全783件 (783件中 1-50件目)
「全国アホ・バカ分布考」の調査を敢行した松本修プロデューサーに対するオマージュになるのだが・・・「全国アホ・バカ分布考」をもう一度読み直してみようと思い立ったのです。*********************************************************<アホ・バカの語源>これまでに、アホ・バカ分布図の中心は、京の都であることが証明されたが・・・アホ・バカの語源は、依然として謎のままであった。シロウト集団を率いる松本プロデューサーは、語源追求の旅を中国にまで広げたが、この歴史的かつ空間的な広がりが気宇壮大なんですね(アホやで)♪<「馬家」と「阿呆」の日本文化>p455~459 「アホ」と「バカ」の語源についての考えを、いよいよ百田君に話す日がやってきた。このふたつの言葉の語源がわからないかぎりアホ・バカ表現研究にも意味が乏しい、自分はこのふたつの言葉にしか興味を持てないといい続けてきた百田君を、果たして満足させることができるだろうか。 百田君と日沢君のふたりをステーキハウスに誘った。百田君は少年時代、肉というと鯨肉しか食べさせてもらえなかったので、牛肉には異常なあこがれを持っている。日沢君も肥満を気にしながらも、牛肉には目がないのである。 注文を済ませると、私は天神蔡の夜から始まる「バカ」と「アホ」の語源追求の旅について、懸命に語りだした。「バカ」は白楽天の風諭詩「君見ずや馬家の宅は尚お猶お存し、宅問題して奉誠園と作す」、ここからきている。奢りたかぶった末に没落した馬さんの家。馬家のようなやつという意味で「バカモノ」が生まれた。つまり「バカ」は本来、人の徳、人としてあるべき精神の美しさについて問いかけた言葉であった。罵倒語として、この言葉が日本を広く覆っている意味は大きい。裏を返せば、日本人は古くから、清廉な人生を生きたいと願い続けてきた、とも考えられるからである。 「アホ」は、もとは中国・江南の「阿呆(アータイまたはアーガイ)」。「呆」という字の意味は「ぼんやり。間の抜けていること」で、この字の頭に親しみの「阿」がついて、「呆ちゃん」つまり「おバカさん」のこと。中国の江南から日明貿易の船でやってきた。 わがままな奢りへの戒めとしての「馬家」、そしてまるで「惚れ者」や「惚け者」の単純な言いかえのような、「呆ちゃん」こと「阿呆」、どちらも婉曲的で、すでにくり返し見てきたように、いかにも日本人が好みそうな表現である。 「なるほど、なるほど」 と百田君は何度も頷きながら、私の長い話を聞き終えた。 「ついに、やりましたね」 と、百田君は確信に満ちて言った。 「ぼくもその考え方で、間違いないと思います。馬家と阿呆の説は『バカ』と『アホ』という言葉の持つ意味の微妙な色合いの違い、なんとなくそれまで納得させてくれそうな気がしますわ」 「助教授の先生が、僕につき合って飲めないビールを飲んで、こんなこと言うてくれはった。『その説は、いずれ定説として辞書に載るでしょうね』と」 「おお、すんばらすー」 と日沢君は喜んでくれた。 「それにしても、中国の影響力は思った以上に大きかった」 と、私は改めて説明した。 「古代から室町末にいたるまで、日本はやはり、中国から圧倒的な影響を受け続けた。もちろん日本固有の言葉も少なくないけれど、地理的分布に大勢を占めるのは中国渡来のもの。馬家・阿呆だけと違う。本地なし・虚仮・安居(鮟鱇)・田蔵田もまた、中国の存在なしにはあり得なかった。それは中国が、世界一の文明大国として君臨していた時代・・・」 「言葉は、京都から日本を東西に旅したけれど、それ以前に、はるばる中国から、あの東シナ海の波濤を越えて、京に旅してきたというわけですね」 と、日沢君は感慨深げにつぶやいた。 「そのとおり。日本人は、この世でいちばん優れた良きものを、中国から巧みに取捨しては吸収し、独自の工夫を施して日本文化を築いていった。つまりこれら京の流行りことば、すなわち日本のアホ・バカ表現は、世界最高の文明と同時代的に直結していた。その結果として成立した『全国アホ・バカ分布図』、これが描く多重の円こそは、日本人の尊い精神文化の年輪でもあった」 黙って聞いていた百田君は、やがて真剣な表情でこう言った。 「今までの話を聞いて、ぼくは『アホウ』だけが他の全てと違う、別格の言葉だという気がしてきましたね」 「たしかに、発音は別にして、これだけが中国・江南の方言をそのまま真似た言葉や」 「いや、ぼくが言いたいのは、ちょっと違うんです。『阿呆』の『呆』、その一字だけで、すでに意味をなしている。つまり『阿呆』は、ムダをすべて削ぎ落とした表現であるという点なんです」 「なるほど」 私は聞き入った。 「他のアホ・バカ表現は、全部、たとえなんですよ。惚れ者・惚け者と、わざわざ熟語を形成させてぼんやり者にたとえたり、鮟鱇・田蔵田といったように間抜けな動物にたとえる。また、本地なし・虚仮と、中身の空虚さにたとえる。『うとい』や『とろい』などの形容詞は、たとえそのものです。馬家もまさにたとえですよね。つまり、アホ・バカ表現は、すべて理屈なんです」 「そう。そのとおり」 「しかし、ただひとつ『阿呆』にだけは理屈がない。『呆』であること、すなわち『間の抜けていること』そのものを一音で示す単純明快さなんです。原始時代から中世にかけて日本人はさまざまなアホ・バカ表現を考えてきた。そして考えに考えつくした果てに、ついに中国から『阿呆』を手に入れて、もうこれ以後、新しい表現を考える必要がなくなったのです。それは『阿呆』こそまさに、何千年もかけて日本人が捜し求めてきた、究極のアホ・バカ表現だったからではないでしょうか!」 「なるほど、面白いなあ」【全国アホ・バカ分布考】松本修著、新潮社、1996年刊<「BOOK」データベースより>大阪はアホ。東京はバカ。境界線はどこ?人気TV番組に寄せられた小さな疑問が全ての発端だった。調査を経るうち、境界という問題を越え、全国のアホ・バカ表現の分布調査という壮大な試みへと発展。各市町村へのローラー作戦、古辞書類の渉猟、そして思索。ホンズナス、ホウケ、ダラ、ダボ…。それらの分布は一体何を意味するのか。知的興奮に満ちた傑作ノンフィクション。 <大使寸評>番組に依頼した人の着眼がよかったのか、それを採用し追及させた松本修プロデューサーが偉かったのか♪Amazon全国アホ・バカ分布考ノンフィクション100選★全国アホ・バカ分布考|松本修「全国アホ・バカ分布考」読書レポート#1:「ダボ」と「アホ」の境界線を探す「全国アホ・バカ分布考」読書レポート#2:方言周圏論の模式図「全国アホ・バカ分布考」読書レポート#3:報告書完成にかける決意「全国アホ・バカ分布考」読書レポート#4:「ハンカクサイ」の伝播「全国アホ・バカ分布考」読書レポート#5:人の失敗や愚かしさは、蜜の味♪「全国アホ・バカ分布考」読書レポート#6:このバカタレが!「全国アホ・バカ分布考」読書レポート#7:アホ・バカの語源全国アホ・バカ分布図
2024.06.16
コメント(0)
2019年、初めてブラックホールの「写真」が撮影されたことを記憶しておられる人も多いと思うのです。・・・そのことに触れた、『宇宙はなぜ美しいのか』という本を読み直してみようと思い立ったのです。*********************************************************図書館に予約していた『宇宙はなぜ美しいのか』という新書を、待つこと7ヶ月ほどでゲットしたのです。 ぱらぱらとめくってみると、カラー画像も多くてビジュアルであり、解説もわりと物理学的でかつ、美しくなっているのが、ええでぇ♪【宇宙はなぜ美しいのか】村山斉著、幻冬舎、2021年刊<「BOOK」データベース>より夜空を彩る満天の星や、皆既日食・彗星などの天体ショー。古来、人類は宇宙の美しさに魅せられてきた。しかし宇宙の美しさは、目に見えるところだけにあるのではない。これまで宇宙にまつわる現象は、物理学者が「美しい」と感じる理論によって解明されてきた。その美しさの秘密は「高い対称性」「簡潔さ」「自然な安定感」の3つ。はたして人類永遠の謎である宇宙の成り立ちを説明する「究極の法則」も、美しい理論から導くことができるのか?宇宙はどこまで美しいのか?最新の研究成果をやさしく解説する知的冒険の書。<読む前の大使寸評> ぱらぱらとめくってみると、カラー画像も多くてビジュアルであり、解説もわりと物理学的でかつ、美しくなっているのが、ええでぇ♪<図書館予約:(7/14予約、副本2、予約19)>rakuten宇宙はなぜ美しいのか「第1章 宇宙はこんなに美しい」からブラックホールの撮影を、見てみましょう。p53~55<ブラックホールの写真を撮ることに成功!> ブラックホールは入ってしまうと光も出ないので、直接見ることができません。ですが、2019年、初めてブラックホールの「写真」を撮ることに成功しました。 先ほど出てきたM87銀河は、私たちの銀河系の10倍ほど星がある大きな楕円銀河です。この銀河では、中心から高速で高エネルギーのガス「ジェット」が噴き出しています。何かとてつもないものが中心にあるに違いありません。 考えられるのは「超大質量のブラックホール」です。太陽の何十億倍もの重さのあるブラックホールの周りをガスがぐるぐる回り、落ち込むものもあれば噴き出すものもあるのだと考えられています。 大きさが太陽と地球の距離の120倍もある巨大なブラックホールですが、なにせ5350万光年先。よほど小さいものが見える望遠鏡でないと、その姿を写真に撮ることはできません。小さいものを見るには光景が大きな望遠鏡が必要です。しかもM87銀河の中心には星や塵がたくさんあり、ふつうの光は届きません。 このような観測で使われるのが電波望遠鏡です。 車でラジオを聞いていると、FMは建物の陰に入ると聞こえなくなりますが、AMは大丈夫。波長の長い電波は障害物を回り込んで届くからです。これと同じで、電波を使うと星や塵を回り込んで、銀河の中心からでも信号が届きます。 電波を使って天体を見る電波望遠鏡は、地球上のいろいろなところにあります。それらをつないでひとつの地球サイズの望遠鏡として使えれば、計算上、M87の中心のブラックホールのような小さいものも見える。私の視力の0.3に比べたらはるかに目がいい、視力1.4億が実現できるはずです。 そんな野心的なプロジェクトが始まり、日本も大きな貢献をしました。日本、アメリカ、カナダ、ドイツ、フランス、オランダ、スペイン、メキシコ、中国、台湾、韓国という、文字どおり地球サイズの国際協力プロジェクトです。 プロジェクトの名前は「イベント・ホライズン・テレスコープ」といいます。ブラックホールの周りの、出てこられるところともう決して出てこられないところの境目を「事象の地平線」といいます。英語ではイベント・ホライズンです。 「地平線」とは、たとえば山の上から海を見ると、地球が丸いために、あるところから向こうは見えない、この境目のことです。「事象」というのは、何かしら起きている現象のことです。「事象の地平線」とは、この境目の内側で起きたどんな事象も見ることができない境目のことです。そのイベント・ホライズンを見るテレスコープ(望遠鏡)というのが、このプロジェクトの触れ込みです。 こうして撮ったブラックホールの写真が写真[1-29]です。[1-29]M87の中心のブラックホールのシャドウ 周りの明るいところがブラックホールの周りを回るガス、真ん中の黒いところの縁は光がブラックホールの周りを公転してしまって出てこられなくなる「光子リング」、光子リングの内側の半径3分の2ぐらいのところに「事象の地平線」があります。写真の下半分はガスが私たちの方を向いているので明るく、上半分はガスの運動が遠ざかっているので暗く見えています。2019年、日本を含む国際研究チームの観測によって、ブラックホールが初めて視覚的に証明されました。2019/04/11ブラックホール初撮影 5500万光年先を直接観測 日本など国際チームより あらゆる物質をのみ込む巨大ブラックホールの撮影に、国立天文台などの国際研究チームが世界で初めて成功し、10日発表した。世界6ヵ所の望遠鏡で同時に観測して解像度を飛躍的に高め、真っ黒な穴を捉えた。ブラックホールの存在を直接裏付けたことになり、銀河の成り立ちの解明につながる。 撮影に成功したのは、地球から約5500万光年離れた銀河「M87」にあるブラックホール。 ブラックホールは重力が極めて強く、光も吸い込んでしまう。光が脱出できなくなる境界は「事象の地平線」と呼ばれる。巨大ブラックホールは宇宙に無数ある銀河の中心にそれぞれ存在すると考えられているが、誕生の仕組みなどはわかっていない。これまでは、周囲を回る星の動きなどから、間接的に存在を確認していた。 研究チームは、宇宙空間のちりなどに吸収されにくく、地球まで届きやすい電波「ミリ波」に着目。ブラックホールに吸い込まれる際に周囲のガスが発するミリ波を観測し、画像に変換することを試みた。 2017年4月、南米・チリのアルマ望遠鏡や米ハワイ、南極など世界6ヵ所、計八つの電波望遠鏡を使って計5日間、M87と、天の川銀河の中心にある「いて座A*(エースター)」のブラックホールを観測した。 最大約1万キロ離れた望遠鏡のデータを合成することで、解像度を月面に置いたゴルフボールを地球から見分けられるほどに高め、わずかな電波を捕捉。約2年かけ解析した結果、M87の画像では、ガスの光に包まれた黒いブラックホールの姿が確認できた。質量は太陽の約65億倍に相当することがわかった。いて座A*については解析中という。 研究チームで日本の代表を務める国立天文台の本間希樹(まれき)教授は会見で「写真はアインシュタインの相対性理論以来初めて、ブラックホールを視覚的に証明するもの。銀河の真ん中にブラックホールが存在することを決定づける意味のある一枚だ」と話した。(石倉徹也、小宮山亮磨)この記事も『ブラックホールを見たいR3』に収めるものとします。『宇宙はなぜ美しいのか』3:ブラックホールの写真を撮る『宇宙はなぜ美しいのか』2:星の誕生『宇宙はなぜ美しいのか』1:はじめに
2024.06.15
コメント(0)
新時代の捕鯨 歓迎と批判ネットを巡っていたら、朝日デジタルの『新時代の捕鯨 歓迎と批判』がヒットしたのです。とにかく、食文化としてのクジラにはツボが疼くというか・・・例のごとく朝日の使い倒し(紙とデジタルのダブル保管)となったのです。*********************************************************新時代の捕鯨、歓迎と批判 新母船「関鯨丸」がデビュー ナガスクジラ対象「黒字確保に期待」より 九州と本州を結ぶ関門橋付近を航行する捕鯨母船「関鯨丸」=21日午前10時57分、山口県の下関港沖、本社ヘリから、小宮路勝撮影 日本の商業捕鯨を担う新しい捕鯨母船「関鯨(かんげい)丸」が21日、初の操業に向けて山口県の下関港を出港した。商業捕鯨が低迷するなか、「新しい時代に入る」と業界の期待は高まっている。水産庁は捕鯨の対象に大型のナガスクジラを追加する方針だが、世界の反捕鯨国や環境保護団体からは批判や疑問の声が上がっている。 初出漁式で、関鯨丸を所有する共同船舶(東京都)の所英樹社長は「我々は一丸となって鯨文化を未来永劫続けていく」と語った。 関鯨丸は、30年以上操業し、昨秋に引退した「日新丸」の後継として約75億円で建造された。全長112・6メートル、幅21メートル、総トン数は9299トン。定員は100人で、航続距離は南極海に到達可能な約1万3千キロに及ぶ。捕鯨船が捕獲した鯨を船内で解体し、冷凍保存する機能を持つ。 近年、日本の捕鯨は揺れ続けた。国際捕鯨委員会(IWC)が1982年、商業捕鯨の一時停止を決めると、日本は「調査」として捕鯨を続けた。しかし2014年、オランダの国際司法裁判所は、南極海での調査捕鯨の中止を命じた。結果、日本は19年にIWCを脱退。日本沿岸での商業捕鯨の道を選んだ。 ただ、商業捕鯨は低迷気味だ。共同船舶は、ニタリクジラとイワシクジラを捕獲しているが、鯨肉の生産量は約1600トン。国内全体でも2千トンほどで、1960年代の20万トン前後に比べると極めて少ない。23年3月期の売上高は31億円で2億円の営業利益だったが、関鯨丸の建設費75億円がのし掛かる。 日本人の鯨離れも進んでいる。所社長によると、若者にとって鯨肉は「くさい」「硬い」とのイメージがあるという。 政府も関鯨丸への後押しになるような動きを見せる。水産庁は今月、捕鯨の対象にナガスクジラを指定する方針を決めた。十分な資源量があると判断。水産庁の審議会を経て今夏、正式に決める。 ナガスクジラは体長約20メートル。最大クラスは重さ80トンにもなる。仮に20党の枠で約400トンになるという。所社長は「これで黒字を確保できる」と期待する。 ■専門家「調査公表なく拙速」 しかし、ナガスクジラの追加には専門家らから批判の声も出ている。 元水産庁職員としてIWCに十数回参加して交渉に当たった小松正之さん(70)は「拙速だ。科学的な調査が公表されておらず、判断できない」と指摘する。 水産政策を調べるオーシャン・ガバナンス研究所の真田康弘・代表理事は「ナガスクジラは海洋生物の象徴だ。海外の政府機関も含めてリアクションが予想される。場合によっては、IWCで審議されることもありえる」と話す。 実際、世界の反捕鯨団体は懸念を示している。 南極海での日本の調査捕鯨を繰り返し妨害してきた反捕鯨団体「シー・シェパード」の元船長で、日本が傷害容疑などで国際刑事警察機構(ICPO)を通じて国際手配しているポール・ワトソン氏は朝日新聞の取材に、「絶滅危惧種であるナガスクジラの商業捕鯨は違法だ。日本の排他的経済水域(EEZ)外で行われるいかなる捕鯨も物理的に阻止する」と話した。 (白石昌幸、加藤裕則)「関鯨丸」が初操業を終えたとのことで、安価の鯨肉を期待するのです。待ってろよ「シー・シェパード」。ÝouTube『新型捕鯨母船「関鯨丸」が初操業終え仙台塩釜港に接岸で新母船「関鯨丸」が見られます。
2024.06.14
コメント(0)
日本の各地で、和紙が産業あるいは工芸として作られていて、興味深いのである。・・・ということで、以前の日記を以下のとおり復刻してみようと思い立ったのです。*********************************************************図書館で「和紙と暮らす」という本を借りたが・・・この本から故郷土佐の楮・三椏栽培のあたりを紹介します。大使が和紙に描くイメージは、森林に寄り添う産業という感じで、何と言うかエコロジーそのものなんですよ。(過酷な作業が見えないところが、極楽トンボなんですが)<楮・三椏栽培>p37~39 高知県の山あいの農家では、昭和30年ごろまで、県内では最高品質の赤楮(あかそ)と呼ばれる楮が生産されていた。現在はユズやお茶などの栽培に変わり、楮の姿を見かけることは少ない。それでも今なお、雪の残る山道で、畑で刈り取った重い楮の束を担いで釜床まで運ぶ姿を目にする。 楮は鎌で一本一本刈り取られる。枝を払い、4尺2寸(125センチ)の長さにきっちり揃える。蒸し器である甑の寸法に合わせたサイズだ。それを40本から60本くらい束ね、しっかり縛り、釜場まで運ぶ。釜場のある農家の庭先や山の斜面などでは、甑の径に合わせてさらに大きな束になった楮が、ごろんと横たわる。 いよいよ楮を蒸す段になると、村の集落は朝から活気づく。一家総出あるいは、昔から「結い」を結成している里では、近所の皆が手伝いに集まる。早朝3時頃より釜を焚いて、甑で楮を一度蒸すのに3時間は燃やし続ける。厳冬の甑上げでは、もうもうと上がる真っ白な蒸気は、向こうの山も周囲の物も甑自体をも包み消してしまう。 蒸しあがった束には総出で水をかける。水をかけ急激に冷やすことで、楮が収縮し、皮が剥ぎやすくなるという。 三椏は沈丁花科の落葉木で、苗を植えてから成木になり、刈り取るまでに3年かかる。3年ごとに収穫された三椏は、大蔵省印刷局に納入され日本銀行券となって日本全国に出回る。子どもの頃、楮は和紙に、三椏はお札になると親から教えられたものである。次に楮や三椏の生産者について、ネットで探してみました。楮農家の紹介より土佐和紙の原点は、楮。楮には、様々な種類があるが、農家さんたちは、ひっくるめて「梶」と呼んでいます。楮は、山間に建つ野村家の裏山や、清らかな清流を挟んだ向かい側の斜面で育てられています。日当たり抜群です。 楮原料の多くはタイなどからの輸入品に置き換わって、楮畑や甑上げなどが少なくなったそうだが、その生々しい実態までは知りません。 和紙は耐久性に優れる。繊維が長いため、しなやかで丈夫。高知県産の極薄和紙が、欧米の書籍修復に重宝されているそうです。透けるような紙なので、上から貼っても文字や絵がみえる。日本の刷毛とのりと和紙は修復家の羨望の的だとか。「かみこや」というサイトを知ったけど、オランダ人が三椏、和紙の生産に着目したことに・・・・逆に惹かれるわけです。和紙を作ること自体が、心和む普遍性を持っているんではないでしょうか。かみこやより四国カルストの風を受け、四万十川源流の水で暮らす。標高650Mの高台で99%緑に包まれた「かみこや」オーナーはオランダ人和紙作家で土佐の匠でもあるロギール・アウテンボーガルト。和紙の原料から育て、昔ながらの紙を漉き、作った和紙の優しさを製品にしています。 かみこやではロギールの手ほどきで紙漉き体験もできます。灯り・障子・襖に壁紙と和紙に囲まれた民宿のゲストルームは、1日1組~2組。暖かいおもてなしを心がけています。先日(4月4日)京都府立植物園で見た三椏です。ミツマタの花は黄色と白のツートンカラーだったんですね♪<本美濃紙>p52 最高の和紙として美濃の名を決定づけたのが、書院紙と呼ばれた障子紙の品質および江戸幕府の御用紙の指定だった。 薄く、均一、かつ強靭。障子を通過する光は技の冴えを際立たせる。 本美濃紙保存会会長を務める澤村正さんは話しはじめた。正倉院に残る現存最古の戸籍用紙(702年)から、少なく見積もっても1300年という歴史が導き出されること。平安時代には日本最大の産地になり、紙市場が開催されるようになった15世紀、書院紙(障子紙)で名声を獲得。その後も江戸幕府の御用紙に指定されるなど、美濃紙は常にトップの道を歩んできた。【和紙と暮らす(別冊太陽)】増田勝彦著、平凡社 、2004年刊<「BOOK」データベースより>データが見つからず。<大使寸評>昭和30年代までは、故郷のわが町でも楮の蒸し上げ作業を行っていて、幼い大使もかすかに覚えているのです。それだけ和紙作りが身近にあったわけで、里山では楮、三椏の循環生産を行っていたんでしょうね。和紙と森林の関わりが気になって、この本を借りたのです。rakuten和紙と暮らす(別冊太陽)
2024.06.13
コメント(0)
『漢字がつくった東アジア』(復刻)中華嫌いの大使であるが、最古の表意文字・漢字には高い評価を与えておるのです・・・・ということで、以下のとおり復刻してみます。*********************************************************「漢字がつくった東アジア」を読み進めています。日本が最初に中華圏から独立したとする切り口が、ええでぇ♪今はない渤海という国が大使にはエキゾティックなんですね。歴史上、日本とは友好的であったし、抗争も無かったようです。<渤海の辿った道>p173~176 それでは、独自の年号までもった渤海国とは、どのような歴史を辿ったのか。それは、あまり明らかではありません。なぜなら、渤海国自身によって書かれた歴史書が残っておらず、同時代の日本の『続日本紀』や、中国の『旧唐書』などから再現するしかないからです。 926年、第15代の大イセンという国王が契丹の耶律阿保機に亡ぼされ、渤海国の歴史はここで終わります。したがって698年から926年までの230年ぐらいが渤海国の歴史ということになります。それは、日本でいえばおおよそ奈良時代から平安前期。政治的に独立した後、中国的文化を意識的に学び、擬似中国的な国家を形成っしつつ、平仮名(女手)の誕生によって、文化的独立に至る時代に相当します。 靺鞨人の国家・渤海が、なぜ、日本や朝鮮のように安定した形態をとることがなかったかといえば、王を中心とするごく少数の官僚達は、漢詩・漢文に通じ、東アジアの政治的関係を理解していたとしても、圧倒的な数の民衆は、これとは無縁の無文字的空間にあったからであると考えられます。西にモンゴル、さらには突厥という遊牧の空間に接する靺鞨人は、東アジア漢字文明に半分だけ足を突っこんだにすぎなかったからです。 新羅が立ったのは676年で、その20年後には渤海国が立ち、ある意味でここに朝鮮半島での南北時代、北と南という二つの国が立つという構造が生じました。 さて、ここで見ていただきたいのは、698年から926年ということは、律令日本時代と重なるという事実です。日本は710年に奈良朝に入ります。794年には奈良から平安に遷都して、894年には遣唐使を廃止しています。 (1日文字数の制約で省略)wikipediaに靺鞨、渤海の位置づけが載っているが・・・ま~民族勃興史を見るようで感慨を覚えます。wikipedia靺鞨より靺鞨(7世紀後半)渤海(8世紀、9世紀頃) 靺鞨(まつかつ)は、中国の隋唐時代に中国東北部(現在のロシア連邦・沿海地方)に存在した農耕漁労民族。南北朝時代における「勿吉(もつきつ)」の表記が変化したものであり、粛慎,挹婁の末裔である。16部あったが、後に高句麗遺民と共に渤海国を建国した南の粟末部と、後に女真族となって金朝,清朝を建国した北の黒水部の2つが主要な部族であった。「中国からの独立」という白川さんの独特な切り口を拝聴してみましょう。<唐の滅亡と東アジアの文化的独立>p188~190 こうしたことを総合的に考えると、900年から1000年代のところで、東アジアの各地方は文化的に独立することがわかります。この900年から1000年代に越南でも独立の気運が起ってきます。 一方、朝鮮半島は、北では926年に渤海が亡び、南では919年に新羅から高麗に代わっています。ここでも文化的な独立めいた動きが生じます。 日本は、国が亡ぶような大きな政治的な変革は見られないものの、それに匹敵するような文化的な革命と断絶がこの時期に起きます。それは女手の成立です。再三繰り返すように、女手が誕生したことにより日本は文化的な独立を遂げますが、それがちょうど越南が中国から離れて独立する時期と重なるのです。 ここで非常に興味深い原理がひとつ抽出できます。それは、「東アジア漢字文明圏における独立は、自主的に中国風の体制を整え、漢字文明・文化を推進する」ということです。 一般的に、独立するという場合には、支配者の束縛から離れて自分たちのものを打ち立てることを意味しますが、東アジアで自分たちのものを打ち立てようとする場合には、かならずいちど政治的にも文化的にも中国化する必用があります。まず中国の政治制度を学び、中国の文化を積極的に取り入れ、あたかも中国と同じような政治的・文化的形態になる。その経験を経たあとに、はじめて文化的な独立が成立します。これが東アジア漢字文明圏における独立の条件です。 非常に矛盾に満ちていますが、わかりやすくいえば、京都と奈良の違いです。あるいは、京都の町でいえば、御所と禅院の違いです。奈良とはいったい何かというと、あれは中国です。中国のものをどんどん取り入れて、中国と瓜二つの姿になることを目指したのです。この逆説的な動きが、日本が白村江の戦いで敗れ、中国から独立したあとに起きます。つまり自主的に中国文化を吸収することによって独立するしかないのです。 それほど中華の文明というもの、知識学問というもの、政治制度というものが圧倒的に大きく、水圧が高いのです。それを自分のものとして取り入れなければ中国からの相対的な独立はありえないのです。 たとえば奈良時代の写経。写経によって中国の文字を知る、中国の文を知る、中国の知識を知ることを徹底することによって独立が果たされたのです。(中略) 越南でも、脱中国化を達成して独立しようと思えば中国化しなければいけない。つまり中国化することによって脱中国化するのです。日本の場合もそうですし、朝鮮の場合もそうです。これが漢字文明圏における独特な独立の形態だと思います。 拙著『日本書史』で詳しく述べていますが、私は900年を日本史におけるひとつの分水嶺と考えてもよい大きな区分と考えています。900年までを、奈良時代あるいは空海などが活躍する平安初期を含めて「擬似中国時代」と考えます。この時代の文化は、中国から独立していちばん最初にやってくる姿をしています。東アジアの国が政治的に独立したあっとには、中国のごとき姿をする時代がかならずやってくるのです。それを経た後にやがて「違いのわかる大人」になることがあります。日本でいえば、女手をつくることによって、和歌と和文の表現力を手に入れ、擬似中国段階を脱して日本化することになります。 同様の試みが、東アジアではやはり文字をめぐって起ります。日本では女手でした。朝鮮ではハングルをめぐって起ります。そして越南ではチェーノム(字喃)という、いわゆる越南文字をつくることを通じて起ってきます。この「喃」の字がまさにチェーノムです。「口」扁が表音のための借用字であることを表し、「越南」の「ノム(南)」という音を合わせてつくられた越南文字です。中国に組み込まれながら、一貫して反抗的だったヴェトナムの文化、王制を見てみましょう。辺境としての悲哀は朝鮮半島より大きかったようですね。チェノム<朝鮮、越南、日本の支配体制>p199~201 江戸時代までは一貫して、朝鮮半島は日本に大陸のいろいろな文化を伝えるというかたちで、ある意味での師匠役をしてきたわけです。けれども、半島側には豊臣秀吉の朝鮮侵攻に象徴されるような、とんでもないことをする、わけのわからない要素をもっている島だという認識もある。そういうなかで、朝鮮半島の、大陸と孤島のあいだにあるという中間の意識は、単に半島意識ということだけではなく、孤島との関わりを絶えず意識させられてきたと考えられます。 元の侵攻に対して、越南が選んだ対応は反抗でした。文化的民族主義としてチェーノムはつくられました。しかし先ほどいったように、大陸を北といい自分たちを南というように、基本的に自分たちを大陸と同格に見ようという意識が支配層にあります。 なぜか。それは越南が中国だからです。とはいえ、体制に組み込まれて、生活しているだけの被支配層は別です。支配する層は、要するに中国です。だから大陸の南朝なのっです。まさに南朝を建てるというような意識から越南は生まれてきたのです。チェーノムが基本的には漢字と同じ構造の亜漢字であり、また(それゆえ)越南語が中国語と同じ単音節孤立語でありつづけていることにも触れておきましょう。 さらに興味深いのは、朝鮮、日本、越南の三つの国で支配体制が異なることです。朝鮮は基本的に「王」、つまり王制です。この王制というのは、再三述べているとおり、皇帝のもとにある王制です。要するに冊封された王制です。あくまで「自分たちのところには王しかいない」という考え方です。皇帝がいるとは考えないし、また考えられもしないのです。 それに対して、日本の場合は「皇帝」です。皇帝とは名乗らないけれども、王とも名乗らずに、その中間的な概念、もしくは模擬皇帝概念として天皇をつくる。天皇制が強化されるのは近代以降です。しかも日本史の過半を実際的に支配したのは、古代には摂政や関白、あるいは院、そして中世、近世は征夷大将軍、つまり将軍でした。わかりやすくいえば、日本の場合、皇帝でも王でもない天皇という制度になります。 ところが越南の場合は異なります。対中国的には王でありながら国内的には皇帝と称するのです。実際問題としては中国の皇帝と冊封関係にあり、したがって王、あるいはもっと貶められて郡王ぐらいのこともあるのですけども、王でありながら国内的には皇帝と称するのです。したがって越南がいちばん中国的なのです。中国でありながら中国とは違うという、むろん朝鮮あるいは日本とはまた違った姿をとるのです。 話は少し脱線しますが、これは絶妙かなと思うのは、越南を含む半島をインドシナ半島と呼ぶことです。すなわちインドの文明と中国の文明がちょうどそこで交差し、共存している半島です。中国大陸に発する漢字文明は東海岸の方から越南へと南下してきますが、西の方からはインドの文明が押し寄せてくる。それは文字が、越南以外のところでは、アルファベットでもなく漢字でもない、いわゆるサンスクリット系の文字が基本的に使われていることと関連しています。 越南が独立するときに、「漢唐はわが帝国にして、孔孟はわが祖師なり」という考え方が払拭すべき意識として語られました。この考え方を払拭しなければ越南の独立はありえないというのが越南の独立のときの考え方です。それほど越南の知識人のあいだには、中国大陸の文化・文明が自分たちの礎であるという考え方が根強くあったのです。wikipediaチュノムによれば、一般のパソコンでも大多数のチュノムを表示、印字することが可能となっているそうです。ベトナム語のローマ字表記化についてはwikipediaクオック・グーに詳しいが・・・1945年独立を期に、中華のしがらみを絶ったのでしょうか?(クオック・グーとは、もちろん国語ですね)漢字がつくった東アジア1:現代の中国語漢字がつくった東アジア2:立ち上がる朝鮮半島漢字がつくった東アジア3:北端のアイヌと南端の琉球人漢字がつくった東アジア4:渤海の辿った道
