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「ありがとう」 心に降り積もる出会いと感謝が、テルという鳥を空に舞い上げる。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『僕道』シリーズ、これで全てが終わりました。 でも、その人生を終えた秀雄以外の皆が、今もその人生を歩いています。 だからでしょうか、私はまだ終わった気がしないんですよ(苦笑)。 テルの人生はラストに、都古とともに視聴者の手を離れ、道の向こうに走り出してしまったけれど。 でも、何故だか、また逢える気もするんです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 対比・伏線昇華。 これまでに出てきた映像の対比や複線が光ったのも、この回でした。 後で詳しく説明する物もありますが、例えば、『冒頭、都古に服を掛けるシーン』(第六話・亀田がライダーシャツをテルに掛ける)『従業員、全員で園長に栄転を促す』(第八話・従業員が園長への不信感を前面に出す)『私が、テルを必要としているの』(第六話・「私は、河原さんと約束したの」)『破裂するピストル』(第一話・破裂する風船)『混乱を鎮める為に、亀田の言葉を繰り返すテル』(年号・人名の繰り返し)『背中を押す兄』(第十話・競争で手を引く兄)などが、すごく印象的でした。 そして、園長や真樹の様子の激変もすごく嬉しかったです。 また、都古の熱・風呂の温度・テルの番号が全て39(サンキュー)だったのにはちょっと笑いましたね。 最終回なのだな…と実感しちゃいましたね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「私が、テルを必要としているの」 かつてあの部屋で「私は、河原さんと約束したの」という言葉でテルを傷つけたように。 今度は都古がその言葉で、河原を傷つけます。 言葉の裏の、『あなたは、必要としていない』という意味に。 妻に対しても、世間に対しても裏表のある男だからこそ、その裏の意味にはすぐに気づいたことでしょう。 河原にとって、都古に対して少しだけ優越感がありました。 『君の為に妻と別れた』という嘘、そして『世間体のいい男』という二点です。 しかし都古は、『都古に何もできず、世間からの荷物のような男』であるテルを選びました。 それは河原の理解の範疇を超えた出来事であったはずです。 河原はきっと、それ以上都古を追う事はできなかったでしょう。 『バツ2』よりも、『自分の理解できない価値観の女性と、一緒にいること』の方が恐ろしかったはずです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 都古が河原とやり直さなかったのは、自分的にはちょっと悲しかったですね。 一度大喧嘩して、本音を全てぶつけて、自分を曝け出して、それでも許してくれるのか、試しても良かったのでは…。 …ただ、気づいたことがあります。 都古失踪後、河原は家事を何一つしていませんでした。 崩壊した家は、都古の幼少時代の家の中を彷彿とさせます。 …彼女の居場所を、拒絶するように。 河原は、都古がいつ帰ってもいい状態にしていたでしょうか? あるいは、全力で追いかけて来てくれたでしょうか? どちらもNOです。 外面を求めても、それを本当にする努力を一切しなかったのです。…それは偽善ですら、無い。 河原も都古には気持ちが無かったのかもしれませんね。 …河原のことですから、失踪している間に後釜を探していそうです(苦笑)。 そう思うと、同情しなくてもいいかな。 願わくば三人目の奥さんが、僕と彼女と彼女の生きる道』のゆらみたいな人でありますように。 河原も一度、徹朗のように『家庭に対する倫理観』を矯正してもらった方がいいと思います(笑)。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 久保のエピソード。 …涙腺、即時決壊。ダム崩壊につき、洪水発生。 …ダメです。園長のエピソードになった途端、怒涛のごとく泣いてしまいました(おひっ)。もう、止めることを諦め、流れるに任せて食い入るように見続けました。 こんなに簡単に泣いて、こんなに涙が止まらなくなる自分が、信じられません。 彼は園長であることに生きがいを見出しました。 形だけを追い求めることを止めた時、『体裁だけの出世』に意味が無くなってしまったんですね。 だからこそ、職員達は園長を上へと送り出そうとしたんですね。 “障害者雇用に意味を見出さなかった”り、“動物園を入園数だけで計った”りする上層部に疑いを持つからこそ、です。 久保は出世することで、大切な場所を守ることを決めました。最後の建前が、本音になったんですね。 今の彼こそ、出世し、上層部を変えるべき人間だと私も思います。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 都古の積極性。 テルに関して、都古の発言の多さには驚きました。 大竹家の人々は「何故、家族じゃないあなたがそこまで熱くなる…(汗)」と思ってたに違いないでしょう(苦笑)。 とはいえ、都古の気持ちも理解できないわけではないんですよ。 都古は昔、「代わりに怒ってあげる」と約束し、テルもまた「代わりに笑ってあげる」と言った仲です(第五話)。 テルもまた、都古が泣けない時に代わりに涙を流すところがあります。 それゆえに“自分の可能性に気づいていないなら、自分が気づいてあげる。 テルが自分の事を言えないなら、私が代わりに言ってあげる”と思っているのではないでしょうか。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ テルと鳶。──ほとんど羽撃かず、尾羽で巧みに舵を取り、上昇気流に乗って上空に舞い上がる── ──まるで、テルのように。 表面には変化をほとんど示さず。 けれど、好意を上昇気流に変えて、飛び上がっていくのです。「いつまでも兄妹が面倒を見てくれると思うな」 その言葉をテルは覚えていたのでしょう。 『いつまでも』は無い。そのことに気づいて、初めてテルは独立を考え始めたのですね。 テルに独立を決めさせるためのキーワードは二つ。 『鳶という存在を知ること』、『自転車レースで、鳶を見ること』。 それは『動物園で働いた』こと、『新しい道を走り始めた』ことの二つが重なったから。 そしてそれは…。 一つ一つの好意を受け止め、それを返していこうと努力し続けたから。 その一歩一歩の歩みが、テルを『独立』に導いたんですね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『新しい家族』。「真樹さんと、一緒に暮らして、新しい家族を作ったのよ。 (中略)結婚する人もいるし、しない人もいる」 第四話で、里江はそう答えました。「結婚っていうのは『ずっと一緒に仲良くしよう』って約束すること」 そう都古は言いました。「僕も結婚するの?」 テルは確かに結婚はしませんでした。 しかし、テルは結婚に代わる形で、『新しい家族』を作りました。 それが『グループホーム』です。 それもまた、一つの形だと私は思います。 人と違うかもしれない。だけど、テルができる、『新しい家族』の作りかたなのですから。 『グループホーム』という言葉そのものは十話で突然出てきたものですが、伏線はきちんと張ってあったのですね。 ただ大切なのは『前の家族』がそれを見守れるかどうか。 都古のように、“失敗しても帰るべき家族が無い”ことは不幸です。 だけどテルは兄夫婦に受け入れられてから、『グループホーム』という新しい家族を作ることができました。 それはとても幸せなことではないでしょうか。 その意味でも、第十話での兄との邂逅は必要なエピソードだったのだと思います。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 三ヶ月間、草なぎ君も大変だったみたいですね。 タカハタ秀太さんのHPにも、その苦労は書いてあります。 …まぁ、役に憑依されるのはいつものことなんですけどね(苦笑)。 『僕の生きる道』後半収録中は、バラエティでも言動に『解脱オーラ』が出ていましたっけ。あのときはさすがに怖かったです(苦笑)。 今のうちにちゃんとガスを抜いて、次の作品までにニュートラルな状態に戻してくれることを願っています。 草なぎ君、他出演者様、そして関係者の皆様。 お疲れ様です。そして『僕道』三部作をありがとうございました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 彼は止まらない。 変化を恐れる衝動を、希望へと変えて。 自転車の振動に、確かな道を感じて、走り出す。
2006/12/22
母に守られた命がある。 母にすがり付かれた命がある。 母に忌まわしがられた命がある。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 今回は『母と子、子同士の絆』が主軸でしたね。 大竹親子と、都古親子がシンメトリーのようで、両方を際立たせていました。 そして、今回は<ありがとう>の歌詞を彷彿とさせるシーンの連続でした。 歌詞カードを持ってる方は是非、それを見ながら歌を全部聴いてみてください。 物語における『台詞』はTPOを選ぶ。そう久美沙織さんは『新人賞の取り方教えます』(徳間書房)でおっしゃってました。 その意味では、「ありがとう」のたった一言に全てが集約されていたのですね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ テルの涙。 テルは純粋すぎるが故に、心を許した人間の感情に共感しすぎてしまうのかもしれません。 テルの涙も、都古が見せた感情に共感し、それがぶり返してしまったが故に込み上げたのだと思います。>「たまに…変なときに突然泣くことがあるんです」 それは、“テルはずっと昔から、都古の悲しみに共感し続けてきた”ことを指しています。 『共感』とは『受容』と同じく、カウンセリングの技術。 テルは都古にとって、最高のカウンセラーでもあったのでしょう。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ りな。 ずっと、ずっと母のカウンセラーであったりな。 でも他人の苦しみや言葉や考えを受け止め続けるだけで、彼女自身の言葉も中身も吐き出すことができなかったのですね。 吐き出す先を失った『思い』が、きっかけを失い、形を変えて、『無目的な衝動』になって溢れてしまった。 それを止めるには、『本当の理由』を何らかの形で昇華するしかないのに。 結局、その『思い』に気づいたのは、兄であり、堀田先生でした。 兄は自分の中の同じ『思い』故に。堀田は、専門業だからこそ。 りなは、『衝動』を一人で乗り越えることはできませんでした。 なぜなら、一人で自分の心にもぐるのは、とても辛く、怖く、体力を消耗することだからです。 だからこそ堀田のカウンセリングが必要だったんです。 正規のカウンセリングに基づき、二人でりなの心を探り、痛みを分かち合い、『思い』の正体に言葉という形を与え、そして向き合い方を模索する。 主導権も、答えを導き出すのも、あくまでりな自身。 『思い』と改めて向き合う『苦しさ』に泣きながらも、そうすることで『苦しさ』を昇華する。 そうすることで、母への反発を少しずつ緩和していったのですね。 以前、このドラマの感想で『本当は、身内こそが最良のカウンセラーになるべき。しかし、身内がカウンセリングをしてくれない現代は、不幸だ』と述べました。 りなもまた身内ではなく、専門職に頼らざるを得なかったのですね。 それは哀しいことだと思いました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 秀治。 兄はきっと真樹よりもずっと、“テルを施設に預け”たがっていたのかもしれません。 ずっとずっとテルのことを負い目に思い、大人にすら責められ、しかしそのことを母親には言えなかった秀治。 妹よりも年が近い分、テルのことをいろいろと言われ続けてきたのでしょう。 河原と違う理由で、兄もまた世間の目を気にせざるを得なかったのですね。 そして兄がどんなに苦しんでいても、負い目を感じていても。 これまでテルは、それを理解したそぶりを見せなかった……完全に理解することも、そぶりをすることも、できなかったのでしょう。 テルへの好意に、兄は疲れ、空しさすら感じていたのかもしれません。しかしそれを、無理矢理に理性で封じていたのでしょうね。 そのことが降り積もり、兄もまた鬱屈したものを抱え込んでしまったのですね。 その鬱屈の矛先が、『テルを施設に預ける』という約束に向かったのではないでしょうか。 『競争の意味が分かっていない』 その言葉もまた、兄にとってはトラウマの一つだったのでしょうね。 だからこそ、『出たい』というテルの言葉は、兄の地雷を踏み、兄を激情させたのでしょう。 だけど。 確かに第三話で母は言っていました。「分かっているようで、分かっていなかったり。分かっていないようで、分かっていたり」 そして、テルは言いました。「お兄ちゃんが手を引いてくれた」「ありがとう」 兄から与えられた行為の、その一つ一つの意味をちゃんとテルは分かっていました。 その一つ一つを、感謝とともに記憶していました。 それを理解した瞬間、秀治の中で、『テルとの過去』が意味を変えたのです。 負い目であったはずの過去が、記憶が、写真のネガのように、その意味を反転させたのです。 まるで、奇跡のような一瞬。 兄がこっそりと忌み嫌っていたであろう『競争』の記憶も、弟との大切な絆になり。 秀治の中の『忘れ去るべき過去』という心のゴミ箱から、『支えてあげるべき事柄』という心机の上へと拾い上げられたのでしょう。 その時点で『テルを施設に預ける』という決断も、その理由の大部分を失ったと、私は感じました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 里江。 人間一人の人生を抱え込むなんて、あまりに重過ぎることです。 その重さに、きっと里江は耐え切れなかったんでしょうね。 だからこそ、弟や妹の気持ちにも気づけずに、無意識に甘えてしまったのだと思います。 でも、今は状況が違います。 少しだけだけど、テルは自立してます。 そんな状況だからこそ、他の二人の子供達にも視線を向けてあげるべきなのでしょう。 二人と絆を結びなおすことで、里江ももっと歩き出せるようになるでしょうから。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 都古。 以前、第七話で『親から愛されること』の大切さを語りました。 そして、もしも愛されなかったときの例が、都古なんです。 …一歩間違えたら、『僕と彼女と彼女の生きる道』の小柳凛も、同じように育っていたかもしれませんね。 彼女は一年間、『河原の妻』として生きてきました。 その中に都古という『個人の人格』はありませんでした。それを彼女に確信させたのは、『河原の嘘を知った一件』でした。 確信は孤独を際立たせ、たまらなくなった都古は『個人の人格』を曝け出して泣き出します。 それはテルという『都古という人格』に気づいてくれた相手がいたからです。 でも、テルからはやんわりと言います。 都古自身の、『結婚という約束』という言葉を。 自分の言葉に逆襲され、テルからも一種の拒絶を感じてしまった都古。きっとそれは、『都古という人格』にとっての最後の 眠れなくなったのは、その日からでしょうか。 そして、外の形だけを装っている間に、『都古という人格』である中身は器を失い、ジャガイモのように零れてしまったのですね。 一度零れた中身は、とうとう外側を捨てて、どこまでも当てもなく転がっていってしまいました。 『存在意義』を失った彼女は、どこにいても自分を見出せず、へこみ続ける一方でした。 友人からの『うちに来る?』という申し出も、受け止めることはできませんでした。 …友人の好意を受け止めるべき『都古という人格』が、はっきりとしなくなっていなかったからです。 都古が母親に電話をこれまで掛けなかった理由は、“嫌いだから”とは、ちょっと違うでしょう。 “再び『自分の存在への拒絶』を受ける恐怖”から、ではないでしょうか。 だけど彷徨うこともできず、河原との新居にすら入れなくなった都古は、最後に母に縋ります。 居場所を求め、賭けのように母親に連絡するのです。 賭けは裏切られました。 母もまた、『河原の妻』という形を求めたのです。 『都古という人格』は、母親から再び拒絶されました。 とうとう、都古は存在意義を求め、自分の人生を遡り始めます。 その途中の『動物園』で、テルに出会うんです。 テルは都古に驚きつつも、何も責めず、何も問わずに、“そこにいることを許しました”。 『いてもいい』。それは『存在意義の肯定』。 あるがままに、『都古という人格』を肯定するテル。 その傍こそ、都古の居場所になったんです。 本当は、親が与えるべき『存在意義』。それを都古はテルから受け取っていたのです。 彼女にとっての、『本当の家族』とも言える存在だったのですね。 …それに気づいたら、都古はもう大丈夫。 家族はいつか、新しい家族を作る為にバラバラになってしまうけれど。 それまでに培った『存在意義』さえしっかりと抱きとめていたなら、自分の道を歩き出せるはずです。 きっと、『うち来る?』の言葉にも、甘えられる気持ちになってるでしょうか。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ この作品、『僕道』シリーズの最終であると同時に、『草なぎ君のお仕事の総集編』にもなりつつありますね(苦笑)。 例えば自転車だったり(走ってる最中におでこが出ると、昔の自転車大疾走シーンを彷彿とさせる。例『TEAM』第三話、映画『メッセンジャー』など)。 例えば動物解説だったり(昔、NHKの『世界ふしぎ大自然』のナレーションを担当していた)。 特に、“最後の滑らか過ぎる読み上げ”シーンには、思わず吹きました(待て)。 あんなに滑らかに読まれたら、思わず思い出しちゃいますよ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ そして、明日は最終回。 レースの先に、テルは何を見出すのか。 色んなものを噛み締めながら、見たいと思います。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 愛し方も、愛され方も違う人々が交わって。 その先に、道が生まれる。
2006/12/15
出逢うこと。 それは二つの時間が重なること。 今、二組の時間が再び重なり始める。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ということで、これを書いているのは12/12(十話放送日)です。 またお待たせして申し訳ありません(平謝り)。 今日の放送分もできる限り早めにUPいたします。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ということで、今回の話は『二組の再会』。 それは、止まっていた時間が動き出すことです。 古賀と宮古の止まっていた時間が、動き出した話でした。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 古賀と久保。 二人の関係性は、理想の人間関係ですよね。 久保は『体裁だけの上司』から『心から部下を思える上司』へと変われていました。前回から一年、彼は本当の上司になれたんですね。 …ひょっとして、古賀の為に『一日体験』を思いついたのかもしれませんね。 来園者の受け答えの違いに反応する姿も、『テル』や『古賀』のことをちゃんと見ているからこそのものだと思います。 古賀も久保には本当の気持ちを言えるようですし。 互いに互いの良き理解者のようです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 古賀と息子の再会。 古賀の一年間の変化や思いも、『再会』という一つの形を結んだようですね。 テルに教えた一つ一つのことも、教わったことも、全て息子に受け渡せたでしょうか? 最初は贖罪であろうと、自己満足であろうと。 それが積み重なることで、ようやくこの『再会』を迎えることができました。 彼の罪悪感も自己欺瞞も、『息子との交わり』で昇華されたのだと、信じたいです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「一緒」 テルが古賀と息子の間に見た、一つの絆。 たとえ古賀が息子を捨てたのだとしても、それでもちゃんと繋がっていたのですね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 古賀の妻。 よく、『息子に逢う』ことを許しましたよね。 あれだけ酷い夫だったんです。彼女には『逢わせない』という選択肢もあったはず。 でも、ひょっとしたら。 彼女はこう思ったのでしょうか? 『息子という存在を、無理解のまま忘れ去られる』ことよりも、『時間が掛かっても息子を理解し、受け止める』ことの方が、良いと。 『否定』よりも、『忘却』の方がずっとずっと残酷だから。 だから、逢わせようと。 これは私の勝手な推量ですけどね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 河原。 ビデオを観終わって一発目の感想は、「河原、ぶん殴りに行ってもいいですか?」でした(←待て)。 今も私の頭の片隅には<YAH YAH YAH>(by CHAGE&ASKA)が流れています(おひっ)。 千晶、宮古が河原をぶん殴ることになりましたら立会いをよろしくお願いします(←勝手に展開を決めるなっ!)。 …いや、やっぱり許せないのは。 『宮古の為に別れた』と、嘘で相手の気持ちを踏みにじることです。 おそらく河原の中では半分ぐらい真実なんでしょうね。「自分は確かに前妻から別れを切り出された。だが、それを認めたのは、宮古(次の女)とくっ付くためだ」 彼の中では、自分の行動をそう美化していそうです。 だから無神経に『君の為に別れた』と言えるんでしょう。 結婚前の優しさや強引さも、『次の再婚相手を逃がさないための苦労』と思えば、辻褄が合うかもしれません。 もしそうなら、結婚後もちゃんと貫き通して欲しいところです。 中途半端が一番残酷なんです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 宮古の本音。 宮古が現状を維持する理由は唯一つ。『一人になるのが怖い』からです。 ですから、『いつだって一人じゃなかった』という事実を突きつけてあげれば、いつでも動き出せるはずです。 ──河原と本気でぶつかって新しい結婚生活を模索することも。 ──河原と分かれて、まったく別人の男性と恋愛をするのも。 どちらだって、できるはずです。 ただ、テルと宮古がいつも一緒にいる必要は無いと思います。 離れていても、二人がちゃんと絆を感じあえれば、それだけで互いに救いになるのでは。 私はそう思います。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『ベルが無い』 テルがロードバイクを見たときに言った一言です。 一瞬はっとしました。 テルと宮古の間での暗黙の了解が、『ベルの音』。 もしもテルがロードバイクに乗り続けることを望むなら、その『ベルの音』は無くなるのですね。 宮古も、待ち続けた『ベルの音』が無くなったときに、何かが変わるのでしょうか。 それに変わる絆の形も、生まれるのかな。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ りなが動物園まで自転車を運んできてくれた時。 そのシーンに『お兄ちゃん』への愛情が伝わってきました。 いい妹ですよね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ロードバイクの乗り方。 …すっごく懐かしくなっちゃいましたよ。 映画『メッセンジャー』でも、“ペダルに靴を引っ掛ける”事を説明するシーンがある(草なぎ君は説明する側)んですよね。 あの時、草なぎ君は自転車の達人の役。さり気なくウィリーなどをするシーンもありました。 …映画撮影当時、できる限りはスタントを断っていたはずです。 TV雑誌の裏話などを読む限り、その時の努力、体がちゃんと覚えているようです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 時に人は、言葉を求める。 形は違えど、本心を他人に分かる形で表せないから。 二人は自分の心を分かる人間を求める。
2006/12/12
血を吐くような本音の言葉。 言葉に起こせぬ虚偽の自分。 それを知った時、言霊は真実となり、人は前に歩き出せる。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お待たせして、非常に申し訳ありません(平謝り)。 ということで、12日遅れの8話感想行きます。 …『僕歩』の回で、今回がもっとも個人的なツボを直撃しました(号泣)。 年を取るほどに、人は変われない。そのことを知っているから。 だからこそ、今回の変化は、『偽善が事実になる』という奇跡に、私は胸を詰まらせ、泣きました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「コーヒーは嫌なんだけど」 このシリーズでは『言葉の重さや力』を強く実感させますね。 特に今回、二つ『言葉の重さ』を実感する場面がありました。 その一つが『コーヒーは嫌なんだけど』から始まる居酒屋の下りです。 久保の抱えた苦しみも、古賀が抱えた苦しみも、どちらもあまりに大きすぎるから。 それを言葉にするのも、言葉として受け取るのも、素面のままでは抱え切れなかったのですね。 だからこそ『コーヒーは嫌』=『酒の力でも借りないと無理だ』と言ったのではないでしょうか。 『偽善を抱えて生きること』、『利己主義を抱えて生きること』。 互いの鏡像のような生き方を、酒ときっかけと、そして言葉が交わらせていきます。『古賀さん自身は、少なくとも、ありのままだったわけでしょう?』 こんな複雑な言い回しすら、私はすぐに意味を理解してしまう。 それほどに、私は二人の言い分も気持ちも理解し、言葉の一つ一つに共感し…号泣しました。 『利己主義』も『偽善』も、きっと人の心の自然な動き。 互いに互いの鏡像を見ることで、久保と古賀は自分自身を見つめなおし、互いへの理解を深めていきました。 互いの態度を認め合う過程を、私は視聴者として共有しました。 そうすることで、『利己主義』や『偽善』に対する私の自責も、自覚しました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『書けない手紙』 もう一つ、私が『言葉の重さ』を自覚したのが手紙でした。 『言う』言葉よりも、『書く』言葉の方が、ずっとたくさんのエネルギーと言葉の蓄えがいるんです。 『言葉にする』とは、己の自覚を促すことです。 里江の『言葉』を受け止め、返すほどの『言葉』を紡ぐには、久保の中に『事実』が無かったんです。 彼が手紙を書くことができたのは、真剣にテルに向き合い、『偽善の言葉』を己の中で真実にすることができてからでした。 言葉とは、本当に重く、力強いんですね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 偽善と見栄が真実になるとき。 > 道徳や倫理なんて、最初は子供が大人の真似(ふり)をして覚えるもの。> 真似(ふり)をしながら身に付け、自分の中に真理として取り込んでいくもの。 これ、私が前回の感想で書いたことです。 確かに始まりは『偽善』でした。周りから押し付けられた『見栄』でした。 だけど、その『偽善』の影響で、救われた人がいる。 久保はその影響力の大きさと結果を知りました。そうすることで、久保は『偽善』の内容そのものに向き合い始めることができたんです。 そして久保は『偽善』で始めた行動の重さと責任に気づきます。 それを受け止めることができたとき、彼は更に成すべき事に気づくんです。 久保はテルが危機に立たされた時に、『自分が為すべき責任』を迷わず果たしました。 その時、『偽善』は真実になりました。 それと同時に『見栄』でなった上司から、本物の上司にもなったのではないでしょうか。 自分の行動の影響力を自覚し、危機には責任を果たし、部下には義務を感じられる。 それこそが、本当の上司です。 冒頭で『自分の決断の影響力』を見失っていた久保ですが、最後には『本当の上司』になっていました。 最初は偽りでもいい。それに向き合うことができれば、必ず真実になるんです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『仕事ができない』 久保は最初、『テルは仕事ができない』からクビになったと思っていましたよね。 でも、真剣にテルに向き合うことで、事実を知る事になります。 テルは『できることは確実にできる』んです。 仕事がまったくできないわけではないんです。そう思ってしまう、回りの無理解によるものだったんです。 そのことに気づいたのは、『マレーバク』の説明のあたりからだと思います。 だからこそ、『無理解による危害』にテルが晒された時に、『今度こそ、この職場では『無理解』から守らなくては』と思ったんだと思います。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『無理解で、貶めようとする人々』 知ろうとさえしないことは、非常に楽なことです。 目に付く優劣で、人を貶めることは簡単です。 そして、人を貶めることで、自分を持ち上げるのも。 高野常務がテルに向けた笑いには、そんな『安易な貶め』が篭められていました。 きっと多くの人に、そんな感情が秘められています。『人を貶めて、自分の優位を確認し、その優位に胡坐をかきたい』 そんな衝動が。 相手を『生まれ』で、『親』で、『国』で、『趣味』で、『友人』で、『好きな芸能人』で、『肉体的・精神的特徴』で…。 そんな多種多様な理由で、貶めたり、決め付けたりする人は多いです。 その決め付ける人間の多さで、或いは発言する声の大きさで、『正当性』を信じて彼らは振り回します。 …その内容は、弁論術もしくは統計学を齧った人間には通じないほどの、浅はかな理論なのに。 だからこそ、そんな貶めを行なってはいけないんです。 そんなことをすれば、自分はそこで止まってしまう。さらに上を目指せなくなる。 中身の無い理論に縋る安寧に、意味なんて無いから。 高野常務もまた、そんな『無理解』による貶めで、止まってしまっているんです。 だけど、動物園の皆は違う。 他者を理解しようとすることで、自分を理解し始めているんです。 そうすることで、少しずつ前に歩いているんです。 私達は『テル』以外にも、理解を示さなくてはいけない人々がたくさんいます。 安易は貶めを捨て、自分とはまったく違うものを抱えた人を理解しようとしなくてはいけないのでしょう。 そうすることで、私達は新たな段階へと、前へと『歩く』ことできるんです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 宮古の家庭事情。「宮古の為に別れた」 …嘘ですね(キッパリ)。『妻から離婚を申し込まれた』か、『若くて綺麗で、都合の良さそうな女に乗り換えた』かのどちらかと見ました(←言い切るな)。『相手の人間性を見ないで結婚し、結婚後に人間性を否定する』という久保の態度は、さすがに非道いと思いました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ さて、ビデオが待っています(汗)。 できる限り早く見て、感想をUPしようと思います。 それまで少々お待ちください。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 己の中に、言葉にできるだけの中身を得たとき。 人は、歩き出せる。
2006/12/09
「HERO」が映画化 …ということで。「やっぱり映画化来たかっ!」 もう、その一言しかありませんよ(苦笑)。 専門用語で言うところの『引き』、それも“シリーズものの序章に持ってくるような伏線の張り方”で、前回のSPが終わっちゃってますもんね。 あれで終わったらフラストレーション溜まってしまいます(キッパリ)。 久利生と花岡代議士との対決が楽しみです。 花岡を自分と同じ土俵に上げられるかどうか。それさえも至難の業ですよね。 『政治がらみの大きな事件』を扱うに際し、木村君はようやくそれに相応しい歳と貫禄を身に付けたと思います。…と、諜報ネタ好きがのたまってみます(笑)。 今の彼なら、この題材で思いっきり輝けると確信しています。 来年の9月、楽しみです。
2006/12/08
子を愛する。子に愛される。 普遍的でありながら、これほどまでに尊い物は無い──・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 今回の主役は幸太郎と真樹ですね。 テルも少しずつ変わろうとしているけれど、今回は幸太郎の心を映す鏡としての役割が大きいですね。 今回、テルは結局何もしていないんですよね。 テルはただ単に、幸太郎親子にきっかけを示しただけなんです。 幸太郎の気持ちが爆発するきっかけを。目標を見つけるきっかけを。 真樹が幸太郎の気持ちに気づくきっかけを。 秀治が自分の否を認めるきっかけを。 ただそのきっかけすら、彼らの中で芽吹くのを待っていただけなのかもしれませんね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 幸太郎にとっての絵について。 動物園で自分の絵について褒められた時、どんなに嬉しかったでしょうね。 母親からはずっと否定され続けていた幸太郎にとっては、『現状の自分』を肯定してもらうことは救いでもあったと思います。 同時に『絵を書くこと』という、一つの目標が生まれたのだと思います。 母親が与えることのできなかった、『夢』を。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 真樹について。 『自分のため』。 そのために、幸太郎を勉強に追い込んでいたわけではないのでしょう。 この学歴社会の中で、『学歴の有無』は確かに子供の可能性を奪いますから。 ただそうやって『勉強させなければ』と焦るうちに、彼女の視野はどんどん狭くなってしまったのは事実です。 彼女が頑張るほどに、『幸太郎の学力』以外のものが見えなくなりました。 幸太郎の『個性』や『思考』、『将来を選び取る力』が分からなくなりました。 それだけではありません。頑張ることで疲れてしまったのでしょう。真樹は幸太郎の努力の道筋を、『真樹当人にとって頑張りやすい方』へと決めてしまいました。 そこから外れないように、幸太郎に強要するようになりました。『ママに恥を掻かせないで』 幸太郎にとって悪いことだから、ではなく。自分にとって嫌なことだから。 そう、押し付けてしまったのですね。 そうなってしまった彼女を、私は決して責めることはできません。 でもそれは本末転倒。 『真樹当人にとって頑張りやすい方』へ、彼の歩く道を決めてしまってはいけないんです。 なぜなら、幸太郎本人が、自分の歩く道を決める権限と責任をもっているからです。 理由は分からなくとも、漠然と『母は自分が歩きやすいように道を決めている』と幸太郎は感じていたでしょうし、だからこそ反発したんだと思います。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 子供から受け入れられるとは。 子供は決して、『親の分身』ではありません。 育った環境のため、『親とよく似た思考や趣味』をしているかもしれませんが、同一ではないのです。 『子供は、自分と異なる個である』ことを、受け入れた時。 初めて『自分と異なる個』から愛される尊さを、実感できるのだと思います。 家族とは、全てを知っていてなおかつ、自分を愛してくれる数少ない人間なのですから。 真樹が幸太郎の絵を見、『自分が愛されていた』という事実を知った時。 それがどんなに尊いことなのかを実感したのだと思います。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『在るが侭』を受け入れること。 子供が本当に望むのは、『あるがままの自分で、受け入れて欲しい』ということのかもしれません。 “無理に背伸びして、それでも伸びることができない自分”を否定されては、自分という個を否定されたのも同じ。 親から否定されることは、存在意義(レゾンテール)の消失にも繋がりかねないほどの、衝撃なのです。 だからこそ、『あるがままを受け入れてほしい』と願うのです。 その証拠として、“ただ、笑って欲しい”と願うのかもしれませんね。 私も親戚の家に行くのですが、その時に親戚(5歳)から「Uraraちゃん、笑って」と言われ、はっとしたことがあります。 その子を見て、笑顔を見せられること。それだけでも、本当に違うのかもしれません。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 家族こそが、カウンセラーということ。 幸太郎はテルに対し、その本音を語ります。 『言葉の深読みなどができず、他人に語ることをしない』テルだからこそ、幸太郎は全てを言えました。それは一種のカウンセリングでもあります。 そのカウンセリングを受けることで、幸太郎は自分の言葉で、『笑顔』という単語を引き出せたんです。 眼鏡屋でテルが言った『笑った顔』という言葉。 その時、母親を動かしたのは、その言葉が『幸太郎の本心』であったからです。 幸太郎の本心を引き出し、必要とする時点で受け渡したテルは、無自覚ながらにカウンセラーであったのかもしれませんね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 秀治と真樹の夫婦について。 …一歩間違えたら、徹朗(『僕と彼女と彼女の生きる道』の主人公。家庭に無関心すぎたため、妻に逃げられた)と同じ道を歩いていたんですね。 ただ、徹朗よりはまだ家庭に関心があった方かな? 徹朗はどちらかというと、『自分の否を認めない』タイプだと思いますし。 『僕と彼女と彼女の生きる道』の可奈子も、“一人だけで子供を育てている孤独と圧迫感”から破滅したような女性ですからね…。 前回のドラマでの主題も受け継いでいるのを、ひしひしと感じました。 …このまま『僕の生きる道』の主題まで来ない、ですよね(…主人公の秀雄も、再検査をしたんでしたっけ。遠い目)?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 今回、一番吹いたのは『お父さんは、自分が悪いってわかってても、 絶対自分は悪くないって言う人だったから』 というシーンでした。 …管理人のトラウマの急所を直撃しました。 …大変なんですよね、そういう人と付き合うのは…(遠い目)。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ テルに対し、古賀が積極的になりましたよね。 動機はどうであれ、彼も前へと歩き始めたのだな…と感じました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 来週は園長が主役ですね。 道徳や倫理なんて、最初は子供が大人の真似(ふり)をして覚えるもの。 真似(ふり)をしながら身に付け、自分の中に真理として取り込んでいくもの。 だから、『ふりをしなきゃ』と思いつめる必要なんて無いと思うんですけどね…。 来週、園長がどんな結論を出すのか楽しみです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『在るが侭』を受け入れる。 それは難しくは無い。 ただ、そのことを喜び、笑えばいい。
2006/11/23
稲垣吾郎 年末年始TVで大変身 ということで、稲垣君のSPドラマがニ連発です。 まずは『金田一耕介 悪魔が来たりて笛を吹く』。 前回の映像美、そして金田一耕介の飄々とした人のいい感じはほんとに良かったです。 今回は金田一もフルートに挑戦と言うことで、すごく楽しみです。…稲垣君、バイオリンに続いてマスターしちゃってください(笑)。 そして『ブスの瞳に恋してる』SP。 原作好きの人なら、「結婚生活からが本番!」なんて言うのかな? あの温かくて悪役の居ない空気が好きなので、こちらもすごく楽しみです。 ただ願わくば、美幸と『おさむ』の性格がぶれませぬように。 連続ニ連発だと、ちょっとこちらも混乱しちゃいそうですね(苦笑)。 でもそんな贅沢をしっかり味わいたいと思います。 余談。「金田一といえば、『あれ』があったぁっ!」 前回の『SMAPの実写化』ネタなのですが、漫画で稲垣君にすっごくぴったりな役がありました。 これ、私がお世話になってる稲垣君ファンサイトの管理人が最初の提案者。でも、その意見にはすごく同意です。 ずばり『金田一少年の事件簿』の“明智健悟警視”。 “「財産・地位・容姿・頭脳・運動神経・経歴、全てが完璧な歩くイヤミ野郎”な彼は、役者を選びます。 過去のドラマ化では『明智が凡人の嫌われ役(『雪夜叉』の回)』になってたり、『剣持が明智の役を取っちゃった(『魔術師団』の回)』り。 ちゃんと『原作の明智警視』を描いたドラマは一つも無いんですよ。 でも原作の明智警視には、嫌味な中にも紳士らしさがあるんですよね。最近の作品ほど、明智警視の内面的なかっこよさが見えてきます。 最新刊の『獄門塾殺人事件』など、完全に“金田一と明智のダブル主人公”ですしね。 …今秋の大幅番組改編のついでに、明智さんを稲垣君でドラマ化してみませんか、日テレ編成部さま?
