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下 駄 好 き の 男 ああ~いい音だなあ~ 秋の爽やかな道に男の音色が聞こえる カランコロンというのかどういうのか 音の表現はむずかしいのであるが・・・ 音色が日本の男の優雅さや風流を奏でている 物静かな男だが散歩のときは必ず下駄をはく男 下駄に素足でカランコロンと歩いている いまどき下駄をはいて歩く男なんて珍しいから 妙にその男の風袋が気になるのである こっそり覗き見をすればなんともいい男だ これど日本男児ではないかと思うほどの 男らしい清冽な印象の素敵な男だった そんな男がカランコロンと下駄をならして 歩くのだからこれはさまになっている 日本男児ここにありというように 下駄をはいた男が散歩する ああ~いい音だなあ~ 下駄の音色に心ひかれて・・・ 下駄好きの男に惚れた運動靴の男がいた
2008年10月31日
蝶の日記☆ 紋 黄 蝶 を 見 た ☆ずいぶんと蝶の日記は書いていない。久しぶりに蝶のことを書くことになった。なぜ書くことになったのか・・・紋黄蝶を見たからである。昼過ぎに一匹の黄色い蝶が目の前をひらひらと飛ぶのを見た。これは生まれて間もない蝶かも・・・黄色い羽根が新鮮であった。やはり蝶を見ると心が洗われる””美しい秋の蝶に心が奪われて・・・紋黄蝶の舞う姿をじっと見ていた。しかし僕は少し悲しさもあった。花が咲いていないからである。秋に咲く花も結構多いのに花ひとつない所で蝶が舞う・・・一匹だけの紋黄蝶の舞になぜかとても寂しさを覚えたのだった。
2008年10月30日
スキンヘッド物語☆ 散 髪 を し た ☆仕事が終わってから同僚に散髪に行くといったら「文楽さん””まだ行くほどでもないよ””」といわれた。僕は同僚のいうことには耳もかさずに散髪屋にいった。「いつもの通りでいいですね」もう何回も散髪をしているから散髪屋さんもよくわかっているのである。「はい””いつものでお願いします」というとだまって頭にハサミをいれだした。散髪屋さんと僕の会話はほとんどない。30分ほどの散髪で1600円!!散髪も安いからいいよなあ~
2008年10月30日
ラ ジ オ の 女 美しい日本語はラジオにあった みなさんおはようございます きょうも一日よい日でありますように・・・ みなさんそれではご機嫌よう~ みなさんそれではさようなら~ 女のあたたかい声が聞こえると その言葉にほっとするのだった 美しい日本語の語りがそこにある ラジオの女の声に日本語の すばらしさを知るのであった ごきげんよう・さようなら
2008年10月26日
秋 に 恋 す る 女 秋というのは実りの季節である 紅葉が山々を絶景にそめる 栗や梨や蜜柑や林檎が実る そんな秋の季節をうれしく思う 秋の季節がなかったらどうでしょう 夏から一気に冬になったら・・・ 喜びやうれしさは半減するでしょう 私は秋という季節に恋をしています 秋が女を輝かせてくれるからです 何が女を輝かせるのでしょう それは月であり星であり詩であり 歌であり絵であり女の恋である 恋する女が秋が好きだといった 秋が女を輝かせるからである 恋が色ずき実るのも秋という 季節であるからである
2008年10月26日
☆ 唐 招 提 寺 & 薬 師 寺 を 訪 ね て ☆2008年10月26日きょうは一日雨の日であった。雨の日といっても大雨ではない。小雨であって傘がいったりいらなかったり・・・奈良の唐招提寺&薬師寺を訪ねた。唐招提寺に先に行きそのあと薬師寺を訪ねた。雨であったが記念に残る一日となった。
2008年10月26日
