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7月号の生活の発見誌に衝撃的な記事があった。森田の理論学習はある時期(基準型学習会を終了し、中間層となって以降)からはむしろ害になる可能性があると私は考えています。K先生曰く。あんまり「学習しましょう」っていう路線にしすぎない方が「本当の森田」のような気がするんですよね。最終的には学習から抜け出るのが、本当の森田のような気がするんですよ。さらに「森田全集第5巻」を念入りに読むと、森田先生が理論学習に陥ることの弊害をたびたび患者たちに諭していることが分かります。森田先生曰く。知識のある人が治りにくいのは、実行が伴わぬからで、(中略)時に不要の知識は捨てる事が大切。(興味のある方は50ページから55ページをご参照ください)これに対して私の見解を整理してみました。私は森田理論を深耕していくことは素晴らしいことだと思います。森田理論は学習すればするほど味わいが増します。森田理論の深耕は新しい発見の連続であり、楽しみ以外のなにものでもありません。問題点はそこにあるわけではないと考えます。森田理論学習と実践のバランスをとりながら学習を進めているかどうかが問題になります。森田では、理論と実践は車の両輪という考え方をとっています。実践を忘れて理論学習に過度にのめり込むのが問題なのです。理論の車輪が小さいときは、実践の車輪も小さくてもよいのですが、小さな車輪を必ずつけることを忘れないようにすることです。理論の車輪が大きくなれば、当然実践の車輪も大きなものに付け替える必要があります。同じ大きさの車輪でないと前には進みません。生活が停滞します。そのまま放置していると、行動の車輪を基点にして理論の車輪が空回りしてしまいます。こんなに森田理論を深めているのに、どうして苦しみがなくならないのかと後悔することになります。エネルギーのある人は、森田理論の理解度が浅いためだと勘違いして、さらに理論学習にのめり込み可能性もあります。その熱意は素晴らしいのですが、残念ながら神経症は好転するどころか悪化します。基準型学習会を終了し、中間層となってしばらく経過した人は、そのエネルギーの大半を実践に振り向けていくことが重要になります。
2023.06.30
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森田先生の著作は多いが大きくまとめると次のようになる。1921年(大正10年) 神経質及神経衰弱の療法1922年(大正11年) 神経質の本態と療法1922年(大正11年) 神経療法講義1926年(大正15年) 精神衰弱及強迫観念の根治法1928年(昭和3年) 迷信と妄想1934年(昭和9年) 生の欲望1936年(昭和11年) 健康と変質と精神異常1935年(昭和10年) 精神療法への道 第1巻1937年(昭和12年) 精神療法への道 第2巻1938年(昭和13年) 精神療法への道 第3巻1975年(昭和50年) 森田正馬全集、森田正馬評伝、形外先生言行録この3冊は森田正馬生誕100周年記念事業として編纂されました。森田正馬評伝は伝記です。とても詳しいです。形外先生言行録は森田先生にゆかりのある人たちの追悼文集です。精神療法への道は、森田正馬全集第5巻にまとめられています。我々の先輩の三重野悌次郎さんは、森田正馬全集第5巻、神経質の本態と療法、精神衰弱及強迫観念の根治法を300回くらい繰り返して読んだと言われていました。私は森田全集第5巻は3分冊にして繰り返して読みました。そして気に入ったところを抜き書きして整理しました。これが私の貴重な財産となりました。今日は「神経衰弱と強迫観念の根治法」から強迫観念を森田先生がどのようにとらえておられたのかをご紹介します。強迫観念とは、自ら思うことを思うまいとする心の葛藤のことに名づけられたものである。詳しくいえば、自分が何かにつけて、ある感じまたは考えが起こる。それが自分に不快でありあるいは自分に考えようとし、しようとすることに対して邪魔になって困るから、なるべくこれを感じないように、思わないようにしようとする。そうするとなおさらにそのいやな感じなり考えなりが起こってきて、しつこく自分に付きまとうようになる。こう思うまいとする考えがしつこく強迫的に起こってきて自分を苦しめるのであるからこの強迫観念という名が起こったのである。いわゆる「煩悩の犬追えども去らず」であって、われとわが心の内の狂犬に絶えず脅かされているようなものである。ここに強迫観念ということについて必要な条件は、ある感じまたは考えに対して、感じまい、考えまいとする反抗心のあることであって、この反抗の心がなければ、それは強迫観念ではない。またもし強迫観念の場合に、この反抗の心さえ没却すればすでに強迫観念はなくなり、煩悶は消失するのである。(90ページ)
2023.06.29
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なぞなぞ問答は全く関係ないものの共通点を探す面白さがあります。早速ご紹介しましょう。・お年寄りとかけてなんと解く切れなくなった包丁と解くその心は両方とも歯が傷んでいる!・人の為に尽くすとかけてなんと解くロウソクと解くその心は我が身を削って人を照らす!・自己中心的な人とかけてなんと解く酔っ払いと解くその心は自分を中心に世界が回ってる!・神経症の陶冶とかけてなんと解くかさぶたと解くその心は放っておくと治りますが、いじっていると悪化します!・凡事徹底とかけてなんと解く西川きよしの選挙公約と解きますその心は大きなことはできませんが小さなことからコツコツと!・神経症が治った人とかけてなんと解くカメレオンと解きますその心は周囲の状況に合わせた変化対応力があります!・同窓会とかけてなんと解くめだかの学校と解きますその心はだれが生徒か先生か!・スープとかけてなんと解く夢と解きますその心はどちらも冷めてほしくはありません!・出初式とかけてなんと解く大酒飲みと解きますその心は梯子がつきものです!・お好み焼きとかけてなんと解く銀行融資と解きますその心は返さないと焦げ付きます!・台風とかけてなんと解く血液型と解きますその心はO型(大型)もあります!・初めての出演とかけてなんと解く幽霊と解きますその心は足が地につかない!・魚屋さんとかけてなんと解く大岡越前と解きますその心はどちらもさばくのがうまい!私にはなぞなぞ問答、川柳、都々逸、ユーモア小話作りと収集の趣味があります。気持がむしゃくしゃする時に取り出して読みます。気分転換の効果があります。
2023.06.28
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実践という言葉の「践」の右のつくりは「わずか」という意味があるそうです。「浅」というのはわずかな水深です。「銭」はわずかなお金のことです。「実践」という言葉は、わずかに自分の手足を使って実際に動いてみるということになります。考えてみると、仕事や日常生活は実践の連続ではないでしょうか。森田理論で「凡事徹底」に目覚めた人はこの方向に向かっているようです。反対にそれらにはできるだけ手を抜いて楽をすることを考える人もいます。余った時間でできるだけ生活を楽しむことを目指す。あるいはもっと価値のあること、クリエイティブなことを手掛ける。そして周りの人がアッと驚くような成果をあげて称賛を浴びる。生活面では料理、洗濯、掃除、整理整頓、修理や修繕、家計費の管理、親戚や近所との付き合いなどを親や配偶者や業者に丸投げしている。自分は会社勤めで生活費を稼ぐのが最大で唯一の仕事であると考えている。稼いだお金で煩雑でわずらわしいことを人に肩代わりしてもらう方がよほど効率的だ。仕事では大きな商談をまとめ上げて会社に貢献する。そして社長表彰の対象者になることを目指す。あるいは業務改善の責任者になって、事務の合理化や効率化を推進する。人のできないようなことを手掛けて成果を上げるのが本来の人間の進むべき道だ。だからめんどうで細かいわずらわしい仕事は他の人にやってもらう。一見効率的で理にかなった考え方のように見えます。こういう考え方になると、雑事、雑仕事などは、価値のない、とるに足らないつまらないものに見えてきます。それらは能力の劣る人がやることだとみなすようになります。私の体験では、この方法はザルで水を掬うようなことになると思います。仮に一時的にうまくいっても、どんどん水が抜け落ちてしまいます。例えば事務処理の仕事では、仕入伝票や売上伝票を取り扱います。それらを日付ごとメーカーごとにきちんとファイルする仕事があります。チェックが終わったのでもう用済みだと判断して段ボールの箱などにそのまま投げ入れていると、伝票の照合が必要な時に面倒なことになります。お目当ての伝票を探すのに時間がかかります。見つからないとイライラします。魚釣りの糸が絡まったような状態です。元に戻らないとあきらめてしまいます。こうして仕事全体が雑になっていくのです。そういう仕事ぶりの人は何かにつけて探し物をするのに時間がかかっています。精神的には何かに急き立てられるような感じになり、そのうち仕事をすることが苦痛になります。誰でも出来るような雑仕事に喜びや楽しみを持てる人は、基礎がしっかりしているので、その上に大きな建物を建てることができます。雑仕事を馬鹿にしている人は、砂上の楼閣を立てているようなことになります。そのうち基礎も立派な建物も崩れ去ってします。神経質性格の人の持ち味は細かいことによく気が付くことです。細かいことをきちんとメモして、次々に片づけていく能力に磨きをかけると、仕事が好循環するようになります。あの人にまかせておくと間違いないという評価を得ると自分の居場所ができます。足場をきちんと固めて、余裕があればもう少し大きな目標に向かう方が賢明だと思います。
