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気分が落ち込むことは誰にもあります。月曜日の朝になってどうしても会社に行く気にならない。着替えるのも面倒。もっと寝ていたい。あるいは学校や会社に行くのが恐い。食事を作るのが面倒くさい。食器の後片付け、掃除、洗濯、整理整頓、身支度等がおっくうで仕方がない。これらの気持ちは自然に発生した素直な感情のように思えます。この感情に従った場合、行動が停滞し、生活が乱れてきます。一時的にはホッとしますが、そのうち時間を持て余すようになります。後で後悔し、意識が内向化して自己嫌悪、自己否定で苦しむことにもなります。これらは気分本位の態度です。マイナスの感情に振り回されていると神経症に陥りやすい。森田先生は気分がどんなに拒んでも、必要なときに、必要に応じて、必要なだけの行動を勧めておられます。イヤな気分を持ったまま必要な行動をとるための方法を考えてみました。規則正しい生活習慣を作り上げることが有効だと思います。まずは起床時間と就寝時間を一定にすることです。特に起床時間を一定にすることが欠かせません。そのためには朝起きてやることを決めておくことが肝心です。私の場合は6時20分に目覚ましが鳴るようにしています。それから布団をたたみます。窓を開けて天気の良い日は朝日を浴びます。それからパソコンを開けます。早速ブログの原稿作成に取り掛かります。まずは今日アップされたブログの修正と保存作業を行います。次に明日アップ予定の原稿の見直しをします。そして前日決めたテーマに従って1か月先の原稿を一つ作ります。これは365日のルーティンとなっています。朝一番にこれに取り組むと、一日のリズムが生まれます。きちんとスタートが決まると、その後はルーティンワークに従って淡々と流れていきます。私のモットーは同じ時間に同じことをするというものです。これのメリットはいくら気分本位になっても、身体のほうが自然に動いていくことです。行動というのは、やる前は誰でも多少おっくうになります。規則正しい生活が習慣化してくると、気分本位を押しのけて体のほうがすっと動いてくれるようになります。まだの人はぜひ取り組んでみて下さい。次に気分本位の人は手掛けることは確実に成果を上げたいという気持ちが強いのだと思います。少しの無駄や損、小さなミスや失敗などを恐れているのです。またエネルギーの無駄使いは極力抑えたいと思っています。完全主義、完璧主義が強すぎるのではないでしょうか。この考え方を持っていると、成功するかどうか不安が残ることには手も足も出なくなります。つまり気分本位の生活になりやすいのです。こういう人には大数の法則を学習することをお勧めします。この法則はたとえばサイコロを2000回以上振ると、1から6までの出目がそれぞれ16.6%に収束してくるというものです。意識して5を出したいと思っても、少ない試行回数では全く5が出ないということが発生します。ところが2000回以上振り続けてくると、16.6%の確率で5が出るということです。この法則を知っていると、思ったように成果が上がらないとき、それは試行回数がまだ足りないからだと思えるようになります。大数の法則が機能するまで我慢して行動すれば、最終的には成功するという確信が持てるようになるのです。訪問営業は成果に結びつかないことが多いのですが、大数の法則を信じて気分本位に陥らないように頑張っている営業マンがいるのです。気分本位になりがちな人は、この法則を大いに利用させてもらおうではありませんか。
2024.04.03
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ショーン・コヴィー氏がこんな話をされている。パレスチナには2つの湖がある。一つはガリヤラ湖だ。きれいな湖で、魚も泳いでいる。その土手を緑が彩っている。木々は土手の先へと枝を広げ、癒しの水を吸い上げようと渇いた根を伸ばす。・・・ヨルダン川がなだらかな山を下り、この湖にきらめく水を注ぎ込む。だから、湖は日差しを浴びて笑っている。人はその近くに家を建て、鳥は巣を作る。この湖がそこにあるから、どんな生き物も幸せなのだ。ヨルダン川は南に下り、もう一つの湖にも注いでいる。ここにはしぶきを上げる魚も、風にそよぐ葉も、鳥の歌声も、子どもたちの笑い声もない。空気は水面に重く垂れこめ、人間も獣も鳥も、ここの水は飲まない。この湖は死海という。隣り合った湖のこの大きな違いはなんだろう。ヨルダン川のせいではない。両方の湖にいい水を注いでいるのだから。湖底の土でもない。まわりの土地でもない。ガリヤラ湖はヨルダン川の水をもらうが、ためてはいないのだ。一滴注げば、一滴が流れ出る。等しい量の水を与え、受け続けている。死海は一滴もらえばすべてため込む。つまり外に向かって流れ出るということはないのです。(7つの習慣 ショーン・コヴィ キングベア出版 51ページ引用)この話は感情の取り扱い方を考えるときに参考になります。感情は谷あいを勢いよく流れる小川のように、早く流すようにするとよいのです。お堀の水のように入れ替わらないということになると、藻が湧き、雑菌が繁殖して、水が濁ってきます。谷あいを流れる水のように、飲み水として利用することはできません。感情を早く流すためにはどうすればよいのか。新たな行動を開始すると新たな感情が生まれてくると学びました。これを活用すればよいのです。お勧めは、毎日の生活のルーティンを作り上げることです。3か月もすれば規則正しい生活習慣が身に付きます。身体がスーと動いてくるようになります。そのとき運動野や側頭葉が盛んに活動しています。そして比較検討、試行錯誤を繰り返す前頭前野は休んでいます。神経症に陥ると絶えずその前頭前野を酷使しています。帚木蓬生氏は5分以上考え続けていると前頭前野が傷むと言われています。前頭前野を酷使しないためには、規則正しい生活習慣を身につけることが有効です。
2024.03.29
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森田先生曰く。疑問と不安は絶えず出没して一つ一つこれを解決して、しかる後初めて安心するということはできない。すぐに解決できないようなとき、疑問は疑問としてこれが解決する時節を待つしかない。すぐに衝動的な行動をしてはならない。態度を保留にすることが大事である。不安は不安のままにいつまでも執着していられるものではない。強迫観念も、無理にただ一つのことを解決しようとして、もがかずに、素直に境遇に柔順でありさえすれば、苦しい不安でも、水の上の泡のように、水の流れの早いほど早く消えて、跡をとどめぬようになるものである。(森田全集 第5巻 764ページ)私たちは不快な感情が湧き上がったとき、すぐに解決してすっきりしようとします。例えば、赤ちゃんが夜泣きをしてうるさくて眠れない。こういう場合、叱りつけたり、菓子を与えて機嫌をとるなどの軽率な行動をとってしまうことがあります。どうしてよいか分からないようなときは、「うるさいな」という純な心はそのままにして、態度を保留にすることがベストの選択になります。どうしたものかと、赤ちゃんを観察し、なすべきことを手掛けていると、いつとはなしに赤ちゃんは泣きやんでくる。すぐに解決策が見当たらないようなときには、その不快な感情をそのままにして、時間の経過にまかせることがよい結果をもたらします。これができようになった人は、この手の不安に対して処理能力を獲得したことになります。
2024.03.23
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2014年10月31日の記事の再録です。生き生きワークショップの時にこんな発言があったそうです。ある女性の方が「今日ゴミ出しをしたときに人に会わなかったからよかった」と言われた。これを聞いたある男性の方曰く。私なら、「人に会うのがイヤだという感情はそのまま持ちながら、ゴミ出しをするという目的を果たしたのでよかった」と答えます。森田理論をよく学習している方の模範解答のようですね。このエピソードは感情の向き合い方についてそのヒントを与えてくれます。ここでの眼目は湧き上がってきた感情にはきちんと向き合うことが大事であるということです。普通は感情に向き合うよりも、その感情がよいとか悪いとかという価値評価をしてしまいます。これはちょっと考えものだと思います。なぜなら感情は向き合うものであって、評価をするべきものではないからです。高良先生の青竹買いの話でそのことがよく分かります。高良先生のところに入院していた患者さんが物干し竿にする青竹を買いに行った。帰ってきて先生に「今日は赤面恐怖が出たので竹買いは失敗だった」高良先生は「君の目的は立派な竹を買ってくることだ。症状が良くなっているかどうかを心配しているようではいけない」と言われた。ここではネガティブな感情を抱えたまま、目的本位に行動することが大切だと言われています。初期の段階では逃げないで行動できたのですから、良かったということになります。第一段階はクリアできました。これを継続していけば、表向き神経症は克服できます。でもこの対応では神経症の葛藤や苦悩は軽減できません。それは沸き起こってきた感情に対して、良い悪い、快不快、正しい間違いと是非善悪の価値判断をしているからです。嬉しい感情はあってもよいが、不快な感情や醜い感情、自分が感じたくない感情は沸き起こってはいけないものだと思っているのが問題です。森田理論では感情は自然現象であって人間が自由自在にコントロールすることはできないといわれています。是非善悪の価値判断をするということは、自然現象に精一杯抵抗しているということになります。ではどうするか。すべての感情は池のなかの鯉のように自由に泳がせておくことが大事になります。これは是非善悪の価値判断をしないで、感情にきちんと向き合うだけでよいということになります。そうはいっても「言うは易く行うは難し」だと思います。人間は是非善悪の価値判断をする生きものだからです。でもこのことを理解しているかどうかはとても重要なことです。理解していると、是非善悪の価値判断をしたときに踏みとどまることができるからです。10回の内1つか2つ自覚できるようになるかどうかはその後の生き方に影響を与えます。
2024.03.18
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明日テストがあるので勉強しなければならない。あるいは明日プレゼンがあるので準備をしなければならない。やらなければいけないことは分かっているがどうしても手が出ない。その原因はいろいろとあると思います。1、難しくてどこから手を付けてよいのか分からないという場合もあります。2、やる気が出てこない、苦痛だ、イヤだという気持ちになることもあります。1の場合は、一人で考えているだけでは難しいのではないでしょうか。詳しい人の協力を仰ぐなどの対策が必要です。2は気分本位の態度です。気分に振り回されてしまうと、なすべきことを放棄してしまいます。破れかぶれな気持ちになって、そのまま寝てしまう。テレビを見てしまう。ネットゲームにはまってしまう。you tubeを見てしまう。酒を飲んでしまう。カラオケに行く。パチンコに行く。そしてあとから後悔することになります。この場合は感情の法則を活用することです。「森田理論学習の要点」に「不快な感情もそのまま感じながら、必要な行動をしていくとき、感情は自然に流れ去り、行動したという事実だけ残ります」「森田理論学習の実際」には、「プラスの行動には快の感情が伴い、マイナスの感情には不快の感情が伴う」とあります。これは感情は、「新しい行動を開始すると、新しい感情が発生する」ということだと思います。気分に振り回されそうになった時は、この法則をすぐに応用することです。車の運転中に眠くてどうしようもないときは、路肩やサービスステーションで15分くらい寝ることです。眠気が取れて正常運転に戻れます。明日テストがあるという場合、一旦寝てしまうと朝まで寝てしまうことがあります。これではどうしようもありません。この場合は、風呂に入る。シャワーを浴びる。外に出てしばらく散歩をする。近くのコンビニに行く。するとあれほど眠たかったのが、ウソのように眠気が飛んでしまいます。精神が弛緩状態にあったものが、緊張状態に切り替わるのだと思います。森田に「休息は仕事の中止ではなく、仕事の転換にある」とあります。これを活用して30分おきに、仕事を変えていくと相当な仕事ができます。気分に流されそうなとき、「新しい行動を開始すると、新しい感情が発生する」ということを思い出したいものです。
2024.03.15
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気分本位の行動はあとから後悔することが多くなります。それを防止するために、事前にこのマトリックスを使って自己分析することをお勧めします。①行動することによるメリット ②行動することによるデメリット③行動しないことによるメリット ④行動しないことによるデメリット例 月曜日の朝会社に行く気がしないので仮病を使って休みを取ることにしたい。①休んだことによるメリット 憂うつな気持ちがなくなり、一瞬気が楽になる。②休んだことによるデメリット今日やる仕事が明日に持ち越される。火曜日がしんどくなる。本来自分のやるべきことを同僚が手分けをしてやることになる。他人にしわ寄せがくる。明日同僚から非難されることが予想される。休んでいても特に何もすることがないので、暇を持て余すことになる。③出勤したことによるメリット気が乗らないまま仕方なく家を出た。昼過ぎまでは体がだるく仕事モードにならなかった。ボツボツ仕事をしていたら、昼過ぎからいつも通り仕事モードになれた。④出勤したことによるデメリット家を出るときは憂うつな気分だったが、出勤すると少しずつ憂うつな気分がとれてきた。仕事に行くと益々落ち込むと思っていたが現実はそうではなかった。デメリットと思っていたことは、間違いだった。この分析をすると、不快な感情が湧いてきても、感情は行動によって変化してくるので、我慢して出勤した方がよほど得策であるということが分かります。つまり気分本位の行動に一定の歯止めがかかります。この分析方法はやる気が起きないときや尻ごみしたくなったときとても役に立ちます。いつも気分に振り回されている方は、それを抑止してくれる人の助けを借りることも有効ですが、それと合わせてこの分析方法を取り入れてみませんか。
2024.02.26
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感情は自然現象であるといわれています。自然現象の特徴の一つは、絶えず流動変化しているということです。太陽系の惑星は太陽の周りを高速で動いています。その太陽は天の川銀河の3分の2くらいのところにあって、2億年かけて高速で一周しているということです。天の川銀河の隣にはアンドロメダ銀河があり、お互いの重力で高速で近づいているそうです。将来的にはこの2つの銀河は合体することが分かっているそうです。2つの銀河の衝突によってまた新たな元素が生み出される可能性があります。宇宙の動きを見ていると、高速で動いていることが安定をもたらしていることが分かります。これはコマを回すと、高速回転しているときが一番安定しているのと同じことです。高速回転して、引力と遠心力のつり合いがとれたときが安定しているのです。つり合いといえばサーカスの綱渡りも、長い物干し竿のようなものでバランスをとって前進しています。バランスをとらないと存在することすら許されないということになります。次の特徴は、動いて変化していると歪が発生してくる場合があります。時にバランスが崩れて問題や課題、改善点や改良点が出てくるのです。たとえば地球の内部ではマントルが対流しています。その影響は地球の表面のプレートに歪となって現れます。歪が限界に達すると、自然はその歪を修正して元に戻そうとします。それが地震となって地表を大きく揺らすことになります。人間にとっては災難ですが、自然に悪意はありません。自然は歪を修正して調和を取り戻そうとしているのです。感情も自然現象の一つですから、この自然の法則から逸脱することはできません。森田先生の感情の法則は、宇宙や自然の法則から生まれたものだと思われます。感情の法則はとても役立つものとなっています。1、感情は行動に伴い次々に新しい感情が生まれてきます。必要な時に必要な行動をとることによって、どんなに不快な感情も流れていくようになっています。感情の法則1では、不快な感情はそのまま放任していれば、その経過は山形の曲線をなし、ひと昇りひと降りして、ついに消失していく運命にあると説明されています。2、感情は好ましいものばかりではありません。不安、恐怖、違和感、不快感などイヤな感情もあります。これらをつつきまわしていると、注意と感覚の悪循環が始まります。このことを精神交互作用といいます。精神交互作用でアリ地獄に落ち、神経症として固着してしまいます。3、逆にそれらを素直に受け入れて、雑事や雑仕事などに丁寧に取り組んでいると、自然に収まりがつくようになっています。森田では「生の欲望」に向かって努力精進して行くことをお勧めしています。
2024.02.06
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年老いた親の介護、配偶者の介護について考えてみました。集談会で認知症になり徘徊する親や配偶者の世話をしている人がいます。また寝たきりになって、食事、洗濯、入浴、排せつなどの世話をしている人もいます。特に下の世話は耐えがたい苦痛をもたらすようです。ある程度デイケア、ヘルパーさんに頼ることもできますがそれも限度があります。森田先生は、親に対して不満や腹立たしいことがあっても、その感情はそのままでよい。これをため直して、愛の心や感謝の気持ちを引き起こす骨折りと面倒を要しない。ただ自分のなすべき事を、止むを得ずになし、なしてはならないことを、しかたなしになさなければよい。この事を私は「自然に服従し、境遇に柔順なれ」と称して、その自然に発動する自分の感情をそのまま受忍する事を「自然に服従」といいます。ただお母さんが、急に病気にでも起こった時には、これを捨てておく訳には行かないから、しかたなしに世話をする。これが「境遇に柔順」であって、素直に我慢して、なすべき事をするのである。そうすると、心が自然の流れに随うようになり、例えばお母さんに湯タンポを入れて上げるとすれば、いつとはなしに自分の仕事その事になりきり、湯タンポの加減も適当にできて、火傷をさせることもないようになる。理屈で考えると、いやいやながらする事には間違いが多く、いやな心を取り直しておいて、朗らかにやればよくできると思うけれども、実際においては、今まで述べたように孝行をしようとして、孝行にならぬように、「思想の矛盾」になり、不自然の事は不可能の努力のために非常の抵抗となって、その結果は必ず間違いだらけになるのであります。(森田全集 第5巻 554ページ)森田先生はイヤな感情が湧き上がってくるのは仕方がないことだ。イヤな気分のまま、なすべきことをし、なしてはならないことを控えることが大事になる。不快な感情はそのまま持ちこたえて、介護をする相手が少しでも喜んでくれることを見つけて行動していると介護を通じて絆が深まると言われています。
