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最近、AFV専門誌でハーフトラックの特集が多い。グランドパワーでは連続してM3ハーフトラックの特集。発売中のアーマーモデリングではイギリスのベルトリンク報告があった。イギリスは古い自動車、機関車や機械を大切にしている。TVでロンドン市内を自家用戦車が走ってるのを見た、普通の光景らしい。ベルトリンクは第二次大戦のAFVイベント。AHSMのSやAKみたいに、戦車や大砲が集まってくる。記事では最近、ハーフトラックが異常に増えてるらしい。イスラエルが古いハーフトラックをマニア向けに大量に放出してるそうだ。お値段不明だが、そんなに高くないと思う。戦車で100万円らしい。ハーフトラックなら200万円ぐらいで有りそうだ?。(戦車は安いそうだ、そりゃ維持費だけでも大変だ)M3ハーフトラックは日本に1台もないので、どなたか購入するのも?戦車より役にたちそうだが、ガソリンエンジンでリッター数百メーターだな~T360スノーラの発案は藤澤副社長。これは某社より聞いたので間違い無い。最初の1台は福島県の製材所に納められたはずだ。360ccだが登坂力、走破力は異次元の乗り物。特にバックで雪山を登って行くと横転しそうになり恐い。左右でなく前転しそうになる。
2006年10月17日
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mizmaさんのブログは弟9回モーターショーに出品していたT360とスポーツ360の話題。始めて見る写真もあり、資料の精査が凄い。モーターショーに出品されたT360は4台だそうだ。スポーツ360に比べるとT360の資料は少ない。スポーツ360の写真を見ていると、本当に廃棄処分されたのか?試作車は全て処分され、「スポーツ360生存説は義経がジンギスカンになったような話」が定説だが、本には、捨てるのは忍びなく「社長の目を盗んで隠した・・」書いてある。製作担当者なら普通、壊すより隠すと思う。当、ブログでは何度も書いてるが・・・絶対、生き残ってるはずだ。この写真はオトキチさんのS600とT360の車体。車軸間距離はどちらもピッタシ2m。この写真を見ると、T360からS360を造るのは簡単そうだ?上記の写真ではないが、未レストアのS600とT360のボディー無しを持っているマニアさんが、もし、スポーツ360がみつからないのなら、T360でスポーツ360を製作したいそうだ。S6のパーツを使えば、そんなに難しい仕事ではないそうだ。しかも、改造申請を出せば公道走行可能となる。スポーツ360の話で・・ホンダコレクションホールにどうして レプリカのスポーツ360が無いのか?コレクションホールがギャラリー用のスポーツ360を造るのは朝飯前のはず。造らないのは・・・「本物が出てきたら困るから」 な~んて話もある。出そうで出ないのは、お化けとスポーツ360。
2006年10月06日
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本日2回目の書き込み。お昼のブログでAHSM申込書と会報の件を書き込みした。会報「ガレージ18」を読むと、毎回S100%なのに、今回はAKの事が1%、(0.5%かな?)載っていた。Sの記事はウンチクがあり読んでて楽しい記事だが、AKは特に面白い・・・会報に「プリンスグロリアは日本初の”OHC”」、カタログにも堂々と載っていて下の方に最小文字で「ただし乗用車で」と、書いてあったらしい。この話は始めて知ったので、さっそく、二日前のブログに紹介した、『日本自動車史年表』をパラパラ見たら、書いてある。なんと便利な本なのだ、この手の使い方が有ったとは・・1963年 2月 セドリックスペシャル発売 OHV1963年 6月 プリンスグロリア発売 OHC1963年 8月 ホンダT360発売 ☆ DOHC ☆年表で見るとT360はブッチギリ、しかも軽トラ。こうして見るとAKは凄いとあらためて感心した。運輸省でのT360型式認定試験のさい、トヨタ社員2名が立ち会ったそうだ。トヨタの社員が「素晴らしいエンジンですが・・・本気でこんな軽トラ売る気ですか?」聞いたらしい。同業他社に与えたインパクトは物凄かったと思う。売れなかったけど。
2006年09月25日
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このブログでは4年前から、AK360のコードネームを型式として登録しようとしたが、オートモービル・カーゴ360ccの単純な名称はすでに登録済み。やむなく、AK250とした、 だった。mizuma_gさんのブログを見ると、TAS260なる型式まで出てきた。F1・RA270は「目指せ270馬力」ではなく、たんなる図面番号が正解らしい。そうなると、番号が揃う。 AK250(AS250)TAS260(スポーツ360) RA270(F-1) AS280(S500)・・・S600はボアアップだけなのでAS285 ?S800からは社内機構改革で図面番号が変わりAS800にしたのでは?推測すると、ホンダの4輪開発はAK250とスポーツカーのTAS260の2種類から始まったような?TAS260のエンジンはS500やT360とかなり違う、どう見ても別のエンジンとしか見えない。TAS260のエンジンは設計者が違うような気がしてくる。なんらかの都合で260エンジン、もしくはFRPボディーをあきらめてAK/AS250の1本にした。スポーツ360とS500のエンジンは違いすぎる、今回発見されたスポーツ500エンジン、AK1号車も形的にはS500と同じ。写真のTAS260は不思議なエンジンだ。この説も、案外早く覆りそうだ。明日は1号車オーナーさんから送られてきたリアランプ、これも違う。
2006年09月20日
