札付き”にした者が悪事を働いた時、即座に勘当して縁を切る。勘当された者は、、人別帳から外されて良民としての分限を失い、原籍のない無宿者とされる。(本文より抜粋)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・第3話 拐かす(かどわかす)盗人だった亭主が、おしののお勤めの邪魔になるからと、我が子を勝手に養子に出してしまった。喜助は老舗の大店「秀泉堂」の養子となっていた。下働きから奥向きの女中として喜助のお守り役を任されるようになったおしのは、盗賊に拐かされた喜助を命がけで守った。養い親に大切にされていることを知ったおしのは、我が子の幸せを思い「秀泉堂」から去っていった。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・第4話 妖怪の首2人の若い武士が高家の1つ六角寿翁の武家籠の一行に斬り込んだが、供侍に返り討ちにあって死んだ。その内の1人、村上真之介は駆けつけた勘兵衛に袱紗包みを託した。真之介は1ヶ月前に六角寿翁のために家を取り潰され切腹した旗本五千石の阿部采正の家来であった。六角寿翁は配下の探索組織を使い、大名旗本の弱みを握り強請っていたのだ。勘兵衛は「正体は質の悪い強請りたかり汚い悪党に過ぎぬ。屋敷に押し込み、薄汚い悪党の首と一緒に上前を撥ねる」と云い放った。高家・六角寿翁の醜い首は、日本橋の高札場に晒され、それを見た世間の人々は嘲笑った。公儀は、六角寿翁の死を闇に葬ったが、人の口に戸は立てられず、噂は江戸の町に広がり続けた。*八丁堀=八丁に渡って開鑿された掘割のこと*高家=公儀の儀式、典礼、朝廷への使節などを司る役職。室町以来の26の名家があり、六角の他にも、吉良、大沢、武田、畠山、大友などがある。藤井邦夫(ふじいくにお)1946年北海道旭川生れ。テレビドラマの脚本家、監督を経て、2002年に作家デビュー、以降、時代小説で数々のシリーズを手がける。主な人気シリーズに、「日溜り勘兵衛 極意帖」「知らぬが半兵衛手控え帖」「乾蔵人 隠密秘録」「評定所書役・柊左門 裏仕置」「秋山久蔵御用控」「養生所見廻り同心 神代新吾事件覚」「素浪人稼業」「結城半蔵事件始末」などがある。(カバー裏記載より)
2018.01.07
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☆田沼の置文・藤井邦夫・乾蔵人 隠密秘録(二)・発行所:光文社文庫・2013年2月20日 初版第1刷発行南町奉行所で事件を探索するのは、『定町廻り』「臨時廻り』「隠密廻り』の俗にいう三廻り同心とされていた。隠密廻り同心は、南北両町奉行所に2人ずつおり、町奉行や与力の命によって秘密裏に事件の探索をした。☆第1話 生き人形「近頃、公儀のお偉いさんや大店の旦那に若い娘の生き人形が献上されているとか…」南町奉行所吟味方与力の秋山久蔵は、隠密廻り同心の乾蔵人にその噂の真偽を確かめるように命じた。☆第2話 酔いどれ女☆第3話 田沼の置文田沼意次=吉宗に随行して紀州から来た直参であり、10代将軍家治のときの老中。11代家斉のときに失脚。遠江国相良藩五万七千石から陸奥下村藩一万石に転封された翌々年、意次は死んだ。元遠江国相良藩家臣の一族、小坂敬之助と名乗る浪人が殺された…。盆の窪には、畳ばりの様な忍びが使う棒手裏剣を打ち込まれていた。吟味方与力の秋山久蔵は蔵人を呼び、意次が密かに残した置文が見つかったという噂があると告げた。浪人殺しは、その置文に、家斉公暗殺の陰謀が記されているのを恐れる者の仕業か、それとも置文を世に出したい者の仕業か・・・。秋山久蔵は蔵人に、小坂を殺めた者と置文がまことにあるのかを探る様に命じた。
2017.12.27
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☆彼岸花の女・藤井邦夫・乾蔵人 隠密秘録(一)・発行所:光文社・2012年10月20日 初版第1刷発行南町奉行所で事件を探索するのは、『定町廻り』「臨時廻り』「隠密廻り』の俗にいう三廻り同心とされていた。隠密廻り同心は、南北両町奉行所に2人ずつおり、町奉行や与力の命によって秘密裏に事件の探索をする。乾蔵人(いぬいくらんど)南町奉行所隠密廻り同心。巽三十郎=蔵人の偽名五郎八蔵人の手先、越後屋(古着屋の主人)、博打打ちとして裏渡世を生きてきた。秋山久蔵南町奉行所吟味方与力神崎和馬定町廻り同心、乾蔵人の上役*隠密廻り同心とは?普段は変装して市中の見廻りをし、町奉行や与力の命令で秘密裏に探索するのが役目。*第1話 本所業平橋夜明け、大川の葦の淀みに、浪人の土左衛門が浮かんだ。身体のあちこちに刀傷があり、手には剣片喰の家紋が描かれた蒔絵の印籠を握りしめていた。剣片喰といえば、駿河台淡路坂、三河以来の徳川家重臣の酒井家の家紋である。酒井家の嫡男、直弥は浪人を雇い入れ、不仲の父、監物を闇討ちにしようと企てた。企てを知った浪人は口封じに直弥たちに襲われたのだった。南町奉行所隠密廻り同心乾蔵人の働きで事実が判明、酒井家は家中取締り不行届きで家禄を半減された。第2話 大蛸の義平湯島天神門前にある「白梅」という茶屋で、大蛸の義平によく似た男を見かけたそうだ」吟味方与力の秋山久蔵は、厳しい面持ちで蔵人に告げた。大蛸の義平は、押し込み先の者に気付かれずに金を奪い、己の名を書いた千社札を残して消える盗賊だ。8年前に日本橋で盗賊働きををして以来、江戸から姿を消していた。大蛸の義平には、さきという娘がいた。死病を患い、捨てた娘に一目会いたいと江戸に戻っていたのだ。義平に恨みを持つ不動の清蔵は、大蛸の義平の居所を探していた。義平の居所を突き止めようと、清蔵の手下がおさきを襲った所を蔵人が助けた。その話を、蔵人から聞いた大蛸の義平は、娘を守るため清蔵と刺し違えて死んだ。第3話 切り抜ける芝増上寺の南、将監橋の袂に辻斬りが現われ、武士や町人の身分に拘らず被害者が続出した。その辻斬りがお店者を襲う現場に行き当たった浪人が、猛然と斬りかかりお店者を助けた。頭巾を切り飛ばした浪人は、辻斬りの顔と羽織の亀甲卍の紋所を見た。南町奉行所吟味方の秋山久蔵は亀甲卍の紋所を持つ大名家を探し出し、探索を定町廻り同心の神崎和馬に探らせた。秋山と神崎は、辻斬りは信濃国高須藩戸田家の若さま戸田恭之助と睨んだ。顔を見られた辻斬りは、口封じのために浪人の息子正太郎を拐かし、屋敷内に閉じ込めた。正太郎は蔵人と五郎八の働きで無事助け出され、蔵人は役目を果たした。藩は戸田恭之助と江戸家老は詰め腹を切らせたが、幕府は高須藩の禄高を大幅に減らした。恭之助の切腹は、高須藩の役には立たなかった。だが、己が無残に殺めた人々への償いにはなった。第4話 彼岸花の女枯葉が舞い散る季節・・・。小石川養生所で、病み衰えた渡世人が、大量の血を吐いて息絶えた。養生所の医師、小川良哲が渡世人の荷物を改めると、行李の底に油紙に包まれた古い布があり、「日本橋室町2丁目茶道具屋玉泉堂文吉」と書かれていた。良哲からの報せを受けた、南町奉行所吟味方与力秋山久蔵の調べによると、玉泉堂は20年前に盗賊に押し込まれ、主夫婦が殺され、2人の幼い姉弟(当時7歳のおそでと5歳の文吉)が攫われていた。その後、店は殺された主の弟の彦右衛門が継ぎ、現在に至っている。死んだ渡世人が、その文吉なのかもしれない・・・。秋山久蔵は、隠密廻り同心の蔵人に探索を命じた。*大川=隅田川のうち、浅草〜江戸湊までを指す。藤井邦夫(ふじいくにお)1946年北海道生れ。テレビドラマ「特捜最前線」で脚本家デビュー。以後、刑事ドラマ、時代劇を中心に監督、脚本家として400本以上の作品を手がける。おもな脚本作品に「水戸黄門」「子連れ狼」などがある。その後、時代小説家としてデビューし、人気作家となる。著書に本シリーズの前作である「評定所書役・柊左門 裏仕置」のほか、「知らぬが半兵衛手控帖」(双葉文庫)、「養生所見廻り同心 神代新吾事件覚」(文春文庫)、「秋山久蔵御用控」(文春文庫)などがある。
2017.12.27
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☆マスカレード・ナイト - 東野圭吾・集英社・2017年9月20日 第1刷発行・マスカレード・シリーズ 第3作 マスカレード・ホテル、マスカレード・イブの続編 休暇中の警視庁捜査一課 新田浩介は、他のチームが担当する事件の応援にかりだされた。指示された会議室に着くと、既に30人ほどの男たちが席についていた。会議の冒頭、尾崎管理官が中央に立ち切り出した。「今回は極めて特殊な事態が発生したため、どうしても稲垣チームの協力が必要だと判断した。どうか理解してもらいたい」なぜ自分たちの係が必要なのか、新田にはさっぱり心当たりがなかった。練馬区のに住む独り住まいの女性、和泉春菜が殺害された。遺体発見のキッカケは、匿名通報ダイヤルへの通報だったという。モニターに、警視庁に届いた1通の手紙が映し出された。密告状には、春菜のマンションの玄関前で写した春菜と男の写真が同封されており、男の頭にはモザイクがかけられていた。新田は自分たちのチームが呼ばれた理由が分かった。何年か前の、例の作戦をもう一度やろうというわけなのだ。奇しくもホテルは、あの時と同じコルテシア東京。そしてあの作戦をする以上、どうしても稲垣チームが必要になる。もっと言えば新田が不可欠なのだ。 数年前、都内で連続殺人事件が発生した。犯行現場に残された奇妙なメッセージを解読した結果、次に事件が起きる場所はホテル・コルテシア東京だと判明した。そこで考えられたのは、何人かの捜査員をホテルの従業員として潜入させるという作戦だった。その際、新田がフロントクラークに化けるよう指示されたのだ。英会話が堪能で見た目が上品というのが、その理由だった。新田はあの時のことを思い出すと今でも冷や汗が出る。捜査以上にホテルマンとしての仕事で疲弊してしまったのだ。前回同様、後輩の関根がベルボーイに、他のメンバーは、客として潜入したり、ハウスキーピングなど一般客の目に触れない部署で活動する手筈だ。新田は、山岸尚美の勝気そうな顔を思い出していた。今回の作戦に当たるのは少しも気が進まなかったが、彼女との再会を楽しみにしている気持ちがあることは否定できなかった。中根伸一郎、中根緑(本名はマキムラミドリ)の名で予約、夫婦連れを装うも、全く姿を現さない夫。デイユースで愛人と利用しているコルテシアに、妻の万智子と息子の3人でやって来た曽根昌明。曽根の愛人貝塚由里は31日にロイヤルスイートを予約、カウントダウンパーティーに申し込んでいた。どうやら万智子と貝塚由里は知り合いらしい。ミイラ男に扮した紀乃伊男。マイケルジャクソンの仮面で登場する謎の男。渡辺幹夫の偽名で宿泊、部屋に篭ったまま出てこない内山幹夫に不審な宅配便が届く。他に、ロイヤルスイートに元日まで滞在する日下部篤哉。彼は狩野妙子という女性に派手なプロポーズをして見事に振られた。それにもかかわらず、その翌日、早くも彼は中根緑に一目惚れしたと言い、2人で会う機会を作って欲しいと山岸尚美に無茶なリクエストをする。また、日下部がプロポーズした狩野妙子の名刺には、特別支援学校勤務となっていたが、彼女が勤務するという特別支援学校は存在しないことが判明。果たして日下部篤哉とは何者か?カウントダウンパーティーの参加条件は、仮装をすること、出来ない場合は仮面をつけること。チェックインの時から仮装してくる客も多い。そんな状況で、果たして犯人を見つけ出し、犯行を阻止できるのか・・・。2014年1月14日 マスカレード・ホテル2014年9月20日 マスカレード・イブ山岸尚美は、今回も事件に巻き込まれ危険な目に遭いますが、前作同様、危機一髪で新田に救出されます。事件が解決し、1人でコルテシア東京に宿泊した新田浩介は、尚美に翌日の食事の約束を取り付けました。かつてロスアンゼルスに住んでいた新田浩介。3ヶ月後にはロスアンゼルス勤務になる山岸尚美。どうやら続編がありそうです。
2017.12.12
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2017.11.27
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ねことじいちゃん作・ねこまき(ミューズワーク)MF コミックエッセイ☆ 主な登場人物 ☆大吉さん(75歳)元小学校の先生で、町の人たちには先生と呼ばれ 親しまれているおじいちゃん。2年前に妻(佳枝)に先立たれ、現在はタマと2人暮らし。一人息子の剛(50歳)と、剛の妻洋子(50歳)、孫の沙織(26歳)は、都会で暮らす。タマ(10歳)吾輩はタマ、猫である。ちなみに10歳と7ヶ月。人間でいえば、人として、厚みが増す50代、ジェントルマンである 。大吉つあんは、吾輩の飼い主にして しもべである。亡くなったばーちゃんから頼まれて、じーちゃんの面倒を見ている(自己紹介)大吉じいちゃんとタマが暮らす家は、海が見える高台にある。近所は年寄りと猫が多い。人には不便だが、猫にはパラダイスのような住環境である。大吉さんの妻よしえさんは八千草薫似の美人だったが、2年前に他界。タマはよしえさんが拾ってきた子猫で本名は玉三郎。食いしん坊のデブねこ=体重8kgで、少し名古屋弁だ。大吉さんは愛想がないため、外では偏屈じーさんと思われているようだが、家では猫の言いなりで眉が下がりっぱなし。近所の人たちは昔からの知り合いが多く、妻を亡くした大吉をそっと見守っている。隣の厳さん(75歳)は、元漁師で大吉の幼なじみ。郵便配達員のさとしは大吉の教え子で、配達のついでにそれとなく、一人暮らしのお年寄りの様子を気にかけている。ねこまきさんのブログ ⇒ ねこまき・アメーバブログ☆ねこまきさん(ミューズワーク)2002年、ディスプレイ会社を退職し独立。名古屋を中心としながらイラストレーターとして活動中。コミックエッセイをはじめ、犬猫のゆるキャラ漫画、広告イラスト、アニメなども手がけている。著書には「まめねこシリーズ」など。そろそろ活字を読むのにも飽きて来た私には、まさにグッドタイミング‼︎全編ほのぼの、ほんわか・・・、とにかくタマのイラストがいいんです。私の感覚では、「コミックエッセイ」というより、飽きず眺めていられる「コミック絵本」という方が近いかも。「コミック絵本」は私が勝手に作った造語で、実際には、そんな言葉は無いと思いますが(笑) いつもは犬派の私ですら、ページをめくっているうちに、どんどんタマが愛おしくなってくるのが不思議・・・。この本はどんなに気持ちがとんがっているときでも、ページをめくればたちまち頬がゆるみ、優しい気持ちになれそう・・・。心が折れたとき、きっとどんな薬よりも効き目があることでしょう(^∇^)
2017.10.20
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☆蜜蜂と遠雷・恩田 陸・幻冬社・2016年9月20日 第一刷発行・第156回 直木三十五賞、第14回 本屋大賞受賞♣︎ユウジ・フォン=ホフマン世界中の音楽家や音楽愛好者たちに尊敬された、音楽界の伝説的な巨匠。その年の2月にひっそりと亡くなった。後日音楽家たちのあいだで盛大なお別れ会が行われた。その席で、知り合いに残した言葉が話題になった。僕は爆弾をセットしておいたよ。僕がいなくなったら、ちゃんと爆発するはずさ。世にも美しい爆弾がね。近親者が聞き返したが、そのときホフマンはそう言って笑うだけだったという。皆さんに、カザマ・ジンをお贈りする。文字通り、彼は『ギフト』である。恐らくは、天から我々への。だが、勘違いしてはいけない。試されているのは彼でなく、私であり、皆さんなのだ。彼を『体験』すればお分かりになるだろうが、彼は決して甘い恩寵などではない。 彼は劇薬なのだ。中には彼を嫌悪し、憎悪し、拒絶するものもいるだろう。しかし、それもまた彼の真実であり、彼を『体験』する者の中にある『真実』なのだ。彼を本物の『ギフト』とするか、それとも『災厄』にしてしまうかは、皆さん、いや我々にかかっている。 ユウジ・フォン=フォフマン 3年毎に日本で開催される芳ケ江ピアノコンクール。オーディションは、世界5ケ所(モスクワ、パリ、ミラノ、ニューヨーク、芳ヶ江)で行われる。パリのオーディション会場担当の審査員は、アラン・シモン、セルゲイ・スミノフ、嵯峨三枝子の3人。会場に着くのが遅れ、最後にステージに現れたカザマジンを見て、審査員たちはあっけに取られた。印象は「子供」それだけだった。Tシャツにコットンパンツ。物珍しそうにステージや客席をしげしげと見回す様子があまりにも場違いだったからである。美しい子ではある。それも自分の美しさを自覚していない、自意識の感じられない美しさ。少年はステージにぼんやり立っていた。だが、彼がピアノに向き直った瞬間、奇妙な電流のようなものが空中を走った。審査員やスタッフたちがハッとするのが分かった。少年が最初の音を発した瞬間、一瞬にして嵯峨三枝子は、文字通り、髪の毛が逆立つのを感じた。その恐怖を、隣の2人の教授と他のスタッフ、つまりこのホールにいる全ての人が共有していることが分かった。なんて凄ましい…なんて、おぞましい。混乱し、動揺しながらも、三枝子は貪るように少年の音色に聞き入っていた。ホールは完全に少年の世界に支配され、人々は降り注ぐ彼の音に身を委ねている。たちまち、ホールは混乱した興奮と喧騒に包まれた。ホフマンが予告した通り、審査員の意見は分かれたが、カザマ・ジンは合格となった。いよいよ、2週間に亘る「芳が江国際ピアノコンクール」が始まった。各地のオーディションに合格したコンテスタントは90名。世界中からやってきた総勢13人もの審査員が採点をする。初日の、前回優勝者によるオープニングコンサートに続き、翌日から5日間に亘る1次予選が行われた。1次予選初日の最期は、高島明石。曲が終わり、一瞬、真の静寂が会場を包んだ。晴れ晴れとした表情で立ち上がった明石を、拍手と歓声が包む。「最期の曲で救われたねえ」「ホント、やっと音楽を聴いたっていう感じ」控え室に戻る途中、緊張感と苦行から解放されて、審査員から本音が漏れ、笑い声が上がった。本当、よかったなあ、彼。嵯峨三枝子は高島明石の名を心に刻み込んだ。1次予選2日目。次は、マサル・C・レヴィ・アナトールの出番だ。ステージマネージャーの田久保寛は、そっと次のコンテスタントに目をやった。暗がりに佇む長身の影。つい目が引き寄せられる。普段は世界中のプロやマエストロを目にしており、さまざまなスターを舞台袖から見送ってきたが、この青年には既に彼らと同じ不思議なオーラがあった。なんとも「特別な」印象を受けるのだ。彼がステージに現れた瞬間、会場には拍手と共に不思議などよめきが起きた。驚嘆の目でステージ上の「王子様」を見た亜夜は、ふと奇妙に懐かしい心地がした。彼をずっと前から知っていたような気がしたのだ。昔聞いた声が脳裏に蘇る。確か、この声は。観客の注目を一身に集めたことを確認したかのような瞬間、彼は鍵盤を撫でるようにしていきなり弾き始めた。なんてチャーミングなんだろう。その瞬間、彼の音とその音を生み出す彼自身に、観客が恋したのが分かった。一同魅了される、とはこういうことか、と亜夜は思った。なるほど、ナサニエルが自慢するわけだわ。三枝子も審査員席でマサルに見入っていた。この子の凄さは、ハイブリッドという特性をおのれの個性としてアドバンテージにしてしまえる靭さだ。マサルは年寄りやプロにも受けるに違いない。大衆性も兼ね備えている。王子が回転扉の向こうに姿を消しても、華やかな余韻がステージに残っているようだ。怒涛のような歓声は止まない。1次予選最終日。マサルは、風間塵のページをひらき、演奏する曲目を見ていた。回転扉がひらき、少年は光の中にふらりと出て行った。少年が出てきた途端、凄ましい拍手が襲い掛かり、驚いた少年はその場でぴょこんとお辞儀をした。審査員のナサニエルは、まさに「自然児」としか言いようのない飾り気のない少年の様子に、一瞬毒気を抜かれた。だが、お辞儀から顔を上げた少年の顔を見て、ギョッとした。少年の顔には出てきた時のあどけなさは微塵もない。少年はぺたんと椅子に座ると、すぐに弾き始めた。えっ。ナサニエル以外の審査員も、似たように感じてびくっとするのが分かった。会場全体が何が起きたか分からず戸惑っているのだ。なんだ、この音は。どうやって出しているんだ?音が尋常でなく立体的なのだ。なぜ、こんなことができるのだ?ナサニエルは自分が激しいショックを受けていることに気付いて、そのことにもショックを受けた。なんて無垢な、それでいて神々しい、天上の音楽のような平均律クラビィーアだろう。これまで聴いたことのない演奏だ。高島明石も混乱していた。明石は不意にゾッとした。未知の思いもよらぬ方向の天才。マサル カルロスとも全然違う。一体どうやってピアノを鳴らしているんだ。マサルは、プレイヤー・ピアノのごとく、少年が手を触れる前からピアノが鳴っているような錯覚に舌を巻いていた。風間塵の演奏は、審査員に恐怖をもたらした。そう、これはパニックだ。三枝子は周囲の様子を窺いながらそう思った。風間塵の演奏を聴いた亜夜の頭の中には、塵のピアノが鳴り響いていた。衝撃だった。あの極彩色の音楽。生命の歓びに満ちた音楽…。この子は音楽の神様に愛されているんだ。音楽の神様はあそこにいた。この時の不思議な感覚を、亜夜は後から何度も思い出すことになる。パアッと亜夜の頭の中に浮かんできたのは、屋根に落ちる雨の音を聞きながら、指でリズムを刻んでいる幼い頃の光景だった。風間塵。彼はとても楽しそうだった。彼は神様と遊んでいた。かつてのあたしのように。それがどんなに楽しいことか、亜夜は自分が忘れていたのではなく、あのとき、自分が逃げたのだと思い知らされた。胸が痛んだ。弾きたい。風間塵のように。かつてのあたしのように。ナサニエル・シルヴァーバーグは栄伝亜夜の水際だった演奏に聴き入りながら、古くからの友人であり、私立音大の学長を勤めている浜崎の話を思い出した。彼が目覚めさせたいと言っていたのはこの子だったのだ。もう覚醒しているじゃないか。深い。独創的だ。まるで1人でリサイタルを開いているようだ。じわりと冷や汗が浮かんできた。マサルの強敵になるのは、カザマ・ジンではなくてこの子のほうだ。高島明石は注目しているコンテスタントを求めて、プログラムのページをそっとめくった。その写真は、記憶の中のものの面影を宿していた。飾り気のない、まっすぐにこちらを射抜く大きな瞳。栄伝亜夜。20才。どんな演奏をするのだろう。どうして戻ってきたのだろう。明石は彼女のファンだった。彼女の演奏を聴いたとき、明石は「神童」ではなく「天才」だと思ったことをよく覚えている。亜夜が弾き始めたとたん、会場の空気が覚醒し、同時に居住まいを正したところが見えたような気がした。モノが違う。高島明石の頭に浮かんだのはそんな言葉だった。明石は自分が滑稽なほど安堵し、脱力しているのに気付いてあきれ、そしておかしくなった。 又しても満杯になった客席で、マサルはなぜ次のコンテスタントが注目されているのか、ジッと耳を澄ましてボソボソと交わされる噂を聞いていた。気の毒に。同情を感じた時、回転扉がサッと開いた。小柄な少女が現れた瞬間、マサルはハッとした。慌ててもう一度名前を見る。エイデン・アヤ。アヤ…。まさか、まさかね。そう自分に言い聞かせる彼の頭には、むかし、あーちゃんからもらった古ぼけた布のバックが浮かんでいた。演奏が終わり、感極まった様子の周囲の感嘆の声を聞きながら、マサルは弾かれたように立ち上がっていた。間違いない。彼女が僕のアーちゃんだ。会えた。本当に会えたんだ。マサルは頭の中で繰り返し叫び続けていた。高島明石は今回が最後のつもりで出場した。1次予選に合格。2次予選で落ちたが、彼の演奏は審査員の心に残った。コンクールの最終日まで残り、コンテスタントの演奏を聴いているうちに、いつしか彼の中で違った気持ちが芽生えていた。2次予選、3次予選と進み、本選には6名が残った。キム・スジョン(韓国)フレデリック・ドゥミ(フランス)マサル・カルロス・レヴィ・アナトール(アメリカ)チョ・ハンサン(韓国)風間 塵(日本)栄伝亜夜(日本)コンテストは終わった…。夜明けの海は凪いでいる。静かな潮騒が、滑らかにしんと冷たい空気の底を伝わってくる。少年は、波打ち際に立って、耳を澄ませていた。もう二度とこの場所に来ることはないかもしれない。季節は確実に冬に向かっている。今日は入賞者コンサートをやって、明日は東京に移動。東京でもコンサートをやったら、すぐパリに戻らなければならない。耳を澄ませば、こんなにも世界は音楽に満ちている。幸福。幸福だ。世界はこんなにも音楽に溢れている。僕は室内から音楽を連れ出して、共に世界に満ちて行こうとしている。仲間もいる。仲間を見つけた。どこからか蜜蜂の羽音が聞こえてきた。僕もあそこに帰らなくちゃ。少年は駆け出し、一目散に海から離れていく。♧主な登場人物♣︎風間 塵(カザマジン)=日本人。16才。父親は養蜂家。学歴、コンクール歴、何もなし。日本の小学校を出て渡仏。彼の家にはピアノが無い。コンテストで入賞したら、父親にピアノを買ってもらう約束をしていた。オーディションのために提出された履歴書のほとんどの欄は白紙だった。パリ国立高等音楽院特別聴講生、「ユウジ・フォン・ホフマンに五歳より師事、推薦状あり」とあった。塵は亡くなったホフマンと、狭いところに閉じ込められている音楽を広いところに連れ出すと、約束していた。僕は未だ連れ出せていない。もしかしたら、あのお姉さんなら、一緒に連れ出してくれるかもしれない…。♣︎高島明石(たかしまあかし)=音大出身のピアニスト。かつてコンクールで5位に入賞したこともあったが、音楽の道へは進まず、現在は楽器店の店員をしている。サラリーマン家庭の出身。出場者中最高齢の28才。妻と一男あり。彼は祖母が買ってくれた小さなグランドピアノで練習した。明石は、祖母が買ってくれたピアノで、お蚕様の部屋を改造した部屋で、コンクールの曲を仕上げることにした。まっとうな耳を持った人は、祖母のように普通のところにいるのだ。音楽を生活の中で楽しめる、彼はその場所にいたかった。それが今の自分には一番ふさわしいと信じて。♣︎栄伝亜夜(えいでんあや)=20才。内外のジュニアのコンクールを制覇し、CDデビューを果たした。そのCDが伝統ある賞を獲って話題になったこともある。だが、彼女の最初の指導者であり、彼女を護り、励まし、身の回りのことを全てやってくれていた母が、彼女が13才のときに急死したのである。もう少し年齢が上であれば、母の死は、彼女の音楽にとって別の意味が有ったかもしれない。けれど、母を愛し、母を喜ばせたいと母のためにピアノを弾いていた亜夜にとって、その存在が突然消えたことの喪失感はあまりにも大きかった。