2024.06.12
コメント(0)
「あなたの代わりに読みました」のスクラップ朝日新聞の「あなたの代わりに読みました」という記事を紙でスクラップとして保管しているのです。斎藤美奈子さんと言えば、書評のスペシャリストとして知られるが、それらの書評がまとめて見られる書評集とあれば・・・読むしかないでえ♪ *********************************************************明日への糧、忙しい読者に寄り添い 斎藤美奈子さん書評集「あなたの代わりに読みました」より 書評を書き続けて30年になる。文芸評論家の斎藤美奈子さんが書評集「あなたの代わりに読みました」(朝日新聞出版)を出版した。書評を書くこと、それは忙しい読者のための「読書代行業」のような気分だと斎藤さんは言う。「昨日を省み、明日を生きるための糧」になる読書という行為に寄り添ってきた。 本書は、週刊朝日で2013年から休刊した23年までに書いた490本の書評から154本を選んだ1冊だ。政治や社会、文学、暮らしや芸能のテーマに分けて収めた。連載した10年は東日本大震災後、令和が始まりコロナ禍を経験した時代だった。その時々の話題本を中心に紹介しているが、原発や安全保障、地域経済、ジェンダーなど、課題にあふれている。 例えば、浅田次郎著『日本の「運命」について語ろう』(15年刊、幻冬舎文庫)では、260年余り戦争をしなかった徳川幕府を再評価する本書に、戦後70年の日本を重ね「この記録を私たちはどこまで更新できるだろうか」と鋭く問う。松中権著「まずは、ゲイの友だちをつくりなさい」(同年刊、講談社+α新書)や、井上由美子著の小説「ハラスメントゲーム」(18年刊、河出書房新社)など、世の中の動きに素早く反応した本を書評に取り上げてきた。 ただ、評者本人は「今回全ての原稿を見返したけど一つも覚えていなかった」と言い、「借金を取り立てされるみたいに慌ただしく書いていたから」と笑いながら振り返る。入院先の病室から原稿を送ることもあったという。 毎週迫り来る「魔の火曜日」。書評と別の新聞コラムの締め切りが重なる日で、午前5時ごろから書評本に目を通し、原稿を書き終えるのは午後2時ごろ。そのままコラムに取りかかり、夜までに間に合わせる。 選書は自由で、時間が空くと書店に候補となる本を探しに行った。「自分の興味の範囲はせいぜい半径5メートル」。未開拓の本が潜む書店は「荒野のようで、サプライズがある」場所だ。偶然出合う本を求めて出向く。朝日新聞の書評委員で一緒だったドイツ文学者の池内紀さんから「本って出合い頭だから」と言われたことを心に留めているという。 執筆で重視するのは「自分を消し、いかに内容を的確に書くか」という点だ。「この本が言いたいことは何か、整理整頓されていない本が案外多い。分かりやすくかみ砕くには、ねじりハチマキ巻いて、大なたを振るって、下草を刈る作業をしなければいけない」と話す。 長年、雑誌や新聞を中心に書評を書いてきた。いまネットでは読書レビューがあふれ、動画投稿アプリで紹介された本が人気を得る。紙媒体の存在意義はどこにあるのだろうか。斎藤さんは「保存性に優れた媒体なので、本のダイジェストとして後になっても読め、書かれた時代を追える良さがある」と指摘する。まさに本書もこれから何十年後かに読み返せば、懐かしいだけではない、時代の一面や社会の流れを学ぶ糧となりそうだ。(森本未紀)私事になりますが・・・6/8から6/11の間はブログをお休みとしますので宜しく。法事があるため四国の故郷に帰省(今晩の夜行バスで)するものです。
2024.06.07
コメント(0)
好書好日「好きなことをして老いる」ネットを巡っていたら、朝日の好書好日で『川本三郎さん「ひとり遊びぞ 我はまされる」インタビュー 好きなことをして老いる』がヒットしたのです。とにかく、「好きなことをして老いる」というキャッチコピーに捕まったわけでおます♪*********************************************************川本三郎さん「ひとり遊びぞ 我はまされる」インタビュー 好きなことをして老いるより 映画を見て、本を読み、旅に出る。雑誌「東京人」の連載をまとめた4冊目。題名は良寛の歌からとった。 「ローカル線、台湾、荷風が、今私の好きな三本柱です」 田舎の駅で降り、小さな商店街のある町を歩くのが楽しみだったが、コロナ禍で難しくなった。でも。 「私の造語で『近鉄(ちかてつ)』という言葉があります。乗り鉄の一種で、近場の鉄道に乗る。八高線や房総のいすみ鉄道に、よく乗りに行きました」 台湾へは2015年から通っている。自著『マイ・バック・ページ』が翻訳され、その出版社の人たちに会いに行ったのがきっかけだ。 「彼らと話すのが喜びです。学生による『ヒマワリ革命』が起き、日本の1960年代から70年代を書いた私の本が読まれたそうです」 そして永井荷風。毎年、初詣はゆかりの寺に。終焉の地・千葉県市川市に書斎が再現されると見に行く。 「好きな作家を持つのは大事ですね。自分が年をとると、太宰治や芥川龍之介のように若くして亡くなった作家に、興味がなくなってくる。79歳で死んだ荷風は老いを知っています。最初から新しさを目指していなかったので、古びないのです」 それまで「花柳小説家」や「好色作家」と見られていた荷風を「都市の作家」ととらえ直し、『断腸亭日乗』に沿って読み解いた『荷風と東京』は、代表作の一つだ。実は今、「荷風の昭和」という連載が50回を超えて続いている(雑誌「波」)。ようやく戦後まで来た。 「軍人や政治家でなく、市井の一作家を通して見た小さな昭和です。荷風は物価や生活、風俗も細かく記している。空襲に遭い地方を転々するなど、日本人の悲劇も体現しています。連載があと何回かで終わるので、さびしくて。この4年ほど書いている時は、本当に幸せでしたね」(文・石田祐樹 写真・大野洋介)=朝日新聞2022年11月26日掲載実は『映画の巨人たち リドリー・スコット』5で川本三郎さんの映画評を読んで、「これは同好の作家ではないか」と思い、朝日の好書好日をチェックしていたらこの記事を見つけた次第です。
2024.05.31
コメント(0)
朝日新聞デジタルでスクラップしているのだが・・・その「スクラップ一覧」と最新記事を紹介します。この一覧は、いわば我が関心事一覧ともいえるのです。*********************************************************■エンジン、生き残りのカギは脱炭素 トヨタ・マツダ・スバルが新技術2024年5月28日 (2024年5月29日登録)中国が牽引する、EV生産であるが・・・EV拡大の鈍化、日本車の頑張りなどで風向きが変わりつつあるようです。********************************************************* トヨタ自動車、マツダ、スバルの3社は28日、新しいエンジンや関連技術を紹介するメディア向けイベントを東京都内で開いた。いずれも厳しい環境規制に備えた「脱炭素」を意識したもので、電気自動車(EV)だけに絞らない全方位戦略をアピールする狙いだ。 トヨタは、開発中の排気量1.5リットルと2.0リットルの次世代エンジンを展示。電動ユニットと組み合わせることを前提に、小型で効率のよいエンジンになると説明した。これまでよりも電気による走行の割合が高い、ハイブリッド車(HV)やプラグインハイブリッド車(PHV)に載せるという。 マツダは、独自技術のロータリーエンジンと関連技術を披露。もともと小型で軽いため電動化の部品を載せやすい特徴があることから、組み合わせにより燃費が劣る面をカバーできる。今後は様々なPHVに搭載する絵を描いているという。 スバルは、独自技術の水平対向エンジンにトヨタのハイブリッドシステムを組み合わせた新しい仕組みを紹介した。秋には生産を始められるという。 トヨタは27日には、出光興産やENEOS(エネオス)、三菱重工業と一緒に、自動車用のカーボンニュートラル(CN)燃料の導入や普及に向けた検討を始めると発表。28日のイベントでは、マツダとスバルのトップも協力すると表明した。マツダの毛籠(もろ)勝弘社長は、ロータリーエンジンが、バイオ燃料を含む様々な燃料との相性がいいと説明した上で、「社会に貢献できる技術として活用するのが私たちの使命だ」と話した。 3社がこうしたイベントを開いたのは、多くのメーカーがEVシフトを強めている背景がある。EVは欧米で売れ行きにブレーキがかかったり、中国で価格競争が激しくなっていたりするが、今後、さらに環境規制が厳しくなることでエンジンの生き残りが難しくなることも指摘されている。トヨタの佐藤恒治社長は「未来への志を共有する仲間と切磋琢磨することで、技術を進化させたい」と述べた。 とはいえ3社も、EV開発の手を緩めているわけではない。「投資額でいえば今後の技術開発の中心は、やはりEVなど電動化技術だ」(トヨタ幹部)という。 加えてエンジンでも大きな革新を進めようとすれば、研究開発費はさらにかさむ。トヨタの技術部門トップの中嶋裕樹副社長は「研究開発費はもちろん上がる。その分『いい車』を作ってがんがん売るしかない」。特定の技術だけに寄らない姿勢は、かえってリスク分散になるとも考えている。 販売台数規模でトヨタの1割ほどのスバルの藤貫哲郎取締役は「会社の規模が小さいことは、技術開発を深くやることにはデメリットはない。ただ、広くまんべんなくとはいかないので、(他社と)お互い補完できればいい」と話した。(渡辺七海、大平要)■「警告」でなく「懲罰」中国側の威嚇拍車 総統就任演説から2日半2024年5月23日 (2024年5月24日登録)■月探査機SLIMが復活 太陽光で発電し通信確立 岩石調査も成功2024年1月29日 (2024年1月29日登録)■片目の「まねちゃん」は幸せの招き猫 妻は夢かなえて小説家に、夫は2023年11月12日 (2023年11月12日登録)■飛行士は男、看護師は女…ChatGPT、職業にジェンダーバイアス2023年11月9日 (2023年11月10日登録)「ChatGPT」(チャットGPT)はジェンダーバイアスを持っているってか・・・・さもありなんやでぇ。■荒波の捕鯨史証人、日新丸が引退 1.7万頭解体 反対派が妨害 新聞切り抜き2023年11月5日 (2023年11月6日登録)捕鯨母船「日新丸」といえば、反捕鯨団体の妨害活動などによく耐えてきた船ではないか・・・ご苦労さんでした。■囲碁の仲邑菫さん会見 韓国移籍に「高レベルでの勉強が私には必要」2023年10月30日 (2023年10月31日登録)ウン しっかりしてるがな。 結果が出れば、第2の大谷翔平となれるかも♪■「小型で低価格」日本向けEV 中国大手BYD、立体駐車場に合わせ低く 新聞切り抜き新聞切り抜き2023年9月21日 (2023年9月21日登録)補助金を使えば200万円代で買えるのか・・・かなり手ごわい感じやんけ。■「日本は嫌いだけど」 中国から福島に迷惑電話かけた18歳の本音2023年9月21日 (2023年9月21日登録)国歌が抗日を歌う国であり、負の歴史を反芻する国なので、この行動に出たのも分かる気がするが・・・■H2A打ち上げ「ほっ」 イプシロン・H3、失敗続いた国産ロケット 新聞切り抜き2023年9月8日 (2023年9月21日登録)H3は失敗したが、H2A打ち上げは成功(41機連続で)したので・・・良しとするか。■「日本語ってタマネギみたい」北欧出身の漫画家オーサさんが語る魅力2022年4月10日 (2023年9月19日登録)日本語学習に関しては、トップクラスのスキルではないか♪■囲碁の仲邑菫女流棋聖、韓国棋院に移籍の意向 すでに棋士登録を申請2023年9月11日 (2023年9月11日登録)■29歳で獄死した反戦川柳作家・鶴彬 故郷で碑前祭2022年9月15日 (2023年7月6日登録)反戦作家といえば・・・この人を外すわけにはいけないのだろう。■「国恥地図」に秘められた帝国の記憶 世界秩序揺さぶる中国の歴史観2022年4月21日 (2023年7月2日登録)覇権中国スタンスのもとには、この国恥地図があったのか。■突然の解散先送り、首相判断なぜ 公明と亀裂、世論…不安材料重なり2023年6月15日 (2023年6月16日登録)「これからは大きな見せ場もなく、支持率はダラダラと下り坂では」との声もあるようです。■英語信仰は「壮大なムダ」、言語学者の危惧 「日本語こそ国際語」2023年6月12日 (2023年6月14日登録)ウン ええこと言ってるがな♪■書店ゼロ自治体、全国で26% ネットでの無料配送規制の議論も2023年3月29日 (2023年6月10日登録)書店の減少といえば、本の物流的側面や、図書館との住み分けが気になるのです。■強まるエルドアン氏への働きかけ スウェーデンのNATO加盟めぐり2023年6月5日 (2023年6月5日登録)プーチンからもウクライナからも支持されるエルドアン氏は、バランス感の長けた政治家であるが・・・要注意なんでしょうね■各地に線状降水帯、広範囲で大雨 東海道新幹線、全線で運転見合わせ2023年6月3日 (2023年6月2日登録)西日本一帯に避難警報が出ている模様です。■事故から12年後に里帰りした元町職員 未練断ち切った「けれど…」2023年5月31日 (2023年5月31日登録)被災の原因は地震、津波にあるとしても、政府や東電の無慈悲という人災でもあったようですね。■ウクライナはなぜF16を求めたのか? カギを握る総合力と戦い方2023年5月30日 (2023年5月31日登録)「ロシア領内を攻撃したい」という誘惑にかられる可能性もあるようですね。(後略)*********************************************************<スクラップ機能や使い方について> 気に入った記事、あとで読みたい記事をスクラップして、保存しておくことができます。最大5000件まで、記事閲覧期限を過ぎても、保存可能です。 また、新聞記事検索で検索した記事の新聞切り抜き画像もスクラップして保存できます。 スクラップした記事にメモや最大10件のタグ(分類名)を付けることもできます。保存した記事は、記事の本文や見出し、メモ、タグに入力した文字で検索することができます。 スクラップ記事とメモ・タグは、ネット上の保管庫(クラウドサーバー)に保存され、通信環境があれば、ブラウザー版でもアプリ版でも共有して閲覧できます。<新聞記事検索で検索した切り抜きイメージ画像をスクラップする>1. 新聞記事検索で表示された検索結果一覧の記事の右にある「新聞切り抜き」のアイコンの下の「スクラップ」ボタンをクリックしてください。「スクラップをしました」と表示されるとスクラップ完了です。記事の新聞切り抜き画像がスクラップブックからご覧いただけます。 2. 新聞切り抜き画像が表示された画面でも、左上の「スクラップ」ボタンをクリックすると、スクラップできます。
2024.05.30
コメント(0)
森見登美彦さんのエッセイ集『太陽と乙女』という本が面白かったので復刻して読んでみようと思い立ったのです。ベーコンエッグが食べたくなったり、書棚を整理したくなったりすること・・・請け合いではないか♪*********************************************************図書館に予約していた『太陽と乙女』という本を、待つこと1週間ほどでゲットしたのです。森見登美彦さんのエッセイ集であるが、何でもありの全90篇とのことで・・・期待できそうである♪【太陽と乙女】森見登美彦著、 新潮社、2017年刊<「BOOK」データベース>よりデビューから14年、全エッセイを網羅した決定版! 登美彦氏はかくもぐるぐるし続けてきた! 影響を受けた本・映画から、京都や奈良のお気に入りスポット、まさかの富士登山体験談、小説の創作裏話まで、大ボリュームの全90篇。台湾の雑誌で連載された「空転小説家」や、門外不出(!?)の秘蔵日記を公開した特別書下ろしも収録。寝る前のお供にも最適な、ファン必携の一冊。<読む前の大使寸評>森見登美彦さんのエッセイ集であるが、何でもありの全90篇とのことで・・・期待できそうである♪<図書館予約:(3/23予約、3/31受取)>rakuten太陽と乙女「第5章 登美彦氏の日常」で「登美彦氏の口福」が語られているので、見てみましょう。ベーコンエッグが食べたくなるでえ♪p288~289<登美彦氏の口福>■ベーコンエッグ 仕上げに秘密の調味料を 私は料理がほとんどできない。一人暮らしの頃に腕を磨かなかったからである。もし妻が料理を作ってくれない人であったなら、現在の我が食生活は惨憺たるものになっていただろう。そんな私でも作ることができる数少ない料理が「ベーコンエッグ」である。 スティーヴンスン『宝島』の冒頭において、ベーコンエッグという言葉が素晴らしい使われ方をしている。乱暴者の海賊が宿の亭主に言う台詞が「俺は安上がりの男だ。ラム酒とベーコンエッグさえあればいい」。皆さん、これでこそ海賊だ。彼の食卓に並ぶベーコンエッグは、さぞかしうまいだろうと思わせる。 料理のレパートリーが少ない人間は、限られたレパートリーに料理センスの一切を注ぎ込むため、その一品にかぎって呆れるほど口うるさいものである。私の父も料理が得意というわけではないが「餅」の焼き方には一家言あり、まるで高名な陶芸家のように慎重な手つきで餅を焼く。私もそれと同じで、ベーコンエッグは自分好みのものでなくては我慢できない。 まずベーコンが必要である。焼かれるなり猛烈に縮んでどこかへ消えちまう「なんちゃってベーコン」ではなく、しっかりとした存在感のある肉でなくてはならない。 次に玉子である。フライパンに落としたら、白身の上にかっきり黄身が盛り上がる凛々しいやつで黄身の味が濃厚でなくては困る。 フライパンでベーコンを焼き、そこに玉子を割って落とす。二つ落として海賊のように豪快な気持ちになるのも悪くない。味付けは塩と胡椒にかぎる。海賊風に荒っぽく塩胡椒を振ったあと、フライパンに少量の水をサッと注ぎ回して蓋をする。このあとどれぐらい蒸すべきか。それが問題だ。白身にはあくまで固くあって欲しいし、黄身にはとろりとした優雅さを保っていて欲しい。 うまく焼き上がったら、美しく形を保ったまま皿にのせる。 ここで仕上げの調味料を使う。『宝島』の妄想である。自分が宿屋「ベンボウ提督亭」に滞在する海賊で、ベーコンエッグとラム酒だけで生きる栄養の偏った荒くれ野郎だと妄想する。そして「俺は安上がりの男だ。ラム酒とベーコンエッグさえあればいい」と呟くのである。それだけで、ベーコンエッグのうまさが三割増すのだ。 以上がベーコンエッグという料理である。シンプルな料理にこそ妄想的味付けが必要である。『太陽と乙女』4:小説を書くときのアイデア『太陽と乙女』3:登美彦氏の口福『太陽と乙女』2:登美彦氏の東京暮らし『太陽と乙女』1:「書棚の整理」など
2024.05.27
コメント(0)
<『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』(復刻)>パレスチナ自治区ガザの危機的状況はジェノサイドの様相を帯びてきたが・・・歴史を遡ってみると英仏の植民地政策が垣間見えるし、アメリカのイスラエル擁護の真相などが気になるのです。・・・ということで、『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』という本を復刻して読んでみます。*********************************************************図書館で『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくってみると、おお「アラビアのロレンス」にも触れているではないか・・・これが借りる決め手になったのです。【サイクス=ピコ協定 百年の呪縛】池内恵著、新潮社、2016年刊<「BOOK」データベース>より百年前の「秘密協定」は、本当に諸悪の根源なのか?いまや中東の地は、ヨーロッパへ世界へと難民、テロを拡散する「蓋のないパンドラの箱」と化している。1916年、英・仏の協定によって地図の上に無理やり引かれた国境線こそが、その混乱を運命づけたとする説が今日では専らだ。しかし、中東の歴史と現実、複雑な国家間の関係を深く知らなければ、決して正解には至れない。危機の本質を捉える緊急出版!<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると、おお「アラビアのロレンス」にも触れているではないか・・・これがかりる決め手になったのです。rakutenサイクス=ピコ協定 百年の呪縛協定区域地図の上に無理やり引かれた国境線こそが諸悪の根源だともっぱら言われるが、果して?p19~21<第1章 サイクス=ピコ協定とは何だったのか>■分かった気にさせるマジックワード「結局、サイクス=ピコ協定が諸悪の根源だ」 近頃、こういったフレーズをよく聞くようになった。中東の混迷の原因は何なのか。一帯誰が悪いのか。誰もが自然に思い浮かべる素朴な義憤に、単純明快な答えを見つけたような気にさせてくれる万能のマジックワードが「サイクス=ピコ協定」である。 要するに、中東の混乱の原因は、イギリスとフランスが、サイクス=ピコ協定によってアラブ世界に不自然な国境線を引いたからである。だからシリアやイラクなど、民族や宗派が違う人々が同じ国に住まされて、まとまりがなく、争いが絶えないのである…云々。にわか仕込みのテレビ・コメンテーターなどが急にこの言葉を用いるようになった。 確かに、こう言ってしまいたくなる気持ちは分かる。「アラブの春」以来、中東情勢の混迷は一向に収束する気配がない。「イスラーム国」が行なって誇示する処刑やテロなどの蛮行の数々は、一般的な感覚からは到底理解が不可能だろう。何か一つのキーワードで「要するに…」と大雑把にまとめてしまってスッキリしたい、という気持ちは分からないでもない。 そして、実際に「サイクス=ピコ協定」は重要な文書である。現在の中東の成り立ちの、ある根本的な部分を基礎づけている。確かにサイクス=ピコ協定は「悪い」。帝国主義・植民地主義の時代にイギリスやフランスやロシアなど「西欧列強」が、そして冷戦時代はアメリカとソビエト連邦など超大国が、中東に介入し、影響力を競ったことで、どれだけ大きな混乱が、戦争の惨禍が、中東を襲ってきたことか。 しかし同時に、「サイクス=ピコ協定が悪い」と言っているだけでは、現実を理解するという意味でも、将来を見通すという意味でも、そして解決策を見出すという意味でも、先に進めない。 これは東アジアに置き換えて考えてみれば少し分かりやすくなるかもしれない。例えば、北朝鮮の核兵器・ミサイル開発の問題について、「そもそも日本が朝鮮半島で帝国主義・植民地支配をしたから悪い」とだけ言い続ければどうなるだろうか。日本が植民地支配をした挙句、太平洋戦争で敗れて朝鮮半島から撤退したから、朝鮮半島は米ソ冷戦の最前線となって、南北に国家は分断された。 いつ戦争が再開されてもおかしくない緊張状態が続き、北朝鮮は独裁化し、核兵器やミサイルを開発して威嚇する。悪いのは日本の植民地支配だ…と主張したら、どうだろうか。確かに、日本が朝鮮半島を併合して支配していなければ、朝鮮半島は今のような状態にはなっていないかもしれない。おそらく、現在の朝鮮半島の政治情勢に、日本のかつての植民地支配は、多くの日本人が現在意識しているよりももっと大きく影響を及ぼしているだろう。 しかし植民地主義の時代から現代までの間には長い時間が経っており、その間の、より大きな影響を与えた多くの出来事が生じている。もし日本による統治の時代がなければ、もちろん朝鮮半島の歴史は大きく変わっていただろうが、日本の統治下に入る以外の可能性がどれだけあったかとというところが定かでなく、しかも別の可能性がよりましなものであったとも言えない。ロシアや中国に併合されて、現在独立国でいることができなかったかもしれない。それを現在の南北朝鮮の国民の感覚からは、到底受け入れられないだろう。 さらに言えば、現在の朝鮮半島の国家や国際関係が抱える問題に日本が責任がある、ということであれば、「日本が責任を取ってもう一度朝鮮半島に介入して今度はきちんと問題を解決するべきだ」ということにもなりかねない。もちろん、そんなことを現在の日本で本気で主張して実行しようとする人は皆無に近いだろうし、朝鮮半島の民族も決して求めないことだろう。 同じように、「結局、サイクス=ピコ協定が悪いのだ」という議論も、中東の歴史を方向づけた非常に重要な歴史の事象に触れているのだが、それだけでは現在の中東を読み解き、将来を展望するのに十分ではない。『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』1:アラビアのロレンス『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』2:20世紀は難民の世紀『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』3:サイクス=ピコ協定とは何だったのか
2024.05.26
コメント(0)
東インド会社、アヘン戦争、アジアの海賊といえば、私のツボでもあるわけで・・・以下のとおり復刻して読んでみようと思い立ったのです。*********************************************************図書館で『東インド会社とアジアの海賊』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくると、アジアの海賊、国姓爺、アヘン戦争とか興味深い史実が見られます。要するに、清朝末期の列強の大陸侵食が興味深いのでおます。【東インド会社とアジアの海賊】東洋文庫編、勉誠出版、2015年刊<「BOOK」データベース>より誰が海賊だったのか?海賊の多様性を歴史から読み解く。17世紀初頭にヨーロッパで誕生した東インド会社とその海上覇権の確立にあたって大きな障壁となった現地の海賊たち。両者は善と悪という単純な図式では表せない関係にあった。東インド会社もまた海賊であったー。東インド会社と海賊の攻防と、活動の実態を明らかにする。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、アジアの海賊、国姓爺、アヘン戦争とか興味深い史実が見られます。要するに、清朝末期の列強の大陸侵食が興味深いのでおます。rakuten東インド会社とアジアの海賊英メネシス号の中国兵船砲撃アヘン戦争と清朝水師のあたりを、見てみましょう。p280~282<清朝に雇われたイギリス海軍>■清朝の海上支配の動揺とアヘン戦争 清朝の海上支配の崩壊は貿易と治安の両方面から進んだ。周知のように、18世紀末以降、世界的に貿易は拡大し、中国においても、イギリス向け茶貿易の発展により、広州貿易は急速に拡大した。ところが、この広州貿易の発展に仲介業者が対応できずに倒産するなかで、仲介業者以外の商人たちが貿易に参入し、貿易管理制度は動揺を始めた。 一方で、中国の対欧米貿易の中心となっていたイギリスにおいても、貿易の拡大の中でイギリス東インド会社以外の商人、アジア間貿易をになう地方貿易商人が成長し、彼らの批判もあって東インド会社の貿易独占権は失われていった。そして1834年には中国貿易の独占権を失うことになる。中国における東インド会社の時代は終わったのである。こうして中英双方で既存の貿易制度は変更を迫られていた。 治安の問題についてみると、18世紀末~19世紀初頭にかけて、いわゆる「嘉慶海寇」と呼ばれる海賊活動の活性化が、中国東南沿海においてみられた。清朝水師にこれを十分に鎮圧できる能力はなく、海賊を投降させて水師として雇用する招撫や、ポルトガルの軍事力利用など、様々な手法でどうにかこれを沈静化させた。 嘉慶海寇の沈静化の背景には、アヘン貿易の発達があるだろう。東インド会社がインドにおいて専売したアヘンを広州周辺に大量に持ち込んだのは地方貿易商人であるが、広州周辺でこれを入手していったのは沿海の広東人・福建人である。かれらの多くが漁業・海運関係者であり、もともと海賊であった者も多い。実際、アヘン運搬船は清朝水師が手を出せないほど重武装している場合もあった。 沿海の人々にとって、小型船を襲撃する海賊稼業よりも、アヘン貿易はより大きな利益があったであろう。このアヘン貿易の拡大によって銀が流出したことは、清朝財政に大きな影響を与えたため、清朝は真剣にこれを取り締まろうとした。しかし、貿易管理を仲介業者に依存していたために、中国人側の行為を取り締まることができず、結局外国人商人のアアヘンを没収い、それがアヘン戦争の契機となる。 1840年に始まったアヘン戦争であるが、戦争そのものは、軍事技術の格差だけでなく、清朝側の戦術の拙劣さもあり、清朝側の一方的な敗戦に終った。なかでも、東インド会社海軍の汽走砲艦メネシス号の活動はめざましいものがあり、先述の挿絵もメネシス号の活躍を示している。ただし、中国に派遣されたイギリス艦隊の大半は帆船であり、また老旧艦であった。そもそもイギリス海軍の主力は本国防衛と地中海方面への対応のためヨーロッパ海域に展開していたのである。もっとも、清朝相手ならばこの程度の海軍力で十分であるとイギリスは判断したのであろう。 実際、対外戦争を経験したことのない清朝水師は大打撃を受けた。イギリス艦隊は沿海の広範な地域に展開したが、戦場となったのは広州周辺から、福建(〇門)、浙江(舟山、寧波付近)、江蘇(乍浦、上海、鎮江)で、いずれも海上・水上交通の要衝であった。このうち広州周辺の戦闘で清朝側は戦闘ジャンクを少なくとも数十隻を失い、〇門では40余隻の戦闘ジャンクが破壊された。 これによって、広東・福建の水師は海上警備能力を失い、清朝の海上支配はここに完全に崩壊した。そうした中で、海賊活動も活性化し、清朝に代わってイギリス海軍がその掃討にあたるという事態も生じていた。清朝が無償でイギリス海軍にアウト・ソーシングしていたような状況が皮肉です。なお、イギリス向け茶貿易については、『紅茶スパイ』7という本が面白いのでお奨めです。『東インド会社とアジアの海賊』1:東インド会社の特徴や商品『東インド会社とアジアの海賊』2:徽州海商と後期倭寇『東インド会社とアジアの海賊』3:ポルトガル人や後期倭寇の海賊行為『東インド会社とアジアの海賊』4:オランダ東インド会社の登場『東インド会社とアジアの海賊』5:オランダ東インド会社のダークサイド『東インド会社とアジアの海賊』6:清朝水師と海賊の関係『東インド会社とアジアの海賊』7:アヘン戦争と清朝水師
2024.05.25
コメント(0)
パリのアリアンスフランセーズに通って学習したフランス語であるが・・・帰国後の日本で活用したこともなく、単なるお遊びだったかも知れないなあ(涙)・・・ということで『フランス語っぽい日々』という本を復刻して読んでみます。*********************************************************図書館で『フランス語っぽい日々』という本を、手にしたのです。どこを開いても・・・夫の描くマンガの頁、妻の述べる説明の頁がセットになっていてわかり易くて興味深いのである♪【フランス語っぽい日々】じゃんぽ~る西×カリン西村著、白水社、2020年刊<「BOOK」データベース>より外国語を愛する、外国語に苦しむすべての人に。日仏夫婦が漫画とコラムでつづる、異文化・外国語学習・子育ての悲喜こもごも!<読む前の大使寸評>どこを開いても・・・夫の描くマンガの頁、妻の述べる説明の頁がセットになっていてわかり易くて興味深いのである♪rakutenフランス語っぽい日々海外県のフランス語が語られているので、見てみましょう。p40~41<17 海外県のフランス語 Le francais d‛outre—mer> 歌手のダニエル・バラヴォワーヌは、フランス語はよく響く言語だと言いました。その通り。フランス語は遠くまで響く言語、カナダや太平洋のど真ん中、ニューカレドニア、マルキーズ諸島やタヒチにまで響き渡る言語なのですから。海外県のフランス語に接する機会があると、愕然とすることがしばしばあります。 ラジオ・カナダで時評を担当するわたしが接する人たちは、独自の美しい表現も編み出す見事なフランス語を操るのですが、彼らのなまりやイントネーションに思わず不意を打たれ、つまり、笑いそうになってしまうことがあるのです。 ケベックのフランス語話者たちは、かなり独特な話し方をします。具体的に説明するのは難しいですが、主な特徴のひとつに、巻き舌のRがあります。半分Rのような半分Lのような発音で、日本人のそれと少し似ています。 夫とともに招待されたタヒチのサロン・ド・リーブル(ブックフェア)に訪れたときのこと。タヒチのフランス語話者たちもまた、この巻き舌のR()を使うことを知り、おどろいたのなんの。さらに彼らにはフランス語と現地の言葉を頻繁にしかも絶妙に混ぜ合わせる、一風変わった癖があります。結果、本土のフランス人であるわたしには、彼らの言うことの半分しか理解ができません。 旅先であれ、フランス国内であれ、その土地によって多少なりともなまりはあるもの。よく言われるのはマルセイユ、トゥールーズ、そしてエクサンプロヴァンスのなまり。パリジャンだって「粘ついた」フランス語を話すと言われています。 わたしはといえば、ブルゴーニュ出身、厳密にはヨンヌ県の生まれです。さて、みなさんごぞんじでしょうか。お隣のソーヌ・エ・ロワーヌ県の人たちにもある変わった特徴があるんです。それは、なんと巻き舌のRです。『アリアンスフランセーズパリ校『フランス語っぽい日々』3:海外県のフランス語『フランス語っぽい日々』2:新旧のシャンソン『フランス語っぽい日々』1:言葉とは思考の方法