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市販車製造の前段階として試作車が造られる。試作車も車台番号が有るそうだ。ただ、この番号では門の外に出れないので市販車として車台番号を打ち直すらしい。市販された試作車とは、パーツリストに載っていない車台番号であること。さらに、1台のクルマに複数の車台番号が有る、らしい・・なるほど、これは知らなかった。そうすると、OT誌に載っていた「米屋のぼんのオイルバス」にも試作車番号が付いていたのだろうか?オイルバス車は市販されなかったので、パーツリストに載っていない番号になり、つまり、市販された試作車?かな。S500のオイルバス車は他に無いのか?ベテランさんに聞いたら、数台有ったそうだ。たぶん、全て海外にあるそうだ。17~8年前にオイルバスS500がイギリスに輸出されたそうだ。もったいない・・・日本のSオーナーさんは一般に飛ばし屋?さんが多いので、排気量の多いS800に人気が有るそうだ。イギリス、アメリカのマニアさんは歴史的価値を見るのか?当時、レストア前のボロボロのオイルバスS500に興味をもったのはイギリス人ぐらいなものだったのか??本体よりもイギリスまでの運賃の方が高かったと思う。もったいないな~イギリスで毎年開催される世界有数の旧車イベント「グッドウッド」の昨年取材記事に、会場内を「ホンダT360が走り回っていた」と書いてあった。イギリスには何でも有りそうだ・・・
2006年09月02日
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昨晩、ヒストリーチャンネルでアメリカ製作の本田宗一郎伝が放送された。どんな番組になるのか興味津々、結果として、私の予想は半分当たり。残り半分はお~外れ、さすがアメリカ製作。日本対アメリカでは無く、好意的にホンダを描いていた。まず、最初は自動車の殿堂入りのセレモニーから始まり、浜松での幼年期とバイク製造。カブのアメリカ販売では当時のアメリカCMフイルムのオンパレード、ほとんど始めて見たCMだった。それと、本田宗一郎の出番は当然多いが、同じ位に藤澤常務の映像も多かった、日本では無い番組作りだな・・アメリカでの販売成功談が続く。後半から自動車、T360は当然なし(チョットは期待したのに)最初に現れたクルマはL700だった、なんでL700なの?(最初に輸出されたから?)その次にSが写真でチラ、説明なし。N360は宗一郎の後ろにチラと見えるぐらいで、シビック以前はパスだった。やっぱしCVCCがメインの番組。特に、世界で最初にアメリカに工場を作ったのが、アメリカ人に気に入られているみたいだ。番組でも先見の目があり、アメリカから世界50ヶ国に輸出され、円高の時には日本にも輸出された。対日本輸出は連続アメリカ1位・・アメリカの自動車産業に多大な貢献、刺激を与えた企業として絶賛してた。面白い話題満載の番組だった。ただ、デジタル以外では放送されないかも?ホンダ絶賛番組なので・・アメリカらしいところは、戦前、宗一郎はピストンリングの工場を持っていたが、B29爆撃で壊滅。日本では話題にもならないが、アメリカ人は気にしてるのか?この番組は型式を正確に紹介する、ホンダA型、F型とか、アメリカらしい?フェラーリ、ホンダと続き、今晩はジープ、これは期待できる。紹介された車は、シビック、アコード、プレリュードにNSXだけだった。NSXはポルシェより凄いクルマとして紹介、開発にはセナも参加していて懐かしいアイルトン・セナの映像もあった。日本では出ない、中村良夫の写真もチラリと。
2006年08月24日
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明日、7時からヒストリーチャンネルで世界の名車、「ホンダ」放送される。見れない方は録画の用意を。昨晩はキャデラック、先ほどフェラーリの放送があった。良い番組だった。原題「オートモービル」、なんでホンダなのかと思ったが、フェラーリを見ると、イタリア対アメリカの対決、ホンダは日本対アメリカの構図かも(推測)今日の番組で、半分以上がフェラーリ創業までの話。後半から、レースとフォードの対決が中心。だとすると、明日の番組は本田宗一郎の浜松ポンポン物語りから始まり、バイク、T360とS500の開発、そして、CVCCでアメリカに切り込む、かな・・??なお、フェラーリでは、最初の1台、125と166を詳しく描いていたので、T360も有るかも?無理だと思うけど・・アメリカ人から見ると、DOHC軽トラはユニークなのでは?フェラーリでは、ミッレミリア、タルガ、ルマンにヌヴォラリなどの名ドライバー多数の映像・・・明日の放送も、アメリカが持っている貴重な映像満載かも?楽しみだ・・・
2006年08月22日
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昨日紹介『1960年代のクルマたち』にT360生産工場も載っていた。T360は1963年生産開始。本田宗一郎は、1969年まで車専用工場を建てなかった。当時の経済状況は不安定、新工場建設はリスクが高かったから。既存工場の活用、つまり、バイク工場の片隅で車生産を開始した。エンジンは埼玉工場、デフとミッションは浜松工場、シャシは鈴鹿、T360の組み立ては埼玉工場。効率の悪い方法だが、AKもAS売れなかったので、この程度でよかったのかも?新工場建設なら、もっと売れそうな車を造ったと思う?東京から鈴鹿まで90%がダート道にオープンカー、故障の多いツインカム・トラックでは・・・浜松や鈴鹿でもT360を造っていた、と書いている本もあり?あっちこっちで生産していたから、生産台数も?。S360生存伝説も、このあたりかも。本田の工場は一度だけ見学した事がある(もぐりで)。「お礼の会」参加(見学)に鈴鹿工場に行ったさい、会場のホールと工場は渡り廊下でつながれていた。この時、自由に工場にも行け、勝手に見学した?昼前だったが、社員食堂も見てきた、メニューは各国の文字表示。国際的なのだと感心。何か食べたかったが・・・それほどの度胸は無かった。食べても、この日だけは大目に見てくれたと思う。
2006年08月06日
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T360に乗ってないのでAKの話題なし。しかし、探せばなんぼでもある。毎年鈴鹿で開催されるAHSMにT360は1983年から参加しているようだ。2003年には4台、昨年2005年には・・・過去最大の6台参加した。滅多に見れないAKが6台、おそらく空前絶後と思われる・・・前情報で今年は昨年を上回りそうだ・・・・特に、凄い(年式が古く、エンジンばりばり)T360が登場らしい、あくまでも・らしいとしか。AHSM会場に展示したあった、第1回の写真。AKは1台も写っていない。AHSMの写真で第4回にT360が1台参加確認できる。たぶん、これが最初の参加車と思われる。(2~3回の写真は見てないので不明)昨年は6台の参加。6台展示だけでも凄いのに、自走参加のサーキット・フリー走行。