文字通り、ピアノを弾く理由を失ったのである。かくして彼女は「消えた天才少女」となり、ドタキャンしたステージは、ある種の伝説にもなった。亜夜の中には有り余る音楽性が埋もれていた。トタン屋根の雨音に馬たちのギャロップを聴いていた頃から、彼女はあらゆるものに音楽を聴き、それを楽しむことが出来た。亜夜のその音楽性に気付いていたのは、恐らく彼女の母親ともう1人だけだった。訪ねてきたその男性を見た瞬間、亜夜は不思議な懐かしさを覚えた。「なんでもいいよ、亜夜ちゃんの好きな曲で。お母さんの好きだった曲でもいい」のんびりと気安い頼みに、亜夜は「はあ、いいですよ」と、これまた安請け合いしていたのだった。誰かに聴かせるというのは本当に久し振りである。いきなり、暗譜で弾き始めた。ショスタコービッチのソナタ。若手ピアニストが演奏しているのを聴き、面白いなぁと気に入って、趣味で練習していた曲だった。楽譜は高いので、繰り返し聴いて覚え、鍵盤で再現したのである。亜夜が弾き始めるにつれ、徐々にその男性の背筋が伸び、顔色が変わっていった。自己流でここまで。浜崎は、一瞬呟いて絶句した。何を考えながら弾いていたのという問いに、亜夜がスイカが転がるところですと答えた。説明を聞き、彼は目をパチクリさせ、身体を揺すって笑い出した。笑いの発作が治ると、彼は椅子にきちんと座り直し「英伝亜夜さん、ぜひうちの大学を受けてもらえないでしょうか」といい、彼は名刺を出した。その男性は浜崎といい、日本で3本の指に入る名門私立音大の学長だったのである。浜崎はじっと返事を待っている。どうして受ける気になったのかは、亜夜にも分からない。入学試験では名だたる教授たちが試験官して並び、冷たい視線も感じたが、浜崎だけが飄々としていた。彼女の演奏が終わった瞬間、教授たちは一斉に浜崎を見て拍手をした。あとで異例の入学試験だったと聞いた。栄伝亜夜がコンクールへの参加を決めたのは、指導教官に勧められたことがキッカケだったが、その背後に学長の意向があることはあきらかだった。亜夜だって学長に恩を感じていない訳ではなかった。♣︎マサル(マサル・カルロス・レヴィ・アナトール)=19才。ペルーの日系三世。ナサニエル・シルヴァーバーグの秘蔵っ子。ジュリアード音楽院の隠し玉といわれる彼はハイジャンプの選手でもあった。5才〜7才まで日本で暮らしたとき、アーちゃんという一つ二つ年上の幼なじみがいた。「マーくん、迎えに来たよ」と、手を引いてピアノ教室に連れて行ってくれた、名前は覚えていないが、別れる時にもらった 「ト音記号がついた楽譜入れのカバン」を今も大切に持っている。フランスに戻つたマサルは、ピアノを習いたい、と親に申し出た。マサルが音大生の元へ数回レッスンに通うと、音大生はぜひ本格的に習うように勧め、彼の恩師で有るナサニエル・シルヴァーバーグを紹介した。そこでマサルはメキメキと頭角を現し、2年もすると神童として知られるようになった。この芳ケ江国際ピアノコンクールに参加することを決めた時、シルヴァーバーグは言った。「君はスターだ。華がある。オーラもある。持って生まれた素晴らしい音楽性がある。しかも、強靭で寛容な精神力もある。君だから言う。僕は誰よりも君の才能を信じている。賞を獲ってこい。名前の通り、勝ってこい。」分かりました、先生。マサルは心の中で呟いた。♣︎嵯峨三枝子=審査員。ピアニスト。ナサニエル・シルヴァーバーグと離婚したあと、東大出の銀行員と結婚。息子の真哉は離婚後、父親が引き取った。♣︎ナサニエル・シルヴァーバーグ=審査員。イギリス人。50才になったばかり。人気、実力共に脂の乗ったピアニスト。ジュリアード音楽院教授、嵯峨三枝子の元夫。数少ないホフマンの弟子。ホフマンに憧憬を抱き、畏怖を抱き、仰ぎ高める者たちにとって、ホフマンは呪縛でもあり、激しく心をかき乱される存在なのだ。・・・・・・・・・・・・・・・ 読み始めた途端、たちまちストーリー展開の渦に引き摺り込まれました。こんなに夢中になって読める小説に出会えたのは、一体いつ以来でしょう。2段組、507ページを、1日半で一気に読んでしまいました。この本を紹介して下さったkatananke05さんに、ただただ感謝です。ありがとうございました。☆☆☆☆☆
2017.10.08
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☆白ゆき姫殺人事件・湊かなえ・集英社・2014年2月25日 第1刷♤第一章〜第二章 同僚 日の出化粧品の美人社員、三木典子が殺害された。♣︎三木典子日の出化粧品の社員、事件の被害者。♣︎城野美姫日の出化粧品社員、三木典子とは同期入社。母親が危篤だから休むと連絡したきり、事件当夜から姿を消した。日の出化粧品社員で、被害者の2年後輩、狩野里沙子が友人のフリーライター赤星雄治に事件の情報を逐一知らせ、城野美姫が犯人だとほのめかす。赤星雄治は、狩野里沙子から寄せられた情報を元に、独自に取材を始める。取材相手は、典子の同僚、満島栄美。三木典子と城野美姫の上司、篠山係長。篠山の部下、小沢文晃ほか。♤第三章 同級生城野美姫の中学時代の同級生、尾崎真知子、島田彩、江藤慎吾を取材。♤第四章城野美姫が育った土地の地元住民。両親を取材。*週間太陽4月1日号=取材を元に赤星雄治が書き上げた記事『黒こげ死体の正体は白ゆき姫⁉︎』が掲載され、赤星が立ち上げたコミュニティサイト・マンマローはますます加熱、無責任な憶測が飛び交う。*週間太陽4月8日号=『総力特集 白ゆき姫殺人事件の鍵は魔女の故郷にあった⁉︎』と、記事の内容はますますエスカレート…。城野美姫のT女子大の友人、前谷みのりは、赤星雄治が週間太陽に掲載した記事への抗議の手紙を送る。*毎朝新聞 4月2日号=県警によると、日の出化粧品内で、人気商品 「白ゆき」が商品管理倉庫から頻繁に盗まれていることに気づいた同社がビデオカメラを設置したところ、女性社員が商品を持ち出す姿が映っていた。窃盗容疑で調べていたところ、三木さん殺害事件に関与している疑いも深まり、捜査を進めていた。また殺された三木さんが、人気コミュニティサイト・マンマロー上で、女性社員の窃盗をほのめかす書き込みをしていたことが分かり、殺害事件に関係があるのではないかとみて調べている。*毎朝新聞4月3日号=人気商品着服で女性社員を逮捕。三木さん殺害の事件についても、容疑者から事情を聞く。*毎朝新聞4月7日号=容疑者 事件当夜に不審な行動、県警は当初から疑問視。*毎朝新聞4月10日号=「告発が怖かった」容疑者、とっさの犯行。*週刊太陽4月15日号=・・・4月1日、4月8日号の特集記事において、一部誤解を招く報道がありました。なお、記事を掲載した本誌契約記者は今月1日付で契約無効となったため、本誌は一切の責任は負いかねます。♤第五章 当事者、城野美姫の述懐。夕方のニュースで、T県警は「しぐれ谷OL殺害事件」について、容疑者の逮捕状を請求したと発表し、顔写真が公開された。あの日からずっと、古いビジネスホテルの一室で、息をひそめて過ごしてきたが、そんな日々ももうすぐ終わる。事件については、百円で1時間見ることができるテレビと、時々電源を入れる携帯電話と、ホテルから歩いて5分のところにあるコンビニで買った『週間太陽』2週分とから情報を得ることができた。容疑者「Sさん」とは私のことだ。私を知る人たちの証言により、私のことが書かれている。果たしてこれが、城野美姫という人間なのだろうか。自分のことが、分からない。分からないまま、ここを出るのが怖い。そこで、私は自分自身のことを書いてみようと思う。そうすれば、自分がどんな人間なのかほんの少しでも答えが見えてくるのかもしれない。ここを出るのは、それからでも遅くないはずだ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・私は生きていくために、また〈日の出化粧品〉で働くだろう。両親に何かあれば、家にも帰るはずだ。私は私がいた場所へ戻り、これまでと同じ日常が始まる。だけど。白ゆき姫はもういない・・・・・。
2017.10.05
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☆なんでこうなるの-我が老後2・文春文庫・1998年9月10日 第1刷(単行本 1995年9月 文藝春秋刊)*この家をぶっ壊そう。風呂場での転倒をきっかけに、作者の涙と汗と山のような苦労が詰まった家を建て直すことになった話。家が完成して娘さん一家と同居が始まった。お孫さんとのユーモラスなやりとり。愛犬チビに憑いた悪霊の話。そしてチビとの別れ。様々な人への怒りと、愛子さんの心の中の声などなど。作者の独特の人生観になぜか納得したり。可笑しくて、痛快で、胸がスカッとする佐藤愛子節が炸裂です。☆だからこうなるのー我が老後3・文春文庫・2000年12月10日第1刷(単行本 1997年11月 文藝春秋刊)☆だからこうなるのー我が老後3・文春文庫・2000年12月10日第1刷(単行本 1997年11月 文藝春秋刊)*ことのはじまり〜だからこうなる〜もうどうでもいい!〜ことの終り馴染みの治療師のKに、車を上げた上にまんまと騙されて100万円貸してしまった。お金は勿論返ってこず、おまけに警察からは違法駐車の葉書が届く。怒り心頭でありながら、これまでKが好意でしてくれたことをお金に換算して、自分を納得させたり…と忙しいこと。作者なりに納得出来る結末を迎えるまでの顛末記。*作りハクション、*泣かせババアお孫さんの果てしなく続く「なぜ?」に、真面目に悪戦苦闘。しまいに「質問のごまかし方」という本はないものか。それを探していると締めくくる。*理想の孫ムコ幼稚園に通い始めた孫のモモ子ちゃんが、同級生のシンちゃんと「ケッコン」した話。*止まらん病タッタカ歩いて止まれない自称「止まらん病」が出たかと、自らの老化を嘆く話。*遠藤さん、ごめん「少年少女に戻る」付き合いだったという、お2人の思い出と別れ。他に、死にそうで死なない老犬タローに振り回される話、などなど。
2017.10.03
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☆夜のピクニック・恩田 陸・新潮社・2004年7月30日 第一刷・2005年、第2回本屋大賞、第26回吉川英治文学新人賞受賞。(作者の母校である茨城県立水戸第一高等学校の伝統行事、「歩く会」をモデルにした小説)《あらすじ》北高鍛錬歩行祭は、全校生徒が一斉に学校をスタートし、朝の8時から翌朝の8時まで、80キロの行程をゴール地点の母校を目指し、夜を徹して歩く。夜中の仮眠の時間までの前半は、クラス単位の団体歩行で、後半は自由歩行と決められている。朝から雲一つない青空が広がっていた。西脇融は青空を眺めつつ、学校への坂道を登りながら今日の歩行祭のことを考えていた。「とおるちゃーん」と、後ろから思い切り肩をどつかれた。「いってーな」その痛みに振り返ると、戸田忍が、どついたあとに続けて膝カックンをしようとする気配を察し、融は傷めている膝を庇い慌てて逃げた。忍は今年初めて同じクラスになった奴だが、とてもうまの合う男だった。教室で出席だけ取ると、生徒たちはぞろぞろと校庭に出る。クラスごとに幟を立て、1200名の生徒がクラス順にスタートしていくのだ。甲田貴子にとって高校生活最後の北高鍛錬歩行祭だ。昨夜はよく眠れなかった。校門を出て、坂道を下りながら考えていた。いよいよ来たか、この日が。高校生活最後の行事。そして、あたしの小さな秘密の賭けを実行する日が。彼女は眩しそうに空を見上げる。坂のガードレールの下を、ゴトゴトと貨物列車が走っていく。もう走り出してしまったんだから、後には引き返せない。貴子は、遠ざかる列車を横目で見送った。貴子には西脇融という異母きょうだいがいる。貴子の母、甲田聡子は、20代の時に結婚した夫と商事会社を共同経営していたが、離婚とともに一手に引き受け、そこそこ成功している。貴子は西脇融の父親、西脇恒が聡子と浮気をした際に出来た子供で、聡子はシングルマザーということになる。教師も知らないし、親戚だって知らない人がいるくらいで、周囲からは別れた夫の子供だと思われていた。西脇恒の妻は、二人のことを知っていたようだが、何も言ってくることはなかった。聡子は恒に養育費を請求しなかったし、貴子を生む代わりに彼とは一切関わりを絶ったからである。聡子はとてもオープンな人なので、貴子は小さい頃からその辺りの事情は少しずつ説明されていた。だから、特に引け目に感じたり、ショックを受けたりしたという記憶がない。2人の存在にこだわり続けていたのは西脇家の方だったように思う。高校に入学する前、西脇恒が病気で亡くなった。葬儀のとき、こちらを恐ろしい目で睨みつけていた少年の顔は、今でも脳裏に焼き付いていて貴子の中に残り続けている。だから、同じ高校に入学したと知ったときは憂鬱だった。さいわい2年間は別のクラスだったし、そのうち彼の存在も気にならなくなった。融は融で貴子のことを完全に無視していたから2人の接点は全くなかった。ところが、3年になって同じクラスになってしまった。始業式の朝、張り出された名簿を見て貴子は仰天した。周囲を見回した瞬間、やはり驚いている融とばったり目があってしまった。その時のこともはっきり覚えている。彼女は歩行祭で小さな賭けをすることにした。その賭けに勝ったら、融と面と向かって自分たちの境遇について話をするように提案しよう、という彼女だけの賭けである。けれど、彼女はその賭けに勝ちたいのか、負けたいのか、まだ自分でもよく分からないでいる。貴子には2人の親しい友人がいる。1人は、成績優秀で国立理系志望の遊佐美和子、もう1人は、高1から高2まで同じクラスだった榊杏奈。彼女は帰国子女で、中3~高2まで日本で過ごし、大学入試準備のためアメリカへ行ってしまった。10日ほど前に杏奈から届いたハガキには、もう一度歩行祭に参加したかったと書いてあったが、最後のところで貴子は首をかしげた。そこには、「たぶん、私も一緒に歩いているよ。去年、おまじないを掛けといた。貴子たちの悩みが解決して、無事ゴールできるようにN.Y.から祈ってます」と書かれていたのだ。去年のいつ、杏奈はどんなおまじないを掛けたのか・・・。やがて道は緩やかなのぼりになった。丘陵地帯のジグザグ道を、生徒たちの列が歩いていく。ところどころに白い幟が立っているところは、服装に目をつぶれば戦国時代の映画の一場面のようだ。丘の途中まで登ったところで、笛の音が鳴り響き、次の休憩になった。みんながドミノ倒しのように次々と腰を降ろしていく。夜中の仮眠の時間までの前半は、皆元気で賑やかに話しながら歩いているが、未だ未だ先は長い。ようやく前半のゴール地点が近づいてきた頃、貴子は朦朧とした頭でとりとめもないことを考えながら歩いていた。仮眠をとる学校の明かりが見えてきたものの、進まない足ではなかなか辿り着けない。午前2時10分、貴子たちはついに到着した。疲れ切っているはずなのに、校内を歩き回り、顔を洗い歯を磨いている生徒たちには逞しい活気があった。けれど一旦気が抜けてしまうと、ぎくしゃくして歩けなくなる。極限状態を乗り越えて、それぞれが思い思いに過ごしていた。団体行動が終わったいま、自由歩行で歩く生徒同士が集まっているのが目に入る。実行委員が各クラスの幟を回収していた。これから2時間後には再び走り出しているのだ。自由歩行で一緒に歩く貴子と美和子が歯磨きを済ませ、再び体育館に戻ると、もう中は完全な静寂に包まれていた。眠りはほんの一瞬だった。ゴザに頭をつけたと思ったら、次の瞬間、もう2時間経っていた。身体を起こそうにも、全身がみしみしいって、全くついてこない。外はまだ真っ暗で、体育館は皓々とと明かりが点いている。むろん、朝食などない。これから最後の点呼を取り、4時半過ぎにはここを出発するのだ。起き上がろうとして、融はぎょっとした。痛めた左の膝に異様な重さを感じたのだ。そうっと静かに膝を庇いながら立ち上がる。じわじわと不安がこみ上げてきた。自由歩行、これから20キロを歩き通せるだろうか。忍がくれた湿布を半分に切り、膝の前後に貼ると、ひやっとして気持ちいい。サポーターで固定すると、精神的にも楽になった。まだ脳みそも身体も半分眠っているような状態なのに、それでも身体は緊張と興奮で震えていた。貴子の緊張は、混乱でもあった。「西脇君は貴子の異母きょうだいだもの」昨夜、朦朧とした中で聞いた美和子の表情と声が、頭の中に焼き付いて離れない。美和子はいつから知っていたのだろう。静かだった校舎が、再び殺気立った喧騒に包まれていた。校門のあたりを埋め尽くす、人、人、人の黒い頭。もはや、北高の生徒という括りしかない、全校生徒がここをスタートして、ひたすら母校への道のりを目指すのである。時間内に途中のポイントを通過すること、出発後5時間で、校門のゴールを閉じること、それ以降はバスで回収されること。ゴールまでの注意事項が繰り返されていた。ガラガラ声でやけっぱちの校歌が響き、応援団員がドンドンと太鼓を叩く。実行委員の声を合図に、集団は動き出した。忍と一緒にゴールできるだろうか。融の頭の中も不安でいっぱいだ。だが、今は全力でこいつと並んで、行けるところまで頑張ろう。それから先のことは、その時考えよう。忍と一緒なら俺は後悔しない。融は膝のことも忘れて走り続けていた。これから20キロ、歩けるのだろうかという思いを胸に、貴子と美和子も歩き出した。ゴール地点に向かって。貴子は、果たして掛けの結果がどうなるだろうかと思いつつ・・・。☆☆☆☆♧作者略歴1964年、宮城県生れ。早稲田大学卒。92年、日本ファンタジーノベル賞候補作となった『六番目の小夜子』でデビュー。活字でこんなことが出来るのか、という驚きと感動を提供して注目を浴びる。ホラー、SF、ミステリなど、既存の枠にとらわれない、独自の作品世界でたくさんのファンを持つ。♧受賞作品・夜のピクニック 2004年-2005年、第26回吉川栄治文学新人賞、第2回本屋大賞・ユージニア 2006年、第59回日本推理作家協会賞(長編及び短編集部門)・中庭の出来事 2007年、第20回山本周五郎賞・蜜蜂と遠雷 2017年、第156回直木三十五賞、第14回本屋大賞
2017.09.30
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☆三月は深き紅(くれない)の淵を・恩田 陸・講談社・1997年7月7日・「メフィスト」誌 1996年4月号〜1997年5月号・「このミステリーがすごい!」ベスト10入り★第一章 待っている人々人事課長に呼ばれた鮫島功一は、会長の家で開かれるお茶会に参加するようにいわれた。課長の話では、その二泊三日のお茶会には毎年新入社員が招待されることになっており、今年は鮫島が選ばれたのだ。選抜基準はただ一つ、趣味が読書だと。鬱蒼とした森に囲まれた会長の家は、そこが東京の一等地だとは思えない広さだった。敷地の中には、春、夏、秋、冬の4つの家があり、鮫島が案内された家は、高名な建築家であり、金子の友人だった圷 比呂央の死後、移築されたという冬の家だった。鮫島を迎えたのは、金子会長、鴨志田(銀座の天ぷら屋の3代目)、一色(大学教授)、水越夫人(祖父の代から横浜でホテルを営む)の4人。本好きの彼らは、鮫島そっちのけで一冊の幻の本の内容について熱く語った。本のタイトルは「三月は深き紅の淵を」、作者名もないその本は、世に出回って僅か半年後に回収されてしまったという。金子会長が鮫島に出した課題は、圷比呂夫(あくつひろお)がこの家のどこかに隠したその本を探すことだった。どうしても読んでみたい誘惑にかられた鮫島は必死で考えた。そして。「この本はこの世に存在しないのです」という結論に達した。鮫島の話を聞いた4人は長い間黙り込んでいた・・・。やがて会長が堪えきれずに吹き出すと、それを合図に3人も大声で笑いだした。そして「我々も鮫島くんを騙していた」といい、壁にはめ込まれたタペストリーの片方を無造作に引き上げた。そこにはずらりと同じ背表紙の本が並んでいたのだ。背中で門の閉まる音を聞き、ようやく我に返った。4人の顔など、もう、すっかり功一の頭の中から消え去っていた。いつかきっとあの本を読んでみたい。あの本を手にとって・・・」空はすっかり春の青空だった。鮫島を帰したあと、水越夫人が「本を出して見せてくださいと言ったらどうしょうかと思ったわ」と言い、「こんなことばかりやっていないで、そろそろ本当に書き始めましょうよ」と、ピシリというのを合図に、4人はぞろぞろと台所のテーブルを囲んで座った。執筆会議のために・・・。★第ニ章 出雲夜想曲堂垣隆子=私=編集者同じ編集者である江藤朱音を出雲旅行に誘った。目的を聞かれた隆子は「三月は深き紅の淵を」を読んだことがあるんです。あの本の作者は出雲にいると思うんです」とこたえた。朱音も実はその本を読んでいたという。奇妙なルールに従って…。実際にその本を入手していたのは80人くらい。「所有者は1人だけ一晩のみ貸し出して良い」作者は自分の決めた「掟」を守ってくれる人間をよほど慎重に選択して渡したようで、時代錯誤ともいえるような頑迷さでそのルールは守られた。その結果、時が経つにつれそれは溶解し、手に触れることのできない幻へと変化していったのである。訪ねた家は荒れ果て、その女性はいなかった。近所の人の話では2年前に出ていったきり帰らないという。★第三章 虹と雲と鳥と★第四章 回転木馬じっと我慢で最後まで読み通しはしましたが、最後まで読んでも作者が何を書きたかったのか読み取れませんでした。特に第二章以降は、私にはストーリーが無駄に入り組んでいて、作者の自己満足としか思えないのです。一体この小説はどんな風に読めばよいのでしょう。まとめを途中まで書いてみたものの、とても最後まで書く気にもなれず、お手上げです。最初に読む恩田作品としては本選びを間違えました。次に「夜のピクニック」を読みおえて、ほっとしています。☆一つです。
2017.09.28
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☆旅猫リポート・有川 浩・文藝春秋・2012年11月15日 第1刷発行宮脇 悟(サトル)は、小学校の修学旅行の最中に両親を交通事故で亡くした。母の妹である独身の法子に引き取られることになり、可愛がっていた猫のハチと別れた。判事である法子の転勤に伴い、何度も転校した。東京の大学にはいり、そのまま東京で就職した。車に跳ねられ怪我をしたノラ猫を助けた。ハチによく似たノラはナナと名づけられ、悟のルームメイトとなった。1人と1匹の幸せな生活が5年続いた。悟が30才を少し超えたある日、彼はナナに「一緒に住めなくなってごめんな」と、詫びた。「それじゃ、行こうか」とナナのケージを提げて、銀色のワゴンに乗り込んだ。ナナを引き取っても良いと言ってくれた悟の友人達を訪ねるナナのお見合いの旅の始まりだった。最初は悟の幼なじみであり小学校の同級生の澤田幸介。2番目は中学校の同級生だった吉峯大吾。3番目は富士山を望む果樹園のそばで、ペット可のペンションを営む杉修介、千佳子夫妻だった。いずれもお見合いは成立せず、いよいよ最後の旅が始まった。体力が落ちた悟は、今度の旅はカーフェリーで北海道に向かった。左の肩に旅行鞄をかけ、右手にナナのケージを持った悟は、歩くのが大儀そうだった。両親の墓と祖父母の墓参りをすませ、悟とナナは叔母の法子が待つ札幌市内のマンションに向かった。法子は悟と同居するにあたり、判事をやめて弁護士として札幌市内の法律事務所に就職、悟の病院に近いマンションに転居していた。まるで忠犬ハチ公の猫版のような、涙なくては読めない悟を想うナナの物語。猫好きの方なら、もっと実感を伴って楽しめるのではないかと思いました。
2017.09.24
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友人から何より嬉しい品が届きました。私が未だ読んだことがない文庫本を8冊も!佐藤愛子さんの本、面白そう〜♪ 今の私には最高に嬉しいプレゼントです(^∇^)昨日、主人が図書館で3冊借りて来てくれました。これで当分退屈しないで済みそうです。
2017.09.19