2024.02.03
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気分本位についての帚木蓬生氏のお話です。ある行為をしていて嫌な感情が出たら、もうその行為はやめる。嫌な相手は避け、疎ましく思う。逆に楽しい行為だけをありがたがり、追及する。腹が立てば、八つ当たりして、うさを晴らす。気分が悪い日には、外出もせず、家で寝ておく。気分が良くなるまで、顔をしかめてじっとしておく。このように、感情や気分を基にした行為、行動を「気分本位」といいます。感情や気分を基準にして行動する生き方です。これを森田正馬は徹頭徹尾嫌いました。(生きる力 森田正馬の15の提言 帚木蓬生 朝日新聞出版 79ページ)嫌な感情や気分に振り回されていると「怠惰」になります。怠惰な仕事や生活ぶりは、傍から見ているととても見苦しい。食事の後の皿洗いや洗濯物をそのまま放置していると、嫌な感情や気分はますます悪化してきます。嫌な感情や気分には自己増殖するという特徴があるのです。仕事や生活がいったん退廃してしまうと、加速度がつくので元の状態に立て直すことは至難の業になってしまいます。「気分本位」の反対の極みにあるのが「目的本位」です。今日一日悲観し、ため息をつきながら働いたとき、悲惨な一日だったと考えるのは「気分本位」です。よく働いた、目的は達成したと安堵するのが「目的本位」です。この二つは全く違った受け取り方であり、その後の行動に大きな影響を与えます。寒いのでやる気がしない。暑いので体が持たない。エネルギーの無駄使いは押さえたい。意欲が湧き上がらないので何もしない。これが「気分本位」の態度です。いかに気分が悪くても、必要な時に必要に応じて必要なことに敢えて手を出していく態度が「目的本位」です。どうすれば、「目的本位」の生活態度が身につくのか。一番簡単な方法は、同じ時間に同じ行動を繰り返して行う習慣を作り上げることです。規則正しい生活習慣が出来上がると、次に何をしようかと考える必要はなくなります。考えなくてもすっと体が動いてくれるようになります。しだいに気分に振り回されなくなります。
2024.02.01
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私はマンションの管理人をしています。勤務棟内で大きな内装工事がありました。予定では1ヶ月半かけての全面改修工事でした。職人さんたちが入れ代わり立ち代わり出入りしていました。そこでいろいろとトラブルが起きました。1、養生がお粗末であった。すぐに破れるような薄いシートを敷いている。破れたところはそのまま放置している。エレベーターの中は継ぎはぎだらけだった。2、夕方は17時までと聞いていたが、18時ごろまで工事をしている。金槌や切断機、電動ドライバーを使い大きな騒音を出す。3、資材を玄関廻り、解放廊下まわりに大量に放置している。廃棄ゴミを玄関廻りに長時間放置している。4、来客用駐車場が2台分ありますが、2台分を常時占領し、それ以外にも駐車禁止場所に駐車している。5、共用トイレを自由自在に使っている。汚しても掃除をしない。備え付けのトイレットペーパーを大量消費している。6、工事予定期間を無視して勝手に工期を延長している。7、マンション内を泥のついた靴で歩きまわる。8、多くの職人が無断で出入りするので不審者との見分けがつかない。内装工事でこういう事態になることは当初は予想していなかった。今までの内装工事でこのようなトラブルがなかったからである。居住者を刺激して何度もトラブルを起こした。私も毎日イライラしてキレそうになることもあった。その原因は私や居住者が想定していることと、施工業者が実際にやっていることに大きなズレがあったからだ。このマンションで工事をする以上、施工業者に改善してもらうかしかないと考えた。しかし怒りの感情をそのまま爆発させるのは何としても避けたいと思った。森田理論を応用するまたとないチャンスだと思いました。現場監督に次の2点をお願いした。まず工事でマンション内に出入りする時は、出会った居住者に挨拶してもらうように頼んだ。次に長期の工事なので掲示板を設置して、その日の工事内容を明らかにしてもらうことをお願いした。居住者に安心してもらうためである。これはすぐに実行してもらえた。その後も現場監督とさまざまな問題点を共有化して改善するように心がけた。なかなか想定通りにはいかなかったが、なんとか許容範囲には収まった。問題を放置していたら大きな混乱を招いていただろう。最悪管理人を辞めさせろという話になっていたかもしれない。森田理論では、感情と行動は別物という。腹が立った感情をそのまま爆発させると喧嘩になりあとに引きずる。気の荒い職人たちとけんかすると後の仕返しが恐い。腹の中は煮えくり返るような怒りでいっぱいだったが、冷静に対応して本当に良かったと思った。次に森田で、「言動はその時、その場で適切なものを選択して実行する」ということを学んでいる。腹が立っても、相手が気を悪くするようなことは決して口にしてはならないということだと思う。これを応用してみようと考えた。仕事が終わって職人さんが引き上げるときは、「ごくろうさまでした。明日もよろしくお願いします」と一言かけるようにした。用事で工事現場を訪れるときは、「失礼します。管理人の○○です。一つお願いがあるのですが・・・」と丁寧な対応を心がけるようにした。すると、不愛想だった職人が、いつのまにか笑顔で挨拶してくれるようになった。そのうち、缶コーヒーなどを差し入れしてくれる職人も出てきた。トイレットペーパーも自前のものを用意し、毎日トイレ掃除もするようになった。森田理論を実際に応用して効果があったことを確認できた。
2024.01.14
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石原加受子氏は感じることと考えることは同時にできないと言われます。意識が感情の方に向いているときは、あなたの思考は止まっています。反対に思考しているときは、感情は止まっています。どちらか一つしかできないのです。よく考えてみるとその通りですが、それを普段意識していることはありません。今日はこの関係を取り上げてみました。思考するのは前頭前野です。これは人間だけが高度に発達しています。動物が言葉を使って深く考え込むことはありません。これからやろうとしていることに不安がある、今現在何らかの問題を抱えている、過去にミスや失敗をしてしまったことがある場合はミスや失敗を防止するために思考します。前頭前野がフル回転して分析、検討しています。感情は自然現象と言われています。目の前の出来事に遭遇したとき、五感を通じて、苦楽、好き嫌い、快不快の感情が自然にわきあがってきます。これに直感を加えて六感という人もいます。感情は自然現象ですから、思考のように取り扱うことはできません。感情は一旦扁桃体に送られ、ふるいにかけられます。苦、嫌い、不快と判定されたものは、ノルアドレナリンにより青斑核に伝えられます。青斑核は防衛系神経回路の司令塔です。楽、好き、快と判定されたものは、ドパミンにより腹側被蓋野に送られます。腹側被蓋野は報酬系神経回路の司令塔です。どちらに送られるかでその後の展開が大きく違ってきます。しかし、いずれにしても、感情は自然現象ですから、きちんと向き合い味わうことしかできないものです。それなのに人間は前頭前野で是非善悪の価値判断をしてしまうのです。前頭前野が自然現象である感情をコントロールし始めるととても厄介なことになります。好ましくない感情と戦いを始めるのですから勝ち目はありません。人間の葛藤や苦悩はここから生まれるといっても過言ではありません。森田では「純な心」を大切にしています。最初に湧きあがってきた感情、素直な感情、本音、初一念のことです。これは意識してキャッチしないとすぐに消え去ってしまうという特徴があります。「純な心」が消え去った後に、すぐに前頭前野が出動してくるのです。過去の経験を基にしてああでもないこうでもないと思考するようになるのです。その時「純な心」は、忘却の彼方に飛び去ってしまっています。つかまえようしても、もう時遅しという状態になります。「純な心」をつかまえるには、まず「純な心」という感情が発生していることを意識する必要があります。森田理論を学習している人はチャッチできる可能性が高くなります。注意しておきたいことは、怒りなどのマイナス感情は、「純な心」とは言えないものである可能性が高い。ここは勘違いしやすいところです。前段階として、自分の考えや行動が批判、否定されたという「悲しみ、失望」などの感情が隠れていることがあります。この感情の存在に気付くと、買い言葉に売り言葉の対応は制御することができます。例えば中学生の娘の帰宅時間が遅くなると親はとても心配します。居てもたってもおられなくなります。ところが返ってきた娘を見たとたん、怒りの感情へと転化してしまいます。怒りの感情のままに行動すれば人間関係にヒビが入ります。このとき最初に湧きあがった感情、つまり娘の身に何かあったのではないかという感情に気づくと「ああ、無事に帰ってきてくれてよかった」ということになります。親子の関係が険悪な関係に陥ることを防止してくれます。雨降って地が固まるとはこのことです。次にマイナス感情が湧き上がってきたとき、第三者的立場、客観的な立場に立って自分の感情を眺めてみることが有効です。「あなたは今こんなことを感じている」というふうに、感情を外から眺められるようになると、感情と行動を切り離して扱うことができるようになります。マインドフルネスの藤井英雄氏は、「マインドフルネスとは、「今、ここ」の感情に、リアルタイムかつ客観的にアプローチしていくことである」と言われています。これは訓練することで身に着けることができます。これは森田理論が目指しているところだと思っています。松山城です。道後温泉に正岡子規記念館があります。
2023.12.18
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森田全集第5巻の676ページに赤ちゃんの夜泣きの話があります。安田さんという方が子どもの夜泣きがうるさいので、奥さんに赤ちゃんの機嫌をとって泣かないように対処してくれと言われていたそうです。これに対して森田先生曰く。「アアうるさいな、なんとか泣きやませる方法はないものか」どうすればいいだろう。叱ろうか・懲らしめてやろうか・菓子でもやってみようかと、いろいろ考えながら、自分の仕事をしている間に、いつとはなしに、子どもが泣きやんでくる。なるほど子供は泣くだけ泣けば、泣きやむものだという法則を発見する。安田さんは赤ちゃんが夜泣きするのでイライラしていたのでしょう。その不快感をすぐに取り除きたいと考えて奥さんに何とかしてくれとお願いされています。同じく森田全集第5巻の459ページに次のように書いてあります。この間5つになる女の子を熱海に連れて行った。感冒で熱が38度もあった。機嫌が悪くて、いろいろ駄々っ子をいう。寝ていなければならぬといっても抱っこをしてくれと言って泣く。抱っこをしてやれば今度は「外へ行く、外へ行く」という。熱があって気持ちが悪いから、風に当たればよかろうと、子どもながらに考えるのでしょう。少し訳の分かった母親は、子供の駄々っ子は、いい加減にあしらって、静かに寝かせておくが、気の軽い親は、別に深い思慮も何もなく、子供のねだるままに、なんでもその通りにしてやって決して病のためにならない。普通不快な感情、小さな不安があるとすぐに対処しようと考えます。それは不快感はあってはならないものだと考えているからです。不快感を放置していると、どんどん増悪して手が付けられなくなる。結果的に短絡的で思いついたことを手あたりしだい実行する。とにかくそのときの不快感や不安がなくなるか、弱まればよいという気持ちに支配されています。森田先生は、こういう不快な感情は少し我慢すれば時間が解決してくれる。湧き上がってくる不快感をすべて取り除いてすっきりしようとするのは慎む方がよいといわれています。感情の法則④では、「感情は、その刺激が継続して起こるとき、注意をこれに集中するときに、ますます強くなるものである」とあります。少々の不快感や不安は、我慢する、耐える姿勢が大事になります。不快感は池のなかを泳ぐ錦鯉のように自由に泳がせておくことです。第三者的、客観的な立場に立ってその不快な感情にきちんと向き合うことです。あなたは今わがままな子どもの態度にイライラしていますね。寝不足になると明日の仕事に差し支えると思っていますね。どうしてよいのか分からないでおろおろしていますね。きちんと向き合うと、短絡的で破れかぶれの言動で対応することがなくなります。反対に不快感を払拭しようと考える人は、不快感にとっては格好のカモが現れたようなものです。いつまでもしつこくつきまとい、人間関係を壊し、凡事徹底を軽視させるようになります。
2023.10.27
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マイナス感情には、不安、おびえ、怒り、不快、憤慨、憂うつ、嫌気、イライラ、心配、悲しみ、嫉妬、恥辱、惨めさなどがあります。プラス感情には、嬉しい、楽しい、愉快である、ワクワクする、ウキウキする、晴れやか、満足、しあわせなどがあります。誰でもマイナスの感情はできるだけ回避したいと思いがちです。そしてプラスの感情は数多く味わいたいという気持ちがあると思います。マイナスの感情を避けていると、次のような問題が生まれてきます。目先の短絡的な快楽や刺激を追い求めるようになります。絶えず気分が高揚するような快楽や刺激を求めるようになります。一時的にカンフル剤的な高揚感はありますが永続性はありません。高揚感が途切れた時は虚しさが襲ってきます。それとともに感じる力が鈍化して、小さな楽しみや喜びでは満足できなくなります。快楽や刺激を追い求める生活は欲望が暴走しやすくなります。ある一定限度を超えると、自ら制御することはできなくなります。ブレーキの壊れた自動車が坂道を疾走するような状態になります。さらに他人から与えられる快楽や刺激に注意が向くようになります。自分で課題や目標を設定して努力した結果得られるような喜びや達成感は、しんどいばかりでつまらないと考えるようになります。自ら努力することを放棄して、他人から与えられる快楽や刺激をより多く求めるようになります。特に面白いことは何もない、何も興味が湧き起こらない、とにかくやる気が起こらないというのは、他人から与えられる快楽や刺激を追い求めている人の特徴です。そういう人は、神経質性格者であっても感性が鈍化しています。さらに感情の動きが停滞気味です。本来感情は、谷あいを勢いよく流れる小川のような状態が理想ですが、お城の堀の水のように淀んでいます。その結果ますます、無気力、無感動、無関心な気持ちが強くなっていきます。その不快な気持ちを払拭するために、何とか打開策を求めて動き回りますが、どうすることもできなくなります。この悪循環に陥らないためには、仕事や日常生活の中で、小さな課題や目標を設定して丁寧に取り組むことが大切になります。目標としては、規則正しい生活の継続と凡事徹底です。小さな成功体験の中に無上の喜びや感動を味わうことができるような生活習慣を作り上げることがとても重要になります。熊本 五高記念館(森田先生や水谷先生が在籍されていました)
2023.09.26
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対人恐怖症の人の思考パターンを、私に当てはめて考えてみました。他人から非難される。否定される。馬鹿にされる。無視される。からかわれる。とにかく少しでも自分が傷つくことが嫌なのです。反面人から羨望の目で見られる、評価されることには強い関心がある。相手の言動に神経を集中させています。神経が過敏になっています。対人恐怖症の人は、不愉快なことがあるとすぐ態度に出ます。自分を非難・否定する人から逃げ回っています。石原加受子氏はこれは他人中心の考え方であると言われています。他人中心から自分中心の考え方に変えることで問題が解決すると言われています。他人中心の考え方では注意や意識はどこに向けられるのか。1、相手が自分のことをどう思っているのか。2、相手が自分のことをどう評価しているのか。3、相手が自分のことをどう考えているのか。4、相手が自分に何を期待しているのか。5、相手が自分をどう取り扱おうとしているのか。自分中心の考え方では注意や意識はどこに向けられるのか。1、自分は相手のことをどう思っているのか。2、自分は相手のことをどう評価しているのか。3、自分は相手のことをどう考えているのか。4、自分は相手に何を期待しているのか。この2つの考え方は、相手を見ているのか、自分を見ているのかの違いです。他人中心の人は主に他人の感情、気持ち、意志、欲求などに注意や意識を向けています。反対に、自分の感情、気持ち、意志、欲求などは抑圧しています。本音、無意識、潜在意識を抑えて、建前、有意識、顕在意識を重視しています。自分の気持や感情を軽視していると大変なことになってしまいます。葛藤や苦悩が生まれ、神経症に陥ってしまいます。それは自分の本音、無意識、潜在意識が猛反発してくるからです。森田でいう思想の矛盾に陥っているのです。他者中心の人は、心を他者に奪われているために、相手の言動や、相手によって傷つくことには敏感です。反対に、自分の感情や感覚に気付くのが鈍感になっています。断りたいと思った。けれども、どのように断ったらいいのか分からない。争いになったらどうしよう。関係が悪くなったらどうしよう。他人中心になると、絶えず相手と戦闘モードで対峙している。絶えず勝ち負けを気にするようになります。他者中心の人は、自己主張するのが怖い。自己主張すれば言い争いになってしまう。そして戦いに負けて自分が傷つくことにおびえているのです。自分中心の考え方は、自分が幸せであることは、結果として相手も幸せになる。まず自分を愛することができれば、相手と戦闘モードになることがない。人間関係はむしろ良くなっていくという考え方です。遣唐使船の復元
