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気分本位の行動パーターンが習慣になっている人がいます。面倒だ、しんどそう、気がすすまない、やる気がなくなった、どうせうまくいくわけがない、エネルギーの無駄遣いは避けたいなどのマイナス感情が湧き起こったときに行動することを躊躇してしまう。またせっかく行動し始めても、急に心変わりして、目標に向かう努力を中止してしまう。気分本位の行動は、少しだけ肩の荷が下りたような気持ちになります。でもしばらくすると、課題や目標を失って、暇を持て余すようになります。その隙間を刺激的、快楽的、享楽的、瞬間的な刺激や快楽で穴埋めするようなことを考えるようになります。気分本位は本来の人間の生き方から離れていきます。なぜ気分本位に陥るのでしょうか。甘やかされて育ったため、耐える、我慢する力がない。失敗や挫折を乗り越える力が育っていない。一度の失敗ですぐにあきらめてしまう。しんどい思いをしても、失敗すればすべてが水の泡になると考えてしまう。もし期待するような効果が得られない場合は、時間とお金が無駄になると考える。イヤな気持ちを乗り越えると、成功体験が持てるという気持ちになれない。そういう体験がないので、すぐに予期不安でいっぱいになる。どうすれば気分本位を回避できるのでしょうか。イヤイヤ仕方なしの行動でも、ものそのものになりきれば、興味や関心が生まれて課題や目標を持つことができます。森田先生が言われているように、いつまでも「お使い根性」の行動が続くと、気分本位になりやすくなります。日常茶飯事の生活の中で小さな目標や課題を見つけることが肝心です。小さな目標や課題は気分本位になりにくいと思います。小さな成功体験は、次の行動への呼び水となります。そのためには気づいたことや思いついたことをすぐにメモする。とにかくストックを増やすことを心がける。今すぐにできないことは次の休みの時の課題にする。さらに気分本位に陥りそうなときは単独行動は避けるようにする。信頼できる人と行動を共にする。人目があると気分本位にはなりにくい。例えば営業の仕事をしている人は、気分本位になると仕事をさぼるようになります。それを避けるためには、同行営業が有効です。
2023.11.30
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子どもが「お母さん、おなかがすいた」と言ってきました。あなたならどう答えますか。よくありがちな対応。「今作っているからもう少し待ってなさい」「少しだけおやつでも食べてなさい」「はしたないわね」子どもはおなかがすいたという気持ちを伝えているのです。どうしてすぐに「もう少し待っていなさい」と指示をしたり、解消法を教えたりするのでしょうか。すぐに指示やアドバイスをしたくなるのが人間の性分なのでしょうか。人間は観念的な生き物ですので、問題点や課題を見つけるとすぐに対応策を考えます。その前に子どもの立場に立ってみる、行動することが大事になるのではないでしょうか。「そう、おなかがすいているのね」「食欲旺盛だね」子どもの発言をオウム返しに繰り返す。子どもの気持ちを代弁する。「今日はあなたの好きなハンバーグをつくっているのよ」「後10分くらいで出来上がるよ」この手法は集談会の体験交流の時などでも心掛けたいことです。「仕事をする意欲が湧いてきません。親と一緒に生活していますので、何とか生活しています」これに対して、「森田では気分本位ではいけないといいますよ。仕事が好きでたまらないという人はめったにいませんよ。仕事をして生活費を得て自立していくことは社会人としての基本ですよ」「イヤイヤ仕方なしに、足を引きずりながらでも会社に行くようにした方がよいと思いますよ」これらはすべて正論です。でも正論を押し付けられると反発したくなります。ここでは相手の身になって考えるということが欠けています。自分の考えを述べる前に、相手の気持ちを思いやることです。相手の立場に立てれば、発言内容は全く変わってくるはずです。「今は仕事をする気持ちにはなれないんですね」「親が健在で生活は維持できているようですね」「仕事をする意欲を高めたいと思っておられるような気がしますが、それで間違いありませんか」「親が歳をとってきたときのことを心配されているようにお見受けしましたが、それで間違いありませんか」相手はこのような発言に対して、さらに話を続けたくなります。「それは辛いですね」と同情する必要もない。ただ相手の置かれている状況、感情や気持ちを相手の身になって考えてみる。ワンクッション間を置くということですが、これが人間関係に好循環をもたらします。広島県江田島市のオリーブ油工場
2023.11.29
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対人恐怖症の人は、この言葉が示している通り、基本的には他人と接触することが怖いという意識が強く働いています。他人は自分に対して危害を加えるという感じを持っている。油断しないで絶えず警戒する必要があると思っています。無条件に人を信頼するという感覚は持ちにくいのです。人の行動を好意的に受け取ることも難しい。距離を置いて、敢えて近づかないように心がけている。対人恐怖症の人は親しくなればなるほど気が重くなります。息苦しさを感じてしまう。早く一人になってゆっくりしたいという気持ちが強く働いています。そういう人は他人と関わる仕事はとても困難です。例えば営業職、マネージメント、監督業、教師、接客業などの仕事は困難を極めます。できるだけ人と関わらないような仕事を選ばざるを得なくなります。パイロット、運転手、重機の操作、研究職、職人、料理人、士業、農業などです。この感覚は親との関係の中で形作られたものですが、容易に取り去ることはできません。小さいときに犬に吠え立てられて追い回された人が、大人になってもそのトラウマに悩まされているようなものです。周りの人から犬はかわいいものだと言われてもその気になれません。ではそういう人は、孤立してさみしい人生を送ることになるのか。私の経験ではそうは思いません。基本的に人間の幸せは、仕事、日常生活、子育て、趣味などで、目標や課題を見つけて積極的に行動していく中にあると思っています。人間関係が良好というのに越したことはありませんが、別に人が怖いという人であっても、それだけで孤独で寂しい人生が待っているわけではないと思います。私は親が自分に与えてくれた神経質性格のプラス面を活かして生きていくことを考えました。その中に好奇心が強いという特徴があることが分かりました。小さなことに興味や関を持つことができる。感性が鋭く小さなことに心を動かされることが多い。これは生の欲望がきわめて強いということだと思います。自分の好きなことや挑戦してみたいことに手を出していけば楽しい人生になるかもしれないと考えたのです。今興味や関心があることを思いつくままにあげてみると、カラオケ、音楽好き、クラッシックのコンサート鑑賞、第九の合唱、マーチングバンドの鑑賞、パソコンの操作、ナビを使いこなす、ZOOMのホスト役、川柳、ユーモア小話作り、アルトサックス、どじょう掬い、浪曲奇術、獅子舞、腹話術、そのほかの一人一芸、男の料理教室、健康マージャン、磯釣り、草花や盆栽の世話、メダカの世話、自家用野菜作り、果樹や庭木の手入れ、加工食品作り、小旅行、写真の編集、工場見学、そば打ち、リサイクルショップ巡り、プロ野球観戦、老人ホームの慰問、居酒屋での飲み会、森田理論学習、ブログの更新、読書、テレビの録画と編集、孫との交流など。他人に気を遣うことなく心ゆくまで楽しんで過ごしていきたいと考えています。これらに取り組むと、他人の存在が怖いという気持ちがあっても、ある程度悔いのない人生を送ることができます。
2023.11.28
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私の父親は仕事での人間関係で躓き、私が物心ついたころから昼間から酒を飲んで酔っ払っておりました。そのうちアルコール中毒になり肝臓を壊して入退院を繰り返していました。52歳のときに突然心不全で帰らぬ人となりました。私は父親から父親らしいことをしたもらった記憶がありません。運動会、授業参観日などに1回も来たことはありません。家族で一緒にどこかに出かけたという記憶もありません。基本的には子どもの教育には関心がなかったのでしょう。子どもがどんなことに困っているのか。どんな素質があるのか。どんなことに興味や関心があるのかについては無関心でした。子どもの話を聞く。子どもに寄り添って見守ることは苦手でした。私はピンチの時は相談に乗ってほしかったのですが叶いませんでした。男の生き方を教えてほしい気持ちがありましたが叶いませんでした。育児放棄という状態でした。反対に私がやることなすことに、叱責、非難、否定、暴言を吐くことは日常茶飯事でした。毎日が憂うつでした。私は父親を軽蔑するとともに、いつも避けていました。親父との関係がその後の私の人生にマイナスの影響を与えたと思います。私の頭の中ではどんなことを考えていたのか。少しでも父親の気に障るようなことをしてはいけない。そうしないと罵詈雑言で責められる。とにかく父親から離れていれば安全だ。行動などでつけ入る口を与えないように細心の注意を払うようになりました。そして褒められるようなことをしないと父親は決して自分を認めてくれないという気持ちが強くなりました。無視され、自由放任、育児放棄、非難否定されて育った子供はどうなるか。まず何かあった時の後ろ盾がないので臆病者になります。なんとか重い腰をあげて挑戦しても、一旦躓くとすぐに挫折してしまいます。子どもの私は家を追い出されたら生きていくことはできません。父親の生きざまに絶望しながらも、父親を頼って細々と生きていくしかありません。不安や恐怖に取りつかれて、精神的な自立が遅れました。対人関係では、人への信頼感を持つことができなくなりました。人を見ると自分に危害を加える恐ろしいものという先入観があるのです。人に頼ったり、人の好意にすがることは考えられないことです。人と仲良くして、みんなで楽しい時を過ごすということは避けるようになりました。それよりは一人で過ごすほうがよほど精神的に楽なのです。そういう傾向は大人になってますます強くなっていきました。社会人になると、他人から危害を加えられないよう細心の注意を払うようになりました。自分の気持、感情、本音、意向、欲求などを押さえつけて、相手に媚びるようになりました。自己防衛的な人間に親しく近づいてくる人は少ないです。しだいに孤立してゆきました。本音を無視して、他人の思惑に振り回される生活は針の筵に座らせられているようなものです。そういう私に救いの手が差しのべられました。それは森田理論と生活の発見会と集談会に出会ったことです。集談会は同じような悩みで苦しんでいる人が、自分の苦しみを聞いて共感してくれるのですから居心地がよかったです。その中でも森田理論に詳しく、森田を生活の中に応用されている先輩がおられました。私は運よく心の安全基地、困ったときに身をよせることができる母港を見つけることができました。あれから37年、森田の自助組織に出会っていなかったらと思うとぞっとします。それから私は集談会の世話活動にずっと関わってきました。世話活動は自己中心的な生き方を見直すきっかけになりました。対人恐怖の人は他人やペットや植物の世話活動をすることが癒し効果になります。また一人一芸を身に着けて、老人ホームや地域のイベントなどでのボランティア活動にも取り組むようになりました。見ていただく皆さんに喜んでいただくとともに、仲間との貴重な人間関係が広がりました。これは対立関係のない楽しくて安心感のある心温まる交流ができます。それ以外にも、メダカの世話、草花の世話、庭木や果樹や自家用野菜の手入れなどに積極的に取り組んでいます。他人の役に立つ活動が私の心の痛みを多少なりとも癒しているのだと感じております。以前は長生きしても虚しいだけだと考えていましたが、今ではできるだけ長生きをして人生を楽しみたい。人の役に立つことをしたいという気持ちが出てきました。
