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「僕はいつか、たくさんのレミング(たびねずみ)の気持を 動かすことができるようなリーダーになりたいと思っていたんだ。」 レニーは答えた。すぐにエミーは聞き返しました。 「どうしてあなたは、レミングの気持を動かすことができるような リーダーになりたいの?」 レニーは言いました。 「それは僕が、ジャンプ(崖から集団で飛びこむこと)をやめようって、 みんなを説得したいからだ。 たぶん。」 「でも、あなたにとって、どうしてそれがそんなに重要なことなの?」 エミーの質問をきっかけに、レニーは、自分が本当にしたいこと、そして、これからの行動の指針を手に入れるのです。 デービット・ハチェンス著「エミーとレミー 2匹のねずみのお話」を少しだけご紹介しました。 この本の中でくり返し出てくる質問として、 「あなたは、何のためにここにいるの?」という問いがあります。そして主人公のエミーとレノーは、お互いの会話を通じて、自分の中の答えを探りだしていくのです。 「私は、何のためにここにいるのでしょう?」 そして「私は、なにを達成しようとしているのでしょうか?」 自分の行動を振りかえり、その推進力になっているものを探していくと、おぼろげに自分の価値観が見えてきます。そして、その価値観を、自分のものとした時に、今まで以上の内からのパワーが沸いてくることに気がつきます。 「私は、何のためにこの文章を書いているのでしょう。」 それは、自分の気づきを、少しでも多くの人と分かち合いたいから。そして、自分の「ありかた」を包み隠さずオープンにすることによって、読んだ方の、なにかが変わるヒントになったらいいなという純粋な思いがあるのです。 あなたは、何のためにここにいるのでしょうか?
2005/04/26
インドの方に聞いた内容によると、インドでは、エンジニア教育が大学から開始されているとのこと。インドの国をあげて、人材育成に力をいれていることは、すばらしいことです。日本の事情を客観視すると、いまだにバブル時代の人材育成が続いているように、個人的に感じます。ここでは、会社と大学との繋がりを増やすことによって、それぞれの組織に新しい風を吹き込むきっかけを創っていくことを目的としています。大学の知合い(1)南山大学 数理情報学部情報通信学科 青山 幹雄 教授 (携帯電話ユーザ要求調査で講座をお願いしました) http://www.seto.nanzan-u.ac.jp/~amikio/NISE/jp/profile.html(2)宮城大学 環境システム学科環境システム工学 高橋 浩 教授 (国際標準化活動でお世話になりました)(3)電気通信大学 電気通信学部 システム工学科 西 康晴 教授 (ソフトウエアテスト、ソフト品質でのお知り合い) http://blues.se.uec.ac.jp/nishi.htmlイベント情報(1)産学共同セミナー「組み込みシステム開発における学術知と実践」 2005/04/25(日本IBM)
2005/04/19
あなたは、飛躍的な進歩に興味があるでしょうか。それとも、着実な成果を測定し、実際の利点を大切にしているでしょうか。私は、飛躍的な進歩を追い求めてきたように思います。 ジェフリー・ムーア著「キャズム」の第2章に次の説明が掲載されています。 「ビジョナリの人たちは、未来を体現しようとする人たち。 新規テクノロジーに関するコンファレンスや 未来派の人たちが集まるフォーラムに顔を出し、 そこでテクノロジートレンドを把握したり、有望な商品を探したりする。」 「実利主義者たちは、未来的なものにあまり関心を示さない。 現実を直視するタイプであり、自分たちの業界の発展をいつも考えている人たち。 大規模な変革や業種横断的なメリットというようなテーマは、 実利主義者の興味を引くものではない。」 私自身がビジョナリの性格をもっているため、実利主義的な考え方を持つ人たちへのメッセージの伝え方を間違っていたことに気がついた。 たとえば、新しいソフトウェア手法を紹介していた時、昔の私は、ビジョナリ的考えで、ビジョナリの人向けにワークショップを開催していた。実利主義的に、「その手法を取り入れた事によって、他の人たちはどのような利益を受取ったか」を明確に説明することを怠っていた。 その結果、最初の盛り上がりに比べ、その後の低調さは、まさに谷底のようだった。今になって、キャズムに落ちたことを理解した。 ビジョナリと実利主義者とのギャップを理解し、多くの人の伝わるような、メッセージを発信していきたいと考えています。
2005/04/18