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☆いちばん長い夜に・乃南アサ・新潮社・2013年1月30日 発行・芭子 & 綾香シリーズ no.3(完結編)芭子は昏睡強盗罪=懲役7年、綾香は殺人罪=夫の暴力からやっと出来た我が子を守るため夫を殺してしまった。情状が酌量されて懲役5年。子供は夫の両親に引き取られ、綾香には会いたくても会えない存在になった。当初は後悔していないと言い切っていたが、東日本大震災の被災地に通うようになって、肉親を失った人々の悲しみを知り、殺さないで自分が逃げるという選択肢もあったことに気づいた。刑務所にいるときから2人は気が合った。いつも他人の視線に怯えながらも、出所後も助け合い支え合いながら健気に生きてきた。親や兄弟からも見放され、何一つできなかった芭子に、綾香は家事一切を一つ一つ教えてくれた。馬鹿なことを言って笑わせ、いつも明るく振る舞う綾香は、芭子にとっては何でも話せる掛け替えのない存在だった。ある日、たまたま前を歩いていた小さなこどもが、何を思ったかいきなり方向転換をして、いきなり「ねぇねぇ、お母さん!」と、綾香にしがみついた。綾香の顔を見上げてぽかんと口を開けて凍りつくその子に、少し離れた位置から「ほら、ともくん!こっちこっち!」という声が聞こえた途端、ぱっと逃げるように走り去った。話しかけようと、綾香の方を振り向いた芭子は息を呑んだ。さっきまで笑っていたはずの綾香が、一点を見据え血の気さえ失せて見えた。その瞬間、芭子は察した。子供のことを思い出している。そうに違いないと。それからの綾香はいつにも増して饒舌になった。芭子にはそんな彼女が痛々しく見えてならなかった。ある夜芭子は意を決して、渋る綾香から「朋樹」という子供の名を聞き出した。いつもは陽気でお喋りでハラハラさせられることの多い綾香の中には、ぞっとするほどの淋しさのようなものが、深くしっかり横たわっている。芭子の超えた一線と、綾香の超えた一線とは、思っている以上に違っているのかもしれない。理由はどうあれ、人の命を奪い、それを悔やまず生きるのはどんなことなのか、そばで暮らしいながらも芭子には分からない。その暗い淵のようなものの原因の一つが、生き別れになった子どもにあることは間違いないと思われた。探してみよう、私が。これまでの長い年月の間に聞いてきた生まれ育った実家のある地名、家族で暮らした家のことなどが、ぽこりぽこりと、浮かび上がってきた。思い出したことを次から次へと箇条書きにして、インターネットで調べ始めた。仙台へ行こう。そして何かの手ががりを探してこようと心に決めた。とにかく仙台に行く。*その日にかぎって2011年3月11日。窓際の席に座った芭子は、朝陽に輝いている東京の街を眺めていた。隣の席は、背広を着た普通のサラリーマン風の男性だった。いかにも旅慣れた様子で、足を組んで新聞を読んでいた。芭子が乗った新幹線「はやて」は、午前9時少し前に仙台駅に到着した。綾香が卒業した高校では、規則で個人情報は教えられないと断られた。市立図書館で、古い新聞記事から事件の記事を見つけた。読んでいる途中、涙で新聞記事が読めなくなった。記事に書かれていた、綾香が住んでいた家近くの喫茶店で朋樹の消息を聞いた。朋樹を引き取った祖父母は、相次いでたおれ、終身介護付きの施設に入った。育てられなくなって乳児院に預けられた朋樹は、養子縁組で外国に出されたという。朋樹が預けられていた養護施設に行こうと駅前まで戻った芭子を、あの大地震が襲った。仙台駅に戻ろうにも地下鉄は動かない。やっと来たバスに乗り、ようやく仙台駅まで辿り着いた。新幹線も動いていない。タクシー乗り場に並んでみても無駄足だった。先ずは食料確保と、薄暗がりの中で売られていたペットボトルの飲料とスナック菓子類を手当たり次第に千円分買い、道路標識と人の流れを頼りに歩き続けていたとき、まだ電気がついている銀行のATMを見つけた。このまま仙台で足止めを食らうとなると手持ちの3万円では心許ない。いざという時には現金を持っていないといけないと言っていた綾香の言葉を思い出し、10万円を引き出した。日が暮れるといよいよ寒さは厳しくなった。途方に暮れかせているとき、そのホテルの前に差し掛かったのだ。「食べ物を用意してあります。よろしかったらあちらで休んでいってください」化粧室を借りて懐中電灯を元の場所に返そうとしたとき声をかけられた。大きいホテルではなかったが、広々とした宴会場のテーブルには一口サイズにまとめられたオードブルなどが並べられていた。芭子は湯気の立つスープと小ぶりのホテルパンを手に取り、なるべく人のいない椅子に腰かけた。携帯も繋がらない。夜が更けるとシンシンと冷えてくる。余震が続いている。帰らなきゃ。何としても。そんなとき、同じテーブルに座っていた男性が「今朝、7時くらいの新幹線に乗っていませんでした?」と話しかけて来た。今朝、隣の席に座っていた男性だった。彼の方はサラリーマンばかりの時間帯に芭子のような女性は珍しいので覚えていたという。話し相手が欲しかった。ずっとこわばっていた顔の筋肉がゆるみ、我ながらいつもと違う口調になっているのが不思議だった。9時半を回った。その間に数え切れないほどの余震にに見舞われた。先ほど席を立った男性が帰って来た。外に立って、やっと通りかかった空車を無理矢理止めたいう。運転手は、LPガスが残っていないから福島までなら乗せていいという。お金が足りないから、一緒に帰る気があるなら立て替えてもらえないかという。ホテルの人たちに「ご無事で」と送られ出発した。ラジオからは災害状況を知らせるニュースが絶え間ない緊急地震速報に紛れて流れていた。6時間以上前のメールが届き始めた。ようやく辿り着いた福島市の中心地は、駅の周辺だけ、まるで何事もなかったかのようにイルミネーションまで輝き、その明るさが痛いほど瞼に沁みた。ここまで送ってくれた運転手が、次のタクシーを見つけて来てくれ、「お互いに生き延びましょう」と言って仙台に戻っていった。次に乗ったタクシーの中で住所と電話番号、メアド、名前を交換した。ようやく根津まで戻ってきた。タクシーを降りるとき、最後に彼は「インコが無事だといいね」と、そう言った。両手に千円分の仙台みやげとコンビニで買ったカップ麺の袋を下げ、路地を回ったところで、突然「芭子ちゃん!」と、綾香が飛びついて来た。仙台から一緒に帰って来た彼の名は南祐三郎といい弁護士だった。南と過ごす時間は楽しかった。それだけに隠しているのが苦しくなった芭子は、過去を全て話した。嘘を突き続けて、この人をだまし続ける方が、きっと苦しいだろうと思うから、どうしてもここで覚悟しなければならなかった。南は、芭子の過去を知っても尚、芭子と付き合いたいと言ってくれた。今の、そしてこれからの芭子を見ていきたいと言った。全く混乱していないと言ったら嘘になる。だから、出来るだけ時間をかけたいと思っている。僕自身のためにも、小森谷さんのためにも。互いの気持ちを確かめ合ったとき、南はそう言った。弁護士である彼がそう言うと、余計に現実の重さが感じられた。でも、だからって一生やり直しがきかないものだとも思っていないとも・・・。お互いを理解しあい、本当に信頼し合い、心を寄り添わせるには、それなりの時間が必要だ。南の言葉は、よく理解できた。慌てずに。ゆっくり。それから2人は合言葉のように言い合っている。芭子のおかげで息子のことを知った綾香は、パン屋をやめ被災地に通い詰めるようになった。そして、震災から一年経ち、綾香は気仙沼でパン作りの修行を始めることになった。老舗のベーカリーがようやく店舗を再開する目処がつき、一緒に働かないかと誘ってくれ、綾香は死ぬ覚悟で、過去を打ち明けたのだという。主人夫婦は、よく打ち明けてくれたと背中をさすり肩に手を置いて、綾香のために涙を流してくれたという。そして、とうとう綾香は行ってしまった。もうすぐクリスマスがくる。いま、芭子は南と綾香のためにマフラーを編んでいる。芭子 & 綾香シリーズ no.1 いつか陽のあたる場所でno.2 すれ違う背中をno.3 いちばん長い夜に
2017.09.19
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☆いつか陽のあたる場所で・乃南アサ・2007年8月20日 発行・新潮社・芭子&綾香シリーズ・ No.1・初出誌一覧 同じ釜の飯 小説新潮2005年9月号 ここで会ったが 小説新潮2006年4月号 脣さむし 小説新潮2006年10月号 すてる神あれば yom yom ヨムヨム vol.2♣︎小森谷芭子罪状=昏睡強盗罪、懲役7年。29才。世間知らずの女子大生だった頃に愚かな恋愛をした。相手がホストだったばかりに、彼に貢ぐために家族の財布から札を抜き取り、消費者金融で借金を重ね、挙げ句の果てに見知らぬ男をホテルに誘い出しては薬で眠らせ、財布を抜き取るという行為に出た。20代の全てを溝(ドブ)に捨てたことになる。現在、祖母の遺してくれた古家に住む。近所の人は、祖母の嘘を信じて海外留学していたと思っている。♣︎大芝綾香(あやか) 罪状=殺人、懲役5年。41才。田舎の地方都市のOLから20代で専業主婦となり、その後は夫の暴力に耐えながら流産を繰り返した。ようやく授かった子供にまで夫の暴力が及びそうになったところで、ついに夫の命を奪った。その結果、赤ん坊だった我が子は夫の実家に預けることになり、彼女はそれまでの人生の何もかもを失った。刑期は情状が酌量されての温情判決だった。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・《あらすじ》刑期を終え出所した小森谷芭子と大芝綾香。2人は東京の下町、谷中で肩を寄せあう様に暮らしている。2人が知り合ったのは刑務所だった。同房の受刑者の中には、実に様々な女たちがいた。そんな中で、綾香と芭子は何となくウマが合った。綾香となら、何でも話し合える。人に知られたく無い体験を共有しているし、それぞれの過去と心の傷を十分に承知しているという絆がある。年は一回りも違う。育った環境も、性格も、好みも何もかも違っているが、今の芭子にとって、綾香は世界中でただ1人の心の拠り所だった。綾香は、いつかは自分の店を持ちたいと、毎朝夜明け前から起き出して、パン職人の修行に明け暮れている。そんな日々のなか詐欺にあい、それまでこつこつと貯めてきたお金をすっかり持っていかれた。以来、ますます倹約家になった。芭子は、祖母が残してくれた古屋に住む。月曜日から金曜日まで、自転車で5分とかからないオレンジ治療院で、受付スタッフをしている。ここは求人情報誌で見つけた。学歴年齢経験不問。時給は安いが住まいからも近かったし、あまり大きくないところなのが気に入った。当初は家でできる仕事を探したが到底生活できるだけの収入を得るのは難しい。それは、社会人としての経験もない、技術も資格も持たない芭子がようやく見つけた仕事だった。けれど、その仕事も院長のセクハラに耐えきれずに辞めることになった。ある日、弟の尚之が、芭子の住む家の権利証と有価証券。定期預金の口座に3000万円が入った芭子名義の預金通帳を持ち訪ねてきた。渡すにあたっては、これから一切小森谷の家に関わらないという覚え書き、推定相続人廃除届、にサインをしてもらうことが条件で、尚之が結婚するにあたり家族皆で話し合って決めたことだという。小森谷の家からは、芭子という存在はかき消された。やがて、芭子の幼い時からのアルバムや大好きなスヌーピーの人形、芭子の大好きだった一対の雛人形、文房具、アクセサリーなどが送られてきた。一緒に入っていた尚之の手紙を見つめながら、芭子は何度も何度も「さようなら」と呟き続けた。結局、あの人たちも、喪ったんだ。たった1人の娘を。姉を。家族を。初めてそのことに思いがいった。あの頃、芭子は家族の存在など忘れ果てて、犯罪に走った。もしもあのとき、ほんの一瞬でも両親や弟の顔を思い出していたら、あんな馬鹿な真似はしなかったと思う。その結果、家族の目の前で手錠をかけられることになった。あの時点で家族を捨てていたのは、芭子自身の方だったのだと気がついた。赤の他人と近所の人に見守られ、私はここで生きていく。綾香と肩を寄せ合って。それしか残された道はないと、心に決めた。芭子 & 綾香シリーズ1.いつか陽のあたる場所で2.すれ違う背中を3.いちばん長い夜に
2017.09.17
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☆植物図鑑・有川浩・平成25年1月10日 初版発行・幻冬舎文庫( 2009年6月 角川書店より刊行 )別れる男に、花の名を一つは教えておきなさい。花は毎年必ず咲きます。文豪・川端康成はそんな言葉を残したそうだ。さやかは小さく溜息をついた。別れたとも言い切れないんだよなぁ、あの男は。何しろー。いきなり消えたまま行方が分からないんだから。樹木の樹と書いてイツキと読むんだ。さやかが彼から直接聞いた個人情報はそれだけだった。出会ったのはまだまだ夜が凍りつく、冬終わりかけの休日前夜。終電ギリギリの飲み会帰り、朧月が出ていた。ほろ酔い加減でマンションのポーチに近づいたとき、植え込みに放置してあるそれをみつけた。顔をしかめて大きなゴミ袋に近づいたさやかは大ききな悲鳴を上げた。遠目にゴミ袋と見えたのは、リュックを背中に丸くなって転がっていた人間だった。頬をつつかれうっすら目を開けたのは、同年代の、結構いい男。さやかの問いかけに「行き倒れてます」と応えた。手持ちの所持金を使い果たし無一文。お腹が空いて一歩も動けないという。男が警戒心を感じさせなかったせいだろう、同情したさやかはいつの間にか男の前にしゃがみ込んでいた。と、男がぽんと膝に丸めた手を載せ「お嬢さん、よかったら僕を拾ってくれませんか。咬みません、躾のできたよい子です」と言った。彼の言葉は、まるで「犬」のお手みたい、と考えていたさやかのツボにはまり、笑いが止まらなくなった。今にして思うと、この瞬間をして魔が差したと言うのだろう。さやかに支えられやっと辿り着いたさやかの部屋で、カップラーメンを食べた「大きな犬」は、ごちそうさまでした、と深々と頭をさげた。翌朝、さやかが目を覚ますと、ささやかな朝食の支度が出来上がっていた。おかずは、盛大に芽が出ていた死亡寸前の玉ねぎを使ったオムレツ、味噌汁もタマネギに卵と、男がかろうじて発掘した食材のみで構成されたメニューである。「おいしい…」一口すすった味噌汁は、体に滲み入るようだった。彼は身支度を済ませ、寝袋を片付けはじめた。ベットの上で三角座りをしながら眺めていたさやかは、自分でも何故だがわからないまま「ねぇ、行く先ないんなら……ここにいない?」そんなことを口走っていた。「おれは一応男だよ」という彼に、「拾ったら情が移るじゃない、このまま出ていかれたら、それでもう2度と会えない人になったら寂しいって思っちゃったのだから仕方がないじゃない!……」彼が根負けしたように小さく笑う気配がした。「…待遇は?」「住環境と生活費の管理権」「住環境の中に布団って入る?」「客用布団があるから専用にしていい」「分かった」家計の支出はさやかが持つ代わり、イツキがハウスキーパーを引き受けることになった。2人の風変わりな同居生活が始まった。やがてイツキもバイトを見つけて生活のサイクルがすっかり落ち着いた。同居して一ヶ月。さやかはイツキを異性として意識している。それは認めざるを得ない。だが、イツキの方は相変わらず「躾のいい犬」で、紳士的で、同じ年頃の女と一つ屋根の下で暮らしながらこの一ヶ月間そんな気配一つ感じたことはなく、ごく理性的に「契約通り」のルームシェアをしている同居人だ。大事にされている。同居人として。それで満足するべきだ。日付の変わる頃、イツキはマフラーと手袋をしてコンビニのアルバイトに向かう。イツキは植物のことがやたら詳しい。名前しか知らないこの男は一体ナニモノなんだろう。一体どこから来たのだろう。週末は「狩」を兼ねた散歩に行くようになった。イツキは植物の名前だけでなく料理も上手だ。摘んで来た野草を手際よく調理する。茹でこぼして切り揃えたセイヨウカラシナは、ベーコンやノビルと一緒に炒めパスタに。ノビルの根の先の白い玉がアクセントになって、パスタは絶品と言える料理になった。苦労した割にツクシは報われない味だったり、フキトウの味噌漬けは美味しかったけど天ぷらは苦過ぎて素人にはキツかった。たんぽぽの花と葉は天ぷらになって出て来た。さやかはイツキに教えられながら、一つ一つ覚えていった。週末ごとにイツキと一緒に「狩」に行くのが楽しみになった。さやかが夢中で摘んでいるとき、イツキは高価そうなデジカメで夢中でシャッターを切っている。データは軽量のノートパソコンに取り込んでいるという。行き倒れていたくせに高価そうなデジカメを持っているわ、軽量ノートは持っているわ、その落差も訳が分からない。同じ部屋に住んでいるのに未だに謎がぼろぼろこぼれてくる。厳しい残暑を乗り越えてようやく秋が来た。やがてハナミズキの実が真っ赤に色づく季節になった。最近、ふと気がつくとイツキに見つめられていることが増えた。「何?私の顔、何かついてる?」というと「ううん、さやかはかわいいなぁと思ってさ」そういうときのイツキはまともに見返せないほど優しい顔をしている。やがて、ハナミズキもすっかり丸裸になった。これからどんどん冬になる。ある日、いつものリズムでチャイムを鳴らしてもドアが開かなかった。自分で開けて入ると、部屋はしんと静まり返り、明かり一つ点いていない。さやかは悟った。寝室に入ると、イツキが来る前のレイアウトに戻っていた。居間のテーブルの上に封筒とノート、そして部屋の合い鍵が一本載っていた。ノートにはイツキが作ってくれたレシピがびっしり書かれていた。封筒の中には一筆箋が一枚と、さやかの写真が3枚。「ごめん。またいつか」それだけが隠しきれないイツキの未練だった。本当はもう分かっていた。いつまでもこのままではいられない。…イツキはどこかで何かを決断したのだ。さやかは泣いた。自分の中にこんなに水があるとは知らなかった。全部涸れて死んでしまえいいと思った。さやかは、イツキがもう一本の合い鍵を持っていることに望みを託していた。春が過ぎ夏がやって来た。ある日、書留が届いた。中から部屋の合い鍵が一本と一筆箋が一枚…。「ごめん。待たなくていいです」イツキは嘘が巧くない。こんなときにもさよならと書けない。こんなに未練を溢れさせておいて、待たなくていいだなんて。分かりやすい嘘つかないでよ。その日は久しぶりにたくさん泣いた。待ちたいだけ待とうと割り切ってから気持ちが楽になった。いま、さやかは2人で行った場所へ1人で「狩」に行く。そしてレシピを見ながら一つ一つ料理を作っている。
2017.09.09
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☆空飛ぶ広報室・有川 浩・幻冬社文庫・平成28年4月15日 初版発行・ダヴィンチの「ブック・オフ・ザ・イヤー 2012」 小説部門小説部門第1位のドラマティック長編。 (単行本=2012年夏 刊行)航空自衛隊広報官空井大祐、帝都テレビディレクター稲葉リカ。苦悩しながら成長してゆく2人の姿を縦軸として、普段知られていない自衛隊の存在意義や活動内容を描いた作品。☆☆☆☆☆=個人的な感想♣︎空井大祐二尉=市ケ谷 航空幕僚監部広報室子供の頃からブルーインパルスに入るのが夢だった。航空学生で入隊、10年もパイロット一筋でやってきた。そして、これも子供の頃から絶対これだと決めていた「スカイ」という戦闘機パイロットとしてのタックネームも手に入れた。ブルーへの道程は長く険しくとも、彼にとって決して踏破できない目標ではなかった。それから5年…。順調に階級を上げ、ようやくブルーインパルスの内示が出ていた28才の春だった。彼には何ら落ち度のない交通事故の被害者となった。事故の後遺症は日常生活には問題ないまで回復したが、F15を駆る戦闘機パイロットとしては到底足りなかった。結果としてパイロット資格剥奪となった。♣︎稲葉リカ=帝都テレビディレクター、元はサツ回り記者。自衛隊嫌い。 ジャーナリストになるのが子供の頃からの夢だった。入社後の配属は希望通り報道部の記者だった。たとえ相手が嫌がっても群がり、食らいついてマイクを向け、そうして見えてくる真実があるのだという上司の訓話をまともに受け止め、体当たりで泥を被った。同期に大きく水をあけ、リカは有望な新人として高く評価された。ところが、入社3年頃から強引な取材が問題になった。評価を取り戻そうとすればするほど裏目にでた。そして5年目の今年、報道部の『記者』から帝都イブニングの『ディレクター』に配置換えになった。♣︎その他の登場人物・市ケ谷 航空幕僚監部広報室鷺坂正司一佐=広報室長、比嘉哲広一曹=広報歴12年(空自広報のエキスパート)、片山和宣一尉、柚木典子三佐=紅一点、槇 博己三佐《あらすじ》1.勇猛果敢・支離滅裂やっと手に入れたと思った子供の頃からの夢を、突如として断たれてしまった空井大祐二尉。呆然としつつ迎えた29才の4月、築城基地から防衛省航空自衛隊航空幕僚監部広報室への転勤の辞令が下った。空井の勤務先は庁舎A棟19階、航空幕僚監部広報室である。空井が市ケ谷に転勤してから2週間が経った。不本意な異動に加えて、気に食わない自衛隊特集の担当になった稲葉リカ。リカにとって自衛隊とは、曖昧な位置付けで存在を許されている日陰者というイメージだった。そんな組織の担当にされるなど、ますます干されたという意識しかなかった。ことにメインで引き受けた空幕広報室への当たりはきつくなり、半ば八つ当たりのように、こらえる彼らを試すように挑発的な発言を繰り返していた。どうせ何を煽っても反論などしてこない、と侮りはじめていたところだった。人を殺したいなんて思ったこと、一度もありません! 怒りを籠めた声に横っ面を張られたかと思った。憤りと悔しさのにじんだその深刻な声に、自分でも意外なほど動揺した。置かれた立場をはき違えていた自分を、いきなり目の前に突きつけられた。大義名分を持たない状態で受けた怒りに心が竦んだ。相手は怒ると同時にひどく傷ついていた。自分は記者としてではなく、稲葉リカ個人として、空井大祐という個人をこれほどまでに傷つけたのだという事実に気がついた。それは自分が加害者になった衝撃だった。広報室のベテラン、比嘉一曹の言った「自衛官も人間なんです」あなたと同じように。それまで何を投げつけてもニコニコ受け流す最高峰と思っていたが、そのとき初めて諭された。空井のことを詫びながら、遠慮がちに。たった一言のその訴えは、言葉をどれほど尽くされるよりもリカの後ろめたさを暴いた。さりとて、仕事から逃げるわけにもいかない。先日は比嘉に取りなされてうやむやのうちに帰った。それ以降初めて訪れる広報室は、リカにとってかなり敷居が高い。今さら悔やんだところで遅い。広報室に通され、空井がお茶を持って来た。「先日は申し訳ありませんでしたっ」押し切るように言い切り頭を下げる空井に、「いえ、こちらこそ・・・。理解が足りなくて」とリカは口の中で謝罪のような謝罪でないようなものを転がす。そんなリカに、空井は「稲葉さんに理解してもらうことが僕の仕事なんです」と、せがむかのように申し出た。こんな意欲的なタイプだったろうか。同じ場面を経て、自分はまだうだうだしているのに、空井はもう立て直したのだ。リカは置いていかれたと感じた。空井が「どうして自衛隊がそんなにお嫌いなのですか」と聞いた言葉は、逡巡しながらにしては、ド直球だった。2.はじめてのきかくしょ3.夏の日のフェスタ4.要の人々*.あの日の松島稲葉リカが空井を中心とした空幕広報室のドキュメンタリーをまとめた一年後、空井は空幕広報室から松島基地に異動になった。第4航空師団司令部管理部渉外室で、引き続き広報を担当するという。空井の送別会のあと「いつか松島で」と指切りだけして別れた。そして、東北をあの震災が襲ったのは、その半年後だった。リカは帝都テレビの本社ビルでミーティング中だった。十数分ほども続いた不気味な揺れがようやく収まり、報道局から地震についての情報が入り始めた。他社の放送もモニタリングするなか、NHKの恐ろしい津波の映像が流れはじめた。モニターを囲む数十人が、凍りついた。リカは報道局に詰め、次々と飛び込んでくるニュースを原稿にまとめる。そして、そのニュースは突然リカの前に躍り出た。「航空自衛隊松島基地、水没。基地は音信不通」空幕広報室の誰かに詳細を聞けないかと思いついた。携帯を取り出すと、家族からの安否確認に混じって空井からのメールが2通届いていた。1通目は『無事です』2通目は『F–2が全部流れちゃいました』泣き顔の顔文字が付いていた。震災から10ヶ月後、特集番組の取材のため、リカは一人で松島基地に向かっていた。リカがチーフディレクターを務める新番組の次回のロケでは、3・11の災害派遣で注目が集まっている自衛隊を取り上げることになり、空自パートでは母基地の水没が話題となったブルーインパルスを特集する。「いつか松島で」その約束がこんな形にるとは思っていなかった。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ー 作者の「あとがき」より ー本当ならこの本は、2011年の夏に出る予定だったそうです。ところが、その年の3月に東日本大震災が起こり、ブルーインパルスの母基地である航空自衛隊松島基地は大きな痛手をうけました。この震災は航空自衛隊の広報を題材にして書いたものであり、作中でブルーインパルスのことにも触れています。作者は、松島基地の、そして空自広報の3.11に触れないまま本を出すことはできないと判断。出版社の同意を得て一年遅れたのだそうです。自衛隊三部作{*塩の町(陸自)、海の底(海自)、*空の中(空自)}に続く自衛隊シリーズ作品(*=既読)荒唐無稽なストーリーの三部作と違い、この作品は読み応えがありました。☆☆☆☆☆=個人的な感想
2017.09.03
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普通は「読書の秋」といいますが、私にとっては猛暑日が続く真夏が読書シーズンなのです。毎年夏は引き篭もりを決め込んで、読書三昧の日々を過ごしています。ところが、今年は読みたいと思える本に出会えなくて困っていました。七月に読んだのは、池井戸潤さんの「アキラとあきら」の一冊だけ。そんなとき、katananke05さんが、宮下奈都さんの「羊と鋼の森」のことを教えて下さったのです。初めて聞く名の 作家さんでしたが、読み始めるとたちまち宮下奈都さんのファンになってしまいました。たて続けに、ふたつのしるし、太陽のパスタ 豆のスープ、田舎の紳士服店のモデルの妻、スコーレ・No.4と、5冊読んだところで、小休止・・・。図書館へ通ううちに、しばらくご無沙汰していた、乃南アサさん、有川浩さんの棚で、未読の本が次々と見つかり、うれしい悲鳴を上げて上げています。結果的に7月に読んだ本は1冊だけ、8月は7冊となりました。
2017.09.01