棺 お け に 乗 っ た 男 まるでそれは疾走する獣のようだった 雨が降っても狂気のごとくうなりをあげて 濡れた夜道を疾走する男であった あいつは恐ろしい奴だと誰もが言った これは現代文明がもたらした弊害である 誰もが遊興の道具と考えているから 男は快感を求め爆走するのであった こんな男の乗る車はいずれは棺おけだろうね 早く棺おけの中で死ねばいいんだ!! 爆走を見ていた人々は口々にそういった 若さというのは自制がきかないからなあ~ そういった時疾走していた獣はガ~ンと 大きな音をたて側壁にぶつかった 救急車が到着したが時すでに遅く獣は 車の運転席で仰向けになって死んでいた 棺おけに乗った男の死はあっけなかった 親から授かった命を粗末にして可哀想に・・・ こんな死に方でないと死ねないなんてなあ・・・ 男の爆走をなぜ止められなかったのか? 尊い命を棺おけの中で死ねばいいだなんて そうといった口惜しさが人々の周囲に漂った 誰も止めることができなかったことの空しさが さらに男の死を悲哀にさせた
2008年10月22日
都 会 で 暮 ら す 男 都会というのは男を暗黒に落とし入れるか 男を飛翔させるかの二つに一つの世界である ある者は暗黒の世界で生きる ある者は飛翔の世界で生きる 落ちぶれて夢のない汚れた手で 煙草の吸殻を拾って生きる男 仕事もせずに路上で生活をしている 雑踏にもまれながらも自分を磨き さらなる飛躍をはかる男 いい車に乗りいい家に住んでいる 男を堕落させるのが都会であり 夢を叶えるのもまた都会である どういう生活をして暮らすのか それを考えてみたときに・・・ シンプルに清潔に生きることが 都会で暮らす秘訣ではないだろうか 贅沢や見栄にきっぱりおさらばをして 酒は付き合い程度で煙草は吸わず・・・ 要は身分相応の暮らしをすることである 都会暮らしをいつまで続ける? 男はシンプルな生活をしている 贅沢することもなく見栄もはらずに 自分なりの都会生活を楽しんでいる この調子だと死ぬまで都会生活だよ”” そういって歩道を颯爽と歩く男がいる その男の歩く道にはボサボサの長い髪に 汚れた服をまとい不潔な体で路上に 座っている虚ろな目の男がいる 飛翔の世界で生きる男と 暗黒の世界で生きる男 男にとっての二つの世界 都会で暮らすなら誰だって 飛翔の世界を望むのだが・・・
2008年10月20日
暁 に 立 つ 男 星はまだ残っている 夕暮れのような淋しい波が押し寄せる 男は日本列島最南端串本の潮岬にいる この国は世界に誇れる国だと思う 私も世界に誇れるような男になりたい 世界遺産「 熊野古道 」のある紀の国で 男は雄大な熊野灘を望みながら・・・ さまざまな感慨にふけるのだった 自分の生きてきた人生のことを・・・ なぜ自分は生きているのだろうか・・・ 何をもってこれからの人生を生きるのか 人生のクライマックスはこれからだ”” 心の中には夢と希望が渦まいている 明日を信じて海をみつめる男の顔は 凛として精気にあふれている 星はいつの間にか消え天空は 淡い紅色に変わりつつあった 潮岬に上る燃えるような朝日が男をつつむ 真っ赤に染まる天も海も・・・ これが日本を照らす太陽なのか・・・ 男の心の中にも大きな陽が上る 日本列島最南端に立つ男の太陽であった
2008年10月19日
あ の 世 の 女 あの世には何人の女がいるのだろう あの女もいた あの女もいた あの女もいた 数えきれないあの世の女の群れ 歴史に名を残した女 今も愛される女 憧れの女 逢いたい女 美しい女 名も知らぬ女 無名の女 ・・・ 女の群れは過去から未来へとつづく 切れることなく絶えることなく帯となり波となり あの世のにおいて永遠の旅をつづける 今日も一人の美しい女があの世に旅立った あの世において永遠に眠れる旅の女になった
2008年10月17日
ど こ か へ 行 く 女 女は美しい化粧をして歩いている ファッショナブルな服装で颯爽として 堂々とした身のこなしで歩いている 男たちは女に聞いた どこへ行くんだ!! 女は何もいわずウインクするだけで 男にはわき目もふらず歩いている 男より強くなった女は一人で生きる かっこよく自由にマイペースで貪欲に 行動力も知識も見識も男より上になった 男たちは女に聞いた どこへ行くんだ!! どこかへ行く女は男を無視した 男よりもっと欲しいものがある そんな目つきをして歩いている 男より魅力があるものを探して どこかへ行く女が歩いている
2008年10月17日
俳句1万句の旅☆ 秋風にやわらかき影ありしかな ☆ 季語:秋の風
2008年10月17日