2023.09.13
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昔海外に単身赴任する人がいた。海外赴任が珍しかった時のことだ。羽田空港に会社や家族の人たちが見送りに来ていた。ところがその輪の中に肝心の奥さんがいない。実は空港まで見送りに来ていたのだが、その奥さんは赤面恐怖症だった。自分の姿を見て、見送りに来ていた人が変に思うに違いないと考えた。そんなことになれば、夫に迷惑がかかる。自分だけならよいが、夫の評判を貶めることには耐えられない。そのように思い込み、見送りの輪の中に入らなかったのだ。その願いはみんなに伝わることはなかった。見送りに来た人たちは、なんと心の冷たい奥さんだろうと思った。そして奥さんのその時の行動は会社内でうわさになった。この奥さんは、神経症に振り回されています。赤面恐怖症を理由にして、その時見送りに来た人たちへ感謝やお礼の言葉がけをすることを忘れてしまいました。これは森田でいう気分本位な行動です。気分に振り回されて、大切な本来の目的を回避してしまうことはよくあります。太っている、ハゲである、どもりである、体が震える、書痙である、容姿に自信がない、会食恐怖などがある場合である。その他、しんどい、面倒だ、気が乗らない、疲れている、怖い、不安だというような気分に振り回されることもあります。私は突然親戚の葬儀があったとき、会社に休みをもらうことが言いだせなくて、妻に代行してもらったことがあった。その後親戚から非難の嵐だった。同様のケースの人に聞いたところ、そういう急な休みをとる場合は、その穴埋めとして土曜日に振り換え出勤すればよいということが分かった。私の場合は、最初から断られるのが分かっていると決めつけていた。断られることに恐怖を感じて、後で取り返しのつかないことをしてしまったのだ。その後悔はいまだに尾を引いている。森田先生は気分本位の態度は問題だと言われている。どんなに心が拒否していても、約束したこと、常識的なこと、取り組む必要があることから逃げてはならない。しんどそうだ、疲れている、めんどうだ、気が変わった、やる気が出ない、怖い、不安だという気分を優先して、本来の目的から逃げてしまうと、一時的にはほっとするが、後で暇を持て余し後悔することになる。そして他人からの信頼感は地に落ちてしまう。どんなに気分が悪くても、必要な時に、必要なだけの最低限の行動を心がけることが肝心である。行動しているうちに不快な感情が変化してくることはいくらでもあると心得ることである。和歌山県 潮岬灯台
2023.08.01
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神経質者は「自分が傷つくことには敏感だが、人を傷つけていることには鈍感だ」と聞いたことがあります。相手が嫌な思いをしているのに、本人が他人を傷つけていることに気づいていない。神経質者は、他人の思惑を気にして慎重に対応しているのに、どうして人の心に土足で踏み込むようなことが起きるのでしょうか。それは日頃不快な感情を排除することが習慣化しているからかもしれません。ふつうの人もイヤな感情が湧き上がってきたときは落ち込みます。でも自然現象である不快な感情と正面から闘うようなことはしていない。それは無理だということがよく分かっているからです。仕方なくその不快な感情が一山超えて収まるのをじっと待っている。時間が経過すれば、不快な感情が収まってくることがよく分かっているのです。私達はこれができない。何としても排除しようとしている。それも今すぐにと言う気持ちが強い。せっかちです。すっきりしないと我慢できないのでしょう。排除することを優先するあまり、不安ときちんと向き合っていないということになります。そのうち、他人の気持を思いやるような心のゆとりがなくなってくる。これは周りから見ると感じる力が鈍化しているということになります。もともと感受性が豊かなのですが、感性が鈍くなるということが起きるのです。その結果、平気で他人を傷つけているという問題が発生している。石原加受子氏はその弊害を次のように説明されている。感情を抑えたり、感情にフタをしたり無視したりすれば、確かに心の痛みから目をそらすことができるかもしれない。けれども、マイナスの感情をもたないですむ代わりに、プラスの感情にも鈍感になってしまう。どんなに論理的頭脳に優れていても、どんなに芸術的な感性にあふれていても、それを追及しているとき、楽しい、嬉しい、おもしろい、ワクワクするといった感情を味わうことができなければ、それを継続する意味を見失うだろう。喜びの感情があるからこそ、創造的な活動に没頭できるのである。(もっと自分中心でうまくいく 石原加受子 こう書房 102ページ)石原氏は、小さな不快な感情ときちんと向き合うことを拒んでいると、他人を平気で傷つけるような発言や行動をとるようになる。さらに、プラスの感情も味わうことができなくなると言われているのです。逆に言うと、小さなマイナス感情をきちんと受け止めている人は、小さなプラス感情も大いに味わうことができるということになります。森田では仕事や日常生活の中で、小さなプラス感情をより多く味わうことを目指しています。小さな喜びや感動を日々味わっていると、生きることが楽しくなってきます。そのためには、不快な感情を目の敵にすることを止めて、あるがままに受け止めることが大事になります。滋賀県 信楽焼
2023.07.31
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感情は天気と同じ自然現象だと言われています。天気といっても恵みの雨ばかりではありません。大型台風がやってくると甚大な被害が起きます。線状降水帯が発生すると、土砂災害などの被害に遭いやすくなります。また巨大地震、それにともなう津波、火山の噴火などはなすすべがありません。どんなに甚大な被害が予想されても、自然と戦って勝つことはできません。できると思っているとすれば人間の思い上がりです。自然現象は、基本的に人間は受け入れるしかありません。それと同じようにどんなに不快な感情も受け入れていくしかありません。湧きあがってくる感情は自然現象ですから、人間が自由にコントロールすることはできません。問題は不安、恐れ、怒り、不快な感情が湧き上がってきた場合の対応方法です。1、すぐに取り去ろうとする。売り言葉に買い言葉的な対応をとる。2、すぐに逃げる。回避する。逃避する。その時の気分に振り回される。3、荒れ狂う心を第三者的な立場から観察して時の経過に任せる。4、感情と行動は別物と考える。その時その場で適切な行動をとる。1と2の対応は問題あります。3と4の対応とることが大切です。しかし理論は理解できますが、実際には理論通りにはいきません。それは1と2の対応が習慣化しているからです。1と2の習慣を、3と4の習慣に切り替える必要があります。どうすれば新しい習慣に切り替えることができるのでしょうか。考えられることを整理してみました。1、不快な感情にすぐに反応しない。少しだけがまんする。少しだけ耐える。そのためには、間をとる。時間稼ぎをする。席を立つ。一服入れる。感情は一山登りきると下降線をたどるという感情の法則1を活用する。2、感情にレッテルを貼る。怒りの感情。不安な感情。悲しい感情。嫉妬の感情など。そして湧き上がってきた感情を第三者の立場から客観的に眺めてみるようにする。3、「グチは行動をにぶらせ、仲間を悩まさるだけである」と学びました。その通りだと思いますが、集談会では多少はグチを吐き出す方がよいと思います。グチを吐き出すと随分楽になります。先輩はグチを聞いてあげるように心がける。そのために集談会の場を活用するのは如何でしょうか。ここでしっかり吐き出して、普段の生活ではできるだけがまんする。4、感情に対して、良い悪いという価値判断をしない。選り好みをするよりも、きちんと向き合っているかどうかが問題です。これは池のなかを悠然と泳ぐ鯉のようなイメージです。5、つらい感情と向き合ってばかりでは辛いです。たまにはおいしいものを食べる。気心の知れた人と飲み会を開催する。カラオケで発散する。スポーツをする。趣味に打ち込む。気分転換を図るようにする。6、ペットの世話をする。観葉植物、自家用野菜作りに取り組む。集談会で世話活動に取り組む。お役立ち行動を心がける。これらを心がけると不快な感情は和らいでゆきます。7、規則正しい生活をする。そして生活のリズムを作り上げる。朝起きる時間、就寝の時間を守る。一日の時間の有効活用を考える。毎日同じ時間に同じことを繰り返すように意識して実行することで不快な感情が軽減できます。8、セロトニン神経系を意識して鍛えるようにする。セロトニンの活性化は怒りや不安などを和らげる効果があります。興味のある方は2022年2月13日、3月8日の投稿記事を参照願います。9、食生活の偏りをなくする。脳ではなく、腸が喜ぶ食生活を心がける。ファーストフード、外食、スナック菓子、清涼飲料水に偏った食事は、精神状態を不安定にします。食生活のバランスを心がける。これらは一つだけではなく、幾つも組み合わせて取り組むことが大切です。
2023.06.16
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根本裕幸氏のお話です。心理学の世界では「怒りとやる気は同じエネルギー」という表現をします。バイタリティがある人を思い浮かべてください。イキイキとして、やる気に満ちています。そういう人って意外と怒りっぽかったり、とても感情的だったりすると思いませんか。だから、怒りを抑圧すると、やる気もなくなってしまうのです。これはまた他の感情にも言えることです。「悲喜こもごも」「泣き笑い」という表現があるように、悲しみと喜びもまた表裏一体の感情です。だから、悲しみを抑圧して麻痺させてしまうと喜びを感じたり、笑ったりすることができなくなります。同様に、「寂しさ」を我慢すると「人とのつながり」を感じられなくなります。人に甘えることもできないので、どんどん孤立感が強まっていきます。また、「怖れ」を感じないように抑圧していると、何に対してもときめきを感じなくなり、ワクワクできなくなります。つまり、何事に対しても淡々とした態度をとってしまうようになるのです。人間は喜びや楽しみなどのポジティブな感情だけを感じることは心の世界では不可能なのです。ネガティブな気持ちもあるからこそ、ポジティブな感情もまた感じられるようになるのです。(7日間で自分で決められる人になる 根本裕幸 サンマーク出版 182ページ参照)ネガティブな感情を取り去ろうとすると、大きな問題が生じるということになります。ネガティブな感情を抑圧していると、ポジティブな感情も同時に抑え込まれてしまうのです。ポジティブな感情によって、やる気が高まります。積極的な行動の源泉ともいえるものです。ポジティブな感情を大事にしたいと考えている人は、ネガティブな感情を排除しないで、宝物ものように取り扱うことが欠かせないということになります。
2023.06.11
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5月9日に「感情を自由自在に泳がす」という記事を投稿しました。これは「言うは易く行うは難し」と感じています。絵にかいた餅になりやすいのです。すぐにものにできないからと言って自分を卑下する必要はありません。最初は10個の内1個できれば上出来と考えることです。そして徐々にその数を増やしていくことです。うまくいかないのは、不快な感情をすぐに取り除くか逃げるということが習慣になっているからだと思います。今までの習慣を新しい習慣に変えることはかなりのエネルギーが必要になります。では失敗した時どうすればよいのでしょうか。もし感情を爆発させてしまったなら、「さっきは言い過ぎた。どうかしていた。ごめんなさい」と謝ることはできると思います。これができるようになれば、もうすでに時遅しということがあるかもしれませんが、すべてが壊れることをなんとか防止できることがあるように思います。たまには、相手のほうも「俺の方も悪かった」と言ってくれることもあります。まずは10回の内1回はこの方法を試してみるというのは如何でしょうか。次に不快感や不平不満を我慢できないと思ったら、すぐにトイレに駆け込むようにする。別にトイレでなくても構いません。肝心なことは、相手からいったん離れることです。森田では人間関係に「不即不離」を活用することをお勧めしています。いくら親しい関係でも気まずい関係になることはいくらでもあります。その時はすぐにその場から離れることが大事になります。時間が経過したらまた近づいていく。暴言を吐くということは、逆に相手に近づきすぎているのです。そしてボヤでするところを大火事にしているのです。油を使って天ぷらを揚げているときに、一滴でも水を垂らせば激しく反応して大変なことになることは誰でもよく知っています。ほとぼりを冷ませば、激しい怒りや不平不満はやがて収まるようになっています。感情の法則の1は生活の中で活用しなければ宝の持ち腐れになってしまいます。
2023.05.12
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私は森田理論の「感情と行動の法則」がとても役に立っています。具体的に言うと、生活の発見会が出している「改訂版 森田理論学習の要点」の11ページです。色々と説明されていますが、ポイントは次の2点だと思っています。・感情は自然現象で意志によってコントロールできない。・行動は自分の意志によってコントロールできる。この考え方をアレンジして次のように言い換えています。・感情は自然現象で人間の意志の自由が効かないので、そのまま泳がせておく。・次に感情に引きずられた行動をとるとさまざまな問題が発生するので、感情と行動はきちんと切り分ける。・そしてその時その場でもっとも適切な行動を選択して実行に移す。ここで問題になるのはマイナス感情、ネガティブ感情と言われるものです。不安、恐怖、怒り、悲しみ、嫌悪感などがあります。例えば自分のことを非難、否定されると激しい怒りが湧き上がってきます。その感情は自然現象ですので湧き上がるまま泳がせておくのです。鯉が池のなかを自由に泳いでいるようなイメージです。あなたが行きたいところに行ってくださいという感じです。森田理論で説明されているように感情は自然現象で制御不能だからです。マイナス感情を押さえつけるのは問題だと思います。そのまま受け入れて味わうように心がける。「あなたの気持はとてもよく分かりますよ」「そう感じるのも無理はありませんよ」と寄り添うのがよいようです。次に行動ですが、マイナス感情に振り回されるのは何としても避けたいです。感情と行動は水と油のように全く別物として取り扱うようにする。感情はどんなに荒れていても、行動は行動と考えるようにする。これは時化で海面は大波でも、海の底はその影響を受けていない状況と同じです。怒りや不平不満を態度にだすのは我慢するように心がける。暴言や嫌がらせなどの実力行使に出ると、人間関係がすぐに悪化します。一番いいのは、腹を立てているのが傍目には全然分からない。つまりポーカーフェースというのがよいと思っています。これは常に意識しているとそのうちできるようになります。その時その場に応じて、適切な行動がとれるように努力する。これは言うは易く行うは難しです。この能力が獲得できれば前途洋洋です。感情に引きずられて後先を考えない行動は子供によく見られます。私たちはもう子供ではありません。理性のある立派な大人です。他人や社会に迷惑をかけないように、その時その場に応じて適切な行動を心がけなければなりません。「感情の法則」で説明されていることは、容易に納得できることばかりです。納得出来たら今度はそれを生活の中に活用していきたいものです。その中でもネガティブ感情は自由に泳がせておく。そして感情に振り回されないで、その時その場で適切な行動を選択するというところは、ぜひともものにしたいことの一つです。
2023.05.03