2024.05.25
コメント(0)
<朝日新聞デジタルでスクラップブック>朝日新聞デジタルでスクラップしているのだが・・・その「スクラップ一覧」と最新記事を紹介します。この一覧は、いわば我が関心事一覧ともいえるのです。*********************************************************■「警告」でなく「懲罰」中国側の威嚇拍車 総統就任演説から2日半2024年5月23日 (2024年5月24日登録) 中国軍が、台湾周辺を囲むような広範囲での軍事演習に乗り出した。「台独(台湾独立)派」と警戒してきた頼清徳(ライチントー)新総統の就任演説への不満を、今後4年間の任期も見すえて、むき出しの軍事的な威嚇で示した形だ。これに対し、台湾は「横暴」と反発、日米は中台関係の緊迫度が一段と高まることに警戒を強めている。 「これは『台独』の分裂勢力が独立をたくらむ行為への懲罰だ」 中国軍で台湾方面を担当する東部戦区は2日間の軍事演習をこう表現した。演習に参加するとみられる、ステルス戦闘機「J(殲)20」やミサイル「DF(東風)」、上陸用の「071型揚陸艦」などの兵器も「ミサイルの雨で独立派を一掃する」といった勇ましい標語とともに紹介された。 台湾本島をぐるりと取り囲むような軍事演習は2022年8月にペロシ米下院議長(当時)が中国側の猛反発を押し切って訪台した際や、23年4月に蔡英文(ツァイインウェン)総統(当時)が訪米した時にも実施した。将来の台湾の海上封鎖を想定したとみられる配置だ。 さらに、前2回は含まれていなかった、台湾が管轄する中国沿岸の金門島や馬祖列島といった島嶼(とうしょ)部も演習区域に加えた。台湾当局が島の周りに設定している「禁止・制限水域」を実質的に無効化していく狙いの一環とも受け取れる。 これまでは「警告」としていた演習の理由についても、「懲罰」との表現を用いており、威嚇の度合いをエスカレートさせる意思が明らかだ。 一方で、今回は頼氏の就任演説から3日近くを経て公表した。習近平(シーチンピン)指導部として就任演説を分析し、対応を検討していたとみられる。ペロシ氏の訪台時は同氏の乗った飛行機が台北に着陸した直後に演習実施を発表していた。 中国指導部は20日以降、頼氏への批判を日に日に強めてきていた。 中国政府で台湾政策を担う国務院台湾事務弁公室は21日にも、就任式当日に続いて報道官談話を出した。頼氏が語った「主権の独立」や「互いに隷属しない」といった表現について、「分裂のでたらめの理屈」と批判した。中国が決して容認できない「(「一つの中国」原則に反する)両国論」と位置づけている。 習指導部は台湾統一を悲願としてかかげる。「平和統一が最優先」とする一方、「武力統一の放棄も約束はしない」とのメッセージを出す。特に、独立に向かう動きに対しては武力を示して強く牽制してきた。 中国指導部は演説内容によって対応を変えることを想定していたとみられる。今回の軍事演習はその中でも強い手段を選んだことが表れている。 今回の演習は「連合利剣―2024A」と名付けられた。元在中国防衛駐在官で、笹川平和財団の小原凡司・上席フェローは「2024のあとにAとあり、過去の演習の例からもプランB、Cもあることを示している。これで終わりとは思うな、との意味がある」と指摘する。(斎藤徳彦=北京、編集委員・奥寺淳)■月探査機SLIMが復活 太陽光で発電し通信確立 岩石調査も成功2024年1月29日 (2024年1月29日登録)■片目の「まねちゃん」は幸せの招き猫 妻は夢かなえて小説家に、夫は2023年11月12日 (2023年11月12日登録)■飛行士は男、看護師は女…ChatGPT、職業にジェンダーバイアス2023年11月9日 (2023年11月10日登録)「ChatGPT」(チャットGPT)はジェンダーバイアスを持っているってか・・・・さもありなんやでぇ。■荒波の捕鯨史証人、日新丸が引退 1.7万頭解体 反対派が妨害 新聞切り抜き2023年11月5日 (2023年11月6日登録)捕鯨母船「日新丸」といえば、反捕鯨団体の妨害活動などによく耐えてきた船ではないか・・・ご苦労さんでした。■囲碁の仲邑菫さん会見 韓国移籍に「高レベルでの勉強が私には必要」2023年10月30日 (2023年10月31日登録)ウン しっかりしてるがな。 結果が出れば、第2の大谷翔平となれるかも♪■「小型で低価格」日本向けEV 中国大手BYD、立体駐車場に合わせ低く 新聞切り抜き2023年9月21日 (2023年9月21日登録)補助金を使えば200万円代で買えるのか・・・かなり手ごわい感じやんけ。■「日本は嫌いだけど」 中国から福島に迷惑電話かけた18歳の本音2023年9月21日 (2023年9月21日登録)国歌が抗日を歌う国であり、負の歴史を反芻する国なので、この行動に出たのも分かる気がするが・・・■H2A打ち上げ「ほっ」 イプシロン・H3、失敗続いた国産ロケット 新聞切り抜き2023年9月8日 (2023年9月21日登録)H3は失敗したが、H2A打ち上げは成功(41機連続で)したので・・・良しとするか。■「日本語ってタマネギみたい」北欧出身の漫画家オーサさんが語る魅力2022年4月10日 (2023年9月19日登録)日本語学習に関しては、トップクラスのスキルではないか♪■囲碁の仲邑菫女流棋聖、韓国棋院に移籍の意向 すでに棋士登録を申請2023年9月11日 (2023年9月11日登録)■29歳で獄死した反戦川柳作家・鶴彬 故郷で碑前祭2022年9月15日 (2023年7月6日登録)反戦作家といえば・・・この人を外すわけにはいけないのだろう。■「国恥地図」に秘められた帝国の記憶 世界秩序揺さぶる中国の歴史観2022年4月21日 (2023年7月2日登録)覇権中国スタンスのもとには、この国恥地図があったのか。■突然の解散先送り、首相判断なぜ 公明と亀裂、世論…不安材料重なり2023年6月15日 (2023年6月16日登録)「これからは大きな見せ場もなく、支持率はダラダラと下り坂では」との声もあるようです。■英語信仰は「壮大なムダ」、言語学者の危惧 「日本語こそ国際語」2023年6月12日 (2023年6月14日登録)ウン ええこと言ってるがな♪■書店ゼロ自治体、全国で26% ネットでの無料配送規制の議論も2023年3月29日 (2023年6月10日登録)書店の減少といえば、本の物流的側面や、図書館との住み分けが気になるのです。■強まるエルドアン氏への働きかけ スウェーデンのNATO加盟めぐり2023年6月5日 (2023年6月5日登録)プーチンからもウクライナからも支持されるエルドアン氏は、バランス感の長けた政治家であるが・・・要注意なんでしょうね■各地に線状降水帯、広範囲で大雨 東海道新幹線、全線で運転見合わせ2023年6月3日 (2023年6月2日登録)西日本一帯に避難警報が出ている模様です。■事故から12年後に里帰りした元町職員 未練断ち切った「けれど…」2023年5月31日 (2023年5月31日登録)被災の原因は地震、津波にあるとしても、政府や東電の無慈悲という人災でもあったようですね。■ウクライナはなぜF16を求めたのか? カギを握る総合力と戦い方2023年5月30日 (2023年5月31日登録)「ロシア領内を攻撃したい」という誘惑にかられる可能性もあるようですね。(後略)*********************************************************朝日新聞デジタル>スクラップブックhttps://digital.asahi.com/member_scrapbook/
2024.05.24
コメント(0)
SF小説から科学書まで、サイエンス・ブックを網羅した『サイエンス・ブック・トラベル』という本が面白かったので・・・以下のとおり復刻して読んでみよう。*********************************************************図書館で『サイエンス・ブック・トラベル』という本を、手にしたのです。【サイエンス・ブック・トラベル】 山本貴光著、河出書房新社、2017年刊<「BOOK」データベース>より“いま”と“これから”がわかる。気鋭の科学者ら30名が自然科学の眼差しで捉えた世界の姿!!【目次】1 宇宙を探り、世界を知る(この世界の究極の姿は何か?/人はなぜ宇宙を探るのか?/光より速く進むことは可能か? ほか)/2 生命のふしぎ、心の謎(心はどこにあるのだろうか?/動物はどんなふうに働いているのか?/生物は、細胞は、果たしてどう進化してきたのか? ほか)/3 未来を映す(私たちが“身体性”を備えるとはどういうことなのか?/科学的な思考とは何か?/未来の医療はどうなるだろうか? ほか)<読む前の大使寸評>追って記入rakutenサイエンス・ブック・トラベル「SF小説と科学書の類似」が語られているので、見てみましょう。p190~192<22 SF小説を書くには?:藤井太洋> 1976年に初版が発行され、平成元年の1989年に増補改訂されたリチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』はこう始まる。 “この本はほぼサイエンス・フィクションのように読んでもらいたい” サイエンス・フィクション=SFというジャンルの文学を定義するのは難しいが、多くのSF作家が宇宙開発や時間旅行、人工知能が支配する社会やジェンダーの溶け合った遠い未来を通して人が不思議や神秘に触れたときに感じるときめき・・・“センス・オブ・ワンダー”を描こうと日夜努力していることは共通している。 そんな日々を送っている身にとって、この序文は挑発的だ。 科学者が? 科学書で? SFのように読める? 甘く見るんじゃないよ、と言いたくなるところだが、実のところ本書は優れたサイエンス・フィクションのように読めてしまう。 科学書なので当然ではあるが、ドーキンスは物語を前に進めるためにSF作家がやるような嘘や隠蔽を混ぜない。喩えの中に混入してしまう正確でない言い回しの意図を修正するために、五月蠅いと思えるほどに紙面を割いてすらいる。日本人には馴染みの薄い宗教に対する言葉など、何度繰り返せば気が済むのかと感じてしまうほどだ。それでも本書は面白く読めてしまう。 ドーキンスの語り口は、SF作家が作品の中で架空の事物を作り上げていく方法とそっくりだ。先入観を覆すような言葉で読者の興味を惹いておいて、手触りの感じられる事例を丁寧に紹介しながら伝えるべき理論を積み上げる。最後に力強く、冒頭で示した言葉の意味を述べる。 特に第12章「気のいい奴が一番になる」で扱われるゲーム理論と進化的に安定な戦略・・・ESSのくだりは秀逸だ。囚人のジレンマという思考ゲームで、遺伝子が生命に行わせている戦略が徐々に明かされていく。ゲームノプレイヤーがとる戦略の「やられたらやり返す」というフレーズは、事例がサッカーのゲームや離婚訴訟に及んでも繰り返されるが、最後に「利己的な遺伝子」という本書のテーマを強く補強するチスイコウモリの“献血”事例に帰着して、1世紀以上も居座っている“血まみれの自然”という先入観を打ち砕く。 まるでよく書けた短篇小説のような美しい構成だ。私は何度も読み返しているが、実際のところ本書がなければ、いくつかの重要なSF作品は生まれなかったか、全く違う読み心地となっていただろう。 本書の主たる主張である生物=生命機械論や『利己的な遺伝子』というフレーズだけをとってもマイケル・クライトンの『ジュラシックパーク』や瀬名秀明『パラサイト・イヴ』、岩明均『寄生獣』などにその影響は色濃く出ている。そして進化論というアイディアがDNAに留まらないことを示してみせた“ミーム”に至っては、SF作品において文化を技術的に操作することへのもっともらしさを加えるための必須のアイディアの一つともなっている。 「論」や「説」が生まれた場所とその熱気を知ることは難しいのだが、“ミーム”に関しては『利己的な遺伝子』から始めればよい。その一点だけでも本書の価値は計り知れない。 もう一つ驚くべき事がある。40年近く前に書かれた科学書だというのに、その論旨と事例が全く古びていないことだ。これは驚愕に値する・・・正直に言えば、羨ましい。 東西冷戦が終わったために、スパイ小説家たちは頭を抱えたというが、PCとIT革命は同様にSFを書きにくい時代にしたと言われている。私たちが住む21世紀の社会は情報革命によってかつて描かれていたSFを超えつつあるからだ。『利己的な遺伝子』を以前に読んだので紹介します。【利己的な遺伝子】リチャード・ドーキンス著、紀伊国屋書店、2006年刊<「BOOK」データベース>より「なぜ世の中から争いがなくならないのか」「なぜ男は浮気をするのか」-本書は、動物や人間社会でみられる親子の対立と保護、雌雄の争い、攻撃やなわばり行動などが、なぜ進化したかを説き明かす。この謎解きに当り、著者は、視点を個体から遺伝子に移し、自らのコピーを増やそうとする遺伝子の利己性から快刀乱麻、明快な解答を与える。初刷30年目を記念し、ドーキンス自身による序文などを追加した版の全訳。【目次】人はなぜいるのか/自己複製子/不滅のコイル/遺伝子機械/攻撃ー安定性と利己的機械/遺伝子道/家族計画/世代間の争い/雄と雌の争い/ぼくの背中を掻いておくれ、お返しに背中をふみつけてやろう/ミームー新登場の自己複製子/気のいい奴が一番になる/遺伝子の長い腕<読む前の大使寸評>待つこと2週間、わりと早くゲットできたが・・・世界的なベストセラーという本でも、ちょっと古いのが狙い目かも♪<図書館予約:(12/05予約、12/18受取)>rakuten利己的な遺伝子お薦めの4冊1 リチャード・ドーキンス『利己的な遺伝子』2 カール・セーガン『COSMOS』3 ブライアン・グリーン『エレガントな宇宙』4 福田和代『宇宙へ』『サイエンス・ブック・トラベル』3:利己的な遺伝子『サイエンス・ブック・トラベル』2:進化とは何か『サイエンス・ブック・トラベル』1:歴史を変えた火山噴火
2024.05.21
コメント(0)
手許不如意の大使は外出時には、サイゼリアですますことが多くなりました。だって最近はラーメンが千円近くするので、サイゼリアのコスパがより魅力的に映るわけです。・・・というわけで、ヤマザキマリが説くイタリア料理を復刻して読み直してみます。*********************************************************図書館で『パスタぎらい』という本を、手にしたのです。ヤマザキマリが説くイタリア料理ってか・・・これはいけるかも♪【パスタぎらい】 ヤマザキマリ著、新潮社、2019年刊<「BOOK」データベース>よりイタリアに暮らし始めて三十五年。断言しよう。パスタよりもっと美味しいものが世界にはある!フィレンツェの絶品「貧乏料理」、シチリア島で頬張った餃子、死ぬ間際に食べたいポルチーニ茸、狂うほど愛しい日本食、忘れ難いおにぎりの温もり、北海道やリスボンの名物料理…。いわゆるグルメじゃないけれど、食への渇望と味覚の記憶こそが、私の創造の原点ー。胃袋で世界とつながった経験を美味しく綴る食文化エッセイ。<読む前の大使寸評>ヤマザキマリが説くイタリア料理ってか・・・これはいけるかも♪rakutenパスタぎらい第3章でオリーブ・オイルが語られているので、見てみましょう。p85~87<第3章 それでもイタリアは美味しい>■「万能の液体」オリーブ・オイル イタリアの家庭において絶対に切らしてはいけない調味料といえば、オリーブ・オイルをおいて他にない。 いざ料理する段階となって、オリーブ・オイルを切らしているのに気付くイタリア人で、軽いパニックになる人は少なくないはずだ。実際私も、舅が最後のオリーブ・オイルを使い切っておきながら、新しいのを補填しなかったことに姑が激怒して、その日の食事の準備を放棄してしまったのを目にあたりにしたことがある。 かといって、慌てて近所のスーパーで買ってきたところで、事態が円満に修復されるとは限らない。イタリアではその家庭それぞれにオリーブ・オイルへのこだわりというのが強くあり、どこのものでもいいということは決してない。例えば我が家の場合であれば、オリーブ・オイルはスーパーなどで小売店で購入するのではなく、二世代前から世話になっている農家から分けてもらっているものを使うのが定番だ。どんなに高級で高いオリーブ・オイルを買ってきても、喜んで使ってくれるわけではないのである。 イタリアのサッカーのナショナルチームが海外に遠征する時に、専属の調理師を伴っていくのは有名な話だが、その時に携帯する調味料として絶対に欠かせないのがオリーブ・オイルである。それもおそらく慣れ親しんだものでなければいけないはずだ。 選手によっては自分のコンディションの不調をオリーブ・オイルの味が普段と違うことを理由にしたりもするだろう。もし、普段使っているものが入手できない場合は、せめていつも使っているのと同じ生産地域のもの、それが厳しければせめてイタリア国内のもの、という優先順位になるだろう。 十年ほど前、当時暮らしていたポルトガルからイタリアの実家に持ってきた、お薦めのポルトガル産オリーブ・オイルは、いまだに台所の棚の中にしまわれていて、使われる気配はない。オリーブ・オイルはワインと並び、彼らにとって極めて保守的な食材なのである。 日本だと「オリーブ・オイルごときでそんな大袈裟な」と思われる方もいるかもしれない。例えば醤油にしても、決して全ての料理に使う訳ではない。しかしオリーブ・オイルに関しては、あらゆるイタリアの食事にとって必要不可欠なものなのだ。 パスタでもスープでも調理の段階で用いるだけではなく、食べる直前にも、さらにオリーブ・オイルを上から垂らす。ドレッシング文化のないイタリアでは、サラダを和えるのにもオリーブ・オイルは欠かせないし、肉や魚がどのような形態で調理されても、その上にはやはりオリーブ・オイルが掛けられる。 私が貧乏学生時代によく食べていた「アーリオ・オリオ・エ・ペペロンティーノ」にしても、オリーブ・オイルさえそこそこ美味しければ、かなり贅沢な気持ちになれる。 古代ギリシャや古代ローマの人たちは、朝ごはんにオリーブの実を食べたり、オリーブ・オイルの掛かったパンを食べていたとされているが、「地中海人」たちの徹底的なオリーブ・オイルへの執着は、おそらくあの頃から培われたものなのだろう。『パスタぎらい』3:スパゲッティ・ナポリタン『パスタぎらい』2:恋しいラーメン『パスタぎらい』1:アーリオ・オリオ・エ・ペペロンティーノ*********************************************************
2024.05.21
コメント(0)
朝日の「歴史学者・網野善彦 没後20年 いま読む意義は」という記事を歴史のファイルにスクラップしたのだが・・・デジタル朝日でも「「日本」とは何か、問い続けた網野善彦 没後20年に読み直す意義」として流れているので、紹介します。また、紙とデジタルデータのダブル保管になったが・・・いつものことで(汗)*********************************************************「日本」とは何か、問い続けた網野善彦 没後20年に読み直す意義より 戦後の歴史学を主導し、新たな日本史像を描き出した歴史学者・網野善彦の死去から20年。今年3月までに主著「中世荘園の様相」と「日本中世の非農業民と天皇」(上・下)がともに岩波文庫で出版され、「無縁・公界(くがい)・楽」増補版など平凡社ライブラリーの各著作も再び注目を集める。「網野史学」の重要な舞台の一つは、被災した能登半島だ。網野と同じ日本中世史の専門家2人に、いま網野の著作を読む意義を聞いた。 ◇ 明治大教授の清水克行さん(52)は網野本人と接した最後の世代。1990年代に学生時代を過ごし、わずかに生前の網野と言葉を交わしたことがある。「誰に対しても分け隔てない豪放磊落(らいらく)な人柄が印象に残っている」 清水さんは当時を「昭和から平成へと天皇の代替わりがあり、天皇の存在をいや応なく意識させられる時代状況があった」と振り返る。「戦争責任を問う左派と戦前を肯定する保守派。そうした緊張関係のもとで網野さんは中世以来の海の民や山の民、芸能民などの非農業民と天皇の関係を論じた。天皇の歴史的なあり方を網野さんのような視点で語る人は他にいなかった」 清水さんは、網野の主要著作の時代背景には、高度成長下で起きた地方農村の衰退と生活スタイルの都市化をふまえる必要があると指摘する。 「網野さん自身、日本各地で農村の変容を目の当たりにしており、民俗学や文化人類学の発想もあった。地震に見舞われた能登半島もその舞台の一つだった」■自由な中世像 2000年代以降に転機 網野は神奈川大学日本常民文化研究所に長く籍を置いた。「古文書返却の旅」(中公新書)に記すように、網野は80年代半ばから約10年かけて、代々庄屋を務めた家に伝わる時国家(ときくにけ)文書(石川県輪島市)の調査に取り組み、独自の歴史像を確立していく。「時国家文書の中には、農民としては貧しい身分とされたが実態は裕福で、日本海側の海運で富を築いた者の姿も確認できる。非農業の営みにより初期の資本蓄積が起きていた」 石高で豊かさを示す江戸時代以来の固定観念を取り払う発想の転換が起きた。 「稲作中心の階級闘争の視点に立つマルクス主義的な歴史観の不自由さから転じた網野さんの議論に多くの読者が魅力を感じ、流動性が高い自由な日本中世像にロマンを抱いた」 高度成長期にヒッピー、バブル期にはフリーターがもてはやされた。97年には網野の影響が色濃い宮崎駿監督の映画「もののけ姫」が公開された。 2000年代に入ると、非正規雇用や格差拡大へと社会の関心が向かった。自由な中世像も転機を迎えていると清水さんは見る。「いま網野さんの著作を読めば、戦乱や飢饉が多い中世の自力救済、いわば弱肉強食の悲惨さにまず目が向かうかもしれない。こども食堂をアジール(聖域・避難所)の歴史的系譜に位置づけることもできる」 清水さんは「天皇の歴史的あり方への関心が低い、天皇を必要としないナショナリズムが浸透し、史実を軽視した物語や陰謀論が目立つ中で、日本の歴史全体を見渡す網野さんの歴史像は価値を失っていない」と見る。■原史料を丹念に 能登は原点の一つ 東京大教授の桜井英治さん(62)は、ともに通史シリーズの編集委員を務めた網野を「純真な人」と形容する。「網野さんの熱量を支えていたのは発見の喜び。売れっ子になってどんなに忙しくても、全国各地にある原史料を丹念に読み解く作業を忘れなかった。能登半島はそうした研究の原点の一つだった」 04年の死の直前まで網野が向き合った問いは「日本とは何か」だった。北方や南方の独自性、東日本と西日本の違いなど「日本」がもつ多様性を強調した。 「網野さんは講演でよく北と南を上下逆にした富山県発行の日本地図を見せた。千島から台湾まで島々が弧を描き日本海は東アジアの内海。能登はその中心に位置する。見方を変えれば辺境が中心だと伝えたかったのでは」(清水さん) 網野の歴史学は必ずしも異端ではない。中世の重層的な土地支配構造を整理した「荘園公領制」の議論は定説とも言える。 桜井さんは網野の著作を読み直す意義を強調する。「網野さんは、人類はいま壮年期にあり壮年期ならではの知恵があるはずとよく語っていた。閉塞感に満ちた時代だからこそ網野さんの言葉は若い世代の心にもきっと響くはずだ」(大内悟史)この記事も網野善彦の世界に収めておくものとします。
2024.05.13
コメント(0)
にぎり寿司、天ぷら、うなぎ、蕎麦など和食が頭の中に満ちてくるわけで・・・『浮世絵に見る江戸の食卓』という本を復刻して読み直してみようと思い立ったのです。*********************************************************図書館で『浮世絵に見る江戸の食卓』という本を手にしたが・・・にぎり寿司、天ぷら、うなぎ、蕎麦など現代でも愛される食文化が江戸時代に確立していたことがすごいと思うわけでおます。【浮世絵に見る江戸の食卓】林綾野著、美術出版社、2014年刊年刊<商品説明>より食のシーンは、浮世絵の世界に度々描かれてきました。鰹の初売り、夏の白玉、雪中の蕎麦屋など。そこには今もなお受け継がれる食文化があり、また失われてしまった食習慣に気づくこともあります。食を描いた浮世絵を紐解きつつ、そのレシピも紹介する一冊。<読む前の大使寸評>にぎり寿司、天ぷら、うなぎ、蕎麦など現代でも愛される食文化が江戸時代に確立していたことがすごいと思うわけでおます。rakuten浮世絵に見る江戸の食卓《園中八撰花 松》屋台で普及した、「天麩羅」を見てみましょう。p30~31<天麩羅> 今まさに食べようとしているのは、海老の天麩羅。くるっとまるまった形、衣の下にうっすら赤い海老の色が透けて見える。尻尾は落とし、薄めの衣で揚げた天麩羅だ。奥には汁を入れた青い器が見える。 天麩羅は、寛永元年に出された、36種の献立を紹介する『歌仙の組糸』に作り方が記されている。魚介に小麦粉と玉子を練った衣をつけ、油で揚げるという方法は今とあまり変わらない。『守貞マン稿』によると具材は「あなご、芝ゑび、こはだ、貝の柱、するめ」など。 魚介を揚げたものを天麩羅と呼び、野菜を揚げたものは、野菜揚げ、精進揚げなどと呼ばれた。国芳がこの絵を描いた頃、天麩羅はすっかり江戸の屋台料理で定番となっていた。 火事の多い江戸では、室内で油を使うことは禁じられていたため、屋台でまずは普及し、値段も安かった。蕎麦屋で蕎麦が一杯十六文、そこに芝海老の天麩羅を3、4つのせると三十二文。江戸の屋台や蕎麦屋で天麩羅は気軽な食べ物として親しまれたのだ《源氏雲浮世画合 桜丸女房八重》お次は家庭料理でもある白和えを見てみましょう。p68<すり鉢の恩恵 濃厚な江戸の白和え> 歌舞伎『菅原伝授手習鑑』の1シーンを描いたこの絵では、大きなすり鉢とすりこぎが存在感を放つ。桜丸の妻である八重は、ある祝宴のためにこれから料理の腕を振るうところである。微笑みながらすりこぎを手にする姿は、「さあ、これから料理しよう」という気負いを感じさせる。 江戸時代、丹波焼や堺の湊焼など、丈夫なすり鉢が出回るようになり、庶民にも普及し、料理の幅がぐっと広がった。豆腐、味噌、胡麻、それぞれをすり鉢でする白和えは、江戸で親しまれた豆腐料理のひとつ。『豆腐百珍続編』にも登場し、魚介類を和える調理法が紹介されている。普段の食材に、もう一手間かけるだけでできる気の利いた一品である。『浮世絵に見る江戸の食卓』2:『浮世絵に見る江戸の食卓』1:■2018.11.04XML『浮世絵に見る江戸の食卓』2https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201811040000/
2024.05.13
コメント(0)
季刊マンガ誌「COMICばく」が刊行されていた当時、この雑誌を見たことはなかったのだが、つげ義春をメインに据えた純文芸誌的スタンスがいいではないか♪・・・ということで以下のとおり復刻して読み直してみましょう。*********************************************************図書館で『「COMICばく」とつげ義春』という本を、手にしたのです。マンガ界における純文芸誌ってか・・・執筆者につげ兄弟、杉浦日向子、林静一らのビッグネームも見える凄い雑誌やないけ♪ほとんど独力で、この雑誌を出版した著者も凄いけど。【「COMICばく」とつげ義春】夜久弘著、ベネッセコ-ポレ-ション、1989年刊<「BOOK」データベース>より1984年に創刊され、87年までの4年間に15号刊行された季刊マンガ誌「COMICばく」は、強烈な個性をもった作家をずらりと並べた〈マンガ界における純文芸誌〉として、熱狂的ファンの支持をうけた。その「COMICばく」の看板ともいえたのがつげ義春で、寡作をもって鳴る彼が毎号(!)作品を発表するということ自体、重大事件と呼んでも決しておおげさではなかった。本書は、ほとんど独力で雑誌を作りつづけた著者が、創刊からやむなく休刊にいたるまでの迂余曲折を綴った、「もうひとつのマンガ史」である。<読む前の大使寸評>マンガ界における純文芸誌ってか・・・執筆者につげ兄弟、杉浦日向子、林静一らのビッグネームも見える凄い雑誌やないけ♪ほとんど独力で、この雑誌を出版した著者も凄いけど。rakuten「COMICばく」とつげ義春『ばく』最終号あたりを、見てみましょう。p206~210<ついにギブアップ> 1987年9月18日、ぼくはつげ義春と調布の深大寺にいた。 『ばく』最終号に掲載するためのインタビューを行なうためだった。つげ義春は3ヶ月前に14号に掲載する原稿を手渡し、ギブアップを宣言していた。 「今までなら、不安神経症で自分が悩んでいても、女房は夜久さんと同じで原稿描け描けと尻を叩くんだけど、今は休めっていってるんですよ。今回はそれぐらい症状が重いのね」 ぼくは奥さんにならったわけではなかったが、もう引き留めようとは思わなかった。『ばく』を出すことに、ぼく自身も疑問をもちはじめていたところだった。 つげ義春は終始『ばく』に苦しみつづけていた。日本文芸社も『ばく』の存在が重荷になっていた。そしてぼくもはっきりいえば苦しかった。みんなそれぞれの立場で懸命になって苦しんでいたのだ。 もうみんな苦しみから解放されてもいいんじゃないだろうか、そういう時期に来ているんじゃないだろうか、ぼくはそう思った。 2時間余にわたるインタビューを終えて、つげ義春とぼくは駅へ向かった。 「終わりましたね」 「そうね」 そんなことばをかわして、ぼくらは、ただ黙々と歩きつづけた。<夢の終わり> ぼくは、最終号の編集後記を次のようにしめくくった。 ☆…空を飛ぶ夢をよく見ます。小高い丘のような場所から、地を蹴って体を水平にすると、ふんわりと自分が宙に浮くのです。意志を働かせれば、思い通りに中空を遊泳できます。無重力、浮遊感を味わうのはなかなかの快感です。 ときどき恐いことが起こります。いつのまにか自分はとてつもなく高所に舞い上がっているのです。こんなところから落下したら、ひとたまりもないぞ、思うと同時に自分の体は地上に向かって急降下を始めています。ビルや道路や樹木がどんどん大きくなって眼の前に迫ってきます。ああっ! ぼくは声にならない声をあげ、8割がた観念をする。残りの2割に現実の意識が入りこむ。「これは夢なんだ、やがて覚めてしまう夢なんだ」…と。(中略) ☆…街を歩けば、あちらこちらにその日に発売されたマンガ誌が捨てられています。ぼくの女房がいいました。「マンガ誌なんて、ああやって読み捨てにして惜しくない値段、だからマンガ誌なのよ」たぶん、それは現実に見合った正解なのだろう。だとすれば、正反対の条件を持ち合わせた『ばく』の苦戦は自明の理で、敢えて存在を世に問うこともなかったのかもしれない『ばく』最終号について、くだんのフォームで紹介します。【『COMICばく』第15号休刊最終号】季刊雑誌、日本文芸社、1987年 <ヤフオク☆おすすめポイント>より 『COMICばく』は1984年から1987年までの4年間に、わずか15号巻のみ刊行された伝説の季刊マンガ誌の最終号です。強烈な個性をもったガロ系作家をずらりと並べ、マンガ界における純文芸誌として、熱狂的ファンの支持をうけた漫画雑誌で、こちらは休刊となる最終号となります。最終第15号には、創刊のきっかけともなったつげ義春先生の希少な写真付きロングインタビューが掲載されております。発行部数も限られたシュールでコアな漫画誌の最期の発刊部ですので、お探しの方にオススメの一冊です。 <読む前の大使寸評>【ご注意】ヤフオクは1987円で終了しています。yahoo『COMICばく』第15号休刊最終号『「COMICばく」とつげ義春』1:杉浦日向子の登場『「COMICばく」とつげ義春』2:「石を売る」の原稿を受けとった『「COMICばく」とつげ義春』3:在庫はゼロになったけど
2024.05.10
コメント(0)