十 五 夜 の 女 女は男にメールを送った 今夜は十五夜だからお月さんを見るのよ!! だが若い男は十五夜の月を見ることはなかった 月を見ることなどは忘れてテレビを見たのだ あくる日の早朝に男は白い満月を見た 大根の月といったのは作家の向田邦子だったが・・・ それはまるで大根を輪切りにしたようだった これは昨日の夜と同じ月だと男は思った 男に着信メールがあった 「昨日は十五夜のお月さん見ましたか? 兎は何見てはねるか知っている?」 男は女にメールを送った 「十五夜のお月さんは見なかったよ!! 翌朝に白い真ん丸い月は見たけれど・・・ 兎が何見てはねるだって知らないなあ~ お月見という催事を知っている母と お月見を知らない息子のメール”” 若い男にはお月見なんてどうでもよかった 女は十五夜の見事な月を想っている 縁側で家族そろってお月見をした子供の頃”” 煌々と輝くまん丸いお月さんの明かりが 庭一面を照らした遠い日のことを・・・
2008年10月15日
バ イ バ イ の 女 女は朝と夕方にかならず手をふる にっこりと真っ白い歯を見せてバイバイと手をふる それは元気に行ってきま~すの合図であり 元気で帰りました~という挨拶でもある 部屋では窓越しに喫茶店のマスターが 行きと帰りにバイバイ~と手をふって 少女の無事を見届けている 元気な少女との交流はバイバイである マスターがバイバイと手をふることで 絆は生まれそこにはいつも笑顔がある 今日も元気に学校に行く少女がいる 可愛いらしい笑顔で大きく手を振りながら バイバイ~といった 明るい少女のバイバイ~だった
2008年10月15日
眠 っ て い る 男 眠りはこの世で最大の悦楽である 昼間の労苦から解放されて眠る時ほど 幸せなことはないのではないだろうか 幸せな眠りのなかにあるのは安らかな 吐息だけの男の寝顔である 昼間の雑多な感情は眠ることで消えゆき 無感情のロボットにように眠る男がいる 男の寝顔というのはいいと思いますよ 昼間の強い男より眠っている静かな 寝顔の方がずっといい男だと思うわ!! 眠っている男をじっと見ていた女がいった
2008年10月15日
言葉とはたった一言で勇気を与えるとともにたった一言で悲しませ傷を与えるものである
2008年10月13日
日本の文化や伝統はすばらしく世界の人々に誇れるものである日本文化の素晴らしさを語れる知識や経験が必要である
2008年10月13日
小 説 家 に な り た い 男 毎日思うことは小説家になることである 朝な夕なそれだけを夢に見ている だが現実には小説家にはなれない 夢はあっても小説家としてデビューし 作家としての名を売ることはできない どうすれば小説家としてデビューできるのか 男はいつもそんなことを考えている そしてとうとう自分は作家であるという仮想をもとに 「無名作家記念館」を建ててしまったのである 全財産をはたき6畳一間の部屋が100もある ビルを建てたのである 一部屋のレンタル料金10000円という格安の 値段で全国から応募者を募ったのであった 厳しい基準をくぐりぬけてあっという間に すべての部屋は作家予備軍の部屋で埋まった ジャンル別に100人を全国から選別した 部屋は書いている人のありのままの 現実の姿を無料にて見せることにした どんな部屋で書くことに取り組んでいるのか みんながどんなに作家になりたいのか その情熱が伝わるように部屋の模様を考えた 本棚・書籍・机・椅子・筆記具・ノートなど全員の 希望を聞いて現実の姿を部屋に再現にした 歴史小説・時代小説・推理小説・恋愛小説など それぞれの作家を志す人の小説の世界が ガラス越しにわかるように工夫をこらした 「 無名作家記念館 」のことは一気に知れ渡った 新聞やテレビの取材がひっきりなしに訪れた 小説家になりたくてもなれない無名の作家たち 自分の部屋も含めて100人の男や女の館 誰も住まない無名作家の部屋を見たくて 記念館を訪れる人は年間1千人を超える 無名でありながら記念館という看板のもとで みんな作家になったのだった いつかはこの中から書店に本が並びいずれは 有名な真の作家になる人がでるかも知れない この記念館を建てた小説家になりたい男”” 私もこの部屋を出て早く真の小説家といわれる ような男になりたいと思っています そういって自分の夢をいつかは叶えたいと キラキラとした瞳を輝かせるのだった