2023.06.27
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生活の発見誌の5月号にとても役に立つ記事がありました。私は趣味の野球で子供達に野球等を教える機会がありました。その際に、自分がうまいと思う人、そうなりたいと思う人を決めた方がいいよと言ってきました。その上で、「その人の真似をするとうまくなるよ」と言ってきました。モデリングです。この方が教える上で確実であり上達が早いのです。これを集談会に行き始めてから自分に言い聞かせ、実行してきました。言われるままになんでも受け入れて、やってみるようにしました。この考え方は私も同感です。森田理論を自分のものにする早道です。私の場合は集談会に優れた先輩会員の方がいらっしゃいました。その方はいつも優しく寄り添って励まし続けてくださいました。批判や否定されたことは一度もありません。自分が気づいていないような小さなことを評価してくださいました。体験発表した時、他人から言われたことをすぐに生活の中に取り入れることは素晴らしい。あなたのような人はきっと神経症を克服できると言われたことは今でも懐かしく思い出します。その方は森田理論学習も奥深いものがありましたが、私が最も感銘を受けたのは実生活への応用面でした。生活そのものが森田理論の活用・応用といった感じでした。この方にお会いできて親しく交流できたことは感謝以外のなにものでもありません。森田先生からも大きな影響を受けました。それは人の思惑が気になるという神経症で苦しんでいた時でした。森田に限界を感じて、別の道を模索していた時でした。森田全集第5巻を読んでいた時、森田先生はいくつも宴会芸を持っておられることが書いてありました。特に鶯の綱渡りの芸には驚きました。また宴会などでは落語家を招いたり、寸劇やゲームや盆踊りなどをされていることも分かりました。私は直感的にこれだと思いました。私は森田先生の真似をしてみようと考えました。一人一芸を極めることで神経症を克服できるかもしれないと思ったのです。アルトサックス、獅子舞、ドジョウ掬い、浪曲奇術、腹話術、傘踊りなどに取り組みました。そこが高じてチンドン屋のグループに入り、老人ホームの慰問活動をするようになりました。練習に熱が入り、ある日気がつくと神経症のことを忘れていたことに気付きました。神経症を克服するには、この手があることは後で分かりました。現在神経症で苦しんでいる人は、神経症を克服したときに、あの人のような生き方をしたいというモデル探しをすることをお勧めします。集談会に参加しているとそのことが可能になります。
2023.06.26
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生活の発見誌の5月号に三重野悌次郎氏の記事があった。それによると三重野氏の自戒の言葉は、「小苦を回避して大苦を生じ、大楽を追及して小楽を失う」であるという。ここで小苦というのは、日常茶飯事の雑事や雑仕事のことを指している。三重野悌次郎氏は雑事をおろそかにして人生はないと言われています。雑事の代表は家事です。炊事、洗濯、掃除、整理など家事は雑事の集大成です。集談会で、ときどき家事手伝いの若い女性の悩みを聞きます「こんなつまらないことばかりしていると肩身が狭い。社会へ出て働きたい」私は女性が、社会に出て働くことに反対ではありません。だが、家事を「こんなつまらないこと」という考え方には反対です。家事は我々の本来の欲望達成のために欠かせない仕事です。この大事な家事をつまらないという人は、社会に出て働いても、そこもまた、雑事の連続であることを見て、またつまらないと言うでしょう。どんな仕事も雑事の積み重ねです。その雑事に真剣に取り組めば、必ず興味が湧いてきます。森田博士のいうお使い根性で働けば、すべてがつまらないのです。ともあれ雑事に喜びを見出す人は幸せな人です。(森田理論という人間学 三重野悌次郎 白揚社 83ページ)大楽というのは、ドーパミンが大量に出るような刺激的、享楽的、本能的な快楽を求め続ける生活のことではないでしょうか。ちなみに田舎の住職さんによると、貪欲に欲望を満たそうとする態度のことを「餓鬼」(がき)というそうです。めくるめく快感を果てしなく追い求めていくようになりますと、一時的には幸福感に満たされます。カンフル剤的な効果はあります。しかしすぐにエネルギー切れの状態になり効果がなくなります。そこで急いで次の刺激、快楽を用意する必要が出てきます。しかし同じ程度の刺激では、以前のような強い快感は得られなくなます。そのためにさらに強力な刺激や快楽を注入する必要があります。イタチごっこになります。薬物療法でいえば薬の量と種類が増えていくようなものです。薬は基本的には毒ですから、どんな薬にも副作用があります。特に長期間の服用による副作用は目も当てられなくなります。さらにその効果が切れた時に、イライラするようになります。いてもたってもいられない精神状態に追い込まれます。これは薬が切れた時の離脱症状に似ています。刺激的な快楽を追い求めていると、そのうち欲望が暴走するようになります。欲望が独り歩きを始めて、制御不能に陥るのです。求めても、求めても満たされない欲望に振り回されるようになります。精神的に不安定になります。お金と時間の無駄使いも起きます。いつの間にか小さな楽しみや喜びは味わうことができなくなります。最終的に生きることはつらいことだという考えが湧き上がってきます。生きていても砂を噛むような味気なさを味わうようになる。刺激や快楽を追い求めるよりも、凡事徹底の生活の中で、小さな楽しみや喜びを味わうような生活習慣を作り上げることが大切になると思います。
2023.06.25
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今日は森田理論学習の取り組み方を考えてみました。森田理論は神経症を治したい人に役立ちます。次に、神経質性格の活用方法を学びたいという人にも役立ちます。現在は神経症を治すためには、薬物療法があります。カウンセリングもあります。精神療法は認知行動療法をはじめとして選択肢の幅が広がっています。森田療法はその一つです。幅広い選択肢が用意されているわけですから、神経症を克服するためには、自分に合った治療法を選択する方がよいと思われます。しかし森田以外の療法で神経症が軽快しても、生きづらさをなくすることは困難です。症状が軽快すればその時点で治療は終了です。森田理論による人生観の確立の学習は、基本的にはそこから始まります。森田理論学習は、神経症の再発防止と今後の人生観の確立という2つの側面があります。私は37歳のときに森田に出会いましたが、もう少し早く出会っていたらその後の人生が大きく変わっていただろうと思っております。では森田理論をどのような方法で学んでいくのが有効でしょうか。一番大事なことは神経質仲間がいる自助組織で学ぶことが欠かせないと考えます。今のところ最善策として、NPO法人生活の発見会に入り仲間とともに学習することです。1ヶ月に1回半日程度の時間をとって集談会に参加することが有効です。生活の発見会の集談会は多少ばらつきもありますが全国各地にあります。また、ネットを通じたZOOM集談会も開催されるようになりました。自分にぴったりの集談会はきっと見つかるはずだと思います。傾聴、受容、共感、許容力のある集談会に参加するだけで癒されます。NPO法人生活の発見会には、人間的に魅力がある人がたくさんおられます。そういう人にお会いできるだけでもうれしいことです。また、森田理論を日常生活や仕事や子育てなどに応用している人を、生きた教材として間近に見ることもできます。NPO法人生活の発見会は、森田理論を分かりやすくまとめた教材を持っています。基礎的学習は集談会での理論学習で十分です。その他、森田関連図書、協力医や臨床心理士などの情報も手に入ります。学習会に参加して森田理論を学び、これからの人生に活用していけば、あなたの人生は光り輝いてくるはずです。霧が晴れたようになり、生きることに迷いがなくなります。神経質性格に生まれてよかったという気持ちになります。今後はその神経質性格を存分に活用してゆきたいと考えるようになります。そして学習仲間の存在が心の支えとなります。
2023.06.24