先日『宇宙はなぜこんなにうまくできているのか』という本を紹介したが、同著者でよく似たタイトル『宇宙はなぜ美しいのか』と言う本を以下のとおり復刻して紹介します。*********************************************************図書館に予約していた『宇宙はなぜ美しいのか』という新書を、待つこと7ヶ月ほどでゲットしたのです。 ぱらぱらとめくってみると、カラー画像も多くてビジュアルであり、解説もわりと物理学的でかつ、美しくなっているのが、ええでぇ♪【宇宙はなぜ美しいのか】村山斉著、幻冬舎、2021年刊<「BOOK」データベース>より夜空を彩る満天の星や、皆既日食・彗星などの天体ショー。古来、人類は宇宙の美しさに魅せられてきた。しかし宇宙の美しさは、目に見えるところだけにあるのではない。これまで宇宙にまつわる現象は、物理学者が「美しい」と感じる理論によって解明されてきた。その美しさの秘密は「高い対称性」「簡潔さ」「自然な安定感」の3つ。はたして人類永遠の謎である宇宙の成り立ちを説明する「究極の法則」も、美しい理論から導くことができるのか?宇宙はどこまで美しいのか?最新の研究成果をやさしく解説する知的冒険の書。<読む前の大使寸評> ぱらぱらとめくってみると、カラー画像も多くてビジュアルであり、解説もわりと物理学的でかつ、美しくなっているのが、ええでぇ♪<図書館予約:(7/14予約、副本2、予約19)>rakuten宇宙はなぜ美しいのか「第1章 宇宙はこんなに美しい」からブラックホールの撮影を、見てみましょう。p53~55<ブラックホールの写真を撮ることに成功!> ブラックホールは入ってしまうと光も出ないので、直接見ることができません。ですが、2019年、初めてブラックホールの「写真」を撮ることに成功しました。 先ほど出てきたM87銀河は、私たちの銀河系の10倍ほど星がある大きな楕円銀河です。この銀河では、中心から高速で高エネルギーのガス「ジェット」が噴き出しています。何かとてつもないものが中心にあるに違いありません。 考えられるのは「超大質量のブラックホール」です。太陽の何十億倍もの重さのあるブラックホールの周りをガスがぐるぐる回り、落ち込むものもあれば噴き出すものもあるのだと考えられています。 大きさが太陽と地球の距離の120倍もある巨大なブラックホールですが、なにせ5350万光年先。よほど小さいものが見える望遠鏡でないと、その姿を写真に撮ることはできません。小さいものを見るには光景が大きな望遠鏡が必要です。しかもM87銀河の中心には星や塵がたくさんあり、ふつうの光は届きません。 このような観測で使われるのが電波望遠鏡です。 車でラジオを聞いていると、FMは建物の陰に入ると聞こえなくなりますが、AMは大丈夫。波長の長い電波は障害物を回り込んで届くからです。これと同じで、電波を使うと星や塵を回り込んで、銀河の中心からでも信号が届きます。 電波を使って天体を見る電波望遠鏡は、地球上のいろいろなところにあります。それらをつないでひとつの地球サイズの望遠鏡として使えれば、計算上、M87の中心のブラックホールのような小さいものも見える。私の視力の0.3に比べたらはるかに目がいい、視力1.4億が実現できるはずです。 そんな野心的なプロジェクトが始まり、日本も大きな貢献をしました。日本、アメリカ、カナダ、ドイツ、フランス、オランダ、スペイン、メキシコ、中国、台湾、韓国という、文字どおり地球サイズの国際協力プロジェクトです。 プロジェクトの名前は「イベント・ホライズン・テレスコープ」といいます。ブラックホールの周りの、出てこられるところともう決して出てこられないところの境目を「事象の地平線」といいます。英語ではイベント・ホライズンです。 「地平線」とは、たとえば山の上から海を見ると、地球が丸いために、あるところから向こうは見えない、この境目のことです。「事象」というのは、何かしら起きている現象のことです。「事象の地平線」とは、この境目の内側で起きたどんな事象も見ることができない境目のことです。そのイベント・ホライズンを見るテレスコープ(望遠鏡)というのが、このプロジェクトの触れ込みです。 こうして撮ったブラックホールの写真が写真[1-29]です。[1-29]M87の中心のブラックホールのシャドウ 周りの明るいところがブラックホールの周りを回るガス、真ん中の黒いところの縁は光がブラックホールの周りを公転してしまって出てこられなくなる「光子リング」、光子リングの内側の半径3分の2ぐらいのところに「事象の地平線」があります。写真の下半分はガスが私たちの方を向いているので明るく、上半分はガスの運動が遠ざかっているので暗く見えています。2019年、日本を含む国際研究チームの観測によって、ブラックホールが初めて視覚的に証明されました。2019/04/11ブラックホール初撮影 5500万光年先を直接観測 日本など国際チームより あらゆる物質をのみ込む巨大ブラックホールの撮影に、国立天文台などの国際研究チームが世界で初めて成功し、10日発表した。世界6ヵ所の望遠鏡で同時に観測して解像度を飛躍的に高め、真っ黒な穴を捉えた。ブラックホールの存在を直接裏付けたことになり、銀河の成り立ちの解明につながる。 撮影に成功したのは、地球から約5500万光年離れた銀河「M87」にあるブラックホール。 ブラックホールは重力が極めて強く、光も吸い込んでしまう。光が脱出できなくなる境界は「事象の地平線」と呼ばれる。巨大ブラックホールは宇宙に無数ある銀河の中心にそれぞれ存在すると考えられているが、誕生の仕組みなどはわかっていない。これまでは、周囲を回る星の動きなどから、間接的に存在を確認していた。 研究チームは、宇宙空間のちりなどに吸収されにくく、地球まで届きやすい電波「ミリ波」に着目。ブラックホールに吸い込まれる際に周囲のガスが発するミリ波を観測し、画像に変換することを試みた。 2017年4月、南米・チリのアルマ望遠鏡や米ハワイ、南極など世界6ヵ所、計八つの電波望遠鏡を使って計5日間、M87と、天の川銀河の中心にある「いて座A*(エースター)」のブラックホールを観測した。 最大約1万キロ離れた望遠鏡のデータを合成することで、解像度を月面に置いたゴルフボールを地球から見分けられるほどに高め、わずかな電波を捕捉。約2年かけ解析した結果、M87の画像では、ガスの光に包まれた黒いブラックホールの姿が確認できた。質量は太陽の約65億倍に相当することがわかった。いて座A*については解析中という。 研究チームで日本の代表を務める国立天文台の本間希樹(まれき)教授は会見で「写真はアインシュタインの相対性理論以来初めて、ブラックホールを視覚的に証明するもの。銀河の真ん中にブラックホールが存在することを決定づける意味のある一枚だ」と話した。(石倉徹也、小宮山亮磨)『宇宙はなぜ美しいのか』3:ブラックホールの撮影『宇宙はなぜ美しいのか』2:星の誕生『宇宙はなぜ美しいのか』1:「はじめに」『宇宙はなぜこんなにうまくできているのか』(復刻)もお奨めです。この記事も『ブラックホールを見たいR3』に収めるものとします。
2024.05.07
コメント(0)
『宇宙はなぜこんなにうまくできているのか』という本を再度読み直したいわけで・・・以下のとおり復刻します。*********************************************************図書館で『宇宙はなぜこんなにうまくできているのか』という本を、手にしたのです。朝日新聞の連載コラム「村山斉の時空自在」を3年間も続けた村山博士である。難しい事象を読みやすい筆致で面白く書くことにかけては、天下一品でんな♪【宇宙はなぜこんなにうまくできているのか】村山斉著、集英社、2012年刊<商品説明>よりこれほどやさしい宇宙論の本はなかった!なぜ太陽は燃え続けていられるのか。なぜ目に見えない暗黒物質の存在がわかったのか。なぜ宇宙はこんなにも人間に都合よくできているのか・・・宇宙の謎がよくわかる、村山宇宙論の決定版。<読む前の大使寸評>朝日新聞の連載コラム「村山斉の時空自在」を3年間も続けた村山博士である。難しい事象を読みやすい筆致で面白く書くことにかけては、天下一品でんな♪rakuten宇宙はなぜこんなにうまくできているのか「第7章 宇宙の未来はどうなるのか」で、宇宙のインフレーションを見てみましょう。p168~173<膨張の後押しする暗黒エネルギー> 宇宙には目に見える星や目に見えない暗黒物質を含めて、たくさんの物質が音在します。その量は変わらないので、宇宙が膨張すれば密度は薄まるのはわかりますよね? たとえば宇宙の大きさ(二点間の距離)が二倍になれば、体積は(タテ×ヨコ×高さですから)その三乗の八倍になります。体積が八倍になれば、その中にある物質の密度は八分の一に薄まるわけです。 そうやって物質の密度が薄まれば、空間内部のエネルギーも薄まるでしょう。そのエネルギー宇宙を押し広げているのですから、宇宙が膨張するにつれて速度は遅くなっていくはずです。 ところが、その膨張が実は加速していました。つまり、膨張するにつれて薄まるはずのエネルギーが、逆に増えているわけです。こんなに不思議な話はないでしょう。いわば、時間が経てば冷めていくはずのコーヒーが、どんどん温度を上げていくようなものです。どこかから謎のエネルギーが加わっているとしか考えられません。 この謎のエネルギーを、研究者たちは「暗黒エネルギー(Dark Energy)」と名付けました。暗黒物質と同様、とにかく正体がさっぱりわからないので、とりあえずそんなふうに呼んでおくしかありません。暗黒エネルギーは、宇宙が広がるたびにどこからともなく増え続け、放っておけば減速してしまう膨張をぐいぐい後押ししているのです。 その暗黒エネルギーが宇宙全体に占める割合は、2003年にわかりました。それを調べたのが、第5章に登場したウィルキンソン・マイクロ波異方性探査機WMAPです。その観測結果も、宇宙研究者を大いに驚かせました。 宇宙にある物質をエネルギーに換算すると(E=mc2を思い出しましょう)、原子でできている通常の物質は。たったの4.5パーセントにすぎません。物質の五倍もある暗黒物質も、宇宙全体から見れば約23パーセント。そして、残るおよそ73パーセントを暗黒エネルギーが占めているのです。 エネルギーという観点から考えれば、宇宙は大半が暗黒エネルギーでできているといっても過言ではありません。その正体がわからなければ、宇宙のことを理解したとはとてもいえないでしょう。日本でも、直径8.2メートルの鏡を持つ世界最大級のすばる望遠鏡を使って暗黒エネルギーの正体を暴こうという「すみれ計画」を進めているところです。(中略) およそ100年も前に、暗黒エネルギーの存在を予見していたかのように思える計算をしたアインシュタインには驚かされます。彼が遺した宇宙定数は、宇宙論を研究するすべての科学者に与えられた宿題のようなものだといえるのではないでしょうか。<インフレーション宇宙論> もちろん、超新星の観測で加速膨張の事実がわかって以来、多くの研究者が暗黒エネルギーの謎に取り組んでいます。まだ何もわかっていないに等しい状態ではありますが、その研究の中で、ひとつ大きな疑問が生じました。暗黒エネルギーそのものが大きな疑問ではあるのですが、実はその量が少なすぎると思われるのです。 これを本気で説明すると例の量子力学から始めることになるので、ごく簡単にお話しします。細かいことはさておき、ともかく「真空」にエネルギーがあると思ってください。ふつう、真空とは空気も何もないカラッポのように見えるところでも、粒子と反粒子が対生成と対消滅を繰り返しています。対生成を起こすにはエネルギーが必要ですから、何もないと思われている真空からエネルギーを「借りている」としか考えられません。その「借金」を、対消滅のときに生まれるエネルギーで「返済」しているのです。(中略) そして、この「真空のエネルギー」は、膨張して体積が増えると、その分だけ大きくなります。ならば当然、暗黒エネルギーは真空のエネルギーではないかと思いますよね? 実際、その可能性は高いでしょう。実は誕生直後の宇宙も、この真空のエネルギーによって凄まじい勢いで膨張したと考えられます。 これは「インフレーション宇宙論」と呼ばれる考え方で、30年ほど前に、東京大学名誉教授の佐藤勝彦先生とアメリカの物理学者アラン・グースがほぼ同時に発表しました。宇宙誕生の10のマイナス36秒後から10のマイナス34秒後というほんのわずかな時間に、宇宙が倍々ゲームで急膨張したとする理論です。 これは、いわゆるビッグバンではありません、一般的には「宇宙の始まりは」だと思われていますが、宇宙論でいうビッグバンは、このインフレーションが終わってから「真空のエネルギー」が熱に変わり、熱い宇宙になったもの。急膨張が済んでからビッグバンが起こり、そこからは膨張速度がゆっくりになったと考えられています。ウーム 論旨明瞭だけど、意味不明ですね・・・それだけ難しいところなんでしょう。2012年発刊のこの本では、まだヒッグス粒子(2012年に発見)に触れていません。そのヒッグス粒子についてネットを巡ると最後の素粒子「ヒッグス粒子」の発見はさまざまな謎の解明のスタート台がヒットしました。『宇宙はなぜこんなにうまくできているのか』5:宇宙のインフレーション『宇宙はなぜこんなにうまくできているのか』4:宇宙の晴れ上がり『宇宙はなぜこんなにうまくできているのか』3:暗黒物質『宇宙はなぜこんなにうまくできているのか』2:ブラックホール『宇宙はなぜこんなにうまくできているのか』1:太陽系は「新興住宅地」?『宇宙はなぜこんなにうまくできているのか』(復刻)
2024.05.05
コメント(0)
早朝に散歩する太子であるが、南東の空に月と金星が見えるのです。ちょうど三日月の内側に金星が位置しているが、これって中東諸国が好むマークではないか。また、このマークは春分と関係があるのではないか?このところ宇宙や占星術の記事を見たり、書いたりしているが『日本のならわしとしきたり』という蔵書に二十四節季の記事があることを思い出したのです。【日本のならわしとしきたり】ムック、 徳間書店、2012年刊<内容紹介>ありふれたムック本ということなのか、ネットにはデータがありません。<大使寸評>とにかく「今日は七十二候でいえば、何になるか♪」を知りたいロボジーにとって、座右の書となるでしょう♪Amazon日本のならわしとしきたりこの本で、立夏のあたりを見てみましょう。和暦p13~14<立夏>空に幟、目には青葉若葉、風は緑の薫風 現行の暦(太陽暦)では、例年5月5日~6日ころが立夏となる。この日から立秋(8月7日ころ)の前日までが「夏」であり、俳句では、立夏から立秋の前日までの期間は夏の季語が用いられる。(中略) 立夏に入ると、大地が緑に染められ、樹木の葉は日々茂り、その色を濃くしていき、体感的にも夏の気配が感じられるころとなる。またこのころは比較的雨量が少なく、風が青葉若葉の色に染められ、文字通り風に香りがあるかのように爽やかな気候となる。ちなみに「風薫る」「薫風」はこの状態を表現した季語である。 このような気候風土をとらえて『暦便覧』には「夏が立つがゆへなり」と書かれている。 誤解されやすい言葉に「五月晴れ」がある。 これは梅雨最中にみられる「晴れ間」のこと。五月晴れの5月は、陽暦では梅雨入りした6月から7月ころになる。 立夏の期間の七十二候は以下の通り。 初候は「蛙始鳴」(かわずはじめてなく)であり、蛙が鳴き始めるころ。 次候は「蚯蚓出」(みみずいずる)であり、ミミズが暖かくなったので地上に這い出てき始めた。 末候は「筍生」(たけのこしょうず)であり、タケノコが生えて来る季節になった。 五月のこの季節、陽光が降り注ぎ、動物も植物もその生命力を誇示するかのように、芽吹いたつぼみが一斉に咲き始める。五月を「さつき」と読むのは、早苗を植える時期「早苗月」を略したものだと言われているが、あらゆる花が咲き始める、まさに百花繚乱の季節である。このように、二十四節季の紹介に務めてきましたが・・・ついに一巡し、(復刻)も三巡目に入ることになりました。二十四節季の清明にに注目(復刻)二十四節季の穀雨に注目
2024.05.04
コメント(0)
佐和子さんの絶対食感がするどいので、ええでぇ♪・・・ということで、復刻して読んでみたいのです。*********************************************************図書館に予約していた『アガワ家の危ない食卓』という本を、待つこと10日でゲットしたのです。佐和子さんは『聞く力』という本を出すなど、良識な人ではあるが・・・わりと言いたい放題で自己主張の強い人でもあるようです。・・・・ということで佐和子さんと父親とのノーガードのバトルを見てみましょう。【アガワ家の危ない食卓】 阿川佐和子著、新潮社、2020年刊<出版社>より朝ご飯を食べながら「今夜は何を食わせてくれるのかね?」と訊き、「まずいものは食いたくない」がモットーの父・弘之。そんな食いしん坊で怒りん坊の亭主と四人の子供のために台所に立ち続け、齢九十をこえた母。そして女優業にも忙しくなった娘。毎食が波乱含みの食卓の情景で綴る一家の歴史。和田誠氏への追悼文を附す。<読む前の大使寸評>佐和子さんは『聞く力』という本を出すなど良識な人ではあるが・・・わりと言いたい放題で自己主張の強い人でもあるようです。<図書館予約:(11/13予約、副本8、予約5)>shinchoshaアガワ家の危ない食卓佐和子さんのおにぎりを、見てみましょう。p49~52<素手にぎり> ゴルフに出かけるときはたいがいコンビニで朝ご飯を買う。寝静まる早朝の道路脇にてチロリンチロリンとドアの呼び鈴も高らかに、売場の奥へ歩み寄り、さておにぎりにしようか、それともサンドイッチにしようか。迷い迷ってどちらかを選ぶ。その日の気分にもよるが、六四の割合でおにぎりを選ぶことが多い。で、具は何にしようか、それとも梅か・・・。明太子、とり五目、ツナマヨ・・・。ああ、目移り。 人生は選択の積み重ねなりと心に唱えつつ、そして結局、梅か鮭をつかみ捕る。 それにしても今どきのおにぎりはよくできているものだ。海苔のパリパリ感を維持するためのプラスティック包装にしても、種類の豊富さにしても味ににしても、企業努力が尽くされている。思えば私が子どもだった頃、おにぎりを気軽に、しかもこれほど日常的に外で買うという環境はなかった。 おにぎりそのものの歴史はじゅうぶんに古いと聞く。江戸時代にはすでに旅人の携帯食として、あるいは農作業の合間の弁当として人々に愛されていたようだ。明治になると、旅館が竹の皮に包んだおにぎりを駅弁として売り出したという記録もある。 そういえば中学二年生のときに初めてスキー場へ行き、早朝に旅館の玄関に集合してゲレンデへ出発しようと支度をしていたら、半纏を着た旅館のおじさんが、参加者の子供たち一人一人に経木に包まれた弁当を配り始めた。おやおや、何だろう。紐を解いてこっそり中を覗くと、驚くほど大きな三角形をしたおにぎりが二つ、その脇にたくわんが二切れ添えられていた。「それが君たちのお昼ご飯。リュックにしまっておきなさい」 先生の声を耳にしながら、おかずなし? だいたいデカすぎるよぉと密かに顔をゆがめたが、とりあえずリュックに押し込む。しかし、そのあとゲレンデで転んだりスキー板が外れたり、なんとかボーゲンができるようになったり手がかじかんだり寒さのせいで目から涙が止まらなくなったりした末に、「はーい。お昼休み! ロッジに入ってお弁当を開けなさーい」 身体中にこびりついた雪の粉を叩き落とし、凍えた指先をさすりさすり席に着き、経木を開いておにぎりを頬張ったときのおいしかったこと。母以外の人間が握ったおにぎりを食べるのはそれが初めてだったかもしれない。見慣れぬかたちと大きさに驚いて、とても食べ切れないと思った大型三角おにぎり二つだったのに、ペロリと平らげた覚えがある。(中略) 母が握るおにぎりは三角形でなく俵のかたちをした小ぶりのものだった。大きすぎもせず小さすぎもせず、どっしりとした重量感はないが、頼りなくもない。かたちそのものがのほほんとした「母」だった。 私が母の真似をして同じ大きさのつもりで握っても、どういうわけか、母と同じかたちには整わない。安定感がなく、均等な大きさに揃わず、そしてなんだかふてぶてしい。おにぎりは、握る者の性格がみごとに表れるものだと、子供心に合点した。 おにぎりは素手で握らないとおいしくない。父はことあるごとにそう口にした。「手のひらにすり込んだ塩と、手から出るホルモンだか汗だか垢だかわからんが、それらが化学変化を起こしてうまみを出すんだ」 どこで教えられたか知らないが、父はおにぎりをかじるとき、必ずと言っていいほどその話を持ち出した。手から染み出る汗かホルモンか垢か。少々汚い気がしつつも、それはおそらく本当のことだろうと、娘の私は信じ込んだ。『アガワ家の危ない食卓』4:佐和子さんのおにぎり『アガワ家の危ない食卓』3:演技者としての佐和子さん『アガワ家の危ない食卓』2:佐和子さんの韓国料理めぐり『アガワ家の危ない食卓』1:冒頭のエッセイ
2024.04.29
コメント(0)
昨今の世界情勢は、ロシア、中国による暴力的な侵攻、攻勢が目に余るが、このようなことは2012年の日記でも触れているのです。・・・ということで、以下に復刻して見てみましょう。*********************************************************中ロが対シリア協調を確認したそうですね。この2国は過っては共産主義という理念を共有する地域連合であったが、今では人権軽視の地域連合なのか?シリアや北朝鮮までも容認する中ロとは、「難治の国」と言わざるをえないのだが・・・「難治の国」という言葉は、ちょっと古い本だが「時代の風音」という本に出てくるのです。 この本で堀田善衛と司馬遼太郎が語る内容は本質をついているだけに、いつまでたっても色褪せません。【時代の風音】堀田善衛×司馬遼太郎×宮崎駿著、朝日新聞社、1997年刊<「BOOK」データベース>より 20世紀とはどんな時代だったのか―。21世紀を「地球人」としていかに生きるべきか―。歴史の潮流の中から「国家」「宗教」、そして「日本人」がどう育ち、どこへ行こうとしているのかを読み解く。それぞれに世界的視野を持ちつつ日本を見つめ続けた三人が語る「未来への教科書」。 <大使寸評>今は亡きお二人を含め、なかなかの取り合わせである♪ 博識に溢れ、思索も深い鼎談です。この「未来への教科書」を、とりあえず歴史の範疇で並べておきます。Amazon時代の風音*******************************************************************************この本のエッセンスの一部を紹介します。 <難治の国・ロシア>p12~14堀田 過去からみても、今後未来においても、この20世紀くらい人をたくさん殺した世紀はないでしょう。この1世紀のあいだで1億人くらい殺しているんじゃないですか。司馬 1億人は十分に。スターリンによる政治的・思想的殺害だけで2千万人を超えているのですから。殺人ということでは、ソ連は史上最悪の国でした。 エリツィンらによる“ソ連邦消滅”宣言の、異様なほどの性急さと明快さは、「もう魔物はいなくなった」というロシア人の安堵感の上のみなりたつもので、じつはロシア人にしかわからない、身につまされるような政治的表現でしょう。 ソ連邦の出現やその後のナチの盛衰を含め、“政治優先、政治がすべて”という迷信を20世紀の人類がもったことと、それらの政治団体(この場合は“国家”)が、思想の普遍性とともに兵器も普遍化したこと。つまり大量殺戮できる兵器を、機関銃にはじまって最後は核に至るまで大量にそろえたこと。そういう一大勢力が、このたびのソ連邦の崩壊でとりあえず消滅したわけです。堀田 イデオロギーが崩壊したソ連ですが、この国はもともと難治の国ですな。 ロシア帝国をつくったのはイワン雷帝ですね。このイワン雷帝という人は、二番目の奥さんをイスラムからもらい、1575年と翌年との2年間、帝位をジンギスカンの子孫のモンゴル族に譲ってモスクワから出ていった。 イスラムとモンゴル族の双方に気を使わねばならぬ、という事態はじつに象徴的で、今日でも実態は変わっていない。ロシア史ではこの譲位を“奇矯なる行為”と捉えているようですが、こういうめんどうなことをしなければならないほどに、あの国はじつに難治の国だ。宮崎 難治の国、なるほど。堀田 ソ連邦の崩壊、消滅の過程をみてみると、ゴルバチョフはやはりペレストロイカとグラスノチスで、つまりは最高会議での議決にによって連邦を、というのですが、しかし、昨年までイデオロギー独裁であったので、まだプルーラリズム(複数主義)の用意がない。 したがって、議論させれば個人攻撃になったり、極端な激論が展開されたりで、まともな政策論ができない。それで業を煮やしたエリツィンは、国民にも議会にもいっさい相談なしで、ウクライナとベラルーシとのスラブ系三共和国だけで秘密会議をベラルーシのブレストでして、ソ連邦の解体を宣言し(1991年12月8日)、議会に事後承諾を求めた。 ペレストロイカとグラスノチスで始まったものが、再びもとの旧ソ連共産党のやり方そっくりな事後承諾、陰謀めいたボスたちの秘密会議で幕を閉じました。司馬 ロシア史というものに、政治、経済、文化の成熟はありませんね。各エポックごとに未熟でした。中途半端ばかりでレーニンの改革になった。 遊牧民のモンゴル族がロシアからポーランド、ハンガリーまでの草原地帯をローラーをかけるように行き来して、自分たちの土地だと思っていたわけでしょう。そこへロシアの農民が少しずつやってきて耕作をはじめたのが、遊牧民にとって邪魔でしょうがなかった。だからキプチャク汗国が、そこへ覆いかぶさって税金を過酷にとった。いわゆる“タタールのくびき”がはじまり、いつまでも観念のうえでは残っていますな。 つまりキプチャク汗国がそうであったように、貢(ヤサク)とる官僚は偉い、むろん貴族は偉い、あとの大多数はロシア農奴だ。この図式はロマノフ王朝になっても変らず、ソ連69年間、少ししか変っていない。 いまその図式が消滅して、帝政末期のあの薄弱な商品経済の世に戻ったのですが、その商品経済さえ、いまのロシアの人々の記憶にない。どうするのでしょうか。堀田 共産党の支配下でいちばんひどかったのは、ヒューマン・ロス。商品がないから行列して並んでいるあいだは、何もできないわけでしょう。考えることもできない。苛立つだけです。司馬 そのロスは大きかったと思います。20世紀のソ連人は、国家の重作業については、大いに手伝わされた。大砲から核までの重工業、先端技術の兵器工業化、国家行動としてはハンガリーやチェコスロバキアへ戦車部隊を派遣したり、アフガニスタンへの侵攻をやらされたりしたのに、個人としてたとえば個々にいい靴を作って婦人客をよろこばせようとか、交配させてきれいな花を作って商品化しようとかいう方向のやる気を起こした経験がない。 19世紀のロシアの小説を読んでみると、商売はほとんど出てこないです。官吏や軍人は商人でないし、靴屋はあってもイタリア人やドイツ人がやっている。技巧をつくした靴はヨーロッパから来るものだと思っている。江戸時代の商売の種類の10パーセントもないんです。やはり未成熟のままエリツィン時代を迎えたのです。堀田 紙、鉄、商店、マガジン・・・、ロシア語のこうした単語は、アラビア語、トルコ語といったイスラム系の言語からの導入です。いずれも重要な言語ばかり。司馬 それに鉛筆(カランダーシュ)。みなモンゴル経由ですけど。堀田 文化的にいえば、そもそもロシアよりイスラムのほうがずっと高かった。 <20世紀の迷惑>p16~18堀田 ロシア革命のとき、農民が二人、レーニンに会いに行った。戻ってきて言うには、「今日はレーニンというツァー(ロシア皇帝の称号)に会った」(笑)という話がありますよ。司馬 ソ連はわりあい法体系のしっかりした国なのですけれども、しかし共産党というツァーがいるわけです。ツァーは、法から超然、超越した存在です。エリツィンさんにしてもやはり似たようなもので、大統領令をしきりと出す。これも、ソ連共産党がツァーそのものであるという型を、やっぱり示しているのですね。アメリカでは大統領令はそう出しません。宮崎 もう一つの大国、中国の場合ですが、ウイグルとかチベットが中国領というのは私は信じ難いんですね。征服としか思えないのですけど。堀田 しかし、困ったことに征服そのものがあの国の歴史の実体なのです。漢族、蒙古族、満州族などの交替征服が歴史を形成している。海外へ華僑として、あるいは難民として大量にどどーと出て行った時期を調べてみますと、交替征服の時期と一致しています。宮崎 その難治の清をそのまま引きずっている状態の今日の巨大化した中国の姿というのは・・・。司馬 ロシアと中国の二つの古い帝国が世界のお荷物になりつつあるわけです。しかも、“両帝国 ”ともじつに帝国らしいところは、帝国の固有領土はむろんのこと、帝国たらしめていた“版図”も失いたくない。 明という漢民族王朝(1368~1644)の時代の版図というのは、だいたいわれわれが納得できるような中国人の住む領土の範囲でした。宮崎さんのおっしゃるように、清という異民族による征服王朝(1616~1912)ができて、征服がお得意の王朝らしく崑崙まで征服し、やがて崑崙からシルクロードの果てまで自分のものにしました。モンゴル、チベットという異域が帝国の版図に入るのは、清王朝のときです。 その拡大した版図を、国民党政府と毛沢東政権とが相続し、ここからここまではおれのところだという非常に強い線引きがある。寸土を失うことは中国を失うことだ、という迷信ができているわけです。 大領土国家というのは、科学技術を開発したり社会化したりするうえで、とても間尺に合わない。たらいの水に数滴の水を加えても水位はあがりませんが、試験管ぐらいの小さな容器に加えると、水位があがる。ともかく政治をうまく機能させるうえでも、ほどほどのサイズが必要ですね。堀田 たしかアダム・スミスだったと思いますが、政治と経済がうまく機能するのは、人口5千万までが限度だと言っていましたよ。司馬 ドグマで支配するのは大領土国家の一つの型ですよね。中国は、春秋戦国のころは諸子百家の時代で、思想は自由で、国家は思想によって裏打ちされるということはありませんでした。ところが、秦帝国によってはじめて中国が統一されると、法家の思想でもってすべてを統御せざるをえなくなりました。漢という統一帝国の時代となり、漢の武帝の時代にはじめて儒教が国教になりました。帝国の御用ドグマとして帝国を支配した。 その儒教の箍がはずれると、毛沢東さんがマルクス・レーニンというドグマを津々浦々まで行き届かさなければならなかった。 これはロシアも同じで、けっきょくマルクス主義を持たざるをえなかった。大領土国家の一つの型の常です。それがじつに世界の迷惑だった。20世紀の迷惑だった。2012.06.07XML「難治の国」あるいは「20世紀の迷惑」 https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201206070000/
2024.04.26
コメント(0)
電気や電磁波がとだえた3年間ほどのサバイバル生活とは如何なるものか?・・・SF映画としては、大いに魅力を感じるテーマではあるので、以下のとおり復刻してみます。*********************************************************『サバイバルファミリー』が11日から公開されたので、見る前に個人的予告を作っていたが・・・と言いつつも昨日(17日)観てきました。【サバイバルファミリー】矢口史靖監督、2017年制作、2017.2.17観賞<movie.walker解説>よりある日突然、電気がなくなった世界を舞台に、とある家族のサバイバル生活を描く、矢口史靖監督によるコメディ。登場人物たちに次から次へとトラブルが降りかかる監督お得意の手法で物語が進行。バラバラだった一家が、過酷な生活を通して、絆を取り戻していく。一家の主を小日向文世、その妻を深津絵里が演じる。<観る前の大使寸評>矢口史靖監督の新作とあれば・・・観るしかないか♪movie.walkerサバイバルファミリーある日突然、電気あるいは電磁波がとだえたら世界はどうなるか?矢口監督は、こんなSFのような、思考実験のような思いにとりつかれたようで・・・・この映画は、電気がとだえた3年間ほどのサバイバル生活を描いています。とにかく電話、報道などによる情報がとだえるので、情報伝達は口伝えだけになるわけで、仕事にならないし、都市の生活は成り立たないし・・・しばらくすると現行紙幣は効力を失い、経済活動といえば食料品主体の物々交換だけになるという矢口監督のお話は、説得力があるわけです。西日本は電気が生きているという噂を信じて、この家族は東京から自分の故郷でもある鹿児島を目指して自転車で旅を始めるのです。その後の生活は明治期以前のような生活に変わり、陸上の輸送手段は自転車と蒸気機関車だけとなるのが・・・へんに納得できるのです。阪神大震災の際、被災直後は茫然自失の呈であったが、3時間ほど後には飲料水、ガスボンベ、トイレ用水の確保に動いたことを思いだしたわけで・・・わりと既視感のある映画でした。鏡反射によるモールス式情報伝達を使って現代的な行政を模索するとか・・・このお話には、いくらでもいちゃもんをつけられるが、よしておこう♪監督の初日舞台挨拶を見てみましょう。小日向文世、妻・深津絵里から「一生可愛い人でいて。ずっと大好き」より『ウォーターボーイズ』(01)の矢口史靖監督最新作『サバイバルファミリー』の初日舞台挨拶が2月11日にTOHOシネマズ六本木ヒルズで開催。小日向文世、深津絵里ら豪華キャストと矢口史靖監督が登壇した。深津は撮影から宣伝まで大奮闘してきた小日向について「こんなにキュートな63歳はどこにもいません。一生可愛い人でいてください。ずっと大好きです」と笑顔で語った。過酷な撮影で胸部を殴打したり、極寒の川に入ったりした小日向だったが、深津のねぎらいを受け「いや、全部吹っ飛びました」と満面の笑顔を浮かべた。舞台挨拶には小日向、深津の他、泉澤祐希、葵わかな、時任三郎、藤原紀香、大野拓朗、志尊淳も登壇。クロストークでは藤原の天然ぶりが笑いを誘った。切り出したのは矢口監督で「案外雨女で、藤原さんが来た日に限って雨が降る。噂で聞いたら海外で砂漠に行ってもたいがい雨を降らせちゃうとか」と藤原の雨女ぶりを明かす。藤原は「気づかないふりをしていました。ケニアの干ばつで乾季だったのに降っちゃった。そしたら動物たちやマサイ族がうれしがって出てきちゃった」と珍エピソードを披露した。また、矢口監督は全員のなかで藤原のサバイバル能力が一番高いと発言。「本物の天然は危機に強い。なんでもポジティンブシンキングできるし、水の確保もできる」と言って笑いを取ると、藤原は「大変光栄です」と苦笑いした。この記事も矢口史靖の世界R1に収めておきます。