2006年07月10日
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T360は前期、中期、後期の3種類に分類されている。もちろん、オーナーさんが勝手に分けてるだけ。全て型式AKなのは間違い無い。この一番最初に出されたマニュアルには、初期型以前の不思議な車体が出ている。試作車でマニュアルを造ったのかも?と思っていた。ベテランさん達も古い話なので記憶があいまいになる。このブログでは試作車説をとった。 誰も見た事無いのでは話にならない。T500オーナーKさんがトヨタ博物舘のクラシックカーフェステバル参加の為、豊田市に行く途中、旧知のT360オーナーさん宅を始めて訪問した。そこには最初期型が有ったそうだ。 初期型とはかなり違うらしい。エンジン、ラジエター、インマニ、排気管まで違う、外見上で簡単に見分けるのはホイールキャップ、最初期型だけ台形になり、なんとアルミ製だそうだ。ベテランさんも最初期型は知らない、T360は1963年8月に発売されたが、バイク工場の片隅で造られ生産台数も少なかった。販売店への実際のデリバリーは翌年春ごろからだったそうだ。64年には初期型に移行したのかも。したがって、最初期型は非常に少なく貴重な個体と思う。現オーナーさんはAHSMに参加してるので、T360最初期型で参加して欲しい・・・想像するに、最初期型のエンジンはS360エンジンに近いかも・・・
2006年06月12日
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何回か紹介した『小型・軽トラック年代記』 ISBN4-87687-283Xには、軽四輪規格の変遷が表になって判りやすく載っている。昭和24年~平成8年まで9回の法令変更がある。今の360cc規格は昭和29年、4回目の変更から。それまでは4スト300cc、2スト200ccだった。黄色のナンバープレートは550、660と排気量が上がって行ったときに360cc軽四輪と区別するため、したがって、360は小さい白ナンバーを付けないといけない。軽四輪は車格が大きくなっていき、昔のカローラやサニーよりも大きくなり、ナンバーの色を変えて、普通車と区別しなければいけなかった。左コメントにある三輪車はこの車です。メッサーシュミット、イセッタは日本にも結構な台数が生存しているが、トロージャンなどは見たことも無い。イセッタ・タイガーと呼ばれる、ミッレミリアに参加している高性能車もある。これはムチャクチャ速い、平均130km以上で走る。下の写真は、今月号CM誌の載っていた糸魚川CCRのT360。綺麗な車だ・・
2006年06月06日
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先週のFTPに続き 土日もT360に乗った。 これで、9月中旬までは乗らないので、ガレージの奥に格納。旧車とは税金、保険がもったいない・・・イベントで三輪車は人気が有る。特に、軽三輪車は小さいので子供たちに人気がある。イベントで参加するのはミゼットかK360、まれにハンビーとか三菱が出るときがある。軽三輪に詳しい本は『小型・軽トラック年代記』 ISBN4-87687-283Xこの本はお勧め、旧車イベントに持参すると良い。三輪車の本は少ない、自費出版では何冊か出ている、私も持っている。よく調査してあり感心する。日本で一番軽三輪が集まる旧車イベントは「金沢クラシックカー・ミーティング」になる。ダントツ日本一、ただし、1年で一番暑い7月第4週に開催されるので、見学も参加も、何よりも旧車には辛い。もっとも、主催者さんは「この一番暑い時期に開催してこそ旧車に意義がある・・・」と挨拶してるので、確信犯、ひたすら暑い・・・下の写真は金沢のイベント。
2006年06月05日
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ブログを開設してから今日で5年目に突入した。最初は無料日記と言っていた、ブログはここ1年ぐらいからの言葉。最初は文字の打ち込みが非常に遅かった、右手人差し指1本で文字を探しながら打っていた。知人からローマ字入力が楽、タイピングの練習ソフトを使うと上達すると言われ、ゲームタイプの練習ソフトを使用、これはお勧めだ。初書き込みのブログは下に。これだけ打つのも大変だった。公道復帰 [ カテゴリ未分類 ] 平成14年5月6日にひょんな事からT360を購入、昭和51年から動いていないので、これからが大変、外装はしっかりしてますが、油圧、エンジンはかなりの難物、1年計画の公道復帰。レストア先輩方のアドバイスを得てなんとか・・・パーツについては問題ないようで。特にシールなどゴムパーツは汎用品で対応出来るようなので問題無し。キャブは4個ですが360÷4で90ccなので簡単、CVキャブは丁重に扱えば簡単、将来CRキャブに交換も・同調が?Last updated 2002年05月14日 15時28分09秒
2006年05月15日
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昨日は雨の中の試走だったので本日は乾燥、明日、晴れたらもう1度テスト予定。土曜日の講習会にデスビを持っていく、ついでに、スターティングモーターも持っていこうかと、AK電装系でダイナモ、高圧コイル、レギュレターはよくある品、デスビとスタターは若干違う?初期型デスビの点火時期調整は専用ネジがデスビの外側に付いているらしい、確認してくる。スタターのクラッチはスプリングで押さえたローラーがクラッチになる。古くなると、クラッチを引っ張り変な音がする、別段気にしないけど。ソレノイドではなく遠心力クラッチなので、他のAKオーナーさんも音は気にしないそうだ・・・第1回AK講習会後のBBQ。鈴鹿AHSMでのAK御一行様。