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森田先生が谷口さんに「症状がよくなったか?」と聞かれたらどう答えるか。まだ実際にはよくならないから、正直に「まだです」と答えるか、あるいは「おかげでだいぶよくなりました」と答えるか。谷口さんは、「先生がせっかく今まで治そうと骨を折られているので、全く治らないというのは気の毒だと思いますから、おかげでよくなりました」と言います。森田先生は「それでよい。それが人情である。その人情の自然から出発すれば、万事がすらすらと流れるようになる」と説明されました。ここで一つの疑問が湧いてきます。実際にまだ治っていないと思っているときに、それを「まだです」と答えることは、事実に素直な態度ではないかということです。反対に「おかげでよくなりました」というのは事実を捻じ曲げてウソをついていることになる。事実を捻じ曲げて偽ることは森田理論の本質から逸脱しているのではないか。そう考えるのも確かに理屈に合っているように思えます。この話で森田先生の言いたいことは何なのでしょうか。この問題を解決するカギは、感情の法則の中にあります。感情の事実は自然現象であり人間の自由にはなりません。この場合でいえば、神経症が治ったような気がしないという気持ちを持っているということです。これは紛れもない感情の事実です。これは反発しようがありません。その気持ちは自然現象なので受け入れるしかありません。感情には良い感情ばかりではありません。憤怒、悲哀、後悔、醜悪、好色、貪欲、悲観的なマイナス感情もあります。これらはどんなに強い不快な感情であっても自然現象ですから、自由に操作することはできません。そのかわり、私たちに責任をとらされることはありません。このエピソードでは、治ったような気がしないという気持ちを価値批判しないで受け入れるようにしなければなりません。問題は、その感情をストレートに行動として外に出すことです。普通はマイナス感情は抱えたままにしていると苦しいので、取り除いてすっきりしたいと考えます。つまり感情に基づいて行動しています。これが問題になるのです。すべての感情はそのまま認めて味わうだけにする。そのままに泳がしておく。次に感情と行動は切り離しにかかることが必要になります。感情を引きづらないように意識して行動することが肝心です。行動はその時、その場にあった最善の道を選んで実行に移すように心がける。人間がとる行動は自由ですが、結果については責任が発生します。責任が取れる範囲内で、自由自在に行動することは可能です。マイナス感情に引きずられて、自分勝手な行動は差し控える必要があります。この例の場合では、目の前に何とか神経症を治してあげようと努力している人がいるわけですから、相手の努力を思いやるような言葉を発する行動が必要になります。森田先生はこのことを人情と言われています。このような心がけが人間関係を良好にしてくれます。感情と行動を連続性のものとは考えないで、きちんと切り離して適切な行動をするというのが感情の法則の中にあります。これは通り一遍の学習では気づかないのがもどかしいところです。せっかく森田理論を学習しても、これを自分の生活の中で活用できていない人が意外に多いように思います。かくいう私もその一人です。実にもったいないことだと思います。人間関係がうまくいっていない人の原因の大半はここにあるように思います。例えば腹が立ったときにすぐに感情を爆発させて、暴言や暴力をふるう人。不平不満があると、すぐにキレて迷惑行為を繰り返す人。暴飲暴食で健康を損なっている人。欲望の暴走で生活破綻を招いている人。本能的な快楽行為で自滅してしまう人。気分本位な態度で仕事をさぼってしまう人。感情と行動を切り離して生活することを目指しているのが森田理論なのです。これを身につけるだけで、人間関係が改善し、生きることが楽しくなります。
2023.04.29
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1991年(平成3年)4月号の生活の発見誌に、「誰でもやればいいなと思うことはいくらでもあります。でも思っただけでは能力ではありません。それは思わなかったのと結果は同じです。小さなことをおろそかにしないで、すぐにかたづける、この能力が、実は非常に大事なのです」とあります。誰でも、仕事や生活のなかで、さまざまなことを思いつきます。高性能のレーダーを標準装備しているといわれる神経質性格者の場合は、普通の人と較べるとその数が少し多いのではないでしょうか。これを宝の山と捉えるか厄介な性格と捉えるかは大きな違いとなります。問題点や課題、気づき、発見、思いつき、興味や関心が湧き上がってきたときに、それをきちんと掴まえることができるかが肝心です。それをきちんと掴まえて、行動に移すことができる人は次の段階に進むことができます。反対にその宝物をつかみ損ねてしまうと、神経質性格を活かすことが難しくなります。活かすことができないと、神経質性格よりも、社交性の豊かな発揚性気質の性格のほうがよいということになります。細かい気づきをどのように活かしていけばよいのでしょうか。分かりやすい例で説明してみたいと思います。私が以前勤めていた営業所に全国500名くらいの営業マンのなかで、常に全国表彰されるような営業マンがいました。その人は典型的な神経質性格者でした。しかし本人は神経症とは無縁でした。その営業マンのやり方は、得意先を訪問すると、会話の中で様々な要望が出されます。それを営業車に戻った時、細大漏らさずメモして行くことを実践していました。会社に戻ってからそれら整理して、次の営業活動のなかで着実に実践していくというものでした。地道な活動でしたが、それで優秀営業マンとしての地位を獲得していったのです。その彼が私に次のように話してくれました。「得意先は10個感動させるようなことをしても、その次にたった一つ機嫌を損なうようなことをすれば、今まで築いてきた信頼関係はすべて崩れてしまう」「自分はどんなに小さなことでも手を抜かないで真剣に取り組むという営業活動で勝負している。これは意外とみんなが見過ごしている営業のコツなんだよ」誰でもできるようなことですが、そこに徹するというのは難しいことです。しかし、その効果は恐ろしいものでした。彼の営業エリアには同業他社もたくさんいたのですが、次第に勝負にならなくなった。つまりそのエリアは彼の独壇場となってしまったのです。彼はボーナスもたくさんもらい、優秀社員表彰の常連となりました。その副賞として、夫婦で世界各地を旅行させてもらっていました。我々は小さなことが気になる性格ですが、それをプラスに捉えて確実にキャッチして、細かいことに丁寧に取り組むようにすれば、気付かないうちに運が向いてくるのではないでしょうか。
2023.04.26
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根本裕幸氏は、「恐れは、壁に投影された子猫の影を見ておびえているようなもの」といわれています。子猫に光を当てて壁にその影を映します。そうすると壁には大きな化け物のような影が映っているのですが、私たちはその影を見て不安や怖れを感じている。だから、不安や怖れとしっかり向き合うことができれば(壁ではなく、その実態を見つめていれば)、自分が思っているほど怖いものではないことが分かるものです。これは不安や怖れに膨張剤を入れて水増ししているようなものです。他人から見ればたいしたことがないように見えるものを、あたかも自分の一生を左右するような一大事にしているのです。身体がいくつあっても足りないということになります。また予期不安で次からは手も足も出ないということにもなりかねません。不安や怖れに正しく向き合えば、実体以上に膨れ上がることはありません。猫がトラのように見えることはなくなります。慌てふためくことがなくなります。不安や怖れを「そんなこともあるさ」といって手離すこともできます。森田では事実から離れた早合点、先入感、思い込み、決めつけは、事実と相違することが多くなるといいます。事実を誤って捉えて、対策を立てて行動すると後戻りはできなくなります。後悔することが多くなります。事実に正しく向き合うためには、現地に足を運んで自分の目で確かめることです。事実のすべてが分かるわけではありませんが、ある程度事実に近づくことができます。次に事実にきちんと向き合って、湧き上がってきた感情をいったん受け入れることが肝心です。よい感情だとか、悪い感情だとか是非善悪の価値判断をすることはご法度です。森田先生によると、この善し悪しとか苦楽とかいう事は、事実と言葉との間に非常な相違がある。この苦楽の評価の拘泥を超越して、ただ現実における、我々の「生命の躍動」そのものになっていくことが大事になると言われています。(森田全集 第5巻 652ページ)次に不安や怖れに振り回されそうになったとき、心掛けたいことを紹介します。・誰かに話しを聴いてもらう。不安や怖れも感情の一つです。それを誰かに聴いてもらうだけで楽になります。頭の中でぐるぐると考えているとどんどん不安や怖れって増幅してしまいます。そういう意味では、月1回の集談会は貴重な場です。集談会は傾聴、受容、共感、許容の気持を持った人が多いのが特徴です。・自分の気持をノートに書く。日記に書くのもお勧めです。書くことによって、自分の辛い気持ちをノートに吐き出すというイメージです。谷あいを勢いよく流れる小川のように、不安や怖れを流すイメージです。感情を頭のなかにとどめておいて、グルグルと回転させていると感情はどんどん悪循環してくるのです。(7日間で自分で決められる人になる 根本裕幸 サンマーク出版 参照)
2023.04.16
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心理療法家の矢野惣一氏のお話です。次の2つの実験をしてみてください。・「ありがとう、ありがとう」って唱えながら、怒ってみて下さい。さあ、どうぞ。どうですか。怒れましたか。・「ツイテル。ツイテル」って唱えながら、落ち込んでみてください。さあどうぞ。どうですか。落ち込めましたか。この実験で分かることは「ありがとう」と言いながら、怒ることはできません。「ツイテル」と言いながら、気分を落ち込ませることはできないということです。なぜでしょうか。それは、言葉と感情はリンクしているからです。ある言葉を言うと、それとリンクしている感情が自然にわきあがってきます。たとえば「ありがとう」という言葉を口にすると、最初は感謝の気持ち→「ありがとう」という、一方通行だった反応が、感謝の気持ち⇔「ありがとう」という、相互通行になります。つまり、「ありがとう」ということで、感謝の気持ちが湧き上がってくるようになるのです。心理療法では、ある特定の感情を呼び出すためのスイッチとなる言葉や仕草を、アンカーと言います。「ありがとう」は、感謝の気持ちを呼び出すアンカーになっているのです。また、なにに関心を向けるかで、入ってくる情報の量は大きく変わります。「ありがとう」と言うことで、感謝の気持に関心が向きます。すると、いつもなら見逃してしまうような、小さな親切や、何気ない思いやりにも気づくことができるようになるのです。その結果、周りの状況は何も変化していないにもかかわらず、あなたは「ありがとう」といったおかげで、幸せになれたと思うのです。「ありがとう」という言葉で引き出された「感謝」の気持が、脳(潜在意識)の検索エンジンにかかって、感謝されるような出来事を引き寄せるのです。(問題解決セラピー 矢野惣一 総合法令出版 210ページ)この話は否定語を使うことが多い人にはとても参考になります。たとえば、イヤだ、何をしてもうまくいかない、恥をかいた、後悔したことを思い出すとイヤになる、楽しい事なんかなにもない、毎日退屈だ、などという言葉が口ぐせになっている人です。これ等の口癖をそのまま放置していると、ネガティブな感情がネガティブな出来事を引き寄せてくるということになります。そうならないために、「でも、しかし、そうだ、そうは言っても・・・」という言葉で、否定的な言葉を取り消す作業に取り組むことが有効になるのです。具体的には次のように取り消していきます。イヤだ➡でも、イヤイヤやっているうちに面白くなることもあるよね。何をしてもうまくいかない➡しかし、10回に1回うまくいくとしたら、挑戦してみる価値があるかもしれない。全部うまくいかなくても、1回成功すればもうけものだ。恥をかいた➡でも、そのおかげでみんなを喜ばすことで出来た。後悔することを思い出すと憂うつになる➡でも、後悔が多い人ほど人間としての器が大きくなるといいますよ。また他人に後悔しないように助言することもできるようになります。楽しい事なんか何もない➡そうだ、過去に時間を忘れて楽しめたことを書き出してみよう。退屈だ➡そうだ、明日取り組むことを書き出しておこう。ネガティブな感情は誰でも毎日たくさん湧き上がってくるでしょう。人それぞれ違うと思います。それを「でも、しかし、そうだ、そうはいっても・・・」という言葉で取り消すようにしていけば明るく前向きな気持ちになれます。ぜひ、自分の場合に置き換えて、対策を立ててみててみるというのは如何でしょうか。
2023.04.11
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普通人間は自分の欲望が暴走しないように警戒しています。怒りなどのマイナス感情が暴走してしまうことも警戒しています。問題は、ある程度まではがまんできますが、ついうっかりしていると、すぐに限界を超えてしまうことです。一旦暴走を始めると、それを制御することが難しくなってしまう。過剰な水をたたえたダムが決壊して大惨事をもたらすようなことが起きます。その暴走が人の一生に大きな影響を与えることがあります。シマッタとあとから後悔する前に、なんとかならないものでしょうか。ロイ・バウマイスターとジョン・ティアニーが「意志力の科学」という本で、この問題を取り上げています。この本によると、自我消耗状態になるのが問題であるという。何かの誘惑に逆らおうとすると、その欲望をいっそう激しく感じることがあるが、ちょうどそのとき意志力は弱まっている。自我消耗はそうやって人を二重苦の状態に陥らせるのだ。意志力を弱めると同時に、欲望をそれまで以上に強く感じさせるのだから。(意志力の科学 ロイ・バウマイスター ジョン・ティアニー インターシフト 44ページ)ここで自己消耗状態というのは、例えば酒を飲んで、頭の活動が低下して、理性的な判断力ができなくなった時の状況を想定してもらうとよい。セルフチェック機能が効かなくなるのです。森田では人間には精神拮抗作用が備わっているといいますが、その機能が働かなくなるのです。不安や恐怖、違和感や不快感などに振り回されて、そちらの方で多くのエネルギーを使っていると、別の方面に向けるエネルギーが不足してくる。その結果、酒に酔った時と同様に、自己消耗状態に陥るというのだ。意志力というのは、制御力、抑制力、冷静な判断力と読み替えると分かりやすい。自己消耗状態に陥ると、元々備わっている制御力などが正常に機能しなくなり、欲望やマイナス感情が暴走してしまいやすい。しかも始末が悪いことに、ブレーキが壊れた車が坂道を下るときのように勢いづいてしまうことが多くなります。森田理論学習の中で精神交互作用というキーワードがあります。注意と感覚の相互作用のことで、神経症はその相互作用により、神経症の固着に向かって勢いづいてしまうということです。そうなると他に振り向けるエネルギーが枯渇気味になっています。この時の状態が自己消耗状態にあたると思われます。あまりにも苦しいので、カンフル剤のようなもので、一瞬でも楽になろうとします。アルコール、ギャンブル、ゲーム、買い物、過食などです。欲望やマイナス感情の暴走を食い止めるには、まず自己消耗状態に陥ることを避ける必要があります。「意志力の科学」という本では、正しい食生活が欲望やマイナス感情の暴走を抑制することに役立つという。意外な視点から警鐘を鳴らしておられます。これについては明日の投稿とさせていただきます。
2023.02.21
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森田理論では、感情と行動は別物と言われています。不快な感情でいっぱいのときでも、役者のように行動するのは如何でしょうか。役者は腹だたしいことを抱えていても、いつも上手に演技をしています。私生活での腹立たしい感情が、演技の中で分かるようでは、役者として失格の烙印を押されてしまいます。プロ野球選手でも、ポーカーフェースの人がいます。ヒーローインタビューで意味不明な発言をしている人がいます。こう言う選手は、相手選手からしてみると厄介だそうです、「あの選手は何を考えているのか全く分からない。手の内が分からない」そういう選手は癖がない。次の対策が立てられないというのです。これを戦略として行っているとすれば、すごい選手だと思います。でも普通の人は、不快な感情の取り扱い方に未熟な人が多い。とくに神経症で苦しんでいる人は、その言動ですぐにばれてしまいます。いけないことだとは分かっていても、感情にまかせて暴言を吐いてしまう。相手にけんかを売って、不快な気持ちを払拭しようとする。吐き出した瞬間は少しだけ楽になるが、そのあと後悔するようになる。交通事故と同じで、一旦事故を起こしてしまうと、事後処理に手間取る。不快な感情と行動を切り分ける方法を考えてみました。腹が立つときは、反射的に相手の言動や行動を非難・否定しています。このやり方はもっともまずいやり方になります。よく考えてみれば、一方的に相手が悪いということはあまりないように思います。交差点の出会いがしらの事故の場合、相手が一方的に悪いような場合でも、こちらが少しでも動いてれば、少なからず過失があったと判定されます。人間関係もこれと同じではないでしょうか。反射的な対応は百害あって一利なしです。ムカッとしても、少しだけ我慢する、耐えることを心がける。間合いを取るようにする。相手との距離をとる。トイレに行く。コーヒーを飲みに行く。次に相手のいいとこ探し、ありがとう探しをしてみる。腹が立つでしょうが、対応方法を変えるのです。あえて相手のいいとこ探し、ありがとう探しをするのです。例えば、相手が約束した時間を無視して、自分の予定が狂ってしまうことがあります。当然腹が立ちます。ここで買い言葉に売り言葉の短絡的な対応は、一旦横に置いておきます。腹が立つが、相手は別の好ましい面を持っているはずだ。そうでないと人間としてバランスが悪い。それを考えてみよう。思い出してみようということです。相手のいいところ探し・・・おわびの言葉があった。時間には遅れたが来てくれた。メールで連絡してくれた。自分によくお誘いの声をかけてくれる。私の悪口は聞いたことがない。相手のありがとう探し・・・よくプレゼントしてくれる。ほめたり、評価してくれる。不快な感情を役者のように取り扱うことができるようになった人は、多少不平や不満があったとしても人間関係にひびが入るような事にはなりません。そして時間の経過とともに、いつの間にか不快感は忘れ去ってしまいます。ここでは森田理論の「感情の法則」の検証ができます。そういう段階に至った人は、「感情取り扱い主任者」として、免許皆伝の称号を与えてもよいかも知れません。
2023.01.09