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☆すれ違う背中を・乃南アサ・新潮社(新潮文庫)・平成24年12月1日(平成22年4月 新潮社より刊行)*梅雨の晴れ間に♣︎小森谷 芭子(こもりや はこ)罪状=昏睡強盗罪、懲役7年。29才。世間知らずの女子大生だった頃に愚かな恋愛をした。相手がホストだったばかりに、彼に貢ぐために家族の財布から札を抜き取り、消費者金融で借金を重ね、挙げ句の果てに見知らぬ男をホテルに誘い出しては薬で眠らせ、財布を抜き取るという行為に出た。20代の全てを溝(ドブ)に捨てたことになる。小森谷の家からは、芭子という存在はかき消された。芭子の幼い時からのアルバムや大好きなスヌーピーの人形、文房具、アクセサリーなど、生まれ育った家から送られてきた。謝れば許されるだろうとの芭子の甘い考えは吹き飛び、戸籍からも外され、今、芭子は自分1人だけの戸籍で生ている。祖母の遺してくれた古家に住む。近所の人は、祖母の嘘を信じて海外留学していたと思っている。犯した罪は懲役という形でとっくに償いをおえている。だが「前科者」ということにかわりはなかった。だからこそ、ひたすら目立たないように、息を殺して地道に生きて行かなければならない。そういう中で自立を目指す難しさなど、「あそこ」にいるときには想像もしていなかった。♣︎大芝綾香(あやか) 罪状=殺人、懲役5年。41才。家庭内暴力の夫に長年苦しめられ続けており、心身ともに疲弊しきっていた。その上、数回の流産の末にようやく生まれた我が子にまで危害を加えられそうになったことで、どうしょうもなく追い詰められた結果として、ついに夫を殺害した。情状が酌量されての温情判決だった。いつかは自分の店を持ちたいと、毎朝夜明け前から起き出して、パン職人の修行に明け暮れている。そんな日々のなか、昨秋詐欺にあい、それまでこつこつと貯めてきたお金をすっかり持っていかれた。以来、ますます倹約家になった。2人が知り合ったのは刑務所だった。同房の受刑者の中には、実に様々な女たちがいた。シャブ中。売春婦。泥棒。放火魔。詐欺師。粗暴犯。懲りてもおらず、悔いてもいない女も少なくなかった。その一方では、心から悔いて暇さえあれば手を合わせ、黙々と写経をしている年老いた母親もいた。そんな中で、綾香と芭子は何となくウマが合った。綾香となら、何でも話し合える。人に知られたく無い体験を共有しているし、それぞれの過去と心の傷を十分に承知しているという絆がある。年は一回りも違う。育った環境も、性格も、好みも何もかも違っているが、今の芭子にとって、綾香は世界中でただ1人の心の拠り所だった。綾香が商店街の福引きで一等賞を当てた。『大阪ユニバーサル・スタジオ・ジャパンとなんば花月で吉本のお笑いを楽しむ二日間の旅、ペアでホテル一泊』だ。夜、11時過ぎに家を出て、綾香と連れ立って集合場所に歩いて行くと、深夜の不忍通りには大型のバスが3台連なって駐車していた。久し振りの遠出だった。夢のような2日間だった。一生懸命働いて、少しずつでも貯金をする。そしてまた、思う存分羽をのばせる場所に来る。芭子は考えただけで、不思議なくらいやる気が湧いてきた。ようやく小さな灯火がともったような気分だった。*毛糸玉を買って芭子はアルバイトを見つけた。「パピーカタヤマ」という総合ペットショップの仕事だ。芭子の仕事は、全ての動物の様子をチェックすることに始まる。死んでいる場合は処分するし、病気らしい場合は薬剤入りの専用水槽に移す。続いて犬や猫のショーケースのそうじだ。健康チェックをしつつ記録する。無理な交配で生まれたせいか、ひ弱な動物が多い。全ての作業を終える頃には、11時の開店時間になっている。3人いるアルバイト店員の中でも、何一つ経験も資格もない芭子は、常におろおろし、右往左往するばかりだった。それでも先輩社員に教わりながら、小鳥のヒナの餌を作って与えたり、子犬や子猫を構ってやるのは楽しかった。そうして1週間ほど過ぎた頃、たまたまブティック部門の責任者と一緒に、卸の業者から届いた洋服をチェックしていたときだった。その責任者の女性が「本当はこういう服じゃなくてさ」と呟いた。その言葉に、芭子の方が反応した。「私が作って見ましょうか」芭子の作った服は好評で、やがてどん仕事が増えていった。突如として、「わんちゃんドレス」のことばかり考える毎日が始まった。ほかに、*かぜのひと*コスモスのゆくえいつも他人の視線に怯えながらも、助け合い、支え合いながら健気に生きる2人の話。★芭子 & 綾香シリーズ1.いつか陽のあたる場所で2.すれ違う背中3.いちばん長い夜に
2017.08.30
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☆スコーレ No.4・宮下奈都・光文社・2009年11月20日 初版一刷発行 (2007年1月 光文社刊)*No.1津川麻子=長女、12歳、中学1年生=私 〃 七葉(なのは)=1学年下の妹 〃 紗英=6歳下の妹広くなったり細くなったりしながら緩やかに流れてきた川が、東に大きく西に小さく寄り道した挙句、風に煽てられて機嫌よくハミングする辺りに私の町がある。 家族は、祖母と両親、それに中学1年の私と妹2人の6人家族。家はマルツ商会という名の古道具屋である。誰もいない店に入り、澱んだ空気に身を浸すのが好きだ。窓を開けて風を通す前の埃っぽい匂いを嗅ぐと、全身の毛穴が閉じて余分なものが何一つ出ていかない、落ち着いた気持ちになれる。麻子という自分の名前は古めかしくて平凡で、麻という素材の素材の素っ気なさも好きになれない。それにひきかえ、妹の「なのは」という名も、器量の良さも可愛らしさも、自由奔放な性格も羨ましかった。それでも2人は仲が良かった。*No.2私は地元の共学の公立高校に通っている。これまでの15年間、誰とも付き合ったことがない。従兄弟の大学の修士課程に進み、我が家のそばにアパートを見つけたという。母は義理の甥にあたる愼を可愛がっていた。愼の母はイギリス人だ。高校受験を控えた七葉が愼に英語を教えてもらうことになった。私は毎週土曜の午後は愼と映画を観に行くようになった。映画が特に好きなわけではなかったが、愼と一緒にいられるだけで楽しかった。時々骨董店にも連れて行ってくれた。頭の中はいつも愼とのことでいっぱいだった。中学校の友達とは疎遠になった。家族との時間だけは極力つくるよう心がけていたし、三人姉妹の長女の役をきちんと務めているつもりだった。七葉の高校の合格発表の日、家族はお祝いの準備をして待っていた。七葉は高校に合格したと連絡したまま、9時になっても帰らない。家庭教師をしてくれていた愼も姿を現さなかった。その夜、七葉は11時過ぎになって愼に送られて帰ってきた。翌朝、母が話してくれた。「七葉がね、押しかけたらしいのよ、愼ちゃんのところへ」入ったばかりの大学の寮で、自分の実家から送った荷を解きながら、私は2年前の春を思い出していた。七葉の合格発表の晩の後、私が愼を見たのは一度きりだった。新年度からイギリスに留学することになり、挨拶に来たのだ。愼の灰色の目は、こちらに向けられていたけれど、私を見てはいなかった。愼が去ったあと、祖母は「麻子に渡してくれと頼まれた」といい、小さな包みを渡してくれた。そっと開けると、いつか愼と見た螺鈿のペンダントが出てきた。思えば、七葉と私は同じものに惹かれ、同じように欲しがった。七葉と同じものを好きになったら、最後は諦めるしかない。愼を思う気持ちが弱かったとは今でも思わない。でもそれだけでは駄目だったのだ。人生は勝ち負けじゃない。けれど私は七葉のそばにいたら、きっとずっと負け続ける気がした。家から通えない大学を選んだ。学内の女子寮に入るならと、父母や祖母は折れた。みるみる垢抜けて華やかになっていく妹と私の間には、もはや会話はほとんどなく、私たちはお互いから遠ざかった。No.33年になり就職活動をはじめた。パンフレットの綺麗な写真も、言葉も、どれもこれも絵空事のように見えて、自分がそこで働く姿をどうしても想像することができなかった。迷う私に小野寺は「仕事というのはプロセスなんだ。仕事の内容そのものが人間の中身に関わるわけじゃない。どんな仕事であれ、責任を持って働くことで成長していくんだ。だいたい自分がやれそうなことってわかるだろ。それでいいんだよ。大事なのはとにかく働くことなんだからさ」といった。小野寺とは大学へ入ってすぐに、しばらくつきあっていた。サークルで初めて顔を合わせたその日から、可愛い可愛いと私を褒めた。話題も重なることがない。だいいち、私のことを可愛いというなんて間抜けな人に違いなかった。七葉と並んだ私に向かっても躊躇なく可愛いと言い切れるだろうか。そんなことを想像すると、おかしくて、むなしかった。けれど、可愛い、とか、君をあきらめない、とか、これまで聴きなれなかった言葉が自分の中でどんどん重力を増していく。家族から、七葉から、離れたキャンパスの、やわらかな新緑が目にしみる季節。私はまだ「可愛い」が自分の弱点だなんて気づいていなかった。かつて、私に「可愛くなりたいの?」と、聞いた人がいた。今も生なましくて傷口を正視することができない。その人にこそ、可愛いと思われたかった。その人だけが可愛いと思ってくれればそれでよかった。もしそうなら、可愛すぎる妹がそばにいても、「可愛い」に、これほど囚われずに済んだはずなのに。やれそうなことを、という小野寺の助言のせいだろうか、得意な英語を、さて何に活かすのか。それは入社してから考えればいい…そんな大雑把な気持ちで、輸入貿易会社にしぼった。私が受かったのは、比較的大手の貿易会社で、お給料も悪くなかったし、私は心底ほっとした。私は靴屋にいた。靴屋でぼうっと革靴を見ていた。どうしても私がここに立っているのか、今でもよくわからないでいる。試着するお客のそばに屈んでサイズを確かめながら、私は何をやっているのだろうと思う。英語を活かせれば、と考えて入った輸入貿易会社で配属になったのは、靴を輸入する部門だった。辞令には「部付き」とあり、配属先は「靴屋」だった。私がこれまで知っていたどの靴屋とも違う、特殊な、全て輸入物で、とびきり美しく、履き心地がよく、そして高価な靴を扱う店だった。配属されて痛感したことだけれど、私は靴に関心がなかった。靴にも、服にも、化粧品にも、宝石にも。充実感も達成感もない、このままこんな日々が2年も続くなんて、とても考えられない。そんな私が、一足の靴に出会ったことから靴に対する見方が一変した。履いてみて、値段のことも吹き飛んだ。店長は「その靴を選んだっていうことは見所があると思う」といいながら楽しそうだ。初めて足にぴったりの靴が私のものになった。家に帰って新しい靴にブラシをかけ、クリームを塗り込むうちに、大事なことに気がついた。この嬉しさを私は既に知っていたのだ。すべて幼い頃に体験済みだった。川のそばの古い小さな店の情景がうかんできて、いくら振り払っても消えなかった。いま、アパートの小さな玄関に座って靴を磨きながら、自分の中の何かが流れ出すのを感じている。もしかしたら、と祈るような気持ちで左手の靴を見つめている。私にぴったりの靴が、封印を解く。たった1足の靴が、私の世界を変えた。靴をもっともっと知りたいと思うようになった。店の靴を全部覚えるのに、さして時間はかからなかった。メーカーの特徴や価格帯を把握し、靴のつくりや皮の種類についても知識を増やしていった。就職して一年が過ぎようとしていた。なぜか靴の値段を当てることができるという、自分の妙な特技に気がついた。見るだけでなく、触れば、まず間違いなく正確な値段を言えた。履かせてもらえるならさらに完璧だった。靴は正直だ。メーカーによって多少の差異はあるものの、はき心地もほぼ比例している。そういう意味では、靴の値段がわかるというのは、品質を見抜くことができるということだ。目利きってことだよ、と私は自分を励ましている。前から気になっていた店のディスプレイのことばかり考えていた。マルツ商会の店内を頭の中で何度もなんども歩き回って得た感触を思い出しながら。結論はひとつだった。ミーティングの席で発表した案に、店長は反対したが、思いがけず援護の声が上がり、提案は通った。売れ行きは好調で、自分が少しでも貢献できているのだと思えば嬉しかった。自分の仕事を見て欲しい、感想を言ってもらいたい相手がいるとすれば七葉だけだった。もう長いこと、心の通わない妹。顔を合わせても当たり障りのない話をしてさらりと笑うだけのいもうと。私は七葉を取り戻したかった。お姉ちゃん、と呼びかけるときの黒い瞳が忘れられない。思い切ってハガキを書いた。七葉からの返信はなかった。珍しく店の混んだ日だった。午後の早い時間に七葉はひとりでやってきた。ほんとうにきてくれたんだ。そこだけぱっと店内が明るくなったようだった。七葉は変わった。可憐な人形を思わせた顔立ちから頑なさが消えていた。きっと七葉は何かを乗り越えて来たのだろう。*No.42年間靴屋の販売員をして本社に戻った。最近単純なミスを、私はよくする。その上仕事も遅い。主任はわざわざ私の机に寄って、同期が活躍している噂話をしてゆく。まだ半人前にもみなされない自分が不甲斐ない。ときどき靴屋の正面の台が目に浮かんだ。月が変わるたびにディスプレイをやり直した台。その店は私が初めて仕事の手応えを得られた舞台でもあった。歓迎会の席で部長は「津川さんは2年もの間、現場で叩き上げられて来た強者だ。営業成績は常にトップ、店全体の売り上げも順調に伸ばしてくれた。その力を、わが部でも存分に引き出してもらいたい」と言った。「ほほう」、と感嘆とも嘲笑ともつかない声があちこちから漏れる。恥ずかしくて顔もあげられない。イタリア出張を命じられたのは、あまりにも唐突だった。「今回の津川さんの任務は、イタリアでの買い付けだ。靴は得意だろう」部長は、ん、と私の顔を見た。「来月早々にヨーロッパを回る連中がいるから一緒に行くといい。初めての出張だ。連れがあった方が心強いだろう」そう言って、部長は私の肩をぽんと叩いた。そう言えば2年前、入社したばかりの私に靴屋の現場へ出向する辞令を出したのはこの人だった。取引先の会社も担当者も覚えきれていないのに、出張してどうなるものかと思うけど、これも研修の一部なのだと私は考えた。先輩社員について買い付けの基本から覚えるのだ。心配しても始まらない。パスポートの取り方も知らない私に向ける部署の人たちの眼差しがおかしかった。よほど間抜けな人間だと思われているのだろう。夕方になるのを待って、懐かしい職場に電話を入れた。「今度、靴の買い付けにイタリアへ行くことになったんです」というと、「ええっ、すごいじゃない!いい靴いっぱい見られるね」元先輩は、はしゃいだ声を出した後、店長に変わってくれた。特に店長に話がある訳ではないが、声が聞きたくて忙しい時間帯を避けた積もりだった。相談したいことがあると言った私に、店長は「津川さん、あなたはもっと自分に自信を持ちなさい。大丈夫よ。あなたが見て選んだ物を買い付けてくれれば、私たちはそれを全面的に支持する。2年間一緒に働いて、私たちはあなたの目を信じてるの」。移動して、失敗ばかりして縮こまっている私を、この人は知らない。言葉を返せなかった。自分の目を信じなさい。店長の言葉はじわじわと私の身体に沁みこんできた。それがどんなにありがたい言葉だったか、電話を切った今になってようやくわかる。デュッセルドルフからドイツをまわり、ボンからシャルル・ド・ゴールへ飛んでフランスで3泊した後、陸路でミラノへ入ったのは7日目の夕刻だった。私たちはミラノ中央駅近くのホテルに泊まり、いよいよ翌朝から私は靴の会社を訪問する。他の2人のメンバーはミラノでは見本市と展示会のはしごをするらしい。最初のドイツでは私はガチガチだった。2人のアシスタントみたいな顔をして同席させてもらった。商談の進め方を忙しく観察し、形だけでもやり方を覚えておかなければと私は必死だった。同行した2人が合間を見て、一番疲れた顔をしている私を笑わせてくれた。笑っているときだけ、肩から力が抜けた。私にとっては明日からがこの出張の本番だ。そう思えばもっともっと緊張しても良さそうなものだった。意外なくらい落ち着いている。それは、同行の2人のおかげだと思う。夕食まで時間があった。街を歩くことにする。街中の靴屋という靴屋をのぞいてみたい。ここが店長をはじめとする靴屋の同僚たちの憧れの地だ。ドゥオモでもガレリアでも最後の晩餐でもなく、街の靴屋を見るために私ははるばるとこんなに遠くまでやってきた。街の靴屋をたっぷりと見て歩き、気づいたときにはもう一軒たりともドアを押す力もないほど疲れていた。ようやくホテルにたどり着いたが食欲がない。それでも明日のために少しは食べておいた方が良いだろうとエレベーターホールに向かおうとした。そのとき、階段の手すりから見慣れた顔がひょっこり現れた。目も鼻も口も涼やかでそつがない。……… その顔が私に向けてほころんだ。そこがイタリアだということを、一瞬、忘れた。「食事まだだったら一緒にどう」なんの気負いもなく、階段の上から茅野さんは話しかけてきた。嬉しかった。素直に嬉しかった。初めての海外出張がこの人と一緒でよかった。とつくづく思う。初めての訪問先に着くまでは心臓が跳ねていた。迎えに来てくれたタクシーの中で、挨拶と自己紹介を小声で何回も練習した。ところが、訪問先に足を踏み入れた途端、迷いも緊張もあっけなく消し飛んだ。商談の行われる応接室には、大きなテーブルに美しい靴が何足も並べられていた。それを見たら援軍を得たような気持ちになり、するすると気持ちが落ち着いていく。靴に吸い寄せられる私を見て、靴会社のオーナーの雰囲気も柔らかくなった。商談相手にも恵まれたと思う。靴にたいする思い入れがぴしぴしと伝わってくる。それでいて高級さを気取るわけでもなく、親切で気さくだった。彼らが胸を張って紹介する靴たちは、どれもが愛情をいっぱい受けて育った猫みたいに気高く悠々と今にも歩き出しそうに見えるのだった。美しい靴たちに見入る私の意気込みを、きっと感じ取ってくれたのだろう。ほんとうに良いものだけを薦めてくれた。やがて静かな興奮が身体中に満ちてきた。どの靴をどれくらい買うも買わぬも私1人の判断だ。責任も重い。けれど快感の方が勝った。予算の配分が瞬時に浮かび、値段が読めることも幸いし、私は淀みなく買い付けを決めていった。売れそうなものより、売りたいものを私は選び出した。幅をもたせた上で、それが一番確かだと今の私にはわかっていた。商談の後、アテンド付きのミラノ見学やランチより、工房を見せてもらえないかとたのんだ。予定を全て終えてホテルに戻ったときには足がつりそうなほどつかれていた。帰国してからは、たまっていた日常業務に加え、出張報告書をつくったり、各部署との報告会に出席したりで出発前よりはるかに忙しくなった。時差ぼけもあり、残業が続くのはこたえたけれど、私は必死だった。靴だけでなく、バックやアクセサリーの試験的な仕入れを許可されていた。繊維課で仕入れる服と合わせて卸す企画も実現させたかった。私は残業続きで企画書を作った。やっと終わったとき、茅野さんが食事に誘ってくれた。私の仕事がひと段落するのを待っていてくれていたのだ。schole(スコーレ)とは「ひま」を意味する古代ギリシャ語。単なる余暇ではなく、精神活動や自己充実にあてることのできる積極的な意味を持った時間。school(英語)=学校は、scholeの派生語。(wikipedia参照)
2017.08.27
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☆田舎の紳士服店のモデルの妻・宮下奈都・2012年6月10日 第1刷・文藝春秋・初出:「別冊文藝春秋」2009年7月号~2010年5月号・単行本:2010年10月 文藝春秋刊♣︎竜胆達郎♣︎竜胆梨々子(りんどう りりこ)♣︎竜胆 潤=達郎と梨々子の長男♣︎竜胆歩人(あると)= 〃 次男梨々子という名の1人の女性の、30~40歳までの10年間の日常を2年区切りで丁寧に描いた物語。ー0年、かすりの梨々子、田舎に立つー梨々子と達郎が結婚して4年。長男の潤は幼稚園の年少児クラス、次男の歩人はよく泣く子だった。一歳を過ぎても歩人の夜泣きは2時間ごとに繰り返された。ある晩、達郎が突然「会社、辞めてもいいかな」と切り出した。明日の幼稚園のバザーのことで頭がいっぱいだった梨々子の頭に、達郎の言葉が届くのに時間がかかった。「辞めてどうするの?」という問いに、達郎は「いなかへ帰ろうと思っている」という。梨々子は、まさか本気で会社を辞めるとは思っていなかった。バザーの翌週、達郎がうつだと診断されて帰って来た。「会社を辞めて田舎へ帰ろうと思うんだ」達郎は言った。それがとても素晴らしい考えでもあるかのように、梨々子が同意することを微塵も疑っていない声で。その晴れやかな声に梨々子は図らずも胸を打たれていた。こんな声を聞いたのはいつ以来だったろう。出会った頃の達郎がありありと思い出された。田舎へ帰ろう。達郎の提案を梨々子は飲んだ。梨々子と達郎は、達郎と同郷の役員の紹介で出会った。入社試験の役員面接のとき、その藤沢という役員は「ひと目見て、彼はいい、と思った」と言う。あのとき、梨々子もひと目見て「彼はいい」と思ってしまったのだ。何がこんなに好もしいのだろう。目の前の達郎は、話すだけで、笑うだけで、ぴかぴかに光って見えた。しかし、残念なことにどうやら達郎はそれほどでもなかったらしい。曲がりなりにも梨々子はもてた。自分から誰かを追いかけたことなどなかった梨々子は燃え上がった。ほとんど体当たりでなんとか捕獲した。恋愛の成就を寿ぐ気持ちより達成感の方が大きかった気がする。つきあいはじめて2年半、結婚の挨拶に出向いた彼の田舎は、北陸の一番目立たない県の県庁所在地だった。がらんとしたその町は背丈が低くて、店も車も人も少ない。ファミリーレストランもあればファーストフードのチェーンもあるが、残念なことに売りがない。特別なことがあるとすればただひとつ、そこが達郎の田舎だということだけだった。越してきた5階建てのマンションは、この辺の建物の中では頭一つ高い。4階の部屋の窓からは、町を見渡すことができる。のうのうと広がる家並みのところどころに、こんもりとした緑が見え隠れしている。日が落ちるころ、その向こうに見える山の稜線がやけにくっきりと見えて、地球の裏側まで来てしまったようで、もの悲しかった。ー2年、潤とピアノと二人三脚(2年後)ー達郎は、義父が経営する小さな会社で働いている。こちらへ来てからの方が朝の目覚めが悪くなったようで、毎朝10時半を過ぎて出勤していく。達郎には兄が1人いて父の片腕として会社を切り盛りしている。兄嫁は経理全般を任され、夫婦で義父母の家の隣に住んでいる。兄夫婦には子供がなかった。居間に黒光りがする大きなピアノがあった。達郎と兄の俊郎が弾いたピアノだ。義母がいった。「潤にどうやろ、このピアノ」いつも潤は無口だ。その潤が「弾く」とはっきり答えたので梨々子は少し驚いた。 ある日、帰宅した達郎は「そういえばさ、モデルをやってくれないかって、言われたんだ」という。平静を装っているが、なんとなく自慢そうな気配が漂ってきていた。梨々子はうつだって嬉しいのねと、内心意外だった。メンズショップ竹内は、義父の幼なじみがやっているという店だ。地元紙にだけ挟まれるチラシの束の中から、その一枚を抜いて梨々子は大事に眺める。スーツを着て微笑んでいるのは、コートを着てあらぬ方向を見つめているのは、誰あろう梨々子の夫だ。「お父さんだ。かっこいいね」と潤がいう。「そうね、かっこいいね」と小さな頭を撫でてやる。内心では、相当かっこわるいチラシだと思った。でも、ほんとうの達郎は悪くない、はずだ。あと15キロ痩せたら、そして昔の生き生きとした目を取り戻したら。ー4年、たくさんの間違い、ひとつの出会いーお隣さんから誘われたのをきっかけに、家族で小学校と自治会の合同運動会に参加するようになった。梨々子は徐々にその地に馴染んでいった。ある夜、達郎は「僕、社会の役に立っていないよね」といい、夜中に咽び泣いた。梨々子は、達郎は病気なんだと自分に言い聞かせ、夜更けまで黙って達郎の背中を撫で続けた。34回目の誕生日の晩に。 夫のこと、子供達のこと、全て1人で抱え込んでいた梨々子だったが、身体の方が悲鳴をあげた。脇腹が痺れるように痛かった。ヘルペスではないかと、痛みを訴える梨々子に達郎は「ふうん」と答えただけだった。学校に馴染めないている潤と歩人のことで、梨々子は度々学校に呼び出される。その日も担任から呼び出された。家に帰る気になれない梨々子は、通りかかったバスに乗り込み、駅前ロータリーでフラフラとバスを降りた。歩くとヘルペスが痛かった。どこか遠くへ行きたい。それでも延長保育に預けてきた子供たち2人のことが頭から離れない。ヘルペスを患いながら、自分がしていることが果たして合っているのか間違っているのかもわからない。誰にも頼れず感謝もされず、子供たちを育て上げなければならない。これからもまだこんなしんどい日々が続くのなら、頑張る自信なんかない・・・・・。ふと、視線を感じて梨々子はそちらを見た。梨々子の目はその「人」から目を離すことができなかった。彼の視線は力強く、瞳を通して梨々子の中まで入ってきそうだった。その人はよく知っているのだ。自分のファンを。自分のことを初めから全面的に受け入れてくれる存在を。「やあ」好きではなかったはずの甘い声が、鼓膜をこれほど心地よく震わせるとは。梨々子の耳にはもう他のどんな音も聞こえなかった。ー6年、歩人とたのしいかぞくー2年前のあの日、駅から電車に乗るはずだった梨々子は、その人と2人でタクシーに乗った。そこで何をしたわけでもない。お茶を飲んで、少し話して、それで帰った。そして、いつものように一日が終わった。けれど、部屋の温度が変わってしまった。梨々子には達郎の体温を感じ取ることができなくなった。達郎の匂いもしなくなった。2年前のあの日、男はタクシーを降りると先に立って歩きながら、くるりと振り返った。「おれ、本名はアサヒっていうの」その少年のような仕草が目に焼き付いている。その人といるだけで楽しい。会えるだけでいい。あれからアサヒとは2年間に7回会った。そして終わった。その夜、達郎は子供みたいにそわそわして「10年前と同じやつ、探すの大変だったよ」といいながら、紙袋からシャンパンを取り出した。今日は、梨々子の36回目の誕生日、そして10回目の結婚記念日だった。ときめくようなことなど、無くて当たり前だと思っていた梨々子は、ときめかないのは私が忘れていたのだと気づいた。ー8年、誕生日が待ち遠しいー2年ほど前から、梨々子は隣の塩原さんに誘われて週に2度、午前中の3時間だけ病院でボランティアをしている。「主役やりたい人は家にいたらつらいやろ。病院ボランティアは脇役の脇役みたいなもんやで、どんだけ竜胆さんの好みに合うかわからんけど」と、結構痛烈なことをさらりと言った。不意に涙が出たかと思えばアサヒのことを思い出していた、というころだった。歩人は三年生になっても相変わらずだ。おかえり、と声をかけても、うん、とうなづくだけで返事もしない。そんな歩人に、きよちという友達ができた。田舎へ来て8年、ご飯をつくって洗濯機を回し、掃除をし、アイロンをかけて。4人でいる。性懲りもなく、ここにいる。ー10年、とりあえず 卒業おめでとうー週に4日、病院へボランティアに通っている。簡単な仕事ばかりだが、なぜか飽きない。誘ってもらって良かった、梨々子はそう思う。達郎が10年間続けた洋品店のモデルを卒業することになった。次の撮影が最後だという。梨々子は子供たちだけでなく、彼の両親も誘って、こっそり覗きに行こうと思っている。相変わらず梨々子はしょっちゅう、小学校に呼び出される。歩人のことでだ。ついに1週間給食に手をつけなかったとか、2時間行方不明だったとか(立ち入り禁止の屋上で空を見ていたそうだ)。一日じゅうひとことも口を利かなかったとか、そんな話を聞かされる。そろそろこれが歩人だと認めてくれまいか。もう5年も似たようなことを繰り返しているのだから。多くは望まない。普通に生きられればいい。そんなつまらない、決まりきった常套句をつぶやいてみて、梨々子はひっそり微笑んだ。歩人は普通ではないかもしれない。でも、普通に生きられない子には普通に手に入れることのできない人生があるに違いない。潤のピアノの先生から電話があった。潤くんのピアノは普通ではない。もっと高度な教育を受けさせる気持ちがあれば、相応しい先生を紹介するという。東京にいるというその先生のところに通うには、交通費もいる、月謝も高額だ。潤に才能があると言われれば嬉しい。ただ将来どうなるか分からない不安感を思うと、親としては消極的になってしまう。梨々子から話を聞いた達郎は「うーん」と唸り「普通に平凡に暮らしていければ、僕はそれでいいよ」と答えた。どうしてみんなで「普通」という言葉を使って、潤を下ろし、歩人を打とうとするのか、梨々子と達郎の話は限りなく食い違う。それまで黙っていた潤が、そのとき口を開いた。「僕、東京の先生にピアノを習いたい。月に一度でもいい」その声があまりにもまっすぐで、梨々子の胸はじんわりと熱くなった。驚いたように潤を見ていた達郎も「がんばれよ」と顔をほころばせた。親が悩む必要なんてなかったのだ。潤には伝わったのだろう。父親の心からの声援が。うつの人には禁句だと教わって以来、この家ではタブーになっていた言葉を、達郎自らが易々と使った。「がんばれ」という言葉を。