2006/11/20
自分の存在が認められない約束。 子供を認められない親。 否定と喪失の痛みが、二人を突き動かす。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ “純粋”すぎることが、美徳だとは限らない。 そんなことを、今回は感じました。 宮古を失ったことで、心のバランスが崩れ、『脅迫行動』を繰り返すテル。 その姿が怖かったんです。 あまりに曇りも無く、ただ一人の人間を求め、突き進んでしまう想いは、あまりに大きすぎます。少なくとも私の感性では想像し、共感することすら困難です。 そんな怖さを秘めた、“純粋さ”だったのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『宮古の約束』と『脅迫行動』について。>「私は、河原さんと約束したの。」 テルは、言葉どおりに受け止めます。 その言葉をそのまま、“テルとは約束していない”と受け止めたのですね。 そして“自分と宮古との絆が消滅した”と感じたのですね。 その『喪失』のプレッシャーを、テルは『涙や愚痴や呆けること』で昇華することができなかった。 ただ『脅迫行動』でしか、示すことができなかったんですね。 『感情が示せない』というのは、確かに『他人とコミュニケートする上での障害』です。 しかし、それと同時に『自分の気持ちを整理、昇華できない』という意味もあります。それは、『パニック障害』という形で現われる場合も、『脅迫行動の悪化』という形でも現われるのですね。 その意味を私は、テルの姿を通して、深く噛み締めました。 テルの喪失感の原因は『約束』。 だからこそ、テルを回復するには『テルと宮古の約束』が必要だったのでしょう。 『一緒にいる』という約束でなくてもいい。 ただ、『約束』という形でテルと宮古をつなぐことができれば、良かったのですね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 古賀の過去について。>「これが始めてだよ。 息子が自閉症だってこと、誰かに話したの。」“言葉にすることは、自分の中にあることに形を与えること。 意識を自覚すること。” 『話す』ということは、話し手自身にも大きな影響を与えます。 その『話す』ことを介助し、変化と自己治癒を促す『カウンセラー』が職業として成り立つほどに。 テルを見続け、自分の中の思い込みを突き崩され。 第四話では、“『偽善』という言葉で、逃避する自分を正当化している”ことを自覚させられ。 それらを受けて、ようやく彼も、『過去』の存在を認めたのですね。 一度『過去』の存在を認めれば、それから積み重ねた経験と照らし合わせ、違う角度から認識しなおせるようになります。 古賀は『過去』を振り返る痛みを受け止めつつ、『過去』と『現実』を重ねることで、両方に対する認識を少しずつ変えていきます。 『話す』ことが、大きなきっかけとなり、変わり始めるんです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 偽善について。>「これも、妻の為というよりは自分の為かな」『誰かに何かをするのを『偽善』とためらい続ければ、人はきっと誰にも何もできなくなる。 だから『偽善』でもいいと割り切り、はっきりと行動に移なくてはいけない』 これ、私のポリシーです(苦笑)。 ここまで割り切らないと、『ネチケット・サイト』とか『ファンマナー・サイト』なんてできませんでした。 チキンハートですからね。 『情けは人の為ならず』。 昔の人はそう言って、『自分の為にするんだ』と割り切って行動していました。 他人からのやっかみや邪推を恐れたりするのは、近代の悪い風潮なんですよね。 古賀は『偽善』を否定することで、動くことを自分に禁じてきたのだと思いました。 叫び続ける我が子を背に、「あんな観衆の前で、嘲笑と憐れみを受けて、理解できない存在を抱けだって?」と、『偽善』を笑い、自分の行動力を正当化してきたのだと思います。 例えば、『これから古賀がテルを助けた』としても、古賀の過去は帳消しにはなりません。 『テルと息子を重ねた』としても、『罪悪感から動いた』としても、それは古賀の自己満足にしかならないでしょう。 でも、それでもいいんだと思います。 そんな『偽善』こそ、彼本人にとって一番必要なものなのですから。 数ヶ月前、朝の某特撮番組でこんな言葉を聞きました。>「自己満足であっても、過去を消せなくても、それらをすべて受け止める。 それでも自分は前に進まなくてはいけないから」 この言葉が、今の古賀にもっとも当てはまると思います。『『偽善』と『善行』の境界など、きっと突き進む間に消えてしまう』 少なくとも、私はそう信じています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ カウンセリングについて。>「話したくなったら、いつでもどうぞ」 聞くこと。 それこそが『カウンセリング』の本質なのです。 本当は、誰もが『大切な存在に対する、一番のカウンセラー』なのです。 しかし、“時間を掛けて話を聞き、それを受け止め、共感し、肯定すること”を、近代化と引き換えに苦手としてきました。 それ故に『心療内科』などのカウンセラーにかかる患者が増えてきました。 医師である堀田の言葉は、職種に忠実で誠実なものであったと思います。 また堀田の、誠実に聞き、共感し、『肯定』を心がける様子も、『カウンセリング』の基礎に忠実であると感じました。 『僕の生きる道』でも、主人公の主治医は『カウンセリング』の基礎を忠実に守っていましたよね。 逆に『共感・肯定』を失えば、人の心は簡単にバランスを崩します。 幸太郎がおかれた環境がまさに、それです。 両親が子供に『共感・肯定』を行えば、子ども自身の存在を実感させてあげられます。しかし、真樹はそれを完全に放棄しているのです。 堀田がりなに掛けた言葉も、本来は肉親や友人が言うべき言葉です。 しかし、これまでりなには、『話を聞く、カウンセラーたるべき存在』が一人も居ませんでした。 『カウンセラー』でなければ、『共感・肯定』できない現代社会は、あまりに歪んではいないでしょうか?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ りなも古賀も、『話す』ことで自分の問題意識を自覚しました。 これから行動に移っていくのでしょうね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 真樹と幸太郎の『概念の違い』。>「結婚したときの約束っていつの間にかうやむやになっちゃったりするじゃない」 この人は、『約束の拘束力』を信じていないのですね。 自分が約束をたがえたのも、悪意があったわけではないんです。『約束とは、うやむやになったり、内容が変わって当たり前』 そう思っているのですね。 だからこそ、『結婚時の約束』という大切なものさえ、確認しなければ安心できないんですね。 この辺りに、幸太郎との『概念の違い』を感じますね。 第三話で里恵が真樹の>「幸太郎は誉めると調子に乗ってダメになるタイプなんですよ。」 という言葉に対し、『ああ、この人も自分の子供のことを分かっていない。 子供の気持ちが分からないのは、自分だけじゃない』と安堵の笑みを浮かべるシーンがあります。 もちろん、テルと里恵の間における『概念の違い』は目に見えるほどに大きいです。 しかし幸太郎と里恵の『概念の違い』も、目には見え難くても、確かです。 人はそれぞれに『概念の違い』を持ち合わせていて、それがトラブルや不快感を引き起こすのだと思います。 『概念の違い』は親子の間ですら存在するんです。 …それは大きさこそ違えど、テルと周りの人間との『概念の違い』と、何も変わりは無い。 私はそう感じています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 前半でもたらされた環境の変化が、種をまきました。 これからそれらの種が、芽吹き、形を作り上げます。 古賀、真樹、幸太郎、りな…。 変化の予兆を見せる者、変化に気づかない者、それぞれがどう代わるのか楽しみです。 そしてテルの歩く先に何があるのか。見届けたいと思います。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 時は戻らず、失った物は返らない。 されど人は、前に進まなくてはならない。 喪失の痛みも、後悔も、全て抱え、全てを昇華することでしか、生きることはできないのだから。
2006/11/18
『持てることと持たざることは同価値』 ──錬金術、『等価交換の法則』 これは“想像力を失うことで記憶を得、周囲の理解を得ることで親友への依存を失う”男性の物語。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 当管理人は1~5話をぶっ続けで見ることになりました。 11/8、一日目は『直前SP』と第一話・第二話。 …分かってはいたのです。『僕道』シリーズは一・二話が『重い』ということを。 テルに徐々に溜まっていくストレス。主人公の感情が読めない不安。義姉の子供に対するスパルタ。『親友への過剰な依存』が壊れる瞬間…。 蚤の心臓を持つ自分は、何度耐え切れずにDVDを止めようとしたか(汗)。 そんな1・2話を『CM無し』でぶっ続けで見ている自分の気持ちを緩和したのは、三浦君の変化でした。 戸惑い、疑問、苛立ち、怒り、否定、罪悪感、ささやかな償い…。 それら一つ一つの気持ちがすごく理解できますし、そんな自然な変化に、思わず泣きました。 “誰かを理解すること”は、きっと“自分の感情や考え方の可能性を開く”ことになります。その瞬間を目撃できたことに、嬉しさと興奮の両方が込み上げました。 この日はここで中断。 無理をして、三話の中途半端な時点で終わったら、今度は私が眠れなくなりそうなので(苦笑)。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 11/9、二日目。この日は忙しく『第三話』のみ。 真樹の、>「幸太郎は誉めると調子に乗ってダメになるタイプなんですよ。」に、鳥肌を立てました。 ドラマ『エンジン』などの解説で、“子供が精神的な安定を得るために存在意義を感じるには、親もしくは親に代わる相手からの『存在の肯定』を感じなくてはいけない”とは常に力説していますけれど(『カウンセリング』の基礎を学んだ時に、『精神医学』での概念の一部を通して実感したこと)。 それでもそんなことを知らずに、『子供に否定だけを与え続け、もしくは勉強以外のことを蔑視し、存在意義を奪い続ける親』は世間に溢れているんですよね。 『子供を無条件に褒めろ』とは言いません。 ただ子供に『存在することそのものが、親にとってかけがえの無い喜び』であること、『結果ではなく、そこで生きている姿を受け入れている』ことを、伝えてあげて欲しい。 そのことが、子供の精神状態に大きな影響を与えるんです。 真樹にも、そのことを理解して欲しいですよね。 でも親は、子供の感情が分からないんです。そんな時に『消えたい、自分の存在をこの世から痕跡ごと消したい』と感じるのに。 特に『死ぬ気で頑張っても、それを認められなかった』ときの子供の絶望はすごい。でも、親は『頑張った』ことすら認めませんし。 そのギャップが、精神状態を悪化させ、それにつれて結果も悪化し…。 その悪循環から親子関係も悪化し、心身症を発症したり、他の行動にも影響を受けたりしていく可能性もあります。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 10/10、第四話&第五話を視聴。>「私が代わりに怒ってあげる」 何よりも、回想シーンのこの一言に衝撃を受けました。 頭の中では、何度も反復した言葉です。でも、不意に音声として出逢った瞬間、『その言葉の重さ』に、息を飲みました。 思わず数ヶ月前に自分が書いた、サイト小説のその一文を読み返してしまいましたよ(滝汗)。 サイト小説は、架空の精神疾患を扱ったもの。でもその症状と患者の負担を、頭の中で捏ね繰り回すだけで、ちゃんと理解していなかったのですね。その事実に、私は打ちのめされました。 数ヶ月前に書いたばかりの台詞、状況であっただけに、自分にとっては生々しかったのです。 サイト小説の方は、もう引き返せません。『症状の辛さ、重さ』をちゃんと受け止めて、描いていかなくてはいけないことを、改めて自覚させられました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 表情に、感情を示せない。ただ、その湧き上がる衝動を、体の震えで示す。 そんな細やかな芝居と、それを丁寧に拾ってい演出には舌を巻くばかりです。 草なぎ君には『純度120%』の役柄を一度やってもらいたいな、と思っていました。 でも、私が想定したのは、『記憶喪失により、儚いほどに不純なものを全て削ぎ落とした状態』の人間というもの。 …まさか、180度違う意味での純粋な人間を演じることになるとは、想像もしておりませんでした(苦笑)。 このドラマのビデオの後、『SMAP×SMAP』の草なぎ君を見たりすると「本当に同一人物なのか?」と思うことがしばしば。 演出や脚本、共演者の力が凄いから、ここまでのギャップを引き出すことができたんですね。 共演の田中圭さんは、本当に草なぎ君のファンなんですね。インタビューを読んで驚きました。 まるで『ハン・ソッキュさんを見るときの草なぎ君』みたいです。…田中さんのファンが妬いてるな、これは(笑)。 ここまで手放しで思いっきり(友人として)大好きだと言ってくれたのは、深田恭子ちゃん以来の二人目じゃないでしょうか。 本当にありがたいことです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ テルの記憶力とは、『左脳欠損補償症(サヴァン症候群)』なのかもしれませんね。 私が『サヴァン症候群』を知ったのは、上記リンクにもある『トリニティ・ブラッドROM』六巻でした。 テルは先天的な障害と言うことなので、サヴァン症候群である可能性大きいですよね。 記憶の回路は、“持ち主が良く使う部分だけが残ったり、磨り減ったり、似た部分が繋がって改変されたり”することが知られています。そうすることで、より多様のことを覚え、発想できるんです。 しかしテルの場合、“言葉や現象を、その通りに受け取り、記憶する”ことしかできません。 それは、彼の枷であり、祝福でもあるのだと思います。 テルが経験する全ての記憶を、どのように整理し、感じているのか。『記憶ネタ』好きとしては、それをハラハラしつつ見守りたいと思います。 余談ながらSMAPのドラマにはもう一つ、瞬間記憶能力者が出てくるドラマがあります。ずばり、『空から降る一億の星』です(『空から…』の主人公は、トラウマがきっかけで瞬間記憶能力に目覚めました)。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『劣っている』という概念に対して、私が最初に疑問を持ったのは、『代償機能』という言葉を知った時でした。 例えば『目が見えない人は、健常人の倍の速度の聞き取りができ』たり、『片足を損傷した代わりに、反対側の足に筋力が付い』たり。 それは、肉体の不思議であったり、本人の努力の賜物であったり、状況により様々でしょう。 そして『優れている』という言葉に懐疑的になったのは、『スティグマ』という言葉に触れたときです。 その本には誤用ではありますが、こう書かれていたのです。“優れているが故の、偏見の被害やコンプレックス”と。 正確な意味は全く違うのですが、“あることに優れていても、そのことの為に不具合を受けることがある”ということに、その時気づかされました。 その二つをあわせたとき、思ったのです。“ある基準、ある局面では、人には優劣があるだろう。 しかし、違う局面、違う基準で見たときに、優劣は簡単にひっくり返る”と。 第三話で幸太郎がテルを通して体験したのは、まさしく“優劣や印象がひっくり返る”瞬間だったのでしょう。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『優劣』について、そう考えている時に出会ったのが、“持てることと持たざることは同価値”という『等価交換の概念』でした。 某アニメのおかげで『何かを手に入れるには、同じだけのものを失わなくてはいけない』という意味ばかりが有名になりましたね(笑)。 数学の証明問題ではありませんが、その『取引の意味』が成り立つのならば、『対等である意味』も成り立ちます。 例えば『A』というものを持っている★と、『A』を持っていない◆が居ます。 『A』を持っていない★は、『A』を持つ利益を持たない代わりに、『A』を持つ不利益を得ません。 『A』も持っている◆は、『A』を持つ利益を持つ代わりに、『A』を持つ不利益を得ます。 +-を考えれば、★も◆も結果は等しいのです。 つまり、全ての人が、等しいのです。 このドラマの副題は『Everybody is parfect.』。 『持つことも持たないことも、全ては同じく完全なのだ』ということだと、私は理解しています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ただ『障害者』にとってこの社会は少し生き難いのは事実です。 それは『大多数であり、平均』である『健常者』を基準として、社会機能が構築されているからです。 社会機能が『平均』を基準としているのは、必要なことだと思います。 ただ『平均』に対して、その差を補う工夫は絶やしてはいけませんし(視覚障害者の方々のための点字、聴覚障害者の方々のための補助犬など)、私たちも思いやりを持って接しなくてはいけないと思います。 そう、『思いやり』あるいは『惻隠』です。 『惻隠』は古くから日本にある言葉であり、概念です。 相手の不利な部分に対し、そっと手を差し伸べること。その思いは、『友人や家族に向ける、親愛であり思いやり』と同じものであること。 そんな『惻隠』で接していくことが必要なのだと私は思うのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 全ての人は等価のものを持っています。多かれ少なかれ、助け合うのが当たり前なのかもしれません。 きっと、テルの存在が周りの心に響くように。 互いに互いの心に響き、変化をもたらしていくのでしょう。形あるもの、無いものに関わらず、助けあい、与え合っていくのでしょう。 そんな当たり前のことに、気づかされます。 テルがどう代わっていくのか、ゆっくり見守って生きたいと思います。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 全ての人は等価を持つ。 そして『何かを失えば、何かを得る』。 ならばテルは、都子を失うことで、何を手に入れられるのだろうか。
2006/11/11
変わりながら、変わらずにいられる。 それがSMAP(彼ら)のスタイル。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「筋肉が切れたんじゃないのか?」“筋が切れたのは己だろうがっ!” さて、何人のファンが中居君に叫んだでしょうか(おひっ)。『負傷したメンバーを庇うため、振りを変えたりしてフォローする4人』 それは、まさに『ついこの間、見た風景』でもありました。 …微妙にタイムリーな『古畑任三郎VS.SMAP』、再編集版の放送。 いや、「タイムリー」になんてするんじゃない、中居君(心からの叫び)!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ とりあえず、昔の本放送を見ていない方は是非、そちらをDVDかビデオでチェックしてください。 今回は『渋い決め台詞を言いながら、机に指紋を付けてしまった』という曰くつきのシーンを含め、かなり細かくカットされていました。 “どちらの編集がいいいのか”、私には分かりません。 展開が早くなっている分、今回の方がテンポ良く見れますし、昨今の時流にも合ってるとは思います。 しかし、8年近い前の放送には『ドキュメンタリーを見ているかのような質感』がありました。特に前半はコンサート会場でのSMAPを覗き見ているような、そんな錯覚さえ生まれます。古畑任三郎特有の『切れ目の無い長いシーン』が、不思議な感覚を生むんですよね。 好き嫌いが分かれるかもしれませんが、私は昔の編集の方が好きですね。 ちなみに、三谷幸喜さんの脚本と現実の違いを確認するのも楽しいかもしれませんね。『ダンスの振りを覚えるのが、実はSMAP一早い稲垣君(単に覚えても体が動かないだけ)』とか。『タップダンス、実は草なぎ君が数年後やることになった』とか。『直情タイプの木村君が、墓穴掘るほどのややこしい作戦を立てるはずが無い』とか。 …やっぱり微妙に違うよね…(笑)。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 改めて、『5人ともいい年の取り方をした』と思います。 昔のSMAPもやはり大好きです。 でも、それから『この8年で積み重ねてきた経験と変化』によって、今の彼らは更に『魅力という厚み』を増したのではないでしょうか。 当時は予測もできなかった出来事が起こったり、想像もしない行動を起こしたり…。 あまりに濃密で、実りのある8年間でした。 そう思うと、『ある日突然、TVからSMAPが消えた』ドラマ世界のファンがかわいそうになります。この8年間を知ることができないのは、大きすぎる喪失では無いでしょうか。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 中居君も他のメンバー同様にすごく若い。「実在の中居君だったら『独りで罪を被る』などという偽善ではなく、『全員で、誰一人に危害が及ばない形で逃げ切る』ことを考えるのかなぁ」 そんな風に感じます。むしろ、中居君の方が『あらゆる不確定要素にも柔軟に対応できる』確実な作戦を立てそう(おひっ)。 確かに昔の方が少年のような感じの風貌です。 でも、今の彼からは年齢相応の責任感と威厳、それらに伴う迫力を感じます。 自分の立場と影響力を受け止め、それに伴う責務と矜持を体現している、そんな大人の男性の魅力を感じるのです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 木村君、昔は物凄く尖ったオーラ出していたんですよね(苦笑)。 あまりの懐かしさに、思わず顔が綻んでしまいました。 当時の手帳には『無ければ無理矢理に見出してでも、自分の内外の壁を等しくぶち壊す、熱い人』と、思わず書いちゃいましたっけ。 今は、あの当時のような、『危ういほどの攻撃性』は全く無くなりました。もちろん、『負けず嫌い』などのいい部分は残ってるんですけどね。 人間性も、男性としても、大きくなりましたよね。 それは『成熟した』『成長した』という言葉では言い表しきれないほどの変化です。 外見以上に、内面がかっこいい人間になりましたよね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 雰囲気が変わった、と言ったら稲垣君もそうですよね。 当時は表向きだけ、相当に気障にスカしていたんですよ(笑)。『マダム・キラー』を自認し、周りもそれを弄っていましたっけ。 それが変わったのは、『ヨイショの男』(TBS系)からかな。 今は、柔らかで温かい、子供っぽくもあり、大人の趣味も分かる、そんな稲垣君に癒されています。 SMAPでの本当の『いいひと』は稲垣君だと、私は思ってます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 8年前の香取君はすごく華奢で驚きました(苦笑)。 『無邪気であることと、背伸びすることの両方を強要された青年』というギャップはドラマからもすごく感じられます。 でもこの8年間で、その矛盾は昇華されたように感じます。 無理に大人になるのではなく、子供の心も、大人の心も、きちんと受け止める。そうした段階を経たことで、人間の大きな器を手に入れた気がするんです。 その途中で『慎吾ママ』を経験することで、母性までその心に統合しちゃいましたけど。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ そして、草なぎ君。 『古畑』は“草なぎ君がお芝居が好き”になる直前のドラマでもあるんですよね。 だからでしょうか、当時は“手の平に嫌な汗を掻きながら”見ていましたっけ(←おひっ)。 今見返しても、「冒頭から、切れた演技が『優作先生(TBSでの主演ドラマの役)』の動きや表情そのままだよ…(汗)」と思ったり。『古畑と二人きりになるシーン』では、「もうちょっと声に感情を付けてくれっ!」と思わず心の中で叱咤激励しちゃったり。 他のメンバーが『パブリック・イメージを誇張したキャラクター』を演じているのに対し、草なぎ君だけが素に近いのも、違和感がありました。 …でも今見返すと、『今の草なぎ君のイメージ』にはしっくりきました。 当時は『草なぎ君の演技はヤバイ』と思い込んでいましたけれど。私がそう思い込むほど、不自然な演技では無かったのかな。 当時はまだ草なぎ君、メンバーの後ろに隠れている引っ込み事案だったんですよね。メンバーが彼を前に引っ張り出そうとする場面が何回もありました。 この後、『蒲田行進曲』を経験。お芝居を心から好きになると同時に、自分に自信を付けて前に出るようになりました。 『ぷっすま』で“小ずるくて、意味の無い嘘を吐く部分”もしっかり開花させ(笑)。 そして『チョナンカン』で、言うべきことをしっかり主張できるようになって。 今の草なぎ君は“当時から隠れていた素質を成長させた”だけであり。その点においては他のメンバーと同様です。 でも、表に見える部分では大分変わったと思います。 『古畑』や『僕が僕であるために』が放送された当時のような、『皆に守られる秘蔵っ子』では無くなりましたよね。 当時、私が彼に惹かれる理由でもあった、“前に出てこないじれったさ、見ていなきゃと感じる存在感の薄さ、守りたくなるような危うげな様子”も無くなったけれど。 今は『無邪気で、子供で、いたずらっ子で、ストイック』という素晴らしい魅力を感じます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 年月は、彼らに大きな変化と試練を与え続けてきました。 8年間を彼らと一緒に歩いた結果、素晴らしい魅力と変化を目の辺りにすることができました。 何より『いい意味で変わり続けるからこそ、決して飽きることの無い』というのが、彼らの最高の魅力なのかもしれません。 それらの事実を改めて噛み締めることができました。 SMAPのファンで、本当に良かった。 今、最高に幸せです。
2006/10/09
…ということでようやく秋のドラマの正式決定が出ましたね。『僕の歩く道』 『屋上の狂人』が見れなかった自分にとって、すごく新鮮な役どころです。 『恋におちたら』の島男や、『じんべえ』の寺西とか、“幼い感じのする大人”の役はなんどかあったのですが、『6歳』と明言される役どころのは初めてです。 ただ、『先生知らないの?』『TEAM』『フードファイト』『僕と彼女と彼女の生きる道』など、子供と絡むドラマをたくさん経験しています。それらの積み重ねがどう現れるのか、すごく楽しみですね。 …しかし、コンサートでの例年に無いハイテンションは…すでに役が“降りてる”からなのでしょうか? 『天下壮士マドンナ』の情報も少しずつ聞こえてきましたよね。 映画の公式ブログのURLを教えてもらいました。 そして以下の新聞によると、28/29日に草なぎ君が渡韓、『日本沈没』の舞台挨拶と『ドラマアワード』のゲストになるのだとか。『日本沈没』主演の草なぎ剛、29日にソウルで舞台あいさつ リュ・シウォン、草なぎ剛、ジェリー・イェン…韓台日のスターが一堂に ちなみに後者の記事に関しては、日本でもケーブルのSo-netチャンネルで視聴可能だとか。 私はダメなんですけれど、見れる方はチェックしてみては?ソウルドラマ大賞 今、韓国の草なぎ君ファン、喜んでるんでしょうね(しみじみ)。 やっぱり国境は、『芸能情報や映像のチョークポイント(断絶線)』なんですよ。 ケーブルも無ければコネも無い、ネットでテレビも見れない自分は、しょっちゅうジニーさん(チェヨン)関係で泣いておりますから(『吸血鬼』のチェヨン、見たかった…。遠い目)。 だから、向こうの草なぎ君ファンの気持ちが少しは分かります。 今のうちに、二つの映画で思いっきり楽しんで欲しいと思います。 そしてこちらにも、『天下壮士マドンナ』の映像がやってくれることを切望しつつ。
2006/08/26