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精神科医の藤井英雄先生のお話です。ネガティブな感情が湧き起こってきたとき、「ラベル張り」や「実況中継」が有効だと言われているのです。ネガティブな感情には、不安、怒り、イライラ、不愉快、悲しみ、嫉妬、怖れなどがあります。そんな感情が湧き上がってきたとき、その感情にどう対応しようかと考える前に、「ラベル張り」を行うのです。「いま私は不安になっています」「腹が立ってイライラしています」「不愉快な感情で苦しいです」「悲しい気持ちで、何も手に付きません」「相手に対して嫉妬心で一杯です」「怖くて体が固まっています」ネガティブな感情を言葉にして浮き上げるようにするのです。ここで肝心なことは、条件反射的な対応をとらないことです。ネガティブな感情が湧き上がっていることをしっかりと認識することです。実況中継は、台風や災害現場からのレポーターを参考にするとよいでしょう。現在大型の台風が近づいています。先ほどから風雨が強まり、ご覧のように海岸線は道路にまで波しぶきが押し寄せています。以上現場からの報告でした。台風が進路を変えてほしい。早く通り過ぎてほしい。「被害がないことを祈っています」などと、自分の希望や願いを訴えることはありません。状況をより正確に伝えることに神経を集中しています。不安、恐怖、違和感、不快感などのネガティブ感情も、現場からの実況中継のように、感情の事実の成り行きを淡々と報告するようにするのです。感情には良いも悪いもありません。ネガティブな感情を目の敵にしないで、そのまま受け取ることが肝心です。神経症的な不安は、欲望の裏返しとして湧き上がっているものです。不安を目の敵にして格闘するよりも、欲望から目を離さないようにすることが肝心です。特に日常茶飯事、雑事、雑仕事に丁寧に取り組むことが有効です。(自己肯定感が高い人になる本 藤井英雄 廣済堂出版)
2022.11.22
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朝ゴミ出しをしている女性の方は、化粧をしているかどうかはとても気になるところです。学習会のときに聞いた話です。ある女性の方が、ゴミ出しのとき十分に化粧をしていなかった。でも、運よく人に出会わなかったからよかったと発言された。これはよかった探しの中での発言だったようです。この方はラッキーだったようですね。普通はゴミ出し時間は、例えば朝の8時までとか指定されていて、それ以降に出すと積み残しになる場合があります。つまりゴミ出しは短時間に集中していて他人に合う確率はとても高いです。知り合いの人と鉢合わせになることはよくあることです。すると気まずいな、恥ずかしいなという感情が湧き上がってきます。その人に「化粧もしないでよく人前に素顔をさらして平気でいられるものだ」と思われているのではないかと不安になります。憂うつな気分になり、自己嫌悪、自己否定で苦しむことにもなります。「かくあるべし」を持っていると、ネガティブ感情はより強くなります。化粧をしていない状態で素顔をさらすことは恥ずべきことである。ゴミ出しができなくても、人前に出ることは控えるべきである。こんな気持ちになると、破れかぶれでゴミ出しに行くことになりかねません。こういう場合は、家に夫や子供がいれば、変わってもらうことが考えられます。次回からゴミ出しの日は、起床時間を早めて、化粧をしてゴミ出しをこなす。学習会では、このようなマイナス感情、ネガティブ感情に対しての対応方法が問題になりました。それらをあってはならない感情として忌み嫌う。取り除こうとする。この態度はマイナス感情に対して、是非善悪の価値判断を下しているのではないか。森田理論では、感情は自然現象なので、人間の意志の自由はないと言っています。感情の事実を観念で否定することは、自然現象に反旗を翻していることになります。勝てない相手とけんかをすると苦しくなるばかりです。マイナス感情、ネガティブ感情は、いくら不快であっても、そのまま受け入れるしか方法はないようです。どうすればそれが可能になるのでしょうか。私はその不快な感情を客観化することだと思っています。今不快な感情が自然に湧きあがってきて、気が動転している自分がいると第3者的な立場から自分を見るということです。このことをメタ認知という人もいます。マインドフルネスは「今、ここ」がキーワードですが、観念の世界に心を奪われないで、事実を事実のままに認識するというのが眼目となっています。不快な感情にすぐさま反応するのではなく、少し間を置くということです。少しゆとりをもつて、冷静になるということです。すると時間とともに感情は速やかに変化するようになっています。一つの感情にこだわるのではなく、谷あいを流れる小川のように、速やかに流し去るというのが森田の目指している方向です。
2022.11.11
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感情の法則の5は、「感情は、新しい経験によって、これを体得し、その反復によってますます養成される」です。この法則はどのように生活の中に活かしていけばよいのでしょうか。この言葉は、感情は実践や行動によって発生すると言われています。頭で考えているだけでは、新たな感情は生まれてこない。興味や関心、気づきや発見も見つけることは出来ません。素晴らしいアイデアや意欲もわいてきません。燃えるような生き方、情熱的な生き方はできません。人間本来の生き方はできないということになります。実践や行動によって、一旦感情が動き出すと弾みがついてきます。七輪の種火を大事に育てていくと、勢いよく火柱が立ち上がってきます。炭火が真っ赤になると、焼肉やバーベキュー等を楽しむことができます。感情の種火を大事に育てて、意欲に火をつけていくことが大切になります。実践や行動に向かうためには、最初は強制されて取り組むことでも構いません。そのうち我を忘れて一心不乱に取り組むようにすればよいのです。そのためには、何か最低一つは問題点や課題や楽しみを見つけてやろうという気持ちで取り組むことです。見つかったらメモしておく。さらにそれをストックして時々取りだして見る。すると興味や関心が高まり、意欲的な実践・行動に発展してくるはずです。ここで慎みたいことは、すぐに気分本位な態度で実践・行動から逃げてしまうことです。めんどうだ、やる気がしない、つらそうだ、しんどそうだ、どうせ失敗する、エネルギーを温存しておきたい、静観したい、楽をしたい、誰かがやってくれるだろうなどという気分に振り回されて、仕事をさぼり、日常茶飯事の手抜きをすることです。確かに逃避したときは、やれやれ難を避けることができたとホッとしますが、その後で何もすることがなくなります。人間は暇で特に何もすることがないということは一番つらいことです。この悪循環にはまってしまうと、カンフル剤を打つようなことを考えるようになります。刹那的、瞬間的、享楽的、快楽的、本能的な行為で穴埋めをしようとするようになります。そうしないと精神状態が不安定になるからです。最初の実践・行動は、イヤイヤ仕方なしにとりかかるしかありません。堪え難を堪えて、あえて踏み出す勇気を持つことです。ここは心配性の神経質性格者にとって、最初の関門ですが、なんとか通過してほしいところです。森田でお勧めしているのは、身の回りの小さな課題や問題点などにていねいに取り組むことです。これらは雑事や雑仕事といわれています。やろうと思えばだれでも取り組むことができるようなことです。小さな成功体験やささやかな楽しみを毎日たくさん味わうことができるようになることが目標になります。キーワードは凡事徹底です。神経症の人で、症状の苦しみから逃れるために、ハツカネズミが糸車を回すようにやみくもに行動する人がいます。これは神経症で苦しんでいる時は、一時的に大きな効果があります。しかしいつまでもこれを続けると、症状は治らないばかりか、最後には精魂を使い果たし、かえって神経症は悪化します。雑事や雑仕事は、必要な時に、必要に応じて、必要なだけを心がけて取り組みましょう。
2022.11.10
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感情の法則の4は、不快な感情に注意を集中すると、不快な感情はどんどんエスカレートするというものです。神経症というのは、人それぞれですが、ある特定の不安、恐怖、違和感、不快感などにとらわれて、精神交互作用(注意と感覚の悪循環)で蟻地獄に落ちてしまうようなものです。ここでの問題は、不安の対象を一つに絞っていることです。逆にいえば、不安の種をたくさん抱えていると、神経症には落ち込まないかもしれません。日々の生活を次々とこなしていると、多くの心配ごとや気になることが発生します。一旦は目の前の不安にとらわれてもよいのですが、いつまでも一つの不安にとらわれ続けることが問題になります。この問題を考える前提として、不安の内容を2つに分けることをお勧めします。不安には現実的な不安と神経症的な不安があります。現実的な不安は、解消に向けて行動すると不安は霧散霧消します。神経症的な不安とは対応方法が全く異なります。例えば、地震、交通事故、不慮の事故、生活習慣病などがあります。これらの不安があれば、事前に対策を立てて行動することです。もしもの時の被害を軽減できます。もしくは避けることができます。現実的な不安は取り除くために素早く行動することが不可欠となります。神経症的な不安は、不安を取り除こうとすると、不安は益々大きくなるものです。現実的な不安とは対応方法が違ってきます。感情の法則4で指摘しているのは、こちらの不安のことです。神経症的な不安は、欲望があるためにその反動として生まれてくるものです。ですから不安を抱えながら、欲望に重点を置いて行動することが大切になるのです。不安は欲望が暴走しないように抑止力、制御力として活用することが理にかなっています。つまり欲望と不安のバランスを維持することが肝心ということになります。神経症的な不安が強いということは、強い欲望を持っているということになります。神経症的な不安が多いということは、欲望の数も多いということになります。強い欲望は人によって違います。食べ物の好き嫌いがあるようなものです。たとえば、・他人から称賛されるような人間になりたい。・病気にならないで、長寿を全うしたい。・安心安全な衣食住が確保された生活を送りたい。・温かい家庭を築きたい。・リスクを避けて安全第一で生活したい。・恵まれた人間関係を築きたい。・その他対人恐怖症の人は、他人が自分をどう取り扱ったか、どう取り扱おうとしているかに注意や意識を集中しています。神経症的な不安はあまたありますが、対人的な不安にフォーカスしています。そしてその不安を取り除きたいと格闘しています。あるいはそのイヤな場面から逃げ回っています。そのとき目の前の日常茶飯事や仕事が手抜きになっています。つまり生の欲望の発揮が蚊帳の外になっています。これが問題です。この問題を解決する方法は、不安と欲望を区別することです。そして不安には手を付けないで、欲望の方に手をつけるのです。この方法をとることで万事うまくいくのです。まず人に評価されたいという強い欲望を持っているということを自覚することです。その欲望を達成するためにどんなことに取り組んでいけばよいのか、発想の転換を図ることです。次に欲望の達成に向かって、小さいことからコツコツ努力精進して成果を出すことです。小さな成功体験を積み重ねていくことです。そのような心構えで生活していると、しだいに不安と欲望のバランスが回復してくるのです。バランスがとれてくると神経症的な不安には振り回されことがなくなります。目指すべきは不安と欲望の調和です。森田理論はバランスや調和を目指している理論なのです。
2022.11.09
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3、感情の法則の3は、「感情は同一の感覚に慣れるに従って、にぶくなり不感となるものである」とあります。この法則は、もう少し深読みすれば活用方法が見えてきます。水泳をしている人ならば、市営プールに行って最初にプールの中に入るとき、水温の冷たさに身震いした経験を持っている方もいらっしゃるでしょう。しかし、しばらく泳いでいると心地よい水温だと感じるようになります。さらにしばらくすると、このプールは少し水温が高すぎるのではないかと感じることもあります。時間の経過とともに、刻々と感情が変化してきたということです。最初の感情に抵抗しないでそのまま放置していると、にぶくなり不感となるということです。これはお湯を張った湯船に浸かるときも同じです。この法則を日常生活で応用するためにはどうすればよいのでしょう。私たち神経質者は精細なことによく気が付くというのが特徴です。でも気がついても、それをメモなどに残さないと、忘却の彼方に消え去ってしまうということです。それでは神経質性格のよさを活用することは出来ません。にぶくなり不感となる前にきちんとキャッチして意識化する作業が必要になります。気づきをどんどんメモしていけばよいのです。スマホのメモ欄でも構いません。とにかくストックを溜めることです。次に時々メモ帳を取りだして見て確認する。問題点や課題が書いてあるわけですから、それらを見ていると感情が動き出してきます。集談会でも気づきをきちんとノートに書いている人がいます。それを家で読み返して、次の集談会で活用しようとしている人は見込みがあると思います。例えば、病気や心配事を抱えていた人に、どの後どうなりましたかと声をかけてあげるだけでも、信頼感が増します。逆に言うと、ノートを取らずに、ただ聞いているだけという人は、宝の山を見逃していることになるのではないでしょうか。
2022.11.08
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森田理論の感情の法則は、理解するだけではなく、実際に自分の生活の中で活用することが大事です。私の活用例をご紹介します。1、感情は自然現象であり人間の意志の自由はない。一方行動は意志の自由がある。どんな不快な感情が湧き起こっても手出し無用ということです。どんなに理不尽なことが起きても、基本的には受け入れるしかありません。感情は自然現象にまかせて、ただ感じるままにして、時間の経過を待つ。時間の経過が高まった感情を静めてくれます。普通はマイナス感情のままに、行動することが多いです。これをすると人間関係はすぐに壊れてしまいます。交通事故と一緒です。大破した車は廃棄せざるを得なくなります。大きなけがをすると、後遺症が残ることがあります。私は感情と行動は分離することを心がけて実行しています。マイナス感情に振り回されている自分を客観的に眺めて「間」を作るようにしています。あとで、「シマッタ」と後悔することが激減しました。人生というひのき舞台で、演技をしている役者というイメージを持っています。2、感情の法則2では、感情は本能的な欲望を満たすと、その感情は急速に消滅してなくなるとあります。この法則は、この言葉の裏を読むことが大切になります。喉が渇いたときに水を飲む、腹が減った時に食事をとる。飲みたい、食べたいという渇望は、目的を果たすとすぐに消えてなくなります。腹が立ったときはどうでしょうか。怒りの感情を売り言葉に買い言葉で、吐き出してしまうと、一瞬すっきりします。イヤな感情をダムの放流のように流してしまうと、イライラから解放されます。しかし、しばらくすると、反省や後悔の念で一杯になります。しかし、吐き出した後では、後悔あとを絶たずということになります。それから気が向かないことから、安易に逃げてしまうことがあります。気分本位の態度のことですが、これも気が休まるのはほんの一瞬だけということになります。その後で暇を持て余し、「シマッタ」と思っても後の祭りです。このような経験は誰にでもあるのではないでしょうか。本能的な欲望や怒りのなどの感情は、ストレートに言動として吐き出してはいけないということだと思います。自制心や抑制力が必要になります。しかし現実問題、自分で感情や本能の誘惑を断ち切るというのはむずかしい。神経症の人の場合は、単独行動はリスクが高まります。自制心や抑制力が育っていない人はどうすればよいのでしょうか。抑制力を持った人と一緒に行動すると効果があります。理性ある配偶者と一緒に行動する。営業の場合は同行営業に切り替えてもらう。集談会の仲間に抑制力の役割を果してもらう。その他心の安全基地と思っている人に抑制力を担ってもらう。そのときは、その人たちのアドバイスに素直に従うという態度が必要になります。
2022.11.07
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不快な感情が湧き上がってきたときどのように対応されていますか。無意識にその不快な感情を取り除こうとされていませんか。汚いものや毒物が体についたときと同じような対応をとられていませんか。人間の習性とはいえ、このやり方は自分を苦しめていきます。ではどうすればよいのか。森田では不快な感情を価値批判しないで十分に味わうことだと言います。感情には良いも悪いもありません。感情は自然現象です。それなのに不快な感情だけを忌み嫌い排除しようとするのはどうなのか。巨大台風がきたときに、それに対抗する人はいませんね。柳の木のように暴風雨に身を委ねるしかありません。敢えて抵抗すれば、巨大な松の木だって倒壊することもあるのです。抵抗しなければ、命までとられることはないわけです。不快な感情は味わうだけにして、決して反抗しないことが肝心です。でも不快な感情を取り除くことが習慣になっている人が、不快な感情を価値判断しないでじっくりと味わうことができるでしょうか。私は習慣として固着しているものを変えることは大変難しいと思っています。味わう代わりに何か他に有効な手立てはないのでしょうか。これについては次の方法が有効だと思っております。それは不快な感情を客観化することだと思います。これは、不快な感情に取りつかれたとき、「今不快な感情にとらわれて気が動転している自分がいる」と第3者的立場になって自分自身を見つめるということです。これを実践すると、売り言葉に買い言葉的な軽率な言動が抑えられるように思っています。それはほんの少しだけ冷静になれるからです。少しだけ間合いが取れるようになれるのです。落語でもこの間はとても大切にされています。この間合いをとることが、その後の展開を大きく左右すると考えています。この考え方は、マインドフルネスの中に出てきます。マインドフルネスに詳しい精神科医の藤井英雄氏は次のように説明されています。一歩引いた視点から客観的に自分と自分の感情を観ることができれば、いずれ自己嫌悪も立ち消えになります。つまり不快な感情に振り回されることがなくなる。不快な感情に気づいていることがマインドフルネスではありません。不快な感情が湧き上がってきた自分の存在を、第3者的な立場から観ることができるようになることがマインドフルネスです。これは意識して訓練することで、誰でも身につけることができるのです。森田理論は「感情は自然現象で意志の自由はない」と言います。不快でネガティブな感情が湧き上がった時、その感情を選り好みしないであるがままに受け入れるための方法として大いに役立つと考えています。(詳しいことは、マインドフルネスの教科書、マインドフルネス「人間関係」の教科書 藤井英雄 クローバー出版をご参照ください)