2024.04.18
コメント(0)
東アジアの貿易ネットワークとか、三浦按針が関わる英日貿易とか、米中軍用機衝突事件などに触れている「セルデンの中国地図」という本が興味深いので読み直してみようと思い立ったのです。*********************************************************図書館に予約していた『セルデンの中国地図』という本をゲットしたのです。この本には、海南島沖の米中軍用機衝突事件の顛末が載っているわけで、歴史的にも、社会学的にも読める多角的な視点が・・・・ええでぇ♪つい先日、『疾走中国』という本を読んだところだが、昨今の大使は「東アジア」がミニブームでんがな♪【セルデンの中国地図】ティモシー・ブルック著、太田出版、2015年刊<「BOOK」データベース>より400年のときを経て1枚の地図が歴史を変えた。英国で発見された中国の古地図には、鎖国下の日本を含む東アジアによる大航海時代の記録が残されていた!世界に衝撃を与えた地図の謎に迫る歴史ノンフィクション。【目次】第1章 この地図の何が問題なのか?/第2章 閉鎖海論/第3章 オックスフォードで中国語を読む/第4章 ジョン・セーリスとチャイナ・キャプテン/第5章 羅針図/第6章 中国からの航海/第7章 天円地方/第8章 セルデン地図の秘密<読む前の大使寸評>この本には、海南島沖の米中軍用機衝突事件の顛末が載っているわけで、歴史的にも、社会学的にも読める多角的な視点が・・・・ええでぇ♪<図書館予約:(2/04予約、2/09受取)>rakutenセルデンの中国地図セルデン地図の謎解きに踏み出したが、謎解きはなかなかはかどりません。p47~67<第2章 閉鎖海論> セルデンの大量の蔵書がテムズ川から荷馬車で運ばれてくると、ウッドは図書館長のトマス・バーロウに手伝いを申し出て、荷をほどき、仕分けをした。地図の入った細長い箱はボドリアン図書館に届けられた何百という箱のなかのひとつにすぎなかったのかもしれない。ウッドはそれを特別扱いするようなことはしなかった。 セルデンは、ロンドンのホワイトフライアーズにあった自宅に当時はまだめずらしかった造りつけの書棚を持っており、かなり整然と書籍や写本を並べていた。梱包を担当した者たちは書棚に並べていた順番を守って整理するよう努め、それがセルデンの死後作られた蔵書目録のもとになった。とはいえ、オックスフォードで荷解きされたときに少し混乱したことは大いに考えられる。セルデンの蔵書は一冊一冊どの本か確かめられてから、図書館の西端にある書架に運ばれた。この一角はのちに「セルデン・エンド」と呼ばれるようになる。 これは、ボドリアン図書館が一度に寄贈を受けた書籍と写本としては最大のコレクションだった。当時の基準で言えば、この寄贈の受け入れには多額の費用がかかった。館長のバーロウは、セルデンの寄贈書の整理があまりにも負担が大きかったため、職を辞したという。(中略) セルデンは1654年6月11日に遺言書を作成している。遺言には、学者として築いた資産の処分方法が補足書として添えられていた。補足書には「中国の地図」という記述があるが、セルデンによるこの地図への言及はそのほかの文献には見られない。また、蔵書のなかで彼が題名を挙げて言及しているのはこの地図だけであることも注目に値する。これ以外の書籍と写本は単純に分類でしか触れられていないからだ。セルデンは「ヘブライ語、シリア語、アラビア語、ペルシャ語、トルコ語、あるいは通常東洋語として理解されるあらゆる言語」で書かれた蔵書に注意を向けさせてはいるが、どれひとつとして題名を挙げてはいない。(中略) 遺言の補足書ではこれらの資料をオックスフォード大学に寄贈すると指定されているはずなのに、具体的な寄贈先は書かれていない。 「中国の地図」についてはその何行かあとに登場し、この地図を「前記の総長、教授、学部在学生」に贈るものとするとセルデンは述べている。「前記の」と書かれているからには、これらの大学関係者が所属する大学がすでに指定されているはずだが、それに該当する文言は見あたらない。何かが欠落しているのだ。(中略) 寄贈品の受取人が文章から抜け落ちていたのはセルデン本人の意向でもまちがいでもない。1655年2月にセルデンの遺言書が裁判所に提出されたときに、書記官は単純に一行飛ばして原本を書き写してしまったようだ。そしてその遺言書が証人立会いのもとで法的に有効とされたのである。お話は日本にまで及びます。p129~131<第4章 ジョン・セーリスとチャイナ・キャプテン> 1613年6月9日、セーリスは日本の南部の海岸に到着する。彼はウィリアム・アダムズ(日本名、三浦按針)を探していた。アダムズは1600年に日本の海岸に漂着したのだった。太平洋を横断していたオランダ船に乗っていた一握りの生存者のひとりで、日本を訪れた初めてのイングランド人だった。それからの13年のあいだ、徳川家康に仕え、日本周辺の海域に精通するようになっていた。 イングランドの東インド会社は、英日貿易を始めるにあたり、貴重な人材としてアダムズに狙いを定めていた。その狙いは正しく、アダムズには会社の目的に力を貸すのにやぶさかではなかった。日本人の妻を娶り、子供も生まれて、日本の社会にすっかり溶け込んでいたアダムズは、日本周辺の海域ばかりではなく、複雑な政治的、社会的な領域をも熟知しており、東インド会社のために、近所の住民から将軍にいたるまであらゆる人間との交渉にあたることができた。また船長としても航海長としても熟練しており、のちには同社のために中国の海岸沿いを運搬船のジャンクで航行している。 セーリスが到着したとき、アダムズは平戸にはいなかったが、そこにはヨーロッパ人が幾人かいた。彼らをとおして、セーリスは平戸藩主に会い、藩主から日本で商売している年上の中国人商人を紹介された。この中国人は名を李旦といった。李旦がセーリスの日誌に初めて登場するのは、セーリスが平戸に到着してから6日後にあたる1613年6月16日。セーリスが開設を目指していた商館の大家の候補として記されている。セーリスは李旦の名前を「キャプテン・アンデイス」と記し、「中国人の頭領」だと見なしている。李旦とセーリスは馬が合ったようだ。(中略) 李旦の人生と彼が生きた時代を今日の私たちが知ることができるのは、平戸商館長リチャード・コックスの日記のおかげである。日記のなかで現存する部分は1615年6月1日から始まる。その日の日記には李旦だけではなく、その弟の「キャプテン・フォウ(李華宇」の名前も記されている。(中略) 李兄弟は中国福建省沿岸の2大港町のひとつ、泉州の出身だった。その港からは当時、商人や肉体労働者のクーリーが東アジアの貿易ネットワークへと出帆したものだった。若き日の李旦は、アジアにおけるスペインの貿易拠点だったマニラに渡り、一財産築いた、というかコックスはそう推測したわけだが、1603年にスペインによる華僑の大量虐殺が起きると、マニラを去らざるをえなくなった。 李華宇が1619年に、李旦が1625年にいずれも自然死で亡くなっていることを考えると、1613年の時点で兄弟は50歳前後だったと考えられる。ふたりはクローブ号が平戸に入港する頃には、日本の南端に住む何百人という華僑の貿易コミュニティの頭目となっており、ふたりとも長崎に居を構えていた。長崎は、ポルトガルが貿易を始めた場所であり、徳川幕府が鎖国令を布くとオランダが拠点を移すことになる場所だが、李兄弟が主に商売をしていたのは平戸である。平戸は当時、オランダとイングランドの貿易拠点となっていた。当時の南シナ海界隈の貿易は、中国人が牛耳っていたそうです。なお、鄭和の大航海については、チラッと述べるにとどまっています。p147~148<第5章 羅針盤> ヨーロッパの商人がアジアの水先案内人や航海長に頼りきりという事態は懸念のもとになった。アジアの海域に進出して間もない頃には、イングランドの東インド会社は主に中国人の水先案内人や航海長を使っていた。これは、南シナ海界隈の貿易を牛耳っているのが中国人だと認めていたからでもある。また、計算された政治的な取り組みでもあった。コックスはそれをパタニに駐在する東インド会社の同僚に宛てた手紙で明かしており、「すべての中国人に親切に、そして敬意をもって接する」よう助言している。 その助言は、東インド会社が中国への参入手段を求めている、というただひとつの大前提に基いていた。同社のアジア戦略全体がそれにかかっていたからだ。コックスはイングランド人に、直接貿易の要請を退ける口実を明に与える行為をしてほしくなかった。パタニの同僚にはこっそりとこんなふうに言っている。「中国の皇帝がイングランド、オランダ、スペイン、ポルトガルが貿易をおこなっているアジアのあらゆる地域にスパイを送り込んでおり、中国の人民に対する彼らの態度や振る舞いを監視させているという情報を、私は確かにつかんでいる」 朝廷が張りめぐらせる諜報計画があるなどという考えは少々いきすぎているかもしれないが、ヨーロッパ人が中国との取引で直面する果てしない困難や、目標達成の厳しさからそんな疑念が煽られたのだった。コックスはなんとしても中国との貿易実現への突破口を見つけたかったため、それを損なうようなことはいっさい望まなかった。中国に、イングランドが彼らの企みを知っていると感づかれないように、パタニの同僚にはこの話を外部に洩らさないよう釘を刺している。「私が手紙に書いたことは作り話ではなく真実だが、貴殿の胸だけにしまっておいてくれ」。コックスはそう手紙を結んでいる。謎解きの最後です。p262~263<エピローグ 安息の地> 17世紀前半、セルデン地図は、南シナ海を最も正確に描いた「海図」だった。それ以前にはこれより優れた地図はなかったし、それから40年のあいだもそうであり続けた。それでも、地図製作の歴史というさらに広い視点で見てみると、セルデン地図が歴史に影響を及ぼす機会はなかった。地図を製作した人物は、陸地からではなく海から描き始めるという独創的な方法を考案している。この方法は優れた直感の賜物であり、地球表面の湾曲という問題を半ば処理でき、その結果、息を呑むほど見事な地図が出来上がった。 しかし、このほかに同様の地図を発見できないかぎり、研究する材料がない。セルデン地図の製作は一度かぎりのもので、同様の地図はほかにないのだろうか?想像しにくいことだが、確かに同様の地図は存在していない。製作者はどうやって描いたのかの説明を残さなかった。また、弟子を育てなかったため、彼が考案した方法を受け継ぎ、改良を重ねて地図製作の原則の域にまで高められることはなかった。現存する証拠が示すかぎり、何も教えられたり、受け継がれたりした形跡はない。研究はここで行き止まりだった。 この地図がイングランドではなくヨーロッパ大陸に運ばれていれば、物語は変わっていたかもしれない。しかるべき人物に見せていれば、ヨーロッパの地図製作者に影響を与えていたかもしれないのだ。しかし、そういうことはなかった。 リチャード・ハクルートとサミュエル・バーチャスは地図を見ていただろうが、地図を何かに活かしたという証拠はない。地図がオックスフォード大学に展示される頃には、地図製作の世界に影響を及ぼすには遅すぎた。ほかの進展があったからだ。セルデン地図の価値が下落したのは1640年だとかなりの確度で推定できる。その頃にはアムステルダムの偉大な地図製作者ヨアン・ブラウが、オランダ東インド会社のために、これ以上正確なものはないという中国周辺海のポルトラノ型海図を製作していたからだ。 この海図を堺に、ヨーロッパ人はヨーロッパ製の中国周辺海の海図を信頼できるようになったのである。地図製作の資料として、もはやセルデン地図に頼る必用はなくなってしまった。1640年の時点で、セルデン地図は先駆的な地図とは言えなくなっていた。著名な科学者エドマンド・ハレーは、1705年にセルデン地図を見て、不正確だと一蹴している。 そう理解してみると、セルデンの役割について評価が分かれることになるだろう。地図が保存されていたのはセルデンのおかげである。アジアの写本を収集しようという彼の情熱なしには、このような地図が存在したことすら、現代には伝わっていなかっただろう。しかしその反面、自宅にしまい込んだせいで、広く知られる機会を事実上奪ってしまったとも言えるのである。スッキリした謎解きにはならなかったが、謎解きの過程が充分に知的興味をつないでくれました・・・著者の文才なんでしょうね。ところで、ネットで「古地図」を巡っていたら「ゼンリンバーチャルミュージアム」というのが、ありました。このサイトでは、『セルデンの中国地図』を載せているのかな?江戸開府以前から昭和後期までの貴重な古地図をブラウザで見まくることが可能な「ゼンリンバーチャルミュージアム」より日本最大手の地図制作会社のゼンリンがこれまでに収集した国内外の古地図をデジタル化して公開しているサービスが「ZENRIN Virtual Museum」です。江戸開府以前から昭和後期までに作成されたさまざま種類の地図が約220個も公開されているとのことなので、実際に古地図を見まくってみました。ゼンリンバーチャルミュージアムhttp://www.zenrin.co.jp/zvm/上記URLを開いたら「Collections 公開地図一覧」をクリック。公開地図一覧のページでは「時代」と「分類」から公開されている地図を検索可能。公開されている地図の時代は「江戸開府前」から「昭和後期」まで多岐に及んでいます。『セルデンの中国地図』1:この地図の何が問題なのか?『セルデンの中国地図』3:セルデン地図の謎解き
2024.04.16
コメント(0)
ブリューゲルとボッシュを取りあげている『ブリューゲル、飛んだ』という本であるが・・・・著者の軽やかな語り口がええので、読み直してみようと思い立ったのです。*********************************************************図書館に予約していた『ブリューゲル、飛んだ』という本を、待つこと1週間ほどでゲットしたのです。この本では、ブリューゲルとボッシュを取りあげているが、この二人は大使の好きな画家なんです。それにアンナさんはあまり軽口をたたかず、真面目に語っているのが・・・ええでぇ♪【ブリューゲル、飛んだ】荻野アンナ著、新潮社、1991年刊<「BOOK」データベース>より100%楽しい小説と100%スリリングな批評が合体、ページを繰ると、そこは魅惑のマジックミラー。新芥川賞作家の最新作。<読む前の大使寸評>この本では、ブリューゲルとボッシュを取りあげているが、この二人は大使の好きな画家なんです。それにアンナさんはあまり軽口をたたかず、真面目に語っているのが・・・ええでぇ♪<図書館予約:(8/24予約、8/30受取)>amazonブリューゲル、飛んだ巻末の付録を、見てみましょう。p188~191<ボッシュとブリューゲルの納涼お盆対談> わたしはS社の「S」に「ブリューゲル、飛んだ」と「笑うボッシュ」という2作を発表している。2作とも美術評論ではない。エッセイでもない。小説というわけですらない。わけのわからないもので原稿料をもらっちゃったりすると、こういうわけのわからない依頼のオマケが来るのだな。やれやれ、と雨の中を会場へ向かった。 地図を頼りに「Sクラブ」へ赴いてみると、それはS社の脇を入った路地にある一軒のしもた屋であった。ブザーは無く、こちらの名乗りに湿った音をたてて格子戸が開く。玄関には数組の履物が並んでいる。S女史のものらしい華奢なパンプスの倍はあろうかという無骨な木靴が人目を引く。 なんとなくブリューゲルのものと察しがついた。隣に柾目の通った桐の下駄がある。四隅がアラベスク風の透かし彫りで、土踏まずの部分には飾り文字でBoschと墨が入っている。 不機嫌そうに押し黙った老女に誘われて二階へ上がった。ほの暗い廊下と打って変わって座敷には光が溢れ、広い座卓に所狭しと並べられた大皿や小鉢がきらっきら輝いている。床の間を背に、血色の良い太った小男が胡坐をかいている。この季節に、上半身裸の上にどてらを着ている。脚のくすんだ肌色から脛毛が透けて見えるのは、どうやらパンストを履いているらしい。わたしの目が釘付けになっているのを感じて男は得意そうな笑顔を向けてきた。 「これ、ええもんでんなあ」 そういえばブリューゲルの絵に出てくる男たちは皆ぴったりと身に合ったタイツのようなものを履いている。 「さっき西友で買うたんやけど、安うおまんなあ。三足五百円だっせ。ただ股袋のないのんが、ちと不便でおますなあ」 当時のタイツに付いた股袋は「男性美」を誇示するのみならず、財布や小物入れの用も果たしたんだそうである。股袋談義に花を咲かせていると、いつの間にか痩せて背の高い人物が傍に立っている。トイレから戻ってきたところらしい。そのままどてらパンスト氏の正面に音もなく座った。 痩身に浴衣をまとい、衣紋掛けのような肩にフクロウを一羽止まらせている。(中略) 気まずい沈黙を咳払いが破った。S女史だった。「あのう、時間もありますのでそろそろ始めたいと思いますが」、遠慮がちな小声と裏腹のシビアな視線が飛んできた。そうだ、まずわたしが何か言わねばならないのだ。萩野「えー、今日はお盆とお日柄もよろしく、ボッシュとブリューゲルの両先生にはお忙しいところを時空間を超えてお越し頂き、誠に有難いことと感謝致しております。お二人とも個性的な作風でいらっしゃいますが、その特異な幻想性はえー、何といいますか、ブキミとも何とも、いやその、高い評価を受け、美術史に燦然たるエポックを築かれております。ボッシュ先生は15世紀中頃のお生まれ。かたやブリューゲル先生は16世紀のお方であります。同時代なら馬場と猪木のごとき良きライバルとなられたであろうお二人に今宵は思う存分語り合って頂こうと。まあ、そういうようなわけで、ひとつよろしく」ブリューゲル「おばんです」ボッシュ「…」(目礼)ブ「わては、こういうもんでおま」(「巨匠ブリューゲル」と書かれた名刺を渡す)ボ「ほほう」ブ「名刺、もう一枚おまんねんけど。こっちのんは、ちょっと遊んでみましてん」(自作の「バベルの塔」を刷り込んだ大判の名刺を渡す)ボ「ほう、これはなかなか大した絵ですばい。いつ描きんしゃったと」ブ「いやいや、お目汚しで。ほんの片手間仕事でおま」ボ「そげん、謙遜せんでよか。これは文句なしの力作たい」ブ「いやいや、こんなもん大したことおまへん。皆さんが代表作いうてくらはるモンは他にぎょうさんおまんねん。それでも、いざ名刺にするとなると、なかなか難しおますなあ。ちょっと見ておくんなはれ。(自作の画集を出してくる)『雪の狩人』は名作いわれとりますがお盆には時期外れでっしゃろ。『ネーデルランドの諺』やら『子どもの遊戯』やらは賑やかでよろしいねんけど、広い画面に人さんが散らばっとって、縮小すると迫力おまへんねん」ボ「牧歌的なもんと幻想的なもんと、器用に描き分けなさるとね。あたしは不器用に幻想一筋ですけん、うらやましか」ブ「なに言わはりまんねん。作風が多彩ちゅうのは、要するに器用貧乏でんがな」ボ「誰も作風が多彩とは言うとらんくさ」ブ「そうでっか。ようそないに言われるもんで。お蔭さんで日本でも可愛がってもろとりま。この前も版画展やりましてんけど」ウン サービス精神あふれるアンナさんは巻末の付録で…ボッシュとブリューゲルお笑い対談をかましてくれました。それにしても、アンナさんの関西弁がネイティブなみで、ええでぇ♪『ブリューゲル、飛んだ』4:ボッシュとブリューゲルの納涼お盆対談『ブリューゲル、飛んだ』3:ブリューゲル、飛んだ『ブリューゲル、飛んだ』2:笑うボシュ(続き)『ブリューゲル、飛んだ』1:笑うボシュ
2024.04.15
コメント(0)
SF小説の創作には、どうアプローチするのか?・・・ということで、『SFの書き方』という本を読み直してみようと思い立ったのです。*********************************************************図書館で『SFの書き方』という本を、手にしたのです。主任講師の大森望はケン・リュウ『紙の動物園』を引き合いにして、「これがSFだ!」と言い張れるポイントがあればなんでもOK。ケン・リュウを倒すつもりでチャレンジしてくれと、けしかけています。【SFの書き方】大森望著、早川書房、2017年刊<「BOOK」データベース>より2016年4月、書評家・翻訳家・SFアンソロジストの大森望を主任講師にむかえて開講した「ゲンロン大森望SF創作講座」。東浩紀、長谷敏司、冲方丁、藤井太洋、宮内悠介、法月綸太郎、新井素子、円城塔、小川一水、山田正紀という第一線の作家陣が、SFとは何か、小説とはいかに書くかを語る豪華講義を採録。各回で実際に与えられた課題と受講生たちの梗概・実作例、付録エッセイ「SF作家になる方法」も収録の超実践的ガイドブック。<読む前の大使寸評>大森望はケン・リュウ『紙の動物園』を引き合いにして、「これがSFだ!」と言い張れるポイントがあればなんでもOK。ケン・リュウを倒すつもりでチャレンジしてくれと、けしかけています。rakutenSFの書き方この「SF創作講座」の成り立ちについて、「編者あとがき」から見てみましょう。p279~281<編者あとがき:大森望> 『SFの書き方「ゲンロン大森望SF創作講座」全記録』をお届けする。 第1線のSF作家十人による講義(+講評)と、毎回のテーマに沿って受講生から提出された梗概(あらすじ)の実例18本、それに受講生の実作例が2篇(梗概つき)。本書を通読すれば、あなたもたちまちSFの書き方がわかる・・・とは言わないまでも、SFを書く上での基本的な考え方や発想の方法は、けっこう身につくんじゃないかと思う。 講座1年分がこの1冊に凝縮されているという意味でも、かなりユニークかつお得なSF創作ガイドになっている。「作家にはなりたいけど、SFはちょっと苦手・・・」という人や、「SFは好きだけど、自分で書く気は全然ないね」という人にも、それなりに有意義だったり面白かったりするはずなので、贔屓の作家のざっくばらんな裏話に耳を傾けるつもりで、まずはパラパラめくってみてください。 いやそれにしても、真剣にSFを書きたいと思っている人がこんなにたくさんいたなんて・・・というのが、1年間この講座をやってみての正直な感想。もちろん、創元SF短編賞には毎年四百~六百作が寄せられるし、日経「星新一賞」の応募総数は二千五百から三千にも及ぶ。とはいえ、小説が売れないこのご時世に、安くはない受講料を1年分まとめて先払いしたうえに、毎月せっせと講座に通い、課題を提出し、SFの短篇を書こうという奇特な人が、いったいどのくらいいるのか? こう見えてもかなりの心配性なので、せっかくサイトを作って募集したのに、ぜんぜん受講生が集まらなかったらどうしよう。中止になったらゲスト講師を依頼した人にも申し訳ないし・・・などと、募集が始まるまで内心かなり不安だったんですが、蓋を開けてみると、受付を開始した初日に当初の定員30名がたちまちいっぱいになる人気ぶり。 人気の高さに驚きつつ、ほっと胸を撫で下ろした反面、責任の重さを実感することにもなったわけである。 そもそも、どうしてこういう講座を開くことになったのかについては、本書の序文で東さんが書いているとおり。東浩紀氏率いる会社ゲンロンでは、同社が本拠を置く東京・五反田に開設しているイベントスペース(ゲンロンカフェ)とアトリエを使って、すでに「ゲンロン 佐々木敦 批評再生熟」と「ゲンロン カオスラウンジ 新芸術校」の二つのゲンロンスクールを開設し、大きな成果をあげていた。 その二つに続く第三のゲンロンスクールとして、小説の創作をテーマにした講座を担当してくれないかと東氏から打診されたのは、2015年夏のこと。毎回ゲストを招いて話を聞く連続トークイベント「大森望のSF喫茶」を数年前からゲンロンカフェで開催していたので、その縁で白羽の矢が立ったらしい。となれば、対象はSF小説の創作に絞るのが自然だろう。 しかし、SFを商売にしているとはいえ、大森の守備範囲は翻訳や書評やアンソロジー編集で、小説を書いて代価をもらったことは一度もないし、「SFの書き方」の具体的なノウハウがあるわけでもない。そりゃあまあ、そういうことが教えられそうなゲストを講師に招くことは可能だし、受講生が出してきた作品についてああだこうだ言うこともできるけど、しかしSFの創作講座にどれだけ需要があるのやら・・・などと悩んでいたところ、「いや、ぜったいに大丈夫ですよ!」と東氏が力強く太鼓判を捺し、半ば押し切られるようなかたちで、とりあえずカリキュラムを考えてみることになった。(後略)『SFの書き方』3:テーマを作って理を通すお話『SFの書き方』2:日本SF冬の時代『SFの書き方』1:梗概例1「饒舌な屍肉」
2024.04.14
コメント(0)
円安の昨今であるが・・・明るいニュースがないので、『老いてますます明るい不良』という本を読み直して元気を出そうではないかと思った次第です。*********************************************************図書館で『老いてますます明るい不良』という本を、手にしたのです。嵐山光三郎さんといえば、かつてNHK番組「100分de名著・徒然草」でその不良ぶりを拝見しているので・・・この本も期待できそうである♪帰って調べたら、この本を借りるのは2度目であることが判明しました(またか)・・・で、この記事を(その4、5)としています。【老いてますます明るい不良】嵐山光三郎著、新潮社、2016年刊<「BOOK」データベース>より今が一番という「老いる」技術。勝手に生きなきゃ自分の人生、もったいない!笑いの隠し味に人生哲学満載。<読む前の大使寸評>嵐山光三郎さんといえば、かつてNHK番組「100分de名著・徒然草」でその不良ぶりを拝見しているので・・・この本も期待できそうである♪rakuten老いてますます明るい不良「いつ死んだってよくない」との嵐山さんの本音を、見てみましょう。p136~139<いつ死んだってよくない> よく「いつ死んだっていい」というけれど、あれは嘘ですね。1960年代後半、ムード歌謡で人気を得た女性歌手が、テレビの歌謡番組で「いま、天井から岩が落ちてきて死んでもかまわない」とニヒルに発言して、「わあ、言ってくれるなあ」と共感しつつ、「でも、殺されそうになったら逃げるだろう」と思った。 連合赤軍が軍事訓練をして逮捕され、高度経済成長が終わり、公害がひろがって、自動車の排気ガスによる光化学スモッグが都市をおびやかし、時代は閉塞感につつまれていた。 女性歌手のいささか不謹慎な発言は、時代の気分を代弁していた。私がテレビ番組のディレクターならば、女性歌手の頭に、発泡スチロールで作ったでかい岩を落として「こりゃまた失礼いたしました!」とクレージー・キャッツ風のギャグを入れただろうが、あいにくと私はテレビディレクターではなかった。 あのころは町の気分が荒れていた。会社の気分も荒れ、私の気分も荒れていた。積極的に死ぬ気にはなれないが「いつ死んだってかまわねえや」という厭世観があった。 友人のなかにも「いつ死んだってかまわない」症はいて、ひとりは新宿花園神社で紅テント演劇を興行していた。あるいは宝石商となって巨万の富を得て、アフリカへ渡った猛者もおり、先祖代々の財を放蕩しつくしたあげく孤島で美女と暮らす者もいれば、健康食品メーカー社長となってダイエット薬を販売して金儲けした人もいる。 さまざまである。みなさん70歳をすぎてもお元気に過ごしており、健康食品メーカーの社長は若い娘と再婚し、夜の営みがあんまり気持ちがいいので「いつ死んだってかまわない」んだって。厭世観ではなく、自慢でそう言っている。本人は「まだまだ現役で死ぬまでセックスだ」と思っているらしい。 南の島で元美女(62歳)と暮らす友人は、毎朝、島の海岸を一緒にジョギングしており、「私たちの性生活を雑誌で取材させてやる」と申し入れてきたが、丁重にお断りした。「いつ死んだってかまわない」というのは、ペシミズムのふりをした楽天家の発想なのである。 時代の不安は刹那主義となり、今のことしか考えない。私はそういう性分で、坂本九が「明日がある、明日があるさ」と明るく歌うのに腹がたった。私の世代は「あした」という虚構の餌につられて、ありもしない「あした」にだまされてきた。それに対し森進一は「明日はいらない、今夜が欲しい」と叫ぶように歌っていた。「あした」という幻影よりも「今夜」という確実なものが欲しかった。私はいまなお「未来」という言葉に強い嫌悪をおぼえる。未来を称える連中にだまされつづけてきた後遺症である。 現実の社会は苦のほうが楽よりも多く、悲観的になって、70歳の坂をこえるのは命がけであった。 死ぬ気はなかったが、死ぬほど仕事をしたのは30歳以降であった。雑誌を編集して1日の睡眠が4時間だった。男ざかりで、体力も気力も充実していたから、つらくはなかった。そのうち勤めていた会社が経営不振となり、退職して自分たちの出版社をたちあげ、倉庫の床に畳を敷いて寝泊りした。好きな仕事で幸せな時代だった。 45歳でバケツ一杯吐血して失神し、救急病院に運ばれたときには「死んでたまるか」と思った。「もう一度吐血すれば死ぬ」と医者にいわれて、11年後に再び吐血したが、命はとりとめた。 それからは治療をかねた湯治場めぐりを七年つづけて、だましだまし仕事をしてきた。私の湯治場めぐりは週刊誌に七年間掲載されて「図々しいやつだ」と羨望のまなざしで見られ、温泉王の称号を賜った。いや勝手に名のった。ボール紙で勲四等温泉放蕩褒章を作って首からぶらさげた。 湯治の効力はめざましく体力はミルミル回復し、潜在していた不良成分が熟成して不良中年となり、明るい不良老人となった。70歳をこすと、グレていた友人がバタバタと他界し、淋しい思いにかられる。葬儀に参列しながら、つぎはだれの番かなと思う。 葬儀に来る客は、63~69歳といった客が多く、いずれも私より若い。たまに私より高齢者がいると「あちらのほうがさきにいくな」と思って安心するが油断はできない。『老いてますます明るい不良』4:「私、7歳でグレて70年」の続きp10~13『老いてますます明るい不良』3:嵐山さんの交友関係p47~49『老いてますます明るい不良』2:美人という不幸p31~34『老いてますます明るい不良』1:私、7歳でグレて70年p4~7
2024.04.12
コメント(0)