「あなた方が『そこまで頭、バカじゃない』ってことは、ちゃんと分かってますから」 邪悪とは、狡知で残虐で卑怯で臆病たるもの。 “人の弱さに囁き、互いに互いを自滅させる”ことを好む。 『邪悪なる傀儡師』と、それに喧嘩を売った『法の番人』。 これは『二人を巡る物語』の序章である。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『古典的な二時間ドラマ』の形式を踏襲することで、お約束を信じさせ、安心して魅せていく。 その意味ではすごく良くできていると思いました。 メインとなる事件の内容はしっかり捻ってありましたね。クライマックス前にもう少し『彼の心情を解説する状況』を作り、それを長回しのシーン中に挿入できたら、さらに完成度が上がったかな? 私は『二時間ものの事件ドラマ』を、局を問わず母に付き合って良く観てました(←個人的には『警視庁鑑識班』シリーズが好きです)。 だから「そういったドラマとしては良かった」んじゃないかな、と思いました。 でも一番私の関心を引いたのは、『暗躍する花岡代議士』と『喧嘩を売りに行く久利生』の二点でした。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 続編を約束するようなラストでしたよね。 私としてはそれを信じたい。 『フードファイト深夜特急死闘編』(01'日テレ系)というドラマもありましたので、予断は許しません。(“悪役勝利、主人公敗北、妹は拉致される”という結末で終わった話。以降、続編は作られていない) フジテレビ様、どうか続編作ってくださいませ(願)。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ここから先は、『続編がある』と信じて文章を綴らせていただきます。 もう暗躍する『花岡』の存在と、それに負けないだけの久利生の迫力がいいんですよ! 本当の悪とは、自ら手を汚したり、表舞台に出てきたりしません。“人の弱さに囁き。自らが望んだと錯覚させながら、望むように動かし。そして、自滅させた上に財を築く。法で裁けないがゆえに、誰にも手が出せない。” それが邪悪であり、狡知です。 そんな邪悪を体現する『花岡』の登場。この『HERO』というドラマの世界観すら変えてしまいそうで、もう期待しちゃいますよ。 例えるなら『金田一少年の事件簿』の『地獄の傀儡師』、『クロサギ』の『御木本&山崎』か。彼らに匹敵する敵になりそうで楽しみです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ また、今回の『因縁の結び方』もかなりツボに入りました。“主人公の久利生だからこそ、『花岡』の存在に気づけた。”“久利生だからこそ、巨悪にもびびらず、真正面から喧嘩を売れる” 主人公らしさが活かされ、なおかつ『花岡』の威厳も損なわない。 連続ものの導入としては最高ではないでしょうか。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ この導入なら、これからの事件にも『花岡』を匂わせ続けるといいかな。 “自分の思い通りにならない人間を、『法に触れない手段』のみを用いて破滅させていく”花岡の存在は、『法の番人』である久利生にとっては厄介な敵であるはずです。 しかし、だからこそ久利生の敵に相応しいと思うのです。“事件の大小や先入観、通念的な善悪にも囚われない。 加害者や被害者への憎しみや哀れみに飲まれない。 一面的で分かりやすい『表面的な事実』に陥りもしない。 ただ、執念で『全ての真実』を探り出す” それらの『検事の本質』を体現する久利生にしか、『花岡』を表に引きずり出すことができないでしょう。 その意味では、見事な対比を生み出しています。 この『対比』が導入で上手く示されれば、自然と物語の方向性も決まるんですよね。その点は感服しました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『花岡の邪悪さ』は物語としては素晴らしいんです。 それは対になる『久利生のキャラクターの立ち方や行動原理』がしっかりしているからこそ、際立つんですよね。 あの『喧嘩の売り方』だけは無茶です(笑)。 普通、あんな風に顔を売りに行きません。…『罠にはめられる危険性』もありますし、あまり賢明とは言えないですよね。 あれは『俺を罠に嵌めてみろ。はまってそれを踏み潰して、その手綱を握ってるてめぇを表に引きずり出してやる』ぐらいの覚悟が無いとできません。 脚本家さん、『喧嘩を売りに行くシーン』が書きたくてしょうがなかったんでしょうね。 それが強く伝わってきましたよ。 『手駒の女に喧嘩を売ってびびらせる』シーンも、見方を変えればストーキングに見えますが(おひっ)、でもスカッとしましたね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『対比』と言えば、久利生と津軽のキャラもすごく良かったです。 津軽を含め、『感化される過程』はもう少し丁寧に練り込んだら良かったかもしれません。 でも感化前の『チグハグ』した様子も、感化された後のコンビプレイも楽しかったです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 今回の『花岡』に踊らされた人間、滝田。 彼の悲哀と覚悟は上手く描けていたと思います。今更解説する必要もありませんよね。 彼に同情点があるほど、『花岡』の邪悪さも際立ちましたね。 この辺り、理由がかなりぐちゃぐちゃに絡み合っているため、解くのに時間が掛かっちゃいましたね。 謎解きの伏線もちゃんと張ってありましたので、分かりやすくはありました。でもそれまで勢いとテンポで勧めていただけに、解説まで『長回し』になっちゃったのが辛かったかな。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 今回は『久利生の新たな因縁』、これに尽きましたね。 続きがすごく気になります。スタッフ様、期待していますね!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「ターゲット・ロック」 本当の罪とは何だ? 本当に悪い奴は誰だ? 彼が求めるものは『真実』。彼が成すべき事は『全ての真実を晒すこと』。 それが彼に課せられた責務にして、彼が抱く矜持である。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 追記: いつもお世話になっている海鴎@DDさんの『HERO SP』のレビュー&考察です。【HERO】「今夜復活!!美しい海の町の怪事件に伝説の検事が挑む」感想 今度『久利生』モデルのPCを演じられたなら、是非キャラの職業設定と大まかなレポを宜しくお願いしますね(微笑)。
2006/07/05
「何故、私はここに座っているんだろう」 『模倣犯』の時も同じ事を思った気がする。 ド級の怖がりの分際で、何故、パニック映画を観に行こうと思うのかな(滝汗)! ということで『日本沈没』試写会感想をUPしました。 『念願の、わが理想の英雄像を草なぎ君が演じる』、恐らく最後の機会だからこそ、辛口吐かせていただいております。お気をつけ下さい。 生まれて二度目の試写会は偶然にも『ホテル・ビーナス』と同じ会場になり、戸惑うことなく行くことができました。 ここはスクリーンが奥まっているので、3列目~4列目がベスト。その記憶もちゃんと役立て、しっかり楽しんできました。 もちろん、今回も講演会付きです。 今度は『浜村純』さんの講演ですっごく面白かったです。さすが現役の芸人さんです。 トークについての解説、そして過去の話芸の達人の模写はさすがの一言。 特に、『最近の芸人は、間を取るのが怖がっている』の一言には納得しました。私が感じていたことそのままでしたから。 そうなんです、間が無いから笑えないんですよ(キッパリ)。ネタは面白いし、かっこいい人や、独特の雰囲気を持っている人が多いのは間違いないんです。 でも、『間が無いから笑えない』、というのでは、ネタやご本人達の魅力を殺しちゃってますよね。 私の好きな言葉は『間に魔が宿る(←歌舞伎の用語)』。間の持つ、魔性めいた力を引き出して欲しいですね。その意味では若手の皆さんに頑張って欲しいです。 後、原作者さんにインタビューも行なったそうだとか。 ラジオで放送されたのでしょうか? 是非聞いてみたかったですね。 また浜村さんは、今回の日本沈没にも少しだけ触れられました。その要約。『特撮は素晴らしい。 しかしそれ故に、逆に人間ドラマが浅くなっている』『前作とは別物であり、一から作りなおしている。それは時代の変化や地学の発展があったからだ』 の二つですね。 確かにこの描き方は、映画というよりもコンシューマ・ゲームを連想させる手法でありました。 それは確かに、好き嫌いを選びます。 でも私は観れて本当に良かった。 この役柄を見るためだけに、私はこの人のファンになり、ずっと待ち続けていたのかもしれない。 『井原満』でも、『平太』でも、見ることはできなかったもの。 それ故に待ち焦がれ、飢え続けていたもの。 それはレゾンテールと、愛情と、矜持。それが一つになる瞬間。 それを体現する、この役柄を。
2006/07/01
「俺が選んだ日本一面白い奥さんなんだから」 ただ一言に、全てを篭めて。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 最終回はすっごく温かく終わりましたね。 お約束がすごく心地よく感じられました。それは周りの描写がすごく温かいからだと感じました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ しかし、前回からのその『引き』は無いですよね(苦笑)。 友美がチャンスを貰うために、美幸が断ったのかと思いました。 …結局『結婚できない』というのが『W-1グランプリに日程が重なったから』という理由で(苦笑)。それは予測の範囲内でした。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ しかし、舞台の上での表情と、教会での表情がまったく違うんですよね。 芸人として『容姿ネタ』を使いまくることには引きましたが(…美幸、それは『最低の笑い』でしょう。頭痛)、でも彼女の頑張りは伝わってきました。 教会に全力で走ってきた時の表情は、それまでとは違って『素』の、一人の女性としてのもので。 その時、素直に『綺麗な表情』と思いました。飾の無いウェディングドレスが、またその時の美幸に似合っているんでしょね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「俺が選んだ日本一面白い奥さんなんだから」 この台詞、本当に好きです。 このシーンのためだけに、全ての物語が組み立てられたといっても過言では無いですよね。 それだけ全ての思いが篭められていて、いいと思います。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ちょっと話は変わるのですが、私の親戚の子(幼稚園児)が深田恭子さんの大ファンなんですよね(←「綺麗なお姉さん」って、あんたは軟派師かっ)。 おかげで彼と一緒に『富豪刑事』の最終回を事前に見ることができました。 その『富豪刑事』最終回のおかげで、このドラマの脚本家でもあるマギーさんの顔をしっかり覚えておけました。 だからタクシーの運転手さんが出てきた時に「あ、マギーさんがでてるっ!」とすぐに分かりました(笑)。 ああいう、臭いほどに気障なちょい役は好きです(笑)。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 友美も美也子も、『おさむ』と別れた時の経験を生かして、恋愛でも仕事でもしっかりとステップアップしていましたね。 特に美也子は『おさむ』の信念を自分の中に取り込んで、しっかりと地に足をつけて頑張っている姿が印象的です。 友美も、自分で『無敵』と言っちゃう辺りはまだまだですが、でもいい女性になりつつありますね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 今回、社長がうれし泣きをしていると、こちらまで嬉しくなっちゃいました。 『相手のためならヒールも引き受ける』、本当の意味でのいい人。だから彼にとってもハッピーエンドになって良かった。 B2もいい仲間ですよね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 終わってみて意外だったのが、『拝・視聴率主義者』の斉藤や、『笑いのためなら手段を選ばぬ』上島の両方を認める結末だったことです。 初回に出てきた脚本家を含め、“彼らを批判することで、自戒をも促す”雰囲気の序盤からは信じられないです。 序盤の雰囲気が好きだった私としては、ちょっと寂しいですね。できれば彼らが信念を見直すような、そんなウルトラCのような出来事を期待していたんですけれど(苦笑)。 でもそれは、『竹田とどこまでも突き進むおさむ』の姿に、少しは揺らいだと信じたい…です(←ちょっと無理がある解釈)。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『斉藤VS.上島』の会話のシーン、かなり好きです。…むしろ『ツボにはまった』というべきでしょうか。 『仏頂面と捻くれ』の対比もいいんですが、その『寒い空気』が流れまくっていた中に、ふと気持ちが通じ合う瞬間があって。 普通だったらありえない、奇跡とも言える瞬間に、ふと自分まで癒されちゃうような錯覚が生まれました。 キャラクターとしては苦手な2人のはずなんですが、その時だけは苦手じゃなくなりました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『竹田とおさむ』のリベンジ、期待したいですね。 そしていつか、『ズバズバ』で遣り残したことを、やらせてあげたいです。 …宿題を残しまくりながら終わってしまった『ウッチャンナンチャンのウリナリ』という、実在の番組を知っているから。 だからこそ、そう願ってしまいます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ コンプレックスを反転させること。 それができたとき、本当の幸せがやってくるのかもしれません。 その人の欠点をひっくるめて、むしろ欠点を長所として理解する。そんなパートナーが現れたことが、美幸にとっての幸せだったんですね。 『コンプレックスと上手く折り合う、大人の女性』であった序盤の美幸も好きでした。 でも、今の方がずっと幸せそうですね。 これから、本当に素敵な女性になってください、美幸。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ スタッフの皆様、キャストの皆様、お疲れ様でした。 本当に幸せな気持ちが、最後に広がりました。 素敵な余韻をありがとうございました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 天使の羽根は舞い、神の加護の元、2人は運命を確信する。
2006/06/28
「私のドレス姿に笑ってくれますか?」「誓います」 いつも笑っていたい。そんな2人。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 前回までの畳み掛けるようなトンデモ展開が、美幸の戸惑いに上手く結びついたと思います。 今回は何より、『トイレ前の宣言』が秀逸だったと思います。それと教会でのプロポーズの会話も、2人らしさが滲んでいてすごく良かったですね。 背景に『人を鋳型に嵌める、世間の残酷さ』が見え隠れし、物語に深みを与えていたのを感じました。 今回はすごく好感を持てる物語の作りになっていたとおもいますね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 前回までのトンデモ展開が、美幸の戸惑いやコンプレックスに結びついていましたね。 『自分は幸せになれないと思っていた』 これまでの人生で受けてきた容姿による迫害が、彼女の考え方に深く影を落としています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 最近のワイドショーでは“関係者が幼少期の同級生や親から受けた虐待で、性格を歪ませていく過程”ばかりを解説していますよね。 それを観ながら『社会からの迫害は、そこに属する人間が思っているよりも深く深く傷を残す』んだと実感しています。 私がこの問題提示に出会ったのは、『サーラの冒険2』という小説だったと思います。 その第二巻で『人を鋳型に嵌める力』というのを、的確に表現しているんですよね。“世の中には、生まれだけで偉くあることを強要される子供がある。逆に容姿や性格だけで、“心が醜い人間になること”を強要される人もある。 その無言の圧力に屈し、人は他人の思うような人間に成っていく”と。 その力は『他人を貶めたいという悪意』から生まれることもあります。 でも多くは『容姿や生まれからの思い込みを、絶対と信じ、その上に胡坐を掻こうとする』保守的な精神から来ます。 私のオフラインでの身内にも一人、『異常に思い込みが激しく、それを変える事を頑なに拒絶する』人がいるんですよね。その人と会話をしていると、『偏見ってこう生まれるんだな』と良く分かります。 身内を観ていると、“自分はそんな『他人を鋳型に嵌める人間』には成りたくない”とすごく思います。 その力を撥ね退けるには、“思い込みが単なる偏見であり、内容が不条理であることを見抜くこと”“思い込みは、誰の心の中にも、自分の中にもあることを自覚する”“むき出しにされた悪意に、絶対に屈しないこと”が必要なのかな、と私などは考えていたりします。 でもそんな偏見と戦うのは、すごく難しいことでもあります。 実際、『おさむ』の母親ですら、口では「大切なのは心」といいつつも、『容姿の不具合』に戸惑ったりしています。 『おさむ』も、最初は美幸の外見を『ネタ』として見るあまり、内面に気づかなかったのですから。 私も『自分の心』を自覚し、努力しなければいけませんね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 美幸もまた、『人を鋳型に嵌める力』の犠牲者です。 過去の出来事が原因で、『相手がいる幸せ』には臆病になっています。 しかし、彼女が『過去に向けられた悪意』に屈する必然性はありません。 美幸にはぜひ幸せになって欲しいと思います。そのためには相手である『おさむ』には頑張ってもらわないといけませんね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 初回の『情熱を失った状態』から回復した『おさむ』は、それまでの優柔不断さを振り払うかの勢いです。 …ちょっと行き過ぎかもしれませんが、これくらいがちょうどいいかもしれませんね。 できればついでに、もう少し『世間一般の道徳観』も育てて欲しかった気がするんですけどね(苦笑)。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 今回の放送の中では、『トイレ』の下り全てが好きです。 『おさむ』の「トイレ行ってきます!」の真剣な表情から、『お父さんの娘を思う気持ち』、『美幸が父を思う気持ち』、『現実への不安』…いろんな要素がすごく良かった。 端から観てると笑ってしまうかも知れない。ロマンティックでもない。 だけど、その中には確かな『感情リアル』が詰め込まれていて、役者さんたちがそれを見事に表現しているんです。 展開や状況は『トンデモ』でもいい。むしろそれがドラマの魅力でもあります。 ただ、“主題に結びつく登場人物たちの感情”はリアルであって欲しい。私はそう思います。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 友美の置かれた状況と決意はすごいですよね。 “別れた彼氏と新しい彼女に引き合わされた”姿は、すごくいたたまれません。 その一方で“彼氏の母親公認で、彼氏の略奪を決意する”姿は怖すぎです。 “さらっとしているようでいて、実質は修羅場だらけ”。 一人、“トンデモなドラマ”の世界に生きる彼女はどこに行くんでしょうか(汗)。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『おさむ』の美幸のやり取りは、時にユーモアに溢れ、ロマンティックには程遠くても、すごく温かいです。 今の2人なら、幸せになって欲しいですね。 そして、『ズバズバ』が一ヶ月をどう終えるのか。それも気になります。 美幸の中に固く押し付けられた『鋳型』を、『おさむ』がどう解き放つのか。 それを楽しみにしたいと思います。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『人を鋳型に嵌める力』。 普遍的で残酷な見えざる力が、彼女を蝕む。 2人は、その力とどう向き合っていくのか──。
2006/06/21
『迷い』『しがらみ』。 年経るごとに積み重ねるそれを、天使の羽撃きが吹き払う──。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 今回、「図星かい!」のやり取りが一番ツボに入りました。あの『おさむ』が醸し出す空気がなんともいえません(微笑)。 これまで『おさむ』が美幸よりに成長してきた序盤。それがこの10話でひっくり返されたと感じました。 もちろん最初に定義された『おさむの停滞感』は、完全に解消されたんですけどね。その変化だけで10話も引っ張られるのはちょっと辛かったかな。 できればもっと大きく、業界人という殻を破って人間的に成長して欲しかったと思います。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 今回、もっとも絶句したのが『MIYUを観て大笑いする美幸』でした。 これは第一話の『美幸の容姿を笑いものにする業界人』との対になるシーンです。 第一話では“笑いものにした『おさむ』を、美幸が最低と切り捨て”ました。 それが第十話では、美幸自身があの時の『おさむ』と同じ穴の狢と化しているのです。 第一話では、私は『おさむ』を切って捨てた美幸の『良識と頭の回転の良さ』に惚れました。そんな自分としてはかなり寂しいです。 また第四話で『おさむ』が、『望まない人を笑いものにする同僚を殴る』という成長を見せていたのですが、これもこの演出でリセットされました。 『最低』という言葉が象徴していた、『業界人としての歪み』がここで肯定されたこと。 よりにもよって、この『最低な笑い』で価値観の共有を確認したこと。 その点に関しては、さすがに『その演出こそ、最低じゃないか』と言わせていただきます。 『メタ・フィクション』であるからこそ、自虐的に『業界人の歪み』を批判し、膿みを吐き出す。それが序盤におけるこのドラマの魅力だったと思うんです。その意味では残念です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 第一話の頃の美幸なら、MIYUを見ても“容姿では無い部分で、自分も輝けるんだ”と確信し、感動していたと思うんですよ。 その意味では、少し演出を間違っていると思います。 なんでここで、『ズバズバの初回決定稿』や『ズバズバ過去VTR』で、価値観の共有を自覚させなかったのでしょうか?“『おさむ』本来の笑いが詰まっている過去の作品を観て、美幸が笑う。” その方が、『2人の価値観の共有』を強くアピールできますし、心情的にもリアルですし、より感情移入しやすく、よりロマンティックにもなります。 無理に奇をてらうよりも、『ベタであっても主題とリアリティを殺さない』演出を取って欲しかったです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ もう一つ気になったのが、美幸のお笑いに対する心情ですね。 簡単に『お笑い』に馴染むのではなく、まだ残っている先入観を少しずつB2と一緒に払拭していく方が良かったです。 …別に『シーンを作って描け』、というわけではないですよ。 美幸とおかみさんとの会話などに、その『反発していたお笑いの魅力を確認する過程』を匂わせる台詞を織り交ぜたり。そんな演出ができたのでは、と思うんです。 序盤で美幸が見せた、『女優への夢』と『夢に向かう姿』の両方があまりに魅力的だったんですよね。 だからこそ、“『お笑い』が『女優』に変わるだけの魅力を持つ”ことに説得力を持たせて欲しかったです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ さて、問題点の指摘はこれくらいにしましょう。 『同業者結婚』の魅力って、“同じ感性と職業モラルから来る互いへの理解”だと思います。 その点では放送作家とドラマ作家で、少し食い違いがあることが指摘されましたね。外から見ても同じでも、実は違いがある職業も多いんですね(例えば医者と看護士でも、『職種から来る職業モラルや感性の違い』は大きいそうです)。 しかし、放送作家である『おさむ』とお笑い芸人としての『美幸』では同じと、このドラマでは結論付けています。 今なら、確かに『おさむ』と美幸はいい関係になれる気がします。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『ズバズバ』の末期演出は胸に突き刺さりました。「突っ走れないのか…」 “バラエティが晩年に失速し、消滅”。それは何度も繰り返された世代交代です。 でも、ドラマの中だけでも、復活して欲しい。『本当に好きだったバラエティが消滅した』経験を持つ人間だからこそ、そう思います。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 友美がどんどんいい女になっていったり。 おさむの母親が友美に肩入れするという、とんでもない事態になったり。 そんなトンデモな展開はラブコメらしくって面白いですよね。 美幸の家族もすごくいい感じです。 今回は苦言を呈した部分もあります。 これから最終回に向けて、この失点をどう取り返すのか。それに期待したいと思います。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 瞳に宿す輝きは、かつての希望。 時間を越えて、彼は本当の力を取り戻す。
2006/06/14
自分では彼を満たせない。 だからこそ彼女達は互いに託す──。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「ちょい待て。なんでそーなんねん!(裏拳ツッコミ)」を連発してしまう回でしたね。 …別に『ツッコミ・ドラマ』は嫌いでは無いのですが(むしろ好物)、これまでの『感情リアル』を守ってきた回の後では違和感がありすぎでした。 この回だけを取り出すなら、『面白いコメディ』でいいんですけれど(悩)。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『MIYU』の正体が“あの人”とほぼ確定したり(…『ミィウ』という発音ではピンと来ないかも知れませんが、ローマ字を見れば…?)。 斉藤Pが汚れ役まっしぐらだったり。 美幸の友人達が、美也子の為に奔走したり。 ラーメン屋のバイト君が、常識人ゆえに困惑していたり。 ラストの美也子が、『美幸』の名前まで出してしまったり。 何より美幸の暴走が凄まじかったり(あの『丸文字フォント』こそ、昭和テイストだと思う…)。 今回の展開はとんでも無い状況ばっかりでしたね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 最も驚いたのは『美幸が他人の恋愛にここまで暴走する』こと。…もっと落ち着いて、一歩引いて接するタイプだと思っていました。 それだけに一連の行動には、怒涛のツッコミをいれずにはいられませんでしたね。 ただこれらの行動は全て『おさむへの未練』の裏返しなんですよね。 諦めきれず、だけど恨むこともできない。だからその思いを昇華する為に、相手を応援し、『おさむ』の幸せを願ってしまう。 自虐的ですが、彼女なりの『気持ちの整理』なんでしょうね。それが『暴走』とも思えるのは、それだけ強く思っていたからだと思います。 不器用で素直になれない、美幸らしい行動かもしれません。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「おさむはずるい」 この台詞を言っていたときから、もう別れる事を想定していたんですね。 確かに男女関係を女性側から整理させてしまう辺り、とんでもない男でありますが。『好きな人には、理想の姿でいて欲しい。 自分がいる為に変わってしまうぐらいなら、自分から身を引きたい』 恋愛音痴の私の言うべきことではありませんが、それって私がSMAPやケディやチェヨンに感じる感情に近いかもしれませんね。迷惑や悪影響を与えたくないという思いは、すごくあります。 多分、彼女は『おさむ』を恋愛対象として理想化しすぎていると思うんです。 美也子は『おさむ』のことがすべて好きなんでしょうね。 彼女は『おさむ』に自分自身を合わせることは無理で、かといって彼から妥協もしてほしくない。そんな状態で恋愛関係を継続できないから、別れたい。 …ここまで相手を理想化し、完結してしまう恋愛も珍しいと思います。 しかもアイドルなどの偶像化した相手ではなく、生身の人間です。それはひょっとしたら、“自分に無いものを持っている相手だからこそ、理想化できた”のかもしれませんね。 そう考えると、この破綻も自然の成り行きなのかもしれません。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 友美は破局が見え始めてからが、すごく魅力的に見えてきました。 この破局が彼女の人生や仕事に磨きを掛けていくことになりそうです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『ズバズバ』後番組騒動について。 まだ番組の打ち切りも決まる前から、後釜を争う姿はすごく嫌な感じがしましたね。 もし『終了して欲しくなかったバラエティは何ですか』と聞かれたならば、私は迷うことなく日テレ系列の『ウッチャンナンチャンのウリナリ』と答えます。 “歌手グループを応援した”り、“バラエティの構成作家やディレクターを本気で恨んだ”り、“企画のネタやそれを出す時期にダメ出しした”り、“出演者の代わりに悔しがり、何日も号泣した”始めての番組だからです。 構成作家という職業を意識し始めたのも、このバラエティがきっかけでした(…『ケディのブラビ脱退』騒動の時のエンディング・テロップに並んだ名前だけは忘れられない)。 『ウリナリ』が終了したがゆえに、『番組が連れてきた外国女性タレント達の日本での活動』に責任を取りきれなかったこと。 番組終了を受け、内村照良さんがTV各局を走り回り、『チェヨンの歌手になる夢』の手段として、『ウルトラキャッツ』を辛うじて存続させたこと。 番組の終了前後、通っていた日本語学校が潰れ、タレント復帰の前にOLにならざるを得なかったケディ。 『番組終了における悲喜交々』を、嫌というほど覚えています。 確かに『ウリナリ』の末期は、企画の華を失って失速していきました。 その当時のことと、『ズバズバ』スタッフに漂う末期ムードを重ね、私は胸が痛くなりました。 たとえ架空のバラエティであっても、スタッフや出演者やファンが沈む姿は見たくないです。 『バラエティ』が潰れて苦しむ人間は、確かに存在するんです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 今回はツッコミ的ドラマとしてはすごく面白かったです。 でもこの路線で突き進まれると、ちょっと不安だったりもします。 次回はどうなるのか、とにかく見守りたいと思います。 …って、その前に主演2人が共演する『SMAP×SMAP特別編 小さな恋のメロディ』が再放送されますね。そちらも楽しみです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 幸せな結末。 そう信じるからこそ、彼女達は破局を選ぶ。
2006/06/07