2006年04月13日
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朝から雪、明日から気温が11℃以上が続くらしいので・・最後の雪かな。超レアや超高額な旧車が現れても、シングルナンバーの前では・・かすむ。それもワンオーナーとなると、誰にも真似できない。私の基準としては・・・ワンオーナー、シングルナンバーが一番偉いと思っている。国産名車コレクションのNo4はS800、付属の本の中にナンバープレートの話がある。 二桁ナンバーになったのは1967年(昭和42年)の品川51が最初らしい。地方では数年遅くなる。品川ナンバーのシングルは67年以前となるが、移動していると二桁になる。67年だとT360発売の4年後、そ~とう昔の話になる。その間、廃車や売ることもなく維持しているのだから・・たいしたものだ。シングルナンバーさんには頭が下がる。T360のシングルナンバー率は高い、退色でほとんどナンバーが読めないのもある。私のT360前オーナーさんは同じ県内なので、ナンバーだけでも維持してくれたら、栄えあるシングルナンバーだったのに残念。
2006年03月03日
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今から芦原温泉まで会議に。「えちぜん鉄道」で所要時間は25分と近い。来年、新たに「えちぜん鉄道」の駅ができるそうだ、なんとなんと、我が家から50mほどの距離、電車が駅に着いてから家を飛び出しても間に合うかも? 便利になる。昨日のブログで1950年初頭からバイク以外の製品、つまり4輪車生産を計画していたみたいだ。AKプロジェクトリーダー中村良夫がホンダに入社したのは56年。本田宗一郎の夢、プロジェクトA(オートモービル)は、その前後に本格的にスタートしたのかも。ホンダの1号車、S360がもし発売されてたら車名は「A360ドリーム」になっていたと思う。?さすがに、軽トラにドリーム号は命名し辛かったのか?味も素っ気もないT360だけになった。
2006年02月20日
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左のリンク クローラの説明はT360ネタが無い時に書いたもの。その中に、不整地走行にはクローラ走行と車輪を巨大化して塹壕でも乗り越えられるようにしたトラクター型の2種類があると書いた。これは1月8日のブログにも有る本を見て書いた、ただし、車輪直径12mの戦車など写真でも見たこと無かった。今月号『アーマーモデリング』にレベデンコ戦闘装輪車の記事がある。驚いた、ほんとにあるとは・・・ 塹壕戦では塹壕を乗り越えるクローラか巨大な車輪の戦車が欲しかったと思う。装輪式では無理だったみたいだ、結局、クローラ(キャタピラ)式になった。アーマーモデリングの写真は始めて見た、レベデンコ戦闘装輪車なる物を始めて知ったので、グーグルしてみたら沢山あった。どの国でも研究しただろうから、イギリスのは直径12mなのかも。 T360スノーラ、荒地の走行には、この形が一番良いらしい。
2006年01月14日
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積雪は10cmぐらいだった、晴れなので雪カキにはサングラスがいる。数回、雑誌・書籍の紹介。まず、昨年は何故か不思議なことに、超どマイナーなT360スノーラに関する雑誌の特集や、極めつけはエブロからミニカーまで発売された。新年そうそう発売された『歴史群像』75号にハーフトラックの特集があった。歴史群像は隔月刊、私の好きな雑誌だ。だいたい旧車好きは戦記物好きが多い。私の周りにも多い。次号の歴史群像は「越前朝倉戦記」、ご当地なので楽しみだ。昨年はハーフトラック(スノーラ)の歴史解説が多かった、歴史群像もハーフトラックの歴史を中心にしている。英国陸軍ハーフトラック、シトロエン・ケグレス式の写真が出ている。この写真はT360スノーラに良く似ている、本田宗一郎もこの写真は見たかも?補助輪のスプリングはT360と同じ構造。ページの下に注釈として、「・・日本でも本田技研がハーフトラックの開発に熱心で豪雪地帯向けにケグレス式のT360クローラを開発したほか、現在でもアクティークローラ・・・」と書いてあり、歴史群像にT360なる言葉が出てくるだけでも・・・凄い。下は前回書いたクローラに関するブログ、リンクが多かったので、そっくり貼り付けた・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・パンツアー 8月号 創刊400号記念特別号左のリンク クローラの説明はT360ネタが無い時に書いたもの。日記に何度かハーフトラックの詳しい事を書いた本が無い物かと、書いた。今月号月刊『PANZER』に、なんと、20ページ写真多数で「日本陸軍装甲兵車の発展とバリエーション」ある。著者は高橋昇氏。クローラの説明は『軍用自動車入門』を参考に書いた、この本も高橋氏の著書だった。パンツアーにはケグレスP107の写真があった。ドイツ軍に使われている写真で始めて見た写真、某本の写真は間違ってるな。それと、ケグレス車でイギリス軍がサハラ砂漠横断をしている、さすがにシトロエンのHPにはイギリス軍とは書いてなかった。この1件は、トラックの後輪だけキャタピラにしたハーフトラックの有用性に、日本陸軍も注目したそうだ。シトロエンの巡洋艦隊なのでフランス軍かと思った。(別の遠征かも?)シトロエンの歴史、ハーフトラック本田宗一郎は、なにを参考にT360スノーラを造ったのか?本家本元はシトロエン・ケグレスだがアメリカ軍のM3かも、M3もケグレスを参考に造っているので、ケグレス式で良いのかも。高橋昇氏の新刊『日本の戦車と軍用車両』この方は軍用車輌の大家だそうです、覚えておこう。このHPのクローラ説明はいい加減な説明です。誰も見ないので気楽。どちらにしても、手直しの必要がある。それとも追加文を貼り付けていくか。アルファ・トラックの本が無い、ハーフトラックの本が無い、と書いていたら雑誌の特集として出てきた、そのうち、アルファ商業車特集なんかも出そうだ。 T360ハーフトラックは現在7台確認され、最近、リンクしているオトキチさんが入手したので8台となった、たったこれだけ。