「目の前に、3本の道があるんです。 左の一本の道は、心の成長の道。 たとえ自分の名前が変わろうと、永遠に続く決められた道。」 「さらに、右側に2本の道が見えるのです。 一本は人材育成という名前の白いアスファルトで固められた道。 もう一本は教育という黄色い土で固められた道。 その右の2本の道のどちらかに足をつこうとして迷っているのです。」 一人目のコーチに自分の迷いを素直に打ち明けてみた。コーチは、自分のイメージを心で受けとめ、同じ影像を共有してくれた。そして、自分が気がついていない自分の中の影像について質問をしてくれた。 「右側の2本の道の真中に、足をおろしてみると、どんな感じがしますか。」 その言葉で自分を取り戻した。自分の歩きたい道は、未開の道だった。既に先駆者たちが、整備して歩きやすくなっている道ではなく、新しい道をつけることが、自分のやりたいことだった。 自分の道を開拓するためには、仲間が必要。自分の目指すビジョンを旗にかかげ、柔らかな未開の草の道に、新たな道すじをつけることにした。 裸足になって、芝生を歩くような、くすぐったいような、嬉しい感触を楽しみながら、新しい道を踏み固めていこう。 道は決まった。 その道を進むためには、5つの星を手にいれる必要がある。5つの星を5角形に並べた時に、その中心で、なにかが起きるような予感がする。 一つ目の星は「ビジョン」という星。二人目のコーチと一緒に、ビジョンを具体的イメージにしてみた。そのビジョンは、精密な設計図と、思いを伝えるビジュアルな絵によって成り立っている。 イノベータに見てもらうためのイメージ。そして、実利主義の人たちに見てもらうための緻密な企画書の二つをつくることにした。 5つの星を、手にいれる冒険は、今日スタートします。
2005/04/15
「ファシリテータ養成講座で学んだスキルを、実際の会議で使えないのはどうしてだろう。」会社の会議で、ファシリテータ養成講座で学んだことを使えないことに無力感を感じていた。「会議改革」というスローガンを書いた壁紙が、色あせて見えている。 ピータ・M・センゲ著「最強組織の法則」の第12章、チーム学習の中に「意見交換」のファシリテーションがのっていた。自分が理想と考える「会議の場」を創るヒントがありそうな気がする。 チーム学習は、チームのメンバーが本当に望んでいる成果を生み出すために、一致協力してチームの能力を伸ばしていくプロセスである。 チーム学習では、ディスカッションではなく、「意見交換」が重要とされている。「意見交換」は、複雑で微妙な問題を自由かつ建設的に探求し、お互いの意見を十分に「聴き」、自分の考えを呈示することによる特別な対話として紹介されている。 現状、会社の会議で、意見の衝突が起きた時、参加者が行うことは、双方を「丸くおさめる」か、徹底的に「意見をぶつける」かである。これを繰り返しているうちに「本当の意見」を言う人が徐々に少なくなってきた。 私たちは、恐れやあきらめから、自分を守る「防衛慣例」というやりかたを、知らず知らずに身に付けてしまっているようだ。これでは「意見交換」の対話は期待できない。 「意見交換」では、自分の発言に対しても、固守せず、チームメンバーの前に出し、それを客観的に見つめ、さらに新しい思案をめぐらすようにすることにより、チームメンバー間の相乗効果を発生させることが求められている。本の中では「対話そのものに命が宿りだす対話」として紹介されている。 熟練したファシリテータがいないと、「防衛慣例」の習性から、いつのまにか、ディスカッションになってしまう。意見交換の場でのファシリテータは、対話がディスカッションになったことを指摘し、意見交換に軌道修正する技量が求められている。 チーム学習を実践する組織を育てるために、「意見交換」を可能とする環境を創り出したい。そのためにも、ファシリテーション技量を身につけていきたいと思っている。
2005/04/07
「どのように個人のビジョンが結びつき、共有のビジョンを生み出すのだろうか。 その格好の具体例は、相互に作用する光源によりつくり出される 立体画像、ホログラムだ。」 ピータ・M・センゲ著の「最強組織の法則」の中、私が共感した部分を書きだしてみた。 「共有ビジョンを築くことに力を注ぐ組織は、 個人のビジョンをつくり出すようメンバーをたえず励ます。 もし自分自身のビジョンをもっていなければ、 ほかのだれかのビジョンに『加入する』しかないからだ。 その結果もたらされるのは服従であってコミントメントではない。 これに対して、自らの進むべき方向を強く認識している人々は、 結束して自分たちが真に望むものに向かって力強い相乗作用を生み出す。」 