2022.11.01
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私はマンションの管理会社を変わり、また管理人の仕事をしています。管理会社を変わったことで大きな気づきがありました。今度の会社には管理人のサポート部隊が存在していたのです。以前勤めていた会社にはありませんでした。この関係の仕事は主に管理人担当の女性が一人でこなしていました。100名以上の管理人を相手にしているのですから、キャパオーバーでした。今度の会社は一つの部署になっていて、6人体制で重要な役割を果していました。例えば、親戚や講中の葬儀などで突発的に休まなければならないときがあります。それ以外にも自分や家族がケガや病気になって仕事ができなくなることもあります。そんなときこのサポート部隊がすぐに動いてくれます。この部署は、新人に対して仕事の進め方もていねいに指導しています。清掃のやり方、接客態度など、時間の使い方、報告書類など懇切丁寧でした。また定期的に管理棟を巡回して、管理人の相談にのっているのです。困ったことや分からないことはサポート部隊に相談すればよいのです。その他屋上などの危険個所の仕事、伸びすぎた植栽の伐採、高所の電灯の交換など相談すれば、サポート部隊がフットワークよく駆けつけて処理してくれます。管理人はサポート部隊がしっかりしていると安心して仕事ができます。マンションの管理組合に関することは担当営業マン、管理人の仕事に関することはこのサポート部隊、福利厚生に関することは人事・総務部と仕事の棲み分けができていたのです。私は以前の管理会社一筋で13年在籍していましたが、他の会社にこのような仕組みがあり、有効的に機能していることは全く気がつきませんでした。葬儀などで有休休暇を取りたくても、今日は代行要員がいないので無理だといわれたことがありました。仕方なく家内に参列してもらってあとで顰蹙をかったことがありました。そういう事が1度でもあると、次に同様のことがあっても、電話しづらくなるのです。管理人が棟内を巡回していると、不具合箇所や危険個所が見つかります。今までは、担当営業マンに連絡・相談していました。しかしキャパオーバーの棟を持たされていますので、手が回りませんでした。私は屋上などのドレンのつまり、エキスパンションのビス欠落、エレベータ地下ピットの水たまり、トイの破損、溝の掃除などの問題を抱えていましたが、報告してもなしのつぶてでした。私は管理組合と管理会社の間で板挟みになり苦労していました。マンション管理の仕事は、フックワークがとても大切です。依頼されたことを放置しているといつの間にか管理会社を変えられてしまいます。そのときに慌てふためいては遅いのですが、普段は気がつかないのです。これは仕組みの問題ですから、管理会社の管理者やマネージャーが気づいて手を打つ問題だと思います。その際役に立つのは、新しく入ってきた管理人だと思います。入社して半年くらい経った人です。新人は、感性が鋭いのです。新人は問題点があれば早く処理したいという気持ちを持っています。新人から、問題点や課題、気づきや発見をすくい上げていけば改善に結びつくと思います。すぐに対応すれば、管理組合から絶大な信頼感を獲得できるはずです。長年勤務している人は、残念ながらその感度が鈍っています。感情の法則3に「感情は同一の感情に慣れるに従って、にぶくなり不感となるものである」というのがあります。長年勤めている人は、残念ながら、慣れてしまって、新しい発想が湧き出ることは少なくなっているのです。
2022.10.12
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感動の涙はストレスを緩和する効果があるという。涙の原料は血液だが、血液と較べると30倍も濃いある物質が見つかった。その物質とは、ミネラルの一種の「マンガン」です。マンガンは涙腺で作られることはありません。それなのに、原料の血液より濃いということは、身体の中から集められて濃縮オレンジジュースのように濃縮されているという。マンガンは骨を強くし酵素の働きを高める役割を果しています。しかし摂取し過ぎると気分が不安定になるなど、感情にストレスを及ぼす物質になります。チリのマンガン鉱山で働く労働者の中には、長期間マンガンを吸い込んだことによるマンガン中毒で、集中力の欠如や言語障害、記憶障害がひきおこされるそうです。進行すると、筋肉のふるえや衰弱など神経麻痺症も呈するという。マンガンは慢性うつ病患者の死後の脳にも散見されるそうだ。ですから感動の涙を流す機会の多い人は、うつ病を避けられる可能性がある。(週末号泣のススメ 安原宏美 扶桑社)感動の映画を見ていて、涙が止まらなくなったことは、多くの人が経験されているのではないでしょうか。私も何度も経験しています。理不尽で悲しい運命に翻弄されながらも懸命に生き抜いている人。困難な環境、境遇にさらされながらも、決して人生を投げださない人。自分の命が燃え尽きてしまうかもしれないにもかかわらず、他人のために尽くそうとしている人。命ある限り、前向きに生き抜くことが大切であると教えてくれる人。そんな映画やドラマを見ると、自然と感動の涙が出るようになっているのでしょう。感動の涙は感動する本を読んでいてもしばしば起こります。お気に入りの音楽を聴いていても起こります。演劇でもそうです。1週間のうちに1回くらいは感動の涙を流して、不安やストレスを追い出すように心がけることが大切なのではないでしょうか。そのためには、自分のお気に入りのDVDやCDや本をストックしておくことが大切になると思います。「週末号泣のススメ」という本には、号泣した映画、マンガ、本、音楽が紹介されていました。その中で私が見たのは「タイタニック」「ひまわり」「ショーシャンクの空に」「火垂るの墓」「千と千尋の神隠し」がありました。小説では三浦綾子氏の「氷点」、藤沢周平氏の「蝉しぐれ」「海鳴り」などがありました。
2022.09.06
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感情の法則2に「感情はその衝動を満足すれば、急に静まり消失するものである」とあります。この法則は「感情はそういうものか」と軽く受け流している人が多いのではないかと思います。この法則を生活の中で活用していく方法を考えてみたいと思います。本能的な欲望はそれが満たされれば、欲望はすぐに鎮静化してきます。しかし一旦覚えた快楽という経験は、その後何度でも繰り返すようになります。快楽という体験はしっかりと脳が記憶しているのです。ドパミンやβエンドルフィンなどでめくるめく快感に酔いしれてしまうのです。普段ストレスフルな状態に置かれている人は、一旦蜜のような味を経験すると癖になります。これは快楽という感情に脳が乗っ取られてしまうということです。乗っ取られてしまうと、自分の力ではコントロール不能となります。飲酒運転は正常な運転ができなくなりますが、それと同じようなことが起きてしまうのです。依存症で苦しんでいる人は、最初気軽な気持ちで始めたことが、どんどんエスカレートして歯止めが効かなくなるといわれます。依存症の特徴は2つあります。1、次の快楽を求めるときには、以前よりももっと強くて刺激的な欲望を追い求めるようになるのが普通です。量が少ないと以前のような快感が得られなくなるからです。抑制力が働かない人は、エスカレートするばかりになります。使用量が増えてくるのです。その結果体を壊し、経済的にもいき詰ります。家族や職場での人間関係に悪影響が出てきます。2、離脱症状が出てくることです。反省して依存症と手を切ろうとしても、そのとき何とも言えないイライラや不快感情に襲われるようになるのです。居ても立ってもいられない不快な感情になります。それから逃れるために、さらに依存症にのめり込むということになります。依存症に陥ることはなにもよいことがないのは本人が一番よく分かっています。でもなすすべがなくて苦しんでいるのです。この感情の法則2は、欲望との付き合い方に警鐘を鳴らしていると思います。アフリカの肉食獣は腹が空いてないときは、獲物が目の前にいても襲うことはありません。人間は欲望に火が付くとどこまでも追い求めてしまうという特徴があります。人間は欲望を無制限に追い求める動物なのです。森田理論は、不安を取り除くことにエネルギーを投入するのではなく、不安の裏返しである生の欲望に向かって舵を切ることが肝心であるといいます。まずはここに焦点を当てることが大切になります。次に欲望は無制限に追い求めてはいけないということです。欲望が動き出すと、同時に抑制や制御することにも力を入れた方がよいということです。その方が欲望と不安のバランスがとれてくるということになります。森田理論の調和、バランスを目指すという考え方は、宇宙の法則に合致する考え方となります。
2022.09.05
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自分に湧きあがってきた感情をそのまま態度にだすのは当然のことだと思っている人が多いのではないでしょうか。森田理論では感情と行動は別物という考え方です。森田理論の感情の法則によると、「感情は意志によってコントロールできませんが、行動は自分の意志によってコントロールすることができます」とあります。このことを、普段の生活の中で心掛けることはとても大切なことになります。私は長らく集談会に参加していますが、自分も含めてこの法則を自分のものにしている人は少ないと思います。この法則を身につけると、人間関係は大きく改善できます。感情のままに態度に出すというやり方は、幼児が駄々をこねているように見えます。普段いくら立派なことをしゃべっていても、感情に振り回された言動をとる人には近づかないのが鉄則です。そいう人と親しく付き合っていると、自分もその人に感化されます。腹立たしいことがあると、すぐに不満顔になる。すぐに反抗する。気がすすまない、気が変わった時、友人と約束したことをすぐに反故にする。嫌なことからすぐに逃げる。人が見ていなければ、仕事をさぼる。気分本位の態度は、感情のまま、気の赴くままに行動する態度のことです。人間は人生という舞台で迫真の演技をしているようなものだと思います。テレビや映画に出てくる俳優や女優さんは、感情に振り回されないで、役になり切って迫真の演技をしています。私の経験では、森田理論でこの感情の法則を理解して、意識して生活していると、腹立たしい感情はほぼ抑制できるように思います。それが普通の人です。取り立ててすごい人ではありません。感情と行動が直結している人は、動物と何ら変わらない人だと思います。集談会で失敗例や成功例を出し合って、考え合うことが大切になります。今までの習慣を変えることは大変なエネルギーが必要ですが、一旦ものにすればそれが新しい習慣として定着してくるのです。それが自分の生活や人間関係を守ってくれるようになります。
2022.09.04
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森田理論では感情は自然現象なのでコントロールできませんと言われます。一方、行動は意志の自由があるといわれます。森田理論が正しいとすれば、どんな感情でも湧き上がってくるままに受け入れるしかないということになります。行動は感情や欲望や本能に振り回されることなく、区別・分離して、冷静で正しい行動が求められます。そのためには、感情は感情、行動は行動と全く別ものと考える必要があります。森田理論を学習して感情と行動をきちんと区別して対応されているでしょうか。腹立たしいことがあっても、それがもろに表情、言葉、行動、態度にでないように演技できているでしょうか。ここで肝心なことは、腹を立てない人間になることではありません。自分の気持、感情、欲求などを抑圧していると、不平不満、ストレスがたまりイライラしてきますので気を付けてください。ここでは、相手に腹を立てているのかどうかよく分からないような演技ができているかどうかが問題なのです。相手から見て、腹を立てているのが、簡単に見破られるようでは、森田理論の理解が本当の意味で自分のものになっていないということではないでしょうか。感情と行動が混然一体となっているようでは、何のための森田理論学習なのかといわれても仕方ありません。裏を返せば、森田理論を生活レベルで体得することは難しいということかもしれません。仮に、感情と行動を区別することができるようになった人は、森田のレべルでいえば「森田の達人レベル」に達しているのかもしれません。人生という晴れの舞台で、とっておきの演技をしているのだという意識を持って取り組むことが大切だと思います。これを身につけた人は、不快感、理不尽な扱いを受けても、いつまでもそのことに固執しないで、次々に感情を流すことができるようになっているはずです。難しいことですが、我々には学習する仲間がいます。みんなでベクトルを合わせて体得していきましょう。
2022.08.29
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自動車のハンドル操作する時、左右に回した際に数ミリから数センチの間は全くタイヤが動かない部分があります。これは「ハンドルの遊び」と言われています。この遊びがあることで、走行時に蛇行しにくくなったり、ハンドルをスムーズに動かすことができるようになります。ハンドル操作が直接にタイヤに伝わる方が効率的に思えますが、これはかえって危険なのです。遊びは、車をスムーズに走らせるために必要不可欠なものになっています。ですからどんな車にも、この遊びは標準装備されています。考えにくいことですが、遊びのない自動車は欠陥車ということになります。この遊びは人間関係でいえば何でしょうか。ゆとり、包容力、許容性のことではないでしょうか。感情と行動を区別する緩衝帯、間と言ってもいいのではないでしょうか。この遊びを持ち合わせていない人に近づくことは危険です。普通なら笑って許せるところで、対立するので気が休まりません。森田理論では、感情と行動はきちんと分けなさいと言われています。遊びのない人は感情や本能の赴くままに行動する人です。不快な感情が常に破れかぶれな問題行動に直結しています。遊びのない人間は、欠陥人間ということになるでしょう。相手の気持ちを思いやることは、もともと誰にも備わっていたものです。ところが昨今この「遊び」の機能を失ったかのような人が増えています。あおり運転などはまさにそうですね。また、「遊び」の機能を果たしていないことに、全く気が付かない人が増えています。毒蛇が街中をうろうろはい回っているようなものです。お互いに疑心暗鬼になります。例えば思ったことをすぐに口にする。色が黒くて、元気のない人に、「あなたガンになっているのではないですか。すぐに手を打たないと早死にしますよ」などと言う。また腹が立ったら、売り言葉に買い言葉ですぐに怒りを爆発させる。そういう人は犬も食わない代物だといわれますが、本人はそれが当たり前のことだと思っている。自分のどこに非がある。それを証明して見せろなどと意気込む。人間関係が悪化しても、それは相手に責任があると主張する。反省しないので、問題がどんどんこじれてきます。こういう人は、基本的に森田対象外だと思います。神経質性格の部分が多少あっても、それ以外の別の性格傾向、あるいは人格障害の疑いが強い。器質的な精神障害があるのかもしれません。専門医の力が必要です。我々がいくら手助けしようとしても無駄になります。さて、集談会に参加している神経質性格者で「遊び」がない人は、できるだけ早く修復することが必要になります。自分は感情と行動をきちんと分けられない人間であるという自覚がある人は、すぐに修復に取り組みましょう。感情と行動は別物として取り扱うという課題に取り組むことです。これができるようになれば、人間関係は劇的に改善します。しかし実際問題一人では難しいと思います。そんな人には強い味方がいます。集談会の先輩会員に、自分の場合、感情と行動はきちんと分けられているかどうか素直な気持ちで聞いてみるのです。例えば1から10までの遊びの内、自分の遊びはどれくらいだろう。あるいは、学習会のテーマとして取り上げ、お互いに無記名でアンケートを取るのはどうだろうか。10名くらいのベテラン会員に聞けばほぼ見当がつくと思う。評価が5以下の場合は、不快な感情に行動が多分に影響を受けているのかもしれません。つまりハンドルの遊び部分がほとんどないという状況です。それが人間関係を大きく毀損しているわけですから、修正していくしかないですね。車でいう遊びの部分が生まれると、人間関係は改善できますし、生きることが楽になります。
2022.08.19