喪失と発見。 再見と変化。 太陽と月が巡るうちに、人の心は移ろい、譲れない物を見出す。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 人の心を動かす出会い。 いよいよ、思わぬ人々が美幸の心を変えていきます。 “ちょい役に見えていたキャラが、意外なところで関わっていく”という展開は昔から大好きです。 それに『美幸と近い存在でありながら、コンプレックス克服に関しては先輩のB2』、『信念はあるけど甘い部分も持つ社長』のキャラクターがいい味を出しているんですよね。 そして、『おさむ』の方も『ドラマ班』と『バラエティ班』の思考の違いが、2人の壁になってきましたね。 こちらも手に汗を握り始めました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ まずは美幸サイドの話から。「お笑い番組を嫌いなのは、嘘の笑いばかりだからだ」 今回、美幸親子の相似を感じたのは、何よりもこの言葉でした。 この2人、物事の本質に対する洞察力が深いんですね。 お父さんが『笑わせること』そのものを嫌いなはずが無いんですよね。 そうでなければ、娘も“友人やお客の前ではユーモアを発揮”できるように育たなかったはずですから。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ そして『本質を突く言葉』に対して、美幸は臆することなく受け止めました。 それは、彼女自身も同じ事を感じ、覚悟していたからだと思います。 『第一話』の“人を貶める笑い”も、バラエティには満ちています。でも『第四話』のように、誰かを楽しませようとする人もいる。 彼女は、『おさむ』と『B2』を信じたんだと思うんです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『嘘の笑い』で思い出したことがあります。 数年前、『SMAP×SMAP』で挿入される笑い声がかなり煩かった時期があるんです。 ちょうどその時は1年ほどプロデューサーが変わった頃です(現在はまったく違うタイプのバラエティでの実績が買われ、『スマスマ』から手を引かれています)。 そのプロデューサーさんは当時、芸人さんのコント番組に拘っておられました。実績もありました。でも、そのプロデューサーはアイドルを使うことが、当初はかなり嫌だったそうです(P本人の日記より)。 そのコント番組で使っていたスタッフを全員連れてきて、『芸人がやるコントを、アイドルにもとりあえずやらせて見る』というスタンスでした。 そのプロデューサーさんのスタイルと、番組が培ってきた笑いの質が、まったく相容れなかったんですよね。 だから視聴者は全然笑えないんです(出演者が頑張っているのは伝わってくるんですが)。 それなのに、そのプロデューサーさんが連れてきたスタッフが必死に大声を上げて笑うんですよね。 台詞に被って聞き取れなくなるし、『笑いに必要な間』に割って入ってくるし、見る気をどんどん削いでいきました。 また、『笑い声』自身も、声の張り上げすぎで感情が篭らなくなっていました。それが更に「このコント、面白くないですよ!」という声に聞こえてくるんです。 最後には『笑い声』が響いて頭が痛くなっただけ、ということもしばしばでした。 当時は、そのプロデューサーさんもスタッフも頑張っていました。 だからこそ『面白く』なるまで、出演者も含めて信じ、待っていました(…結局、面白くなる前にプロデューサーが変わっちゃったんですけどね)。『嘘の笑いが多すぎる』 このドラマの重松プロデューサーは、現在の『SMAP×SMAP』のプロデューサーでもあります。 その意味を考えると、重いです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 彼女が人前で自分の失敗を話した時。 彼女の話を聞く周りの反応を観ても、彼女の『頭の回転の良さ』や『空気の読み方の巧さ』が分かりました。 私もブログやメールで、自分の失敗談や“痛さ”を笑いのネタにします。 『呆れられて、笑ってもらって、その先に許されて、受け入れてもらう』というのは、『松竹喜劇』に見る昔からの関西の笑いだと思います(…最近の『吉本新喜劇』とは少し、笑いの質が違うかもしれませんね)。私もそう言った感覚に甘えています。 でも、人を笑わせるのって本当に難しいんですよね。 受けたら「よっしゃー(ガッツポーズ)」なんですけれど、でも自信はまったくありません。 そういう意味では、実際に笑いを取れる美幸ってすごいと思います。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『B2の2人が美幸の心を解す過程』は、予告から想像していたよりも地味でしたね。 それでも一話掛けてじっくり描いてくれたことは高評価です。 河原を転げ落ちた2人を見て笑う美幸はすごく意外でした。『無事にほっとして思わず笑みが零れた』という表現だったのでしょうか。『カタルシス』を感じた笑みでは無いと、私は思いますが(それだったら怖い)。 私が美幸だったら、きっと笑う余裕も無くおろおろとした挙句、一緒に転げ落ちている気がします(←それはそれで危ないだろうがっ)。 B2が美幸の心を大きく開いたのは、きっとベッドの上でのことですね。このシーンは私も大好きです。 『色んなコンプレックスを、笑いに昇華してしまうこと』。それは決して卑屈になる事でもなければ、逃げることでもなく、一つの強さだと知った瞬間だと思います。 美幸のお父さんも、『芸人』に対する理解を改めたことだと思います。 きっと人生には色んなことがある。 でも『全てを楽しもうとするゆとり』があれば、人生もそんなに悪くなくなります。 B2の2人の行き方は、まさにそんな『ユーモア』を掲げる生き方なんだと感じました。 それは、私が理想とする生き方でもあります。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『おさむ』サイドの話に移りますね。 やっぱり、『ドラマ班』と『バラエティ班』の壁がやってきましたね。 第一話では『バラエティ班』からの偏見が中心でしたが、今度は『ドラマ班』からの偏見が中心でした。 美也子も『ドラマ班』としての、真面目な部分を強く持っていましたね。 私自身は、今回についてはどっちの主張も正しいと思います。 『過去ではなく、今の自分の仕事を見て欲しい』という美也子の気持ちを大切にするドラマのプロデューサーも正しい。 『視聴者の関心を引き、その上で紹介することでより魅力を引き出したい』という『おさむ』達も正しい。 あえて言うならば、両方の意見が食い違った時点で「それは出来ない」 と断る『おさむ』の判断が正解なのかもしれません。 …どうしてもこのケース、『いや、SMAPのコンサートを一般にも紹介しますから、その代わり芸人を割り込ませて、茶化させて』『“彼らがプロとして作り出す世界”に浸りに来るファンもいるわけですから、それは出来ません』という、某バラエティ番組と事務所の攻防を連想させるんですよね(…SMAPファンにも、潜入してきた芸人さんにも不幸な仕事だったと思います)。 そう思うと、美也子を全力応援してしまう(汗)。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『行政物件』。 な、生々しい業界用語だ(滝汗)。 でも、ドラマの宣伝と無関係でいられるバラエティ番組は、もうフジテレビには無いんですよね。 昔『SMAP×SMAP』が相当好調だった頃は、宣伝はほとんど無かったんですよ(コントの元ネタにすることはあっても)。でも寂しいことですが、今はかなりの『行政物件』を引き受けています。 この時流は、どうすることも出来ないのでしょうか。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 別々に進行してきた『おさむ』と美幸の物語。 でも、これからは再び交わります。 次回は美幸の箍が外れそうで、それもちょっと恐ろしい(笑)。でも、今回の話でどう変わったのか、それが楽しみです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 果て無き絶望の上にも、別離の寂しさの上にも、等しく時間は流れる。 その間の変化が、物語をこれから動かしていく。
2006/06/01
「私の泣き顔ひどいんだ。 見てるともっと辛くなっちゃう」 熱が冷め、それだけで突き進めなくなった時、本当の自分に戻っていく。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 展開が見えなくなってきている『ブス恋』。 『数字至上主義』などの、TV業界の裏側も垣間見させ、面白くなってきている気がします。(『数字の為にゲスト呼んだり、宣伝を入れたり』…って、今のフジテレビのバラエティ班にとって耳が痛いことをずばり言いますよね。苦笑。 数年前まで『SMAP×SMAP』では、番組の宣伝は(今ほどは)ありませんでした。当時の『SMAP×SMAP』スタッフは、恐らく竹田Pと同じ思いだったはず) 松本、ほんとにあの変人Pと仕事することになっちゃうのかな。…悪影響を受けないことだけを祈ります。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 美也子と『おさむ』の雰囲気はかなり良くなってきていますよね。 私は両親が同業者どうしの結婚(もちろん職場は違うけれど、肩書きは一緒)だったので、ちょうどあんな雰囲気で毎晩話し合っていました。 だから同業者どうしの結婚にはあこがれますし、ドラマの中の雰囲気にも惚れちゃいました。 ただ次回予告を見る限りでは、この2人にも嵐が吹きそうです。「恋愛と仕事、両方が叶わないなら、両方とも自分で手放す」 この言葉が変な方向に暴走しないことを祈ります。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ある意味、美幸よりもかわいそうなのが友美ですね。 役者さんのファンのブログでは、『おさむ』の態度に怒りを抱かれる方も多いとか。…さもありなん(苦笑)。 稲垣君、天然に最低なキャラクター演じさせたら、かなり上手いのかもしれない(『Mの悲劇』序盤など)。 美幸とはきちんと清算しました(←始まる前だったから、簡単だった)が、友美は未だに生殺しの状態ですもんね。 その状態で『恋人はいない』という嘘を吐き続けることは、本当にしんどいことだと思います(…世の中の芸能人は、皆同じ苦しみを抱いているのかな)。 天然ボケのように、自分の立場を弁えずに堂々と『おさむ』にあっていた友美。その姿は最初、遊びとも紛う物でした。 でも、今になってその付けが来ています。 その苦しむ姿に、彼女は本気だったと思い知らされました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 振られて以降、美幸の言動は以前のものに戻りつつあります。 『恋する乙女』以前の、『信念の女性』としての言動は本当に素敵でした。それが帰ってくるなら、大歓迎です。 しかし……女優断念ですか(涙)。 彼女の夢は『生き様』として昇華されていました。また彼女は表面的なものではなく、職業の本質を愛していました。 だからこそ彼女には女優になって欲しかった(コメディエンヌが向いていると思ったのに)。 …やばい、視聴している私がショックを受けている(おいおいっ)。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ そんな美幸に対し、これまで背景のようなキャラに徹していた『B2』が動き出すようです。 “さり気なく潜んでいたキャラクターが思わぬ活躍”をする展開は、本当に大好き。2人には思いっきり頑張って欲しいですね。 『お笑い』嫌いの美幸や、その父親(そして視聴している人間)を説得できるだけのエピソードを構築して欲しいと思います。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 美幸の実家、そして父親が本当に優しいんですよね。 あの『ドラマ』のラベル、ひょっとしたらお父さんの字でしょうか? あんなに暖かな故郷があるのなら、ゆっくりと新しい『生きがい』や『矜持』を見出せると思います。 頑張れ、美幸。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ゆっくりと暖かな故郷に抱かれて。 今は新しい自分を見つめなおす時。
2006/05/24
──7年間。 ただひたすらに思い続けた時間。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『仕事と恋愛。 どちらか一つしか考えられないのが男であり、修羅場であっても同時進行できるのが女である』 とは、とある小説からの受け売りですけれど(苦笑)。 今回のドラマでは、女性が『仕事と恋愛』のどちらを選ぶかがポイントになるようです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 第四話で美幸は『恋愛』を。 今回で友美は『仕事』を。 7年前に美也子は『両方の放棄』を選びました。 この違いが、これからの展開の鍵になるのではと思います。 自分としては『仕事』と『恋愛』を同じ方向のベクトルに持っていける人に憧れるんですよね。(これは男女、職種を問わずに当てはまる) だから美幸には是非、両立して欲しいと思います。 …やっぱり、美幸は夢を違えるのかな(←前回の占い師の言葉しかり)。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『仕事』と『恋愛』を両立できない世界。 放送業界は残された僅かな世界なのかもしれませんね。 その意味でも、やはり歪んでいると思います。 『おさむ』は7年間に一度、その大きな歪みに捉えられていたんですね。 そこから業界人として歪みはじめたのかな、なんて思いました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ この展開だと、ついつい美也子を応援したくなるんですよね。 “相手の為に身を引き、7年間もずっと相手を思い続けた”という彼女の思いはかなり強力ですし。 少なくとも『プレゼント』の重さとしては、時計の勝ちですしね。 ただ、『仕事も恋愛も叶わないなら、自分で両方とも壊してやる』って…どこかが間違っているとは思います。 たとえ結果が同じであっても、せめて『おさむ』をもう少し傷つけない方法があったのでは。 恋愛は片方だけがするものではないのですし。 どうも、『彼女自身の思いが暴走した結果』ともとれるんですよね…(悩)。 ともあれ、この二人には仲直りをして欲しかった。 だから今回の展開は(美幸にはかわいそうですが)、私としては本望です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 今回、美幸や美也子の気持ちに共感しまくりでした。「三日で編めるはずが無いって、私言ったよ」 …その言葉は、ぐさっと来ましたね。 友達が編み物を手伝う光景は、思いっきりデジャヴでしたし。“出来るはずが無いことに暴走してから気づき、それでも引き返さない為に、後で周りに迷惑を掛けてしまう” まるで自分を見るようでありました(滝汗)。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 来週はすっぱり振られてしまうようですね。 …でも、そこから先の展開が思いつかないんですよ。普通はそれで終わっちゃいますし。 美幸も好きだけれど、美也子も応援したいし…難しいところです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ プレゼントに篭められた年月。 それを知った時、二人の時間が再び動き出す。
2006/05/17
三人の天使が、彼の前に舞い降りた。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ こちら、純粋な恋愛物になると、途端に語る言葉を無くす管理人です。 …というわけで、今回はまったりと二人の恋愛を進める回でしたね。 前回が波乱含みでしたし、次回も予告では嵐が吹き荒れそうでしたし。 今回はその意味でも、良い休憩時間になったと思います。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「笑われてこんなに嫌な気分になったの、初めてですよ」 まったりとした展開の中で、一番印象に残ったのがこの台詞でした。 笑わせること、笑われることに価値を見出していたはずの『おさむ』。 その彼が『嫌なこともある』という事実を再確認する。 それは成長であり、『業界的な歪み』から戻りつつある過程を示してるのかな。 …この解釈は穿ちすぎでしょうか?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ また、同じ夜空を見上げていたりするシーンなどもありましたね。 それは“全く異なる価値観を持っていたはずの二人が、そっと歩み寄りつつある”ことを示しているのかもしれませんね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 前回の事件を松本が反省しているのには驚きました。 …てっきり、あのままギスギスしているのかと予想していたので(←いや、それは職場の付き合いだから無い)。 まだ序盤ですし、取り込まれるのはもっと後かな(←だから、ラブコメでその展開を望むな!)。 まぁ、冗談はともかく。 松本もまだ普通の感性を残しているようですね。…殴られかけて、毒気が抜けたのかもしれません。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 美幸は相変わらず、自分の気持ちをそのまま表現するのが苦手ですね。 手紙で悩み続けた挙句、気が付くと格言集に摩り替わられちゃってるわけですから。 でも、それらの格言も彼女の言葉には間違いありませんよね。 格言には“自分のコンプレックスも違うものに昇華する、それだけの強さと聡明さ”が詰まっていました。 私もそんな美幸だから憧れちゃうし、応援しちゃうんですけどね。 そんな彼女のユーモアとポジティブ思考に触れ、『おさむ』も彼女の魅力に落ちました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ …やっぱり、美幸は女優の夢を捨てるのかな。 できる限り、その展開は避けて欲しい気がします。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 二人の周りも、応援モードに突入ですね。 今回はすごく和んでしまいました。 とはいえ、今度は元彼女が登場。 分かれた理由が理由だけに、すぐによりを戻しちゃいそうです。それに、視聴者としても応援したくなる(←待て)。 まだまだ美幸と『おさむ』の間には試練が待っているようですね。 ドキドキしながら続きを待つことにします。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 三人の天使の羽が舞い散って。 『おさむ』の視界が、思考が閉ざされていく。 答えはまだ見えない。
2006/05/10
『最低』 それは何時かの彼女の言葉。 それは何時かの彼女の想い。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『おさむ』の過去と言える存在の松本が、『業界の歪み』に惹かれ始めたり。 あの上島プロデューサーが、実は形が違うだけで、小田島や斉藤と同じく、『業界の歪みに飲まれた』人間であったり。 思わぬ複線が潜んでいて、この第四回はドキドキのしっぱなしでした。 でも一番嬉しかったのは『おさむ』の口から『最低』という言葉を聞けたことでした。 一話の頃から、確実に『おさむ』は変わり始めています。 そして『業界の歪み』も、そんな『おさむ』に牙を剥き始めています。 『おさむ』の成長ドラマとしても、すごく面白くなりそうです! ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『視聴者は裏側には興味が無い』 業界の『視聴率第一主義』に対し、このドラマは視聴者にも波紋を投げかけました。 こう言った主題は、メタフィクションでこそ訴える力を増します。 ドラマの設定の強み、出してますよね…。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 美幸の『演技がしたい』という気持ちに、共感してしまいました。 これは劇団員でもあるマギーさん(脚本家)の考えも投影されているのかな。 “女の子は皆、変身願望を持っている”とは良く言われます。 私も小学校の学芸会で、美幸と同じ経験をしてるんですよね。台詞も無い『大勢の中の一人』ではあったけれど、動いている間はすごく楽しくて。 その後、「演劇部に入りたい」と親とすったもんだの交渉をしましたっけ(それはまた、別の話)。 それはさておき。 『演技の魔力』っていうのは確実にあります(…SMAPの草なぎ君などは、確実に“憑かれている”と思う)。 遊びとしてその魅力に憑かれた人も結構いたりするんですよ(“演技遊び”を極めたものの一つが、『テーブルトークRPG』です)。 でも私やTRPGゲーマーの皆さんと違い、美幸は『自分の生きがい』にまで突き詰めています。 表面的な部分ではなく、その職業の本質の部分に惹かれている彼女は、確かに女優なのだと思います。 そして『おさむ』もまた、美幸のお笑い気質ではなく『プロの女優としての矜持』に惹かれ始めています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 美幸にはお笑いタレントではなく、『コメディエンヌ』の方が向いているのかな。 それにお笑いタレントでなくても、バラエティに参加することはできるはずなんですよね。(本業女優さんが参加するドラマ仕立てのコントもありますし、『ぷっすま』の『びびり劇団』の形もあります) でもその可能性に気づくまでは、無理に道を捻じ曲げて欲しくないです。 かつて同じ『演じることの魔力』に憑かれた人間として、彼女の夢を純粋に応援したいです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 一方で、美幸もまた『業界の歪み』に翻弄されます。“『業界人』である『おさむ』にアタックするには、『業界』に身を費やすしかない。” 混乱した思考の中で、彼女はそう結論付けてしまうのです。 『美幸』の真っ直ぐで聡明な部分が好きな私としては、後半の展開は切なく哀しかった。 だからこそ『おさむ』が『美幸』に感化された部分を見て、一緒に怒りを感じ、そして彼の変化を嬉しく感じました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ドラマの初回から『歪み』はかなりクローズアップされていました。しかしそれが『TV局側の主軸となる三人』の裡側に及ぶとは、私も想像していませんでした(←まだまだ甘いな、自分…)。 松本は元々、『昔のおさむ』を連想させる存在として用意されていました。 ゆえに、松本がこれから歩む道は『有り得たかもしれない、もうひとりのおさむ』ともいえます。 追い詰められ、そして『倫理観を捨てる』ことを上司に唆された時、彼は道を踏み外しました。 そして『第一話のおさむ』と同じように、恋愛感情を逆手に取って、美幸の信念を踏みにじるのです。 …故意の過失か、確信犯かは別としても、松本は『第一話のおさむ』と同じ存在へとなっていくんです。 松本が上島の手引きを受け、どこまで堕ちるのか。それがすごく怖いです。(…アングラ堕ちは、『おさむ』ではなく松本の役回りのようです)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ その一方で、『おさむ』は美幸によって『歪み』を吐き出しています。「彼女は(夢を)失っていない」 夢を失った人々の中で、『おさむ』は生き、その『歪み』に飲み込まれていました。 しかし彼女の真っ直ぐさが、彼自身の『歪み』を正す指針となったんです。 『彼氏紹介』の席でも、彼女の真っ直ぐさに打たれ、彼は『業界人としてのエゴ』を吐き出します。 その間に、少しずつ『夢を持っていた頃の郷愁』から、『夢を取り戻すための望み』へと彼女への感情を変化させているのを感じました。 そうして、彼は少しずつ正常に戻っていってます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『第四話』後半の段階で、既に『おさむ』にとって美幸は“汚すことを許されぬ、夢を取り戻す指針”となっています。 『おさむ』が美幸に激昂したのも、“嘘を吐かれたから”だけでは無く。 松本に激昂したのも、“知り合いを傷つけられたから”だけでは無いんです。 『美幸の夢や信念』は、すでに『おさむ』の心の一部になっています。 それを象徴するのが、第一話で美幸が『おさむ』に言い放ち、今回は『おさむ』が松本に言い放った「最低」という言葉です。 『美幸』を汚されることは、『おさむ』の心を踏みにじられるのと同じなんです。 それゆえの激昂であったと考えています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『歪み』に取り込まれる松本。『歪み』を吐き出していく『おさむ』。 その二人の間で、ニュートラルである竹田プロデューサーがどう取り持ち、変化していくのかもすごく楽しみです。 個人的に着眼点がTV局三人組にずれてってますね(苦笑)。 “三人と『歪み』を巡る展開”を期待するのは、すごく間違っている気もするんですけど(←待て、そこの管理人)。 でも好きなんですよ、そういう展開が(←暴露)。 ただ“『おさむ』と美幸の恋愛”においても、『おさむ』のキャラクターを描くにおいても、『歪み』の描写は避けて通れません。 この辺りがしっかりしてるから、私は『ブス恋』が好きなんですよね。 これからの展開、目が離せません。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『美幸の想い』が、『おさむ』の中にある。 『おさむ』の中で、確かに存在する。 汚すことのできない、『心の指針』となって。
2006/05/04
今朝、『HERO』の新作SP決定が報道されました。 当時から豪華な出演陣が話題だったのですが、今回のゲストには堤さんも! 『新海VS.サイボーグ』再びですよね(←ドラマが違う。ツッコミ)。 『GOOD LUCK!!』盲信者の戯言は置いといて(←重度に好きなんですよ、キャストも脚本も)。 『HERO』はレギュラー放送時も『続編をやる気満々』と言われていました。 でも木村君が『続編はやらない』主義なので、無理だと思っていたんですよ。 『謎解き』に『対決』に『カタルシス』のあるドラマは大好きなので、今回の決定は本当に嬉しいです。 7月が待てません。 話は変わって。 草なぎ君の舞台のレポートもいろんな雑誌に掲載され始めましたよね。 それを観てほんとにドキドキしちゃいました。 でも一番胸を捕まれてしまったのが(ネタバレ 『狐憑き』として松の枝で燻される)シーンの写真だというのは秘密です(←己は怪奇伝承ネタ絡みに反応しすぎじゃっ)。 …(ネタバレ『狐憑き』)でショートショート書こうかな(←半ば本気)。 まあ、西洋の精神科治療の発展経緯を考えると、まだ生易しいんですけどね(大昔は椅子に括りつけて水の中に鎮めてましたから)。 でも、『芝居が楽しくて、充実してたまらない』っていうのが伝わってきますね。 そんな草なぎ君に惚れたんだな…と再確認しました(壊)。
2006/04/28
笑わせるのは、泣かせるよりも難しい。 そう“作家”と名のつく人々は言う。──それは本質を見抜く作業なのだから。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 今回、後半は「絶対、ありえんだろ。それは」というツッコミの連続でしたね。 なんでもあり、という感覚が楽しかったです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『フジテレビの祭り』というと、夏のお台場のフェスティバルと冬の『HOT FANTASY』を思い出します。(『HOT FANTASY』の名称を思い出すたび、「フジテレビって、放送局全体で『ファンタジー』を曲解してない…?」と呆れ半分、凹み半分の気持ちになります。溜息) 閑話休題。 そんな『なんでもありのお祭り』感覚が、ドラマ全体も引っ張った気がします。 とんでもないファッション・ショーも「フジテレビなら、『面白くなきゃテレビじゃない』の一言でやりかねないな…(遠い目)」と納得しちゃいましたから。 …そんなことを納得されて、フジテレビにとってはいいんだろうか(←いや、考えるなそれは)?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 今回の合コンシーンを経て、『おさむ』と美幸の周りも動き出しましたね。 『ズバズバ』の大森Pが善人だったのが意外です(←待て)。 小田島(ドラマ脚本に転向した男)とか、斉藤(軽率なむちゃデスのP)とか、イっちゃってるキャラクターばかり印象に残ってたんですよね。…まさか関西テレビ班だけが良く描かれている?(←違う、違う) それまで『おさむ』同様、『番組の必要のため』としか観ていなかった大森。でも美幸の女性的な一面には、表情を改めましたよね。それを観て、私はすごくホッとしました。 これで『おさむ』の近くにも恋愛の応援団が生まれたわけですよね。頼もしいです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 現実にあんな『ファッション・ショー』があったら絶対に嫌ですよね。 ドラマだから許せるんだな…としみじみ思いました。 まず最初に、「洋服に興味が無い人を対象に、ファッション・ショーをやるな(きっぱり)」 祭りの目玉商品の一つとして、見学自由にして行なったんでしょうけれど…。 “ショーそのものに関心の無い人間に見せる為に、お笑いを入れる” 本末転倒という気がするんですよね、それは。 …『ラストのおばちゃん』には、『純粋にデザイナーの洋服目当て』で見に行った人は引きます。 『服を引き立てる』仕事を全うしようとしたモデルにも、不快感が沸くはずです。 『服を見せる』というコンセプトであるべきショーが、『お笑いに包まれたエンターテイメント』に摩り替わられたんですから。 それに『純粋に服が観たい』観客も、『服を見せようとした』モデルも、『母性』をテーマにして欲しいとは思わないんです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・“『本来の目的』と違うものがその会場に紛れ込み、 『主催と観客』が求めている主題をひっくり返し、 違うものを押し付けていく” 『主催側』も『純粋にそれを求める観客』も、両方を傷つけることにならないでしょうか。 それは、『絶対あってはならないこと』です。少なくとも私はそう考えています。(残念ながら、類似の『バラエティー企画』は何度か目撃しています。 『悪質なもの』は報道ニュースになったこともありますね。 本当に止めて欲しいです)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ とはいえ、ドラマの中における『おさむ』の演出は、少々違う解釈になっています。 『おさむ』は一度は否定されながらも、必死にその企画を考えるうちに『企画の本質』を見抜きます。 それは“『美しさを演出するショー』と、『老若男女が見るショー』という、二つの企画に架かる橋”でした。 『おさむ』はその『橋』を、得意とする『笑い』によって表現します。 それはデザイナーにも評価され、仕事の成功にも繋がったんですね。 このような『本質を見抜く力』は、『笑い』にとってもとても重要なものだと思います。 それがある『おさむ』は、単なる“人を嘲笑う悪質な企画”を作り出す作家ではないことを示していると思います。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 今回、『おさむ』が母性に美しさを見出すことが発覚しました(笑)。 …この路線から攻めるなら、美幸も勝機が見えますね。(「男なんて、皆マザコン」という格言もありますけどね) でも、『母性』を求める気持ちを全面的に出されると、女性は引きます(笑)。 友美は『セレブっぽい』男性が好きと言っていましたよね。それは『特権階級であり、洗練されている』男性のことなのでしょうか。 だとすれば、今回『おさむ』が垣間見せた『世俗的な部分』をどう捉えるのでしょうか。 モデルの自分には無い『母性』的な部分。 それを『不必要なもの』として切って捨てるのか。 友美にも、課題が与えられた回だったと思います。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 今回、“美幸がポリシーをかなぐり捨てて、おさむを助けるシーン”は切なかったですね。 『好きな人の力になりたい』という思いは、当たり前だと思います。 私も『夫の名誉は自分の命』というタイプなので(←それは待て)、同じことをしちゃうかもしれない。 でも、美幸の魅力はポリシーであり、あまりに哀しい姿だと思いました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・“気がつくと、荷物ごと大切な人が蒸発していた” …これ、このドラマのプロデューサーさんでもある重松Pの実話です(←マジ)。 『奥さんに逃げられた』エピソードを元に、重松さんは『僕と彼女と彼女の生きる道』も作られています。 身銭削ってますよね(遠い目)。(ちなみにその後、『チョナン・カン』という番組の中で恋人募集までしてましたっけ…) このほかにも、重松さんは『SMAP×SMAP』の作成にも二年前から参加しておられます。 これらの経験も、かなり落とし込まれていくんじゃないでしょうか。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 笑わせることで、物事を繋いでいく主人公。 だけどまだ、“彼と彼女の間のすれ違い”に、橋は架からない。
2006/04/26