2008年10月13日
☆ 奈 良 西 大 寺 ・ 大 茶 盛 ☆晴天である。 暑くもなく寒くもなくとても爽快な一日といえる日であった。13時に西大寺境内案内板前に集合であったが僕は大きな失態をしたのだった!!失態の理由はあえていわないが30分も遅れてしまったのである。あってはならないことで申し訳なかった。遅れたのは自分の責任であり誰の責任でもない。僕は集まった12名の人たちに遅れた理由を説明してわびたのであった。それからは受付で早速3000円の券を買い大茶盛・煎茶席・点心席(そば)・本堂参拝・護摩祈願を行い3時間ほどの行事は終わった。僕は祈願として良縁成就・健康を祈願した。大茶盛は約40センチの茶碗で飲む抹茶である。顔がすっぽりと入るほど大きさであった。はじめての人にはいい体験になったと思うそれからは食事会のため難波まで行った。希望者6名とともにカリスマクラブの人たちに合流し、難波の千房というお好み屋のフルコース料理を楽しんだのだった。カリスマクラブの4名と6名のあわせて10名の食事の団欒となり、何やらかんやらと話がはずんだのだった。フルコースもはじめての料理でおいしかった。食事後は、みんなでコーヒーを飲んで帰った
2008年10月12日
石 を 拾 う 女 石というのは何もいわず どこにでも転がっているのだが・・・ いろんな形をしていて面白い 面白い小さな石の形に魅せられて 今日も川原に石を拾いにいく女がいる 庭には石の家を建ていくつもの石が 山と飾られて人の目を引いている 石もこうして並べてみると個性があって 面白いと思いませんか? 無機質な石でもそれぞれの顔がある まるで人間の世界のようには見えないか 太った石もあればやせた石もある 笑っている石もあれば泣いている石もある 暗くて寂しそうな石もあれば明るい石もある それぞれに石の表情があるから楽しいのです そういって今日も川原に石を拾いに行く女 石の形に魅せられ石を拾って人生を楽しむ女 石を集めてそれを眺めながら人生を謳歌している 女の集めた石はもう1000個に達している 誰もまねのできない自分だけの趣味である 石を拾って喜びとする女 こんな女がいたっていいじゃないのぅ そういって好きな石を手に取りキスをした 女が愛するのは名もない石であった
2008年10月11日
父 を 偲 ぶ と き 愛の命が眠っている土を掘る・・・ 遺体は土のなかに埋められた 田舎には火葬場がなく土葬だった あの日から何年たったというのだろう 寂れはてた墓場にいると昔を思い出した 父の悲しみとともに青春があった気がする 子供心にどうにもならない貧しさを感じた ある日父は家族と離れて仕事にでた 家族を養うために遠く離れて山仕事に行った そしてある日のこと父は山林事故で死んだ 黒いリボンの父の写真が思い出される 白黒写真しかない時代のことである 父の姿が目の前にちらつき涙になった 土は穴となり深く深く掘られた 掘った穴から青い合羽がでてきた 父が身につけていたものだった そして二つの骨もでてきた 父の腰骨なんだろうか・・・ 腰骨だけは土にならなかった その骨をそっとつかんで白布にくるんだ 秋の日差しが西に傾く頃まで墓を掘って 骨だけを拾ってまた土を埋め戻した この骨は私の愛の命であった 新しい墓地に移転するために墓を堀り 父の二つの骨を拾ったのである 死んだ父の骨には父の魂が宿る 歳月は過ぎても父の骨だけは残った 新しい墓地で父は眠る 父よ幸せに眠りなさい”” 新しいお墓の中で父は眠っている
2008年10月10日
金 木 犀 の 女 あちらの庭にもこちらの庭にも金木犀がある ふくよかな甘い香りが女の鼻腔をくすぐる 香りの漂っている庭を歩いていると 今日という日はいい日になる気がした 金木犀の花はなぜオレンジなんだろうか 小さな花がいくつもついて短い命を咲き誇る ふくよかな香りをはなち終わると花はこぼれる この花の香りに秋の日の清清しさを知る 金木犀の花が日差しのなかに咲いている 庭を歩く女には幸せの色香が漂う 金木犀と同じく秋の日差しのなかで 幸せの微笑がこぼれている 金木犀のような甘い香りをはなつ女 金木犀と女が庭の風景に輝いて見える すばらしい秋の季節がそこにはあった