2006年01月08日
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ブログを書き始めて4回目のお正月になった。前オーナーさんからディスプレー用として購入した。動かすのは無理、もしくは、そうとうな覚悟がいると聞いていたので、挫折しないためにもブログをつけた。当時は日記、ブログなる言葉は最近使われ出した。2002年のゴールデンウイークにレンタカーで引き取りに行った。最初見たときは酷い状態だったが、引き取りまでに前オーナーさんが磨き上げ、ワックスまでかかっていた。中期なのでサイドミラーはプラスチックだったがメッキに交換してくれ、この部分だけ光っていた。前オーナーさんは4台のT360を持っていて、これが最後の1台っだった。 T360引き取り。27年ガレージに有ったのに綺麗だ。大きい修理としては、足回り配管含めて交換。電気系全滅。燃料系全滅、水周り全滅。特にラジエター、ウオポンは酷かった。エンジン本体は意外にも簡単にかかった、このときには感激した。それから公道復帰(車検)までは大変だったのか、簡単だったのか今となっては忘れた。
2006年01月05日
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AHSM公式レポ その7の写真に自動車新聞?の写真が3枚UPされてる。新聞を老眼鏡でよくよく見ると、まず、TTにおいて高橋転倒と書いてある、調べてみたら1962年6月6日125ccのレースだった。当時も自動車新聞は日刊だと思う、レース結果が出ているのでたぶん8日の新聞のはず。この時期(6月5日)には完成まもない鈴鹿サーキットでS360とT360が始めて、全国ホンダ会で発表された。新聞の写真はT360実物写真、S360はイラストになっている、おそらく、S360は発表にあわせて突貫作業で造ってると思うので新聞発表用の写真は間に合わなかったのでは?S360について書いてある本が有っても、T360の発表時期が書いてある本はない? AHSMにゲストとして来られた、山下克吉さんに、この時、本当にT360も発表されたのか聞いたら「T360もS360と同時に公開された」と話されているので、間違い無い。T360だけ実車写真なのは、訳が有りそうだ。推測だが、S360発表は後世まで語り継がれているが、実際はT360が主役なのでは? 発表会に招待されたショップさんはバイク屋さんが中心、あの時代にオープン2シータースポーツカーなど、まず売れそうにない。売れるのは軽トラ、待ち望んでいたのは軽トラのはずなので、ついでに展示されたS360はアドバルーンみたいなものだったのでは・・・?新聞の写真もT360が上で、S360のイラストは下にある、ホンダもT360が主力商品と考えている。S発売から数十年後の今、Sの本が出ると「技術と革新のホンダ」だからSが全ての始まりと書いてある。あの日、鈴鹿の主役はT360のはずだ。? それに、下には藤澤専務の写真がある、この写真を見てもT360がホンダ車の全ての始まりだと思う。どうでも良い話だが、新聞を見て、そう思った。
2005年11月25日
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T360やS500試作車が実在してる話は聞いたことがある。S360は今だ不明だが、近い将来発見されると思う?下の写真はT360試作車、市販車とはかなり違う、エンジン周りはS360と共通の部分も有ったと思う。この写真はオーナーさんから送っていただいたもの・・・感謝!ヒストリーが凄い!本田宗一郎が戦後疎開先に、お世話になったお礼にと最初の車を直接贈呈した車体、そのもの。想像するに、酒を飲みながら「自動車会社を作ったら、最初に造った自動車をあげる」とかなんとか、約束しその通り、実行した。ホンダは累計4千万台の車を生産、現在のホンダは大河、T360は上流のチョロチョロした流れ。この試作車は分水嶺に落ちた最初の一滴になる。特徴的なのはオイルレベルゲージが直接オイルパンから出ている、金具も曲線的で、さすが試作車、ほとんど手作りに近い。AKオーナーさんには見慣れた風景だが、オイルレベルゲージが無い。全体的に曲線が多く、市販車の直線的なエンジンと雰囲気が違う。この車体は,まもなくレストアされる。オーナーさんは時間をかけてゆっくり仕上げるそうだ、一度、見学に行きたい。
2005年09月21日
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左のリンク クローラの説明はT360ネタが無い時に書いたもの。日記に何度かハーフトラックの詳しい事を書いた本が無い物かと、書いた。今月号月刊『PANZER』に、なんと、20ページ写真多数で「日本陸軍装甲兵車の発展とバリエーション」ある。著者は高橋昇氏。クローラの説明は『軍用自動車入門』を参考に書いた、この本も高橋氏の著書だった。パンツアーにはケグレスP107の写真があった。ドイツ軍に使われている写真で始めて見た写真、某本の写真は間違ってるな。それと、ケグレス車でイギリス軍がサハラ砂漠横断をしている、さすがにシトロエンのHPにはイギリス軍とは書いてなかった。この1件は、トラックの後輪だけキャタピラにしたハーフトラックの有用性に、日本陸軍も注目したそうだ。シトロエンの巡洋艦隊なのでフランス軍かと思った。(別の遠征かも?)シトロエンの歴史、ハーフトラック本田宗一郎は、なにを参考にT360スノーラを造ったのか?本家本元はシトロエン・ケグレスだがアメリカ軍のM3かも、M3もケグレスを参考に造っているので、ケグレス式で良いのかも。高橋昇氏の新刊『日本の戦車と軍用車両』この方は軍用車輌の大家だそうです、覚えておこう。このHPのクローラ説明はいい加減な説明です。誰も見ないので気楽。どちらにしても、手直しの必要がある。それとも追加文を貼り付けていくか。アルファ・トラックの本が無い、ハーフトラックの本が無い、と書いていたら雑誌の特集として出てきた、そのうち、アルファ商業車特集なんかも出そうだ。 T360ハーフトラックは現在7台確認され、最近、リンクしているオトキチさんが入手したので8台となった、たったこれだけ。
2005年07月28日