──この世界は歪んでいて。 『彼』もまた、そんな歪な世界の住人。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ メタ・フィクション(入れ子細工の物語)。 その強みが、それが属する『ドラマ』の存在そのものを揺るがすことで、発揮されていました。 『ブス恋』が描く『歪み』。 それを抱えているのは、果たして“虚構”なのか。 あるいはその外の“現実”なのか。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「この業界には『知らない方がいい』って事が沢山あるってことだな」──『歪み』に気づく度に、知る度に、その存在を受け入れてきた。 そのことを端的に表した一言でしたね。 その『歪み』を受け入れることで、同時に『軋んで悲鳴を上げる』部分からも無意識に目を逸らして来たんですね。 けれども、その『軋んで悲鳴を上げる』部分に気がついてしまったとき、『おさむ』の心まで軋んで悲鳴を上げるのを感じました。 それは、単に良心が動いたことを示すのではありません。 ただ『その業界に染まる』ことに身を委ねていた主人公が、初めて『業界』そのものに疑問を抱き、反発した瞬間でもあるんです。(私はそのことに気づいた時、彼の小さな、けれど重要な変化に胸打たれ、涙ぐみました) 彼自身は誠実さも秘めています。 その一方で、『放送作家』として成功するうちに、『歪み』をその体に蓄積してきたんだと思います。 その『歪み』の果てに、前回のような『超サイテー男』になってしまったのだろうと思いました。 とはいえ、彼は完全に染まっていたわけではありません。 「先生と呼ぶのは止めてください」 その言葉が、彼が完全には染まっていないことを示しています。 もしも彼が『先生』と呼ばれることを受け入れるなら、その時は『歪み』が彼を完全に蝕んだときでしょう。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ そんな『おさむ』も、少しずつですが自分の『歪み』に気づいてきています。 その大きな理由が『美幸』です。 彼女の行動や考え方は、『歪み』によって失ってしまったものを象徴しています。 つまり、『良識』であり、『お笑いに対する情熱や誠意』であり、『間違っていることに、正面向かってぶつかっていくこと』であり、『ただ人を人として接すること』であり…。 『おさむ』はそれらの失ったものを、彼女との触れ合いで求めています。 だから『美幸』と接する時に、『失ったものを持っていた頃の自分』を象徴する『昔の彼女』を思い浮かべるのだろうと、そう思いました。 ですから、彼の中ではまだ『恋愛』感情にはなっていないんですね。 この感情を恋愛感情に昇華するには、まだ時間が掛かりそうです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 着飾ることを止めても。番組制作への情熱を取り戻しても。 『おさむ』の中にはまだまだたくさんの『歪み』が蓄積しているはずです。 それを『美幸』との触れ合いで吐き出すのが先か。 あるいは『業界』の中で飲まれるか。 これからの変化が楽しみであり、不安でもあります。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ そしてこのドラマを観ているうちに、「この『ブス恋』を作っているキャストやスタッフ自身も、『歪み』を抱えながら仕事をしているのか」という疑問も生まれました。 キャストのファンであるからこそ、それはすごく重い疑問でありました。 現実と虚構の境目が曖昧になる『メタ・フィクション』だからこそ、“作品自身を否定する問題提起”が生きてくるんですね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 程度の差はあれ、世の中の人々は皆、『家庭や社会からの歪み』を引き受けてるんじゃないでしょうか。 そして違った『歪み』を持ち合わせた人々が、そのことに気づかないまま、互いを傷つけていることもあるかもしれません。 ふと、そんなことを思い、怖くなりました。 大切なのは『歪み』に気づき、それに対して責任を持つ強さと誠実さなのかもしれませんね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 美幸の気持ちについて。 “異性に対し『最悪』のイメージから始まると、その後にはいいところしか見えなくなる”とどこかで聞いたことがあります。 その真偽はともかく、美幸も途中で『悪いだけの奴じゃない』と見直したようですね。 彼女の『女優の夢』をバカにするのではなく、それをちゃんと受け止めた上で話を聞いてくれたのが意外だったんでしょうね。 彼女の視点からすると『おさむ』の印象は“自分の都合と価値観しか見えないエゴイスト”に違いなかったはずですから。 その意外なほどの誠実さが、彼女を口説き落としたのかな。 まぁ、簡単に許しすぎの気がしますけどね(苦笑)。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「こっちで思いついたこと、『めちゃデス』に流してないだろうな?」 …これ、元ネタは「『SMAP×SMAP』と『めちゃイケ』のマラソン企画バッティング」では? 当時、両方の番組に参加していた鈴木おさむさんがスパイ容疑で疑われたとか聞いたことがあります(笑)。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 今回、そんなことをつらつら考えつつも、実は稲垣君の声に腰砕けになりかけました(←大丈夫か)。 改めて、彼の声の『甘さ』を実感しております(おひおひ)。 『おさむ』はこれからもどんどん変わっていくんでしょうね。『アングラ堕ち』の可能性も含め、いろんな表情が観れそうで楽しみです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 心の中に多くの『歪み』を抱えて、それでも『歪んだ業界』に染まりきらない男。 『歪み』に気づいても、それに真っ直ぐにぶつかる女。 『歪む』ことの出来ない誠実さが、二人を繋いでいく。
2006/04/19
「自分だけ着飾って、人を笑っているあなたは最低です」 差別や偏見の延長にある笑いなど、エゴでしかない。 他者を貶めることで生まれるものは、『それでしか自分の存在を確かめられない』虚ろな心だけ──。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『人を一面的な価値観で嘲笑することは、卑しくありませんか』 そんなメッセージを感じて、すごく好感を持ちました。 実を言いますと、私もダイエット中です。ただ、それは美幸のような外見コンプレックスだからではなく、『健康上の切実な問題』です(←単なる運動不足だろーがっ。滝汗)。 ですから、美幸のダイエットシーンには、違う意味で衝撃でした。 …コンサートまでには、健康的な体になりたい…。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ BBW。 『Big Beautiful Woman』の略称です。「体が大きいと、心も大きい。 人柄がよく、頭もいい。 健康的で、何でも美味しそうに食べる。 170cm以上、70kg以上」 こう言った女性が、イギリス人には『魅力的でセクシー』に映るんだそうです。 もちろん化粧もされていて、雰囲気はすごく綺麗だそうな。 美幸は間違いなく、聡明な女性です。 やっぱりコンプレックスもあるから、それ絡みになるとちょっときつい表情も見せちゃいますけれどね。 でも、このコンプレックスが解消されたとき、どんなに素敵な女性になるのでしょうか。 すごく期待しちゃいます。 美幸は間違いなく『BBW』な女性だと思います。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 一方の『山口おさむ』は根っこから困った奴(笑)。…天然だからなぁ(頭痛)。 …パーティ会場の下りでは間違いなく、“装飾品代わりに彼女を着飾らせて連れ歩く西洋中世男性”と同じ匂いがしました。 いえ、それによって女性が圧倒的な屈辱と精神的な傷を受けるわけですから、それ以下ですね。 もう一箇所で「こいつ、最低だ」と思ったのは、お手拭のシーンです。 自分の顔に傷ついている女性のメイクを、人前で落としますか?! 傷口がさらに抉られていくのが見える(待てや、コラ)。 どちらも悪気が無いから、始末が悪い(苦笑)。 道徳概念の欠如、というか、倫理的な問題のある性格というべきか。 この男にどうやって『常識を叩き込んでいく』かが問題ですね。元々がダメダメなので、「好きなように料理してください」と言いたい(苦笑)。 頑張れ、美幸。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 細かいシーンで元ネタを探すのも楽しかったです。 『ブスの瞳に…』も『SMAP×SMAP』も同じ『関西テレビ』製作番組なので、ネタをリンクしやすいんですよね(『僕の生きる道』の重松プロデューサーが『SMAP×SMAP』に移転してきたこともありましたっけ)。 『無茶デス』は多分、『めちゃイケ』のパクリでしょうね。『ズバット×ズバット』は勿論、分かりますよね。 しかし一番受けたのは“あいつのネタはゴールデンに受けない”の一言でした。 松本のモデルは小松プロデューサーですか(爆笑)。 確かに初めてスマスマで『ナギサ』を観た時の衝撃や、『笑う犬の冒険』でのお蔵入りコントのブラックさは忘れられません。 また、『踊る』と名のつく映画の脚本を書く元構成作家、というキャラクターにもびっくりしました。 …某脚本家さん、怒っていませんように(←承認済みだと思いますけどね。苦笑)。 でも『踊る-』の脚本家さんは恋愛エッセイを書いてないんですよね。違う構成作家さんのイメージも落とし込んでいるようですね。 もっと『メタ・フィクション』としての強みを生かしてもいいと思います。 色んなバラエティと連動して欲しいですね。『実在の出来事と実在の放送現場』を舞台にしたドラマだからこそ、『実在のバラエティ』が絡んできても素直に楽しめるんじゃないでしょうか。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・“人を外見で笑ったり、性格を貶めることで取る笑い” 私が一番嫌いな笑いです。 “そういった笑いが質として最低だ”、と思い始めたのはミヒャエル・エンデさんのエッセイで『ユーモア』の定義を考えさせてもらったときですね。 この『ユーモア』という言葉。サイトを立てるきっかけになった言葉でもあります。 四年前の私の日記から転載しますね。 短く言うと、『余裕を持って、広い視野を持って、いろんなことを許容して、人も自分も笑わせようとする姿勢』…かな。あるいは『豊かに全てを楽しもうとする気持ち』? うまく言えないです。 当時の私はこれを『ネチケット・マナーの本質』と信じて、突っ走っていました。 いえ、今でもその『ユーモア』論は正しいと信じています。 『人の間違いや欠点を許し、それさえも愛しく思う気持ちで、笑い飛ばす』、それが本当の笑いじゃないでしょうか。 きっと“人間関係における潤滑油のようなものなんだ”と思います。 このドラマが投げかけるテーマは、4年前の大切な気持ちを思い出させてくれました。 スタッフとキャストの皆さん、本当にありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ どちらも完璧じゃない。 欠けた心を、そっと埋め合わせていく。 そんな『BBW』と『非常識男』の成長物語。
2006/04/12
不快度指数なんて、ぶっちぎりで高い当時の大阪。 『白い巨塔』のモデルとなった事件が、二十年以上前(1930-40年)に起こった大学病院。 止血剤は注射であり、電話はとんでもなく高額の時代。 そんな場所で、そんな時代で。 だからこそ、生まれる物語がある。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 4月7日。ようやく『愛と死を見つめて』のVTRを観終わる事ができました。 ここで述べる事は“事実に対してではなく、あくまでドラマの中の人物や事件に対して”感じたことです。 今回のドラマは赤穂や阪大(当時、関西圏の大学病院としては最有力。赤穂により近い神戸大学も、まだそんなに勢力は強くなかった)など、地元関西でのエピソードが中心です。 また、主人公をはじめとした関西弁(主人公は播州弁。赤穂を中心とした訛りであり、大阪や神戸とも訛り方が違う)が、妙に親近感を湧かせます。 また、私は知人を訪ねて結構大学付属病院に行ったり、エピソードを聞いたりしているので、それも親近感を沸かせる理由かもしれませんね。 前半は重光先生とミコの患者としての心の動きに、後半はミコの心の強さに、ぐっと引き込まれました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ミコを取り巻く医師や看護婦の迷いが、すごくリアルに感じました。 『同情や憐れみ無しに付き合うことの難しさ』 『悲劇の主人公』になりたがる患者も、やはり多いのでしょう。だけど『悲劇の主人公』として相手を捕らえて、それに共感するだけなら、担当医も自滅してしまう。 かといって、“対等に向き合いながら、その苦しみを引き受ける”こともやはり難しいんだと思います。 『カウンセリング』とは、本当はコミュニケーションの本質でしかないんでしょうね。 “その中に相手との共感や受容を篭めることで、日常を癒しあっているんだ”と、私は考えています。 しかし『病気という非日常』では日常会話だけでは足りず、『カウンセリング』という技術を持って接する必要があるんだと私は思います。 その『カウンセリング』の難しさに、改めて向き合う重光先生が印象的でした。 今の日本にも『ミコ』と同じ立場の人、『ミコ』と同じ考えの人はたくさんいるんでしょうね。 そして、医療現場で重光先生と同じ立場にいる人も。 だから『このドラマは、どこの病院でもある、すごく普遍的な出来事を描いている』と私は感じました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ きっと人間は誰もが『ただ、そこに存在すること』を肯定してもらいたがっている。 それが私の持論でもあります。 ただ『存在を認めてもらうこと』を無闇に信じて甘えることは、単なる『依存』です。 そんな『依存』から最も遠かった人間が『ミコ』だったんだろう、と感じました。 勿論、安易な慰めに嫌味を返してしまったり、そんな弱さ(甘え)もたまには零れてしまいます。でも、それ以外に弱さはほとんど見せない。 だからこそ“立ち直った後”は、信じられないほどに強くもなれたんだと思うんです。あんな時に、病院の中で働けるなんて、本当に強い人でなければ不可能です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ミコは、依存下手です。そう育ててしまったことに、母親が後悔するほどに。 そんな彼女だから、病気によって抱え込んでしまった苦しみを吐き出すことが出来なかったんですね。そして、迷惑を掛ける前に死のうとすらするほどに。 だからこそ、『どんな姿であっても、存在して欲しい』と願い続ける存在は、どこまでも嬉しかったと思います。 『ただ存在する』ことを認めてもらう。単純で、でも根源の望みです。 それを満たしてくれる相手だからこそ、初めて甘えることが出来たんだと思うんです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ マコは、『単純で、手当たり次第に入り込み、力強く、でも時間が過ぎれば弱々しくなる山嵐』のような人間だと感じました。 だからこそ、病院の外から『手紙という風』を送り続けることも出来たのかもしれません。(…といいますか、草なぎ君って『風の属性』を持つ役どころが多い気がするんですよね(←それ、単なる一ファンの偏見)。 『TEAM』なら「風穴を開ける人」、『ホテル・ビーナス』なら「ビルの合間で、逃げ道を失った乾いた風」、時に「柳に吹く風」、時に「涼風」「春を運ぶ風」…etc.) 『ただ、自分が生きていて欲しいと望む。だから、生きろ』という、残酷なエゴを平然と言える強さ。 でも、その『エゴ』がどこまでも純粋で、どこまでも強くて。 だからミコも、その『エゴ』を受け入れることができたんだと思います。受け入れることで、同時に『存在の肯定』という依存を相手に求めたんですね。 …とはいっても、一時的な嵐も弱まることもあって。 重荷からすぐに逃げ出そうとしたり、自分から言い出したエゴにびびったり。 ほんっとに『幼い』なぁ…と思います。 でも『自分のエゴ』に気づいたことには、ちょっと見直しました。気づかなかったら、人格的にちょっとヤバい(苦笑)。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ミコのような女性は、私の理想であります。 この管理人、自身の本性が『悲劇のヒロイン』なりたがりですからね(暴露)。学生時代には、その性格の為に痛い目にあったこともあります(…をひ)。 だからドラマの後半に見せる『聡明さ、機転の良さ、明るさ』には、ため息をつくばかりです。 あんな風になれたら、と思います。 とはいえ、『現状を誰かのせいにする』のはすごく簡単で、楽なこと。 心理学でも『投影』や『合理化』っていいますよね。それは、程度の問題だと思います。 人に迷惑を掛けない程度に自制していきたいと思います、ほんとに。 最期の一瞬まで、マコ以外にはまったく弱さを見せないミコ。 彼女は本当に素晴らしい人でした。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 本当に素敵なドラマでした。 ミコという女性像に触れることが出来たのは、本当に嬉しかったです。 彼女のように、強く生きたい。そう思います。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『希望があると思っている患者の心の中にも絶望があったり、 絶望的な言い方をする患者の中にも、希望はあったりする』 ──それは、今も昔も、同じ。
2006/04/08
携帯画面を眺め。何気なく、三回瞬き。そして。 ──噴きました。 私が観た記事はこちらです。 原作『ブスの瞳に恋してる』は、放送作家・鈴木おさむさん(SMAPやウンナンのお二人も親しい)が森三中の村上さんに出逢い、結婚に至るまでのエピソードを綴ったもの。 実際のおさむさんはこの前、『SmaStation5』の西遊記特集でレポーターをしていましたね。 おさむさんが村上さんに猛アタックした事とか、原作の存在とかも予め知っていたのですが…。 この結婚話がSMAPに絡んでくると誰が想像できたでしょうか? …いや、おさむさんのブレイク前のエピソードとかいくつか聞いているんですが、稲垣君と全く重ならないんですよね。どんな役になるか、想像できません。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 稲垣君は以前、『SMAP×SMAP』で村上さんと旅をしたことがあります(当時の日記はこちら)。 このとき、こっそりと『もう一度、一緒にお仕事しないかな。今度はドッキリ無しで』と思っていたんです。 …三年後、それがこんな形で実現するなんて。びっくりするやら、いろいろです。 でも今度はやらせ無しの会話もできますよね。村上さん、本当はいいひとだと思うんです。二人には(友人として)仲良くなって欲しいです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 今回のドラマは確かに“内輪ネタ”といえばその通りです(苦笑)。 でもうまく他の番組と絡めれば(ついでにSMAPの放送局越えパワーを発動すれば)、上質の『メタ・フィクション(虚構世界が入れ子細工のように絡み合う)』に昇華できると思います。 『めちゃいけ』での結婚報告エピソードとか、『小さな恋のメロディー』、『ココリコ黄金伝説』などのネタを上手く絡められるかな。脚本スタッフの手腕を期待しています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 前作の『Mの悲劇』も本当に色んな事を思い、引き込まれました。 そして今回は正反対の明るいラブ・コメディ。そんな両方をこなしてしまうのが、稲垣君の魅力ですね。 すごく楽しみです。
2006/01/23
──際立つ映像美。 愛ゆえに狂える人々。 自己を見失うヒロイン。 そして、ユーモア。 それらが詰め込まれ、万華鏡のように交差していく様は見事の一言です。 でもシリーズの中で最も際立っていたのは、“歪み”だった気がします。 映像や人物の美しさゆえに、その背景で壊れていく理性や日常の歪みが、際立っていったんです。 建物や自然の美しさ、そして美しき女達と関わらなければ、その歪みからも逃れることはできたのでしょう。 だけど金田一もまた、美しき家庭教師(もう一匹の女王蜂)と関わってしまい、その歪みの一部を引き受けてしまいます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 今回は私の大好きな大正時代のいろんな洋館が、美しく映っていたのですっごく嬉しかったです。内装や小道具も丁寧に作ってあって、かなり感動しました。 また、時計塔の中も異様でありながら独特の様式美を放っていましたね。実写で見るのは初めてです。金田一がふと顔を上げて頭上の歯車を見るシーンなど、すっごくドキドキしちゃいました。 自然の美しさも素晴らしかったです。 それらの中に突然、異様な宗教家や血痕や脅迫文などが放り込まれます。周りの景色は異常に歪み、その異常な状況に調和していくんです。 まるでそれは登場人物たちの心の歪みを投影しているように。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ その歪む世界から第三者として現れるのが、金田一と横溝先生。 冒頭からの飄々とした感じに、すっごく和みます。今回は先生の出番が増え(笑)、いい味を出していました。 事件の背景でちょこちょこ動き、「出るに出られなくなりまして…」という金田一がすごく可愛いです(←役者ファンの贔屓目)。 そんな風に第三者であるからこそ、彼は謎を解くことができたんだと思います。 でも彼は、完全には第三者になりきれなかった。なぜならもう一人の女王蜂である神尾に、心を許してしまったから。 それゆえに彼もまた彼女の“歪み”を共有し、事実を闇に葬ったのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ そんな歪み続ける物語の中で、ただ一人、智子の人生だけが救い出されます。 まるで地震の原理のように、揺さぶられ続ける間に歪みを吐き出したように。 そして。それは最後まで神尾が残した歪みがようやく正された瞬間だったと感じました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 茶目っ気全開の稲垣君も堪能でき、本当に満足です。 出演者とスタッフの皆さん、次回作も期待していますね。
2006/01/07
『稲垣吾郎、初声優』。 その見出しとリンクを見たとき、思わず猪管理人は叫んだ。「どうか『吸血鬼』役、Come onーー!!」 猪の暴走(妄想)はどこまでも先走っっていた。 …猪の暴走は、放置しておくとして。 実際の役柄や映画詳細は『記事』と『映画公式ページ』をご参照ください。 今頃、木村君と香取君から抗議(「なんで俺を差し置いて~!」)と激励(「好きなんだから、頑張ってよ!」)のメールが届いてるんでしょうね(微笑)。 私はずっと「稲垣君が特撮やアニメに参加するなら、やっぱり吸血鬼か死神か妖孤かな?」と思っていたんですよね。(注記:吸血鬼といっても、『かりん増血記』だの『怪物くん』だの『ときめきトゥナイト』だのに出てくる、ましてや『トリニティ・ブラッド』の主人公“アベル・ナイトロード”のようなキワモノ系ではない。 あくまで古典的な、ノアール・ゴシックの似合う吸血鬼をイメージ。 そして死神も『Bleach!』のようなものでなく、黒衣の麗人のイメージ。 …いや、アベルみたいな“表の人格はへたれの吸血鬼の神父”キャラが来ても、嬉々として演じてくれる気はするし、見てみたい気は確かにするけど。微苦笑) やっぱり『孤高で妖しく、美しい人外の存在』というイメージを演じさせたら似合うと思うし、折角アニメなんだから現実離れした路線に走って欲しいんですよ。 今回は『人外キャラ』ではなかったけど、でもやっぱり現実離れしていて、かつ稲垣君が面白がって演じそうなキャラクターでした。 “影があって、華奢で、ナルシスト。そして巨大メカの操縦もするサイエンティスト”だそうです。 私には“影のあるマッド・サイエンティスト?”がよく想像できません。『奇声を上げるマッド・バイオロジスト(生物工学者)』なら、アニメなどでよく見るけど…。 なんだか私の中の既成概念を思いっきり壊してくれそうで、すっごく期待しちゃいます。 私は『ワンピース』という作品は、あまり詳しくは知らないんです。 でも田中真弓さんや山口勝平さんなど(サイトの中には矢尾一樹さんの名前もある!)のよく知っている(それも、どなたも主演クラス)声優さんの名前が並んでいて、どきどきしちゃいました。 前線で頑張ってる本業俳優さんに混じってのアフレコ風景、ぜひとも見たいです。 そして、稲垣君の“声”が、幻想世界でどう弾けるのか、楽しみです。
2005/12/16
ようやく確定が出ました。『愛と死をみつめて』に草なぎ君が出演します(詳細はこちら)。「どうせなら洋画『愛と死の間で』の日本版リメイクを彼で見たかった…(←見たがるのは自分だけだろうがっ!)」というどっかの猪の戯言は置いといて。 この話は最初、実はとんでもないところから、とんでも無い量の企画内容が、誰でも見れる場所(ネット)に流出してたんですよね(私もそのページを観ました)。「これ、決定前に、企画情報の流出の為に“ぽしゃる(潰れる)”パターンじゃないか(滝汗)」と戦々恐々(←ドラマ業界では、本当に企画が潰れた前例があるらしいので)。 結局、その流出していた場所(ネット)は現在消失し、その後に改めて公式発表があったわけです。『頼むから、未確定情報を回すな皆さん!』と祈るだけの管理人は、ここにきてどっと疲れました(放心)。 私は原作の発売時も、昔のドラマも観たことが無いのであまり感想を言えません(…おーい、そこで「生まれてたんじゃねーの」と突っ込んでる人、出て来いっ)。 でもひたすら真っ直ぐで、すごく若い年齢の役柄はすごく意外です。草なぎ君君自身も楽しんでくれるといいな、と思います。 犬童監督とは、脚本では『黄泉がえり』で組まれていますが、監督としては初めて。彼とテレビ朝日ドラマスタッフが、どんな草なぎ君を引き出してくれるのか、楽しみです。 最後に、どこぞの猪が、「できれば次は『ハングマン』のリメイクで使ってください」などと思っていることも内緒です(こっそり)。
2005/11/10
『FF続編、まだ望みあるんじゃないか?』 今朝。携帯のブラウザ画面に浮かぶ、その一文。 冬の暖かな布団を蹴飛ばし、跳ね起きるには十分すぎる衝撃を私は受けました。「はい!? どういう意味ですか、それは!?」 ブラウザをスクロールしている間に、少しずつ状況が飲み込めてきました。 日本テレビのドラマにおいて、大食いが解禁されたらしいのです(詳細はこちら)。「…長かった、洒落抜きで長かった」 FFSP2が放送されて、来年で5年。しっかり現実時間に自サイトの小説が追いつかれてますし(汗)。(とんでもない場面で放ってあるから、ちゃんと続き書かなきゃいけませんね) 今回のドラマそのものは脚本がドラマ版『金田一少年の事件簿』の方なので、あまりFFとは関係はありません。 それでも『大食い』が解禁されたのはほっとしました。『ネタ被りすぎるから、FFの方は封印されるんじゃないか』『大食いはともかく、早食いは未だTV業界で自粛中じゃないか』 …そういうツッコミは多々ありますし、私もリアルでの大食いは苦手ですけどね(苦笑)。 一縷の希望だけは持ってしまうんですよ。 せめてDVD発売だけでも、なんとかならないか。こっそりと祈っています。
2005/11/09
映画などの感想をUPしているページに『2046』感想をUPしました。 エロが苦手な人は要注意の映画です。 でもSF好きでSMAPとのコラボに飢えている私みたいな人間なら、ぜひ一度は見てください。 WOWOWが映る環境の人なら、今度の再放送をチェックしてみてくださいね。
2005/10/19
自分の体が、どの様な経過を辿り、どのような末路を迎えるのか。 医師は、生々しいほどに分かってしまう。「…Sarcoma、か?」 その独逸語(当時は医療用語と隠語は全て独逸語)の一言が、全てを理解させてしまう。 知識というもとは、時に己を傷つけるもの。 その残酷な諸刃の剣を抱え込むことこそ、医師という職業なのだろう。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 私の知っている医師には、検査を受けたがらない人が多いんです。 それがどうしてなのか、一度聞いてみた事があります。「…結果が怖い」 『医者の不養生じゃあるまいし』 そう思ってしまう言葉の裏には、知人達なりの理由がありました。「病名が分かるよね? それで、データを見る。 狭心症なら、狭心症。肺梗塞なら肺梗塞。 ―――そしたら、分かる。 いつまで自分が自由に動けて、どう病状が悪化して、いつどんな苦しみがあって―――。 知識と経験で、後の人生が――それもほとんどが絶望が――全て、生々しくシミュレートできてしまう。 それが、怖い」 それを聞いた時、絶句しました。 主人公がメタ(転移)を知った時、“どこか冷静に『来た』と思った”シーンがあります。 それは、最初のFibro-sarcomaの告知を受けた時に見えたヴィジョンだったのでしょうね。 それは、医者の職業的な宿命なのだと思います。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 主人公を見送る立場の医師や看護士の姿。 それは世界中にありふれた光景でもあります。 知人も1ヶ月前、同僚が告知を受けたことに沈んでいました。 今も同じ思いで戦っている医師がいることを、それだけは心に留めておいてください。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 主人公が冒頭、茶目っ気全開で見送られるシーンに、「いない。こんな美形でお茶目で真面目で、黄色のビートルが似合う医者なんてめったにいない」と思わず呟いた事は秘密です(笑)。 実際にいたら、病院中の女性職員による競争がすごいでしょうね(をひっ)。 そしてこれまでの稲垣君の演じてきた役柄とは全く違う、新しい魅力さえ感じさせました。…実際、惚れましたし(こそっ)。 でも、冒頭の新生児に関する会話は『ちょっとやりすぎ』と思いました(苦笑)。 あれを『自慢話』にする医療関係者はまずいないんじゃないでしょうか。 「…助かってよかったね」という風にさらっと流して、普通は終わるんじゃないかな。知人達の会話などを通じて、そう感じました。 …奥さんも同じ医療に携わる人(薬剤師)だし、手柄話(自分の暴走で救った!)という調子で語られたら、『引く』と思います。 この辺りは脚本家さんと知人達との感覚の違いなのかもしれませんね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 子供が歩く姿に勇気付けられ。 子供が泣く姿に我に返り。 子供の姿を見たいと、ただそれだけで泣き。 子供はただ生まれてきただけで、両親の大きな支えであるのだと感じます。 また、家族との心の距離が『告知』の後と前でまったく異なるのも印象的でした。 例え自覚していなくても、夢はおのれの心を映すんですね。『自分のことだけで精一杯では、家族の姿は映らない』『相手が自分に全てを知らせてくれなければ、相手が見えなくなる』 たとえ苦しみでも、互いにその重荷を背負うからこそ、心が一緒に居られる。 それが夢の変化に現れたんだと思います。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 主人公はどこまでも仕事に真摯で、真面目で、誠実でした。>“He is sick. You are not sick.” その言葉に忠実に相手の重荷を分け持とうとする姿に、深く胸を突かれました。 そして己が病んだ時にはその事に罪悪感を覚えてしまう姿には、哀しかった。>「なんの為にこんな体になったのか分からない」 病期になって変化した死生観や感覚を、“死生観を柱とする”己の職業に還元しようとした主人公。 彼は確かに経験こそたった4年ですが、素晴らしい医師でした。 彼の生き方はとてもしんどい。普通、あれだけ咳き込んでいる時に『頑張る』なんて言えません。 そうやって頑張っている間に、気力は摩滅していきます。『俺、どうなっちゃうのかな…』 父親の前で泣き崩れた彼に、一人の人間の限界を見ました。 彼の強さは、常に自分の責任や弱さを感じられる事だったのかもしれません。 それに目を背けず、それをしっかり受け止めているのも感じました。だからこそ他人が見せる弱さにも敏感で、なおかつ引き込まれずにいられたんだと思います。 さらに彼は他人の弱さを引き受けようとしていました。 本当に良い医師であり、一人の人間でもあったのだと感じました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 医師であるが故の、苦しみも希望も、責任感もすべて引き受けた主人公。 そしてそんな主人公のモデルとなった方。 彼の短い一生が、医師としての四年間が、素晴らしいものであったと信じたいです。