歴史学と民俗学の両雄が描く「列島社会」の歴史の深層ってか・・・ 『歴史の中で語られてこなかったこと』という新書を再読しようと思い立ったのです。*********************************************************図書館で『歴史の中で語られてこなかったこと』という新書を手にしたのです。おお、「もののけ姫」のエボシ御前の正体ってか・・・これは読むしかないだろう♪【歴史の中で語られてこなかったこと】網野善彦×宮田登著、洋泉社、1998年刊<「MARC」データベース>より名作アニメ映画「もののけ姫」のエボシ御前の正体は? 女が支えた養蚕と織物の歴史の意外な事実、自由主義史観・教科諸問題まで、歴史学と民俗学の両雄が描く「列島社会」の歴史の深層。98年刊の単行本を新書化。<読む前の大使寸評>おお、「もののけ姫」のエボシ御前の正体ってか・・・これは読むしかないだろう♪amazon歴史の中で語られてこなかったこと付喪神民俗学とは何か?、というあたりなんですが。p157~160<民俗学と民具学の「不幸」> 網野:最近、宮田さんは柳田民俗学の批判的発展という観点から、都市民俗を取り上げておられますが(『都市民俗論の課題』未来社)、民具と職人の問題とも関連してくると思うので、ご自身の最近の構想や今後の日本の民俗学がどうあるべきかについてのお考えをお聞きしたいのですが…。宮田:今おっしゃった民具の問題で、最近、小松和彦さんが付喪神という妖怪を取り上げている。つまり道具の化け物ですね。それを室町時代のデータで説明しているんです。民俗学の例からも道具にともなう霊的なものがあって、妖怪になってあちこちに出現する例があるんです。 家の中の器材はお膳とかお椀が多いんですが、それが踊りだすというのは特別な霊力が働いたことになる。柳田さんは、膳椀を作った職人は山の民で、彼らが農民の日常の場に入ってきた。そして朱塗りのお膳や椀が家の宝になる。椀貸し伝説を背景に持った木地屋の力が背景にあることを指摘している。 山人の作ったものが里に入ってくると、里の人間はそれらに対して畏怖感を持つ。道具そのものに対して霊的なものを感ずれば、それを家財として文献に残しておかなくてはならないということになる。そこで記録に残すわけです。無用なものは捨ててしまうわけですが、道具が保存されると、それにともなって器物の霊力が妖怪となり、つくも神という名称を持つわけです。これはものと人間の精神史を考えるうえで需要なデータだと思われます。 問題が民俗学と民具学の共通の話題となって出てくるわけです。柳田民俗学と民具学は、組織が別であったという因縁がそのまま今でも続いていてはよくないわけですよ。それが解消されていくような研究課題が設定されなければならない。 ものを知らない民俗学と、カミをぬきにした民具学という割り切り方でいくのは、そもそも不幸だと思います。そういった方向がなくなっていく可能性はあるのではないか。若い世代も生まれつつあるという気がうるわけですがどうでしょう。河岡さんや網野さんがもっとラッパを吹かれるといいのでは(笑)・・・。 民俗研究全体いえば、何が中心なのかわからない状態ですから、民具学の柱をしっかりたてる必用があると思います。私が都市を問題にしているのもまったく同じことでありまして、あまり深味のある言い方ではないんですが、都市を研究することいよって従来の民俗学だけではなく、いろんな学問と一緒に議論できるような場になっていくという、そういう意味で都市をもちだしています。 もともと私は民間信仰にひかれている傾向が強いですから、いつも生産関係をぬきにして原始・古代から現代まである、という言い方をするためによくお叱りをうけます。これは民俗学全体に対する歴史学からの批判でもありますけれども…。ですから民俗学だけならいいけど歴史学の方には余り口バシを出すな、というふうに育てられてきたわけです。ウーム あとからスタートした民具学などは、いろんな学際領域からのイジワルに耐えながら発展してきたようですね。一方で役人の権威を利用した柳田民俗学には批判がつきまとったようです。よう知らんけど。『歴史の中で語られてこなかったこと』1:もののけ姫『歴史の中で語られてこなかったこと』2:コメと日本人『歴史の中で語られてこなかったこと』3:民俗学とは何か
2024.04.09
コメント(0)
ネット巡っていたらデジタル朝日の「コメ作りで発生するメタンを抑制」というのに出くわしたのです。牛などのゲップから出るメタンが取り沙汰されていたが、コメ作りでもメタンが発生するのか・・・興味深いレポートである。*********************************************************コメ作りで発生するメタンを抑制「脱炭素」と「農業支援」の実現へよりQ そもそも、「稲作」が温室効果ガスの排出源になっているというのは本当ですか。廣嶋 農林水産省の資料によると、日本の温室効果ガスの総排出量は、約11億7,000万トン(2021年度)に上り、そのうちの約4%、5,000万トン弱が「農林水産分野」から排出されています。この農林水産分野の温室効果ガス排出量の約4分の1を占める1,194万トンが「稲作」由来のものです(いずれもCO2換算)。農林水産分野の温室効果ガスというと、世界では「家畜の消化管内発酵」、いわば牛などのゲップから出るメタンが高い割合を占める国もありますが、コメの生産量の多い日本では、「稲作」由来のメタンが大きな排出源になっているのです。なお「メタン」は、温室効果ガスの中でCO2に次ぐ16%を占めている成分で、その温室効果は一般的にCO2の25倍ほどもあるとされています。つまり、1トンのメタン削減は、25トンのCO2を削減するのと同等の効果があるということです。Q なぜ水稲栽培でメタンが発生するのか、仕組みを教えてください。廣嶋 農家が土作りのために使用する堆肥(たいひ)や稲わらなど、水田の土壌には様々な有機物が含まれています。有機物が微生物によって分解される際、畑のように土壌に酸素が取り込まれる環境ではメタンを生成する菌はあまり働きません。しかし、水が張ってある状態の水田では土壌中の酸素が乏しいため、メタンを生成する菌が活発化してしまいます。 水を張ったままにすると、メタンが多く発生するだけでなく根の活力低下や根元付近から枝分かれする「分げつ」が過剰に起こり、収量や品質の低下を引き起こすため、大体6、7月頃、稲から穂が出てくる手前のタイミングで、1~2週間ほど水を抜いて水田を乾かす「中干し」という工程があります。これは、一般的な水稲栽培におけるプロセスの一つで、よりよいコメ作りのために従来行われているものです。近年、この中干しに温室効果ガス削減効果があると注目されているというわけです。Q「中干し」がメタンの放出量に影響するわけですね。廣嶋 国の研究機関である農研機構からは、「中干しを7日間程度延長すると、メタンの発生を平均で30%程度削減できる」というデータが出ています。2023年3月からは、中干しの期間を直近2カ年以上の実施日数の平均よりも7日間以上延長する「中干し延長」が「J-クレジット制度*」の方法論に加えられました。*J-クレジット制度経済産業省・環境省・農林水産省が制度管理者となり、2013年から運営されているカーボン・クレジット制度。CO2などの温室効果ガスの排出削減量や吸収量を「クレジット」として国が認証する制度で、省エネルギー設備の導入や再生可能エネルギーの導入、森林管理プロジェクトなどが対象として認められている。クレジットの購入企業は自社の温室効果ガスの排出削減量に加えることができる。
2024.04.08
コメント(0)
ネット巡っていたらWIREDの「昆虫食を広める好機になるか」というのに出くわしたのです。おお 昆虫食ってか・・・幼少期にはアシナガバチを叩き落としながらハチの巣を手に入れ、ハチの子を炒めて食べていたなあ。周期ゼミということで、WIREDの記事を紹介します。*********************************************************米国で17年ぶりに大量発生する「周期ゼミ」は、昆虫食を広める好機になるかより米国で17年周期で大量発生する「ブルードX」と呼ばれる周期ゼミ(素数ゼミ)の集団が、羽化し始めている。おびただしい数のセミの大群を駆除したいと考える人もいれば、まったく異なる反応を示す人もいる。ナイフとフォークを手にする人たちだ。一部のシェフや研究者たちはセミを昆虫食として広める好機と捉え、いち早く動き出している。■昆虫食を広める絶好のタイミング?昆虫は世界各地で豊かな郷土料理として食されてきた。メキシコではチリで味付けしたパリパリとしたバッタ料理「チャプリネス」が知られ、韓国ではカイコのさなぎをゆでた「ポンテギ」が屋台で売られている。これに対して米国では、欧州からの入植者が先住民の食習慣を取り入れることはなかった。それを復活させるきっかけになるのがブルードXの大量発生なのではないか──。そう期待するのが、ニューヨークを拠点とするシェフのジョセフ・ユンだ。ユンは陽気な昆虫食の伝道者であり、「Brooklyn Bugs」という組織を運営している。そのユンに言わせれば、ブルードXという17年に1度のセミの大量発生こそ、米国で昆虫食を広める絶好のタイミングなのだという。ブルードXは米国の東部において、北はニューヨーク州から南はジョージア州北部に至る広い範囲で羽化する。場所によっては、1エーカー(約4,047平方メートル)に数百万匹が密集することにもなるという。ほとんどの住民は持て余してしまうだろう。それならいまこそ、米国人の味覚を洗練させるまたとない機会かもしれない。「世界の80%を超える国々では昆虫が食されています」と、ユンは言う。「見逃すなんてもったいない話ですよね」
2024.04.07
コメント(0)
ネット巡っていたらデジタル朝日の「首相、裏金事件で森喜朗氏聴取に含み」というのに出くわしたのです。タイトルはその後に「新事実出ても出なくてもリスク」と続いているように、検察の捜査や岸田首相の幕引きシナリオがからむだけに、今後の進展はどうなるのでしょう?*********************************************************首相、裏金事件で森喜朗氏聴取に含み 新事実出ても出なくてもリスクより 自民党安倍派の裏金事件が新たな局面に入ってきた。元派閥会長の森喜朗元首相が、2022年の還流復活に何らかの影響力を持っていた可能性が浮上。野党は森氏を事件の真相究明に向けた「本丸」と位置づけ、証人喚問を求めるなど厳しく追及し始めた。岸田文雄首相による幕引きシナリオは崩れつつある。 岸田首相は28日の参院予算委員会で、立憲民主党の辻元清美氏から森氏を聴取するかを問われ、「森元首相も関係者の1人だ。政治責任を明らかにするために必要な方ということで、(聴取対象に)含まれ得る」と述べた。答弁を聞いた党幹部はこう漏らした。「何か含みを持たせた言い回しだったな。最後は首相がどう判断するか。聴取するなら首相が聴きに行くしかない」 首相はこれまで「森氏が直接関わったという発言があったとは、報告を受けていない」などと述べ、森氏の聴取に積極的とは言えなかったが、含みを持たせざるを得なくなったのは、首相自身が行った26~27日の安倍派幹部の聴取後のことだ。 日本テレビが27日夜、事情聴取を受けた安倍派幹部の一部が「キックバック再開の判断には森元総理大臣が関与していた」と新たな証言をしたと報道した。派閥の政治資金パーティー券の販売ノルマの超過分を議員側に還流する裏金作りの仕組みは、22年4月、安倍晋三元首相の意向で取りやめの方向になったとされるが、安倍氏死去後の同年8月の幹部協議を経て復活した。この経緯に森氏が関わったとするもので、野党は28日の参院予算委で厳しく追及した。 森氏をめぐっては、裏金作りが始まった経緯も知るとの見方も強い。裏金を作っていた安倍派議員ら約90人に対する聞き取り調査で、党の報告書は裏金作りの開始時期を「場合によっては20年前」と指摘。安倍派座長の塩谷立・元文部科学相は政倫審で「二十数年前から始まったのではないかと思う」と説明しており、森氏が派閥会長だった時期と重なる。党三役経験者は「森氏が裏金事件に関わっていたかどうか分からないが、聴取はやらざるを得ないだろう」とみる。 一方、党幹部は「聴取して新しい話が出なければ野党は森氏の証人喚問を求める。逆に新事実が出れば、検察が捜査を再開しかねない」と述べ、首相が形式的な聴取で事態の収拾を図ろうとすれば痛手を負う可能性を懸念する。(森岡航平、藤原慎一)
2024.03.30
コメント(0)
古生物といえば、三葉虫やアノマロカリスがまず思い浮かぶわけで、『古生物たちのふしぎな世界』という本を読み直したいと思い立ったのです。*********************************************************図書館で『古生物たちのふしぎな世界』という新書を、手にしたのです。ぱらぱらとめくると・・・とにかく、想像力を加味したカラー画像がええでぇ♪【古生物たちのふしぎな世界】土屋健, 田中 源吾著、早川書房、2018年刊<「BOOK」データベース>より恐竜だけが古生物じゃない!前恐竜時代にもさまざまな古生物が生きていた。三葉虫が繁栄し、アノマロカリスがカンブリア紀の覇者となる。デボン紀にはアンモナイトの仲間がまっすぐのびた円錐形からしだいに丸くなり、ティクターリクが“腕立て伏せ”をはじめる。古生代最後のペルム紀には、イノストランケヴィアをはじめとする単弓類が覇権をにぎる!ダイナミックかつドラマチックな古生代の物語。100点に及ぶ精緻なカラーイラスト&化石写真で解説!<読む前の大使寸評>とにかく、想像力を加味したカラー画像がええでぇ♪rakuten古生物たちのふしぎな世界ティクターリク我らが脊椎動物の上陸作戦を、見てみましょう。肉鰭つまり肉のついたひれを持つ魚の仲間である。p167~172 上陸作戦の主要メンバーを“進化の順番”で紹介しよう。 作戦の“基点”として有名なメンバーは、カナダ東部から化石がみつかっている肉鰭類、「ユーステノプテロン」だ。ユーステノプテロン 全長1~1.8メートルほどで、その姿は魚雷のようにまっすぐ太く、長い。胸びれの中に“腕”の構造をもつほか、尾びれが上下対称であること、脊椎がその尾びれの先端近くまでまっすぐ連なっていることなどの特徴がある。 一般に多くの魚の仲間では、尾びれは上下非対称であり、また尾びれ内の背骨は上下いずれかに曲がる。あるいは、尾びれまで脊椎がつながっていない。ユーステノプテロンの尾びれの端までまっすぐ連なる脊椎というのは、陸上四足動物の尾の骨とよく似ているのだ。 次のメンバーはユーステノプテロンの“一歩先”に位置づけられている肉鰭類である。ラトビアから化石がみつかっている「パンデリクチス」だ。パンデリクチスは、全長こそユーステノプテロンとさほどかわらないものの、ユーステノプテロンが魚雷のような姿をしていたのに対し、パンデリクチスはその頭部が水平方向に平たいという特徴がある。(中略) パンデリクチスの一歩先に位置づけられているのも肉鰭類である。カナダから化石がみつかっている「ティクターリク」だ。全長2.7メートルと、ユーステノプテロンやパンデリクチスよりはるかに大きなからだのもち主である。ティクターリクは、全体の印象としては現生のワニに近いかもしれない。 頭部は、パンデリクチスと同じように扁平だけれども、その眼はより高い位置にある。これは水中に身を潜めながら、地上の獲物を様子をうかがうことに適した配置だ。まさにワニと同じである。 ただし、ティクターリクの“高い位置の眼”がどのようにその生活に役立っていたのかは定かでなはない。なにしろ、現在とはちがって、岸に獲物となるような小動物はいなかったはずだ。何をうかがっていたのだろう?ウーム 同じ肉鰭類といっても、ユーステノプテロンとティクターリクではかなりの差異があるようでんな・・・これもデボン紀古生物たちの謎なんでしょう。『古生物たちのふしぎな世界』3:脊椎動物の上陸作戦『古生物たちのふしぎな世界』2:脊椎動物の祖先『古生物たちのふしぎな世界』1:アロマリカリス
2024.03.29
コメント(0)
サクラの開花宣言が気になる昨今であるが、「さくらんぼの実る頃」というシャンソンを思い出すわけで・・・以下のとおり2009年の日記を復刻してみます。*********************************************************you tubeでナナ・ムスクーリの「さくらんぼの実る頃」が復活したので、以前の日記を再掲します。Nana Mouskouri - Le temps de cerisesLe Temps des cerises Paroles:Jean-Baptiste Clement Musique:Antoine RenaQuand nous chanterons le temps des cerisesEt gai rossignol et merle moqueurSeront tous en fete …Les belles auront la folie en teteEt les amoureux du soleil au coeurQuand nous chanterons le temps des cerisesSifflera bien mieux le merle moqueurMais il est bien court le temps des cerisesOu l'on s'en va deux cueillir en revantDes pendants d'oreille …Cerises d'amour aux robes pareillesTombant sur la feuille en gouttes de sangMais il est bien court le temps des cerisesPendants de corail qu'on cueille en revantQuand vous en serez au temps des cerisesSi vous avez peur des chagrins d'amourEvitez les belles …Moi qui ne craint pas les peines cruellesJe ne vivrais point sans souffrir un jourQuand vous en serez au temps des cerisesVous aurez aussi vos peines d'amourJ'aimerai toujours le temps des cerisesC'est de ce temps la que je garde au coeurUne plaie ouverte …Et Dame Fortune, en m'etant offerteNe pourra jamais fermer ma douleurJ'aimerai toujours le temps des cerisesEt le souvenir que je garde au coeurこの歌詩はウィキペディアLe Temps des cerisesから転載したのですが、coeurなど一部フォントを変えています(仏語フォントは楽天が受け付けてくれません)"A la vaillannte cityenne Louise, l'ambulanciere de la rue Fontaine-au-Roi le dimanche 28 mai 1871."このシャンソンはフォンテーヌ・オ・ロワ通りの看護婦,勇敢なる市民ルイーズに捧げられたそうです。「桜んぼの実る頃」をめぐって大野修平さんより
2024.03.27
コメント(0)
<なに? サウジの海水淡水化事業ってか>ネットを巡っていたら「サウジアラビアが挑む次世代型海水淡水化事業」というのがヒットしたのです。なに? サウジの海水淡水化事業ってか、それもシュケイクに設置されたとか、これは(多分私が)地獄のように苦しいめに喘いだ現場ではないか・・・ということで、以下のとおり紹介します。サウジアラビアが挑む次世代型海水淡水化事業より サウジアラビアは、国土の大部分が砂漠であり、川がないために水資源が限られた国である。この厳しい環境を原動力にし、同国は海水淡水化事業で世界をリードしてきた。淡水化技術を従来の蒸発法から特殊な膜を用いて淡水を生産する逆浸透法(RO)へと進化させたことで温室効果ガス排出量を削減し、再生可能エネルギーの使用によりさらなる環境負荷の低減にも取り組んでいる。 また海洋生態系への影響を懸念し、2030年までに逆浸透法で生成される濃縮海水の海洋放出ゼロを目指す。サウジアラビアがけん引する次世代型海水淡水化事業の可能性について、現地在住リサーチャーがレポートする。■サウジアラビアの水資源事情と海水淡水化事業の重要性 サウジアラビアは、世界でも特に水資源が乏しい国の一つである。そのため、国の水供給の大部分は海水淡水化に依存している。環境・水資源・農業省(MEWA)によると、2030年までに都市部の水供給の90%(現在は約70%)を海水淡水化によって賄う計画が立てられており、未だ達成していない上水道の普及率100%を目指している。 政府は、ビジョン2030の枠組みの中で経済の多様化と公共サービスセクターの発展を推進しており、海水淡水化はその中核的な役割を果たしている。*********************************************************地獄のようなサウジレポートを、過去の日記で見てみましょう。■2009.06.05XML急遽 サウジアラビアに出張■2009.06.10XML地獄のサウジレポート■2009.06.12XML紅海が見えた■2009.06.14XML地獄のサウジレポート2■2009.06.18XML刑期延長(地獄のサウジレポート3)■2009.06.21XML焼酎を持ってこんかい!■2009.06.24XMLノー プロブレン ■2009.06.28XMLサウジのテレビ事情 ■2009.07.01XMLサウジの空港職員 ■2009.07.04XML刑期再延長 ■2009.07.08XML「挽歌」の聴き比べなど、如何?■2009.07.10XML「必死のパッチ」で・・・■2009.07.15XML夏が来~れば 思い出す ■2009.07.16XML約1ヶ月ぶりの休日 ■2009.07.17XML帰国近し ■2009.07.21XMLsauji dassyutu ■2009.07.22XML死の場所・タクラマカン
2024.03.25
コメント(0)
近現代史のなかで、もっとも関心のある勘所と言えば、私の場合は満州国建国前後あたりになるわけで・・・『満洲国から見た近現代史の真実』という本を読み直してみようと思い立ったのです。*********************************************************図書館に予約していた『満洲国から見た近現代史の真実』という本を、待つこと8日ほどゲットしたのです。このところ、覇権スタンスを隠そうとしない中国を見るにつけ・・・やや右寄り(と思われる)の宮脇さんのご意見を見てみたいと思うのです。【満洲国から見た近現代史の真実】宮脇淳子著、徳間書店、2019年刊<「BOOK」データベース>より五族にとって満洲国とはどのような国であったか?歴史を政治の道具にする中国・韓国に、日本は歴史の事実を武器に反撃せよ!<読む前の大使寸評>このところ、覇権スタンスを隠そうとしない中国を見るにつけ・・・やや右寄り(と思われる)の宮脇さんのご意見を見てみたいと思うのです。<図書館予約:(7/01予約、副本1、予約0)>rakuten満洲国から見た近現代史の真実「第六章 日本はなぜ満洲国を建国したのか」でこの本の勘所を、見てみましょう。p161~163<日本はなぜ満洲国をつくらなければならなかったのか> そもそも関東軍が1919年に独立の在満軍事機関として発足したのは、1917年のロシア革命と社会主義への脅威からだったということは、いまでは忘れ去られています。かれらの任務は、日露戦争で勝ち取った日本の権益を守るための、満蒙の治安維持でした。 朝鮮と満蒙にはすでに共産主義運動が広まっており、1928年から始まったソ連の第一次5ヵ年計画では、西部シベリアが開発され、特別極東軍も整備されつつありました。張学良が東支鉄道(かつての東清鉄道)を強行回収したことに端を発する1929年の中ソ紛争では、ソ連が新設したばかりの特別極東軍が、装備の近代化をすすめていた張学良軍を圧倒しました。 このとき「もしも日本が満蒙になんらの勢力を有していなかったならば、ロシア軍は恐らくいささかの躊躇もなく、北満一帯はおろか南満洲の武力占領もあえて辞さなかった」だろうと板垣征四郎は述べました。かれはさらに「満蒙の赤化は直ちに朝鮮の治安を乱し、朝鮮の治安が乱れれば日本内地の治安に影響する」と考えたのです。 中国は依然として軍閥割拠がつづいており、南京の国民政府は実質的に満蒙を支配する実力がありません。中国全体の治安も悪く、また、日露戦争で日本が勝利しなければ、満蒙はロシア領になっていたはずで、この戦争に中国政府は何一つ貢献していません。それにもかかわらず、いまになって国権回復といって「十万の英霊、二十億の国帑(国庫金)」を費やして日本が得た正当な権益を攻撃し、日本人が長年にわたって開拓したものを無償で返せというのは許せない、と軍人だけでなく当時のふつうの日本人も考えたのです。 一方、有名な石原莞爾の満蒙領有論は、「日米開戦は避けることのできない世界史上の必然であり、支那問題、満蒙問題は対支問題に非ずして対米問題である。世界最終戦としての日米戦争を闘うつもりがないのなら、満蒙も必要でなく、軍備も放棄してしまったほうが、小手先で戦争回避の手段を弄するよりはるかに日本のためである」というものでした。 石原はまた、このようにも言っています。「支那人がはたして近代国家をつくることができるかどうかはすこぶる疑問で、むしろわが国の治安維持のもとで、漢民族の自然的発展を期待するほうがかれらのために幸福であることは間違いない。満蒙は満洲人とモンゴル人のものであって、彼らは漢民族よりもむしろ大和民族に近い。日本の努力が減れば満蒙も中国と同じ混沌状態におちいるだろう」 満蒙は、革命の総本山ソ連に対峙する最前線でした。対ソ戦の観点から見れば、これまで日本が特殊権益を持つ南満洲、東部内蒙古にとどまらず、北満洲からソ連を追い払うことが必要である。この考えが、満洲国建国の原動力となりました。 関東軍ははじめ、満蒙領有計画を持っていましたが、満洲事変勃発からわずか四日後には、独立国家案へと後退しました。それは、陸軍参謀本部の反対が思いのほか強かったからです。そこで石原は、国防を日本に委任し、鉄道・通信を日本の管理に委ねることを条件として、日本の保護下に満蒙を独立国家とするという解決策を出し、結局それが採用されることになったわけです。石原莞爾の深慮遠謀が「戦争不拡大・反東条」を主張したカリスマ軍人・石原莞爾はなぜ“満州事変”を計画したのかに出ています。『満洲国から見た近現代史の真実』3:この本の勘所『満洲国から見た近現代史の真実』2:明朝時代のモンゴル『満洲国から見た近現代史の真実』1:現代中国がタブー視している満洲
2024.03.23
コメント(0)
<バイオマスって有効?7> H27.12.1~~ 四国の田舎に帰ったが、未利用のまま荒れる山林とその涵養が気になる大使である。太陽光、風力におされて木質バイオマス発電は、やや影が薄いが・・・・この際、再利用率がわずか1%の林地残材は・・・再生エネ法案でなんとかならないものか?日本国産木材チップの原料(2009年)・姫路 国内最大級の「バイオマス発電所」開設で式典・【バイオマス関連ニュース3】R7:『姫路 国内最大級の「バイオマス発電所」開設で式典』を追記*********************************************************************<バイオマスって有効?5>目次・【バイオマス関連ニュース2】・各地の木の駅プロジェクト・木質バイオマスの現状と課題・里山資本主義の書評・コミュニティ・エネルギー・木質バイオマス発電の近況・日本初の一体型木質バイオマス発電所*********************************************************************<バイオマスって有効?4>目次・【バイオマス関連ニュース1】・間伐材を商品券1万円分と交換・バイオマスの買い取り価格案が提示されたが・木質ペレット燃焼灰からの放射性物質の検出・「林地残材でバイオマス発電」は邪道?・日本は林業に向いているか(工事中)*********************************************************************<バイオマスって有効?3>目次・日本がオーストリア化する日も近いか・里山資本主義の夜明け・稲わらからのバイオ燃料を90円未満/リットルで(工事中)・木質バイオマス発電の発展性(工事中)・エネルギー見直しの風がふいている・「自伐林家参加型」の木質バイオマス利用(工事中)*********************************************************************<バイオマスって有効?2>目次・バイオマスエネルギーって有効?・日本のバイオマス利用1・日本のバイオマス利用2*********************************************************************<バイオマスって有効?1>目次・日本の「再生可能エネルギー」最前線・菜の花プロジェクト・ネイティブ蔑視のバイオ燃料1・ネイティブ蔑視のバイオ燃料2ネットを巡っていたら、日本の各地で「バイオマス発電所」が建設、運転開始との情報が上がっているようです。エコなエネルギーが求められている昨今では、原発に頼らずとも地熱発電、バイオマス発電、風力発電あたりが有力な選択肢になるものと思うわけで・・・・3月13日のNHKのNEWS WEBで「国内最大級のバイオマス発電所開設」が流れていたので以下のとおり紹介します。広畑バイオマス発電所国内最大級の「バイオマス発電所」開設 <【バイオマス関連ニュース3】>報道によれば気仙沼の木質バイオマス発電が12月にも本格稼動とのこと・・・サポート体制がしっかりしているようですね。2015.11.30(地エネ)木質バイオマス発電 気仙沼地域エネルギー開発 間伐材を利用、復興へより 漁船の汽笛が鳴り響く宮城県・気仙沼港。岸壁のすぐ近くで、木のチップを燃料にした木質バイオマス発電が12月にも本格的に始まる。林業の衰退で荒れた気仙沼市内の山から間伐材を燃料として買い取り、半額を地域通貨で支払って復興に役立てる新たな試みだ。 きっかけは東日本大震災。震災当時の深刻な燃料不足の経験をもとに自給自足可能なエネルギーを実現しようと、市内外でガソリンスタンドなどを経営する高橋正樹さん(52)が2012年、株式会社の「気仙沼地域エネルギー開発」を設立。木質バイオマス発電に乗り出した。 最初は林業家の掘り起こしから始めた。間伐材を供給してもらおうと、市と協力して講習会を開き、間伐材の伐採や搬出方法を学ぶ場を作った。これまでに10回開催。自分の山にあまり入ったことのない市民など約90人が燃料の供給役に加わった。 国による再生可能エネルギーの固定価格買い取り制度では、森林整備を進めるため、間伐材で発電した電気をより高く買い取っている。そこで市が「間伐材証明」を出す仕組みを作り、高い売電価格を実現できるようにした。13年に始めた間伐材の買い取りでは、相場より高い1トン6千円を支払った。 また市内のスーパーや商店約180店と協力し、新たな地域通貨「リネリア」を発行。間伐材の買い取り額の半分をリネリアで支払っている。高橋さんは「経済的な地産地消を実現して復興に役立てたい」と話す。 ただ、ドイツから輸入した発電用プラントの扱いには苦戦した。木材を燃やして発生させたガスでタービンを回して発電するタイプで、発電能力は800キロワット。燃料に適したチップの大きさや湿度がわからず試行錯誤が続いた。想定以上のタールも発生し、何度も配管が詰まって掃除に追われた。 それでも今夏以降は運転が安定し、12月中には本格稼働にこぎ着けられそうだ。既に市内2ヶ所で貯木場を確保。今年度中に大型乾燥施設も完成する。発電で生まれる熱は、プラント近くのホテルで空調などに使われ始めた。 高橋さんは話す。「山にお金を回すことで気仙沼を元気にしたい。やるからには成功させたいね」(野瀬輝彦)気仙沼地域エネルギー開発より<地域通貨「Reneria」リネリアの発行と利用について> 平成23年10月に策定された気仙沼市震災復興計画の柱の中に、この震災を機に化石燃料や原子力に頼り切るのではなく、エネルギーを分散しておくことが災害時には強く、地域内で自給できるエネルギー体制を構築すべきであるという事が計画に盛り込まれました。 それに基づき関係業界で太陽光、風力はじめ様々な調査研究が開始されました。その中に地元の森林資源をエネルギーとして使う、しかもそれは山の手入れをしながら産出される間伐材を活用できれば、これまで材価の低迷により手を出せなかったリアスの山々に手入れを施すことができ、結果、山に残る木々はより大きく将来の需要に備えられ、かつ森はこれまでより豊かになり、元来の豊かな養分をリアスの海に贈り出し、リアスの里も山からエネルギーという形で恵みを受けることになる。そんな新しい、しかし良く考えると昔からある地域の自然との関係を創っていこうという取り組みが木質バイオマス事業への挑戦なのであります。 この事業の中で更に森から出される恵み(木材)への対価を、リアスの里の中でより循環してもらうために生まれたのが、リアスの森の通貨「Reneria」リネリアです。リアスの海山里の自然環境・食・文化・風習、あらゆる地域固有の財産を保全・継承・活用しながら、持続発展可能な社会を創造するスローフード都市としての理念のもと、スローフード気仙沼のご協力を頂きながら発行運営していくもので、券面も本事業の概念と合わせスローフード気仙沼の山内宏泰氏にデザインして頂きました。