2023.11.27
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私は以前悪夢にうなされて夜中に目が覚めることが多かったです。数は少ないのですが、最近は楽しかった時の夢も見ることがあります。これについて、普段の心がけが影響しているのかなと考えています。・1日1つの感謝探しをしている。・1日1つのよいこと探しをしている。・それらを毎日日記に書いている。次に普段の生活の中で無意識に否定言葉を使っています。ダメだ、イヤだ、ムリだ、面倒だ、嫌いだ、最悪だなどです。それに気づいたとき、直ちに「今の言葉は取り消します」と言います。すぐさま肯定言葉に置き換えるようにしています。できるかもよ、大丈夫だよ、もしできたら自信になるよ、弾みがつくよ、成長できるよ、小さな成功体験、感動体験が生まれるよ、みんなから誉めてもらえるかもよ。もしミスや失敗を逆手に捉えて、将来に活かせば、加点対象になると考えるようにしています。それから忘備録を見ていつも仏壇の前で口にしている言葉は次の通りです。・自分は自分の最大の味方である。必ず自分を守り通してみせます。・弱気は最大の敵だ。形から入ろう。・やってはいけないことは我慢しよう。耐え抜こう。・やるべきことは苦しくても辛くてもボツボツやっていこう。・不快な感情は錦鯉のように自由自在に泳がそう。きちんと向き合う。そして客観的に眺められるようにしよう。・感情と行動は別物として取り扱う。売り言葉に買い言葉的な発言は極力避けたい。・行動はその時その場で適切なものを選択して実行する。特に相手の心証を悪くするようなことは絶対に言わないようにする。油断するとすぐに元の木阿弥なる。これができると敵対する人が激減する。・この身体は神様からの預かりものである。貸していただいたことに感謝して、与えられた能力を活かして人の役に立つことを実行していく。これを毎日仏壇の前で唱和すると、ご先祖様のご加護があるような気がする。これらは過去のことにいつまでもとらわれないことに役立っているようだ。
2023.11.26
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これは生活の発見誌10月号の高良武久先生の言葉です。一毫(いちごう)というのは髪の毛が一本というような意味で、わずかなちがいという意味です。我々のまわりには、身体的にも精神的にも優れた人が至るところにおります。体格面においても、あるいは筋肉の点においても、または容姿、運動神経なんかの点においても、自分より優れた人がいくらでもおります。精神的にも、いろんな能力、才能、あるいは技術など、我々より優れた者が、至るところにいるのでございまして、そういう者と比較をしますと、どうしてもわれわれは、ある程度の劣等感を持たないわけにはいかないのでございます。しかし、この劣等感に対する態度というものが、他人によって異なることでありまして、同じ劣等感から出発しましても、AとBの間には大きな差異が生ずる。この劣等感に刺激されて建設的に努力する態度の人と、劣等だから駄目だとして、もうやらない、あるいは劣等感は嫌いだから観念的にこれをなくそうとばかりする。そういう態度と、出発点は同じでも、一生の間には大変な違いになるものでございます。これをもとにして話を進めてみましょう。劣等感は多かれ少なかれ誰でも持っています。しかし、その受け取り方は人によって二通りに分かれる。それがその後の人生を大きく左右する。1、ある人は自信をなくして、自己嫌悪、自己否定に陥る。2、別の人は劣等感に刺激を受けて大いに努力するようになる。2は、たとえばイギリスの大作家サマセット・モームという人は、吃音という劣等感に刺激されて、大いに努力して自分の才能を発揮した。吃音という劣等感がなかったとしたら、代表作の「人間の絆」という小説は生まれなかったと思われる。禍転じて福となしたのである。高良先生は中学生のころから数学の成績が悪かった。旧制中学から旧制の高校を受験するとき、ちょうど4か月ぐらいの間がございまして、私はその4ヶ月の間に一番自信のなかった数学に重点を置きました。数学というのは定理や公理なんかをよく覚えてやりますと、そう難しいものではなかった。入学のときには、この一番苦手であった数学が満点のような状態になった。これは劣等感が刺激になって、大いに発奮して、建設的に努力した結果です。私達は神経質性格を持って生まれ、外向的な人と比較して劣等感に苦しみました。これを逆手に捉えて、「災い転じて福となす」ことはできないものでしょうか。それは森田理論学習によって十分可能だと思われます。そのために森田の基礎的学習をすることをお勧めします。特に神経質性格のプラス面の学習が役に立ちます。私はこの学習によって神経質性格はとてもはぐくみあいのある素晴らしい性格だということが分かりました。それまでは神経質性格に生んだ親を憎んでいましたが、学習で認識が変わり親に感謝するようになりました。その他間違った考え方、偏った考え方によって、誤った行動をとっていることが多いと思います。そこで認識の誤りを正していく学習が大事になります。森田理論学習によって、神経症に陥る要因、感情の法則、不安の役割、不安と欲望の関係、観念よりも事実を優先する考え方、行動の原則、治るとはどういうことかなどが理解できればそれが可能になります。理論は難しくありません。長谷川洋三先生によると中学生でも理解できる内容だと言われています。大阪や九州方面に向かう場合、誤って東北や北陸方面の新幹線に飛び乗ることは避ける必要があります。これは森田理論学習によって十分可能となります。
2023.11.25
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海洋冒険家の白石康次郎氏の言葉です。「夢って育つものなのです。一つかなえれば次の夢、次の夢をかなえればまた、次の夢が生まれます。僕はいつも、素直にその夢を追いかけているだけです」これは生の欲望についても言えることです。生の欲望に向かって行動できるようになると、ロケットの打ち上げのように、一段ロケットが役目を終えると、次に二段ロケットに切り替えられます。一つの生の欲望の発揮は、次の生の欲望を招き寄せる呼び水になっているのです。生の欲望はしだいに弾みがついてくるようになっています。ここで大切なことは、幼少時から成功体験をより多く積み重ねることです。子どもを持った親は、子どもが興味や関心を持ったことはできるだけ温かく見守るようにすることが大切になります。不幸にしてそう体験が不足している人はどうするか。今から日常生活や仕事の中で小さな成功体験、喜び体験、感動体験を作り上げることです。そのためには、雑仕事、雑事などに注目することです。普段は見逃してしまうことに心を込めて取り組むことです。森田では「ものそのものになる」と言われています。大きな目標や課題はその先に見えてくるものです。雑仕事や雑事を軽視して、いきなり他人の注目を集めるものやクリエイティブのものを目指すのは難しいと思います。それから欲望には本能的な欲望もあります。刺激的、即効的、恍惚感、高揚感、快感を得られる欲望です。瞬時にドーパミンが大量に出て、報酬系神経回路が作動する欲望のことです。グルメ、飲酒、買い物、ゲーム、芸術作品やスポーツなどの鑑賞などです。これらはカンフル剤的な効果が期待できます。人間の生活を潤してくれます。即効的ですが、持続性はあまりありません。さらに強い刺激を与え続けないと効果が薄くなります。お金もかかります。これに対して森田では「努力即幸福」といいます。自ら努力すること、挑戦することによって得られる達成感、満足感です。これは比較的持続性があります。お金がかからない場合も多い。成功体験、自信、達成感、満足感、自己肯定感につながります。そしてこれらは弾みがついてきて生きることが楽しくなります。その合間に時々アクセントとして非日常を取り入れるようにするのは如何でしょうか。
2023.11.24
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涙を流すとストレスを緩和する効果があるそうだ。ストレスやうつ状態で辛い人生を送っている人は涙を流すことをお勧めしたい。泣くことはそんな効果があるのか疑問に思われる方も多いでしょう。これは2022年9月6日に「週1回は感動の涙を流そう」で取り上げています。涙で思い出すのは、私は以前中間管理職の仕事をしていた。若い女性の部下から仕事上の相談があった。仕事や人間関係でストレスを抱えている女性は、話をしているうちに涙ぐむことがありました。なかには声をあげて泣きだす人もいました。女性は男性に比べると涙もろいのでしょうか。泣いてもその後すぐに人が変わったように晴れやかな状態になる。これは心のわだかまりも一緒に洗い流していたのではないか。男性にはよく分からないところです。その理屈はこの投稿記事を読むとよく分かります。涙の中には濃縮されたマンガンが含まれているということでした。マンガンは血液の中に含まれています。マンガンが多すぎると、情緒不安定でうつ状態になりやすいのです。涙はそのマンガンを30倍に濃縮して出しているのです。だから涙にはストレスやうつを追い出す効果があるのです。(週末号泣のススメ 安原宏美 扶桑社)そういわれましてもいい大人が号泣するのはみっともないではありませんかと言われそうです。ごもっともです。そういう方のために、とっておきの方法があります。感動的な映画、音楽、DVD、小説、感動シーンを見たり聴いたりして、感動の涙を流せばよいのです。過去の経験を自分なりにカスタマイズしておけば、いつでも感動の涙を流せるようになります。これを週一回程度見たり聴いたりして涙を流すのです。簡単です。分かりにくいでしょうから、参考のために私の例を載せておきます。映画・・・母べい、東京家族、幸せの黄色いハンカチ、私は貝になりたい、アニメ「この世界の片隅に」、あん、火垂るの墓、砂の器テレビ録画・・・フルスィング、プロジェクトXから「瀬戸大橋現場監督・・・杉田秀夫」音楽・・・辻井伸行氏のラカンパネラ マーラーの巨人 25分過ぎ小説・・・三浦綾子氏の「氷点」 藤沢周平氏の「蝉しぐれ」「海鳴り」他スポーツ・・・WBCの大谷翔平のホームラン競馬・・・ディープインパクト(こんな馬は見たことがない)景色・・・和歌山県串本の海金剛 南斜面から見た鳥取の大山の岩肌 (景色は身震いするような感動がある。涙は出ないかもしれない)一部は2022年4月14日に投稿しています。これを参考にして、ご自分なりのコレクションをぜひ取りそろえてみて下さい。そしてお互いに一週間に一回、感動の涙を出そうではありませんか。