2005/10/10
特殊な環境の、特殊な不幸ではない。 とある家族の中の、普遍的な想いを切り取ったドラマでした。 『心筋拡張症』は確かに発症者は少ないですが、でも彼らだけがその病気を持っているわけではありません。 24時間TVのドキュメンタリー等に出てくる他の病気やその経過も、どれも珍しいわけではありません。 一緒に24時間TVを観ていた知人達は、『こーゆー人、よくいるよね』『何人も看たな、こんな患者さんや家族』と比較的冷静でした。むしろ、『日常で観ている事を、今更TVで観なくても』という感じだったんです(彼ら・彼女らがTVを観ていたのは、丸山弁護士目当て)。 私も始まる前は『彼らだけを特別視できない』という思いの方が強かったんです。 そんな私の心を穿ち、涙を呼んだのは、病気という状況下でさらけ出される普遍的な『想い』でした。「どこの親も、子育ては命がけだ」「亭主なんて、家族に支えられてナンボのものだ」 自分の家族や、親戚の子育てに重ねあわせ、その言葉に胸を突かれていました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 私がすごく心を揺さぶられたのは、もう一点、『江ノ電』に対するトモ君の想い、運転手の皆さんの想いでした。 電車というのは『定められた間隔を、定められた時間に、確実に運ぶ』という信頼の元に成り立っています。 その信頼、特性が、トモ君の心に強く影響を与えます。“電車に乗れば、必ず母の下へ行ける。家という空間から、違う場所へ行ける。無理に体を動かさなくても、委ねるだけで景色が変わる” 恐らく、他の人には当たり前の出来事です。でも、トモ君の体にとっては大きな出来事だったんです。 そして、トモ君の生活に電車が結びつき、強い関心を呼び起こす事になります。「そういうことは、厳しい規則があって当然なんだ。 多くのお客さんの命を預かる仕事だからね」 本当に『江ノ電』が好きだからこそ、鉄道の本質にまで彼はたどり着き、理解するようになっていました。 むしろその本質を理解したからこそ、より深く鉄道を好きになっていたのでしょう。 その規則の下だからこそ、彼もこれまで安心して『江ノ電』に乗り、好きになることもできたと分かっていました。 以前、『GOOD LUCK!!』というドラマの感想の中でも同じ事を書きましたが、私自身はこうした『規則』というものはすごく大切だと思っています。 『マニュアル』とは過去の事故と犠牲からの反省から作り出され、精錬された、命を守るための道具なのではないでしょうか。 誰よりも鉄道関係者の心を持っているトモ君だからこそ、彼もまた規則を尊重し、守ったのです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ そして、そんなトモ君の憧れの運転士さんたちも、決して『規則』を捻じ曲げる事はしませんでした。 時にそれを確固たる概念として、単なる同情だけで動かす事はありませんでした。 しかし。「アイツの夢は微塵も揺るがなかった」 自分とトモ君が同じだと知った時、涼平の胸に去来したのは何だったのでしょうか。 激しい共感、“自分とトモ君の境遇の違い”に対する疑問と憤懣。 それは単なる同情とは違ったはずです。 それは『病気であるか否かから生まれた、彼我の違いを超えたい』という衝動にも変わったのでしょう。 その衝動は、自分の中の『固定概念』を打ち破るだけの強さを持っていました。 『固定概念』を突き破る事は、実は大変なことなのだと思います。 それだけでも、とんでもないエネルギーを消耗するのですから。 彼は『固定概念』を突き破り、それが『規則の縫い目』を探すという発想に繋がりました。 『規則』を破るのではなく、それも大事にしながら、でも希望をすり合わせる。そんな涼平の態度に救われました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 今回の草なぎ君の役は、想像以上に大切なものでしたね。 しかも、すごくカッコよかったです。微妙な表情の変化に、心の葛藤や変化が伝わってきました。 また、『夢を叶えた』という設定がどこか草なぎ君本人とも重なってドキドキしてしまいました。 スタッフさんは『フードファイト』の時と同じだったんですよね。だからビジュアルは安心して観れたり。 本当に素晴らしい作品の中で草なぎ君を見ることが出来て、本当によかったです。
2005/08/27
何故かすごく聞き覚えのあるタイトルの作品に、まさか草なぎ君が関わると思いませんでした。 今回は原作者のご指名だそうです。これまでの仕事を観てそう思ってくださったというのは、草なぎ君にとって光栄ですよね。(映画化について詳しくはこちら参照。 草なぎ君推薦理由については去年秋の原作者インタも参考ください。) 今はまだ、私の頭の中は「『ロボッツ』でパルチザン~(壊)」という状態(←だから“パルチザン”とか“レジスタンス”で燃えるな、自分)。秋の歴史特番でのSFな挿入ドラマも心浮かれています(←SF&ファンタジー馬鹿)。 でも話が具体的になったら、『日本沈没』にも興奮してきそうです。…原作者インタを観ると、韓国語も出てくるようですしね(←バイリンガル・フェチとしては期待大)。 しかし…原作未読、映画もTVも観たこと無いはずなのに、すごく記憶に引っかかります。(…「リアルでブーム経験者じゃないのか」といった方は誰っ?!) それで記憶を探ったら…。 それでもRPGが好き! の第四章に『日本沈没』ネタが出てきたんですよね。 『潜水艦で外国へ脱出する』というギミックを残して、TRPGとして遊ぶ。そんな内容でした。(ちなみにこの本、『アルジャーノンに花束を』や『ゲド戦記』も扱っています。RPGに詳しくなくても、結構面白く読めます。オススメ) …しかし、これだけでよく覚えてたな、自分…。 この本の影響で、映画のイメージがSF冒険活劇になってしまいそうです(をひ)。
2005/07/05
「―――今は、生きてるってことが嬉しくって、走ってる」 レースに刻み付けた、己の死生観。 それが僅かな期間に作りかえられていく。 新しい死生観、新しい矜持。そのために走る―――。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ …お、オフロード転向ですかっ!? すっかり油断していましたよ。これまでの木村君のドラマのパターンなら「勝つだろうな、やっぱり」と思っていましたから。(…“某ドラマの『タイガーマ○ク』な主人公が頭から離れなかった”というのも、『勝つ』と信じていた理由の一つ) 次郎は井原満にはなりませんでしたか…(←いい加減、そこから離れろFF中毒者)。 でも我に返って考えてみれば。「どんなに無様でかっこ悪くても走り続ける、それがお前じゃないのか」 その言葉が次郎の本質なんですよね。 ゴール寸前で車がクラッシュ、たとえ車を押して入ったとしても最下位。 以前の次郎なら『んな、かっこ悪いことするなら、死んだ方がましだ』と思うかもしれません。 実際、このゴールをダサいとか、かっこ悪いと思う人はいるでしょうね。 子供達だって次郎と知り合って日が浅く、なおかつブラウン管の向こうでそれをみていたなら、『ダサい』と切り捨てていたかもしれません。 でも次郎はいつ爆発するか分からない車を押してゴールしました(だから後で消防車が伴走していたわけです)。 死ぬことの恐怖も抱えて、素顔を晒して、声を荒げて。 それはレースに、チームに対するレーサーとしての責任を背負っているからです。 その姿は自分が父に対してなりたくないと言っていた『大人』そのものの姿でした。 だけどそれは本当にかっこ悪いのでしょうか? もし本当にかっこ悪いのなら、子供達は伴走なんてしなかったでしょう。 それは子供達が焦ってなろうとしていた『大人』の姿とはまた違ったはずです。 それは傷つき、危険を伴い、かっこ悪く、重いものを背負ってしんどい。 そして『夢』さえも砕け散り、全てを失った姿なのですから。 でもそれを観れたことを、『負けてよかった』と言い切るのです。 あの場にいた次郎は、『現実の責任』を取る、立派で誇り高い“大人”でした。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 痛み、というのは常に、無意識の合間を縫って割り込みます。 そして、それが結びついた記憶を呼び起こします。 それまで一瞬たりとも考えないようにしていた『クラッシュの恐怖』が、痛みとともに何度もぶり返すようになるのです。 それはレーサーとして、あってはならない『敗北』の幻視です。 そして、『死』を連想させるものです。 彼はこの時点で、子供達の存在を自分の中に受け入れています(『誰かを乗せて走るのも悪くない』)。そしてこれからもずっと他人と生き続けたいと願うようになっていました。 そんな彼にとって、『死の恐怖』は絶大でありました。 次郎が朋美に抱きついたのも、“指の痛み”よりも確かな感触で、『勝利』のビジョンと安堵の感情を呼び起こしたかったからでしょう。 …朋美、気づいてあげてよ、それくらい(苦笑)。 まあ、朋美が気づかなかったのは、それだけ彼女が“レースという価値観”からかけ離れた人間だったからかもしれませんね。 そしてそのかけ離れた部分が、レース後の彼を救うんですから。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 朋美は“レース”に対して全く知識も無く、その価値観にもあまり実感がありません。 だからこそ、強く『次郎は勝った』と言い切れたんです。 次郎は『全てを失った』と燃え尽きてしまいます。 彼の中には全く何も残ってはおらず、朋美の言葉も最初は素通りします。 ですがいつしか朋美の強い言葉が、次郎に呼びかけます。何も残らぬ中に、朋美ごとその言葉を受け入れようと抱きしめるんです。 せめて、そこから立ち上がるために。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 子供達は次郎の絶望の理由を飲み込むのに時間が掛かりました。 そして『約束』を破る嵌めになったことも、彼の絶望も、それらを“共感”し、全て“受容”するのです。 “拒絶”しか知らなかった子供達は、風の丘ホームで“受容”を学び取ったのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「子供達だけでサーキットは不安です。…保育士として」 元一郎、恋敵に塩を送ってどーするっ(笑)。「骨拾ってやってよ」 …その言い回しはあまりに不吉過ぎます(←待てっ)。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 父親と次郎の、レースの日の朝の会話も印象的でした。 父親の気持ちを受け取った次郎。そして次郎が変わったことを知り、『風の丘ホーム』が無力ではなかったことを知った父親。 父親は次郎との気持ちをようやく受け入れ、そして絆として、園を守ることを決めたんですね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ キャスト・スタッフの皆様、お疲れ様でした。 『ださく、かっこ悪い』次郎を貫き通した英断と努力に拍手します。 そして、ダサくかっこ悪い次郎の奥の、『これまでとは全く質の異なるカッコよさ』とともに演じた木村君が観れて嬉しかったです。 最終回、レース当日の朝『弱気で、素直で、敗北と死に怯えながらも、迷いの無い少年のような表情』も、ここ数年では観れなかった表情だと思っています。それが観れたのが本当に嬉しかったです。 素敵な作品をありがとうございました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「いつか返してくれればいい」 その言葉が、全てをなくしたはずの次郎の居場所を許容してくれた。 けじめをつけることを知り、大人になったはずの次郎への皮肉な、けれど優しい言葉。 それがこれからも、次郎と車を結び付けていく。
2005/06/30
「今の僕には、質の良いネジやプログラムそのものの方がずっと大切なんです」「お前“また”、鈴木ねじを潰す気か?」 だけど、理想を貫く力(資金)は無い――。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 何はさて置いてまず一言。「良かった、忘れ去られて無くて“プログラマー”設定!」(←って、それが最重要事項なのかよっ!) 第一話・第二話以降、全くといっていいほど闇に葬られていた天才プログラマーという設定。でも今回は無事に本領を発揮してくれました。 ここの猪管理人がプログラマー萌え属性(←待て)なのは『プログラマーのいるライトノベル』で語ったとおりです。 プログラムを組んでいる彼や、「僕の仕事だと思っています」、「(コンピュータを無心で楽しむには)もう食べ飽きました」など、プロとしての誇り(あるいは職業倫理)が滲むシーンにはニヤリ、としてしまいました。 実際のプログラマーさんも納期に向けて、”死の行進曲(デスマーチ)”聞きながら頑張っておれられるんですもんね。 そして、島男の姿勢が、時に脚本家さんや役者本人の姿と重なるのを感じました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ しかし、『周りが見えなくなる』のは『悪い熱(by香織)』だけではなかったですね(苦笑)。中盤での島男の黒化も、彼本人の資質によるものだと、良く分かります。 でも。「もう食べ飽きました」 この一言には、『好きだけでは、ゆで卵を喰い続けるような、命削ることはやってない』という思いが滲んでいました。 それを理解したからこそ、高柳も島男を庇ったのでしょう。 …余談ですが、『茹で卵』でまだ良かったな、鈴木島男(高柳口調で)。(我が知人は『生卵』を食べ過ぎた患者さんを診察したことがあります。こちら参照) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 最終回にして、ネット空間のCG処理を頑張りましたよね。 アニメとか、すっごくいっぱい見て勉強したんだろうな…と、そう思いました。 例えば映画版『COWBOY BEPOP』に出てくるネット空間に比べても、まったく遜色なし。 他にも魚アタック第二弾(←これ絶対、監督の趣味です)・携帯でハッとするシーン・マザーボード(基盤)の襖などなど、CG処理が活用されてましたね。 第一話では「CGの使用法が下手過ぎ…(涙)」と思っていたのですが、今回はCG映像好きとしても合格と思いました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 最終回(及び他のCGが出てくる回)を担当する鈴木雅之監督には二つの特色があります。 一つはCG多用(時代劇ですら、CGがフル活用)、そして一つは草なぎ君の演じるキャラを変人に撮ること(←待てっ)。 『神変紅丼』さんでは、草なぎ君の演技を虫にも例えられますが(←最大級の褒め言葉と受け取っています)、それは鈴木監督が演出を担当する作品全てに見られます。 各話での監督の影響力が強かった(八話(鈴木監督)と九話(大木監督)の黒島男が別人に映ったり)『恋おち』。鈴木監督の回(11話中5話)は特に鈴木監督節が出ていました。 同じ草なぎ君ファンでも、鈴木監督演出下での演技は好き嫌いが分かれちゃうところですね(草なぎ君自身も時々、『視聴者を幸せにする笑顔って…(汗)』と戸惑ってますし)。 私自身の好みだけなら、第六話担当の澤田監督の方が好きかな(『僕の生きる道』でも、この監督の回の演技はかなり好き)。 ちなみに前回の予告と今回を見比べて分かるように、どうも食い違う部分があります。ノベライズと最終回の展開も食い違う部分があると聞きました。 放送直前まで数パターンの展開を撮っていた可能性がありますね。 そのため、結局鈴木監督テイストが強く出てしまったのかもしれません。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 結局、島男は“螺旋(ネジ)男”で終わってしまったな…というのは感じました。 『成田岳』『大木綾子』監督のお二人担当の回は”島男の心情”を撮ろうと頑張り、『鈴木雅之』監督の回は“島男の影響力”を撮ろうとしていた気がします。 そして最終的に道化的役割が強く出てしまったな…と思います。「こいつに人生狂わされた…」 そんな台詞が、鈴木監督の回には似合います。 でもどの回でも、“運命の螺旋”を回し続けたのは事実。 最終回には全てを元の場所に戻したのですから。 そして“最後に元に戻った後、脚本家達が高柳の下から島男を離れさせた”理由もそこにあるのかもしれません。 彼がそこにいれば、また同じことを繰り返してしまうから。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 一応、島男の成長部分としては『一度は自分のやりたいことを曲げた』ことかな。 自分が他人を振り回している、という事実は気づいたのかもしれません。 それともう一つありましたね。 分相応の“力”を、きちんと責任を持って扱うことができるようになったこと。 彼は自分のプログラミング能力を、自分の意志(職業倫理)で責任もって扱うことができるようになっていました。 それはホッとしたところです(…こちらの成長過程は、あまり描かれていませんでしたね)。 …もうちょっとは成長してほしかったです(目に見える成長があまり無かったですね)。 このままの性格だと“絶対”また『鈴木ねじ』を潰しそうで怖い。…パート2、作れるかも(←それは、待て)。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 最終回では島男の代わりに、高柳が大きな葛藤を抱くことになりました。「夢で飯は食えないんだよ」「お前、“また”鈴木ねじを潰す気か?」 そう諭しながらも、どこかで自分を振り返り、同時に相手を心配するニュアンスが含まれる高柳の言葉。 それは彼の中から“マネーゲーム”の魔性が抜け、捨て去ったはずの“甘さ”が帰って来たからだと思います。 そして今の彼こそ、高柳本来の姿なのだとも思います。 そして本来の高柳はすっごく可愛い(笑)。 ぷっつんキャラの島男をさて置いて、宮川商事に啖呵をきったり(←よく切れなかったな、島男)。バスの中で凹みまくったり。 島男のヘタレが伝染したのかな(←ウイルスかいっ)。 一部では『高柳がまるで、バカ担任に切れる島男の保護者のようだった…』と言わせしめる次第です(微笑)。 元々、すごく会社と社員を愛している人だと思います。だからこそ絶対に『フロンティア』だけは潰さないように、父の恩人さえ犠牲にして守ってきたんです。 そんな社員思いの一面を出してしまったんですね。 金が無ければ、社員を救うことさえできない。だから社員の夢を潰す。これまで、ずっとそう思っていた高柳。 でも彼らが頑張っているのが、夢だけではなく職業モラルのためだと気づいた時。 自分こそ『フロンティアに戻る』という夢にしがみ付いていることに気づき、自分の夢を『鈴木ネジ』の為に売り飛ばすことを決意するのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 最終回を見ていた知人の一言。「あんな偉い人々が、あんな狭苦しい場所にいるのは嫌だーー!」 それが最終回の醍醐味なのに(笑)。知人にそう言わせしめただけでも、成功だったと思います。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 最後に。草なぎ君、そして共演者とスタッフの皆さん、三ヶ月間お疲れ様でした。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 五年後。 螺旋は巡り、そして再び高みへ―――。
2005/06/23
「あなたに勝って欲しいと思ったんです」 子供に振り回されるのに、すでに疲れて。 …マニュアルにだけ頼って、考えるのを止めていた。 だけど。 “しんどい生き方”が、実を結ぶことがあるのなら…。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ “嫉妬”の裏返しは“羨望”なのでしょうか? 次郎に憧れにも似た気持ちを抱いてしまった元一郎の気持ちが、ほんの少しだけ分かる気がします。 “憧れ”にはきっと、年齢も性別も立場も関係は無いんです。 …それは私の、『○歳年下の女性が持つ芯の強さに憧れを抱いている』という私体験に基く持論でしかありません。 でも元一郎が次郎に向ける視線は、少しだけ先を歩く人への“憧れ”だと思いました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 元一郎もまた、昔は朋美のように勝手が分からず、振り回されていた時期があったようです。 その中で、いつしかマニュアルに頼るようになっていました。勿論それは、間違ってはいないのです。 でも、それは“疲れない、必要以上に心をぶつけない”という生き方を助長させる側面も持っていたのです。 元一郎は心のどこかで、“疲れること”から逃げていたのかもしれません。 現に河原に会いに行ったときには、言外に『子供や朋美に逃げ道を作れ、期待なんて持たせて現実と闘わせるな』と訴えていました。 でも彼自身もまた、逃げ続けるには、彼は大人すぎたのでしょう。 まず最初に、朋美からは「バカといわれても構わない」(立ち向かうことが、正しいと思うから)と言われ。 子供たちから(負けるかもしれないのに)”レースを楽しみにしている”と言われ。 “しんどい生き方”が間違っている、かっこ悪いとは限らないと気づかされます。 次に、次郎が“武器を使ったことに対して謝れ”と諭したのを、元一郎は目撃しました。 このことで彼は“次郎の言い分が決して筋が通っていないわけでも、大人としても恥ずべきことも無かった”と知るのです。 二つの出来事から、彼は次郎の生き方、子供達との接し方を認めることになります。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 元一郎は次郎に逢いに行きます。 彼はどうしても確認したいことがあったのです。 何度か挑発した後、本題を切り出します。「あなたは普通の神経の持ち主ですよね…しんどくは無いですか」「えらいしんどいよ」 その時、元一郎は次郎に対してある確信を持ちます。「あなたに勝って欲しいと思ったんです」 『勝つ事』だけを、希望だけを信じて走る事はしんどすぎる。 でもそれが報われることもあると、信じたい。 “次郎”がその“希望”を手放さないなら、元一郎もまた“希望”を信じる辛さを受け入れられると思ったのです。「男として」 男として、自分も頑張らなくてはいけない。 元一郎はそう自分に言い聞かせていたのでしょう。 次郎は、元一郎にもまた“希望”を与えたのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「武器を使ったお前が悪い」 『すぐに手が出るお前が言うなっ!』と思わず突っ込んだのは私だけでしょうか。 もっとも今の次郎は、例え何を言われ、されても自制できるようになりました(それは恐らく、過剰な焦りが彼の中から消え、自分自身の誇りよりも大切なものができたからだと思います)。 “彼が他人からの許容を信じてる”とは、第一話の感想で語ったとおりです。 だからこそ“謝ることをためらわず、許されることを信じている”とも語りました。 少女達も”きっと許してもらえる”と信じているから、次郎は迷わずに”謝りに行け”と言い切れたのです。 次郎はそれと同時に『謝りに行くのがすごく嫌で、どこか不条理だと思う』という少女達の気持ちを受け止めます。その上で、自分の考えを述べます。 少女達の心(謝りたくないという気持ち)が次郎と重なり、そこから次郎の考え方が覗き見えます。少女達は次郎の“心”を借りて、自分達の心を整理し、謝りに行くことを認めるのです。 次郎はその説得を少女達を見つめて行いました。 …最初の頃のように、自分だけを見て言っているわけではありません。 彼はちゃんと子供達をカウンセリングするようになっていました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 後半になるにつれ、次郎の過去がどんどん垣間見えてきます。 かって彼がどれだけ“居場所”を求め、そこで“許容”されることで救われていたか、ということも浮かび上がります。 そして彼は今度は“許容”を与える立場になりました。『”誰かに居場所を与える”ということは、苦しみや悲しみをひっくるめて”許容”するだけの覚悟が必要なのだ。』とは、私が第一話で語った感想です。 次郎はまさにこの覚悟とともに闘っているのを感じます。 そして『次郎は朋美の努力が無駄になると考えていない』と私は私は思います。 それは“レースに勝てる”という意味ではありません。 彼は“そこにいること”を、周りが許してくれると信じている。自分が属する“ホームの存在”を“許容”してくれると信じていると思うのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ “自分の家で、周りを囲まれて批難されること”。“自分の家の前で、ビラを突きつけられること”。 言い換えれば、住人達がやったこと、朋美が今やっていること。 この二つにどれだけの違いがあるのでしょうか。 子供達が住人達の言葉に重なるように『自分達の家』と口にした時、その事に気づいたはずです。 …人間なんて、自分がその立場に立たなければ他人の痛みなんて分からなかったりします。 『家』という言葉をきっかけに、初めて一瞬だけ少女達と住人の心が重なったのです。 さすがにその後ろめたさが、思わず『話を聞く』という言葉になったのでしょう。 たとえ、その時限りの後ろめたさであっても。 それらが降り積もれば、何かが変わっていくのだと思います。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 比呂人は自分から次郎に手を出し、そしてチームを辞めました。 それは“次郎がヨーロッパでクビになった経緯”に似ています。 昔の次郎と、今の比呂人は鏡に姿を映すようです。 ただ比呂人は次郎のように“許容”を信じているわけではありません。 “許容”しているようであって、実は拒絶されると思っています。 だからこそ、次郎がやってきたときにレースを許可し、今回呼び出されたときに“自分から止めてやる”と言い切ったのです。 それは“自分の実力ではなく、スポンサーで認められている”と思っている部分があるからでは無いでしょうか。私はそう邪推します。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 朋美はだんだん、次郎のことを理解していっていますね。 最初の頃は“自分の視点、価値観しか見えない”ところが大きく、相手が同じものを見ていると信じ込んでいる部分がありました。 でも今は“相手が全く異なる視点や価値観を培っており、そこから導き出される結論も違う”こと、“自分がこれまで培った価値観だけでは、その結論が分かるはずがない”ということも理解しているようです。 本当に視聴者である私を置いていったまま、どんどん成長していっちゃってます(苦笑)。すごいですよね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「俺、レース辞めちゃったら、男じゃなくなっちゃうから」『勝つことが守ること』 だとしたら、俺は死に物狂いで守んなきゃいけない場所がある。 その場所こそ、自分の原点であり、全てだから―――。
2005/06/20