2017.08.23
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☆太陽のパスタ、豆のスープ・宮下奈都・集英社 (文庫)・2013年1月25日 第一刷・2010年1月、集英社より刊行結婚式を目前に控えたある日、明日羽は婚約者から一方的に別れを告げられた。「ほんとうに悪いとは思っているんだ。でも僕はもうーーー」と。驚きと戸惑いと、それから恐怖に近いような感情と。やっとの思いで家にたどり着いた明日羽は、自分の身体を抱え込むようにしてベッドの上で丸まった。そして一晩中泣いた。並んで歩くはずの人が消えるということは、並んで歩いていくはずの道も消えるということだ。家を出て、アパートを借り一人暮らしをはじめ、会社には休暇届けを出した。叔母の六花(ロッカ)さんは、ドリフターズ・リスト(漂流する者たちの指針になるリスト)をつくれという。やりたいことや、楽しそうなこと、欲しいものを全部書き出して、一つずつ自分で叶えていくのだという。書き出したリストに従い、鍋を買った。髪を切った。エステにも行った。会社の同僚に誘われ青空マーケット(協働市場)にも参加してみた。そこには自分の知らなかった世界があり、笑顔があふれていた。家族やロッカさん、幼馴染、同僚に支えられながら、明日羽は自分自身に向き合い、自分の心を見つめ直すことで、一歩一歩立ち直っていった。胸に響くものがなくて、今回は簡単なあらすじになりました。
2017.08.15
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☆ふたつのしるし・宮下奈都・幻冬社・2014年9月20日 第一刷発行 ・「GINGER L.」09号(2012 WINTER)~15号(2014年SUMMER)に連載された作品を加筆、修正したもの♣︎ハル =柏木温之(かしわぎはるゆき)、小学校1年(1991年5月)ハルは何もしなかった。できなかった。やろうとしなかった。どのように思われても本人はかまわなかった。なにしろ彼の心はそこになかった。そこにも、ここにも、どこにもなかった。ハルの心は常にそのへんを漂っていて、たまにカチッとピントが合ったときにだけ身体に返ってくる。ハルが好きなのは地図だ。何時間でも読んでいられる。教室でいつも1人だったせいもあり、ますます地図に没頭した。隅から隅まで眺め、山の頂に立ち、やがて下り、道をたどり、川を追う。通り過ぎる町の名前、注ぐ湾のかたち、海の深さ・・・、ひとつひとつ確認しては飲み込んでいった。同じクラスの浅野健太は、ハルのことを、何だかわからないけどあいつはスゴイと思っていた。人に迷惑をかけるな、というようなことを、母の容子は息子に一度もいったことがない。迷惑をかけたくてかける人はいないのだから、そういう不本意な状態にある人のことは大目に見てもよいのではないか、というのが大まかな容子の考えであった。温之は手のかからない子だ。幼い頃からひとり遊びが好きだった。自分の好きなように時間を過ごす術に長けているように思われた。ただ、ごくたまに、石でできたお地蔵さんのように頑固になることがあった。外を歩いていても、何かに熱中するといくら呼んでも聞こえなくなってしまう。関心を持った対象との間の回線だけをつなぐために、他の一切のシャッターを閉じてしまうのだ。放っておけば、いつかは戻ってくることを、容子は理解していた。ハルが高校生のとき、母の容子が車に撥ねられて死んだ。ハルは家にこもった。高校にも行かなくなった。自分が高校生だったという事実を忘れてしまっていた。自分が容子の息子であったことの方が大事だったのに、それさえも忘れていたのだ。父の息子である事実も忘れていた。身の回りのものと、大事な地図を押し込んだバックパックを肩にかけ、父の慎一に、行って来ると告げた。雨が降っていた。行くあてはなかった。とりあえずハルは母が最後に歩いていた町のほうへ向かった。事故の現場はもうすぐそこだった。突然、何も考えられなくなり、一刻も早くその場を離れたくなった。電車を乗り継ぎ、どこにも辿り着けずに電車を降りた。海辺の町だった。あてもなく砂浜を歩いた。人の足音が近づいてきた。ハルが死のうとしていると勘違いした女が体当たりしてきた。連れていかれたのは古いアパートだった。ミナという名の女は若く、未だ少女だった。「泊まるとがこないなら、ここに泊まっていいから」といい、着替えて化粧をして出かけていった。濡れずに眠れるのがこんなにありがたいことだとは知らなかった。見ず知らずの女の部屋で、ハルはすぐに眠りにおちた。女に「働いてよ」といわれて、初めて、あーそうかと思った。コンビニに置いてある無料冊子で見つけた仕事は、電気工事会社のアルバイトだ。温之は働いてよ、といわれて応えられる自分のことが、少し嬉しかった。1ヶ月半でそこの仕事は終わり、現場は解散になった。本来なら、アルバイトはそこまでのはずだった。しかし、電気工事会社の社長が「おまえ、キャベツみたいにもくもくと働くから。よかったら、うちに来ないか」と、声をかけてくれた。本社は東京にあり、社長が安い部屋を見つけてくれた。別れの日、ミナは低い声で「ばか、ハルのばか、ばか、ハルのばか」と罵った。「ありがとう。助けてくれて」というと、ミナの顔は真っ赤になった。最初はいわれた通りに雑用をするだけだった。あるとき、コピーを頼まれて図面を預かった。きちんと順番通りに出ているか確認しているうちに、突然気がついた。よく見れば、描かれた線が続いて、つながって、一つの道を表している。目が吸い寄せられた。わかる、と思ったのだった。その図面は、温之にとっては読み慣れた地図のようなものだった。いくつかの不明の記号の意味さえ調べれば、この配電図が何をしようとしているのかわかる。言葉で説明しようとするととても面倒なことが、整然と表されている。仕事が俄然楽しくなった。温之は静かに興奮した。もっと図面について知りたい。勉強して、読めるだけでなく描けるようになりたい。生まれて初めて、自分で物事を調べよう、それを覚えよう、身につけようと思った。さいわい、職場に資料は山ほどあった。知識はするすると温之の身体に入っていった。驚いたのは、社員の人たちが普通に話しかけてくれることだ。「あっという間に仕事を覚えたな」そういわれると嬉しかった。社長がいった。「おまえは謙遜しないからいい。絶対手を抜かない。それはある種の才能だな」何十枚もの図面と首っ引きで、配電図を描いていたときだ。夜も遅かった。社長は戸締りをして、「あんまり根を詰めるなよ」といい、「はい」とうなずく温之の顔をしげしげと見た。住宅新築のための電気の配線をこなすようになると、より複雑な会社やビルの仕事に加えてもらえるようになった。温之の胸は踊った。大きな地図が描ける。長い配線、複雑な配線が好きだった。社長は温之を可愛がってくれ、仕事をたくさん与えてくれた。三年を過ぎるあたりから、社長の仕事には必ず温之が助手につくようになった。フロアを拡張して以来、電圧が不安定になっているという現場に行ったのは土曜だった。社長と2人で確認したが、それでも、翌週、また苦情が出た。やむなく社長と温之は平日の昼間に現場に出向いた。そのとき、向こうから来る女性が目に入った。温之より少し年上に見える、とても綺麗な人だった。温之たちが運んでいる脚立と工具を見て、お疲れさまです、と会釈をした。綺麗な声だった。「遥名さん」入り口のほうから若い女が呼びかけて、彼女がそちらを振り向いた。そのとき、はっとした。この人を知っている、という思いが不意に横切った。「おい、どうした、ハル」社長の声に、彼女が一瞬社長を見て、それからこちらをみた。目が合った、と思う。綺麗な目だった。♣︎はる=大野遥名(おおのはるな)、中学校1年 (1991年5月)父親は遥名に何も望んでいなかった。母親も遥名が幸せになってくれればそれでよかった中学校に入ったら、ぎゅうっと窮屈になった。近年荒れていると評判の公立中学校だ。教師たちは生徒を締め付け、生徒たちは更に反発する。遥名は勉強して、賢い学校へ行くしかないと思っていた。勉強ができても目立たなくて済む、のびのびと勉強していられる学校へ。大丈夫だ。きちんと戦略を守っていれば、大丈夫だ。遥名は考えた。どこで足をすくわれるかわからない以上、できるだけ引っかかりを出さないこと。目立たないこと。小さい頃からずっと、頭がいいと言われてきたのも、綺麗だと言われてきたのも、不幸になるためじゃない。兄と同じ東京の大学に合格し、女子寮に入った。結構な偏差値の、そう簡単に入れない難関大学だ。「あたしはとにかく地元を出たかっただけだから」と言い切る友達ほど、遥名は自由になれない。いつも、ただ地道に歩いてきた。何かを上手に避けたり、ぽんと跳び越したりする人が素直に羨ましかった。ひたすら身を潜めていた情けない思春期は、使い道がないわけじゃない。きっとその後のいざというときのためにある。これからなんだ。遥名は自分にいい聞かせる。いざというときはこれから来る。そのときに全力で迎え撃てるような準備をしていこう。大学を出て、そのまま東京で就職した。地元へ帰って来ると期待していた両親も、超氷河期といわれるこの時期に東京で大手企業から内定をもらったあたりから、何もいわなくなった。入社3年目。仕事で評価されることが増え、無理に周囲に合わせなくていいと思えるようになった。付き合いに時間を割かれるより、仕事を優先したい。ばかのふりをしなくてもいいのだ。今の遥名の人生には仕事の比重が大きい。目立ちたくなかった。まだ、まだだ。遥名は自分はまだだと思う。ふさわしいときのための準備ができていない。かわせ。どんな攻撃も「にっこり」と、よけるが勝ちだ。遥名は、医療用機械を販売する今の仕事が好きだ。営業成績も上々だった。目立つなら、優秀な営業として目立ちたい。そんな遥名が、妻子ある上司に恋をしてしまった。その恋は、海外転勤をしおに、相手が「別れたい」といい、終わった。♣︎ハル と はる・2011年3月遥名、32才。ハル=26才。揺れた。どんっと突き上げるような揺れの後、激しい横揺れが来て、立っていられない。父母に連絡を入れたかったが電話が繋がらない。とにかく無事だとメールをいれた。同僚と、クッキーと使い捨てカイロを分けあい、会社の前で別れた。会社の前の道は、歩く人でいっぱいだ。さて、と思う。歩くって本気?それもパンプスで。どれくらいの距離がある?どうやら東北が大変なことになっているらしい。遥名は自分がよほどショックを受けているらしいと気づく。この人達に混じって歩き通せる気がしない。無理だと思った。後ろから肩を押され、振り返ると、若い男の人が立っていた。「遥名さん」と呼びかけたその人の顔に見覚えはない。背が高くて細身の、やさしげな顔つきの人だった。黄緑色の作業着を着て、リュックを背負い、自転車を押している。20代の後半、自分より5歳くらい年下だろうと読んだ。その人は、とても真面目な顔で「よかったら、送ります。後ろに乗ってください」といった。遥名の問いに、電気工事を請け負った会社の技師だと名乗り、遥名のことは顔と名前しかしらないと応えた。「遥名さんが心配だったのです。無事でよかったです。近くまでお送りします。乗って下さい」青年は耳まで赤くして、遥名にいった。途中、坂道で自転車を降り、横に並んで歩いた。青年は「職場でひどく揺れて、気がついたら後先考えずに遥名さんのところへ走ってました」という。それは、取りようによっては情熱的な告白だった。でも、現実的に起こったことが大き過ぎて、とても自分にかかわる話だという気がしない。青年の行動は、自然で素直な人間らしい行為のようで羨ましかった。青年の年令は26才。柏木温之です、と名乗った。遥名のことは、2年くらい前に、電気の配線の点検に来たときに見かけた。この人だという「しるし」がついていたので、すぐにわかりました、という。♣︎柏木しるし=ハルと遥名の娘、10才今日は、お父さんの幼なじみの健太くんが、家に来る。急いで帰ったら、もう来ていて「おかえり」といい、「あれっ、しーちゃん、ちょっと見ないうちに大きくなったなあ」と、カットしたばかりのあたしの頭をぽんぽん叩く。健太くんは1人じゃなかった。お父さんが「今度、健太と結婚する人だよ」と、教えてくれた。キッチンからお母さんがお盆にお茶とお菓子を載せて運んできた。何だか嬉しそうだ。みんなニコニコ笑っているけど、私だけ笑えなかった。健太くんは、「ハルが結婚したときはほんとに驚いたけど、あれから10年も経つんだな」と、前にも何度も聞いた話をした。私は10才。学校でやる二分の一成人式のときのために、自分の生い立ちについていろんな人に話を聞いてまとめている。世田谷のおじいちゃんは、お父さんと一緒だと面白い話をしてくれない。だから1人で行った。金沢のおじいちゃんおばあちゃにも電話でいっぱい話を聞いた。夜に作文をまとめてみたけど、うまくいかない。お母さんに、「どうしてお父さんと結婚しようと思ったんですか」インタビューするみたいに聞くと、「勘ですね。人生には勘が必要です」といった。それで、どうしてお父さんだったのですかと聞くと「お母さん、お父さんを見つけたんだ」といった。あれ、たしか、お父さんがお母さんを先に好きになって、ずっとチャンスを待っていたみたいなことを聞いた。おじいちゃんがね、「よくできた遥名さんみたいな人がどうして温之と結婚したのか謎だって」お母さんをほめたというより、卑下したという感じだった。「大丈夫。おじいちゃんも、ほんとうはお父さんのいいところをわかっているんだと思うよ」そうかもしれないな、と思った。だから、私を可愛がってくれている。『生い立ちの記』を完成させたら、おじいちゃんにも読んでもらおう。もちろん、お母さん方のおじいちゃんおばあちゃんにもだ。それで、あたしは胸を張ろう。どうです、私がこのふたりのしるしです、って。読み終わった本は、確かに読んだという記録と、脳みその老化防止のために、あらすじを書くことを、自分自身に課しています。この「ふたつのしるし」は、あらすじを書き出す前に、どう纏めればよいのか途方に暮れました。タイトルと出版社などのデータだけで投げ出そうかと思ったほどでした。けれど、作者がこの小説を通して、読者に伝えたいメッセージを何とか書き留めたかったのです。仕方がないので、筋書きを一度バラして組み直しました。おかげで、良い脳みそのトレーニングにはなったとは思いますが、くたびれました。果たしてこんなまとめ方で良かったのか自信がありません。興味を持たれた方は、ぜひ原作をお読みください。もし、ここまで読んで下さった方がいらしたら、お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。
2017.08.08
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☆羊と鋼の森・宮下奈都・文藝春秋・2015年9月15日 第1刷・初出:別冊文藝春秋 2013年11月号〜2015年3月号 単行本化にあたり加筆〈あらすじ〉僕=外村(とむら )、17才、高校2年生。体育館のピアノの前に、その人を案内した。帰ろうとしたとき、背後でピアノの音がした。その人がグランドピアノの蓋を開けると、秋の夜の森の匂いがした。それも9月、夜といってもまだ入り口の、湿度の低い、晴れた日の夕方の6時ごろ・・・。山間の集落は森に遮られて太陽の最後の光が届かない。静かであたたかな、深さを含んだ音。そういう音がピアノからこぼれてくる振り向いた僕にかまわず、いくつかの音を点検するみたいに鳴らしていた。僕は何も聞かず、邪魔にならないようただ黙ってそこに立って見ていた。ピアノの音が少しずつ変わっていくのをそばで見ていた。多分2時間あまり、時が経つのも忘れて。作業があらかた終わったとき、その人はグランドピアノの蓋をあけて説明してくれた。このピアノはやさしい音がする良いピアノです。このピアノのハンマーは、いい草を食べて育ったいい羊の毛を贅沢に使って作られていて、今ではこんなにいいハンマーは作れないと。そして「ピアノ調律師 板鳥宗一郎」と書かれた名刺を僕に渡し、「良かったらピアノを見にきてください」と言って帰って行った。その日のことが忘れられなかった。一度だけ店を訪ね、弟子にして欲しいと直訴した僕に、板鳥さんは「本当に調律の勉強がしたいのなら、この学校がいいでしょう」と、校名を書いた紙片をくれた。生まれて初めて道(どう)を出て二年間、本州にある専門学校に、ひたすら調律の技術を覚えるためだけに通った。課題は厳しく、毎晩遅くまで取り組んだ。もしかしたら、迷い込んだら帰れなくなると聞かされた森に、足を踏み入れてしまったのではないか、幾度もそう思った。目の前の森は鬱蒼と茂って暗い。それでも不思議と嫌にならず、2年間の過程を終えた。無事卒業した僕は、故郷近くの町へ戻り、板鳥さんのいる楽器店に就職した。店にはピアノが6台あり、それを使っていつでも調律の練習をして良いことになっていた。練習ができるのは、通常業務のあとの夜だけだった。夜の楽器店で来る日も来る日も音叉を鳴らし、一弦ずつ音を合わせていく日が続く。板鳥さんは僕を見かけると「焦ってはいけません。こつこつ、こつこつです」と声をかけてくれた。入社して5ヶ月が過ぎ、先輩の柳さんの調律に同行させてもらえることになった。調律が終わりかけたころ、双子の姉妹の姉の和音(かずね)が帰宅、僕たちに挨拶をしたあと、壁にそっと背をつけて調律の作業を見ていた。「いかがでしょう」と聞いた調律師の求めに応え、和音がぽろぽろっと音を出した。僕は思わず椅子から腰を浮かし、耳から首筋にかけて鳥肌が立った。間も無く妹の由仁(ゆに)も帰宅。由仁の弾くピアノは、姉の和音とは全く違うピアノだった。温度が違う。湿度が違う。音が弾む。色彩にあふれていた。2人してピアノがうまくて、2人して可愛い双子だった。そんな双子の家から、ピアノの調律をキャンセルしたいと連絡があった。妹の由仁がピアノを弾けなくなったのだった・・・。時が経ち、双子の母から柳に調律の依頼があった。柳は、是非僕にも一緒に来て欲しいと、双子からの伝言があったという。調律が終わり、姉の和音が短い曲を弾いた。心配をかけたことを詫びたあと、和音は「ピアニストになりたい。ピアノで食べて行くのではなく、ピアノを食べて生きて行く」と、瞳を輝かせて言った。10日ほど経ったある日、双子が店を訪ねて来た。これからもよろしくお願いしますと挨拶をしに来たのだという。妹の由仁がまっすぐ僕を見て「調律師になって、和音のピアノを調律したいんです」と言った。「本当は、僕だ。僕が調律したい」そう思うのに、それをいうことができない。僕には力がないのだーーー。和音はうらやましいくらいの潔さで、ピアノに向かう。ピアノに向かいながら、同時に、世界と向かい合っている。僕にはするべき努力が分からない。分からないから、こつこつ、こつこつ、変わらず地道な調律の練習を続けるしかなかった。やがて、先輩から調律が変わったねと褒められたり、顧客からもお礼を言われることが、少しずつ少しずつ増えていった。♣︎宮下奈都1967年福井県生まれ。上智大学文学部哲学科卒。2004年、「静かな雨」が文学界新人賞佳作に入選、デビュー。2007年に発表された長編『スコーレNo.4』が絶賛される。2011年に刊行された『誰かが足りない』は本屋大賞にノミネートされた。その他の著書に『遠くの声に耳を澄ませて』「よろこびの歌』『太陽のパスタ、豆のスープ』「田舎の紳士服店のモデルの妻』『ふたつのしるし』『たった、それだけ』など。(カバー掲載の作者紹介文を参考にさせて頂きました)私にとって真夏は読書のシーズンなのに、このところ読みたい作者に出会わなくて困っていると嘆いていたら、katananke05さんが、この本を勧めて下さいました。この作者の本を読むのは初めてでしたが、一気に読んでしまいました。文章(言葉)がとても素敵で、読んでいて心地よいのです。この作者の本をもう少し続けて読んでみたくなりました。katananke05さん、ありがとうございました。
2017.08.04
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☆アキラとあきら・池井戸 潤・徳間文庫・2017年5月31日 初版・2017年6月25日 4刷(2006年12月号〜2009年4月号まで、「問題小説」に連載されたものに、大幅に加筆・修正したオリジナル文庫)♣︎山崎 瑛 (あきら)= 町工場経営者山崎考造の長男 父が経営する町工場が倒産。瑛は母と妹と3人、夜逃げ同然に河津から母の実家を頼って磐田へ転居。倒産した会社の後始末を終えた考造は磐田で再就職し、家族に落ち着いた日々が戻ってきた。進学高に通う瑛だったが、家計のことを思うと大学へ行きたいと言い出せなくて進学を諦めようとしていた。考造の再就職先である西野電業は取引先から巨額の損害賠償を要求されていた。功を焦った社長の息子である専務が招いた事態にもかかわらず、理不尽にも考造が責任を負わされ退職を迫られていたのだ。そんなある晩、磐田銀行の融資担当者工藤が山崎家を訪ねてきた。「専務の書いた杜撰な経費削減計画書では支店長に融資を認めさせることはできない。是非山崎さんから、将来を見据えることのできる本物の計画書が欲しいのです」といった。自分の工場を倒産させて以来、銀行に不信感を抱いていた考造だったが「何とか西野産業さんの力になりたいのです。お願いします」。考造は長い間じっと工藤を見据えていた。やがて工藤と二日がかりで練り直した計画書が完成、支店長の決済がおり西野産業は窮地を脱した。礼をいう考造に速水支店長は意外なことを言った。「あの工藤は、息子さんと同じ高校を出て一旦東京の大学に入ったが、家業が倒産して中退、高卒の資格でウチの銀行に入ってきた。息子を大学に行かせてやりたいと言う山崎さんの言葉を聞いた彼は、是非そうさせてやりたいから頑張るんだといってました」と。父からその話を聞いた瑛の胸には安堵と共に、再び開かれた将来への期待と不安が入り混じっていた。♣︎海堂 彬(あきら) = 海運会社経営者一族の御曹司古くは水産物を扱う商家として栄えてきた海堂家は、海運業に進出して大成功し、日本の海運業の一翼を担うほどの企業へと急成長を遂げた。それは、彬の祖父雅恒の功績が大きい。雅恒は東海郵船を3つに分け、長男である、彬の父一麿(かずま)が親会社である東海郵船、次男を東海商会、三男を東海観光の社長とした。東海郵船の会長職に退いた雅恒はあっけなくこの世を去った。東大に進学し、父の後を継がないと決めた彬は就職先の選択で迷っていた。ゼミの先輩である産業中央銀行の立花から聞いた話は参考になったし、銀行の仕事についておおよそのイメージはできたが、実感を伴っていなかったのだ。それから間も無くのこと、産業中央銀行の人が見えているからと呼ばれた彬が応接室入ると、長椅子に2人の東海郵船担当者がかけ、真剣な眼差しで不機嫌な父と対峙していた。「君たちに何がわかる」その時父は吐き捨てた。「銀行はいつもそうだ。攻めようとすると金を退く。守ろうとすると金を貸すから積極経営をしろという。一体君たちの本音はどこにあるんだ」疑心にみち、敵愾心すら感じられる態度で、ふたりの行員に冷ややかな眼差しを向けている。どうやら安藤らは、父が要請した支援に色よい返事をしなかったらしい。「フェリーはやめましょう、社長」父に向けられた真剣そのものの安藤の眼差しは、まさにビジネスの一線にいるものの厳しさと聡明さだ。「いま東海郵船が、100億もの金を投資すべきはフェリーではない。これからは旅客は伸びない。安い労働力を求めて各地に国内メーカーの工場が乱立することになる。その物流を押さえましょう。いまがチャンスです」安藤は真正面から父を見据えた。既存事業の採算を詳細に分析した資料を取り出して広げ、調査部の資料を元に熱心に話した。船種は?と問う父にバラ積み船を2隻とコンテナ船を1隻と答えた。果たしてそれだけのトン数を埋めるだけの商材があるのかと問う一麿に、安藤は、間も無く深圳に工場設立を発表する社名を告げ、「そのうちの2隻を専用船にしてくれるのなら5年間、抱えるといっている」と答えた。安藤の説明は続き、父の黙考が続く中、室内はまるで作戦会議のような緊迫感に包まれた。会社経営の根幹に関わる部分に銀行員がここまで真剣に踏み込むのか ・・・。彬は驚きを禁じ得なかった。♣︎立花耕太=東大卒、産業中央銀行人事部、昭和44年4月入行、20年目母校である東大に恩師を訪ね、産業中央銀行を志望している学生のハガキを見せた立花に、教授は「この中にピカ一がいる」と言った。優秀な学生を採用できたお礼と報告に恩師を訪問した産業中央銀行の立花は、教授にいわれ、帰りに別の校舎に立ち寄った。そこには、産業中央銀行の安藤が講師を依頼された経営戦略セミナーの成績が発表されていた。講師5名の評価を集計した成績のトップには「山崎瑛、経済学部4年」とあった。教授がいったピカ一は彼のことだったのだ。しまった ーーー!研究科棟を走り出た立花は、ハガキに書かれた山崎瑛の連絡先番号にかける。電話がコールを始めた。「出てくれ。頼む、出てくれよ」立花は祈りにも似た思いで、念じた。この4月に入行してきた新卒の新入行員は約300名、産業中央銀行では毎年3週間に及ぶ研修を行っているが、その目玉が、最後の5日間をかけて行われる融資戦略研修である。新入行員が3人1組になって実践に近い取引データをもとに、金を貸すか貸さないかの与信判断の優劣を競う。3週間の講習の中で、新入行員たちは、このプログラムがいかに重要視されているか、またこの成績がその後の進路にさえ影響を及ぼしかねないことを分かっていた。新人に課せられた壮絶なダービーが始まったのだ。全クラスの稟議書は細かく採点され、ファイナルに進む上位2チームは、海堂彬と山崎瑛のチームに決定した。2つのチームのメンバーが紹介された。「まず、海堂瑛君」対決に立ち会う本店融資部長羽根田一雄は、目を細めて立ち上がった男を見た。すらっとした長身だが線の細さは微塵も感じない。落ち着き払って会場の聴衆を見つめる様は、将来の幹部候補であることをはっきり印象づけるものだった。「山崎瑛くん」不思議な男だな、と羽根田は思った。立ち上がって羽根田に会釈した男は、何か温かい魅力に溢れているような気がしたからだ。優しさのようなものが滲み出ている男だった。海堂彬と山崎瑛。彬と瑛、か。アキラ対決だな。名前だけじゃなく、2人に共通しているのは、「目」だと羽根田は思った。やがて、海堂彬は本店、山崎瑛は八重洲通り支店に配属となり、2人はバンカーとしてのスタートを切った。去年の8月に読んだ「陸王」以来、一年ぶりの池井戸潤の作品でした。このところ読みたいと思う本に出会えなくて困っていましたが、文句なしに面白く読み応えがありました。出版されて日が浅い作品のため、内容の紹介はここまでに留めました。WOWOWで放送がはじまり、第一回は無料だというので見て見ました。斎藤 工が山崎瑛、向井理が海堂彬でした。うーん、最初だけ見ただけでいうのもなんですが、読み終わったばかりの私には、画面から受ける印象がなんとも安易に見えて、スイッチを切ってしまいました。そんな風に感じた理由はなんだろう?と気になっていましたが、フト気がつきました。1番の原因はもしかしたら羽根田融資部長が「2人に共通するもの」と感じた「目」ではないかと・・・。♣︎過去に読んだ池井戸潤作品 インデックス2016年8月25日 → 陸王 ・ 池井戸潤2016年3月29日 → 不祥事2015年12月5日 → 下町ロケット(ガウディ計画)2015年3月28日 → 銀翼のイカロス2014年1月26日 → かばん屋の相続2013年12月9日 → ようこそ、わが家へ2013年9月7日 → 株価暴落 & シャイロックの子供たち2013年8月31日 → 仇敵2013年8月29日 → 果つる底なき2013年8月27日 → 最終退行2013年8月25日 → 銀行総務特命2013年8月21日 → 民王2013年8月13日 → オレたち花のバブル組 & ルーズベルトゲーム2013年8月10日 → 鉄の骨2013年8月7日 → 空飛ぶタイヤ 2013年8月4日 → オレたちバブル入行組 & 七つの会議2013年7月30日 → 下町ロケット