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西田文郎氏のお話です。人間を意欲的にさせるきっかけは5つあるそうです。1、何かに不満や反発を感じること。2、願望や欲求を持つこと。3、好きなことや得意なことを持つこと。4、負けず嫌いであること。5、感謝や使命感を持つこと。(かもの法則 西田文郎 現代書林 66ページ参照)集談会ではうつ状態で何もやる気が起きないという話をよく聞きます。そういう方は無気力、無関心、無感動な日々を送ることになります。そういう方はこれを参考にして過去を振り返ってみるのは如何でしょうか。だれでも情熱的な時期、意欲的に行動していた時期があったはずです。それを取り戻して、これからの人生に活かしていくことはできないものでしょうか。1は自分の理想と現実が乖離している場合、何とか現実を理想に近づけたいという気持ちになります。理想が持てなくなり、現状維持で十分と思うようになると意欲は出てきません。ただしこれは下から上を目指す時は有効ですが、理想から現実を非難・否定するようになると葛藤や苦悩を抱えてしまいます。神経症に陥る原因になります。この傾向が強い人は森田理論学習が役立ちます。2は課題や目標を持っている人は意欲的になります。課題や目標が持てないと、ただ延命を図っているだけということになります。人間は目の前の対象物に働きかけて新しいものを創造するという宿命を負っています。森田では人を意欲的にするためには、目の前の事実をよく見つめる。すると何らかの気づきや発見が生まれる。次第に感情が動き出し流れてゆきます。これが積極的、意欲的な行動につながると説明されています。3は好奇心、興味や関心が持てると意欲的になります。小さな成功体験の積み重ねは、プラス思考の人間を作り上げてくれます。高良武久先生は、10年くらいかけて自分の専門分野を極めていくことが大事だと言われています。小さな自信が次の目標を生み出して、次第にステップアップしていきます。4、神経質者は負けず嫌いな性格特徴を持っていると言われます。これをプラスに活かすことができると、意欲的になれます。ライバルを目標にして、追いつき追い越せと努力することはやる気を育てます。ライバル同士で切磋琢磨すればお互いに人生の醍醐味を味わうことができます。5、人の役に立つこと、人の為になることをする。そして感謝・感動の気持を持ち続けることは最高の生き方になります。自分の辛い神経症経験を後世の人の為に活かすことを考えて実行すれば、大きな社会貢献につながります。
2023.06.23
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この時期のごちそう・・・キャベツたっぷりのつけ麺ですタレは超激辛です。これと激辛のキーマカレーで夏を乗り切ります。
2023.06.22
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渡辺利夫先生は経済学、現代アジア政治経済論が専門である。経済以外にも人生観に関する書物をいくつも書かれている。森田理論を基にして様々な視点から取り上げられている。私は森田理論研究の第一人者としてとらえております。興味や関心のある方に是非お勧めしたい本がある。神経症の時代(わが内なる森田正馬)・・・この本は開高健賞に輝いている。煩悶する倉田百三、森田療法と森田正馬の生涯、岩井寛の生と死について、事実に基づいて精緻に書かれている。事実とはこう取り扱うのですよという意思が感じられる。死生観の時代・・・「超高齢社会をどう生きるか」について森田理論の考え方を紹介されている。その中でも、本日は特に次の本を紹介したい。種田山頭火の死生(ほろほろほろびゆく)・・・種田山頭火は神経症者であったという。定住できず、家庭に寄り付かず、法衣をまとい全国の句会仲間を訪ね歩く流浪の俳人と言われている。他人に依存し、自由気ままでみんながあこがれるような生涯のように見えるが実際はそうではない。父親の放蕩と蒸発、母の自殺、弟の自殺、兄弟姉妹の早世、家産の瓦解、離婚、アルコール依存症など自分を取り巻くすべてが滅びゆくという強迫観念にさいなまれ、なんとか出口を求めてさ迷い歩いてもどうにもならない神経症者の必死の叫びが彼の句から読み取れる。分けいっても 分けいっても 青い山振りほどこうともがけばもがくほど頑固にこびりついて離れない執着、それがこの山の緑だ。執着を振り払って少しでも安らかな心境を手になろうと必死に努めても、いや、努めようとすればするほど執着が強くなってゆく。ひとつの山を通り抜けても、また別のもっと深い山に分け入ってしまう。これは神経症の葛藤と苦悩そのものです。山あれば山を観る 雨の日は雨を聴く 春夏秋冬 あしたもよろし ゆうべもよろし種田山頭火は本名は正一という。早稲田大学文学部に入学したころの写真を見ると男前であった。29歳で結婚した奥さんは近所で評判の美人であった。種田正一氏は、アル中と極度の強迫神経症で定職を持たず、一ヵ所に定住することができなかった。愛する家族と一緒に暮らすことができなかった。そのために奥さんの兄から離婚を迫られている。彼は全国の句会仲間に物心両面で全面的に依存し、自由で勝手気ままな放浪生活を送っている。彼自身は自己嫌悪、自己否定の塊で、そのやりきれない気持ちを飲酒で紛らすという生活だった。神経症で苦しんだ種田正一氏の人生とは何だったのか。彼の俳句は自分の気持をストレートに表現する自由律句であった。生涯に渡り苦悩のどん底であえいでいた彼の真骨頂は、鬱と鬱のわずかの隙間に創作したこの自由律句にあった。過酷な運命と彼の繊細な神経質性格によって絞り出された作品群が、多くの句会仲間に感動を与えているのである。自分がダメになる過程を自由律句に託して、悩める神経質者に自分を反面教師として参考の具として提供しているような気がする。不器用な生き方だったが、天賦の才能を与えられた彼の業績は計り知れない。たとえ神経症で一生苦しんだとしても、何らかの形で社会貢献することができれば、それはそれで立派な人生だということを伝えているように感じる。
2023.06.22
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杉山崇氏のお話です。実は眼は脳の一部です。眼を意識的に動かすと、脳に刺激を与えて脳の状態を切り替えることができます。不快な感情、怒りの感情、本能的な欲望が暴走している時、眼は「遠くの一点を見つめて、ほとんどまばたきをしない」など特有な動きをします。これはネガティブな感情や欲望に心を奪われて、脳が意識を切り替えられなくなっている状態を示しています。逆に考えられれば、感情に心を奪われそうなときは、眼の動きを変えて脳に刺激を与えることで感情をクールダウンさせることができます。そこで次のようなエクササイズをすると効果があります。①顔の向きを固定したまま、眼だけを左右に動かす。②見えているものが変わるので、その変化に注目する。③眼を2~3往復させたら一息つく。たったこれだけです。たったこれだけなのですが、やる前とは気分や意識が変わっているのを実感できないでしょうか。眼は脳の一部であるため、これだけのことで脳に「気持ちを切り替えろ」という合図を出すことができるのです。ただし、このエクササイズを行うのは、ネガティブな気持ちにとらわれているときだけにしておきましょう。あまりやりすぎると、脳が疲れてしまうこともあるからです。マイナス感情、ネガティブ感情に振り回されそうになった時に、検証してみてください。(なんだかうまくいきそうに変わる本 杉山崇 永岡書店 160ページ参照)
2023.06.21
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神経症に陥ると不安を一つに絞る傾向があります。この不安さえなくなれば、万事うまくいくのにと思ってしまいます。実際には精神交互作用によって不安は増悪します。そして日常生活に支障が出るようになり、神経症として固着してしまいます。この悪循環を防止する方法があります。それは不安を一つに限定しない方法です。同時並行的に不安や心配事をいくつも意識するということです。例えば人前で楽器(アルトサックス)を演奏する時は予期不安が出てきます。「正確に演奏できるだろうか」という不安です。こうした予期不安にとりつかれてしまうと一瞬でパニックになります。不安を打ち消すために運指を確かめるようなことをすると逆効果になります。金縛りがあったようになり、手先の動きがぎこちなくなります。練習では問題なくできることが本番ではできなくなってしまうのです。このとき次のような課題を持っていると、プレッシャや予期不安ばかりに関わっているわけにはいかなくなります。・リードは正しく取り付けられているか。保護キャップはつけてあるか。・リッププロテクトは装着しているか。・消音モップは取りはずしてあるか。・他の楽器の人との音合わせは済んだか。・今日の曲目の順番と進行の段取りは分かっているか。・仲間との立ち位置の関係は分かっているか。・楽譜は演奏予定順に並べ替えているか。・譜面台から楽譜が落ちないためのクリップは用意してあるか。・私物の保管は問題ないか。特に貴重品管理。・靴、帽子、衣装などに問題はないか。・時計は持っているか。・トイレは済ませているか。・携帯はマナーモードになっているか。・メガネやハンカチやテッシュや靴ベラは用意してあるか。・名刺は用意しているか。本番前にはチェックリストを見て一つ一つ丁寧に確認していくのです。これにはプレッシャや予期不安に振り回されない効果があります。これは森田理論の「無所住心」の応用にあたります。森田先生は注意を一つのことに集中してはいけないと言われています。同時並行的にいろんなことが気になるように仕向けていく方がよいのです。我々の心が最もよく働く時は「無所住心」といって、心が四方に働いて、昆虫の触角が、ピリピリしているときのように、ハラハラしているときである。(森田全集第5巻 328ページ)