「冗談じゃない」 島男は高柳を見つめる。 睨み付けるように――あるいは、焦がれるように。「――助けて欲しいのは――」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 人の予測を軽々超えていく『恋おち』展開。 …まさか龍太が(魚でぶん殴るならともかく)「徹ちゃん」呼びする日が来ると、誰が想像していたでしょうか(爆笑)。 でもこれもまた、”人をフルネーム呼びで挑発していた高柳が、今度は自分が挑発的な呼び方をされる”という螺旋の一つなのかと思います。 …龍太役の山本さんが「ヒルズの人々にも絡みたい」と言っていましたが、こんな形でその願いが叶うとは思ってなかったでしょうね(笑)。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 今回は島男、高柳、七海、神谷…と皆に見せ場がありました。 でも私としては前述の「徹ちゃん」含め、龍太が最大のポイントであったりします。 この三ヶ月近く、私が島男にずーーーーっと言いたかったことを代弁してくれたからです。「おまえさ…ほんとにまり子が望んでいること、分かんねぇのか?」「そんな簡単なこと、なんで分かんないかな」 良く言った、龍太っ(ガッツポーズ)!(そしてこれは、「分かんねぇよ、お前のこと!」という言葉の逆転でもあります) 第三話あたりで誤魔化されがちですが、実は島男は”他人の本心にとことん鈍い”人間です。第三話でも、まり子と龍太の知恵を借りてようやく気づいたんですもんね。 自分の本心も自分に都合がいいように誤魔化してしまう、悪癖の持ち主ですから。 …ごめんなさい、このあたり”島男の責任転嫁能力は『野比のび太』と似ているのでは”と思ってしまいました(…親戚と『ドラえもん』DVD見ていて、凹んだ)。 でもようやく、まり子の本心を知ることができたようです。 …本当に妹不幸な兄さんでしたね、これまで(苦笑)。 でもこれだけでは、まだ方向を定められないんですけどね。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「僕のこと、皆で笑いものにしようとしているのですか」 一見、第一話での”無条件に甘えてみせる”島男と真逆の、人を拒絶しまくる島男。 でも盲目に、”敵意を持っている”と思い込みを貫こうとするところが、島男らしいともいえます。 矛盾だらけの性格に見えて、実は島男って”思い込みが激しく、型に頼った人間理解をする”という分かりやすい性格なんですよね。(分かるまでは、かなり悩み続けましたっけ)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 虚無状態でありながらも、その思考回路は黒に侵されている島男。 立ち直り、父親と島男のやり方を認めた高柳。 一度目の対談。 まるで捻子が180度回転したように、対極の会話を続けます。 歪んだ島男の表情が、まるで初期に荒れ狂った高柳のようであり。 澄んだ高柳の表情が、迷わずに突き進んでむ島男の様でありました。 …島男の表情には『同じように破滅しておいて、何でそんなに一人だけ、穏やかなんだよ! 俺をこんなにしておいて、俺に苦しみと絶望を押し付けたのはお前だろ!』 という理不尽な怒りと憎しみが強烈に浮かびあがっていました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「あなたの事、『面白い』って言ったの」 この時、島男は神谷の同じ言葉(第八話)を思い出したのでしょうか。その中に込められた誠意を、思い出したのでしょうか。『決して、道具として島男を見ていたわけじゃない』『決して、悪意があって島男をこうしたわけじゃない』 それは島男が持つ高柳観にひびを入れるのに充分でした。 そして『龍太が語るまり子の願い』を目の前で再現されます。それは自分がどれだけ大切なものを持ち、どれだけ大切な使命を持っているかを実感させるには十分でした。 そして「高柳」と「自分」がどれだけ似ているのかを知ります。 『鬼』だと罵ったはずの高柳が、これだけ愛されるべき人ならば。 『鬼』になった自分の過去ごと、まり子も愛してくれるのならば。 自分達は、”幸せになっていい”はずだと、そう悟るのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 高柳と島男の二度目の対話。「諦める」 それは、かつて島男が清河堂に言った言葉。あの時の島男のように、潔い表情で。 そして島男もまた、清河堂と同じく、それを待てといいます。「冗談じゃない」『諦めんなよ。俺を引きずり出してくれよ。 方向を失って、もがいている自分に、あんたの方向性を分けてくれ!』 そんな叫びが伝わってきます。 かつて神谷が『高柳に恋におちたようだ』と言ったように。 島男もまた、焦がれるように、叫ぶのです。 そしてそんな『助け』を素直に求める島男は、第五話で『許し』を求める島男の姿に戻っていました。 ”甘え”ることもできずに、絶望に浸っていた青年は、ようやく”螺旋”を一回転させたのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 神谷と宮沢は、かっての『高柳と島男』を連想させます。 『やりたいことをやれ』『後悔したくないから、やれるだけのことをやる』 それは、去って行った二人の思いが遺された者に残っていたのと同時に、一つの螺旋の出来事なのでしょうね。 神谷は社長を目指していました。それはむしろ『敬愛する父親』を超えたいと望む息子のような思いだったと思うのです。 でも橘社長は『傀儡』でしかなく、政治家に頭を下げ、社員を摘み取ることしかできません。 そしてここに神谷が残っても取引先を守ることすらできないと悟ります。 …残された道は、二人を追いかけていくことだったのだと思います。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 高柳が饅頭を食べたり、フロンティアのメンツが島男の家で働いてみたり、龍太が仕事を手伝いに来たり。 前半では全く考えられない出来事が起こり続けます。 …でもこれは”螺旋”の先に近づいてきたのかも知れないなんて、思ってしまいます。 回り続けてきたことが一点に収束し始め、一同に会したのかもしれません。 ちなみに、私は既存概念をぶっ壊すような展開は嫌いじゃない(笑)。それこそ島男みたいに”型に嵌めたがる”自分を、ガツンって殴って目を覚まさせてくれるような、そんな爽快かもあります。 第一話で『ネジ工場という仕事』を否定し、第十話冒頭で『フロンティアとの関わり』を否定した島男。 でもラストには、この二つを融合させた形に落ち着きます。それは『ネジ工場』と『フロンティア』、二つの島男の”思い込みの型を壊した”姿でもあります。 でもそれは、”型に嵌めたがる”島男そのものを少しずつ壊してきた象徴でもあると、信じたいです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 再び回転が始まる。 そしてspire(ネジ巻くもの)の先端のように、Spiral(螺旋)は一点へ収束していく。
2005/06/16
一か八か。 その一瞬に、彼は全てを賭けた。 賭けによるペナルティよりも、賭ける事そのもので守る”余りあるほどの家族との約束と信頼”が大きかったから―――。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「つまんない嘘、つくなよ」 少年が嘘をつくのは、自分に気を引きたいからです。それ以上もそれ以下もありません。 だからこそ次郎の言葉に込められた『願望』と『絶望』、『悔しさ』を敏感に嗅ぎ取るのです。そんな嘘は最低だ、”つまらない”と言い切るんです。 それが少年には許せませんでした。 指を差し出し、第五話ラストの次郎と朋美の仕草を再現することで『約束』を思い出させます。”聞いてたんだからな、なかったことなんかにするな” そして『約束』を『嘘』になんか昇華するな、と釘を刺すのです。 次郎は”家族”と”レース”が切り離せないものになっていたことを、少年から教えられるのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「レーサーって、本気で女の人を好きにならないから」 その言葉にまず、『プライド』(フジテレビ系)を思い出し、次に『フードファイト』の十話を思い出しました。 どちらも”レースに勝ちたいなら、家族・恋人を捨てろ”という内容。その言葉を聞くたびに「(中指おっ立てつつ)…脚本家、ちょっと来い」と呟きましたっけ(←喧嘩売るなっ)。 私自身は、”勝負のために家族を捨てる孤高”というのが、かっこいいとは思わないんです。 むしろ、一之瀬監督の考え方と良く似ています。(詳しくは、第五話感想記事あたりを参照) 監督の言葉に、”そう、そうなんだよね!”と強く思い、”ドラマがこの路線を目指してる!”ということに喜びを感じました。 次郎は『風の丘』に帰るまで”マシンの上ではいつも一人”という考えのもと、自分のことだけを考えていた気がします。 けれども子供達と互いに土足で心に入り込むうちに、彼の中に自分だけの物でない”思い”が降り積もってきました。 そして独り善がりのプライドがこそげ落とされたのです。 今の彼にとって、”家族がいること”と”レーサーであること”は同義語になっています。 そしてそれこそが、実はレーサーとしての次のステップへ向かう課題だったのです。 …あるいは”人それぞれのレース”(第二話)でも、人は一人きりなのかもしれません。 その中で必死に加速しようとすれば、視野もどんどん狭くなります。 人間が一人きりでその視野を見つめようとすれば、神経を極限まですり減らした挙句に限界がくるのかもしれません。 ですが、彼の中に蓄えた”思い”の数々が、彼の視界をこじ開け、自分の居場所をしっかりと示し、更なる加速に対応させるのでしょう。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「全てを賭けられるのかね?」 誇り、過去、職、信念…それら全てを失っても、今、この場で彼に残るものがありました。 それは”家族”への思いであり、笑顔の下で弾ける寸前の”家族の涙”でした。 だからこそ、賭けを受け入れることができたんだと思います。 賭けの重大さを認識し、受け止めることができた次郎は、第一話からは考えられないほど大人になったと感じます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 大人達の人間模様がいきなり動き始めたのに驚いています。 たまきが自分でさえ乗れなかった次郎の”心”に、朋美が乗ったことに寂しさを感じたり。 元一郎とライバルが予告で、”殺気混じりの視線”を送っていたり(おひっ…。汗)。 こちらも楽しみになってきています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 春クールドラマが始まる前、”なぜ養護施設とレース?”、”なぜ職を失う男の話を、同じ局が同じクールにやる?”などと疑問もかなりありました。 でもラストスパートでその疑問を一気に晴らすように、数々のネタ明かしと着地を起こしています。 そして『エンジン』と『恋おち』は”ゼロに振り戻された男”という設定を、実は全く違う状況として、全く違う筋立てで描いていたんですね。 一方は、”振り出しからの再開”であるようでありながら”大きな飛躍”を、一方は”急激な上昇”であるようでありながら”幾重もの螺旋”を隠していました。 この対称的な二つを見比べることで、より多くのことを互いから読み取ることができた気がします。 そして出演者やスタッフにとっても、同じクールであったことは良い刺激になっていたんじゃないかな、と思っています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「アイツも、誰かを乗せて走ることを知ったから、かな」 速くなればなるほど、狭くなる視界。 その視界をこじ開け、無事にゴールへと導く大切なものを抱いた時。「アイツは強くなる」
2005/06/13
今回はDINさん主催の【TBで「恋におちたら」大予想!!ネ申は誰だ?!】に参加することになりました。(詳細は記事の末尾参照) …元々、『フードファイト』(日本テレビ系/未完)を勝手に補完する小説を書いたりする私です。 もちろん、こういった企画には喜んで参加させていただきます。 ということで、是非やって欲しいネタを、勢い任せで書き上げてみました(←いきなり妄想に走るな!)。 全角5000字の長文です。 小説を読むぐらいの覚悟で、皆様宜しくお願いします(←削れよっ!)。 キーワードは『螺旋(らせん)』と書いて『ネジ』と読むっ。* * * * * * * * * 仕事を失い、かって自分を裏切った人々と同じ立場となる島男。 自分だけはそうならないと信じていただけに、ショックは大きい。母親が好きだった南の島に行こうという言葉にも、ほとんど無反応。 香織が尋ねてきても、居留守を使う。 そのことに妹が尋ねると、島男は言う。「他人を踏みにじった僕は、彼女と一緒にいちゃいけない」「お兄ちゃん、逃げてるだけでしょ」(←予告の言葉)「住む世界とか、資格とか、お兄ちゃんが勝手に作ってるだけ。 本当にやりたいことから、逃げる口実にしてるだけだよ」(これは草なぎ君主演『スタアの恋』(フジテレビ系)ラスト間際の台詞から。 役者自身も『螺旋』の中に放り込まれていると仮定。 他、草なぎ君のドラマは、”僕は違う”と言ってしまう『TEAM』(フジテレビ系)。 妄信から出世していく『銃男』と、拝金主義の社長が目を覚ます『十三番目の客』(フジテレビ系『世にも奇妙な物語』)。 仕事のために情を捨て、しかし家族のために仕事を変える『僕と彼女と彼女の生きる道』)「ネジは、巻かなきゃ締められないんだよ」 妹の言葉にはっとする島男。「まり子、いろいろありがとう」(←予告の言葉) * * * * * * * * * 高柳は再び仕事を始める。(堤さんのドラマの繰り返しは、『GOOD LUCK!!』(TBS系)、『やまとなでしこ』での挫折と再開、と仮定しています) だが、金を使うやり方しか知らない彼はすぐに挫折する。二言目には「昔の島男なら…」と口にする。 七海は島男に助けを求める決意をする。* * * * * * * * * * 島男はリオハで香織と会い、『ロイド』による『フロンティア』の腐敗を知る。「僕のせいです。ごめんなさい」「謝りすぎです」(←第五話からの繰り返し)「僕に、何とかできるものなんでしょうか」 力を貸すと、警備員の富田も言う。 そこに、七海が訪れる。「高柳を助けてあげて」(←予告の言葉)* * * * * * * * * * 翌日、高柳と『鈴木ねじ』で会う。 高柳、島男に第六話での本心を話す。「…お前を片腕にしたのは、本当は裏切るためじゃない。 お前なら『東條貿易』と『フロンティア』の両方を救えるかもしれないと思ったんだ」 そして、島男と自分の父親を重ね、嫉妬と尊敬の両方を感じていたことも話す。 島男、その本心に驚く。「ネジって、どういう漢字か知っていますか」「捻子だろ?」 パソコンのシフトキーを押すと、候補に”螺旋”が出てくる。「らせん?」 島男は父親の言葉を思い出す。『全ては螺旋のように、巡り巡る』(←第一話で島男が「情けはヒトのためならず」と言った時の言葉)「そう。僕たちは同じ場所に戻ってきただけなんですよ。 でも戻った様でいて、実は進んでる」 ネジ穴に刺さるネジを弾き、回転させる。「もう一度、ここから始めるんです」(←予告の言葉)「このままじゃ、ぐらぐらです」 再び、六話に巡る。今度は、『フロンティア』を救うために。* * * * * * * * * * 高柳、島男に『自分のやり方』を思い出させる。「世界的なブランド、LVMHが唯一買収できなかった会社がある。グッチはどうやって自立を守ったか知ってるか?」(実話ですが『LVMH』の買収劇は、『ライブドアとフジテレビ』と瓜二つの経緯を辿っています) ホワイトナイトとして、高柳は『エア・ドリーム』を候補にあげる。 島男はまず会社に赴くが失敗。そこに神谷が通りがかる。 今度は神谷が仕事を放り出して島男を別荘まで連れて行く。(←五話と立場が逆転) 吉川社長は、ホワイトナイトを承諾する。* * * * * * * * * 神谷、高柳と一緒に再び仕事がしたいと言う。 だが高柳はそれを断る。「トロイ・ウィルスは知ってるな?」 内側から切り崩すことを考えているのだ。(谷原さんの繰り返しは、草なぎ君演じる主人公に嫉妬しながらも認めてしまう『僕の生きる道』、そして内側から協力者を切り崩していく『新撰組!』の伊藤甲子太郎)* * * * * * * * * 一方、香織は橘・現社長と会話。 ミケーレの時と同様、説教して約束を取り付ける。(←四話の繰り返し) 神谷もフロンティア側の重役達を説得に回る。* * * * * * * * * 島男は第三話の饅頭屋から差し入れを貰い、その時のことを思い出す。「相手が本当に求めていることを考えなきゃいけない」 このことを念頭に、高柳と知恵を併せて、島男は大株主たちを説得する。 その一方で彼は、『過去の失敗が、相手の本心を考えなかった』為と気づく。* * * * * * * * * 買収劇は成功する。「橘さん、ロイドの皆さんはお怒りです」 桜庭の言葉に、橘は言う。「高柳さんなら、『ロイド』がやりたいことではなく、僕がやりたいことをさせてくれるとおもったんですよ」(村井さんの繰り返しは、ずばり『仮面ライダー555』)「怖い男です。鈴木島男というのは」 桜庭の言葉に、高柳は笑う。「そう、アイツは怪物かもしれないな。頭の中にネジがあるという意味で」 島男の机の上にある、頭にネジの付いたロボットの映像が挿入。* * * * * * * * * 社長が高柳に戻った途端。 ドラマ配信のサーバーがクラックされる。 はっとした島男、サーバールームへ走る。「何が起こって………お前!」 ルームの管理人は『ハイアイランド』を売り飛ばした男だった。「ライブラリをかき集めろ!」 ライブラリをコピーしつつ、復元&改変していく。「こいつは…まさか」 見覚えのある式に一瞬、指を止める。 ポートを閉じて、未改変部への接触を食い止める。 同時にプロバイダの履歴を辿り、相手を突き止める。逆クラック(侵入)。そのPCに無限ループタイプのブラクラを送り込み、PCの強制終了を封じる。「島男、顧客データを盗まれる訳にいかない。やられれば今度こそ『フロンティア』が終わるぞ」 神谷の声に、島男が頷く。相手のOSを道連れにプログラムを自壊させるという。配信に使われるプログラムの基礎は島男が6年前に作ったものだった。「いいか、利用者に気づかれないためのタイムリミットは後5分だ」(←第一話の繰り返し) 未デバッグのセキュリティーホールから、自壊コードを打ち込む。「………さよなら」 再び巡り合ったそれに、決別する。 画面が暗転する。* * * * * * * * * 島男、父親の仕事を継ぐ為に『ねじ工場』を再開する。 その一方で、在宅SEとして『フロンティア』でも働くことに。 島男、機械の外れかけたネジを回す。 かちりと止まる。(←これ以上、回ることがないことを示す)* * * * * * * * * 以上です。 妄想120%の長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。★☆★☆★☆★ 【TBで「恋におちたら」大予想!!ネ申は誰だ?!】 ★☆★☆★☆★【こんな企画です】みなさんの「きっと恋ヲチはこれからこうなる!結末はこうなる!」をブログに書いて下さい!締め切りは第10話の前日の6/15です。(話が進んでから予想してもつまんない!)予想を書いてから「気が変わった!」なら締切内に再度書くのも問題なし!めでたく最終回を迎える6/23から、「誰の予想が的中したか!」、または「誰が気持ちいいほどはずしたかw」を投票します!最もうまく的中させた方には「ベスト恋ヲチ予想賞」を、最も妄想度が高かった方には「ベスト濃いオチ予想賞」を差し上げます!(賞品は無いけどTBの輪が広がるかも?!)【ルール】1.「恋におちたら予想」を考えましょう! それをみなさんのブログに書いてください。 できれば、それに合う様な題名を付けて下さい。2.ブログ送信時にトラックバックしてください。 トラックバックURLはこちら↓ http://yasha.nm.land.to/html/modules/weblog/weblog-tb.php/493.締め切りは第10話の前日の6月15日です。ふるって御参加下さい! トラックバックの日時で締め切りに間に合ったかどうか見ます。 参加状況記事はこちら↓ http://yasha.nm.land.to/html/modules/weblog/details.php?blog_id=494.あとはみんなでわくわくしながら恋ヲチの10話、11話を見る!! 参加状況記事にて興味を持ったブログには、訪問してコメントを つけても楽しいですね!5.最終の第11話(6/23)を見終わったら、投票開始です! 投票方法は、みなさんが参加ブログを訪問して、 「(予想が当たって)なるほど1票!」 「(おもしろくて)ウケル!1票!」 などのコメントを残してください! 1人で複数のブログへの投票はもちろんOKですが、 同一ブログヘ複数投票しても重複分は無効っす。 投票締め切りは最終回の2日後の6/25(土)! トラックバックの日時で締め切りに間に合ったか見ます。6.投票締め切りの翌日の6/26(日)に参加の各ブログを訪問、 コメント欄を集計して、結果を御報告します! 報告方法は、参加ブログへの一斉TBです。「ベスト恋ヲチ予想賞」と「ベスト濃いオチ予想賞」のブログはどこだ?ネ申は生まれるのか?!お楽しみに。※多くの人が参加出来るように、 このテンプレ(★から☆まで)をみなさんの「恋ヲチ予想記事」の最後に コピペお願いします。企画元 YASHAファンサイトみまほしの森改 http://yasha.nm.land.to/html/※この企画は「毎日が送りバント」さんの企画を参考にさせていただきまくり。 ありがとうございます!(http://earll73.exblog.jp/)
2005/06/12
ラピスラズリのような、目の覚める“力”の輝き。 “力”の輝きに盲い、その本質を見失う主人公。 その一方で高柳はその下にある“本当の美しさ”を見出す。 …守りたい。帰るべき場所の美しさを見出した今こそ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 前回と今回、黒島男の撮り方が全く異なることに驚きました。 前回はその表情の歪み方を徹底的に描き出していましたが、今回はその子供のような盲信を描くことに集中していましたよね。 ファンタジーやSFに『無垢なる邪悪』という表現が出てくることがあります。これは二つの意味で使われることがあります。 前回は『善意や良心という曇りの無い、完全な欲望』、今回は『悪意無く、全てを侵していく』。島男は二つの意味を両方、体現していた気がします。 前半は人を平然と『生殺し』にし、笑いながらその死を軽視する、まさに『無垢なる邪悪』でした。 …猶予を与える方が、むしろ高柳よりえげつないです…。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「餓鬼じゃねぇかよ」 屍肉を喰らい、飢えに苦しむ地獄――餓鬼道。まさに島男がおちた”IT業界”とは餓鬼道の体現でした。 かつての高柳と島男のように、島男と龍太は問答をするのです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ しかし、ロイドの思惑は前回の予想通りでしたね。「高柳さんと同じマンション…」 この時点で、“同一視”されていることに気づけっ(ツッコミ)。 島男が人生を三回も失敗したのは、この“妄信”が理由なんですね。 相手の言葉の上面だけを信じ、その奥にあることを汲み取ろうとせず。 表面だけで、相手を型に嵌めて思い込み(一度善人だと思ったら、相手が言及していない部分までそう思う)。 だから地雷も踏むんです(そんな奴が裏社会を歩くような、高柳方式を実行できるはずがない)。 一度目は『親の工場がある奴が、勝手に俺を振り回すな』、三度目は『考えを知らずに勝手に動くからだ』と、むしろ相手側の言い分の方が正しいですしね。 二度目も、同じような理由があったりするかもしれませんね。 一回目と三回目で、騙されたと思った島男が全く同じ行動を取っているのが印象的です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 島男の崩壊は本当に静かに終わったな…と思います。 前回の引きから、いつ『歪んだ自分の表情に、怯え愕然とするシーン』が入るかと、嬉々として待っていたんですけどね(←それはあんたの単なる趣味だ)。 島男は今の自分が信じられずに逃げ惑い、居場所の無い寂しさに凍えます。 それは居場所を全て捨て去ろうとしていたからであり、IT社会に留まることの意味を見出せなかったからです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 一方、高柳の再生も静かに描かれます。こちらは完全にツボに入りました(実は涙腺が緩んだ)。 ラピスラズリの絵画を見て、その”資金”の向こうにある心に高柳は触れます。 彼が絵画の向こうに見ていたのは、フロンティアだったのに違いありません。 彼は父親が社員を守れなかった姿を見て、自分はそれを繰り返さないと誓ったのでしょう。 それらしき描写が、これまでにも何度も繰り返されています。 その決意をもう一度、父親と確認する高柳。 自分のやり方が破綻した現在なら、父親のやり方も認められるからです。 死生観に結びつく信念―――矜持を、高柳はもう一度確かめたのです。 今、上に立つべき人間としての全ての心の資質が揃ったと私は感じました。 高柳はフロンティアを守るため、その最後の拠り所である島男に直談判しに行きます。「あなたがしてきたことでしょう?」 その言葉の重さを全て受け止めたのは、彼が社長として自覚を持ち、その事実をしっかり認識していたからでしょう。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 守るべき家族、最後の居場所。 島男はそれを“力”に喰われ、操られるままに捨て去ろうとしました。 その事実に、島男はようやく気づきます。 自分が行おうとした事の恐ろしさと、居場所のある喜びに震えつつ、彼は涙を零すのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 開始三分で茶を噴出した『仮面ライダー555』のファンは私だけでしょうか?「む、村上社長!?」 そう。『555』で、”クーデターを引き起こして悪のハイテク総合会社社長の座を乗っ取った”村上峡児を演じた役者さんだったのです(草なぎ君ファンとしては『黄泉がえり』のSAKUを連想するのが正しいらしい)。 そして、『恋おち』でも同じ役回りですかっ(笑)! (ちなみに当管理人の当時の『555』熱に関しては、『SMAP×SMAP』感想をご参照ください) 橘副社長が出てきたということは…『ロイド』のモデルは『SMART BRAIN』で、島男のモデルは木場勇治(『555』で一番の理想主義者。が、暗黒面に乗っ取られてラスト間際に社長に)ですかっ(←違う、違う)!? …まさかSMAPのドラマで、特撮ネタが出てくるとは思いませんでした。 願わくば、橘が「上の上です」などと言いませんように。どんなシリアスなシーンでも爆笑する自信があります(←待て)。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ そしてもう一つのデジャヴは、”泣きながら飯を食う”シーン。 …『フードファイト』第十話”回転寿司を号泣しながら早食いする”シーンを経験して以来、十八番になりましたよね(『僕の生きる道』第一話、『フードファイト香港死闘編』、『十三番目の男』他)。 ”泣き食い”で思い出したのですが、前回、今回の話は『銃男』『十三番目の客』(フジ系『世にも奇妙な物語』)を彷彿とする展開でした。 前者は”過信によって出世していく男”、後者は”拝金主義の社長が改心する話”です。この二つでの演技経験が、今回にも活かされてるのかな…なんてふと思いました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 螺旋を描き、過去の出来事が役者をかえて繰り返されていきます。 ―――まるで神が運命に捻子を差し込むように。 ドラマのスタッフが『ネジがキーワードです』といった意味が、ようやく分かりました。 島男は何度も同じ出来事を繰り返してきました。 高柳は親子二代で、同じ出来事を繰り返しました。 フロンティアは会社を飲み込み、そして飲み込まれます。 しかし同じことを繰り返していても、彼らが描くのは円環(サークル)ではなく、螺旋(スパイラル)です。 その螺旋を上昇させるのか、下降させるのかは、主人公達次第なのです。 第一話では、ネジを巻きいれることに希望を感じていた島男。 でも今回のラストではネジを巻くことに恐れを抱いている、そう私は感じました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 幼子のように、助けを求めるように、島男は捻子を見つめる。 運命の螺旋を畏れ、闇の中で立ち止まる主人公。 そして螺旋を動かし始める高柳。 時は巡る。 その螺旋の先にあるのは、何か―――追記(6/15):今回の経営的な突っ込みはこちらがオススメです。ヒルズに恋しての9話終了後にて~ローの人には関係ないかも。
2005/06/09
四つの紙屑。 四つに引き裂かれた、守るべき者達の名を、次郎は硬く握り締める。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「明日なんて、来なけりゃいいのに」 家族が引き離される、その手助けをしなくてはいけない。言葉に込められた血を吐くような思いが、テレビの前の自分の心も抉りました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「確かに、今までの私はダメダメでしたから」」 ダメダメな人間は多いし、朋美と同じ駄目な部分を持つ自分は思わず肉親憎悪を抱いていたのは秘密です(←…己の方が駄目人間だろ)。 だけどその理由を自分で学び取り、克服できる彼女は本当に偉いですよね。 まっすぐさに『諦めない』強さ、それに柔軟さも学んだ今の朋美は、凛々しいぐらいです。 本当に魅力的な女性に成長しましたよね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ その一方で次郎もまた、成長の兆しが見えます。「やってられるかよっ!」 そんな本音を、彼は冗談で誤魔化して逃がしていきます。それができる分だけ、社会に適応できたんですね。 その一方で、”自分の全てである夢”と同じだけ、”家族の事”も大事にしたり。 まだまだ子供っぽくはあるのですが、それでもしっかり大人になっているのを感じます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「子供達の中に土足で入っていく」 でも次郎もまた子供達に、心の中へ土足で入られていましたよね。 互いに土足で入られながら、互いにその窓を開けて、”行き場を失って澱んだ空気”を入れ替えていきました。 その過程の中で、互いに家族として認め合っていったことを、ふと思い返しました。「一度ゆっくりと話をしてみたかったですね」 …嫌味なぐらい爽やかに元一郎は去っていきました(笑)。きちんと自分の限界を認める、大人の部分を見せ付けていきましたよね。 元一郎を始めてかっこいいかも、と思っちゃったり。 でもそんな言葉の裏には、『自分も風を入れ替えて欲しい』という思いがあったのかもしれない。そう感じました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「お前、そんな言葉どこで覚えてくんだよ」 この年で大の大人を振る少女、葵(笑)。 将来が楽しみすぎます、本当に。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ナナエを説得するちひろ。 それは”理”を説くのではなく、少女の”悲しみ”を共有することでした。 そして頑なな心を、”悲しみ”を通して自分の心と重ね、さらに重ねていくことで、支えることでした。 短いシーンですが、その手腕に感心してしまいました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「何でそんなに急いで大人になりたがるんだよ!」 子供なのに、大人にならなければいけない。そんな”歪み”を次郎は告発します。 少女は大人になることで、多大なる痛みを受け止めようとしていたのだと、言い返します。 この出来事で、家族の抱えた”歪み”とその原因を、次郎は始めて実感します。彼は少女をその”痛み”ごと受け止めます。 そして、家族がその”歪み”を抱えることに疑問を覚えます。 ”歪み”を抱えたまま、バラバラになることなど、彼には耐えられなかったのです。 ”歪み”を吐き出し、子供本来の姿に戻る少女を見て、次郎は感じていたはずです。 まだ”歪み”は正せると。 ならば、まだもう一度”家族”に戻る『最終のバス』も出ていないと。「まだ間に合うよね…最終のバス」 彼は、最前の朋美の言葉から救いを見出します。 彼は受け止めた”歪み”、”痛み”を園長とちひろにぶつけます。「経営が成り立たなくなってしまえば、どうしようもないのよ」 彼は分からないと言い切ります。 『どうしようもない』という言葉を受けれないために。 経営という言葉によって、家族の”歪み”を肯定しないために。 そしてまた、朋美も一緒に『最終のバス』に乗るといいます。 それは次郎の決意を肯定することでもあります。 何度も繰り返してきましたが、”他人を肯定することは、癒しでもある”んです。 次郎は家族との別れや両親達の諦めから傷ついた心を、朋美の”肯定”によって癒されたんですね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ …子供達のエピソードでは涙腺が硬い自分ですが、次郎が子供を見て硬く決意するシーンには涙が滲んでしまいます。『絶望的な状況の中で、本当に大切なものを選び取り、そのために茨の道を歩くことを決意できる』 それは人間が追い求め続ける、普遍であり理想である強さ。 子供の頃のコンプレックスじゃない。惚れた腫れたのごたごたじゃない。ちっぽけな個人的なプライドじゃない。”家族全体の存在全てをひっくるめて肯定して、彼らを拒絶する世間や経済の困難を受け止めること。” そんな『矜持』と呼ぶに値するだけの、でかい代物を次郎は背負うつもりでいます。 確かに大人の癖にとんでもなく子供っぽくってかっこ悪い次郎だけれど。 でもその分だけ、とんでもなくカッコ良過ぎる。 その強さが眩しすぎて、涙腺が緩んでしまうんです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「最終のバスに、私も乗っていいですか?」 家族を守るために、彼は足掻く。 その背中を押すように、朋美は囁く。 ――今、二人の戦いが始まる。