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ツインカムエンジン付きのトラックを作るのは世界広しといえども、ホンダとアルファしかない。しかし、アルファには隠玉がある。1900ccツインカムエンジンのジープMatta(狂った)、低速トルク優先の軍用車、農業車にツインカムエンジンを積んだのは、ホンダと同じく、このエンジンしかなかったから。ホンダも360ccジムニーみたいな車を造れば面白いと思ったが、本田総一郎は抜かり無く、ジープ以上の物凄い車を造った。それが「スノーラ」 、これなら無敵だ。マッタは除雪車として使われたと書いてあった、T360スノーラに除雪車は無理がありそうだ。たった360ccでは雪の上を走っても除雪は出来ないと思う。 後輪にワンタッチ(慣れても30分以上かかる)で装着できるのはT360だけ、現在も販売されているアクティ・クローラは勝手に交換できない。バックだと運転していて怖くなるくらいの傾斜のある雪山を登っていく。
2005年05月11日
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過去ツインカムエンジンを搭載したトラックを販売したのは、ホンダとアルファロメオだけだと思う。両者とも理由は全く同じ、トラックを生産しようにもツインカムエンジンしか、なかったから。アルファ社は創業4年でトラックを造り始めた、第一次大戦前後の話で第二次戦後はツインカムエンジンのみだった。マセラティとフィアットも創業4年目でトラックを造り始めているのは、乗用車だけでは飯が食えないから。ホンダは藤澤副社長がいたので最初からトラックにした、本田宗一郎だけだったら、Sを出して、4年目にトラックやN360を発売したかも?どのメーカーも売れる売れないは別として、カッコいい乗用車を出してから、トラックを生産したのに、ホンダは一番最初の車が軽トラだった。ジュリエッタ版トラックは「ロメオ2」、この呼び方はVWトランスポーターがタイプ2と呼ばれるのと同じ、ならば,ロメオ3も有るのかは不明。この件の詳しい事は『ソロアルファ4』に出ている。ロメオ2は1750cc、T360はたった360ccのツインカムだから、物凄いエンジンかも。
2005年05月10日
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今月号オールドタイマー誌に商用車としてアルファのライトバンが出ていた。オーナーさんはN響のチェロリスト、自分でレストアもしてるそうなので、手は大丈夫なのだろうか、チェロリストの爪が油で黒いのは・・・?OT誌に、ジュリアにライトバン設定は無く、イタリア警察の特別仕様らしい。非常に珍しい1台らしい。知らんかった。日本初のツインカム搭載車はT360、ホンダがT360を出したとき「ツインカムエンジン付きのトラックを作るのは世界広しといえども、ほかにはアルファしかない」と、良く引き合いに出されたアレである。こう書いてあるので、トラックがあるのにライトバンが無いのは意外だった。アレとは1954年発売のツインカム・トラック「ロメオ2」、日本に1台有るので見てみたい商用車だ、ニ玄社刊「ソロアルファ4」に詳しく出ている。Webでアルファのツンカムトラック・ロメオを調べても無かった、ご存知の方教えてください。
2005年05月09日
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昭和村でコニーライトバンを見るまでは、T360は比類なき孤高の軽トラと思っていた。当時、B360やスズライトのボンネット型軽トラの有るのは知ってたが、2ストであり、FFやFRなので構造的にも性能的にも比べようもなかった。日本でコニートラックが1台だけ現存しているのは愛知機械工業復元クラブ員さんのHPを見て知った。(コニートラック AF3編 レストア物語)エンジンを除けば雰囲気が非常に似ている、T360より4年も前の発売だから、相当進んでいた。T360の足回りウイッシュボーンはホンダSのを使用したと思っていたのに、すでに軽トラで使用されていたとは。コニートラックの実物をゼヒ見てみたい、何処かの旧車イベントに出るような情報が有りましたら教えて下さい、T360で見に行きます。HPにある、毎年春に開催されるトヨタ博物舘クラシックカーフェスティバルに参加するようなら、当地から見に行きます。豊田ICまでT360なら高速100km平均、2時間半で行けます。コニーの写真 その1
2004年11月07日
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小松自動車博物舘では全ての軽四輪が見れる、コニーも展示してあるが動くコニーは初めて見た。昭和村でコニーライトバンを見たとき、T360に非常に似ていた。この時期、ボンネット型の軽トラはB360などがあった、コニーライトバンの足回り(ダブルウイッシュボーン独立懸架)(マクファーソン)ラックアンドピニオン、12インチ合わせホイール、フレームまで良く似ている。エンジンは2気筒4サイクル空冷で座席の下、アンダーフロアーに収まっている。コニートラックは1960年発売、1961年にはホンダ以外の軽四輪メーカーは全て出揃った、ホンダは急いだと思う。参考にするには丁度良い軽トラはコニートラックだと思う。中村良夫は「T360の研究開発は最優先で行われ、全てに優先した」と書いている。T360とコニーライトバンが並んでいると非常に似ている(波長が同じだった)フレームデザインなどはアメ車ピックアップを参考にしてると思うので、どうしても似てくるとは思う。性能はT360が段違いどころか桁違い、当時、時速100キロで巡航出来たのだから驚く。1961年(36年)軽四輪の販売シェアー、東洋工業5万4千台、2位マツダ、3位愛知機械工業(コニー)三菱スズキと続く。愛知機械工業復元クラブ員によるコニーの解説とレストア状況資料編コニートラックは必見。コニーの写真 その1
2004年11月03日