2023.06.20
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遺伝子研究の村上和雄氏のお話です。カリフォルニア大学のロバート・エモンズ教授は、感謝に着目した興味深い実験を行っている。大学生の被験者を3つのグループに分けて、毎週1回、その週を振り返り、ありがたかったこと(感謝グループ)、いらいらしたこと(いらいらグループ)、印象に残ったこと(統制グループ)を、それぞれ最大5つまでノートに記入してもらいました。それを9週間続けた後、生活全般や健康状態について質問しました。その結果、感謝グループでは、他のグループに比べて、「人生は喜ばしいものである」と感じた人が多いだけでなく、健康状態の不調(頭痛、胃痛、めまい、肌荒れ、筋肉痛、下痢など)を訴えることが少なかったといいます。さらに、感謝グループでは、困っている人を慰めたり、助けたりという利他的行動をとる傾向が高まったといいます。感謝することが、感謝している人自身の幸福感や人生に対する満足感を高めるだけでなく、からだの調子を改善し、利他的行為を促し、ストレスやうつ状態を軽減する効果がある。(望みはかなう きっとよくなる 村上和雄 海竜社 120ページ)感謝することはさまざまな効用があることが分かります。感謝を忘れた生活に幸せは訪れないように思います。でも神経症で苦しんでいるときは、感謝することはあまりありません。ある先生の話によると、「うつ病の患者は家族を気遣って心配しなくてもよいと言うが、神経症の患者は家族に不平不満ばかりをいう」と言われていました。自分は神経症で苦しんでいるのだから、家族は自分のためにできる限りことをするのは当然のことだという気持ちが強いのだと思われます。また家族や他人が自分のために心底尽くしてくれても、そんなことは当たり前という気持ちになることが多いように思います。むしろやってくれたことが、自分が考えていた水準以下の場合、不平や不満や怒りを抱くこともしばしばです。ケガや病気をしたとき、財産や仕事を失ったときに、はじめて健康や平穏な生活のありがたさに気付いて、感謝することになります。森田先生のお母さんは森田先生が何かを欲しがった時は、下の人を見よと諭されたそうです。欲望を無制限に追い求める生活をしていると感謝の気持ちは持てないと思います。樹木希林さんは自分の身体は神様からの預かりものという考え方をされていました。貸していただいたことに感謝して、最大限に活用させていただくという考えを持っておられました。こういう気持ちを持っていると貸主もまた貸してあげようと思われるのではないでしょうか。人間としてこの世に生まれたことは大いに感謝すべきことです。実際には生まれた時代、国、社会、境遇、運命、性格、両親を恨んでいる人もいます。この世に生まれたことに感謝して、自分が持っているものを活かし、自分のできることに精一杯取り組むことは、人間として生まれてきた我々の宿命ではないでしょうか。私は毎日日記を書いています。内容はその日の天気や夕食の内容、主な行動、大きな出来事などです。それに加えて、その日のうれしかったことなどを書いています。今後は「ありがたい、ありがとう」という感謝探しも付け加えてみようと思います。村上先生は1週間に一度くらいでよいといわれていますので、これくらいのペースでやっていきたいと思います。そして小さなことに感謝できる習慣をぜひとも身に着けたいと考えています。
2023.06.19
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私はチンドン屋のグループに所属して、老人ホームや町内のイベントなどでチンドンミュージックを披露しています。コロナ前は年間20~30回ほどありました。今は再開に備えて、公民館でメンバー5名と練習を積み重ねています。その中で気づいたことを3点取り上げてみたいと思います。私の担当はアルトサックスです。その他、チンドン太鼓、サックス、アコーディオン、ゴロスの人がいます。演奏する時は、みんなに合わせることが不可欠です。楽譜には、音符の長さ、休止符があります。足でテンポをとって楽譜の指示に従う必要があります。自分勝手な演奏は仲間を不快にさせます。みんなと調子があった時は後でたたえ合います。楽器は毎日練習しないと、今まで身につけた演奏技術が退化してきます。毎日少なくても20分から30分の練習は欠かさないようにしています。習慣になっているとはいえ、時にはさぼってしまいたいと思うこともあります。練習の手を抜いてしまうとその悪影響は本番で出てしまいます。だから気分に流されてさぼるわけにはいかないのです。私のソロ演奏で始まる曲があります。本来は腕の見せどころですが、「間違えないでうまく演奏できるだろうか」と予期不安が出てきます。予期不安がでてくると、ちょっとしたパニックになります。すると金縛りにあったようになり、手先の動きがぎこちなくなります。間違えて恥をかくことになります。予期不安の原因は、次のように理解しています。何回も練習を重ねていくと、前頭前野が指示しなくても、手先が間違えることなく自動的に動くようになります。不思議なことですがこれは事実です。このときは前頭前野がお休みして、記憶が蓄えられている側頭葉や運動野から直接指示が出されているのです。ここで前頭前野が前面に出てくると混乱します。予期不安というのは、本来休んでいればよいはずの前頭前野がお節介をやきに出てきているのです。前頭前野は少しでも不安を感じる行動に対して、「お前、本当に大丈夫なのか」と詮索してくるのです。練習でほぼ100%の状態で仕上げたときに、前頭前野が介入してくるのはマイナスの作用以外のなにものでもありません。では前頭前野を介入させない方法があるのか。本番前のイチローさんや羽生結弦さんウォーミングアップが参考になります。本番前のルーティンのことです。彼らはリズムに乗ってほぼ毎回同じルーティン動作をとっています。意識をルーティンに向けて、予期不安を遠ざけているのだと思われます。ルーティンに丁寧に取り組むことで、前頭前野が前面に出てこないようにしているのだと思われます。ものそのものになりきることでその効果は確実に出てくるようです。私の場合は、楽器の状態や腹式呼吸や楽譜に意識を持っていくように心がけています。
2023.06.18
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西田文郎氏のお話です。あなたは独り言をよく言うほうですか?独り言には、プラスの独り言とマイナスの独り言があります。マイナスの言葉が多ければ、マイナスの思考にとらわれています。脳は同じことを何度も入力することでその情報が記憶として蓄積され、何度も行動することで学習してしまうのです。マイナスの独り言は大敵です。自分のマイナスの独り言に気付いたら、それをプラスの独り言にチェンジしてください。何でも構いません。最初はそう思えなくてもいいのです。脳は何度も繰り返しているうちに、そうかもしれないと「錯覚」してしまう特徴を持っているのです。(その気の法則 西田文郎 ダイヤモンド社)私の場合はマイナスの独り言が非常に多いです。ダメだ、イヤだ、ムリだ、つらい、しんどい、面倒だ、憂うつだ、恥ずかしい、くそったれ、運が悪い、後悔ばかりだ、失敗だらけだ、親の教育が悪かったなどです。これらのマイナスの独り言が自分を苦しめていることが分かりました。今後はマイナスの独り言は封印することにしました。そして意識してプラスの独り言に置き換える決意を固めました。そのための忘備録を作りました。いいぞ、その調子だ、おもしろい、楽しい、ワクワクするよかった、ありがたい、ツキがある、運が向いてきた。大丈夫、君ならできる。君には、自分という強力な味方がついている。エジソンは5000回の失敗の後で電球を発明した。失敗や恥ずかしい経験は自分という器を大きくする。貴重な経験に感謝。貴重な経験は宝物だ。貴重な経験は財産だ。後悔の経験を持たない人はいない。後悔の経験はブログのネタになるぞ。今がどん底だ。これからきっとよくなる。逆転人生って実にかっこいい。末広がりの人生に市民栄誉賞。クソッたれの人生に乾杯!錦帯橋 山の上に岩国城 ロープウェイで行けます
2023.06.17