2005/06/06
「喰われちまったんだよ、お前は!」 直進する白い光も、ワイングラスに歪んだ像を結ぶように。 純粋なる思いも、過ぎたる力に歪んだ姿を映す。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 第五話の道徳的な話と、今回のダーティな話。その両方をやっちゃう『恋におちたら』ってすごいと思います。 そして私も、その両方が嫌いじゃない。 …むしろ”陰謀・知略・策謀・暗躍”という、ノアールな匂いに胸がドキドキ言ってます。 悪の陰謀は、更なる悪知恵と力でねじ伏せるべしっ(←ドラマが違うって、それは)。 『ロイド』の桜庭が考えていることが、手に取るように分かりますよ(←陰謀物に擦れ過ぎじゃっ)。 ここから数行は推測です。 『ロイド・ブラザーズ』にとって、フロンティアを傘下に加え、本社の巨大化に繋げることが目的。 そのために”もっとも安易・安価で安全な方法”として考えたのが、”離反分子”となる島男を動かすことでした。”島男”を(子会社を与えることで)駒とし、後は煽るだけ。それだけで目的を達しました。 …つまり、”島男”に求めたのは”体裁の良い離反者”であることだけ。彼の経営者としての能力なんて『ロイド』は期待していないでしょうね。 そして彼が上手く動かなければ、使い勝手の良いものに挿げ替えることも考えるでしょう。 高柳もそれには気づいているのでしょうね。そして『(島男を手駒に仕立てるだけの)ロイドの資金力』に恐れをなしたのでしょう。 そして、それに気づいていないのは島男だけです。 …無条件に人を信じるところだけは、本当に変わってないですね(呆)。 『ロイド』や高柳の間では、本当に子供のように見えてしまいました。 社会の陰謀・策謀の中で生きるにはまだまだ甘いぞ、鈴木島男(←いや、それを叱咤激励するなって…。汗)! ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 確かに島男は完全に高柳を模倣しました。 その中に、フロンティア初期の記憶がほとんど残っていない(七海との最初の出会いの記憶)と思われます。 まるで”コンピュータ”のようです。 最新の演算能力を持つOS(島男)に、基本プログラム(考え方)と拡張ツール(やり方)をインストール(模倣)したようでもあります。 しかし、彼にはデータ(経験)が無く、そこから演算された自動修正(臨機応変さ)ができません。 その分だけ、高柳よりセキュリティ・ホール(危険性)が多いのです。 それはある意味では、『他人と自分を型に嵌めることで理解しようとする』島男らしい行動かもしれません。 そこまで考えたとき、一つの仮定が起こります。 もしかして『ハイアイランド』売却の時に、これと同じことが起こったのではないでしょうか。 泣く泣く父親の家業を継ぎ、その時に父親と同じ考え方を”模倣”したのかもしれません。 …これはさすがに、穿ち過ぎですね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 高柳の第二話での台詞、「母親が守れなかった本当の理由は、金じゃない」の背景が少しずつ見えてきましたね。 彼は、島男と同じ人生を歩んできたのかもしれません。だからこそ最初は、過去の自分に手を差し伸べるつもりで、彼を営業部にいれたのかもしれませんね。 そして自分と同じように変化するのを確信し、あるいは願ってもいたのでしょう(『麻薬から逃れられない』発言)。 …その一方で、自分と違う可能性を望み、自分を引き帰させてくれる事も望んでいたのでしょう(六話での迷い・七話ラストでの落胆)。 後半にしてようやく、高柳というキャラクターにも惹かれ始めています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「プロキシの履歴から、どこにアクセスしていたかを調べて!」 それ、クラッキング(パソコンへの侵入技術)の応用で履歴ぐらい消せます(おひっ)。 島男なら、無線ハッキングで遠隔操作できる”自壊プログラム”を自分のPCに仕込んでいそうですね(←そーゆー発想がすぐ出る自分が怖い)。 株購入に関しても、効率よく使うためのプログラムを組んでいそうです(←それは、さすがに無理だろう…)。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 左右対称の決別のシーンはやはり印象的でした。 高柳と同じように『引用』してみせたり、名前呼びをしてみせたり。無骨な男性の手の高柳の手と、華奢な島男の手。 時に島男の”詰めの甘さ”や、高柳の恐れを詰め込んで。 クビになったときの、寂しさを滲ませる表情も印象的でした。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 島男の地位と名声は所詮、IT業界という水物商売の中の産物。それが長続きするとは思えません。 『ロイド』の干渉力と相打ちになる可能性が高いと予測しています。 できればシリーズは『プログラマー』と恋愛の両方を手放さないで欲しいと思うのですが…。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 島男が新しく手を出したのは、ネットゲームとドラマのネット配信。 …この辺りって、『フジテレビが某IT業者と提携を拒みまくった理由の一つ』だったような(滝汗)。怨念を一瞬感じてしまいましたよ(怖)。 とはいえ、私も『著作権・肖像権概念の無い国』にはちょっぴり憤りはあります。 そういった国の執念めいた海賊技術を舐めてるな、島男は(頭痛)。 国内ですら、『Winny』などの違法コピーツールの氾濫している現在で、ネットドラマの配信が儲かると思わないです(きっぱり)。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『恋におちたら』は各話、監督の特徴も強く反映されるようです。 今回は鈴木監督らしく、CGや魚眼レンズを多用していましたね(鰹の頬が赤いのはうけました)。 アカウントの消失シーンはそれなりに頑張っていたな…という印象です。「違うでしょ、ああいうときは画面をいくつも出して、その中に文字を並べて、その文字を虫食いのようにランダムに消去していくんだっ!」 とテレビの前で力説した自分がちょっと怖かった(←…拘るなよ、そういう部分で…)。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 97年の『沙庄妙子 再会の挨拶』(フジテレビ系)以来の極悪人モードに突入中の草なぎ君。 ご本人が短編ドラマのメイキング映像に「自分の顔が怖い…」とつぶやいたというエピソードもあるぐらい、悪役には実は向いています。 でもまだ、声が甘く柔らかいな…とも思っちゃいました。これから悪役を経験するうちに、変わってくるのかな(期待半分、怖さ半分)。 前半の状態からここまで変わっちゃうと、それだけで十二分に怖いですけどね。 次回への楽しみは「鏡を見る」シーン。 島男の人格崩壊をもう一度観れるかなと期待しています。 そして、何に自分の『像』を写すのか。それも気になっています。 一番ベタなのは『香織の瞳』ですが、個人的には『自分で叩き割った鏡』や『汚れた水溜り』がいいなぁ…と思ってます。 でも一番のダークホースは、『社長室のリクライニングの捻子』でしょうか。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ここで、いつも楽しみにしているサイト様をもう一度整理。 『無駄な事なんて一つも無いんだよ。』。 脚本担当の佐藤志麻子さんファンの視点から見るドラマの感想はすごく参考になります。いつも楽しみにしています。 『YASHAファンサイトみまほしの森-改 うぇブログ』。 こちらも佐藤志麻子さんファンのブログ。すごく参考になります。 そして今回はこちらも読み応えありです。『限界は超えるためにある ~Impossible is Nothing~』よりヒルズに恋して~改め~恋におちたら!第8話と自分。 経済に対する鋭い突っ込みは、さすがの一言です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『ロイド』が用意したチェス盤の上で。 力に『喰われし』黒の歩兵と、力を『失った』白の王が対峙する。 二人の進路(過去)が交錯し―――チェス盤から去るのは、どちらか。
2005/06/02
「分かんないでしょ、それ、いきなり言われても」 子供達の疑問を、次郎が言葉にする。 誰よりも、子供達に近い心で。ただ少しだけ、言葉を知って。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 少年は、自分を理解してもらいたくて、どうしても振り向いてもらいたくて、ずっと足掻いていました。 足掻き続けるうちに、弾けそうな思いはいつしか暴力となり、受け入れることを忘れた心は、暴力的な言葉となったんですね。 次郎は少年とよく似ているんですよね。カチンと来ると、すぐに人を殴ってしまうんです。 だからこそ、彼の気持ちがよく分かり、つい言われたくないところを突付いたりできちゃうんでしょうね。 でも、”ホーム”という理由は絶対に出しませんでした。少年が言い出すまで、そっとしておくつもりだったんだと思います。 少年が次郎を呼んだのは、確かに移動の足が欲しかった、という理由もあるでしょう。 でも彼はめったなことでは口を出したりしないと、そう思っていたからでしょうね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 少年は警察に向かう途中、”誤解されたまま警察に行きたくない”と思います。 施設のためには、すぐにでも警察に行くべきだと分かっていたにも関わらずです。 そのためにイライラを募らせていきます。 それを次郎に見抜かれ、彼はイライラを更にピークにまで高めてしまいます。 次郎は全力の追いかけっこでそれを受け止めます。それは、次郎の体力でなければ不可能だったでしょう。 少年はイライラを完全に昇華することで、その奥にあった自分の思いを認めることができたのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 次郎は少年の思いを理解していました。 だからこそできるだけの助力を行いました。最初の頃とは違い、少年を家族だと思っていたからです。 携帯を切り、少年が思いっきり無く時間をあげることもまた、彼なりの思いやりです。 だからこそ、警察の前で別れるときも、彼なりの応援を送ったんですね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「親父…父さん!」 尖る言葉ではなく、その奥の悲鳴を言葉にする少年。それに気づいたからこそ、一瞬動揺する父親。 未だ、疎んじているのは本当だろうし、関わりたくないのでしょうね。そして彼の悲鳴が自分の責任と認めたくなくて、逃げ去ってしまいます。 でも、この一瞬から、変わることもあります。 少年は、暴力で無理に父親を振り向かせることを諦めるでしょう。 そして父親も、息子に対して、この日の出来事が心に残るはずです。 そして、きっと、何かが変わる。私はそう思います。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「来ると(待っていると)信じてた」 互いにやり方は違うけれど、互いの”子供たちへの誠意”を信じている二人。 そして、それは信頼以上の気持ちに発展しつつあります。 この二人の恋模様は爽やかで、すごく好感が持てますね。 元カノの嫉妬も、今回はすごく可愛いです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「どうして…」 突然の言葉に、子供達は戸惑い、怒ります。 大切なことを自分の預かり知らぬところで決められ、納得もできないままに住む場所を定められる。 そんな不条理を、次郎ははっきりと言葉にします。 次郎は必要の無い言葉を言わないが、言うべきことははっきりという男です。 彼は大人だから、言葉にする方法を知っています。そして心が幼いから、子供達と同じ気持ちを持つことができます。 そんな彼だからこそ、子供達はしっかりと見つめます。 あの場所で、子供達は次郎を代弁者と認めるのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・>「勝ちってことが要らないんだよ」”大切なのは、正義を通すことではない。 守るべきものを守ること。” 子供は否定されることを恐れます。近所の拒絶に晒され、居場所さえも否定され続けることの痛みを、園長は知っていました。 だからこそ闘うことを拒絶したのです。 次郎が闘えるのは大人だからです。 それを耐えるだけの社会的地位も、経験も、彼には備わっています。 けれど、子供にはそれに耐えるだけの”体力”が無いのです。 ”逃げること”は父親の価値観です。 ですが父親の苦悩する姿を見て、次郎は自分の中の”家族を大切に思う気持ち”を重ねます。 彼は父親の心の円と、自分の心の円を重ね、その重なった部分から、父親の価値観と信念を理解するのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ばらばらになる家族。 闘って全てを失うよりも、大切なものだけでも無事に逃がすことを願い―――。
2005/05/30
倫理観が、自分自身への認識が、壊れ、軋みんで音を立てる。 感情が奔流し、律することもできず。 その中で事実のみを拾い上げていく主人公。 ただ見開いた瞳だけが、助けを求める。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「高柳の言いなりになりたくない」 言い方を変えれば、『言いなりにならずに済む、そんな微温湯に浸っていたい』。 そんな自分の甘さが、ずっと他人に苦労を押し付けてきた。 その事実に、やっと島男は気づくのです。 そしてようやく、”家族を守るために、力を手に入れる”決意をするのです。 本当なら、これがスタートのはずだったのに。 これまでの遅れを取り戻すために、島男は一足飛びに大きな力を手に入れます。 …身に余る力を。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 彼は自分の家族を守るために力を得ました。 ですが、慣れぬ力はすぐに彼を捉え、14億という大きな負債を抱えるのです。 上司がいない。誰にも甘えられない立場。裏切りが当たり前の場所。 そう思い込むことで、彼は自分に”甘え”を禁じるのです。 …封印した”甘え”の中に、人の弱さを知ることも封印して。 彼は”甘え”を封じて足掻き続けた挙句、方向性さえ見失います。 そして唯一つ、高柳から”与えられた方法”を受け入れます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 島男は自分を『善人』という型にはめていました。 それはこれまで、『悪人』と言われる行為をしたことがなく、その行動理由も理解できなかったからです。 それを高柳は見抜き、第二話で「お前は善人ではない」と言い切っています。 そして、ようやく高柳が与えた毒が潜伏期間を終えて、島男の心を蝕み始めます。 彼が信念と信じていたもの―甘え、あるいは自己満足―を、あっという間に呑み込んでいくのです。「なら、十倍出しましょう」 ”力”の命ずるまま、教えられたとおりの言葉を放つ島男。 そこに、彼のそれまで持っていた感情も、考えも、何も込められていない。 後に残ったのは人の意志を失った――――”マネーゲーム”に飲み込まれた、完全なる”傀儡子”。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 元々、島男の中にあるのは信念に昇華される前の”願望と甘え”だと思っていました。 そして自分や他人を型にはめて理解するタイプ(今回も『絶対』と言い切る辺り)であり、許容用量も意外と小さいのでは、と推測していました。『このままだと、あっという間に会社に渦巻く”力”に呑まれるな』 そう思っていたら、本当にあっという間に呑まれてしまいました(汗)。 予想をいい意味で裏切られたと感じています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・”チェス盤の上で、『ポーン』が『クイーン』に育った” そう思った高柳は、その『クイーン』を自分と同じチェス盤に引き上げます。 ですが彼はまだ気づいていないのです。 その『クイーン』は、自分と同じ白ではなく、黒として立ったのだと。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「麻薬から逃れられるものはいない」 彼はそう言い切ります。”…もしそうでなかったら。 その”中毒性”から逃れて、恩人を救い、親父を越える道があったのだとしたら。” それは、自分の選んできた道が間違いだと証明すること。今の自分を否定する事。 高柳には、それを認めることはできなかったのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 私はずっと”悪役・剛”が見たいと思っていました。 ですが、今回一つ自覚したことがあります。 私はそれよりも、”人格が壊れる瞬間”の演技がすきなんだということです。 これまで草なぎ君の演技で好きなのは『フードファイト』の満だったり、『TEAM』SP2の風見だったり、『僕と彼女と彼女の生きる道』の一話ラストだったり。 …全部、”どこかが壊れた”瞬間だったんですよね。 サイトの小説でも、三本(『フードファイト』含む)が、”壊れた”役どころだったりしますし。 私、ひょっとしてサドなのかな…(滝汗)。 でも『”過ぎたる力への快感”に怯える』シーンなんて、まさか現代劇で見れるなんて思って無かったです(嬉)。 むしろSF(例えば映画『スターウォーズ』や、感想を連載している『トリニティ・ブラッド』の主人公)に多いシーンなんですよね。それを現代劇でやっちゃう脚本家とスタッフに感謝です。 草なぎ君ファンとしてある意味”本望を達した”と感じております(←おいおい)。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 傍らの彼女に差し出した、助けを求める呟き。 あるいは――甘え。 次の瞬間、白い光の奔流に曝され、それはかき消されていく。 その中に、”善人”島男は呑まれ。 そして、”消えた”――――。
2005/05/26
「正しいことだけが、子供達に通じるわけじゃない」 朋美は己の殻を壊して、袋小路を飛び出していく。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 恋は盲目。あの年頃では周りが見えなくなっちゃう時があるんですよね。 でもあの年頃で軽々しく『結婚する』と言われると、「世間と経済社会を舐めるな、おい(中指おっ立てモード)」と突っ込みたくなります(苦笑)。 とは言っても、自分しか見えなくなっちゃう(恋する自分に酔っちゃう)状態では、他人の価値観・倫理観から自分を見つめなおすことができません。 そのかわり、一度その考えが綻べば、すぐにその視界を広げることができたんですね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 相手の男性が悪い、とはあまり思えません。…ああいう男性って、絶対多いですしね(頭痛)。 でも「将来がある身なので」という言葉には、はっとしました。 差別って、言葉じゃないんですよ。むしろ言葉狩りに躍起になる人ほど、気づくことができないところに原因があるんです。 次郎は一瞬でその『原因』であり『問題』を見抜きます。そして走り出すのです。 このシーンで「行けーーーっ!!」と叫んだのは私だけでしょうか(←叫ぶな、猪)。 次郎は確かに自分のこともあって走ったのかもしれません。でもその中には確かに『家族』を思う気持ちがあったと感じました。”自分は恵まれていて、相手は違う。だから、相手の人生踏みにじって遊んでもいい” そんな差別(あるいは倫理観の欠落)を、男から感じ取りました。 相手に対する害意、それが最大の問題なんですよね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・>「トラくんを好きになれただけでも、良かったっつてんの」 誰も、自分の経験を含めて自分を否定することは望みません。 しかし恋愛の失敗によって、少女は自分の経験を自分で責める気持ちも生まれていたのでしょう。 だから、自分自身を守るように、好きだったという事を言い続けるのです。 そんなとき、次郎からそんな言葉が掛けられます。 人を癒すのは、その人を認める言葉だと、私は思います。 次郎の言葉は、彼女の”幸せだった気持ち”を認め、彼女を癒したんですね。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 少女と母親の会話。 互いに思うことを言い合いつつも、それをきちんと聞いて受け止める二人。 それだけで、二人は互いの価値観を覗き合い、認識するのです。 決してそれだけでは二人の価値観は変わりません。ですが、それを試金石にして、自分の価値観を更に磨き上げることはできるのです。 そして母親は、娘の価値観も認め、少女により近い価値観を持つ朋美に託すのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ >「正しいと思うことだけが、子供達に通じるわけじゃないとちょっとだけ思ってます」 朋美は本当に先生らしくなったなぁ、と思います。 元一郎と次郎の、両方の考えに接してきたからこそ、両方のいいところをちゃんと勉強してきた気がするんです。 そして誰の受け売りでもない、彼女自身が学び取った考えは、元一郎の心にも風穴を開ける力があると感じました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「私は、常識的で、平凡で、羽目を外すことができないので」 互いに互いの価値観を借りて、自分自身を見つめなおす。 そして互いに自分と相手を理解していく――――。
2005/05/23
「会社が潰されて、平気な人間はいない」 まだ瘡蓋も乾かぬ傷跡が、抉られていく。 だが、主人公にはまだ、更に深い高柳の傷は見えない。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 結論から言えば、高柳はもう引き返せないところまで来ていた、ということだと思います。 高柳が天秤に掛けたのは”恩人を救う力”、そして”フロンティアを存続させる力”でした。 高柳はまだ、完全に”金の力”に飲み込まれたわけでは無いのです。 彼は見えないところで悩み、寸前までその二つを天秤に掛けたまま進みました。 ですが、彼は自ら作った敵によって、情報を売られます。 情報は時に、金以上の”力”となります。情報による揺さぶり-株式の下落-により、彼は天秤の平衡を保つことができず、ぎりぎりの時点で選択をしました。『会社が潰されて、平気な人間はいない』 だからこそ、高柳はフロンティアを守らなくてはいけなかったのです。 見ず知らずの社員ではなく、自分を信じる本社・既存の子会社を選んだのです。 ”他人を救うために身内を犠牲にする”のは、奇麗事ではなく偽善ですらないと、高柳は知っていたからです。「人からどう思われてもいい」 その言葉は、高柳が選択の責任と痛みを一手に引き受けたが故の言葉です。「一人を助けて、何百人の社員を路頭に迷わせるのか」 自分もまた倒産の苦しみを知っているからこそ、天秤を司る責任を知っているのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 逆に、島男や香織の気持ちには疑問を持たざるを得ません。 彼らは会社を売って欲しくない、といいます。ですが、そうすればフロンティアの本社や子会社が大打撃を受けることになり、更に犠牲が多くなるのです。 隣にいる人々の苦悩が、理解できないのです。「向こう次第だ」 高柳の言葉どおり、倒産するよりも、僅かでも社員が生き残る可能性があるのです。 転売は正しかったのだと、私は思うのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 心のどこかでは、高柳も買収が誰にも知られないままに終わって欲しかったのです。 そうすれば、傷口はまだ浅いところで止まるはずでした。 ”金が全て”ではないと、これまでのやり方から引き返せた。 その時に”間違っていない”と言い切ってくれる島男がいて欲しかったのでしょうね。 島男には”その力”があるのですから。 結局、島男の思いを裏切る形になりましたけどね。 そして『人を型に嵌めたがる』島男は、社長を理解しようとしません。…そこがまだ、「いい人」にはなれないところですね(苦笑)。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 高柳は株価の下落による恐怖を知っていました。それに立ち向かい、そして選択したのです。 島男はまだ、その株価という目に見えないものを知りません。 ですが、ようやく次回以降でその恐怖を知ることになるようです。 高柳の苦悩の本当の理由を知った後、今回の出来事を振り返ったならば。主人公はその時に何を思い、何を学び取るのでしょうか。 島男はこれまでずっと他人任せだった経営に携わることになります。 自分がどんなことを他人に任せ、甘えていたのかを知る事になるのです。 島男を裏切った過去の友人や社員の、裏切りの理由を知ることにもなるでしょう。 『フロンティア』という大きな力は、彼の”甘え”という名の信念だけでは振るいきれる力ではありません。 彼はそれまで以上の確固たる”信念”を育て上げなくてはいけないでしょう。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 来週の予告で、やっと成長の兆しが見えましたね(…な、長かった)。 やっぱり自分は主人公の成長物語が好きみたいです(苦笑)。 今回・来週と自分好みの展開になってきているので、その意味でもわくわくしています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「お前も無能な経営者だったな」 高柳はそう言い切る。…父と同じ轍は踏むまいと。 強く出ることで自らを戒め、痛みを噛み締める。 そして主人公もまた、”己の心を試される”本当の舞台に上がろうとしている。
2005/05/19
「約束する…も一回表彰台の上に上がってやる」 自分しか見えていなかった己の殻を、無理矢理押し入ってこじ開けた彼ら。 そんな”家族”のために、誇れる自分になりたい。 それは、彼が見出した矜持。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 第一話から今まで、どんな展開になっても泣かなかった自分が。 ラストの「約束」で泣きました。 そして某ドラマのタイトルではないですが、次郎に堕ちました(←「おちる」、じゃなくって堕ちるかいっ!)。 以前から日記を読まれている方はご存知だと思いますが(例えば、2003年日記夢と恋愛のベクトルが重なり合うとき の後半参照)、この猪(管理人)。「仕事と”大切な人”を同じベクトルに向けて、突っ走れる人」に萌え倒す習性があります(←野生化中につき、妄言に注意)。 言い換えると「家族と仕事への誇り、両方を手放さないのが男の甲斐性」となります。 ここ二年ほど、いろんなドラマでこれを叫んでは、ブラウン管の中で「仕事、もしくは家族を捨てる」という状況を目撃し続けていた(…一番ショックだったのは、『僕カノ』中盤で、銀行員を諦める下り)。 正直、疲れていました。 ですが、こんな中盤で、このドラマで、まさか次郎から、こんなシーンが見れるとは思わなかったのです。 次郎の成長っぷりに不意を突かれ、嬉しさのあまり、”転び”ました(←宗教かっ!)。 木村君のこれまでの役柄の中で、一番かっこいいとも思います(断言)。 某プログラマーにも、頑張って欲しいところです(「まだ、諦めてない」とは猪管理人の弁)。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 前回の監督の言葉は、”メカニックの勉強をすることで、マシンの性能を知り、その性能を限界まで酷使するのではなく、生かせ”という意味だったのかな、と次郎と一緒に考えています。 その意味では、次郎は成長している気がするのです。 これまで丁寧に描かれていた次郎の”子供に対する複雑な感情”、対人関係の甘え、僅かな変化。 それらが積もり、大きく動き始めたのが今回です。 ”設定リアルより、感情リアル”とはある小説指南書の受け売りですが、この言葉がここまでしっくりくるドラマも本当に少ないと思います。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ここに来てようやく、レースと施設、二つの柱が交わりあいます。 次郎の心の円(パーソナル・スペースと言い換えてもいい)に、子供達が無理矢理押し入るのです。 もちろん最初は強烈な拒絶で追い返します。ですが子供達が次郎の価値観を認めることで、次郎も子供達の存在を認めるのです。 1-3話では、次郎が広げた心の円によって子供達が救われていました。ところが4-5話では、子供が広げた心の円によって、次郎が救われるのです。 それがすごく新鮮に感じました。 そして轟音の中、彼らは本当の家族になったんです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 彼が逆切れの後、嘘を認めて謝ったのは、”許してもらえる”と心のどこかで信じているからだと思いました。 同時に「めんどくさい」「苦手」といいつつ、真剣に向き合うことを恐れていた彼が、その姿勢を変えた瞬間でもあったと思います。 そして許しを請うた次郎に対し、追いかけてきた少女は”自らの秘密を明かし”ます。 少女が広げた心の円と、自分の心の円が重なり、その中に次郎は少女の魅力を見つけ、少女から見た”家族”の価値を教えられるのです。>「お前、いい女になるよ」 少女に、一人の存在として魅力を見出したからこその言葉ですね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・>「家族にだって言えないこと」 次郎は子供達に責められ、その苦しみをぶちまけます。そして素直に謝罪します。 怒りの矛先が収まることで、残るのは僅かな引け目。 そして「家族にだって言えないこと」の存在に、はっとするのです。 次郎の苦しみと謝罪に、少年は後押しされて謝ります。 ですが、少年の苦しみを次郎の中に見出していた子供達は、それに理解を示すのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ これまで次郎のことを非常識と思っていた朋美ですが、レース場では逆に自分が非常識だと思い知ります。 自分の価値観や理論がすべてでないことを、次郎を通して知り始めるのです。 視野を少しずつ広げているのは、彼女も同じなのです。 そして彼女もまた、視野を広げる中で次郎の存在を認め始めるのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 施設を巡る事態はどんどん悪化している。 次郎はようやく施設と向き合うだけの素地ができたばかりだ。 彼はどう向き合い、何を学び、感じ取っていくのだろうか。
2005/05/16
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