2024.03.21
コメント(1)
国内最大級の「バイオマス発電所」開設ネットを巡っていたら、日本の各地で「バイオマス発電所」が建設、運転開始との情報が上がっているようです。エコなエネルギーが求められている昨今では、原発に頼らずとも地熱発電、バイオマス発電、風力発電あたりが有力な選択肢になるものと思うわけで・・・・3月13日のNHKのNEWS WEBで「国内最大級のバイオマス発電所開設」が流れていたので以下のとおり紹介します。広畑バイオマス発電所*********************************************************姫路 国内最大級の「バイオマス発電所」開設で式典より間伐材の木質チップなど、バイオマス燃料だけを使う国内最大級の「バイオマス発電所」で、しゅんこう式が行われました。しゅんこう式が行われたのは、大阪ガスのグループが姫路市に開設した「広畑バイオマス発電所」です。敷地内で行われた式には、関連会社や地元の関係者などが出席しました。この中で、大阪ガスの藤原正隆社長が「発電所の安全操業と電力の安定供給に、全社をあげて取り組みます」とあいさつしたあと、関係者の代表がテープカットを行いました。この発電所では、国内の間伐材の木質チップのほか、油を絞ったあとのパームやしの殻などのバイオマス燃料を燃やして蒸気を発生させ、タービンを回して発電します。燃料を燃やす際に二酸化炭素が排出されますが、チップにされる木は成長の過程で二酸化炭素を吸収しているため、二酸化炭素の排出量は実質ゼロとみなされます。発電容量はおよそ7万5000キロワットと、一般家庭のおよそ16万世帯分にあたり、バイオマス燃料だけを燃やす発電所としては国内最大級で、すでに去年12月から運転が始まっています。発電所の後藤基芳 所長は「最新の設備を備え、効率的に発電できる施設です。各地のバイオマス発電所で火災が起きているなか、温度管理をはじめ、熱がたまらないように、定期的に熱を逃がすなどの安全対策も取っているので安定した操業を続けたい」と話していました。このバイオマス発電所を設計、施工した日鉄エンジニアリングというサイトでバイオマス発電プラントを見てみると、なかなかの設備ではないかと思ったのです。
2024.03.18
コメント(0)
丸谷才一さんといえば旧仮名遣いで知られているが、蘊蓄に富んだ「話の種」がまたええわけで・・・以下のとおり復刻して読んでみようと思い立ったのです。*********************************************************図書館で『猫のつもりが虎』という本を手にしたのです。パラパラとめくったら・・・和田誠さんの挿絵とコラボした構成が絵本のようで、ええわけです♪【猫のつもりが虎】丸谷才一著、マガジンハウス、2004年刊<「BOOK」データベース>よりズボンとベルトの歴史的背景を論じ、スカートをはいた男の性的放縦に驚く。モスクワの冬のアイスクリームの甘さをうらやみ、テニスの“ラヴ”と“Love”の関係を研究し、そしてグレタ・ガルボの足の大きさについて語る。知的好奇心に溢れた「話の種」が満載。【目次】ベルトの研究/男のスカート/冬のアイス・クリーム/絵を買ふ/提案三つ/批評の必要/驢馬の耳/ある日のこと/あの大阪の運転手/ガルボ伝説/故郷の味/四十八手/ポルトガルの米料理/歴史的抒情/夜中の喝采/エジプトの女王/日本デザイン論序説<読む前の大使寸評>パラパラとめくったら・・・和田誠さんの挿絵とコラボした構成が絵本のようで、ええわけです♪rakuten猫のつもりが虎日本語論が興味深いので、見てみましょう。p66~70 <ある日のこと> 夜ふけに発句が一つ浮かんだ。 日本語論花冷えの日も夜も といふのである。673で字足らずだから、詞書で「破調」と断るか。 この句は実景実感である。肌寒い日だつたし、まあ概して日本語論づくめの一日だつた。まづ昼すぎ、国語学の大野晋さんからでんわがかかつて来た。用件がすむと、わたしは大野さんの新著『日本語はどこからきたのか』(ポプラ社)のお礼を言つた。 日本語がインドのタミル語と関係があるといふ大野さんの持論を述べたものだが、子供向きの本だからわかりやすいし、それに今までの本に書いていない最新の研究成果もはいつてゐて、非常におもしろかつたのだ。たとへば日本語の「忌む」imu,imiがタミル語の「火葬場」「墓地」の意のim,imaと対応するといふやうな。 「忌む」 はそれ自体、古代信仰の代表のやうな単語なのに、これまで語源が見つからなかつた。さらに、イとユは母音交替するから、「触れるのは畏れ多い、死の穢れにあるから触れてはならない」の意の「ゆゆし」、例の神事に使ふ「木綿」、イザナギが死の国へイザナミを追つて行つて、見るなと言はれたのに見ようとして櫛に火をともすあの「斎(ゆ)つ爪櫛」の「斎」などと親類筋に当るといふ。これは大変な新発見と言はなければならない。 とわたしが読後感を述べると、大野さんはいろいろ解説してくれてから、ほかにもう一つ大事な単語の語源が見つかつたのだと自慢する。 「話す」 である。 「話す」 は「放す」ぢやないかといふのは本居宣長の説だが、どうもピンと来ない。ところがタミル語にpannuといふのがあつて、これは「相談する、詳しく説明する、相談を受けて教える」とか「しゃべる、言ふ、宣言する」の意味なのださうである。殊に大事なのは、タミル人サンムガダス氏によると、この「パンヌ」に「大臣、貴人を相手にいろいろなことを言ふ」といふ意味があることだ。 「それに『話す』はあのころまで文献には出て来なかつたことばでね。どうしてか分からないけど。戦国のころ、不意に出て来るんですよ」 といふ大野さんの補足的な説明にわたしが目を丸くして感心すると、 「つまり曾呂利新左衛門のころ」 「さうさう」 「ふーむ。すると、日本語にはずつとあつたのに、『万葉集』でも『源氏物語』でも使われなかつた。ただし東国では日常会話に使はれてゐた…」 「かもしれないな」 午後は「週刊朝日」の『日本語相談』を書く。読者の質問に答へるのである。 「弁護士、会計士などは士なのに、調理師、理髪師などは師なのはなぜですか?」 といふのもおもしろいが、これは難問なので、 「『入試は水もの』と言ひますが、なぜ『水もの』なのですか?」といふ受験生の問に答へる。「水」には「川」といふ意味があるし、昔の川は大水になつたり、涸れたり、方向が変わつたり、お天気次第で気まぐれだつたのだ。つまり川のやうなものといふわけだ。もちろん昔は「入試は水もの」なんていわなかつた。「商売は水もの」と言つた。『猫のつもりが虎』4:興味深い日本語論p66~70『猫のつもりが虎』3:クレオパトラの美貌p133~140『猫のつもりが虎』2:相撲の「四十八手」p102~106『猫のつもりが虎』1:冬のアイス・クリームp25~28
2024.03.11
コメント(0)
ネット巡っていたらデジタル朝日の「アジアで広がる鳥山明さんへの哀悼」というのに出くわしたのです。おお 中国も韓国も鳥山明さんのマンガが好きだったのか・・・悪いのは政権の幹部だけなんだということがバレてしまったなあ。*********************************************************「竜珠」集めるから生き返って アジアで広がる鳥山明さんへの哀悼より8日に発表された漫画家の鳥山明(とりやま・あきら)さんの死去はアジア各地でも伝えられ、追悼の声が相次いでいる。 中国でもこの日、ニュース各社がこぞって鳥山さんの死去を速報した。IT大手テンセントのニュースサイトには、訃報の特設ページも設けられた。 鳥山さんの「ドラゴンボール」は、中国語で「竜珠」と表記され、アニメが放映された1990年代を中心に絶大な人気を誇った。主人公・孫悟空の名前を含め、作品の初期は中国の古典「西遊記」の世界観を色濃く反映していたことも、中国で人気となった理由だ。 もう一つの代表作「Dr.スランプ」も、中国では「阿拉蕾(アラレ)」の名前で人気だ。 ニュースサイト大手「環球網」が掲載した訃報には、1時間足らずで500件以上のコメントが集まった。「(作中でどんな願い事もかなう)7個のドラゴンボールを集めるから生き返って」「幼い頃の自分へくれた無限の楽しさにありがとう」「永遠の古典」といった哀悼と感謝のメッセージが並んだ。 「『ドラゴンボール』を見て育った世代なので、鳥山先生が亡くなったと知って悲しい気持ちでいっぱいです」。北京市の男性(42)は8日、取材にそう語って肩を落とした。中国語版のマンガを読んでいたという。 「自国のコンテンツがまだ乏しい時代の中、『ドラゴンボール』は、80後(80年代生まれ)の若者たちの想像力の窓を開いてくれたんです」 中国外務省の毛寧副報道局長は8日の定例記者会見で、「鳥山明さんの訃報に深い哀悼の意を表する。中国の多くのネットユーザーも鳥山氏の死を悼んでいる。日本のより多くの知識人が日中の文化交流と友好のために積極的に取り組んでくれると信じている」とコメントした。 韓国メディアも8日、漫画家の鳥山さんの死去を相次いで速報した。 聯合ニュースは代表作の「ドラゴンボール」や「Dr.スランプ」が「韓国でも大きな人気を集めた」と紹介し、朝鮮日報(電子版)は「天才漫画家で、商業的に最も成功した作家の一人に数えられる」と伝えた。東亜日報(同)も「代表作の『ドラゴンボール』はアニメやゲームもつくられ、世界的に大きな話題を集めた」と報じた。 シンガポールの主要紙ストレーツ・タイムズは8日、「伝説的なクリエーター、鳥山明氏が68歳で死去」との見出しの記事を配信。「世界的に著名な漫画家の鳥山氏が亡くなった」とした上で、同氏の代表作「ドラゴンボール」が40カ国以上で翻訳され、世界で約2億6千万部が売れた「史上最も売れた漫画の一つ」と伝えた。 鳥山さんについて「ファンの間では、思春期の少年をターゲットにした現代コミックやアニメ映画の祖父と呼ばれている」とし、日本の多くの著名人や、人気漫画など多くのフィクション作品に影響を与えたとしている。また、2013年に朝日新聞の書面インタビューに応じた際の鳥山さんのコメントを引用する形で「僕の漫画を読者が楽しく読んでくれること以外に達成したいことはない」と述べていたと伝えた。(斎藤徳彦=北京、稲田清英=ソウル、河野光汰)「マクロン氏、サイン入り色紙を投稿 欧米からも鳥山明さんたたえる声で、フランスの鳥山明ファンの動向が伝えられています。
2024.03.09
コメント(0)
今お騒がせ中のチャットGPTであるが・・・チャットGPTと生成AIを組み合わせてみると、かなりの創作ができるはずなので以下のとおり質問してみたのです。ゴーギャンの作品「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」アヴァンギャルドの前兆となった作品でもあるが、生成AIはこのような作品を描き得るのか?【得られた解答】AI生成の作品については、現在の技術ではゴーギャンのような芸術家の感性や哲学的な深みを完全に再現することは難しいですが、AIは抽象的なアートを生成する能力を持っており、新たな視点やアイデアを提供することができます。ここで、以下の茶々を入れると・・・新たな視点やアイデアを例証することはできますか?【得られた解答】もちろんです!新たな視点やアイデアを提供するために、以下のようなアート作品を生成してみましょう。!Quantum Reverie解答は素早いが、内容がいまいちでんな。・・・だけど今、この高機能AIを犯罪者がチャットで活用する状況は、怖いものがあるのです。今お騒がせ中のチャットGPTであるが 5:成功報酬の大きい闇バイトは今お騒がせ中のチャットGPTであるが 4:シシド・カフカのテレビ出演今お騒がせ中のチャットGPTであるが 3:神戸新開地音楽祭今お騒がせ中のチャットGPTであるが 2:チャットGPTの危険性今お騒がせ中のチャットGPTであるが 1:中国の権威主義的資本主義新しい Bing へようこそ:何でも聞いてください
2024.03.09
コメント(0)
サマセット・モームといえば「月と六ペンス」や「剃刀の刃」を思い出すわけで・・・以下を復刻して読み直してみようと思い立ったのです。*********************************************************図書館で『現代に生きるサマセット・モーム』という本を手にしたのです。モームの代表作と言えば「月と六ペンス」となるのかもしれないが、わたしの出会いは「アシェンデン」だったわけで・・・情報部に属してお国のために働いたモームを評価しているのでおます。【現代に生きるサマセット・モーム】清水明著、音羽書房鶴見書店、2020年刊<「BOOK」データベース>より名作『月と六ペンス』出版から一世紀、いま、時代の岐路に立つ人々への指針となるモーム文学の魅力。<読む前の大使寸評>モームの代表作と言えば「月と六ペンス」となるのかもしれないが、わたしの出会いは「アシェンデン」だったわけで・・・情報部に属してお国のために働いたモームを評価しているのでおます。rakuten現代に生きるサマセット・モーム「第9章 兵士に愛された小説」で『剃刀の刃』を、見てみましょう。p145~149 <1第二次大戦期に登場した兵隊文庫の隆盛> 終戦直後の国内の洋書事情にいついて、かつて飯島正は次のように書いた。…そして敗戦後、ふたたび本さがしもいそがしくなった。新橋よりの銀座の露店に、アメリカ軍の兵隊たちが棄てていった、兵隊用のポケット文庫版が、ドッサリとならんだからである。ぼくたちはひまさえあればそこに駆けつけて、山と積まれた安本の中から、探偵小説やハードボイルド本、そしてこんどはそれにくわえてニューロティック本を、先をあらそって、さがし求めた。…銀座の露店の兵隊版から掘り出した作家では、ウィリアム・アイリッシュが、一番の獲物だったこともつけくわえておく。 飯島はグレアム・グリーンに戦前から注目してきた識者の一人だが、彼がこのように書く兵隊用のポケットブックというのは、“Armed Servicess Editions”日本では「軍隊文庫」「兵隊文庫」などと訳されている小型軽量の特色を活かしたペーパー・バックのことである。グリーンも何冊か同シリーズ中にある。 同叢書は、アメリカ軍が自国の兵士用に大量に発行した文庫シリーズであり、無論一般では入手出来ず、無料で配布され、戦地に向かう兵士の心を慰め、あるいは戦意を直接的にも間接的にも高揚させるという目的があった。 興味深いことに、文庫のサイズは、GIの軍服の胸ポケットに入るぐらいの裁断だったため、文字通り、心の友として本の役割があったのかもしれない。筆者は数年前に、本国のみか、日本の古書店のインターネットのリストや、イギリスの古書店のリストに挙がっているのを見た。必ずしも、当該の文庫が第二次大戦後各地に進駐したアメリカ兵によりその地で売り払われたとは限らないが、彼らが帰国前に読了した本をそこで、前述の回想にあるように処分したことが多かったのは十分想像出来る。(中略) 前置きが長くなったが、このシリーズの一巻にサマセット・モーム『剃刀の刃』(The Razor's Edge,1944)が収録されている。他に、『人間の絆』(短縮版)、『月と六ペンス』、『サミングアップ』などがリストアップされていて、『剃刀の刃』は再版もされている。本作は完全版と銘打ってある。 まず、同書の奥付を見てみよう。ダブルデイ社との取り決めにより出版、1943年、1944年マコール社の版権云々とあるが、出版年月は未記入である。兵隊文庫には各々シリアル番号が付され、『剃刀の刃』はQ31となっている。(中略) <1第二次大戦下のサマセット・モームの小説> ヨーロッパ戦線において連合軍とドイツ軍との戦いの帰趨がほぼ見え始めていた頃、アジア太平洋戦線でも、アメリカ軍の圧倒的な勢力がアジア各地に日本軍を追い詰めていた、そういう時代にあらわれた作品が『剃刀の刃』である。 モームは1940年、長らく本拠にしていたフランスを脱出し、イギリスを経由して、アメリカに「疎開」していた。同地に居住しながら、すでに演劇界からは引退していたが、途切れることなく、小説、エッセイ、ルポルタージュなどを書き続けていた。 ここで、モームの国家との関わりに少し触れる。彼は第一次世界大戦時に。赤十字野戦病院隊に志願し、その後諜報部員としての役割を積極的に担い、国家への貢献を秘密裡に行ない、後年その体験が『アシェンデン』(1928年)として小説化され、モームの立場が世に知られたが、現実は彼がMI6の一員だったことを最近までイギリス当局は公式に一切認めたことはなかった。ところが、2010年になって、イギリス情報部が研究者に託した過去の膨大な内部資料により、モームの役割が天下晴れて公認の事実となった。モームはスパイだったと。 第二次大戦期においても、彼はイギリス情報部から作家として戦争遂行に協力を依頼されていた。『戦うフランス』(France at War,March 1940)という戦時下のフランス人のドイツとの戦いへの備えを称えたルポルタージュである。フランス人の戦争努力への賞賛は、つまりドイツ軍の侵入に備えるべき立場にいるイギリス国民への鼓舞を意味していた。モームは1926年以来、この年まで南仏リヴィエラ海岸の風光明媚なフェラ岬に豪奢な邸宅ヴィラ・モーレスクを構え、そこを本拠ににして世界中を旅していた。 『戦うフランス』出版後、ほどなくして起きたドイツ軍のパリ占領とともに、彼はフランスを離れ、故国に戻るが、それもつかの間、情報省の依頼にて「宣伝と親善の使命を受けて」アメリカに向かうことになった。結局その後モームはほ6年間を大西洋の対岸の地で過ごすことになる。やがて、ヨーロッパ情勢は緊迫の度合いを一層強め、イギリス各地でドイツ軍による空爆が始まる。再び情報省より、今度は直接、戦意が高まっている同国人の士気をアメリカ国民に伝える作品の執筆を要請されることになる。p159~161 <『剃刀の刃』出版の経緯と受容> ここで最後に、『剃刀の刃』が兵隊文庫で再版されるほどの人気作となっていたことに改めて触れておきたい。本論の最初に述べたように、同叢書は、時に短縮されたものもあるが、あらゆる分野の作品が市場で売られているのと同じ内容で印刷され、戦地の兵士に送られた。 ベストセラー、娯楽作品が目立っているが、むろん、同文庫を管轄する委員会の指針はあった。「連合国軍に対して、またいかなる宗派や人種、いかなる職業に対しても害となる発言や姿勢を含んだもの、『アメリカ民主主義の精神』に背いている本は認可されなかった」が、一方、時に共産主義に同情的だと批判される作品も認可されることがあった。概ね、委員会の認可基準は現在想像される以上に緩やかなものだったようだ。 連合国軍対枢軸国軍(すでにイタリアは降伏していた)の戦いが最終段階にきていた1945年にいたって、ヨーロッパ戦線、アジア太平洋戦線などで、『剃刀の刃』を手にする兵士は多くいただろう。その年の前半、銃後の家庭にいる『レッド・ブック』の愛読者が『剃刀の刃』を毎号心待ちにしていたのと軌を一にするように、作品は戦地で読み物に飢える多くの兵士の心を掴んだのだろう。さらに、1944年の後半、ベストセラーになっていた『剃刀の刃』が読まれた後、戦地に「送られた」ということもあったはずである。しかし、彼らはラリーのようにそれを読んで銃(現世)を投げ出すこともなかったのである。 それでは、モームの真の意図は何だったのだろうか。『剃刀の刃』は、もちろん前作のプロパガンダ小説と異なり、作者のより内在的なものからきている。長年、温めに温めぬいた構想、テーマに基いている。 だが、『剃刀の刃』の構想の萌芽は、20年代の短篇と未刊の戯曲にあるだけではなかった。それは、他の大小の作品(『月と六ペンス』、『人間の絆』、「変り種」、「凧」…)に見られるモーム生涯の一つのテーマ(自由な精神への関心、物質的世俗世界への反発する人間の生き方への憧れ)と明らかに共通点があった。いみじくも、物語の前半(第二章第四節)、価値観の相違をめぐってラリーがイザベルと議論する個所があり、その後二人は婚約を解消するわけだが、そこで述べるラリーの想いを引用する。…精神の生活というものが、どんなにわくわくするものなのか、また経験する上でも、どれほど豊かなものなのか、君に分かってもらえるといいのだがな。…それに似た感じが、一つだけある。たったひとりで飛行機に乗り、果てしなく高く舞い上がり、無窮の空間に包まれるときのような感じだよ。いわば、果てしない空間にうっとりしてしまうわけだ。どんな権力、栄光とも決して交換しようとは思わないような爽快な気分になるものでね。…ウン 兵士に愛された『剃刀の刃』という小説が興味深いので、図書館に借出し予約を入れたのです。『現代に生きるサマセット・モーム』1:「月と六ペンス」『現代に生きるサマセット・モーム』2:『剃刀の刃』
2024.03.08
コメント(0)
弥生時代の水田稲作の渡来に、中国、韓国はどの程度関与してきたか知りたいわけで・・・以下の『縄文農耕の世界』を読み直してみようと思い立ったのです。*********************************************************図書館で『縄文農耕の世界』という新書を手にしたのです。おお 縄文農耕か・・・大使にとっての古代のロマンではないか♪照葉樹林文化とか、南海の道とか・・・とにかく漢族の影響を排除したい訳でおます(コレコレ)【縄文農耕の世界】佐藤洋一郎著、PHP研究所、2000年刊<「BOOK」データベース>より 農耕文化は従来弥生時代の水田稲作の渡来が起源とされてきた。だが三内丸山をはじめ縄文遺跡で発掘されるクリは栽培されたものではないか?縄文人は農耕を行っていたのではないか? 著者によれば、「ヒトの手が加えられるにつれ植物のDNAのパターンは揃ってくる」という。その特性を生かしたDNA分析によって、不可能とされていた栽培実在の証明に挑む。 本書では、定説を実証的に覆した上で、農耕のプロセスからそれがヒトと自然に与えた影響にまで言及する。生物学から問う新・縄文農耕論。<読む前の大使寸評>おお 縄文農耕か・・・大使にとっての古代のロマンではないか♪照葉樹林文化とか、南海の道とか・・・とにかく漢族の影響を排除したい訳でおます(コレコレ)なお、著者は『ジャポニカ長江起源説』を著わしたイネ考古学の権威とか。rakuten縄文農耕の世界「畝を伴うと見られる畑」の発掘事例が見られるようになったそうです。 <ヒトに撹乱されてできた耕地>p171~173 栽培行為の広まりによって出現した新たな生態系が農耕のための土地、つまり耕地である。栽培される植物が何であったかによってその生態的な性格に違いはあろうが、耕地は基本的にはヒトによって撹乱されてできた生態系である。 クリのような木の仲間の場合には、耕地は耕地といっても里山の一角の木を払った程度の極めて粗放で手のかからないものであったろう。しかし毎年種子で繁殖する草の仲間、例えば穀類などの場合には、新たに耕地を開くのも、開いた耕地を維持するのも、それなりのエネルギーを要する作業を伴ったに相違ない。 もしその類型を現代に求めるならば、東南アジアの山地部に今も残る焼畑以外に適当なものはないように思われる。 東南アジアの焼畑については佐々木高明さんの名著『稲作以前』に詳しいが、その特徴は、火入れをして木や下草を焼き払い、その灰分を肥料とすること、また肥料分が切れてきたころにはその農地を放棄し(つまり休耕し)、休耕して森に戻っていた土地を新たに開墾することが特徴である。休耕することで耕地であった土地では遷移が進み、やがては森(里山)に戻って行く。縄文時代の農耕も、おそらくこれとそう大きく違わない方法で農耕が行われていた可能性が高いといえよう。 ところで縄文農耕に関係して畑作における畝について触れておきたい。畝とはいうまでもなく畑の土を列状に寄せて作る暫定的な構造物である。縄文農耕に対する関心が考古学の間でも高まりつつあるなか、最近各地で「畝を伴うと見られる畑」の発掘の事例が相次いだ。 畝状の遺構があればそれは畑の跡である可能性が高いということであろう。私もその一部を見せていただいたが、率直なところ、畝状の遺構のすべてが真に畝であったかどうかの自信はない。というのも、畝を立てる作業はかなりの集約的な作業であり、焼畑地帯など粗放な畑作の場ではあまり畝を見ないからである。畝はもともと、水田の裏作など、乾燥を好む作物にはあまり好適でない環境で立てられるものである。 縄文農耕を畑作の類型と考えるのはおそらく正しいが、それは現代の私たちが考えるよりはだいぶ粗放なものであり、畝立てのような高度な作業を伴ったかどうかはわからない。畝状遺構の存在を畑の存在とするにはなお検討が必要であるように思う。 さて、耕地の主人公は栽培食物である。しかし耕地には栽培植物以外の植物が入り込んでくる。後にのべる雑草もそのひとつである。ここに除草という作業が生まれる必然性が生じるが、耕地が耕地としての性格をはっきりさせてくるにつれ、雑草もまた雑草としての性格を一層明確にしてくる。そしておそらく、害虫や病原菌もまた、耕地に棲みつく新たな生物として登場することとなった。『縄文農耕の世界』1:ヒエ日本原産説『縄文農耕の世界』2:「海上の道」の痕跡『縄文農耕の世界』3:ヒトに撹乱されてできた耕地
2024.03.06
コメント(0)
山本容子さんの説くビジュアル系のエッセイがええでぇ♪・・・ということで以下のとおり復刻しようと思い立ったのです。*********************************************************図書館で『パリ散歩画帖』という本を手にしたのです。版画家という本業を駆使して、ビジュアル系のエッセイになっていて・・・・ええでぇ♪【パリ散歩画帖】山本容子著、CCCメディアハウス、2006年刊<「BOOK」データベース>より銅版画家山本容子さんが小路を散歩しながら見つけたパリの日常。フランスパンの袋を、カフェのメニューを、メトロの切符を、キッチュにコラージュ。美しい旅の断片が一冊の思い出の画帖になりました。<読む前の大使寸評>版画家という本業を駆使して、ビジュアル系のエッセイになっていて・・・・ええでぇ♪rakutenパリ散歩画帖モンジュ広場山本さんの食材買出しを見てみましょう。p72~75 <モンジュ広場> 市場の中でもいちばんにぎわっている八百屋にいきました。アジア人のお店で、ほかの店よりも数段安い。だから混んでいるのでしょう。 マルシェはパリの人の胃袋を満たす場所。活気があって、眺めるだけでも楽しくなります。ディスプレイも美しい絵のようです。 近所の人たちにまじって、「ほうれん草を2袋」、「じゃがいもを1キロ」と買ってみます。おいしそうなものを目の前にするとフランス語でのやりとりも自然と弾みます。 にんじん、ほうれん草、じゃがいも、インゲン、たまねぎ、エシャロット・・・・。 「おいしそう」と思ったら、悩まずに、即買うこと。旅の途中ですから、あまり時間をかけずにぱっぱと選んでいきます。メインの料理用とドレッシングを作るうえでベースになる食材を一緒に買っておくのが賢い買い物です。特ににんにくとしょうが、レモンを買っておきましょう。この三つがあることでレパートリーがぐっと広がります。 ここには、総菜屋、魚屋、ハム屋、肉屋、洋服屋、アフリカ雑貨など、なんでもあります。チーズ屋は地方限定のものだけを売っていて、私の好きな赤カビ類のチーズがなかったのが残念!そんななか、卵とハーブを一緒に売っているお店が目につき、そこでシブレット(エゾネギ)を購入。 ご主人は髪の毛が薄いことを、まわりの人にからかわれていましたが、「ジダンに似ていて、いいじゃない」と私がいうとなんだか嬉しかったようです。ジダンの人気は絶大です。 みんな親切でわきあいあいと和やかなムード。パリのスーパー・マーケットの無愛想なキャッシャーとのやりとりと違って、気持ちよく買い物ができます。 ところでなんでフランスの魚屋って、いつも紺と白のボーダーTシャツなんだろう? と疑問を持つと、思わず魚屋のおじさんを描いていました。 そういえば、フランス人は「縞」の使い方が上手です。魚屋のボーダーに始まり、マルシェの看板や、囲い。野菜やチーズは赤と白。卵は黄色と白。*********************************************************『パリ散歩画帖』2:山本さんの食材買出し『パリ散歩画帖』1:友人がみつけてくれたアパルトマン
2024.03.04
コメント(0)
「多和田葉子」、「翻訳小説」という特集を組んだ『群像(2020年6月号)』を再読しようということで、以下のとおり復刻してみます。*********************************************************本屋の店頭で『群像(2020年6月号)』という雑誌を、手にしたのです。表紙に出ている特集「多和田葉子」「翻訳小説」というコピーに太子のツボが疼くわけでこれは買うっきゃないで・・・ということで久しぶりに雑誌を買い求めたのでおます。【群像(2020年6月号)】雑誌、講談社、2020年刊<商品説明>より[小特集 多和田葉子]・インタビュー「離れていても、孤独ではない人間たちの闘争」 聞き手・構成:小澤英実・評論「多和田葉子の『星座小説』--『星に仄めかされて』をめぐって」岩川ありさ[特集 翻訳小説]・アンケート「最新翻訳小説地図」<読む前の大使寸評>表紙に出ている特集「多和田葉子」「翻訳小説」というコピーに太子のツボが疼くわけでこれは買うっきゃないで・・・ということで久しぶりに雑誌を買い求めたのでおます。rakuten群像(2020年6月号)「『星に仄めかされて』をめぐって:岩川ありさ」で『地球にちりばめられて』の続編が語られているので、見てみましょうp195~197 <Susanooの物語>『星に仄めかされて』で重要になってくるのが神話をはじめとする物語の存在だ。Susanooは、クヌートやHirukoらの自伝的な物語の扉を開け、いつも同じ結末を持っている神話と渾然一体にすることで、「国産みの神話」や「国家共同体の神話」の内側に他者を閉じ込めようとする。けれども、ムンンやヴィダの存在は、異なる声を喚起し、Susanooを別の物語へと連れ出そうとする。 ムンンがSusanooに「アルタイル」(彦星)の名を与える場面は象徴的だろう。神話の中で、「ダメな弟の役柄」を割り振られ、ヤマタノオロチを退治する物語を延々と演じなければならなかったSusanooが、決められた物語の外側に出る可能性がこの場面からは見出せる。 Susanooが別の物語を生きる可能性について考えるとき、多和田の小説「文字移植」が大きな示唆を与えてくれるだろう。「文字移植」の語り手の「わたし」は、スペイン領のカナリア諸島にやってきた翻訳家である。語り手の「わたし」は、知人の所有する別荘に滞在しながら、ドイツ語で書かれたアンネ・ドゥーデンの小説「アルファベットの傷口」を翻訳しようとするが、「わたし」はこれまでに翻訳を終わらせたことがない。 モチーフとなっている伝説は、聖ゲオルグがドラゴンを退治し、王女を救うという、いつも同じ結末を持つ物語である。語り手の「わたし」は、ドゥーデンのドイツ語の小説を日本語に逐語訳することで、少しずつ統語法をずらし、ひとつの暴力の物語を語り終えることを拒絶し、「傷口」と暴力を明るみに出そうとする。(中略) 満身創痍になり、傷口は露出し、決して、物語は全面的な解決に向かうわけではない。だが、べつの声やべつの見方をとり入れることによって、いつも同じだったプロットが組み替わる可能性を「文字移植」は示唆する。「すっさ、すっさ、NO、NO、NO!」という響きは、アメノウズメが天の岩戸の前で踊ったときのように、凍ったような心を溶かす音楽に聴こえる。 Susanooが、「神話」という、いつも同じ結末を持つ物語の外に出ることができるとすれば、それはべつの声の中へと迎え入れられたときである。そして、その声は、ともにゆく人のいるエクソフォニーにおいて可能になる。 <星は組み替わる クヌートの物語> クヌートは母親であるニールセン夫人と失踪した父のあいだで大きな葛藤を抱いている。だが、その葛藤は、母を愛し、父に去勢され、「父の法」に参入するという、父殺しが主題のオイディプス王の物語をもとにしたエディプス・コンプレックスとは少し異なっている。 ニールセン夫人は、「性」という観念に強く影響を受けているが、クヌートの興味は言葉にあり、二人のあいだにはすれ違いが生まれている。クヌートが言語を習得する過程が詳細に綴られた第六章「ニールセン夫人は語る」で、ニールセン夫人は、地球人の子どもと火星人の子どもが取り替えられるというサイエンス・フィクション映画に夢中になっていたこともあり、大人には理解できないが、幼児たちが用いる言葉は、「複雑なシステムが根底に感じられる言語」であり、「別の星の言葉」なのかもしれないと感じている。 ニールセン夫人は、「具体的に何かしてほしいというメッセージを含んでおらず、話すためだけに話される芸術言語」であるクヌートの言葉を「むにゃむにゃ語」と呼び、幼児の頃のクヌートには親近感を抱いている。この「むにゃむにゃ語」への愛着は、父の言語の中にクヌートが飲み込まれてしまうことへのニールセン夫人による一つの抵抗なのかもしれない。小野正嗣も連載コラム「文芸時評」(5/27)で「多和田語の世界」を取り挙げています。『群像(2020年6月号)』1:翻訳小説に関する辛島デイヴィッドのレポート『群像(2020年6月号)』2:多和田葉子のインタビュー『群像(2020年6月号)』3:ハロー、ユーラシア『群像(2020年6月号)』4:イギリスのコロナウィルス対応『群像(2020年6月号)』5:小野正嗣の小説『群像(2020年6月号)』6:『地球にちりばめられて』の続編