2008年10月10日
道 を 切 り 開 く 男 この道は私の進む道である どんなに険しくとも一人で歩まねばならぬ いばらの道であっても渾身の力でもって わが道を切り開かねばならない 道の前方に何があるのかは知らない ただ前を向いてひたすら歩まねばならない 進む道はつらくとも毎日少しずつ 一歩一歩進む必要があるのだ 雨が降ろうが嵐がこようが私は進む 歯をくいしばりこの道をいかねばならぬ 誰も助けてはくれないこの道を 未来の明かりを探しながらこの道をゆく 自らが切り開かなければ幸せはこない ただひたすら未来を信じて歩む 苦しくとも額に汗してこの道をゆく この道は未来に続く道である 毎日わが道をゆくならばいつかは 幸せの丘に到達するだろう その日を夢見て私は進む この道を切り開きながら・・・ 傷ついても負けずにこの道をゆく それが男というもんだろう 男の行く道に何があるかは知らない 限られた人生という短い生涯を 悔いることがないように・・・ 明日を夢見て一生懸命に歩むのだ この道を切り開いてわが夢を叶える それが私の今の目標である 人生の道を切り開きながら誠実に こつこつと粘り強く歩んでいこう 道を切り開くたくましい男はそういった
2008年10月10日
紅 葉 を 見 る 女 もみじなのか・こうようなのか それはどうでもいいことである 紅葉の季節というのは騒々しい 春の桜も秋の紅葉も心を騒がせて どこかへ行きたくなるものだ 紅葉は夜の温度と昼の温度差がなければ きれいな赤い色にはならないという 空気が澄んでいることも不可欠だ 紅葉の季節は佇むところに至福がある 目にする木々が色ずいてとても美しい 見上げる紅葉と見下ろす紅葉があるが・・・ 女はそうではなく下を向いて地面の 紅葉に見とれることも忘れない それは真っ赤な落ち葉であり枯葉であり けな気にも色ずいている小さな草である 雑草というのだがその言葉は嫌いである 小さな草とか小さな植物と表現したい 小さな植物が頑張って生きているのを見ると なんとなく女はうれしくなるのだった 木々の見事な紅葉だけを見るのではなく 自分の足元にある小さな植物も見てほしい 見上げる紅葉と見下ろす紅葉と足元にある けな気に生きている植物と・・・ 女はいま遠くの美しい紅葉を見ている 見終わると足元にある落ち葉や枯葉 そして小さな植物を見るのだった 足元には猫じゃらしが黄色くなっていた
2008年10月07日
青 空 の 女 空というのは不思議である 雲ひとつなく晴れわっていた空が急に曇り雨がふる その雨がやむとまたもとの雲ひとつない青空になる 不思議な空の現象はまるで地上に生きる 私たちが空の中にいるような気がする 天気というのは人間の感情のような気がする 空模様は人間の心模様と同じようだ 女はいつもそんなことを思っている 人生はいつも青空ばかりではない 晴れの日もあれば曇りの日も雨の日も・・・ 空模様と同じようにいろんな現象を起こす そんな人生であっても青空は必ず訪れる 人生も雨がふってばかりではないのである いつか雨はやんで必ず青い空になる 悲しみや苦しみがあってもいつかは 青い空が訪れることを信じよう 青空を心に抱いて生きよう 心だけはいつも美しい青空でいよう 曇りのない晴れわたった心でいよう 女はそんなことを真剣に思っている 女の思いはすぐに実現した 空が鉛色に覆われていても雨がふっても 心にはいつも雲ひとつない青空があった 心は青く澄みわたり晴れ晴れとして いろんな空模様をながめている女 心には真っ青な美しい空があった
2008年10月05日