2023.11.23
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経営コンサルタントの堀紘一氏の東大受験の話が面白い。彼が東大受験を決めたのは高校3年生になる春だったそうです。彼は猛勉強というよりは、戦略によって合格できたといわれている。彼は東大の過去10年の入試問題に目を通すことから始めたという。過去5年間の入試問題はすぐに手に入った。それ以前の入試問題は3日間かけて神田の古本屋で探し出した。次に模造紙に、3日間かけて、10年間の全教科の問題がどの分野から出されているかを分析した。分析の中で入試問題にはバイアスがかかっていることが分かったという。例えば生物では、「遺伝の問題」と「分類体系の問題」が隔年ごとに。過去10年間1度の狂いもなく交互に出題されていた。疑問に思った堀氏は直接東大に出向いて説明を求めた。ここが森田先生とよく似ている。すると耳寄りな情報が得られたという。それは2つの研究室が交互に持ち回りで20点の配点問題を作っているということだった。当面この傾向は変わらないという情報だった。世界史についても、数学についても出題範囲の疑問は直接出向いて確かめていった。そして出題範囲を丸裸にして、学習範囲を絞っていった。傾向が分かれば、自ずから学習の方向性が明確になり、学習意欲に火がついてくる。私は社会保険労務士の受験で同じような経験をした。一般常識の問題が10問出題される。中身は最新の厚生白書と労働白書の中から作られていた。限られた学習時間の中で分厚い白書を丁寧に読みこむ時間はない。そこでどうするか。受験対策校で何年も指導し実績のあるカリスマ講師の講義を受ける。カリスマ講師は当然白書を隅から隅まで読みこなしている。その中から問題になりそうなポイントを掴んでいる。それをもとにして独自の今年の予想問題を立てている。これがあまりにも的確なので舌を巻いた記憶がある。さらにどこで集めたのか、他の受験専門校の予想問題も入手している。それ以外の問題が出たら白旗を上げろという。この国家試験は落とすための試験だから、合格には影響しないという。出題範囲が分かれば、無駄な学習はしなくなる。疑心暗鬼がなくなり、エネルギーを合格に向かって集中投下できる。事実を的確に掴むことができれば、百戦危うからずということになる。事実を掴む努力は運を味方につけることが可能になる。
2023.11.22
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人間には「生老病死」の悩みがあるという。今日はその中の「老化」について取り上げてみたい。成長期は右肩上がりだが、それを過ぎると今度は右肩下がりに変化してくる。人間の場合は20代から30代がその分基点にあたるのではなかろうか。老化は、年齢を重ねる度に次々と失われていくものがあるということです。若さ、肌の張り、体型、筋肉、視力、聴力、髪、歯、骨、脚力、記憶力、認知能力などが人によって差はありますが、ほぼ確実に老化してくる。若い時のような訳には行きません。しかし刺激を与えて老化を多少遅らせることはできます。メンテナンスを怠っていると、急速に老化が進みます。特に足腰を鍛えることと頭を使うことです。最悪の場合、深刻な身体疾患や寝たきりや認知症になります。老化の対応方法には二通りあるように思われます。1、老化を認めようとしない人。老いをあってはならないものと考える人。できる限り元の状態に戻そうとする人。2、潔く老化を認めて、失われたものはそのままにして残っているものを活かして生きていこうとしている人。1は神経症と格闘しているようなものです。自然現象である老化の進行を是が非でも阻止しようとしています。時間とお金を投入すれば、ある程度は効き目がありますがやりすぎは禁物です。基本的には、歳をとると徐々に失うものがあるという覚悟を持つことが欠かせないと思う。最低限のケアをした後は、老化を受け入れていくしかありません。老化と敵対することは、自分自身を否定することになります。自分を上から下目線で非難・否定することほど惨めなことはありません。そこに注意や意識を集中させていると、生の欲望の発揮が蚊帳の外になってしまいます。2の対応は、失われて使用不能になったものとまだ使用に耐えられるものを区別できている。失われたものを素直に受け入れて、まだ残されているものを大事にして前向きに生き抜こうとしている。樹木希林さん、篠田桃紅さん、宇野千代さんはそんな生き方をされていました。そのほか宇野重吉さん、日野原重明さん、成田きんさん、蟹江ぎんさんたちもなどもそうです。「102歳、一人暮らし」の石井哲代さんもその一人でした。この人たちは歳をとってからの生き方が光り輝いていました。それまでの人生経験がプラスに作用しているからだと思います。また、それぞれ自分の人生を振り返って、若い人たちに自分なりのメッセージを残されています。うまくいった点だけでなく、反省、後悔していることも含めてすべてを包み隠すことなく開示されています。それが大いに参考になります。このような生き方は秋の色あざやかな紅葉と重なるところがあります。紅葉するということは、緑の葉が寿命や寒さなどで光合成ができなくなった状態です。紅葉した葉は自己否定していません。今まで生かされたことに感謝している。消え去る前に色とりどりの姿に身をまとい人々を楽しませてくれています。枯れ果てて落ちてしまうのは、自分がこの世から消えてなくなることですから悲しいことです。良寛さんは「裏を見て 表を見せて 散るもみじ」と詠まれています。せめて自分の人生を振り返って、その教訓を次世代に引き継ぐことが大切なのではないでしょうか。これが森田理論でいう「物の性を尽くす」ということだと思います。
2023.11.21
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今日は「ゆとり生活」ついて考えてみました。「ゆとり教育」「ゆとりある暮らし」「ゆとりがある老後」という言葉があります。ゆとりのある人はバタバタしていません。自分のペースでゆったりと、余裕のある生活を楽しんでいます。ある程度生活に余裕があり、何か大きな出費のとき慌てることがない。精神的に落ち着いていて、行き当たりばったりということがない。食べていくためにだけ生きているというのではなく、自分の好きなことややりたいことにも取り組んでいる。一般的には子育てが終わり、家のローンが終わり、退職金が入ると金銭面では「ゆとり生活」に変化してくるようです。退職すると、精神的、対人的、経済的な悩みや問題が少なくなってくることが大きい。ゆとり生活は、これまで頑張ってきた人に対するご褒美のようなものです。「ゆとり」生活に入ると、人間は二極分解してくるように思います。1、今までどちらかというと、しんどい仕事から解放されて、自分の好きなことややりたかったことにも取り組んでいる人がいます。こういう人は、「ゆとり生活」がプラスに作用している人です。ただしなかにはこんなことを言う人がいます。「私は釣りが好きで、現役のころは退職したら毎日釣り三昧の生活を楽しむことを励みに頑張ってきました。でもそれが実現して毎日好きなことをしているのに、充実感といったものがないのです。そのうち釣りにも飽きてしまいました」ゆとりがありすぎるというのも考えものだと思います。2、一方、課題や目標を持たないで、不規則な生活、刺激的、享楽的な快楽を追い求める生活にどっぷりと浸かってしまう人がいます。こういう人は、「ゆとり生活」がマイナスに作用しています。放置していると心身ともに廃用性萎縮現象が起きてきます。「ゆとり生活」が実現すると、今までの制約だらけの生活パターンから解放されます。起床時間も就寝時間も自由自在になります。それに流されてしまうと、今までの規則正しい生活が一挙に崩れてしまいます。仕事をしていた時は、仕事が規則正しい生活を支えてくれていたのです。課題や目標を持たないで日々刺激があればよいという生活は根なし草に似ています。どうしても空き時間が増えて、自己内省的になってきます。ゆとりが出てきたときに心掛けることは森田理論が教えてくれています。まず規則正しい生活を崩さない。次に日常茶飯事に丁寧に取り組む。自分でできることは、自分でするという癖をつける。そのうえで自分のやりたかったことやりたいことに取り組む。この順序が逆になるとまずいいと思います。つまり森田的な生活を基盤にして、その上で仕事、趣味、ボランティア、世話活動、運動、自己啓発、他人との交流などを楽しむ。これらは森田理論を生活に応用している人は、自然に身についていると思われます。
2023.11.20