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感情は天気と同じ自然現象だと言われています。天気といっても恵みの雨ばかりではありません。大型台風がやってくると甚大な被害が起きます。線状降水帯が発生すると、土砂災害などの被害に遭いやすくなります。また巨大地震、それにともなう津波、火山の噴火などはなすすべがありません。どんなに甚大な被害が予想されても、自然と戦って勝つことはできません。できると思っているとすれば人間の思い上がりです。自然現象は、基本的に人間は受け入れるしかありません。それと同じようにどんなに不快な感情も受け入れていくしかありません。湧きあがってくる感情は自然現象ですから、人間が自由にコントロールすることはできません。問題は不安、恐れ、怒り、不快な感情が湧き上がってきた場合の対応方法です。1、すぐに取り去ろうとする。売り言葉に買い言葉的な対応をとる。2、すぐに逃げる。回避する。逃避する。その時の気分に振り回される。3、荒れ狂う心を第三者的な立場から観察して時の経過に任せる。4、感情と行動は別物と考える。その時その場で適切な行動をとる。1と2の対応は問題あります。3と4の対応とることが大切です。しかし理論は理解できますが、実際には理論通りにはいきません。それは1と2の対応が習慣化しているからです。1と2の習慣を、3と4の習慣に切り替える必要があります。どうすれば新しい習慣に切り替えることができるのでしょうか。考えられることを整理してみました。1、不快な感情にすぐに反応しない。少しだけがまんする。少しだけ耐える。そのためには、間をとる。時間稼ぎをする。席を立つ。一服入れる。感情は一山登りきると下降線をたどるという感情の法則1を活用する。2、感情にレッテルを貼る。怒りの感情。不安な感情。悲しい感情。嫉妬の感情など。そして湧き上がってきた感情を第三者の立場から客観的に眺めてみるようにする。3、「グチは行動をにぶらせ、仲間を悩まさるだけである」と学びました。その通りだと思いますが、集談会では多少はグチを吐き出す方がよいと思います。グチを吐き出すと随分楽になります。先輩はグチを聞いてあげるように心がける。そのために集談会の場を活用するのは如何でしょうか。ここでしっかり吐き出して、普段の生活ではできるだけがまんする。4、感情に対して、良い悪いという価値判断をしない。選り好みをするよりも、きちんと向き合っているかどうかが問題です。これは池のなかを悠然と泳ぐ鯉のようなイメージです。5、つらい感情と向き合ってばかりでは辛いです。たまにはおいしいものを食べる。気心の知れた人と飲み会を開催する。カラオケで発散する。スポーツをする。趣味に打ち込む。気分転換を図るようにする。6、ペットの世話をする。観葉植物、自家用野菜作りに取り組む。集談会で世話活動に取り組む。お役立ち行動を心がける。これらを心がけると不快な感情は和らいでゆきます。7、規則正しい生活をする。そして生活のリズムを作り上げる。朝起きる時間、就寝の時間を守る。一日の時間の有効活用を考える。毎日同じ時間に同じことを繰り返すように意識して実行することで不快な感情が軽減できます。8、セロトニン神経系を意識して鍛えるようにする。セロトニンの活性化は怒りや不安などを和らげる効果があります。興味のある方は2022年2月13日、3月8日の投稿記事を参照願います。9、食生活の偏りをなくする。脳ではなく、腸が喜ぶ食生活を心がける。ファーストフード、外食、スナック菓子、清涼飲料水に偏った食事は、精神状態を不安定にします。食生活のバランスを心がける。これらは一つだけではなく、幾つも組み合わせて取り組むことが大切です。
2023.06.16
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五木寛之氏に無力(むりき)という本があります。厳しい現実を知って無力感に陥るのではなく、つらいことであれ、曖昧なことであれ、はっきりとそれを受け止める。曖昧なら、曖昧だということを受け止める。一人一人が、そうして無力(むりき)の第一歩をふみだすことです。(無力 五木寛之 新潮社 75ページ)無力に対して自力、他力という言葉もあります。自力というのは、困難な出来事に対して、自分の力で勇敢に立ち向かっていく態度のことです。尊いことですが、現実的ではない場合が多々あります。たとえば政治が悪いと言っても、自分一人で変革できるわけではありません。自力で行きづまると自暴自棄になる可能性があります。他力というのは、自分一人の力ではどうすることもできないものを、あるがままに受け入れていくという態度のことです。自分一人では対応不可能なので、神様のご加護を期待して祈ることになります。この態度は依存的、厭世的、回避的、消極的な生き方に陥ることもあります。五木寛之氏は、「自他一如」の考え方、生き方を提唱されています。自力と他力の狭間にいるという考え方です。その状態を無力(むりき)と言われています。これは円ではなく楕円を思い浮かべると分かりやすいです。楕円は円が2つ重なったようなもので、中心点が一つではなく二つになります。その中心点を行ったり来たりしている状態を想定されているのです。白でもなければ黒でもない。極端にどちらかに振り切れるのではなく、グレーの部分を認めるという考え方です。すっきりと割り切れないかもしれませんが、曖昧さを受け入れるということです。不安や問題点を抱えたまま、とにかく生き続けることが肝心です。優柔不断のようですが、時が経てばすべては夢幻のごとく過ぎ去ります。自力であれ他力であれ、そのあいだを揺れ動く状態を否定的にとらえるのではなく、人間はその二つのあいだを絶えず揺れ動いていくものであると理解する。肩の力を抜いて、不安定な自分のふらつきを肯定するのです。それが無力(むりき)という考え方の根本です。この考え方は森田理論の両面観という考え方に近いと思います。時に葛藤や苦悩を抱えて揺れ動きながら、それでも何とか生活を維持していく。時に不安や恐怖に振り回されながら、何とか命をつないでゆく。そんな状態で60年以上生き延びた人は、たとえ後悔することばかりだとしても、バーンアウトしなかったという点では、人生の成功者とみなしてもよいのではないでしょうか。葛藤や苦悩は時が経つにつれて夢幻のように過ぎ去っていくのですから。信楽焼
2023.06.15
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外国人は人と同じということに悩み、人と違うことを喜ぶという。人と違うところを持っているのは、神様から与えられた自分の個性、アイデンティティがあると考える。違うところを持っているのは、良いことだと考えて、それを活かして生きていこうとする。たとえハゲ、デブ、チビでもそれを改善しようとは考えない。ウィングなどを買い求めることはお金と時間の無駄になると考える。それよりもスキンヘッドを自分の売りと考えている節がある。ハワイなどではかなり太っている人がいるが、積極的にダイエットに取り組んでいる人はあまりいない。日本人はそうは考えない。人と違うということに引け目を感じる。人より劣っていると判断すると、時間とお金をかけて人並を目指すことになる。本来の目標や課題を忘れて、そこに全エネルギーを投入するようになります。本末転倒とはこのことです。特に完全主義、完璧主義の人はその傾向が強い。自分の持っている強みや長所に光を当てようとは考えない。ありがたいことだと感謝することはない。さらに強みや長所を大きく育てていこうという考え方はしない。実にもったいないことをしています。逆に弱点や短所はどんなに小さなことでも放置できないと考える。人と比較して劣っているところがあると、我慢することができなくなります。容姿、体型、能力、境遇、性格など人それぞれ違っていてもよいはずだが、本音の部分では受け入れることができないのです。弱点や短所を持っている人が、それが気になるのはどうすることもできない。不快な感情は池の中の鯉のように自由に泳がせておくことが大事になります。次に不快な感情に振り回されないように心がけることです。不快な感情と行動を切り離すことが、その後の展開を大きく左右します。不快な感情を抱えたまま、その時その場で適切な行動を選択して実行することが大事になります。
2023.06.14
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矢野惣一氏のお話です。愛の欠乏感によるさまざまな問題は、愛の偏り、つまり同じ愛ばかりを求めていることが原因で起こります。どんなにたくさん食べ物を食べても、偏りがあると栄養失調になってしまいます。同様に、どんなに愛されても、どんなに自分を愛しても、どんなにたくさんの愛を与えても、ひとつの愛だけでは愛が偏って「愛情失調」になってしまうのです。ポテトチップスばかりを食べて栄養失調になった人が、ポテトチップスを食べる量をさらに増やしていったところで、体調がますます悪くなってしまうのと同じです。愛の欠乏感を引き起こしているのは、愛の全体量の不足ではなく、3つの愛の偏りなのです。(うまくいかない人間関係は「愛の偏り」が原因です 矢野惣一 廣済堂出版参照)3つの愛とはどんなものか。1、他人から愛してもらうことに偏っている。依存的傾向が強い。2、自分を愛する気持ちが強すぎる。他人を愛する気持ちが希薄である。3、他人を愛する気持ちが強すぎる。自分を愛する気持ちが希薄である。ひとつの愛に執着してしまうと、愛の欠乏感を生み出します。人間関係の悪化はこのバランスが偏っているのが問題であると説明されている。この3つの愛を循環させることで、愛が満たされる。そして、愛を循環させるには、普段意識が偏っている愛とは別の愛に、意識を向ければよい。1は、他人が自分を暖かく迎え入れてくれているかどうかを気にしている。他者に依存して生きていくことになります。自立することが難しくなります。絶えず他人の称賛や評価に振り回されている。ミスや失敗、非難や否定を怖れて、行動は逃避的、消極的になる。2は、自己中心的である。自分の気持や欲求を一方的に相手に押し付けることが多くなる。相手の気持ちや考え方を聞くことがおろそかになっています。相手のことを批判、非難して対立的になっている。森田でいうと「かくあるべし」を相手に押し付けている。3は、相手の気持ちや要望を多少無理しても叶えてあげようとしている場合です。問題は、自分の本音、気持ち、欲望などが二の次になってしまうことです。潜在意識と顕在意識が対立してきます。自己犠牲の気持ちが強くなると、精神的な葛藤が生まれます。どれがより大切かという考え方ではなく、偏りをなくして、バランスをとることを心がけると人間関係は改善できると言われています。
