カドフェルメモ


カドフェル年譜とイングランドの情勢

1137
 5月 「聖女の遺骨求む」  カドフェル57歳。助手はジョン。
本文に記述はないが,1135年にヘンリー1世が死に,スティーブンが王位につく。ヘンリー1世の娘マティルダ(女帝モード)がそれを否定し,自分の王権を主張した。
1138
 8月 「死体が多すぎる」  助手はゴドリック。
 12月 「修道士の頭巾」  助手はマーク(18歳)。
8月にスティーブン王がシュルーズベリ城を攻め,城主であったフィッツ=アランが逃げる。プレストコートが州の執行長官,ヒューが副長官となる。
1139
 8月 「聖ペテロ祭殺人事件」  助手はマーク。
 10月 「死を呼ぶ婚礼」  助手はオズウィン(19歳)。マークはセントジャイルズに。
 11月 「氷の中の処女」  助手はオズウィン。カドフェルの留守にマークが呼び戻される。
9月30日に女帝モードがアランデルに上陸して,フランスからイングランドに。11月には州内の内乱の動きが強まるが,年内に落ち着く。


カドフェル関連日記一覧

「死を呼ぶ婚礼」  ⇒ 05/10/13の日記
十字軍の英雄ギマール・ド・マサールの孫娘の婚礼が大修道院でとり行われることになりますが……。
「聖ペテロ祭殺人事件」  ⇒ 05/09/24の日記
毎年の夏恒例の聖ペテロ祭には市が立ち多くの人が集まりますが……。
「アプ」と「フィッツ」  ⇒ 05/07/15の日記
中世のの名前の呼び方について書いています。
「修道士の頭巾」  ⇒ 05/07/13の日記
修道院の客人が殺されますが,その妻はカドフェルの……。
スティーブン王と女帝モードの対立(その2)  ⇒ 05/07/09の日記
モードの経歴と,当時のイングランド貴族の地盤について書いています。
スティーブン王と女帝モードの対立(その1)  ⇒ 05/07/05の日記
当時のイングランドで2人が王位を主張した背景を書いています。
「死体が多すぎる」  ⇒ 05/07/03の日記
王の部隊がシュルーズベリの町を包囲し,城を攻め落としましたが……。
ウェールズとイングランド  ⇒ 05/06/21の日記
当時のウェールズとイングランドの関係について書いています。
修道院ってどんなとこ?  ⇒ 05/06/19の日記
中世の修道院や修道士がどのようなものだったかを書いています。
「聖女の遺骨求む」  ⇒ 05/06/16の日記
副修道院長ロバートを中心とした一行が聖女の骨を求めてウェールズに行きます。






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