2017.07.12
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☆てのひらたけ・高田 郁・(株)双葉社・2009年5月24日 第一刷発行・短編集・初出 てのひらたけ=「小説推理」06年1月号 あの坂道をのぼれば=「小説推理」05年2月号 タンポポの花のように=新潮ケータイ文庫 走馬灯=「小説推理」09年2月号1.てのひらたけ杉本多樹、23才。幻覚をもたらすという幻のキノコ「てのひらたけ」を食べ深い眠りに落ちた。見知らぬ場所で目を覚ました彼は、そこで千鶴子という女性と出会いたちまち恋に落ちた。必ず迎えに来ると誓った彼だったが、気がつくと一晩過ごしたはずが、たった10分しか経っていなかったのだ。幻覚でもいい、千鶴子にもう一度会いたい。数日後、記憶を頼りに探し出した千鶴子の家は、同じシルエットでそこにあった。けれど同じものとは思えないくらい朽ち果てていた。千鶴子と出会った日から1週間後の日曜日、彼は余命いくばくもない友に会いたいという祖母を乗せて東北自動車道を走っていた。見舞う相手の女性のことを話す母と祖母の会話を聞いていた彼は、その人の名が奥沢千鶴子だと知った。その人は、彼の記憶の中の村の出身で、好きな人を待ち続けて1人で生きて来たという。母と祖母が病室を出た隙にみた老女に見覚えがあった。思わず「千鶴子さん」と呼びかけた彼の姿を、涙に濡れた老女の目はまっすぐに見ていた。千鶴子に間違いなかった。あの日の、たった一言の約束のためにこの人は待ち続けていたのだ。彼にとってはたった1週間という時間が、彼女にとっては半世紀という途方も無いものだったことを知った。そして、千鶴子は1週間後に息を引き取った。祖母と一緒に見舞いに行った日、病室で千鶴子から受け取ったのは、あの日、彼が携帯の番号とメールアドレスを書いて彼女の元に置いてきてしまった手帳だった。その手帳を読むと、山で彼を見つけた日から始まり、昭和31年の10月高尾山で再会したこと、「多樹さんは平成18年から来た」とある。そして昭和32年の10月にも甲斐駒ケ岳で会っていた。それ以降も、彼はテノヒラタケを探し出しては、タイムトンネルをくぐり抜け彼女との逢瀬に漕ぎ着けていた・・・。2.あの坂道をのぼれば妻と2人の息子を捨てて女と逃げた男が、その女に捨てられ年老いて、やがて安アパートで血を吐いて死んだ。男の魂だけが、昔妻子と住んでいたあの坂道の上の家へ向かった。3.タンポポの花のように廃園になった遊園地跡地で、56才の女性の凍死体が発見された。遺留品は小さなポーチと帽子。奇異なのはその帽子で、小学校に上がったばかりの子供がかぶるような、黄色い布製のものだった。4.走馬灯甥の披露宴で、隣に座った兄が「この前、親父を見かけたよ」と、奇妙なことを言い出した。死んで30年以上にもなる父が、アメ横で時計を買おうと見ていた兄を、甘栗の幟の陰からじっと見ていたと。5年ほど前にあった知人の葬式の焼香の列の中にもいたという。死期が迫った病床で、父は小学生だった末っ子の達也に、まるで見てきたように3人の子供達の未来の話した。兄や姉も周囲の誰もが認知症の父の妄想だと取り合わなかったが、達也は話を聞くのが好きだった。それから年月が過ぎ、達也は、父から聞いた話と現実が重なっていることに気づいた。それからも度々、まるで我が子を見守るように、父親が物陰からじっと見ている気配を感じた。♣︎高田 郁1965年、桐生市生まれ。法政大卒。1993年、女性向け漫画雑誌『YOU』で、川富士 立夏の名で漫画原作者デビュー。2006年、短編「志乃の桜」で第4回北区 内田康夫ミステリー文学賞区長賞(特別賞)受賞。2007年、「出世花」で第2回小説NON短編時代小説賞奨励賞を受賞。2008年、同作を含む短編集『出世花』で、小説家デビュー。同年、「銀二貫」が第2回日経小説大賞の候補作に選ばれる。代表作みをつくし料理帖シリーズ、銀二貫、あきない世傳 金と銀 源流篇 (最新作) ほか
2017.01.07
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☆危険なビーナス・東野圭吾・講談社・2016年8月26日 第一刷発行・書き下ろし♣︎主な登場人物・手嶋伯朗=獣医師、池田動物病院院長代理・手嶋一清=貧乏絵描き、伯朗の実父、死亡・ 禎子=伯朗の母、一清亡き後女手一つで伯朗を育てる 矢神康治と再婚、明人を出産・矢神康治=矢神総合病院2代目院長、明人の父、サヴァン症候群を研究・矢神明人=伯朗の異父弟・ 楓 =明人の妻と名乗る女性、元JALのCA・矢神康之介=康治の父親、矢神総合病院初代院長・兼岩順子=禎子の妹・兼岩憲三=順子の夫、大学教授、数学者その電話は診察時間にかかってきた。電話に出た伯朗に、相手の女性はカエデと名乗り自分は明人の妻で、明人が行方不明になっていると話した。待合わせ場所に現れた楓は、魅力的な女性だった。彼女は、明人と去年の秋にシアトルで結婚したこと。明人の父親である矢神康治が危ないという報せを受け2人で帰国したこと。だが、見舞いに行こうとしたその日に明人が置き手紙を残し行方不明となり何日も帰らないと話した。置き手紙には「しばらく戻らないかもしれないが、心配はいらない。その場合は1人で見舞に行って欲しい」と書かれていた。2人だけで結婚式を挙げたが、一族の誰にも報せていないため、伯朗に一緒に見舞に行って欲しい、そして明人の捜索に協力して欲しいといった。父が亡くなって3年、母が矢神康治と再婚し、伯朗が9才のとき弟の明人が生まれた。伯朗は矢神康治の養子にはならず、実父の手嶋姓を名乗っている。母の禎子は16年前、実家の風呂場で死亡、明人は母は殺されたのではないかと疑っているが、警察は事故死として片付けた。伯朗が矢神康治と最後に会ったのは10年前の母の7回忌の時だった。久し振りに訪れた矢神病院は閑散としており、病室で2人を出迎えた康治の妹の波江は、連絡もよこさず、いきなり嫁を送り込んできた明人を詰った。波江が康治の枕元で、明人が結婚したこと、伯朗が明人の嫁を連れてきたことを告げると、康治は伯朗を枕元に呼び「明人に、背負わなくていいと・・・」とだけ告げ、そのままゆっくり目を閉じ、眠ってしまった。波江は伯朗に、近々遺産相続について親族会を開くことになっており、明人がその席に出席できない以上誰かが代理人を務めなければならない、ついては伯朗が楓を連れて来るようにと言った。明人の失踪に矢島家の人々が絡んでいるのではないかと疑う楓は、出席を渋る伯朗に同行してくれるよう懇願した。楓は伯朗に、明人から聞いたという話をした。矢島康治の専門は神経科で、中でもサヴァン症候群についての研究は彼のライフワークだった。映画「レインマン」で有名になった「サヴァン症候群」の患者は、言語や対人関係に著しい障害が見られる反面、音楽や絵画などの分野で特別な才能を発揮することがある。康治はそうした人々の作品をコレクションしており、伯朗の母と知り合ったきっかけもそれらしいと言った。伯朗の実父手嶋一清は、脳腫瘍を患っており末期には錯乱状態を起こすようになった。矢島康治により、脳にパルス電流を流す治療法を受けて以後、錯乱状態を起こすことは無くなったが、頭の中に浮かぶ奇妙な図形を絵にし始めたらしいとも話した。だが、伯朗は父が奇妙な絵を描いているのを見た記憶があるが、父がサヴァン症候群だったとは思えなかった。その絵は父の遺作の中には見当たらなかった。久し振りに訪れた矢神の家は、伯朗の記憶の中と違い老朽化していた。波江が2人を案内した部屋は、かつて康之介を中心とした食事会が頻繁に行われていたダイニングルームだった。先客は男女が3名ずつの6人で、その日集まったのは伯朗と楓を入れて以下の9人だった。矢神康治の長妹=波恵。康治の次妹=支倉祥子。祥子の夫=隆司。祥子の娘=有里華。康治の長兄=矢神牧雄(大鵬大学医学部神経生理学科の研究者)。養子=矢神佐代、銀座でクラブを経営、康之介の愛人、勇麿の母親。養子=矢神勇麿。伯朗。楓。親族会のあと有里華と勇麿は「明人が結婚したこと」と、明人の妻だと名乗る「楓」にも疑問を持った。有里華は伯朗に、矢神勇麿は楓に事実を問いただした。母の昔のアルバムにあった一枚の写真から母と佐代の関係を知った伯朗は、佐代のクラブを訪ねた。佐代は、禎子とは高校の同級生だったこと、実父の矢島一清の病気から亡くなるまでのこと、母と矢神康治が結婚するまでの経緯を全てを話した。手嶋一清が最後に描いた「あの絵」の行方は?禎子の死の真相は? 他殺なら犯人は誰か?明人の失踪の真相は? 楓は本当に明人の妻なのか? 妻でなけれは何者?・・・・・・・・・・・・・・・・「楓」が名乗るまま、彼女を明人の妻だと信じ、請われるままに協力しているうちに、彼女に惹かれていく伯朗。一癖も二癖もありそうな相続人の面々・・・。妻だと名乗る楓の説明では、明人の仕事は「人工知能を使ったビックデータの処理と管理が主な仕事」だという。おまけに「サヴァン症候群」「ウラムの螺旋」など、見慣れない言葉が登場。盛りだくさんの内容に、一体どこに明人失踪の原因が有るのかと、右往左往しながら読んでいましたが、まさに「大山鳴動して鼠一匹」。何とも力抜けする結末でした。ここまで書いて、フト 気が付きました。この小説は、テレビドラマ向きかも‼︎まだ発売されたばかりなので、これ以上詳しいことは書けませんが、主役は、「伯朗」では無く「楓」さん。米倉涼子さんのイメージがピッタリかと(╹◡╹)
2016.12.18
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☆コンビニ人間・村田沙耶香・文藝春秋・2016年7月30日 第一刷発行 8月15日 第四刷発行・初出 「文学界」2016年6月号・2016年 芥川賞受賞作品☆あらすじ主人公=古倉恵子。コンビニ店員歴18年、独身。幼稚園や小学校の頃、よく問題をおこして、たびたび親が先生から呼び出された。< 恵子のつぶやき >コンビニ店員として‘生まれる’前のことは、どこかおぼろげで、鮮明に思い出せない。郊外で育った私は、普通の家に生まれ、普通に愛された子供だった。けれど、私は少し奇妙がられる子供だった。「なんで、恵子にはわからないんだろうね」学校に呼び出された母が、帰り道、心細そうに呟いて、私を抱きしめた。自分はまた何か悪いことをしてしまったらしいが、どうしてなのかは、わからなかった。父も母も、困惑していたものの、私を可愛がってくれた。父と母が悲しんだり、いろんな人に謝ったりしなくてはならないのは本意ではないので、私は家の外では極力口を利かないことにした。皆の真似をするか、誰かの指示に従うか、どちらかにして、自分から動くのは一切やめた。必要なこと以外の言葉は喋らず、自分から行動しないようになった私を見て、大人はほっとしたようだった。父と母が「どうすれば『治る』のだろうね」と相談しているのを聞き、自分は何かを修正しなければならないのだなぁ、と思ったが、恵子には分からなかった。カウンセリングも受けた。小学校の頃のようなトラブルこそ起こさなかったが、大学生になっても何も変わらなかった。このままでは社会に出られないと、父も母も心配した。恵子自身も「治らなくては」と思いながら、どんどん大人になっていった。 そんな恵子がみつけた自分にぴったり合う居場所・・・。それが「コンビニ」だったのだ。いろいろな人が、同じ制服を着て、均一な「店員」という生き物に作り直されていくのが、彼女には面白かった。マニュアル通りに動くことを要求される(マニュアル通りに動いていればよい)コンビニは、彼女に合っていたのだ。優秀な店員として夢中で働いているうちに、いつしか18年経ち、彼女は36才になっていた。恋愛経験 無し、結婚経験なし、職業経験はコンビニ店員のみ。周囲の人々の好奇の目を紛らすために、彼女が選んだのは「偽装同棲」だった・・・。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・☆作者略歴:村田沙耶香(むらたさやか)1979年千葉市生まれ、玉川大学文学部卒業。2003年『授乳』が第46回群像新人文学賞優秀作となりデビュー。09年『ギンイロノウタ』で第31回野間文芸新人賞受賞。13年『しろいろの街の、その骨の体温の』で第26回三島由紀夫賞受賞。他の著作に「タダイマトビラ』「殺人出産』『消滅世界』など。(巻末 著者紹介欄より)☆ 表紙:金氏徹平、「溶け出す都市、空白の時間」より。
2016.12.03
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☆希望荘・宮部みゆき・小学館 ・2016.6.25 初版第一刷発行・杉村三郎シリーズ・4・杉村三郎シリーズ 1.誰か 2003年11月 2.名もなき毒 2006年8月 3.ペテロの葬列 2013年12月♣︎杉村三郎・職業 オフィス蛎殻 調査員、杉村探偵事務所 代表・経歴高校卒業まで山梨県北部の桑田町で育った。大学進学で上京、1、2年生のときは都下にあった大学の寮の2人部屋で暮らし。3、4年生は神田神保町の古いアパートで一人暮らしをした。家賃を稼ぐためのアルバイト先の一つが〈あおぞら書房〉という児童書専門の出版社で、卒業後は正社員として採用された。三郎は菜穂子という女性と出会い結婚した。結婚を機に、自分では天職だとさえ思っていた編集の仕事を辞め、菜穂子の父・今田嘉親が率いる今田コンツェルンという一大企業に転職した。それが結婚の条件だったのだ。仕事は会長が発行人になっているグループ広報紙の編集者。一女をもうけるも11年で離婚(2009年11月)。離婚後、、故郷山梨県に帰り働いていた杉村は、オフィス蠣殻所長、蠣殻昴(かきがらすばる)氏の仕事を手伝ったことがきっかけとなり、蠣殻氏の勧めと支援で、38才で私立探偵事務所を始めた。この作品は4つの事件を通して、蠣殻氏との出会いから探偵事務所が軌道に乗るまでの経緯を描いている。1.聖域2.希望荘3.砂男4.二重身(ドッペルゲンガー)
2016.12.01
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☆暮らしの手帖 96 「特集・戦争中の暮らしの記録」・発行所:暮らしの手帖社・昭和43年8月1日 発行・定価:本号に限り 280円この号は、一冊全部を、読者から募集した「戦争中の暮らしの記録」だけで埋めた特集号です。NHKの朝ドラ「とと姉ちゃん」も、いよいよ今週末で終わります。本誌は捨ててしまいましたが、もしかして…と、本棚を探したら、この号だけは捨てずに残してありました。昭和43年8月(1968年)発行ですから、今から48年前になります。紙はセピア色に、表紙は外れそうになっていました。・・・・・・・・・・・・・・・・・巻末の「あとがき」は、編集長、花森安治さん(1911.10.25~1978.1.14)が書いていらっしゃいます。一部をご紹介しますとこの記録は、ひろく読者から募集したもののなかから、えらんだものである。応募総数1736篇という、その数には、たいしておどろくものではないが、その半数は、紙面の余裕さえあれば、どれも活字にしたいものばかりで、ながいあいだ編集の仕事をしてきて、こんなことは、まずこんどがはじめてのことであった。(中略)誤字あて字の多いこと、文章の体をなしていないものが多いこと、なども、こんどの応募原稿の、1つの特色だったといえるだろう。しかも、近頃こんなに、心を動かされ、胸にしみる文章を読んだことは、なかった。選が進むにつれて、一種の興奮のようなものが、身内をかけめぐるのである。いったい、すぐれた文章とは、なんだろうか。ときに判読に苦しむような文字と文字のあいだから立ちのぼって、読む者の心の深いところに迫ってくるもの、これはなんだろうか。1ついえることは、どの文章も、これを書きのこしておきたい、という切な気持ちから出ている、ということである。書かずにはいられない、そういう切っぱつまったものが、ほとんどの文章の裏に脈うっている。(中略)そして最後に、編集者としてお願いしたいことがある。この号だけは、なんとか保存して下さって、この後の世代のために残していただきたい、ということである。ご同意を得ることができたら、冥利これに過ぎるはありません。と結んでいらっしゃいます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・こんな写真も掲載されていました。皆さま、何かお分かりになりますでしょうか?私は「米つき棒」は知っていますが、「たばこ巻き器」は、あることは知っていましたが、実物を見たことが無いのです。↑たばこ巻き器(左)、米つき棒(右)↑もんぺ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・この本が発売された当時、私たち家族は、杉並区の社宅住まいでした。それから同じ杉並区内に転居→転勤で名古屋市千種区の社宅→転勤で東京に戻り、世田谷区の社宅→現在の横浜市磯子区へ転居。4回の引越しの間に行方不明にもならず、よくぞ残っていてくれた……と、思っていましたが、花森さんの「あとがき」の末尾を読んで、残してあった理由が分かりました。余談ですが、この特集号が発売されたのは、1968年8月。花森さんが亡くなったのは、それから9年5ヶ月後の1978年1月でした。
2016.09.28
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☆陸王・池井戸 潤 ・集英社・2016年7月10日 第一刷発行・初出 「小説スバル」2013年7月号〜2015年4月号♣︎主な登場人物・宮沢絋一=こはぜ屋社長・宮沢大地=絋一の長男、連戦全敗の就職活動中・富島玄三=経理担当、62才。・坂本太郎=埼玉中央銀行融資担当→東京キャピタル東京本社営業部・飯山晴之=元シルクール社長、シルクレイの特許を持つ・村野尊彦=この道30年のカリスマシューズマイスター ・有村融(とおる)=スポーツショップ経営、ランニングインストラクター・城戸明宏ダイワ食品陸上部監督・茂木裕人=ダイワ食品陸上競技部員、怪我により一線から外れる・毛塚直之=アジア工業陸上競技部員、茂木裕人のライバル・小原賢治=アトランティス日本支社営業部長・佐山=小原の部下・御園丈治=ベンチャー企業・フェ二ックス社長*アトランティス=大手スポーツ用品メーカー *フェリックス=アウトドア関係のアパレルを展開している企業*シルクレイ=クズ繭を原料にした理想の素材。シルク+クレイ(粘土)足袋の町、埼玉県行田市にある老舗足袋業者「こはぜ屋」。社員数はパートも入れて27名、平均年令57才、最高齢は75才、人も古いが機械も古い。足袋の需要は底をつき、売り上げは減少の一途を辿っており、4代目社長の宮沢絋一は日々資金繰りに頭を抱えていた。ある日、娘に頼まれたスニーカーを買うためデパートのスポーツ用品売り場へ行った宮沢は、靴底が平らで5本の指がついた奇妙な形をした靴を見つけた。店員はビブラム社の「ファイブフィンガーズ」という裸足感覚で走れる人気のランニングシューズだという。しげしげと眺めた宮沢は、見ようによっては、こはぜ屋の主要商品である地下足袋に似ていると思った。パンフレットを見せて、会社存続のための新規事業にならないか検討して見たいという宮沢に、先代から経理を担当する富島玄三は良い顔をしなかった。だが埼玉中央銀行の坂本は、ファイブフィンガーズの写真を一目見て「最近流行りの奴ですよ」と言つた。宮沢が考えている新規事業の話を聞くと興奮を帯びた口調で「いいですね。どんなランニング足袋ができるか楽しみにしています」と言い、先ずは走るという事の理解が必要ではないかと、知り合いのランニングインストラクター、有村融に引き合せてくれた。宮沢は、真面目に走りを研究している人からみれば、マラソン足袋を復活させようという考えはふざけた話にしか聞こえないのではないかと不安だった。ところが、有村は熱心に耳を傾けてくれたうえ「上手くいく望みはあるのか」と問う宮沢に「もちろんありますよ」と真顔で答えた。足袋そのものはランニングに向いており、昔は学校の運動会でも履いていたが、グラウンドにはいろんな物が落ちており安全上の理由から今はほとんどなくなっているという。だが、市販のランニングシューズなら安全かというとそうでは無いと言い、売れ筋の踵にクッションが入っているジョギングシューズを見せた。この靴は構造そのものに問題があり、踵から着地してつま先で蹴るという間違った走法に導いてしまう可能性があり、故障を起こしやすいのだと言う。近年、有名選手の走法を解析した結果、オリンピックで活躍するケニアの選手や日本の一流アスリートたちは足の中央付近で着地する「ミッドフッド着地」で、中にはもっと足の先で着地する「フォアフット着地」の選手もいることが判明したこと。また、この走法の方が早く走れ故障も少ないのは、人間本来の走り方だからだという。話はどんどん広がり、人間はなぜ走るのか、どういう走り方がふさわしいのか、本来はどう生きてきたのかと、走りの歴史から人類そのものの歴史につながっていき、有村の話はとどまるところを知らない。そして最後に「インストラクターの私の仕事は、その人間本来の走り方で、故障することなくジョギングやレースを楽しんでいただくことなんですよ」と言った。宮沢は有村の話に感心するというより、むしろ感動すら覚えた。新規事業の準備に追われているうちに月日があっという間に過ぎ、その日、宮沢は息子の大地と共に有村が是非にと誘ってくれた京浜国際マラソン会場にいた。大地は色んな会社の中途採用の試験を受けたが、採用通知を受け取れないまま年を越し、自分には何が足りないのか悩んでいた。品川をスタートした選手たちは凡そ20キロ先の生麦付近で折り返してくる。会場内に映し出された映像でランナーの足の運びを注視していた宮沢は、トップを走る3人のケニア人の走りが他の選手と違うミッドフッド着地だと気付いた。その時、膝を痛め脱落しようとしている一人のランナー、茂木を、ライバルの毛塚があっという間に引き離して行った。見ていた大地が「こんな形で負けて欲しく無いな」とつぶやいた。「マラソン足袋の開発チームを立ち上げたい」という宮沢に、父の代からの大番頭とも言える富沢は、内心を表面には出さず、古ぼけた段ボール箱を出してきた。そこには、昔こはぜ屋で作っていたマラソン足袋が入っていた。そして、その裏底には「陸王」の名があった。これから開発するスポーツシューズの名はこれしかないと、宮沢は決めた。宮沢はじめ社員数名と埼玉中央銀行の坂本も加わって「陸王開発チーム」はいよいよスタートした。地方零細企業に、果たしてランナーの足を守る裸足感覚を追求したランニングシューズが作れるのか・・・。資金難、ソールとアッパーの素材探し、世界的スポーツブランド・アトランティスの妨害と熾烈な競争・・・。彼らの前途にはクリアしなければならない課題が次々と現れた。屑繭が原料の理想のソール素材「シルクレイ」に魅せられた宮沢は、その特許と製造機械を持つ飯山晴之を説得した。宮沢の「陸王」にかける情熱を知った飯山は、自分も開発チームに参加することを条件に承諾した。飯山が開発し、会社を倒産させる原因となった巨大な機械が運び込まれた。シルクレイの実用化に向けた飯山と大地の寝食を忘れた懸命の試行錯誤が始まった。だが、迷走を繰り返し中々満足できる結果が出ない・・・。疲れ果てた飯山の頭に、フト浮かんだ発想をきっかけに方向転換、作業を一から見直したことで一気に進展し、満足できるものが完成した。シルクレイのサンプルを見せられ、その軽さと原材料がくず繭だだと知ったカリスマシューズマイスター 村野尊彦は、宮沢の心中を見抜き協力を申し出でた。満足できるシルクレイが完成した喜びも束の間、恐れていた事態が発生した。無理をして使っていた機械が壊れ修理不能の状態になってしまったのだ。新しく作るには少なくとも1億円は必要だと判明、銀行はどこも相手にしてくれず途方にくれる宮沢に、東京キャピタルに転職した坂本が、フェ二ックス社長、御園丈治を引き合わせた。御園は、融資をお願いしたいという宮沢の希望を一蹴、当初の予定通り買収で譲らず交渉は決裂したかにみえた。だが、改めて御園から新たな提案があり、3年の期限で融資を受け期間内に返済できなければ傘下に入るということで合意が成立した。買収ではなく、宮沢が望む業務提携という事になったのだ。京浜国際マラソン当日、集まった参加者総数は2万人。午前8時現在、気温8.5度、湿度37パーセント。雲一つない青空が広がっていた。宮沢たちは招待選手の控え室があるホテルのロビーに向かった。大混雑のロビーを横切り、勝ち誇った表情を浮かべたアトランティスの佐山が宮沢に向かって近づいて来た。アトランティスを辞めた村野に向かって皮肉を言い、宮沢には小馬鹿にしたような笑いを浮かべただけで人ごみの中に消えた。アトランティスの赤いRIIを履いた毛塚の勝利を確信している小原と佐山は、絶好の宣伝になるとほくそ笑んでいた。ところが日本ランナーのトップでゴールに駆け込んで来たのは毛塚ではなく、濃紺に勝虫(*)をデザインした「陸王」を履いた茂木だった。(*勝虫=トンボのこと、前にしか進まず退かないところから、不転退の精神を表すものとして、特に武士に喜ばれた)アトランティスでは、その月だけでも、芝浦自動車の彦田はじめ7人の主要サポート選手が契約を打ち切る異常事態になっていた。かつてこれほどの離反が起きたことはなく、しかも乗り換えた相手は、あの「こはぜ屋」だった。村野がフィッティングする「陸王」は、いまやトップアスリート注目のシューズであり、今後「陸王」に乗り換えていくアスリートはさらに増えるだろうというのが大方の予想だった。神妙な顔で社長室にやってた大地は「メトロ電業」の話を断ろうと思う」と言った。連敗続きだった就職活動だったが、飯山とのシルクレイ開発で自信をつけ成長した大地は、一流企業の内定をもらっていたのだ。宮沢は嬉しさを抑え「いや。お前はメトロ電業へ行け」と言い、「こはぜ屋に戻ることはいつでもできる。ウチでは得られない経験と知識を蓄積してくれ。世間を見て来い。そしてその大きさをオレたちに教えてくれ。・・・」と言った。うつむいて聞いていた大地は「分かった。だが、一旦出たからには戻るつもりで働かない。メトロ電業に失礼だから」といい、「いままでお世話になりました」と、深々と頭を下げて出て行った。↑挿絵をお借りしました。