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今日は森田理論の応用について私の体験をお話してみたい。感情の法則を学習すると、感情は自然現象なのでどうすることもできない、湧きあがってくる感情はそのまま受け入れていくしかない。でも行動には意志の自由が効くと学びました。ここはぜひとも生活の中で活かしていきたいところです。コントロールできないことはそのままにして、コントロールできることに精力をつぎ込んでいくことです。ではどうすればよいのか。私は役者さんの真似をすればよいと考えました。そのときの感情のままに行動するのは、役者さんでいえば下手な演技しかできない人です。気分本位の行動に振り回されている人もそうです。上手な演技をする人は、感情は感情、行動は行動と分けて考えることができる人です。どんな感情が湧き上がっているか、周りの人は皆目見当がつかない。怒っているのか、喜んでいるのか簡単には見分けがつかない。でも腹の中はいろんな感情がうごめいているのです。私もできるだけ意識して演技してみようと考えました。上手に演技できた時は自分をほめています。でもいつもうまくはいきません。でもそれでいいのです。10回に2回~3回程度を目標にしています。感情と行動と区別して取り扱うことができるようになった人は、森田では「感情取り扱い合格者」として認定するだけの価値があると思っています。次に物事にはプラス面があれば、必ずマイナス面もあります。神経質性格の私はマイナス面、ネガティブなこと、否定的なことばかり考える傾向があります。過去にミスや失敗したこと、他人から非難、否定、叱責されたことは、しっかり記憶に残っています。再び同様のケースが出てきたときは、その記憶を引っ張り出してきて、対策を立てるわけですから、前向きな気持ちになるはずがないと思います。そういう傾向を元々持っているわけですから、マイナス面、ネガティブな面、否定的な面は、新しい出来事に対処する時、改めて考えなくても自動的に考えているので、検討をする必要はないということになります。ではプラス面、ポジティブな面、肯定的な面はどうでしょうか。これらは自動思考にはなっていないわけですから、これらはよくよく検討する必要があります。つまり、不安な問題に立ち向かうときに、プラス面、ポジティブな面、肯定的な面だけを考えていく習慣を作ればやっと釣り合いが取れるということになります。バランスがとれてくるのです。普遍的な妥当性がある考え方になるのです。これは森田理論でいうと、両面観、精神拮抗作用の応用ということになります。これは相当の訓練が必要となります。今まで0だったものが1つでもできるようになるという経験をすることが大事になります。その際、具体的な体験を集談会で発表して、参加者の意見を聞いてみることが役立ちます。次に私たちは白か黒かどちらかに極端に偏った見方や考え方を取りやすい。森田では二分法的な考え方と言います。たとえば仕事でミスをした。上司や同僚から非難・叱責された。すると、もう仕事をやっていく自信をなくした。全てを投げ出してしまう。自分は会社に迷惑ばかりかけるダメ社員だ。もう会社の中で自分の居場所がなくなった。退職するしかない。人間としても最低の人間だ。こんな役立たずの人間は生きていも仕方がない。誰でもするような小さなミスが、いきなり幼児並の破局的な考え方に発展してしまう。一生を左右するような大問題に発展するのです。考えることが無茶で大げさです。論理的に飛躍し過ぎです。自己嫌悪、自己否定の悪いスパイラルにはまっています。「かくあるべし」が強く、完全主義、完璧主義が裏目に出ています。白と黒の間にはグレーゾーンが存在しているのですが、それがあるということが見えていないのです。100点でなければ、0点とみなすというのでは、苦しくなるばかりです。国家試験などはおおむね60点取れれば合格できます。ほどほどを認めるようにすることは大切です。出来なかったこと、不足する部分よりも、できたこと、持っているものに注意や意識を持って行くことが肝心です。私は症状については減点主義を採用しています。症状で苦しんでいるときは100%症状の事ばかり考えています。症状が治るということは、その割合が90%、80%・・・と下がってくることなのです。治った10%、20%を喜べるようになった人は、そのうち症状は良くなります。そして症状以外のことを50%くらいに考えられるようになった人は、もう克服したも同然です。行動については加点主義を採用しています。症状で苦しい時は日常茶飯事が手抜きになっています。森田理論を学んで実践課題をこなしていくと、行動力が回復してきます。今まで0に近かかったものが、10%、20%・・・と増えてきます。そして規則正しい生活、凡事徹底、仕事、家事、育児がなんとか回りだした人は多少なりとも神経症を克服した人なのです。いずれにしても完全主義はいけません。息が詰まります。自分で自分を苦しめるだけではなく、他人との人間関係が崩れてしまいます。完全主義を克服するコツは、なんとか目的を果たしたことに目を向ける。不十分な結果で終わることが常であると思っていれば、たとえ完全でなくても自分を許すことができます。森田では不安常住と言います。少しでもできたことを大きく評価する。進歩しているのですから。自分の能力や持っているもの、努力したことを素直に喜ぶようにする。
2022.07.25
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道元は次のような言葉を残している。学道の人は、ものを言おうとする時、三度考えて、自分のためにも他人のためにも利益のあることならば言うのがよい。利益がなさそうなときには言うのをやめるべきである。(道元入門 角田泰隆 大蔵出版 226ページ)これと同じようなことを森田先生も言われている。土佐では3日間経過して腹立ちが収まらないようなら、それだけの理由があるのだから、そのときは正々堂々と議論を仕掛けてもよいという。癪(しゃく)にさわるべき事は、大いに癪にさわらなければいけない。何事にも刺激に対して、心の反応の鈍いものにろくなものはない。しかしいくら癪にさわったといっても、決して八つ当たりしたり・手を出したりしてはいけない。夫婦喧嘩で口争いをした時でも、不快な腹立ちが急に落ち着くものではない。これを強いて押さえつけようとすると、かえってますます苦しくなり、爆発する危険率が多くなるが、心の自然にまかせて、「なんとかしてアイツをやりこめる工夫はないか」と色々考えながら、用事をしていると、いつの間にか心は他に転導して、楽な気持ちになっている。(森田全集 第5巻 748ページ)腹立ち、怒りなどのネガティブな感情は、勢いにまかせてすぐに表出させてはならないと言われている。つまり感情と行動は別物と考えて対応しなさいと言われている。少し我慢して時間の経過を待っていると、ネガティブな感情はいかようにも変化していく。時間によって感情が沈静化してくるのです。売り言葉に買い言葉では、後悔あとを絶たずということになりやすい。猶予期間をおくといろいろなメリットがあります。感情が沈静化して冷静に考える状態になっている。人間関係を破滅的状況に追いやることを防止できる。心身に与える悪影響を最小限に抑えることができる。周りの人から分別のある人間として、接してもらうことが可能になります。癪にさわっても、第一段階は少し我慢する。ちょっと耐えることが肝心です。短絡的な行動をとらなくてよかったということになるのです。神経質者は不快感があるとすぐに取り除かないと、とんでもないことが起きてしまうと考えやすい。せっかちになって処理しようとする。認識の誤りですが、本人はそのようには考えないのです。こうしてみると、感情と行動をきちんと区別できるようになった人は、素晴らしい能力を身につけたということができます。森田理論を学習して、生活に活用している人はそうなれる可能性があります。しかしたまには猶予期間をおいても腹立ち、怒りなどが収まらないときがあります。そのときは、我慢し続けてはいけません。我慢し、耐え続けるとストレスとなって心身を蝕みます。森田先生のおっしゃるように、いろいろと材料を集めて、自分の言い分を、冷静な時に、相手に向かって吐き出すことが大切になります。そのために創意工夫をしなさいと言われています。話し方、話のすすめ方、第3者を立てる、録音するなどです。我慢し耐えるばかりでは、自分自身を心身ともに窮地に追いやります。
2022.07.04
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感情の法則の3は、「感情は同一の感情に慣れるに従って、にぶくなり不感となるものである」です。この理論を分かりやすい例で説明します。たとえば、湯船に浸かるとき、最初は少し熱いなあと思って、水を入れてお湯の温度を下げることがあります。しばらくすると、今度は反対に少しぬるいと感じることがあります。冬場などはまたお湯を足したりします。最初に熱いなと思った時、そのまま我慢することができれば、その熱さに慣れてストレスがなくなるということではないでしょうか。この法則の活用方法について考えてみました。私は毎日自転車に乗っています。チェーンが緩んでカバーに当たって音がするようになりました。最初の感情を大切にして、すぐにお店でチェーンを張ってもらえれば解決したはずです。私は、何とか乗れるのでそのままにしていました。すると感情の法則通り、違和感に慣れてしまいました。最初は急いで修理に行くつもりでしたが、そのうち急いで修理に行くことは考えなくなりました。それが当たり前になってしまったのです。2ヶ月くらい経ってたまたま販売店に行くと、もっと大切に扱ってくださいと言われました。そのまま乗っていると、チェーンが外れて自転車が壊れますよ。最悪事故につながりますよ。最初に気づいた時点で相当緩んでいますから、次はすぐに寄ってくださいと言われました。そういわれて初めて、シマッタと思いました。森田理論でこの部分は何度も学習していたのに、活用していなかったのです。問題があるのに、それを放置していると、最初の貴重な感情は薄まってしまう。問題が深刻化して、切羽詰まって相談したときはすでに手遅れと言うことがあります。理論として知っているだけで、活用していないのは片手落ちです。特に、重大な病気の場合はそういうケースが多いようです。最近は会社勤めの人以外は、年1回の健康診断も受けていないという人もいます。私の身内や友人たちも、最初は頭が痛い、食べ物が飲み込みずらい、胃が痛むことがあると感じていたにもかかわらず、たいしたことはないだろうと市販の薬などを飲んでいた。いつまでも治らないので、病院に行くと重大な病気だった。そのときはかなり症状が進行していたということがあります。最初の違和感があった時、万が一というふうに取り扱っていれば、なんとかなったのではないかと思うことがあります。私たちは森田理論で、最初の小さな感情や気づきを大切に取り扱うことを学んでいるわけですから、理論に従って行動するようにしたいものです。
2022.06.17
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萩原一平さんのお話です。脳の中にある情報には、生まれた時から本能的、遺伝的に脳に組み込まれている情報と、経験や学習によって後天的、文化的に脳に蓄積された情報があります。脳はこれらの情報を活用して意思決定を行い、身体各部に指令を出して行動につなげ、外部の変化に対応しているのです。(ビジネスに活かす脳科学 萩原一平 日経プレミヤシリーズ 162ページ)ここで大切なことは理性的な脳である前頭前野は、ゼロから思考しているのではなく、すでに脳に蓄えられた様々な情報を取り出して、それと突き合わせながら意思決定をしているということです。過去に同様の事例に関する成功や失敗の情報が全くない段階では、適切な意思決定はできません。そのときは恐怖に身がすくんで固まってしまうことになります。ここでいう情報は、長期記憶して大脳に格納されているものだと思います。永久保存されているために思い出すことができる記憶のことです。長期記憶には、主として運動記憶と体験記憶があるといわれています。学習記憶もありますが、これはすぐに忘却の彼方に消え去ってしまう短期記憶が多いようです。運動記憶は自転車の乗り方や水泳のクロールの泳ぎ方など体を使って覚えた記憶のことです。一旦覚えてしまえば、長期記憶を取りだして、いつでも活用できます。体験記憶は、エピソード記憶と言われています。自分が過去に体験した記憶のことです。私はこの記憶に注目しています。この長期記憶には、成功体験と失敗体験が大きな影響を与えています。成功体験は目指していた目標が達成できたこと。予想よりも事態の展開がうまくいったこと。思わぬ幸運が舞い込んだ。他人から評価されたことなどです。快の感情や達成感をもたらしてくれた楽しくてうれしい体験です。失敗体験は、ミスや失敗をしたこと。他人から仲間外れにされたこと。親や他人に叱責・非難されたこと。生命の危険を感じたこと。恥ずかしかったこと。悲しい思いをしたこと。後悔したこと。などの体験です。成功体験や失敗体験が同じような割合で長期記憶として収納されているわけではありません。成功体験よりも失敗体験の方が何倍も多く保管されています。ほぼ後悔や失敗体験のエピソード記憶で占められていると思っていた方が無難です。それは太古の昔、安全を確保して生き延びるための知恵だったからです。成功体験も役に立ちますが、それよりも失敗体験をより重視しないと生き延びることができなかった時代が長かったということです。以上の知識をもとにして私たちが問題視している不安、恐怖、違和感、不快感について考えてみましょう。それらはほとんどネガティブで否定的な長期記憶と結びついています。たとえば人が怖いという対人恐怖症の人はどうでしょうか。過去に冷たくあしらわれた。仲間外れにされた。一人ぽっちになり心細かった。人前で叱責、非難、否定された。過保護、過干渉、放任状態にされた。腹が立った。恐ろしかった。そういうエピソードが夢にも出てくるような状態ではありませんか。新しい人間関係に直面する時、脳の中では、それらのネガティブなエピソード記憶を取り出してきて、対応策を検討しているのです。これではよい結果は出てこない。どうせまた他人に冷遇されるに違いない。対立してイヤな気持ちになるのが目に見えていると判断するようになるのです。こうして、扁桃核で不快に分類された感情は、ノルアドレナリンによって青斑核に送られ、そこから防衛系神経回路を経由して脳全体に送られるのです。他人は自分をイライラさせる恐ろしい存在だ。この回路が作動すると、脳は自分を守ることに専念するようになります。積極的、建設的、創造的な行動には向かわなくなります。いくら言葉で叱咤激励しても、脳が自己内省的に活動しているので体が動かなくなるのです。この悪循環は何としても断ち切ることが大切になります。これは明日の投稿課題とします。
2022.05.30
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脳神経科学者の伊藤浩志氏は「情動」と「感情」は違うと言われている。私たちは感情については学習しているが、情動については学習していない。どのような違いがあるのでしょうか。情動とは、主に外からの刺激に対して自動的に、そして大部分が無意識のうちに起きる一過性の生理反応のことで、発汗、血圧上昇、表情や行動の変化などの身体的変化が急激に起きる。農作業中に蛇が出てきて急に身がすくむ。自動車を運転中に急に子どもが道路に飛びだしてきて肝を冷やす。情動には喜び、悲しみ、怒り、恐怖、嫌悪、驚きなどがあります。この情動が前頭前野で意識化された時点で初めて感情になると言われる。ただし情動は前頭前野に到達する前に、直接扁桃体に届くようにもなっている。扁桃体は情動に基づいて、反射的で身体的な変化を起こしている場合がある。そのために感情と情動を区別しているのである。情動反応の特徴を見てみよう。扁桃体の特徴は、届いた情動に対してどんな意味があるのかを問題にしていない。決めつけ・先入観をもとにして条件反射的な対応をとっている。とりあえず危険と判断して即座に反応する。見切り発車で防衛反応をとっているのだ。そのために取り越し苦労に終わる確率が高くなります。どうして情動反応による素早い反応が必要になるのか。たとえば、山道を歩いている時に、目の前に細くて曲がったものがあったとする。扁桃体はそれが棒切れか蛇か見分けがつかない。つける必要がないと言った方がいいかも知れない。しかし、たとえ取り越し苦労に終わったとしても、危険性が少しでもあったならば、即座に防衛反応をとる方が生存にとっては有利になる。この場合は、蛇である可能性は少ないかも知れない。でも蛇と判断して素早く反応した方が身の安全を確保できることになります。この機能が進化の過程で淘汰されずに受け継がれてきたのである。では、情動が前頭前野に送られて感情はどのように作り出されているのか。前頭前野はその情動に対して分析・検討をくり返して感情を作りだしている。その部所は前頭前野の腹内側部(VMPFC)と言われている。腹内側部には、次々と情動が送り届けられている。腹内側部は無数の情動を分析・検討して、それぞれの情動の軽重の評価を行っている。つまり情報のランク付けを行っているのである。急いで対応すべきものや無視してもよいものなどを選別している。感情を作りだすとともに、その後の対応方法をも同時に決めているのです。検討・分析に際しては、その人の普段の認知や思考パターンの影響を受けます。先入観や決めつけ、観念的で「かくあるべし」の強い人は否定的な感情がより多く生み出されます。また普段の生活の中で、成功体験を数多く積み重ねていると、積極的で前向きな感情を作りだします。失敗やミスの体験が多い場合や未知の体験の場合は、消極的で後ろ向きな感情を作りだします。情動に基づく条件反射的な行動は人間の意志の自由はありません。感情に基づく行動は、習慣化されたその人の認知や思考パターン、過去の成功体験、失敗体験の積み重ねが大きく影響を与えているのです。森田理論が観念優先ではなく事実優先で物事をよく観察するということ、小さな成功体験を積み重ねることを重視しているのは理にかなっているのです。(復興ストレス 伊藤浩志 彩流社 第2章 脳神経科学から見た「不安」参照)
2022.05.29