2023.06.13
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リッツ・カールトンというホテルの接客は評判が良いそうだ。普通ホテルに予約の電話をいれて満室の場合、「あいにくその日は予約で全室埋まっております。申し訳ございません」と断られることになります。リッツ・カールトンでは、「私どものホテルではいっぱいでございますが、もしお困りでしたら、近くの同ランクのホテルの空き状況と料金をお調べしてご連絡できますが、如何いたしましょうか。よろしければ、私どもの方でご予約の手配もとらせていただきます。同業ですので割引できないかも伺ってみます」と返答する。こんな接客をされるとうれしくなります。リッツ・カールトンのファンになります。これは神経質性格にとってはとても参考になる話です。神経質性格者は細かいことによく気が付く人です。それが神経症に陥る原因にもなっているのですが、逆に心配性を逆手にとってきめ細かい気配りとして活かしていく方法もあります。森田に「不安は安心のための用心である」というのがあります。問題や心配事は小さいうちに対策を立てて解消しておくということになります。思いつくままにあげてみましょう。・バスに乗るときや集談会に参加する時は、あらかじめ小銭や会費を用意しておく。・健康診断・がん検診は毎年定期的に受けるようにする。・必要ならがん保険、医療保険、損害保険、生命保険、自動車保険に加入しておく。・地震に備えて家具などを固定しておく。できれば耐震化工事を行う。・詐欺まがいのメールがたくさん送られてくるので、迷惑メールに振り分けるようにする。・不審な電話に出ないように留守番電話に要件を録音するようにする。・黄色信号では無理をしないですぐに停止するようにする。・車線変更する時は後続車の確認を徹底する。決して無理な追い越しはしない。・本能的、依存症の傾向のある人は、それに近づかないように心がける。あるいは抑止力のある人と行動するようにする。・気分本位の行動は後で後悔することになるので厳に戒める。・家の補修、家電製品、パソコン、自動車などの買い替えに備えて資金計画を立てておく。これ以外にも人それぞれいろいろあると思います。小さな問題点や課題に気づくのは神経質性格のよいところです。気づいたときにメモして忘れないようにする。そして自分なりに整理して対策を立てて実行に移すことです。境港方面から見た大山
2023.06.12
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根本裕幸氏のお話です。心理学の世界では「怒りとやる気は同じエネルギー」という表現をします。バイタリティがある人を思い浮かべてください。イキイキとして、やる気に満ちています。そういう人って意外と怒りっぽかったり、とても感情的だったりすると思いませんか。だから、怒りを抑圧すると、やる気もなくなってしまうのです。これはまた他の感情にも言えることです。「悲喜こもごも」「泣き笑い」という表現があるように、悲しみと喜びもまた表裏一体の感情です。だから、悲しみを抑圧して麻痺させてしまうと喜びを感じたり、笑ったりすることができなくなります。同様に、「寂しさ」を我慢すると「人とのつながり」を感じられなくなります。人に甘えることもできないので、どんどん孤立感が強まっていきます。また、「怖れ」を感じないように抑圧していると、何に対してもときめきを感じなくなり、ワクワクできなくなります。つまり、何事に対しても淡々とした態度をとってしまうようになるのです。人間は喜びや楽しみなどのポジティブな感情だけを感じることは心の世界では不可能なのです。ネガティブな気持ちもあるからこそ、ポジティブな感情もまた感じられるようになるのです。(7日間で自分で決められる人になる 根本裕幸 サンマーク出版 182ページ参照)ネガティブな感情を取り去ろうとすると、大きな問題が生じるということになります。ネガティブな感情を抑圧していると、ポジティブな感情も同時に抑え込まれてしまうのです。ポジティブな感情によって、やる気が高まります。積極的な行動の源泉ともいえるものです。ポジティブな感情を大事にしたいと考えている人は、ネガティブな感情を排除しないで、宝物ものように取り扱うことが欠かせないということになります。
2023.06.11
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私が森田理論学習の時に役に立っている資料です。内容は2013年3月29日、30日、31日に投稿しています。スキャンしました。まだ不鮮明ですが投稿してみます。
2023.06.10
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以前に生活の発見誌に載っていた悩み相談です。ある製造業の会社員です。25年務めているのですが、職場の雰囲気になじめず、みんなから信用もなく蚊帳の外のような状態で苦しんでいます。具体的には、仕事上のミスが多かったり、それに対して上司がぼろくそに言ったりして、またみんなの前で罵倒するため、下のもの、女子社員などもみんな自分を馬鹿にしているみたいです。給料泥棒とか、何をやっているですか、しっかりやってください。本当に大学を出ているのですかなどと言われます。症状としてはビクビクして仕事が手につかない。自信がない。こんな状態で社会生活を営めるのだろうか。廃人になるのではないかという恐怖感があります。この方は会社のなかで無援孤立状態にあるようです。このままでは心身ともに益々悪くなることが予想されます。また対症療法で簡単に問題解決というわけにはいかないと思います。生活の発見会には森田理論に詳しい協力医がいますので早速受診されることをお勧めします。仕事ができる精神状態にあるのかどうかを診断してもらいましょう。一時的に薬物療法が必要なのかもしれません。治療と並行してカウンセリングを受けることも有効だと思います。生活の発見会には、森田理論に詳しいカウンセラーのリストがありますので、活用されることをお勧めします。あるいは生活の発見会には、有料ですが「電話相談」も受け付けています、メンタルヘルス岡本記念財団には臨床心理士の相談もあるようです。また「いのちの電話」相談などもありますので視野を広げて考えるようにしましょう。一人で悩むことは避けた方がよいと思います。私も一時このような状態になったことがあります。自分が自分でないような感じで仕事どころではありませんでした。近くの精神科のクリニックで薬を処方してもらって飲んでいました。それともう一つ良かったのは、集談会の先輩が毎週土曜日に「読書会」を開いておられました。私は毎週そこに行って苦しみを吐き出していました。自分の悩みを聴いて相談に乗ってくれる人がいるというのは「心の安全基地」を持っているようなものです。地方の方で近くに適当な集談会がないという方もいらっしゃるかもしれません。現在生活の発見会では、オンライン集談会があります。家に居ながら全国の人とつながります。自分が安心できる母港を確保しておくことは精神衛生上必要だと思います。今はアリ地獄の底に落ちて苦しんでいる状態だと思います。捨てる神もあれば拾う神もあります。希望を捨てないことです。なんとかして地上に這い出ることにエネルギーを投入しましょう。地上に這い出てから少しずつ森田を学習して、生活に応用していく方向を目指されたら如何でしょうか。
2023.06.10
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神経症で苦しんでいる人は、愛着障害を抱えているように思います。そして、子どもの発達過程に沿った育て方をされてこなかったという問題があります。岡田尊司氏やモンテッソーリ教育を学習して自分の抱えている問題点が分かっても、今や時遅しという気持ちを持っている人もいらっしゃるかもしれません。でもその辛い経験を、子どもや孫、今子育て真っ最中の人たちに伝えていくことができたら、こんなに役立つことはないのではないかと思うのです。自分の辛い経験を反面教師として活用できれば、過去を否定することはなくなります。災い転じて福となすことになります。特にモンテッソーリ教育は実に多くのことを教えてくれています。1歳半から3歳頃の子どもには「敏感期」と言われる時期があります。第一反抗期とも言われています。この時期の子どもは、自分の中にある「秩序」や「ルール」に従わなければならないという、抗いがたい衝動を持っています。ですから、親が子どもの持っている秩序やルールを無理やり変更しようとすると泣いて抵抗するのです。親たちは「またイヤイヤが始まった」思っているかもしれませんが、子どもは何かを嫌がっているというよりは、自分の中にある秩序に従いたいと強く思っているだけなのです。・ある目的のために(物事には順序という秩序があることを知るために)・ある時にだけ(2~3歳のとき)・何かに対して(順序に対して)・非常に強く反応する(敏感になる)この「秩序の敏感期」は、順序、習慣、所有、場所と4つに分かれています。関心のある方は、下記の図書をご参照ください。敏感期は「その時期には獲得することがやさしいけれど、後になると非常に難しい」という特徴があります。親が子どもの「秩序」「運動」「社会的行為」「言語」の敏感期を知っていて、子どものこだわりを受け入れることができれば、子どもは生きていく上で必要不可欠な能力を獲得できるのです。そのために親は子どもにどんな「敏感期」があるのかを学習しておく必要があります。これに関してはモンテッソーリ教育理論を学習すればよく分かります。次に子供が2歳から3歳になったとき、今どんな敏感期にあるかを観察して見極めることです。見極めることができたら、特に危険なこと以外は、子どものやることなすことをなるべく口を挟まずに見守るようにするとよいのです。これだけで子どもは自分一人でいろんな能力を獲得していくようになっているのです。