2016.08.25
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☆キャロリング・有川 浩・幻冬舎・2014年10月25日 第1刷発行♧クリスマスにもたらされるささやかな奇跡の連鎖―。有川浩が贈るハートフル・クリスマス。大和俊介の勤める子供服メーカー「エンゼル・メーカー」の社長西山英代は5人の社員に頭を下げて詫びた。主要取引先である大型量販店の閉店で打撃を受け、回復が叶わないまま年越しを待たずに12月25日をもって倒産することになったのだ。子供の頃から、大和俊介は父親の暴力が絶えない家庭で育った。くだらない理由で難癖をつけ、父親は母に暴力を振るった。その間、俊介はなす術もなく息を殺して納戸に隠れていた。小学生になり隠れるには体が大きくなり過ぎた俊介にも、父は暴力を振るうようになった。そんなとき、いつも俊介を案じてくれたのは、母の友人である西山英代夫婦だった。惜しみない愛情を注いでくれる2人の存在はいつしか俊介の心の支えになっていた。やがて中学生になり力がついた俊介が母を庇おうと止めに入ると、父は俊介にも暴力を振るう様になった。俊介が抗うようになり暴力はますますエスカレート、部屋は以前にも増して荒れる様になり、母と2人で深夜までかかって黙々と片付けた。そんなとき、俊介は自分が母を守ろうとしたことを分かってくれているのだと思っていた。だが、母は「お父さんにそっくり。まるでお父さんが2人になったみたい」と俊介を責めたのだ。数日後、父が俊介に暴力を振るい始めたとき、母の言った言葉が脳に突き刺さり、振り上げようとした俊介の拳は力なく緩んだ・・・。無抵抗の俊介に父の激しい暴力が続き、救急車で運ばれた俊介が目醒めたとき、彼はベッドに寝かされ点滴の管が繋がれていた。母の姿は無く枕元には英代がいた。精密検査を受けて家に帰ると状況は一変、俊介の暴力で両親はずっと悩んでいたことになっていた。親戚ぐるみで不祥事を恐れた父方の祖父母が乗り込んできて、表向きは俊介の家庭内暴力を原因とする家庭不和とし、暴力癖のある父親が取り返しのつかないことをする前に嫁と息子を引き剥がしてしまった。俊介に泥を被せる代わりに母は充分な養育費と慰謝料を受け取った。やがて母は、俊介さえ暴力に走らなければ一生我慢する覚悟は出来ていたとのにと離婚したことを嘆き続けるようになり、俊介が高校に進学してしばらくたった頃、別れた父と再婚することになったと告げた。父親の姓を名乗るのを拒否して俊介の一人暮らしが始まった。「困ったことがあったらいつでも言ってきてね」そう言ってくれたのは、母ではなく西山英代だった。思いを裏切られ過ぎると、両親は勿論のこと、英代の顔すらも見たくない日が続いた。誰の顔も見たくない。人と関わることが嫌になる。鏡の中から見返す俊介の目はますます荒んでいった。そんなある日、母から西山のおじさんがなく亡くなったという連絡があった。駆けつけた俊介を喪服を着た英代が出迎えた。事業を拡大したばかりだったエンゼル・メーカーは、規模を縮小して子供服メーカーにシフトして英代が受け継いだ。アルバイトとして手伝っていた俊介は、大学卒業とともに社員となった。俊介が入社3年目の年、2人目のデザイナーとして折原柊子が入社して来た。気持ちがしっかり乗った柊子の真摯な話し方が英代に似ていると気が付いたとき、一気に親近感が増して打ち解けた。付き合って3年ほどで自然と結婚の話が出たが、子供のことで感覚の違いが表面化。「俺、子供苦手だし」と言っても彼女は「えー、何で。子供可愛いじゃない」という。優しい両親に大事に育てられた彼女には自分の感覚は分からないだろう。柊子に説明しなくてはならない自分の境遇が面倒くさくなった。彼女と自分は全く違う場所で生きている生き物なのだと思い知った。きっと自分たちは遠からず終わる、そう感じた。そしてその通りになった。致命傷は結納のことだった。両親には自分の結婚に関わって欲しくない。どうしても柊子が気になるというのなら親と縁を切るしかないという俊介の考えを柊子に理解してほしいというのは無理な話だった。堂々巡りの日々が続き、俊介は「ごめん、別れよう」といい、まるで逃げるように別れた。英代は俊介に「そろそろ2人からいい話が聞けるかと楽しみにしてたんだけど・・・。会社がなくなれば同僚でもいられなくなるのよ」といった。また柊子には、俊介が自分で話せなかった彼の生い立ちを話した。2人のことを見て見ぬ振りをしてくれていた同僚のベンさんは「2人は良い組み合わせだったんじゃないの」という。2人の言葉は俊介の胸に響いた。けれど柊子はもう手の届かない人だった。エンゼル・メーカーが事業の一環として行っている学童保育の子供達も次々と他へ移って行き、最後のクリスマスの日まで残るのは、6年生の田所航平1人だけとなった。航平の両親は別居中で、航平は母の転勤に伴い外国へ行くことになっていた。彼は出発の前に何とか両親を仲直りさせて、また一緒に住みたいと考えていた。一人で横浜にいる父に会いに行こうとする航平の父親探しに柊子が巻き込まれ、捨てておけなくなった俊介も車での送迎をする様になり、俊介と柊子は共に過ごす時間が増えた。地上げ屋絡みの事件に巻き込まれた柊子と航平が誘拐されるという事件が発生した・・・。それは神様が2人にくれた ささやかな奇跡の始まりだった。
2016.08.19
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☆「暮しの手帖」とわたし・大橋鎭子・発行所=暮らしの手帖社・平成22年5月21日 初版第1刷発行昭和の名編集者、花森安治さんとともに「暮しの手帖」を作り続けた大橋鎭子さんが、90歳にして初めて書かれた自伝。この本は、著者の第6高女時代の後輩である石井好子さんが書かれた、先輩大橋鎭子さんへの想いと、石井好子さんと「暮しの手帖」との関わりが綴られた文章から始まります。そして、大橋鎭子さん自らの子供時代ことやご家族のこと、第6高女時代、戦時中の仕事や暮らし、そして花森安治さんとの出会いから、昭和23年の「暮しの手帖」誕生へと続きます。また、昭和33年に国務省の招待でアメリカへ視察旅行に行かれた時のこと、商品テストの裏話、メーカーとの共同開発で生まれた「布巾」や「ステンレス流し台」のこと等々・・・。この本には、暮しの手帖誕生初期の話から始まって、昭和53年に花森安治さんが亡くなるまでのことを中心に書かれています。(創刊当時は1万部だった部数が、30年後の昭和53年には90万部だったそうです)最終章「すてきなあなたに」には、花森安治さんの突然の死と花森さんが遺言だと言って残された言葉、最後に90才を過ぎても元気にご活躍されている大橋鎭子さんの様子も紹介されています。最後に、本の裏表紙に書かれていた、私にとっては懐かしい、あの有名な言葉をご紹介いたします。そして、本の中に掲載されていた懐かしい写真です。↑写真に添えられていた文章をお借りしました。《 私と「暮しの手帖」の出会い 》私と暮しの手帖との出会いは昭和40年代の初め、主人が買って来てくれた一冊から始まりました。世に言う花嫁修業らしいことはしないまま早くに結婚してしまった私にとって、暮しの手帖の記事は時には先生であり、時にバイブルの様な存在でもありました。特に我が家の定番となっている「料理」には、暮しの手帖のレシピが幾つもあります。お煮しめ、クリームチキン、麻婆豆腐、酢豚 等々・・・。暮しの手帖は私の料理の先生でもありました。
2016.08.12
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新装改訂版・文庫本(手前が肥後橋、背景が大同生命ビル)☆小説 土佐堀川・古川知映子(女性実業家・広岡浅子の生涯)・1988年10月5日 初版発行・2015年10月11日 15刷新装改定版・NHK 平成27年度後期朝の連続テレビ小説「あさが来た」の原作、フィクション★あらすじ嘉永2年(1849)、浅子は三井11家の一つ京都の豪商油小路三井家に、6代目三井高益の娘として生まれた。幼い頃から、商いに長けた三井越後守高俊の奥方、殊法大姉の血が流れていると言われて育つ。「殊法大姉は一切の無駄を省いて節約をした」と、父 高益から聞いた浅子は「うちはそんなけちなことはせえしまへん。ぎょうさん儲けてぎょうさん使うてやるのだす」と言った。商売上手は、1に才覚、2に算用、そして3には始末である。高益が教えたいのは吝嗇ではなく、一つのことに徹する大切さであった。浅子は、2歳にして既に大阪の豪福両替商加島屋広岡信吾郎へ嫁ぐことが決まっていた。高益が59才で没し、浅子は高益の養嫡子、高喜の保護下におかれることになった。(高喜は先を見る目に優れ、三井11家の統括機関、三井大元方も務める。三井銀行を設立する。浅子の商売の師でもあった)その時代、幕府の財政は逼迫し、幕府からの御用金の割り当てが立て続けになり、天下の豪商といわれている三井の内情も想像以上に苦しかった。「世の中の変わり目には必ず新しい商いが出てくる。先への判断をするためには情報集めが先決だ」と、父高益に代わり義兄の高喜も浅子に話して聞かせた。名門両替商天王寺屋五兵衛へ嫁ぐ姉の春と共に、17才の浅子も婚儀のため伏見から30石船に乗り淀川を下った。浅子は嫁いですぐに、このままでは早晩、立ち行かなくなるであろう加島屋の内情を見てとった。じっとしていられない浅子は、姑にことわり、小藤を供に堂島の米市場見学に出かけた。その夜、三井から持ってきた本を一冊取り出し、信吾郎が呼びかけても返事もせずに夢中で読んだ。そして「本気になって商い覚えたい思うのどす。教えておくれやす」と、信吾郎の前に両手をついた。商いの状態が知りたい浅子は信吾郎に頼み込み、加島屋の古い大福帳を手に入れた。簡単には収拾がつきそうもないが整理してみようと、浅子は算盤を入れ始めた。最初は協力してくれていた信吾郎だったが、途中で音をあげてしまい、先に奥の座敷に引きとった。浅子はとても眠る気にならず、夜が白むまで算盤を入れ続けた。堂島へ行ったその日から加賀屋の若御寮はんの噂が広がり、中には狂人扱いしかねないような噂をする同業者もいた。加島屋は既に大阪一の豪商だが、自分の代に日本一の商人になれないものか。浅子の心の中にむらむらと敵愾心が燃えさかっていた。浅子の商いへの思い込みは並大抵のものではなく、いつの間にか汚名も消え、流石に豪商三井から嫁入っただけのことはある、という賛辞が聞かれるようになった。慶應3年の暮れ、商用で大阪へやってきた高喜が、加島屋へ立ち寄り「浅子、京都から討幕の兵が出陣することになるようや。三井では『賭け』をしたいと思うとる」と言い、詳細を述べずに帰って行った。義兄の話が頭から離れず、「戦があるてほんまやろか?」と問うても、夫の信吾郎だけでなく天王寺屋へ嫁いだ姉を訪ねてみても、危機感がまるで感じられない。やがて浅子の悪い予感が的中し、鳥羽伏見の戦いが勃発、幕府は敗北、将軍慶喜は大阪城から海路江戸へ逃れて行った。二条城へ呼び出された大阪京都合わせて130人の商人に、官軍から討幕の為の軍資金として300万両用立てせよとの要求があった。商人たちは出せないものは出せないと出し渋り、軍資金が集まらないまま、間も無く徳川討伐の軍が京都を出発したという報せが入った。道中の御用金掛かりとして三井、小野、島田の3豪商が従った。浅子の実家の三井は、まさに官軍につくというはっきりとした態度をとったのであった。三井の大元方(三井11家の統括機関)が、まさか時の趨勢を読み違えるはずはなかろう。そうなると加島屋の先行きの不安がいっそう募ってきた。浅子は京阪の商人と歩調を合わせている加島屋の先が心配だった。結婚からわずか3年後、浅子が嫁いだ加島屋は、明治維新とそれに続く廃藩置県によって存続の危機に直面したのである。・・・・・・・大同生命公式サイト、「広岡浅子の生涯」によりますと、加島屋の最初の危機は、傑物といわれた当主・広岡久右衛門の死(明治2年・1869年)、それに続く廃藩置県(明治4年・1871年)だった。加島屋の経営を担うことになったのは、浅子と、夫・信五郎、そして加島屋の九代目当主となった広岡久右衛門正秋。全員がまだ二十代の「若き経営者たち」による新たな船出であった。とありました。・・・・・・その後の浅子の獅子奮迅ぶりはすさまじく、周囲の反対にも拘らず決死の覚悟で始めた炭鉱事業は鉱山火災の危機も乗り越え、経営を軌道に乗せた。大阪梅花女学校の校長・成瀬仁蔵の「日本女子大学校を設立したい」いう目標に賛同し、女子大学校設立に協力することを決意。自ら先頭に立って資金づくりに駆け回り、やがて「日本女子大学」は開校した。浅子に理不尽な恨みをもつ没落した万屋の主人に刺されるという事件が起きた。やっとのことで命を取り留めた浅子は、生命保険の大切さに気づき、加島屋本家が運営し経営が思わしくない朝日生命を他社と合併させさ、経営不振を脱するしかないと考えた。だが、加島炭鉱、加島銀行、広岡商店、朝日生命保険、尼崎紡績等の社長及び重役たちの出席で開催された加島屋事業全体会議で、2/3以上が反対、否決された。その後、一対一で時間をかけた粘り強い浅子の説得が功を奏し、僅差ではあるが議決に持っていくことができた。浅子が合併を打診して回り、脈がありそうな各社と話し合いが進められた。二社に動きそうな気配が見えたとき、締めくくりの交渉役には保険事業に経験の深いしっかりした男性を立てるべきと考えた浅子は、朝日生命重役の中川小十郎を立てた。問題を一つずつ解決し、ついに実現可能なところに漕ぎつけた。新社名は、小異をを捨てて大同につく、という故事にのっとり「大同生命」という名が選ばれ、初代社長は加島屋本家の広岡久右衛門正秋が選ばれ、これまでの加島屋関連事業の中で最大のものとなった。大同生命が発足したその年、浅子の長女亀子に、子爵一柳家の次男恵三が婿養子として迎えられた。東京帝国大学法科出身の逸材で、加島銀行と大同生命に関与し勤務することになった。加島屋の事業は頂点にあった。大同生命設立の成功、鹿島銀行も広岡商店も全国に支店が増えている。九州の炭鉱も買収時に比べ出炭量が格段に伸びていた。かつて経営の危機にあったことなど、もう記憶している人も少なかった。けれど、このとき既に足元には予測しない不幸が忍び寄っていた。日に日に具合が悪くなってゆく信吾郎を励まそうと、浅子は彼が以前から話していた御殿場に別荘を建てようと考えた。別荘の土地は3000坪、どの部屋からも富士が見えるように設計された。広い芝生の中心には、信吾郎の提案で、一本の黄楊(つげ)の木が植えられ、傘の形に作られていった。明治37年6月、浅子が56才の初夏、広岡信吾郎は加島屋の最盛期を見た上で没した。亀子と恵三夫妻に加島屋ののれんを渡すと決めた浅子は、亀子に「御殿場の別荘を生かして、若い人と一緒に勉強したいわ。日本の女性のこれからの生き方を考えて討論したい思うてるんや」と言った。その後、乳癌を発病し手術を受け療養中の浅子の元に、本家の正秋が急逝したとの報せがはいった。信吾郎のたった一人の弟の死に、浅子は肉親以上の悲しみを覚えた。大同生命の重役会議で社屋移転についての決議が満場一致で議決され、土佐堀川肥後橋前、加島屋の敷地に近代的なビルが建設されることになった。設計はウィリアム・メレル・ヴォーリズ。近世ゴシック風の重厚なビルであった。設計まで1年、約3年間の歳月をかけて建築がなされることになった。華々しく大同生命ビルの竣工式が行われることになった。落成式当日、浅子は金ラメ入りの黒レースの豪華なロングドレスを身にまとい、胸高くに造花をつけていた。銀髪の髪が黒の洋装によく似合い、来賓と一緒にテープカットに加わった。浅子は表彰を受けたあと演壇に上がり無事挨拶の言葉を言い終え、控室に戻りソファーに深く身を沈めた。そしてそのまま意識を失い、大正8年1月14日、眠るように息を引き取った。数えで71才の生涯であった。大正14年 6月、大同生命はかつて加島屋の屋敷があった大阪市西区土佐堀通1丁目1番地(現大阪本社所在地)に移転した。♣︎主な登場人物広岡浅子、嘉永2年(1849)京都の豪商油小路三井家(三井11家の一つ)に、6代目三井高益の娘として生まれる。幼い頃から商いに長けた祖先の血が流れていると言われて育つ。大阪の両替商、加賀屋広岡家に嫁ぎ、自ら先頭に立って商いの道に邁進。筑豊の炭鉱事業、銀行設立、大同生命設立と大仕事を成し遂げた後には女性への高等教育の普及、廃娼運動などにも尽くす。広岡信五郎両替商加賀屋の後継者で、浅子の夫。人柄は穏やかで若い頃は趣味三昧の生活を送る。猛進する浅子を温かく見守っていたが、やがて浅子に劣らず商売の道に邁進するようになる。小藤浅子の実家、油小路三井家の腰元。浅子が嫁ぐ際、世話役として一緒に店を移る。春浅子の異母姉。浅子が加賀屋に嫁いだ時、ともに大阪の今橋天王寺屋に嫁ぐ。天王寺屋は大阪で最も伝統のある両替商であったが、維新の後、落魄する。広岡亀子浅子の長女。娘婿を迎えて夫婦で加賀屋の屋台骨を支える。広岡正秋信五郎の弟。加賀屋が銀行業に乗り出した際、初代の頭取になる。三井高喜三井高益の養嗣子で浅子とは26才離れた義兄。高益亡き後は浅子の父親がわりを務め、浅子の商売の師でもあった。先を見る目に優れ、三井11家の統括機関、三井大元方も務める。三井銀行を設立する。22三井高景高喜の長男。浅子とは1才違いで、幼い頃からきょうだいのようにして暮らす。後に三井家の当主となり三井鉱山社長などを務める。成瀬仁蔵大阪梅花女学校の校長。若い頃にアメリカ留学の経験を持ち、女子の高等教育発展に力を注ぐ。貧しいながらも高潔な人柄。日本女子大学校設立という目標を得て、浅子にも協力を仰ぐ。ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880〜1964)米国カンザス州生れ。1905(明治38)年、英語教師として来日。1908(明治41)年、「ヴォーリズ建築事務所」を設立し、建築設計の事業を開始する。学校・教会・病院・商業建築など、第二次世界大戦までに全国で千を超える建築に関与したとされている。代表的な建築物には、大丸心斎橋店(大阪市中央区)、山の上ホテル(東京都千代田区)、明治学院礼拝堂(東京都港区)などがあ。ヴォーリズは旧肥後橋大同生命本社ビル(大阪市西区)をはじめ、大同生命の本・支社11棟の建築を手掛けた。妻・満喜子は、一柳子爵家の三女、大同生命第二代社長・広岡恵三の妹。♧作者:古川知映子東京女子大短期大学英文科、同大学文学部日本文学科卒。国立国語研究所で『国語年鑑』の編集に従事、その後東京都内の私立高校教諭を経て、執筆活動に入る。著書に『赤き心を』「風花の城』『一輪咲いても花は花』『氷雪の碑』『飛IIより愛を込めて』『性転換』『炎の河』など。日本文学科協会会員。ヴィクトル・ユゴー文化賞受賞受賞。潮出版文化賞受賞。大同生命公式サイト → 広岡浅子の生涯
2016.08.02
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☆室の梅(おろく医者覚え帖)・宇江佐真理・1998年8月20日 第1刷発行・発行所:講談社♣︎主な登場人物・美馬正哲=検屍役(人は「おろく医者」と呼ぶ) 1774年4月、江戸八丁堀の町医者、 美馬洞哲の三男として生まれる。36才。・お杏=産婆、正哲の女房・美馬玄哲=正哲の父、町医者。♧目次1.おろく医者2.おろく早見帖3.山くじら4.室の梅*注.おろくとは?「南無阿弥陀仏」の6文字から来ているが、市井の人は「死人」の意味に使っていた。・・・・・・・・・・・・・・・・・・日本で最初に腑分けが行われたのは宝暦4年(1754)閏2月4日のことである。若狭小浜藩の藩医小杉玄適は、藩主の許しを得て初の腑分けを見学した。玄適の師、山脇東洋は、この時の玄適の話を元に『蔵志(ぞうし)』という観察記録を出版した。玄適の同僚、杉田玄白は機会があれば腑分けを観臓(見学)したいと望んでいた。だが、江戸にいた玄白にようやく機会が巡ってきたのは17年後(1771年)であった。小塚っ原で仕置された刑死体を使っての腑分けだった。見学する玄白の懐にあったのは蘭書『ターヘル・アナトミア』であったが、この時の玄白はオランダ語を一語も理解できず、掲載されている内臓の図だけが彼の手引きだった。それは一つの間違いもなく死人の内臓と一致した。これ以後、玄白は4人の仲間と共に「ターヘル・アナトミア」の翻訳に着手、刊行されたのは3年後だった。この年、江戸八丁堀の町医者、美馬家の三男として正哲は生まれた。長男、玄哲は姫路藩酒井家の藩医、次男、良哲は松前藩松前家お出入りの医者として勤めに従事していた。だが正哲だけは違い、若い頃医者の修行のために長崎に遊学したにもかかわらず、江戸に戻ってからは八丁堀の役人と組んで死人の検屍ばかりしていた。医者には違いないのだが、彼は一度も人の脈を取ったり、投薬をしたことがなかった。人は、彼をいつの頃からか「おろく医者(注*)」と呼んだ。お杏は、父親は行方知れずとなり母親がお杏を置いて再婚したあと、産婆をしていた祖母に育てられた。だが、その祖母はお杏が16才の時に急死。祖母の最後を世話した洞哲はお杏の身を案じ、正哲と一緒にならないかと勧め二人は結婚した。正哲のお役目は検屍役とはいえ、決して実入りの良い商売とはいえず、所帯を持ってからは産婆をしている妻のお杏の稼ぎを当てにしているところがあった。(町奉行所に「おろく医者」と称する検屍役の記述はなく、美馬正哲の存在は同心が抱える小者の扱いと同等のものになる)遡ること5年、紀伊の国の医者、華岡青洲は世界最初とも言うべき、麻酔剤による乳癌摘出手術をおえていた。その詳しい記述書を目にしていた正哲は、お杏の元に「おろく早見帖」を残し、遅くとも一月で帰ると言い置いて紀伊の国の華岡青洲の元へ旅立って行った。三月後、ようやく帰って来た正哲は「花岡先生がなかなか放してくれなくてな、美馬先生、美馬先生とうるせぇくらいだったのよ。おれな、麻沸散(麻酔剤)を使って実際に手術もしてきたぜ・・・」と得意そうに言った。さりとて、その後も正哲は出世を望む訳でもなく、正哲とお杏の暮らしは三月前と何も変わらない日々が続く・・・。おろく医者・美馬正哲と産婆・お杏。人の生と死に立ち会う夫婦の目を通して描かれた捕物帖。
2016.07.30
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☆銀の雨(堪忍旦那 為後勘八郎)・宇江佐真理・発行所:幻冬舎・1998年4月15日 第1刷発行♣︎主な登場人物・為後勘八郎(ためご かんぱちろう) 北町奉行所定町廻り同心、36才。妻、雪江。 市中の人々から堪忍旦那と呼ばれている。・為後小夜=勘八郎の一人娘、17才。・岡部主水(もんど)=北町奉行所臨時廻り同心。・岡部主馬(しゅめ)=同心 岡部主水の嫡男で文武に優れた若者。18才。この小説は、「江戸北町奉行所定町廻り同心(じょうまちまわりどうしん)為後勘八郎は、市中の人々から「堪忍旦那」と呼ばれていた。下手人に対して寛容な姿勢を見せるからだろう・・・・・・・」という書き出しで始まる。勘八郎は、一人娘の小夜に、いずれ然るべき婿養子を迎えて跡を継がせるつもりであった。市井の人々には勘八郎の人気は高かったが、若い同心の中には面と向かって異を唱える者もいた。同じ北町奉行所の臨時廻り同心の嫡男、岡部主馬もその1人であった。主馬は文武に優れた若者で、彼の言うことは筋道が通っていて決して間違いがないのだが、その若さゆえの潔癖性が、勘八郎にとってはやり難いこと夥しいのであった。 主馬は岡部家の嫡男、小夜はいずれ婿を迎え、為後家を継ぐ身・・・。そんなお家の事情があるにもかかわらず、あろうことか小夜は密かに主馬を慕っていた。この小説は、「その角を曲がって」「犬嫌い」「魚棄てる女」「松風」「銀の雨」の五つの短編集の形をとっています。夫々の事件と、そこに登場する様々な人々を絡めて、小夜と主馬の恋の紆余曲折を描き、最後の「銀の雨」で完結する物語。勘八郎は定(町)廻り同心、主馬の父、岡部主水は臨時廻り同心・・・。違いが気になって調べてみました。☆同心とは?Wikipediaによりますと、「当初は、定廻り同心だけであったが、のちに、臨時廻り同心、隠密同心が加わり、三廻り同心と呼ばれた。人数は、北町奉行所、南町奉行、夫々に、定廻り同心6名、臨時廻り同心6名、隠密同心2名。合計28名。臨時廻りには定廻りを長年勤めた者が就き、定廻りの補佐・指導が主な役目である。隠密廻りは他の三廻とは違って変装して江戸市中を廻り、そこで集めた町の風説を町奉行に報告するなどの諜報活動を行った」のだそうです。上記は、Wikipedia 「三廻り」を参考、要約させて頂きました。
2016.07.24
