2015 年 9 月 5 日に、このブログでアップしたものを再記する。
許されない国家犯罪=拉致が、 1970 年代から、繰り返され、見逃され続けて、もう 50 年にもなる。何という長い年月が、過ぎ去ったことか!!
北朝鮮という、独裁国家による悪行は、我々の想像を、はるかに超えている。
この全体主義に、見て見ぬふりをする卑劣漢が、リベラルの一部にいて、未だに(人権)を叫んでいる・・・この(ありえない)現実には、思わず笑ってしまう。
皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)
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拉致された 13
歳の少女・横田めぐみさん。 北朝鮮による日本人拉致問題
もう 38 年にもなるんですね・・・・自分自身の問題として、サヨクは考えてほしいものです。
「赤旗」(共産党機関紙)にも「週刊新社会」(新社会党機関紙)にも、めぐみさんや蓮池さん、 曽我ひとみさんたちの名前が出ることは、ほとんどありませんでした。
人権を叫ぶ、この人たちの欺瞞的な活動を国民は、しっかりと見ていると ぼくは、思いますが・・・
皆さんは、どう思われますか? (はんぺん)
今から30年以上前の 昭和52年(1977年)11月15日 ----- 日本海に面した新潟の町から一人の少女が忽然と姿を消しました。
その日の朝、横田めぐみさんは、いつものように、お父さん、お母さん、双子の弟とにぎやかに朝ご飯を食べ、中学校へ出かけていきました。
そして、これが家族にとってめぐみさんを見た最後になってしまったのです。
めぐみさんが帰ってこない!! .
その日の夕方、クラブ活動のバトミントンの練習を終えて帰ってくるはずのめぐみさんは、いつもの時間になっても帰ってきませんでした。
家族は、心配になって、必死でめぐみさんを探しました。警察も、誘拐や事故、家出、自殺などあらゆることを想定して捜査を進めました。
けれど、目撃者も遺留品さえも見つかりませんでした。
その夜、めぐみさんは -----.
ずっと後になって出てきた証言によると、 お父さんとお母さんが必死でめぐみさんを探していたとき、めぐみさんは北朝鮮の工作員に連れ去られ、 40 時間もの間、北朝鮮に向かう船の中の真っ暗で寒い船倉に閉じこめられていたというのです。
めぐみさんは、「お母さん、お母さん」と泣き叫び、出入口や壁などあちこち引っかいたので、北朝鮮に着いたときには、手の爪がはがれそうになって血だらけだったと言われています。
明るくて元気なめぐみさん .
めぐみさんは、明るく朗らかな少女でした。家族にとって、まるで太陽のような存在でした。歌うのも、絵を描くのも大好きで、習字やクラシックバレエも習っていました。
めぐみさんがいなくなる前日の 11 月 14 日はお父さんの誕生日。めぐみさんは、お父さんにくしをプレゼントしました。「これからはおしゃれに気をつけてね」という言葉とともに。
家族の悲しみの日々 .
めぐみさんがいなくなった日から、家族の生活は一変しました。にぎやかだった食卓は火が消えたようになりました。
お父さんは毎朝少し早めに家を出て海岸を見て回りました。お母さんも、家事を終えると町のあちこちを歩き回り、めぐみさんの名前を呼びながら海岸を何キロも歩きました。
夜になると、お父さんはお風呂で泣きました。お母さんも、家族に分からないように一人で泣きました。どうしてこんな悲しい目にあうのだろう、もう死んでしまいたい、とも考えました。
そんな悲しみと苦しみの中、手がかりもないまま時は流れました。 --- それから 20 年後、平成9年(1997年) 1 月 21 日 -----
めぐみさんが生きている! .
め ぐみさんが平壌で生きているという情報が入ったのです。お父さんの滋さんとお母さんの早紀江さんは「横田めぐみ」の実名を公表しました。
新聞や雑誌が一斉に報道し、国会でも取り上げられました。
日朝首脳会談 .
平成 14 年( 2002 年) 9 月 17 日、 小泉総理大臣(当時)は北朝鮮を訪問し、金正日国防委員長と初の首脳会談を行いました。 滋さんも早紀江さんも、これでやっとめぐみさんに会えるという大きな期待を抱きました。
この日、金正日国防委員長は拉致を認め、謝罪したのです。しかし、北朝鮮からの情報は「横田めぐみ死亡」(5人生存、8人死亡、2人未入境)というショッキングなものでした。
納得のいかない北朝鮮の説明 .
けれど、 これは北朝鮮が一方的に言ってきたことに過ぎません。北朝鮮からは、納得のいく説明や証拠がいまだに示されていないのです。
平成 16 年(2004年) 11 月 、北朝鮮は、めぐみさんの「遺骨」を提出しましたが、鑑定の結果、その一部からはめぐみさんのものと違うDNAが検出されました。
決してあきらめない! あなたをとりもどすまで! .
めぐみさんをはじめ、拉致被害者は、かけがえのない人生を奪われました。その家族も、激しい悲しみの中で今も大切な人の帰りを待っています。
拉致は重大な人権侵害であり、国家主権の侵害です 。一刻も早く、拉致被害者を救い出さなければなりません。
早紀江さんはこんなふうに話します。
「帰ってきたら、大自然の中につれていってあげたい。北朝鮮では盗聴器や隠しカメラを恐れながら、間違いをしないように一生懸命頑張って暮らしていると思うので、北海道の牧場のようなところで、大の字に寝っころがって、「自由だよー!」って言わせてあげたいと思っているんです。」
あれから、 38 年たった今も、めぐみさんは北朝鮮に拉致されたままなのです。
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