私が育てたい人たち、そして組織は、決して服従によって成立している人の集団ではない。私が育てたい人たちは、一人ひとり、強い光を放ち、自分と周りの人たちに、ビジョンの恩恵を与えるような人たち。そして、その人たちがチームを組むと、N次元のホログラムが浮かび上がるような、未知の世界を創りだす人たち。 そこで生み出されたアイデアが、純粋な願いによって現実の社会に贈り出される。 強いビジョンを持つ人たちは、ビジョンの共有のパターンの数だけ、新しいアイデアが湧き出てくる。1+1が2ではなく、1+1が100になるような想像を越えた共振の世界が創りあげられる。 自分を振り返ってみても、ビジョンを築くことに力を注いでいる組織に所属した経験がない。組織がないのなら、自分たちで創ってしまうのが、ビジョンある人たちの行動です。 自分のビジョンを見つめるために、自分の話しをしっかり聴いてくれる、安心で安全な場を、いっしょに創ってみませんか。
2005/04/05
ピータ・M・センゲ著「最強組織の法則」第10章に、メンタルモデルの克服について書かれている。 「名案だというアイデアは、どういうわけか実行されないことが多い。 たとえすばらしい戦略であっても、実行に移されることがない。」 「心の奥底には世界の仕組みに関して深く秘められた各自のイメージが存在し、 それば新しい見識と相容れないせいで実行の段階まで進めないのだ。」 メンタルモデルが潜在的にある組織の場合、一時的に改善が行われたと喜んでいても、数年で元に戻ってしまった事例が掲載されていた。 私は、3年にわたり、異文化が共存する組織の文化融合という、風土改革に取り組んできた。成功したプロジェクトのノウハウを集めた改善手法を取り入れようとしても、すんなり受け入れられることはなかった。 「その手法が良さそうなことは理解できるけれど、 いま以上余計な仕事が増えてしまったら、開発の遅れが致命的になってしまうでしょ。」 改善を推進していると、よく言われる決まり文句である。少し前まで、風土改善を阻んでいる「何か」を理解できずに、苦しみ続けていた。 ピータ・M・センゲさんは、この反発を「メンタルモデル」という言葉で説明している。改善を阻んでいる見えない力となっている「メンタルモデル」とは、どんなものなのだろうか。 自分が理解した範囲で、事例をもとに説明してみる。 多くの人が参加している会議の中、説明が明らかに間違っていることに気が付いた。その時すぐに、「その説明について、矛盾があります。」と言えるだろうか。それとも、他の誰かが間違えを指摘するのを待っているだろうか。 私の場合、自分が発言することによって、会議の説明者との間のメンタルな葛藤を予想して、自分を抑えてしまうことが多い。それは、長い時間をかけて、自分に刷り込まれている自己防衛の習慣に思えてきた。 高度の自己防衛スキルを身に付けた、熟練した大人たちの会話の中では、お互いに自由に意見を言い合えるような雰囲気は、なかなか出てこない。ふと、「裸の王様」を思い出した。熟練した大人たちは、本当に大切なことを言えなくなっているのだろうか。 相手を変えることができないのなら、自分が変わるしかない。「裸の王様」に出てくる、無邪気な子どものように「事実」だけを伝えてみたい。 無邪気な子どものようになるためにも、自分のメンタルモデルと向き合ってみることが必要になる。自分のメンタルモデルに気が付くアイデアとして、「心の中の言葉を書き出す方法」が本に載っていた。 さきほどの、説明の矛盾を指摘できなかった時のことを例として、自分と相手の会話を紙に書き出してみる。説明者「なにか質問ありますか。」私 「データAとデータBとの関係を教えてください。」説明者「先ほども説明したように、データAとデータBは、同じ傾向を示しています。私 「同じ傾向なのですね。」説明者「はい、そのとうりです。」 では次に、この台詞に、カッコで、私の心の中の言葉を書いてみます。 説明者「なにか質問ありますか。」私 「データAとデータBとの関係を教えてください。」 (誤りに気が付いてほしいな)説明者「先ほども説明したように、データAとデータBは、同じ傾向を示しています。私 「同じ傾向なのですね。」 (よく見てほしいな。 データAとデータBは、全然傾向がちがうでしょう。)説明者「はい、そのとうりです。」私 (まあ、いいっか。) これから、自分を実験台にして、自分のメンタルモデルを分析してみることにする。いつの日か、メンタルモデルを克服することができることを夢見ながら。
2005/04/01
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