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☆深川恋物語・宇江佐真理・1997年9月30日 第1刷発行・発行所:(株)集英社・第21回吉川英治文学新人賞受賞作1.下駄屋おけい〈大店の娘、おけいの恋〉深川佐賀町で太物(*)を扱う大店、伊豆屋の娘‘おけい’は、伊豆屋のはす向かいに店を構える、小商いの履物屋「下駄清」の一人息子、巳之吉を「あんちゃん」といい慕っていた。その巳之吉が、女に騙されてお店の金を15両も持ち出して行方をくらました。けいは、巳之吉がいなくなって初めて自分の思いに気付いた。今更家にも戻れない巳之吉は、下駄清のベテラン職人、彦七の元で下駄作りの修行をしていた。それを知ったけいは、一旦承知した浅草の履物問屋との縁組を断り、これまでのように暮らしに余裕は無いのは承知で、巳之吉と生きる道を選んだ。(*太物=和服用の織物の呼称の一つで、絹に比ラベて糸の太い、木綿や麻織物のこと)2.がたくり橋は渡らない〈若い花火職人、信次の失恋〉年老いた母親のことが気がかりで返事を渋る‘おてる’を説き伏せ、信次はいずれ所帯をもつ約束をさせた。てるの母親が床につき、看病のため仕事を休みがちになり、月の実入りも少なくなった。薬代ばかり嵩み、おてるはついに、さる商家の主人の世話になることを決心した。諦めきれず、未練が若い信次を苦しめた。おてるを刺して自分も死のうと思い詰め、匕首を懐に忍ばせ、凍えるような寒さのなか、おてるの家の前で帰りを待っていた。そんな信次の気配を察した隣家の錺(かざり)職人夫婦は、彼を家に入れ、ただただ自分たちの身の上話を語った・・・。信次を諌めた訳でもない・・・。けれど、二人の優しさが信次の心を揺さぶり、我に返った信次の頭に、翌年打ち上げようと考えていた「虹色発光」のことが浮かんだ。大川の川開きの日。舟に載せた、打ち上げ花火の木筒の中には、信次が作った「虹色発光」の二尺玉が込められていた。「信、火を点けろ」の声に、火の点いた‘つけ木’を筒の中に放り入れ、艫先に身を寄せる。‘虎の尾’がうねうねと頭上に昇って弾けたが、そこからは開いた形が分からない。白い光が弾けた瞬間、紅の色が微かに見えただけだった彼の耳に、観衆が思わず上げた「おお」という感嘆の声が聞こえた。ざわざわと首から悪寒とも感動ともつかないものがせり上がった。「いただきやした・・・」思わず両の拳を胸元であわせ、静かに目の上まで差し上げた。信次、21才の夏だった。3.凧、凧、揚がれ凧師、末松は大の子供好き。凧づくりを教えた近所の子供達との長年の交流を描いた話。4.さびしい水音大工の佐吉。子供の頃から好きだった絵が評判を呼び、一時は売れっ子絵師になった女房おしん。子供に恵まれなかった夫婦の、出会いと別れ。5.仙台堀6.狐拳・竹次郎=材木問屋、信州屋の主・おりん=竹次郎の後妻、元深川の芸者鶴次・新助=竹次郎の連れ子・小扇(ふく)=吉原の半籬、大黒屋の振袖新造。・清二=竹次郎、おりんの息子*振袖新造=花魁の世話を焼く番頭新造の妹格の新造材木問屋、信州屋の後妻‘おりん’には、竹次郎の連れ子である新助と、二人の間に生まれた清二という2人の息子がいた。元深川の芸者だった おりんには、もう一人、芸者だった頃に生み、子のない夫婦に養女に出した‘おふく’という娘がいた。おりんが3才から愛情を注いで育てた新助が、吉原の振袖新造‘小扇’に惚れた。反対するおりんに、父親の竹次郎は、小扇を身請けして新助と一緒にさせるつもりだと告げた。商家の嫁になるには色々と覚えておかなければならないと、落籍させてからしばらくは間に入ってもらった鳶職の徳蔵の家に預けることにした。ところが、思いが叶って嬉しいはずの新助の表情が浮かない。問い詰めたおりんに、新助は「小扇は自分の女房になりたくない。女中か駄目なら妾にしてほしい」と言っていると答え、それ以上は何も喋らない・・・。怒りを胸に徳蔵の家を訪ね、小扇に会いに行ったおりんだったが、小扇がかつて自分が手放した娘の‘おふく’だったと知り、何もかも合点がいった。今頃は嫁に行って幸せに暮らしているものと思っていた、忘れたはずの娘だったのだ・・・。信州屋に嫁いでから、仲立ちをしてくれた人を訪れることもなく、おふくのその後を知らなかった・・・。おりんは頭の中が混乱したまま船着き場に向かったが、冷や汗が絶え間なく流れ、目まいも治らない。やっと信州屋の看板が見えた時、気を失って倒れた・・・。2日間眠り続け、やっと目を覚ましたおりんを、竹次郎は「何も心配しなくてよい」と優しく制した。そして、小扇は家にいて、ずっとおりんの看病をしていたのだと話した。何もかも承知の竹次郎は「小扇の祝言の衣装を任せるから、良いものを見繕ってやりなさい。これもご先祖様のお引き合わせだ」というと、仏間に入って行き、鉦を鳴らして手を合わせた。おふく(小扇)は、新助にはこちらに来てから初めて事情を話したと言う。ほんとにこのままで良いのかと問う おふくに、りんは「よろしいもよろしくないもお前次第さ。新助と上手くいかないとなったら、わっちと一緒にこの家を出るしかない。ただの嫁ではない。わっちの娘だもの・・・」涙に咽ぶおふくに「嫌だねぇ、泣き虫は・・・」というおりんの目にも膨れ上がるような涙が浮かんでいた。
2016.07.21
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☆悲嘆の門 上下・宮部みゆき・発行所 :毎日新聞社・発行日:2015年1月20日☆ 主な登場人物とあらすじ♣︎三島孝太郎 都内にある大学の1年生。(株)クマーでアルバイトをしている。家族は、父と母、妹の一美(高校生)♣︎美香=隣の家に住む一美の友達(高校生)♣︎都築茂典=元警察官♣︎ガラ(女戦士)=始源の大鐘楼の守護戦士。*始源=言葉の生まれ出ずる領域(リージョン)*(株)クマー = サイバーパトロールをしている会社5才の女の子は、瀕死の母親と住むアパートの窓から、灯りの点かないビルの屋上にある怪物を見ていた。今は使われていないそのビルから、10mくらい離れた家に住む老婦人は、最近 その怪物が一夜明けると向きが変わっていると言う。調べて欲しいと頼まれた元刑事の都築が、そのビルの屋上に上がると、元々屋上に有った怪物(ガーゴイル)の像は粉々に壊されていた。そこにあったのは、異界の魔物「ガラ」が化けた別の怪物だった。老婦人が見ていたのは、夜な夜な飛び回り、昼は羽をたたみ怪物に化けて居座るガラの姿だった。ガラは、罪を犯して〈無名の地〉へ追放された息子を連れ戻そうとしていた。〈無名の地〉へ入るためには、〈悲嘆の門〉の門番を倒さなければならない。その為には、武器である大鎌を鍛えなければならない。大鎌は、人々の〈渇望〉を吸い込み、美しさと強度を増して進化する。ガラは自らの大鎌を鍛えるために、人間の世界へやってきたのだった。・・・・・中略・・・・・茶筒ビルの屋上に上がり込んだ幸太郎と都築は、ガラという魔物に遭遇して魅入られ、ガラの力を借りている積りが、いつの間にかガラに操られていた・・・。幸太郎は誘拐された美香を救うために、犯人を殺してしまった。罪を犯した自分はこの世で生きていけないと、彼はガラと共に無名の地へ行く道を選んだ。ガラは、自らの息子を救い出すために大鎌を鍛えただけで無く、息子の大罪を取り返す代償に、幸太郎を身代わりとして差し出した。幸太郎は騙されていたのだ。ガラは悲嘆の門の傍に佇み、我が息子、戦士オーゾの解放の時を待っていた。だが現れたオーゾは「あなたは欺瞞を操り、人の子をこの地に導いた。それは過ちです・・・」といい、「私がこの地で無になりましょう。自ら進んで、己の咎を負うのです。ほんのひととき外界を見た代償に・・・」といい、去っていった。〈無名の地〉に囚われた幸太郎は逃げ出そうともがくが、足が動かない。身体が動かない。手足の感覚がなく、もうぼんやりとしか感じない・・・。どこかで鎖が巻き上げられる音がして、唐突に終わりが来た。闇の中へ放り出された幸太郎は落ちていく。沈んで行く・・・。深い深い闇の中へ・・・。そして幸太郎は見た。悲嘆の門に不動の閂として固定されている、全身が石と化したガラの姿を・・・。現実の世界に放り出された幸太郎は、鼻血を出して公園のコンクリの上に倒れていた。意識が戻った幸太郎は、時間が戻っていることを知った。彼が罪を犯す前の時間に・・・。
2016.07.14
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☆通りゃんせ・宇江佐真理(うえざ まり)・角川書店・平成22年10月5日 初版発行・初出/「野生時代」2008年6、9、12月号、2009年3、6、9、12月号北海道の大学を出た大森 連は、地元のスポーツ用品メーカーに就職。入社3年目に東京勤務となる。ある日、マウンテンバイクで小仏峠を越えたところで道に迷ってしまった。方向を見失った連は、明神滝の裏側に迷い込み、深い穴に落ちて気を失った。気がついたところは黴くさい匂いがする農家の様な家の中だった。台所の床は赤土の土間で、雑誌でしか見た事がない竃(かまど)が設えてあり、おまけに電灯らしき物も見当たらない・・・。そこは、江戸時代末期の武蔵国中郡中郡青畑村だった。明神滝に近い観音さまの社の樹の陰で倒れていたところを、 時次郎、さな兄妹に助けられたのだという。時は天明6年(西暦1786年)、その年の青畑村は梅雨が明けても雨が降り続き、川は氾濫、稲は実らず、年貢米を納められない百姓の中には、厳しい取り立てに田畑を捨てて逃げる者が続出した。連は、まさに天明の飢饉の最中にタイムスリップしたのだった・・・。(以下略)♣︎宇江佐真理1949年北海道函館市うまれ。函館大谷女子短期大学卒業。1995年「幻の声」でオール読物新人賞を受賞し、デビュー。2000年「深川恋物語」で吉川英治文学新人賞。2001年「余寒の雪」で中山義秀文学賞。人情味溢れる市井物を中心に幅広く時代小説を手がけている。2015年11月7日、死去(66歳)最後の作品は「うめ婆行状記」(朝日新聞連載)♧その他の作品Roadside Library( kyoshi 様)→ 宇江佐真理 著書リスト
2016.07.02
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せ☆ 深紅・野沢 尚・講談社文庫・2003年12月15日 第1刷発行 2016年 2月 1日 第30刷発行・第22回吉川英治文学新人賞 受賞作品秋葉奏子は、小学6年生のとき、父に恨みを持つ男に両親と幼い弟2人を惨殺された。修学旅行中で家にいなかった奏子だけが一人生き残った。犯人、都築則夫には奏子と同じ年の未歩という娘がいた。自分だけ幸せであってはいけないと思う奏子。殺人犯の娘という十字架を背負って来た未歩。事件から8年たち大学生になっていた奏子は偽名を使って未歩に近づいた。未歩に暴力を振るう夫の殺害を唆し、頼まれれて協力しつつも、やはり最後には思いとどまらせる。
2016.06.22
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☆人魚の眠る家・東野圭吾・幻冬舎・2015年11月20日 第1刷発行♧あらすじ小学校からの帰りにその家の前を通る時、「お屋敷」というのはこういう家のことをいうんだろうなと、宗吾はよく思った。門の扉には綺麗な模様が透し彫りにされている。風が強いある日、被っていた帽子が風に飛ばされ塀を越えていってしまった。その日に限って、いつも固く閉じている門の扉が、どうぞとでもいうように少し開いていた。屋敷の壁際に落ちた帽子をひろい、直ぐそばにあった窓から中を覗くと、赤いセーターを着た女の子が車椅子に座って眠っていた。年頃は宗吾と同じくらい、白い頬にピンクの唇、長い睫・・・。その日以来、女の子のことが頭から離れなくなった。別居中の、播磨和昌、薫子夫妻は、長女瑞穂の有名私立小学校受験がひと段落した段階で離婚届を出すことになっていた。その電話は、お受験のための両親の面接の予行演習中にかかってきた。 瑞穂がプールで溺れたという。脳神経外科の医師は、病院に到着するまで心臓が停止、血液の供給が絶たれたため、脳がかなりの損傷を受けており機能している気配は確認できず、意識が戻らないかもしれない。現在の状況は、回復を願っての治療ではなく、延命措置だという。更に医師は、臓器移植コーディネーターとしての話をさせて頂く、と前置きして、脳死が確定した場合、臓器提供の意思があるかと尋ねた。日本の法律では、承諾した場合は脳死判定が行われ、確認されればその人は死んだと判定され、臓器移植が行われる。断った場合は、いずれ訪れる死期をただ待つ、ということになる。これは、世界でも特殊な法律で、他の多くの国では脳死を人の死だと認めており、脳死が確認された段階で、たとえ心臓が動いていたとしても、すべての治療は打ち切られる。延命措置が施されるのは、臓器提供を表明した場合のみである。ところが我が国の場合はそこまで国民の理解が得られていないため、臓器提供を承諾しない場合は、心臓死をもって死とするとされている。お嬢さんの場合、どのような形で送り出すか、心臓死か脳死か、それを選ぶ権利があるという。悩みに悩んだ末、二人は瑞穂が人のことを思いやる優しい子だったことを思い、一旦承諾の意思を固めた。だが弟の生人の「オネエチャン」という呼びかけに、和昌は自分の手の中で瑞穂の手がぴくりと動いたように感じ、それが薫子にも感じられたのだ・・・。「瑞穂は生きている」という薫子の強い思いで、臓器移植は見送られた。播磨和昌が経営するハリマテクスは、脳と機械とを信号によって繋ぐことで、人間の生活を大きく改善しようという研究を進めていた。同様の研究に取り組んでいる企業や大学の中では、ハリマテクスは一歩先を進んでいた。事故から間もなく2ヶ月、病院側の驚きをよそに、瑞穂の心臓は動き続けている。12月に入って間もなく、AIBS(横隔膜ペースメーカー)の埋め込み手術が行われ、事故以来、瑞穂の口に挿入されたままだった呼吸器のチューブが外された。やがて、瑞穂の在宅介護が始まり、薫子と祖母の千鶴子が、二人がかりでケアに当たった。在宅介護が始まって1ヶ月、瑞穂と一緒に暮らせる喜びは、ともすれば不安でくじけそうになる、薫子の心を強く支えてくれた。けれど、毛布の中の瑞穂の腕はマシュマロのように柔らかく、筋肉はどんどん落ちていった。そんなある日、和昌がハリマテクスの星野という社員を連れてやって来た。彼の研究テーマは、脳の信号を筋肉に送ることで、その人自身の手足を動かせるようにするということだった。星野による説明に続き、和昌はこの研究の2つのテーマを付け加えた。1つは被験者本人に足を動かす気はないのに、足が勝手に動いていること。もう1つは身体に一切傷を負わせていないことだという。磁気刺激装置は単なるコイルで、それを脊髄に沿って複数個のコイルを並べ、それぞれに信号を送るようにすれば、全身の様々な筋肉を動かすことも可能だというのだ。やがて、薬剤を投与しなくても、徐々に瑞穂の筋力はつき、身体は成長を続け、体温調節ができるようになっていった。薫子は、娘の寝顔を見つめながら呟いた。ある日奇跡が起きて瑞穂が目を覚ました時、自分の力でしっかりと起き上がり、立ち、歩けるようになっていたら、きっと本人が一番嬉しいに違いない。その日が来るまで、ママは頑張るからね。薫子自身は、誰になんと言われようと、瑞穂の身体の機能の変化に喜びを感じていた。けれど、それと同時に、日本では子供の臓器提供者がないため、アメリカでの心臓の移植手術を待ちながら亡くなった女の子のことも知っていた。瑞穂の弟の生人は学校で、瑞穂のことを気持ちが悪いと言われ深く傷ついていた。事故があったあの日以来、プールへ一緒に行った祖母の千鶴子、叔母の美晴、従姉妹の若葉。それぞれがそれぞれの深い悩みを抱え続けていた。和昌は今の状態を続けることに悩みはじめていた。機械的に娘の手足を動かすことになんの意味があるのか、そして物事には潮時があるのではないかと・・・。あの日、まだ小学校入学前だった瑞穂が、間もなく4年生になるという3月31日の夜、いつものように瑞穂の部屋で眠っていた薫子は、誰かに呼ばれたような気がして目が覚めた。すぐそばに瑞穂が立っているのを感じた。瑞穂が話しかけてくる声は聞こえなかったが、心に伝わってきた。ママ、ありがとう。今までありがとう。しあわせだったよ。とっても幸せだった。ありがとう。本当にありがとう。お別れの時だ、と薫子は悟った。「もう行くの?」という問いに、うん、と瑞穂は答えた。さようなら。ママ元気でね。さようなら、と薫子も呟いた。その直後、ふっと瑞穂の気配が消え、何もなくなった。瑞穂の身体に近づくと、すべてのバイタルサインの値が悪化を示し始めており、その後も好転する様子はなかった。薫子と和昌に迷いはなく、臓器移植の手続きが進められた。3年数ヶ月生き続けた瑞穂の内臓は、脳死判定が確定した翌日、幾つかの臓器が摘出された。病院の医師たちの間で「奇跡の子供」と呼ばれていた瑞穂は旅立った。瑞穂の身体から心臓も摘出され、どこかの子供に移植された。医師の問いに、和昌は心臓が止まった時が瑞穂が死んだ時だと思うと答えた。すると医師は言った。「だったら、あなたにとってお嬢さんはまだ生きていることになる。この世界のどこかで彼女の心臓は動いているわけですから」・エピローグ3年数ヶ月前、生まれつき心臓に異常があり、心臓移植しか助かる道はないと診断された宗吾だが、とてつもない費用がかかるうえ、宗吾の体力では長旅は危険だった。死を覚悟する毎日だったある日、奇跡が起きた。ドナーが現れたのだ。手術から3ヶ月後、退院した宗吾はどうしても行ってみたいところが有った。自宅の近くで車を降りた宗吾が向かったのは、あの「お屋敷」だった。美しい少女が車椅子で眠っていたあの家だ。なぜか、手術を受けて以来、何度もあの屋敷が夢に出てくるのだった。そして、宗吾を呼んでいるような気がした。だがー。行ってみると屋敷はなくなっていた。建物も塀も門も消え、空き地になっていた。
2016.06.21
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☆不祥事・池井戸潤・実業の日本社・Jノベル・コレクション、2014年4月10日/初版第1刷発行( 単行本、2004年8月 実業の日本社刊 )日本テレビ系でドラマ化された「花咲舞は黙ってない!」の原作。TVドラマは「不祥事」の他『銀行総務特命』『銀行狐』『銀行仕置人』『仇敵』シリーズなどの短編がとりいれられている(Wikipedia参照)♣︎主な登場人物・相馬 健東京第一銀行事務部相談役。かつては優秀な融資係として名を馳せたが、栄転先の副支店長とぶつかったことから目の敵にされ、次の転勤では意に添わぬ営業課に回されたという屈辱の過去を持つ。あれから5年、東京駅前にある東京第一銀行10階にある相馬のデスクからは、八重洲側の街並みが見える。出世競争からは落ちこぼれたが、念願叶って本部調査役の椅子に座った相馬の胸には晴れやかな気分が広がっていた。相馬の肩書きは、詳しくいうと事務部事務管理グループ調査役。営業課の事務処理に問題を抱える支店を個別に指導し、解決に導くのが主な仕事。・花咲 舞3ヶ月前まで代々木支店で相馬の部下だった女子行員。相馬に言わせると「上司を上司とも思わないどうしようもないはねっ返りで、絶えずひやひやさせられた」とのこと。事務部部長の辛島伸二郎に言わせると「臨店指導で女子行員たちの意見をもっと聞き出せる体制を作るために選抜されたエリートテラー」だという。・真藤 毅東京第一銀行 企画部長兼執行役員。将来の頭取候補。1.激選区(自由ヶ丘支店の巻)事務過誤が頻発している自由ヶ丘支店で三千万円の誤払いが起きた。犯人は盗み出した通帳と印鑑を使い現金を引き出した。窓口で応対した内村薫が、払出請求書に記載された住所が間違っていたことに気が付かなかった事務ミスが原因だという。通常は必ず免許証の提示を求める筈のベテランの彼女が、その日に限ってそれを怠り健康保険証だったというミスも重なった。ベテラン女子行員が次々と退職した理由を問いただした舞に、薫の上司である中西課長は「大した仕事もしていないベテランは、余計なコストがかかるだけだ」と答えた。閉店直後の営業室での、薫の水際だった仕事ぶりを見るにつけ、舞には彼女が誤払いなどというミスをおこすとは思えなかった。もしかしたら、彼女は中西課長にもその判断ミスの責任を負わせることで、銀行に一矢を報いようとした・・・。それがこの誤払いの真相ではないのか。内村薫が本当に戦っているものが何なのか、そのことに気がついたとき、舞ははじめて彼女の態度を理解できた気がした・・・。2.三番窓口(神戸支店の巻)奔放なバーの女に溺れ愛人にした一流企業のサラリーマン。やがて妻に知られるところとなり、別れ話を切り出した途端、女の情夫は法外な慰謝料を要求してきた。銀行に申し込んでいたローンは既に否認されており、3000万円となるとサラ金からも簡単に借りられるものではない。これは銀行でも襲うしかないか-----自嘲気味にそんな冗談を思い浮かべてみた男の胸に、ある考えが浮かんだ・・・。仲間選びさえ間違わなければ、あとはそう難しいことではない。頭の中でおおよその概略が出来上がったとき、男の気持ちは既に固まっていた。男の名は紀本肇。自らの勤務先の銀行を使っての綱渡りのような企てだったが、上手くすれば仲間それぞれに3000万円が転がり込む。彼が周到に企てた筈の、送金のタイムラグを悪用しようとした詐欺は、店頭に座った舞に見抜かれ、脆くも潰えた・・・。「金田さん、こちらへお連れしてください。その方、紀本副支店長のお友達のようですから」その時、逃げようとした一味の男の腕を掴んだフロア案内の男性に呼びかける舞の声がした。3.腐魚東京第一銀行 役員応接室で、真藤毅は深々と腰を折り、愛想笑いを浮かべていた。相手は、業界の雄と言われる老舗の伊丹百貨店のオーナー社長、伊丹清吾。伊丹百貨店は、現在赤坂駅近くに新しく開発した土地に、支店を含む三億円を超える一大プロジェクトを計画していた。そのプロジェクトの主力銀行に何が何でもなりたい真藤と、資金調達を有利に進めたい伊丹の駆け引きの真っ最中だった。(新宿支店の巻)次の臨店先の新宿支店は、事務量が半端ではない多さと、予想外の退職者が出たための極端なオーバーワークが続いた結果、事務ミスが続いていた。新宿支店は、伊丹百貨店社長の長男、伊丹清一郎の勤務地でもあった。その清一郎が個人的な逆恨みから、彼が融資を担当している幸田産業を倒産に追い込もうとしたのだ。不審に思った相馬と舞の調べにより、清一郎が独断で稟議書を上に上げず放置したことが原因だと判明、東京第一銀行だけでなく他行からの融資を受けようにも間に合わない。このままだと幸田産業は5000万円近い不渡りを出し倒産は免れない・・・。必死に資金調達して来たであろう幸田が5000万円を持って時間ギリギリに駆け込んできた。ひとまず倒産は免れたと皆が思ったそのとき、それまで全く連絡が取れなかった伊丹清一郎が裏口からひょっこりと入って来たのだ。呼びとめる声も無視してそのまま階段を上ろうとする清一郎の腕を掴むと、舞は強引に引っ張った。「幸田さんの稟議を出したかって聞いてるの。当行は融資を見送る場合も支店長決済がいる。そのくらい、君だって知っているでしょう」「なに固いこといっているんですか。そんなこといっていたらうちらの仕事、回らなく---」清一郎の頬が鳴り、言葉は途中で途切れた。騒ぎを聞きつけて駆けつけた羽田融資課長に向かって、心強い味方を得たとばかりにぱっと顔を輝かせ「か、課長、聞いてくださいよ。この人--」といいかけた伊丹の顔面を羽田の拳がとらえた。信じられないものでも見ている目で見上げる清一郎を睨みつけてから、羽田は幸田に詫び「お許しいただけるなら今からでも当行で支援させていただきたいのですが・・・」と、応接室へ案内して行った。羽田の後ろ姿を見送りながら、相馬が舞をつついた。「ほらみろ。こんなアホ御曹司にかき回されるほど、うちはおちぶれちゃいないだろ。腐っても鯛だ」4.主任検査官(武蔵小杉支店の巻)武蔵小杉支店への臨店予定日と金融庁の検査が重なった。理不尽な札付き検査官をやっつけた話。5.荒磯の子伊丹百貨店の伊丹社長が、突然真藤を訪ねて来た。息子が課長に殴られ、取引先の前で本部から来た人間に侮辱されたことへの抗議に来たのだった。平身低頭で30分間謝り続けた真藤の怒りの矛先は臨店チームに向かう。(蒲田支店の巻)そんな真藤と、理由はどうあれ紀本副支店長を破滅させたことを苦々しく思う男たちが、相馬との臨店チームに仕返しをしてやろうと企んだ。臨店ではなく、多忙な蒲田支店の欠員補充のためという名目で2人を送り込んだのだ。ところが皮肉なことに、舞に根を上げさせようと罠を仕掛けた筈が易々とクリアされ、逆に舞の有能さを思い知らされる結果となった。開設屋にまんまと手形帳と小切手帳を騙し取られるところを、相馬と舞の働きで救われたのだ。(開設屋=銀行を騙して当座預金を開設し、入手した手形や小切手帳と一緒に転売してしまう連中のこと。詐欺師の一種)6.過払い(原宿支店の巻)入行10年目のベテランテラーの中島聡子が100万円の過払いをしてしまった。当初は単純なミスかと思われた。疑問に思って彼女の口座の出入金明細を調べた舞は、幾つかの発見をした。そこに、3ヶ月前から始まった信じられない数字の動きを発見したのだった。堅実で聡明で誠実な人という印象の彼女を、何が狂わせたのか・・・。7.彼岸花真藤のところに真っ赤な彼岸花の花束が届いた。差出人の名前は川野直秀。元東京第一銀行の行員だった彼は早期退職したあと自殺していた。一体 誰が何のために送ってきたのか・・・。8.不祥事伊丹百貨店の全従業員、約9000人分の給与データが紛失した。それはまさに、東京第一銀行の信頼を根底から揺るがす、前代未聞の不祥事といってよかった。行員たちの必死の捜索にも関わらず見つからなかったそれが、渋谷駅構内で発見された。紛失した時のままの黒いボックスに入れられて渋谷駅構内にあるゴミ箱の上に放置されていたという。紛失した日に営業第二部を訪問した来客をピックアップしていた舞の指がノートの真ん中辺りで止まった。のぞき込んだ相馬は「はあ?」という素っ頓狂な声を上げた。そこには思いもかけない清一郎の名前があったのだ。☆ノベルズ版あとがき・池井戸 潤2004年8月に単行本の初版が出てから10年たち、作者ご本人が書いたあとがきが面白い。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・☆読み終わって・・・。この作品は珍しくテレビドラマを先に見ました。現実にはこんなに上手くいく筈が無いと思いつつも、ドラマも小説も痛快でした(笑)花咲舞の配役は杏さんをイメージして書いたのでは無いかと思えるほどドンピシャ! また、相馬調査役の上川隆也さん、真藤部長の生瀬勝久さんもぴったり!本はあっという間に読み終わりましたが、あらすじと読後感の方がずっと時間がかかってしまいました f^_^;)次回からはもっと簡略化しようと思っています。
2016.03.29
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