2023.06.09
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山崎房一氏の本を読んでいると心が安らぎます。自分の最大の敵は自分自分にとって一番恐ろしいことは自分が他人の目で自分の欠点を責めたてて自分の存在を否定すること自分にとって一番心強いことはどんなことがあっても自分が自分の味方になって自分を守ることです自分にとって自分は自分の安住地でなくてはなりません(70ページ)小さな幸せ ほんとのしあわせこの世の中には二つのタイプの人間がいますその一つは大きな幸せの中にいながらその中の小さな不幸せのみを見つめていつもブツブツ言いながら不幸せに生きている人もう一つは大きな不幸せの中にいながらその中の小さな幸せだけを見つめていつも幸せに生きている人です(79ページ)
2023.06.08
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緩和ケア医の大津秀一氏のお話です。大津氏は「受容」という言葉は私はあまり好きではないと言われています。「私はがんを受容しています」「私は失恋を受容しました」「僕は親父の死を受容しました」「私は離婚を受容しました」精神的に大きな痛手を受けた人がそう簡単に受容できるものでしょうか。受容したいけれども、何か心残りがある。わだかまりがある。建前と本音がちがうといった感じでしょうか。ですから安易に割り切って「受容」しますというのは違うような気がするのです。でもそれらを「受け止める」ことはできるでしょう。ネガティブな感情のすべて受け入れるのではなく、そういう事実があるのだと「受け止める」という気持ちを持つことはできます。私はそれを「同化」だと思っています。生物学的な「同化」は、ある物質から身体にとって必要な別の物質を体内で合成することを言います。不都合な事実をそのまま「受容」しているのではなく、「同化」してより身体にとって必要なものに変えていっているのです。(傾聴力 大津秀一 大和出版 参照)大津氏は本音で「受容」できないものを、無理して受け入れない方がよいと言われています。私たちは森田理論学習の中で、不安、恐怖、違和感、不快感などは欲望の裏返しとして発生しているものであるので、「受容」することが大事であると学習しました。「受容」というのは暗黙の了解事項なのでそれを疑う人はいません。大津氏によると、「受容」とは別のやり方があると言われています。何が何でも「受容」するというのではなく、自分を第三者的な立場に置いて、不安を感じている自分を客観視するということです。「そういうマイナス感情に浸っているのだね」と意識するということです。不安、恐怖、違和感、不快感などにとらわれている自分を客観的に見つめて、そのような感情に振り回されている自分を自覚するだけでよいのです。良いとか悪いとかの価値判断は必要ありません。不安や不快感などを客観視できると、問題行動を回避できるようになります。マイナス感情と行動をきちんと切り分けることは森田の核心部分になります。「受容」しなければいけないと思っていると、ある一定のところまでは耐えることができますが、限界を超えると大爆発してしまう危険性があります。なおこの考え方は、2016年10月13日投稿の「脱同一化」と関係があります。関心のある方はご参照ください。
2023.06.07
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加山雄三氏は、1937年(昭和12年)生まれです。現在86歳です。その加山さんが今までの人生を振り返って、「関心、感動、感謝」の気持で生きて来たと言われています。これは森田の生き方に通じるところがあるように思います。興味、関心、好奇心・・・加山さんは、大のゲーム好き、鉄道マニア、油絵、料理、スキー好き、船好き人間だそうです。興味や関心があることはためらうことなく手を出してみましょう。私は加山さんに比べるとスケールは小さいですが、自家用野菜、花つくり、加工食品作り、メダカの飼育、一人一芸、ネット麻雀、競馬、読書、ブログ、カラオケなどを楽しんでいます。感動・・・私は神経質性格に生まれてきてよかったと思っています。神経質性格は、心配性で小さなことに振り回されることもありますが、感性が豊かで鋭いすばらしい性格でもあります。そのおかげでベートーベンの第九の合唱団に参加して、歓喜の大合唱の感動も味わえたのではないかと思っています。細かいことに気が付くことは、生まれながら高性能のレーダーを標準装備していることであり、これを宝の持ち腐れにしてはいけないと考えています。藤沢周平氏の小説を読んで、より深く共感できるのは、この鋭い感性のおかげだと喜んでいます。感謝・・・妻とは若いころは喧嘩ばかりしていました。自分の「かくあるべし」を一方的に押し付けていました。夫婦仲は最悪で、離婚しないでよくぞここまでもったものだと思います。その妻が病気で入院しました。今まで料理、洗濯、掃除、親戚や近所の人との付き合いは全て妻に肩代わりしてもらっていました。自分でやることになって家事は大変なことだということがよく分かりました。今まで毎日おいしい料理を工夫して作ってくれたことに対して、自然に感謝の気持ちが湧いてきました。これからは妻に対して感謝と尊敬の気持ちを持っていきたいと考えています。夫婦の人間関係が好転してくると家の中が穏やかになりました。
2023.06.06
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人間は他人から非難、否定されるとすぐに気分を害するようだ。本人がやる気をなくするだけではなく、非難、否定した人を恨むようになる。非難、否定するのは信頼関係ができているときには、たまに絶大な効果をもたらすことがあるが、それ以外にはほとんど効果はない。私の近くには「ほめる自動車教習所」というのがある。その教習所の送迎車には堂々と「ほめる教習所」と書いてある。やさしい女性の指導教官も多数いる。ちなみにほめる教習を謳い始めてから生徒が増えてきたという。運転免許はこういう教習所でとりたいものだ。プロ野球の伝説のコーチ高畠導宏氏の指導方法は、まさにほめてほめてほめまくる指導方法だった。「私は、コーチになるとき、よーし、ほめまくってやろう、選手をほめてほめまくってやろうと思ったんですよ」「プロの世界に入ってくる人間は、必ずどこかにいいところがある、人より優れたところがなければプロには入ってこられません。だから私は、人より優れているその部分を徹底してほめようと思いました。以後30年、私は一度も選手を怒らずに通してきました。その方が、選手ははるかに成長するからです。だから、私のコーチ時代というのは、本当に選手をほめまくった30年だったと思います」高畠氏は、プロ野球の選手の欠点は直そうとしても直るものではないといわれる。「たとえば技術的なことで、その選手のバッティングに、ある欠点があったとします。しかし、ピッチャーがボールをリリースするところから、バッターのミートポイントまで距離はわずか約15メートルほどしかありません。その短い距離をボールは0.4秒前後でやってきます。しかも、プロの威力あるボールが、その間に沈んだり、食い込んできたり、逃げていったりするんです。そしてボール球は見逃し、ストライクは打たなければならない。プロ野球とはそういう世界です。その中で、身体が覚えてしまっている欠点を直そうとしたって、直るものではありません。ああだこうだ、とコーチがいったって直らないんです。無駄な努力です。だから長所を伸ばすんです。欠点を直すのではなく、その選手がほかの選手より優れているところを伸ばすことが重要なんです」(甲子園への遺言 伝説の打撃コーチ高畠導宏の生涯 門田隆将 講談社 265ページ)この話は人を教育して一定のレベルに押し上げようとする時に参考になります。相手を観察して、その人の努力過程、強みや長所をみつけてそこを評価する。それを土台にしてさらに多少の上積みを期待してよりよい提案をする。そして失敗しても「ドンマイ、ドンマイ、そのうちきっとできるようになるはずだ」といって、暖かく見守る。急いで理想の水準に到達させようとしないほうがよい。目的に至るまでいくつかの段階を設けて、着実に階段を登らせる。うまくいかなければ、元に戻って一緒に考えてみる。上から目線で重箱の隅を楊枝でほじくるようなことは百害あって一利なしである。そういう気持ちのない人は、人を指導・教育しようとしてはならない。双方が同時に不幸になるからである。