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王貞治氏のお話です。バッティングは感性だけど、根本は体に覚えこませる。徹底的に身体に染み込ませる。その繰り返しなんだよ。なぜ長い時間打つかといえば、長く打てば当然疲れる。疲れた時って体は正直なんだ。自然体になるんだよ。つまり、体が勝手に無理のない自然の動きをしてくれる。自分の脳が描いている理想のスイングではなく、体が自然に回転する動き、それって実は理想のフォームなんだよね。だから、徹底的に体を痛めつけて、もう限界っていうところでスイングしたのが理想だということ。どこにも力みがなく、どこにも邪念がない。徹底的に体を疲れさせたからこそ、体が一番スムーズなスイングをだす。この話は森田理論に通じる話だと思います。森田理論学習で規則正しい生活をする。凡事徹底に取り組むことが大切だと学びました。これを習慣化することは大変難しい。習慣化とは無意識の行動が次々にこなせる状態に持っていくことです。規則正しい生活とは、毎日同じ時間帯に同じ行動をとり続けるということです。まず起床時間と就寝時間を一定にする。そして3度の食事時間を一定にする。これが骨格のようなものだと思います。あとは人それぞれ毎日の行動を肉付けしていく。規則正しい生活を心がけていると、心身ともに健康体になります。注意や意識が外向きになります。規則正しい生活が習慣化してくると、生活にリズム感が出てきます。今度何をしようかと考えることはなくなり、自然の体が動いてくれるようになります。その中で、小さな楽しみや喜びを味わうことができるようになると人生は楽しくなります。習慣化するまではどうしても時間がかかります。体が順応してくれるまでは3ヶ月くらいかかります。それが1年続いた人は、完全にものにした人と言えるでしょう。次に王貞治氏は、練習で疲れた先に目指すべきバッティングの理想があると言われています。これを森田理論に置き換えると自分との対話を深めることだと思います。「森田理論学習の要点」などで森田理論の基礎的学習をすることは大切です。そこで自己満足している人が多いように思います。実にもったいないことです。森田理論は活用・応用してこそ始めて光り輝いてくるものです。森田理論には、規則正しい生活、凡事徹底の他、変化に対応する生き方、バランスをとる生き方、不即不離の生き方、物の性を尽くす生き方、物そのものになる生き方、不安の役割、不安と欲望の関係、神経質性格の活かし方、感情の法則の活かし方、生の欲望の賦活、課題や目標を持つ生き方、事実唯真の考え方などがあります。最初はこれら全部に取り組む必要はありません。自分が取り組みやすいものを1つか2つに絞って、深耕していく作業はどうしても必要になります。通り一遍の学習では地中奥深くにある豊かな金鉱にはたどり着きませんが、これに取り組むことで森田理論の全貌が目の前に開けてくるようになるのです。富士登山には5つの登り口があるそうですが、頂上についてみるとみんな同じところに到達するというのと同じことです。
2023.11.19
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本日はチンドン屋として市民交流フェスタを盛り上げてきました。昔懐かしい歌謡曲を披露しました。観客は50名ぐらいで拍手喝采で盛り上がりました。写真はプログラム④の漫談入りマジックです。こりひとは30年もやっていて引っ張りだこだそうです。その他、紙芝居、フラダンス、フォークダンス、楽器演奏、馬頭琴などの演奏、少年合唱団、バナナのたたき売りなどがありました。一人一芸を持っている人は市に登録していると、老人ホーム、地域のイベントなどでお呼びがかかるようになっているのです。需要が大変多くて、都合がつかなくて断ることも多い。森田先生の鶯の綱渡りにヒントを得て始めた私のつたない演技のチンドン屋のパフォーマンス、獅子舞、傘踊り、浪曲奇術、どじょう掬いなどでみんなが大いに喜んでくださることがうれしい限りです。森田をやっていてよかったなと思うのはこんなときです。
2023.11.18
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この言葉は2013年8月27日に紹介しました。高校を卒業後、引きこもりを始めて1年経った頃、友達から「俺はお前がヘンには見えない。でもお前が会いたくなければ仕方ない。ただ一つだけお願いがある。生きていてくれ」という手紙をもらい涙が止まらなかったという体験談でした。いろんな生き方があると思いますが、一番大切なことは、命ある限りとことん生き尽くすことだと思います。大病にかかることもあります。神経症で苦しむこともあります。地震や土砂災害などの自然災害に遭うこともあります。取り返しのつかない事故に遭うこともあります。紛争や戦争に巻き込まれることもあります。他人から理不尽な仕打ちを受ける事もあります。財産をすべて失うこともあります。対人関係で大きな問題を抱えることもあります。家族の人間関係で問題を抱えてしまうこともあります。認知症になることもあります。かけがいのない人との別れもあります。それらを何とかしのいで生き長らえてきたということは、それだけでも大きく評価できます。人生を完全に投げ出さなかったというところが評価のポイントです。宮沢賢治の詩にあるように、他人からほめられもせず、見向きもされず、それでも自分が自分の最大の味方になって、生きてきたということは素晴らしいことです。神様がいるとすれば、こういう生き方をしてきた人を大きく評価されるような気がしています。集談会で人間は生きているだけでもうけものという話を聞いたことがあります。人生は順風満帆の時もあれば、怒涛逆巻く嵐の時もあります。飛行機でいえば怒涛逆巻く嵐の時に飛行して墜落したのではなんにもなりません。集談会では墜落しない程度の超低空飛行でやり過ごせばよいと聞いたことがあります。ヒマラヤ山脈を横断する渡り鳥は、簡単に成功することはないようです。何度も失敗を繰り返しているうちに、ある日突然格好の上昇気流が発生して、それを利用して成功を掴むのだそうです。私たちも時が経てばいつか上昇気流がくることを信じて最低限の生活を維持していくことです。「継続は力なり」という気持ちをしっかり持って、人生を乗り越えていきたいものです。
2023.11.18
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遺伝子研究の村上和雄氏のお話です。アフリカではマラリアが大流行することがありますが、マラリアにかからない人も一定割合でいるそうです。そういう人のヘモグロビンは突然変異を起こした鎌状赤血球を1個だけ持っていることが分かっています。遺伝学的にいえば、変異遺伝子を1個だけ持つ両親から4人の子どもが生まれた場合、2人は両親と同様変異遺伝子を1つだけ保有しています。マラリアの耐性を生まれながらに持っているので発症しません。仮に発症しても症状が軽いそうです。ところがあとの2人の子どもの場合は、大変なことになります。一人は2つの変異遺伝子を持っています。これには耐性はないそうです。もう一人の子どもは変異遺伝子を一つも持たないために抵抗力がありません。どちらもマラリアにかかり命を落とす確率が高くなります。(遺伝子が目覚める瞬間 スイッチ 村上和雄 サンマーク出版)同じ親から生まれても、運命のいたずらなのでしょうか、性格、容姿、能力、身体的疾患の有無などでかなり違うように感じます。他の兄弟姉妹と較べて不幸な運命を背負い込んだ場合、どうして自分だけがこんな目に合わなければならないのかと、運命を呪う場合があります。村上和雄氏は、人の優れたところと自分の劣った部分を比較する、人の恵まれた境遇と自分の劣悪な境遇を比較して嘆き悲しんでいると、遺伝子の悪いスイッチがオンになってしまうと言われています。悪いスイッチはオフのままにしておいて、よい遺伝子のスイッチをオンにする生き方をすべきだと言われています。他の兄弟姉妹の長所や強みと自分の欠点や弱みを比較して、自分嫌悪、自己否定していては益々みじめになるばかりです。どんなに見劣りしても、自分の現状をあるがままに受け入れることが大切になると思います。このことを森田では「唯我独尊」と言います。これは自分だけが優れていると思いあがることではありません。自分の本性を認めて、これを礼賛し、ますますこれを発揮し、どこまでも、向上させていこうという心境を「唯我独尊」と言います。この世に人間として生まれたということは、千載一遇のチャンスを与えられたということです。そのチャンスに感謝して、努力精進していくことが大事になります。心身の健康を心がけて、自分に備わっている能力、自分ができることを見極めて、課題や目標、夢や希望に向かって努力を続けていくことが人間の宿命です。このことを森田では生の欲望の発揮と言います。欲望が暴走しないように不安を活用しながら命ある限り生き抜いていくことです。
2023.11.17
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宇野千代さんの言葉です。自分が不幸であると思えば不幸であるし、幸福であると思えば幸福なのである。相田みつを氏の言葉です。しあわせは いつも じぶんの こころがきめる。森田先生の言葉です。一心に努力している状態が、幸福な状態である。我々は人生の欲望に対して、常に念掛けあこがれながら、その目的を失わす、しかも何かとその現在現在の事柄に対して、力の及ぶ限りのベストを尽くしているのが、「物そのものになりきる」という自然の状態であります。そこにはじめて「努力即幸福」という心境があるのです。(森田全集第5巻 616ページ)喉から手が出るほど欲しかったものが手に入った。おいしいものを腹いっぱい食べた。おいしいお酒を飲むことができた。映画、スポーツ観戦、演劇や演芸、コンサートを見て楽しむことができた。国内の温泉旅行でゆっくりできた。海外旅行に行って非日常を味わうことができた。これらは与えられた楽しみ、外部からの刺激によって一時的に高揚感を味わうことができたということになります。これも人生の醍醐味です。これらは強烈なインパクトがありますが、瞬間的で持続性は期待できません。これに対して自分で見つけた課題や目標に向かって努力することによって得られる幸福というものがあります。努力しているときは、目標が達成できるかどうか分かりませんので不安で一杯です。つねにハラハラドキドキしています。しかも精一杯努力しなければ成功を手にすることはできません。努力して目標を達成すれば、成功体験となります。成功体験が積み重なると自信が生まれます。自己肯定感が生まれてきます。また弾みがついて、自分が一回り大きな人間に成長できます。成功へのプロセスは、精神的には不安定ですが、注意や意識は外向きになっています。しっかりと課題や目標が明確に意識されています。精神状態が絶えず揺れ動いていますが、不安定即安心の状態です。生きている限り、絶えず不安、恐怖、違和感、不快感が付きまとっています。不安定であることが精神的に安定しているというのは不思議なことですがそれが真実です。ここでのチェックポイントは3点です。・注意や意識が内向きではなく外向きになっているかどうか。・課題や目標をしっかりと捉えているかどうか。・途中であきらめることなく努力精進しているか。凡事徹底の生活の中で、問題点や課題、興味や関心を持てるものを見つけること。そしてそれに向かって努力する習慣を持っている人は、幸福な人生を送っている人だと思います。確かにカンフル剤的な快感を味わうことも人生の醍醐味ですが、それだけで幸福な人生を送ることはできません。森田先生の言われている「努力即幸福」という方向を基本路線にすることができれば、後悔しない人生を送ることができます。