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この日記も4週目なので、そろそろ終わりにしないと・・・まだまだ有るんです。(記憶が怪しい)パーティーにて有名なドイツのコレクターオルトマン氏所蔵のデニス・ハルム(88号車)を里帰りさせる話があった。交渉はスムーズに行ってるみたいだ、一番有名なホンダSである。ステージで購入予定?の方の説明があり、S/NーAS283・・と説明があった。S600はAS285なので5600の事か不明(良くわかりません)オルトマン氏とハルム氏のことはいろんな本に書いてある、『クルマよこんにちは』中村良夫著 三樹書房ISBN4-89522-138-5ホンダS500のコーナーに特に詳しく書いてある。レストア中の写真を見るとサインも入っている、お値段は検討もつきません・・・実際、幾らぐらいするものなのか?鈴鹿では「北野元が乗ったの??」ツインカムクラブ谷村会長の質問などありメチャクチャ濃い雰囲気・・・なにしろ、当時を良く知っている方や当時の関係者が居られるので、当方としては・・・ポカ~ンとして話を聞いてるだけでした。
2004年09月27日
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伊東編集長とチョット喋った事から、ここまで日記を引き伸ばした。「S360・・何処かに有りませんか?」の質問は意外だった。なぜかと言うと、S360生存説はただの噂、風説にすぎず、S乗りさんとS360の話をしたことはなく、過去一度もS360の話を聞いたことも、聞かれたことも無かったから。それが、スーパーCG編集長が探しているぐらいなら、本当にありそうだ。出てこないのは、S360オーナーさんは真っ当?な手段で入手したのではないので、出したくても出せないのかも。どちらにしろ、生存してるなら、ウン十年とは言わず数年で出てきそうだ。
2004年05月26日
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S360については以前にも書いた、過去のホンダS360の日記。あの時点では、S360生存説は「義経がジンギスカンになった」見たいな話だと、S360を製造して自分で解体廃棄した担当者が語っているので、?ではあるが納得していた。しかし、スーパーCG伊東編集長はウン十年も探している。専門家さんが探しているのではヨタ話とも思えない、何より、ホンダ社員でさえ許可無く入室できない資料室で(企業秘密)古い伝票や各種書類を見ている、何よりも自動車技術史の専門家・・・俄然、信憑性が湧いてきた。では、誰が持っているか?推測すれば第一は元ホンダ社員、これは絶対出せない。当時捨てる予定の車でも横領罪になる(時効?)第二は出入りの廃棄物業者、契約通り捨てないで横流しした、これも出せない。第三として、風説に・・S500予約者にS360を試乗させる為にディラー(販売店)にS360を貸し出したが、数台が行方不明になった・・・もっともらしい話ほど本命かも?(何れの場合もホンダが返せと言えば法律的に返さないといけない?)私は1台ぐらいは残っていると思う、伊東編集長の話では、S360は作っては壊し、絶えず改良して試作車として出来たらしいので、何台作ったかはハッキリしないらし。当時の関係者に聞いても、よく分からないのが実際だそうだ。ノンキーさんが言うようにウン十年後、新車同然のS360がオールドタイマーやノスヒロに出てくるかも、CGが一番可能性が高そうだ。
2004年05月25日
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フレンチトースト・ピクニックにゲストとしてお越しいただいた、スーパーCG伊東編集長と控え室でご挨拶したさい、T360とC100の載った名刺をお渡しした。「なんでT360なんですか?」 乗ってます。「一度乗った事ありますが・・・凄いですな~」騒音は凄いです、と言ったら笑っていた・・・T360で凄いと言ったらまず騒音の事。エンジンの上に腰掛けているので物凄いものがある、ただし80km前後だと騒音は後ろに逃げるので、素晴らしいサウンドになる?「S360どこかにありませんか?」 と聞かれた。伊東編集長も長くS360を探しているらしい。「ツインカムクラブ総会に招かれた、当時の担当者は2台しか製作していない」と話しているので、S360生存説は「義経がジンギスカンになった」様な話らしいと、答えた。CG別冊ホンダ・スポーツにはS360の調査記事が出ている。この記事は本田技研某所にある、山のような未整理の書類調査によって書かれている、伊東編集長もダンボールの山の発掘調査に参加していたそうだ。S360の生産台数は伝票でも当時の関係者の聞き取りでも十数台生産されていたみたいである。だとすれば、数台は生存している可能性が高い。実際、所有者の噂を調査した事もあったそうだ。S360所有者とコンタクトが取れたことも有ったが、実物は今だ確認されてないそうだ。S360は本当に有るのか?もし実在するとしたら、そろそろ出そうだ。これは、所有者が高齢化しているから、出そうで出ないのは・・オバケとS360かな。
2004年05月24日
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T360(ティーサンビャクロクジュウ)と呼ぶ。クルマ、バイクは省略して呼ぶ場合が多いがティーサンロクとは聞いた事が無い。マニア、オーナー、Sオーナーさんは単に型式のAKとだけ呼ぶ。ツインカムクラブ内ではAKだけ。最初、私はT360と呼んでいた、本当に私だけだったので途中からAKと呼ぶようにした。ホンダスポーツ専門書などでT360の型式(かたしき)はAK250だがAK360と書いてるものもある。設計者の中村良夫もAK360と書いている、T360開発に携わった人はAK360と呼ぶみたいだ。これは、おそらく開発コードだと思う。AK(オートモービル・カーゴ)360ccが通産省登録では250になったのは、この単純な名称ではすでに登録されているはず。やむなく、AK250としたのでは。当時、町の中小工場は軽トラを生産していた、特に三輪車は特例車種として全国各地の地場産業として生産されていたので登録されてない数字を探すのが大変だったのでは。最初の数字が250なのでT500は280、S500はAS280と変な数字に上がっていった。古いホンダ社員でもAK360と呼ぶと当時のT360開発担当者になる・?