2024.03.03
コメント(0)
「内田樹の研究室」の内田先生が日々つづる言葉のなかで、自分にヒットするお言葉をホームページに残しておきます。最近は池田香代子さんや、関さんや、雨宮さんなどの言葉も取り入れています。(池田香代子さんは☆で、関さんは△で、雨宮さんは○で、池田信夫さんは▲、高野さんは■で、金子先生は★、田原さんは#、湯浅さんは〇、印鑰さんは@、櫻井さんは*、西加奈子さんは♪で区別します)・2024年度寺子屋ゼミのテーマは・箱根の温泉で感じた中国のリアル・『本の本』あとがき・「宗教の本領」とは何か?・『街場の米中論』を読んで・月刊日本インタビュー「ウクライナとパレスチナ」・高校生に言いたかったこと・宮﨑駿『君たちはどう生きるか』を観て・平川克美『「答えは出さない」という見識』(夜間飛行)書評・「怪物」公式パンフレット解説・白井さんと話したこと・3.11から学ぶこと・韓国の地方移住者たちに話したこと・生産性の高い社会のゆくすえ・ウクライナ危機と反抗・「生きづらさについて考える」単行本あとがき・「街場の米中論」まえがき・図書館の戦い・村上文学の意義について・統一教会、安倍国葬について他・安倍政治を総括する・選挙と公約・無作法と批評性・徒然草 訳者あとがき・勇気について・病と癒しの物語『鬼滅の刃』の構造分析・「アウトサイダー」についての個人的な思い出とささやかな感想・コロナ後の世界 ・格差について・『コロナ後の世界』まえがき・紀伊田辺聖地巡礼の旅・成長と統治コスト・『日本習合論』中国語版序文・日本のイデオクラシー・後手に回る政治・倉吉の汽水空港でこんな話をした。(目次全文はここ)(その66):「2024年度寺子屋ゼミのテーマは」を追記2024-02-272024年度寺子屋ゼミのテーマはより 未来予測の精度は、問題になっている事象の前段をどれくらい過去まで遡れるかによって決まります。 今起きている事件について1年前から起きたことだけしか知らないなら、1年後や5年後に何が起こるかはわかりません。でも50年前弥100年前からの前段を含んだ「文脈」を知れば、それが選択しうる道筋はある程度見通すことができます。 未来予測をするのは「当てる」ためではありません。不意を衝かれて驚かされないための備えです。 ガザは停戦できるのか、ウクライナ戦争の帰趨はどうなるのか、アメリカはトランプが大統領になったらどうなるのか、中国の人口減と経済停滞はどのような変化をもたらすのか、トルコは帝国の版図を回復できるか、アフリカは中国の「勢力圏」になるのか、ヨーロッパ共同体とNATOは解体するのか・・・どれも熟慮に値する論件です。でも、新聞の解説記事やテレビのニュース解説者の論評くらいではなかなか「文脈」は見えてきません。 ここでいう「世界」にはもちろん日本も含まれます。 日本の「これから」を予測する場合(どのセクターについても)やはりそこにシリアスな問題が起きるに至った「前史」を十分に調べて頂きたいと思います。 以上がテーマについてです。このあとは「ゼミ発表とは何か」というもう少し一般的なことです。 寺子屋ゼミはあくまで「ゼミ」ですから、発表者に求められるのは「モノグラフ(monograph)」の提示です。論点は一つに限定すること。問題を提起し、それについて聴講生たちに十分な情報提供を行い、その論点について私見を述べること。 この間のゼミ発表を見ていると、最後の「私見を述べる」という点の詰めが甘いように思います。 この場合の「私見」というのは別にきわだってオリジナルな意見のことではありません。「私が言わないとたぶん誰も言いそうもないこと」です。必死で頭を絞らなくても、これは出てきます。ふだんだってそれと気づかぬうちにやっていることなんです。 自分が選んだテーマについて、あれこれ調べたり、考えたりしているうちに「ふと思ったこと(たぶん自分以外にはあまり思いつかないこと)」が「私見」です。 もしかすると、みなさんの中には「客観的な事実の摘示にとどめて、私見を述べないこと」が知的に抑制的なふるまいで、「よいこと」だと勘違いしている人がいるかも知れません。それ、違いますよ。「自分以外には誰も言いそうもないこと」だけが学術的な「贈り物」になります。 学術というのは集団的な営みです。あらゆる時代のあらゆる人たちがこつこつと積み上げた「煉瓦」でエンドレスに建物を作るようなものです。大きな岩を運んでくる人もいるし、岩と岩の間の「隙間」にぴったりはまる小石を持って来る人もいます。岩の大小はさしあたりどうでもいいんです。自分にしかできない贈り物をすること。それが学術的営為ということです。僕はみなさんに、みなさんだけの「小石」を見つけて欲しいと思います。2024-02-12箱根の温泉で感じた中国のリアルより 少し前に凱風館にも20人ほど中国からのお客さんを迎えた。引率された毛丹青先生に「この人たち、どういう方なんですか?」と訊いたら、「ビジネスで成功して、もう働く必要がなくなったので悠々自適の生活をしている人たち」だと教えられた。年代は30代から50代。功成り名遂げた中国のお金持ちたちである。アメリカなら、フロリダに屋敷を買って、ゴルフをしたりセーリングをしたり毎晩パーティをしたりして過ごすのが定番だけれど、中国の富豪たちは一味違っていて、彼らの間では今哲学や宗教に対する関心が高まっている。それを求めて訪日したのだと聞いた。 たしかに、物質的な欲望が充足されたあとに「精神的な飢餓感」を覚えるということは理解できる。なにしろ中国では文化大革命で清朝以来の伝統的な施設は解体され、その後は北京五輪と上海万博で「古い中国」の痕跡はほぼ消え去ってしまったからである(北京の伝統的な胡同もその時に壊された)。今の中国人が「古い中国」への郷愁が兆した時にどこに行けばよいのか。 朝鮮半島にも「古い中国」はほとんど残っていない。朝鮮戦争の時に「山奥の寺院に敵兵がたてこもっている」という噂に煽られて、歴史的建造物が惜しげなく焼き払われた。だから、韓国で私が訪れたいくつかの寺院も、遠目からだと美しいが、近くにゆくとほとんどがコンクリート造りの「レプリカ」だった。ソウルにも平壌にも、もう李氏朝鮮時代の建物はほとんど何も残っていないと聞いた。 だから、中国の人たちが「古い中国」の郷愁を覚えた時に行く先は日本しかなくなったとしても不思議はない。たしかに日本には「古い中国」が残っている。宋や明や清の時代のものが日本列島に伝来して、いろいろなかたちで、そのままアーカイブされている。 箱根でも、中国からのお客さんたちもずいぶんリラックスしているように見えた。だって、部屋の床の間には漢詩の掛け軸や南宋画が掛かっているのである(私たちの定宿はロビーの壁に中国の馬だけを描いた巨大な画布がかかっていた)。それを見た時の彼らの安堵はいかばかりであろうか。2024-02-08 『本の本』あとがきよりこの本は出版危機と電子書籍をめぐる話から始まって、図書館の話、学校教育の話で終わります。そして、ご一読して頂ければわかったと思いますが、僕の本についての考え方は、かなり変わっています。 僕は「本を買う人」と「本を読む人」を分別して、用事があるのは「本を読む人」であると断言しておりますが、こういう立場を公言する人は、たぶん日本の職業的な物書きの中にはほとんどいないと思います。韓国ではどうなんでしょう。たぶん事情はそれほど変わらないと思います。 僕は中学生の時にSFの同人誌をガリ版刷りして出版した時から一貫して、道行く人の袖を引いて「お願い、読んで」と懇請するという姿勢を通してきました。大学生の時は、政治的なアジビラやパンフレットをやはりガリ版刷りで作ってキャンパスで配布していました。学者になった後も、最初の頃の著作はどれも自費出版です。 僕の場合、「市場のニーズ」がものを書く動機になったことはありません。だって、僕の書くものについての「ニーズ」なんてないんですから。誰も「書いてくれ」とは言ってくれない。でも、こちらにはどうしても言いたいことがある。だから、自分で書いて、刷って、配る。それが僕の基本姿勢です。 ですから、僕はこれまでずっと市場原理とは原理的には無縁でした。 市場原理に従うならば、「こういうものを読みたい」と思っている読者の需要がまずあって、それに見合うような商品が供給されるという図式になります。 でも、僕はそんなのは「嘘」だと思います。 いや、嘘というのは言い過ぎでした。たしかに、出版にはそういう需給関係という側面もあるかも知れない。 でも、本が書かれる前に、その内容を先取りして、「こういうものが読みたい」と思う読者の側の潜在的需要なんてほんとうにあるんでしょうか。 僕は「ない」と思う。 そうではなくて、まず本が書かれて、それを読んだ読者が「こういうものが読みたかったんだよ!」と歓声を上げるというのがほんとうの順序なのではないでしょうか。 そして、もちろん「こういうものが読みたかった」という読者のリアクションは読んだ後に読者自身が作った「物語」です。自分がひさしく求めていた「読みたいもの」の条件をぴたりと満たす書物についに出会った...という「物語」ほど僕たちを高揚させるものはありませんからね。僕たちは本に出合った後に、「その本を久しく待望していた私」というものを造形するのです。事後における記憶の改造をしているんです。 もちろん、あわてて言い添えますけれど、それはぜんぜん悪いことじゃないんですよ。人間はそうやって記憶を書き換えながら生きてゆく生き物なんですから、それでいいんです。以降の全文は内田先生かく語りき62による。
2024.02.29
コメント(0)
大島渚監督も、主演の坂本龍一もすでに亡くなってしまったが、『戦場のメリークリスマス』という映画はこれからも残るわけで・・・以前の日記から以下のとおり紹介します。*********************************************************図書館で「『戦場のメリークリスマス』知られざる真実」という本を手にしたのです。【『戦場のメリークリスマス』知られざる真実】 WOWOW「ノンフィクションW」取材班×吉村 栄一著、東京ニュース通信社、2021年刊<「BOOK」データベース>より1980年代、男が最も美しかった世界、男が最も哀しかった時代。オーシマ、ボウイ、サカモト、タケシ。二度と現れない、しかし、三度も四度も味わいたい、脅威の「創造」力、結集の秘密と奇跡。貴重な発掘資料と関係者へのインタビューで、伝説の映画の知られざる真実を掘り起こす。ピーター・バラカン、大島新への新規インタビューなども加えた「完全保存版」。<読む前の大使寸評>追って記入rakuten『戦場のメリークリスマス』知られざる真実「第六章 躁」では映画撮影の現場がいかなるものか、述べられています。p70~72<第六章 躁> 映画『戦場のメリークリスマス』の撮影は、日本人俳優がラロトンガ入りする直前の8月21日からスタートしていた。収容所でのデヴィッド・ボウイ、トム・コンティの絡みのシーンだ。これが映画のファースト・カットとなった。 大島監督らすでに現地入りしていたスタッフを除く、日本人のキャスト、スタッフらがラロトンガ入りしたのは8月23日。途中、フィジーでの2泊を含む、日本から4日をかけての長旅だった。この長旅の間中、英語の台詞が多い坂本龍一は脚本()とつねに格闘していたという。 到着するなり、そこはもう戦場だった。日本人、外国人のキャスト、スタッフが入り乱れ、宿舎となったラロトンガ・ホテルは収容所ならずとも、戦地のキャンプのような様相を呈していた。 英語、日本語が飛び交い、あちこちで文化の衝突もあれば融合もあった。何人かの日本語に堪能な外国人スタッフたちがその緩衝材、橋渡しの役を担った。 その代表が、外国人キャストへの日本語の台詞指導や大島監督の相談役というポジションにいたロジャー・バルバースだった。ロジャー・バルバース ラロトンガでの撮影中のぼくのスケジュールは、基本的に朝起きてまず、オンボロのトヨタで監督や成島さんらをロケ場所まで送る。ほんとうにこの車は大丈夫かっていうぐらいの錆びた車でした。そして朝食のときに、トム・コンティ、ボウイ、ジャック・トンプソンら外国人俳優と打ち合わせをして、監督の要望を伝えたり、彼らの悩みや相談を聞いたりする。 彼らのほうから「このシーンはこういうふうにやりたいのだけど、どうか?」と訊かれて、監督に伝えもしました。そういうときは監督の答えはほとんど「好きなようにやってください」というものでした。 でも外国人俳優たちに「Do as you like(好きにやって)」と伝えても、彼らはそれに納得しない。自分の提案に対して、もうちょっと監督からの意見や積極的な肯定の言葉がほしい、と。 というと、監督は、そんなのいちいち指示しない、段取りも組まない。好きにやってくれ、と。 撮影現場では本当にそうだったんです。俳優に向かって、ここでこうしなさい、こういうふうに、ということがまったくない。小津安二郎監督とは180度ちがうというか(笑)、本当に演出の指示をしない、俳優にまかせて、大体ワン・テイク。ときには撮影監督がOKを出す前に「よし次!」って(笑)。 監督は、とにかく役者の自発性にまかせて、最初のテイクがいちばんおもしろいっていう天才的なひらめきがある人。自発性とフレッシュネス、新鮮さとその雰囲気を尊重する。フィルムではそれがうまく出ているわけですから正解でした。 これはよく憶えているのですが、あるシーンでトム・コンティが「ロジャー、このハラ軍曹が現れるシーンでは、ぼくはどういうふうにしゃべるのがいいと思う?」って訊いてきたんです。で、ぼくは何気なく「この椅子から立ち上がりながらしゃべるのがいいんじゃない」って答えたら、それを見ていた監督が「ロジャー! 演出するな!」って怒鳴るんですよ。もう本当に北極からの冷たい風が身体を通り抜けたように凍りつきましたね(笑)。「トム、悪いけど自分で考えて好きなようにして!」って(笑)。「『戦場のメリークリスマス』知られざる真実」3:映画撮影の現場「『戦場のメリークリスマス』知られざる真実」2:第二次大戦の日本軍と俘虜の関係「『戦場のメリークリスマス』知られざる真実」1:坂本龍一さんへのインタビュー
2024.02.25
コメント(0)
ネット巡っていたら、『「ロシアのスパイが戻ってきた」 欧州各地で殺害・世論操作事件』というのに出くわしたのです。おお 反体制派指導者のナワリヌイ氏の殺害疑惑にゆれるロシアであるが・・・韓国・東亜日報の記事が興味深いので以下に紹介します。「ロシアの情報機関はこれまで以上に危険な状態」との指摘は聞き捨てにできないでぇ。*********************************************************「ロシアのスパイが戻ってきた」 欧州各地で殺害・世論操作事件より■「ロシアのスパイが戻ってきた」(英誌エコノミスト)ソ連時代に「KGB(国家保安委員会)」として威勢を誇ったロシアの情報機関が、プーチン大統領の全面的な支援の下、過去の存在感を取り戻そうと奮闘している。ウクライナ侵攻当時、「戦争は数日以内に決着がつくだろう」と誤った判断をするなど大恥をかいた情報機関が、最近、大々的な改革を行い、様々な海外作戦に乗り出したという。特に、13日にウクライナに亡命したロシア人パイロットがスペインで殺害された事件に介入した疑いなどが浮上し、冷戦時代のKGBの「影の戦争(shadow war)」の復活を狙っているという観測も流れている。■ クレムリン宮が情報機関の改革を主導英誌エコノミストによると、ロシアの3大情報機関である連邦保安局(FSB)、対外情報局(SVR)、軍参謀本部情報総局(GRU)は、ウクライナ戦争前から分裂と無能で国際的に軽視されてきた。16日に獄中で不審死した反体制派指導者のナワリヌイ氏を2020年に毒殺しようとしたが失敗した。22年にはウクライナを過小評価し、23日で2年目を迎える長期戦を招いた。長年のライバルである米中央情報局(CIA)のバーンズ長官が先月、外交専門誌「フォーリン・アフェアーズ」の寄稿文で、「ロシアのおかげでCIAの採用機会が増えた」と嘲笑したほどだ。しかし、最近、ロシアの情報当局が過去の過ちを教訓にして大々的な改革に乗り出す動きが見られる。英王立防衛安全保障研究所(RUSI)は20日、報告書で、「セルゲイ・キリエンコ大統領府第1副長官が率いる『特別影響力委員会(GRU)』が主導している」と伝えた。GRUは最近、一連のロシア軍の情報流出を戦争不振の深刻な原因と指摘し、主要部隊でスマートフォンの使用を厳しく禁止した。エコノミストは、「最近、欧州連合(EU)の分裂を狙った一連の事態もGRUの動きと関連している」と分析した。ウクライナ西南部の旧ソ連国家であるモルドバが昨年、EU加盟を推進した際、モルドバ大統領に対する虚偽情報が突然急増したのも、ロシアの情報当局が関与した可能性が高いという。最近、ドイツ外務省は昨年12月20日から1ヵ月間、ロシア政府機関のプロパガンダをドイツ語で掲載したX(旧ツイッター)のアカウントを5万個以上確認した。フランスとポーランドも12日、ロシアのオンライン世論操作ネットワーク「ポータルコンバット」に対する共同対応を予告した。■ NATO崩壊を狙う「影の戦争」ロシアの情報機関の最優先課題は、北大西洋条約機構(NATO)内部の亀裂の拡大だ。戦争相手であるウクライナに対する支援を弱めるためだ。RUSIは、「ロシアの情報機関がこのために英国など欧州各国の選挙に介入する準備をしている」と警告した。これらの機関が冷戦時代にあったような冷酷な作戦に乗り出す兆候もすでに発見されている。ウクライナ戦争中に反旗を翻して亡命したロシア軍パイロット、マキシム・クズミノフ氏が13日、スペインで殺害された事件も、ロシア情報当局が現地マフィアと共謀して起こしたとみられている。英紙タイムズは、「クズミノフ氏の死は、ロシアの情報機関の冷酷さを示す事件であると共に、ウクライナ侵攻後、情報機関が復活している兆候だ」と報じた。特に最近は、東欧で様々な作戦を展開している。エストニア政府は20日、「ロシアの情報機関の指示を受けて内相の車を破壊した容疑でエストニア人とロシア人10人を拘束した」と発表した。カヤ・カラス首相は米CNNのインタビューで、「私たちに対してロシアが影の戦争を行っている」と述べた。KGB出身のプーチン大統領の性格上、情報機関の復活は一過性にとどまらないとみられる。エコノミストは、「スターリン時代に強力だった秘密機関の栄光を取り戻そうとしている」とし、「ロシアの情報機関はこれまで以上に危険な状態」と警告した。洪禎秀 hong@donga.comウクライナ侵攻2年目となるが・・・伝統的な人海戦術・物量作戦を採るロシアが盛り返して、自由世界の脅威が増しています。
2024.02.24
コメント(0)
ガザ地区南部では、イスラエル軍により、市民を巻き込むテロリスト掃討作戦が始まろうとしているが・・・・歴史を省りみると、中東地域の国境線の引き方が極めて欺瞞的であったわけで、以下の本を読み直してみようと思い立ったのです。*********************************************************<『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』3>図書館で『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくってみると、おお「アラビアのロレンス」にも触れているではないか・・・これが借りる決め手になったのです。【サイクス=ピコ協定 百年の呪縛】池内恵著、新潮社、2016年刊<「BOOK」データベース>より百年前の「秘密協定」は、本当に諸悪の根源なのか?いまや中東の地は、ヨーロッパへ世界へと難民、テロを拡散する「蓋のないパンドラの箱」と化している。1916年、英・仏の協定によって地図の上に無理やり引かれた国境線こそが、その混乱を運命づけたとする説が今日では専らだ。しかし、中東の歴史と現実、複雑な国家間の関係を深く知らなければ、決して正解には至れない。危機の本質を捉える緊急出版!<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると、おお「アラビアのロレンス」にも触れているではないか・・・これがかりる決め手になったのです。rakutenサイクス=ピコ協定 百年の呪縛協定区域地図の上に無理やり引かれた国境線こそが諸悪の根源だともっぱら言われるが、果して?p19~21<第1章 サイクス=ピコ協定とは何だったのか>■分かった気にさせるマジックワード「結局、サイクス=ピコ協定が諸悪の根源だ」 近頃、こういったフレーズをよく聞くようになった。中東の混迷の原因は何なのか。一帯誰が悪いのか。誰もが自然に思い浮かべる素朴な義憤に、単純明快な答えを見つけたような気にさせてくれる万能のマジックワードが「サイクス=ピコ協定」である。 要するに、中東の混乱の原因は、イギリスとフランスが、サイクス=ピコ協定によってアラブ世界に不自然な国境線を引いたからである。だからシリアやイラクなど、民族や宗派が違う人々が同じ国に住まされて、まとまりがなく、争いが絶えないのである…云々。にわか仕込みのテレビ・コメンテーターなどが急にこの言葉を用いるようになった。 確かに、こう言ってしまいたくなる気持ちは分かる。「アラブの春」以来、中東情勢の混迷は一向に収束する気配がない。「イスラーム国」が行なって誇示する処刑やテロなどの蛮行の数々は、一般的な感覚からは到底理解が不可能だろう。何か一つのキーワードで「要するに…」と大雑把にまとめてしまってスッキリしたい、という気持ちは分からないでもない。 そして、実際に「サイクス=ピコ協定」は重要な文書である。現在の中東の成り立ちの、ある根本的な部分を基礎づけている。確かにサイクス=ピコ協定は「悪い」。帝国主義・植民地主義の時代にイギリスやフランスやロシアなど「西欧列強」が、そして冷戦時代はアメリカとソビエト連邦など超大国が、中東に介入し、影響力を競ったことで、どれだけ大きな混乱が、戦争の惨禍が、中東を襲ってきたことか。 しかし同時に、「サイクス=ピコ協定が悪い」と言っているだけでは、現実を理解するという意味でも、将来を見通すという意味でも、そして解決策を見出すという意味でも、先に進めない。 これは東アジアに置き換えて考えてみれば少し分かりやすくなるかもしれない。例えば、北朝鮮の核兵器・ミサイル開発の問題について、「そもそも日本が朝鮮半島で帝国主義・植民地支配をしたから悪い」とだけ言い続ければどうなるだろうか。日本が植民地支配をした挙句、太平洋戦争で敗れて朝鮮半島から撤退したから、朝鮮半島は米ソ冷戦の最前線となって、南北に国家は分断された。 いつ戦争が再開されてもおかしくない緊張状態が続き、北朝鮮は独裁化し、核兵器やミサイルを開発して威嚇する。悪いのは日本の植民地支配だ…と主張したら、どうだろうか。確かに、日本が朝鮮半島を併合して支配していなければ、朝鮮半島は今のような状態にはなっていないかもしれない。おそらく、現在の朝鮮半島の政治情勢に、日本のかつての植民地支配は、多くの日本人が現在意識しているよりももっと大きく影響を及ぼしているだろう。 しかし植民地主義の時代から現代までの間には長い時間が経っており、その間の、より大きな影響を与えた多くの出来事が生じている。もし日本による統治の時代がなければ、もちろん朝鮮半島の歴史は大きく変わっていただろうが、日本の統治下に入る以外の可能性がどれだけあったかとというところが定かでなく、しかも別の可能性がよりましなものであったとも言えない。ロシアや中国に併合されて、現在独立国でいることができなかったかもしれない。それを現在の南北朝鮮の国民の感覚からは、到底受け入れられないだろう。 さらに言えば、現在の朝鮮半島の国家や国際関係が抱える問題に日本が責任がある、ということであれば、「日本が責任を取ってもう一度朝鮮半島に介入して今度はきちんと問題を解決するべきだ」ということにもなりかねない。もちろん、そんなことを現在の日本で本気で主張して実行しようとする人は皆無に近いだろうし、朝鮮半島の民族も決して求めないことだろう。 同じように、「結局、サイクス=ピコ協定が悪いのだ」という議論も、中東の歴史を方向づけた非常に重要な歴史の事象に触れているのだが、それだけでは現在の中東を読み解き、将来を展望するのに十分ではない。『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』1:アラビアのロレンス『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』2:20世紀は難民の世紀『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』3:分かった気にさせるマジックワード
2024.02.21
コメント(0)
ネット巡っていたら、『ベストセラーズインタビュー』シリーズで『bestseller's interview 第77回 絲山秋子さん』というのに出くわしたのです。おお 絲山秋子さんってか・・・これはいけてるかも♪ *********************************************************『bestseller's interview 第77回 絲山秋子さん』より■出版界の最重要人物にフォーカスする『ベストセラーズインタビュー』! 第77回となる今回のゲストは、昨年12月に新刊『薄情』(新潮社/刊)を刊行した絲山秋子さんです。 『薄情』の舞台となっているのは群馬県高崎市。その地での暮らしぶりや季節の移り変わりが丹念に描かれていくなかで、地方都市に暮らす人ならではの葛藤が浮き彫りになっていきます。「暮らし続ける人」、「戻ってきた人」、「移住してきた人」、同じ場所で暮らしながらそれぞれ異なった背景を持つ登場人物たちの出会いと再会の後に起きた出来事とは? この作品の成り立ちについて、絲山さんにたっぷり語っていただきました。 ■Interview Index1.「余所者」には「良い」か「悪い」かしかない2. 「無理に先を書こうとしてもうまくいかない。でも、待っていると 『今だ!』という瞬間がやってくる」3.絲山作品は「あらすじを追わない」方が楽しく読める?4. 取材後記■「余所者」には「良い」か「悪い」かしかない ― 絲山さんの新刊『薄情』は、群馬県の高崎市を舞台にした、いわば「土地」に根を張った作品です。まずは、この小説がどのように着想されたのかというところからお聞きしたいのですが、やはりご自身がこの地で暮らしているということが大きいのでしょうか。著者近影絲山: もちろん、自分が住んでいるからというのはあります。これまで、小説の中であちこちの地方都市を書いてきたのですが、多くは「余所からその土地に来た人」の話でした。ただ、群馬に関しては実際に家を建てて暮らしていて、町内会の活動にも参加しています。方言で話しますし、知人も増えましたしね。それもあって、私自身は東京出身なのですが、群馬を舞台にするのであれば「その土地で生まれ育ってずっと暮らしている人」のことも書けるのではないかというのがありました。前に書いた『ばかもの』も高崎が舞台でしたが、『薄情』はそれをもう一歩進めた形で書きたいという気持ちでしたね。― 「土地」ということでいうと、「生まれてからずっとその土地の中にいた人」と、主人公の宇田川や蜂須賀のように「一度出てから戻ってきた人」、鹿谷さんのように「外からきた人」が作中に登場しますが、それぞれ土地との距離感が違っていて面白かったです。絲山: 自分自身、高崎には会社員時代に2年いて、その後で住みついたのですが、アパート暮らしの時と、家を建ててからでは周りの人との親密度が変わったように感じます。余所者かどうかということでいえば、この先もずっと余所者なのでしょうが、それでも少しずつその土地だとか土地の人との距離感は変わってくるものだと思います。同じように、生まれた時からその土地にいる人でも、家族が代々そこに住んでいるという人と、親の代で移り住んできた人とでは、ものの見方にしても故郷の捉え方にしても少しずつ違ってくるはずです。― 群馬といえば、その「田舎」ぶりがインターネット上でネタにされていたり……絲山: 群馬の人ってそれを知っていて笑いのネタとして、自虐的に話すんですよね。本当は群馬が好きなのにわざわざ自虐に走ってしまう。「未開の地 群馬」と言われたりしますけど、そういうことでも、話題として楽しんだりします。この小説では、そういう群馬の人の気質も含めて、他の人が書いていない群馬の話を書きたいと思っていました。― 東京との距離が絶妙ですよね。遠いは遠いですが、地方とまではいきませんし。絲山: 方言にしても、イントネーションは東京と同じで、昔の「江戸っ子」の言葉に近いんです。「おまえ」が「おめえ」だったり、「はいった」が「へえった」だったり、落語みたいに聞こえるかもしれません。― ただ、宇田川は登場人物の中でもはっきりと東京との距離を感じていますね。絲山: 宇田川もそうですが、群馬は「地元意識」が強い人が多いと思います。そこは埼玉の人との違いかもしれません。埼玉の場合、東京に通勤していたりするので、独自の地元意識はあまりないという人が多いのですが、群馬は地域によって特色が違いつつも全体で「俺たちは群馬」という意識があります。おもしろいのは、群馬の人は東京のことを「都内」って言うんですよ。おそらく無意識に使っているのだと思いますが、群馬は東京の外側なんだから「今日は東京で仕事」でいいはずなのに「今日は都内で仕事」と言う。でも埼玉や長野のことは「他県」と言うんです(笑)。だから埼玉を飛び越えて東京に親近感を持っているんだと思います。以前、この『薄情』を読んでいて群馬弁に驚いたものです。・・・なんか名古屋弁もハダシで逃げそうだがや。だけど、絲山さんは群馬弁どころか、フランス語も操るところろがスゴイ♪【薄情】絲山秋子著、新潮社、2015年刊<「BOOK」データベース>より地方都市に暮らす宇田川静生は、他者への深入りを避け日々をやり過ごしてきた。だが、高校時代の後輩女子・蜂須賀との再会や、東京から移住した木工職人・鹿谷さんらとの交流を通し、かれは次第に考えを改めていく。そしてある日、決定的な事件が起きー。季節の移り変わりとともに揺れ動く内面。社会の本質に迫る。滋味豊かな長編小説。<読む前の大使寸評>この新作は、2016年の谷崎潤一郎賞受賞とのこと。絲山秋子ミニブームの勢いで、読んでみるか♪<図書館予約:(10/31予約済み、副本11、予約3)>rakuten薄情文章作成におけるアイデアが述べられているので、メモしたのです。― 推敲のポイントなどがあればという質問も来ています。絲山: これはプリントアウトですね。パソコンのモニタで読むと客観的になりにくいですし、文字も見づらいので、私もゲラを読む時はプリントアウトしたものに手書き赤を入れています。それと、書き終わったらその内容を一度忘れることも大事なので、一日でも二日でもいいので、書いた文章のことを積極的に忘れるように心がけてみるといいと思います。読み返した時に他人の文章を読んでいるような感覚になるのが理想ですね。― ちなみに、ゲラにはたくさん手を入れるタイプですか?絲山: ものすごく手を入れるタイプです。初稿もそうですし、単行本になる時もかなり直します。「宇田川は車を運転したい」と「車を宇田川は運転したい」のように、言葉の順番が違うだけで読んだ印象が全く変わってしまうので、ものすごく注意していますし、いじくり回します。こういうことも、書いた後に一度忘れるようにしているからできるんです。― 最後になりますが、読者の方々にメッセージをお願いいたします。絲山: 私は実在する人物と、小説に登場する架空の人物を分けて考えません。たとえば、実在する人でも、友達の家族だと話は聞いても会うことがなかったりするわけで、登場人物たちについてもそのくらいの感じに捉えています。『薄情』に出てくる登場人物にモデルはいませんが、「絲山の友達」とか「自分の友達の友達」とか、そのくらい身近に思っていただけたらありがたいです。それと、小説を読む時は「あらすじ」を無理に追わない方が味わいやすかったり、楽かもしれませんよ、ということも伝えたいですね。特に私の小説はあらすじを無理に追わない方が楽しく読めるのではないかと思います。
2024.02.19
コメント(0)
全783件 (783件中 1-50件目)