2023.11.16
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大野裕氏のお話です。人間関係に「みかんていいな」という伝え方があるそうです。み・・・・「み」たこと(客観的事実・状況)かん・・・「かん」じたこと(自分の気持)てい・・・「てい」あん(提案)いな・・・「いな」(可否を尋ねて否定された場合の対案)例えば奥さんが旦那向かって、「あなたも疲れていると思うけど」(客観的事実・状況)「私の話を聞いてほしいの」(自分の気持)「仕事のことでとっても困っているから、あなたに聞いてもらえるだけで気持ちが楽になるから、お願いしていいかしら」(提案)「もしいま疲れているようならいつがよいか教えて」(対案)(はじめての認知療法 大野裕 講談社現代新書 138ページ)森田療法でいえば、「み」というのは、相手の気持ち、考え、要望を確認することだと思います。相手に何かお願いや依頼事項があっても、唐突に押し付けるようなことをしてはいけません。相手には相手の都合があるという前提に立つことが大切です。思い通りにいかないのが普通、うまくいけば儲けものという気持ちを持つ。「かん」というのは、その上で自分の気持、考え、要望を「私メッセージ」の手法を使って伝える。「私メッセージ」は「私」を主語にして話すことです。私は、こう思っています。私はこういう考えです。私はこうしたいです。「私メッセージ」の反対は、「あなたメッセージ」です。「あなた」を主語にすると、指示、命令、強制、脅迫が多くなります。「てい」(提案)は、二人の人間がいると、気持ち、考え方、要望は違うはずです。その前提に立って、二人の間に横たわっているミスマッチを確認し合うということです。「いな」(代案)は、話し合いをしてお互いに歩み寄るということです。交渉事ですから、必ずしも自分の思いどおりにことが運ぶことはありません。譲ったり譲られたり、ある程度の幅の中で柔軟な人間関係を築いていくことが大切になります。「みかんていいな」を意識すると人間関係の改善につながります。
2023.11.15
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人間は0歳から1歳6か月の間は愛着の形成期と言われています。この間は母親は子どもにつきっきりで世話をすることが必要になります。母子一体の期間を無難に通過すると、次第に親離れが始まります。自立の第一歩です。親離れは他者信頼感に支えられています。他者信頼感は、親や他人は自分に危害を加える恐ろしい生き物ではない。親は自分を犠牲にしても危険なことから私を守ってくれる。ピンチになったときに親身になって相談に乗ってくれる。そういう安心感や包容感が持てるようになるのです。自立すると、目標や夢に向かうことができるようになります。社会の中で他人と折り合いを付けながら暮らしていけるようになります。この感覚は一生ものですから、愛着の形成期を無難に通過した人は、人間関係で躓くことは少なくなります。これは子どもの成長過程を学習しないと分かりません。理解できて初めて応用が可能となります。親になったら、子どもの成長過程、モンテッソーリの自主性を育てる教育、母親の役割、父親の役割、子供との付き合い方などは人生の必須科目となります。私は森田理論の基礎的学習を終えた人は、こういう実践的な学習に取り組む方がよいと考えています。森田学習の応用編として、集談会のプログラムに取り入れるのは如何でしょうか。森田は理論と行動が両輪として作動しないと、うまく機能しないと言われていますので、応用や活用面の学習は必要になると思います。不幸にして愛着の形成が不十分な場合はどうするか。遅まきながら「心の安全基地」を作り上げるように心がけることです。自分の話をよく聴いてくれて、いたわり、励ましてくれる人を見つけることです。そう思える人が一人もいないという人は、生きていけなくなると思います。集談会には尊敬できる先輩がたくさんいます。それ以外にも趣味の会に入っていると、「心の安全基地」に該当する人が見つかることがあります。問題なのは、心の問題を抱えながら家から出ないで一人で悩んでいる人です。内向的な人は、悲観的なことばかり考え、自己否定感が強くなります。愛着障害を癒すために、世話をするものを持つことも有効です。子ども、孫の世話をする。親の介護をする。集談会の世話活動をする。ペットの世話をする。草花の世話をする。果樹や庭木や自給野菜の世話をする。集談会で、他人の役に立つことをしながら、腹を立てることはできないと聞きました。いくつか世話をするものを持っている人は、心が穏やかになります。
2023.11.14
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「純な心」は森田先生の造語です。聞きなれない言葉です。この言葉が理解できないと、森田の核心部分に近づくことは難しいです。一般的には自分の感情や気持ちに素直になることと捉えている人が多いようです。それは間違いではありませんが、なにかつかみどころがないような感じです。分かったようで実はよく分からないという人が多いようです。ということは日常生活の中で活用するための手掛かりがつかめない。「純な心」の理解は、2017年9月7日に「初一念という意味」で投稿しています。これを読めばすぐに理解していただけるものと思います。改めまして再度投稿してみます。「純な心」を理解しようと思えば、「初一念」から入った方がよいと思います。ここから入るのが「純な心」をより正確に理解できると思います。「初一念」も難しい言葉ですが、別の言葉に言い換えれば理解しやすいと思います。森田先生は、「初一念」について次のように説明されている。我々がものに驚き、あるいは喜ぶ時、その刹那には、我そのままであるが、ハッと我に返るとき、それが初一念である。同じく花もしくは恋人に対して、自分がそのうちに同化した時、我そのままであって、現在にハッと振り返るとき、初一念である。森田先生が言われている「初一念」とは、物事に接したとき、最初に湧き上がってくる感情のことを言われているのです。言い換えれば素直な感情、直感、最初に湧きあがってくる感情のことです。これは初期段階のほんの一瞬に湧き上がってくる感情です。意識して掴まえないとすぐに忘却の彼方へと消え去ってしまうという特徴があります。そしてすぐに、理屈、観念、理想、先入観を含んだ感情が湧き上がってくる。これは「初二念」「初三念」と言われています。人間は大脳が高度に発達したために、良くも悪くも、無意識的に理屈、観念、理想に重きを置く生き物に進化してきたのです。「かくあるべし」という観念の世界から現実の不安、恐怖、違和感、不快感などをコントロールしようとしているのです。それが人間に精神的な葛藤や苦悩を招き寄せているのですが、その自覚がないのがもどかしいところです。森田では「初一念」を意識して掴まえて、そこを出発点にして対応していきましょうと言っているのです。ここが理解できたら、実際の実例で裏付けをとるとよいと思います。問題が起きた時怒りの感情が湧いてくることがあります。例えば母親が子供に「早く風呂に入りなさい」と言ったとします。子どもは炬燵に入り込んで転寝をしていて親の指示に従おうとしません。時間が経つほど、親のイライラはどんどん膨れ上がり、そのうち怒りへと変わっていくでしょう。そして親子喧嘩を始めることになります。その時親が意識しているのは怒り、腹立ちだと思います。このとき怒りの前の「初一念」思い出すことができれば対応が変わります。このときの初一念は「悲しみ」「落胆」「無力感」のようなものだと思います。自分の思い通りにならない現実を目の前にして心の痛みが湧き上がってきたのです。もしその気持ちにきちんと向き合うことができれば、親子の対立は回避できるかもしれません。9月7日の投稿では中学生の女の子の帰宅の例で説明しています。父親が連絡もしないで帰宅した子どもに怒りを爆発させましたが、怒りの裏に隠れていた初一念は、「かわいい子どものことが心配で仕方がないというイライラ」でした。このことが意識できれば、子供を叱責することは抑えられたと思われます。森田先生は、皿を落として割った時のエピソード、野良犬に兎をかみ殺されたエピソードで「純な心」について説明されています。言わんとされていることは全て「初一念」の感情のことです。「初一念」から出発すると、隠蔽やごまかしや責任転嫁はなくなるはずだと言われています。「純な心」を理解して生活に応用できるようになると、人間関係はすぐに好転します。是非とも自分の体験で確かめてみて下さい。
2023.11.13
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「あるがまま」とは、神経症の原因となるような不安、恐怖、違和感、不快感をそのまま受け入れて、必要なことやなすべきことに取り組む態度のことであると言われています。これは森田を学習した人は誰でもわかっていることだと思います。しかし理解していることと実行できていることは別です。「あるがまま」は、言うは易く実行は難しいというのが現実です。皆さんも「あるがまま」を身に着けようと必死に努力されていることと思います。今日は「あるがまま」を身に着ける方法について投稿します。「あるがまま」になろうと意識すればするほど「あるがまま」から離れてしまう。それは「あるがまま」が「かくあるべし」となって自分に迫ってくるからだと思います。「あるがまま」を身につけなければならないと思えば思うほど不安、恐怖、違和感、不快感に振り回されてしまう。ではどうすれば「あるがまま」の態度を身につけることができるのか。とらわれやすいという神経質性格を持っていながら、森田理論を必要としていない普通の人に注目することです。あるいは生活の発見会の中で「あるがまま」を体得して、森田的な生活を送っている人を見つけ出すことです。百聞は一見に如かず。森田理論で「あるがまま」をなんども繰り返して学習するよりも、「あるがまま」を身に着けて、森田的な生活を送っている人を探し出すことに力を入れる。こういう人を参考にして自分の生活に取り入れていくほうが効果が高い。ただし、そういう人はことさら「あるがまま」というフレーズを声高に唱えることはありません。他人から指摘されて自分の生活を振り返ってみると、自然に「あるがまま」を体現していたという感じです。「あるがまま」をことさら意識しなくても、生活自体が「あるがまま」になっていた。「あるがまま」と一体化した生活をしているので、ことさら取り上げるほどのことない。我々から見ると森田道の高みに到達していると思われるのに、「取り立ててみんなに話すような立派なことは何一つありません」などと言われる。「そうか、あの人は森田の核心部分はまだ何も理解していないのか」と思ったらそれは大間違いです。