彼 岸 花 の 男 今年も彼岸花が咲いた 葉もなく茎だけがすっとまっすぐ伸びて 真っ赤な花弁が天空を見上げる彼岸花 この花が咲くと無性に自分の故郷を思う 彼岸花は男を故郷へ祖先へ誘う花である おまえは故郷へ帰ったことがあるか おまえは先祖の供養をしているか おまえはいつ墓参りをしたのだ 彼岸花の真っ赤な色が訴えている 仕事にかまけて故郷を顧みなかった なんと親不孝な人間なのだろうか 父や母に会ったのはいつだったのか 祖父や祖母に会ったのはいつだったのか それを思わせてくれるのが彼岸花である 真っ赤な色は両親や祖父母の血の色? 連綿と続く祖先からの声かも知れない? 今年も彼岸花が咲いた 故郷や先祖の歌が聞こえてくる 真っ赤な色が少しだけ怖くなった 男は故郷に群れ咲く彼岸花を思う 私は故郷に帰らねばならないのだ 菩提寺の住職に会わなければ・・・ 真っ赤に燃える彼岸花がそう教えてくれた いつも彼岸花を見ると教えられる 生も死もこの花とともにあることを・・・ 墓の下に眠るわが先祖のことを思い出す 先祖代々の墓のことが気になる 今年も彼岸花が男の心を目覚めさせた
2008年10月04日
スキンヘッド物語☆ 散 髪 を し た ☆今日、仕事の帰りに散髪をした。散髪屋さんが「普通でいいですか?」そう聞いたから僕は「普通よりほんの少し短めに・・・」そのようにいうと散髪屋さんは、「わかりました!!少し短めにして、バリカンはいれますか?」「ハサミでお願いできますかあ~」「ああ~いいですよ”” ハサミでやりましょう””」今日の散髪屋さんは今までやってもらったことのない人である。はじめての人だが、なかなか愛想がよく、はきはきとしていた。僕も今日はいちども眠らずにずっと目を開けて手さばきを見た。とにかくハサミの使い方の見事さには、ほんと驚いたものである。不思議なことに散髪のときには、頭が傾くことが多いのに・・・今日だけはシャキッとして自分の前の大きな鏡と向き合った。「鏡よ”” 鏡”” 」 「俺もなかなかいい男だろう?」鏡は何もいわないけれど・・・自分でいうのもおかしいけれど・・・そんなことを思いながら散髪をしてもらった。(笑)約30分の短い時間であったが、一度も眠気を催すことなく1700円の僕の散髪は、終わったのだった。「どうもありがとうございましたあー!!」そういって店を出たのは19時半ごろだった。
2008年10月03日
尋 ね 歩 く 女 女の生きる道には何があるというのでしょう この道をいけば誰に出会うというのでしょう 幸せになるにはどうすればいいのでしょう この世に美しい愛はあるのでしょうか 最愛の人にはいつ会えるでしょうか この命はどこまであるのでしょうか 女は毎日尋ね歩くのであった しかし誰一人として教えられない わからないから返事をしない 女は今日も尋ね歩くのだった 女の一生をどう生きればいいのか 女の生きる道には何があるのか それが知りたくて尋ね歩いている女 女の性が描く未来に幸せが訪れて 尋ね歩くことのない女になれるよう 幸せの天使が舞い降りるよう みんな願っているのだが・・・ 未来については誰もが回答できない 過ぎ去った今日という日だけが 女への現実の回答であった 今日という日をどう生きただろうか 女の命は光り輝いていただろうか 女の心は美しく澄んでいただろうか 尋ね歩く女にそう尋ねたいのである
2008年10月02日
心 の 中 の 女 美しい秋の空を見ていると心が晴れる それは無限大の宇宙があるからである 地球は宇宙に浮かぶ一つの惑星である 宇宙というとらえようのない大空間の中に 存在しているのが地球である 地球に住む人間も宇宙という空間に存在している 宇宙という空間の中で生きる人間にも宇宙はある 誰にも見えない心という無限大の宇宙がある 心という大宇宙に生きているのが人間である 心の中に自分という物体が存在するのである 無限大の見えない心の宇宙に何があるのか それは果てしなく言葉では言い表せない!! 一つだけいえることは心には人間がいるのです 私でいうならば女という人間が存在しているのです 心の中に私という女が存在しているのです 決して人間に心があるのではないのです 心という大宇宙に人間がいるのです 女はそういって我々に熱弁をふるった 心の中に女がいるといったのだった
2008年10月01日
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