2004年05月09日
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ホンダT360やS500の公式販売台数もいい加減なのに、明治となるとお手上げ状態。『日本自動車史』で国産1号車、山羽(やまば)式自動車はフィクションだったのがわかった、次にガソリンエンジン国産1号車も中身はフォード車みたいだ・・その次もインチキだった・・国産1号車を確定するのはかなり難しい作業になりそうだ。自動車の年鑑などには、読み物として国産1号車のエピソードを書くのが一般的、これが、判りませんではカッコにならない。予想より大幅に年式が上がると思う。日本の場合、自動車の歴史が欧米に比べ浅いので、自動車史となると確定していない、もちろん、この本を読むまでは確定している物と思っていた。1997年に日本で一番古い自動車(パナール)の写真が発見された。この車はビゴーのイラストでは知られていた、それまで一番古いと信じられてきた、皇室献上車(1900年)より、さらに2年も遡った。この本によると・・皇室献上電気自動車もフィクションではないかと書いてある、皇室関係なので控えてはあるが・・・・これもフィクションとは・・・日本の自動車創世記は白紙です。
2004年03月15日
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昨日、新刊書籍2冊の紹介と書いたが、『日本自動車史』佐々木烈著(三樹書房)の半分しか読めなかった。どの本にも、国産自動車は明治37年5月7日に岡山市で6kmの初走行と書いてある、現在は記念碑も建っている。旧車マニアのバイブル、オールドタイマー別冊『ニッポンのクルマ20世紀』にも堂々2ページ、写真多数で紹介して、岡山の山羽式自動車が国産1号車となっている、これが日本の定説であった。昨日までは。新刊、日本自動車史では綿密な調査結果から山羽(蒸気エンジン)の自動車は無かったと結論付けている。こうなると、現在多数出ている、自動車の本は全て間違っている事になる。厄介な事に、国産自動車1号車(ガソリンエンジン、タクリー号)として燦然と日本史に輝く吉田真太郎まで?が点きだした。本田宗一郎もそうだが、技術者は自分の苦労話、特に細かい技術的な事を延々と語りだす、しかし、山羽、吉田など有名な自動車パイオニアは後世に何も語っていない。エンジンもタイヤもホイールも全て自作した事になっている、工具は足踏み旋盤とハンマーだけ、これでベアリングや歯車が作れたのか?山羽式に到っては、初走行の日時、走行地図、記念碑まであるのに、走った証拠も完成した証拠も無い。信じられてきた写真は、自動車らしく車を作っただけ。この本を読むと・・各種証拠から国産1号車は白紙になった。これから自動車史を書く方は大変だ。明日も・
2004年03月14日
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昨日の日記でバイク屋さんがイキナリ、それもツインカムトラックを販売し出した。ホンダの事前研修なしと聞くと驚く。T360は良く売れたらしい、ただし、初期トラブルも多く販売店は悩まされた。4連キャブはオーバーフローしやすく、連日連夜修理に追われた。本田宗一郎もこの状態では振興ホンダの名が廃るので「2年間5万キロ」の無料保障を付けた。ムチャですな~無料となると更に修理がどっと来たらしいので、対応できず、アッセンブリー交換(部品ごと全部交換)になるのでキャブの山が出来たらしい。元々T360のエンジンはオーバークオリティーなので4連キャブの修理を止めて2連キャブに交換していった。顧客も複雑な4連キャブより2キャブを喜んだらしい。性能も2キャブが良かったとの話しを聞いた。最終型では1キャブになる。 (OT誌から)設計変更は日替わりメニューなので使えない部品が山積みになっていった。(このパーツが残っていたら宝の山) 常識破りのツインカムトラックT360、しかもホンダ最初の市販4輪車なので熟成しきれなかったのは仕方がない、それに2年間5万キロの無料修理保障を付けた本田宗一郎の意気込みは凄い物を感じる。販売店は泣いたらしい・・・
2004年01月22日
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昨年の鈴鹿ミーティングでお話できた大阪のT360名人「Kさん」は昭和39年、大阪のホンダ販売店に入社した。18歳だった。オートバイが大好きだったので、カブやCB72の2輪販売実績のある中規模の工場を選んだ。T360の発売は昭和38年。Kさん入社の年、39年に販売店(協力店)配車があった。この当時にはホンダSFはまだ無く、自転車かバイク店だった。工場では車は扱った事が無く、配車の時にはただららぬ緊張感が張り詰めていたと、雑誌OT誌に書いている。前代未聞のツインカムトラックを扱うのに、事前研修も無く、4輪車を扱ったこともなく、ぶっつけ本番だった。大阪のこの工場ではT360は良く売れた。スバルサンバー30万円、ミゼット23万円の時代にT360は34万円と高かったが30馬力の高馬力は魅力的だった。営業にはツインカムとか4キャブなどは関係無く、積載量と時速100km出る、これだけで売れたらしい。売れれば修理が付きまとう訳なので、4キャブの修理がどっとやって来た・・・明日修理編。
2004年01月21日
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