そういう人は一山超えて次のステージに立っている方なのです。そういう人の特徴は、無理をしないで、悠然と「規則正しい生活」を心がけておられます。毎日同じ時間に起床し、黙々とルーティンワークをこなし、就寝時間がくると寝る。毎日刺激のない、代わり映えのしない生活を繰り返して、なんの楽しみがあるのか聞いても、反発をするでもない。こんな生活しかできないと言われる。試行錯誤の末に見つけた「あるがまま」は周りから見るととてもシンプルだったということです。そういう方は、私たちが見逃してしまうような小さなとるに足りない楽しみや感動を日々数多く味わっておられる。これはそういう生き方が人生の醍醐味なのだということが分かっている人でないとつい見過ごしてしまうかもしれません。例えば、ビールのおいしい飲み方、魚のあら炊きのやり方、雑草とりの楽しみ、盆栽の剪定の方法、カラオケの楽しみ方、映像ライブラリーの利用方法、相撲の楽しみ方、家庭菜園の楽しみ、ゴミを肥料にする方法、夫婦の人間関係、母親の介護、水泳の楽しみ、散歩の楽しみ、毎日の運動等々。それらのすべて宝の山に代わっている。規則正しい生活はメリハリが効いてリズムがよい。さらに頭を酷使しません。思考よりも手足が自然に動いている。身に付いたルーティン作業を黙々とこなしていくことになります。行動しているときは、神経症的な不安などは考えなくなります。そういう人が心掛けていることは、森田理論の「ものそのものになる」ということです。小さな気づき、発見、工夫、アイデア、興味や関心が泉のようにコンコンと湧き出ていることに気づきます。これが「あるがまま」の生活を送っている人の姿だと思っております。だから声高に「あるがまま」を力説する必要はないのです。私はそういう生き方をされている人を「現代に生きる良寛さん」と呼んでいます。
2023.11.12
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品種は中生のターボという品種を100本ほど植え付けしました。穴あき黒マルチの中に植えつけました。来年の5月下旬に収穫予定です。植え付けのコツはyou tubeで学習しました。コツは葉の分岐より上に土をかけないことです。分岐部分に生長点があるので、そこは土の上に出しておきます。根を全部土の中に入れて、苗が倒れないように植えて根元を手で押さえます。酸性に弱いので化成肥料の以外に苦土石灰を入れました。自家用野菜作りは学習したことを実践できますので、森田実践にぴったりだと思います。それから今日は秋野菜をたくさん収穫しました。ニンジンが収穫できたのがうれしかったです。ニンジンリンゴジュースの材料になります。白菜、大根は鍋、おでんに使います。キャベツはお好み焼きの材料になります。
2023.11.11
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「雑」の付く言葉を思いつくままにあげてみましょう。雑多、雑事、雑談、雑木林、雑貨、雑音、雑学、雑損、雑念、雑費、雑仕事、雑務、雑用、雑役、雑菌、雑誌、雑穀、雑所得、雑種、雑草、雑踏、雑則これらのイメージや特徴はどんなものでしょうか。・こまごましたもの。面倒なもの、わずらわしいもの、とるに足らないもの。・脇役、軽視しても大した問題にはならないもの。・たいして役に立たない、大きく評価できるものではない。不純物。・余分なもの。避けたいもの、迷惑なもの、できればない方がよいもの。「雑」のつくものは、低く価値評価して無意識のうちに無関心になりやすい。「雑」の反対は、一言でいうのは難しい。しいてあげれば、脇役ではなく主役を張る。居るだけで存在感がある。大きな価値を持っている。尊敬されている。常に光が当たっている。大きな影響力がある。一目置かれている。注目されている。一本筋が通っている。世のため人の為に大いに役に立っている。神経質な人は雑事、雑仕事などを無視して、大きく目立ち成果の上がる建設的、奉仕的、創造的な目標に焦点を当てがちな傾向があります。でも大きな目標はなかなか見つからないし、あってもどこから手を付けてよいのか分からない。つまりどちらに転んでも行動的な態度にはなれないわけです。神経質者の特徴は心配性です。これは裏を返せば細かいことによく気がつくということです。この性格を活かすとすれば、「雑」のつく言葉に注目して、それらを宝ものとして取り扱うというのは如何でしょうか。「雑」という言葉がイヤならば、「誰もが気がつかない小さなこと」というのは如何でしょうか。小さな日常茶飯事、みんなが軽視しやすい小さな仕事などに丁寧に取り組んでみる。イヤイヤ仕方なく始めたことでも、一旦はものそのものになって取り組んでみる。その中から小さな気づき、小さな発見、小さな成功体験、小さな楽しみ、小さな感動を見つけることができるようになると、生きていてよかったと思えるようになります。神経質者が「誰もが気がつかない小さなこと」」を軽視するようになると、自分の強み、長所を活かすことができなくなります。秋祭り
2023.11.11
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雑談の前に、まずは笑顔で挨拶をすることが肝心です。挨拶は人間関係の基本になります。ここで躓いていては次に進むことは困難です。つぎに、雑談の話題は前もって準備するのもいいのですが、それよりもまず心がけたいことがあります。その時、その場で目のついたものを取り上げるようにするのです。相手の様子が以前と比べて変化していたらそれを取り上げて話題にする。以前行ったときと状況が変わっていたらそれを話題にする。「髪型変えましたか」「その服装は初めて見ました」「顔色が悪いようですが、何かありましたか」「うれしそうですが、なんかいいことがありましたか」「目が輝いていますね。何か目標に取り組んでいますか」「○○さんは夏でもホットコーヒーなんですね」相手のことだけではありません。「この前来た時よりも内装が変わりましたね」「このお店は行列ができていますよ」「この魚料理は全く骨がないね」「このワインはとびきりおいしいね」そのためには日ごろから相手のことや目の前のことをよく観察することが欠かせません。次に自分のことを話すよりも、相手に話してもらうという気持ちを持つ。そのためには、相手に質問をすることです。人間は質問されると、答えようとします。そうすると自分のことを話す機会が増えます。自分の感情、気持ち、考え、意志、欲求を外に向かって吐き出すことは快感につながります。ところが矢継ぎ早に質問攻めをされるとうんざりすることがあります。そういうときは質問する人が聞きたいことばかりを質問しているのです。本来は相手が話したいこと、聞いてもらいたいことを質問するとよいのです。そんな時は、質問の前にひと言、「フィードバック」を入れることを提案します。例えば、相手が「交通違反の反則切符を切られてしまいました」と言ったとします。「それは運が悪かったね」(これがフィードバックです)フィードバックは相手の気持ち、感情を相手になり替わって発言することです。普通はフィードバックの声掛けをしないで、いきなり「一体どんな違反をしたんだよ」という質問をすることが多いようです。別の例を挙げてみましょう。「昨日の懇親会で飲み過ぎて頭がガンガンする」「調子に乗ると、抑制力がなくなるんだよね」あるいは、「今日は仕事が辛いね」(これらがフィードバックの言葉です)その後で自分の聞いてみたい質問をする。「一体どれぐらい飲んだんだい」「ちゃんぽんはしなかったのかい」フィードバックの言葉がけは、相手の気持ちや感情や考え方を、相手の立場に立って代弁するということです。相手は一旦自分の気持や感情や感情を受け入れてもらうと、心を開いてくるのです。そして次にあなたの質問に快く答えようとするのです。これは森田理論でいうと、最初から自分の感情、気持ち、意志、願望、考え方を相手に伝えるよりも、まずは相手の気持ちや意向を聞いて理解しようとすることです。人間関係を良好に保つためのポイントになります。
2023.11.10
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雑談が苦手という人がいます。これは本音としては雑談の輪に入りたい。ところが実際には雑談の輪に入れないという悩みだと思います。雑談はかしこまった話、結論を出す話、議論をするような話ではありません。また相手に指示命令したり、相手を説得するような会話でもありません。ある程度気心が知れた人と、自由自在に気楽な気持ちでとりとめのない話をする。会話自体を楽しむものです。かしこまった話よりもリラックスできそうな気がします。本来たのしいはずの雑談が苦痛になるというのはどういう事でしょうか。雑談が苦手という人は、あまりにも自分の話す内容にとらわれているのかもしれません。「どんな話をしてよいのか分からない」「特に話したい話題がない」「私が話をするとみんなが引いてしまう」などと考えている人は、気軽に雑談の場に加わることができなくなります。面白い話、役に立つ話、意味のある話、相手を感心させる話をしないと意味がないと考えていると会話することは苦痛になります。こういう人は、雑談の意味が分かっていないのかもしれません。雑談は人間関係を円滑にするための潤滑油のようなものです。雑談に出てくる内容はほとんど意味のないものです。内容よりも相手と会話ができてよかった。楽しかったという気持ちを持てたかどうかが肝心です。雑談は人間的な交流が出来たことに意味があります。雑談恐怖の人は、他人から評価されたい、一目置かれるような存在感を示したいという気持ちを持ち合わせているのかもしれません。基本的に相手の話を聞くことよりも、自分の話す内容の方に注意や意識が向いている。会話が双方向ではなく、一方通行になりやすいのです。次に、自分の弱点や欠点、過去のミスや失敗などの話になって傷つくことを恐れている。雑談というのはとりとめのない、無責任な世間話です。雑談はあらぬ方向へ飛び火することは頻繁に起こります。火の粉が自分の身の上に飛び火することはよくあります。それを面白おかしく、無責任に話題にされるのではないかという危惧があります。からかわれたり、バカにされたり、ユーモアの種にされると居心地が悪くなります。そういう予期不安がある場合は、雑談の場に加わらない方が賢明だという気持ちなのでしょう。明日は雑談恐怖に対しての心構えについて投稿します。
2023.11.09