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柏木哲夫医師の話です。橋を架ける工事の現場の責任者の男性がいた。その人は48歳の奥さんを卵巣がんで亡くされた。ちょうど大切な橋の工事をしておられた。たまにしか奥さんの見舞いに来られなかった。奥さんが亡くなった時、葬儀だけを済ませて、すぐに現場に戻られた。仕事が忙しくて悲しんでいる暇がなかったのだ。ところがその後3~4か月で工事が終わり、ホッとした時から急速に悲しみと落ち込みが始まった。ものすごく悲しく辛く、全く会社に行けなくなった。そして半年くらい会社を休まれた。結果的には元の生活に戻るのに、2年くらいかかった。本当に悲しむべき時に悲しむことができなかったので、あとから悲しみが出てきたのである。「あの時にきちんと看病してやれなかった。きちんと悲しんでやれなかった」という罪悪感のようなものも加わり、ぐっと病的に重い状況になってしまったのである。悲しいとき、辛いときに、十分に泣いた人は比較的早く立ち直っている。ところが十分に泣かなかった人は、ずるずるとまだ悲しみを引きづっている。うつ状態が残っていたり、不安に思ったり、ちょっとしたことでイライラしたり、とすっきりしていない。(人生の実力 柏木哲夫 幻冬舎 99ページ 80ページ)森田先生は一人息子の正一郎さんを亡くされたときは、出棺の時に人目をはばからず大泣きされたそうです。しかしその後は何ごともなかったかのようにふるまわれたので、形外会の香取会長は大いに驚いたと報告されています。悲しいとき、辛い感情が湧き上がった時、むせび泣きをすることがあるだろうか。家族が亡くなった時に、涙も出てこなかったという人はいないでしょうか。大勢の前で泣くのはみっともない。こういう時こそ悲しみを抑えて気丈夫にふるまってしまうということはあるでしょう。でも泣きたいような気持が湧き上がってこないのは不自然です。普段から感情をより深く味わうということができなくなっているのかもしれません。特にマイナスの感情を目の敵にしている。大切に扱っていない。森田理論では感情は一山駆け上って、下り坂に向かうと言います。そしてどんな激しい感情でも時間の経過とともに鎮静化してくると言います。ここでもし一山登らなかったらどうなるでしょうか。その感情は下り坂に向かわないで、くすぶり続けるのではないでしょうか。悲しみ、辛い、不安、恐怖などのマイナス感情が生殺し状態で放置されると、心身に計り知れない悪影響を及ぼします。それを回避するためには、マイナス感情を味わい尽くすのが正しい対応方法となります。できれば思い切り泣いて、涙で洗い流すようにする。その方がより早くマイナス感情を手放すことができるようになります。
2022.05.15
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些細なことで、すぐに不安になる。不機嫌になる。腹が立ってしまうことはありませんか。たとえば、相手と話をしていた時、少し沈黙した時間が続いた。自分のことを面白みのない、付き合うに値しない人間だと思われてしまうのではないかと不安になる。相手にこれくらいのことは暗黙の了解で、自分の気持ちを察して欲しいのに、鈍感な態度で無視された。あるいは「こうしてほしい」と思っていることをいつも無視される。その結果、ふてくされて、つい不機嫌な言動をとってしまう。会社で朝の挨拶をしました。ある同僚は、みんなに笑顔で挨拶しているのに自分にはそっけない態度で挨拶してきたので、急にムカッとして腹が立ってきた。このような気に障ることは毎日次々に発生します。些細なことで、感情が高ぶり、不安、不機嫌、怒りで一杯になり反発する。特に自分より格下と思っている人にはその傾向が強くなる。この問題はどう取り扱ったらよいのでしょうか。・このような不快な感情は、他人からよく思われたいという欲望の裏返しとして湧き上がってくるものです。森田理論では神経症的な不安には手を付けないでそのままにしておく。そして、不安の裏返しである生の欲望に焦点を当てて行動することをお勧めしています。人から評価してもらえることを見つけて行動することです。・感情は一山駆け上れば、つぎに必ず下り坂に向かい鎮静化してきます。どんなには激しい感情でも、多少時間は長くかかりますが、しだいに収束してきます。冬の田んぼの畔の枯草を燃やす時、燃え尽きてしまえば自然に火は消えてしまいます。私たちは、ほかに燃え広がらないように注意して見守るだけでよいのです。・相手の言動にとらわれ、些細なことで、感情が高ぶり、不安、不機嫌、怒りで一杯になるという人は、注意や意識が他人が自分をどう取り扱ったかに向いています。本来、他人の気持ちを忖度する前に、自分の気持ちをはっきりさせる必要があります。自分は今何を感じているのか、どんな気持ちになっているのか、どうしたいのか、欲望や欲求などを明確にすることが肝心です。自分は人と仲良くしたいのか、人から高い評価を得たいと思っているのか。何を手に入れたいと思っているのか。興味や関心を持っていることは何か、目標や夢は何か。等々。自分の気持ちが、課題、目的、目標、夢、希望をしっかりとらえているときは、人の思惑に振り回されることが少なくなります。他人を思いやることはよいことですが、その前に自分を思いやるということが先にこないと、他人の思惑に振り回されてつらい人生を送ることになります。
2022.04.04
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萩原一平さんの話です。私たちの意思決定や行動の多くは脳の指令によって無意識に行われています。95%の意思決定は無意識に行われているといいます。もちろん、すべてが初めから無意識でできるわけではなく、たとえば、自動車の運転方法を習い、教習所で教官に怒られながらも何回もブレーキを踏むタイミングや強さを学習しているから、とっさの場面で迷わず対応をとることができるわけです。もしブレーキを踏むという方法を学習していなければ、脳は的確な判断ができず、身体が動かなくなってしまいます。実際に、皆さんもとっさに身体が固まって何もできなくなってしまうという体験はありませんか。それでも、多くのことは、最初は意識しながら行っても、何回も反復しているうちに、無意識に行うことができるようになります。そして、私たちは生まれてから毎日、いろいろなことを経験し、反復して学習し、その結果、多くのことを無意識に行うことができるようになっているのです。(ビジネスに活かす脳科学 萩原一平 日経プレミアムシリーズ 36ページ)私は行動する時は、100%前頭前野で検討していると思っていました。萩原さんはそれはわずか5%に過ぎないといわれています。反復して手順を覚えたものは、前頭前野を経由することなく、記憶中枢から直に指示が出されているということです。つまり私たちの日常生活は無意識に行われているものがほとんどであるということです。無意識にまかせて日常生活を送っているということをもっと意識した方がよいと思います。たとえば、私は老人慰問活動でアルトサックスを吹いています。運指はとても複雑です。ところが何10回、何100回と練習を繰り返しているとそれは記憶として定着してきます。それに任せていると、意識しないで、無意識のうちに指がテンポをとって正確に動いているのです。それは経験するととても不思議な感じがします。なぜなら、私の頭の中には、前頭前野から指示命令されたことが、行動のもとになっているはずだという先入観や決めつけが頑としてあったからです。この考えは、脳の機能から見ると完全に間違っています。もっと無意識の行動を評価してあげることが必要だと思います。時々本番でうまく演奏できるだろうかと不安が湧き上がってくることがあります。そういう時は、出てこなくてもよい前頭前野がしゃしゃり出てくるのです。前頭前野がその不安をどうしようかと考え始めるのです。すると、ここで間違えてはいけない。なんとか無難に乗り越えたいと思うようになります。その結果、練習の時のような、無心な気持ちが遠のいて、手がぎこちなくなり、考えた通り間違えてしまうのです。その対策ですが、・練習段階では120%の成功確率に高める。・本番前には、「よし、これで大丈夫」と士気を高める。・そして自分を鼓舞するいつものゼスチャーをとる。・拍手喝さいを受けてさっそうと退場するイメージを持つ。・イチロー選手や羽生結弦選手のようにルーティン作業を黙々とこなす。この5つを、しっかりと持って臨むようにしております。
2022.03.03
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宇野千代さんの言葉です。面白い事がある。自然治癒力というものは、みな、自分の気持によって、或いはその力が強くなったり、全く失くなったりする。自分の気持というのは、自分の心にかける暗示のことで、この病気は治る、と思えば自然治癒力が強く働くし、この病気はとても治らない、と思えばその力は弱くなるか、全く失くなるかするものである。自分にかける暗示。これくらい強く、また他愛もなく、困ったものはないのである。(幸福の法則 一日一言 宇野千代 海竜社 49ページ)身体が弱く、精神も弱い人は、生き方が消極的になる。様々な局面で「私は体が弱いので、それは出来ないのです」という言い訳をくり返す。身体が弱くても、精神の強い人は、「やれるだけやってみましょう」という前向きの意志を示す。どちらが体を活性化させるかは一目瞭然である。すべて、健康は精神の在り方にかかっている。(同書 51ページ)宇野千代さんは、ダメだ、無理だ、できない、最悪だ、失格だ、不幸だ、能力不足だ、荷が重い、絶望的だ、煩わしい、逃げたい、閉塞的だ、将来性がない、ヘトヘトだ、やる気が出ないなどの否定語を頻繁に使っていると、精神状態が悪くなる。そして心身症になって重篤な病気にもなる。「病は気から」という言葉がありますが、まさにその通りになる。神経質性格の人はこのような否定語を頻繁に使っているのではないでしょうか。たとえば採点付きカラオケなどでも、もうダメだ、悪すぎる、自分には歌唱能力がないなどという言葉を使って、自分を否定している。終いには、カラオケを毛嫌いするようになる。人生の楽しみの一つを自ら放棄している。これではいつまで経っても楽しみを見つけることはできない。何よりも自分を否定していることが情けない。樹木希林さんは自分の身体は創造主から借りたものですといわれていました。そういう意味では、貸してくれた人に失礼なことだ。うれしい、楽しい、できるかも、面白そう、おいしそう、行ってみたい、見てみたい、やってみたい、ドキドキわくわくする、挑戦したい、大丈夫、絶対にできる、成功したいなどというポジティブな言葉を使う習慣を持っている人は精神状態が積極的で前向きです。カラオケでは、今は80点くらいだが、努力すれば90点くらいは出せるかもしれない。自分に合った曲を探してみよう。どんな曲がいいかな。早速楽譜を取り寄せて研究してみよう。歌手の歌唱力を研究して、節回しのコツを掴もう。発声練習をしてみよう。腹式呼吸を身に着けよう。歌うときの姿勢に気を付けよう。マイクの使い方はどうか。そうだ、歌唱レッスンを受けてみよう。音程はどうかな。自分の歌唱を録音して、問題点をつぶしてみよう。こんなふうにドンドン積極的になる。「森田では外相ととのえば内相自ずから熟す」と言います。気分がいくら悪かろうが、否定語は使わない。肯定語を書き連ねた紙を持ち歩いて、すぐに訂正するようにする。家族や友だちとの日常会話を録画して自己点検する。否定語を使っていれば、一つでも二つでも少なくするように努力する。日常会話の中で、肯定語が少なくとも60%以上になることを目指していくというのは如何でしょうか。あなたの運気がよくなるはずです。
2022.02.07
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今日はプロスペクト理論について説明します。この理論は本来は投資と感情の関係を説明するための理論です。私は感情の法則に置き換えて説明させていただきます。この理論から導かれる感情の法則 その1この線は交差点を基点にして、上は快の感情と考えてください。下は不快の感情と捉えてください。横軸は時間、縦軸は快不快の強さと読み替えてください。快の感情と不快の感情を比較すると、快の感情は勾配がなだらかです。不快の感情は勾配が急になっています。これが何を意味するかと言いますと、同程度の快の感情の体感よりも不快の感情の体感の方が何倍も強く感じるということです。快の感情よりも不快の感情のほうに何倍もバイアス(片寄がある)がかかっているということになります。脳は快よりも不快のほうによく多く強く反応しやすいのです。アフリカの東海岸にルーツを持つ人間の先祖は、他の肉食獣からの生命の危険にさらされていました。そのためリスクを回避するために不安や恐怖の感覚がより鋭くなりました。過去の不安や恐怖にまつわる長期記憶の方が、成功や快楽記憶よりも多いのです。その名残が遺伝子として引き継がれているのだと考えられます。一旦不安や恐怖、違和感や不快感にとらわれると自分の思っている以上のダメージを受けやすいということです。特に神経質者の場合は、不安や恐怖にとらわれやすいのかもしれません。この特徴が理解できれば、快の感情を意識してできるだけ多く作り出すように心がけることが大切になります。「好き」「うれしい」「楽しい」「愉快だ」「ウキウキする」「わくわくする」「気持ちがよい」「幸せだ」「満足だ」「できた」「成功した」「達成できた」こういう言葉を意識的により多く使うようにすることです。反対に「ダメだ」「無理だ」「悪すぎる」「できない」「イヤだ」「苦しい」「イライラする」「不安だ」「怖い」「恥だ」「みじめだ」などと言う言葉はできるだけ封印する。こうした気持ちを維持することで、バランスがとれてくるはずです。この理論から導かれる感情の法則 その2感情の発生直後はどちらも急激に上昇していますが、時間の経過とともにその曲線はなだらかになっていきます。時間が経過してその感情に慣れてしまうと、慣れてしまって感情が薄れてしまうということになります。これは最初に湯船に入るときはとても熱く感じるが、そのまましばらくすると逆にぬるく感じるようになるようなものです。これが何を意味するかというと、最初にいくら良いことを思いついても、そのままにしているとその素晴らしい思いつきは忘れ去ってしまいやすいということです。ですから意識して、最初に感じた感情をきちんとキャッチすることが大切になります。そうしないとよいアイデアはすぐに忘却の彼方に忘れ去ってしまいます。気が付いたことはきちんとメモしておくという習慣をつけることが大切になります。神経質者の場合は、細かいことによく気が付くという特徴があります。この特徴を最大限に活かすことを考えた場合、きちんと掴まえられるかどうかはその後の展開を大きく左右します。次に不快の感情は急激にしかもより強く高まります。不安や恐怖の感情は一挙に山を駆け上るという特徴があります。しかし時間の経過に任せていると、快の感情ほどではありませんが、しだいに鎮静化してきます。しだいになだらかになってきます。ですから売り言葉に買い言葉のような衝動的な言動は差し控えることが肝心です。そうしないと後で後悔を招くことが多くなります。3~4日考えて、どう考えても理不尽だと思えば、準備を整えて論争してもよいと思います。これは夫婦げんかの時の対応として森田先生が説明されています。いつも言いたいことを我慢していると、最後には相手になめられてしまいます。自己主張できないとストレスで心身ともにダメージを受けることになります。
2022.02.06
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今日は感情の特徴と対応方法について考えてみました。今とらわれている感情は、時間の経過とともに、形を変えていきます。同じところに留まることはありません。動きながら変化しています。しかし神経症の人は、いつまでも不安などの感情を手放そうとしません。感情の特徴に反発しているのです。感情は行動に伴って、全く別の感情が湧き上がってきます。凡事徹底に取り組んでいると、感情はスクリーンを見るように常に流れていくのです。つまり感情は、シリトリゲームや連想ゲームのように、いつまでもどこまでも流動変化しているものなのです。いつまでも一つの感情にとらわれていることはできません。これは宇宙の仕組みに連動しています。宇宙という大自然は常に流動変化しています。これに逆らうことはできません。もし逆らえば、宇宙そのものが成り立ちません。感情は、人間の意志の力で、引き留めることはできません。自由に操作することもできません。ドパミンかいっぱい出て、めくるめく恍惚感で一杯になった感情も、このままいつまでも続いてほしいと願ってもすぐに逃げて行ってしまいます。そんな虫のよいことを考えていると、いずれ何らかの依存症に陥るでしょう。反対に、不安や恐怖でいたたまれない感情に取りつかれても、そのままにしておくと、一山登って、すぐにピークアウトして下降線をたどります。不安や恐怖にとっては、相手が戦いの場に出てこないかぎり、試合にはならないのです。空気の抜けた風船のように、すぐにしぼんでしまいます。反対に相手がけんかを売ってくると、不安や恐怖にとっては、働き場所を与えられて、うれしさを隠しきれなくなります。勝負に持ち込めば、最後は勝てるという自信満々なのです。それは今まで敗北したためしがないので、負ける気がしないのです。それなのにあえて勝負を挑むことは、ドン・キホーテの愚を選択するようなものです。感情は過熱したときの水のようなものだと思います。鍋に氷をいっぱいに入れて、加熱するとどうなりますか。氷が解けて水になります。そして暖かい水になります。そのうち沸騰してブクブクと泡立ちます。そのままにしておくと、熱湯は蒸発してなくなります。氷ー冷たい水ー暖かいお湯ーグラグラ煮えたぎる熱湯ー水蒸気というふうに次々と変化していきます。その変化を見極めて、その状態のままありがたく利用させえもらえば万事うまくいきます。氷は水割りなどの飲み物を冷やす。かき氷を作る。冷たい水は、暑いときやのどが渇いたときは何よりのごちそうになります。暖かいお湯は、シャワーやお風呂に使っています。トイレの洗浄にも使っています。グラグラ煮えたぎるお湯は、うどんやそばやパスタを茹でる時に役立ちます。レトルト食品を解凍するときにも役に立っています。水蒸気は蒸気機関車を動かすことができます。タービンを回せば発電もできます。変化を見極めて、その状態のままで活用方法を考えれば、いくらでもアイデアが湧いてくるのです。感情も同じです。これはいい感情、これは悪い感情と価値判断していると、非難・否定するばかりで活用することができなくなってしまいます。感情は選り好みをしないで、良いも悪いもそのまま素直に受け入れて、仲良くしておくことがセオリーなのです。感情をあるがままに受け入れることができるようになると、生の欲望に向かう出発点に立つことができるようになるのです。感情の取り扱い方は、国家試験にして、合格した人には、「感情の取り扱い有資格者」として厚遇してあげるだけの価値があるものなのです。試験には理論編と実技編の2科目をクリアする必要があります。森田理論学習は感情の特徴と活用方法を教えてくれる有難いものなのです。
2022.01.18
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