2023.06.05
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山本五十六に次のような人生訓がある。苦しいこともあるだろう云い度いこともあるだろう不満なこともあるだろう腹の立つこともあるだろう泣き度いこともあるだろうこれらをじっとこらえていくのが男の修行である森田理論を学習した私は次のように言い換えて座右の銘にしている。苦しいこともあるだろう云い度いこともあるだろう不満なこともあるだろう腹の立つこともあるだろう泣き度いこともあるだろうこれらをじっとこらえて不快な感情は自由に泳がしていくつぎに不快な感情と行動をきちんと分離する行動はその時その場で適切な選択を行い実行に移すこれが森田の修養であるなお修養とは、実行の復習であって、思想の規定ではない。実行によって精神の働きや動きを体得することを言います。森田先生は修養とはともかくも実行であると言われています。
2023.06.04
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生活の発見誌6月号に森田理論を様々に応用している人の記事がありました。その方は教師で教育に応用しているということでした。一つの例ですが、運動会の徒競走のときのことです。知的障害のある1年生の一人の女子は、担任の先生たちが横で励ましても、スタート地点から走ろうとしませんでした。学年主任だった私は、その子の前の方から、その子の名前を大声で呼んで、近づきました。すると、その子は私の方に向かって、走りだしました。私はその子の少し前を走ってゴールに向かいました。すると、その子は、私を追いかけて、ゴールできました。これは、目の前の目的を示すという森田の教育への応用の成果と思っています。(同書 66ページ)井戸水を汲み上げる時、呼び水を入れると水をスムーズに汲み上げることができます。この先生の行動は呼び水の役割を果しています。上杉鷹山は、「してみせて、言ってきかせて、させてみる」と言っています。さらに、山本五十六は、「やってみせ、言って聞かせて させてみて、誉めてやらねば人は動かじ」という言葉を残している。これが3点セットとして作動することで、梃子でも動かなかった人が、行動に踏み出すことができたとすれば、試してみる価値があるように思います。森田は、日常生活のなかで、小さな課題や目標を目指して、小さな喜びや達成感を数多く味わうことをお勧めしています。学校教育のなかで実際に子どもたちに働きかけて、成果をあげられたということは実に素晴らしいことです。わが家のベランダ
2023.06.03
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この言葉は私が尊敬している玉野井幹雄氏の言葉です。この言葉は玉野井氏の闘病体験と関係があります。玉野井さんは、10年間は老人性うつ病で苦しんだといわれる。その前に対人恐怖症で30年間も苦しんだといわれる。対人恐怖症はその後良くなったのですが、その時のキーワードが「地獄に家を建てて住む」ということだったそうです。玉野井さんは、「症状があるままやるべきことをやってきた」にもかかわらず、対人恐怖症の苦境から抜け出すことができなかった主な原因は、どうしても「不快感がなくなることを期待する心がなくならなかった」からであると説明されています。その心がなくならないと、すべての行動が「不快感をなくするための手段になってしまって」、つねに結果を期待することになりますから、うまくいかないわけです。そのために「森田」がいつも言っている「あるがまま」とか「事実本位」とか「目的本位」という言葉も、一時的には効果があるような気がしましたが、本当のところを体得することができず、問題を根本的に解決するには、ほとんど役に立たなかったのであります。そういう苦しい状況が永くつづいた末に、ようやく自分の中から最終的な結論のようなものが出てきました。それは、「どんなことをしても、この苦しい状況からは抜け出すことはできない」「このまま、できるだけのことをして、命のあるかぎり生きるしかない」というものでした。そのときの私は、もう力尽きていましたので、それが如何なる結果になろうとも、それに従って生きるしかないと覚悟せざるを得ませんでした。そしてやむを得ず、「自分の救いを断念して、自分がどのようにして駄目になっていくかを見届ける態度になった」のであります。(いかにして神経症を克服するか 玉野井幹雄 自費出版 47ページ)この話を基にして私の対人恐怖症を振り返ってみました。私の症状は他人から非難される、否定される、バカにされる、からかわれることに振り回されるということでした。そういう場面が予想されると、すぐに逃げ出してしまうのが問題でした。その裏には、良い評価をされたい、一目置かれるような人間になりたいという強い欲求がありました。私は玉野井氏が言われるような覚悟を決めることができませんでした。それは、逃げ回りながらも、何とかなっていたからです。つまり絶体絶命の気持ちになれなかったのです。そういう状況では「地獄に家を建てて住む」というような気持ちにはなれません。私が症状から解放されるきっかけは、森田全集第5巻のなかで森田先生の宴会芸の話を読んだ時です。森田先生が余興で鶯の綱渡りという芸を披露されたというのです。(森田全集 第5巻 293ページ)私は直感的にこれはいけると思いました。そういう視点で森田全集第5巻を読んでみると、例えば大岡越前の三方一両損の寸劇の話も紹介されていました。そのとき私は森田理論を理解することばかりにエネルギーを使うよりも、みんなが喜んでくれるような一人一芸の習得にかけて見ようと思ったのです。そのときは、この取り組みが症状の克服に役立つものとは思いませんでした。森田理論を何年も学習しているのに、はかばかしい成果がないので仕方なく方向転換をしたという感じです。今考えると、この取り組みをしているときは神経症のことは忘れていました。今まで神経症にどっぷりと漬かっていたのですが、症状以外のことに注意や意識を向けたことが大きかったと思います。また、この取り組みは、利害関係のない温かい人間関係を作ることができました。対人恐怖症の私にとっては水を得た魚のような気持になりました。私の場合、玉野井さんが言われる「救いを断念する」ということは、一人一芸に取り組むことで、意識しないうちに結果的に達成されていたのではないかと思っております。なお一人一芸は、獅子舞、浪曲奇術、どじょう掬い、腹話術、アルトサックス、傘踊り、チンドン屋などです。どれも名人芸までには至りませんでしたが、神経症の克服には役立ちました。これ等を携えて老人ホームの慰問、地域のイベントなどには数多く参加しています。山口県角島大橋
2023.06.02
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昨日の続きです。嫌疑恐怖を改善するには、感情の法則を活用することをお勧めします。疑われているという不快な感情はどうすることもできません。そんな時は「疑われていると思っているんだね」とその感情を素直に受け入れる。次に、不快な感情と行動を区別して考える。その時その場で適切な行動を選択して実行に移す。森田理論ではこの手法をお勧めしています。これは簡単なようで結構ハードルは高いです。自分のものとして定着するにはどうしても時間がかかります。もうひとつの改善方法としては「愛着障害の修正」です。愛着障害は他人に対して信頼感が持てなくなることです。親との関係のなかで、愛着の形成がうまくできなかったことが影響しています。愛着の形成は、生後6か月から1歳半くらいまでに行われると言われています。愛着がスムーズに形成されるために大事なことは、十分なスキンシップとともに、母親が子どもの欲求を感じとる感受性をもち、それに速やかに応じる応答性を備えていることである。子どもは、いつもそばで見守ってくれ、必要な助けを与えてくれる存在に対して、特別な結びつきを持つようになるのだ。求めたら応えてくれるという関係が、愛着を育むうえでの基本になるのである。この時期、母親はできるだけ子供の近くにいて、子どもが求めた時に、すぐに応じられる状態にあることが望ましい。(愛着障害 子ども時代を引きずる人々 岡田尊司 光文社新書 24ページ)岡田尊司氏は、一旦愛着障害を抱えた人でも、その後の対応次第では、愛着障害を乗り越えることができると言われています。「愛着障害の克服 愛着アプローチで人は変われる」(光文社新書)という本です。人は怖いものだと思っている人や絶えず人の思惑が気になる方はぜひ参考にしてもらいたい本です。愛着障害を克服するヒントが満載です。なお、このブログには愛着障害の投稿記事が20本近くあります。関心のある方は、2015年9月27日~10月8日の投稿記事をご参照ください。
2023.06.01
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