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歳をとってくると二極分解が起きるように思います。元気な人は心身ともに健康です。頭や手足がよく動いている人です。80歳になっても、90歳になっても自分の身の周りのことは自分でしている。毎日楽しみや課題を持ち、感謝の気持ちを持って生活している。一方で病気を抱えて、心神耗弱状態に陥っている人がおられます。行動がおぼつかなくなっている。考えることが後ろ向きです。そういう人が認知症に陥ってくると大変です。但し本人の自覚はありません。自分は正常だと思って行動しています。そういう人が車の運転をするのは危険だと思います。生活の発見会では高齢者の方もたくさんいます。心身とも元気な人が多い。特に世話活動をしている人は元気です。さらに森田理論を生活の中で応用・活用している人は考え方もしっかりしています。毎日緊張感を持って生活しているからかもしれません。こういう人は年に一回は定期健康診断を受けている。特にガンの家系の人、心疾患の家系の人はこまめに検査を受けている。そのうえで森田を生活に応用している。まずは規則正しい生活をしている。次に生活の柱となるものをいくつか持っておられる。今日はそういう人の話を紹介してみたい。現在75歳の方です。生活の柱を整理されてみんなに説明された。1、集談会に参加できるときは極力参加している。50年目になる。2、放送大学に11年間在籍して18科目の単位を取得した。3、本格的な登山をしている。3000mの山9峰の登頂を果たした。4、10年間町内会の世話活動をしている。年間30件近い行事がある。6、公民館の歴史研究会に7年間通っている。現在事務局長。7、子ども食堂の手伝いをしている。8、小学校のクラス会の幹事をしている。年2回開催。2018年からはクラス会新聞の編集責任者をしている。9、広島カープの熱烈な応援をしている。1958年から。この話を聞いて刺激を受けたという人は、90歳以上まで健康に過ごすことができる可能性が高いと思う。集談会で定年退職したらすぐにやってみたいことを10個くらい持っていないと暇を持て余すようになると聞きました。今現在持っていない人はこれからでも遅くはありません。身近なところから見つけることをお勧めいたします。久しぶりに秋祭りでチンドン演奏をしてきました。
2023.11.08
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ガリレオは「(事実を)見ないと始まらない。見ようとしないと始まらない」という言葉を残しています。当時天動説が主流でしたが、天体観察によって、太陽の周りを地球が回っているという事実を見つけました。これに対して、多くの迫害を受けましたが、「それでも地球は太陽の周りを回っている」と言いました。確固たる事実の裏付けがあったのです。彼の死後、地動説が正しいことが証明されました。これは森田理論を学習している人には考えさせられるエピソードです。森田先生は、事実を正確に見るためには、実際に現地に出向いて、自分の目で確かめることが大事だと言われています。五高時代の幽霊屋敷の探検や関東大地震のときの流言飛語の拡散については、自ら現地に出向いて調査されています。(森田全集第7巻 309ページから341ページ)自分で事実を確認しないで、人の話を鵜呑みにすると間違いが多くなります。国立国語研究所の中でかって話題になった実話に、こんなのがあった。ある一人の女性を指して、Aくんは「目がばっちりしていて、スリムだ」と言い、Bくんは「目がギロッとしていて、電信柱みたいだった」と言ったというのである。男性なら誰でも、Aくんから聞いたかBくんから聞いたかで、彼女に対するイメージは一変するに違いない。(状況が人を動かす 藤田英夫 毎日新聞社 222ページ)事実の裏付けをとらないで、先入観、思い込み、決めつけ、早合点は事実誤認になる可能性が高くなります。かって御巣鷹山に日航ジャンボ機が墜落しましたが、原因は後部圧力隔壁の破壊とされています。この飛行機は以前着陸時に尻もち事故を起こしています。アメリカのボーイング社で修理しましたが、後部化粧室のドアの開閉が困難という問題を抱えていました。その原因を徹底的に調査しなかったために起きた事故でした。よく分からないことは実験をして事実を確かめる態度が必要です。森田先生は熱湯の中に手を突っ込むという芸を見て自分で実験されています。55度の熱湯は2秒しか耐えられない。23度の水に1分間手を浸して、その後挑戦すると4秒になった。初めてを入れたときは甚だ低温に感じた。0度の冷水に30秒浸した後では、熱さを感じず、6秒耐えることができた。事実は仮説を立てて検証する。警察の交通取り締まりには、一方通行違反、一時停止違反。信号無視、スピード違反などがあります。警察が検問をしているかも知れないという仮説を立てて運転していると、ほとんど検挙されることはありません。さらに事実をよく見るためには、次のような方法があります。1、見る角度を変えて観察する。円錐柱を見るときは角度を変えてみることが必要です。2、できるだけ多くの人の意見や助言を参考にする。自分一人では偏った見方になります。3、意味、形、色、動作、音、匂いを新しく変えてみる。4、大きく、多く、長くしてみる。他の成分を加えてみる。5、もっと小さく減らして、低く短くしてみる。6、構成分子を入れかえてみる。7、反対にしてみる。逆にしてみる。8、結合してみる。
2023.11.07
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広島には広島紙芝居村がある。結構な会員がいるらしい。公民館活動で取り組んでおられる。右の方は紙芝居の指導者で広島ではとても有名人です。余暇活動として紙芝居一本にかけておられる。最近は映像技術が日進月歩なので、アナログの紙芝居は見向きもされないはずだと思っていました。ところがどっこい最近は涙を誘うような感動ものの新作紙芝居が多い。演者も二人で分担し、なおかつ太鼓や鈴やうちわなどの小道具も使う。なおかつ私たちチンドン屋の楽器演奏で通行人などを呼び込む。紙芝居も今やこのようなギングサイズになっている。活動としては地域のイベントや幼稚園、老人ホームの慰問活動などが中心だ。音響も完璧だ。さらに驚くことに観客参加型の紙芝居になっている。観客その1から観客10ぐらいまでのセリフが用意されて事前に協力依頼がある。例えば、「カープはわしらの宝じゃ。絶対潰さんぞ」「ミスは次のチャンスで取り返せ」など。全員でワッショイ、ワッショイの踊りまで演出する。今回は「広島カープ初代監督石本秀一物語」だった。これは語るも涙、聴くも涙の物語でした。球団創設時、資金難で選手のユニホームも揃えることができなかった。選手紹介ではやむなく私服の選手もいたという。選手自体も不足気味で、すでに引退した人たちを招集した。給料はいつも遅配がちであったという。当然有望選手は集まらない。遠征はいつも夜行列車で選手たちは通路で寝ていたという。1年目の成績は20勝90敗くらいだったそうだ。創設2年目には早くも横浜の大洋と合併話が決まりかけていたらしい。それを撤回させたのは、県民の熱烈支援に応えた石本初代監督であったという。不足した経費は、試合前の「たる募金」でなんとかしのいでいった。また県内各地に後援会組織を作っていった。負け続けていてもその後援会が応援に駆けつけてきたという。その石本初代監督、カープ初優勝の時は、歩くのもままならず、一人東広島市の自宅で歓喜のむせび泣きをしていたという。紙芝居の最後は、「それいけカープ」をチンドン演奏に合わせて、参加者みんなで高らかに歌った。私も紙芝居に参加して良かったと思いました。たかが紙芝居、されど紙芝居。気が付けば東区区民文化センターの中庭には多くの人だかりができていた。紙芝居なんて時代遅れ、面白くもなんともないと思う人がほとんどだと思いますが、工夫次第でいくらでもみんなに感動を届けることができるのです。私は淡々と過ぎ去る日々の生活を精一杯生きて感動を届けられるようになりたいと思いました。
2023.11.06
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森田では自分の感情、気持ち、意志、意向、欲求、欲望を大事に取り扱いましょうと言っています。これは「事実本位」の生活態度を身に着けるために大事なことです。では会社などで自分の感情や意志を大事に取り扱っているでしょうか。実際には相手の感情や意志に振り回されていることが多いのではないでしょうか。これは精神的に相手に支配されているということになります。どうしてそんなことが起きるのでしょうか。それは他人の感情や意志を無視して、自分勝手な行動をとると社会から排除されてしまうという怖れが関係しています。一人では生きていけないわけですから、自分を押し殺して生きていくしかない。仲間から排除されないためには、自分の感情や意志を抑圧して、相手の感情や意志に合わせていれば何とかなるという気持ちです。この考え方になると、自分の本音、潜在意識を無視・軽視・抑圧するので精神的に苦しくなります。相手の感情や意志よりも、まず自分の感情や意志を優先させることは、人間関係の苦しみを軽減させるためにとても大事になります。ではどうすれば他人と問題を起こさないで、自分の感情や意志を打ち出すことが可能なのか。九鬼周造氏は「いき」の構造の中で、「媚態」「意気地」「諦念」を意識することが大切であると言われています。いずれも難しい言葉ですが、意訳すると次のような意味合いがあります。「媚態」というのは、自分がへりくだって、相手の感情や意志に耳を傾けるということです。「意気地」というのは、自分の感情や意志を相手にしっかりと伝えるということです。「諦念」は、相手と自分の間に埋められない溝があれば、話し合って「手打ち」をする必要があるということです。人間関係を良好に保つためには、この3つの視点を持っておくことが大事になります。さらに順序も大事になります。最初に相手の気持ちや意志に耳を傾ける。森田の理論学習の集談会では、傾聴、共感、受容、許容の気持が大事だと言われます。ここがすっぽりと抜け落ちてしまうと、どんなよい話をしても相手は聞く耳を持ちません。むしろ反感を覚えます。次に、自分の気持や意志を「私メッセージ」の手法を使って相手に伝える。これは主語を「あなた」にするのではなく「わたし」にすることです。「あなたは○○しなさい」「あなたは○○してはいけない」というのではなく、「私はあなたが○○してくれたらうれしい」というような言い方になります。自分の気持や感情を伝えた後の対応は、相手にまかせるという包容力が大事になります。最後に、相手と自分の気持や意志の間には、多かれ少なかれ乖離があるわけですから、勇気をもって双方が歩み寄るように心がける。譲るところは譲り、主張するところは主張して妥協を図るということです。不十分な結果になるとしても話し合いによって折り合いをつけることが必要です。力や暴力によって相手を支配しようとすると人間関係は破壊されます。人間関係は、お互いがwin winの関係を目指さないと、すぐに対立関係に発展します。今解決の時でない場合は、すぐに処理しないで時の経過にまかせる。この人間関係の原理原則を理解するだけではなく、実際に応用していくことが大事になります。
2023.11.05
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森田先生の患者の中に、不潔恐怖症の人がいた。巣鴨病院に長らく入院して未治退院された方を自宅に引き取って、催眠術や説得療法などあらゆる方法で治療した。けれどもどうしても治らないので、さすがに強情な森田先生もサジを投げて、腹を立てて患者を殴ったこともあるという。この患者に対してあらゆる手段を試してみたが混迷を深めるだけだった。ところがこの患者が、苦悩と絶望の結果、最後に捨て身になり、忽然と治ってしまった。根もエネルギーも尽き果てて、捨て鉢になって、治すことをあきらめてしまったことが、不潔恐怖症の克服につながったというのは不思議なことです。この体験がきっかけとなって、森田療法の確立に結びついたという。このからくりを、「神経質の本態と療法」の中で、河合博博士が分かりやすく解説されている。本書の中に発作性神経症の治験例があるが、この治し方は、できるだけ発作を起こすように努力してみよ、ということである。症状は神経質患者の意識の中心にあり、これを忘れよう、意識すまいと努力する。すなわち意識の中心より周辺に押しやろう押し込めようとする。そうすればするほど、それは意識の中心を占領する。意識しまいとすればするほどますます、一点に凝集強化される。これが神経質の症状である。しかし意識は、絶えざる流動・変化である。神経質症状も、環境の中で力動的に変化消長するそして症状が意識の中心より、やや遠ざかったときに、意識的に無理にこれを中心に持っていくように患者に努力させる。発作を起こすようにさせる。これは平素の患者の努力とは反対の心の働きをさせるのである。すると、ここに意外なことには、中心に持って行こうとする努力とは逆に、周囲に退くのである。(神経質の本態と療法 森田正馬 白揚社 267ページ)最悪の事態を意識して呼び込むという逆説療法だと思います。なかなかできないかもしれませんが、可能ならば不眠の方、不安神経症の方、パニック障害の方はぜひ試してみていただきたいと思います。パフォマンス限定社交不安障害(楽器のソロ演奏をする時に極度に緊張する等)の私の場合、「わざと間違えてその過程を後で分析してみよう」というような気持を持てれば、意外に間違えないで演奏できることは経験でなんとなく分かっていました。
2023.11.04
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フランスの経済学者のジャック・アタリ氏は、2007年に未来の政治と経済を予測した著書「21世紀の歴史 未来の人類から見た世界」の中で、21世紀中に人類の歴史に終止符が打たれる可能性が高いと指摘しています。イスラエルとハマスの戦闘、ロシアとウクライナの戦争、中国の政治や経済の混迷、ディープステートによる世界経済の支配などはそれを予感させるものがあります。ジャック・アタリ氏は、これまでソ連崩壊、金融バブル、インターネットの普及などを予想しましたが、その通りになっています。この状態のままでは人類の支配は国境を越え、拡大し続ける市場によって2050年頃には「超帝国」が生まれるという。地球規模で統一された市場では、自然環境は破壊され、軍隊や警察、裁判所も含め、すべてが民営化される。公共サービスも民主主義も、政府や国家さえも破壊されるなかで、貧富の格差はいよいよ拡大し、生活貧困層が増大していく。やがて、世界各地で未曽有の「超紛争」が勃発し、いかなる国際機関も調停に乗り出せない。ついに世界は巨大な戦場と化して、一般市民はあらゆる種類の大量破壊兵器の餌食になり、人類は滅亡に向かう。(コロナの暗号 人間はどこまで生存可能か 村上和雄 幻冬舎)私は残念ながらこの予測は当たる可能性が高いと考えています。いまの世界は欧米のディープステート(国際金融資本、多国籍企業)による人類の支配が国境を越えて拡大し続けているのが現実です。これはロックフェラーやロスチャイルドにつながるユダヤ系金融資本家です。最近はそこに中国が覇権争いに加わっているのです。いずれにせよ、ごく一部の人が、その他大勢の人を支配しコントロールしようとしている構図は変わりません。いずれにしても、将来は国境の枠は形ばかりとなり、世界規模で統一された市場が出現して、支配力が強まるでしょう。政治、経済、金融、司法、教育、軍事、社会インフラ、娯楽、農業、報道などは、どんどん民営化されて、ディープステートの利益拡大の手段として利用されるようになります。ごく一部の人たちが、世界の富のすべてを自分たちの所有物にしようとしています。戦争を演出して高価な兵器を売りつけて暴利をむさぼることもいとわなくなります。ガン細胞が人間の体の中で、どんどん増殖しているような状態です。そして追いつめられた人たちが、核兵器の使用に踏み切ることは十分に考えられます。核兵器の使用によって人類は絶滅してしまうというのが、ジャック・アタリ氏の予測です。第三次世界大戦の開始は、人類の絶滅につながるものです。人間の欲望の暴走は恐ろしいものです。神様は人間に制御力も与えましたが、欲望が暴走し始めるとひとたまりもありません。一旦甘い蜜を吸ってしまうと、報酬系神経回路が過度に活性化されてしまうのです。本来は欲望の暴発は防衛系神経回路などによって制御されるようになっていますが、一旦はずみがついてしまうと制御能力を失い暴走してしまうのです。それは、依存症に陥った人が、依存症を克服することが困難であることとよく似ています。森田理論は、欲望の暴走は同時に湧き上がってくる不安によって抑制していかなければならないと説明されています。そして意識して欲望と不安のバランスをとっていくことが目指すべき方向です。ディープステートといわれる人たちが、森田の考え方を学んでくれるようなことはないのでしょうか。私たちはディープステートの横暴を指をくわえてみているしかないのでしょうか。少なくとも森田理論を学んだ私たちは、森田の考え方を世界に向かって発信する時代に来ているような気がします。
2023.11.03
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元スピードスケートの清水宏保氏は、指導者から指示された練習しかしていない選手は伸びないと言われています。指導者から指示された練習メニューをこなしながら、自分で考えた練習にも取り組んでいる選手は、3年後、4年後にしっかりとした結果を出している。与えられた課題にプラスアルファ―を、1日に1秒でも積み重ねていくと、365日後には大きな差となって現れるからです。指導者から指示されたことだけをこなすというのは、森田先生が言われている「お使い根性」ということだと思います。やる気が高まり、自ら積極的に行動しているわけではありません。他人から指示・命令されたことに従っているだけです。最初はこの方法でも一定の成果が期待できます。ところがこの方法は途中で息切れしてきます。それは本音と建前が一致していないからです。いつまでもイヤイヤ仕方なしの行動に甘んじていては行動に弾みはつきません。どこかで自分が主体となって本音と建て前を一致させることが肝心です。この問題の解決策として、森田理論では「ものそのものになる」ことをお勧めしています。これを日々の日常生活や仕事の中で心掛け実践していくのです。最初はイヤイヤ仕方なしに取り組むことは問題ありません。そのうちできるだけ一心不乱に取り組んでみることです。我を忘れて取り組んでいたら、時間が経つのを忘れていたという状態に持っていくことです。そういうときは感情が活発に動き、頭がフル回転しています。問題や課題などによく気づきます。小さな発見、工夫、アイデアを次々に思いつくようになります。行動は積極的、生産的、建設的、創造的になります。プラスアルファ―の行動習慣を作り上げるためには、目標を明確にしておくことも大切です。目標には短期目標、中期目標、長期目標があります。長期目標に到達するために、少し努力すれば実現可能な目標をいくつも持っておくことが肝心です。このことを森田では「理想は高く、実行はこきざみに、小さな成功を積み重ねる」と言います。小さな成功体験を積み重ねると、自信と勇気と自己肯定感が生まれてきます。大阪城
2023.11.02
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共依存とは、例えば酒飲みで金遣いが荒く、絶えず女性問題を起こしているような男性が、経済的にも、精神的にも特定の女性に頼る。その女性の方も、困った人だと思いながらも、問題解決に向けて深く介入している。「あなた、自分の不始末は自分で処理しなさい」と突き放すことはしない。問題ばかり起こす男性の世話をすることが唯一最大の生きがいになっている。その男性がいなくなると自分の生きがいがなくなるのですから問題は深刻です。男性の方は図に乗って益々依存的になります。特に夫婦の共依存は大きな問題になります。親子の共依存もあります。女性は献身的で、奉仕的な生き方をしているように見えますが、本来の自分自身の興味や関心、課題や目標などは蚊帳の外になっています。共依存関係に陥った人は、絶えず問題を起こして対立しています。何とか解決して今度こそはと思っても、すぐに元の木阿弥となります。一見相思相愛でうらやましいような関係に見えますが問題は深刻です。そのうち二人して奈落の底に落ち込んでいきます。共依存は、自分が自分で始末をつけることを、他者に依存して解決してもらっているのでお互いが寄生虫のような生き方になります。見捨てられると生きていけなくなりますので、相手の気を引くことばかりを考えて生活するようになります。共依存は、お互いに自立の道が閉ざされてしまうことが一番の問題です。共依存関係に陥ると、自分の行動に責任を持つことができなくなります。問題を相手に丸投げしてしまうようになります。絶えず相手の動向に注意や意識を向けていますので、自分の目標や課題、目的や夢、やりたいこと、やらなければいけないことには鈍感になってしまいます。その日が楽しければよいという、根無し草のような生き方になってきます。共依存に陥らないためには、自分の出来ることや自分がしなければならないことは安易に人任せにしないという気持ちを強く持つことです。気が進まなくても、面倒でも、しんどいと思ってもきちんと自分でこなしていくことです。この気持ちを持ち続けている限り、共依存に陥ることはないと思われます。これは森田理論の基本だと思います。
2023.11.01
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